2004年2月の日記&雑感


だらだら書いた日記です。
日記中のURLはメンテしないので,切れてる場合もあります。 あしからず。


2/29(革命)
日曜の朝に鉄腕アトムのアニメをやってます。当初 みてなかったんですが,なにやら評判がいいので,先週から観始めました。 それまでどういうテーマでやっていたのかは知りませんが,先週と 今週の話は,ロボットが反乱を起す話。
アトムの時代は知能を持ったろぼっとがいる時代ですが,ことの 発端は人間の子供が怪我をしたのがロボットのせいだと勘違いされ, そのロボットとの同型機がすべて処分されそうになる。そういうなかで あるロボットがロボットの国をつくろうと南極へロボットを集める。 そして人間はそのロボットの国へ戦争を仕掛ける…ってところで 来週に続いてます。
キッカケは誤解なんですが,根本の構造は,ロボットが知能を持っている, ロボットを嫌いな人間がいる,ロボットを好きな人間もいる, 嫌いな人間はロボットが対等に扱われるのが我慢できない,ロボットは 人間を基本的には敬っている,等という感じ。 ロボットと人間の話ですが,人種だったり,階層だったりとこの関係を 変えてみると,同じようなことは過去にずっとやってきていることです。
先日サムライの話を書きましたが,平安時代は貴族は偉くて,武士は 身分が低かった,しかし武士は団結し貴族から政権を奪い取った, だが武士は貴族を滅ぼさなかった,という経緯があります。アトムの 話がどう続くかは知りませんが,ロボットも単体だと人間より明らかに 力を持ってます。平安貴族も自分達より下の階級に自分達より武力を もった集団を自ら作ってしまい,そして政権を奪われました。日本の話に 限らず下級階級が上級階級に反発する革命が成功するのは,大抵 上級階級が安心して武力を弱め,結果として下級階級の 方が(数も含めて)武力を持つ場合です。日本は下級階級が上級階級を 根絶やしにするのを嫌がり政権委譲(だから幕末に奉還した)する 形で続いてきました。まぁでも他の国とか観てると大抵根絶やしに する気がしますが…。ヨーロッパはローマ教会という形で続いていると いえば続いているのかなぁ…。
などと,まぁいろいろ含みがある話だな…という風に番組をみていたのでした。 ちなみに近世になってからは,(今考えると信じられない話ですが) それまであった人種による優劣性などという神話が崩れ, 人間は対等であるという世論を元に,奴隷解放や植民地の独立が 起きていて,それ以前の武力のみによる革命は減りました。ですから, もとの宗主国も残った形での革命になっています。
そういう意味で言うと今後はロボットでも生まれないと被支配階層と いうのは生まれないと思うので,現実にアトムのような話が起きるのは ずいぶん先のような気がします。少なくとも人間に反発するような 知能を持ったロボットをつくるのは現在の技術では難しいでしょう。
でも一方で,なぜ人間は支配されるべきものをつくるのにわざわざ知性を 植え付けようとするんだろう?…とも思いました。ロボットじゃなくて 単なる機械なら反発もしないのに…。
それともう一つ。わたしが一番危惧してるのは,ロボットはしばらく 大丈夫ですが,クローンの方。もし人間のクローンが出来て,それが 知性を持つようだった場合,差別が起きてしまうのではないか?…と いうことです。こちらはあり得ます。差別自体が良くない…って 事も言えますが,クローンとオリジナルで 階級が出来たら,近世以前のような革命が起きる可能性があるわけです。 それは現在の人類にとっては危険なことであり,そういう点からも わたしはクローン開発っていうのに対しては今一つ慎重なのです。

2/28(生活感の無い部屋)
会社の同期の人の家に同期数名集まって,カレーつくって食べる会, そんなのやってきました。
さて,その同期の人,世田谷に古いマンションを中古で買ったようなのですが, 結構広い家でびっくりでした。家の幅は広くないけど,奥行きが すごく長い。本とか机とか寝室とかは北側に集中してて,南側は リビング。リビングはふた部屋をぶち抜いてしまったようで,かなり 広いです。10畳より遥かに広いです。リビングは半分側にTVやテーブルが あるのですが,反対側はソファーがあって,あとオブジェが飾ってました。
オブジェ…というか照明というか,まぁつまるところ生活感があるものが 何もない空間が結構広くておしゃれな感じです。
人間生活していると,ごちゃごちゃとものが増えますので,たとえば 私が今住んでいるところ何かは狭いので至るところに,ものが落ちてます。 でも,ものがない空間というのはなんとなくいいなぁ…っていうのが あって,私も杉並に住んでいたときは,二部屋のうち片方に,机とか パソコンとか本とかを集めて,今の方はTVとステレオとCDとテーブル くらいにしてました。まぁそれでもあまり片付かず,結局テーブルの 周りに買ってきた雑誌とかがだんだんつまれていってましたが(^^;)。
生活感が無い部屋…っていうのが何かというと,まぁモデルルームの 部屋みたいな部屋,デパートの家具売り場のような部屋…というか…。 無駄に空間があって,ものがなくて…。そういう部屋ってTVのドラマとかに 出てきたりしますが,「東京でそんな部屋に住めるかい!」って感じで, 思ってましたが,今日いった家はそれに近かったです。うーむ…, まぁある程度広さがあれば可能か…。
こういうものが少ない部屋っていうのは,程度はいろいろあるけれど, ある程度広い家に住んでいる人の家に行くと,たいていあります。 客間だったりする場合もありますが。だからこういう部屋って みんなほしいんだろうなぁ…。私もほしいです(^^;)…。
ちなみに実家をみると床の間のある部屋がそんな感じですが, すでにたくさんものが床の間の上にあったりして(^^;)…。 親の実家もそうだったなぁ…。
自分の住んでいるところに満足できないと,いろいろ人の家をみて 考えちゃいます。…って昔もそれがいやで寮を出たんだよなぁ(^^;)…。 さて,どうしたものか…。

2/27(up north!)
一昨日ヤン・ガルバレク・グループのライブに行った話は, ライブレポートの方に書いてますが,そのライブでもらった パンフの話。たぶんわからない人には全然わからないと思います(_o_)。
ジャズのライブの場合,コンサートのパンフが売ってなく, 簡単な散らしを入場時にくれる場合があるのですが,今回も 東京一カ所でのライブ…ってことで,パンフは売ってませんでした。 で,もらったライブ広告の中に「up north!」と題された パンフが入っていたのでした。
これが,簡単な数ページの小さな冊子なんですが,なんというか, とてもレアな感じで良かったです。内容的にはライブのメンバーの 名前が書かれた裏表紙の先は,ヤン・ガルバレクの インタビュー,次がヤン・エリック・コングスハウクの インタビュー,次がブッゲ・ベゼルトフトのインタビュー,ディスク ユニオンの人のコメント,そしてレコード紹介がたくさん。
ガルバレクのインタビューというのもはじめて読んだ気がしますが, 二番目のコングスハウク…,これだれかというとECMのエンジニア なんですよね。エンジニアにインタビューとるかっ,という感じですが, ECMというレーベルはレーベルカラーがムチャクチャしっかりしている レーベルなので,そのサウンドを創っている人のコメントというのは 非常に興味深かったのです。
簡単なインタビューですが興味深かったです。700タイトルくらい 録ってるらしいのですが,印象が残ってる人として,キース・ジャレット, 「まっ,エグベルト・ジズモンチにしろ,パット・メセニーにしろ 最初の印象は強烈だったな」とか…。「気にするのは楽器がその場所で 一番良く聴こえる様に録るっていうことだけで,あんまり手を加えないように しているんだ」,ディジタルに関しては「一長一短だけど,重要なのは テクノロジーは道具であって,いかに利用するかってこと…」等々, 興味深いお言葉…っていうかこの人がいうと深い…。あと,ピアノの 調律にこだわるって話で,調律師自体もかなり厳選しているそうです。
あとブッゲ・ベゼルトフトのインタビューですが,この人はECM(にも 録音はありますが)じゃなくてJazzlandレーベルの人で,総帥であり ミュージシャン。ガルバレクや 自身の音楽について簡単に一言コメントしてます…。
なんか手作りっぽいけど非常に希少な感じでいいパンフです。 広告も関係ミュージシャンのディスク紹介ぐらいでほとんど載ってないし, しかも半分くらい輸入盤だから,日本のレコード会社が儲かるわけじゃない。 なんか本当にお金儲けじゃなくて,こういう音楽が好きな人のために 作った冊子って感じがして,非常に好感が持てました。

