2022年4月の日記&雑感


だらだら書いた日記です。
日記中のURLはメンテしないので,切れてる場合もあります。 あしからず。


4/30(GW)
昨日,GW1日目。家族が平日の住まいにくることになってい て,午前中は掃除。昼過ぎに来て,食事をした後,私の実家 に行き,母と面会した。子供達にとっては母と顔をあわせる のは2年ぶりくらいではないか?。といっても,玄関口で, 2mくらい離れての面会だった。その後,熊本市動植物園に 行き,花の祭りを見る。熊本の動物園に入るのは私自身が30 年ちかくぶりだと思う。
その後,自宅に戻り,みんなレストランに食べに行く。個室 が取れたので安心て食事。帰って寝る。
翌日は朝食後車で移動,福岡に戻る。夜は子供の習い事。
ということで,通常の週末に収束した。まぁ明日もお休みだ けど。

4/29(GW)
GW開始。

4/28(部活)
クローズアップ現代+は学校の先生の過 重労働の話だった。
学校の先生の過重労働が話題になって,教育に支障が出るく らいになってきてる。で,主に先生の時間を占有してるもの として,部活の指導があるという話をしていた。最近文科省 が部活の指導を教員ではなく父兄や地域に移管するようにと いってるという話も聞く。どこかの自治体で部活をやめ4時 半に下校するという施策をやってるというのを紹介していた。 結果教員に余裕ができ,教材作りなど教育の質が向上できて いるって話だった。
でも父兄から,部活がなくなり早く家に帰っても子供がゲー ムばかりしてるという不平も出てるというという話を聞いて, 苦笑してしまった。
親としては,学校の放課後に部活を熱心にするのと,そうい うのをやらないのとどちらがいいのだろう?。部活をあまり せず帰宅しても勉強をするとも限らない。部活で体力をつけ たりチームワークを学ばせるというのも効果はある。
私は小学校で軟式野球のクラブをやっていた反動もあって, 中学の1年半は部活をしてなかった。でも転校してそのあと は部活をやって,さらに転校して3年の後半は部活をしてな かった。部活の効果とか,支障はそういう意味ではよくわか らない。
さて,大学とかでの部活を想像すると,中学や高校ほど熱心 にやってるところは減る気がする。つまり趣味としてのスポー ツのようなサークルもたくさんある。一方で大会を目指すような サークルもある。大学は人数が多いので同じ競技でも複数の サークルができることもあるだろう。
一方で中学とか高校の部活は,比較的どこも熱心な気がする。 専門家が指導してなくて教員が指導していても,休日返上で 練習とかしていたりする。一つの目標に向かって真剣にやる ことはいいことだと思うが,多分そういうのについていけな い生徒もいる。休日返上でやってるから先生も大変になる。 でも,生徒には可能性があるから,最初から楽しければいい, じゃなくて,その中から一流の人が出てるようなつもりでや ることには意味があるんだろうなぁとも思う。
自分の高校時代を思い出すと,運動部はどこも真剣にやって いた。全国大会に行くような部活もあって,かなり時間を割 いて練習していた。文化部はそこまで熱心なところは少なかっ た気がするが,チームでやるような吹奏楽とかはやはり熱心 だった。
教員が部活の指導で大変なのは切実な問題だけど,全員の教 員がいやいややってるわけでもないようである。そしてむし ろやりすぎる教員もいる。親としては様々だろうが,部活を 一生懸命やって体力や責任感を養ってほしいという人もいる だろうし,やりすぎて勉強に支障がでるのは困るという親も いるだろう,部活についていけなく劣等感だけを感じてしまっ てはと心配してる親もいるかもしれない。でも部活をやらな いと,勉強するかというと,ゲームするんだな今時の子供は, とか思うと,子供に自由な時間を与えすぎるものどうなんだ ろうとか,ちょっと思った。
まぁ答えはない。子供自身が自分のためになるようにと考え てくれるといいんだけど,そこまでうまく考えられないだろ うし,まぁ考えていても,部活の場合,自分のペースばかり でできないというのあるだろう。いろいろ難しいなぁと思っ た。

4/27(隣り合わせ)
知床の観光船が消息を絶って乗客の安否がわかってないとい う話。まだ船も見つかってないし安否不明者も多いので,い ろいろ断定するのは控えるのだけど,すでに11名が亡くなっ ていて,絶望的な気分になってくる。TVでは,亡くなった人 の年齢や船に乗った事情などが語られていて痛ましい。観光 船だから,みんな楽しみにして乗っていったのだろう。まさ かこういうことになるとはおもわず,楽しいレジャーが一転 してしまったのだと思う。
災害とかでなくこれだけの人が亡くなるのは珍しい。ふと以 前スキーバスの転落事故で多くの人が亡くなった件を思い出 したが,あれも楽しい旅になるはずが,悲惨な事故になった 件だ。
話が変わるが,道志村で人骨が見つかり,3年前に小学生が キャンプ場でいくえ不明になった話が再び取り上げられてい た。こちらも家族での楽しいレジャーが,一転して子供のい くえ不明という残酷な流れになったのだと思う。
こういう話を聞くと,家族で楽しくどこかに遊びに行くとい うことが一転して悲劇になることがある。親は子供にいろん な経験をさせたい,楽しい思い出を積み重ねたいと,いろん なところに連れていって,いろんなことをさせたいと思って いる。親じゃなくて本人でも,未知の体験をしたいと思うこ とはよくある。今はコロナで,子供たちが外に出かけること が少ないため,なおさら,外で何かやらせたいと思う親は多 くないだろうか?。街中に遊びに行くのが抵抗があるってこ とで,郊外のレジャーを選ぶ人も多いだろう。
でも,なんか上に書いたようなことを思い浮かべると,こう いうのも危険と隣り合わせなんだよなぁとか思う。
でも,観光船に乗って遊覧することも,キャンプ場に行くこ とも,スキーバスに乗ることも,全部私はやったことがある。 通常はそんなに危険なこととはおもわない。そんなことを言 い出すと,買い物で外に出ることだって危ないという話になっ てしまう。危ないと思うときりがない。
とはいえ,上に挙げたようなケースは,事故に遭ってしまっ た人たちは,事前には対処できなかったことばかりである。 今,船の件は観光船会社に瑕疵がなかったかが話題になって るが,通常の客がそこまで事前に把握することは難しいだろ う。
ということで,どうしようもないし,事故があったからって, 何もしないように生きていこうとはおもわないのだけど,い ろいろ辛いなぁと思った。

4/26(雨,ネット)
日々の雑感。
朝から夜まで一日雨だった。昼は横殴りの雨という時もあっ た。なんかこういう強い雨は久しぶりだなぁと思ったが。天 気図的には線状降水帯が一瞬できた様子。あぁ夏の天気かと 思った。ちなみにかなり暖かかった。一応明日は雨は止むら しい。
全然別の話。ネットの使用量が少し増えてる。ずっと同じこ とをやってるはずなんだけど何故なんだろう?。まぁこれは パソコンでもずっと同じことをやってるはずなのに,だんだ ん重くなるというのがあるので,よくあることだけど,アッ プデートとかして,アプリ自体の動きが変わってるんだろう なぁ。最近はネットが高速であることが前提なので,ジャブ ジャブ使う前提で設計されてるんだろう。そういう意味では 昔のアプリの方が良かったりするんだけど。
GW前,いろいろと準備というか,考えなくてはいけないこと があったりする。
そんな感じ。

4/25(X Games)
先週民放のBSを見ていたら,X Games Japanの放送をすると 宣伝していた,X Gamesという言葉をそのとき初めて知った のだけど,TVでは,スケートボードやBMX,そしてバイクが スタジアムでアクロバットしてるのを映していたので,そう いう競技だろうとすぐに把握できた。東京五輪でも,スケー トボードのアクロバットがずいぶん話題になったが,それを 機に日本でも人気が出るだろうと,こういう競技をやったの だろうか?。番組を見ると,海外の選手も多く出ていて,も ともとは海外の競技のようだった。
私が関心を持ったのは,その中にバイクでのアクロバット競 技があたったから。オリンピックでは残念ながらバイクの競 技はなかったが,私はもともとオフロードバイクに乗ってい たので,バイクの競技をTVで見たいとよく思っている。今回 はスピードを競う競技ではなく,アクロバットを競う競技な のだけど,ちょっと見ていた。
バイクでアクロバットというと,20年以上前,アメリカの砂 漠とかで,アクロバットのジャンプをする様子を収めたビデ オが売れらており,何本か買った。とても面白かった。今回 はスタジアムだけど,そんな感じであった。
こういう海外のスタジアムでの競技っていうと,20年以上前 にスタジアムでオフロードレースをするスーパークロスが日 本でも開催されたのを思いだす。スーパークロスはスタジア ムでモトクロスのスピードレースをする競技でアメリカが発 祥だけど,その頃は日本でも紹介されて,私も20代の頃に神 宮であった競技を見に行った。そのあとずっとなかったけど, 3年ほど前に日本で開催されるという情報があって,気になっ ていたが,どうも中止になった様子。その辺の詳しい事情は, ネットを見てもよくわからない。
本場でのスーパークロスはまだ続いているようだけど,日本 ではほとんど紹介されてない。 そのとき思ったのだけど,いくら面白い競技でも,いきなり 海外から日本に持ってきても,観客も集まらないだろうなぁ ということ。そういう意味では今回X Gamesが日本で行われ ることになったというのも,まぁマニアの間では騒がれたの かもしれないけど,私的にはTV放映で初めて知ったので,よ く持ってきたなぁという感じだった。まぁ東京オリンピック でいくつか話題になった競技があったのが良かったのではな いだろうか?。
海外で受けていても,日本で観客を集めるには,多分その前 に,なんども日本で海外の競技を紹介するようなことが必要 だろう。最近は海外のモータースポーツは,ほとんどがBSか 有料放送で放送されるばかりで地上波では放送されてない。 これでは,なかなか広がらないのでは?という気もする。
いずれにせよ,X Gamesが日本で定着するのかはわからない。 海外の競技を日本に持ってくるのはとても大変だよなぁとモー タースポーツを見てるとよく思う。

