2005年2月の日記&雑感


だらだら書いた日記です。
日記中のURLはメンテしないので,切れてる場合もあります。 あしからず。


2/28(3)
昨日の古代史研究会で一人が持ってきた案の中で「3」という数字が 太陽神と関係が深いのでは?…というのがありました。ヤタガラスの 足が3本とか,その他いくつか例を挙げてましたが…,よくよく考えると 神社の神様もだいたい三神…というか三柱です。それが起源か?…というより そもそも「3」という数字は人間にとって特別な数字として扱われて いないか?…という気がしてきました。
文化的な面があるのかどうかは良くわかりません。自分の感覚ですが, 例えば資料とかを作るときに箇条書きで三つ書くというのは常套手段です。 二つだと少ないという感覚があるし,四つ以上だと「どれが大事なの?」 なんって聞かれてしまう。なので三つ挙げる…というのをよくやります。 三つだとほどよく均等に挙がるという感覚があります。
「3」という数字はどういう意味があるのでしょう?。どういう意味で 特別でしょうか?。数学的な意味でいうと,「3次元」というのが すぐ頭に浮かびます。平面に安定して立つのは三つの柱であり,神様が 三柱なのはこの辺から来ているのかも知れません。あと,素数でも ありますし,奇数の一番小さいの(本当は1ですけど)でもあります。 複数の点をお互いの線が交わらないように,なるべく多くの線分で結ぶと その空間は三角になります。数学的には「3」というのは結構 意味があるように思います。
生理的な意味はどうでしょう?。「2」や「5」や「10」は人間の体の 作りから特別な数字であることが想像できます。しかしよくよく 考えてみると人体に「三つあるもの」というものは見当たりません。 ちなみに「7」は人間の短期記憶のマジックナンバーであることから, ある意味人間に特別の数字と言えます。
生理的な意味はないのに三つの箇条書きがしっくり来る理由は 何なんでしょうか?。いや実は一つだけ生理的に意味がある「3」が あります。それは色覚です。色が三原色ですべての色が表現できるのは 別に色が三原色で物理的に合成できるという意味ではありません。 単に人間の目がそう感じるだけです。それは人間の色覚の受容体が 三つの色に反応するためです(ただし女性の一部は四種類受容する…という 説もあるようです)。動物によってはもっと多い受容体を持っている ものもいるらしく,そういう動物には三つの色ですべての色を 表現することはできないのでしょう(人間は見れないのでわかりませんが)。
というわけで,色分けをすると人間は三つの色…という風にわけるのが 一番極端な色分けという事になります。この辺の事を昔から自覚できていたの でしょうか?…。その辺は謎ですが,三つ挙げて色分けすれば,一番 極端に色分けができる…それゆえに箇条書きするときは3が一番 しっくり来たのでしょうか?。
実際のところ良くわかりません。上に書いたことは柱が安定する事を 除くと,科学がある程度のレベルに達しないと綺麗に説明できないことで, それを感覚的にやっていたのかは謎です。 まぁでも人体で外から見えるところに「3」つついているものは無いのに 三に対して特別な何かを感じるのは(少なくともわたしの近所では)ある 様です。
…って書いていたら耳の中に三半規管があることにも気づきました(^^;)…。 これも感覚器ですね。三次元だから三半規管なんだろうけど…。 ふと空間が三次元なのは単に人間がそう感じているだけかのか?…とか 思ってしまいました(^^;)…。いや,そんなこと無いと信じたいんですが。

2/27(ホテル)
わたしがいますんでいるところは,あまり居心地が良くなく, それゆえ,週末は結構都内とか横浜に出かけていたりするのですが, そういう話を以前知人にしたところ「じゃぁ週末ホテルに泊まったら?」 等と言われました。その時はあまりピンと来なかったのですが, 先日の福岡のイルパラッツオや今日の東急ホテルとかで過ごしていると, なるほど,それもありか?…などと…。
と話がとびましたが,実は昨日から大阪に来ており,昨夜は大阪 東急ホテルに泊まりました。最近出張や旅行をするときに泊まるホテルを 以前から比べると多少グレードを上げていたりします。まぁ一泊1万で泊まって グレードもない…って言われそうですが(^^;),ビジネスホテルとは違う… という意味で。
この辺の話疎いもので,ビジネスホテルとシティホテルの境界線が どこにあるのか今一つわかってません。まぁ今日泊まった大阪東急ホテルは 結婚式場とかあるしやってたので,単なるビジネスホテルとかとは 違うかと思いますが…。イルパラッツオの時も式場は無かったけど, 部屋までポーターが案内してくれて,「あぁビジネスホテルじゃこういう 扱い受けないよなぁ」とか思ったりも。
で,「それもありか」と思ったのは朝起きて昼くらいまで部屋にいて TVとか見たりしていて,そこそこリラックスできたという事です。 ビジネスホテルだとなんか居心地悪いんですよね。部屋の広さ自体が 全然違うっていうのが大きいとは思うのですが,その関係で フリースペース,机,風呂…その辺の広さが変ってくるので…。
ただ,週末過ごすなると,オーディオが欲しいなぁと思いました。 ラジオは聴けますが,CDを聴く装置がないので。オーディオが おいてあるようなホテルってあるのかしら?…。もっとちゃんとした 高級ホテルの部屋だったらあるのかなぁ…とか思ったりも…。
さすがに旅行無しでホテルに一人で泊まりに行く…っていうのはわたしは (終電を逃してビジネスホテルに泊まるとき以外は) やったこと無いのですけど,週末転々とホテルを渡り歩くというのも 良さげではあります。お金かかりますが(^^;)…。
ちなみに大阪に行ったのは,最近知り合いになった某有名漫画家さんが 主催する古代史研究会みたいのに参加するためで,こちらは なかなか濃くておもしろかったです。いろんな人いたようですが, ちょっとご紹介に預かるタイミングは逸しました(^^;)。 また行くと思うのでいいんですけど…。

2/26(ノスタルジーは文化の定着に貢献するのか)
朝TVで70年代を振り返るコーナーをやってました…,なんっていっても 出てきたのが大阪万博のものをかたどったフィギュアが売れてるって 話から,クレヨンしんちゃんの「大人帝国の逆襲」の話へ…。 しんちゃんの映画はもう3,4年前の映画なので,今取り上げるのに 無理はあるんですが,どうも70年代というよりも愛知万博に 触発されて大阪万博が出てきてるような気がします。そういえば 夕方にも愛知万博の話から大阪万博の話やってました。
朝の番組では「70年代は良かった時代か?」という事を 言っていたのですが,まぁ万博はともかく別に今が70年代を 振り返るというタイミングなのか?…というと疑問で,この手のネタは なんか定期的に出てきてる気がします。それも別に70年代…に 限らず80年代のリバイバルもちょっと前にやっていたりして…。
何十年代かということよりつまるところ時代を振り返ること行為が ここ数年流行っている…ってことでそれは現在が時代に閉息感が あるって事なんでしょう。というか「昔は良かった」という感覚は おそらくいつの時代もあったはずです。もし最近そういうのが 際立つとしたら,むしろ高度経済成長の時代がそうじゃなかったという 意味で特異点…そしてそれが70年代ということで,70年代は 未来をみていたい時代,未来をみていた時代を懐かしむ…という 自己矛盾な行為な気がします。
という意味で何となく皮肉めいた話だなぁ…と思ってましたが, 昭和の時代の日本は未来ばかり見て,文化でもなんでも消費ばかりして あまり定着させようとしていなかったので,ある意味こういう ノスタルジーから選び取って文化として定着していくのかなぁ…と 思いました。
まぁ単に若者より年よりの方が金を持ってるので,そこを 狙ってるだけかも知れませんけど:-p。
少し話がそれますが,経営の話は「古い体質=悪い」って いう論調が目立ちますね。ベンチャーとかITとかの話だと…。 これもそのうち「新しいばかりがいいことではない」という 論調が生まれるのでしょうか?…。
はてさて…。

2/25(実践)
昨日に引き続き今日も職場では展示会でした。 別の職場から展示の関係で何人か来ていたのですが,そこの 若い一人が偉く調子のいい奴で,なんで「まかせてください」と いうし,なんでも「大丈夫です」というし,それでいて ずうずうしい。…というのを怒ってるんではなくて,あまり いないタイプなのでネタとしておもしろいです:-)。
で,打ち上げが終わって帰ろうとしたら,わたしの車で 近くの駅まで送れ…とのこと。そいつは一人ではなく,同じ職場の 人があと二人…。「わたしの車4人乗れないよ?」というと 「大丈夫」というので乗せました。わたしの車に 乗り込むまで「大丈夫」と繰り返すので,一番奥にもってもらいました。 そしたら駅につくまでの15分くらい。「まだですか?」と繰り返して ました:-p。降りたら「こんな後部座席が狭い車はじめてです」 とのこと…。
というわけで,はじめてわたしの車に四人乗りしましたが, やっぱり無理があるようです(^^;)…。
まぁ本人には「深く考えずに調子のいいこというと痛い目に合う,という いい教訓になったね」と言っておきました。
ところで,どうでもいいけど,今週は眠かった…。体調がちょっと 良くないのかなぁ…。まぁいろいろ春からのこと考えると 不安定ではありますが…。