2/26(サムライ)
今週…,いつからか日記の日付がずれてまして,なぜか 22〜24の三日間で四つ書いてるようです。良くわかんないので, とりあえず,part2としました。なんか日付の感覚ずれてるのかなぁ…。
さて, ラストサムライのヒットのせいで,侍とか武士道とかが なんか「すばらしい…」という風に最近言われてますが, そういうことになると「うちが起源だ」と言い出す人がいたりして, 愉快です:-)。サムライに限らず「うちが起源だ」と言う例は 幾つもあるようですが,別に起源かどうかはともかく,それを 長い時間をかけてすばらしいものにした文化と,さっさと捨てて 今は何も残ってない文化とどっちがいいかは,まぁいろいろ 意見があるでしょうね:-p。プライドの持ち方はいろいろあります。
サムライの件はともかく日本は以前から「オリジナルがない」と 言われてましたが,キッカケはマネでもすばらしいものに仕上げる 能力はピカ一かと思います。ちなみに「起源だ」とおっしゃってる国も 元をただせば隣国の大国から流れ込んだもんじゃないの? …とか思いますが…:-p。
という話を書きたかったわけじゃなくて,侍の話。
最近これがすばらしいもの…の様に言われてますが,元をたどると 日本においては武士はそんなに高貴な存在ではありません。 最終的に武士と言われた江戸時代の武士は元をただせば,平安時代に 生まれた東国の武装集団になります。それ以前に朝廷は軍隊を もってましたが,ほぼ日本を制圧した平安時代あたりをもって, 朝廷は軍隊を放棄したと思われます。少なくと大宝律令には 軍隊は役職として無かったと聞いてます。
これはどう言うことかというと,日本には怨念を怖がる思想があるので, 人を自分の手で殺すのを嫌がるのです。さらに平安以前は軍隊が着る 鎧は鉄製でしたが,それ以降は皮を加工したものになり,皮は獣の死体なので, 当時は縁起が悪いと嫌われていたのです。
そういうわけで平安時代に生まれた武士は当時日本を支配していた 貴族からみると遥かに下級の存在でした。この事は平安後期に 武家の平氏が力をもっても朝廷の下でしか力をふるえなかったこと, さらに源氏が政権を立てても旧政権である朝廷を滅ぼせなかった事に つながります。おそらく当時(現在も残ってますが)朝廷(=天皇)は 信仰的な対象であり,おいそれと滅ぼせなかったのでしょう。こういう 思想は日本だけかと思ってましたが,フランス革命時に最初「王家を 滅ぼすと太陽が昇らなくなる」という意見があったことを知り, そういう思想(王権が神的な意味合いをもつ)はどこでもあったのだな, と思ってます。
さて,そういうわけで源氏が幕府を作ったのは,かなりの出来事だったと 思われますが,その後も将軍は天皇から任命される形をとりながら, 実質は国を動かしてきました。そういう中で武士は単なる荒くれ者から 力を持つものとして,文化的思想的に発達したのだと思います。
さて,なにが言いたくて,こういうことを書いたかというと,つまり, 武士の起源がどこであれ,最初はそんなに高尚なものではなかったということ。 そしてそれを現在知られる形にしたのは,その後の時間だということです。 まぁ日本は武家政権が長く続いたので,なんとなく武家も高尚と 思ってるようですが,でも結局のところ貴族には頭があがらなかったとも 言えます。でも現在の雰囲気だと,鎌倉以降の貴族に対して憧れは ないようですが…。この辺の感覚はどうなんだろう?,関東は公家なんて 全く縁がなかっただろうけど,関西とかは公家への憧れとか 江戸時代もあったのかしら?…。

2/25(お仕事)
ちょっとお仕事がシビアな状態。ってうか年度末なので, 来年度の予算なり体制なりのお話合い。去年はそういう立場じゃなかったけど, 今年はそういうところに立ち会う(といっても聴講…って感じですが) 立場なので,「うぁ…,こういう風に決まっていくんだ…」てな 心境で…。
まぁさすがに,会社の内情を詳しく書くわけにはいかないのですが(^^;), この手の話で良く思うのは,ある人にとっては物凄く重要な事が, 他のところというかそれを決める人達の間では,非常に些細な感じで 決まっていく…ってことです。政治とか行政とかもそうですよね。 ある法律をつくると,例えば失業したり,人生が変わったりする人って たくさんいるはずですが,結局のところそれを決める人達の中では ちょこちょこ…っとした話し合いで決めたりする。…ってもちろん 不真面目とかいい加減にやってる…ってつもりはありませんが, 所詮お仕事であって,その人の人生ではないので,数時間数日数ヵ月 かけて話し合って決めても,やっぱり人生に比べれば軽いです。
おそらくどういう立場になっても自分の何かを左右する人っていうのは いて,かつその人は自分が思うほど自分のことを一生懸命考えて くれてるわけじゃないのだと思う。まぁそんなものですよ。そう思います。 なんとなくそういうのが嫌なわたしはどちらかというと,あまり人に 縛られない部分に自分自身の評価軸を置いてるんだなぁ…とか 思います。お仕事なんかにゃ人生かけてません…,というわけで, 今日はさっさと退社してライブを見に行ったのでした。幸せ:-)。

2/24(宗教)
あぁー,今日はシビアな打ち合わせが多くて疲れました…。 脳が疲れたぁ…って感じです。
えっと,昨日の最後に書いたところ,引っ張るつもり無かったんですが, 裁判で殺人がアニメの影響なんて判決が出ちゃった ので…。
わたしの意見でいうと,影響はあったかも知れないが,特定のアニメに 限らず若者にはそういう事はあり得るので,特定のアニメを名指しで 挙げるのは反対です。
というか,なんかこの記事みていて(読んでいてじゃない), 「あぁー,なんか日本にも大きな宗教が必要なのかなぁ」とか 思っちゃったんですよ。
日本は,戦後教育で宗教否定をやってきたせいで, 無宗教教とか科学盲信教とかに入信している人が多く,だいたい 「宗教」っていうと怪しいもの…と思っている人が多いです。 でも宗教というのは何かというと,民族とかある程度の人数の人が 共有する「物語」なわけです。昨日書いたように,人間はほっておいたら 現実と乖離するというか,まぁ一種の妄想に走ります。それが 論理的思考だからです。そして,それを止めるには それより強い物語が有効かと思うのです。
無宗教や科学盲信も一種の宗教だと 思いますが,物語としては非常に弱いと思うのです。殺人がなぜいけないの?, と聞いてくる若者に,無宗教や科学的立場で論理的に納得させるよりも, もっと上位の力(例えば神とか)から禁止されている(つまりバチが当たる)と いう方が(それが本当に信じられれば)強力だと思います。
…まぁいいや,あんまり「宗教」だけを薦めるのもなんなので, もうちょっと違った話を…。
えっと,つまるところ現実とか自己とかと乖離した妄想は考え込むと 膨らむ傾向があると書きましたが,わたしもそういうところがあります。 それで,それを防ぐというか妄想が弱くするために有効なことが 経験かあるので…。
まず一つが「他人と多く接すること」,そしてもう一つが「体を 運動とかで酷使すること」。まぁつまり「書を捨てよ,外に出よう」って わけです(笑)。他にもあるのかも知れませんが,とりあえず二つほど。
これらのことって,現在だんだん減っていることです。人と接するっていうのは ポジティブに捉えられてますが,実際は大家族制が崩壊してるし, 学校でも競争を強いられたりして人と接する機会は減っています。 また体を酷使するのもスポーツ選手はともかく,普通の人が スパルタ的な酷使をされる事には今は否定的な気がします。 体罰を手放しで肯定するつもりないんですが…。
つまるところ対人にしても 運動にしても,要は自分の意思だけではなんともならない…ってところが 必要なのかも知れません。それが現実ですから…。