4/24(車でライブ?)
夜,福岡ドーム(PayPayドーム)の近くの高速道路入り口から 高速道路に乗ろうと車を運転したら,渋滞にはまってしまっ た。ちょっとルートドリを間違って,脇道に入ったら,さら にはまって,抜け出すのに30分くらいかかった。このルート はよく使うのだけど,いつもより35分くらい余計にかかった。 脇道に入らなかったらよかった思ったが,それでも20分くら いは余計にかかったんではないだろうか?。
渋滞していた理由は,ドームでイベントをやっていて,ちょ うど終わったタイミング。歩道には人がたくさんいて,左折 や右折がしにくいようになっていた。もっともこの辺の交差 点はスクランブル交差点が多く,歩行者と車両はタイミング 的に分かれてるんだけど,それ以上に車が多かった気もする。
ドームでイベントや野球の試合があると,タイミングによっ て渋滞するのは,たまにあるけど,なんかいつもよりひどい 気がした。で,よく見ると,ドーム付近の駐車場から出る車 がいっぱい。ナンバーを見るとほとんど県外だった。案の定 というか,高速に乗っても,止まるようなことはほとんどな かったけど,かなり渋滞しており一部ノロノロ運転。それも ほとんど県外ナンバーだった。
つまり,ドームのイベントのために九州中から人が集まって いて,それも車できているという感じだった。ドームは3万 人くらい人が入るはずだけど,どれくらいの人が車で来てい たんだろう?。高速に乗っても思ったけど,ドーム近くのIC だけじゃなくて,もう少し街中からのICから入ってくる車も 多く,結構広い範囲に分散して駐車していたのかもしれない。 どう考えてもドームの周辺で数万の駐車場があるとも思えな い。
以前からドームのイベントで歩道に人が溢れるのはよく見る のだけど,車はここまで多くなかった気がする。その代わり バスがいっぱいになるのだけど,今回はあまりバスがぎゅう ぎゅうに乗ってるというよりは車が多かった。
やっぱりコロナで公共交通機関での移動が怖く,車で来たと いうことだろうか?。ナンバーを見ると鹿児島や宮崎大分の も多く,みんなライブを見るためにそこから車で来るの?, しかもコインパーキングとか予約できないから,止められる かどうかわからない状態で来るんだよねぇ,勇気あるなぁと 思った。
関東に住んでいるときには車でライブを見に行くとかあまり 考えたことなかったけど,なんかすごいなぁと思った。まぁ 私も野外フェスとかは車で行くことは多かったけど。いや, 地球温暖化とか燃料代値上げとかいろいろいう割には,車で 移動する人増えてるなぁとか,そんなに駐車場あるのか?と か思ったのでした。

4/23(反田さんのピアノ教育)
クラシックTVに反田恭平さんが出ていた。 反田さんは前回のショパンコンクールで2位をとった 人で,クラシックに明るくない私でも顔くらいは知って いた。今回インタビューというか,子供の頃の話をして いて,興味深かったので,少し取り上げる。
反田さんは,10歳くらいまではサッカーに打ち込んでいる少 年だったとのこと。その頃に怪我をして,治療をした時にか なり痛い思いをし,当時の医者からこれからこういうことが もっとあると言われ,サッカーの道を断念したらしい。まぁ 痛かったからであり,サッカーができない体になったわけで はないようである。
そこからピアノに打ち込むようになったらしいが,ピアノを 弾くのはその前から好きで,楽しい時悲しい時など自分の感 情を表すためにピアノを弾いたりしていたらしい。決してプ ロのピアニストを目指すようなピアノ教育を受けていたわけ ではないらしく,ピアノの先生も厳しくはなく,間違って怒 られることもなく,ただ楽しく弾かせるような感じだったら しい。
おそらくピアノを弾くことが自体が好きで,言われなくても 弾いていたのだろう。それで上手くなりたいと思ったかどう かはわからないが,時間を費やして自らピアノを弾いて上達 したのだろう。もっともサッカーをやめてそれからどうしよ うということで,ピアノを本格的にやろうと,自分でも思っ たようだからそこからはかなり真面目に弾いていたのだと思 う。
この番組の司会の清塚信也は子供の頃からプロのピアニスト になるべく教育を受けており,母親から一音間違えたら死に 値すると脅かされていたらしい。なので子供の頃はかなりプ レッシャーを感じて演奏しており,それゆえに現在独り立ち して,自由に演奏できるようになって楽しいと言っていた。 反田氏は,小さい頃から今までずっと,自分なりに自由に弾 けていると思ってるようで,ずっと楽しいと言っていた。
話を聞いていて,少し考えてしまった。二人とも一流のクラ シックピアニストで,小さい頃からピアノの教育を受けたと いう意味では同じだけど,教育方針はかなり違う。清塚氏は ずっと厳しく管理されて教育を受けていた。反田氏は楽しく 弾くことを優先して訓練されていた。小さい子供に何かを教 育する時に,両方の教育方法があって,どっちが正しいかは 悩ましい。いまはどちらかというとなんでも「褒めて伸ば そう」という傾向が強い。でも,子供に楽しさだけを感じさ せようと教育して,子供が自発的に訓練するようになるか? というのはなかなか難しい問題だと思う。
反田氏は,ピアノを演奏するのが楽しいと自分で思っていた から,おそらく自分で上手くなりたいと自覚してからは,厳 しくされなくてもかなり打ち込んで練習したのだと思う。こ れができればコレに越したことがない。でもそういう風に上 手くなるんだろうか?とかよく思う。
余談だけど自分もギターを弾くが,これは中学の時からギター を自分で始め,それから練習したからである。ギター教室に 行ったこともなく全部自己流である。まぁプロの音楽家の後 に書くような話でもないが,そういれば,だれに強制される こともなく,ずっとギターの練習をしていたなぁと思う。あ と,中学くらいから美術もやっていた。これは高校を出ると やめてしまったし,なんとなく画力自体をあげようという向 上心はあまり持ったことがない。でも,絵を見ることや,作 品を作ることで自己表現をするのは好きで,仕事である研究 にもそういうところを感じている。
勉強は好きだけど,小さい頃は言われてやってるところもあっ たので,褒められて自発的にやっていたか?というと,多分 そうではない。ただ途中から「面白さ」には気付いたりはし た。
音楽とかは,ダメだったらプロにならなくてもいいと思うこ とは,幼少時はできるけど,勉強はなかなかそう思えない。 褒めて自由にやらせた方がのびのびとできて伸びるかもと思 いつつも,なかなか難しい。
ということで,二人のピアノ教育が対照的で面白かったけど, どちらかというと反田氏のように,自由に教育されて,ここ までのレベルになった人がいるんだなという方が面白かった。
以下,反田氏の話で面白かったのが,ピアノの音が変わるの で,自分の体重を増やしたり減らしたりしたということ。作 曲者の母国語がわかると,音符の意味の捉え方が変わるとい うこと,ピアノを弾きたくなくなったら数日離れることもあ るなど。まぁ自由にのびのびやってきたようで,本人はずい ぶん考えて色々と試行錯誤してきたことはわかる。いやむし ろ,自由にやってきたからこそ,自分なりに独自の発見をし てきたのだと思う。
教育法としては面白かったのだけど,でも,何がその人に響 くのかはわからないわけで,いろいろ難しいなぁと思った。

4/22(努力義務?)
電動キックボード免許不要に 改正道交 法が可決・成立 ヘルメットは努力義務」という記事 を読んだ。
記事の内容自体は,さて,どうなるかな?,この電動キック ボードがどれくらい流行するかで,我々の生活への影響があ るかが変わるだろうなぁ。ミニセグウェイはダメなんだよね?な どと思った。
まぁそれはいいとして,気になったのは「努力義務」という 言葉。最近よく聞く。特にワクチンの件で。努力義務って法 律用語なんだろうか?なんだかよくわからない。義務ってこ とは,やらなくてはいけないことだけど,努力は結果ではな く過程を示すことである。結果は伴わなくても,努力だけす ればいいってこと?。
技術的な言葉で意味がしっかり定義されてるならいいが,一 般の用語としては意味が不明である。やらなくてはいけない の?。やらなくてもいいの?。無視するのはダメでやろうと したらいいの?。
私は理系なのでこういう定義がはっきりせず受取り手に「察 してください」と言ってるような言葉は嫌いである。特に, 政府がそういうことをいうのはダメだろうと思う。
私はもともと,法律で「義務」とか「禁止」と明記されてい ても罰則がないような法律の場合「ザル法」だと思ってる。 法律に従わない場合批判されるかもしれないが,直接的な害 がない。もっとも会社とかの場合,罰則を受けてなくても, 入札できなくなったりとか,なにかで減点されたりとかはあ るかもしれないのでザル法でも従ったほうがいい場合もある。 まぁでも個人だとどうなんだろう?
「努力義務」がマスコミや政治家が言葉で言ってる言葉なの か,法令に書かれている用語なのかよくわからないが,なん かこういう「察してくれ」みたいな,言葉を乱発するのは如 何かと思う。自己責任という言葉の使われ方もひどいものだ と思うけど。
とか思っていたら,「 レジ袋有料化は義務ではない。単なる 「強い推奨」にすぎなかった」って記事も見つけた。 なんだよこの「強い推奨」って。 法令や通達が曖昧って,この国は法治国家なのか?とか思う。

4/21(3年目のネット)
気がついたら今の住まいに引っ越して3年経っていた。とい うことで3年前に契約した自宅のネットプロバイダから,解 約するなら今だよ,という連絡がちょっと前に来ていた。ほっ ておけば自動更新になるのだけど,気になって少し調べた。
今のままの条件で更新かと思いつつ,よく調べると今の価格 は3年間のキャンペーンで少し値引きがされていたようなの で,これ,更新すると高くなるんでは?という気がする。
3年前に3年経つともっと安くていいサービスがあるに違いな いと思っていたのだけど,調べると,同じようなサービスは, 違うサービス名であったのだけど,価格は上がっていた。あ れ?。
違うサービスの高速ネットを引こうかと思ってたこともある のだけど,あまり安くないのと,工事を伴う申し込みをここ 1ヶ月でできるんだろうか?とかも思うので,どうしたものか?と 思った。
まぁ住まいの方を高速ネットにすると,在宅勤務とかやりや すいんだけど,職場にいくこと自体は苦じゃないので,あと は,ネット飲み会とか,朝や夜の通信くらいか。まぁ不満が ないわけでもないだけど。
ぐだぐだ書いたけど,言いたいことは,3年まえはネットの プロバイダの競争が激しくて,どんどん高速になるし,安く なるし,キャンペーン合戦とかやっていたけど,3年経って みると,少しそういうの鎮火してきたなぁってこと。ネット のサービス競争,落ち着いたのかもしれないと思った。まぁ 世の中値上がりの時代だし,コロナ禍でネットも売り手市場 になってるのかもしれないなとも思った。

