2001年2月の日記&雑感


だらだら書いた日記です。トップページの雑感にはここから 一部引用することもあります。
日によって文体が変わるのは気分です(^^;)。


2/28(忙しいか?)
わたしは,今,大変暇です。:-)
「最近どうですか?…」って聞かれたときに「暇です。暇」って 答えると結構「えっ?」と驚かれて面白い。そういえば,なんか 会う人はほとんど,「どう?」と聞くと,「いやぁー,忙しいです」とか 「もう大変です」とか「バタバタしていて…」とか答えるようで, 「暇」と答える人はナゼか少ないです。たまに「仕事無くて 大変」とか言う人もいますが(^^;)。
「どうですか,最近?」と聞くと,どうやら,多少「大変」と 言わなければいけないような雰囲気があるのか?。「ウハウハです」と 答える人は少ない様に思います。そういえば,わたしが学生の時に, 街を歩いていて,なんかの勧誘の人に,「いま幸せですか?」と 聞かれて「もちろん」と答えたら目を白黒させていたなぁ(笑)…。
まぁ客観的に見ても,いまのわたしは暇だと思うんですが, 限界というのは人によって違うので,「忙しい」と聞いても, 本当のところは良くわからないのでしょう。時間はたくさんあっても なんか気持ちで焦っている場合もあるし…。
というわけで,大変暇な2月は終わりました。来月は年度末。 比較で言うと多少は今月より忙しくなるのだろうか?。

2/27(謝るということ)
「熊本人は頭を下げるのが苦手」といったら「熊本人は 謝ることを知らない」と解釈した人がいて,困惑したことが あるんですが,実はわたしは結構簡単に謝っちゃいます。 でも人にお願いするのは苦手です。そういう意味だと思うんですけど…。
さて,余談はさておき,アメリカの原潜事故で,「アメリカは すぐ謝る国だ。もう十分謝ってるのに…」とアメリカの新聞が 書いたそうです。
へー…??,と思いました。わたしは個人的にはすぐ謝るたちなので, 以前は,国家間の問題が起きたときに,「とりあえず謝ればいいのに…」と 思っていたことがあるんですが,どうやら「国が謝る」というのは 個人の場合とは異なりいろいろと複雑な事情が絡むようです。 わたしは個人の場合は,意固地になって話があらぬ方向に行くのが 嫌なので,とりあえず否を認めた後,詳細を擦り合わせようと いう発想になってしまうのですが,まぁ個人でもそういうことは ありますが,「少しでも謝ると全面的に否を認めたことになる」と いうことが国家間ではあるようです。また「全面的に否を認めないと 謝ったことにならない」ということなのかもしれません。
それで,国の場合,否を認めたら,「保証」をしなければいけなくて, それで,安易に謝れないというのがあるようです。さらに謝って 保証した後も,何十年も後に「不十分だった」と再度要求が あったりもします。そういう現状(?)を見ていると,「安易に謝るのも 問題だな」と思ったりもするわけです。かといって「俺は絶対 あやまらんぞ」という人間にはなりたくないのですが…。
そういうわけで,アメリカの新聞の苦言は,戦後50年謝り続けて, なおかつ不十分といわれ続けている,どっかの国の現状を 考えると,「そんなすぐに根を上げるなよ…」とか思ったりも します。まぁやったことが違うといえば違うんですが…。

2/26(アートと思想)
で,昨日行ってきたイベントというのは, BeGood Cafeというもの。このイベントは今回で26回目。 今は価値観がぐちゃぐちゃになっちゃって,みんな迷ってる 時代なので,こういうイベントのように若い人が多く集まる ちょっと政治的なものが増えているように思う。
最近この手のイベントをのぞいていて思うのは,単なる まじめで堅い啓蒙イベントではなく,音楽とかビジュアルとか フリーマーケットとか,いろいろとアートというかカルチャーが 絡んだかたちで行われているものが非常に多いということだ。 従って,非常に軽い気持ちで参加出来るようになっている。
で,思い起こしてみると,わたしが高校の頃とか…,非常に 若者はノンポリだった気がする。音楽はフォークからニューミュージックに 完全に切り替わり,政治的なテーマを持った歌は皆無に なっていた。わたしは当時そういうのに不満があった…というか 分けもなく自分よりずっと以前の学生運動の頃のエネルギーに 憧れを持っていたような気がする。昔の歌は,政治色や メッセージ性が非常に強くて,そういうのを支持していた 時代のエネルギーの様なものに憧れていたのかもしれない。 しかし時代自体はそういうのを「ダサイ」ととらえノンポリなのが かっこいいと(無意識だったけど)思っていた時代だったのか しれない。
山下達郎が以前「シュガーベイブは当時唯一思想と結びついて いないバンドだった」と言っていたが,逆を言うと達郎の時代 (70年代?)は,カルチャーと思想(政治運動?)が結びついた時代 だったのかも知れない。
しかし70年代後半から,徐々にそういうのが無くなり, 世の中も豊かになって,若者はかっこいい服を着たり,いい車に乗ったり, おしゃれな店に行くことがステータスになり, そういうおしゃれなものとカルチャー(音楽他)が結びついていった。
現在は,エコロジーとかの運動を見ていると,単なるNPO, NGOとかじゃなくカルチャーであることがわかる。 ラップで平和や人権を語るのはふざけているようにも一見みえるが, フォークの時代と同じで,むしろ今の若者流に 真剣に考えているのだと思う。
それから,ノンポリだって一種のポリシーなのだろうが, あれはなぜそうなったんだろう?。学生運動がなにも結果を残せず, 日本赤軍とかが自己崩壊していって,そういう思想を持っていた人々は 疲れはて失望していく一方で,国の経済政策が思想とは関係なく 人々の生活を豊かにし,「このまま経済成長していれば大丈夫」という なんか,そういう思いを国中にばらまいたのだろうか?。 あれも誰かの意図であれば結構怖い。しかし結局その考えは, バブルの崩壊と自然破壊によってつまずいているわけだが…。
私が学生の頃は,「人は人親にならないと真剣に未来を考えないの だなぁ」と生意気にも思っていたが,今の若者はそれに比べると ずいぶん真剣に考えていると思う。まぁそれは逆を言うと, 大人(政治家とか)があまりにも先のない政治(国債の乱発や自然破壊)を やっているからかもしれないが。