2/24(カードとかいろいろ)
今日明日と会社ではお客様向けの展示会…。まぁバタバタ しているといえばいるのですが,私自身は説明員をやっておらず, たんなる連絡が係りなので,ほとんど自席に。とはいえ, 今日はなんかやたら眠かったです。…というわけで,展示が終わったら, まぁ片付けは明日なので,早々にかえって寝ました。
自宅に帰ったら不在配達記録があったので,郵便局にいったら, 新しいクレジットカードが…。このカード。一回も使ったこと無いのですが, それでも来るんですね(^^;)…。というか住所も一年半くらい以前のままで, 私の方もカード会社の連絡先がわからず困っていたら,Webで出きることを しって,変更しただけなのに…。
もう一つ別の普段使ってるカードの利用明細も来ていて,こちらは「 年会費取りません」という紙が入ってました。カードって会費 とらないんだっけ?…。使ってない方のカードもなにもお金は落されてない 気がするのですが…。まぁ使ってる方のは,使ってるからただ?…とか いう気もしましたが…。結局解約されるよりただ…ってことなのか?…。
ちなみに使ってない方のカードは実は荻窪のビデオ屋の会員カードを かねているので,今年(?)あっちに戻ったら必要になるのかも知れません。 いや,戻る保証は今のところ無いのですが(^^;)…。
さらに関係ないけど,今週末大阪に行く用事があるんですが,新幹線の 指定って…どうしてWebでできないのでしょう?…。 JRのプロバイダの 会員になったりJR東海のカードを作ったり したら取れるようですが…,ちょっとどっちも重い…。まぁ飛行機も 会員にならないと取れませんが,あっちは別にクレジットカード作らないでも いいし…。
あっ,リンクのページを見てJR東海って「Central Japan Railway Company」 っていうの知りました。へぇー。

2/23(大使館)
最近仕事上で知り合いになった方に誘われてカナダ大使館で 行われた愛知万博の紹介レセプションに行ってきました。 「万博なんって興味ないなぁ」と以前は思っていましたが, ちょっと行ってみるか…という気分になっております。われながら 単純(^^;)。
イマイチ会の主旨を理解してなかったのですが,まじで万博の 広報の人が主催していたようでした。わたしの知り合いの人は そこにイメージの曲を提供しているらしく,ゲストとして呼ばれた様子。 ただし,その知り合いの更に知り合いがたくさんいるかな?…と期待して いったのですが,意外にそうでもなくあまり新規の知り合いが 増えたという感じではありませんでした。それでもちょっとした 有名人と話したりもしましたが…。
で,場所はカナダ大使館だったんですが,後で知りましたが, ここって結構いろいろパーティみたいな事やってるようですね。 今回は万博のカナダパビリオンの紹介とかもありましたが。
なんか本当は景色がいいところ…という話でしたが,工事中だったせいか, 今一つでした。まぁでも「大使館ってこうなってるんだ…」という 感じでいい経験でした。

2/22(パリダカとNHK)
昨日「政治家はルールを変える」と書きましたら,早速やっていてちょっと笑いました。 いや笑うところじゃないと思いますが(^^;)…。スゲー露骨…と思って。 ちなみに政治家を味方につけるには,お金じゃなくて支持基盤でしょうね。 なのでベンチャーには不利です:-p。
まぁそんな話はどうでもいいので置いておいて…。
今日のプロジェクトXは日野自動車がパリダカに出たって話でした。 パリダカももう20回以上になるんですね。わたしは学生時代オフロード バイクに乗っていたし,その後も国内のアマチュアの(と言っても この世界はプロとアマの区別はありません)ラリーとかに出ていたので, パリダカはその延長であり,非常に親近感が高いものでした。 最近はバイク乗ってないし,パリダカの動向もあまり気にしてなかったので, 懐かしいなぁ…という感じで思わず番組を見てました。
まぁ日野の話はおいておくとして,気になったというか,感動したのが レースの映像と音楽。NHKはパリダカを昔TVで録画中継し,更に 編集して総集編を毎年やってました。当然学生だったわたしは それを録画したり見たりしていました。特に元々の主催者サビーヌが 事故で亡くなった86年頃の番組は印象に残ってます。
ちょっと主旨がずれてしまうのですが,実は印象に残ってるのは レースの事自体よりもその時番組でかかっていたBGMだったり するのです。当時大学生くらいだったと思いますが,番組でかかる BGMがとても気に入って,何の曲か知りたくて,貸しレコード屋で あたりをつけて,借りたりCDを買ったりしたものです。結局そのおかげで(?) 20枚以上CDを聴いてみたりして,その中にいいCDを見つけたりもしました。 でも今考えると,良く曲名もわからない曲を見つけ出すことができたなぁ…と 思ったりもします。で,ではかかっていた曲は何かというと, デビッドサンボーンのアルバム「STRAIGHT TO THE HEART」からと ビルエバンス(サックス)の「Altanative man」です…って後者の方, ネットで検索しても引っ掛からないのですが(^^;)…。当時はわたしは サンボーンとかも聴いたことありませんでしたし,ビルエバンスの リーダ作も当然聴いたことありませんでした。サンボーンの方は 探して見つけたというより,当時フュージョンを聴き漁っていたので, 偶然あたったというのもありましたが,ビルエバンスの方は明らかに 探して苦労して見つけました。曲を聴いてビルエバンスだ…とわかった わけではないのですが,中で出てくるギターがマクラフリンに聴こえたので, マクラフリンが参加しているアルバムを片っ端に探した…というのも あります。おかげでマハビシュヌを聴いたりとかもありましたが(^^;)…。
で,今回プロジェクトXを見て,何が感動したかというと,ラリーの シーンでかかっていた音楽がその音楽ではないのですが,非常に 雰囲気が似た音楽だったのです。わたしにとってパリダカでかかる 音楽の雰囲気が壊されていなくて,それで感動したわけです。
NHKのドキュメンタリー番組は良く思いますが,BGMの選び方が秀逸です。 民放なんて安易にアニメやゲームのBGMとか持ってきますが, NHKは洋楽とかを持ってきたりして,スタッフのこだわりを感じます。
ところでパリダカはNHKが紹介しある程度有名になったら民放に 放送が移りました。そしたらタレントがでてつまらない話をする 番組になってがっかりした覚えがあります。NHKはこういうあまり 知られていないイベントとかを取り上げて紹介するっていうのを 時々やります。ツールドフランスの番組をやり始めたのも たしかNHKです。民放はあまりそういうのやらないですね。F1を フジがやったというのはありますが,あれは日本のドライバーと 日本メーカの参入がきっかけでスポンサーが取れそうだったとか 話題性が既にあった…という感じですし。

