だらだら書いた日記です。
日記中のURLはメンテしないので,切れてる場合もあります。
あしからず。
- 3/31(バンド)
- もしかしてご心配をおかけしている方もいらっしゃるかも しれないので書きますが,目の調子少し良くなりました。 やっぱり禁酒は効くのだろうか?…。でも今夜も飲み会 なのですけど…。
本日は年度末…。ってことで年度末処理…とかで 忙しいのですが,実は慌てて特許を書いたりしてました。 今年度の成果にしておきたかったので…。
さて,ちょっと前にクィーンのライブがあったという 話を聞きました。ボーカルがポールロジャースってことで クィーンを名乗るに反感をおぼえているファンもいるようで…って ことで,ちょっと「バンドってどういう定義なんだ?」と おもってしまいました。
というのは,メンバーチェンジをしたらもう違うバンドなのか?とか 元メンバーの一人が違う人とバンド組んで前のバンドの曲を やったらそうれはどうなのか?…等という話です。 いろいろ思い出すとメンバーが固定的だったバンドは 解散し再結成するときにメンバーが変わっていれば, ファンの反発を買うようだし,メンバーが元々良く入れ替わっていた バンドであれば,あまり買わないし,全然新しいメンバーが 入っていても受け入れられる場合がある気がします。でも そうであれば,そういうメンバーが入れ替わるバンドの場合, なにを持ってそのバンドなのか?…というとやっぱり 中心人物…っていうのがいるかどうか?…なのかな?…と 思います。でも中心人物…っていうのも時代によって 変わっていく場合もありますなぁ…。とか思いました。
まぁ思いついたのは,メンバーが変わらないバンドとしては ビートルズやツェッペリンとかが思い浮かぶし,入れ替わるバンドと してはディープパープルや多くのプログレのバンドとか, 特にピンクフロイドやジェネシスなんって中心人物自体も 変わってました。
というのがロックの話。ジャズの場合はバンドという 感じが希薄なのか,あまりメンバーの入れ替えを ファンは気にしないようですけどね…。
などと,結論も脈絡もない話でした…。
- 3/30(目)
- あんまり読んでいて気持ちのいい話ではないかと思いますが, 記録になるので書かせてください。ごめんなさい。
わたしは体の右側が調子が悪い…っていうのは 以前書いたと思いますが,目も右目の方がきつい乱視です。 それだけならいいんですが,昔っから右目の奥がゴロゴロしていて, いろいろ洗ったりしても治りません。ただ泪は少なめで 多少ドライアイぽいところもあります。
まぁそれはそれでいいや…と思っていたのですが,今朝起きたら 右目のゴロゴロ感が物凄くひどくなり,右目が惚けていて 仕方ありません。とりあえず,そのまま会社に行き, 目を洗ったりいろいろしていて,そこまでゴロゴロすると 泪も出るのですが,なかなか治らず。
ただ,ここ数日の飲み会ラッシュで,体全体調子がイマイチで, 特に右側の調子悪さがますます…だったので,目だけというよりは 体の中の問題のきがします。というわけで,案の定, 酒が抜けてきた夕方になるにつれて,ゴロゴロ感は減りましたが, 目の惚け具合いはあまり良くなりません。
というわけで,とりあえず車で帰ってきましたが,乱視が ひどくなっていて,結構恐かったです。夜だけでもする 眼鏡をつくった方がいいかなぁ…。信号の光がワッカに 見えるんですよね。まぁとりあえず今日は禁酒してみます。 明日すこしは良くなっていることを祈って。
正直これじゃ仕事にならん…と思いました…orz。
- 3/29(尊厳死)
- 仕事の方は年度末と人事異動の時期…ってことで,仕事が 忙しい上に,送別会の嵐で,時間的にも体調的にイマイチなので, 思考停止中。日記はお休み…と生きたいところですが, 短めなのを一つ…。
アメリカで植物状態の方の尊厳死…が 問題になっているニュースを週末に見てました。
尊厳死の問題はかなり難しいと思います。わたしは基本的には 尊厳死には賛成ですし,もし自分がそういう状態であれば, そうなった方がいいようにも,漠然と思ってます。 ただ一つだけ不安があって,以前だれかの経験の話で 聞いたのですが,完全に動けなくなって,それこそ植物状態の 様になってしまった人が,後でその状態から奇跡的に回復したら, 実はその間の意識はしっかりあった…っていうことも あり得るようです。もしその話が本当であれば,意識がしっかり しているのに周りの誤解で尊厳死に至る可能性もあり, それはそれでちょっと受け入れがたいものがあるなぁ…と いう気はします。そもそも尊厳死に反対する肉親は, いつか治ることを夢見ているような気もするので,そういう 意味では反対することもある程度納得できます。
まぁ,そうはいっても「そういう状態だと,昔は 死ぬのが普通だったんだよ」って言われるとまぁそれは そうですけど。確かに万策つきるまでいきる必要も無いと言えば ないのですが…。
…というようなことを考えながらニュースを見てました。 うーん,難しい。
- 3/28(ノーブル)
- 今日は会社の方では,カチン…というよりは「はぁ?」っていう感じの 事が連発でした…。いや根幹は一緒なんですが…。
いらいらする話は置いておいて,別の話を。
先週朝のTFMで最近続いている過去の財界の大物が表舞台から 去っていく話をしてました。西部の堤さんとかダイエーの中内さんとか 読売の渡辺さんとかソニーの出井さんの話とか…。
まぁ去ることになった理由については「時代の変化についていけなかった」 なんて当事者じゃないから言えるような安易な意見だった 気がしますが:-p。彼らが成功した理由は,まぁ細かいところは いろいろ違うとして,大まかにいうと,勝者の理論を実行していたから …って感じでしょうか。「勝者」だから勝った…という意味ではなく, その理論を強く実行していたから…という感じですかね。
まぁわたしもどちらかというと勝者の理論に近い考えを結構 もっていて,「負けるやつが悪い。勝つやつが勝って何が悪い」 っていう様な考えはわからないでもないですが,それでもこれを 真っ正直に実施しその価値観だけで世の中を見ると,かなり 寂しいものがあります。わたしは勝者の理論もいいけど, 勝者はノーブルにならないといけないとおもってます。
というわけで,まぁそんな話はいいとして,その過去の大物に ついて論じた評論家の方々はだいたいにおいて口をそろえて, 成功者はこれから社会に還元していかなくてはいけないのでは ないか?…という様なことを言ってました。それはまぁわたしが いう「ノーブル」な立場に立つ…って話だと思うし,福祉的な 話とも言えます。
ただ,そういう視点で見ると,では過去の大物が去って, 現在台頭してきている新しい成功者たちがノーブルか?って いうと,これが甚だ疑問で,その成功者たちもしっかり 「勝者の理論」で動いているように思います。
というわけで,わたしは過去の大物がさって,新しい成功者が 出てきて社会が若返ったからといっても,実際はなにも 変わってないのでは?…とか思ってしまうのでした。
個人的にはいい加減,日本の社会も高度経済成長みたいな 考え方は止めて,人に誇れるような社会をつくりたいと思っているので, あまり現状には明るさを感じません。旧来の権力の解体とか 新世代の台頭とかそういう事を世論(=マスコミ)は喜ぶのではなく, 社会の質の転換をもう少しまじめに考えた方がいいのではないかなぁ…, いまは考えてるふりして,実際考えてないよ…などと思うのでした。
成功者が社会貢献しなくてもだれも批判しないもんねぇ:-p…。
- 3/27(神社巡り)
- 久しぶりに日記らしく,今日やったことなどを(^^;)。
先月から参加している関西でやっている歴史研究の会(?)。 さすがに毎回参加するのは難しいのですが,今日は遠足…と いうことで参加しました。
目的地は京都の松尾大社,近所の月読神社,木島坐天照御魂神社 (蚕の社),大酒神社,下鴨神社(ここは寄っただけ)という感じでした。
神社が好きなわたしにしては「松尾大社」という名前が全く 抜け落ちてましたが「松尾様」というので思い出しました。 お酒の神様ですね…。この松尾大社,神社自体は駅の すぐ横にあるのですが,裏山の上に大岩があり,そこが 元々の場所。30分くらいかけて相当急な山道を昇るのですが, そのせいか(笑),ついたところはなかなか神々しいです。 …というかその日新幹線の中で沖縄の本を読んでいたので, 「ウタキみたいだな」とか思っちゃいました(^^;)。
一緒にいった人達はいろいろと敏感な方たちが多く, 「気をもらって元気になった」とかおっしゃってましたが, わたしはむしろ,お祈りしている間,頭が痛くなったりして ました…。が山から降りたらすっきり,悪いところを 抜いているところだったのかも:-)。
で,その後松尾大社の近くにある月読神社へ。月読というと 日本古代史で謎の神様ですが…,こんなところに神社が あるって知りませんでした…。もっとも月読神社は, ここ以外にもあるようですが:-)。
その後,タクシーで太秦に行き,木島神社の中にある蚕の社。 ここは三本柱の鳥居…という非常に珍しいものがあるところです。 その後同じく太秦にある大酒神社。ここは秦の始皇帝がまつってあると いうところ…。始皇帝はなんとも…って感じですが,他に弓月王を 祀っているのですが,これを「ゆんす」と読むことを知った 同行者たちが「ハングルだ」と盛り上がっておりました(^^;)…。
