だらだら書いた日記です。
日記中のURLはメンテしないので,切れてる場合もあります。
あしからず。
- 3/31(一部の知識人に失望する)
- 昨日の話と似たような話ですが,原発撤廃論と長期的な卒原発論…, そして現状並み(さすがに現状推進派の意見はみない)…という意見を, 最近ウォッチングしてます。卒原発論の人は,現状を省みて長期に 減らす道を模索してるので,まぁある程度は客観的視点を 持っているのですが,過激な反原発論の人には,とても現実的とは 思えない意見を言う人が多くて,困惑します。
凄くガッカリしたのは,学者や研究者と呼ばれる人の中に,どうみても 客観的,または論理的な思考をしてるとは思えない発言をする人が 少なからずいることです。
自分が信じたくない説にはおかしいとか疑わしいとかいうのに,自分が 信じたい説には何の検証も行わずに飛び付く。それが科学的な 態度だろうか?…と思うのですが,多分本人は気づいていません。
パニックになっている…といえばそうなんでしょうが…。考えてみたら 学者等の頭がいい人は,頭の回転が速いわけで,それってある意味 神経質なのと裏返しなんだろな…という気がします。 どっしり構えて,物事の変化におおらかに対応するには,ある意味鈍感さが 必要で,学者にはそういう事はできないのかもしれません。 物事の思考を物凄いスピードで回す神経質さと,それを客観的論理的に 制御する部分の両方が,学者とかには必要なんじゃない?という気も しますが,たぶん,その制御が飛ぶくらいな状況になると, 暴走しちゃうんじゃないかな?と思いました。
そういう,私も結構神経質で軽いノイローゼじゃないか?…と思うような ところがあるのは,多分,わたしの同居人とかは知っています。 自分はそれを自覚してるので,それとどう付き合うか…で常に 苦労してますが,だからこそ非常時の自分の発言にはトンデモな 部分が含まれてる…という疑いも持ってます。
原発が危険だ…と大騒ぎし,具体的にどうすればいいとかは言わなかったり, 新エネルギーだ,風力だ,太陽光だ,波力だとか言ったりするけど, 研究段階のものを実用化するのに数十年のオーダで時間がかかるものもあるし, 天災で受けるリスクについて全然議論しないのは,それこそ想定が 甘い…のではないか?と思うのですが,それが学者や研究者の いうことかね…とか。
そんな感じのことを感じました。 やっぱり今の日本には学者より坊主が足りないなぁ…と思う今日この頃でした。
- 3/30(ネットに蔓延する負の感情)
- 最近のネットや報道での原発の話,いろいろと辛いので,あまり 見ないようにしてますが,情報を確認するために,TVは一日2回ほど見てます。 ネットの方はいろんな意見はありますが,今見ていてシンドイのは 東電を批判してるものです。
わたしは今回の事故を主に人災というのには抵抗があると以前書きましたが, 人災という意見は多いようです。あと原発反対の意見も良く見ますが, 原発を全廃出来るなら出来るに越したこと無いとわたしも思います。 でも,その道筋で皆が合意できるのか,疑問があります。
危険だな…と思うのは,原発の事故に報道が集中していて他の被災状況が 見えにくいことです。そして原発の事故が東電批判という形になっていて, ある意味東電を悪者にし,そこで話が終わるような意見が多いことです。 批判だけではその後何も産み出さない…のはもう懲りてないんでしょうか?。
今東電に怒りをぶつけるのは,福島で被災して避難してる方や, 農業漁業で影響をうけている方はは当然ですが,そうではない多分 その他の首都圏の人の方が声が大きいと思います。そういう人達は, 放射能への不安と停電や物資不足の不満を東電への批判という形に 変えてないか,という気がします。つまり不安不満が怒りになっているわけで, 負の感情にクラクラくるわけです。
ネットの中には,前向きに話をしようとする人もいるのですが, そういう人が東電を擁護している批判されてしまうという状況を良く見ます。 負の感情を訴えたい人は,前向きな意見をどうして許さないのでしょう。 世の中全体暗くなればいいと思ってるのでしょうか?。
わたしは5年ほど前にそのうち天災も誰かのせいにせずには いられ無い人が出てくるんではないか?と書きましたが,まさに今回 そういう事態になっているようにも見えて,驚いております。 自分が今受けている不安や不満を誰かのせいにしたいのか。 それとも(電気のある社会を享受してきた)自分のせいにならないように 予防線を張ってるのか,良く分かりません。
具体的にどうしていくのか?それが知りたいとは思いますが,ただ批判する だけで,こうすればいいという意見があまりないのがTVもネットも 重いなぁと感じます。
- 3/29(みんな社会を信じている)
- 今回の震災で海外から高く評価されたこととして,被災した人たちが 暴動を起こしてないとか,ものを買ったりもらったりするときに きちんと列を成しているとか,そういう話があります。
実際わたしも地震の夜都心から自宅に歩いて帰る途中に, ものすごく多くの人たちが黙々と歩いているのをみて,みんな 我慢強いなぁ…と思ったりもしました。他の人は喧嘩とか罵声とか 見たり聞いたりした人もいたようですが。
列を作るという話を聞いたときに,思い出したのがちょっと前に 目が点で中国人が並ばないという話を やっていたことです。その時は日本の幼稚園児を使って実験をし, 並べば確実にもらえる場合は並ぶが,もらえない場合は, 早い者勝ちになり先を争う…という結論になってました。 つまり日本人が並ぶのは並べば確実にもらえるという信頼を してから…ということになります。
わたしが思うのは,今回の被災地で多くの人たちが並ぶのは並んでも もらえない場合があっても,その次の回にはもらえるかもしれないとか, もらえない人は全体に対してほんの一部だ…と思ってるのかも 知れません。それからもうひとつ,一緒に並ぶような人が, ご近所の人だったり,顔見知りだったりすると,そこでルール違反を 犯すと,その場所自体にいづらくなるから…のようにも思います。 もし,周りに誰も知り合いがおらず,しかも通りすがりで二度と そこにはこない…人だったら日本人でも並ぶでしょうか?。 …まぁ並ぶ人もいるかな。今回の震災でも被災して,食べ物が 無いときに見ず知らずの人から食べ物を分けてもらった…と いう人も多かったようなので,見知らぬ人ともいい関係を 続けていれば,いいことがある…ということなのでしょう。
つまり,日本人の多くは,なんだかんだ言っても,その場所に住むこと, その社会に所属し続けることを望んでいるし,そうじゃなくても ルールを守って他の人に良くしておけば良いことがあると思うし, 実際あるっていう社会なのでしょう。
そういう意味ではムラ意識が強いとかいろいろ言うけど, みんな社会を好きで社会を信頼してるんだよな…と思いました。
- 3/28(へいじ・つ)
- 休暇も終わり仕事。三日間休んで関東を離れていて,なおかつ ずっと外出してTVも観ていなかったこともあり,なんとなく 東京に戻ってきて普通の平日が始まった気がした。金曜日 休んだので,仕事が山積みになっていた。それをこなしていたら 一日が終わり,昼休みもネットを見ることもなかったので, ますます情報から離れていた。
…という風にすごすとまるで平時の様な気分。停電も今日は あたらなかったし。
気にしなければいつもと同じように過ごせるけど,いつもと同じように すごしていいのかはわからない。でも,常に危機をあおり続ける TVを観るのもしんどくなってきて,一日一回くらいでいいかな,と いう気はしてる。
とはいえ,自宅に帰っても妻と子供の顔を見れないのは,なんとも 静かゆえに非常時を感じる。なんか妙な気分。