2/21(ほりえもん)
日曜日のTV番組,波乱万丈にライブドアの堀江社長がでてました。 あまりに今渦中の人なのでびっくり…。その後サンデープロジェクトにも 出ていたようですが(^^;)…。
波乱万丈はバラエティなので,当然堀江社長が聞いて欲しくない事は 聞きませんし,逆にいいたいことは言ってました。これって堀江社長の 戦略なのでは?…。ずいぶん番組のカラーとあわないよな…とか 思ったんですが,彼の半生には興味があったので見てみることに。
ちょっと前に日日ノ日キさんが堀江さんに「世界はほんとうはもっと 色鮮やかで豊かだし、残酷で不気味なんですよ?」と書いているのを 見て,わたし的には物凄く受けたんですが(^^;),今回彼の 半生を見て,同じく似たようなことを思いました。そういう意味で 日日ノ日キさんは堀江社長の足りないもの…というか,そうかくと 言い過ぎかも知れませんが,まぁそういうものをうまい言い方で 表現してるなぁ…と。
幼少時の堀江社長は,まぁ頭が良かったのでしょう,あまり感動が 無い子供だったらしいです。勉強すればすぐできちゃうし…という 感じで。そういう彼が大学に入っても勉強に打ち込めず,ようやく のめり込んだのが金儲け…だったという風に読めました。まぁ番組は 本人談で作ってるので,もっと彼の天才ぶりを強調してましたけどね。
それでもって堀江社長は法律やルールの隙で,みんなが見落としているところを ついて金儲けが出きる…という様なことを言ってました。まんま 今やってることですよね。
でも,わたしは彼のそういう発言…もしくは半生を見ていて, この人頭がいいのはわかったけど,「アレ」を知らないのもよく わかりました。それから思ったのは,この人子供の頃にいじめられたり 暴力に屈した事ってないのだろうか?…という事も思いました。 この番組に限らず「法律に違犯してないのだからいいでしょ?」という様な 発言は良く聞きます。そしてそれに対して財界や政界から苦言がでると, 「それはおかしい」と…。まぁそうなんですけどね。でも世の中って ルールや法律だけで動いているわけじゃないのでは?…と思います。 彼くらいの金持ち(?)になると裏社会の人とかともそれなりにあったり してないのかなぁ…とか思ったのですが,そんなこと無いのでしょうか?。 世の中法律通りに商売やってても,鉄砲玉が自宅に突っ込んだり するものです:-p。それから政治家はルール自体を変える力があります。 その政治家は支持層のこれまたルール無視の要求のために動いて いたりします。まぁ財界の大物が裏社会とつながりがあるかは知りませんが (総会屋とかで苦労したりとかしてるようですが),政治家と付き合いがあれば, 世の中そんなにルール通りにいくわけじゃない…っていうのは 肌身で感じてるでしょうね。
男の子って子供の頃,どんなに頭が良くても理屈が正しくても,暴力で 思うようにいかない経験って多少はあるような気がするのですが, 堀江社長…ってそういう経験ないのかなぁ…と思いました。
まぁベンチャーで成功している若い経営者ってだいたい似たような 感じな気はしますが…。若いうちはコネクションが少ないので,ある意味 ルール通りにやるしかない…って事なのかもしれませんが…。
それとそういう無理が通る世界を考慮して無いゆえに,クリアに 頭が回るのかも…とも思いました。でもわたしは日日ノ日キさんじゃないけど, 「世界はどろどろしていてそれでいて朝の太陽のような美しさに あふれている」…と思ってるので,堀江社長のようには 考えられないなぁ…と思うのでした(上に書いた「アレ」を知ってると この表現が多少ピンと来るかもしれません:-p)。

2/20(プロ国民)
霞が関官僚日記さんに書かれている,サヨの「プロ市民」に対抗するために ウヨの「プロ奴隷」って提案をサヨがやってる(?)って話。
なかなか笑わさせていただきました。結構コメント欄が興味深く プロ市民の対語としては「プロ国民」はどうか?…というのは なかなかいいのではないか?とか思ったりも:-)。
ちょうど,最近の在日外国人の国籍問題…と中東とかの宗教派閥の対立, はたまた東欧の民族問題をみていると,宗教には教義というものがあるので そこまで単純じゃないにしても,結局のところ帰属意識の問題なのだなぁ …と思っていたので,「国民」というのはある意味興味深かったです。 国民は国籍を持つ人のはずだし。
日本人は自分達の民族名,また自分達の宗教というものを意識してないので 国籍に帰属意識をおく様におもいます。「ヤマト民族」と明にいうと 日本に琉球人やアイヌがいることが明らかになるので,それを避けていていて 結局「日本人」という言葉を使います(とかいう表現をすると 反論受けそうですが)。先日在日外国人の人が公務員要職につけなかったって 話を聞いたときに「なぜ帰化できないのだろう?」とも思いましたが,そこには 複雑な思いがあるにしても,もし仮に国籍以外に宗教や民族への帰属意識が あったら国籍に対するこだわりはもっと少ないのではないだろうか?…と 少し思いました。実際どうなんでしょうね?。例えばイラクの人達は イラク人であることに例えば「シーア派」や「クルド人」であること以上の こだわりをもっているのでしょうか?。
そういう意味で言うと,日本においては「国民」は重要な帰属意識なので 「プロ」という言葉と組み合わせる上での意外性というか, つまりキャッチーさが出るのですが,であれば,「民族」や「宗派」 っていうのもそうなんでしょうね。
実際「プロ民族」や「プロ宗派」がいるのかどうかはわかりませんが, いずれにせよ帰属意識で食べている人はいそうです。ただ「市民」というのは 「シビリアン」ですからね…。帰属意識とはまた違った次元の要素も 結構もってます。ですので「プロ」と組み合わせるにはもっとも効果的とも いえます。「プロニート」とか「プロフリーター」とかも, 今ならあり得るよな…って感じではあるし:-)…。
よだんですが,ふと思いましたが「市民」というと「シビリアン」 なのでしょうか?。それとも「シティズン」なのかなぁ…。何となく 「プロ市民」の「市民」って「一般人」という意味に感じていたので, 「シビリアン」かなぁ…と思っているのですが…。
ちょっと追記ですが…「シビリアン」は「市民」じゃくて「文官」だろう?…と いう突っ込みが聞こえてくるので,一応その旨書いておきます(_o_)。

2/19(燃料電池)
昨夜は結構飲んだのですが,割と朝から普通に動けました(^^;)…。 一昨日飲んだ翌朝(つまり昨日)よりマシでした。
というわけで週末の朝はTVみたり洗濯したりアイロンかけたりと いつも通りなのですが,今日はえらく寒くて天気も雨だったので, 夕方近くまで出かけず自宅にいました。夕方からは渋谷へ出かけました。
TVをみていて,今週は京都議定書の発効の話があったため, 燃料電池の話がありましたが,この手のニュースでいつも思うのが, 水素と酸素を利用して電気を発生させるのはいいとして,水素を つくるコストというかエネルギーというのはどうなってるんでしょう?。
水素ボンベを積んで走るスクーターがTVに出てきましたが,水素って 保管って面倒なような気がするのですが…。実際はアルコールや ガスから水素をつくっている燃料電池のシステムがありますが, 東京ガスの奴は「従来から四割,二酸化炭素削減」と言っていることから, ガスから水素をつくる時に二酸化炭素が出ていると予想できます。 まぁ燃焼させて熱をつくるのとガスから水素をつくる段階では 熱効率とかいろいろ違うようで最終的に効率がいいのでしょうが, 二酸化炭素が出ないと言うわけではないと思います。
まぁこういう話は結局トータルで考えないといけないわけで, 例えば太陽電池がエネルギー的には環境に良くても有害物質を つくってしまう…ということのように,どんなものにもメリットデメリットが 混在しているのだと思います。
聞いたところだと二酸化炭素っていうのは極めて安定なものなので, それを他のものに変化させるっていうのは通常はエネルギーが いるはずです。そうであれば結局のところ光合成のように エネルギーを加えて二酸化炭素を他の有機物にするっていうのが 二酸化炭素削減の最終的な手段のように思います。で,そのために 化石燃料を使うと本末転倒だからやっぱり太陽光線か地熱のような クリーンエネルギーってことになるんだろうなぁ…。つまり 植物にはかなわないってことで,緑を増やすのが大事なんでしょうけど, もしも人工的に光合成が高能率で出きるようなものを作ったら すごいと思います。…でもバイオ技術になりそうな気もします。 研究している人いる気もしますが,あまり話題になりませんね。難しいの かなぁ…。

2/18(大衆ってだれ?)
一昨日の最後に書いたことのつづきです。
わたしはTVとかのマスコミの論調に対してしばしば 苦言を書いてますが,それで思うのは「マスコミってわたしサイドでは ないのだな」ということです。つまりマスコミが共感を得ようと 狙っているターゲットとわたしが違う層であるということです。 ということは,一体マスコミはどういう層をターゲットにしているのか?, もしくはどういう世論をつくろうとしているのか?,どういう ステロタイプなんだろう?…というのが疑問になります。
マスコミの論調というのは右派,左派と多少の揺らぎはあるものの ありがちな論調としては例えば,政治家批判,役人批判,大企業批判 だったりします。更に特殊法人,医者,学校教師も 比較的批判の対象になりやすいです。一方でベンチャーの人は 比較的応援,スポーツ選手や芸能人も基本的には応援の対象の様です。 あと最近だと学生にはわりと批判的,フリーターやニートにも結構 きつめな気がします。外国人には…うーーん,微妙…。
一体だれが共感できる…という設定でしょうか?…。個人商店の 人とか?…。あまりそういう気はしません。商店でも不祥事(変な ものを売ったりとか)起こしたらむしろココゾとばかりに攻め立てる 気がするし…。
なんか誰が共感するんでしょう?…という気がするのですが…。
まぁ実際はそういう明確なものはなく,自分と関係ない対象を 批難するときだけ,そういう人が共感しているだろうなぁ…とか 思うんですが,結局それってムチャクチャ後ろ向きじゃないのか?…と 思います。単に愚痴を言い合ってるだけなら, あまり相手にしたくないし…。
というか,わたしが気持ち悪いのはなんかだまされてる気がするんですよね。 もっと大きな裏があるんだけど,そっちに目が行かないように わかりやすい巨悪を仕立てあげているような気がする。もしくは 大衆(?)がいろいろ深いことが考えられないように,簡単な 図式で頭を一杯にしておくとか…。
ここで取り上げられている官僚批判も冷静に考えれば, 新聞が書いているのは全然おかしな理屈で,公務員のトップが 収入が高いのは,程度問題とか他の省庁とのバランスの問題はあるにしても, 別に全員が高いわけじゃないので,そんなに問題があるとも 思えません。
ただむしろ,こういうのに同調して「けしからん,けしからん」とか いいだす人が増える事自体にむしろ扇動されているんじゃないか? という危機感の方を感じてしまいます。

