だらだら書いた日記です。
日記中のURLはメンテしないので,切れてる場合もあります。
あしからず。
- 6/30(役割と好き嫌い)
- 今月は偉い人の送別会や退職祝い等が続いていて,飲み会が たくさんあってます。お別れの会なので,残る人達が送る言葉を 言ったり,お花を送ったりとかもやります。たくさんの人を呼んで やる会もあれば,幹部だけ数名集まってやるばあいもあります。 後者の場合は偉い人と,あと秘書さんとかそういう感じの 会になります。
秘書さんというと正社員ではなく派遣社員だったりするのですが, なかなか優秀な方から,そうじゃない方までいます(^^;)…。 ちょっと悪口になってしまって,申し訳ないのですが, 優秀じゃない…というのは仕事が出来ない…という 意味ではなく人付き合いが…という意味です。
まぁ派遣社員だからその業務の中でその事だけを やれば良いというのはわかるのですが,それでも人間ですから, 業務終了後に送別会に出て欲しい…というのはおかしい感覚 でしょうか?。もちろん無理強いはしてませんけど…。
まぁ出る出ないはその人の主義や用事が関係するので, 出ない事自体にそこまでネガティブな感情は持たないのですが, むしろ出たところで,例えば送る言葉を喋って欲しいとか お花を渡して欲しい…とかお願いすると,嫌がったり 出来なかったりすることの方が,大丈夫か?…とか思ったり します。もちろん女性だから頼む…というとセクハラに なるのかも知れませんが,送る言葉を(男女を問わず)全員が 一言ずついう…と言うときでも,喋らなくて 笑ってごまかそうとする様な人がいて,うーん, 学生ならともかく社会人を10年くらいやっていて, 人前で一言も言わず,それを笑ってごまかせると 思ってるところに,この人大丈夫?…とか思います。
派遣社員の話をしましたが,別に派遣社員に限らず, 正社員でも若い人はこういう傾向が多少あります。 ただ,うちの職場は全員が人前で発表する…という業務を やっているので,人前で喋るのを極端に拒否する人は そんなにいません。でもちょっと職場が違えばそういう 人はいるように思います。
能力の問題もあるのですが,一番気になるのは,そういう送別会では あくまでも主賓は送られる人であり,送る言葉を送るのも, 花を渡すのもその人に感謝の気持ちをもってやるというものです。 ですから,身を呈するのは当たり前で,自分の好き嫌いの 問題でもないとわたしは思います。そういう会では 結構偉くなった人でも主賓のために場を盛り上げようと, ギャグを言ったり,へりくだったりしてます。それは別に 嫌々とか思ってるのではなく,主賓のために誰かがやるものだと 思ってるからやってるのです。
歳をとると丸くなるのか,自分の「役割」みたいのがわかってきて, 自分の好き嫌いとは関係なく,「あぁここは自分が何かやらないとな」と いう感じでやるのですが,若いときは自分がやりたいかやりたくないか で,やることを判断してしまう傾向が強い気がします。 まぁそれもわからないでもないのですが,ただやっぱり主賓が いる会は主賓のことを考えていろいろ判断して欲しいなぁ…と 思います。
- 6/29(飲みました飲まれました)
- 会社の食堂で偉い人の送別会があり,その後 職場に帰って若い人と飲んで,熱く語って,職場に 車で来た人(飲んでない)を捕まえて家まで送らせて( 近いので),寝ました…。っていうか翌朝(これ書いてる時点), ひどく気持ち悪いので,今日の日記はこれまで…。
「熱く語る」とか「家まで送らせる」っていう行動は 普段の自分の行動原理からすると結構稀なので,やっぱり 酔うとやること変わるんだなぁ…とか思います。うー。
- 6/28(オーディオというオカルト)
- 先週末,ミュージシャンやってる友人と食事をしながら 軽くお話をしました。レコーディング現場の機材の話というか 現状とか,それに対するエンジニアの意見とかいろいろ聴けて, とても参考になります。わたしも音響屋ですが,わたしが扱ってるのは 主に通信なので帯域や品質,要求条件が全然ちがうので録音現場の人とは 問題意識がだいぶ違うとは思いますが,だからこそそういう意見に いろいろと気づかされます。
まぁいつも書いている話ですが,こういう話とか,また他の 「音好き」の人とかの話を聴いていると,「音」というのは 非常に話を擦り合わせるのが難しいな…ということです。「感覚」だから …って話もあるのですが,それ以上に音というかオーディオって いうのが「オカルト」になってしまっている部分が,結構あって, しかも始末が悪いのが,そのオカルトを信じている人に限って, 「それは科学だ」と思っている点です。まぁオカルトを信じている 人っていうのは,だいだいそんなものなんでしょうけど…。
でも,実際に現場にいる人とか実際にもの作りをしている人の 話を聴くと,しっかり当人は経験や客観性は持っているし, それ以上に頼もしいのは「音」がオカルトであることをちゃんと わかっていること。で,わかっているけど「オカルトだから」に 逃げてない事です。
音っていうのは科学だったり,工学だったり,人だったり, オカルトだったりするんですが,わりとそのどれかだと思っている人が 研究者の中にもいます。オーディオファンなんかもっとそんな 感じです。ですが,実際はどれでもあるわけで,どれでもあることを 理解して接しないと少なくとも技術を提供する者としては 失敗するように思います。そしてオカルトだからとか人だから…って ところに対しても「人それぞれなので」という風に思考停止しないで, 「その違いがどこからくるのか?」を考えないといけないのでしょう (余談ですが,わたしが言う「物語り」とはそういうことです)。
まぁ技術者じゃなくて利用する側,コンテンツを作る側がそこまで 意識する必要があるかと言われると疑問なんですが,話を した友人はしっかりその視点を持ってるよなぁ…と関心しました。 まぁ彼は元々理系だから…っていうのもあるのでしょうけど:-)…。
それにしても実際に研究とかやってるとそのいろんなもの(立場)が どろどろしていて,非常にわかりにくいです。音以外の分野も そんなものなんでしょうか?…。オーディオって歴史がそこそこあって, かっては一般の素人でも技術的に遊べる趣味だったこともあるので, どうも妙なおとぎ話があちこちに生まれているような気もするんですが。
- 6/27(所得税)
- 消費税が上がらないと思っていたら所得税増税案…ってことで…。
まぁ増税と言われて「ハイわかりました」と二つ返事で納得する人も そういないだろう…ってことで,(比較的役人に甘い)わたしも うーん…とうなりそうですが,とりあえずいい機会なので, 所得税控除のお勉強をネットでしてみたりしました。以前から, 給与明細見て「なんだろうこれ?…」って感じはあったのですよね。
とりあえずこのページとか…,他にも幾つか見ましたが, 今回の増税案でも控除額とかをいじる話が多いので,とりあえず 勉強になります。そういえば税率自身をいじるって話はあまり 無いんですかね?…。
自分の給与明細を眺めていると,所得税も結構取られているとは 思いますが,それ以上に保険年金や地方税とかが高くて, 純粋に所得税だけが数割上がるだけなら,そういたくはないのか?… とかも思いますが,所得税上がると地方税も上がるんですかね?。
所得税を上げるのは消費税が上げられないからだ…という話があって, 消費税が上がらないとなぜ所得税を上げなくていけないか?…というと 一つは法人税が上げられない…というか法人が赤字をだしていて 納税できない…ってこともあるんでしょう。法人が黒字かどうか? …というのは,売り上げから経費を除いた分が利益ってこと 何でしょうが,この経費には人件費も入っているし,いろんな 費用もはいってます。費用は実際にそれを使うときに幾ら使うかを 調整できる…っていう意味でいうと,サラリーマンが給与所得控除で 必要経費が規定されているのに対しかなり自由ですよね。 なんでサラリーマンは必要経費を自分で決められないのでしょう?。
あと基本控除や扶養控除が38万っていうのは,つまり人間は 一人生きていくのに最低38万円/年あればいい …と言ってるように見えますが,どうなんでしょう?…。 38万っていうと月3万…,一日1000円。 食費…ってことか?…。妥当なようで妥当じゃないようで…。