2/25(駅伝)
というわけで,今日は横浜女子駅伝。わたしの住んでいるところは 丘の上にあるんですが,丘を下りると国道16号に出て,16号が 駅伝のコースのため,結局駅伝の間中軟禁状態になります(^^;)。 まぁ裏道を使って,逃げる手もあるんですが。
だらだらとTVをみてると,知っているところが画面に出るのは ちょっと新鮮な感じです。自分ちのすぐ横を通りすぎた後, どうせ出かける用事もあったので,コースの方へでかけました。
が,車が使えない(国道封鎖中)し,バスも当然止ってるので, 歩いていくことになります。折角なのでコース沿いにずっと 歩いていると,うちから800mくらい行ったところに, 中継地点が。往路はとっくに終わっているのですが,復路で 再びここを通るので,しばらく待ってたら,選手たちが ぞくぞくと出てきて,そうこうしている間に,次々に タスキリレー。なかなか盛り上がりました。
その後,用事を済ませて,そのまま駅に行こうと思ったんですが, 道路が封鎖の影響で混んでるので,普通だったらバスなんですが, 結局歩きました。4,50分歩いたんじゃないかなぁ…。 去年はたしか,駅伝をやはり路上でみた後,うずうずして ジョギングしたんですが(^^;),今年は歩いたので,それは それでいい運動になりました。
そのあと,代官山にでかけて,ちょっとあるイベントを みてきたんですが,それについては,またあらためて 書きます。

2/24(部屋の休日)
昨日の夜から天気が崩れていて,今日は一日雨。特に約束もないので, 自宅でだらだらとしている。自宅は狭いので,息がつまるけど, まぁ,読みたいと思っていた本とかが結構あるので,CDでも 聞きながらゆっくり読むか…ということで,借りていたビデオを 返しに行って,代わりにCDを借りてきて,聴きながら,音楽雑誌を 読む。
私はCDはたくさん買うが貸しCD屋にあるようなヒットCDは借りることもある。 でも借りたCDがお気に入りになって,何度も聴いてると買った方が 良かった…とか思うこともよくある。今日借りた「ラブサイコデリコ」 (カタカナで書くなって?^^;)も, そうなるような気もする…。
読んでいた雑誌とはテクノ系の雑誌。不馴れな分野だと,読んでも なかなか頭に入らない(苦笑)。一昨日電車の中で読んだ脳科学の 文庫本の方がすんなり頭にはいるというのは,一体どういうこと?…。 研究馬鹿になってるのかなぁ(笑)…。
とか書いているが,実際は音楽の情報って,あまりにも自分と 接点が少ないと,文章を読んでいても,なかなか音楽がイメージ 出来ずに,身につかないって事なんだろう。
というわけで,ちょっと現在,いろんな情報収集中ってところか…。 外で情報集めるのもいいけど,たまには,こうやって自宅で 反芻せねば…。

2/23(完璧な親)
TBSの筑紫哲也の番組で最近の若者を探る企画をここ数日やっている。 その中で,筑紫哲也が自分の息子と対話するというのをやっていた。 そのシーンを見ていて非常に奇妙な気がしたのは私だけだろうか?。 私はなぜかその息子に「大変そうだなぁ」と思ってしまったのだ。
この感覚をちゃんと説明するのは難しい。そもそも親子の関係というのは 実にパーソナルなもので,自分の経験が一般的なものか?と言われると 全く自信はない。ただ筑紫哲也自信が九州出身で,「父親が威張っていた」とか 言っていたし,父権が強いという意味では,まぁ自分の経験とも 近いかも知れないので,敢えて書くと,私の感覚では,男の子供は 男親と自分の人生について語り合う必要はないのではないか?と 思う。もちろん自分自身が悩んでどうしようもなければ,父親に 助けを求めるのもあるかも知れない。しかし,男の子はいつか 「父親を越える」ものだと私は思っているから,助けられているうちは, 逆にすごく劣等感を感じるように思う。
筑紫哲也はああいうキャラクタだから,本当の家庭ではわからないが, TVでは物わかりのいい大人の様相で子供に接していた。しかも 子供からするといまだにTVで活躍している人で,そういう人に 気を使って,いろいろ聞かれるというのは,どうにも越えられない 壁のように親を感じてしまうのではないか?とすら思った。
筑紫哲也自身が,自分の親のことを「子供の頃は怖かったが, 大人になって考えるとたいした人ではなかった」と言っていたが, 子供は親をそう思うようになって,ある意味自立したと言える様に 思う。
この企画は基本的に若者ではなくその親たちの世代向けの企画だろうから, 大人の視点で描かれているのだと思う。大人が見て,わかるように つくられているのではないだろうか?。しかし逆をいうと,この 企画で描かれた方の子供たちは何か得るものがあったのだろうか?。 その番組を後で見たり,出演した子達はこれで何かわかったこと, これから生きていくに大事な何かを得たのだろうか?。
NHKの教育とかは昔から深夜とかに10代後半の若者を集めて, いろいろ番組をやっている。しかしそういう番組は基本的には 子供たちで徹底的に話し合わせて,解決させるという形が 多いように思う。そういう番組に比べると,TBSの企画は 単に大人が「子供がわからない」という不安を取り除くための 番組であり,子供は一方的に搾取されたのではないか?…, と思ってしまった。
どうも私は親でも子供でもない感覚なのかも知れない (親からは自立してるが,人の親ではない)ので, 実際当事者がどう思ったかはわからないが…。

2/22(道路整備)
夜,家に帰るために,バスに乗り最寄りの停留所で下りたら, 背中に光る「M」のマークを背負った人がたくさんいて(10人以上) びっくりした。一瞬警察か?と思ったら,道路工事の人だった。 しかし,こんな時間(20時?)にこんなに大量の工事の人が いるのも珍しい。良くみると,道路の線を引き直したりしている。 別に掘り返したり,マンホールとかに入ってるわけではない。
以下勝手な想像だが,こんなに急にやってるというと考えられるのは 一つ。今度の日曜に,その道路は「横浜国際女子駅伝」の コースなので,そのための化粧直し…ってことなのだろう…。 基本的にはライン引きくらいしかやってないようだが,穴とか あったら直したりしたのだろう。そういえば,箱根駅伝とかでも, 道路を直したりするという話を聞いたことがある。
まぁ別に穴があろうが,みんなが同じ条件ならレースとしては成り立つと 思うが,怪我人が出ても困るし,最近は記録が出やすいコースというのが (多分選手にも)人気があるようなので,そういう整備を しているのだろう。もっとも海外の選手は荒れたコースに強いようなので, 日本人もそういうコースに慣れた方が,オリンピックの時とか 有利だとは思うのだが…。
ちなみに,こことは別だが,駅に行く途中にある歩道橋も 塗装しなおしていたが,これも駅伝に合わせていたのだろうか?…。 去年,思ったが,レース当日,数時間前にこの辺の道路を みると,路上駐車などいっさい無くなり,いつもとちょっと 違った様相を見せる。結構新鮮な風景である。警察が 本気で,路上駐車を取締まると,こんなにも道路がすっきりするのか? とびっくりしてしまうほどだ(笑)。それだけ,普段は 本気じゃないんだろうけど…。まぁあまり「本気」でやったら, 困ったりもするけど…。