…とまぁ良くわかりにくいのですが,実は今回の巡りは 秦氏をめぐる神社巡りだったのでした。あまりこの辺,気をつけたことが なかったので,新鮮でした。
ちなみに先月この会にはじめて参加したときは,いきなり 会議への参加だったので,自己紹介もなく,議論をだまって 見ているだけ,いったいどういう方がいるのか全くわからなかったので, 今回のように遠足であれば雑談でも出来るだろう…って ことで,参加したのでした。漫画家,音楽家,書家,元芸子さん, とかいう風になんか普通じゃ知り合えない人達が結構いるような 感じで,自分がいるのは場違いな気もするのですが, なかなか新鮮です:-)。来月は…さすがにいかないと思いますが, その後吉野の山に登るらしいので,こっちは楽しみです:-)。
- 3/26(ギターミュージック,その3)
- 今日は,出かけませんでした…。うーむ…。
さて,昨日のつづき,というか,これでおしまい。
ジャズフュージョンにおけるギターの使われ方に面白味を 感じなくなってしまった…って話を昨日まで書いたわけですが, 書いていて思ったのは,フュージョンっていうのはジャズにおける 電化という見方ができ,ロックサウンドの導入という見方が できるんですが(もちろんそれだけではない),ロックというのは エレキギターの登場と密接に関わっている音楽であるため, ギターサウンドの膠着が結局のところフュージョンの息の根を 止めたのかな?…とかとも思いました。もちろんこれは非常に 狭い限定された見方ですが…。
さて,ジャズにおけるギターに魅力を感じなくなったわたしは ギターが入っていないジャズを聴くようになりました。 キースジャレットとかガルバク(バンドにギターがいた時期 ありますが)とか…。でも自分が(素人ですが)ギターを弾くことも ジャズが好きなことも否定できず,悶々としてました。 一方で5年ほど前とあることからレイブ体験をし,自分が 知らないところで新しいムーブメント起きてることを身を持って 知り,別に新しい音楽が生まれてないのではなく,自分が 見ているところでなくなっているだけだったのだ…と 言うことに気づきました。実際このころ新しい音楽は アンダーグランドで生まれており,大手メディアではつかみにくい 状態になっていたように思います。
というわけで,テクノやドラムンベースに興味を持ちはじめたのですが, これらのサウンドをロックやジャズに取り入れてくれる人達の 登場を強く望んでいたところにradioheadのKID Aという アルバムとの出会いがあったわけです。そしてKID Aは ジャズミュージシャンにも強く影響を与えたのか,このアルバムに 入っている曲をカバーしているジャズのアルバムは幾らか あります。
- …というわけで,radioheadの話に戻るですが,これだけじゃと 単にテクノ・エレウトロニカをロックに取り入れただけじゃないか?, ってことになるので,もう少し別の側面を。
ロックっていうのは最初はシンプルな構造から始まり だんだんと構造が複雑になって行きます。しかしあるところに なるとそのアンチテーゼとして非常にシンプルな音楽がまた 売れます。しかしそのシンプルなスタイルもまただんだん 複雑になっていきます。この繰り返しです。わかりやすい例を いうとパンクというのはプログレの複雑さに対する アンチテーゼとして生まれた音楽ですが,パンクのミュージシャンも キャリアを積むとそれなりにアレンジに凝った音楽を やりますし,ポリスとかもパンクぽいスタイルではじまったのに, 最後の方はかなり凝った曲をやってました。radioheadが デビューした頃イギリスで流行っていたブリッドっていうのも 結局のところロックの原点回帰の様な側面があると 思います。ですがradioheadもご多分に漏れず独自の音楽的発展を していきます。エレクトロニカの導入や楽曲の複雑化と 言うのもあるんでしょうが,それ以外にもいろいろ 取り入れてきてます。ただ彼らのサウンドにわたしが非常に 好感をもてるのは,あくまでも自分達がライブで弾けるサウンドであり, 楽器の持ち代えをするものの基本的にはギター三人+リズムの 構成になっていることです。そしてサウンドが複雑化するが 洗練された感じをさせないところです。ギターの音はころころ 変わり誰がなにを弾いているのか良くわかりませんが,弦の 音がしっかりしますし,誰かわからないというのは,バンド全体で サウンドしており,個のプレイをひけらかすようなサウンドでも ないことだと言えます。
radioheadが特出したバンドあるかどうかはわかりませんが, 現在ロックやテクノや,そしてその影響が徐々に出始めた, ジャズの世界でも音楽はおもしろくなってきている気がします。 そこにはテクノロジーの変化も影響してますし,文化的な ものもある気がします。そしてようやくそのなかでギターという ものが固定されたイメージを与えるのではなく,変化していく 要因となるものになりえる…というのをradioheadの生演奏を 見たときに思ったのでした…。「あぁーまだギターでも 新しいことができるんだ…」最近そう感じるようになってます。
というわけで,結局,世情に疎いおっさんが,世の中の 動きについていけてませんでした…って話なんですが, 旧来の音楽ファンの中にはそういう人多いように思います。 もちろんそれを否定するつもりはありませんが,「最近の 音楽がつまらない…」という発現は違う気がします。 またエレクトロニカとかradioheadが新しい音楽の 象徴である…というつもりもありません。わたしが たまたまそれを通じて感じただけ…っていうだけです。
- 3/25(ギターミュージック,その2)
- 今日は会社で4月からの体制に向けたセレモニーでした。 あんまりわたしの状況は変わらないのですが…。
さて,昨日の続き…。ちなみに「ギターミュージック」と 題しましたが別に当時の世情を書いているわけではありません。 あくまでも当時わたしがロックやジャズのギターについて 感じていたことです。わたしは人に言わせると,どこか ずれているらしいので,そういう意味でも決して当時が そういう状況だった…というわけではないので,誤解しないでください。
さて昨日の続き。ハードロックの世界である程度完成された エレキギターの様式は,完成された故にわたしには あまり魅力的に感じなくなりました。ロックに関してはスティーブ・ ヴァイ以降辺りからほとんど聴いてませんのでその後の発展に ついては単なるわたしの見落としかも知れません。
…というわけで,ロックの世界に関しては良くわからないにしても, ジャズやフュージョンに使われるエレキギターに関しては 90年代以降,行き詰まった気がします。昨日,海外のジャズミュージシャンは 最新のロックギターの影響をうけてなかった…と書いたのは, ジョンスコやマイク・スターン,ハイラム・ブロック等が 受けてるロックスタイルは,ヴァン・ヘイレン等より 前のスタイルではないか?…という意味です。しかしこれに関しても, ジャズフュージョンの世界にフランク・ギャンバレやスコヘンが 出た辺りから,既に完成されたロックギターサウンドの 取り入れに成功したように思います。
…まぁそんなかんだ…って感じでした,昨日書いたように わたしはその構造的に完成されたギターサウンドを あまりおもしろいと思ってなかったし,実際にそういう サウンドをジャズの中に取り入れると相性が悪いと 思ってました。これはギターがロックの中ではソロ以外に リフとかカッティングでサウンドに対して支配力が強かったことから して当然と言えば当然だったのです。
さて,そういう風にジャズやフュージョンの中にも ロック的スタイルが居心地が悪そうに居座る中で, ジャズギタリストの中には独自のサウンドをつくっていった 人達がいます。その代表選手がパット・メセニーとビル・フリゼールでしょう。 この二人は二人ともジム・ホールやミック・グッドリック等の 影響と元々のカントリースタイルをバックにしてますが, メセニーはとにかくディストーションを使わない,バッキングは フォークギタースタイルのみという徹底したサウンドの 制限でロックとは全く異なるサウンドを完成させます。 またフリゼールはボリュームペダル,エフェクタ等を 駆使し空間系ギターを追求します。
当時完成されていた ロックスタイルのギターに興味を持てなくなっていった わたしはこの二人のスタイルにとても惹かれていったのでした。 もっともメセニーのスタイルはその後大ブレイクしジャズギターの メジャースタイルになりましたし,ビル・フリゼール自身も 路線の変更を行いました。ただジョンスコはベースディザイヤーズでの 共演からかフリゼールの空間的サウンドの影響を幾らか 受けたような気がします。
というわけで,今から5年くらい前くらいまでしょうか…。 空間系ギターで多少おもしろい試みはあるとは思いつつも, わたしはジャズインスト界におけるギターの使い方には ある種限界を感じており,それゆえに非ギター的な 使い方は出来ないだろうか?…と考えるのが長年の 習慣になってきていたのでした。
つづきます。
- 3/24(ギターミュージック,その1)
