読書メモ(2004年7月〜8月)

2004/7/18:作成
最近読んだ本から…メモなどを。

書籍編

階級社会〜グローバリズムと不平等(ジェレミー・シーブルック)(04/08/22)
王族貴族制度が解体されて階級社会がなくなったと言われる 現在の西洋(作者はイギリス人)であるが,どっこいグローバリズムの中で 富むものと富まざるものの格差は広がりつつある。先進国での かっての労働者は現在ミドルクラスになりお金持ちはグローバルリッチとなり ますます富むものとなる。先進国での貧困層の消滅は単に 発展途上国にその役割を押し付けたに過ぎない…。そういうことが 書かれている本です。
資本主義は経済格差がないと成り立たないのでは?というわたしの 疑問についてやっと書いてある本が見つかりました。もっとも これは現状を書いてあるだけで解決法が書かれているわけではありません。 そして現在の世界を支配しているリッチ層がいかに巧みに 我々(中間層?)をコントロールしているかも書いてあります。有権者である 中間層の不平を押さえるにはホンのちょっとだけ彼らを裕福にして 上げれば良い,そしてその何倍もの富を彼らは得ている…。
階級制度が崩壊し,(少なくとも国内では)貧富の差が減るか?と思いきや, 国内でも実は貧富の差(というか金持ちの資産が増えるという形で)が 増えているとのことです。つまり明らかにグローバリズムは貧富の差を 増やすように動いているとのこと。
階級制度が崩壊し誰もが同じ機会を持つようになったかと思いきや, 実は人間は生まれた瞬間に才能のみならず機会にも不均衡があらわれます。 そして我々には支配階級というものはありませんが,なにか目に見えない 力によって強制的に働かされています(みんな意識してないだろうけど)。 その正体は何なんでしょう?。資本主義は我々の購買意欲,生活向上意欲を 刺激する形の情報をバラマキそれにより我々を支配しているのです。
共産主義は崩壊し資本主義という形が世界を支配する現状,人間社会は どこに向かうのでしょうか?…と考えさせられました。
ちなみにイギリスで階級制度が崩壊した(普通選挙が実現した)過程を 丁寧に書いていて,勉強になりました。つまり貴族制度は土地(農地)しか 生産をしてなかった時代には土地を管理している貴族に力があるが, 産業革命と交易で土地を持たないものにも富裕層が出てきたために, 彼らにも力を与える必要が出てきて,更に生産者は労働者に投票権を 与えることにより,更に彼らに都合がいいように出来たということの 様です。

怪獣の名はなぜガギグゲゴなのか(黒川伊保子)(04/08/07)
「マントラ(真言)」とは意味がない言葉ですが,ブランドや 製品名の様に,直接の意味がなくても何となくある印象を持ったりします。 この本はそのことに対して書かれた本で,そういう無意味な音から 受ける印象を民族性や言語性というより,物理的,遺伝的, 脳科学的…つまり普遍的なものだと言っております。
しかし,問題定義については非常に興味深く,深く考えて みたい話なのですが,いかんせん,この本は素人向けに書かれたからか, はたまた著者が本当に調べてないのかはわかりませんが,他の人の 研究の紹介もほとんどなく,さらに主張をする際に根拠となる 実験データや参考文献がまったく紹介されていないため, あまり納得性のある本になっておりません。
著者は自分以前にこういう事を言っている人はいない…といって 文献を紹介してませんが,ブランド名はともかく音の印象や,サイン音の 意味等を研究している人は過去にいたのですから,せめてその辺も 論理展開を参照しないと,どうも著者が良く調べてないだけじゃないのか?, とか勘繰ってしまう部分もあります。
…まぁその辺はわたしの誤解かも知れませんし,もしかしたら 専門家向けにしっかりしたデータを載せた本や論文があるのかも知れませんが, ちょっとこの本からはそう言うのが見えないのが残念でした。 目の付け所は興味深かったので,そういうのがあればな…と思うのでした。