2/21(消える母校)
今はメイルがあるので,卒業して何年もあっていない,同窓生の 間でもそれなりに情報がすぐ流れる。私の場合,大学と高校の 友人とはそれなりに連絡をとることが可能だ。今日は大学の 卒業生の間で衝撃のニュースが流れた。私の母校は九州芸術工科大学という 国立の単科大学(一学部のみ)なのだが,それが同じく国立の九州大学と 合併の方向で協議が始まったという事だ。1000人も学生がいない 私の母校が,九大と合同合併とはとても考えられず,事実上 吸収という形になるのだろう。もちろんうちの大学は全国で 唯一の芸術工学部を持つ国立大学なので,学部自身は存続する 可能性が高いが,名前が残るかどうかは怪しい。
このニュースを聞いた卒業生はみな落胆の声を上げた。 国立大学というと,一応国家予算を使っているし, 最近小子化で学生が減っていることを考えると,統合するというのは, 冷静に考えれば,リーズナブルなのかも知れない。しかし, 卒業生や関係者にとっては,そういう問題ではない。 単に愛着というのもある。しかし,もっといろんな心情が 絡んでいる。よくよく考えると,大学(他の学校もそうだが)というのが, 入学前の学生,在校生,そして卒業した後の社会人のいろんな 立場で持ってる意味が違う。
うーん,どうも,さくっと書けそうな気がしないので(^^;),また あらためて書くことにします。ちょっといろいろ考えてしまって…。

2/20(病み上がり)
とりあえず,昨日の夕方から熱は下がっていたので,今日は 会社に行った。ただし風邪薬を飲んでいるので,薬のせいかも しれない。事実最近の風邪薬は良く効く。イブプロフェンってやつ?, 塩酸フェニルプロパノールアミン,あっ,「アミン(謎)」, これらが売りの薬らしいが,どっちのせいか,効く代わりに, どうも頭がボーッとする。気持ちいいと言えばいいのだが(笑)。
そういうわけで,今日は一日飲んでいたので,明日薬抜きをして, 普通に戻るのなら,それでOKということだろう。
さて昨日はカップラーメンとお茶漬けを食べたのであるが, 病み上がりというか,そういう後って,以前も思ったが塩味に 敏感になるようだ。朝食サンドイッチ,昼食ざるそば…, いずれも塩辛く感じる。意外に通常って塩味になれていて,鈍感に なってるだけ?…。
夕食は回転寿司屋に行く。忙しいのか店員のせいなのか,注文のヒット率は 33%。3回に2回は忘れる。おかげで,途中でなんか「もういい」という 気になって帰った。安く上がった(笑)。
帰って豆菓子を食べながら中国茶を飲んだ。奇しくも禁酒二日目と なった。禁酒すると目が軽い。
病気すると,ちょっとした身体のリセットになる。というか,そろそろ リセットしなさい…って風邪ひいたのか?。

2/19(意外に寝れるもんだ)
昨夜というか今朝というか,まだ暗いうちに寒気が出て目が覚めました。 明らかに「発熱中だな」って感じで,「あぁー明日休まなきゃ,なんか 仕事あったっけ?」って思いながら寝たら,夢の中で上司に休むと 伝えてる夢見ました。わかりやすい…。
で,6時過ぎに目が覚めたら,しっかり38度あったので,風邪薬を飲んで 寝ました。9時過ぎに一旦起きて会社に休むとの電話。それから なんとなくうだうだして,11時くらいになったので,カップラーメンを 食べて,またクスリ飲んで寝ました。後は適当に起きたり寝たり。 とは言っても,寝るときは本当に寝ていた(布団で目を覚ましている, とかじゃなく本当に寝る)ので,意外に寝れるものだなと 思いつつ,18時過ぎにちょっと起きてビデオ見て, また寝て…,というのを延々繰り返しました。
どうも以前の経験から横になってるだけじゃ,体温は動かない…, 意識を失う(寝る)時に体温が動くようなので,横になって目をつぶって いると,目が覚めて…と思いきや,チャンと寝て夢見れました。 これも日頃の訓練の賜物か(笑)。夢見ながらいろいろ考えると, いいアイディアが出ていいんですが,大抵忘れます(^^;)。でも 楽しいので,いいや…と言う感じ。
結局三分の二は寝てるという一日。このまま十日ぐらい寝ていたら どうなるのだろう?。

2/18(頑固)
知り合いに借りていたとあるものを返すために,横浜の青葉の方に 行った。途中買い物をしたかったので,早めに出て,横浜の辺りで 買い物…。が,なんと返すものを忘れていたことに気づき, 一旦取りに帰って,改めて出かける。で,向かっている途中で, その返す相手から電話があり,外出中なので,持ってこなくても いい,後日郵送してくれ…とのこと…。 折角,そのつもりだったので,結局外出先に押し掛けて無理やり 渡した。
さて…,相手は,予定を変更したのを申し訳なさそうにしていたが, 意外に私は,何とも思わなかった。むしろ,「今日持っていく」と 決めたら,絶対譲らないんだなぁ…という自分の頑固ぶりが なんか実感できて,おかしかった。良く考えてみたら,多少の 予定変更は何とも思わないが,やるつもりだったのを「無し」にする っていうのは,確かに結構憤慨するタイプだよな…,自分って…って 思った。

2/17(新宿)
久しぶりに新宿に行きました。実は新宿ってあまり好きな街ではないです。 だいたい人が多いところは,苦手なんです。でもごみごみしてる ところは好きで,そういう意味では少し廃れたところが好きだったり します(^^;)。
だいたい横浜に住んでると新宿はかなり遠いので,よほど 用事がないと行きません。で,行ったのですが,屋台が 結構出てるんですね。しかも,結構テーブルとか出して, なんか福岡の屋台を髣髴させます。「お,なんかいいかも…」とか 思っちゃったりして(^^;)。
街頭で演奏する人も結構いて,最近はバンドでやってる人も 多いんですね。こういうごみごみ感は好きです。でも空気が悪いのか, あの辺に行くと,ちょっと目が痛い…。さて,好きな街に なるかなぁー(謎)…。