4/20(ジャズが好き)
ちょっと前に同じようなことを書いたかもしれないけど。
最近ジャズが好きである。いや,もともとジャズ好きだろ? と言われるだろうけど。確かに私は大学くらいからずっとジャ ズをメインに聴いてきてる。でも実は私が当時からずっとよ く聴いていたのは,ジャズの本流ではなかった。
もともとギターのインストからジャズに行ったので,現代ギ タージャズをよく聴く。わかりやすくいうとパット・メセニー とかビル・フリゼルとか。他にもジャズギターはよく聴くけ ど,大体70年代以降の電化ジャズ以降が多い。もう一つ,イ ンプロビゼーションが好きでジャズを聴く。代表格はキース・ ジャレット。パットとキースが大好きなのでECMというドイ ツのレーベルのジャズをよく聴き結果として,北欧のジャズ とかを好んで聴いていた。
ジャズの本流というとアメリカのジャズだし,スタイルのベー スとなってるのは,ビ・バップやスイングなのだけど,実は その辺のジャズはあまりちゃんと聴いてなかった。
で,最近好きであるというのは,その辺を聴いて面白いと思っ てるってことである。なんでそうなったかというのは,いろ いろ要素はあるんだろうけど,もともとバップはジャズの即 興演奏の基盤となってるので,興味はあった。でも難しいと 思って手を出しづらかった。あと当時はまだLPレコードがな かったので,アルバムが買いづらい(他にも事情はあるんだ けど)というのがあって,聴く方も限られたものだった。そ の前のスイングは,即興の手法はそこまで複雑ではないけど, リズムとかはジャズの基本である。でも,いわゆる古き良き 時代のアメリカンミュージックという感じもするので,ちょっ と退屈に感じていた。
まぁでも,ジャズの本質を知るには重要なものであるという 意識はあって,Youtubeとかで古い演奏を聴いていると,楽 しくなってきた。
まぁそれはいいのだけど,そんな感じでこれまで聴いててい たECMやギターのジャズ以外もわりと聴くようになって,古 いジャズとかもそれなりに聴いていると,ふと,今のミュー ジシャンがオーソドックスなスタイルのジャズを演奏してる のを聴いても,良いと思うようになった。
以前は,ジャズのボーカルはほとんど聴かなかったし,イン ストの場合は,曲が凝ってるものは,演奏が難しいものを好 んで聴いて,オーソドックスなジャズはあまり興味がなかっ た。でも,今は普通にランニングベースとシンバルレガート とかを聴いても,なんかいいなぁと思うようになった。
これは年齢のせいなんだろうか?とも思ったけどよくわから ない。例えばキース・ジャレットとかあとパット・メセニー とかも,そうだけど,歳をとるにつれてスタンダードジャズ を演奏するミュージシャンが多くなる。これがちょっと不思 議に思っていた。若い頃にスタイルを確立するため,自分の 作曲した曲でアルバムをたくさん出すのだけど,だんだんス タンダードを演奏するようになる。実際スタイルが確立され ると,スタンダードでも十分に個性が出るので,それでいい んだけど,なんで曲を作らなくなるんだろうとか,なぜ古い スタイルに回帰するんだろうみたいには思っていた。みんな が知ってる曲を自然に演奏するだけでも十分に個性が出せる からかなぁみたいには思うのだけど,なんか自分自身が古い ジャズを聴くようになってるのを省みると,古いジャズには, 歳をとってからわかるような魅力でもあるのかな?とかちょっ と思った。もしくは普遍的な音楽だから,時代の変化に合わ せる必要がなくそれが,良さとして感じられるみたいな。
まぁでもそういう風に何となくいいと思うので,どこがいい か?と言われると説明できない。リズムとかコードチェンジ とかも魅力も,なんか言葉にしても伝わらないしなぁと。
ところで,スィングのリズムは,当時はやっぱり過激でノリ ノリみたいに感じられたんですかねぇ。そんなことを考えな がら聴いている。

4/19(映像の世紀)
今週放送され た映像の世紀バタフライエフェクト は,ドイツのメルケル,ニナ・ハーゲン,ハッテンハウワー という三人の女性にスポットを当てたものであった。東ドイ ツ出身の三人の女性がドイツの民主化にどのように関わって いったかを紹介していた。
特に昨年首相を引退したメルケルを大きく取り上げていたが, 個人的にはメルケルとニナ・ハーゲンの関わりがいい話だなぁ と思った。
ニナ・ハーゲンというとはっきり覚えてないが,私が学生の 頃名前を風貌は知っていた。奇抜なメイクや衣装で,ドイツ 語で歌っている歌手で,まぁ見た目おどろおどろしいという 感じだった。今回の番組で東ドイツ時代というか若い頃は愛 らしい少女として歌を歌っていたのをしって,ちょっとびっ くりした。西側に亡命後ああいう風貌になったらしいが,も ともと東ドイツの体制を批判していたようなので,そういう 意味では自然な流れだったのだなと思う。
私自身は,ニナ・ハーゲンについてはそれっきりで,その後 どうなったのかは知らなかったが,メルケルが政治家として, 活動し出したのちにTVで対談し,ニナが怒って中座するシー ンとかが映像で紹介されていたが,番組では,そういうニナ を見てメルケルが微笑んでいたと紹介されていた。つまり, メルケルとしては立場が違うが,リスペクトはしていたとい うことなんだろう。
それで,番組のクライマックで,メルケルの退任式で,メル ケルがニナの曲を演奏させたというエピソードで締めくくら れた。この話は番組を見るまで知らなかったが,ネットを調 べると当時少しは ニュースになっていたようである。 ただ,メルケルがこの曲を選んだ理由は,メルケルの公式の コメントを引用するにとどまっている。
今回の番組を見 ると,NHKの演出かもしれないが,メルケルはニナ・ハーゲ ンの自由を求めるために行った積極的な活動を支持していた のだろうなぁと思う。立場上面と向かって言えなかったのだ ろうが,そういう思いのようなものを感じた。
まぁこれがドラマや映画なら,首相を退いて一般人となった メルケルがニナと談笑するシーンとかあるんだろうけど,今 後そういうことはあるんだろうか。ニナ自身は自分の曲が流 れたことを驚いたということしか番組では紹介してなかった。 いい話だと思ったので,なんかニナ自身がどう思ったのかは 気になった。

4/18(PTAとか権利とかの話)
ネットで教科書に「これは無償です」と 書かれているのが恩着せがましいという意見が載ってい た
憲法に教育の権利が規定されてるのだから教科書が無償なの は当たり前。それをわざわざ書くのが恩着せがましいという 意見があったが,いや,教育が権利になっても,教科書がタ ダじゃない時代があったからでしょ?と思った。まぁ私も最 近知ったのだけど。
でも,このスレの最後の方に,これらの意見に「公務員や生 活保護受給には「税金で食わせてもらってるくせに!」とか 言うのに、無償の教科書が税金で支えられてるんですよと言 われると「恩着せがましい!」ってなるの興味深い。」って 返しが載っていて,興味深かった。
教科書にそういうことが書いてるのはしれなかったが,教科 書の無償化はPTAが勝ち取った権利だというのを最近知って, へーと思った。
最近PTAのブラック度を問題とする意見があって,先週そう いうことを言っているラジオ(podcast)を聞いたばかりだっ た。そこでは,PTAが強制入会になってる地域があるとか, PTAに無駄な活動が多くて負担になってるという話をしてい た。あと,PTAを抜けると,集団登校からハブられたみたい な話もしていた。PTAが得た権利だとしても,PTA自体が学校 の公共の施設を使って活動してるわけだから,そこで得られ た権利はPTAに参加してない子供にも与えられるべきだと言っ ていたが,それはそうだと思う。
ただ,その人はPTAはやりたい人がやればいい,みたいなこ とを言っていて,活動のスリム化自体は一考に値するかもし れないが,なんとなくフリーライダーであればいいみたいに 聞こえて,それはどうだろう?という気はした。あと20パー セントくらいが参加すればいいのでは?みたいな言い方をし ていて,役員とかならわかるが,PTAの加入率がそこまで下 がると,それは問題だろうと思った。
PTAのこれらの話を聞くと,会社員時代の組合の話を思い出 す。私は組合が強い会社にいたのだけど,いろいろ動員され たり,役員をする時期があったりとかあって,うっとうしい といえば鬱陶しかった。でも,組合が弱い会社の人と話をす ると,そういう会社に比べると,職場環境や雇用条件とかで 会社が一方的に押し付けられることがなく,ずいぶん恩恵を 被っていたのだなぁと思った。昨今ブラック企業が問題になっ てるが,そういう会社は大抵組合が貧弱である。
PTAが得た権利はPTAに参加してない生徒にも享受されるべき だという意見は正しいのだけど,もしPTAの参加率が下がれ ば,PTAは保護者を意見を代表してないことになるから,学 校側はPTAの要求に答える必要は無くなる。教科書の無償化 は憲法に照らし合わせれば,わりと合理的な要求だから, PTAじゃなくて個人が要求してもかなったかもしれないけど, 学校に何かを要求する場合にいちいち訴訟をするのだろうか?と かとも思う。組織を通じて要求すれば,簡単に変わることが 多い。
ということで,役員活動はともかく,PTAの加入はある程程 度の数が必要だと思う。まぁ現状ほぼ100%だろうから, そんなに減ることはないと思うかもしれないが, PTA不要論みたいな方向にいくと,いずれそうなる可能性が ある。
活動に無駄が多いからスリム化すべきというのは,わかるけ ど,やっておくメリットもあるので,なんともいえない。実 際大学とかはPTAではないが保護者による後援会みたいのが ある大学が多いが,会費とかは払ってるだろうが,活動自体 は,総会をやって,あと何やってるんだろう?って程度であ る。
とはいえ,普段から活動をしていて,お互いに顔を合わせて おくと,なにか頼みたい時も,いちいち会議に付議をして議 論して,みたいなことをしなくて良くなったり,情報を得た りとかいろいろ得ることも多いだろう。年に数回しか合わな い人だと頼みづらいが,毎週や毎月あってる人だと,状況を 聞きながら,合意の形成もしやすいと思う。
まぁそういうのが密室的だとか談合だとか言われるのかもし れないが,そういう場自体は参加したければ参加できるわけ で,関わり合いを持ちたくないと言いつつ,文句やお願いは 言いたいというのは,どうなんだろう?とか思う。さっきの フリーライダーの話と一緒で,面倒ごとは嫌だけど,美味し い話だけ欲しいという風に聞こえる。
こういう話はPTAとか組合とか以外でも,例えば職場の飲み 会には参加しないが,飲み会に参加してる同僚が上司から色々 情報を得たり可愛がられてるのはおかしいという人,とかそ んなところとかでも良く聞く。
まぁ建前でいうなら,議論は全て開かれた会議の場ですべき ということになるのかもしれないが,西洋でもロビー活動が あるように,多分人間の特性的に,そういう風にはなってな い。
ということで,面倒なことと美味しいことはセットなのであ る。面倒なところだけ見て,要らないというのは結果的に, 自分の権利を狭めることになるような気がするけどね,と思っ たのであった。
なんとなく,いろんなところで,今の人たちは恵まれている けど,その恵まれたものは,タダで無償で得られていて,今 後も永遠に続くと思ってるような気がするんですよね。実際 はそんなことなくて,気をぬくと権利は奪われていくもの。 維持するために何が必要かは考えたほうがいいと思う。

