2010年10月の日記&雑感


だらだら書いた日記です。
日記中のURLはメンテしないので,切れてる場合もあります。 あしからず。


10/31(煽っても意味が無い)
更に昨日の続き。
今の若い人は,コンサバで新しいことをやりたがらないのは,実は 今の日本がそれなりに暮らしやすい。少なくとも海外よりマシと 思ってるからではないか?ということを昨日書きました。
でも休日の朝からTVをみてるとTVではどこかの知識人が,日本の政府とかを 叩いてものすごく悲観的なことを言ってます。こういうのはもう10年以上 続いているように思います。その割りには若者はどんどんコンサバになり ぬるく過ごしてる…ってことは,それらの危機感はおそらく実感として 感じられないか,そうでなければ別のことがあるのでは無いでしょうか。
一時期叩かれていたガラパゴスな日本の技術ですが,最近は「ガラパゴスでも いいんじゃない?」といわれ始める始末で,危機感を煽っておいても,それが 実感とあわないと反動で逆のことを思うことも多いようです。
社会の危機感を煽る人は,それで自分が得をするか,もしくは社会がそれで 良くなると思ってるのかもしれませんが,どうもわたしの実感では逆効果で 若い人はどんどん頑張らなくなってる様にも感じられます。
で,その「別のこと」ですが,結構大きいのが頑張り方が分からないから では無いでしょうか?。危機感を煽っても,どうしていいか分からない。 危機感を煽る人は何でも「ダメ」ですから,じゃぁどうしていいか分からない。 頑張って勉強していい大学に行ったり,高級官僚になって社会を 良くしようとしても,高級官僚は叩かれる。政治家も批判ばかりされ, 感謝されない。金持ちになったら叩かれる。何をどうしたら社会が良くなり, みんなから認められるのか分かりません。海外に若者が行かなくなったと いわれますが,海外に行って何を身につけてきて,何をすればいいのかは あまり教えてくれません。
社会に貢献しようとしても,どうすれば貢献できるのかが分からないというのが 今の若者の実感では無いでしょうか。
現在の権力や社会システムを批判ばかりして危機感を煽る人たちは,その先の どうすればいいのか?まで示してくれないと,結局その人たちは,世の中が 悪くなることを望んでいるのか?と感じてしまいます。

10/30(今の若者は本当に危機感があるのか?)
昨日の話の続きになるのだけど,昨日の話は元の話は,今の若い人は 今の60代の人に比べて納めた額に比べて年金がほとんどもらえないから 損をしてるという話。わたしはそもそも初任給とか違う時代だから, 額で比較をするのはおかしい,と昨日書きました。
弾さんも,それでも後の時代に生きるほうが良いと 書いてます。少し似た部分がありますが,要は同じようなネット環境とかを 使うにしても,数十年前といまだと必要な額が違う。つまり月に例えば 3万通信料を払ったとして今の時代と,30年前では出来ることが全然違い, そういう意味ではお金が無くても今の方がいい環境に暮らせるって ことになります。
実際物価自体は30年前と今では今の方が高いのですが,物価指数で考えれば, 多分インターネットの値段も,海外旅行にかかる値段も,衣服を買うために 必要な額もずっと下がっていると思います。
これはちょっと考えると変です。物価が上がって給料も上がってるのに 例えば初任給で正規化した場合の価格が衣服とか通信費で下がっていたら, じゃぁ何の物価が上がっているのか?。多分一番上がってるのは土地の値段で しょう。都内の土地はサラリーマンが買うのは無理…っていう位に なってますが,昔は買えました。食べ物は分かりません。ただエンゲルス係数 自体は昔より下がってるんじゃないか?という気もします。車はずっと昔は 一般人が買えないくらい高かったのですが,ある時期をピークに下がって いる気がします。
なんとなく思うのは,物の値段はバブル以降どんどん下がってる気がしますが, 普通の人が要求する生活に必要なものの種類は増えたのではないでしょうか? 数十年前までは一般人の生活というと,衣食住の他にはTVや白物家電と車 くらいあれば充分でした。ですが,今はパソコン,インターネット, 携帯電話,ゲーム機,とかも必要という人も多いでしょう。さっき 通信費が下がってると書きましたが,実はこれもある時期をピークに 下がったのであり,昔はそもそも通信が各家庭に無かったのです。
今の日本は住宅費は高いですが,衣食には事足りている。 収入が減ってるといっても,携帯電話やインターネット とかにお金を使わなければ,やっていける状態は保てているのかも しれません。
そして実は若い人は案外日本は暮らしやすい…と思ってるんでは 無いでしょうか。今の若い人は海外に出て事態を変えようという人は 少ないと聞きます。日本の経済が良くない,将来が不安だといいながら, 海外はもっと悪い…ということを分かってるんでは無いでしょうか?。
そして将来が位とか,なんとかしろとか,海外に行けとか言ってるのは, 実はもっと上の年齢の人なんですよね。今の若い人は結構コンサバで, 事態を自ら打開しようという人は少ないような気もします。ですが, それが本当に満足してるからなのか,それとも世代の性格なのかは よく分かりません。

10/29(若者が年金で損をするというのは本当だろうか?)
ネットでひろゆき氏が 「 負けが決まってる勝負を死ぬまでやらされる若者世代」で書いてることに 突っ込みたくなったので。要は年金問題で,若者は損をし年寄りは得を してるという話です。
数字を挙げていて,多分あってるんでしょうが,嘘をつかずに,間違った 結論に誘導してるように読めました。
まず年金が20代の人が払い込んだ額の6割しかもらえない…っていうのは 明らかに平均値か何かでしょう。年金は長生きすればするだけもらえるし, 早く死ねばたいした額をもらえません。個人単位では何割もらえるか?という 確定はありません。以前何歳まで生きたら(74か84だったと思うけど, 忘れた)払い込んだ額もらえるとわたしは書きましたが,要は平均寿命が, そこまであるか?ってだけの話。
若者の貯蓄が少なくて年寄が多いのは当たり前,何が悪いの?って 感じです。で,60代の人が払い込んだ額の6倍をもらえるというのも, これも平均なんでしょうが,それもあるけど,そもそも60代の人と, 今の20代の時代は物価が違います。物価が上がったし金利も高かったので, たくさんもらえるのは当たり前でしょう。こういうのは絶対的な額ではなく, 例えば大学出の初任給とかで正規化しないと比較のしようがありません。 つまり60代の人が新入社員のときに1万掛け金を納めるのと,今の人が 1万納めるのでは負担の度合いが違います。これを額で比較するのは おかしいです。
ちなみに今はデフレの時代ですから,むしろもらう額が減っても出来る 生活レベルは同じようには下がりません。
そもそもおかしいと思うのが,年金と他の貯蓄や資産運用は性質が違います。 年金は個人がかけた額で決まるのは月の支給額であり,総額ではありません。 総額はその人の寿命で決まるのです。どんなにたくさんかけた人でも, また60代だろうが今の20代だろうが,年金をもらい始めて,1年程度で 死ねば払った額はもらえないだろうし,90歳とか100歳とかまで生きれば, 払った額よりたくさんもらえるものです(何歳で元を取るか…っていうのは もちろん年代で違うでしょうけど)。自分で資産運用をどんなにしても, 自分の寿命にぴったりで使い切ることは難しいでしょう。早く死ねば 資産が残るし,長きすれば,死ぬ前に破産するかもしれません。
年金は長生きしても少なくとも一文無しになることは無い…っていう ものです。ちなみに破産すれば生活保護を受ければいい…という考えは わたしは賛同出来ません。こういうと怒る人もいるかもしれませんが, わたしは生活保護を受ける暮らしは労働者や年金生活者より低くあるべきだと 思ってます。一部の病気などでそうならざるを得ない人は除きますが。
年金を貯蓄や資産運用の様に語る人がいますが,わたしはそう思いません。 ポートフォーリオ的に考えれば,年金と貯蓄と資産運用はすべて行う べきでしょう。年金が破綻しそうだから年金をやめて,そのお金を 資産運用に使え…なんていう人は,そのお金を騙し取って儲けようとしてる のでは?とわたしは疑ってしまいます。

10/28(福岡)
今日からちょっと福岡。ちなみに東京はここ数日から急に寒くなり, 今朝は雨だった。福岡は降ってなかった。東京よりちょっと 暖かいか?