2/16(帰宅の最適解)
今日は午後から会社を休んで,杉並の方にとある用事で行ってきました。 どうもあの辺に行くと目がしばしばするような気がするんですが, 気のせいでしょうか?(^^;)。
帰りは東京駅経由。東海道線で一気に横浜までいくからですが, 今日は東京駅に着いたのが17時過ぎ(10分くらい?)。東海道線は 非常に用途がはっきりしてるというか,平日はほとんど サラリーマンしかのらないのか,この時間まで,かなり空いてます。 いつもは18時頃乗るんですが,この時間になると,もう並んで乗るという 時間です。ほんの30分の違いなのにここまで違うか…,と 思ってしまいます。
ちなみに私は横浜で根岸線に乗り換えるので,東京駅で 並んで東海道に乗るのと,東京駅で最初から根岸線直通京浜東北線に 乗るのはどっちが結局楽で(要は座れるか?)早いか?と何度か トライしているのですが,東京で京浜東北線に乗った場合, 座れるかどうかが…結構微妙なので,結局のところどっちが いいのかわからないまま二年経ってしまいました。
立ってでも急ぐなら東海道線なんですけど…。通勤最適解を 求めるのは難しい…。

2/15(研究と計算機)
計算機…というとコンピュータのこと。ディジタルデバイドって 言葉があるけど,いわゆるコンピュータを使えない人が, いろいろ不便な目にあうということ…。
さて,研究者というと,一般的に頭がいいと思われているので (ちがう?^^;),計算機とか使えちゃう…かというと, 実はそうでない人はたくさんいたりします。研究と言っても, いろいろあって,自然科学とか情報処理でも,信号処理だったり, 物理だったり,科学だったり,生物だったり…,まぁいろいろあるわけです。 研究の本質は,現象からルールを導き出したり(モデルつくり), 新たな方式やものを作りだすことだったりするので,実は 厳密には単に「論理」が求まればいい…ということになります。
ですから,昔「紙と鉛筆があれば研究はできる」と言われたように (いまでもいいますけど),計算機を使えるかどうかは,その人の 研究者としての能力の本質とは必ずしも一致しないわけです。
ところが,現在はいろんな分野の研究者が計算機を使う能力を 要求されます(いろんなレベルがありますが)。もちろん,計算機のための 研究…というもあるんですが,そうでない分野もです。 それは計算機上に研究のための便利なツールがあったりする というのが一つです。例えば,科学物質の合成でも,計算機上の ツールを使って行ったりするのが,現在の傾向のようです。 また,そうでない場合でも,いわゆる「論理」を 実証しないと研究として未完結になるんでしょうけど, 実証するために計算機を用いることが多くなってきているからです。
信号処理で考えると,あくまでも本質は方式であり,その方式の 論理(アルゴリズム)だったりするんですが,結局それが どういう効果が出るかは計算機で処理しないとわかりません。 これは昔はアナログの回路を組んだりして実現していたのと, 実は同様のことだし,もっと昔だと,紙と鉛筆で計算してグラフを 書いていたのとも同じことです。
そういう意味で言うと,計算機を使うことは紙と鉛筆と同じくらいの レベルになっているといえばそうなのかも知れません。 しかし,こういう道具の習得というのは,ある程度年齢が 進むと新たにするのは結構大変なことで,そういう意味では, 優秀な研究者が簡単にコンピュータを習得できるか?というと やっぱりそうで無い人もいるように思います。
かといって,計算機を使いこなしている人がすごい研究を できるか?というとそういうわけでもない…。ただ人より道具を うまく使える人は,人よりちょっと有利…ってことの様な 気もしますが,本質でないだけに,どれだけ苦労すべきか?と いうのはちょっと悩ましいところだったりするように思います。

2/14(偽りの科学)
昨日から怒ってばかりで申し訳ないんですが(^^;),実はこっちに 怒ったのが早かったので…。
誹謗中傷なので,伏せ字使いますが(トラブルが面倒なので(苦笑)…。 こんなんで検索とか逃げられるのかしら?^^:),「癒×の×楽」という, まぁ安い本なんですが,出ていたので買ってみました。音楽を 分析して,分類して,「いやし」とかの話に持っていってるんですが, わたしのこれまでの知識に照らし合わせると,かなり,間違った…, というと問題か…,意味がないと思われること(笑)を書いてます。
まぁ「科学とうたっているのに実証されてないことを書くな…」とは 言いません。科学には時には大胆な仮定や論理の飛躍が,新たな 発見とかに寄与する場合もありますから。でも,陰陽道やフラクタルの 話を持ち出すのは,まぁいいとして,その後の1/fの揺らぎの話を 周波数特性と勘違いしてるのか?,それで分析を進めているところは, ちょっと,どうかと思います。
著者は大学の教授らしいですが,名前は知りません。これまでの 著書のタイトルを見ると音響や音楽の人ではなく,分析か数学の 人のように思います。参考文献もほとんど初心者向けのもので, とても専門として音楽分析をやってきた人とは思えません。 まぁ学会がそんなに権威があるか?…って言われると困るんですが(^^;), 少なくとも,音響学会とかで議論に参加してきた人…じゃないと 思います。まぁ知らないだけだったら申し訳ないんですが,少なくとも この本の内容が,学会で議論されれば,かなりきついことを言われると 思います。
まぁ,この本の攻撃はここまでにして,この本を読んで思ったのは, こういう,専門家が読むと,明らかにおかしい…と思われるような 内容の本が実際はたくさん出ているんだろうな…,ってことです。 確かに良く読むと,著者の経歴や参考文献から信憑性は多少は 判断出来るのですが,しかし,大学の教授が書いた本で,しかも 本という形になっていれば,内容が正しいと思ってしまう人も, 多いのではないでしょうか?。
そういえば,最近は,科学書や哲学書がたくさん出て,それなりに 売れているようですが,おそらくそういう中にもそういう本が たくさんあるのだと思います。もちろん売れて評判になれば, いろんな人が内容を議論するので,それなりに信憑性が一般に 知れるところにはなると思いますが…。まぁでも専門家って, 専門故にある種断言しないところもあるんですけどね(^^;)…。 100%間違ってる…っていうのも難しいですから…。
もっとも専門家が書いた本でなくても,きちんと取材して, 丁寧に書かれた本もあります。結論が出てなくても,面白い 話題を提供している本もあります。でも結局そういうのと, なかなか見分けがつかないのだなぁー,で自分も多分,トンデモ本を 読んで,納得してたりするんだろうなぁ…と,今回,その本を 見て思ったのでした。うーむ…。