4/17(ギア)
自転車には大抵ギアが付いている。当たり前だけど,低いギ アでは,たくさん漕がないといけないけど軽い。坂道とかを 登るときは,ギアを低くしないと登れない場合もある。高く すると少しで多く進むので,スピードが出るけど重い。
車にもギアがついてるが,今はほとんどがオートマなので, 多くの人はどういうルールでギアが変わってるかわからない かもしれない。車のエンジンは,回転数が低いと力が弱い。 回る回転数にも上限がある。つまり力が出る回転数はある範 囲になる。なので,そこの範囲を有効に使うためにギアがあ る。発進時はギアがないと回転が低いが,力が良くなるので, 高回転になるように低いギアを使う。通常一番低いギア1速 から始める。そのまま加速すると回転数が頭打ちになるので ギアを上げていく。スポーツカーとかはわからないが,通常 の車は,街中の巡航速度40〜50キロ前後では,一番高いトッ プギアで走れるように作られてるが,高速道路で100キロで 走っていてもトップで走ることになる。まあ高速では急加速 はしないという前提なんだろう。
バイクも同様である。私はバイクに乗っていたし,車もマニュ アル車に乗っていた時期もあるので,ギアとはそういうもの だという感覚があり,自転車も発進時は低いギア,スピード が乗るとギアを上げていき,止まるときはまた下げる,とい う乗り方をする。
が,子供達を見てるとギアをほとんど変えずに乗っている。 どうも自分にちょうどいいギアを見つけると,ずっとそこで 固定しているようである。
ちなみに人間はエンジンのように低回転だと力が弱いという ことはないので,発進時にギアを下げる意味がどの程度ある かはよくわからないが,漕ぎ出しは回転抵抗もあるので,若 干は意味あるかなとは思っている。あと人間もある程度ちょ うどいいこぐスピードがあるような気がしていて,高いギア にして,少ししか漕がないのと,少し回転を早くしてこぐの では,出してる馬力が違うような気がしないでもない。
子供達が自転車のギアをあまり変えないのを見ていて,自分 は子供の頃変速ギア付きの自転車を買った当初,嬉しくてよ く変えていたのを思い出すので,不思議に思うんだけど,今 の子供は親が車を運転してるのを見ても,ギアを変えたりし ないので,なんかそういう感覚ないのかもしれないなぁと思っ たりした。
余談だけど,今自転車は電動アシストにも乗るけど,この辺, モーターがサポートするので,ギアの細かい調整がどれくら いいみがあるのかわからない。あと車も電動自動車が普及す ると低い回転でもトルクが出るという話も聞くので,車の方 のギアも変わっていくのかもしれない。
まぁ別にいいのだけど,今の子供は,あまり自転車とかを買っ ても「メカを買った」という喜びを感じてないのかもなぁと 思うとちょっと寂しい。
余談だけど,最近買ったミニベロ自転車はギアなしである。 これでもチョイ乗りくらいなら困らないんだよなぁ。

4/16(投資と補助金)
東大の総長の入学祝辞をさらりと読 んだ。その中で「起業」を勧めているようだった。
昨今多くの大学で起業について学生に促すことをやっている。 起業の仕方とか教えたり,ビジネスの種みたいのを考えさせ たりいろいろ,やっているコンテストも多い。
私自身があまり起業に興味がないので,あまりちゃんと学ん だことがないのでそういうのでどういうことを教えてるのか は知らない。ただ自分自身会社員時代に企画書を作り,ビジ ネスモデルや収支予測とかを書いたことはあるので,そうい うののやり方とか教えてるんだろうか?とか思う。
日本でスタートアップ企業が少ない,学生の起業も少ないと いう話もよく聞く。アメリカには学生時代から起業して,大 企業に育つケースなどたくさんある。それはどこが違うんだ ろう?と思う。
アメリカの実態も日本の実態も知らないので,あくまでもイ メージなんだけど,アメリカにはベンチャーキャピタルがあ り,新しいビジネスを立ち上げようとすると,投資を得るこ とができるというイメージがある。日本にもベンチャーキャ ピタルがないわけではないだろう。TVや何かのコンテストで ビジネスアイディアを募るのを見たことがあるが,大抵審査 員にベンチャーキャピタルの人がいる。ただ実態として,自 分自身も含め知り合いにもベンチャーキャピタルから資金を 得たという話はほとんど聞いたことがない。
もしあるとしても件数が少なかったり,または額がやすかっ たりしないだろうか?。まぁ日本にも会社立ち上げて1年か2 年くらいで使い切って潰してる例を聞いたことがあるので, あるんだろうとは思うけど。
一方で,公的な補助金で会社や新事業を立ち上げたりした例 はよく聞く。例えば世の中的に新しい分野への投資が必要と された場合に,国がそこに補助金をつけることが多々ある。
日本では新事業を立ち上げる時にそういうのをあてにする人 が多いのではないだろうか?。ところが,自分の経験だから 一部の例かもしれないが,どうもそういう補助金で事業をや る人たちは,あまりきちんと事業を確立してないことも多い。 単にお金をもらって使い切ればいい,みたいな感じの人たち もいる。なので,補助金が終われば撤退する。なので,ベン チャーは育たない。
よくよく考えてみると,国が補助金をつけてる分野にベン チャーキャピタルが投資するかというとフェアな勝負ができ ないからしないのではないか?であれば,国が事業を立ち上 げようと狙いを定めた場合,むしろそこからちゃんとした事 業が立ち上がるとは考えづらい。
ベンチャーキャピタルは投資したものを回収しなければ損を するので,投資先には利益を出すように強くいうだろう。一 方国は施策なので,お金を使い切ることが大事である。投資 を回収すると国が儲けるためにやってることになるし,投資 先に成果を独占させるわけにもいかない。そうなると補助金 を得た会社どうしても,囲い込みたいことを補助金ではやら なくなる。
アメリカと日本でベンチャーが成功するかしないかで大きい には市場の規模の違いも大きいと思う。日本で成功するのと アメリカで成功するのは,その後の世界展開で全然違う。だ から日本で成功したベンチャーがそのあとに海外のサービス に市場を持っていかれることがよくあり,日本での起業の難 しさをよく感じる。
ただ,ベンチャーキャピタルや補助金などのあり方の違いも 大きいんではないか?という気もしている。アメリカだって, 投資や補助金はあって,それを使い切るだけで終わってしま う会社も多いんだと思う。ただ成功した会社は起業時に多く の投資を得てる例をみるに,日本でそういうことを実際にやっ てるんだろうか?とか思った。
つまりシステムが違うのであれば,学生に起業を勧めるだけ ではうまくいかないのではないかな?
ということ。

4/15(情報発信)
NHKのニュースでウクライナの情報発信力の話をしていた。
今回のロシアとウクライナの戦争は,日々のニュースでウク ライナ側の映像が次々と出てくる。ウクライナの大統領の映 像も日々新しいものが出てくる。西側諸国がウクライナにつ いてることもあるが,常にウクライナ側の視点が提供されて いる。
ニュースではウクライナの大統領が元コメディアンでプロ デュースもやっていたことと,ウクライナ政府にも広報に長 けた閣僚がたくさんいることを紹介していた。それもそうな んだけど,ずっと気になってるのは,そもそもウクライナ政 府の閣僚は若い人ばかりである。年配の大臣とかが全然出て こないのだけど,何故なんだろう?とは思っている。一方で ロシアの閣僚は年配の人ばかりである。この辺の差が出てる のだろうかと思っていた。
ウクライナ側がアピールがうまいのは明らかであるが,私は ふとボスニアの紛争の時にボスニア側がアメリカのPR企業を 使って,世界の世論を味方につけた話を思い出している。戦 況や被害に対して過剰な演出がされたと言われている。
今回のウクライナ側の発表に過剰な演出があるのかはわから ない。事実以外が含まれてるかもわからない。ただ積極的に 情報発信してるのは明らかである。
とかくと,私がウクライナ側を批判してるととるかもしれな いが,そういうわけではない。ロシアがウクライナに軍事侵 攻したのは,どちらの言い分を見ても明らかであろう。戦争 が長期化すれば民間人に被害が出ないはずはない。それでも, 撤退をしない時点で,ロシアに非があるのは明らかであろう。 ウクライナが誠実に訴えてるかはわからないが,ウクライナ としては世界を味方につけないといけないので必死に訴えて いるのだと思う。一方でロシア側は,世界を味方につけよう とする様な情報発信はしていない。
ただ受け取り手としては,あくまでも,それぞれが片方の都 合で発信されていることは,頭の片隅に置いておいた方がい いだろう。
NHKのニュースを最近見ていても,「ウクライナの発表」と いう言葉を必ずつけている。事実確認ができてないという意 味であろう。私自身はウクライナ過剰演出をしてるかどうか は,まずロシアがウクライナから撤退したのであれば,確認 すべきであろうが,今はその段階ではない。早く停戦,撤退 という風になればいいと思っているのだけど。