2/23(自分の境界) part.2???
昨日どこかで,他人の痛みに共感する時,自分が痛い場合と (脳の)同じ場所で感じている…という研究結果が出ていた気がしますが, 見失いました(^^;)。まぁでもその記事読んだだけで,共感が自分の 感覚と同じと言えるかどうかは疑問ですけど…。
もっとも人間は他人とどっかで感覚がつながっているのではないだろうか?, と思うことはよくあります。だいたい赤ん坊は言葉を覚える前というか, 生まれてすぐに親の感情を読む能力があります。先天的にそういう 能力があるって事です。親の感情を通じて,良いこと(安全なこと), 悪いこと(危ないこと)を判断し,また泣くことによってそれを 親に伝え親を動かそうとします。ある意味赤ん坊にとって 親というのは自分の一部でしょう。
3才までの子供は「心の理論」が完成されていないと言われます。 つまり他人の視点で物事を見れないということです。他人の視点を 想像できないということは,つまり他人も自分と同じ視点でみていると 思っているわけで,つまるところ他人と自分の区別がうまくついていないと 言うことだと思います。
5才の頃になると,自分と他人が別のものを みているということを理解できるようになります。こっから先は 具体的に例を挙げることは出来ませんが,つまるところ成長というのは 世界(他の人)から自分を切り出していくことのように思います。 子供の頃は,周りの人が無くと一緒に泣き出すとかよくありますが, 大人になれば,困惑することはあっても,泣くことは我慢できます。 まぁ他人に共感して一緒になく人はいますが…。
世界から自分を切り出していく過程というのは,要は論理的な思考が だんだん出来るようになり,いろんな経験から他人と自分が別の存在で あるということが類推されるようになるということでしょう。しかし 論理的に考えれば,自分の体すら本当に存在しているのか?,自分が この世界に本当に存在しているのか?という問題にもブチ当たる事に なります。十代中頃の少年少女はいろんな部分で自我や,その損失, リアリティという点で悩みますが,それは生まれてからずっと世界から 自分を切り放す事を続けていて,最終的に自我と自分を切り放すところまで 勢いでやっちゃってる結果なのかも知れません。
さて,では大人はなぜそう落ち着いているのでしょうか?。どういう 風にうまく現実と折り合いをつけているのでしょうか?。実は わたしは良くわかりません(^^;)…。というのは,私自身がまだ落ち着いてない せいでしょう。気を抜くとすぐ妄想の世界に落ちそうですから(^^;)…。
ちょっと話が変わりますが,ゲームやアニメが青少年を犯罪に走らせるか?, という問題で,大抵のゲームユーザは「そんなこと無い」というのですが, わたし自信は大人がゲームをやって感じることと,子供が感じることは 明らかに違うので,大人の実感で判断することは危険だと思ってます。 しかし,そもそも子供は妄想に走り勝ちなもので,ゲームとかが なくても何らかなキッカケで暴走する可能性はあり,そういう意味で 一つのスケープボードをつくってしまうことには反対です。むしろ 子供が妄想に走り勝ちなら,どうやって現実世界を認識させるか, そこにリアリティをもたせるかを継続的に考える必要があるでしょう。

2/23(学歴)
朝FMで聞いたのですが,内閣府が行っている青年意識調査というのがあるみたいです。 ラジオでは6章の自国社会の問題ってところが取り上げられてました。 それで疑問に思ったんですが,各国比較のところをみると 「学歴によって収入や仕事に格差がある」というのが 韓国と日本だけに挙がってます。 素で思うにこれって悪いことなんですか?。
ほかに挙がっている事は,まぁそれぞれ問題だなぁ…と思いましたけど…。 「家柄…」は国によっては微妙かな…。人種差別や環境問題, 失業,政治…などは「問題」でしょう。でも学歴で収入や 仕事に差があるのが問題なのか?…と言われると,わたしは「そうかなぁ?」と 思ったりもします。ではどういう事で仕事や収入に差がつくのが 健全なんでしょう?。やってる仕事の量ですか?,でも業種が違うと 比べられません。まさか試験で決めるべきってわけじゃないですよね?。 だいたい学歴といっても試験で決まるわけだし(もちろん家の 経済状態や住んでいるところもありますが),学歴がだめなら, 例えば大学卒業時に共通一次試験(歳がばれる(笑))みたいのを やって一斉に決めたらいいんでしょうか?…。そりゃ恐ろしいなぁ(^^;)…。
わたしの意見は,いずれにせよルールがはっきりしているのが望ましく, かつ成長の過程でいろいろ見えてくることが望ましいということです。 学歴で職業の有利不利が決まるとわかっていれば,そのルールで 勉強していけばいいだけです。 まぁ実際は学歴だけじゃ決まらないんですが:-p。
人種や家柄のように選べないものなら仕方がありませんが, 学歴というのは少なくとも日本ではかなり平等にチャンスだけは ある気がします。全くとは言いませんが…。 もっとも学歴に関しては親の意識も重要ですから,本人にとっては 「そんなはずじゃなかった」って思うのかも知れませんが, そもそも子供は親に人生を左右されるのは仕方がないことです。
というのがわたしの意見ですが,実際のことを書くと,高学歴の 人が集まっているところで働いていると,その中でも常に競争は あるので,学歴だけで決まるわけではありません。まぁある部分での ふるいにはなってるんでしょうが,高学歴だから,あとは悠々自適って わけではないって事です。それと学歴と関係ない仕事の中にも 高収入や社会的評価が高い職種もあると思いますけどね。
それにしてもこの調査知りませんでした,それなりにおもしろいので あとでじっくりみてみようかと思います。

2/22(豆腐)
以前から興味があったので,豆腐をつくってみました。 レシピ的に未完成なので,まだ載せるつもりはありませんが…。 ただつくってみて思ったのは効率が悪い…ってことです。 結構手間がかかるし,安くつくれるわけでもない…。まぁ 材料が明確なので安心して食べられるし,いろいろ工夫すれば 美味しくはなりそうですが…。
この辺微妙ですねぇ…。わたしは豆腐が好きですけど,別に スーパーのパックでもそれなりにうまいと思うし…。 自分でつくると手間なので,大量につくりおきするにも, そんなに日持ちがする感じでもないし…。
というわけで,どうしよう…という感じです。でも豆を大量に 使ったせいか,わりとしっかりした豆腐が出来ました。 分量とか全然計らず適当にやったのですが…。あと大量に おからが出たので,それもだし汁で味つけて食べました:-)…。
しかし豆腐を好きな身でいうのもなんですが,つくっていて, なんでこんなもの発明したんだろう?…って思いましたよ。 別に大豆が日持ちするようになるわけでもないだろうし…。 まぁたんぱく質のエッセンスを凝縮しているのでカラダにはいいと おもうけど,そういう理由じゃないだろうし…。まぁ料理には 大半が「なんでこんな加工したんだろう?。材料そのままじゃ だめなの?」っていう食材たくさんありますけどね…。

2/21(メロディ性)
キルビルって映画については以前レビューしましたが, タランティーノ監督というのは映画にかっこいいBGMを使うという事で 有名です。キルビルには往年のポップスがたくさん使われています。 梶芽衣子のド演歌が使われているのも日本人には爽快でしょうが, アメリカの曲も日本ではウィークエンダーで有名なクインシージョーンズの アイアンサイドとか日本では尾藤イサオが「だーれのせいでもありゃしない」 と歌っていて有名な「悲しき願い」の原曲,とかが気になります。
そう悲しき願いの原曲を聴いていて思ったのですが,そういえば, あの頃の日本は結構アメリカの曲を翻訳して歌っているのがあって, それが今聴くと結構べたべたな歌謡曲とかに 聞こえてしまうので不思議です。
わたしは最近(というかここ20年くらいか?)の日本とアメリカの ヒット曲を聴いて,メロディ性の違いを感じていて,メロディに関しては 日本人の曲の方がメロディアス(あくまでもわたしのなかでの勝手な 基準ですが)だと思ってます…。でも,上記に挙げた曲は さらに以前50〜70年代くらいか?なと思いますが,十分メロディアス なんですよね。
ヒット曲における日本のメロディというのは,演歌,フォーク, ニューミュージック,J-Popという風に流れてますが,この流れは 実は西洋(アメリカ)のメロディ,コード,リズムに日本語を 載せていく作業の流れそのものであり,これらのスタイルの違いは 実は目指しているものは同じと言えます。そもそも江戸時代まで 日本には長調も短調もなかったのですから,現在のJ-Popどころか フォーク,演歌でも西洋音楽を取り入れているので,メロディも 西洋のを取り入れていると思います。
まぁ,とここに書いているのは当たり前で周知な話なんですけど, 当時の曲を聴いて「どうしてこういうメロディの曲って(ヒット曲から) なくなったんだろう?」と思ったのです。まぁ西洋(アメリカ)音楽も ジャズとかロックとかの流れをみていると,リズムや音色以外にも コードやメロディも時代とともに変化しているので, 当時のメロディも単なる一過性のものだっただろうか?と 思ってしまったのです。ベタベタだからかしら?…。 それにしては日本では,あの頃に根付いた メロディ感覚って根強く残ってる気がしますが…。 でもアメリカは現在のヒップホップやファンクとかの様に メロディ感はだんだん稀薄になっている気がします。たまに ラテン的な曲が流行ると,多少メロディアスな感じはしますが…。
最近アメリカでもジャズボーカルが流行ってるそうですが,ヒップホップや ファンクに比べるとずいぶんメロディアスですから,まぁそういう ぶり返しは来てるのかな?…とも思いますが…。でもロカビリーとかも 流行ったりするのかな?。