- 3/27(政府の仕事)
- 旅行三日目。親戚にあったりして,東京へ戻りました。妻と息子は 反対方向へ疎開継続となります。
三日間あまりニュースを観たり聞いたりしてないのですが,あまり 状況は変わってない様に思います。東京へ戻ってきて,スーパーに 行ったら,米や牛乳は入荷されてましたが,卵とトイレットペーパーは 観かけませんでした。あと野菜がちょっと高くなってる気がする。 茨城産や千葉産の葉物野菜が数が少ないながらも,売れ残っていたのが, なんとなくそういうものかな…とは思いました。
朝TVで一瞬ニュースを観たときに,政府が出す安全に関する見解が 意味を成してないと妻が憤慨してました。「飲んでも安全だが, 気になる人は飲まないように」とか「安全だが念のために退避せよ」とか 確かにそういう見解が多い気がします。確かに安全なのか危険なのか よくわかりません。
とはいえ,なんとなく気持ちはわかるというか,危険というとパニックになるし でも安全と宣言して後で問題だったときのことを考えると…みたいな 心境なのでしょうか?。それとこういうどっちにでも取れるような見解は むしろ研究者のほうがいいそうな気がします。「○○%の確率で 病気になる人が出る」みたいな。…まぁ現状そこまでは無いにしても。
わたしが思ったのは,そういう風に学者が出した見解をそのまま述べてるんじゃ 無いか?ということ,そして判断から逃げてるんじゃないか?ということ。 まるで「自分にはわからないから,自分たちで判断して」と言ってる様に 聞こえます。政治というのは指導者というくらいだから,判断するのが 仕事のような気がしますが,それをやらないってことは,仕事を してないように思います。科学的な見解がどうであれ,責任をとって 判断するのが政治なんじゃないですかね?。間違った判断もあるんでしょうが, それの保障もセットで考えられるのも政府だけです。
もっとも負け続けてるのに日本は大丈夫だと言っていた,戦中の政府よりは ましなのかもしれませんが。
危険率の話で言うと,判断が出来ないのであれば,統計的な危険度を 言えば良いのに…とも思うのですが,たぶんそれだけのデータも ないのでしょう。もっとも一般の人…というよりは,当事者は確率を言われても 納得したり安心する人は少ないとは思います。よく科学的な 思考が大事みたいな話もききますが,当事者になればなるほど, 統計などでは納得は出来ません。科学は物事を鳥瞰的に捕らえて 考えるので,当事者の心情とは相容れないものがあるとわたしは 思ってます。
- 3/26(旅行2)
- 旅行二日目。
京都大阪あたりをうろついたのだけど,雪だった。しかも 狐の嫁入りというか,晴れたり降ったりの繰り返し。変な天気。
ヨドバシで電池を買った。結構あったけど,地元の人に言わせると 先日まで無かったので入荷したばかりらしい。しかも購買制限を してたからふんだんにあるというわけでもないらしい。
- 3/25(旅行,水源)
- 今日はもともと出張をする予定だったのだけど,地震で予定が変わったので, 会社を休み関西方面に旅行をすることにしました。
そういうわけで,しばらくネットにはつながりにくいです。
以下余談ですが。今回東京の金町浄水場から放射線が検出された件, わたしもあせりましたが,そのときに思ったのは「武蔵野市はほとんどが 武蔵野で水をまかなっているのでは?」ということです。案の定8割が 武蔵野市内の水でした。
わたしが上京した20年前の頃,東京の東地区の水はとてもまずくて 水源は印旛沼といわれてました。神奈川は津久井だったりと,結構 水の味の格差があったので,意識していたのですが,どこの水も それなりにおいしくなったので,あまり意識しなくなったんだなぁと 思いました。自分のところの水源がどこか?っていうのは結構大事だよと 思う熊本出身者でした。
- 3/24(人災という言葉に人間のおごりを感じる)
- 今おきている原発の事故を「人災」という人をネットで見かけるのですが, わたしはそれには違和感を感じてます。もちろんここまでひどくなったのは, ミスや,運営上の問題があったとは思いますが,きっかけは地震です。 これだけの大地震が無ければ,こういうことはおきなかったと 思います。これを人災というと,我々が地震や雷や台風などで火事や 家の倒壊を起こしたりしても人災といわれるのでしょうね。
それもあるのですが,「人災」ということは,そこに「人はそれを 何とかできたはず」という前提があるように感じるからです。 つまりこれだけの大地震が起きても,人はその被害を食い止める 英知(?)があったということをいいたい,もしくは信じてるのでしょうか?。
わたしは原子力は「人間の手に負えない」とどちらかというと 思ってます。地震や津波もある規模を超えると手に負えない…と 思ってます。だからなんともならない部分があるとも思います。
同じようなことは実は病気でも感じます。医療ミスが問題になるとき, 簡単な病気でも患者死んだ場合はミスでしょうが,もともと助からない 病気だったのが,治療を受けたことで死期を早めたという場合に, 医療ミスだといわれる話を良く聴きます。これもわたしは人為的なものと いうのには疑問を感じるのと,その中に人は病気をコントロールできると いう考えを感じます。わたしはこれも違和感があります。
人は困難な状況を受け入れるべき…といいたいわけではありません。 ただ,できないことを要求すると無理が出るのも事実です。 そういう意味で,今回の事故を人災というと,人災は防げる, だから原子力はもっと推進できる…という理屈になりそうで, 危険な感じがします。
あとついでに書くと,水力発電はダムを作る,火力発電は二酸化炭素を 出す,原子力は事故を起こすとものすご被害が出る…ってことで, 電気を求めるという行為自体が,いろいろ無理のある要求であると いうこともいえると思います。…前も書いた通り,これについては わたしは答えを持ってません。
- 3/23(放射線で気になること)
- 今日はずっと外に出ていたので,ニュースを細かくみてないのですが, 水道水から放射性ヨウ素がでたという話は,かなりショッキングだなと 思いました。どうも巷では既に買占め等の混乱が起きている様ですが, そもそも先週末にスーパー行ってもミネラルウォーターどころか 炭酸水すらなかったので,いまさら買占めが可能なのかとも ちょっと思いました?。
今回は「乳児は飲まないように」と専門家が言ってるのは,どうも, これまでの「食べ続けていなければ」に比べるとかなり深刻度が 高いような気がします。そういう意味なんでしょうか。
少し不安に感じていることを書くと,今回の水もそうですが, いま東京は雨(関係ないけど,今日雪が降りました。びっくり)で, そのせいでか,ちょっと放射線量が増えてます。 放射性の塵が地面に落ちてきてるのは理解できるんですが,この塵は いつ原発を出たものなんでしょうか?。福島の原発の放射線は強まった, 弱まった…みたいなことを日々報道してますが,定常的な量は 減ってるのか増えてるのか。今の濃度でも,東京に数日すれば, これくらいの放射線が観測されるってことなんでしょうか?。
あと,放射性ヨウ素は半減期が8日で短いので,しばらくたてば消えると 言うような話は,そうかもしれませんが,それでは,なぜチェルノブイリでは 甲状腺がんが増えたのか?。チェルノブイリでは長期的に放射性ヨウ素が 存在していたのでしょか?。それとも8日というごく短期でも,体内に 入ればがんの発生に影響を与えるくらいのものなんでしょうか?
水はとりあえずひと月ぐらいためておいて置くと,8分の1くらいに なるのかな?