4/14(コロナ)
コロナ「2類相当→5類」指定に見直しへ、 岸田首相が決断」という記事が出ていた。本当か?と いう気がする。TVのニュースではそんなことどこも言っ てないし,この記事も独自らしい。
コロナ情勢が激しいためニュースでのコロナ関連のネタが減っ ている。別にそれはいいと思っていたのだけど,ネットで誰 かが,ニュースで取り上げなくなったから人々の危機感が下 がって,遊びまわってると言っていた。そんなものなのか?。 私自身はずっと行動は変わってないのだけど。ただ時期的に, 今,仕事で人と対面で話す機会は増えた。なるべく顔を近づ けない様にはしてるが。
まぁニュースで毎日危機感を煽るのはどうかと思ってるんだ けど,煽らないとダメなのだろうか?とも思う。でもニュー スが減ったので,今ひとつ今流行ってるコロナの状態がよく わからない。オミクロン株になって,最近だとまた違うのが 出てきた。感染力はどんどん上がってるみたいだけど,重症 化リスクはどうなんだろう?。いつの間にか,コロナになっ た人が,回復時にPCR検査を受けなくて良くなっている様で あり,いろいろ基準も変わっている。
最近,面識のある人がコロナに感染して発症して,その後復 帰してきたので,どうだったか聞いてみた。いずれも発症し た様だけど,熱はそうでもないらしい。もしくはすぐ下がる らしい。それよりも喉の痛みが相当ひどかった様子。水も飲 めないくらいという話なので,それって入院レベルでは?と 思ったら,軽症と言われ入院できなかったらしい。なんか病 院で薬をもらうのも大変だったとか,薬効いたかわからない みたいな話も聞いた。
ワクチンは?と気になったが,家族でかかった知り合いは全 員受けていたらしい。ただし3回目はまだだったのでは?。一 人は中一で一回しかしてないと言っていたので,1回目と2回 目の間だったのかもしれない。いずれも症状は同じくらい。 3回目を受けていたら軽かったのか,または一回も受けてな かったら重いのか?よくわからない。もっとも個々の事情で 変わると言われればそうなんだろうけど。
ただ,感染から発症は結構早い様子。家族内で一気に広がっ たということみたいなので,前みたいに1,2週間様子を見な いというのはないのかもしれない。症状が治まって数日で PCR検査もせずに通常生活に戻っていいと言われるらしいの で,症状が治まったらすぐに感染力も下がるんだろう。
なので,発症しても10日あまりで普通に戻るという意味では, そんなに大変な病気でもないかなぁと思ったけど,水も飲め ないくらいしんどいというのは,ちょっと症状としては重い。 下手をすると死ぬかもなぁとは思った。
さて,インフルエンザ並みかというと,微妙なところだなぁ とは思う。感染力は明らかに強いし,症状も重い。ただ1, 2年前に比べると微妙に怖さが下がってる様な気がするが, あんまりそういう話はメディアでは聞かない。まぁ人々が油 断するのを恐れてるんだろうけど。よくわからない。
あくまでも数名の状況を聞いただけなので,木を見て森を見 ずの話かもしれない。

4/13(トップの覚悟)
私は日本の歴史が好きなので,よくTVドラマとかもみたり, 歴史の資料なども少しだけど見る。その中で長年描かれてる のは,日本は天皇,または将軍が権力のトップにずっといた けど,権力を振るうのは一時的であり,あとは,象徴的にな るというもの。
象徴が何をするかと言うと,なにか政治的にやりたい人に 「お墨付き」を与えると言うものらしい。典型的なのが天皇 の詔勅で,平安末期の源平の戦いや,江戸末期の倒幕運動な ど,天皇から敵が朝敵であるというお墨付きを得ようと,あ らゆる勢力が暗躍することになる。こう言うのをやっていた のは天皇だけか?というと,室町幕府の15代将軍足利義昭が, あちこちの大名に手紙を書いて動かそうとしたとか,鎌倉幕 府成立時も,頼朝がいないと,関東武士は烏合の衆だったと か,そういう描き方をされるのを見ると,どうも日本人は 「偉い人が言った」というのがないとまとまらないらしい。
トップの仕事がそう言うものだから,奇妙なことにトップは 長期的には軍事力などを持たなくなる。天皇だって天智天皇 はクーデターを起こして権力を握ったし,天武天皇も壬申の 乱では戦争をしてる。最初は天皇も自ら手を汚して戦ってい たが,そのあとあっという間に貴族化して,軍隊を持たなく なる。武士政権のトップである将軍でさえも,源氏や足利氏 はあまり自らの軍隊を持っていなかった様である。流石に徳 川家は以前の将軍の反省からか幕府を開いた後も,同じ徳川 の大名にそれなりの力を維持させたり譜代で周りを固めたり していた様だけど。
こういう傾向は日本特有なのか海外もそうなのかはわからな い。政権が入れ替わる時に,前の王朝を皆殺しにする様な変 わり方だと,王朝は常に軍事力を背景にするので,トップも 直接軍を指揮する様な人なのかもしれない。でも,ヨーロッ パの王朝もどうも王様自体が戦争をやりまくっていたという よりは,下からの突き上げで動いていた様な時期もあった様 にも思う。
さて,そう言う状況でいつも思うのは,あらゆる勢力がトッ プから言質を取ろうとした時,トップは何を持って,それに 答えたりするんだろうか?と言うことである。具体例をあげ ると,後白河法皇が平家討伐を出したり,幕末に孝明天皇が 長州征伐とかの詔勅を出した時,それらの権力者はどういう 気分だったんだろう?ということ。幕末のドラマとかを見る と,各勢力が詔勅を得るため,天皇を確保しようとするのだ けど,確保したら詔勅を出すのか?といつも思っていた。 いやそれって,拉致して脅迫して書かせるつもりなの?と思っ ていたってことである。
逆に言うと,権力者の方は,そういう武力で迫ってくる相手 に,脅されて怖くて出していたのだろうか?と思うのである。 説得されて納得して出していたのであれば,平和的ではある が,脅されて「殺されるかも」と思って出していたのであれ ば,それって,…。と思うわけである。
この時,権力者はやっぱり自らの命が大切だったり,痛い目 に遭わされたくないと言う思いから,相手の要求に乗ってし まうんだろうか?国を動かす様な権力者がそういう覚悟でい いんだろうか?というのはずっと思っていた。こう言うこと を書くと怒られるかもしれないから,具体的な事件は書かな いけど,クーデーターで自分の家臣が殺されたりするのを見 て,逆らえない,と思ったりするんだろうか?と言うことで ある。
なぜこういうことを今書いているかと言うと,今どこかの国 で,やらかしてしまってるどこかの国のトップは,最後は何 にしがみつくんだろう?と思うからである。今はまだ権力を 持ってるけど,段々それが失われたとしたら,やっぱり自分 の国のいく末とかを考えて判断するのか,それとも最後は自 分の命や財産が大事と言う風になってしまうのか?。
先日プーチンがエリチン引きずり下ろす時に,本人と家族の 命の保証をしたという話を聞いて,国のトップがそういう卑 近なことで権力を譲る,逆に言うと,権力にしがみつくのは, 自分が殺されたくないからなのか,とか思ってがっかりした ので,プーチンとかも自分が殺されたくないというおもいで, 今やってることをやめられないとか思ったりするんだろうか?と か思った。
まぁ偉い人も普通の人も結局は自分の命が一番大事っていう ことなのかな?とか思い,それは正常な考えだろうが,権力 者は自分の言動で多くの人を殺したりもするわけだから,当 のトップがそんな尺度で判断してるかと思うと,かなりがっ かりなわけである。
もちろん日本の昔の権力者がそうであったとは思いたくない のだけど。

4/12(うその様に感じる)
ちょっと差別的な意見に取られるかもしれないのだけど,経 験談を書く。若い人と話していて,こちらが立場的に強い場 合なのだけど,相手の話を聞いていて辻褄が合わないと思う ことがよくある。言い方が悪いけど,そういう場合,さっき 言ってた話は嘘だったの?と思う。
さらに問題発言かもしれないが,こういう経験,日本に来て 間もない海外の人と話していてよく感じる。もちろん,私が 経験してるのは一部の例だろう。
話していて,本当のことを言わないなぁ,とこちらが困惑し てしまう。相手が自分の行動として言ったことが,あまりよ くない行動だった場合,それはよくないと指摘すると,さっ き言ったことをやってないという。やったことが嘘だったの か,それともやったけどやってないことにしたいのか…。
いわゆるその場しのぎで,矛盾することを次々を喋ってしま うという感じだ。こういうのは日本人も結構やる人いるんだ けど,海外の人の方が多い。ただこれは単に言葉の間違いの 場合もあるんだろうと思う。日本語で喋ってるから。
批判したいわけではなく,何か常識にズレがあるんだろうか?と 思うわけである。ということは,自分が外国に行って喋って ると,なにか,嘘を言ってると思われる様なことあるのかな?と 思った。
ちなみに日本人も含めてだけど,すぐにおかしいとわかる様 なことを言う人がそれなりにいて,バレる様な嘘を喋るなよ と思うんだけど,もしかして矛盾することを喋ってることを 本人は気づいてないのだろうか?とか思った。私は人の話を 聞いてると,頭の中で組み上げていくので,前の話と噛み合 わない話が出てくると「?」と思う。でも,嘘とかじゃなく て普通に会議とかでも「それじゃ具体的に何していいかわか らない」とか「さっきのことと両立しないのでは?」と思う 様なことを言う人を時々見る。もしかして,普通の人は論理 的矛盾とか考えずに話を聞くのだろうか?。まぁ確かに詳細 は別途みたいな話はよくあるけど。
ちなみに私が「それは無理では?」みたいに言ったら,他の 人がアイディアを出してくれてなんとかなりそう,と思うこ ともよくある。まぁ基本的に私が考えすぎなのかな?と思う こともあるんだけど。
少し話が逸れたけど,戻ると,おかしなことを言うと思って いた人も,1年2年と長く喋ってるとあまりそう言うことは なくなってくる。もちろん海外から来た人も。ってことはやっ ぱり相手はこちらを警戒して本音を喋ってないのかな?とか 思ったりした。単にコミュニケーション力が上がったのかも しれないけど。
私は論理的矛盾が気になる人なので,自分でもあまりその場 しのぎは言わない。適当なことを言うと,あとで何を言った かわからなくなったりするので,出来るだけ本当のことを言 う。もちろん余計なことは言わない,断言しない,ってこと でのらりくらりすることは多いのだけど。断言しないと「勘違 いだった」と言えるので,まぁこう言うのも小手先というか その場しのぎではあるのだけど。