2/20(ちょっとお疲れ)
今日は銀座で飲み会。ちなみに昨日のは横浜でした。 一昨日は横須賀…。ちょっと飲み疲れました…っていうか 今週仕事も立て込んでいてちょっとヘトヘト状態です。 週末はちょっとゆっくりしたい…。
あっ,今日の飲み会は幹事だったので,カードで立て替え…。 再来月もカード引き落とし怖いなぁ(^^;)…。
ところで仕事が立て込んでいる…っていうのは,なんとなく 「あれをやらなきゃ」「あれを確認しなきゃ」とかいくつか 宿題を抱えているような感じで落ち着かないのです。私はどうも こういうときに「忘れないためにずっと考えておかないといけない」と 思うようで,結果的に休みとか考えてもどうしようもないときでも, それが頭に行くみたいです。
だから結局実際に行動したり人に話したらすごく楽になるんですよね。 別に問題が解決するかどうかは関係なく,「ちゃんと忘れずに 相手にボールを投げた」っていうことで安心するみたい。 さっさと投げちゃえば良いときも,なんとなくそれができず抱えて きついときもあります。「悩むだけ馬鹿らしい」と思っても 悩みますね,人間…。ぶっちゃければ簡単にけりがつく…,を わかっていても。まぁそういうものかな…。

2/19(レアなお仕事)
今日も飲み会でした。実はこの日記翌朝書いてますが,脳が 疲れてるぅ…。ちなみに明日も飲み会です。週末は寝よう…。
今日は来春から同級生となる元同級生(変な表現^^;)と飲んでました。 この人とは腐れ縁だなぁ…。彼女「音環境デザインコーディネータ」と いうレアで一見かっこよさそうな仕事をやってるおかげ(?)で, 時々「あなたみたいな仕事をしたいんですがどうしたらいいんでしょうか?」 とかいう申し出を受けるらしいです。でもって,そういうのが 例えば高校生ならまだしも,だいたい社会人だったり,卒業まぎわの 大学生だったりするもんだから,まぁ困るみたいです(^^;)。
わたしは彼女の職歴を知っているので,どの様にしてそうなったかを 理解しています。なので,単にどっかで勉強をするとか,会社に そういうポストがあるとか…そういうわけじゃないのですが, まぁ通常の人はそう思うみたいです。
以前TVである俳優?の半生を見ていたら,田舎にいるときに 堀越学園に行けばアイドルになれる…と思っていた…って話を 聞いて,なかなか愉快だったのですが(^^;)…,日本人って 子供の頃に変に学校の勉強を薦められるので,逆に,学校にいけば 何にでもなれると思ってる節がありますね。もしくは資格。
でもアイドルや俳優に資格があるわけじゃないのが明確なように, だいたいレアな仕事っていうのは,就職や履修でなれるものでは ありません。彼女の場合,そういう仕事があるところに就職したというより, まったくそういう仕事がなかったところで,そういう仕事を自ら 作り上げた…という方が正しいと思います。まぁ彼女のあとに そういうポストは出来るかも知れませんが,まぁそれでも最初の人と それ以降の人は何かと違うだろうなぁ…と思うのです。
それでもって特に一旦仕事をしている人から「あなたみたいな 仕事をしたい」と言われても,なんとなく「自分探しっぽいなぁ…」と 思ってしまうのです…。別にそれが悪いとは思いませんけど…。 なんとなく残りの人生も短いので,どうやったらなりたい自分になれるか 効率的に考えて行きたいという今日このごろだったりします(^^;)。

2/18(ネタなし)
なんか飲み会続きです。…のせいか頭がつかれているのか?, ネタが浮かびません。会社で宿題がたくさん出てるので, 他のところに頭が回らないんだろうか?。
そういえば,以前思考について考えていたとき,脳は たぶん並列コンピュータで,同時に複数のことを考えることが 出来るけど,おそらく最終的に一カ所を通らないと,それを 出力というか認識というか,…まぁそういうことが出来なくて, おそらくその一カ所っていうのは人間の時間を感じるところと 密接に関係があるんだろうなぁ?…と思ったものです。
なんでそう思ったかというと,昔から時間が一次元としてしか 認識されないのが不思議だったから…。ついでに書くと,そこは 自我とも関係がある場所ではないか?…。時間が二本同時に感じることが 出来れば,二重人格(分裂)になるんじゃないか?…と思ったから…。
というわけで,わたしの脳内時計は忙しいみたいです(^^;)。ストレスで 人格って分裂するみたいだから,あんまり続くと遊ぶ人格だけ, 出来ちゃうのかしら?…。

2/17(窮地)
自分の窮地の時に自分が守るべき人達をちゃんと守れるか?…, が人としての価値の大きな一つである…,とわたしは思ってます。 いきなりですが(^^;)…,ちょっと最近いろいろ思うので, 今日はこの件について。
「守るべき」っていうのはちょっといろいろあって,例えば家族で あったり,友人であったり,後輩であったり,部下であったり, 支持者であったり,そして同盟国であったりと…。まぁ個人である場合も あるし,組織である場合もあります。「友人」というのは対等であるのが 前提なので,あまりあてはまりませんけど…。まぁでもお互い守り守られ, って場合もあるので…。
いろいろありますが,ピンと来やすいのは家族とか会社における 部下です。特に部下の場合切り捨てが可能なので,実際についやっちゃう 人は多いように思います。会社で上司と部下がうまく行ってない場合, その上司が辛い状態である場合が多いように思います。だいたい人なんて 好きで部下や後輩に嫌われたいとか思ってる人は稀で,厳しくしようとは 思っていても,それは部下のためを思ってのことだったりするわけです, 好調なときは:-p…。
実際に自分に部下や後輩がついて,一緒に仕事をすると, うまく行かなくなったとき,彼らの不手際が非常に気になったりするものです。 人間なんて能力が違うのが当たり前ですから,自分が思った通りに, 彼らが動くわけはありません。調子がいいときは問題にならないし, フォローも出来るんですが,自分に余裕がなくなってくると,なんか あたかも彼らのせいでうまく行かないような錯覚を覚えたりします。 なので,まぁ厳しくあたってしまうということでしょう。
そういう時に「部下が不出来なので」と対外的に言うことは上長として 「自分は無能だ」と言っているようなものなので論外ですが,「別の人に ついて貰った方が…」と思うことはあります。これは「切り捨て」とも とれますが,「本人のため」にそう思う場合もあるので一概には 難しい…。
いずれにせよ,自分が窮地の時は普段はかわいい部下後輩でも非常に 重荷に感じることがあるということです。これは例えば家族でもそうで, 例えば仕事で問題を抱えているときに家に帰ってもゴタゴタしていたら, かなり辛いでしょう。家庭の中だけでも複数の人間関係があるので, その中同士でのぶつかり合いもあるでしょう…。
というわけで,まぁ得てして人間は自分が辛いときは人にも辛くあたり, それが自分より強い人間(自分に左右されずに過ごせる人)ならいいのですが, 自分が面倒をみるべき人間の場合,お互いに不幸になりがちなのだと 思います。
とはいえ,最初に書いた通り,そこでどう守れるかが,人間の 価値だとおもうので,そこは踏ん張りどころなのだと思います。 わたしもなんどかそういう目にあって「自分はちゃんと部下後輩を 守れているのだろうか?」…と自問自答をし続けたものです。自分じゃ わかないんだよね…っていうか余裕がないから(^^;)…。
…というのは人の話。同じ様な話は国家間もあるのでしょう。例えば 大東亜戦争を美化するつもりはありませんが,戦前日本が外地を 占領していく過程でも,アジアの自立みたいな理想があって, 現地の人とうまくやっていた人達もいたと思います。だけど, 自分達がきつくなってくると,やっぱりひどいことをしたんでしょう。
ってことは,例えば今でも世界各地にPKOに行ったり,イラク復興に 行って,現地の人達とうまくやろうとしてますが,こちらが何か 窮地に陥るような自体になったときにその姿勢が保てるか?…って ところが重要なのだと思います。ついでに言うと,アメリカが 日本を守ってるのも明らかに彼らに余裕がある状態だからで, アメリカが窮地に陥ったときに,日本はどうなるか?…っていうのを 想像するに,恐ろしいものがあるかと思います。