以前,どうして欲しいのかを書かずに不安だけをあおるのは良くないと 書きましたが,今回は不安をあおるというより,疑問点を書きました。 一応わたしの思いを書くと,上記の不安が払拭されないのであれば, 乳児が飲む水に関しては,神奈川とかの水は大丈夫なんだから, そこから飲料用だけでも持ってくることはできないのかしら無理かなぁ。 自己解決とか給水車とか,…。ミネラルウォーターよりは安価に なるとは思うのですが。
いずれにせよ,これが数日で収まるのかどうかが,一番気になる ところです。
- 3/22(ちょっと思ったこと)
- 昨日に引き続き今日も雨。微妙に放射線の量が多いらしい。 放射線でよく判らないのが,ヨウ素の放射線とセシウムだっけ?, それも放射線は半減期が違うのはわかったのだけど,毒性とうか, 人体への悪影響は同じなんだろうか?。よく放射線を被曝量で カウントするけど,どんな放射線でも同じように人体に 影響するのだろうか?。体を放射線が抜けること自体が毒性と いうのであればそうなんだろうけど。
あと,今日は体感する余震が多かった。千葉・茨城のほうが震源のものが 多かったようにおもうけど。ラジオでは徐々に減ってるとは 言ってるけど,気がついたのは今日が多かったなぁ。
- 3/21(東電の責任,我々の責任)
- ちょっと気になってるのですが,世間の空気と違うことを書くのは 勇気がいるので,簡単に。
福島の原発の事故が起きてから,東電への批判がどんどん強まっているの ですが,中にはちょっと度を越えていないか?…と思うようなものも あるような気がします。もちろん東電の責任は大いにあると 思うし,被害者の補償も可能な限り行うべきでしょう。また今後の 原子力発電については路線変更や終結なら終結に向けた道筋の 設定など,多くのやるべきことがあると思います。
ただひどい人格攻撃や,はなっから報道発表に対して隠蔽だと 決め付けたり,事故を人災のように言うのはどうなんだろう?と いう気もします。もちろん事故が悪化したことには東電のミスも あったとは思いますが,そもそもはM9.0という地震への対応を 平時に考慮し完璧な防御をすることは可能だったのだろうか?とも 思います。
批判の中にはうなずけるものも多いのですが,そうではない と思うものも結構あります。今回は反証はしませんが,日本人は 批判してもかまわないと思うと,容赦なく無限にたたき続ける様な ところがあると思うのはわたしだけでしょうか?。
あと現政権も東電を批判してますが,原子力政策が電力会社だけの 決定でやってきたともとても思えません。もちろん現政権は 関わってはいないのでしょうが,国自体が電力会社がすべて悪いみたいな 言い方をするのであれば,認可や規制は無意味ということになります。
もちろん今実際に被害に遭われている方は非難をしても良いと思います。 ただそこから少し離れた場所にいる人たちはもう少し冷静に考える べきなのではないでしょうか?。少なくとも今後原子力発電を 止めていくべきだというのであれば,先日も 書いたように自分たちの電気の使用との折り合いをどうつけるかを 考えないといけません。電力政策は電力会社だけで決めたわけでは ないでしょう。そこに行政や政治があるのであれば,そこには 国民の声もある程度は反映されているはずです。国民がどうして 行くべきだと決めないといけないし,そのことがどういう社会を 作るかを考えずに批判すれば,また無理がある社会が生まれると 思います。
- 3/20(事実でもそれを選んだ理由を知りたい)
- 今日は朝のうちにスーパーで買い物。その後はずっと自宅に いました。何していた…という感じでもないのですが。
結構Twitterとか,mixiとかみていて,地震や原発ネタが多い。 特に後者。現状について,(特に関東では)安全という意見と, (東京に限らず)危険という意見の両方が目立ちます。目立つけど, 大体書く人によってどちらかに振れてるので,両論併記というより, それぞれが自分の信じるところを書いてるのでしょう。
安全という人は,政府の見解に近い発言をしてるし,今の 状況だと東京の人は普通に暮らしてほしい…というのが たぶん主な狙いだと思います。でも逆に危険を訴える人って 何を狙って訴えてるのかが良くわからないな…と思いました。
実は私が息子を疎開させたのは,九州の親戚が,多少あおったところも あるんですが,そういう人たちが悲観的なことを言うのは, 我々を疎開させたかったからでしょう。これは判ります。 でも,親戚や知り合いを動かそうと狙うのではなく,ただ 危険を訴える人は,何をゴールとして主張してるのでしょう。 東京からどんどん人が疎開して欲しいと思ってるのでしょうか。 そうであれば,危険を訴えるだけで終わらず,避難せよと 言うべきでしょう。でもそうすれば,次は具体的に「どこに?」と 問いたくなります。
これに限らずネガティブな意見を主張する人は,主張するのは いいのですが,ではどうすればいい?というのが良く見えない 場合が多いです。本人はおそらく事実をただ書いていると 思っているのかもしれません。でも,信憑性はともかく新規性が あるわけでもない意見をただ書いても「それで?」としか 思いません。危ないといわれても,どうしようもなければ 困惑してしまいます。
最近ネットをみていて思うのは,情報を発信したいということで あまり深く考えずに発信してる人が多くないか?と思うことです。 子供が「聞いたことをすぐに誰かに伝えたがる」のとどこか 似てるな,とか思います。
で,じゃぁわたしは原発を危険と思ってるか思ってないか?というと, 事実としては政府の発表はそこまで疑ってません。ただ 危険度の見積もりは,よくわからないというか,ちょっと 安全といわれても諸条件がはっきりしないので,そこだけは 自分で判断しないといけないと思ってます。
- 3/19(停電にあわせた生き方)
- 今日,昼,吉祥寺へ行きました。一昨日の銀座を見ていたので がらがらか?と思ったら,普通に人が多かったので,ちょっと 肩透かし。今日は停電がないと昨日のうちに発表されていたから かも知れません。お店も結構開いていたし。
平日に比べて休日がそんなに電気に余裕があるのか,と 思いましたが,暖かかった影響もあったらしいです。
さて,こういう日が続けばいいのですが,これからしばらく 停電があるでしょうし,休日に停電があることもあるでしょう。 今のままでは小さい店舗はつぶれるし,娯楽に携わる人も 失業していくでしょう。計画停電があっても,それなりに 社会が回るようにしていかないとなと思います。
一週間停電の予定に振り回されて思ったのは,停電の予定が 毎日変わるのでまず予定が立たない。今後慣れると,もう少し 把握しやすいとは思いますが,やぱり毎日にじゃなくて 週単位とかで予定時間をまわせないでしょうか。そうすれば, 今週はドコドコは何時まで停電だから近づかないようにしようとか 考えやすいと思います。
あと,どうせ深夜は電気の使用量が少ないので,もっと 深夜まで電車を走らせて,遊ぶ人は夜遊ぶとか。
一日の5分の1は停電する予定になるのだから,労働時間も 5分の1にして,あと一人の労働時間を減らして,多くの仕事を 交代制みたいな感じするとか。一人の収入は減るけど,雇用は 増やせるかもしれません。海外には夏の間しか働かないとか, そういう国とかもあるようですが,停電の予定にあわせ, 午前中だけ働く,午後だけ働くという労働スタイルも もしかしてありなのかもしれません。
そんなことを少し思いました。うまくいくかどうかわからないのですが, 今って,たとえばTVのネット配信がなし崩し的に始まったりとか, 今まで無理だったことをできるいい機会でもあります。働きすぎだったり, 一部の人だけに仕事が集中するという今の日本を変える そういう機会としていかしてもいいかもしれません。
- 3/18(疎開)
- 今日嫁と息子(1歳)を羽田空港から西日本へ送り出しました。 いわゆる疎開ということになります。
福島の原発のことが気にならない…というと嘘になりますが, スーパーの買い物が大変だったり,停電で落ち着かなかったり, まだまだ余震があったり,そして田舎の親戚が結構うるさく言ってくる ということがあったのと,あと嫁の祖母が危篤になったりとか あったので,まぁその辺の機会をあわせて…ということに なります。原発は東京だと影響はほとんど無いと思いますが, ただ風向きや放射線量が気になっていたのも事実で,息子が いなくなれば,あまり気にはならなくなり,わたし的には 落ち着きます。
今の状況って,なんとなく町全体が暗い感じがして, 停電で街灯が…という意味ではなく,いろんな意味で。 そういう雰囲気を感じているのか,子供が今週ずっと体調がわるくて, それで,環境を変えてみたい…というのもあります。
自分達だけ…とは思いますが,親が子供を守るために周りから 顰蹙を買ってもルール内で精一杯行動するのは当然のこととも 思うので,今回はこういう行動に出ました。
それにしても昼間電車で空港に向かうと明らかに長期旅行の ような大きなかばんをもった人が目立ちました。羽田も 国内線なのにまるで海外旅行の様な大型のスーツケースを もった人がいつもより多かったように思います。あとうちと 同じく乳幼児を連れている人。今日は平日ですが,明日から 連休,そのまま春休みという人も多いでしょうから,明日は もっと子連れが増えるんでしょうね。今日はまだまだ 飛行機は空席が目立ってはいますけど。