4/11(ネットとゲーム依存)
サイエンスZEROで「インターネットと脳 見えてきた依存のメカニズム」というのをやってい た。現代人の間にゲームやネット依存の人が増えて いて,そういう人とそうでない人の間には脳に違いがあ ることがわかってきたという話だった。
少し,怖いことののように言い過ぎている部分もあるかとも 思ったが,大半の内容は「そうだろうね」という様に同意で きる内容であった。言ってる内容自体は,子供に限らず大人 もそうなのだけど,依存症の一般論として,若いうちから依 存が始まった方がより強い依存になることと,脳の成長に影 響を及ぼすということで,やはり小さい子供の方により気を つけた方が良いだろうと思った。
ネットやゲームに子供が強い依存を起こすことは,見ていた らわかる。ただ,ゲームをしているとバカになるとか,中毒 になるという物言いには,多少引っかかるものがずっとあっ た。というのは,我々の世代が,TVをみてるとバカになると か,漫画ばかり見てるとバカになると言われていたから。確 かに自分はTVも漫画も見るからもしかしたら依存してるのか もしれない。でも実生活では支障がない。もしかしたらTVが ない時代に育った人に比べると,なにか脳に違いがあったり, 能力に違いがある可能性があるが,そこで問題になることは ない。TVがない世代と現代人で,能力の優劣があるという話 も聞かない。
もちろん,昔の人は山や川で遊ぶという自然のことをよく知っ ていて,そういう能力が高い可能性があるが,まぁとりあず, 現在の文明社会では大した問題にはならない。そう考えると, ネットやゲームにどっぷりハマった世代が大人になったとき に,社会もそれで回る様になっている可能性もあるので,本 当に問題になるんだろうか?というずっと考えている。
例えば,読書ばかりを勧めておいて,IT機器を使えない様な 人が大人になったら,かえって困らないだろうか?とかそう いうことである。
とはいえ,やっぱり子供が過度にゲームにハマることには, 私は警戒している。主に2つの点である。一つは,ゲームに ハマるとゲームをする時間が圧倒的に増えて,他のことをし なくなること。もう一つが,ゲームの特質だが,実はかなり 受け身な遊びであることの二点である。
子供は遊びで学ぶことが多い。おもちゃで遊んでいても,友 達と外でスポーツをしても,虫取りや泥んこ遊びをしていて も,そこからいろんなことを学ぶ。子供は勉強が嫌いだと思 いがちだが,実際は学ぶこと自体は好きで,遊びの中から学 ぶことがもっとも効率がいい。私自身が大人になっても楽し いと思って学んでいるので,勉強というのは義務感からやる よりも,楽しいと思ってやる方がはるかに自分のためになり 効率もいい。大人や教育者は本来は,子供が楽しいと思う様 な学びを場を与えることをもっと意識すべきだと私は思って いるのだけど,なかなかそうならなってないのが問題だとお 思う。
少し話が逸れたが,要はゲームをやってもいいのだけど,他 の遊びもやって欲しいのである。そこで学ぶことが多いから。 子供は昔から一つのことにはまり込むというのもあるが,逆 に飽きっぽくていろいろやるというのもある。何も遊ぶもの がなくても,遊びを見つけて遊んだりする。ゲームをやって いても,他の遊びもやっていれば,あとちゃんと勉強もして いれば,問題はないと思うのだけど,子供を見てるとゲーム は他の遊びに比べて,圧倒的に費やす時間が長いし,ゲーム しかしなくなる傾向がある。そこが危険だと思っている。
二つ目だけど,ゲームというのは,ゲームの方で楽しいと思 う様な仕掛けが用意されている。そういうゲームが売れるか ら。でもこれはゲーム側から用意された楽しさである。子供 は本来,放っておいても遊びを見つける様に,例えば,ボー ルが一個あるだけでも遊びを始める。赤ん坊を見てると,積 み木を与えると転がしたり投げたり,楽しそうにする。本来 子供は自分で遊びを見つけて,そこに楽しみを作り出す。
ところがゲームはゲーム側が楽しさを用意してくれて,また それがかなり強烈である。こういうのばかりやっていると, 自分で楽しさを見つけ出す能力が育たないのではないか?と 私は思う。
今若い人と喋ってると趣味がない人が多い。そういう人はや りたいことをやっていいと言っても何をしていいかわからな い。自分で判断して行動することができない人になる。趣味 がないという人でも,ゲームはやっていたりするのである。 これは関係あるかはわからず,単に私の感覚だけだけど,本 来人間は何もなくても遊びや楽しみを見つけることができる はずだけど,ゲームばかりをやっていると,そういう能力が 身につかない,というか赤ん坊の頃にあったのに失われてい く。
ゲームを取り上げたら,他の遊びを始めるというのであれば まだいいのだけど,ゲームを取り上げたらイライラしたり落 ち込んで何もしなくなるのであれば,問題である。あと勉強 をやってるから大丈夫というのも違っていて,勉強は言われ た範囲をやるだけなら,言われたことをやってるだけで,言 われたことしかできない人になる。本来はやらなくていけな いこととやりたいことの両方ができないといけないのだけど, そのやりたいことが昔はいろんな遊びだったのが,ゲームと いう用意された楽しみだけになってしまうことに,私は危険 性を感じている。まぁゲームに限らずエンターテイメント全 般にそういう要素はあることはあるのだけど。
以上が,子供がゲームばかりをすることに関する私の懸念で ある。番組ではゲーム以外もSNSとかのネットへの依存の話 も出ていたが,こちらはよくわからない。ネットへの依存は コミュニケーションへの依存であるが,コロナ禍で実感した のは,人間はネットに限らずコミュニケーション不全を起こ すと異常になるということだ。ネットが依存度を高くすると いうのはあるかもしれないが,人付き合いというのはリアル な付き合いでも難しいものである。もちろん道具の特質を理 解して,うまく付き合うことは大事なのだけど,ネットや SNSだからというのがどこにあるんだろうか?という気はした。
以下余談だけど,ネットの依存下げることの工夫の例がいく つか紹介されていた。その中でスマホの通知をオフにすると いうのがあって,それはいいんだけど,娘のお迎えの時間だ け必要だから出してるって言っていた。いや,それ1日一つ なら,目覚まし時計でもいいでしょ?と思った(笑)。あと画 面を真っ赤に(赤黒二色)にするというのは面白かった。TVの アナウサーも白黒にしたら使いたいという意欲が減ったと言っ ていた。なるほどと思った。

4/10(ワクチン)
金曜日にワクチンを打ち,土曜日は1日副反応だったので, その流れを記録として書いておく。
ワクチンはモデルナ。3回目で,3回ともモデルナ。昼過ぎ, 14時くらいに打ったはず。その日は特に,調子が悪いことは なかったが,なんとなく眠たい気もした。
土曜日,朝からだるいか眠たい。朝ごはんを食べて昼前に買 い物に出たけど,結構歩いていて辛かった。ただ,例えば風 邪をひいて熱があるときほど辛いわけでもなく,歩けないわ けではない。昼食も食欲があまりなかったが普通に食べた。 熱は朝は37度程度,昼食後,つまりワクチンを打って24時間 後くらいが37度8分くらいで一番上っており,夕方くらいに は37度3分とかそれくらいになった。
眠たくて横になっていたが,眠れず,単に熱で朦朧としてた だけかもしれない。大した熱ではないが私は平穏が35度台で あることが多いので,平熱よりも2度程度高いという意味で はいつもとは体調が違っている。ただ,風邪で38度の時とは, なんとも違う気がした。
風邪の時は熱が上がるときに寒気がするが,特にそういう感 じはしなかった。また熱が下がる時は汗が出るが,それもな かった。そういう意味では風邪の症状が出てるという感じで もなかった。
土曜日は結局寝るまでだるかったが,日曜朝起きたら熱も下 がっており,なんとなくだるさはあるものの普通に生活でき た。
総じて,最初のワクチンの2回目の副反応と時間経過も含め て似たような感じだったと思う。
金曜日に打ったから問題なかったが,翌日仕事をする必要が あると,やっぱり辛いかなぁ,できないことはないけどと思 う。打ったところ痛いかというと,多少あるが,あまり大し たことない。モデルナアームとか出るんだろうか?

4/9(家族を守ることと暴力)
ウィル・スミスがアカデミー賞の会場で 暴力をふるった件で罰を受けた
この件,スミスが暴力を振るったという点で悪いのは間違い 無いのだけど,奥さんの病気に起因する容姿を笑いのネタに した相手を殴ったということで,相手はどういう扱いを受け るんだろうか?と気になっていた。日本では,相手にも悪い 点があるという言説もよく見たのだけど,アメリカではそう はなってないという話も聞こえてきて,本当かどうかわから ないのだけど,相手側にも非があるという意見は無いのだろ うか?。
だとしたら,その理由が知りたい。もちろん,原因がなんで あろうが,暴力をふるわれた方に対して責を問うのはおかし いという考え方はわからないでも無い。被害者が「お前も悪 かった」と言われるのは,あまりいい物言いでは無いと思う ので,そうであれば,そうかと思うが,他人の容姿を笑いの ネタにしても問題ないということであれば,如何かと思う。 有名人だからいじられても仕方ないという考え方もあるが, それも私は変だと思う。もちろん自分の容姿をネタにする人 もいるから,問題ない場合もあるが,今回はそうではなかっ たからスミスは怒ったんだろう。
私は家族がいる一人の人間として,もし家族が,攻撃や堪え 難い侮辱を受けた場合に,どうすればいいのだろうとよく考 えることがある。法的に問題があるような暴力を受ければ, 警察に被害を訴えるのが最適解なんだろうか?。それで家族 は納得いくだろうか?。暴力を受けた本人に変わり,怒りを ぶつけなにかやり返さないと,被害を受けた人に寄り添えな いのではないだろうか?とか思う。また暴力ではなく言葉で の侮辱を受けた場合は,暴力で返すのはやり過ぎだろうが, 少なくともヘラヘラ笑ったやり過ごすのは間違いで,相手に 怒りをあらわにする行為を示さないといけないだろうと思う。
スミスが,相手を殴ったのはやり過ぎだが,怒って怒鳴りつ けたらどうだったんだろうか?,世間はスミスに共感するん だろうか?,それともアカデミーの場を乱したという話にな るのだろうか?と思った。
多分スミスは,自分がバカにされても,そこまで怒ること はなかっただろうけど,奥さんが侮辱されたから,あそこま でやってしまったのだと思う。
次元が違う話だけど,今起きてる戦争状況だから,何かを訴 えるため,屈辱を晴らすために暴力を使うことを肯定しては いけないというのはよくわかる。でも,アメリカでは,スミ スの妻を侮辱したことに対して,だれも気にしてないのであ れば,本当にそういう考え方なんだと少し驚くのである。