10/27(エネルギーの才能)
わたしは若い頃から「天才」に興味があって,要は「どうしたら」とか 「どういう人」が天才になるか?って事を考えたりしてました。 それについて今回は詳しく書くつもりはないのですが,一つの条件として, やはり好きな対象にのめり込み,楽しんで,その才能を伸ばすことに時間を 苦も無く費やせた…ということがあるでしょう。本人が努力しているつもりで やっていても天才にはなれないように思います。
それはいいとして,最近良く思うが,その天才にしても秀才にしても, またそれ以外にしても,それ以前に成功してる(会社での出世も含めて)人とかに 共通してある性質として,その人が凄く「エネルギーをたくさん持っている」 って事があるように思ってます。
エネルギーを持っている…という言葉が正しいかはわかりません。全て 同じ様に表層化してるわけではないのですが,感じることとして 幾つかあげると,「タフ」「頭の回転が速い」「動きが活発」「ポジティブ」 みたいなことを感じます。タフというのは体力があるという場合もあるし, 精神的に強い,集中力がいつまでも続く,とかいろいろありますが, タフだなぁと思うって事です。回転が速いとか動きが活発とかいうのは, まるでその人のクロックが速いんではないか?とかそういう場合もあるし, 良く動くとか,そんな感じでしょうか。で,ポジティブというのも回転が 速くて動きが活発だとそれだけでもポジティブに感じますが,それに加えて 明るい,悲壮感がない,人に対しての恨みや妬みが殆んど出てこないとか, そんなことを感じるということです。
もちろんそれだけの条件が揃っていたら天才と呼べるような成功をするわけ ではありません。成功をするにはある分野で才能を発揮したり高度な能力を 得る必要があるでしょう。でもその才能を発揮するために必要な土台として 最初にあげたエネルギーを持ってるってことが必要なんじゃないか?と 思ったりもします。あまりこういうことを言うといけないのかもしれませんが, 天才となるか?才能を得るか?というのはいろんな要素があって,その人の 元来の能力や性格とは一対一では対応しませんが,このエネルギーが あるというのは,案外産まれついての能力というか性質なのかも しれないと思ったりもしてます。
もっとも,もちろん,世の中にはエネルギーがあまり外から見えない, 例えばおっとりしていたり,のんびりしていたりする人でも天才と 呼べるような人もいます。まぁでも珍しいのかなぁ…と。あと,これは 余談ですが,エネルギーがあるだけでは天才にはなれないと書きましたが, 会社とかの組織では,結構それだけである程度は出世するんじゃないか?と いう気はします。もっとも会社を大成功させたり起業したりするのは, やっぱりそれだけではダメだとも思いますが。

10/26(核をもつと本当に国を守れるのだろうか?)
石原知事が日本も核を持つ議論をすべきとか言っていた。 わたしは日本が核を持つメリットが良くわからないので,持とうとは 思わないのだけど,案外ネットではこういう石原氏の意見を支持する声も よく聞こえました。石原氏が「タブー」と言っているように,核を持つことに 反対すると,どうも思考停止してるように思われるのかな?とも思いますが, でも,考えても良くわからないので,とりあえず書いておきます。
分からないのは核を持つメリット。本当に核を持っていたら日本は 守れるのでしょうか?。日本はアメリカの核の傘に守られているとは よく言われますが,日本が核を持てば,アメリカの傘は不要になるので しょうか?。そもそも核を持ったとして,その核はどういう場合に どの様に使うものなのでしょうか?。どこかの国がどういうことをしたり, どういう攻撃をした場合に,核はどの様に使うと効果的なのでしょうか?。 よく分かりません。相手が撃ってきたら打ち返すのか?。撃ってこなくても 撃ちそうだったら先に撃つのか?。そんなことをやったら,他の国に 批判されないのか?。
核を持つべきだという人は,あたかも核を持っていたら,敵が攻撃してこない と言いたげですが,使い方を決めて無い兵器なんてもっていても もてあますだけです。また今核をもっていない国が新たに核を持つと, その過程で,どれだけのほかの国に批判を受け,関係が悪くなるやら, その辺も考慮してるのでしょうか?。
核を持っている大国はたくさんありますが,実際に核を戦争に使ったことが あるのはアメリカだけです。しかも日本との戦争以降,まったく使ってません。 核を持っていても紛争を行っている国はたくさんあります。 核を持っていてもテロも受けます。核をもってないから国が滅んだ…という 例があるのかも良くわかりません。
核さえ持てば,あたかも国のランクが上がるとか独り立ちできるという 考えこそ,近所の某国と同じような感覚の様な気がして,それこそ ちゃんと考えているのか?と思います。

10/25(終焉)
終わったもの二つ。
テクニクスブランドが終わり,SL-1200も生産終了との 事。これについては悩ましいことが二点。
まずテクニクスというブランドは 結構好きだったこと。わたしが小学生の頃は,まだオーディオブームが 残っていて,松下がテクニクスというブランドで「コンポ」のCMを がんがん始めました。ある意味コンポを一般向けにアピールしたとも いえます。子供心に,複数のオーディオが組み合わさって要塞の様に 作られるコンポは妙な憧れがありました。
その後もテクニクスは松下のオーディオブランド(と海外ではエレピを 出していたらしい)で,特にレコードプレーヤスピーカは特徴がある機器が多くて面白かった 気がします。
もう一つ悩ましいのがSL-1200が無くなって,かっておこうかどうか 迷うところ(^^;)。いまわたしが自宅に持っているレコードプレーヤは DENONので,5万くらいの,昔でいうと入門機種なので,もう少し いい奴がほしい…ということで。最近新型のレコードプレーヤは もっと安いものしかでないので,いいものは古い機種になって しまうのです。まぁまだDENONは高級機種を出してますが。
まぁレコードはいいとして,オーディオ自体は今ブームなので, テクニクスブランドでオーディオを出すのは意味がある気がするのですが。
もう一つ別のニュース。
カセット式ウォークマン終了とのこと。こちらは さすがに買っておこうとは思いませんが,時代の終焉をちょっと 感じました。まぁもうカセットを新たに始めようという人は いないのかもしれませんね。
昔大学の頃,頑張ってお金ためてウォークマンを買ったのを思い出します。 結局わたしはカセットのウォークマンは二機種くらいかって,そのあと Diskmanにいった気がしますが。
というわけで,オーディオ関係で大きな節目の二つのニュースでした。

10/24(箱根に行って来た)
というわけで,昨日と今日とで箱根にいってました。職場の人とと いう感じです。
いった場所は昨日は彫刻の森美術館でちょっと遊んで,その後は旅館で 宴会。今日は大涌谷に行き,そこで解散でした。 行きは一緒に行く人の車に乗せてもらってで,帰りは電車で帰って きました。
彫刻の森美術館は初めて行きました。箱根とか伊豆って美術館がやたら多くて, しかもあまり土地と関係ないので,いかにもリゾート地の暇つぶし的な 感じもしていたのですが,ここは自然の中に彫刻をおいてあると言うことで, 風景と作品がいい感じで調和していて良かったです。あと,これは 屋内ですが,ピカソの陶芸品を集めた建物があって,どうやら,遺族が 本当に寄付したものらしくかなり数があってびっくりしました。もちろん 作品として発表したもので無い周作がほとんどなんでしょうけど, わたしはピカソが大変好きなので,ファンとして楽しめました。
余談ですが,一緒にいった人たちは,ピカソの作品が「子供でも 作れそうな作品」とか言ってましたが,ちょっとがっかり。あぁ, ピカソぐらい有名で触れる機会がたくさんある人の作品でも,いい大人が こういうことをいうんだなぁと。というか芸術について真剣に考えたことが 無い人が世の中のほとんどなのかもしれない…とか少し思いました。
あとここではミッフィーの企画展をやってましたが,こちらは子供の プレイスペース的な感じ。ディジタルサイネージの技術を使って, インタラクティブな展示で,面白かったです。
宴会の話は省いて,今日は大涌谷に行って,解散して,あとは ロープウェイとケーブルカーと登山鉄道とロマンスカーで帰ったのですが, 箱根のロープウェイとケーブルカーは初めて乗ったので,面白かったです。 大涌谷は二回目。まぁ九重の杖立温泉とか知ってる人は,似たような 風景だよなぁと思ったりもしますが,これはこれでよかったです。
それにしても帰りは午前中から帰ったので,ロープウェイもケーブルカーも わたしが乗るときはそれなりに空いてましたが,反対方向はものすごく 混んでいて,朝来て夕方帰るパターンだと,ずっと混んでるんだろうなと 思いました。やっぱりこの時期は泊りがけで行くのが正解なんだろうなぁ。