うちの場合はそんなに長く離れて暮らすつもりはありません。 停電で落ち着かないとは書きましたが,嫁達が帰ってきても 停電は続いてるだろうなぁという気がします。
- 3/17(遠くの人ほど話が大げさになる)
- 今朝九州にいる親族から連絡。かなり心配している様子。 海外の方で本国から機関命令が出てるとかいう話とかを 聞いても思うのですが,どうも,遠くの人ほど,物事を 深刻にとらえている気がします。まぁこっちの人間の方が, 鈍感になってるっていうのもあるのかもしれませんが。実際 東北にいる知り合いとかのブログを観てると大変そうだけど, やっぱり普通に暮らしているんですよね。腹が据わっていると いうか。
とはいっても,東京くらいだと,まだまだパニックぽい感じはして, 今日は銀座にのみに行ったのだけど,街自体ががらがらで ちょっと驚きました。電車は間引き運転をしてるはずなのに そんなに混んでないし。何より店舗がこれじゃ経営が成り立たないのでは?と 結構心配になりました。そういう意味で,日本の経済は大打撃だよな と思います。
何とか今の計画停電になれて,国の経済が回るようにしていかないとなぁ と思います。
- 3/16(計画停電と原発とエネルギーのあり方)
- 計画停電は地方部から始まっていて,都内は影響を考えてか, はずしてるのか?と思ったら,今日いきなりなりました。 しかも19時くらいから。最初の経験が夜の部だったというのは, ある意味わかりやすくていい経験でした。
わたしは日記をオフラインで書いてるから,今,停電の中 ノートパソコンで書いているのですが,ブログの様なクラウドサービスの 場合こういうとき困りますよね。
…さて,発電の話。
福島第一原発の事故はまだ収まっておらず,現場では作業員を はじめとして多くの人が沈静化のために危険を顧みず頑張って おられます。今我々がすることは少しでも作業がうまく行くように サポートできる人はサポートし,そうでなければ,応援,祈る… 等かなと思っております。ですが,ネットを観てると原発の 是非を問う議論を始めている人が結構います。原発の議論を するのは結構ですが,今すべきことなんだろうか?と,わたしは 思います。原発の事故に不安を感じてる国の空気に乗じて, 反原発の意見を高めようとしてるようにもわたしは感じます。
もちろん原発が本当に日本にあったほうがいいのか?という意見を わたしは全否定はしません。でも一方でわたしは原発についても 全否定もしません。反原発の意見は今よりも昔の方がずっと 強く多くの反対運動家の人をわたしも観てきたので,いろいろ 考えてました。でもわたしにはどうしても答えが出ません。
というのは,「自分の生活の中での電気の必要性」「社会の 中での電気の必要性」「化石燃料発電による二酸化炭素排出や 燃料の枯渇」という中での原子力発電の有効性と「原子力の 安全性」「理論と現場の実践との乖離」「地方への施設設置」 というある意味ネガティブな面を両天秤にかけた場合に どちらか一方を取ることができないからです。現状,原子力 発電を否定することは,石油による発電を進める(CO2は 増える)か,または電気の使用量を減らすしかありません。 今の日本人が今の半分以下の電気の使用量に減らすことが 出来るでしょうか。もしそうすれば不便という以前に, 病院などの医療機器が満足に動かなかったり,クーラーが 自宅につけられなくて,今だと助かっている人が,亡くなる 場合もあるかもしれません。
もちろん,そういうのも含めて人間というのは本来そういうものだ という考え方も出来るのですが,今起きている計画停電ですら, 電気が3時間止まるだけで,右往左往している社会を見ていると, 電気に頼らない生活をしましょう…といって社会的な合意が 取れるのか?という気がします。
個人的には個々の家庭がもっと電気の使用量を減らすべきだ…とは 思いますが,そのためにどうすればいいのか良くわかりません。 電気料金を上げればいいのか,法律で家庭の電気容量を 制限すればいいのでしょうか。それとも今の様な計画停電を すればいいのでしょうか。個人的には計画停電は, 省エネという点では,永遠に続けてもいい施策なのかもしれないと 思ってます。でも今の社会の混乱と,経済(皆さんの食い扶持)の ことを考えると,続けていいものなのか?とも思います。
確かに今の状況は日本のエネルギーのあり方を考えるための 勉強としては恰好の機会なのも知れません。ただ,議論自体は, 今のワーストケースを一通り経験し,困難も乗り越えた後に, 冷静になり行ったほうがいいと思います。今はそのワーストケースを 乗り越えるために,皆でサポートをする時でしょう。
- 3/15(人は常になにか一つ不安なもの)
- 昨日は計画停電で振り回された感がありますが,今日は多少職場でも 落ち着きが出てきて,停電したらしたで対処しよう…みたいな 感じになってきてます。一方今度は福島原発からの放射線が 少し気になってきてます。今日の昼間に若干都内も濃度が 上がったようですが,また下がってます。都内の放射線の量は 全然たいしたことはないというか,レントゲンの方が遥かに大きい量 なんですが,うちも乳児がいるんで,また上がったりしないのか? とか多少不安です。まぁ自分はもう年に何度もCTを浴びたりしてるので, もう気にしてもしょうがないのですが。
話が変わりますが,わたしがお腹を開いた手術をしてもう4年半ですが, 実はまだまだ体に痛いところはあります。手術直後に思ったのは, お腹を数十センチも切っているのに,人間って案外痛みに耐えられる もんなんだ…ってこと。切って目がさめた直後は,切ったところより, カテーテルをいれた関係で肩が痛かったり,胃が痛かったり してましたが,それが抜けて収まってくると,背中全体が痛かったり, 下腹部がソケイヘルニアで痛くなったりでした。
興味深かったのは,その間,肩凝りとかが全くなかったこと。わたしは 手術前はひどい肩凝りでしたが,手術後は全く気にならなくなりました。 ですが,お腹とか背中とかの痛みが和らいできた手術数年後 (2年くらいだったか?)ついに肩凝りが始まって,「あぁー手術跡より 肩の痛みがましたか?」と思ったものです。
人は,痛いところっていうのは数ヵ所同時に感じるよりは,どこか 一番痛いところを感じて,他の部分は気にならないのだな…と思いました。 一方でお腹を切った痛み,背中が張る痛み,肩凝りの痛みは そんなに痛みの強さの差を感じてません。痛いところは一ヶ所だけど, 軽かろうが重かろうが痛みは似たように感じます。つまりひどい ところが治っても,同じような苦痛が他の軽いところで感じる ということです。おそらくどんどん体が治っても,常にどこかは 痛みを感じるのかも知れないなぁ…と思ってます。
話を戻すと,世の中にはいろいろ不安な状況があるのだけど,深刻さの 度合いに関わらず,人は一番不安なものに頭を奪われる,それが 収まってくると他の部分が気になる…と気になるものは なかなかなくならないだろうな…ということ。原発の不安は そのうちどうにかなるでしょうが,そしたらきっと他の部分が気に なるんでしょうね。
不安を感じながらも,人ってそういうものだよね…とか思っております。
- 3/14(日常と異常の合間)
- 計画停電,結局わたしの自宅地域および職場では今日は ありませんでした。ありがたいことですが,計画停電って 必ず停電するものだと思っていたので,ちょっと戸惑いました。 電気の供給量が足り無い時に,あらかじめ指定している地域の 電気を止めるってことなんですね。
つまり停電がなかったってことは,節電が成功してるってことだと 思うのですが,停電がなかったと怒ってる人がネットで散見されて, なんじゃそりゃ?と少し思いました。気を緩めて明日停電しないか, そっちの方が心配ですが。
…仕事に関しては詳しくは書けませんが,まだまだ通常営業と いう状態ではなく,いろいろ混乱。自宅の周りもガソリンスタンドが 渋滞していたり,スーパーが閉まったりしてるようですが, うちは,あまりそういう心配は不要なのでは?…と思ってるので, まだまだ様子見です。
被災地じゃない東京で,そんなに焦ってどうする…って気が するのですが。
今日はTVのニュースはほとんど見ず。NHKの教育が子供向け番組を 復活させてくれたので,子供は喜んでみてました。個人的には 助かります。
ネットはTwitterがものすごく情報源になっているのだけど, ちょっと皆が情報量を争っている感じがして,すこし ついていけない感じ。ただしサーバが落ちないのはたいしたものだとか, そっちの方で感心してます。
- 3/13(焦る人々)
- 地震の被害にあわれた方,対処されている方は,ずっと大変な 状況だと思いますが,東京くらいの状況だと,どうも昨日よりも 今日の方がパニックぽくなって無いか?という気がしてます。 昨日は状況もわからずあたふたしていたのが,今日くらいになると, 「行動しなきゃ」ってことで。ネットを観ていてもちょっと 感じます。
スーパーで食べ物がなくなっていたり,ガソリンスタンドの ガソリンが売り切れになっていたり。被災地の方々じゃなくて, 我々が慌ててどうする…と思ったりもするのですが。