等と考えると結構,そういう考えなのね…てことでおもしろかったりも しますが,ただし今回の改革案で引っ掛かることも多数。 一番引っ掛かるのは「専業主婦の配偶者控除の廃止」って こと。年金制度もそうですが,専業主婦に有利だった制度が どんどん縮小されてます。これって女性も働け…って言ってる ことになるんですが,少子化対策政策と反する気がします。 もちろん共働きで子育ができる環境をつくろうとすることで 少子化対策政策をするっていう方向があるのはわかりますが, そっちが整備される前に専業主婦の権利を狭めると,ますます 晩婚化して少子化が進む気がします。あと扶養控除もいろいろ 制限を儲けて「ニート対策」とかいうのもわかりますが,子供を 持つメリットを作っていかないとやっぱり少子化が進むと 思います。
- なんか税制調査会の案は「税金をどう取るか?」という事に 着目されていて,どういう国を作っていくために,税金の取り方を 変えていくのか?…が良くわからないところが,ちょっとなぁ…と 思います。
素人ですがわたしは消費税を上げるのが一番公平な気がするので, 本当は「消費税率を上げられないので」ていう言い訳は イマイチに感じます。小泉首相の公約もそろそろ翻しても いいんじゃないの?…任期ももう少しだし,靖国も含めて…とか 思ったりもするんですけどねぇ…。
- 6/26(支える産業)
- 実はこの日記に書いているのと同じ文章を試しに外部のブログに コピぺしたりするんですが,そのせいか,「飯喰った,寝た,暑かった」 的などうでも良い話をちょっと最近書き避けている気がします。 良くないね…。日記だしね。やったことも書かないと。思った 事だけではなく…。
というわけで今日は赤煉瓦行ったら御輿やっていて驚いたりと…。 赤煉瓦って…日陰無いので夏行くとちょっと辛いです。というか みなとみらい地区って高い木が無いのでどこいってもそんな感じと いうか…。
- さて,最近考えていたことなどを…結局書いてみたりする。
先日からアニメやマンガ等のコンテンツが外貨獲得のために 財界とかから期待されているのではないか?…と書きましたが, そうであっても現場の人間からすると,そういう風には とても見えず低賃金で激忙な生活を送ってるように思います。 まぁそれはわたしの想像ですが,でもアニメ製作が楽勝な 仕事…という話はきいたこと無いので…。
日本の未来の鍵となる分野がそういう状態なのは嘆かわしいように 一見感じるのですが,よくよく考えると,実はそういうものなのかも しれません。明治の繊維産業,炭鉱,その後の自動車,家電の 発達の時期というのは経営者はともかく実際に作業していた人達が 濡れ手に泡の生活をしていたとはとても考えられません。 雇用はたくさんあったにしてもかなり悪い環境で頑張って いたのではないでしょうか?。しかしこれらの産業もある程度 発達してくると,労働者の給与水準等が上がってくるわけですが, そうなったときには実は競争力が下がっているのかも知れません。
つまり,産業的に発達をしている最中のその分野の労働者というのは そもそも過酷な労働を強いられる…というものなのかも。
アニメやマンガの話ばかり書いてるので,ちょっと別の話を。 戦後の日本がたかだか20年くらいで新幹線を作ったり,海外に負けない 乗用車を作ったりカラーテレビやその他の家電製品を作ったと いう速度を見ると,その後…特に1980年代くらいからは いったい日本はどういう分野で発達しているのだろうか?…と いう疑問が結構前からあり,危機感がありました。日本を 世界の経済大国にのしあげた分野は上に書いた通りすでに, 競争力が落ちているのではないか?という予想があるわけですから, それに変わる何かがないと,今後は転落しかないわけです。
で,一つは上記のようなアニメ・マンガといったサブカルチャコンテンツ… っていうのも思い浮かんだのですが,後はやっぱり携帯電話なんだなぁ…と ここ最近思ってます。個人がポケットにいれて持ち運べる携帯電話が 出たのは今から約15年ほど前ですが,その時ですら前モデルから 3分の1以下の重さになるという物凄い小型化でした。そしてその時は 通話機能と電話帳くらいしか無かったのが,今の携帯電話を 見ればいかにここ10年ちょっとで技術革新が進んだかは良くわかります。
携帯電話のコンセプトは1970年の万博でデモされていたと言われてますが, あのときのデモは単なるコードレスホンで,その後出来た携帯電話 とは技術的なポイントは全然違います。携帯電話というと 端末に注目が行きそうですが,実はネットワーク側が重要な ポイントで,全国どこでも同じ番号,そして通話中に移動しても 切れない…という交換網を作ったところが重要なのです。携帯電話登場から 最初はその辺が技術ポイントだし,その後は端末の多機能化と インターネット機能あたりで大きく発達してるでしょう。
現在の端末の多機能ぶりを見てるとこの機能の集積化技術は おそらく他の分野でも役に立ってるのだろうなぁ…と思います。 まぁ携帯電話,そしてインターネット周りの状況を省みると 明らかに10年前と現在は異なっていて,それを考えるとここ10数年は 技術的シンポは余りなかった…とは言わなくて良いのかなぁ…とも 思います。
でもやっぱりこの分野の労働者は雇用はたくさんあるけど,かなり 過酷…っていう意味では,やっぱりそうなんですよね。過労死なんか ゴロゴロ出てきそうな分野ですし…。
- 6/25(記憶・汗)
- 朝起きて昨夜の記憶がないことに気づく。ですが一生懸命 思い出すと部分的には思い出せます(昨日日記に書いたし)。 酒を飲んだら思い出せないのではなく,書き込みができてないと いう説があるが,全部というわけでもないようで幾つかは 思い出せます。昨夜は途中まで会社の人と一緒に 電車で帰ったけど,途中でトイレに行きたくなって下りて, その後は一人で帰ったんですよね…たぶん(笑)。たしか タクシー乗ったんだろうなぁ…。財布の中を見ると660円減ってるし。
ちょっと意外に思ったのが,朝起きて昨夜の記憶がなくなっていても, ほとんど気にしない自分になってしまっている。以前は もうちょっと悩んだり思いだそうとしたりしてた気がするのですが。 いいのかねぇ…。こういう風にだんだん惚けてるのも当たり前…って 感じになるんでしょうけか?…。 さて,今日は不動産屋に行って契約書に調印。
その前後荻窪駅周辺を散策。今日は暑くかなり汗をかく。 でも夏になったときに汗をかけるように体を切り替えないと あとできついので,こういう汗をだらだらかける日があるのは いいことです。これですこしは夏に体がなれたかな?。
あさTVをみていてそういえば今年のつゆはほとんど 雨が降ってないと気づきました。例年だとつゆは後半の方が 雨が降るんですが,なんかもう夏みたいだし…。例のごとく 異常気象…という風にTVは扇ってますが,例年通りが なくなったとも言えます。
というわけで,午後からずっとでてました。夕方からは 渋谷でe.s.t.のライブ。これはすばらしかったです。
- 6/24(上司の注文)
- 本日人事発令。2年3ヶ月前から続いていた,わたしの立場は 終了…のはずなんですが,後任がすぐに来れないとのことで, もうちょっと続けてくれと言われる。なのに今日はわたしの 慰労会でした。
慰労会ではこれからのことをいろいろと言われる。「人が あっと驚くことやってくれ」とか。一般論にしますが, だいたい上司というのは部下にムチャな注文をします。 そのムチャな注文をどう自分のためになることに変換するか? が重要なのだと思う。自分にプレッシャーを与えるために 利用するというのもあるし,自分がやりたいことをやって, それを「あなたが言ったことをやってるのです」と 正当化するのも手。なのでムチャな注文を言われたときには 否定しない。否定しないほうが結果的にいいように思います。 上司も味方になってくれるし。
…というわけで,今までの仕事をしながら新しいことを 考えないとねぇ…という気分。まぁこのプレッシャーを 楽しみますよ。
少なくとも(わたしの性格的なものもあるんですけど)上司と フランクに話せるので,その辺の路線はいつでも微調整可能だし。
- 6/23(「萌え」は本当に叩かれているのか?)