2/17(ネタ無し)
今日は朝から出張。夜は出張先で懇親会…。 ということで,なんかどたばたしてニュースも見なければ, いろいろ考える暇もなかったので,特にネタはなしとします。 本当は昨日の最後に書いたことの続きを書こうかと 思ったんですが,ちょっと頭が働いてないところで 書くには大きすぎ(^^;)…。 明日も飲みに行くし,週末は週末で夜でかけるので, なんかバタバタしております。
やらなくてはいけないことがあるはずなのに,それすら わからずタジタジ…の状態かなぁ…,こういうのって 根拠のない焦りにつながるので,あまり気持ち 良くないのですけどね…。

2/16(リベラルなサイトとは)
圏外からのひとことさんが「日本にリベラル系の ハブサイトが無い理由」について考察されている件について…。
わたしは「リベラル系」と聞いて「リベラル系ってなんだ?」と 思ってしまいました。「自由主義ってこと?」…。もし自由主義系… って意味であれば,別にそういうものはあっても良いけど, あんまり欲しいとは思いません。「自由主義」って言葉はアメリカが 良いように使って手垢がついちゃってるから…っていうのもあるんですが:-p, それ以前に「自由主義」っていうものの持つ意味が最近わからなくなって いるからです。
とはいえ,上記に書かれている(特にコメント欄)議論は興味深いです。 わたしは思想方面は頭が弱いので,多分半分も理解できてないと思いますが, ネット右翼だったり…とか。
ただ右翼とか左翼とかいうとじゃぁ中道はどこよ?…って話になってやっぱり わかりにくい。わたしは全体の中心やマジョリティの意見を聞きたい というよりはむしろネットや…いや実際のコミュニケーションで求めるのは 「なるべく多くの立場の意見」です。もちろん自分が見える範囲なんて たかが知れているので本当に多くの意見を聞けているかわかりません。 だから常に「自分はちゃんと状況が把握できているのだろうか?」 という不安が伴ってますが,むしろそっちの方がわたしはいいです。 だいたいいろんな意見を聞いたら悩むのは当然で,でもそこから何かしらの 自分の意見をリスクを自覚しながら述べなくてはいけないのだろうなぁ …と思います。
まぁもちろんいろんな人の意見とか言い出したらきりがない。 国とか民族以前に,立場職業出身住んでいる場所…違えばそれぞれ利害関係も 違います。そしていろんな意見を実際に目にしても,私自身が当然ですが, おそらくほとんど租借できない。実際にネットで意見を読んでいても, すぐに共感できる意見と,頭だけ読んで拒絶反応を起こしてしまいがちな 意見とあるわけで,当然すべてを理解してバランスを取るなんて 出きるわけがない…。
でも,そういうwillは持っていたいと思います。わたしはもともとの専門は 感覚屋の研究者で,自分の望みとして,人間が感じうるすべての感覚を 経験したい…と思ってます。でも人間は他人の感覚なんって経験できない。 いろんな人がいろんな経験を本とか文章とかに書いたり語ってくれてる事も あるけど,ちんぷんかんぷんであることがほとんどです。でも, そういうのを「あり得ない」とは思わず,どこかで自分につながることを 夢見てただただ調べてるだけだったりします。
まぁそうは言っても実際はある程度意見は整理されないと頭に 入って来ないんですけどね。でも頭の中で整理できないほどの膨大な意見を 目にして理解できず,でも結論を出すために何かを切り捨てているという 引け目は感じていたいなぁ…とは思うのです。
なにか…。最近マスコミが作り上げようとしてる世論…ってどういう なんだろう?…とか思うんですが…。誰の立場で意見を集約しようと してるのかがなんかわかりません。というのはわたしが全然共感できないので。 でも洗脳しよう…っていう感じはビンビンに来るし…。
ってことで,この話は書き出すと長くなりそうなので,また別途…。

2/15(カセット)
父は昨夜無事(?)退院したとのこと。ご心配をお掛けしました(_o_)。 というか,仕事が忙しくなるので,退院したとのこと。今朝 ラジオで確定申告の話をしていて,「あぁ…」とか思ったのでした (父は税理士)。
という話は置いておいて…。
今日のプロジェクトX。TDKのカセットテープの話でした。 大変おもしろかったです。
カセットテープってわたしがはじめて見たのはもう記憶が 定かじゃない小さい頃で,父がモノラルの,それでもでかい デッキでわたしの声を録って聴かせたことを思い出します。 その後,わたしが小学校の上学年の時,多分中学に上がった姉のために FMラジオつきカセットを親が買ったのですが,当時はモノラル。そして わたしが中学に上がったときに買ったのがステレオのラジカセでした。
今考えると,わたしが子供の頃に親が持っていたのは(多分,まだ 実家にあると思う)ラジオはついてないから,いまでいうボイスレコーダ, つまり音声用だったということでしょう。今回のTVを見て気づきましたが, 最初は音声用…,それを音楽録音に耐えうる様にし,さらに ステレオに耐えうる様にするのにそれぞれ技術の壁があったという 事でした。音楽用のテープがはじめて発売されたのがわたしが3歳の頃ですが, その頃にうちの親まで普及していたわけではないのでしょう
わたしが中学の頃にこうやってラジカセを手にいれたときは既に 音楽用…という感じでしたが,10本1000円くらいの安売り(それでも 中学生には高価でしたが)のテープを買ったら,音は悪いわ,すぐ 巻き込むわ…で偉く苦労したのを覚えてます。そうこのころは, お金をかければ「音が」良いテープが買えたり,ニューモデルになれば S/N比が上がったりと,実にわかりやすかったのです。もうああいう風に 技術の向上を身をもって体験するってこは「音」に関しては 難しいのかなぁ…と今でも良く思います。まぁ携帯電話の音くらいか(笑)。
それにしてもカセット自体を作ったのはフィリップス…とのこと。 これも大きいんでしょうね。西洋がつくった入れ物から始める…というのも 当時の日本のやり方なんでしょう。今は日本でフォーマット作ってますが, 各社の思惑が乱れて大変なことになってます(苦笑)。まぁでも いまでも逆輸入じゃないとなかなかその物の良さを気づかない…という 土壌は日本にはあるんですよね。いい加減,自分達の技術を 自分達で判断するってセンスを付けた方がいいと思いますが:-p…。
以下おまけ…。
科学は個人が音楽に直接触れることを実現したけど…。 その後どこに行くのかなぁ…。再び組織に戻るのでしょうか?。 まぁたしかに個人の音楽の価値観が分散してしまっているので, インフレ(逆か?^^;…)を起こしていると言えるけど…。
何のことかわかりにくいですね(^^;)…。また改めて書きますが, 現代,芸術価値が物凄いいきおいで消費されていることに対する ぶり返しが,果たしてくるのだろうか?…という疑問です。まぁ これについてはまたあらためて考えたいと思います。