2/13(厚顔)
潜水艦事故。
アメリカという国は,世界の警察を演じるために自分達は完璧で なければいけない…,とはいえ,やっぱり人間でありミスはあるし, 末端の兵隊さんまでそう思ってるかは怪しいし,なかなか 大変だな…,と大統領や軍の偉い人のコメントを聞いていると, そう思う。でも今回は事態がはっきりする前に謝罪しているわけで, そういう意味ではちょっと珍しい…。
まぁ,アメリカの態度はいいとして,問題なのは総理。 事故発生時にゴルフをしていて,連絡が入った後も, プレイを続けていたとのこと。どうなんだろうか?。行方不明者が 出たと聞いて,ようやくゴルフを止めたとのことだが, アメリカの潜水艦と日本の船が事故を起したという事自体は, たいしたこと無ければ,ゴルフを中断するようなことではない…, ということなのだろうか?。どうもこの辺のバランス感覚というのは 良くわからない。
もっとも非常に話を聞いていて腹立たしく思ったのは,総理が「 私が行かなかったことで,何か遅れたのか?。何も遅れなかったでしょ?」 という結果論をぶちまけていることだ。
それは「たまたま」そうなっただけであり,場合によっては もっと取り返しのつかないことになっている可能性もあったわけで, そういう時に最悪のケースを考えて行動するのが,総理ではないのか?。 私はこの話を聞いたときに,阪神大震災の時に時の村山首相が, 第一報を聞いて,たいした被害がないと,悠長に構えたため, 自衛隊の出動等が遅れたということだ。どうもこれと同種の お気楽さを森総理から感じてしまった。
今回は確かにゴルフを止めても,何かが変わる ケースではなかったかも知れないが,少なくとも今回のことにより, 例えば森総理の休暇中に災害が起きても,阪神大震災のときと 同じようなケースになる可能性が非常に高いな…と思ってしまった。
それにしても,森総理のコメントは,よくそういう顔して いえるな…,と思ってしまう内容で,呆れてしまった。

2/12(徒然)
今日は,昨日買ったゲームしてました。外出は,夕食を買いに行った だけ。経済的なのかそうでないのか…。
ろくにTVも見てないんですが,目についたのは,アメリカの 潜水艦事故,三浦の死体遺棄とかかな?。アメリカのは…,あぁー またか…って感じ,三浦のは,以前の職場に近いので,へー,って 感じです。あの辺って洞窟が多くて,数百年前の白骨とかが 出てるんですよね。そういう意味ではトラディショナルな犯行とも 言えるんですが,おもったより早く出てきて良かったです。
午前中ニュースを見ようとすると民放はどのニュース見てもワイドショー的, 逆にNHKはさらっとしすぎてるようにも思いましたが,この両極端は ある意味いいんだろうな…って思ったりもしました。
今日も夕方近所を車で出歩いたら,混んでました。

2/11(日曜か休日か?)
今日は日曜か?,休日か?。日曜やっていて,休日閉まっている 店は今日は開いているのだろうか?,明日は開いているのだろうか?。 答えは今日も明日も閉まってるそうです。というのは嘘ですが, 行政センタは本来日曜は開いてるんですが,今日も明日も 休みだそうです。職員にとっては降って沸いた連休なのかしら(^^;)。 というわけで,住民票はとり損ねました。とほほ。
とはいっても,折角駅まで来たので,そのまま横浜へ。 ゲーム,CD,電池を買った辺りで,購買意欲が収まったので, 帰る。
購買欲って,明らかにあるようで,何を買ったか?,ではなく どれだけ買ったか?,に反応するようです。従って, 買わなくてはいけないものを最後にとっておくと,やたら 買ってしまいますが,最初に買っておくと,もう途中で どうでもよくなって衝動買いをしないで済むようです。
今日は何となく,鼻水が出てるんですが,もしかして ついに花粉症になったのか?…とおびえています。風邪なら いいけど…。

2/10(休日)
住民票がほしかったので,朝から区役所へ行く。が…, 閉まっていた。いつ開いているのだろう?…と思ったが, どこにも書いてなかった(-_-;)。知り合いにそういったら, 常識だそうだ(^^;)。ちなみに,私の最寄り駅には, 行政センタがあるのだが,となりの区だから使用不可?,と 思っていたら,別の区の書類も取り出せるそうだ…。 勉強になった。明日行こう。
先週借りたビデオが今日までだったので,慌ててみた。 25年前のアメリカ映画で「かっこーの巣の上で」という 映画。うーむ…,これを見ると,今のアメリカ映画が いかに中身がなくなってるか良くわかる:-p。昔はこんな 内容のきつい映画とれたんだなぁー…。
ビデオを慌てて返した後,車で人に会いに行く。 車で一通り動き回った後,自宅へ車を起きに戻ろうとしたら, わが家の近くが軒並渋滞していた。みんなどこからどこへ行こうと してるのだろう…。家から歩いて五分…というところから, どう考えても30分近くかかりそうな嫌な予感がしたので, Uターンして,別の裏道を探して通って,そこから10分程度で 帰った。新しい抜け道一つ見つけちゃった:-)。
で,その後は野毛に飲みに行った。結構遊んだな,今日は:-)。