2/16(校正)
逆輸入盤禁止とのことで,ちょっと唖然というか…。 「日本が輸入している洋楽のCDも、理論上は還流禁止」っていうのは 恐ろしいなぁ…。洋楽CD屋つぶれるから,実際はすぐには行使しないと 思うけど…。
話を変えます。
最近同人誌というか趣味でイラストを描いている人達のサイトを 廻ったり,趣味で小説を書いている人達のサイトを廻ったりしてます。 まぁ何と言うか,みなさんすばらしい技術をもっていて,特に 絵の方は下手なプロの漫画家より何倍もうまい人がいるみたいです。
でもそういう人達が描いた漫画や小説とかをちょっと読んでみると, …別にそういう方々を敵に回すつもりはないのですが(_o_)…, 「やっぱりプロはすごいなぁ」とか思ってしまうのです。趣味でやって おられる方の作品をみると,例えば絵とかのクォリティが高くても お話がだめだったり,文章の量が多くても取っつきにくかったり することが多いような気がします。もちろん,現状,その手の 作品をほんのちょっとだけかじったので,間違ってるかも知れませんが, 評判がいいものだけをかじってるので,それが平均以下のレベルでは ない気がします。
プロとアマチュアの違いというのはいろいろあるかと思いますが, 上記の原因となるような大きな違いは編集がいることなんだと思います。 別に漫画や小説に限ったわけでもありません。例えば音楽でも そうかもしれませんが,要はダメ出しをして修正を強要する人が いるってことです。漫画や小説の場合は編集と作者が何度も打ち合わせを して話をつくっていくようです。作者が書いたものを無条件に 出版するものはほとんど無いのではないでしょうか?。作者本人以外が ダメ出しをするというのは,つまるところ第三者の目からみたら どういう風に映るかが反映される…ということです。
さて,ちょっと話がずれますが,わたしも会社に入るとレポートだったり 論文だったり仕様書だったり発注書だったり,所内プレゼンの資料だったり 特許だったり…と必ず上司にみられます。入社して数年はいつも真っ赤に 添削されて返ってきて,いつまでたっても仕事が終わらず泣きそうでした (^^;)。でも今考えるとそういう作業で身についたものは非常に 多いと思います。もちろんそれは上司が優秀だったからだけでは ありません。今考えると自分より優れた書類をつくることができる 上司だけではありませんでした。しかしやっぱり第三者の目を通すというのは 非常に有用なことだと思うのです。現在ある程度の地位を職場で築くと, 書類のチェックをほとんどしてもらわなくても,外部に投稿することとか 可能なところまで来てます。ですが,やっぱり部下でもいいので だれかに目を通して貰うことは大事なんだろうなぁ…と思います。 むしろ部下だとなんか気恥かしいというかお願いになるのですが, 上司だと堂々と指導して貰えた分良かった気もします。
というわけで,自分の仕事の事と世の趣味で絵とか文章を書いている 人とかを関連させて考えましたが,やっぱり自分の仕事は仕事なのだな…,と 思ったわけです。まぁ趣味でやってる人は,とやかく他人にいろいろ 言われて直すが嫌…ってことで,趣味ならそれはそれで全然OKって 事でしょうけど。
だから,別に趣味でやってる人に,校正をしろと言うつもりはありません。 ただ,最近素人とプロの境界があいまいになっている…とか 言われますが,たしかにマーケット的にはそうかも知れませんが, 上に書いたような視点では明らかにあるのだな…と思うのでした。

2/15(子供の現実)
那珂湊で蛤とイクラ買ってきました:-)。 それは良いとして…。
子供というのは,あるものを擬人化し一人遊びをするものだと思います。 わたしも子供の頃,例えば怪獣の人形とウルトラマンの人形を使って 怪獣ごっこ?みたいのをやってました。…というか別人形じゃなくても, なんでもやってた気がします。覚えているのは学校で与えられた, リコーダを擬人化して,なにか「物語」をつくっていたような記憶が あります(^^;)。リコーダだから小学生2年とか3年とかですかね?…。 でももっと上学年になってもやっていた気がします。
中学校に上がってからもたとえば布団に入って眠れないときに 頭の中で物語をつくって想像していた記憶があります。これは 道具は使いませんが,やっぱり一人遊びの一種みたいなものでしょう。
なんの話かというと子供の想像力は凄いということで,おそらく思い起こすに, 上記のように「物語」をつくっているときというのは,例えば 今わたしが「小説を書こう」としてストーリを書いていくのとはちょっと 違って,物語でありながらもっと没入して想像していた気がします。 つまり第三者的に物語をつくっていたのではなく,自分もそこに 入ってなりきっていたような気がします。
子供は例えば自分と他人(親と自分だったり自分と友達だったり)との 境界があいまいで,それゆえに人のことを自分のことと勘違いしたり, 自分のものと人のものの区別ができなかったりしますが,それは 広げると自分の現実と想像の世界の境界もあいまいということでしょう。 ですから,夢でみたことを現実のことと勘違いしたり,さらに想像を 現実と勘違いするので起きてるときでも幻覚をみたり…とかあるのだと 思います。
というのは,実証主義的に書いちゃいましたが,逆の立場で書くと, 子供たちがみたり感じたりするのは現実(幻覚で見えるのも現実だし, 他人とつながってるのも現実)で,子供は感性が開いているので, それを感じることが出来る…という風にみることもできます:-)。
子供が他人とつながっちゃうのは,それによりいろいろ学習できるから だと思います。他人の感情を読み取り, それで覚えていくことが多いんでしょう。歳をとりだんだん,そういう つながりが希薄になって行くのは,外界を論理的に認識するように なっていき,感性よりも理性で物事を考える様になっていくからでしょうが, 自分と他人を乖離することが可能なら,自分と自分を乖離することも 可能です。それゆえ思春期の若者は現実に戸惑い迷うものです。
…何の話だ?(^^;)…。いや今日電車の中で中学生がゲームをやってるのを みたのです。まぁよくある風景かも知れませんが…。中学生や 小学生がどういうゲームをやってるのかわかりませんが, 単なるシューティングとかスポーツ系のゲームならいいんですが, RPGの様な物語形式のゲームもやってるんですかね?…。 やってるとしたら,彼らの頭の中ではどう認識されているのだろう?と 思ったのです。自分の場合笛一本でも物語をつくっていたくらいなので, ゲームとかでやるとさぞかし没入するだろうと…。本とか漫画より 強烈ですし…。
ゲームの中の話を現実と勘違いして記憶したり認識する人とか いるだろうなぁ…と思うのです。「そんなの大丈夫だよ」という 感じもしますが,ちょっと怖いな…とも思いました。

2/14(鮟鱇)
今日は鮟鱇を食べに茨城方面に出かけているので…。

2/13(アメリカ)
「アメリカから牛肉が輸入されれば,再開」っていうのは, 「アメリカの牛肉が安全か?」っていう議論が抜けているのですが, 不思議です。「輸入されれば安全」ってわけでもないかと思うんですが…。 というかそもそも在庫の肉を売っていた事自体が「安全と確認できてない」 肉を売っていたんですよね?…。ついでに書くと牛丼以外の牛肉料理が あまり話題になってない。さらに牛丼屋以外では牛丼食べられるはずですが, あたかもこの世から牛丼がなくなる様に言われている…,というあたりが 今回の牛肉騒ぎは違和感ありまくりなんですが…。
あっ,アメリカに言わせるとアメリカの牛肉は安全だそうで…。 まぁ,牛肉なくても生きていける人なんで,たんなる突っ込みだけで 終わってしまいますが(^^;)…。
ところで ハッピーバースデーの著作権が まだ生きているとしってびっくり。100年以上の保持されている事に なっているようです。なんでこういうことが可能なんでしょうか?。 ミッキーマウスの著作権が延長された…という話もちょっと前に 聞きましたが,あのときも不思議でした。アメリカの議会で でた結論とのことですが,アメリカ国内のみでの話なら わかりますが,結果的に海外に対してもベルヌ条約を結んでいる国には行使できるんですよね? ちがうのかな?。
こんな理屈がまかり通るのなら,日本だっていろんな著作権を永遠に 保持するすることできそうですが…。
牛肉と著作権の話は全く関連がありませんが,まぁアメリカの 基準っておもしろいなぁ(皮肉)…って事で…。