- 今日は仕事中…脳ミソが焼け付きそうでした…。あぁ…。
…ってわけで取り直して音楽の話など…。
昨日のつづきですが,昨日の最後に「ギターサウンドに対する, ある種の失望」と書いてますがこれについて,もう少し 詳しく…。
わたしはギターを中学生の時にはじめて,当時はニューミュージックから 入り,高校でエレキに持ち代えて,楽器の習得のタメもあってか, ハードロック,そしてインスト,ジャズ…と音楽の嗜好が 変わっていきました。楽器を弾く人の音楽の嗜好というのは 全員がそうだとは言いませんが,演奏して楽しいジャンルへ 進むって場合があります。わたしの場合はおそらくそれが 強かったのだと思います。ロック時代から即興演奏に 惹かれていたわたしがジャズへ進むのにはそう時間は かかりませんでした…。…っていうか当時はずっとフォークとか ずっとロックとか演奏している人ってある種すごいな…と 思ってたりしました(今は思ってませんが)。 もちろんジャズを好きになったからと言ってロックに飽きた…とは 言いませんが,新しいジャンルへ進むとそちらに興味は 集中したのでした。
さて,このわたしのロックからジャズへの変遷期というのは 20年ほど前です。ギター界でいうと,ジャズはメセニーや マイク・スターンやジョンスコ等が台頭,ロックはヴァン・ヘイレンとか ジャーニーとかでしょうか…。リッチーブラックモアとか マイケルシェンカーは高校の時かな?…。
エレキギターは当初歪ませることを前提につくってなかったギターを アンプの過入力により歪ませたことにより,大きくサウンドが 変化しロックはハードになっていきました。わたしの認識では 60年代のロックのギターより80年代のギターの方が,歪みは より深くなり,より太くなり,より綺麗になりました。言い方を 変えると弦の元々の音とは掛け離れたものになりました。 そしてフレーズ的にも高度なリフ,16部音符や32部音符を 駆使したスケールライクな速弾きの方向へ発達していきました。 ある意味わたしがロックからジャズへ移行した時期, そのころ日本ではいわゆるフュージョンが流行っていた時期でしたが, そのころロックのギターサウンドは構造的方向においては 完成された気がします。それゆえに日本で流行っていた フュージョンではその完成されたギターのサウンドを その延長で持ち込んだものが多く観られました。海外の ジャズにおいては,実は海外のジャズミュージシャンは 当時最新のロックギターの影響を受けてはいませんでした( メセニーとかジョンスコとかはそうだと思います)が, やはりロック的サウンドの影響をうけた使い方が増えてきました。
完成されたものというのは,ある意味受け取り方の幅が減ります。 典型のサウンドができあがってしまいます。一番かっこいい サウンドが一意に決まってしまえば,それをみんなが目指すわけで, ある意味,わたしにはつまらなくなったのでした。
実際ジャズに於いてのエレキギターの使用方法は, 他のサウンドを喰ってしまう…位強烈すぎるようになり, ギタリストのわたしからみても,ある種の傲慢さを感じるように なったのでした。
長くなりそうなので,つづきます(笑)…。
- 3/23(radiohead)
- では予告通に…。
昨日の早朝なんですがradioheadのモントールーでのライブを NHK BSでやってました。録画して昨夜観たのですが,去年(だっけ?)の 幕張でのライブとセットが近かったので,その辺の時期の ライブだと思います。アルバムHail to the thiefからの 曲もやっていたので,まぁ少なくともそんなに前のライブ ではありません。
てっきり既存のDVDとかのライブを流す(WOWWOWとかよくやりますよね)とか もしくは海外の番組を買い取ってくる…っていうものかと 思ってましたが,最新のライブだし,制作がNHKになってたので, NHKがマジで撮ったのかも知れません。もっともライブ部分は 海外での放送を買い取ったのかも知れませんが…。
というわけで,番組の構成はライブとメンバーへのインタビューを 交互に流すというもの,ライブをただだらだら流すっていう 番組でも良かったと思うんですが,まぁあまりメンバーの 生の声を聞いたことないので,新鮮でした。
いずれにせよお宝映像を入手できたという感じです:-)。 わたしはradioheadのライブはサマーソニックではじめて 観たのですが,かなり衝撃でした。そもそもはじめてradioheadを 聞いたのは友人からCDを聞かされて…なんですが,実は最初の 何回かは全然ピンと来ませんでした。ところがあるとき 「everythimg in its right place」がスポーン…と頭に 入ってきて,それからむさぼるように聴くようになりました。 ちなみに「everythimg in its right place」が入っているKID Aは ジャズファンとかにも結構評価が高いようです。
- とはいえ,その時点では,実際このバンドがどういう風に 演奏をするのか全然ピンと来ませんでした。わたしは自分が 演奏するせいか,その曲がどういう風に演奏されているか?…って いうのを結構気にします。KID A以降のアルバムはシンセや 打ちこみが多いため,実際にライブでこのサウンドを再現できているのか?, という疑問があったりしましたが,それ以前にradioheadは ライナーをみても誰が何の楽器を演奏しているか良くわからず, いろいろ情報を探ってもギター3人,ベース,ドラム…っていう 何とも…っていうような構成だったりして,どうやってあの サウンドをつくるのだろう…と思ってました。なので,ライブを 観るまでは,「ライブはアルバムと全く違うサウンドなのでは?」とか, 「打ち込みの多用,もしくはサポートメンバーとかいるのか?」とか 思っていたのです。
それでもって実際にライブを観たときに,アルバムのサウンドが その5人のメンバーだけでしっかり再現できていて,打ち込みも ありますが,曲まるままとかではなく,フレーズをサンプリングしたものとか で,つまり本当に生であのサウンドをつくっているので 衝撃をうけたわけです。
もちろん,ギター三本ではなく,ピアノや(モジュラー)シンセ, もしくはエフェクタなどいろんな楽器に持ち代えて弾いてます。 そしてその演奏が,半端じゃなくうまい…うまいといっても スマートなうまさじゃなく,なんというか荒らいけどうまいんですね。 radioheadの5人がライブでアルバム(迫力という点では越えてますが)の サウンドを構築していくのは,かっての初期のハードロックとかが 持つ構成美的なうまさではなく,もっと雑然とした,渾沌とした なかでしっかりサウンドをつくっていくってもので, 「なんでこうなるの?」という驚きがあります。
というわけで,今回の放送を観て思ったのは,そういう はじめてライブを観たときの衝撃と同じものを再び感じたって いうものでした。 演奏自体の感想じゃなくて申し訳ないんですが(^^;), 「うぁ本当にこのサウンド,生演奏でつくってる」って感じで。
- それとはじめてライブを観たときに,わたしがそれまで 持っていたギターサウンドに対する,ある種の失望が 払拭された,あの感覚を思い出しました。ギターサウンドって まだこんなに可能性あるんだ…って思ったものでした。
ちなみにメンバーのインタビューは割とバンドつくってから 今までの話でした。トムヨークって左目…どうかしてるんですかね?。 ほとんど瞬きしないのですが…。
あっ,それから演奏的にはやっぱりトムヨークがボーカルとは 思えないくらい楽器を弾けているのがスゲーナァーとかとも 思いました。
- 3/22(NHK)
- 今週ラジオの日…ってことでNHKではラジオの歴史を振り返り, ラジオの役割などを語る番組をやっております。ちゃんと 見てませんけど…。まぁ一応ラジオ80周年(だっけ?)って ことで,ダイダイに…ってことでしょうが,どうも最近の 不払い騒ぎにたいして,「NHKはこんなに世の中に貢献してます」と 言っているようで,ちょっと見ていて痛い(なので見ないわけです, わたしは受信料払ってるので)。
わたしの中ではとっくにNHKは一連の不祥事に関しては責任を とったと思っているのですが,多局はそう思ってないのか, いまだに「NHKは責任を取ったと思いますか?」とかいうインタビューを その辺のおっさんや評論家にしていて,頭に来ます。 さらん「取ってない」と答える人に「あんたは自分の頭で考えて そう思うのか?」といつも聞きたくなります。「なかったことは 証明できない」という言葉を知っているか?…と言いたくなります。
ところで例の朝日新聞の騒ぎ,ボールを持っているのは朝日新聞側だと 思うんですが,みなさんすっかり忘れてませんか?…。 まぁ公開質問に必ずしも回答する必要はないとは思いますが, 説明してないのは朝日の方です。あれ,どうなるんだろう?…。
極論を言うと今受信料を払ってない人達は(もともと払って無い人を 除くと)「払わずに済むシメシメ」と思ってる人が多いのでは ないでしょうか?…。ですからこの手の人は,NHKがなにをしても 関係なく払わないでしょう。「払わないことはとっても恥ずかしいこと」と いう雰囲気に世の中がならないと払わないと思います。