2/9(言語の数え方)
ニュースか何かで,国連の(だったとおもう)調査で,現在 世界中で2500の言語が消滅しかかっている,という結果が出た という話を聞いた。少数民族がだんだん減っていく…という 事を言っているのだと思う。もちろん,民族の人自体が, 減っているって話もあると思うが,同じ民族でも他の言語を しゃべりはじめて,元々の言語を喋らなくなっている…と いう場合もあるのだろう。英語を公用語としてる東南アジアの 国もあるから,そういう国で,もともと喋っていた言語を 使わなくなれば,それはその言語の消滅を意味するのだろう。
さて,ここでいう言語の単位というのは何なのだろう?。 2500とはずいぶん多いな?…という印象だが,どういう数え方を したのだろう。日本にはいくつ言語があるのか?。通常 一つしかない…と思うだろう。それゆえ日本は単民族国家 と思われている。もちろんもうちょっと細かいところに目をやると, アイヌとかの様に,高齢者の中には全く違った言語を 喋っている人もいるので,これは違う言語といえるかも知れない。 沖縄もそうなんだろうか?。
では方言はどうであろうか?。例えば鹿児島弁と津軽弁を 同じ言語と言っていいのであろうか?。少なくと話は通じないと 思うが(^^;)。
方言というのは決して共通語が変化したものではなく,元々 その地方で独自に育ってきた言語だと思う。したがって 共通語には存在しないニュアンスや意味の境界があり, 私自身,熊本弁とかでないとうまく表現できないニュアンスとかある。 言語は思考に影響を与えているわけだから,ある意味 方言で考えているところと,共通語で考えているところは 微妙に考え方が異なっているいる場合もある。 しかし方言もTVなどのメディアの発展で,若い人はだんだん 喋らなくなり(というか共通語ぽく変化している),同じ地方でも, 年寄りと若い人の言葉が異なっていたりする。
これが消滅する言語としてカウントされたのか?,それが 入って2500だったのか?…。入っていると,地方の 民族が消滅しかかっている…と言うことになるのだが…。

2/8(CDとカセット)
今の日本は衣食住がそれなりに足りている。細かい不便さは いろいろみな感じているのだが,共通した大きな不便さが あまりない。と書くと嘘になるのだが,すくなくとも, ちょっとしたことで技術開発で解決できそうなことは,あまりない。 こういう状況だと,商品開発をしているほうから考えると, 何を作って売り出せば大ヒットするのかを予想するのは とても難しい。人間はイメージ出来ないものは,作り出せないし, また使いこなすこともできないので,皆がそれなりに「 今のままでいいんじゃない?」と思っていれば, 新しい商品を作り出しても,それがどんな利点を持ってようが, ヒットしにくいのだと思う。
さて…,ちょっと具体的に書くと,おとどし辺りから, MP3とかの楽音圧縮技術によって,インターネットで 音楽を配信・販売したり,メモリーに音を入れて,小型の 携帯機で聴くなどという商品が出始めた。一時期, 「CDは音楽配信に変わる…」などと騒いだ人もいるが, 結局のところ,そういうことは起らず,相変わらず音楽は CDで販売され,ラジオでながされている。
この(売る方からするところの)失敗の原因は,いくらでも あるのだが,一つはやはりそれらがCDに対して明確な メリットをユーザにイメージさせられなかったからだろう。 もしくは,CDにそんなに皆が不満を感じていなかったからだろう。
メディアの交代というのは過去から何度か起っているが, CD発売以来,その変化は緩やかになってる気がする。 最近だとMDがカセットに取って変わったと言われているが, これもCDがLPに取って代わった時に比べると,かなり ゆっくりとしたペースである。
なぜCDがLPを一気に追いやったのか?。もちろんコンテンツ販売 側の戦略もあるのだが,やはりCDがLPの不便さをたくさんの点で 改善していたからだろう…。というのは,いまの時点で CDのメリットを知っているから言えることであって,逆に CDを知らない時代に,その不便さをイメージできたか?というのは, ちょっとまた違った話だろう。
最近ちょっと思ったのは,LPを不便と感じるようになったのは, CDの計画が発表されたとかいうことではなく,カセットテープが 広まったからではないか?…と思った。特にウォークマンが 出てきて外で音楽を聴く…というスタイルをユーザに示して しまったので,必然的にパッケージ音源にも同様の利便さを 求めるようになったのではないか?。そういう気がする。 もちろん,CD発売時点でディスクマンがあったわけではないが, 手軽さはLPに比べるといろんな点でカセットが多かった気がする。
そう思うとCDの成功はソニーがウォークマンを発売したときから 始まっていたのかも知れない。そう思うと,ちょっと面白い。

2/7(朝の電車)
たまたま?…,知り合いと一緒の電車で出勤することになった。 そういえば,今の職場には2年通っているが,だれかと一緒に 電車に乗ったことはなかった。知り合いがいないと,当然だが 無言で電車に乗る。敢えて声を出すと,もしかすると,朝の窮屈な 電車でも自分の周りに空間ができて快適かも知れないが(笑), 他の人に多少迷惑な気もするので,当然無言だ。 他の方もそう思ってるらしく(ちがう?^^;),皆無言。 一部通学で乗ってる学生さん(小中学生)が,友だちと待ち合わせて 乗り合わせているようで,彼女らは小声で何かを喋っている。 と…,子供が気を使うくらい,朝の電車は静かなのだ。
以前,二時間ほど遅れて会社行きの電車に乗ったら,その時間だと 出張とかでグループで乗ってくる人も多いせいか, 電車の中で喋っている人が割といて,ちょっと違和感を感じた。 というか…,寝ようと思ったら結構うるさかった(^^;)。
そういう感じで,同じ電車でも時間帯によって表情は異なる。 全く違う路線のようだ。
というわけで,今日は知り合いと一緒に乗ったので,電車の中で 喋ってしまった…。わたしは喋り出すと熱中して声が大きくなる 傾向があるので,もしかしたら結構な大声で喋っていたかも 知れない(^^;)。寝たかった方すみません。

2/6(やる気)
「やろうと思ってること」をなかなかやらないことがあります。 「やらなくてはいけない(must)」ことだったり 「やりたいこと(want)」だったり…,どっちもそういうことが あります。このやろうと思ってるのに,何かやらない…,という 状態を「億劫」とか「躊躇」とか言えたりしますが, これはまるで,物理でいう「静止摩擦」の様な感じで, やりだすと,すんなり動いたりします。そういうことは頭では わかっていて,つまり,「やればすぐ終わるんだけど…」と 思っていても,なかなかやらない。なにかを「やり出す」ことは やっている最中よりも,ちょっとエネルギーがいるように 思います。
だから…ってわけじゃないですが,躁状態になるとやたらいろんなものに 手をつけはじめたりするわけです。「やればやれること」が 私たちの身の回りにはたくさん転がっているということ…。
今日は,数年前から「やりたい」って言ってたこと,それが 二,三年前には「そろそろやる」って言っていて,ここ一年くらいは 「近いうち…」って言ってたことを,やりはじめました。 やりはじめたら,ほんの半日で,後戻りできないところまで 来ました。実に簡単です。知り合いに話したら,「えぇー, すばやい」って言われましたが,なんで今までやらなかったの? ってくらい,簡単に決めました(^^;)。
いったい何のことかわからないでしょうけど(^^;),一ヶ月くらい したら,落ち着くので,またオイオイ詳しくお話しします。 …あっ,転職とかではないので(^^;)。