10/23(箱根)
今日から箱根の方に一泊旅行に行っています。詳しくは帰ってから。

10/22(本屋)
アマゾンが本屋でバーコードの写真を取ると,通販で 本を買えるサービスをやるらしいという話を聞いて,それは ちょっとひどくないか?という気がしました。よく読むとアメリカでの 話みたいですが。
ひどいなと思ったのは,それはアマゾンが本屋をショールームとして ただで利用してることになるからです。ネットでの反応をみると, 何が悪い…みたいな意見があったり,本は重いからネットで買うと いう人もいて,こういうサービスに肯定的な意見もあるようです。
本を買うのはネットで充分という人も多いようですが,本が無くなれば 現物を見て買うことが出来なくなりますし,本棚や平積みから 本を見つけることも出来なくなります。本は誰かの推薦や広告のみから しか買わないという方は,それでもいいんでしょうが,わたしは 本屋で見て買うことも結構多いので,それは困ります。ネットで買うことも ありますが,多分8割は本屋で買ってます。
…まぁ是非についてはこれくらいにしておいて,じゃぁ本屋はどうするか? ということ。
この記事を読んだときに,日本は本屋は再販制度で定価売りしか できないので,価格競争が出来ない,であれば,ポイントカードとか, おまけをつけるとかそういうことをするしか無いのだろうな…と 思いました。と思って,今日ちょっといつも行く本屋にいったら, ポイントカード始めました…とかやっていて,まぁこういう流れに なるなぁ,と思いました。
で,もう一つ思ったのが,家で本を注文する人はどうしようもないけど, 本屋でバーコードを読んで注文するような人は,別に本屋まで 来てるんだから,もってかえるの重いとかいう人には,配達するか, もしくは本屋が通販をして,その場で注文できるようにすれば いいのでは?という気がします。もちろん,そのシステムを始めるには ある程度規模が大きい本屋で無いと無理でしょうけど。
でも携帯で撮ってメイルするっていうなら,本屋自体には システムはいらないんですよね。いかがでしょうか?

10/21(正しく報道されないがんワクチン試験の件)
先週流れた がんワクチン被験者が出血していたという報道。 元々は朝日がした報道らしいですが,わたしはTVのニュースで聞きました。
膵臓がんの患者と聞いて気になりましたが,一方でよく分からない…という 印象を持ちました。こう書くとひどいかもしれませんが,膵臓がんというのは 極めて進行が早く,被験者をやっていた進行性の場合,ワクチンを打とうが うちまいが出血はあり得るから,本当にワクチンが原因かはっきり しないのでは?ということです。
よく分からないので続報を待っていたら, がん患者の方からは報道がおかしいとのコメントが目立つようになり, 当事者の東大の方も報道に反論。そして多くのがん患者が報道に対しての抗議(PDFファイルです, ご注意を)を発表してます。
報道には多くの間違いがあるのですが,重要な点を書くと,被験者の 出血はやはりワクチンのせいとはいえなかったとのこと。つまり そのことでワクチンが危険とはいえないということになります。しかし この報道を受けて,臨床試験はストップしてしまってるとの事です。
わたしは以前も書いた気がしますが,健康な人や軽症の人と違い, 進行性がんの患者はほっておいても近いうちに死ぬわけで,そこで 求められる薬の安全性は予防ワクチンや風邪薬とはまったく違うと思います。 つまり多少の悪い作用があっても,延命に効果があればいいのでは?とすら 思います。実際がんでなければ毒として使用できない薬が,がんの 薬として使われることもあります。がん細胞は元々本人の細胞であり, それを攻撃する薬ががん以外の体にもダメージを与えないわけはありません。 それでも延命や症状緩和を期待してがん患者は薬を受けるわけです。
特に膵臓がんは認可されている抗がん剤がほとんど無く,新しい薬の 承認は多くの患者が期待してます。それを,事実異なる報道で, 治験への流れを止めるというのは,報道が多くのがん患者を見殺しに しているといえなくもありません。
がん患者が報道に抗議したのは,そういう部分もあるのだと思います。 なぜかこの声明も報道は 報道に対する抗議と受け取れない報道をしてます
いつも思うのですが,なぜ報道は間違った報道をしたときに,きちんと 訂正を行わず,単に無視して,世の中から忘れられるのを待つような 事をするのでしょう。一般の人々に謝ったイメージだけ植えつけて, そのまま時間が経つのを待っている様に見えます。謝罪はできないとしても, 訂正をきちんと流すことをしないのは,報道として悪の様に思います。

10/20(福岡)
今日は一日福岡だった。ってことで,日記はこれだけ。

10/19(出世することは嫌われる?)
朝日新聞に「出世にこだわる人は恋人にしたくない」と いう記事が出ていて,出世も報酬も社員をやる気にすることは出来ないのか, 会社としては大変なことだよなぁ…とか思いました。でも一方で, 出世にこだわるという話と,出世するっていうのは意味が違うので, 嫌われるのはこだわるけど出世できないタイプで,こだわって出世する タイプは違うんじゃないか?という気もします。確かに女性でバリバリ 稼いでいる人はいいんですが,彼氏が給料少なくていいんですか?。
わたし自身は前に 「何故出世したかったか?」と書いたくらいですから,出世したかった わけです。でもそれは出世したほうが自由に楽しく仕事が出来ると 思ったから。出世が嫌だという人は,出世したらどういう風に変わるか?と ちゃんと分かっていってるのだろうか?という気もします。
別の記事で, 有給を取りたがらない社員という記事があって, なんだ仕事したいんじゃん…とか思ったりも。もっともこの記事を読むと, 有給を拒む若い人が,仕事熱心なのはいいんだけど,やっぱりものの 見方が近視眼的だなぁ…他の社員とか,自分の将来のことを考えると, 権利は行使しておいたほうがいいというのが,わたしの意見です。
話がそれましたが,結局のところ仕事を一生懸命する人はもてるのか? 嫌われるのか?って話。実は朝日新聞の記事のモトネタになったと思われる調査結果を みると総論は「仕事を楽しむ人はもてる」であり,出世にこだわる人は 嫌われる…とはちょっとは書いてますが,それが主ではない。つまり 出世のために苦しそうに仕事をする人がだめで,仕事を楽しむ人は いいんだから,要は仕事をする人の方がもてるということには違いない わけです。
そういう意味では朝日の記事がかなり意味をまげて報道してるって ことになります。あぁ,ひどいな。
出世の話を書くと,出世にこだわるといっても楽しんだ上で評価されて 出世することも可能なわけで,別に相反しません。ただ楽しむというのが 楽な仕事とか楽しい仕事だけをする…って勘違いされるとやっぱり困る。 マネージメントとしては社員を楽しませて働かせなくてはいけないって ことになり,モチベーションのコントロールという意味では正解だけど, なんかそこまで社員にサービスしなくてはいけないのかね?とか, ちょっと思いました。楽しいとか人それぞれだから,大変だね…って。
ちなみになにかで「女性は可愛がれる男と,可愛がってくれる男の どちらかを好む」っていうのを聞いて,シンプルだけど的を得てるかも, と思いました:-)