- 通常の人々(定義曖昧)が理解できない…,正確には理解したくない 犯罪…,例えば猟奇的犯罪等が起きたとき,自分達の中に それを理解できるココロがあることを認めたくないために, 自分達とは違う何か(集団,嗜好対象等)を取り上げ,あたかも それが原因であるかのようにすることはよくあります。いうまでもなく スケープゴートというやつ。
特に「ゲーム」や「アニメ」また最近だと「萌え」とか…,そういうものは 一見そういう趣味がない人からすると理解しがたい趣味であることから 叩きやすい対象のように見えます。またそういう趣味を持っている 人々も,どうもこの手の趣味が,胸を張って自慢できるものでは 無いため(まぁ例外もありますけど),そういうスケープゴートに されることにちょっと過敏になってるフシがあります(ネタにしてる だけって話もありますが^^;)。
こうかくとスケープゴートになりやすいのは,「集団層が明確に わかれているもの」そして「その集団が胸を張って,人に言えないこと」の 二点を持つものが対象になりやすいと思います。そういう意味では 外国人の不法滞在者とか,ホームレスとか,深夜に溜まっている 若者…などもまぁそういう対象にはしやすいでしょう。
さて,話を「萌え」(ゲーム,アニメ等もとりあえずいれときます)に 戻すと,萌えの趣味の集団はスケープゴートにしやすいのだと 思います。ですが,どうもわたしは最近,萌えをスケープゴートに することに対して,社会全体でブレーキがかかってきてるように 感じてます。気のせいでしょうか?。「そんなことはない,大谷昭宏とか いるじゃないか」という話もあるかもしれません。また最近の TVでの報道バラエティとかを見てると解説者や司会者が不用意に 「ゲームをやってるから」という発言をしたりもします。 しかし見てると,だいたいそれで終わっているようにも感じるのです。
わたしは,これだけ言われると,もう少し社会の大きな潮流…,つまり 「萌え潰し」が起きるのではないかと,ある種ハラハラしていたりも したのですが,まぁもちろん不当な事だとはわかっていても,そういう 風になってないの意外にも感じています。
以下わたしの妄想ですが,実はどこかが萌え潰しに発展することに ストップをかけているのではないでしょうか?。いま,日本の アニメやゲーム,コミック,音楽等のコンテンツは外貨獲得のために 大き(すぎる)な期待を持たれてます。家電や車が利鞘のいい産業じゃ 無くなっている今において,財界や金融界にとって,これらは 期待なのだと思います。実際銀行がアニメ製作に投資したり してる現実もあります。
過去に家電や自動車が日本の外貨獲得の優等生だったときにも, おそらく似たような危険性はあったのだと思います。「TVみると 頭が悪くなる」とか「車が空気を汚す」とか渋滞,エネルギー問題…など。 しかしそれらの問題は産業の発展に水を指す…ということで, あまり大きく広がらないようにしていたような気がします。 ですから,コンテンツ産業についても,同様のことがあるのでは ないでしょうか?。少なくとも財界の重鎮や政府の閣僚が萌えを 取り上げて問題視してないということからもそう感じます。
しかし,よくよく考えてみると,自動車や家電,さらに明治時代は 繊維か…それらが外貨獲得の優等生だった時代,実際にそれらを 作っていた人達は低賃金で苦労していた様です。そういう 意味でも今のアニメやゲームの製作の世界はやっぱり低賃金で 苦労してるわけで…,そういう部分まで重なって,なかなか 泣けます。
- 6/22(お金とオークション)
- 録画していたプロジェクトXを見て,最近のIHはアルミ鍋も 使えるのか…,と知りショックorz。磁石がくっつかないものは 駄目なのかとばかり思ってました。まぁ確かに渦電流とかは アルミでも起たと思いますが…。つーことは導体だったら なんでもいいのか?…。
で,「アルミ鍋が使えない」という苦言を言う主婦に,「そんな ○○の原因になる鍋使わない方がいいんじゃ?」とか頭で つぶやいたのは秘密です。ちなみに○○の原因になるというのは 科学的根拠ありません。妄想ですので,信じないでください (これくらい書いてないとアルミ業界の人に訴えられそう^^;)。
さて,話を変えて,昨日の話の続きをちょっとだけ…。しつこくて すみません。
昨日の話を書く前に,またオークションの話を書こうと思っていたら, 昨日のネタがあったので,昨日は社会的希望の話になったのでした。
あまり物事を単純化して,一つのことに原因を集約させるのは 良くないとは思いますが,やっぱり「お金」が人の中の物差しとして, 他を圧倒するような存在に,少なくと日本ではなっていることに 危機感を感じます。 お金というのが何なのか?…って話は5年程前に書きましたが, 簡単に言うと,すべてのものの価値を一つの物差しで測り, そして交換可能にした…ということがその恐ろしさの元凶でしょう。 すべてのものと交換可能なので,お金さえ持っていれば一人でも どんな状況になって生きていける,困らない…という「幻想」が 生まれるのです。実際はお金の価値は単に国が保証してるだけ なんですけど…。
昨日書いた話は,結局社会不安を払拭するためにお金への 固執が使われていて,それ以外(他人とか社会とかとの関係性)より 重要視されてきているという問題。そして元々書こうかと 思っていたのは,ネットオークションというのが「価格決定のプロセスを 衆人の前に公開し,かつ誰でも何とでも交換可能」としたことの 問題です。
情報を一般の目にとまるようにし,かつ誰でもそのプロセスに 参加できるというネットオークションは「情報の公開こそが 善である」という幾分行き過ぎの信仰が広まる現代ではなにも 悪いことではないように思われます。確かに以前はものの価格が 業界の中で閉じて決定されていて,流通の手段も業界が 独占していた時代でした。しかし,確かに一般の人に見えないところで 価格決定がされていたかも知れませんが,そこには業界の慣習や 市場を護るためにコントロールされていた部分があったのも 確かです。ネットオークションの広まりは業界はともかく市場を 無視し短期的に投機的に儲かればいいという人が,そこでの やり取りに入ってくるわけで,「それが経済だ,資本主義だ」と 言われれば反論はできませんが,すべての業界,すべての市場が そういう草狩り場になってしまうわけです。
わたしは4年前くらいまで一時期ネットオークションを利用してましたが, その頃わたしがネットオークションをいいと思った点は, 「リサイクル」と「直接必要な人同士での物々交換」的なところでした。 ところが,今のオークションは「必要な人により高額で売り捌く」 という場になってしまっている気がします。もちろん,売り捌く側の リスクもありますし,リスクを背負うからこそ商売になるって いうのもわかりますけど…。
個人的な好みではわたしが見いだしていたような利用が主となるような なんらかの制限があった方がいいと思います。少なくとも現状は いろんな犯罪やトラブルの元になっているという事実も あるのだし…。
- あと,もう一つ…やっぱり,「お金」以外の価値観を重要視するような なにかが必要な気がします。こっちはオークションじゃなくて 社会への望み…ってことで…。
- 6/21(価値観の単純化)
- 「希望格差社会」の山田昌弘教授の講演と その感想について。興味深いのでメモ。
わたしはこれまで何度も書いていますし,ここでも近い指摘をしていると 思いますが,ニートや引き籠もり,さらに小子化の問題の 原因のひとつして,階級が無く,更に価値観が単純化してることが あるのではないかと。「価値観が単純化?,多様化の間違いでは?」と 思うかも知れませんが,わたしは現在の価値観の多様化というのは 表層的な部分が多様化してるだけで,根本的なところはむしろ 単純化というより狭まってる気がします。ぶっちゃけていうと 「金銭」で物事をすべて測るようになっていると。 つまり金銭的成功としての様々な成功例があるわけで…。
このことは,地域や組織と「個」のつながりが弱くなり 人間一人一人が孤立が強い世の中になり,そうなるとすべての個に 共通の価値である金銭に頼ざるをえない世の中になっている ということではないでしょうか?。昔の村社会ではある個人が 経済的に破綻しても周りの人が面倒を見るというセーフティネットが あったり,戦後の日本でも使えないやつでも会社がそれなりに 食わせてくれる…という不文律があったりした気がします。 ですから,金銭的成功だけではなく,そういう人間関係を うまく作っていくことで,乗り越えていた人達がたくさん いたわけです。そういえば,今の都会では近所に余ったものを 配る…という風習なんてほとんど見られません。