わたしは(全局とは言わないけど)民放は人々が不払いを しやすくなる雰囲気をつくってる気がするんですが,あれって 罰則はないけど,一応法律違反なんだけど,それ意識して やってるんでしょうか?。おかしな法律だから破っていい…って 話はないですよね?…。
ちょっと余談ですが,新会長が生え抜きなのを「なにも変わってない」と 言う人がいますが,わたしは組織に問題が起きたときに,外部から 連れてきた人間をトップにすえるのはあまり好きではありません。 それこそ安易だと思うから。それと外部の人間がトップに立つのって 一時的なものであればわかるにしても,恒久的にやられると 働いている社員は激しく萎えると思いますよ。現場のたたき上げが トップになる方が,社員にとっては希望が持てます。
なんか愚痴書いたら長くなったので,この辺で止めておきます(苦笑)…。 本当は昨夜放送していたNHK-BSでのレディオヘッドのライブの 感想を書こうと思っていたのですが(^^;)…。
- 3/21(領土問題)
- 竹島の問題で韓国との領土問題が大きく取り上げられてますが, 島根県的には狙い通りなんでしょうね。そもそも,いままで ちゃんと議論してこなかったことにたいする条例ですから。
TVを見ていると評論家が「領土問題は相国が自分に都合が良い 資料しか出さない」と言ってました。なるほど…と思いました。 わたしは竹島の歴史的背景については,日本人が日本領土で あることを示す資料ばかりみていたので,結構日本領なのでは?…と 思っているのですが,なかなかそれも難しいというか,正しいことを 知るのは難しいのだな…と思っております。
日本人が日本人に都合が悪い方の主張をしているってケースは ないのかな?…と思っていたらこちらの新聞の記事には両方の意見が書かれており, ちょっと納得しました。なるほど日本が根拠としている資料も 事実かどうかわからないとのこと。
もっともこの問題を見ていて思うのは,そもそも領土問題というのは 歴史的な経緯で解決するものなのだろうか?ということです。 事実がわからない…というのもありますが,国境というのは 力関係で変わることもあるので,そもそも論だけでは決まらない 気がします。まぁとはいっても竹島の件を今更力関係で 解決するなんっていうのは不可能でしょうけど。
というわけで,どっちが正しいか…っていうのはわたしには 良くわかりませんが,少なくとも国際法廷に挙げるよう 呼び掛けても応じず,また両国が利用できるはずの 海域に日本の漁船が入れない状態になっている…って点で, わたしはあまり韓国側が正しいことをやっているって気はしません。 韓国の主張…じゃなくて行動が…って意味です。
それにしても思うのは日本人の事なかれ主義が領土問題では うまく機能しない…ってことなんでしょうねぇ…。 それから,不可侵っていうのをまじめに守るのって 日本人だけなんですかねぇ…,というのは中国との問題でも 良く思います。
- 3/20(法案と運用)
- 小泉・ライス会談,無難に終わったようですね。次官級の 事前調整が済んでいたから…ってことなのか…。
さて,この話は置いておいて…。
人権擁護法が結構ネットで話題になってます。人権擁護委員が その人の判断で捜査とか出来るのではないか?…ってことで 結構その職権の乱用による締め付けを怖れて…ということの 様です。わたしも最初その危険性を訴えるページとかを 観ていて「なるほどそうなると恐いなぁ」と思っては いたのですが,一方で結構冷静でした。そう思っていたら, 人権関連法案についてネットで語られていることには 結構事実誤認が多いという話を読んで,やっぱりそうですか…, とも…。
今のところわたしは法案を直接読んでないので判断は出来ません。 でもたぶん法案を読んでも判断できないような気がします。 なんでそういうことを思うかというと,一年前に騒ぎになった CDの輸入権の法改正のことを思い出すからです。あの法律は 条文だけを読むと輸入盤マーケット自体をなくすことができる 危険な法律でしたが,現状その法律により輸入盤が無くなった…という 実感はほとんどありません(全然無いわけでもないのですが)。
あの法律ができたときにわたしが繰り返し書いたのは「運用次第で 非常に大変なことになる」ということでした。でも逆を言うと 運用が行きすぎなければ,現状とそんなに変わらないということです。 そしてわたしの想像ですが,現状運用が行き過ぎないで済んでいるのは, ある意味あの時期に結構話題になったからかも知れません。 ですから,わたしは今でもトップページにそのバナーを貼っております。 監視は続けていくという意味で。
そういう意味で言うと人権擁護法案もしっかりと今話題にして, どういう運用が望ましいかを議論することはいいことだと思います。 …と言ってもわたしがこの法案について書いたのは今回が はじめてですけど(^^;)…。
人権擁護法については実際,現在の日本が家庭内の暴力とかに 外部の人が何ら介入できることができない現状を見,また アメリカとかは逆に結構可能であることを考えると,そういう 仕組みみたいのは必要なのかも知れない…とも思います。 ただ法案には行き過ぎを可能にするような文案になっているのかも 知れません。
法律はマニュアル的にしっかり書かれるのが理想かも知れませんが, 実際は幅を持って書かれるのでしょう。ですから実際運用が 始まらないとどうなるかわかりません。そして一方で運用が おかしければ更なる改正も可能なわけです。ですから,法案について 議論することは大変いいことで,その運用を想定することも 大事だろうなぁ…と思います。ただ人権擁護法案については なぜか大手のマスメディアはあまり取り上げてませんね。 まぁ最近のTVは取り上げる事件が多すぎるから…っていうのも あるのかも知れませんけど…。ちょっとそういう意味では 不満を感じます。
- 3/19(創造力)
- ふと思いつき的メモですが…。
新しいアイディア,新しい発想を出す方法について…。
とにかく情報を頭にいれる。本とか何かを見に行くとか, 何かを聴くとか,人と会って話すとか。 なるべく無秩序,関連がないものの方が良い。
人間は頭の中にあるもののエントロピーが上がると,とっても 気持ち悪くなり,その中から無理やり法則性を見つけて,何かしらの 答えを出そうとします。一見バラバラのものでも,その大きな違いの中に ほんのちょっとだけ共通性を見つけると,それ以外に大量の 違いがあるにも関わらず,「そういうことか」と納得します。
その無理やり出てきた「何か」が時に新しいものになります。 その答えを他の人から聞いたり,メディアから無理やり取り出したりしないで, なるべく,自分から出てくるのを待ちます。当然,そのモヤモヤした 状態は辛いので決して気持ちがいいものではありませんが, 気持ち悪いので何とかしようと頭はかってにするし,それから 何かが出てきた時はかなり気持ちいいです。わたしが「腑に落ちる」とか 「アレ」とか呼んでいるものになります。
ただし,子供はまじめにそうしますが,大人はこれまでの 経験から従来の慣れた答えでまとめてしまうことをよくやっちゃいます。 「自分には関係ないこと」とか「最近世の中がおかしくなっている」とか いう風に,手垢がついた答えで納得しようとします。 そういう風に納得して,折角頭にたまっていた渾沌を整理して しまうと,もうアイディアは出ません。もったいないです。
哲学も宗教もそして自然科学も,自分の周りにある渾沌に 何らかの意味をもたせるために出てきたものだと思います。 なのでそれぞれの中で新しいものを作ろうとしたら,やはり 渾沌が頭の中で起るように自分の周りにあるものを自分にいれなければ いけないと思います。
もっとも現代人において,身の回りにあるものはたいてい人工物であり, 結構意味が見つけやすい状態になっております。だから 本当は人工物じゃないものにもっと触れた方がいいのかも 知れません。
もっとも自然物でさえ,我々が認識するのは 自分の感覚というフィルタを通ったものですから,既に自然物では ありません。情報を入れろと言っても自分がそれをうまくつかめているか 良くわかりません。だからわたしの場合,そこに関心が行くんですが, だからといって,そこにまとめちゃうとまた新しい発想が 出にくくなるんだろうなぁ…と思うので,いろいろニュートラルに なる工夫が必要だなぁ…とは思います。
- 3/18(様子観)
- アメリカのライス国務長官が来日するようで…,牛肉輸入化再開問題に 焦点が集まっていますが,小泉氏は簡単には妥協しない様子。 アメリカベッタリかと思っていたので,ちょっと意外でした。 …でもってことは裏で,その問題については事前合意が取れてるって ことでしょうか?…。小泉氏が北朝鮮に行ったときに「手みやげ」の 話がでましたが,ライス長官もなにか手みやげを持って帰るのかなぁ… とか思いました。今後の動きがちょっと気になります:-)。
…
出張は昨日までで今日から日常。とはいえ年度末でいろいろと 悩ましいことがあったり先が見えなかったり…,ちょっと 気持ちが揺らいでるなぁ…と思ったりも。新しいことはじめようかなぁとか いやここはしっかり現状を固めて…とかいろいろ思いますが, まぁ手探りでやるしかないかなぁ…。しっかり内向つついきます(笑)。
というわけで,今日も,簡単なメモ書きでした…。
- 3/17(会社は誰のもの?)