10/18(遺族との関係)
産経新聞の「悲しみのない死」というのを観て,皮肉めいていうと 最初,悲しみが無いのならいいじゃないとか思ったりしました。もっとも 続けて,「放置される肉親の死 「ぬか漬け容器」の中に「遺骨」」なんて ことが書いているので,悲しみが無い死というのは,誰も供養をしない ってことなんでしょうけど,だったらそう書いたほうがいいと 思います。
わたしは年寄りの死と遺族との関係は極めて家族の中の問題だと思ってます。 リンクの例は亡くなった方がいくつか分かりませんが,たとえば 80歳とか越えた人の死であれば,わたしは基本的には,充分に生きた上での 死であると思うし,子供などの遺族との関係はその人にも多くの責任が あるため,供養してもらえるもらえないというのは,やっぱり当人達の 問題だと思います。
これが,乳幼児と親との関係になると,子供には何の責任も無いし これからの未来を考えると,他人や社会が子供にたいして関与するというのは ありかも,と思うのですが,老人が死ぬときに遺族に喜ばれようが, 悲しまれようが,それはやっぱり本人の責任だと思うのです。
リンクの例は,結果的に,遺骨を他人に預けるという意味で,他人に 迷惑をかけているので,けしからん話でしょうが。これが海に撒いたり, 山に撒いたり…というのが,法律の許す範囲であれば,別にいいんじゃない? と思ったりします。
その人が死ぬときに,「もっと生きて」と思われるか「充分に生きたね」と 思われるか「苦しさから逃れられて良かったね」と思われるか「やっと 亡くなってくれた」と思うかは,面倒を観た人と本人の問題でしょう。 これだけ介護疲れが問題となってるときに老人の死を「悲しみの無い」と 批判じみて書くこと自体に,浮世離れした感じがします。人の死を 無いことの様に扱う文明が,介護疲れを引き起こしているんじゃないか? とすら思います。
人は供養されることにより永遠の命を得ることが出来るとわたしは 思ってますが,それは社会の問題じゃなくて遺族と本人の問題だと 思います。第三者が問題にするようなことなんでしょうか?

10/17(イヤホンと自転車)
イヤホンをつけて自転車に乗るのが実は違反ですよって 話。実際危ないと思うので,あぁ当然だなぁ,と思う一方で,実は イヤホンをつけて自転車に乗ることもこれまであったので,ちょっと 困ったなぁ…というのが本音です。
一応言い訳を書くと,わたしはイヤホンをして自転車に乗るときは, イヤホンの音量はかなり小さめにしてるし,イヤホンの装着を甘くして 外の音がそれなりに聞こえるようにしてます。とはいえ,なにも しない状態より,周りの音は聞こえにくいでしょうし,自分がそうして いても,実際は周りの音がまったく聞こえないようなつけ方をしてる 人もいて,周りの人からはそれが分からない…ということはあります。 ですから,危ないイヤホンをつけている人と,危なくないつけ方を してる人の見分けはつかないので,全部取り締まりましょう…というのは 分からないでもありません。
わたしは外で音楽を聴くときは,以前はイヤホンではなくオープン型の ヘッドホンをしていて,外部の音が聴こえるようにしていたのですが, 電車で音が漏れていて,周りに迷惑がかかってると思ってから, イヤホンに変えました。周りの音が良く聞こえるヘッドホンは 周りに音が漏れますから,使用環境が難しいのですが,自転車とかで あれば,隣の人への距離が大きいので問題が少ないかもしれません。 ただこの場合も,ヘッドホンから出している音が大きければ, 周りの音が聞こえにくいということになります。
一方イヤホンには補聴器もあります。補聴器ではありませんが, 周りの音を大きく聴くためにマイクがついていて,音を大きくする ものもあります。この場合はむしろつけることを周りの音を よく聞けるようにしてるのですが,これも禁止になってしまうのでしょうか? それとも取締りのときに,そう主張すれば大丈夫ということでしょうか?。
わたしは以前からヘッドホンをするときに,周りの音が一緒に聞こえると いいなと思っていて,そういう製品もあるんですが,極めて少なくて 使いにくい製品が多いです。一方で世の中的には周りの音が聞こえないという 防音性の高いヘッドホンの方が話題になりがちです。
今回の法律は自転車の話ですが,歩いているときでも本当は 周りの音が聞こえないと危ないです。この法律はちょっと自分には 困ったものですが,もし周りの音が聞こえるヘッドホンなら可で, そういう製品が増えるのであれば,個人的にはちょっとうれしいのですが, 実際は取締りの煩雑さもあるし,どうなのかなぁ,と思います。

10/16(環境という経済戦争)
今週はじめの方のクロ現で生物多様性の話をしてました。ちょうど COP10(国連生物多様性条約第10回締約国会議)が行われている からとのことで,今日もニュースで先進国と開発途上国の間で なかなか合意が出来ない…という話をやってました。
地球温暖化の件もそうでしたし,生物多様性の件もそうですが, この手の話は「自然を大事にしよう」という総論自体が反論しにくい ため,議論を揶揄したり,批難とかしにくい感じがします。わたしも 自然は大事だし大事にしないと,人類は痛い目に遭う…と思ってますが, それでも,はたから見ると,話はあまりそういう単純な話でも無い, おそらくそれぞれの国の思惑は,自然のことより,技術,資源を元とした 経済戦争を行うルール作りなんだろうな…という風に見えます。 各国の思惑はかなり複雑ですっきり書きにくいので,いくつか突っ込み調で 思うところを書いてみます。
地球全体の話のようにみえるけど,結局主題は南北問題。発展途上国の リソース(資源,自然,人)を利用し先進国が儲けるというのが 元々先進国のビジネスモデルで,第二次大戦後植民地支配はほとんど無くなった けど,結局その構造は変わっていない。発展途上国は自分達も 先進国の様になろうとしてるけど,だけど,じゃぁ彼らはどこから 搾取すればいいのか分からない。もしくは安い労働力で伸びてきてる 発展途上国を押さえるために二酸化炭素や,生物多様性問題を 先進国は利用してるんじゃないか?という気もする。一方で,発展途上国が 自分達が作った作物や掘り出した資源をカードにしようとしてるけど, 結局その資源の価値を見出したのも先進国だったりもする。レアアースとか そうだけど,先進国が代替品を発見したら,また価値が変わってしまう。
ヨーロッパは帝国主義時代に海外に植民地をたくさん作り搾取の構造を 作ったけど,そもそもそれ以前にもヨーロッパの中やアジアに向けて侵略戦争を 繰り返していたわけで,そういうビジネスモデル以外作れないのだろうか? あとローマ時代に森林伐採をやりすぎて町が滅んだり,グリーンランドも 入植開発しすぎて人が住めなくなったりと,自然破壊も昔からやっていて このモデル自体も変えられて無いように思う。
生物多様性ということで,オランウータンやゴリラやアジア象がでてきたけど, 結局発展途上国へのけん制になっているように見える。もしかしたら 1000年位前はヨーロッパも多様性があった生物を滅亡させていて, 今は,人間の開発と共存できる動物だけがそこにいる…ってことじゃ 無いのだろうか?。
結局西洋の途上国からの搾取により経済をもたせているっていうのが 続く限り,両方が協力し地球を守るとかいうのは無理じゃないか?という 気がしないでもない。逆に途上国は先進国型の成功を目指すのに無理が あるんじゃないか?という気もする。
かってのSFや小説とかでは,自然破壊を人間が進めていくと,最後は災害に より人間が痛い目に遭うという絵が良く描かれるけど,実際はおそらく その前に人間同士の争いが起きて,そっちの方で滅びるか,文明が 後退するか,どっちかなんだろうなぁ。今の話し合いがまったくの不毛とは 思わないし,理想に近づいて欲しいとは思うけど,そういう悲観的な ことが頭によぎります。