私自身がいい歳をして独り暮らしなので思うのですが, 一人で将来不安無く暮していく…っていう見方で考えると 相当な貯蓄や収入がないと不安です。しかし実際にそれだけの 収入や貯蓄を多くの人が得ることなんて不可能でしょう。 「希望を持てない」というのもあるのですが,「不安を 払拭する手段がない」と言う方が大きいようにも思います。
階級社会が無い日本の弊害については今回は書きません。 弊害は弊害だと思うけど,階級社会の方がいいというつもりは 全然ないので,誤解無き様。
それから,以前のような地域や組織と「個」が密着した 社会が良いと単純にいってるつもりもありません…というか そこに戻る手段が具体的に良く見当たらないので…。 まぁ今の日本で一番組織と個が密着してるのって宗教団体かも しれませんが:-p。
いずれにせよ,ちょっと気になるのがニートにしても引き籠もりに してもココロの分析の話として語られることが多いこと。 もちろんココロの問題なのですが,そういう状況に至ったのは 社会システムの変化でしょう。中で言われているように「しくみ」を 作ることが重要でしょうし,それだけではなくもっと社会システムを 見直す必要があるように思います。ココロの問題にしてしまうと まるで「そう思っている人のせい」っていう風なニュアンスに なって個人にその責任が帰着するような気がして気持ち悪いのです。
わたしはニートでも引き籠もりでもないのですが,やっぱりお金で 不安を払拭するような社会はどうも居心地が悪い。 なのでそうではない社会がどうやったら出来るか?…ということには 関心があります。
- 6/20(リセット)
- 来月から職場が変わるはずが,ストップ。
というわけで,わからなくなりました。住まい決めてきたのに…。 というわけで,激しく動揺してるので,今日はここまで。 だけで,新居の敷金礼金は払ったので,多分住まいは 7月から借りると思う。別荘が都内に出来たということで…。
- 6/19(酒気帯び)
- 今日はちょっとだけドライブ…。ところでETCの余った チャージ分って換金できるんでしょうか?。
さて,週末のニュースで国会会期延長採決の場で, 酒を飲んでいたとのことでちょっとした騒ぎ。 まぁもともと衆議院では酒気帯びで議場に入らない…という 取り決めがあるらしいので,この抗議自体は正当で あることは間違いないでしょう…。ただ一方で 個人的感情では「なんで酒飲んで国会に出たらダメなの?」と いうのがないでもありません。
とか書くと普通の人は意外に思うかも知れません。日本では お酒を飲むと「正常ではない」とか「非公式の場」とか いう印象が強くなっているのでしょう…。特に今回の 野党の反論では「酒気帯び」という表現をしていて,これが 道交法の「酒気帯び」を連想させます。ただ良く考えてみると 道交法で酒気帯びが禁止されているのは酒気帯びで運転をすると 事故を起こす確率が確実に高くなるからでしょう。 これと同じことが国会の場でも言えるのでしょうか?。
正直良くわかりません。酩酊していたら,「正常な判断」が 出来ないのかも知れませんが,酒気帯び程度だと忌憚ない 議論ができるかも知れません。まぁ線引きが難しいのと, 議論が白熱してまとまらない…可能性もありますが…。
ついでに書くと三々九度で結婚という契約をする日本の風習は ふざけたものなのか?…。あとなんだかんだいって,懇親会と 称して,いろんな重要なことが決まっていくという社会風習は おかしなものなのでしょうか?。
まぁ結局のところ国会と自動車免許をいっしょくたんに してしまうような発現に観ていてこっちは苦笑していたのですが, TVのコメンテータ達も苦笑気味。
ただ一つだけ気になってしょうがなかったのが,その酒気帯びを 追求する発現をしていた社民党の女性議員…。社民党だから 女性議員なのかもしれませんが,どうも滑稽に見えてしまいます。 社民党がそれだけの政党と言われると反論できませんが:-p, どうもあれじゃ女性議員が本論と関係ない枝葉の部分だけしか 言えない馬鹿な存在…としか目に映りません。 自分から望んでやってるのであれば仕方ないのですが,なんか 女性議員って軽くみられてる…というかみられることしかしないよなぁ… と思いました。
まぁ国会全体からして深い議論なんってしてませんけどね:-p…。
- 6/18(不動産屋)
- 来月から職場が変わるらしい…ということを上司から聞いたので, 住まいを探しに荻窪へ。ちなみに職場が変わることに対する 決裁は来週のはずなので,まだ引っくり返る可能性がないとも 言えないのですが(^^;)…。
荻窪には2年前まで住んでいて,その更に2年前に家探しを したのでその時と同じ不動産屋に行く…。4年前ネットで しらべてフラりと入った不動産屋でしたが,こっちがだらだらと しているのにしっかり付き合ってくれていい印象でした。 今回もいろいろな物件を見ながら「うーん」と悩むわたしに 3時間付き合ってくれましたが,結構人件費かかりますね(^^;)。 お付きあいありがとうございます。
いろいろ悩んだ挙げ句結局広さと駅への近さ優先になって 決まった気がします。思った以上に広い部屋を借りましたが, 木造で築が結構経っているので,あまり綺麗じゃないのが ちょっと気になるといえば気になる…。住んでいると 気にならないかなぁ…。そんな気もしないでもないけど…。
決裁がそんな感じなので実はちょっと迷って,来週の週末に 契約したい…と言ったら大家さんから「遅い」と言われてしまい, 入金だけ早くすることに…。まぁちょっと引っ掛かっては いるのですが,向こうの気持ちもわからないでもないです…。 でも大家さんさしあたっての現金に困ってるんですかね?(^^;)…。
実はもう一軒見た方もそれなりに良かったし,こっちは 鉄筋コンクリートでしっかりしたつくりだったのですが, 決めた方の住まいがあまりに広くて逆に鉄筋の方が 狭く感じてしまいました。部屋の大きさの感覚って 時間が経つとわからなくなるなぁ…と…。
というわけで,来月から荻窪住まいになります,たぶん。
- 6/17(外国人に対する厳しさ)
- 職場に海外から実習生が数名やってきました。会社とお金を やり取りするために銀行に口座を開設するのがいい(必須では ないけど便利)…ってことになったのですが,会社にATMがある 銀行へ行くと「キャッシュカードはつくれない」とのこと。
よくよく聞くと,半年以上日本にいないとキャッシュカード付の 口座はつくれない。ちなみに同銀行の他の支点に行くと「同市に 住んでいる外国人じゃないと口座はつくれない」とも(実習生は 寮が隣の市)。
職場にはATMはあるけど,窓口はないのでキャッシュカードが ないとすごく不便。いちいち銀行までいかないとお金がおろせません。 以前はそんなこと(半年以上いないとダメ)はなかったので, 最近の外国人犯罪の問題で厳しくなったのかと思う…。
ですが…,結局この問題,実はOKになりました。うちの職場が その人の身分を保証するという形で…。
ちょっと驚いたのが銀行によって,この辺の対応が変わるのは わかるんですが,同じ銀行でも支店によってどうやらその辺の 基準が揃ってない様子。そういうものなんですか…。まぁたしかに 職場の身分保証とかは職場と取引があるかとかで変わってくるとは 思いますが…。公的機関(つまり郵便局)だとこういうこと ないでしょうねぇ…。
それはいいとして思ったのが,なかなか日本で日本人やってると 気づかないのですが日本って外国人に結構厳しい国なんですよね。 入国ビザがなかなか下りないという話も良く聞きます。 一般人レベルで外国人に抵抗があって…っていうのは,まぁ そうあるかもしれませんが,こういう銀行とかの部分で 不便があったりするのだろうし,あと警官から職務質問を 受けたりとかあるんだろうな…と思います。
わたしが以前オランダに行ったときに警官と偽られて 詐欺というかスリを受けたことがあるんですが,こういうのも もしかしたら日本に旅行に来ている外国人の人も同じ様な 目にあってるのかなぁ…と思ったんですが,そういうの あるんでしょうね。
わたしの中には日本にいる外国人にはすばらしい人もたくさんいて, また日本を良く思って欲しいという感情もあるし,一方で 犯罪とかを行う危険な存在もいる…という感情もあり なかなか複雑です。良くTVとかで日本にいる外国人が 感情的に訴えている映像を見て,すごいなぁ…と思うんでしょうが, 非常にきつい仕打を受けている人達もいるんだろうなぁ…と 思います。
- 6/16(理不尽な感情)