- 出張三日目…といっても今日は家から行きました。 ちょっと車で変則的なことを(詳しくは書かない方がいいだろうなぁ)… やったのですが,渋滞して結構時間がかかり大変でした(^^;)。 朝の出張はトイレが近くなるので渋滞は結構ピンチです(^^;)…。
さて,TVで連日ライブドアとニッポン放送の話をやってますが, 実はどうでも良くなってます(^^;)…。飽きた…。まぁ本人は 大変なんでしょうが…。
ライブドアによる買収の話でTVとかラジオとかで盛んに 「会社はだれのもの?」っていう議論が出ていましたが, わたし的には「はっ?」…って感じでした。わたし的には 「そんなの株主に決まってるじゃん」です。
でもどうやらそうじゃない…って解があるらしく…ってことは, ここを読んでいる方も,わたしが「株主」って書いたら, 「何馬鹿なこと言ってるんだ?」と思っている人いそうですね?(^^;)。 まぁ経済は素人なので許してください(_o_)。
この議論の発端は,ニッポン放送の社員がライブドアの買収に 反対する声明を出したり,放送…ってことで,買収制限がある… って事からで,つまりは「社員のため」の会社とか「公共のため」の 会社…って解もあるって事なんでしょう。でもそういうことも ふまえてもわたしは株主で良いように思います。株主は 経営者(取締役)の人事権があるわけですし,経営の決議権も あります。社員については単に契約で会社と結び付いているに 過ぎません(とかいうと株主も契約と言えば契約ですが)。 社員は会社から雇用されており経営判断の最終決議権はありません。 ただ一方で辞めるのも自由です。ですから会社は社員のものではなくても, 社員が辞めないような努力はしないといけません。
また公共の福祉やお客様…という考えも単純にそれを無視すると お客さんが離れ経営が成り立たなくなる…という意味で, そのために貢献するということであり,別に社会のものだから, 社会のために経営するわけではないのです。
というわけで,社員の事を考えて経営することと 株主が会社の所有者であることには何の矛盾もないと思います。
ちょっと話をとばすと…,上記のことから会社は社員のために 福利厚生を整える必要があるのですが,それは公務員も同様です。 先日TVで公務員が福利厚生を税金を原資として受けることに あたかも文句があるように取り上げている番組がありましたが, 公務員も労働者である以上,ある程度の福利厚生を得る権利は あるし,役所の場合その原資が税金であるのは当然でしょう。 なに頓珍漢な文句を言ってるのだ?…と思いました。
- 3/16(二日目)
- 本日も大会…と言いたいところですが,実は会社で仕事してました。 しかも大会の会場の近くの職場で…。
というわけで,懇親会だけ行きました(^^;)…。ただあまり 知っている人が出ておらず,会社の人喋ってる時間が長かったです。
あっ,実は昨夜はカプセルホテルに泊まったんですが, 今日はちゃんと帰りました。
- 3/15(学会中)
- 日本音響学会 大会中にて,手短に…。
しばらく研究から離れているような状態だったのでリハビリも かねて音響学会に行っております。とりあえず初日。
夜は大学の研究室の若者たちと飲食。たのしゅうございます。
- 3/14(お悔やみ)
- 会社の同僚のお父さんがお亡くなりになったってことで, 同僚は実家の方へ。会社で連絡役をやっているわたしは 香典等を集め,通夜(葬儀?)に参列する人に手渡しました。
ご実父ですが,同僚の人はわりと淡々としていて,まぁ こっちとしてもやりやすかったといえばやりやすかったのですが…。
どうもこういう香典…って誰のためのものなんだろうか?…と。 同僚のお父さんには当然あったことないので,おそらく, お父さんを亡くしている同僚と一緒にお父さんのご冥福を 祈るってことなんでしょう。共感なのかなぁ…。 以前会社の先輩でお子さんを亡くされた方がいたのですが, こちらは本当に大変で,こちらも辛い気持ちになりましたが, 今回は同僚本人がわりと毅然としているため,一緒に 悲しむという感じでもなく…。
正直いうと,なんとなくしきたりとして香典を送ってるような 気がして,ちょっと気がひけたのでした。もちろん, わたし自身はお悔やみの気持ちはあるんですが,他の人の 香典をまとめていてなんか「送るなら一緒にして」って 感じでもってくるような人がいるような感じがいて(はだかで 金をもってくる人とか),さらに代表して参列する人が 発ったあとも言ってくる人が結構多く,結果的に同僚に 連絡を取らなくちゃいけないの?…って感じに…。
同僚は遺族として大変なときなのに,こっちが香典を送る…って ことで手をわずらわせる…っていうのはありなのか?…と 思ったのです。もちろん,同僚じゃなくそのお父さんの 当人と知り合いでどうしても…っていうのであればわかりますが, 同僚の知り合いでお父さんを知らないのだから,同僚の 手間が増えるようなことをやるってことが…,そこまでして 香典を今送らなければいけないのか?…と思いました。 なんともやりきれない気持ち…,同僚に迷惑かけてるなぁ…って 感じが…。
- 3/13(ニート)
- 4chでニートのドキュメントをやってました…。 へー,民放でもまともなドキュメンタリ…録れるんだ…とか 思ったりもしましたが,実際は二通りのニートに密着取材して, 生活を撮影し,そしてナレーション…というやり方は どうも電波少年を髣髴させます:-p。専門家の意見とか, マクロな数字等がないので,あくまでも取材をされた若者の ケースだけ…って事になります。NHKとはずいぶん作りが 違うなぁ…とは思いましたが,どっちがリアルなのかは, まぁわからないと言えばわかりません。
そんな番組方針への意見はいいとして,番組を見て思ったこと です。
思ったのは,ニートって「観念の化け物に喰われちゃった 人達なんだなぁ…」と思いました。 番組中「やりたいことは?」ってニートに聞いてましたが, なんでそんなこと聞くんだろう?。ニートの人達は「わからない」とか 「ない」と答えます。別に今働いている人がやりたいこと やってるわけじゃないと思うのに…。「仕事=やりたいこと」 でないといけない…という考え方に侵されているように 見えました。
確かに学校とか親とかメディアとかは子供にそういう事を 言います。子供は必ず「将来何になりたいの?」と 聞かれます。この場合「なりたいもの」=「職業」を 指しているように思います。でも本当は職業である必要は 無いのですよね。なりたいものにはプライベートでなって, 仕事は別にやりたいものでもないけど,まぁお給料がもらえて, そこそこ嫌でないものでもいい…っていう考え方も できるはずです。でも,なんか社会から子供たちが受けてる メッセージがそうなっていないんだろうなぁ…,そして それをまじめに受け止めてしまった人達がニート(の一部)に なってるのかなぁ…と思いました。
実際,「なりたいもの」というより「食べるため」に 仕事をする方が現実だと思います。でも,ニートに なっている人達は親が経済的に援助していたりして, 「食べるため」に働く必要がない…だからニートに なってるんでしょう。 というわけで,この番組をみるとニートって「夢を追う」とか 「人と違う何かになれ」というミームの犠牲者の様にも 見えました。やりたいことが無い人が焦燥感があるなぁ… という感じです…。
それから,やりたいものを見つけても,理想が高すぎて 本人の能力が全然足りない…例えば役者とかになりたいとか, こっちが見ていて寒い…と感じるようなところもありました。 想いが強いのは大事だけど,それだけで何の訓練も努力も していない…。だから最初の壁でぶつかっていると…。 別にニートに限らないのだけど,若い人とかをみてると 世の中の仕組みがそうなってるの,知らなかったの?…って 言いたいときはよくあります。最初の壁があることを あたかも知らなかった様な感じ…。
もう一つ…。TVで出ていたニートの人が一念発起して,一人舞台をやって 観客から大顰蹙を買って…っていうのをやっていて, なかなか見ていて痛かったんですが,本人はなにか吹っ切れたのか, その後,普通に仕事を探す…とか言ってました。
それで思ったのは舞台って一人一人必要なのかなぁ…ってことです。 一度は舞台に挙がらないと折り合いがつかないのか?…って。 まぁわたしの場合は学生の頃からそういう事ってあったし, 今でも自分の成果を人前で話す機会ってそれなりにあるから, それが無いとどうなっていたか…っていうのは,ちょっと わかりません。でもそうなのかも…とは思いました。
- 3/12(暇潰し)
- 朝起きてTVを見ながら洗濯したり朝食を食べたり。アイロンをかけおわり, お昼くらいになったので,出かけて餃子屋で餃子を食べビールを飲む。 そのまま電車で横浜に出かけ,漫画本を買いCDを買い映画を観る。
みた映画は ロング・エンゲージメント。初日なのにムービルはガラガラでした。 大丈夫か?…。まぁあんまりTVで宣伝してませんけど…。 ストーリ的にはベタベタでわたしがみるような映画じゃないのですが, 「アメリ」スタッフということで観にったのですが,その期待には 答えてくれました。R15っていうだけあります:-)。まぁ映画の感想は 別途書きますが,割といいです。アメリの様なメルヘンを期待すると ぞっとするかも知れませんが(^^;)。アメリというより ジュネの映画と言う表現があってますかね。ハリウッド系とは違った 良さがあります。
で映画を観終わったあとは野毛に行って,ホルモンを食べた後帰宅。
えっと,なんかやっていて暇潰ししてるような週末だなぁ…って いう意識がありました。映画を初日に観たのなんてはじめてで, 別に映画を観るために横浜にいったというより昼飯と夕飯を外で 取るための時間潰しとして観た…っていうのが正確だし。
まぁここしばらく出かけることが多かったり,明日は明日で いろいろ予定が入っているので…,今日はなんとなく時間潰し…って 感じだったんですけどね。疲れを取るために自宅でゴロゴロ…って いうのがどうも今はできないので(単に自宅が落ち着かないから), 外に出ることになるんですけどねぇ…。プールに行こうかと思いましたが, それは日和ました(^^;)…。運動不足っていうのもあるんですけどね。