2/5(なんだかんだいって豊か?)
バブル崩壊だの不況だの言っているが,イマイチピンと来ない。 確かに給料はここ数年ほとんど上がってない(っていうか年収では 下がってる)。もちろん就職活動をしている人や,リストラに あった人は不況をひしひしと感じているのだろう。また 個人商店をやってる人とか,毎回契約で収入を得ている人も 不況を感じているかも知れない。とはいえ,バブルの時期のように, まるっきり何になるかわからないようなものに投資して,それに 対して収入を得てた場合は,むしろそっちの方が異常だったと 言えなくもない(失礼ですが^^;)。今でもIT関係に,いろいろ 投資しているのを見ていると「絶対失敗するな…」っていうのも いくつかあり,しかしその投資によって収入を得ている人もいる っていうのが現実だ。まぁ公共投資もそういうところあるけど…。
なんで不況って感じないのだろう?…と考える。不況なのに不況と 感じないのは実はあまり良くなくて,おかげで「まぁ,食えてるし, 今のままでいいか…」と言う感じで悪い部分(政治とかもそうだけど)が そのままになってしまうのだ。
わたしはバブルの時期は就職で恩恵を被ったが,就職後すぐ崩壊したので, 給料など金銭的にはあまり実感がない。したがって,家買ったり, 車買い換えたり,ブランド品買ったり,財テクやったり, など過剰の投資(?)は,そもそも縁がなかった。そのようなものは, そもそも生活には関係ないものだから,そういうことが出来なくなった からといって,投資していなかった人には関係ない。 結局衣食住が事足りていると,そんなに生活に困った感はないのでは ないだろうか?。衣食住に関してはむしろ値段が下がっていて, 給料が下がっても,それなりに何とかなっている…というのが 現状だ。もちろん売る方は大変だろうが…。
ラジオで聞いたのだが,現在の日本の平均所得(どうやって計算するの?)は, 実はバブルの頃より上がってるらしい。韓国とかは下がってるらしいので, 不況なのに上がっているのはやっぱり変だということになる。 この辺のマジックがイマイチ良くわからない…。なぜ不況なのに 所得が上がっているのだろう?。もしかして不況というのが嘘なのか, それとも国が借金することで,所得を保っているのか?…。 後者だと,そのぶり返しはいつやってくるのか?。
ついでにいうと…,衣食住は下がってると思うが,公共料金は 上がっている。公共料金は実は衣食住ではないが,生活に欠かせないもの なので,この料金が生活を圧迫する様になるくらいになれば, 不況…というのは実感するだろうし,国民の不満も 爆発するかも知れない。

2/4(大豆)
今日は立春です。ということは,昨日は節分だったのです。 すっかり忘れてました(^^;)。大豆食べ損ねましたが,まぁ 豆腐を例によって,たくさん食べたので,よしとしますか(笑)…。 子供の頃は節分で年齢分食べても,食べ足りなかったのが, 最近は,「もう十分」という感じです。嬉しいやら悲しいやら…。
わたしは,大豆はともかく,豆腐はほぼ毎日食べるようにしてます。 昼か夜か大抵食べます。もちろん食べられない日もありますが, まぁ週のうち,五日は食べてるでしょう。
豆腐を食べるようにしたのは,もちろん豆腐が体にいいという ことからですが,知人に「そもそも日本人は昔は,豆腐にしろ 醤油にしろ,味噌にしろ,今の何倍も大豆製品を食べていた」といわれ, なるほど…と思ったからです。まぁ昔の食生活がなんでもいいわけでも ないんですけど…。
さて,上のコメントからもわかるように,大豆は日本人にとっては 馴染みの深い食べ物です。日本人に馴染みが深い食べ物で,特に 穀物と呼ばれているものをあげると,米・麦・粟・稗,そして豆でしょう。 粟や稗は最近はほとんど食卓で見掛けることは減りましたが, 米・麦・大豆は,加工品も含めると現在でも良く消費されていると 思います。米も大豆も中国大陸から渡ってきたものらしく,従って 弥生時代くらいからあったそうです。ちゃんと調べてませんが, 麦もそれくらいでしょうか?…。米等が入ってくる前に,日本で 主に食べられていたものはどうやら里芋らしいのですが,里芋も, 大豆も,お米も,季節の祭りには良く使われます。それだけ 日本人の生活に結び付いているということでしょう。
しかし大豆が西洋で栽培されるようになったのは2,300年程 前のことらしく,土の性質のせいか,なかなか栽培に成功しなかった そうです。アメリカでは大豆のことをSoy Bean,醤油のことをSoy Source というらしいですが,わたしは逆だと思っていましたが,醤油が 先で,「醤油豆」という意味で大豆の名前になったらしいです。 つまりそれまでアメリカには大豆がなかったってことでしょう。 しかし現在アメリカは世界第一位の大豆生産国です。昔は飼料として 栽培されていたようですが,最近はアメリカ人も日本食を食べるので, きっと,食用としてもつくられているのかも知れません。
外国の方に言わせると,日本は国中醤油の臭いがするらしいです。 それくらい日本人に密接に結び付いた大豆,わたしの体の肉の 何割かは大豆で出来ているのかも知れません:-)。

2/3(お茶)
久しぶりにコーヒーを入れて飲んだ気がする。もともとコーヒー派な 私だが,最近中国茶に凝ってるせいか,コーヒーを入れて飲む頻度が 減っている。外でお茶を飲むときはコーヒーしか飲まないので, コーヒー自体は良く飲んでいるのだが,外で飲むコーヒーより 自分で入れるコーヒーの方が,大抵はうまいと思っているので (生意気だなぁ^^;),家で飲まないということはコーヒーを 味わって飲むって事が減ってるということだろう…。 まぁ住まいの構造のせいもあるので,住まいが変わると変わるかも しれないが…。
というわけで,朝コーヒーを飲んだが,実は急須が割れてしまったので, お茶を飲めなかったから…かもしれない。そういうことで,今日は 急須を買いに行く。近所の雑貨屋で素焼きの急須を買う。 中華街で中国茶用のを買おうかとも思ったが日本茶も飲むので, 日本茶用を買う。ただし小さめのにした。まぁ何とか両方使えるだろう。 香りがごっちゃになる…といえばそうなんだけど,そこまで ぜいたくを言うのも何だし…。
その後中華街に行ってお茶を買う。これは御土産用。人に頼まれていたので。 ついでに中華街の周りを回ってみると,中国じゃなくて,エスニック風の 雑貨屋が増えている。最近はやりの石とか売ってる店もある。 中華街は人が多いのと,飲食店の接客態度があまり好きでない( 若い人がやってる店はそうでもないけど)ので,あまり うろついてなかったが,結構おもしろそうだ。
そういうわけで,今日は急須とお茶っ葉をもって,うろついた。 夜は野毛で飲んだ。なんか調子に乗って妙なことをたくさん話した 様な気がするが,妙なのはいつものことだから,まぁいいか(^^;)。 どうもお騒がせしました(_o_)>話を聞いた方。