- 夏目房之介さんのブログでの話…。 前半はマンガのリアリティの話で,途中から引用とかの話に なってますが,そこの話はおいておいて,最後の方。 「人は必ず『自分がもっとも愛して出会った瞬間のマンガ (音楽でも文学でもいい)』を自分の中で重要な価値指標にしますから…」 のところです。その後「次第に『何だか面白くない』と感じる瞬間がきます」 と続きますが,氏はこういうのを「理不尽な感情」といい,批評家として それを乗り越えるのに苦労したような事が書いてます。
夏目氏はプロの批評家なので,それを明確に自覚し乗りきったことことは 必要に駆られてのことだと思いますが,こういう思いを 乗り越えられることは,批評家にあらず,一個人としてもメリットが かなりある…,いやメリットというよりはその人自身が世界を ネガティブに感じるか面白く感じるか…という事の大きな 要素になるように思います。
わたし自身も単なる一音楽リスナーですが,今の音楽がつまらないと いう感情を払拭するために,それなりに自覚的になった時期は ありますし,音楽だけではなく,社会自体,自分の環境自体, そういうものも含めてそれを乗り越えることを意識した時期が あります。特別な時代というのは自分の中に存在するもので, 自分の外に存在するわけではないので,社会自体が悪くなることは 無いし,逆に自分がそうあれば,いつでも社会はとてもすばらしい ものであるとわたしは思います。
夏目氏のこれに関する文は上記のページではそんなに量はありませんが, 「ある種の『批判的』言語のもつワナ」とか,「言葉が優秀だと かなり頭よく見えちゃう」とか鋭い指摘をしっかりしてます。 つまり「批判めいた事を述べることが評論」と思ってるような, 個人の評論を見掛けることもありますが,それらはもしかすると その理不尽な感情から個人のルサンチマンとして述べられているのかも しれません。ですのでわたし自身は他の人が書いた批評はどうでも いいのですが,自分自身がネガティブな印象を持ったときに それがいったいどこから出てくる感情なのか?…ということに 関してはかなり自覚的に自問自答するようにしてます。 そうして自分の感情を客観視し相対化すると,実は結構 楽にいきられる…と実感してます。
つまりは楽にいきられるかどうか…というのは,こういう物事に 対する評論のなかにその姿勢が反映するわけで,ある意味 批評というのは批評される作品というより批評する人の 姿勢やココロの状態が赤裸々にみえるものだと言える気がします。
というわけで,批評というのは実はかなりこっぱずかしい行為だったり します(^^;)。
- 6/15(オークション)
- ひさしぶりにY!オークションを見てみる。 キース本が出品されてます。以前わたしに, 「譲ってください」ってメイル頂いた方‥見てますか?,チャンスですよ。 だいぶ前なので,どなただったか忘れましたが…。
ちなみにこのLPには非常に牽かれます…。激レアだと 思うのですが,だれも入札してない…。意外,キースマニアって そんなにいないのですか?(^^;)…。
入札してもいいんですが,もうしばらくオークションやってないので, なんとなく面倒…。それに近々引っ越すかも知れないしなぁ…って ことで,うーん…と悩む…。
しかし久しぶりにオークション見たなぁ…。なんか2年くらい前には 結構話題になっていたというか,周りにもはまっている人とか それなりにいて,自分も引っ越しの家財をオークションでかったりとか していたのですが,なんかプロのだふ屋がいたりとか, 詐欺…というかだまされた…とかいう話とかを聞くようになって あまり近寄らない様になっていたのですが…。
でも,このせいで普通に買いにくくなっているものがあるのは たしかでチケットもそうですが,マニア向けの本とかCDとかも 買い占めて売ってる人いるみたいですね…。はぁ…。再販するつもり なくて,本とかをつくってる人達がいるっていうのも,なんか すごい世の中ですけど…。
- 6/14(はてな)
- なんか会社で一日あたふたやっていた気がするけど,けっきょく 何やったのか良くわからない…。まぁ仕事ってそういうものだと いえばそうなんですけどねぇ…。
ところで,わたしは「はてな」にIDをもっていたりするので, はてなの人力検索もみていたりします。なかなかおもしろいシステムだと 思うのですがこの質問へのやりとりを読んでいて,はてなの システムの限界を感じてしまいました。
というか,別にこの質問でなくてもいいんですが,要はここで 質問されている内容というのは,ずばりわたしの専門分野であり, そのわたしからみてまったく適当な回答を導き出せてないというか 質問者が有効な回答を得てない様に見えます。
はてなのシステムは有効な回答をしてくれた人にお金に当たる ポイントを差し上げるというかたちなので,質問を出すと我先に いろんな人が答えます。一応答えるときにはURLを示すという ルールになってるので(ダミーをいれる人もいますが),URLを 示して,それにコメントを加えるという形でだいたいの人が 回答をします。で,みんなが我先に答えちゃって,質問者は 彼らに何らかのポイントを与えないといけないので,だいたい早々に 締めきってしまう。まぁ今回のわたしに対していえば,わたしが この質問に気づいたときには既に回答は締めきっていたのです。 それはいいんですが,回答を見たら「あぁーぁ」って感じだったので。
見事に良くわかって無い人がネットで検索して,それらしい URLを挙げて,斜め読みした内容を挙げてるだけ…という感じです。 自分で噛み砕いて説明していません。それでこれもよくあるんですが, 回答者が質問者が聞きたいことを理解せずに単に自分が知ってる 知識を書いてるだけ…っていうのもあります。だから質問者は 結果として混乱して終わってます。
あとかならずURLを挙げるって言うのもどうなんですかねぇ…。 URLがあれば信用できる…って話でもないかと思いますが…。 わたしがここに適当に書いて,そこにリンクを張るとかも できるわけで…。
つまりポイント制にすることで迅速に回答が集まるのですが, 決して有効な回答が集まるわけではなく,むしろ有効な回答を 得るのを邪魔してるなぁ…と感じたのです。はてなにかんしては ここでアンケートをとってる人も良くいますが,こちらも早々に 埋まってしまいます。「もしかしてここのアンケート結果を 調査結果として納品してるシンクタンクとかないよな?」とか 思うこともあるんですが:-p,ここのアンケートで得られる回答も その時たまたまネットをみていた人か,常時ネットをチェックしている 人達ってことで,かなり片寄った母集団だなぁ…と思うのです。
まぁ,今日の日記はこれだけです(^^;)…。そういえば「わたしも 回答が気になる」っていう質問には誰も答えないこともあるん ですよね…。なかなかネットで情報を得るのは難しいようです。
- 6/13(国家の適正サイズ)
- 先日書いた天下統一の件は,要は 世界は統一された方が安定するのだろうか?…という疑問だったのですが, 極東ブログさんのところに国家の適正サイズという 話があり,あぁーなるほど…と。
まぁ適正といっても何に対して適正なのか?…っていう話があって, 別に世界の安定…という話でも無いのかも知れませんが,単純な 統一主義とか多様主義…という話でもなく,国のサイズ…というので 安定不安定,もしくは対外的な力…という意味でなにか 意味があるのかも知れない…というのはわたしも思いました。
ただコメントの中にも結構鋭い指摘があって,インドが10億人を 抱えていてそれなりに安定しているが,カースト制があるという 話とか,中国は力で人民を圧させているという話。この辺の話は, 以前読んだ「階級社会」 という本にも書かれているように,例えば西洋は国内の 下層階級の人の生活がある程度向上していくと,その貧民層の部分を 海外に求めた…ということからわかるように,もしかしたら, 国家の安定のために貧富の差というのは必須なのかもしれません。 こういうことを書くとどうも絶望的な気分になってしまうのですが, 300年鎖国して安定した日本の江戸時代も貧富があってこその ものだったのかもしれません。
国家の適正サイズ…というのは産業面,軍事面,という意味では あるように思います。しかしそれゆえに時代によって変わる部分も 多い気がします。ただ経済面という意味で考えると,国家内の 経済格差を減らしていくとやっぱりそのしわ寄せを海外に 求めるようになるんじゃないかなぁ…という気も…。
うーん,話がそれてる…。適正サイズって話に戻すと, では,すべての国が適正サイズに落ち着いたら安定するのか?…というと そういう事でも無い気がします。もちろんそういうことは だれも言っておらず,サイズの大小によって在り方が 違うって話ですよね。世界がある程度同じサイズの 共栄圏だけになったとき…,まぁそうなるにはかなりの 奇跡が必要な気がしますが,そうなったときにその共栄圏どうしが どういう風にかかわり合うのか?…というのもイマイチ見えず, はてさて…どういうものか?…という気はします。冷戦もある種 二大共栄圏の時代だったわけだし。