- 3/11(残虐)
- 今日はメタな話です。ここの歴史認識とか現状認識の 内容については踏み込みません。わたしの認識ではなく, 「仮にそう考えたら?」というつもりで書いています。
…と逃げ道を用意しておいて(^^;)。
ふと,公開処刑は犯罪抑止効果があるんだろうか?,と 思いました。そして効果があると科学的に証明されたら, 実施できるんでしょうか?…。おそらく今は犯罪者の人権とか, 残虐性から無くなっているのでしょうが,かっての日本でも, そしてヨーロッパでも公開処刑はあっていた気がします。
よく, 日本人は残酷なものが苦手…といいますが。 本当にそうでしょうか?。 貴族の文化はたしかにそうだったのでしょう。「怨念」を怖がる 文化ですし。しかし,武士は切腹するし,庶民は公開処刑を 見ていたいんですよねぇ…。 もしかしたら農村とかリンチとかしてなかったんだろうか?,とか 想像したりもします。でも現在でも公開処刑をやっている 国があったような気がしますが,そういう国は先進国ではなく, もともと治安が良くないので,良くわかりません。
公開処刑をやっている国民はそれを怖れるのか?…それとも 死自体が軽くなるのか…という疑問があります。
そういう上で,現在の日本人はともかく過去の日本人が 残虐だったかどうか?…。良くわかりません。他の国に 大虐殺があったと言われて,(事実を調べる前に想いとして) 無かったことにしたいという感情がおそらく日本人に あるように思います。それは自分達が残虐な民族と認めることだと 思っているからなのでしょうか?。
最初に書いた通り,事実認識について語るつもりはありませんが, わたしの場合,あったかどうか?…という以前に,あるというと 何が起きるのか?…というのが良くわからず,躊躇してしまいます。
仮に認めて,それで「日本人は残虐だ…」というつもりはなく, 戦争ってそういうものでしょ?,人間ってそういうところあるでしょ?… だから,軽く戦争しちゃまずいのよ…と一般化言いたいのだけど, もし言うと,「いやそんなことをやるのはお前らだけだから」 と言われかねない,つまり言い出しっぺが損をするような 気もする。
戦争では民間人が多く死ぬ。軍人や軍事施設だけを壊滅できる 戦争なんておそらく不可能です。アメリカは出きると思い込んでいる 様に見えます。出来ない…っていっちゃったらいけないのでしょうね, 政治的判断として…。そんな気がします。 だから民間人殺害や虐殺は稀なことだ…と言いたいのでしょう。
いろいろ考えると難しいです。人間って残虐なところありますよ, と思っても口にしていいのか良くわかりません。物事は真実や 事実を語るより,嘘でも理想を語った方が,そっちに導かれる…って いう場合もあります。自分達の残虐性を認めると諦めて しまう場合もあり得ます。日本人は特に言霊の文化ですから…。 日本人は血を嫌う民族だ…ということにしておいた方がいいのでしょうか?…。 よくわかりません。
- 3/10(性教育)
- 子供に対する性教育の問題って結構難しいと思うのですが, このサイトは性教育の行き過ぎに異論をしている様 です。
実際に見てみると,わたしも「うぁ。っ………」って感じのが 多くて,ちょっとこういう教育には賛同しがたかったりするのですが, 一方でじゃぁどういう時期にどういう事を教えればいいのか?…と いうとてんで答えがなくて困ってしまいます。っていうかそもそも わたし自身が結婚もしてないので,こういう事を語る資格が 無いのだろうとは思いますが…。
わたしの場合,うちの親はそういうことにオープンじゃ なかったので,親から何かを学んだ…って記憶はほとんどありません。 でもたしか親父が中山千夏の「からだノート」を隠し持っていて(苦笑), 中学か高校位の時コッソリ読んで,興味を持ったおぼえがあります…って こんなこと書いて大丈夫なのか?,親の恥じになるのじゃないか?(^^;)。
まぁそれはそれとしてそれは中学になったくらいなので,例えば 性行為の事とかはおぼろげながらに知っていた気がしますが,例えば 小学生の中頃とかは,たしか子供ってどこから生まれるかわからず, 親に聞いても教えてもらえず,悩んだおぼえがあります。当然 産道の存在とかもしらず,赤ん坊は母親の腹からにじみ出てくるのか?…とか 本気で考えてました。産道の存在を知ったのは小学校の上学年か 中学入ったばかりとかそれくらいじゃなかったかなぁ…。
というわけで,上記のリンクのサイトで小学校3年生に性教育を やってるのとかを見ると,ちょっと早すぎませんか?…とか思ったりも しますが,一方で今の時代は情報としてはそういうのを低学年でも 知りうる可能性があるので,何か誤解して変なことをやっちゃう前に 釘をさしておく必要もあるのか?…とかとも思い,答えが出ないわけです。
わたしの時代は男子向けの性教育はありませんでした。すくなくとも わたしは受けてません。女子は小学校の5年か6年あたりでやっていた 様に思います。…っていっても多分生理の話くらいでしょうが…。
…というわけで,難しいわけです。学校で教育するからこんな 頓珍漢なことになるわけで,こういうのは家庭でするべきだ…と わたしなら思うわけですが,では普通の家庭の親が適切に 子供の状況を判断して教えられるか?…っていうと,それは それで難しいのでしょう。親の意識のレベルなんってバラバラ ですから。
実際はわたしの場合は今のところ無関係なので,こんなこと 考えなくてもいいんでしょうけどね(笑)。これに関しては, わたし自身の経験も,正解かどうか…ていう意味じゃわからないなぁ…, 正解なんてないのでしょうけど…。
- 3/9(Moogモデル)
- 今日は麻布でとある人達と会合。これで最後だな…と思ってたら, またやりましょう…とか…。といったのは営業の人なので本当に まだやるのか謎です。一応お金もらってご意見をもらっていたような 関係なので,それがなくても続く関係になったのか?… それは今後だよなぁ…。
- それはさておき,Moogの映画を先週の土曜日に見に行きました。 実はこの日は映画を梯子していたりするんですが,もう一つの方は, いわゆる「萌え」ものなのでコメントしません(^^;)…。
で,映画の感想であれば…映画の感想を書くところに書くのですが, ちょっと別の話。
Moogって人はわたしの認識では世界で最初にシンセサイザーを つくった人ですが,であれば,まずシンセサイザーとは何か?…という 定義が必要です。電子楽器…というのであれば,その前にテルミンが あり,あれが最初の電子楽器です。電気動きスピーカから音が出るのであれば, ハモンドオルガンが既にあり,あれが電気楽器…の元祖です…とか いうとエレキギターは?…とかいう話なるか(^^;)…。ちょっと 話がそれますが,エレキギターやフェンダーローズはあるものを 物理的に振動させてその動きを拾って音にしている。ハモンドは 振動というより歯車と磁石で波形を機械的に作ってる…って意味で, ちょっと違いますし,波形を複数合成して音を出しているという 意味ではシンセサイザー(合成器)です。でもやっぱりいわゆるところの シンセサイザーは電子合成器であり,Moogが作ったものでしょう。 であれば,シンセサイザーの定義は電子音源で音の合成ができるもの… ということでしょうか?。そう考えるとサンプラーがシンセサイザーなのかは ちょっと疑問ですが,まぁその辺は置いておきます(^^;)。
さて,Moogがシンセサイザーを作ったとして,その後に出たシンセサイザーは ほとんどMoogの考え方を継承してます。Moogはシンセサイザーを 作っていくに辺り,音をつくためにVCO,VCF,VCA+LFOというモデルを 作りました。つまり音源→フィルタ→音量変化とそれぞれに変調を かけることができる…というモデル。これは非常にわかりやすいと 思います。
実際わたしは音響学を始める前にシンセを触ってしまったため, 音源で波形と音程を決め,フィルタで周波数特性を整えたあと, 音量変化で更にキャラクタをはっきりさせるというのが音質の 概念と一致してしまっており,元々音はそういうものなのか, それともMoogのモデルゆえにそう思い込んでいるのかが 良くわかりません(^^;)…。ちなみに音の三大要素は音程,音量, 音質ですが,Moogモデルと似てるようで実際はちょっと違うので お間違い無き様。音程はVCO,音量はVCAで決まりますが,音質は VCO,VCF,VCAすべてに影響されます。音質の本質は「混沌」ですから(笑)。
…というわけで,Moogのモデルは広く使われ,それゆえに 業績としてはすばらしいよなぁ…と思います。既に我々はそのモデルが 自然な発想だったか,かなり斬新だったかは良くわからないの ですから…。
というわけで,音響屋のわたしとしてはMoogモデル以外の 音のモデルってできるんだろうか?…とか考えたりします。 もちろんシンセ自身はその後FM音源が出てきたり,サンプラが 出てきたり物理音源モデルが出てきたりと多様化してますが, それらが人間の知覚と同じである…という保証はない…というか, あまりそんな気しません。物理音源も音源のモデリングであり, 知覚のモデリングでは無いので…。
でも,そう考えるとMoogモデルって 楽器をモデリングしたのではなく,人間の知覚の方をモデリングした という方があってるかも知れません(上に書いたように不正確な 部分もありますが)。楽器を作るときに楽器自身ではなく,それを 聴く人間側の方に想いを巡らせて楽器を作る…もしMoogがそうして いたのであれば,それゆえに非常に汎用性があるモデルを作ったのかも しれないなぁ…と思うのです。なるほどねぇ…。
- 3/8(徒然に)
- 脈絡のないことをいくつか…。
昨日ソニーの話…というよりその前に,iPodとかの話を書いたときに, 書き足そうと思っていて忘れたことがあったので,それをまず書きます。