快楽の脳科学(廣中直行)(04/08/01)
いきなり余談ですが,わたしはこの著者の本を以前読んだことがあるような 気がしますが,イマイチ確信は持てません。以上余談終わり。
さて,この本ですが,一年ほど前に出版された本で,結構あちこちの ネットで引用を見掛けました。ところがわたし的にはその引用の 印象からなのか,あまり読みたいという感情はわかなかったのですが, せっかくだから買って読んでみました。読みたいと思わなかったのは, 私自身が,快楽とか感情について脳神経科学の方面から書かれた本を すでに何冊も読んでいて,自分なりに理解しつつ,イマイチ歯車が 合わないところをどうしたものか?…と思っていたところに,新たに あちこちに引用されるような入門書的な本を読んでも仕方がないと 思っていたからです。
ところが実際に読みはじめると,意外にこの本は従来の感情を 扱った本とは違ってました。上記にわたしが脳神経科学の本を読んだと 書きましたが,わたしはその一方で人文学(ぶっちゃけていうと哲学)方面からも 人間の思考についての本を読んだり,はたまたニューサイエンスの本も 読んでいるっていうのはこのページを読んでいる人ならわかるかも しれませんが,わたしの印象だと,人文学から感情を説明する話と, 自然科学(脳神経学)から説明する話は,非常に整合性が悪く, 同じ頂点を違った裾野から目指すが,かなりまだフモト近く…という 印象でした。
ところがこの本は両方についてそれなりに書かれており,たしかに 内容は入門的ですが,うまく網羅している感じがします。それは, 著者がもともと人文系の出身であるにも関わらず,実際には生物実験の 手順を考察するような仕事をしてきたせいでしょう。
最初にさっと哲学系の試みを紹介した後に,生理学系の話に入ります。 でもここでも脳をバッサリと分割し「どこが何をしている」…というような 乱暴な議論は行ってません。そもそも,「ある感情が起きたときに, 脳にある物質があったからといって,それが原因なのか,結果なのかは わからない」と言っているし,「学者は自分の成果の部分を強調するので それを差し引いて考えないといけない」というふうに非常に冷静に 現象を紹介してます。わたしは良くニュースとかである感情が発生したときに ある現象が発見されたので,それが重要だ…というような報道が されることに対し,非常に懐疑的で,それなら「車はバッテリがあがると 走らないが,じゃぁ車を走らせているのはバッテリなのか?」と反論したく なるような想いが浮かびます。この著者も,ある感情の発生時に ある脳の部分の反応の話をしますが,実際は複数の部位が相互に 影響し合ってる話を無視してはいません。
というわけで,じゃぁこの本はどういう結論を言っているかというと, あまりはっきりしたことは言ってないのです。この辺は,中庸や ボンヤリとした結論を好む日本人的ではありますが,要はそれぞれの 現象を受け止めましょう…ということでしょう。それでもやはり 非常に示唆に富んだ指摘はたくさんあるものなのです。
人間が無意味な勝負を挑むのを,勝つという感覚は世界を制御したという感覚, つまり「わかった」という感覚につながる,人間はエントロピーを 減らしたときに快感を覚えるようにできている…という指摘は, わたしの経験と極めて一致します。また不安というのは不安の原因が わからないから不安である…と言ってますが,それは人間がいやな体験を 忘れるようにできているから,こういうことがおこりうる…という かんじのことも言ってます。そして,統合失調症の人は幻覚をみるが, そもそも子供は無意味なものに意味を見いだしたり,幻覚をみたりするもので, そういう人達は昔からたくさんいたし,ある時代にはそういう人達が 新しい発想を産み出していたというような話もしてました。
今書いた話は,この本でわたしが印象に残ったところですが, 総じて言うと結構バランスがいい感じがしました。 ミクロ的にはしられた話を書いていますが,うまくまとめている気がします。 入門書ですが,こういういいバランスの入門書って結構なかったな…と 思ったので,お勧めしておきます。だいたいこの手の感情の話を あつかった本ってむしろ煽り系の本が多かったことを思い出しました。