10/15(夜が短い)
最近夕食後子供が寝るようにTVを消して電気を消しているからか, 眠くなるのが早い。とういわけで,この日も9時くらいに,添い寝してたら さっさと寝てしまった。

10/14(時間の使い方)
ネットを見ていたら 時間上手になるためのポイントなる文がありました。 ほかにも似たような話があって,なんだろうね?今,時間の使い方が 話題なのか?とか,ちょっと思いました。
で,少し自分のことを考えてみると,わたしの場合,結婚して嫁と住み始めて, ほとんど朝夕を自宅で食べているわけで,会社に遅くまでいることは稀です。 毎日毎日延々と長時間働いている自覚はないし,昼の仕事中もみっちり時間が 詰まっている感じでもない。そう考えると,自分は時間の使い方が うまいのだろうか?,単にサボっているだけなんだろうか?,とか思ったりも したので,自分のケースを書いてみて,どうなのかな?と自問自答してみます。
ちなみにわたしは会社では研究職で,管理職でもあるので,研究とか マネージメントとか,開発とか,どこかの依頼仕事とかいろいろありますが, 普通の仕事とはかなり内容が違うかも知れません。
会社の仕事をメインで考えますが,わたしは「やるべき仕事」「やりたい仕事」 「やっておくべき仕事」というのはいつも意識して分類してます。あと, スケジュール感でいうと,「今すぐしなくてはいけない仕事」 「○○までにしなくてはいけない仕事」「いつかやらないといけない仕事」 「多分やらなくてもいい仕事」みたいのも意識してます。
やるべき仕事というのは,人のためにやる仕事で,お願いされたり, 手助けをしないといけない仕事。これは優先度が高いし,内容も具体的で, アウトプット先も明確なので,取り掛かりやすいです。ただ人から言われた 仕事はそれだけをやっていると,仕事に追われて終わってしまいます。 それでいい人はいいんですが,わたしの様に研究をする必要がある場合, それだけやっていたら,新しいことを考える暇が無くなり煮詰まって しまいます。つまりそれはやりたい仕事ややっておきくべき仕事ですが, それをやる時間をつくるのは経験的に難しいです。依頼仕事というのは雑用も 含めて,ちょっとした時間があればできますが,やっておくべき仕事は 結構自分でモチベーションを高めないと始められない様に思います。あと, 雑用をやっていると,「仕事をした気になる」という問題もあります。
あとスケジュールの話。ToDoリストを使うとかスケジューラを使う…と いうのがいいのかどうかはわかりません。わたしはこれらも使ってますが, 全ての仕事を書いているわけでもなく,基本的にはやる仕事は全て頭に 展開しています。ToDoリストに書くのは,うっかり忘れそうな仕事…の 場合が多いです。
やる仕事を頭に展開し,締め切りを考慮し,出来るだけ一つの仕事が短時間で 済むように気を使って始めます。もちろん一つの仕事といっても,かかる時間は 様々で,さっと一枚書いて終り…というのもあれば,実験やコーディングの様に 数時間とか数日かかる作業もあります。わたしはあまり作業をしながら 考えるのが得意じゃないので,作業に取り掛かる前に十分に頭の中でやり方を 考えたり,その為の情報を集めるのに時間を費やし,短時間で出来そうと 思ったときにやることが多いです。ですから,あまり一つの作業を淡々と やることは少ないように感じてます。あと一日でいうと,短い時間で 済むことはなるべく早い時間に,時間がかかる仕事は午後…にやることが 多いです。短時間で済む仕事は,進んでいる感じがするので, 疲れにくいし,そういうのを早く終わらせておけば,数の上ではやる仕事が 減るので,長くかかる仕事をしてるときに,気にならなくて済むからです。 時間がかかる仕事を早くやると,その後ぐったりするし,一日がそれだけで 終わってしまったりして,後で大変だったりします。
考えてみると,わたしが気にしてることは,モチベーションを どう高めるか?…のような気がします。やりたくないなぁ…と思ってるときは, どうやってそれをやる気にさせるか…とかを気にしてますし,どうにも ならない場合も多いです。わたし自身は長時間の仕事をしていないつもり ですが,実は結構精神的には仕事が溜まるとプレッシャーを感じるので, 貯めないようにさっさと小さい仕事を片付けてるということなのかも 知れません。あと,早く帰ると書いてますが,それは遅くまで仕事をすれば 仕事が片付くと思っておらず,仕事が遅くまでかかりそうだったら, 明日の早朝にやった方がいい…と考えているからです。それでもどうしても 今日中に…という場合もありますが,それは多分年に数回あるかないか …です。
自分の仕事のマネージメントは結局のところ,自分の性格や能力に合わせて つくるべきですが,時間繰りとかはルールとして意識していた方がいいように 思います。今日は特別とかいって遅くまでやってると,それが普通になります。 毎日終電に帰れるのであれば,多分毎日19時にだって帰ることが出来るはず, わたしはずっとそう思ってそうやってきています。
…と書いて,なんかまとまらずグダグダになりました。やっぱり一日の 日記に書くようなネタじゃなかったかな。整理してじっくり書いたほうが, いいかもしれないな,と思いました。

10/13(世情)
先週日本にいない間,国内のニュースをあまり追えてなかったので, なんとなく状況がどういう風に動いたのかわかってない部分もあるのですが, ふと思うことを…。ちなみに去年ジュネーブに行ったときはNHKの 国際放送をみれたので,ニュースは見てましたが, 今回はネット以外では観れませんでした。
まず,中国問題。尖閣諸島の話は日中関係の問題でしたが,ノーベル賞の話や 南シナ海の話とかをみてると,どうも日中の話というより, 中国自体が世界からバッシングされている空気を感じます。日本の主張を 後押ししてくれるのはいいこととも言えるのですが,中国が国際的に孤立して, なにか暴走をした場合,地理的な関係で,日本が他人事ではいられない 状況…になるだろうと思うとちょっと薄ら寒いものがあります。 日本の昭和初期…が頭によぎるのですが,中国は核を持ってますから, 日本が昭和に暴走したときよりももっとひどいことが起きるかも 知れません。
困ったなぁ…という感じです。
次。
検察の証拠隠滅の話は,わたし自身はあまり感情は浮かばず…ふーんと いう感じです。もっとも自分が仮に警察に捕まりこういう風に起訴されたら たまらないので,やっぱり検察の不正は厳しくすべきだろうとは思います。
ただ,今朝TVで世論調査の結果で「検察が信用できない」という人が 多かったのは,なんとなく呆れた世論…というか。その割には起訴されたり 逮捕されたりするだけで,被疑者を犯人扱いする人多いよね。 検察が信用できないなら,逮捕されたくらいで,犯人扱いするなよ…とか 思いました;-p。
そういう意味では今回の検事も,起訴だけでクビかよ…とは 思いましたが…。
なんかいろいろすっきりしない。
後はまぁ,あまりたいした思いはないのですが。
チリの件は,どうやら無事救出が進んでいるようで良かったです。日本のTVが かなり頑張って報道してますが,現地で顰蹙をかって無いか心配です。
今日雑誌をみたら,ウィスキーについて解説してる記事があって,かなり 基本的なことが書いてあって,あぁーしばらくウィスキーって流行って なかったから,若い人とかはウィスキーの知識無いのかなぁ…とか 思いました。わたしが20代で最初に凝ったお酒はウィスキーだったので, なんか時代の変化を感じます。