音楽を楽しむメディアっていろいろ変わってきてます。ですが, LPがSPに取って代わったのは, 収録時間が長いからです。LPがCDに代わったのは,曲の頭だしができることと 小さいからです。あと外で聴けるという要素もその後加わります。 オープンリールがカセットになったのは小さいのとテープの交換が 簡単だからです。MDがカセットにとって代わったのは, 頭だしができるからです。決して音が良いからではありません。
なのでSACDがCDに取って代わる理由はありません。DVD-AudioがCDに 取って代わる理由はありません。この辺,オーディオ業界の人は 勘違いしてないか?…と思うこともあります。いや,もちろん ハイエンドも残るとは思いますけどね。市場は小さいです。 で,やはりむしろネットから落せる,何十曲でも収録できる… 圧縮音楽の方が普及するんだろうなぁ…と思います。寂しい限りですが…。
ただ胸ポケットに入って何十曲も…っていうのはたしかにMDに対しては メリットがありますが,PCにつなぐっていうのは逆にデメリットの 様に感じます。ディスプレイが必要なパソコン…って決して一般に 使いやすいものとは思えないけど…。なんかラジカセみたいのに ドッキング…とかしたほうが一般のユーザには使い勝手いいんじゃないかなぁ …と思ったりもしますが,まだその辺まで成熟するのには時間 かかるんでしょうね。
別の話…。
ちょっとまえに「もったいない」という日本語を世界共通にしよう…って ニュースがなれていて「もったいない」という概念って日本人 特有のものなの?…っていう疑問が頭にあるんですが,どうなんでしょう?。
ちなみに辞書で引くと「使えるものが使われず…惜しい」という のもありますが,「おそれ多い」という意味もあります。そういえば そうですね。うーん,「使えるものが捨てられる…惜しい」って 考え方って日本人特有なの?…,気がしますが…。
とはいえ,実はわたしは日本人って「捨てる」文化だと思うので, 「もったいない」っていう言葉はむしろ反語というか,その 行き過ぎをとがめる形で出てきたんじゃないかなぁ…とか 思ったりもします。
また話を変えまして…。
- 月曜のNHKのクローズアップ現代で,若い作家がたくさん出てきている…って 話があって,その話はいいとして,若い作家の作品には閉塞感があって, 「サバイブする」という表現がある…というかその表現に代表される…って 事をいってました。まぁ若い人が閉塞感を感じるのはいつの時代も あるとは思うんですが,たしかにTVでいっていましたが,今の20代前半 より若い人達って,物心がついたころにはバブルが崩壊し,災害や カルト…,そして戦争…っていう風なものを見てきていて,「未来は 悪くなるもの」という感覚になっているとのこと。たしかにいわれてみれば, わたしが小学校の頃とかは「未来は科学により良くなる」という メッセージをいろんな作品(マンガとかTVとか)が出していて, それに比べるとかなり感覚は違うのかも知れない…と思いました。 そうであれば,我々の世代の言葉はなかなか若い世代に 届かないのかな?…と。
ただ,我々の時も公害とか人口問題とかはあったので,すべて 未来は明るい…とは思ってませんでしたけどね。未来への失望と 希望というのは両方あるものだ…とすれば,今の若い世代の人が 感じる未来への希望ってなんでしょう?…。それともやっぱり 無いのかなぁ…。
などと最近,思っております。…。
- 3/7(ソニー)
- えっと念のために書きますが,昨日のわたしの日記は昨日の 朝書いており,本日のソニーの取締役一新のニュースは 全然知りませんでした…。というわけでかなりびっくりというか 絶妙なタイミングでした(^^;)…。
昨日アップルとソニーの話を書いていて臭わせたのは,本当に ソニーが携帯音楽再生機に社運をかけるのであれば, 日本では携帯電話だし,それよりもアメリカでレーベルとの 調整をする方が,もっと近道(といってもアップルの 二番煎じですが)。であれば,アメリカでコンテンツ業界に コネクションを持っている人をもっと使って行くべきだ…, でもそうやってないって事は,既にソニーは携帯音楽再生機より ゲーム機とか半導体の方に力を入れてるんだろうなぁ…と いう事でした。…と思っていたらいきなりアメリカで コンテンツ関連に携わっていた人が社長ですからね, びっくりでしたよ。あと,アメリカ人経営者は日本人に 比べて判断が速いので,そういう意味でも,ソニーがアップルの 後塵を浴びる要因を払拭する可能性を感じさせる人事だっと いえるでしょう。
…というわけで,これからしばらくソニーがどう変わるか?…って いうのは注目な気がします。ただソニーは他の日本のメーカに 比べて囲い込みの傾向が強いからなぁ…,本当は方式を 広く広げて欲しいんですが,どうなることでしょう…。以前, わたしが音楽関連のやってたときは,やっぱりすごく目の上の たんこぶって感じだったので(^^;)…。
- 3/6(ソニーとアップル)
- 昨日秋葉原を徘徊していて,iPodとかを売ってるところを 通過しながら「盛り上がってるなぁ」とか感じたり,それにあやかろうと しているのか多くのメモリプレーヤ(主にUSB)の売り場とそれを 眺めている若者たちを見ていて,いろいろ複雑な気持ちだったり しております。…というか自分が5年前に開発関わっていたメモリー プレーヤが中古で2千円程度で売られてるのを見て,驚いたり…, まだバッテリー生きてるのかなぁ…。
iPodの成功はヘッドホン市場とかオーディオ市場とかに 少なからず影響を与えている気がします。ヘッドホンのモデル数は 明らかに増えてますしね。一方でiPodユーザからはiTMSが日本で 始まらない事へのいらだちと危機感がちらほら聴こえてきます。 まぁユーザはいらだちだけですが,オーディオ業界的(というより 主に批評家ですが)には,アップルにゴッソリ方式を持っていかれる …っていう危機感があるんでしょう。例えば, ここで言われているようにソニー自身,自身の方式が 売れない…とわかっていてやっていたとか, ここにも同様にSDMIの 呪縛とか書かれてます。でも当時同じような仕事をしていたわたしから すると,ソニーの人の言い分も残念ながらわかってしまうのです。
ですから,ソニーがうまくいかない理由よりも,むしろなぜアップルが 成功したのかを分析した方がいいんだろうなぁ…と思います。
わたしが思うにはiPodが成功しているのは1つや2つ理由ではなく, かなりたくさんの理由があると思います。これまでのメモリプレーヤメーカが とった戦略と比べてもたくさんの相違点があります。もちろん それはアップルしか持ち得ない部分,例えばパソコンのOSとハードを 持っていることとか,元々のブランド力とかもあるんですが,OSは ともかくパソコンとかブランド力とかの部分ではソニーももしかしたら うまくやれたのかも知れません。わたし自身はソニーよりアップルの方が 遥かにブランドイメージはいいですけど:-p。
iTMS自体が成功の秘訣だ…という事であれば,iTMSができたのは やっぱり日本じゃないから…っていうのがあるのではないでしょうか?。 だから日本のメーカも日本でやるより海外で…とくにアメリカでやれば うまく行ったのかも知れません。もっともそれ以上に会社の体質なんでしょう。 アップルとソニーじゃ会社の大きさも違うので意思決定のプロセスが 大きく違うんでしょうし,携帯音楽事業に対する社運の賭け方も 違っていたのだと思います。
まぁでも実際にiTMSが今度メインの音楽販売方式になるかどうかは まだまだわかりません。 あと,iPodユーザが持ってるiTMSが日本で始まらないことに対する 危機感より,実際は日本においてはiPodより携帯電話の方が 遥かに次期携帯プレーヤとしては有望な気がするので,そういう 意味じゃ着歌とかが今後どうなるかの方が重要なんだろうなぁ…と いう気はします。わたしは着歌やってないので,これがどれくらいの ものかわかりませんが…。
- 3/5(わたしのバイト経験)
- 紙屋さんのところの「ニート」という本の感想を 読んで…。本を読んでないので本自体にはコメント出来ないのですが, 中に「中学生の労働経験」という話が書いていたので,自分の バイト経験を書いてみる気になりました。
わたしは中学の時までにはバイトをしたことはありませんでした。 学校の同級生とかに新聞配達していた人とかいて,ちょっと 羨ましかったりしたのですが,わたしは中学は3回変わって(転校ですけど) いるのでそういうのは出来なかったんです。なんか友達の 新聞配達についていったこととかありましたね。
最初のバイトは高校一年の夏休みか冬休み。クラスメイトに 父親がスーパーの店長をやってる人がいたので,そこでバイトしました。 稼いだお金でギター買った気がします。スーパーのバイトは 夏休みとか冬休みとかに何回かやった覚えがあります。 その後二年か三年の時はやはりクラスメイトに父親が肉屋の店長を やっている人がいて,肉屋の売り子のバイトしました。 予備校の時は…やってないと思います(^^;)。大学に入ってからは, 寮の方に時々来ていた,お店の改装を夜中にする工務店のバイト。 これは不定期でしたが,一晩で一万ぐらい稼げるので,時々やってました。 大学の二年か三年あたりで一年くらい家庭教師のバイト。 大学院の時代は毎週土曜日に放送機材の特注品を作ってるところで 半田づけのバイトとかしてました。
だいたいこんなものですかねぇ…。忘れているのがあるかもしれませんが。
…で,確かにこのバイト経験はわたしの今にすごく影響を 与えてます。結構自覚的に思ってるので,思い込んでいる部分も あるかとは思いますが,例えば肉屋のバイトをやっているときに 思ったのは,「職場というのは仕事そのものではなく,その職場の 人間関係が働く上で重要である」ということ,そしてその職場は 結構いい人が多く楽しかったのですが「こういう仕事を一生するのは 辛い」ということ。失礼で申し訳ありませんが(_o_),仕事は仕事, 趣味は趣味っていう風にわけるのではなく,ずっと興味があることを 仕事にしたいと思ったのはこの時です。