- 6/12(オタク拡大が投資の鍵か)
- オタクがキャリア女性と恋に落ちたとか, その他にもモデルか女子アナがオタクと結ばれたとかいう話があったり (ソースが見つからないので勘違いかも), 電車男の様な話があったり…。まるで「オタクでも女性にもてますよ」 という様なメッセージを飛ばす報道が最近時々みられます。
こういう報道をオタクの人達がどういう風にとらえているか よくわかりませんが,「一体何を扇っているのだろう?」って 思っている人もいるのではないでしょうか?。
こういう「オタクでももてる」という報道が一体誰に得をもたらすのかを 考えたとき,思うのは,これらの報道はもともとオタクだった人を 安心させる…というよりは,むしろ「隠れオタク」だった人を オタクにするのに役に立ち,その結果オタクの人口を増やし, オタクマーケットの消費拡大を狙っているのではないでしょうか?, とか思います。
そもそも真性のオタクは(失礼),女性のもてることを放棄して コンテンツ等の趣味の世界に生きている人が多いのですが (すみません,かなり言い過ぎです),一方 世の中には女性にもてるため,社会に認められるために 自分のスタイルを選んでいる人達がそれなりにいます。 もてるためにファッションを勉強したり車を選んだり 美味しいレストランを調べたり…という人もいるし,楽しい 遊びを開拓したりする人もいるでしょう。社会から認められるために いろいろ教養を身につけようとする人もいるでしょう。 そういう人達は仮に自分の中にオタク的な要素があっても, それをどこかで卒業していっています。
しかし良く考えてみると,現在の日本人はおそらくほとんどの人が 幼少の頃アニメを観てマンガをみてモデルで遊んで…というのを 通過しています。従って現在アニメとかマンガとかに全く 興味が無い人も,もともとはその素養をもっていたと思われます。 しかしそういう人達が大人になる過程で,上記のように オタクコンテンツへの趣味を卒業している人達が たくさんいるのでしょう。
しかし最近のオタクでもステキな恋ができる…という報道は, 「オタクをやっていたら女性にもてない」という理由で オタクであることを隠している人達にオタク宣言をさせる 働きがあります。もしかしたらこれが狙いでしょうか?。
単純に考えるとオタクが消費するものはほとんど国産のものです。 一方オタク以外の青年が消費するものは服だったり車だったり しますが,国産もありますが海外のものが本物だったり, 海外に安いものがあったりします。そういう風に考えると, 国内にオタクの若者が増えると内需が増えるわけです。
「萌え市場」に大手銀行も投資しているような現状を考えると, オタクが増えることは好ましいわけです。そういう意味でいうと 冒頭のような「オタクでももてる」という報道は,決して現在の オタクに希望をもたせる目的というよりは,隠れオタクを オタク行動に向かわせることにより,投資家に一山当てさせる…って いう目的ではないのだろうか?…とかいう気がしてきました。 実際どうなんでしょう?。。
- 6/11(役人は下僕か?)
- 今日は良く寝ました。朝はいつも通り5時くらいに起きたのですが, なんかお昼前にうとうとしてしまい,体調がおかしく…。
そういえば,寝るときというかうとうとする時って体温が変わりますよね。 体温が変わると「体が寝ようとしてる」っていう気がします。
で話を戻すと,昼からプールに行って,更に昼食を食べて 帰ってきたのですが,かなり眠気が来たので3時くらいから ベッドで横になって寝ました。例によってなんかおもしろい 夢観た気がしますが…。二時間近く寝た後,街へ出て酒を飲んで 帰ってきましたが,昼寝したので眠れないか…と思いきや 酒が回ってあっさり10時前に落ちました。というわけで,今日一日は かなり寝てたのではないでしょうか?。
眠いというのは体がなにか寝ることを要求していることだと 思うので,寝たことによって,それが解消されたことを望みます。 今週疲れてたのかなぁ…。
…という一日でしたが,ちょっとだけTVとかみていて思ったことを…。
最近TVとかラジオとかを聞いていて時々聞くフレーズで, 役人とかがなにか問題を起こしたときに「役人は国民に奉仕すべき」とか 「税金払ってるんだから」って言葉…。ちょっと使われ過ぎな 気がします。まぁ間違いではないのですが…。
先日「大臣(ミニスター)にはもともと下僕という意味がある」なんて 言ってる人がいましたが,おもわず「そりゃ国民じゃなくて, 国王の下僕って意味じゃないの?」って思ってしまいました。 まぁ現在が国民に主権があるから「国民=国王」と言いたいのかも しれませんが。…
なんか非常に浅ましく感じるのは「自分は税金払ってるんだから 役人よりえらい」と言いたいような言い方…。税金払ったら そんなに偉いのか?…と思ってしまう。なんか安い料理を注文して 「オレは客だ,奉仕しろ」と切れる連中と重なって見えます。 日本人の民度がそういうことになってるのか?…。
税金払うのも役目だし,役人の仕事も役目ですよね。どっちも 法律にかかれてます。その役目を果たしてないから怒るっていうのは わかるんですが,何か「自分を客扱いしろ」っていうのは 違うように思います。そんなにいうんだったら,自分が払ってる 税金が幾らで,それは何人分の給料で,さらに経費にどれくらい 使えるかとか計算してみて欲しい。でも違いますよね。行政と いうのは,そういう風に税金を払った分だけ…という思想じゃなくて, 幾ら払おうが等しくサービスを受けられるものです。ですから, 税金払ったから…じゃなくて国民の義務を果たしているから なのでしょ?…。なので勤労していない学生だった行政サービスを 受けられるわけです。
というわけで,まぁ怒るのはいいけど,役人を下僕という 言い方するのはかっこ悪いと思います。
- 6/10(電車男)
- 「電車男」は実はフィクションとのうわさが 流れているようです。この手のうわさは何度か 聞いてますが,正直「どうでもいい」と思ってます。 ただ一つだけ気になっていたのが,著作権の扱いで, よくよく調べると2chにしか許諾をもらってないと新潮社は いっているとのこと。
良く考えるとこの最初のフィクションという話と新潮社の 主張は矛盾があって,もしフィクションであるのであれば, 最初に2chに書いた連中は新潮社関係者ということになります。 そうであれば,今度は新潮社が嘘をついていることにも なります。
仮にフィクションを作ったのが新潮社じゃなくて, 他の連中だった場合,彼らは新潮社に出版差し止めや 著作料の請求が出来るのでしょうか?。それをやるには 自分達が著作者であることを証明する必要があり, それは可能でしょうけど,ただそうすると出版前に 電車男がフィクションであることがばれてしまい,当然 世の中の熱は冷めます。そうならないためには新潮社も 巻き込む必要があり,結局「フィクションであれば,新潮社が 嘘をついている」という構造は揺るぎません。
というわけで,大手出版社として,それはありなのかな?… 等と思うわけです。どうなんでしょう?…。
- 6/9(出会いの場)
- やっぱりインテルマックはWindowsマシンで動くわけでは ないようですね。良かった…。
さて,
日本がW杯出場を決めた興奮やめやらぬ今日ですが,他の人の 話を聞いていると街頭のTVで見ていたとかいう話もありました。 そういえばTVで中継してましたがスポーツバーでみてたりとか いうのもあります。 そういうのが最近増えてるのかどうかは知りませんが,一時期に 比べ,知らない人と何かをする(ダーツとか)…というようなバーが 増えてるような気がします。
聞いた話ですが,今の日本では外に飲みにいっても居酒屋にしても バーにしてもカフェにしてもだいたい一緒にいった人と喋って… って感じですが,ヨーロッパのバーは知らない客同士で喋る場 だそうです。つまり出会いの場…ってことですね。日本にそういう 場が無かった…というわけでもなく,日本でも本来は居酒屋が そういう場であることもあったはずです。わたしも現に居酒屋で 客同士が盛り上がる店にいって声をかけられたこともありますから。
ただ現在(ちょっと前?)の日本はわりとそういう場が減っており, 知らない人とは席を隣にしても話をしない,無視をする…という 感じが増えてる気がします。