10/12(義務教育が機能して無い?)
新聞で「 生活保護世帯の子に進学支援拡大」って表題を見て どういう話だろう?と思ったら,自治体が中学生に無料の学習教室を 開催したりする…という話だった。
いい話のようで,根本的なところで「?」が頭をよぎる。冒頭の 「低所得や家庭環境が原因で子どもが教育機会を失い」という文を読むと, 日本には義務教育が無いのか?とか,初等,中等教育にお金がかかるのか?と いう風に読めてしまうんではないか?。最初高校生とか大学受験の話か?と 思ったら中学生なので義務教育の話。義務教育って社会にでて必要な 最低限の知識や学力がつくようにあるのか?と思っていたのですが, どうもそうじゃないってことなんだろうか?。…っていうのは皮肉で 実際大学になっても,分数の計算も満足に出来ない人がいるので, それって貧困のせいなのか?:-p。
いや,もちろん分かって書いてるのですが,やっぱり変だなと思うのは, つまり貧困な人が教育機会を失うというのが本当であるのであれば, 日本の義務教育が機能して無いということでは無いのだろうか?。そして その解消が国ではなくて自治体の施策に頼るのであれば,国は教育を 放棄してるってことではないか?。いやつまり憲法違反じゃないのか?と いう事。
もちろん現実問題として,すべての生徒をフォローのが困難だとか, その際に落ちこぼれと進んでいる人とどっちにあわせるべきか?とか 学力以外に教えるべきこととか,義務教育の問題がいろいろ難しいのは わかるのですが。
低学歴が自立の壁になるというのであれば,高学歴が自立には必要って ことなんでしょうか?。最近は高学歴ワーキングプアという言葉も あるんですが。
というわけで,教育に行政が力を入れるのはいいことだと思うものの, どうも,根本的なところでの姿勢が変じゃないか?という気がしました。 ただ教育機会を与えればよくて,その内容がおかしくなってるって所から 目をそらしてるんじゃないか?という気もします。進学こそが教育という 考えは受験勉強だけを子供に強いることになり,実学の教育を教える 機会がむしろ減る気もします。自立のために高学歴にするという考えも あるのならば,逆に低学歴でも充分に社会に役に立つ教育をするという 考え方もあるかとは思うんですが。

10/11(追悼)
昨日のことになりますが,先日書いた 粘る稀なガン患者さんが企画した追悼展に行ってきました。
今回は 奥様の絵以外に二人の人の作品もあわせて展示されてましたが, いずれも素敵な作品で,とても良かったです。
奥様の絵は昨年の追悼展の時はいろんな作品が展示されてましたが, 今回は動物を擬人化したシリーズの絵のみに絞られてました。 とても明るくてみてるほうも幸せな気分になる作品達です。
以前書いたとおり企画者は既に亡くなってますが,挨拶とご本人の 写真が飾ってありました。彼から発せられたメッセージをわたしが 読むのはこれで最後ということなのでしょう。残念なことですが, すばらしいメッセージを多く頂き,そしてすばらしい絵との新たな 出会いを企画していただき,感謝してます。ありがとうございます。

10/10(孫と爺婆)
うちの息子の祖父母が孫の顔を見るために上京。ということで, ちょっとばたばたしてるので,…。

10/9(山口百恵という実験と金字塔)
先週と今週NHKのSONGSという番組で山口百恵をやってました。普段は 本人が出る番組ですが,さすがに山口百恵の場合本人がでるわけも無く, 当時のビデオと後は宇崎竜童やさだまさし,谷村新司とかは 本人が出ました。
山口百恵は今も伝説として残っているアイドル歌手ですが,今更ながら, 山口百恵が何故伝説となりえたか?というとなかなか難しいものが あります。わたし自体は山口百恵がデビューしたとき,小学校に 入ったくらいで,引退するとき,中学を出るくらいですから, もろにその活動を子供の目でみたことになります。ずっとトップ 歌手だったなぁと思いますが,今更やっぱり何故?という思いは あります。あらためて山口百恵という時代を振り返ってみると, デビューのきっかけが,TV番組「スター誕生!」で,この番組が 始まって二年目。アイドル歌手という言葉がまだ確立して無い時期で, 山口百恵以前の女性人気歌手というと,遡っていくと, 浅田美代子,アグネスチャン,南沙織,天地真理,麻丘めぐみ, 小柳ルミ子とかになるようです。天地真理は当時人気がものすごく ありましたが,デビューは20歳のとき,麻丘めぐみや南沙織が17歳で デビューしたということから考えると,山口百恵,森昌子,桜田淳子は 中学生として歌手デビューしており,女性歌手の低年齢化の最初だった ということになります(ちなみにこれ以前も美空ひばりみたいに 子供歌手からそのままスターになった人はいますが)。
今挙げた女性歌手を 眺めてみると,明らかに山口百恵が一番人気がヒット曲が多いし, 曲のバリエーションも多いと思います(小柳ルミ子は歳を取ってからの 変化は凄いですが)。他の歌手は明るく可愛い曲を主に歌っており, ある程度テンプレートにはまったアイドル歌手像でしかなかったに対し, 山口百恵は少女でありながら女であるというアイドル歌手像を作り出して 言ったように思います。( 山口百恵が引退した後,そのスタイルを継承しようとして売り出されたのが 三原順子ですが,実際にヒットしたは別のアイドル像を新たに作り上げた 松田聖子の方で,百恵のスタイルの方向性として次に大きな地位を得たのは, 中森明菜となったように思います。)
山口百恵が伝説として残っているのは,こういうアイドル歌手のスタイルの 金字塔を彼女が演じきり,更に今も再デビューなどをせずに,そのときの 記憶を当時の人たちに残しているからでしょう。
もう一つ,番組を見て思ったのは,山口百恵が歌っている曲が, 阿木燿子・宇崎竜童の他,さだまさし,谷村新司,いずれも非常にすばらしい 曲を提供しているということ。山口百恵という場に対し「アイドル歌手」と いう新しいものを確立しようと,多くの英知がそこにつぎ込まれ,それを 彼女は演じきったのだろう…という気がします。
そういう意味でいうと,今の様にアイドルや芸能界が成熟してしまった 時代に彼女を越えるような新たな歌手が出てくるかというとやっぱり かなり難しいと思い,これからも語り継がれる人になるんだろうなと 思います。

10/8(帰国)
というわけで,成田に着いたらもう夕方で,そのまま自宅に着いたら, もう夜だった。

10/7(出国)
今日はL.A.から日本に向かうので,昼前にホテルをチェックアウト。 タクシーで空港に向かい,ついたらチェックイン。ちょっと買い物をして, 後は飛行機に乗り込んだ。
この後は気がついたら,翌日になっているはず(笑)。
アメリカは出国手続きがないのだけど,代わりに飛行機のセキュリティ チェックは結構厳しい。何度も何度も手荷物は見られる。むしろ日本の セキュリティチェックはいい加減だよなぁと思う。まぁこれも テロがあったからだろうけど。

10/6(L.A.4)
L.A.四日目。といっても明日帰国。 どうでもいい様な,思ったこと。
老人の髭ですが,こちらの人は,数十センチあるようなあごひげを 蓄えた人が結構います。浮浪者にもいますが,ちゃんとしたサラリーマン?にも いるので,こういうファッションなのか。日本では見ないですよね。 わたしの場合多分伸びませんが。
10年以上に前にアメリカに来たときは,どの食べ物も量が多くて食べられない, というイメージが強かったのですが,今回はどれもそれほどじゃなく,まぁ 多いけど食べられる…という感じでした。何か変わったのかなぁ。 コースじゃなくて単品で頼んだから…っていうのもあるんでしょうが, 他の人も結構単品だったし。 ただ,ジュースとかアイスのサイズはバカでかいので,ジュースは今日は 飲みきれなかった。
で,アメリカというと肥満というイメージもあったのですが,案外細い人も それなりにいて,なんだやれば出来るじゃん(笑)。いや,もちろん 太ってる人も多いんですけどね。どんな美人でも歳取ったら太ると 思ってました(苦笑)。
L.A.のダウンタウンは治安が悪いので有名ですが,実際は分かりません。 ただし,夜は浮浪者…というより,歩いてると「恵んでくれ」と 寄ってくる人は多いです。結構寒い…と思いましたが,結構薄着の人も いて,彼らは凍死しないのだろうか?。
足が悪い人が結構多い,というかそういう人も街に出歩いているって ことかもしれません。車椅子や電動車いす,あと,シルバーカーとか 滑車がついた金属の枠とかそんなのを持って歩いている人多いし, それとかびっこひいている人がかなり多い。肥満でひざを痛めてるのか, 事故とか多いのか良くわからない。
レストランとかでかかってる曲で,ナックとか,ビリージョエルとか 懐かしい曲が聴こえた。あんまり最新チャートとかじゃなくて,昔の ヒット曲を繰り返し聴いてるんだろうか?。
わたしはアメリカという国に取り立てて憧れがあるわけじゃない。 ただし一部のの文化とかは尊敬してるという感じ。アメリカがやってるから 正しいとか,アメリカみたいな国になりたいという考えは,今の若い人にも そんなに無いと思うんだけど,こういう考えって団塊の世代あたりには いまだに強いんじゃないかなぁ。
見かけたアジア人は多分日本人よりそれ以外の方が遥かに多い。 日本人少ない。まぁそういう時代だよなぁ…と思った。