現象学は<思考の原理>である(竹田青嗣)(04/07/18)
二ヶ月位前に読んで,何か書こうと思っておいたら,今になっちゃいました。 難しく理解できないのに時間が経ってしまったので,今更書くような 事はないのですが,とりあえずフッサールの現象学の解説でした。 自分がどう感じているか?,どう考えているか?,何を持って 自分はそう感じ,そう考えるのか?,を問いかけ説き明かしていく…, という姿勢…,ということ以外良くわかりませんでした(^^;)。 すみません。
それはいいとして,わたしは世の中は物質でできていて,自分も 他の生物も物質で自分が感じたり考えたりしてるのは,単なる現象であると いう考え方と,世の中も自分以外の生物もわたしの頭の中にある 単なる幻想というか夢みたいなものである…という考えの両方を 信じていて,時によって使い分けているのですが,この二つの考えを うまく統合できません。なので自分のなかには複数の原理が常に 存在してるのです。
ですが,この本によると,人による世界の捉え方は細かく見ると 異なるものの共通の部分が必ずあって,共通の部分が「共通構造」と 呼ばれる一種の本質であり,それ以外の人(や文化)により異なる 部分が普遍性のない物語による部分であり,この違いによる 対立をなくすためには相互承認をするしかないとのことです。
まぁわたしが考えている二つの世界観とここでいう共通構造と 物語の話は違う話なんでしょうが,こういう相対するものを 統合できるのか?…というのにはちょっと驚き,読んでるときは なんとなく納得した気がしました。後で思うにいまいち 消化できてませんが(笑)。

動物化するポストモダン(東浩紀)(04/07/18)
私は自分がオタクなのかどうかは良くわかりません。でもアニメや ゲームや漫画というオタク向けの商品をそれなりに消費してます。 そしてオタクの人たちのWebページを閲覧していたりもしますが, コミケに行ったり,ほかのそういう人とコミュニケーションを 取ったりすることはありません。むしろこだわりを持っているのは 音楽の方だし,踊るのも好きだし,歴史や思想について想いを巡らせるのも 好き,いわゆるサブカルチャーとかニューサイエンスにも興味があります。 要はおもしろそう,気持良さそうなものを求めていろんな情報に アクセスしているのが自分だったりするのです。
さて,この本はオタクの文化を分析し,そこにポストモダンの 構造を照らし合わせています。そして大きな物語の消失から, データベース型消費というモデルを提唱し,まずはオタクの消費行動を 説明した後,さらにそれをそれ以外のコギャルやサブカルチャーなどの 消費にも当てはめようとしてます。
わたしは読んでわかったようなわからなかったような気になってるので, うまく説明できませんから,気になる人は読んでみてください。 そんなにたくさんのことを言っている本ではありません。
ですが,わたし的におもしろかったのは,そのオタクの消費行動というのは 結局アニメやマンガ,ゲームなどの文化から育ったというより, ほかのカルチャーにも共通の構造を持っているのであれば,むしろ 社会全体の構造の変化に因るものじゃないか?と思えること。そうであれば わたしが最初に書いたようなわたし自身がオタクのコンテンツを消費しつつ, サブカルチャーやニューサイエンスに興味を持つのも実は全くの 矛盾がないってことなんだな…,いわゆる典型的な動物化した ポストモダンな生き方をしているか…と思ってしまったことです。 「動物化」というのは「社会化」の反対の意味らしいですが,たしかに 周りの目を気にせず自分に気持良い行動を模索している自分は典型的な それなのかも知れません。
余談ですがYUNOのネタばれが含まれているのでご注意ください:-)。
それから,結構有名な本で,あちこちで突っ込みをされているので, 他の方の方が的確な解説を書いているかと思います。哲学は難しい…。


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