4/8(ワクチン)
昼過ぎにワクチン接種。その日は問題ないのだけど,この日 記を翌朝書こうかと思ったら,だるいので今日の日記はこれ だけ。その後の経過はまた明日か明後日あたり書くこととす る。

4/7(NHK)
4月からNHKのホームページが変わった。大幅なデザイン変更 である。
私は割とNHKのページはよく見ていてこれまでは1日数回見て いた。慣れていたので,変更があると戸惑い,どうしても改 変が改悪の様に見えてしまう。これは今回のNHKに限らない。 デザイン変更して不満が一つも出ないってことはほとんどあ りえないだろう。なので,そこを引き算して欲しいのだけど, ちょっと感想を書いてみる。
私はパソコンのブラウザで見てるのだけど,なんか一つの領 域が大きくなった印象。ブラウザというか多分画面の幅で, 領域が1列になるか2列になるか変わるんだろうけど,1列 になるとずいぶん大きく感じる。これスマホ向け?とか思っ たりもするがパソコンである。
一番上に総合テレビと教育テレビの放送中の番組が出る。BS のはない。今回の改変でBSの番組紹介が減った気がするのだ けど気のせいだろうか?。少しスクロールすると,タブで各 チャネルの放送中のタイトルだけが見えるエリアがあり,そ こはBSも載ってるしラジオも載ってる。そこから各プログラ ムのページに飛べるからいいと言えばいいんだけど。
以前のホームページは番組よりもニュース記事の方がたくさ ん領域を取っていて,ニュースのページみたいになっていた。 なので実は私は新聞社よりはNHKの方でニュースを読んでい たのだけど,今回の改変で,少しニュースは見にくくなった。 放送局らしく番組の紹介の方が増えた。以前のページでは放 送局なのにプログラムのページを探すのが大変だったり,番 組表を出すのが面倒だったりしたのだけど,それは改善され たと言える。
ニュースに関してはトップからさらにニュースのページに飛 ぶことで,従来の様なコンテンツが見える様になった気がす る。
総じて,トップページは放送コンテンツ,特に地上波の番組 紹介を重点的に,しかし,これまでのニュースコンテンツへ の入り口も並べたということだろうか。ごちゃごちゃしてる と言えばしてるけど,どこに何があるかは慣れれば気になら なくなるかもしれない。
これまで番組のページが見つけにくかったという点が改善さ れればいいが,番組のページも,単に配信への案内になって るページも多くなってる。これまでの放送内容紹介とか,放 送予定の方を充実して欲しいんだけど。
ということで,よくなった点と使いにくくなった点があるなぁ という印象でした。

4/6(iOS)
人間,トラブルがないときは何も書かなかったりするものだ けど,いつからよくなったか書いておくのは意味があるので, 軽く。
1月にiOSをアップデートしたらpodcastの調子が悪くなった という話を日記に何度か書いたけど,どうも気がついたら, 正常に戻っている様に思う。
ただし,自信がない。たまたまかもしれないし。
今はiOS15.4.1なんだけど,これは先週末にアップデートし た。今年に入ってiOSは頻繁にアップデートが出てる。3月に は15.4に一旦してるし1月2月も2,3回あった気がする。なん か劇的に良くなたという印象はないので,なんとなくいつの 間にかpodcastの同期に失敗する状況は無くなっていた。今 回のよりもその前の15.4くらいから気にならなくなっていた 様に思う。
もっともこれはpodcastのサーバとの同期も問題なので,サー バ側がいつの間にか直されているという可能性もある。はた また,たまたまうまくいってるだけで,まだ完全でない可能 性もある。
まぁとりあえず,出勤前にマックから転送したコンテンツが, 聞こうとしたら消えるってことがあまり無くなったのはよかっ た。

4/5(ジェノサイド)
ロシアがキーフから撤退したが,市民が大量に殺害されてい たということがあらわになり問題となっている。諸国は避難 し,ロシアは映像は捏造だと言って反論している。
映像が真実かどうかはわからない。ウクライナは今回の戦争 で情報発信にかなり力を入れていて,演出や誇張が全くない かはわからない。そもそもよくTVのニュースでも,災害とか 事件が起きた時に,ごく限られた地域で起きたことを,あた かもいろんなところで起きたことの様に報道することとかあ る。放送側がそういう意図がなくても,受取手がそういう風 に受け取ってしまう場合もある。
なので,キーフの映像やTV報道から,どういう印象を受ける か?というのは,実は自分の気持ちに起きてることと,見え た客観的な情報とを照らし合わせて,可能性はいろいろ考え て見る必要はあるだろう。
とはいえ,この映像に対して,ロシアが民間人の殺害はして ないというのは,言い過ぎではないか?と思う。むしろこう いう否定をすること自体が,ロシアの発言の信頼性を損ねて る気がするのだけど,どうだろう?。
そもそも私は戦争で民間人に対する虐殺が全く起きないこと なんてありえないと思っている。それは国が組織的に行って なくても現場レベルで起きてしまうものではないだろうか?。 もちろん,軍というのは統率されているはずだから,もし上 がそれを許してなかったら起きてないはず,というのが建前 である。でも歴史的に見て,純粋な軍事施設だけの攻撃なら まだしも市街地や居住地区を含む部分への攻撃で民間人が死 なないはずはない。また市街地に侵攻すれば,必ずそれに従 わない市民がいるわけで,それに対して暴力が振るわれるこ とはよくあることである。
大量の市街地攻撃が行われた太平洋戦争中の日本もそうだし, ベトナムだって,民間人がたくさん殺された。でも,当時攻 撃した敵国は,軍需施設があったとか,市民がゲリラとなっ て戦っていたとか,何かしら言い訳をして正当化しようとす る。
そういう意味では,今回ロシアが従わず攻撃をしてきた市民 を殺したと言ったり,末端の兵士でそういうことが起きた可 能性があると言った方がリアリティがあった。でも全く起き てないというのは,いやそんなことないだろうと思った。
ロシア的には違うのかもしれないが,今回のキーフへのロシ ア侵攻で,ウクライナの国民はロシアを歓迎してない。だか ら,反発をする市民が大量にいたはずで,悲劇は起きてるだ ろう。
そういう意味で,私は綺麗な戦争というのはないと思ってい る。ロシアは今回の戦争をなにかと正当化しようとしてるが, 少なくとも市街地へ攻撃を仕掛けた時点で,そんなことは詭 弁にかならないと思っている。

4/4(歌詞)
一週間ちょっと前だろうか,TVで甲斐よしひろと中井貴一が 対談してるのをみた。私は中学生の頃から甲斐バンドが好き で,ずいぶん聞いていた。大学に入ってジャズに傾倒してか らはあまり聞かなくなっていたが,インタビューを聞いて, あぁそうだよなぁとか懐かしく思った。
甲斐よしひろが映画とか好きかという話をしていて,そうで しょう,と思った。甲斐よしひろはある時期から,歌詞にハー ドボイルド小説の世界を取り入れているという話をインター ビューなどでする様になった。実はこの話を聞いた時に,私 は,歌詞を他の人が書いたネタから作るんだろうか?と疑問 を感じたのである。
それまで,というかいや,その後もそうなんだけど,歌の歌 詞というのは,作詞者が言いたいことがあって,それを書い てるのだと思っていた。自分の思いを書いていると思ってい たのである。だから,他の人の作品から連想して書くという のは,そういうのありなの?みたいに思ったのである。
でも,ずっと考えていて,一人の人が歌にして伝えたいもの が,何百もあるわけないよなとも思う様になった。渾身の一 曲を書けばいい人なら,自分の思いを歌にすればいいが,甲 斐よしひろとか何百も歌を書いている。そりゃ,だんだん書 くことがなくなっていくだろうとも思う。
こういう話は,他にも聞いたことがあって,他のミュージシャ ンにも小説とかからネタを拾ってとか言葉を拾ってとか書い てると公言してる人は結構今は見かける。ただ若い頃の自分 は,素直にそれを受け取れず,困惑してしまったのである。
今でも自分は,歌詞が書けないのだけど,歌で伝えたいこと がわからないからというのがいちばんの理由である。こうい う風に作文はいくらでもかけるが,歌詞に関しては,短歌や 俳句も含め書けない。妙に重たく受け取って,「歌で伝えた いこと」がないと思ってしまうからだろう。
でもよくよく考えると,他の人の小説からネタを拾っていい し,井上陽水とかがニュースの話題を並べてみましたみたい な話もあるから,やり方を決めて言葉を並べるだけでもいい のかもしれない。
それがいい作品になるかは,伝えたい思いよりも,言葉の選 び方や並べ方で決まってくるのかもしれない。
若い頃はそういう風に受け取れなかったが,もしも若い頃に 自分が真面目に作詞しとかしていたら,作詞者がネタを教え てくれるのはそういう風にすればいいんだといういいヒント になったんだろうなぁと思う。
ところで,そのインタビューの後に甲斐よしひろのCDを改め て聞いた。最近ではないが,まぁ10年かちょっと前くらいの, ライブで昔の曲とか新しい曲とかいろいろ歌っていた。改め て思ったのだけど,デビュー当時の曲も,その後の曲も,歌っ てる内容はそんなに変わってない様に思った。甲斐よしひろ の歌は基本的に男女のラブソングで,大体は男性視点。男が 女性に直接語ってる様なものもあれば,ある女性に対して思 いを表現してる様なものもある。大抵の場合は,何かのシー ンを描くことでそれを表現してる。だけど,びっくりするくら いそれくらいの内容で,何百もの歌を書いてることになる。
つまり伝えたいことの本質はほとんど同じで,それを表現す るためのシーンとか言葉が変わってるだけなんだと思った。 つまり,シーンや言葉は他の人の作品を参考にしても,描い てるものは同じということが改めてわかった。決して伝えた いもの自体を他から引用してるわけでもない。ある意味同じ メッセージで何百も作れること自体すごいなぁと思った。