ところが,上記のようなスポーツバーとかはちょっとそういうのとは 違い,くる客もおそらく知らない人と話をすることを 期待して行くのでしょう。また昔あったディスコとかも知らない人 出会う場…であったような気がしますし,現在のクラブとかも そうなのかも知れません。音楽のコンサートはとなりに座った 客というのは大抵無視しますが,レイブとかは一緒に盛り上がることは ママあります。某ソーシャルネットのコミュニティとかを 見てると「お店の人(他の客)と喋れるお店はありますか?」とか いう質問があって,実際バーとかに出会いを求めて行く人も 若い人にも結構いるのだなぁ…とか感じていたりします。
というわけで,「出会いの場」が少ないといわれる昨今の 日本ですが,それを補うような場はあることはあるようです。 まぁでもそれがあまり外から見えないというのは,ちょっと 不健全な気がします。上記のように出会いの場になり得ると書いた レイブやバーとかディスコとかは人によっては眉をしかめる 場でしょうから…。
個人的にはこういう出会いの場はもっと表に出てきて みんなが普通に知らない人と一体感を感じるような社会に なった方がいいように思います。それは出会いがあって楽しいと いうよりも,現在の日本は公共空間が個室化していて,それで 他人の目を気にせずいろいろと問題のある行動をする人が 増えているからです。公共空間が知り合い同士の場…という 認識になればそういうことは減るでしょう。
まぁそういう意味じゃ街頭TVでもいいけど,みんなが見て盛り上がるって いう内容がまぁそうそうあるわけでもないよなぁ…と。 でも,出会いを求めている人は結構潜在的にはたくさんいて, そういう人のための場をもっと入って行きやすいかたちで 作れば結構なビジネスチャンスだと思うんですが…。ネットとかとは 別のリアルな世界で…。
- 6/8(ネットコミュニティ形態と議論)
- 「祝!,ワールドカップ出場」って感じで,なんか久しぶりに サッカー中継をリアルタイムで見た気がします:-)。よかったです。
さて…。
なんども書いてるので…またか…といわれそうですが,わたしは コミュニケーションの「場」っていうに興味があって,いろいろ 世の中を見ては考えてしまいます。ずっと観察してるのは ネット上のコミュニティーで,何度も書いてますが,わたしも インターネットをやりはじめて20年近くなっているわけで, メイル,ネットニュース,パソコン通信,掲示板などを見ていて, 現行おもしろいなぁ…と思ってるのがソーシャルネットだったり します。
ただ見ていて思うのはやっぱり個人的にはネットニュースの頃が 一番深い議論が出来ていたように思います。もしくはML。 Webベースのコミュニケーションになって,どうもそうでも 無くなった気がします。なぜでしょう?…。ネットニュースや MLの頃は引用をし,そこに意見を挟んでいくという形式だったのが, Webではそういう風になってないからでしょうか?。一次元の スレッドだと古い発言が埋もれてしまうからでしょうか?。 ブログも印象的には同じです。 それとも文化的な問題でしょうか?。ソーシャルネットを見ていても あまり長文を書く人がいない気がします。
一つは自分でWebを持ってる人が増えていて,公共の空間に 自分の情報を載せるのをけちってるというか,別に公共の 空間に長々と文章を書く必要がない…って思ってる人が 多いのかも知れませんね。かくいうわたしもまとまった文章は ソーシャルネットには書かずにここに書いていたりしますし…。
ブログって古い文章にアクセスしにくいですからね,恒久的に 文章が目につくようにしたいのであれば,Webの方を選ぶのだろうな と思います。ただ個人のページはコミュニケーションの場には なりにくいですね。
ソーシャルネットを見ていてもどんどん自分でコミュニティを 立ち上げてそっちに話を引っ張ろうと画策している人達も いるんですが,結局そういうのって分散するだけで,どこで 話がされているかがわからなくなるだけのような気がします。
難しいですね…。
ところでネットではなくてリアルの世界も良くわかんなくて, ヨーロッパとかではバーでは知らない人に話しかけるのが当たり前 …って文化らしいんですが,実は日本の飲み屋も場末にいくと 結構そういうことあります。ただ普通の居酒屋はグループに 閉じたセカイになるし,カラオケもスナックからボックスになって やっぱり狭くなった…。でもスポーツバーでのスポーツ観戦とかが あるようにそういう需要はあるようにも思います。
どうも個人主義という建前に振り回されて,場が見えにくく なっているような気も…。
- 6/7(スタイルを作るのはソフトよりハード)
- /.jpとかあちこちで話題になってるアップルの インテルのCPU採用の話。
結構WindowsマシンでOS Xが動く様になると捕らえている人も いるようですが(/.jpには少ないですが),そんなことは アップルは一言もいってませんよね?。まぁペンティアムかどうかも わかりませんが,ペンティアムであったとしても他のIOや チップセットの関係で,Windowsマシンで簡単に動くとは 思えません。
もちろん,わたしの個人的な考えと望みだったりもしますが(^^;), わたしはアップルはハード屋で,ハードを売るためにソフトを 作っていると思っているので,他のメーカのハードで自社の OSを使わせるというような,なんのメリットもないことを するとは思えません。
それともう一つ。アップルが成功したのは優れたOSをつくった からではなく,アップルファン,もしくは一般の人に,新しい コンピュータとのスタイルを作ったから。ジョブス以降のアップルは そうだと思います。そしてスタイルというのはソフトよりも ハードによって表層化するものだと思います。少なくとも iMacやiBook以降のマックは明らかにソフトの新規発売より ハードの発売の方がインパクトを与えてますし,iTuneの画面や 操作性をしらなくてもiPodを知っている人はたくさんいます。
ジョブスはNeXTというコンピュータを以前作ってましたが, これも非常に優れたOSを持ってましたが,最初はハードの かっこ良さにひかれた人がかなり多かったと思います。そして PC互換機を出して以降は低迷し,結果としてなくなりました。 そういう二の前をジョブスが再びやるとはとても思えません。
というわけで,わたしはインテルチップのマックが出ても, WindowsマシンでOSXが動くとは思ってませんが,まぁわたしの 予想を裏切る結果になる可能性もあります。しかしそれが いいことだとはわたしは思ってませんし,実際それがアップルに どういうメリットがあるのか,良くわかりません。
- 6/6(陶器の再利用)
- いろいろ思うところがないわけではないのですが,職場の 話だったりするので,ここにはかけません(^^;)。
いきなり話がとびますが…,昨日皿を割ってしまったのですが, 陶器というと燃ないゴミに捨ててます。捨ててますが,プラスチックと 違い,自然に戻るというか元々土で土以外の成分を含んで いないので,その辺の土の上にばらまいてもいいんじゃないか?…とか 思ったりも…。ガラスもそうですが,ガラスは触ると怪我をするので さすがにばらまこうとは思いません。
そんな陶器ですが,実は再利用出来るという話を先週聞いて 驚きました。というか再利用することに結構メリットが 多いとのこと。
わたしは陶器は新鮮な土で作るもので,一度火を通した 陶器は使いにくいと思っていたら,実は逆で,陶器を 粉々に粉砕し再度練ったものの方が低い温度で陶器になるそうです。 考えてみたら陶器って土の中の…なんだっけガラス成分みたいな ものが溶けて染み出して固まってるので,変質してないので あれば再度熱を加えれば溶けるはずですね。
というわけで,低い温度で良ければエネルギー的にも 優しいし,土をほるために山を削る必要も無いわけです。 とはいってもどこでも陶器を再利用しているわけではなく, 今のところ陶器の生産地の人が販売経路を通じて回収とか してるそうです。
陶器を再利用するという発想が自分に欠落していたことに 驚いたんですが,なんとなく再利用というと,捨ててはいけないものを 利用する…という風に自分の中でなっていたようです。 とはいっても,ガラスも紙も,プラスチックに比べると 遥かに自然に戻りやすいのですが,再利用してますね…。 陶器って土だから,埋めておけばそのうち粉々になって, 土に戻るだろうから,それでいいや…とか思ってましたが, 陶器を割っては買うのであれば,やっぱり消費しますよね。 昔の人は陶器は結構貴重品だったので直して使ったりも していたようですが…。
つーわけで,陶器を割ってしまいましたが,わたしの近くには 陶器の回収ルートがないので,とりあえず捨てると思います(^^;)…。 今度そういうルートがないか調べてみようかな…とは思ってますが…。
- 6/5(目に見えぬ敵)
