お金

お金のために

最近テレビを見ると「お金」という言葉を良く聞く。 Goldではなくmoneyの方である。「お金大好き」とか いうTV-CMとかあってどきっとする。一方で消費者には 「ただ」というのをアピールするサービスもあるが, それはお金を節約できるという意味なのだろう。

「お金を嫌いな人なんているわけない」というのが,おそらく 現在の日本人の常識であろう。わたしも正直言って,お金が あるにこしたことはないと思っている。

とはいえ,こうも露骨に「お金」と言われると,ちょっとドキッとする。 この辺の価値観はおそらく人それぞれであろうが,どういうわけか わたしは「お金にガツガツしているのはみっともない」という 洗脳をされているようである。「金のために…」というのも すごく抵抗がある。ずっとこういうのは普通の価値観だと 思っていたのだが,上記等の広告,経済雑誌の増加,経済的成功者への 称賛を見ると,どうやらそういう抵抗は普通の人はない様な 気がしてきた。わたしだけが異常なのだろうか?。 本音はお金が欲しくても,それを自分でも認めたくないし, ましてお金を持ってる(貯めた)だけでは相手を尊敬出来ないのは おかしいのであろうか?。

しかし物を発明して金持ちになったのならともかく, 金儲けの仕組みをつくって金持ちになった人までが尊敬されている という状況をみると,どうやらお金を持つことは偉いことらしいのである。

お金の発明

貨幣とうかお金の発明はいつなのであろう?。詳しいことは 今回は調べていないので(学生時代習った気がするが)割愛するが, 考えてみたら物凄いことである。お金はそれ自体が生きていくことにも 快感にもまるっきり影響しないが,すべての物と交換をすることが 可能なのだ。そして明確な単位を持っている。つまり 数値化されている

どういうことかというと,「価値観を数値化した」という ことがすごいのである。すべての物の価値を一次元で 評価することが可能なのである。CDと食べ物等といった全く 異なるものを比較・交換する物も可能であるし,物とサービスという ものを交換すること可能だ。さらに人の命も数値化できるのである。 こういうことを書くと否定されるかも知れないが,自分がもし病気で 死にそうになったときに治療費がいくら以上だったら無理か?と いう命題を真剣に考えると,その考えた人にとっての自分の命の 値段がわかってしまう。もちろん家族にとっての…というのもある。

そう思うとかなり恐ろしい。なんてものを人は発明して しまったのだろう?。価値観を数値化し,そして全く関係ないものを 交換できるために,人はそのお金のスケールですべての物を 考えることが可能になってしまったということである。

お金を支点とした価値観のバランス

しかし,良く考えてみたら,数値化はされているが,それに よって実際の価値が固定されたわけではない。 なぜなら人はそれを「買う」からだ。 やはり実はものの価値観は人により異なるわけで, そのものにつけられた値段より,自分がそのものに それ以上の価値を感じたときに「買う」わけだ。 物々交換も本来そうである。自分がもってるものと 相手がもってるものを比べて,相手のものに より価値があるとお互いに思うと, 満足の行く交換になる。お金はそれを一旦中間のものに 変換しているに過ぎない。

つまり,あるものを手にいれるのに, 「○○円出しても,後悔しない」という場合に気持ち良く ものを買うことが出来るということである。 そしてもってるものより,○○円の方が価値がある, と思ったときにものを売る。労働も本来はそういうもので, 「○○円もらえるなら,これくらい働いてもいいか」 と思うから働くのである。

お金以外の価値観

そういう社会で過ごしていると,「お金に替えられないもの なんてないのでは?」と感じがちである。しかしどうやら 違うようである。例えばイスラム教などは,私腹を肥やすことを 禁止しているらしいし(実態は知らないが),非効率ではあるが 断食や祈りを欠かさない。宗教のように信仰が 大きな価値観の場合,お金だけでは量れない尺度があるのだろう。 信心が金で量れたら大変である。

であるから,ある意味出家する人がすべての財産を放棄するのは 筋が通っている。金銭という価値観を捨てる必要があるからだ。 しかし,であるから,その金を宗教団体が使うことは矛盾があるし, たくさん寄進した人がいいとうのも矛盾がある。この辺は インチキ宗教団体と,そうでないのとの判断基準になると思う。

またインフレが激しい国とかは,お金を持っていても,すぐ 価値が下がってしまうため,物々交換の方を有り難がる。 もちろん,外貨に逃げるという手もあるが…。

生きるために必要なもの

お金は欲しいものが手にはいるから,ありがたいのであるが, しかし実際は具体的な何かが手に入れられるから,お金を 欲しがるばかりではない。 「なんとなくお金が欲しい…」という人も,かなり多い。 お金をもつ事自体が目的になってしまっているという人である。

しかし,一方でお金にガツガツするのが何となくいやでも, やっぱりお金はあったほうが安心というのもある。それは 最低限の衣食住を手にいれるためには, やはりお金が必要だからである。仮に,「衣食住は,ほっておいても 入ってくる」となると,お金は不要となる。楽しむ ためにはお金が必要なら,そういう人だけが働けば良いという 社会になる。社会保障がしっかりした国ならそういうことに なるのだろう。しかしそうなると働かない人が出てくる。しかし 社会保障をするための最低限の労働は必要だから,結局誰かが 働かなくてはいけなくなり,矛盾が生じる。北欧とかの 問題はそういうことだろう。意外に不安がないと,人は お金を欲しがらないものなのかもしれない。

そういうことを考えると,日本でこれだけお金を 愛する人が多いのは,国(貨幣)がなくなることはないが, 将来の生活は不安という人が多いということかも 知れない。それとお金以外の価値感で量ることを,すでに 出来なくなっているということなのだろう。 確かに変化が激しい現在で確固たる価値観を持つのは かなり難しいことである。


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00 Jul. 18th


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