2/12(平和運動の意味)
ちょっと前に 宮崎の高校生が自衛隊イラク派遣に反対の署名を 総理に出したのに小泉総理がコメント…ってニュースがあって, そのマスコミの小泉突っ込みぶりが過剰というか滑稽というか, そういう話がネットでしばらく出ていたので…。
まぁ良く読んでいる霞が関官僚日記さんで追ってるので, そっちに片寄ってしますのは申し訳ない…。 上記の官僚さんは小泉さんの弁明は適切と書いていています。 実はわたしもそう思うんですが,多少ちょっと引っ掛かる部分が あるので…。
日本人は戦後50年海外に軍事力を(もってるけど)誇示しないで, 「平和」「戦争反対」と叫び続けてきて,それでいて一度も 戦争に巻き込まれないで済んだので,軍事行動をせずに 平和を叫べば平和が続くと思っている節があります。 別に間違いと言うつもりはありませんが,世界的にはかなり非常識だ…と どうもなってるようで,その辺は最近の日本人も意識してきている 様です。それは北朝鮮問題とかの問題だったり,アメリカとの関係の 問題だったりが重な要因でしょう。
まぁですから,現実問題としては「平和を叫んでも平和が来るわけじゃ ないんだよね…。自分の国の平和を維持するために,軍事行動が 必要ある場合もあるんだよね…」というのが本当でしょう。 そういう目からみると,最初にリンクした小泉さんのコメントとかも 正論となるわけです。でも,わたしは現実は現実と認めたうえで, 理想を叫び続けることは意味があると思っていて,そういう意味では (特に)若い青少年がああいう行動をすることはある意味必要かな…と 思うわけです。現実を現実と認めてしまうだけだと,そこにいつまでも とどまる(だけならまだマシですが,じりじりと悪い方にシフトすることも 多いように思います)けど, 理想をもった上で現実の行動を続ければ,もしかしたら, ちょっとだけでも隙があれば少しだけ理想に近づくかも知れません。
実際に市民運動の反対によって戦争が早期終結するケースはあるわけで, そういう意味でもやっぱり単に現実だと切り捨てるのはどうかと思います。 でも,ネガティブな突っ込みとしての 反戦運動もどうかとはおもいますけど…。
以前別の人のページで,ミュージシャン達が平和運動をするのに 対して,「自分達は行動せず,平和な場所でうまいものを食べて, 叫んでいるだけ」と批判したのを読んだことがありますが,わたしは これもちょっと違った考えで,たしかにそうかも知れませんが, 結果として誰かがボランティアに行ったりしている現実がある以上, そういう役割としての意味はあるのかな?と思ったりもします。
こちらは逆の意味で現実の話になってしまいますが,全ての平和を 願う人が同じように海外に反対運動に行ったり,ボランティアを する必要はない,それぞれがそれぞれの出来ることをやり,それなりの 効果が出るのであれば,そういう運動は意味があるのかな?, と思うのです。
平和が嫌いなら話は別ですが:-p…。

2/11(訴訟)
牛丼ないって暴れた人がいるそうで…。春ですね。 チト早いか…。訴訟社会だったら,訴える人も出るって事でしょうか?:-p。
訴訟といえば,日本は裁判に時間がかかる…っていわれてます。実際 10年以上かかる裁判なんってザラです。一方でアメリカみたいに, たいしたことじゃなくてもとりあえず訴える…という様な社会もあって, まぁはっきりいって良し悪しです。日本の裁判の大変さもどうかと 思うし,アメリカみたいに言い掛かりの様な訴訟も辟易します。
とはいえ,どうして日本は裁判にそんなに時間がかかるんでしょう?。 学校の社会の時間でも習いましたが「慎重にやる」というのが 原則なんでしょう。裁判というと司法,司法というと最終的な 良し悪しを判断するということで,そこで決まったことは覆らない, だから,慎重にすべきという感じに思えます。ついでに「前例主義」が あるので,下手な判例を作ると,後世の裁判にも影響する…, これじゃ慎重にならざるを得ません。
アメリカはどうなんでしょう?。時間がかかってない気がします。 それにアメリカには陪審員制があります。陪審員でやる場合,判例なんて 関係ありませんよね。もちろん裁判官だけの裁判もあるようですが…。
なんとなく思うのは,日本もそういう完璧主義を裁判に求めなくて, 単に「今揃っている材料だけでは,こう判断せざるを得ない」という 感じでさっさと判決だしちゃえばいいのに…とか思ったりもします。 それと前例主義をもうすこし減らしたらどうでしょう?。裁判自身に 矛盾があっても判断したのは人間だから仕方ないって気はします。
だめなのかなぁ…。
ところで,全然話が変わりますが…,ちょっとメモがわりに…。
あちこちでおもしろがられていたので,紹介。 食べ物の形を変えて(揃えて)試食。想像していた味と実際の 味が違うとショック…という経験は初めて塩辛い小豆を食べたときに 受けました(^^;)…。逆に外国人がアンコを嫌う理由が良くわかります。
形が揃っているとお腹いっぱいにならない…っていうのはおもしろいですね。 結構人間って目から食べてるんだなぁ…と思いました。

2/10(牛丼)
吉野家が牛丼の販売をいよいよやめるそうで,結構並んだりしてるようで…。 行ってみようかとちょっと思いましたが,普段ほとんど行かないので, 物見胡散的でやめました。まぁ今回並んでいる人が普段そんなに 行ってるかどうかも謎だし…。
まぁ吉野家嫌いじゃないけど,そんなに行かないです。もしかしたら 一番行ってたのは六本木でライブをみる前とか後とかかも。 それも天下一品ができてからはそっちの方が,多くなったし。
ちなみにアメリカで吉野家が好調ってニュース, ここ数日数回みたんですが,なんでしょうね?…。わたしが10年 近く前に,LAに出張で行ったとき, 毎朝吉野家で朝食食べていたのですが(^^;),好調って意味では 当時から十分好調で,別に今回急に流行っているわけではないでしょうに。
今回のBSE騒ぎで,アメリカ人はそれほど牛肉控えをしてないって 意味でしょうから,別にアメリカの吉野家を引き合いに出さずに 肉の消費量が落ちてない…っとだけ報道すればいい話のように 思います。そもそも最近アメリカはアトキンスダイエットが流行っていて, 肉の消費量が増えてるって聞きましたが…。
今年の抱負で,ダイエットを挙げる人が多いアメリカ人,痩せるのと 低確率のBSEとどっちをとるかって話のような気もしますね。 アメリカのマスコミって日本同様パニック的にあおるときもあるそうですが, BSEに関してはそうでもない…ってことなのかしら?。

2/9(30代)
今月カードの引き落としが非常に高額で,残り給料日まで 辛い…。年末年始の飛行機代とか響いている様子…っていうか, そのあとも九州行ってるし,スーツ作ったし,PC買ったし…って事で, 来月は更に倍くらいになってしまうんじゃないか?…。ボーナスからの 補填必至だなぁ。
ところで一昨日朝の情報番組で「30代」の特集をやってました。 自分も30代ですが,なんかそういう取り上げ方をされたのは 珍しい気がします。団塊の世代とかは良く今まで語れてましたけどね。 バブルを経験した最後の世代とかも言われてましたが,30代前半の 人たちは経験してないんじゃないかなぁ…。まぁたしかに 自分達の数年あとの世代をみると,就職が困難になったり, 若くて結婚して子供産んだりとか,ちょっと自分達とは価値観が 違うようには感じます。
番組で中田(横浜)市長が,「理想と現実の狭間にいる世代」と いうようなこと(正確には「あるべき」と「そうである」というような 表現だったような…)を言っていたのは,非常に「なるほど」と 思わせられました。
最近若い人たちからいろいろ相談を受けるんですが,たしかに 正論をぶつけてきます。でもそういう話を聞きながら,「でも, それじゃ世の中通じないんだよなぁ…」とか思ってしまうことが よくあるわけです。もっと上の世代になると「若いやつはわかってない」と 言って切れるのかも知れませんが,どうもわたしくらいだと両方が それなりに良く見えるので,たしかに狭間で悩んでしまう様です。
とはいえコレに関しては30代という年代の話であって,世代の 話じゃないよなぁ‥。ただ時代の変化って意味で言うと,上に書いたように, 我々の頃は裕福だったせいもあって,「自由にいきる」とか「夢を追う」って 事が非常に肯定的にされていた時代だと思います。そして 私たちの前の世代は,ほっていおいても給料は上がる,経済は 伸びる世代だったわけで,そして私たちのあとは閉塞感だから, やっぱりそういう意味でも「狭間」なのかな?…とか思ったりします。
とかいってもねぇ…。結構周りからいろいろ言われてますが,わたしは 今更学生でもしようか…とか思ってる人だから,現実は見えてるつもりだけど, はたからみれば自由に夢追ってるように見えるんだろうなぁ…とか 思ったり…。
まぁ,夢をかなえるために根回ししたり,状況を把握したりと そういうスキルはついたなぁ…と思います。がむしゃらに正論を 語り突っ走る…っていう事はしなくなった…,その辺が,若者とは 違うのかも知れません…。