- 今日は朝から今週の食材の買い出しをして,11時くらいから 今週のつくり貯めとしてカレーをつくる。なんとなく昼の2時くらいには, 気分的にはもう夕方…って感じで,おもしろかったです。いつもは 午後から買い出しに行って,つくるにしても終わったら夕方なので…。 なんとなく時間を前にずらすと一日が長いなぁ…とか。まぁ 朝起きたのも5時過ぎだったりするんですが(^^;)…。
夕方からは友人に会うために都内へ…。結構長い一日でした。
さて…。
TVを観ていて思いましたが,例のガードレールの金属片の話。 おかしいのは,国土交通省があれは車の接触事故によるもの, と,もちろん全部にたいしてじゃないのかもしれませんが, 発表してるのに未だに「あれは誰かが意図的にやったものだと 思う」とかいうコメンテータがいること。
なんかもう「はぁ?」って感じです。そこまでくるともう 「願望」ではないのか?…。世の中には反社会的な連中がいて, いろいろ悪巧みを実行していると,そう思いたいのでしょうか?。 「それってなにかいいことがあるんですか?」とか聞きたい。
単にマスコミネタとして引っ張りたいだけじゃないのか?。 そんなもののために人心を惑わせてどうするの?…って感じも。 あと,ネット説があったらしいのですが,ネットで盛り上がってるので あれば,少しは聞えてくると思います。
どうでもいいけど,関口宏は純粋に頭悪いのか?…とか 思ってしまいました。みのもんたは「巨悪を叩けばいい」と 思い込んでいるところが嫌いなんですが,関口宏はそういうのは ないのですが,ちょっとコメンテータの意見でころころ言うこと 変わりすぎな気が…。
口悪くてすみません(_o_)。
- 6/4(クールビズ)
- 今週京阪奈に出張に行くときにノーネクタイで行きました。 これは実は金曜日に出張から直接渋谷に行き知り合いの ライブを観るからあまり堅苦しい格好にしたくなかった…と いうのが一つ,あと出張先が研究展示会で,自分が見学者の 立場なので一応客という立場だから…というのと,まぁ 泊出張なので疲れる格好をしたくなかったから…とういことです。 まぁ一応念のためネクタイは持っていったのですが,使いません でした。
ですが,まぁ出張先では結構知り合いとあったのですが, 「クールビズですか?」と聞かれてしまいました(^^;)…。 そういえば,他に来てる偉い人も意外にネクタイをして無い人が 多く…,そういう意識なのか…と。ちなみにその方達は スーツの上着を着ないでネクタイをはずしてシャツの第一ボタンを はずしてる状態ですが,わたしはシャツをズボンから出してました(笑)。 一応上に出しても良いような服を選んだし:-)。
そんな感じのクールビズ(?)ですが,意外にTVが冷ややかなのに 驚きました。もちろん普通のスーツからそのままジャケットを 脱いでネクタイはずしてボタンを開けるだけだとかっこ悪い…と いう意見はわかるし,かっこいい格好を提案している番組も ありますが,ストレートに「かっこ悪い」とか「定着するわけがない」と 断言している番組もあって驚きました。そりゃ以前の省エネルックの 様なことになりかねないという気はしますが,そうなったときに 「ほら,そういったでしょ?」とでも言いたいのでしょうか?。 少なくとも今回のクールビズの話は単なる新しい格好の提案ではなく, 冷房の温度を28度に設定する…っていう話なので,ネガティブな ことを言う人はそこまで否定するつもりなんでしょうか?。まぁ ネクタイして28度でがんばるならそれでもいいんですが:-p。
わたしは今回のクールビズの話は定着してくれるといいなと 思ってます。そして省エネルックの時みたいに新しい格好…を 提案していないところは,うまく行くと成功する気がします。 つまり,暑くなくて,かっこ良くて,相手に失礼ではない格好を 定着させればいいわけです。そういう意味では日本のビジネスマンの 格好はアメリカやイギリスの着こなしを参考にしているので, あちらの着こなしを参考にするとかそういう紹介の仕方をTVでは やって欲しいと思います。まぁ休日にブッシュがノーネクタイだったのも 見たことあるし,そういうのないはずないと思いますけどね。
- 6/3(雑念)
- 結局今週は月曜日にみなとみらいに出張。これは会社から行って 会社に戻るというパターン。火曜は夕方みなとみらいに出張し, 夜は横浜で飲み会。水曜は会社からみなとみらいに出張し, その後武蔵野へ。木曜は朝から京阪奈に行き,奈良泊。 そして今日は奈良からもう一度京阪奈に行った後, 夕方渋谷へ…。
つーわけでかなり疲れました。なんかいろいろ書く余裕ないというか, Webとかニュースとかをほとんどみてないせいもあってか, あまり考えが浮かばない。もちろん仕事に関しては浮かびますが, それ以外にいろいろ想うこと…っていうのは,やっぱり それ以外の情報を普段からつまみ食いしてるから,浮かぶんだなぁ…と 改めて思ったりも…。とはいっても本とかは読んでますので, その感想を書いてもいいんですが,まだ途中なのでなんとも…。
週末はちょっとゆっくりしたい…。したいけど出来るかは謎…。
- 6/2(通過儀礼)
- 今日は朝から京阪奈へ…,しかし今週はつかれる…。
さて…。
最近の親子は友達のように接している…という形態が結構 多いというような話…。そうい親子が増えてると聞きます。 この場合子供は中高生以降…って感じでしょうか。まぁ 小学生の時からそういう親はそういう風に育ててるんでしょうけど…。
つまり親は子供に優しいので, 親と子供が反目するようなことは少ないが,反面子供に 強く言うことが出来ない親が増えている…ということに なります。まぁ(大人も含めてですが)子供のマナーが 悪い…というか単に若者がどうしていいかわからず, 悪いことをやってしまう…と,そういうことが増える事に なります。それに他人に対しても怒れないというか知らんぷり…という 大人も増えてますから,親子に限らず人間関係が そうなってるってことなんでしょう…。
このことは,単純に教育がきちんとされず, マナーが悪い大人が増える…という側面もあるのですが, わたしはそれではなく,子供が大人になるときに立ち向かうべきものが 曖昧になってしまう…という点で,危惧というか…大丈夫か?と 思います。つまり子供は大人のなるときにある壁を越えることによって 己れをつくっていくと思うのですが,そういうものがない。 すべて自由にされていたら,むしろ何をしていいかわからないのでは ないでしょうか?。つまり子供にとって,死と再生ができない …っともいえるんですよね。別に親との関係で 死と再生をする必要もないかもしれませんが,社会のどこかにそういう 機能は必要じゃないのかな?…とか思います。
- 6/1(天下統一)
- よくよく考えてみたら,今週は毎日出張してます。 ゆっくり日記書く暇がない…。
TVをみて思ったことなど…。
EUの投票の件は…,どうなるんだろう?…と結構気になって みてたりします。ある意味戦争せずに天下統一(といっても EUをですが)をしようと してるようにも見えます。
天下統一というと日本だと 織田信長とか徳川家康とか,世界レベルだとアレキサンダーとか チンギスハンとかを思い出します。彼らの思想は世界を統一することで 世界を安定化させる…ってことだったとも言えますが( そんな綺麗事じゃない側面もあるでしょうけど), この考え方って結局有効なんでしょうか?。。
いまはどちらかというとアメリカがそういう考え様に 思えます。自分達のルールを世界に適用しようとしていますので。 そしてEUも一種,そういう思想なのかも知れません。
しかし他の国はそういう動きに反発するって意味もあるのでしょうが, どちらかというと多様性の重要さを訴えているような気がします。
結局どっちが世界が安定するのでしょうか?。多様性って 大事だと思いますが,紛争とかをみてると不安定に なる気がするし…。でも天下統一は個々のの権利が…。
でも我々って家康とかの天下統一に関してはあまり ネガティブに教えられてないせいもあって,そんなに 悪いこととは思ってないのですよね…。もちろん同民族だからって 意見もあるでしょうが,当時はもっと世界が狭かったので, 日本人という意識はあまりなかったわけで…。
などと考えて,日本人は現在拡張(帝国)主義を完全に失ってる わけで…。どっちがいいのか?…とちょっと考えてしまいます。
要するに日本には多様性を訴えるような空気があるのですが, 以前として,信長や家康,もっというと朝廷の日本統一については 反省というかあまり悪い点を見いだしていない…。あの辺の 統一だって,少数の民族や領主がないがしろにされた側面も あるわけで…。
なんか難しい…です。
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