新型インフルエンザの時に一人で何百もマスクを買い占めた人の 話を思い出しました。まずは自分の家族が大事…という気持も わからないでは無いですが,自分より深刻な状態の人が多い中, そこまでするのは…ちょっとわたしの美意識には合いません。
あとネットの方はデマが多い。地震と関係ないことを書くと, たたいて回っている人がいたりと,どうも殺伐とした感じが, 強まっている気がします。歴史に学ぶと,非常時に言論を抑えるのは, ろくなことにならないと思うんですが。
わたしは今日はいつもどおりの週末を過ごそうとちょっとお買い物に 出かけましたが,お店は早く閉店だとの事。まぁ電気の無駄遣いに なるから,それは仕方ないか。そして明日から計画停電。情報が 錯綜して,いまいち明日何時からかわからないので,とりあえず 明日を待つとします。
- 3/12(休日)
- 本当は対米感情で書こうと思っていた事があったのだけど, 多分今回の地震で,それは凍結。また別途。
今日は休日だったのだけど,子供が熱を出したので, 外に連れまわすわけも行かず,家にずっといました。昨日歩いたので 足も痛いし。
- 3/11(地震)
- まだ現在進行形で,しかも状況をわかって無いのだけど体験なので。
今日地震がありました。宮城県の方で震度7,マグニチュードが8.8という すざましい地震だったようです。といっても実は帰ってきたのは 夜中。それまでずっと外を歩いていてTVも見て無いので,あまり 状況はわかってません。
わたしの状況を書くと地震が起きた2時40分過ぎ,わたしは 地下鉄東西線に乗ってました。今日は昼まで早稲田で学会に 出ていて,夕方横須賀に用事があって向かう途中でした。電車が 止まってなんだろう?と思うと地震という放送が入り,ゆらゆら。 軽く揺れるなぁと思って収まったと思ったら,今度はかなり大きな ゆれ。明らかにたまに経験する震度4とかより大きい。これは, 東京直下か?と思い,外は大丈夫か?と思いましたが,時期に 収束。
地下鉄は駅じゃなかったのですが,駅に近かったのか,携帯の アンテナが立った状態。gooを観ると,すぐには出なく,ちょっと 待つと宮城が震源。よく考えたら,直下だったらあんなに長く 揺れるはず無いですね。ただ宮城の地震が東京であれだけ強いと いうと宮城はどれだけの被害…と思いぞっとしました。
20分くらいたってからか,電車が動きとりあえず近くの駅まで 移動。九段下でした。ここで無線LANが繋がるので,しばらくネットに つないで,状況を把握してました。電車がどこも止まっていると いうことで,これはここにいても動かないな…と思い,3時半くらいから 歩くことに。
九段下は靖国の横を通り市ヶ谷,曙橋と経由し新宿に行くのね。 ということでとりあえず新宿を目指して歩きます。外に出ると 歩道は人で溢れてました。まるで縁日か正月のよう。自分の ペースで歩けず疲れます。一瞬雨が降ってぞっとしましたが, 何とかもちました。
新宿には5時過ぎに着きました。途中歩きながら携帯を使うも, 電話はまったく通じず,i-modeも繋がったり繋がらなかったり, メイルも出せたり出せなかったり。結局駅とかで公衆無線LANを 使うのが一番確実に繋がります。有線って凄い。でも移動できない。
新宿で無線LANをしたあとは青梅街道をひたすら歩き,中野坂上とか 新中野,東高円寺…とかそんな感じ。東高円寺のあたりで, 公衆電話が空いていたので,自宅に電話。あっさりとつながり, やっぱり有線って凄い。
更に歩いて,荻窪へ。久しぶりの荻窪,北口が様変わりして 驚きましたが,バス乗り場も人で溢れてました。ちなみに,地震直後 全然バスを見ないと思っていたら新宿に着く頃には見かけるように なりました。でも道自体が凄く混んでいるのと,バスも人が乗れない くらいぎゅうぎゅうなので,これを利用するのも難しいと, とりあえず荻窪に行けば北裏(会社の近く)までのバスが始発なので 乗れるだろう…という算段。でも人が凄く並んでいたので, 一本待って乗りました。それが7時半過ぎ。九段下から荻窪まで ほとんど座ることなく歩きましたが12キロちょっと。ずっと 同じ方向に歩く人で歩道は一杯でした。
荻窪からのバスはあまり動かず結局一時間くらいかかって 関前3丁目まで乗り,そこから更に歩いて帰りました。 ついたのは22時過ぎ。
青梅街道はやっぱり自宅へ歩く人で一杯で,みんな黙々と歩いている 姿にちょっと感動。地震だからかもしれないけど,みんな 暴れることなく黙々と歩いています。駅でも今回は駅員に噛み付いている 人とか全然見かけませんでした。たださっきも書いたけど携帯が 案外使えなく,公衆無線LANや公衆電話が強力だったのが, 驚きでした。
- 自宅は特にたいした被害はなし。ちまたの被害は良くわからないので, 明日以降TVを観れば状況はわかるのでしょう。とりあえず今日は 15キロくらい歩いて疲れました。
- 3/10(子供とTV)
- ねたが無いので以前から思っていることを。
一昨日最近のニュースがつまらないと書きましたが, そういうこともあり,朝,以前はニュースを観ていたのを, 子供がいることもあって,子供番組を観たりします。 NHKの教育テレビですが,8時前後は子供向けをやってます。
不思議に思うのがうちの一歳2ヶ月の子供が子供番組にすると 食い入るように観るということ。子供番組は3歳くらいを ターゲットにしたものや,2歳ぐらいをターゲットにしたものや, 微妙にターゲットを変えてる感じはしますが,いずれにおいても 子供は観ます。みてキャッキャと喜ぶかというと,まぁ必ずしも そうでもないのですが,目をそらそうとしないので,何か ひきつけられるものがあるのでしょう。
子供がTVだったら何でもすきか?というと,大人の番組では, 特に見向きもしないものもあるので,やはり子供向けの番組は 子供をひきつけるように作ってるってことでしょう。こういうのって なにか理論があるか?というより,多分ノウハウだと思うんですが, 凄いなと思います。
なおうちの子の場合,子供番組以外には天気予報が好きで, 食い入るように観ます。あと子育て系の番組も結構好きみたい。 基本的に原色が多い絵が画面に出るとか,歌を歌っているとか そういうのに反応してるような気もします。ですので,アニメも わりとみますが,でも子供番組の方が食いつきはいいかなぁ。 子供が出てる番組が子供が好きだ…と言う話も聞いたことが あるような気もします。
子供は体のサイズが違うので,聴こえてる音域とか特性が 大人とは違う気がします。彼らにはどういう風に聴こえてるのか, 気になります。
- 3/9(facebookとspam)
- facebookしばらく使ってますが,facebookでしか連絡を取れない人と いうのが出てきて,それなりに使うかな…という気分になってます。 ですが,どうもfacebookから友達紹介が流れてきて困惑します。 面識が無い人を紹介されたり,古い知り合いだけど,ほとんど 喋ったことが無い人を紹介されたり。ふと,これはアプリじゃないか?と いう気がして,調べたら,そういうアプリがあるようです。やたら 紹介メイルを出すみたいな。断ってもまたきます。一種の spamみたいな感じ。
困るのはこのアプリ,使っている人が自覚的にやってるのか, 知らず知らずにやってるのか良くわかりません。facebookは どんどん友人を作ればいい…と思っている人も多分いるし, わたしとかは親しくなってからでいいとか思ってます。そもそも 同じ友人でもリアルであればあるほど話題を分けて共有したいと 思うのが人情では無いでしょうか?。そうなると結局メッセージしか 使い物にならないんですよね。
ちょっと話が散漫になりましたが,アプリでspamが飛ばされるというのと, facebookハイ!みたいな人がいるというのと,その両方が,こういっては なんですがちょっとうざくテ,個人的には,あぁfacebook終わったなと(笑)。 まぁ自分もmixiを始めた頃はどっぷりやってたので,同じような 感じなのかなぁとか,facebookみたいにユーザが多いと当然spamとか もあるわけね,とか思ったりしております。「ハイ」の人は そのうち冷めるでしょうから,それを待つしかないよなぁ。
- 3/8(ニュース密度)
- 今日から出張や飲み会が連続するので日記は書けるかどうか わかりません。まぁ軽く。
昨日は雪でした。
他ニュース…。今だと前原さん辞任,年金三号扱いで細川さん追求, あとカンニングとか,熊本の事件とか…。同じようなニュースが 繰り返されて,多分三日に一回くらいみればいいという密度の様に 感じます。地震とか天気とかそっちのニュースの方は, それなりにリアルタイムで知りたいと思うのですが。
というわけで,ニュースをみなくなるのも当然だなぁ…という気が します。一時間のニュースも15分のニュースも扱う話題は同じで, だったら15分のニュースの方が効率いいや…と思います。
最近podcastでNHKのラジオニュースが聴けるんですが,これの15分もの くらいで丁度いい。録音だからリアルタイムで聴く必要もなく …だったら一日15分くらいの更新でいいんではないか?と思います。
というわけで,ニュースの密度がムチャクチャ低いのは,この時代 なんとかならないのでしょうか?。
- 3/7(ベーシックインカムは有効か?)