2/8(新PC)
まずお詫びというか訂正。昨日書いていたベアボーンPCの ネットワークの不具合ですが直りました。Nettuneというソフトでパケットとかの 設定をいじるというか推奨値にしたら,正常になりました。 もっとも,インストールのときにここをいじったわけじゃないので, 初期値がおかしかった…ということになるんですが…。 うちのルーターって98のマシンの時もそうでしたが,この値が おかしいと,固まるみたいです。それからWnnがエラーを吐いていたのは ネットワークが正常になったあともしばらく続いていたのですが, それもいつのまにか止まりました…。これは謎です。
というわけで,自宅のPCの更改進んでおります。古いPCはしばらく 必要なファイルを移すために使いますが,それが終わったら, 消してLinuxでも入れよう:-)。で,新しい環境はメーラが mew-1.94から3.3に上げたので,結構設定が違っていて, 戸惑っております。Meadowも1.10から1.5へ。Mozillaも1.0から1.5へ 上がっております。CPUはP4の2.8,メモリは512。DVDのマルチドライブ もついているのでDVDの読み書きもできます。
しかしこのベアボーン,静かです。めったにファン回りませんし。 小さくてよろしい:-)。昨日まで「買って失敗だったか…」とか 思ってましたが,まるっきり逆になりました(^^;)…。
というわけで,今日は夕食時以外,ずっとPCの設定と ゲームやってました(笑)…。まぁその為に更改したわけだし。
週末のTVをみて思ったことを書こうかとおもいましたが, PCの話で長くなったのであしたにします。

2/7(民族)
ベアボーンを組んでいるんですが,なぜか メーラーが動きません。Webブラウザは動くんですが…。二種類の メーラーを試して動かないので,どうもアプリ側の問題じゃ ない気がします。WindowsUpdateもエラーで終わることも多いんですよね…。 なんかネットワーク系のトラブルなのかしら…。まぁでもWebと ゲームをやるには大丈夫なんですが…。
さて…。
ロシアでのテロの話をみていると,国家の中での民族間の争いなんて いうのはパレスチナとかじゃなくて,世界中にあるんだなぁ…と 思います。先進国であるヨーロッパの中にも。
現在の紛争の原因は共産主義対資本主義という構図が崩れてしまったため, 民族間の争いが主流になっている気がします。国家間で争いは 主に国境線問題(インドとパキスタンみたいな例)になりますし, 国家内での争いは民族の独立運動とかになるのだと思います。
まぁその辺の話はあまり知らないので,語らないことにしますが, 思ったのは民族というのは何なんだろう?…ということです。 人種…の場合もあるでしょうし,宗教の場合もあるでしょう, 出目がはっきりしていたら,それの場合もあるでしょう。 ただヨーロッパとかをみていると言語というのが大きいのだな…と 思います。ヨーロッパはアレだけの面積にかなり多くの言語があり, それが民族の単位となっている場合もあるようです。
さて,日本は単一民族国家と言われてますが,出目をみると, 南方系北方系大陸系と多くの移民が混ざってます。なのに単一民族だと 思っている一つの原因は国民全員が共通語を喋れることと,あと, どこに住むのも自由ということでしょう。よくよく考えてみると, 江戸時代までは共通語というのはなくて,地方によって 言葉が違っていて,どうかすると言葉が通じなかったわけです。 また旅行手形を手にいれるのが難しく,移動の自由もありませんでした。
もし江戸時代のまま近代化したら,地方の言葉の単位で民族意識が 高まって独立運動とか起っていたかも知れません。そういう意味で言うと, 明治のどさくさで良くもまぁうまく共通語というものを作って 普及させたなぁ…と思ったりします。
まぁそれと国民全員がそれなりに裕福に喰えているというのも 反発が起きない原因でしょうけど…。これから不況になり,食べれない 人が出てきたりした場合,どういう風なごたごたが起きるんだろうか?, とかも思ったりしますが,言語の差別がない以上,民族運動という 形にはならないんだろうなぁ…と思います。

2/6(ノイズ)
今日は朝から寮のエアコンの掃除…。少しは効くようになってくれると いいんですが…。それより新しいのに換えませんか?。そろそろ 10年になると思いますが…。
そのあと,昼頃12ヶ月点検に出していた車を取りに行く…。車を 買うときも思ったんですが,どうもこの世界の信用取引は 凄いよなぁ…。だって車預けるとき預り証も何もくれませんでした。 取りに行った時,身分も確認されませんでした。わたしが点検に 出していることを知っている人が取りに行ったら,簡単に盗めるよな…。 逆に,「車なんて預かってません…」と言われたらどうしよう?…とか ちょっとドキドキ(^^;)…。
点検をだしたディーラと車を買ったディーラは違う店ですが, 車を買ったときは領収書をくれなくてびっくりしました…。というか もらうの忘れたんですが(^^;)…。あとでわたしの車になってなかったら…, とか思ったりもしたけど,まぁ車検証にわたしの名称が書いているから 大丈夫って事なのですかね?…。
たぶん,中古車の引き取りとかだともう少しきちんと 契約書作るんでしょうけど,額がでかい割には口約束の世界でした。 うーむ。
話は変わりますが,
昨日レコーディングビジネスの話はいずれ…と書きましたら, そんなところへアナログでの録音もガードする技術だそうです。 びっくり…,驚き,あり得ない…,という心境…。
スピーカから録音しても雑音が入る…というのは,どう考えても 元の音に雑音が入っているからでしょう。ひどい話です。
これを作った会社の文章も読んでみましたが,どうも良くわかりません。 「適切に利用されていれば雑音は入らない」というコメントが上記 記事には載ってますが,本当なんでしょうか?。リサンプリングで ノイズが出るのなら,アナログの場合は出ないと思いますが…。 位相歪みで出るのであれば,アナログでも出ますが,そもそも適切な 再生系でも位相歪みくらいはあるわけで,適切にやっても でることになります。特にラジオとかに載せると絶対 ノイズ出ますよ…。
まぁリサンプリングで高域に乗るだけであれば,フィ…… (もごもご)…以下,訴えられると困るので省略(笑)。
まぁでもひどい話です。CCCDなんかよりもっと音が悪くなると 思われます。そんなに音悪くまでして音楽出版したいんだったら, もうAMラジオ品質くらいで出版すればいいんじゃないか?…って そうなるとそれがオリジナルだからダメなのか(^^;)…。
ちなみに技術的な話をすると,高域にある音を複数載せて, それの干渉により低域に音を作り出す(というか聴こえる)ことは 可能です。でもそれを正常だと消えてコピーだと聴こえる…って いうのが謎ですね。正常だと干渉で消える…っていう風にも 読めましたが,上に書いた通り正常に再生しても多少の位相歪みは 発生するので,たぶん聴こえるんじゃないかな?…と思います。 そもそもCDで聴こえにくい高域といっても18kHz以上とかでしょうが, 人によっては聴こえますよ…。特に変調とかしていたら…。

2/5(クィーン)
えっと…ドラマはみないので暗いのですが…,主題歌かなにかに クィーンの曲が使われているせいで,最近クィーンのアルバム…って いうかたぶんベスト盤でしょうが,出たみたいです。日本限定ですか?。 と調べたらこれか…。 それでもって,初登場でチャートインしたとかで,こんなに古いベスト盤が 珍しい…とかどっかで言ってました。いやたしかに調べたら, 邦楽アルバム押えて一位になってます。でもたしかビートルズの ベスト盤も一位になってた気がしますが…。
まぁそれよりもなんというかずっと思ってるんですが,クィーンの曲って 最近に限らずここ4,5年…ずっとどこかしらのFMとかTVでかかってる 気がします。わたしはTFM聴くから思うのかも知れませんが,TFMの 朝の番組のあるコーナーの曲にもなってるんですよね。でも それ以外にTV番組とかで使われたりとか多い気がします。 なぜでしょうね?。
70年代とか80年代とかにヒットしたグループって他にもあるはずですが, なぜクィーンばっかりなんだろう?。ある意味ビートルズよりよく かかる気がします。まぁたしかに他にはないユニークな音楽性だし, ドラマチックな曲調だから,演出に使いやすいのはわかりますが…。
わたしはクィーンはリアルタイムですが,どちらかというと, あとからの方が好きになったという感じです。まぁだからベスト盤 しかもってませんが,意外に良く引っ張り出して聴いたりもしてます。
余談ですが,音楽マーケットとしては「レコーディング」のビジネスモデルは 徐々に廃れて,「パフォーマンス」主体になるのでは?…という 気が最近してます。20世紀以前はそうだったのですが,再び それに戻るのではないか?という感じです。そういう意味じゃ 20世紀後半の巨大なレコーディングビジネスは二度と起きない気もします。 感覚的なものですが,そう思った根拠などはまた別途書きます。