2/14(フリータの人生,報道の株化?)
セントバレンタイン…はスルー(苦笑)。
さて,一昨日の話のつづきになります。 同じくフリーターの話…。
千種通信さんによる週刊エコノミストという雑誌の 「結婚できない男」という記事の説明。こちらもうち同様, 紙屋さんのNHKスペシャルの話から続いているらしい。
なかなか辛いなぁ…。申し訳ないけど,わたしには他人事には なってしまいますが,やっぱりこういう現実ってあまり社会に認識されてない 気がするので,フェアじゃ無い気がします…。フリーターをやってる人は 好きでやってるのではなく,仕方なくやってる…と言うかも知れませんが, 大半とは言わないまでも,「そのうち何とかなるだろう」 と思っている人もいるような気がするので…。
日本だけじゃないのかも知れませんが,日本は親の貧富の差はあるとしても, 一応学校までは同じような権利をもって育ちます。だから, どういう人が貧困になるか?…っていうのがわかりにくいのでは ないでしょうか?。もともと家が貧乏だった人はわかるのかも知れませんが, 中流以上の家庭に育った人は,特に実感がないのじゃないかと思います。
「フリーター経験が…」とかいうのは「経験があると損をする」 という風に読めちゃうけど,普通は経験が多い方が得をするって思いがちです。 つまり新卒で就職しなかった人,新規採用じゃなかった人って事ですよね。
人生って結構押さえておかないといけないポイントってあって, それって後からわかるんですが,結構自分が直面している時って わからないものです。「若いときはいろんな経験をして…」っていうのは ある意味当たっているんだけど,やっぱりそういう中でも押さえておかないと いけない事ってあるんでしょう。だからといって当事者がわからないのだから, なおさら難しいんですけどね。
最近,この手の話を再三取り上げているのは,いま日本で貧富の差が広がって いるという実感があって,だけど,それが具体的に変わっていくのかが わかりにくい。つまり貧しくなる人達がおそらくなぜ自分達が貧しく なっていくのかがわからないのではないか?…ということで,取り上げて いるみたいです。
もう一つ全然別の話。こっちは時事がらみなので手短に…。
江川紹子さんが今回の堀江社長のニッポン放送買収の 意図について書かれてます。
なるほど。新聞・テレビというメディアを失墜させるためですか…。 長いので前半しか読んでませんが(^^;)…。納得できました。 わたしは現在の大手メディアに「傲り」を感じているので, ある意味堀江社長の意図がそうだとして,試みとしては興味深いと思います。 ただ,人気によって左右されるメディアというのが結局一般市民の 痴呆化を進めるような気がするのと,市民メディアだけでは財力が 必要な取材が不可能…という事で,大手メディアの意義はわたしはあると 思ってます。もっとも現在は大手メディアも二次情報以下を捏ねくり 回しているだけのような報道も多いんですが:-p…。
堀江社長の言い方は,(ちゃんと読んでないので誤解なのかも知れませんが) 報道や情報も結局「株」の様なものだ…と言っているように聞こえます。 会社が「株」によって本来の会社の役割・規模を越えて振り回されている 現状を見ていると,報道や情報が同じようになっていくのには, ちょっと危険性を感じます。決してコンサバなことを言いたいのでは ありませんが,もうちょっと違う形で大手メディアの失墜が進めばいいのに …と思います。
ということで…,両方の話を眺めて思うのは,基本的にわたしは メディアから知るべきことが流れてこないのに不満をもってるのだなぁ…と 改めて思いました(^^;)…。

2/13(アメリカの肉)
今朝,実家の母親から電話があり,父が入院したとのこと。 胃か食道のあたりから出血したとのこと。別に命には別状ないし, 以前同じことで入院したことあるとのことで,わたしが 駆け付けるような状態ではないらしい。というわけで, 別に大丈夫でしょうけど,メモとして残しておきます。
あまり気持ちが良くない事書いて申し訳ありません(_o_)。 ということで話題をかえます。
吉牛のファン…ってネットに多いので,こういう事書くと怒られるかも しれませんが,吉牛のTVニュースでの扱いって大きいなぁ…,そんなに みんな吉牛ファンなの?…とか思っちゃいます…。
まぁそれで牛丼復活を多くの人が望んでいる…っていうふうに思うのは いいとしても,今回の様に禁止以前の肉を使うとか,アメリカの肉に こだわる…ってことに関しては,わたしはあまり共感を覚えてません。
禁止前ってことは検査をしてない…,ある意味危険な肉ですよね?。 あとアメリカの肉の輸入再開を訴えるにしても,安全確認を要望する わけではなく,危険でもなんでもいいからとにかく輸入してくれ…って いうふうにとれて,食べる人の健康はどうでもいいのか?…って感じが…, わたしはします。 危険かどうかは消費者が判断しろってことなのかもしれませんが:-p…。
うまいとか安いとか吉野家だからとかいうことで,ファンが支持してるのかも しれませんが,どうも企業態度としては釈然としないものがあります。 どうして他の肉であの味を開発しようとしないのでしょうか?。 他の肉でもあの味が出るということになると何か困るのでしょうか?。 それとも,開発能力がないのでしょうか?…。豚丼とかの新メニューって 吉野家で開発したのかなぁ?…。今ってああいうの,どこかに委託して 開発できる…っていうような話もきいたことありますが…。
そもそも吉野家ってすでに創業者が会社をさっていて, それでいて新メニューがそんなに登場していないので,新しい 味を開発する機能は会社の中には無いのではないか?…って 気がします。
まぁそれがどうのこうのという気はありませんが,やっぱり アメリカの肉にこだわる理由はわたしはわかりません。

2/12(富の下にいる人達)
今日は某MLの知り合いのライブを横浜で観てきました。
それはさておき…。
紙屋さんのところのNHKスペシャル「フリーター漂流」 のお話。大変詳しく書かれており,番組を見ていないわたしも あたかも番組を見たかのような共感を感じてしまいました。
フリーターやニートをやっていてもろくなこと無いよ, っていうメッセージを(NHKが)発しようとしてるのかもしれない …というヒネクレタ見方をせずとも実際にフリータとかは 非常に辛いというのが現実なのでしょう。
バブル崩壊,リストラ,構造改革というお題目で正社員を大幅削減し, 派遣や請け負い,臨時雇用等を増やしていて,結局その痛みは 組織というよりは,フリータ一人一人が一身に背負うという 構造になっているように思います。もちろんサラリーマンとかも 負っているんでしょうが,深刻さが違う気がします。ここ数年のデフレで, いろんなものが安くなりましたが,その価格低迷を誰が引っ被っているのか? というのを考えるとこういうことなのかも知れません。 思い返せば10年程前に,フリータが夢を追う自由人のように 報道された時期もあり,そういう選択を華々しいものとしてした若者たちが, 結果としてどういう現実を向かえるのか?…というのが今になって 明らかになっているのかも知れません(そんなこというとDINKSとか 独身貴族とかいう言い方もあったけど)。
学校をちゃんと卒業せず,就職活動をちゃんとしなくて …やってくる未来というのは,今も昔も明るいものじゃなかったのかも しれませんが,妙にあの時期…,そしてこの時期「なんとかなるだろう」 という雰囲気があった,そしてあるような気がします。
わたしは一応大きな企業に入って,その中で自分の仕事を得る, 仕事を守る…という苦労は日々やってますが,それでも自分の努力と関係なく, 明日の自分の収入も保証されないような立場からすれば, 大いに恵まれた立場でしょう。そういう恵まれた位置にいながら, わたしの実感としてもこれから貧富の差はますます広がっていく …と感じているのですが,一方で実際に苦労されている方たちから そういう声があまり聞こえてこないのが不思議でなりません。もちろん, パソコンも買えない人達とわたしでは知り得る情報も違うのでしょうが, だとすればむしろ実際に苦労をしている人達に,貧富の差が今後拡大する という様な現状がうまく伝わらないようにしているのではないか …とすら思ったりもします。昔だったらこういう人達がある程度の 数になると暴動や革命が起きていたはずですから…。
いずれにせよ,世の中なんってそんなに簡単な話では無いはずです。 一昨日に書いたことともつながるんですが,リストラ,構造改革…,能力主義, フリーター,ニート,そういう単純な掛けことばで世の中が変るのを 受容すると,何年かしたときに(人によっては)想像と違う事態に なっているような気がします。
そして,自分達が見えないところで,自分達の富を誰が支えているかを 考えると,自分が安くものを買えることよりも,日本の社会でどう うまく富を分配することについても,もうすこし目を向けないと いけないのでは?…と思います。