- 政策における公共投資は,その事業により利益を生むためと いうだけじゃなくて,その事業に関わる人の雇用を産み出す… という目的もあります。公共事業を批判する人はこの視点を, わざとか避けているようで,事業を止めることにより大量の 失業者が出ることについて,どうすればいいかを語るのを殆んど 見たことがありません。
最近読んだ「計算してみると赤字国債や建設国債、地方債なんかに 頼って利益を出していた建設会社を維持することで得られる 雇用拡大よりも、そんな非生産的な雇用は要らないから生活保護や 失業保険を払って家で寝ていてくれたほうが社会にとっては 損失が圧倒的に少ない」は本当なんだろうか?と,とても 気になる内容です。真に受けて話を広げると,雇用を公共投資で 無理やりつくるよりも,仕事をしない人には生活保護や年金で ベーシックインカムを保証した方が,国の借金は増えない …っていう風に読めます。
となると,幾つか疑問。雇用創出のための公共投資を止めて 国の支出が減るのは分かりますが,雇用が減って所得税が減ると, 国の収入はどうなるのでしょうか?。生活保護を受けるような人は 消費税以外は払わないのではないでしょうか?それで足りますか?。 もちろん,世の中には生活保護の収入だけでは満足でき無い人… っていうのも沢山いますから,働いて大量の収入を得て, 所得税を納める人もいるでしょう。でも多分,その境界…, つまり生活保護と対して収入が変わらない人は,もし生活保護が 課している制限に不満がなければ,働かない様になるかも知れません。 となると,働く人の賃金は上げないと,人を雇えませんから結果的に 収入がある人と保護を受けている人の生活格差広がるでしょう。
あと企業から法人税を取ればいい…という見方。国際競争を考えると, あまり国内の法人税を上げられない…とは思いますが,そもそも 公共事業を減らせば,その事業者の利益も減るので,そちら関係の 法人税は減るでしょう。まぁ生活保護を受けてる人も,消費は行う でしょうから,つまり生活に関係する業種の市場は増えるのでしょうか?。 なんか貧困ビジネスばかりが儲かる社会になりそうだなぁ… とか想像してしまいます。
公共事業のもう一つの側面,発展する産業分野をコントロールする というのはどうなるのでしょう。日本が建設や鉄道などで技術力を もっているのは,そちらの分野に投資をしてきたからです。そういう 公共事業がなくなり,国民に直接ばらまいたお金だけが市場を 回るようになれば,市場はそれで短期的に利益を出せる分野だけが 発展する事になります。まさに神の見えざる手…になってしまいますが, その結果どういう市場が形成され,どういう社会が産まれようが, 「神の手」だから…と納得できるのでしょうか?。
国が事業コントロールをすれば,批判はしやすいですが,無作為に 市場原理に任せた…といえば,批判を避けやすいのかも知れません。 でもそれは「無策」とも言えます。
仕事が無い人にベーシックインカムを配った方が,国家の財政的に 潤う…というも長期的にみて,産業が衰退すれば,やはり間違いなのでは ないでしょうか?。また衰退の結果国の基幹産業が無くなれば, 外貨も稼げず,ますます困窮していくような気がするのですが…, 最初の試算にはその辺の見通しが入っていたのか…気になります。
- 3/6(被害者を責めても自分は安全にはならない)
- 熊本で幼女が殺された事件は,熊本ということもあり,多少気には なっていいます。ただ,こういう事件はあまり自分の生活には参考に なら無い,つまり自分がこういう事件に巻き込まれる可能性はゼロでは 無いにしても,特殊ケース過ぎて,それを防ぐ上での参考になるんだろうか? という意味で,そんなに詳しく知りたいとは思ってません。という わけで,細かい状況は良くわかってません。
ただ,被害者の両親の想いを想像するといたたまれなくてとても 辛いのですが,昨日Twitterをみていたら,「親にも責任がある」とか いう意見が出てるとか知りびっくりしました。そう思っていたら, fujiponさんが実際にそう言ってる人にあったと 書いていました。今回のケースの詳細はあまり追ってないにしても, 実際に今回のケースを予想して,子供から目を離さないなんて 不可能だ…ということは,子供を持った事がある人だったらわかる はずです。でも実際にこういう風に,親が悪い…という人がいる らしいです。
最初,こういう人は実際を知らずに無知ゆえに,さらに誰でもいいから 卑下したくて言ってるだけかな?…と思いましたが,よく考えて 違う気もしてきました。
被害者の親を責める人は,そうすることで,自分だったらそうならないと 思いたいのではないでしょうか?。確率的には対処を用意しようが無いほど 特殊で稀なケースの場合,本来そういう想定で行動することは無いでしょう。 でも,そういう事件が起きてしまったときに,自分はそうならないという 確信が欲しい,だから被害者を卑下することにより,自分はそれとは 無関係なんだ…と思いたいのではないでしょうか?。
でも実際は今回のケースは天災みたいなものだと思います。特殊すぎて 対処しようが無い…という意味では,わたしは秋葉原の事件の時も, そう思いましたが,今回のケースもおそらくそういうケースです。 ですから,おそらく今回の事件に遭うことは非常に稀ですが,仮に 遭ってしまった場合避けることはむずかしのだろうな…と思います。
でも,被害者を痛めつけて,確証の無い自信や安心を得ても仕方が ありません。わたしは今回の事件はぞっとすると共に,被害者や その両親の想いを想像するに辛さを感じます。そして自分には 起きないようにと,その時は思う…それくらいしか出来ないのでは 無いでしょうか。
- 3/5(休日)
- 今日はマッサージを受けにいった。楽になったけど,気になるところは 残っている。そんなに簡単なものじゃないってことか。
ネットをみてるとワクチンの事故が合ったようで,気になるけど よくわからないので,もう少し情報が得られたら,書きます。
- 3/4(人はなぜ王をつくったか?)
- 思考実験というか,想像。
たぶんですが,国家の成立において,おそらくほとんどの国は 王国だったのではないでしょうか?つまり君主がいるっていうのが 国家だったと思います。
国家の成立は確か,最初は穀物の農耕が始まり,それにより蓄財がおき, 貧富の差が発生する。また,農耕は獲物を追っての移動がないので, 集落となる。これにより集落においてリーダーが固定化し, さらにそれが巨大化していくと国家になっていく,という様なことだったと 思います。
最初の集落では,どこかの段階でリーダが出てきて,それが単なるリーダか, 族長,王…となる境界は,一つは世襲になることの様に思います。 自由に入れ替えが可能なうちは,王とは呼べないでしょう。
集落が更に集落をまとめていくとそのうち国家になりますが, それが話し合いではなく,武力により行う場合は強力なリーダシップが 必要ですし,負けた方が支配を受けるので,ますます王は王らしく なるように思います。
さて,なぜ人は王をつくるのでしょう。富を蓄えるのは一人や 一家族で出来るにしても,それが権力をもち,他の人達を束ねるには, 財力だけでは無理のように思います。他の人達が,いうことを 聞かなかったり,富を略奪すれば,富むものが権力者にまではなりません。 おそらくそういう権力者(リーダ)は,メンバーがそういう人を望むから 産まれるのではないでしょうか。
実際現在でも集団をつくり,効率よく活動をしようとすると, リーダを決めた方が効率が良く,自然発生的にリーダが決まることが あります。リーダが決まれば,他のメンバーはいうことを それなりに聞きます。そしてその集団が大きくなれば,リーダの権力は 強くなり,理不尽な権力にもメンバーはいうことを聞くようになります。
つまり人は,支配するもの,されるもの…に自然にわかれるという 習性があるということです。
それは,多分,集団での意思決定が合議ではなく,誰かに委譲して, 一括して行われる方が効率がよい…というのが無意識に 分かっているのでしょう。また他の集団と争う場合,意思決定を 行わないと勝てないし,集団内でいざこざが起きたときも, 誰かに調停をしてもらった方が,収まるということを 皆知ってるということでしょう。
では,なぜ単なるリーダが王になるのでしょうか?。リーダの権力が 強化されるのは,集団が大きくなれば,自然とそうなるような気がします。 カルト集団が小さいときから巨大化していくに連れ,権力が トップに集中するというのをみると,多分そういうものなのでしょう。 そしてリーダに権力が集中した結果,リーダが自身の後継者を自身により 選ぶことになる…,そうなると普通は世襲になってしまう…という辺りが 王になるということなのでしょうか。
つまり,リーダに権力が集中するのは,リーダが悪いのではなく, 本来人はそういう習性だということ。誰かに力を委譲し,いうとおりに 行動する方が,楽だし,効率的だ…と無意識に思っているって事でしょう。
- さて,そう考えると,独裁者というのは悪いものなんでしょうか?。 独裁者や,権力者としての王は良くないものなんでしょうか?。
今の社会では,大国はほとんどが選挙によりリーダを選んでます。 王家があっても権力はなく,別のリーダが政治をするという形が普通です。 しかし,ヨーロッパだって,フランス革命までは,王国が普通でした。 革命があちこちで起きて,結果的に共和制になったり立憲君主国に なったりしております。