2/2(どうしたらいいかわからないこと)
「それは問題だよなぁー」と思ってもどうしたらわからないこと, 世の中はそんなことばかりだけど,普段はそれなりに生きている。 しょっちゅう気になってしょうがない人もいるんだろうけど, いつも悩んでいると疲れるし,たぶんそういう人は壊れちゃうので, 悩み疲れる自分にの性格には感謝している。 でもTVをつけると負のミーム(まぁ危険信号の様なもの)が たくさん飛んできて,また悩むのだけど…。まぁ私は麻痺しちゃってるから いいけど,あれで悩み混む人もいるよなぁー…。
というわけで,先日の大久保のJR事故も非常にやりきれない ニュースだと思う。助けに飛び込んで死んだ二人をTVは取り上げていたが, そもそも最初に落ちた人は?…と思っていたら,その親族のコメントが 流れていた。「ただただ申し訳ない」…。まぁあまりTVにでてこなかったのは, マスコミも気を使っていたのか?。それともたまたま私がみる番組で でなかっただけか?。この死んだ人はともかく残された家族は辛いだろうなぁ。 その気持ちを想像するに,こっちもやりきれなくなる。
ちょっと,話が変わるけど,上記の事故の後に,線路に飛込んで, 人を助けた…というニュースを二つくらい立て続けに聞いた。 もしかしたら,流行ってるの?…。それとも普段から起きていることを 単にマスコミが取り上げたって事?…。目の前で,人が線路に 落ちたとき自分がどうするかはともかく,人にそういう事を すべきというかどうか?。私は子供がいないけど,もしも子供に 「そういうときに助けるべきだと思う?」と聞かれたとき,私は 答えられない。まぁ自分の子供くらいだったら,他人を見殺しにしても, 生きてほしい…と思うかも知れないが,もうちょっと遠い人に 聞かれたら何と答えるべきか?…。
全然別の話だけど,ニュースで行っていたので。青少年のために 映画とかの表現を規制するかどうか?…が話し合われているそうだ。 これも難しい。確かに犯罪にはある種の創造性が必要で,犯罪の 具体例を示すことは,それと似た犯罪を起こす可能性を引き起こす。 不良が親や教育から自由になりたいと望みながら,結局在り来りの 不良の型にはまっていくのと同じで…。
犯罪のイメージがわかないように,TV等から残酷なシーンを 省く…。少しは効果があるかも知れない。しかし,それを十年 以上前からやってるアメリカを見れば,規制すれば良くなるわけではない, と思う。私は表現を制限するよりは他のことからやってほしい。 「規制してみました。うまく行かなければ, また考えます」っていうのがこの国は多いので。
でも,これも,じゃぁどうすればいい?っていうのは良くわからない。 いずれも非常にパーソナルな問題な気もする。みんなが同じ答えを 持っていてはいけないことなのかも知れない。

2/1(MD)
「MD」って聞いて何を想像する?,って話を友だちとやっていて, 普通はMiniDiskだけど,わたしがMilesDavisとか冗談で書いていたら, 段々収集がつかなくなっちゃったんだけど,一応「モチィベーション・ ダウン」ということを最初言った人は言いたかったらしい(^^;)。 というわけで,実は今日は結構私自身がモチベーションが落ちて いたので,日記ネタは,細々とどうでもいいことを書きます。
ちなみにモチベーションというと,なんか会社では本人の やる気の問題というより,組織としての問題になるらしい(余談)。
「わたしって飽きっぽい?」ってしばらく考えていて,良くわかんなく なったんだけど,わたしは好奇心旺盛なので結構いろんなものに 手を出す。でも気に入ると結構はまっていつまでもやっている。 例えばゲームとかでも最初に気に入ったゲームに出会うと, 徹底的にやって,全部のシナリオとか読まないと気にすまないわ, トリビュウート本とかを買い集めるわ…てな感じ。でも, しばらくやってると,パタってやらなくなって,そして他のゲームとかにも あまり手を出さなくなります。音楽とかもそう。あるジャンルが 気に入ると気に入るきっかけになったミュージシャンとかは徹底的に 集めるけど,同じ系統の他のを聞いても,「似たような感じだ…」って あまり耳を向けない。挙げ句のはてに,生意気にも「もう飽和したのかな?」 なって思ったりして,いや,すみません(^^;)。
でも気に入ったものはいつまでも気に入ってるんですね。最初に いいものに出会ったときの「気持ち良さ」は,いつまでも 忘れないというか…。というわけで,最近,ゲーム,読書,CD, なかなか食指が動かなくて困ってます(^^;)。別の分野で 面白そうなもの探せってことでしょうなぁー。
全然別の話。ダイヤルQ2を勝手にかけさせる,ソフトが不正に バラかまれているらしくて,以前エロ電話の時も問題になったんだけど, また,Q2自体が警戒されてる様です。「いっそのことQ2をかけられないように」 って設定を変更することもできるんですが,ちょうどインド地震の 募金をQ2でやっていたので,「手軽でいいや」ってやったばかり なので,難しいなぁー…って思いました。いい面も悪い面も あるものを,サービスの問題のようにいうのは,ちょっと無理が あるってことですね。
「実現すると便利になる,でもリスクもある」 ってわかってるときに,さぁーどうするか?…。でも, そんなことばっかりなのよね,世の中は。いまさら 「昔の方が良かったんじゃない?」なんて言っても仕方ないので, わたしが死ぬ頃まで世の中がどうなってるか,楽しみに傍観するしか ないでしょう。あっ,別に他人事として接するって わけでもないですけど(^^;)。


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