2/11(アレ)
今週妻が浮気します。」という「おしえてgoo」での 質問が本になっているのを聞いて,どんなことが書いているのだろう?と ログを読んでみました。 内容とか,もしくはこういうメディアについてはまた別途書くとして, すごく細かいところで気になったことがあるので…。
No.90の質問者に対する回答。奥さんに「別れる」と言った後に 急に号泣して,それに釣られる形で(?)奥さんも号泣し,その後に すべてを許していたし,奥さんも旦那さんに愛を感じていた…という こと…。これを読んでわたしは,この時彼は「アレ」の状態に なっていたのだなぁ…と,そして奥さんも「アレ」になっていたのだなぁ …と思いました(^^;)…。
「アレ」っていうのは「アレ」になったことある人ならわかるし, なったこと無い人にはどんなに言葉で説明してもピンと来ないと 思うので,極めて不親切で申し訳ありませんが,なんのことかは 書きません(_o_)。
たしかに恋人同士で一緒に「アレ」を経験すると愛情深まるし, そういう状態にならずに結婚したりすると,ココロの結び付きとか もしかしたら弱いかも知れないなぁ…とか思ってしまいました。 まぁ若いときはアレになり易いから若いときに知り合って, アレになってお互いに愛を感じて結婚している人はそれなりに いるとは思いますが…。
でも,読んでいて思ったのは,「アレ」って歳取るとなかなか なりにくいけど,一旦なると結構強力なのかな?…と。歳取って からの麻疹はかかりにくいけど重いのと一緒で(笑)。まぁ 二人で号泣するっていうのは結構強力だなぁ…と。普通は そこまでいかないのでは?…というか…。
ちなみに「アレ」は別に男女という組み合わせとかじゃなくても なる場合はなります。一人でいるときにもなるし,同性同士で 共感して友情が深まることも(^^;)…。 でも一人でそういう経験をして,それを自覚すると恋愛に たいして興味がなくなったりする場合もあるよなぁ…お坊さんとか(笑)。 なので普通は恋愛の中で経験するっていうのは,いいことかも知れない とか思ったりしました。まぁ今回の場合は夫婦の破綻のまぎわでの ことで,良かったんでしょうけど,もしかすると旦那が号泣しても 奥さんが引いてしまう可能性もあったわけで,そういう意味では, こういうのも巡り合わせなのだなぁ…と思いました。
話が大きくとびますが,最近百合アニメを観ていて女の子同士が 想いをぶつけるシーンをみて,わたしも泪をボロボロ 落してしまいました(^^;)。最近のオタクコンテンツでは女の子同士の恋愛を 男が好んで鑑賞したり,男の子同士のを女性が鑑賞したりというのが 増えてます。これは自分違う性別の人の恋愛…とすることで自分の性が 絡まない恋愛…というまぁ非現実なもの…することでより空想度を 高めるっていうのもあるんでしょうが…,なんか観ていて「ストレートな 男女愛では純愛を語りづらい時代」なのだなぁ…とか思ってしまいました。 そういえば,韓流で純愛ものが受けるのも,ある意味他の国の人に すること,もしくは見慣れた俳優じゃなくすることにより,非現実性を 高めているのかも知れません。
いずれにせよ,純愛を自分から遠くに置くってことは…自分と 純愛の縁を遠くしているような気がして,現代の日本人が実際に そういうことをやっているのかしら?…とか思います。というか ということは恋愛において「アレ」を経験していない人が 増えてるんではないかと?…。そういう意味ではちょっと心配です…っていうか わたしが心配するような話でもないか(^^;)…。

2/10(「すればいい」のか?)
官僚日記さんの2月9日のところに書かれている件で, 官房長官とか議員さんの発言はいいんですが, その下に「人が足りなくて繁忙度が高いのなら人を増やさないのか」 という弁護士さんの発言について…。
このセリフに限らずですが,何か意見を言うときに 「○○すればいいじゃないか?」という意見を言う人が結構います。 「議員年金止めればいいじゃないか」,「民営化すればいいじゃないか」, 「特殊法人止めればいいじゃないか」…,その他いろいろ…。
なんか文字にするとすごく簡単です。「議員年金止めればすべてがうまく行く」 とか「民営化すればすべてうまく行く」かの様な言い方です。 ついでに言うと「変えるのも簡単」という風に読めます。 もちろん読みすぎなんでしょうけど:-p。
…そんなに物事簡単なんだろうか?…とわたしは思います。 まず制度を変える事自体にストレスがあるはずだし,現状を無理やり変えると 他のところに大きく歪みが出てきます。特に公務員の数を増やすとか 減らすとか,なにか大きな特殊法人を民営化するとかすると, ある意味社会構造が変るわけですから,当事者以外にも物凄く大きく 影響がでるわけで,その影響がすべて好ましいものである保証は どこにもありません。もちろん例えば法令によってその辺の構造を 変える場合は,立案する人たちが一生懸命そのへんの影響を考えて, 作るのでしょうけど,人間が想像することなんて限界があるので, 実際にやってみたら大変なことになった…という事などいくらでもあると 思います。少なくとも「やってみればいい」というレベルではないように 思います。
もちろん,その辺は賢い人が看板だけかけかえて実体は変ってなかったりする 場合もあるのですが,ここでいうところの「すればいい」は 「変えればいい」ってことなので,看板だけを変えることを言っているのでは ないのでしょう。
わたしはこういうセリフを聞くと「ちゃんと考えて言ってますか?」 と思ってしまいます。そういう発言を聞いて,一般の人たちは 「そうすればいいんだ」とこれまた簡単に思ってしまう。そうして更に 「政治は簡単だ」と思って意見をいうコメンテータや街頭インタビューに 答える人達が増えてるような気がします:-p。
餅は餅屋とは言わないけれど,当事者じゃ無い人が, あたかも簡単なように発言するようなことじゃないことが,簡単に発言されて いる様な気がします。意見をいうのは結構ですが,「○○すれば いいじゃないか」という発言には「オレは賢い」という様な傲りを 感じます。で,当事者からすると「簡単に考えすぎ」…って感じで, 結構滑稽ですよ。

2/9(ハラハラ…ほっ)
いきなり脈絡のない話ですが,去年イギリスで大ヒットしたという シザーシスターズの曲。日本でも良くかかるようになりました。 今のうちだから予想して失礼なこと書きます(^^;)…。「ナックみたいに なる気がする」…失礼しました(_o_)…。。
いや,なんか曲に毒がなくて…こういうのってポッとでの一発屋 じゃないと,逆に売れないようなと…。いえ彼らの履歴知らないので, いい加減なこと言ってます(^^;)…。もっと毒があるような曲も つくってるのかも知れませんけど…。
というわけで,本日のサッカー。
勝って良かったです。…というか「勝って良かった」という 心持ちは「違うんだろうなぁ…」とか思いつつ…。なんか勝ってうれしいと いうよりも,もともと「負けたら大変だろうなぁ…」とか「引き分けだと 大変だろうなぁ」とかいう心持ちがあって,それで勝ったので「ホッと」 したという…。うれしいより安心…っていう感じで,こんな感じだと イマイチスポーツ楽しめてないのではとか思ってしまう。つまり 試合を見ている最中にワクワクしているというより ハラハラしてるんですよね。
ロスタイムで決勝点という今日の展開はドラマとしては感動的でしたが, もしかしたらわたしは序盤にリードして逃げ切る…という展開の方が 楽しめるのだろうか?…とか思ってしまいました。まぁでも野球とかだと 負けてるとチャンネル変えたりするので(笑),今日の試合の 重みの感じ方の違いかも知れませんね。
とにかく無事に勝って良かったです。騒ぎもなかったんですよね?…。

2/8(目が脳の近くにあるわけは?)
今日は朝からラーメン食べて(笑),空港へ。夕方会社に 戻り懇親会…。まぁいろいろ大変でした…。
というわけで戻ってきましたので別の話を。
この話は以前書いた気がするのですが,もう一度。 「目」というのはたいていの動物の場合頭…つまり 脳のすぐ近くにあるのですが,これってどういう意味があるんでしょう?。 情報が多くて末端には目をおけない…ってことかもしれませんが…。 まぁ耳や鼻や口も頭にありますが…,昆虫とかは音を聞く器官が 必ずしも頭にはないし,口はまぁ頭足類…はいるけど,まぁ 脳に近いといえば近いか…。
目って脳の一部じゃないのか?…とか思いましたが,それは ふと思ったことなので…特に深めず…。
で,なぜ脳の側に目があるのか?…はわかりませんが,少なくとも 頭に目があるおかげで,自分の実体が脳にある…という風に 思いやすくなっていないか?…ということを思うわけです。 少なくとも指の先に目があって,自分の頭を外から眺められると 脳に実体があると思わないかも…。自分の足や手をみて,そこに 自我があるとはちょっと考えずらい…。
もっとも,脳じゃなくて心臓にこそ自分という実体がある…と 信じられていた時代もあるわけで,必ずしも見えるところが 自分とは違うもの…という発想にはならないのかも知れませんが。
現在は「脳の時代」とかいわれてますが,まぁ数十年まえの SFとかでもそうですが,脳だけあれば自分は存在し続ける…という なんかそういう発想が結構な人の中にあるのではないでしょうか?。 「自我」がどこにあるのか?…という疑問は昔からあって,脳…とくに 前頭葉がそうではないか?…という説もあるのですが,そもそも脳と 脊髄に明確な境目があるわけではないので,どこにあるのか?と 点を探すことに意味があるのか?…とかとも思ったりもします。 まぁ認識される刺激がすべて前頭葉に集まり,またそこから変形した 情報が伝わっていく…ということから前頭葉に何かがある…と いうフウに思われてるんでしょうけど…。ちなみに「脳のある部分を 切ったら何かが失われたからそこが重要だ」という考え方は, 「車の鍵を壊したらエンジンが止まるので車は鍵で動いている」という 言い方と近いので一概にそう決めつけるのはどうかと思います。 もちろん脊髄を損傷しても意識は残ってるからそこから先…には 意識はない…と切ってしまうのもたしかにそうだけど…。
…話を戻すと,脳に自我がある…っていうはまぁリーズナブルな 考え方だと思うけど,なんとなく目が頭にあるのでなにか 先入観が入っていないか?…と良く思うのです。こうやって目で セカイをみるとその画像のこっち側裏に自分がいるように感じませんか?…。 目を閉じて周りの音の配置を聞き取ると両耳の間に自分がいるように 思いませんか?…。そして両手でなにかをつかんで目を閉じて, じっと感じると…なんとなく脇の下あたりに自分がいるような 気がします(笑)。
などと体とお話をして楽しんでおりました:-)。あぁ,なんか意味不明…。