今,世界を見て思うのは,先進国以外の国では「大統領」という 名前の王様が多いように思います。実質として数十年も在位し, 入れ替えが不可能,世襲を行う…のであれば,大統領というより, 王様の様な気がします。でもなぜか大統領と呼ばれてます。 なんか変だな…と思うと共に,王様と名乗ってはいけないのだろうか?。 王様や独裁者と名乗ると先進国からなぜ非難されるのだろうか? …と疑問に思ったりします。
- 3/3(行政批判には何が何でも行政を悪いものにしたい という態度が感じられる)
- 郵便局が電気自動車の発注をキャンセルしたのでメーカが破産した というニュースを観たときに,え?とは思ったのですが, 状況が良く分からないので,なんとも言えないな…と思いました。 おそらく郵便局の発注の要求を満たせなかったんだろう…とは思いましたが, そこにいたるまで,どういう経緯があったかは良く分かりません。
ですが,翌日ネットをみると 郵便局が悪いみたいな意見が多くて,更に びっくりしました。これをみていて,「悪いのは行政か大企業」と 短絡的に結び付ける人がいかに多いか…と思ったわけです。その後 ネットをみてると自動車電気メーカ自体の技術が怪しい(コメントにあり) 意見もあり,出来ない発注を受けてしまった…可能性もあるな …とも思います。
結局のところ真実はもっと深い調査をしないとわかりませんが, この件,あまり話題になって無いので,このまま消えていくかも しれません。
むしろ問題なのはニュースを観た人の態度。郵便局が悪いというのが 思考停止で決め付けたようにいう人が多いようです。こういう事件は 行政や大企業の方が悪い…という様な考え方がある様に思います。 でもわたしはむしろ,行政や大企業方が,批難されやすいから 慎重になるってことは多いんじゃないか?という気がします。 慎重になるから,発注先に厳しくなる…という人もいるようですが, フェアじゃない競争を実施するわけにはいきません。発注先が 問題がありそうなかいしゃでも,それを除外す根拠が必要と なります。
行政や大企業に厳しい人のうち,郵便局の方が,業者融通を利かせるべき だったという人は,自らいってることが矛盾していることを 知るべきです。行政に厳しいから,すべてが原理原則になり, 実態に合わせて融通を利かせられなくなっているというのは 多い気がします。大企業が融通を利かせるべきというのであれば, 大企業の不正競争などは問題にしてはいけない…と思います。
- 3/2(行動の抑え込みには代替が必要)
- 昨日の続きです。
昨日はCDから簡単にコピーができるようになって,音楽販売が CDからネット配信に移って来た現状をあまり詳しく書けませんでしたので, ちょっと補足します。
CD自体は80年代の中盤あたりに販売が始まりますが,最初は 専用機でしか再生できませんでした。またパソコンにCDドライブが ついたのは,90年代中盤くらいですが,最初はアナログ端子がついていて それでしか再生できませんでした。ディジタルでDATとかにダビングも 出来るようになりしたが,いずれにせよ,リアルタイムでのダビング だったので,効率が良くありませんでした。
ところが90年代の末期に,パソコンの CDドライブから直接ハードディスクにデータを吐き出せるソフトが 出てきて,倍速とか4倍速とかでデータをコピーできるように なりました。これは出始めはOS等ではこの機能をサポートしておらず, フリーウェアの作者が苦労して,そういうソフトを作ってました。 というのはもしかしたら大手のメーカはそういうソフトの開発を 自主規制していたのかもしれません。
同時期にMP3等の音楽圧縮ソフトがフリーで公開,またインターネットが ADSL等の高速になり,急速に個人でCDの音楽をデータ化しネットで 共有できるようになったのが世紀末の頃です。そして Napsterとかの音楽共有サービスも出てきました。
昨日書いたとおり,メモリープレーヤはまだメモリが高価だったため, そこまで広がっておらず本格的に売れ出すのにはちょっと時間が かかりました。
で,当時,こういう音楽の配信は問題になったわけです。結論を 書くとNapster等の音楽共有サービスは違法扱いを受けて,しかし 何とかサービスを維持しようとライセンス料を取る仕組みを作ったり いろいろと試みが行われましたが,最終的にはなくなりました。 何故なくなったかというと,裁判に負けたからでしょう。誰でも音楽を 共有することは不可能になりました。権利者が違法コンテンツを見つけると, 訴えるか,もしくは削除を依頼する…という構図は,実はいまだに続いており Youtubeとかもそういう感じで続いております。
そういう音楽の不法配布をやる一方でiTunesや携帯の着メロの様な 合法のネット配信も始まりました。そして従来のCDの購入に 比べるとかなり安価な金額で音楽を購入することが出来るように なりました。一方で,正規で購入した音楽は他の人に再配布が 出来ないような仕掛け(DRM)を入れられました。特に携帯の場合は, PCを介さずに音楽を買うため,データを取り出すことも不可能に なってますが,それなりにユーザは買っているようです。
ここでのポイントは違法コンテンツの取り締まり強化と共に, 新しい媒体での音楽販売を同時に進めていることでしょう。 多分強化だけだと,こんなにはうまくいきません。そして その新しい音楽販売形態,または再生機械が,従来のCDによる 音楽購入・受聴よりも「安価」,「どこで買えて」ですし, 違法コンテンツをPCで取り込むより,「簡単で再生機も便利で」 という特徴があったため,タダではないにしても, ユーザは買うのだと思います。
- というわけで,音楽以外のメディアがネットや機器発達で, 違法にコピーされるようになった時に,それをやめさせようと したら,法に基づく取締りだけではなく,もっと安価だったり 簡単だったり便利だったりする代替サービスを始めないと うまく移行しないのではないか?という思います。
あと,もう一つはっきり書くと心苦しいこととしては,多分 CDを数百万枚も売るというビジネスは,音楽の歴史で考えると, かなり特殊な,「美味しい」状態だったんではないか?と いう気がします。一枚分のマスターを作ってプレスすれば, 数十億円の売り上げが出るというのは,あまりにも効率が 良すぎて,そりゃー,このビジネスに多くの人がぶら下がるよね, という気がします。もちろんそれにより一枚の作品に大量の リソースがかけられて,いい作品が生まれた…ってことも あるんでしょうが,まぁいい作品の本質がそれが必要って ことも無いかも…という気がします。
以上,音楽販売形態を振り返ってみました。これがマンガの これからのビジネスにどう参考になるかは,まだ良くわかりません。 ただ,マンガもこれから販売形態が変わっていかざるを 得ないかもしれないし,そうなると,今みたいに一冊の本を 何百万部も売って儲けるということも無理になるかもしれないな, とは思います。危惧するのは,そうなって日本のマンガの層が 薄くなるかも…ってことで,そうならないといいなとは 思いますが。
- 3/1(音楽ビジネスの形態変化)
- 先日マンガの将来について 書いたのですが,そこで音楽がメディアの変化によって業態が 変わりつつあるので,マンガもそうならざるを得ない…と 思いました。マンガがどうなるべきか?はよくわからないのですが, ちょっと整理を兼ねて音楽の変化を書いてみます。音楽の 歴史に詳しい人には,当たり前の話です(わたしの認識間違いが あるかもしれませんが)。
昔音楽,特に作曲家は音楽を注文を受けて書いてました。 顧客は権力者だったり教会だったり,あと演劇(オペラとか)の 興行主だったり。初めてクラシックのコンサートをしたのは ベートーベンだといわれてますが,それ以前は舞踏会で演奏したり, 宮中だったり教会だったり,演劇だったりしたわけです。
で,コンサートという分野が出来てくると,演奏家が演奏をして お金を取れるので,演奏する人,そして演奏する人に曲を 提供する人が出てきます。初期の音楽出版とは楽譜を売ることで, 楽譜を買った演奏家が曲を演奏するというビジネスだったそうです。 ただ楽譜がいくらで売られていたかは知りませんが,演奏家が楽譜を 買うので食べていけるほど作曲家にお金が入ってきたのかというと ちょっと疑問です。
19世紀末期にラジオとレコードが発明されました。20世紀冒頭に ビジネスとして発展したと思うのですが,どっちが先に広がったのかは よく知りません。レコードは演奏を記録したものが売られます。 一旦買った人はお金を払わずにいつでも,繰り返し音楽を聴くことが 出来ますが,売るほうは,一回の制作で何万枚も売ることが出来ます。 生演奏や楽譜の販売に比べて,遥かに効率がいいビジネスだったのだと 思います。一方ラジオは,繰り返しは聴けませんが,ラジオ局で 演奏した演奏を同時に多くの人に聞かせることが出来ます。 ラジオが受信料(広告料)を多くの人から取れれば,当然演奏家にも多くの ギャラが出るでしょう。
ここで,レコード制作,出版,ラジオ放送というビジネスが 産まれ,それは生演奏に比べ多くの人に同時に商品を買ってもらえる わけですから,ビジネスとして発展することが出来ます。 ただ,一回の演奏が多くの人に聞かせることが出来るというのは, 逆に言うと,人の曲を生演奏して収入を得ていた演奏家は食べて いけなくなり,多くの演奏家が淘汰されたと思われます。日本には 最近まで「流し」がいましたが,流しもカラオケの発達により 消えていきました。
さて音楽ビジネスは放送とレコードになりましたが,そのうち テープレコーダが生まれ,カセットになると,一般の人にも 爆発的に普及しました。まずはエアチェックという形で,音楽を 記録することが広がりました。既にラジオは無料で放送されていたので, カセットをもっている人はレコードを買わずに安いカセットテープを 買えば,好きな曲を手にし,何度も繰り返し聴くことが可能となりました。 この時点では,好きな曲がラジオで必ずしもかかるとは限りません でした。