あと,大学の店の改装の仕事は,これは数人でやるのですが, やっていて思ったのは経験を積んである程度仕事を把握し,仕事を 指示する方に回った方が,自分が楽な仕事ができる(^^;)…ということです。 家庭教師で得られたものはあまり自覚してませんが,学生に ものを教えることに恐怖心がないのは,これが原体験かも しれません。
そう考えると,今自分がやってる仕事の選択に関して,また 仕事の進め方自体とかいろいろ役に立ってるし,確かに言われてみれば, 若いときにそういう経験をやってる事自体が,就職や仕事に関する 決断をするときのハードルを下げてきた気もします。 子供でもない社会人でもない…という期間が人間の成長期に 存在するのは文明社会の特徴らしいんですが(未発達な文明では 子供からいきなり社会人(労働者)になる),そういう青少年を 結構な歳になるまで社会から隔絶しておく…ってことに, 結構問題があるのかも知れません。以前子供が年寄と接しない故に 死を実感できなくなっている…っていうのも書きましたが。
というわけで,なるほどなぁーと思ったのでした。だったら 本買って読めよ…って感じですね,すみません(^^;)…。
- 3/4(脳のこり)
- むかーし使った脳ミソを無理やり今使おうとすると,こりっと いうかむかーしつかって今使ってない脳のところにどばーっと 血が流れる感じがしませんか?。例えば高校の時に勉強した 数学の証明とかを今やってみるとかすると,そんな感じが することがあります。そういえばちょっと前に姪に九九の問題を 出されたときもそうだったような(^^;)…。 あぁー最近,頭のこの部分使ってなかったなぁと実感する 瞬間だったりします。血が流れてまた活性化していると うれしいのですが…。
さて,今日は職場で他の研究部所の発表会がありました。 わたしが普段働いているところよりもより基礎的な研究を やってる部所でより学術的な内容だったせいかも知れませんが, 話を聞いていると頭にどばーっと血が流れる感じがして,ちょっと 頭痛い(^^;)…。でもすこしこりがほぐれていたのであれば, うれしかったりもどちらかというと後頭部の方だったような…。
なんかこういう感覚を感じると,普段頭使ってなかったなぁ…と 実感して反省したりします。幾ら専門的なことを考えていても, 同じようなことをずっと考えているとおそらく脳の一部しか 使わず,だんだん深くなってるかというと実は働きが鈍くなってるのでは ないかなぁ…と思ったりもしました。
まぁ発表会自体についてはいろいろ突っ込みたいこともありましたが…, 勉強にはなりました。頭に血が流れたので,もっと使わないと。
- 3/3(お役所仕事)
- 「お役所仕事」という言葉はあまりいい言葉としては使われません。 仕事をやる気無くだらだらやったり,融通が利かなかったり,5時に なったらさっさと帰ったり…という風なのを表すことが多いです。 実際にお役所がそうかというと,融通が無いのはそうかもしれませんが, 役所によっては忙しくて,それこそ徹夜をするような職場もあるし, 5時になったらきっかり帰れるところもあるようです。 一つにくくれるわけではない…という事…。
お役所というのは公務員が働く場所ですが,お役所仕事をやっていると 非難されるのはお役所に限らず大企業とかでも言われます。お役所 体質とか…。
国会の答弁で小泉首相が「民営化すれば良くなる」と言っているのは, 実はわたしはピンと来ないのですが,役所だから良くない…と いう意見は実際にあるようです。現に某元公社が傾いていくのも, お役所体質だからだ…とかいう人がいます。でもそうなんでしょうか?。 「お役所仕事=やる気がない」,という風にとらえると, やる気がないから傾いている…という意味になりますが,じゃぁ やる気を出せば役所にせよ,大企業にせようまくいくのでしょうか?。
実は「お役所仕事」という口調の批判に結構無責任なものを 感じるのですが,それはではどうやったらうまく行くのかが全然 見えないからです。やる気がないからうまくいかないのであれば, やる気を出させればいい…というのかも知れませんが,だいたいにおいて, 会社の上司は部下にやる気を出してもらうために苦労をしているのです。 上司だけじゃなくて人事や企画等そういうところも含めて 苦労をしてます。ですので,そういう仕事をやっている人は 「やる気を出させろ」「もっと働かせよ」という呪文がなんの 現実性も無いと思ってると思います。働かない人に給料をやるな…とか 働く人にたくさん給料を…という様な話はとっくにやっていて, それでもそこでの物差しとかの点で,うまく回ってないのが 現実でしょう。実際富士通は成果主義がうまく回らずかえって 業績が悪化したわけで,成果主義が「やる気」に簡単に結び付かない といういい事例になったと思います。
敢えて暴言をいうと,わたしは優れた経営者というのは,社員に もっと働かせる事ができる人ではなく,社員がやる気無く適当に 仕事をしても業績を伸ばせるようなシステムをつくれる人のような 気がします。人間はどんなに優れた人間を集めても,実際その 集団で有益に働いてくれる人は2割程度…という話もあります。 もちろんこの2割を3割や4割にすることによって成功している 経営者もいるかとは思いますが,社員の隅々までケアができる 中小企業はともかく何万も社員を抱える大企業,更にはお役所において, そういうことが可能な気がしません。
もちろん,公務員の場合直接利益を挙げているわけではなく,原資は 税金なわけですから,幾らうまく回っていても,やる気無く適当に 仕事をこなしているのを見ると国民は腹が立つかも知れません。 その辺はまぁ給料の適正化…なんだろうなぁ…という気はしますが, それでお役所仕事が無くなるわけでも無い気がしますし, 結局お役所はずっとお役所仕事じゃないか?…という気がするのです。
お役所仕事を肯定する感じの文章を書きましたが別にそういうつもりは ありません。ただ,みんながみんな120%の力で働くのを前提で 組織を設計したら当然傾くだろうなぁ…ということで,あんまり 自分以外の人間にやる気を期待するのもどうかと…とちょっと 思ったのでした。
なんかね,実現できない提案は単なる無理難題で,失敗して 批判するためにやってるような気がして,あまり前向きな気がしないの ですよ…。
- 3/2(思想は自由か?)
- 人はどういう考えを持とうが自由だ…という事を信じたい。 しかし世界的にはそうではないらしい。もちろん圧政を している独裁国家の話ではなく,自由主義陣営と 言われている先進国の中にもそういう国はある。 カナダとかドイツとかの話。 考えを表明するだけで牢屋行きだそうだ。
まぁ実際は考えを持つことは自由なんでしょうが,表明をするのは 自由じゃない…ということか…。
日本はどうかというと, あまり明確ではない気がします。言論の自由が社会の安全に優先しているのか, していないのかイマイチ良くわかりません。良くわからないので, 良くマスコミが出版差し止めを食らっては,異議を言って大騒ぎをしている。 コンセンサスが得られていればこんなことにはならないので, 得られてないって事でしょう?…。
実際社会を極度に不安な状態に陥れるような発言だったら, 取り締まれたのではないか?…と記憶しています。盗聴法は, 凶悪犯罪であれば当局が盗聴して逮捕してもいいって事になっていたはず ですが,凶悪犯罪の定義は曖昧なので,なんでもできちゃうかも しれません。
つーことで…,わたしも気をつけた方がいいのでしょうか?(^^;)。 …っていう最後は冗談です。んー,でもわたしはある程度社会の 安全のために個人の権利が制限されるのはありかな?…と思ってますが, それでも考えの表明を制限されるって言うのは,ちょっと 抵抗あります。
ちなみにわたしもヘタレなので,リンク先と同じく,捕まった 人が言っている言説についてはノータッチ。日本にも 「○○は無かった」とかいう意見がありますが,それについても ノータッチ(苦笑)。議論される十分な土壌があれば,どんな言説を 発しても大丈夫な気はしますが,こういうヘタレがいるから だめなのかも知れません…,って自分で自分の首締めてるのか(^^;)…。
- 3/1(俗として即として)
- 3月に入りました。
昨日一人言にアップした文章の中に(面倒なのでリンク無し_o_), 「魂の螺旋ダンス」という本をちょっと取り上げてますが,ふと 著者のブログを読んだら,この方が他の方の本の批評を書いてました。
うーん,なかなかすばらしいバランス感覚だなぁ…と思いました。 たしかに子育やセックスはスピリチュアルだろうけど,スピリチュアルだから やるもんじゃないよなぁ…と。「アレ」にこだわりすぎた自分に反省。 というか,やっぱり「俗」って尊いと思うし,そしてあんまりそういうことを 言葉にするべき事じゃないのかもしれません。 …って書いてますけどね(^^;)…。
自分の中で実感として持っていること…,それを言葉で書いちゃうと, 違ったものになってしまったりするのですが,ですが,書かないと 消えてしまう…という強迫感もあって,わたしはつい書いてしまいます。 書かずに持っている事って大変と言うか,強いことだと思うけど, 自分はそこまで強くないなぁ…などと…。
もっと俗として即に生きた方がいいのかも知れない…。自分は考えすぎたり 価値を見いだそうとしすぎて,何かを失っているような気がするなぁ…と 思ったりもします。
………
近況…。仕事でやるべき事があるのですが,あまり手につかない状況。 追い詰められればやる自分であることはわかっているのだけど,追い詰め られていないらしい…。というか,追い詰められていることに気づいてなく, あとで手遅れになる気がしないでも無いのですが…,いい加減まずかな?…と。 いろいろ停滞している気がしますが,元気自体がないのか,やるべき事が 引っ掛かってるので他のも動かないのかは謎です。まぁそろそろそうやって いてもしょうがないか…と,今日の夜ほんのちょっとだけ手をつけ 始めましたとさ。
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