4/3(週末)
土日。
この週末は,あまり大したイベントはなく,また春休みとい うこともあって,子供達も課題を抱えているわけではない。
ちょっとまた寒さが戻った感じがして,暖かさに慣れた体に は,16度くらいでも寒く感じて,また暖房を入れたりした。
土曜は午前中子供達と軽く公園でキャッチボールとかしたけ ど,だいぶ久しぶりだった気がする。しばらくやってなかっ たが,成長のせいか前よりも上手くなってる気がする。他の ことで体を動かしてるからか,体の制御がよくなってるのか もしれない。
午後は,少し買い物。その中で本屋に行ったら,先日書いた 子供向けの雑誌が売ってたので,買ってみた。子供達に見せた ら,そこそこ読んでいた。
日曜は,午前中は子供達は散髪に行く。午後は,私がちょっ と買い物に出てすぐ戻った。下の子の学習机を新調し,その 配達だったので,納入に立ち会って,だいたい1日終わった。

4/2(音楽とは)
音楽に限らないのだけど,私はよくある対象の「本質」とは なに?というのをよく考えることがある。音楽はとても好き な趣味なので,よく考える。というか,自分が捉えていた 「音楽」が,かわるとかそういう場合によくこういうことを 考える。
以下,完全に素人の思考実験みたいのである。音楽家でもな いし音楽学者でもないので,当然これが正解だというつもり はない。
音楽はいつからあったんだろう?。文化の発生と同時にあっ た様に思うが,遡っていくと,歌のない音楽つまりインスト は,踊るために生まれたのではないか?という気がする。ク ラシックの音楽は元々は貴族が舞踏会で踊るために演奏させ たり,宴会のBGMとして使っていたのではないか?。日本でも 宴会で踊るために三味線や太鼓で演奏していた。また宗教的 儀式で踊りを奉納することがあるが,その場合も音楽がつく。
BGMは部屋の調度品みたいなものだったのかもしれないが, 宗教行為を演出するため,権力者が権威を高めるためにイン ストを使っていたこともあったとは思う。一方で労働者が労 働意欲を高めるために音楽を鳴らしたこともあった様だ。
ここで共通してるのは,いずれも音楽は聞くことだけが目的 ではなく,なにか機能を求められてることで,主に体を動か すことか,感情を揺さぶることを直接求められてる気がする。
一方歌は,やっぱり言葉を伝えるためにあったのではないか?と いう気がする。日本は昔から和歌を歌って,相手に気持ちを 伝えたり,祈りをしていたが,同じ様に言葉をメロディやリ スムに乗せて,より訴える力を高めていたのではないだろう か?。日本人は西洋音楽というとクラシックを想像し,歌に ついては,賛美歌かオペラみたいのしかピンとこないのだけ ど,吟遊詩人とかあった様だから,賛美歌やオペラ以外の歌 もあったのだろう。
オペラと書いたけど,日本でも能とかあったから,和歌以外 に演劇としての歌はあったと思う。日本の歌を遡ると,歌謡 曲の前は演歌,その前は浪花節とか講談だろうが,この辺に なると物語を語るための歌になるが,ずっと遡ると,琵琶法 師の語りみたいのや能みたいのになるのかもしれない。一方 明治の頃は唱歌があったが,あれは西洋音楽を真似して作ら れたのか,その前身が日本にあったのか,どちらなんだろう?。 日本で最初にレコーディングされた歌は川上音二郎らが歌っ ていたオッペケペーらしいが,〇〇節と称される,小唄みた いのは,芸者とかが宴会で歌っていた。となると宴会のBGM みたいのか?という気もするが,メッセージ性が強い小唄も あるので,言葉を伝えることを目的に歌われたものもあるだ ろう。
西洋の「歌」がどういう歴史を辿ってるのかは今ひとつわか らない。アメリカの黒人音楽はジャズは酒場で歌われたり踊 るために使われていたが,黒人が西洋音楽の軍楽とかを演奏 し,その影響から生まれいてる。またその前身としてはブルー スやゴスペルがあるが,これも宗教的意味合いがあって歌わ れるか,ワークソングだったと思われる。アメリカの黒人は アフリカから来た人たちだけど,アフリカ音楽と似てるかと いうと,どうだろう?と思う部分もある。
ということを考えると,インストは結局「踊り」「権力・宗 教の演出」「BGM」なんだろうか?,歌は「言葉」か「芝居」 なんだろうか?という気がした。
私はインストの音楽を好んでおり,鑑賞をよくするのだけど, その場合,踊りや神秘体験を求めてるわけではない。歌もイ ンストが好きなせいか言葉自体よりもメロディや編曲に聞き 入ってしまう。こういう鑑賞態度は,音楽の本質から違う別 の部分だけど一生懸命聞いてるのではないか?という気が最 近強くあって,こういうことをよく考える様になった。
まぁ音楽は多様化して様々な楽しみ方があっていいし,元々 が別の目的であっても,だんだんアートとして作品自体に価 値を見出す様な作品も増えてるので間違いではないのだろう けど。でも,若い頃は踊れればいいという音楽とかは結構バ カにしてる様なところが自分にはあったので,それは間違っ てるよなぁと反省してるし,歌の曲ももっとも歌詞を聞くも のなんだろうと思ったりもしてるのである。

4/1(中学生が読む雑誌)
長男が中学生になる。我が家では小四になる次男とともに, 小学館の小学八年生を買っていたのだけど,流石に長男には もう…,という気がしてきた。本人はそれなりに楽しんでい るのだけど。
私が子供の頃は小学生の間は小学一年生から六年生,中学に なったら中一時代〜中三時代まで買っていて,読んでいた。 ついでに小学校の頃は学研の科学をとっていた。
いま中学生が読むのにいい雑誌はないだろうか?と思って探 したのだけど,見つからない。ネットを見てもほとんど見当 たらない。女子向けのファッション雑誌はある様だけど。
どうしてこういう風になってしまったんだろう?。売れない からだろうってことは容易に想像できるが,こういう雑誌は 親が買っているのだろうから,親が買って子供に与えなくなっ たのだろう。
ちなみに現在本屋やネットを調べると中学生向けの問題集の 様な教材はたくさんある。年間契約する様な教材もあるから, そういうのには昔の学習雑誌的な機能を持ったものがあるの かもしれない。
なぜ子供向け総合雑誌が欲しいなと思ったのかというと,勉 強や漫画以外に,子供がその年代で知っておいた方がいい様 なことを,知る機会があった方がいいと思ったから。時事問 題とか,受験のこととか,そういうこともあるだろう。そう いうことは学校でもある程度は教えるだろうけど,時事問題 はあまり取り扱わないだろう。今はTVも録画で見ることが増 えて,子供は親が見てるニュースを一緒に見る機会も減って きてる。自分の子供を見てるとYoutubeで社会問題を知るこ とも多い様で,大丈夫だろうか?という気がする。Youtubeは, 有益な話もあるだろうが,素人が関心を集めるために刺激的 な話ばかりしていて,クオリティが信用できないと思う。
自分の子供の頃を思い出すと小学校の時は自分で雑誌を買う 様なことはなかったので,親が買ってくれた学習雑誌を読ん でいた。それと合わせて,週刊朝日を親が買っていて,おい てあったので,中にあるサトウサンペイの漫画を読んでいた り,山藤章二のブラックアングルを見ていたが,歳をとるい つれて多少記事も読む様になった。新聞だって最初は四コマ 漫画しか読んでなかったが,そのうち,記事も少しは見る様 になった。学校の同級生には,コロコロコミックの様な漫画 雑誌を買ってる人もいて羨ましかったが,私の家では買うこ とはなかった。ただ姉が漫画が好きで,私が中学に上がる頃 は,姉が買った少女コミックとか花とゆめの様な漫画雑誌も あったが,姉は触ると怒るので,こっそり読んでいた。
雑誌がいいというつもりはないのだけど,偏るのがよくない と思っていて,Youtubeばかりになることを危惧している。 幸運にも長男は,小説とかを読むのも好きだから,多分関心 があることが書いた様な本が置いてあれば読むのではないか?と いう気がしてる。私も親が買っていた雑誌も眺めていたし, 実は旅行時に父親が持って帰る機内誌とかも結構隅々まで読 んでいた。今考えると,子供の頃って結構コンテンツに渇望 していて,面白そうなものがあれば,なんでも目を通す。な ので,その時にYoutubeとゲームしかないというのは非常に もったいないと思うのだ。
子供向けの本が,勉強のための教材しかないというのは,勉 強だけしていればいいという様な思想が見え隠れして,とて も残念だと思う。こんなので,大学受験時に,やりたいこと を学べる学校を選びなさいと言った時に子供は選べるんだろ うか?。
私が子供の頃は,コンテンツが少なかったので親の読む雑誌 まで読んでいた。いまは,たくさんあふれていて,よりどり みどりの時代,なはずなんだけど,実際は今の子供たちは Youtubeとゲーム,そして塾で勉強ばかりしてる様にも思う。 なんか思考することをさせずに,やれということをやらせて, あとは中毒性があるものに浸らせておけばいいという風になっ ていないだろうか?。
ちょっとそういう危惧をした。
ちなみにもうちょっと書くと,自分の場合中学の上学年くら いになると,ラジコンをやっていたせいで,ラジコンマガジ ンという雑誌を買っていた。高校に入ってすぐくらいは友達 がムーとかBepalとかを買っていたのを読ませてもらった。 あと音楽が好きだったので週刊FMとかも読んでいた。つまり, もう少しすると趣味に合わせた雑誌を読み始めるため,そう いう意味では総合学習雑誌からは関心が離れる。大人向けの 雑誌を読み始めるということになる。そうなんだけど,ちょ うどこの小学生から中学生になるあたりが,スポンと抜けて るなぁと思った。


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