2/4(女性)
時々読んでるサイトで,わりと気に入ってるんですが, ちょっとここ数日の記述をみて思うことがあったので…。 「なぜ女は議論に弱いのか」という話と 「生物学的結婚否定」の話。 結果的に反論になってしまうのは申し訳ないのですが,まぁ思ったことと, いうことで…。否定してるわけではありません。
前者の方で「直観でわかんないのかなー。頭悪っ」と書いた(おそらく) 女性が批判されてますが,わたしは案外この女性の言い分は 正しい(ただし言い方は悪いと思いますが)と思ったりもします。 以前から思ってますが,女性の方が言葉にならない様な部分で 感じるものが男性より明らかに多く,さらにそれでもコミュニケーションが 取れるんじゃないか?…ということ。つまり女性の方が感性が発達してるので, それを言葉にできないのではないか?。逆に言うと男性は単純な感性しか 持ち合わせていないので,それを言語で表現することができる…と いう感じです。まぁこれはいろいろな事から(宗教の事とか)思って たんですが,今回は長くなるので単なる意見ということで…。
それから,言葉を使わずコミュニケーションを取るというので一番大きいのは 乳児を育てることです。乳児に言って聞かせてもしょうがありません。 ですから,そもそも子供を育てることが多い女性はそういう能力に 長けてるんじゃないかな?…とも思ったりします。 実際女性は子供じゃなくても,スキンシップとか多いし,相手に共感して 泣き出したりとか,そういうのが多いように思います。セックスに 関しても女性の場合相手が気持ち良くならないと,受胎には 至らないんですよね…。
後者の方…。生物的な理由で性差を語るのは「バカの壁」じゃなく, 「地図を読めない女…」からの流行だと思いますが, それは置いておいて…。
「たくさんの女性とセックスしたほうが、子孫を残せる確率は高い」と いうのは乱婚状態で他の男性の子供が生まれてしまうかも知れない…と いう点が見落とされているような気がします。まぁ他の男性を 全部追い出してハーレムを作れれば別ですが:-p…。猿とかみたいに。
ついでにいうと女性の視点が考慮されてません。女性からすると, 乱婚だろうが一夫一婦であろうが,自分の子供であることには間違いないので, 別の理由,例えば男性の遺伝子が優秀であるか?とか,男性が 自分を養ってくれるか?という視点になるのかと思います。前者だとすると, 男性が競って一人だけ選ばれたときのハーレムになれば いいって事になりますが,もしその男性の遺伝子に異常があったら, 全女性の子供がまずくなるわけで,非常にリスキーです。
後者は社会構造とか環境で異ります。例えば南の島で働かなくても 食べていけるような所なら,男性が養う必要がないので,夫婦になる 必要もありません。子育時期に男性が養ってくれないとだめな環境では 男性を縛り付けるような形がいいでしょう。
というわけで,乱婚がいいか一夫一婦がいいかハーレムがいいかは 一概に言えない気がします。感覚的には一夫一婦や離婚禁止や 処女信仰が強いのは寒い国(つまり西洋)の傾向の気がしますが…。

2/3(ジャムバンド)
朝FMを聴いていたら,GALACTICというバンドの紹介をやっていて, その時のコメントが「まぁジャムバンドなんですが…」っと…。
おぉー,「ジャムバンド」というと一般の人がイメージできるくらい, 一般的な言葉なのか?…と思いましたがどうなんでしょうか?。 わたしが4年程前にジョンスコのbumpというアルバムを紹介したとき, ジャムバンドを「ニューヨークのアンダーグランドの若い演奏家」 と表現していたのが隔世の感です(^^;)…。当時は「ジャムバンドって なんだ?」とか思って書きましたから…。
一方でジャズのCDの売り上げが急増というニュースも あります。この辺はわたしがCD屋に行って感じるのは,女性ボーカルと 古いタイプのトラディショナルなジャズの新譜が非常に増えているということ。 つまり売れてるジャズというのはこれらのジャズだと言うことでしょう。
とはいってもジャムバンドのCDもジャズコーナーにあったりするわけで, こっちのファンも結構いるのでしょうか?。おそらく昔からジャズを 聴き続けている人にとっては「ジャムバンド」という言葉はピンとこないと おもうんですが…。
というわけで,従来のジャズはより懐古的になっている…という感じで, 新しいタイプのインストであるジャムバンドとはかなり距離を感じます。 とはいってもかってフュージョンが出てきたときも,旧来のジャズファンからは 「あれはジャズじゃない」と言われてました。ですから,メセニーの80/81や STEPSの様にフュージョンミュージシャンと認知されていた人たちが, ストレートアヘッドなジャズをやるという企画が話題になったわけで…。 で結果的にはこれらのミュージシャンは両方をうまくやっていて, 見事に間を埋めてしまったわけです。
というわけで,ジャムバンドが果たしてジャズとの間を埋めるのか?…と いうのは興味あります。ただ上記のフュージョンミュージシャンが ジャズのテクニックをバックにエレクトリックをやっていたのに対し, ジャムバンドのミュージシャンはどうもそうでない(ボキャブラリが 違う気がします)様なので,果たしてそうなるかどうか?…,ちょっと 考えちゃいますが…。
ジャムバンドが普通にわかる単語になっている…っていうのであれば, すでに市場の感覚に私がずれてるって事で,ちょっとショックでした。

2/2(学生)
今夜は昨日買ってきたベアボーンキットを組んでますが…, HDDフォーマットに凄く時間がかかって…, とても終わりそうもありません(^^;)…。
さて,4月から肩書きが増えることが決まりました。「学生」です(笑)。 だからどうってわけじゃありませんが,ちょっとホッとしました。 事情を知っていらっしゃる方々,ご心配お掛けしました(_o_)。
映画は学割でみれるのかな(笑)?。
ところで「学生」の定義ってなんだろう?。専門学校生でも 学生っていうんですかね?…。認可されている学校だったら 学生なんでしょうか?。

2/1(養老先生)
バカの壁がバカ売れしているせいで,その内容について 語ってるサイトが幾つかあったようですが,その中に 養老先生の書きっぷりが中途半端…,みたいなことを書いている人が いたように記憶してます。つまり「バカの壁」により 養老先生は世の中にバカの壁があることを示したのはいいが, それで終わっている…と…。
えっと,わたしは養老先生のファンで,著書は数冊読んでいるので, 思うんですが,別にこの本は先生が力を入れて書いた本じゃないと 思います。ですから,別にこの本で論旨が完結する必要は ありません。ですからこの本で養老先生の見解を語ろうというのは 不適切だと思います。この本は口述筆記だった事からも推測されるように, かなり噛み砕いてわかりやすく書いてます。ですから,話が 複雑になるところまでは踏み込んでいないと思います。
むしろおもしろいのはそういう本の方が結局は売れてしまう…って事ですね。 バカの壁を批判する人がどんなに話を複雑化して話を進めた本を 書いてもたぶんその本は売れないだろう…と想像できます。 人はたぶんそこまで突き詰められると,例え理解できても,受け入れられない のではないでしょうか?。
でもバカの壁を認識した人のなかでその壁はどうなるのだろうか?…とか 思ったりもしますが…。常に意識しているとコミュニケーションとしては 辛い気もするのですが…。
ところで,「バカの壁」はバカの壁の話ですが,別に養老先生が常に 主張したいのはそう言うことではないと思います。むしろ彼の著作でいうと 「唯脳論」や「日本人の身体観の歴史」の方が言いたいことを多く 含んでいるような気がします。わたしが養老先生の凄いと思うところは, 彼は哲学的な考え方が出来るのに,それに加えて肉体に対してのリアリティが 凄いところです。彼は実際に人間を切り刻んで触っているので, そうなるのでしょう。 唯脳論とかは取りようによっては一種の唯識論ですが, でも彼に言わせると身体がそこにあるのはまぎれもない事実なわけで, それで,脳に縛り付けているのでしょう。
この辺は,単なる哲学者が挑んでもかなわないところなのだと思います。 人は論理的にあり得る事をいく通りも考えることが出来ます。 ですから,世界観等というのは幾らでも作れるのです。しかし,それを もっともらしい…と信じるのはリアリティにより判断しているのでは ないでしょうか?。現在の日本人は都市化してしまって,すっかり 物体としての人体に触れることはなくなってます。実際に脳や 内臓を触って「そこにある…」と感じるのは通常は難しいでしょう。
この辺が,先生の特異性を際立たせているところなのだと思います。 医者で,あれだけ他の分野のことを語れる人も少ないですし。


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