- 一方既にこの時期に,自分のレコードをカセットに録音し,人にあげると いう人がいましたが,総数的にはたいしたことなく,あまり 問題にはなりませんでした。ところが貸しレコードが出てくると, お客は好きなレコードを貸しレコードで買って録音し,レコードを 返す…という人が爆発的に増えました。ですので,レコードを買う人は 減りました。これはレコード会社に大打撃を与えたので,レコード会社は いろいろと政治的な活動も行い,結果的に貸しレコード屋にレンタル料から 一部権利料を取ることに成功しました。これで貸しレコード屋は 堂々とレコードを貸せるようになりましたが,レコード会社もそれなりに 権利料が入ってくる,お客も安価に音楽を所有できるため,音楽を 聴ける増えるという意味ではWin-Winだったのかもしれませんが, レコード会社の本音としては貸しレコード屋は目の上のたんこぶ だったそうです。
さてこの時点では,まだウォークマンもCDも無いため,音楽を 外で聴くにはラジオしかあり得ませんでした。もしくはカーステの カセット。まずウォークマンによりカセットが野外で聴ける様に なりました。そのため音楽を聴ける時間が増え,さらにLPを カセットにダビングできるオーディオも売れ,レコードの 売り上げは更に増えたように思います。
次に出たのがCD。CDは爆発的に広がりアナログレコードを 淘汰しました。これは当時,まずCDは音がいい…というのを 売りにしてましたが,わたしの感覚では,それ以外に取り扱いが簡単, 曲の頭だしが可能,そしてCDの発売後数年で野外で聴けるウォークマンが 出たことが大きかったように思います。これでカセットがなくても, 音楽を野外や車の中で聴けるようになりました。
次に出たのがMD。MDは録音が出来るディスクでカセットに 取って代わられました。これも音がいい事よりも,ランダムアクセスが 可能なこと,CDやカセットより機器が小さかったことが売れた理由だと 思いますが,ちょっと高価だったため,カセットも合わせて 残りました。
この頃がCDの売り上げとしては一番多かった時代だと思います。
…さてこの次に出てきたのが実は当時MP3と呼ばれたメモリープレーヤや ハードディスクプレーヤです。出てきたのは2000年頃。ですが, これは当初すぐには広がりませんでした。理由はメモリの容量が小さく CD一枚を入れることできなかったこと。CDからデータを吸い出すソフトが 不完全で扱いが面倒だったことでしょう。これについてはアップルが iTunesとiPodを出し解決し,そして爆発的にメモリプレーヤが 広がることになります。またこれが広がったのは,CDがコンピュータに そのままでデータが取り出せ,ダビングがきわめて簡単になったこと, インターネットにコンピュータが繋がり,曲の情報などが簡単に 扱えるようになったことなどが大きいです。
- さて,ここに来て,音楽の販売数にブレーキがかかります。 CDの音源があまりにも簡単にコンピュータに吸いだせること,それが 複製可能なこと,そのデータが簡単にインターネットでやり取りできること, という環境が整ったため,CDのダビングと大量の配布が可能に なってしまったのです。
ここに来て一回の録音をプレスするだけでお金が入ってくるという レコード会社市場は急激に小さくなっていくということになりました。 CDを売ってもたいしてお金が稼げないとなると,他の手段でお金儲けを する必要が出てきて,一つは音楽配信をビジネスとして始めました。 音楽の携帯プレーヤに規制をかけ,簡単にデータの吸出しやコピーが 出来ないようにということも働きかけてます。ライブやライブ時の グッズ販売,メディアとのタイアップとか,いろんな手段で儲ける 方法を生み出してますが,現状まだ試行錯誤の様な気がします。
…というのが音楽の話。これみてマンガはどうあるべきか?を 書こうと思いましたが,長くなったので,今日はここまで。 ただし漫画についてはわたしは意見は無いので,たいしたことは かけないと思います。つづく。
'10年12月に書いた日記, '10年11月に書いた日記, '10年10月に書いた日記, '10年09月に書いた日記, '10年08月に書いた日記, '10年07月に書いた日記, '10年06月に書いた日記, '10年05月に書いた日記, '10年04月に書いた日記, '10年03月に書いた日記, '10年02月に書いた日記, '10年01月に書いた日記
'09年12月に書いた日記, '09年11月に書いた日記, '09年10月に書いた日記, '09年09月に書いた日記, '09年08月に書いた日記, '09年07月に書いた日記, '09年06月に書いた日記, '09年05月に書いた日記, '09年04月に書いた日記, '09年03月に書いた日記, '09年02月に書いた日記, '09年01月に書いた日記
'08年12月に書いた日記, '08年11月に書いた日記, '08年10月に書いた日記, '08年09月に書いた日記, '08年08月に書いた日記, '08年07月に書いた日記, '08年06月に書いた日記, '08年05月に書いた日記, '08年04月に書いた日記, '08年03月に書いた日記, '08年02月に書いた日記, '08年01月に書いた日記
'07年12月に書いた日記, '07年11月に書いた日記, '07年10月に書いた日記, '07年09月に書いた日記, '07年08月に書いた日記, '07年07月に書いた日記, '07年06月に書いた日記, '07年05月に書いた日記, '07年04月に書いた日記, '07年03月に書いた日記, '07年02月に書いた日記, '07年01月に書いた日記
'06年12月に書いた日記, '06年11月に書いた日記, '06年10月に書いた日記, '06年09月に書いた日記, '06年08月に書いた日記, '06年07月に書いた日記, '06年06月に書いた日記, '06年05月に書いた日記, '06年04月に書いた日記, '06年03月に書いた日記, '06年02月に書いた日記, '06年01月に書いた日記
'05年12月に書いた日記, '05年11月に書いた日記, '05年10月に書いた日記, '05年09月に書いた日記, '05年08月に書いた日記, '05年07月に書いた日記, '05年06月に書いた日記, '05年05月に書いた日記, '05年04月に書いた日記, '05年03月に書いた日記, '05年02月に書いた日記, '05年01月に書いた日記
'04年12月に書いた日記, '04年11月に書いた日記, '04年10月に書いた日記, '04年09月に書いた日記, '04年08月に書いた日記, '04年07月に書いた日記, '04年06月に書いた日記, '04年05月に書いた日記, '04年04月に書いた日記, '04年03月に書いた日記, '04年02月に書いた日記, '04年01月に書いた日記
'03年12月に書いた日記, '03年11月に書いた日記, '03年10月に書いた日記, '03年09月に書いた日記, '03年08月に書いた日記, '03年07月に書いた日記, '03年06月に書いた日記, '03年05月に書いた日記, '03年04月に書いた日記, '03年03月に書いた日記, '03年02月に書いた日記, '03年01月に書いた日記
'02年12月に書いた日記, '02年11月に書いた日記, '02年10月に書いた日記, '02年09月に書いた日記, '02年08月に書いた日記, '02年07月に書いた日記, '02年06月に書いた日記, '02年05月に書いた日記, '02年04月に書いた日記, '02年03月に書いた日記, '02年02月に書いた日記, '02年01月に書いた日記
'01年12月に書いた日記, '01年11月に書いた日記, '01年10月に書いた日記, '01年09月に書いた日記, '01年08月に書いた日記, '01年07月に書いた日記, '01年06月に書いた日記, '01年05月に書いた日記, '01年04月に書いた日記, '01年03月に書いた日記, '01年02月に書いた日記, '01年01月に書いた日記
'00年12月に書いた日記, '00年11月に書いた日記, '00年10月に書いた日記, '00年09月に書いた日記, '00年08月に書いた日記, '00年07月に書いた日記, '00年06月に書いた日記, '00年05月に書いた日記, '00年04月に書いた日記, '00年03月に書いた日記, '00年02月に書いた日記, '00年01月に書いた日記
'99年12月に書いた日記, '99年11月に書いた日記, '99年10月に書いた日記, '99年09月に書いた日記, '99年08月に書いた日記, '99年07月に書いた日記, '99年06月に書いた日記, '99年05月に書いた日記, '99年04月に書いた日記, '99年03月に書いた日記, '99年02月に書いた日記, '99年01月に書いた日記
'98年12月に書いた日記, '98年11月に書いた日記, '98年10月に書いた日記, '98年09月に書いた日記, '98年08月に書いた日記, '98年07月に書いた日記, '98年06月に書いた日記, '98年05月に書いた日記, '98年04月に書いた日記, '98年03月に書いた日記, '98年02月に書いた日記, '98年01月に書いた日記
(C) 2011 TARO. All right reserved