2/7(大学にて)
今日はお昼に空港てんぷらを食べて,その後大橋キャンパスへ。 今期学位をとる学生の公聴会を聞きに行きました。
学会とかでも学生の発表を聴くと(申し訳ない言い方ですが) 稚拙に感じることも多いんですが,さすがに博士課程だけあって しっかりした発表でした。長丁場でしたが,おもしろかったです。 ちょっと寝たけど(^^;)。
その後懇親会。学内でビールを飲んだ後に学外へ。学内で ビール飲んで歩いたせいか,回りが速く,誰と何を 話したか良く覚えてません(^^;)…。申し訳ない(_o_)。
今回は二人の学生でしたが,一人はバリバリの聴覚をやっていて, どこに就職するつもりか?…と聴いたら決めてないとのこと…。 今期は就職あきらめるらしい。でも研究は続けるとのことで, 聴覚で喰うのは大変だよなぁ…とか思いましたが,本人には 言ってません(^^;)…。まぁ途中で止めるのはもったいないと 思うので続けてくださいな…。
さて自分も頑張らないと…と思うのでした。

2/6(新型地下鉄)
今日からちょっと福岡まで行ってきます。今日は福岡在住の 友人と遊んでもらってました。いろいろ食べに行ったりと‥。
そういえば,福岡に七隈線という新しい地下鉄が通っていたので, 実際そっちへ行く用事もあり乗ってみましたが。東京でいうと 大江戸線でいう感じのちょっと小さめの車両。良く思うのですが, 最近ああいう小さめの車両を使うのって経済的な理由も あるのでは?…とか想像してますが,あとでもっと大きくしておけば 良かった…という状態にならないのでしょうか?。そうでも ないのかなぁ…。名古屋の地下鉄とかもたしか小さめの 車両だった気がしますが…。
七隈線は実際どこを走っているのか良くわかりませんが, 今のところ沿線にはあまり施設がないので住民が利用する感じ。 実際週末なのにがらがらなので小さくて困るって事は 無いでしょうが。
それよりも感心というかびっくりしたのは走行中も携帯が使えた こと。たぶん車両内にアンテナがついているって事でしょう。 これからそういうの増えるのかなぁ…。
宿泊はイルパラッツォ。ここはたしか私が 大学に行ってるときに出来て当時は結構評判でした。 立地条件がラブホテル街に隣接しているが難点ですが, まぁホテル自体はおしゃれです。というか,居室が広くて びっくりしました。旅窓で泊まると結構安くて,これは いいかもしれない…とちょっと思ったりも…。

2/5(民族闘争)
例の在日の人が都の管理職になれなかった…という話題は, 非常にデリケートな問題なのでうかつなことは書けないなぁ… と思っているのですが,その反面,ネットやTVでは話題になってます。 日本には特殊な事情があるにせよ,こういうときは諸外国ではどうなの? …というのが一つの指標だと思うのですが, マスコミはあまりそういうのを引っ張ってこようとはせず, ただ映像的にインパクトがあるシーンを流すのみ, 解説をしようとする知識人もおらず…,なにかみんな触れたくないか, もしくは別の力が働いているのか?…とか妄想しそうになります。 考える材料を与えてくれなければ(まぁ自分で探すべきだ という意見もあるでしょうが),一般の国民は判断できないよなぁ…と。
こういう点でもマスコミの質の悪さを感じるんですが…, それはおいておいて…。
…というわけであまり触れたくない話題なのですが,一つだけ思ったのは, 「あぁ,これって日本国内における民族闘争なのかもしれない…」と。 日本人は日本は単一民族で,日本国籍を持っているのは すべて一つの民族と思っている様なところがあります。 実際は北海道とか沖縄はもちろん,九州や本州にも先祖をたどれば いろんな民族がいるはずなのですが,地方派ともかく少なくとも中央においては ほとんど意識されていません。
現在イラクの選挙の話をみると民族や宗教派閥で色分けされていますし, 東欧(西アジア?)とかでも民族紛争が起ってます。 それらの中の人達の国籍がどうなっているかはわたしは知りませんが, 少なくとも一つの国の中に複数の民族が存在しているっていうのは 世界的には珍しくないはずです。そしてその中で対立があるのも 珍しくない気がします。
ところが日本人はあまりそういう風には思ってないのではないでしょうか?。 だから在日の話になると非常に意見がまとまらない…。 もちろん民族闘争というには,国籍の話,また人口規模からして, 他の国とは全く事情が異るのでしょう。 ただ「国籍」という概念も時代で結構変わっている気がします。 日本の中世以前は大陸から渡ってきて,日本に根付いてしまった民族が それなりにいるはずですが,当時に「国籍」という概念はなかったはずです。 しかしだからといって,すぐに元々いた民族と同じように扱われて, すぐに溶け込んだか?というとやっぱり疑問で, 何かしらのトラブルではありませんが,いろんな段階があったような 気がします。
日本は単一民族だとみんなが思い,同じ言語を使って,人種的にも近く, しかも島国で…という前提でいろいろ仕組みが決まっている気がしますが, 他の国をみると隣国と地続きで,しょっちゅう難民が発生して, いろんな言語を喋って生活様式が違うっていうのが当たり前の国も たくさんあります。しかし実際国籍は違えども,いろんな言葉で肌の人が 日本にそれなりの数住んでいるのも事実です。 それでもって日本はそういう人達に国籍を簡単に与えないことにより, 日本は単一民族国家であることを維持してますが,これを国籍を与えると, 現在の「在日外国人問題」は「民族問題」になってしまうのだなぁ …と思いました。
このことに対して,わたしは明確にいえる意見はないのですが, 「道理で日本人はこの手の話が苦手なはずだ…」と思ったので,そ れだけ書いておきます。

2/4(バリ舞踊)
今日は見に行ったものなどを。ライブレポートに書こうかと 一瞬思いましたが,まぁこっちでいいか…。
今日は吉祥寺でバリの舞姫ユリアティさんのチャリティ公演を 観てきました。ガムランの演奏と舞踊…という感じです。ガムランの 演奏は日本人で6,7人くらいで。舞姫三人はバリ島の方みたいです。
ここは 主催した小谷野さんのページですが今はたぶん期間限定で, 情報が載ってます。このかた,知人のつてで以前お会いしたこと あるんですが,だいぶ前なので先方はわたしのことはすっかり 忘れていらっしゃったので(^^;),再度挨拶など…。
舞姫は現地でも有名な方らしく,すばらしい踊りでした。指の動きと 目の動きがすばらしかったです。ガムランは倍音が多くて アンビエントで気持ちいいです。現地ではもっと大編成で やってたりするとのことですが,そりゃー圧巻だろうなぁ…とか。
公演はチャリティを兼ねているのでインドネシアガルーダ航空の Tシャツを買いました。でも1000円で買ってもチャリティになる あたりに,為替の差を感じました。公演自体も3000円…っていうのは チャリティっていう意味では安いよなぁ…とか。それから やっぱりこういうイベントって中央線沿線だよなぁ…とか公演とは 関係ないところで,いろいろ考えてしまいました。
それにしても横須賀からだと遠いです。まぁそのうち引っ越すことには なると思いますが…。