10/5(家庭の事情と個人情報)
アメリカ在住の人(日本人)と話した話。
その人は,日本の企業が社員に健康診断を受けるということを, 会社として実施すること,また会社が社員に「健康状態」とか 「家庭の事情」を報告することを要求する経験を,かって日本に いたときやっていて,それって個人情報なのに…と違和感を 感じたそうです。
あまりそういうことに違和感を感じてなかったのですが,なるほど と思って,そういえばとも思います。
すべての会社がそうだとは思いませんが,日本の場合企業が社員に 健康診断を受けさせるというのは,例えばお金を出して勝手に受けて来い, じゃなくて,大会社だったら会社に医療スタッフを呼んで,そうで なかったらどこかの診断施設をまとめて予約して日程を指定して, 社員に受けさせるんでしょう。その結果は本人にはもちろん返ってきますが, 普通に考えると会社が見ることもできそうです。実際に観てるかどうかは わかりませんが,少なくとも「見て無い」と言い張ることは難しいそう です。
家庭の事情を報告するというのは,これも会社によるかもしれませんが, 人事に提出する資料にそういうことを自己申告する欄があったりすると いう意味です。ここで例えば「子供が転校できないので,異動の際は 単身赴任を希望する」とか,さらに「介護してるので転勤はできません」とか 書くことが可能です。もちろん,そういう事情があっても書かないという 手はあります。
そういうのは個人情報だ…というのはごもっともですが,日本の場合, 社員がそう書いても抵抗が無いのは,多分,そう書くことによって, 何か考慮をしてくれるというのを期待しているからでしょう。実際に, 単身赴任になるとか,転勤を拒否するというのは(ペナルティが無いわけでは ありませんが)考慮してくれるケースが多い様に思います。
ちなみに自分の場合,例のガンの手術をやった後,人事資料にそのことを 書こうか悩みましたが,直接の上長と相談して,健康状態を「普通」 ぐらいにした記憶があります。実際は異動があったら耐えられなかった のですが,上長がその辺はうまくやりくりして,実際の人事記録として その辺は残ってないことになってます。もっとも会社の健康診断で ガンが見つかってるので,会社の人事ラインがそれを把握していたかは 分かりませんし,実際昇格にずいぶん苦労したのも,健康問題では 無いか?といわれていたりしてるので,やっぱりわたしの健康状態を 考慮した人っていうのは結構いたのでしょう。
つまり,ガンなので異動はしなくて済んだんだけど,昇格は遅れたとも 取れます。これを自分の健康を考慮してくれた…ととるか,余計なお世話 と取るかは多分人次第で,ですから,強制的に健康情報を 会社が把握するのはどうよ?…ってことになります。家庭の事情も同じ。
アメリカの場合は,これらの個人情報を会社が把握することは無くて, その代わり,異動を社員が拒否したらクビになっても仕方が無い…って ことになるわけです。子供の学校とか健康状態とか,そんなの会社は知らない ってことです。その代わりといってはなんですが,アメリカは転職が 当たり前の国ですから,じゃぁ別の条件にあった仕事を探すか…と いうようになるわけです。
さて,まぁわたしの感覚では,アメリカ方式をいきなり日本にもってくるのは 転職事情のことから無理があって,だから会社が社員の個人情報を考慮する というのは,かなりメリットもあると思ってます。ただ健康状態や 家庭状況の考慮は明文化したルールになりにくい(大雑把には病休とかの 規定はあります)ので,どこまで考慮されたのか,それとも上司が勝手に いろいろやってしまったのか?が分かりにくいので,トラブルの元や 会社への不信へつながる可能性はあるよなぁ…と思いました。
日本はおそらく,社員を家族の様に扱う…という文化がまだ残っているのだと 思います。ただこういう状況は就職難とか正規社員の減少ということを 考えると,だんだん薄れているようにも思います。個人情報は会社が 把握してるけど,社員を家族の様に扱ってくれない…ということに なってくるとメリットの方だけが無くなっていく…という気もして, そういう方向に進んでないよね?とか思いました。
あと,多分会社が社員の健康状態を把握するのは,労災(健康)の 回避とかもあるんでしょうけど,多分アメリカは,働きすぎで社員が 死ぬとか…あまりなんだろうなぁ,とかとも思いました。
どっちがいいですかね?

10/4(L.A.2)
L.A.二日目。基本的に今回はフリーな時間がまったく無くて, ホテルの部屋にいるとき以外は,同僚と一緒なので,旅行ネタに 困る。まぁ,タイミングよく一人でぶらぶらする時間くらい 作れるんでしょうが,昔来た街だし,それほど歩いて面白い 街でも無いので,出歩く気分でもなく。
以前どこかで,会社の同僚と海外出張すると,その人の人間性が 見えて面白い…という話を聞いたことがあるんですが,そうだなぁ とはよく思います。国内とかだと出張しても,そんなに一緒に行動 しないというのもあるかもしれないけど,とにかく仕事以外の部分と, ちょっと非日常になった場合に見える本性見たいのが面白い。たぶん わたしもそう思われてるんだろうけど,今回の同僚は,多分いろんな 部分で,わたしと趣味が違うのだなぁ,とは思います。あまり 具体的に書くと,その人の人となりを書いてしまうので書きませんが。
人となりが見えるってことは,つまり成田離婚とか多いわけだ(笑)。

10/3(長い一日)
夕方6時すぎの飛行機に10時間乗ったら,まだ昼の12時だった…ってことで, 今日は一日何時間あるんだろう。
というわけで,今日はL.A.に来てます。もちろん飛行機の中でも 寝てますが,多分明日は時差ぼけで大変だろうなぁ。
L.A.は13年前くらいに初めて海外出張(旅行も含めて)で初めて 行った外国でした。初めてで不慣れだったからか,不便に感じることも 多くて,その後行ったほかの国に比べて過ごしにくいなぁ…と思ったの ですが,今日行っても同じ印象を思ったので,やっぱりここは そういう街なんでしょう。とりあえず,今日は夕飯食べるところを 探すのにえらく苦労した。というわけで。

10/2(表現欲求とつぶやき)
「表現欲求」という言葉があるかは知りませんが,たぶん わたしはそれが強い人間だと思います。ここでいう表現欲求とは, とにかく自己表現をしたくてたまらない,すると楽しいという ことをいいます。「承認欲求」という言葉を聞いたことがありますが, どちらも多分重なる部分が多いとは思います。ただ承認欲求は最終的に 自己のアイデンティティを認めてもらいたいという欲求があって, そのためにいろんな表現をするもので,表現欲求は相手が認めて くれなくても表現をすること自体が楽しい。ただし誰も見て無いところに 表現をするのはそんなに惹かれない…という感じでしょうか。
わたしは音楽を演奏したり,絵を描いたり,ネットに文章をアップしたり, また仕事でも人前で喋ったりプレゼンをしたり…そういうのが好きな 人間です。わたしにとってはこれらはすべて表現欲求を満たすものです から,全部同じ衝動としてやっているような感覚があります。つまり わたしにとって人前でギターを弾くのも,会社でプレゼンをするのも 同じような感覚です。ただし承認欲求と違うと思うのは,受けなくても あまりめげない,ネットの文章も,誰も反応が無いけど,それでも 続けられている。もちろん誰かの反応があって誉められば, とてもうれしいけど,反応が無くても「続けることに意味がある」とか 人前で喋るという行為自体に快感を覚えているので,承認は二の次に なっているのでしょう。
わたしは表現欲求は誰にでもある欲求だとおもっていて,実際に 自分の子供とかにそれはありそうだと感じてますが,人に言われたり するところをみると,わたしの表現欲求は強いほうなのかもしれません。 音楽家や芸術家がマルチな才能を発揮するのも,それは才能があると 言うよりその人の表現欲求が強いのであらゆる手段で表現を行って いるだけ,とわたしは思っていて,それって普通…と思うのですが, そういわれないところみると,やっぱり一般の人の表現欲求は 少し弱いのかもしれません。
ただわたしは自分の表現欲求が強いことは役に立っていると思っていて, 上に書いた様な仕事上のエネルギーにもなっています。承認欲求と 違って失敗してもめげないので,そういう意味でもいいのかもしれません。
ですので,わたしは昔から…そう,大学時代から,そのエネルギーを どう使うか?というのは結構意識してきてます。よく思うのが, 表現欲求が高まっているときに,人に話したり,メイルで話したりすると 満足してそれで終わってしまう…ということ。若い頃,メイルを 山の様に書くと,なんかそれが雑談であっても,妙に満足して, 一日が終わってしまう…みたいなことがありました。ですから,その溜まった エネルギーを無駄に消費しないように,どこに出していくか…というのは とても気にしていたりします。実際いまここで日記を書くのもエネルギーの 無駄遣いなのですが,でも溜まったエネルギーを消費せずに消してしまうのも エネルギーの生産能力が下がるので,寝る前のガス抜きと,訓練と いう意味でやってます。ただ,やっぱりこういう文章を書くタイミングは 結構気にします。
さて,そういう意味でいうと,今はやりのつぶやき,これも結構表現欲求を 非生産的なところで消費してるんじゃないのか?みたいな事を思います。 まぁつぶやきに限らずブログもSNSもMLもnetnewsも全部そういうもの だったという気はしますが,ちょっとつぶやきはより一般的に 広がっているので,エネルギーが失われることによる社会的損失も 結構あるだろうなぁ…みたいな事を思います。
最近は子供や学生もネットをしますが,心配なのは折角のエネルギーを 非生産的に消費してしまって無いか?ということ。わたしはやる気や エネルギーをどこに持ってくるか?というのをわりと意識して行動を 選択してますが,多分学生や子供はまだそこまで出来ないでしょうし, いろんな方向にエネルギーを出すことが出来るということを 知らないとひとつのことだけを追い求めてしまう。携帯を手放せない 子供を観ると,そういう心配を感じてしまいます。

10/1(下期開始)
今日から10月ということで,仕事的には下期開始。 で,先日書いたとおり,ばたばたしてるので日記はこれだけ。 なんか久しぶりに10時過ぎまで働いた。


'10年09月に書いた日記, '10年08月に書いた日記, '10年07月に書いた日記, '10年06月に書いた日記, '10年05月に書いた日記, '10年04月に書いた日記, '10年03月に書いた日記, '10年02月に書いた日記, '10年01月に書いた日記

'09年12月に書いた日記, '09年11月に書いた日記, '09年10月に書いた日記, '09年09月に書いた日記, '09年08月に書いた日記, '09年07月に書いた日記, '09年06月に書いた日記, '09年05月に書いた日記, '09年04月に書いた日記, '09年03月に書いた日記, '09年02月に書いた日記, '09年01月に書いた日記

'08年12月に書いた日記, '08年11月に書いた日記, '08年10月に書いた日記, '08年09月に書いた日記, '08年08月に書いた日記, '08年07月に書いた日記, '08年06月に書いた日記, '08年05月に書いた日記, '08年04月に書いた日記, '08年03月に書いた日記, '08年02月に書いた日記, '08年01月に書いた日記

'07年12月に書いた日記, '07年11月に書いた日記, '07年10月に書いた日記, '07年09月に書いた日記, '07年08月に書いた日記, '07年07月に書いた日記, '07年06月に書いた日記, '07年05月に書いた日記, '07年04月に書いた日記, '07年03月に書いた日記, '07年02月に書いた日記, '07年01月に書いた日記

'06年12月に書いた日記, '06年11月に書いた日記, '06年10月に書いた日記, '06年09月に書いた日記, '06年08月に書いた日記, '06年07月に書いた日記, '06年06月に書いた日記, '06年05月に書いた日記, '06年04月に書いた日記, '06年03月に書いた日記, '06年02月に書いた日記, '06年01月に書いた日記

'05年12月に書いた日記, '05年11月に書いた日記, '05年10月に書いた日記, '05年09月に書いた日記, '05年08月に書いた日記, '05年07月に書いた日記, '05年06月に書いた日記, '05年05月に書いた日記, '05年04月に書いた日記, '05年03月に書いた日記, '05年02月に書いた日記, '05年01月に書いた日記

'04年12月に書いた日記, '04年11月に書いた日記, '04年10月に書いた日記, '04年09月に書いた日記, '04年08月に書いた日記, '04年07月に書いた日記, '04年06月に書いた日記, '04年05月に書いた日記, '04年04月に書いた日記, '04年03月に書いた日記, '04年02月に書いた日記, '04年01月に書いた日記

'03年12月に書いた日記, '03年11月に書いた日記, '03年10月に書いた日記, '03年09月に書いた日記, '03年08月に書いた日記, '03年07月に書いた日記, '03年06月に書いた日記, '03年05月に書いた日記, '03年04月に書いた日記, '03年03月に書いた日記, '03年02月に書いた日記, '03年01月に書いた日記

'02年12月に書いた日記, '02年11月に書いた日記, '02年10月に書いた日記, '02年09月に書いた日記, '02年08月に書いた日記, '02年07月に書いた日記, '02年06月に書いた日記, '02年05月に書いた日記, '02年04月に書いた日記, '02年03月に書いた日記, '02年02月に書いた日記, '02年01月に書いた日記

'01年12月に書いた日記, '01年11月に書いた日記, '01年10月に書いた日記, '01年09月に書いた日記, '01年08月に書いた日記, '01年07月に書いた日記, '01年06月に書いた日記, '01年05月に書いた日記, '01年04月に書いた日記, '01年03月に書いた日記, '01年02月に書いた日記, '01年01月に書いた日記

'00年12月に書いた日記, '00年11月に書いた日記, '00年10月に書いた日記, '00年09月に書いた日記, '00年08月に書いた日記, '00年07月に書いた日記, '00年06月に書いた日記, '00年05月に書いた日記, '00年04月に書いた日記, '00年03月に書いた日記, '00年02月に書いた日記, '00年01月に書いた日記

'99年12月に書いた日記, '99年11月に書いた日記, '99年10月に書いた日記, '99年09月に書いた日記, '99年08月に書いた日記, '99年07月に書いた日記, '99年06月に書いた日記, '99年05月に書いた日記, '99年04月に書いた日記, '99年03月に書いた日記, '99年02月に書いた日記, '99年01月に書いた日記

'98年12月に書いた日記, '98年11月に書いた日記, '98年10月に書いた日記, '98年09月に書いた日記, '98年08月に書いた日記, '98年07月に書いた日記, '98年06月に書いた日記, '98年05月に書いた日記, '98年04月に書いた日記, '98年03月に書いた日記, '98年02月に書いた日記, '98年01月に書いた日記

たろのページへ戻る

(C) 2010 TARO. All right reserved