2/3(脳の中の文章)
夜車で帰宅していると信号の光が金環食の様になっている事に 気づきました。つまり真ん中に黒い点があって周りが緑に光っている。 「?」と思い見回すと他の他の街灯もすべてそんな感じ。 乱視のせいでしたorz…。「綺麗」と一瞬思ったけど,なんか 急に気持ち悪くなりました…。ちょっと気を静めて,あまり 意識しないことに…。乱視ひどいなぁ…。標識が読めないことが多いんですが, それでも視力計ると1.0とか平気で出ちゃうんだよなぁ…。
というわけで,いったい自分は何を見てるのかと…。
ところで,今ケン・ウィルバーの「統合心理学への道」と いう本を読んでいるのですが,この本なかなか手ごわい。 一ヶ月以上読んでますが150ページくらいしか進んでませんorz…。500ページ くらいある本なので先は長いです。…と言っても分厚すぎて 持ち歩くのが大変なので,別の本を間で読んだりもしていて,この本ばかり 一ヶ月読んでるわけではありません。
この本読んでいて,不思議な感覚なのは,すごくおもしろい…と 思うのですが,全然読み進まない。なんせ2ページくらい読むと 眠くなります(苦笑)。でもその2ページはおもしろいんです。退屈で 眠くなるより疲れて眠くなるのです。 というのは,そこに書かれている文をすべて読まないと理解できないような… いや読んでも理解できないような感覚があって,たとえば1000文字 書かれていたら,1000文字をちゃんと読まないと頭に入らないような 感覚です。
よくよく考えてみると,普段読み慣れた本を読む時って,はじめて読むときでも だいたいどういう事が書いているか想像できるせいか,もっと流し読みを している感じがします。斜めに読んでも,何を書いているか理解できる。 だから,ライトノベルなんって200ページあっても2時間くらいで 読めちゃうこともあります:-)。この本はもっとしっかり「どの文が, どこにかかってるんだっけ?」とか思いながら読んでたりもして,…と 言っても別に訳がひどいってわけではなく,単純にわたしの頭に するすると入ってこないという感じです。
この本を誰が読んでもそうなるか?…っていうのはちょっと疑問で, こういう本でもするすると斜め読みできる人っているんだろうなぁ…と 思った…という話を実は今日は書きたかったことです。
というのは,実はある知人が書いた本の感想をその本人に 送ったら,「思想界の外の人の貴重な意見」と言われてしまったからです。 この知人,よくよく話を聞くと,恐ろしく本を読むのが速いのですが, それは置いておいても,「そうかウィルバーの本も,思想界の人間が 読むとすらすら読めるのか」ということ…。って言うことは,この本を 読んで頭の中に起ってる状態はそういう人たちと自分は全然違うのだ…と いうことです。
以前から書いてるように,色とか形とか音とかそういうものは対象と 言語が一致しているので, 他人とそれを見たときの表現が食い違わないのですが, 実際にその人が何を見ていて,何を聞いているかはわかりません。 ですが,言語とか文字は思考自体をキャラクタライズしたものなので, もうちょっと他人と共有できているのか?…と思ってましたが, 文も頭の中で起ってる事って結構違うんだなぁ…と。
文を読んで持った「感想」ではなくておそらく「意味」自体も, 結構他人の頭の中は違うんだろうなぁ…と思いました。
まぁ本はおもしろいので,まだ読みますが…。
まぁでもわたしが音響の技術書を斜め読みできたりするけど,専門じゃ無い人は 1ページ読むのに何分もかかったりするから,そういう意味じゃ同じ なんですけどね。ただ式も数字も出てこない文章が これだけ頭に入らないのか…, とちょっとショックを受けました(^^;)…。

2/2(ブログの寿命)
昨日は大手サイトの終了の話をしましたが,なんか いろいろ見ていると, 最近更新を停止したり,サイト運営を省みたりしているサイトが, 妙に増えている気がします。
考えてみたらブログが登場して2,3年ところだからでしょうか?。 わたしは以前「ML寿命説」を称えたことがあるのですが, ブログもそういうのあるかも…と思ってしまいました。 ブログでネットを始めた人にはブログこそWebだろうからなぁ…。 文章を書く意義とかを悩んでいて,ちょっとかわいい…とか 言うと怒られるでしょうか?(^^;)…。
アニメの感想を書かれている光希桃さんが アニメの感想を書くことのトラップについて書かれてますが, こういう話はまんま日々の日記にも対応するわけで, 「日記のネタ探しの生活」になったり,「どうでもいいと自分で思いながら 日記を書いたり」,それで「もういいか」と思ったりと…。 でもわたし自身7年間日記を書いているわけで,そういう事に 関しては,結構自覚的なつもりです。自分の中では文章を 書くという事の意味はしっかり感じてます。 自分の中に生じた「なにか」はそのままにしておくと「無かった」ことに なりますが,どこかに定着させておけばそれは残るものです。 定着させるものは別にWebじゃなくても良く,人に話してもいいし, 他の作品とかにそれを込めても良い。「なにか」の価値は後になって わかるものもありますし,そもそも「なにか」は自分が発生させたものと いうより見えざる力によって自分の中に発生したものだと思います。 預言というか…。 …とかね:-)…。
でも10年続けたら,結構な財産だと思いますよ:-)。 それに,わたしにとっては週一とか月一で書くよりは, 毎日書く方が,かえって億劫じゃないし。やってないことを やるのは結構壁を感じますが,習慣的にやってることは,そんなに 抵抗なく作業できるものです。
というわけで,わたしは今のところやめる気は無し。ただ,メイリングリストか いまだとソーシャルネットとか,新しいネット形態が生まれる度に, そういうプロセスは通るんだなぁと感じました。

2/1(ネットから孤独を感じるのは コミュニケーションしてないからでは?)
憂鬱なプログラマによるオブジェクト指向日記 」さんで 「 いんちき心理学研究所」さんが閉鎖された事を取り上げ, 「アクセス数が増えれば増えるほど、人は孤独を感じる」と 締めています。
人それぞれネットで文章を書く理由は様々だろうけど,わたしは, 上記の意見を読んで,こういうことを思う人たちはどういう風に なりたいと思ってWebに文章書いていたのだろうと考えてしまいます。
失意で閉鎖する…ってことはおそらく何か「期待」があったのだと 想像します。「ただ自分の文章を人の目につくところに置いておきたい」と いう理由だけでやっていたら,「反応が無い」という理由では 閉鎖されないだろう。…ということは自分が書く文章に対して 何かしらの反応があることを期待して文章を書いていて,しかし 実際は「反応が無い」か「思ったほどの反応が無い」か「思った内容の 反応が無い」のいずれかだったのだろうか?。
個々のサイトを取り上げて,いろいろ言うのは申し訳ないと思うのですが, 単純に今一つ気持ちが理解できなかったので…。うちのサイトは 全然人気サイトではないのですが…,というか上記の理屈で言うと, だからこそかもしれませんが,そんなに孤独感を感じません。 実はわたしはここだけではなく他のところにも文章を書いていたりしますが, いずれもそこそこコミュニケーションがあります。もちろん,次々と 新しい人がやってくる…ということはほとんどなく,逆に元々 知り合いだった人が読んでくれている…という場合の方が 多いのですが,それでもごくたまに新しい人からメイルや 掲示板への書き込みがあったりします。こういうのは非常に うれしいですね。
ただわたしも 文章を書いてほっておけばどんどんアクセスが増えるとも思ってません。 わたしはネットニュースやメイリングリストからの経験で,主に メイリングリストからですが,どういう風にするとそのコミュニティが 栄えるか?…,何をやったらだめになるか?…というのにある程度 感覚ができている気がします。で,そういう感覚から一般論に してしまうと,やっぱりたまに「あぁ,これやっちゃうとだめだよ」って 事をやってしまう人気サイトって結構あって,そうなると荒れて だいたい閉鎖とか放置とかになる気がします。まぁ一番簡単に言うと, 反対意見を押さえ込もうとすることですね。
よく「自分のサイトのアクセスを増やすには」という様な ことを書いているのも見掛けますが,これもちょっとね…。つまり, 「アクセスを増やす」というのとか「反対意見を封じ込む」っていうのは, 要はサイトのオーナーが閲覧者を個々の人としてコミュニケーションしようと していないように見えて「わたしとは考え方が違うなぁ」と 思うのです。だからそういうことを望む人は閲覧者とコミュニケーションしたい というよりは,単に自分を見てくれる大衆が欲しい…もしくはそれを 実感したい…という風に見えます。
わたしは自分の文章を人目にさらしたい,それは未来の自分へだったり する場合もありますが,他の人が何か意見をくれればそれは新しい 自分へ働き掛ける貴重な財産だったりします。ですから,わたしにとっての ネットというのは一対多ではなく,無数の一対一もしくは多対多なのだと 思っております。自分が(集団ではなく個人としての)人に働きかければ たいていの場合反応があるし,それを続けていけば,それなりの コミュニケーションが出きると思うけどなぁ…と思います。
これはネットに限らない話ですが…。


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