2010年4月の日記&雑感


だらだら書いた日記です。
日記中のURLはメンテしないので,切れてる場合もあります。 あしからず。


4/30(熊本へ)
今日はレンタカーを借りて,熊本のわたしの実家へ嫁と子供をつれて 行った。平日だったけどETC割引が効いてるのか,高速道路は安かった。
余談ですがETCメーカが政治に翻弄されたという記事は泣ける。 が,そもそも政策で儲かるような仕事とはそういうもの…とも思う。

4/29(予想外のスピード)
呆れた現在の政治については,あまり書いても仕方ないと思いつつ, たまには現状の記録として書いておこうかと。
鳩山内閣の支持率が20%になったってことで, いよいよという空気になるのかというと,辞める兆候も無く, 案外ふてぶてしく続けるのか,それとも参院選挙前に話題集めのために 民主幹部入れ替えをするのか,それとも選挙後に変わるのか, イマイチどれもあり得るのか…などと思ったりもしてます。
が,一方でだからといって自民の支持率もあってるわけでも無いのが, 難しいところ。このままだと第三局になりたいという弱小政党が 票をたくさん取ってしまうという結果になる可能性が高いです。 でも,あれがダメならこれ,これがダメならそれ…という風な 選択の仕方は,あまり前向きじゃないというか,だれも責任を 取りたがらないという国民性なのかなぁ…などというと泣けてきます。
思い返すと去年の衆院選の時にわたしは 民主に不安とか何も出来なくて座礁するじゃないか?と書いてますが, それでも予想通りというよりは予想以上のスピードで進んでいる 様に思います。
予想以上のスピードで民主がガタガタになったので誰もついていけてない というもう一つの現状がある様に思います。自民の支持率が上がらない のに自民の内部のゴタゴタがあるともいいますが,わたしは谷垣さんが 党首になった時に,しばらく自民は野党だろうから,派手な人より 堅実な人の方がいいだろうと谷垣さんを推しました。こういう言い方は 谷垣さんには失礼なんですが。今の様な状態になるんだったら, もっと華がある人を選んでおけばよかったなと多くの自民議員や 党員が思っているかもしれません。
あとやっぱり去年の選挙で民主に入れた多くの人は,ここで もう一度自民に入れると,民主に入れた自分が間違っていたことを 認めることになる…という意識がある様に思います。ですから,おそらく 今麻生さんが再登板してもダメでしょう。自民じゃなくて,第三局に 入れるのも,そうすれば「あの時は民主に入れたわけじゃなくて, 反自民に入れた」という言い訳が出来るから…の様に思います。 ここでもう一度自民に入れるには,明らかに自民が変わったという 印象を植え付けて,「自民が変わったから今度は自民に入れた」と 言わせるような何かがいるんだろうなぁ…とかも思います。
そういう意味では,なんか日本人が戦後,戦争責任をなかなか認めなかった ということも連想できて,もう国民レベルで過去の過ちを認められない って事だよなぁ,などとも思います。そういえばマスコミって維持でも 訂正記事を出さないけど,それもそうなのかなぁと。
とにかく,そういう意味で今は国民レベルで冷静に政権選択を 出来ない状況に入っていて,次の選挙も読めないし,近い未来の 日本も読めない。今は維新じゃなくて,戦国時代の入り口, そう,応仁の乱ぐらいじゃないか…とか思うこともありますが, そうなるとこれから長期で世の中は乱れることになるのかなぁ。

4/28(帰省)
連休は明日からでしょうけど,子供をつれて帰省…ということで, 混雑を避けるために今日から帰省しました。レンタカーを借りて 羽田まで。雨が結構ひどいせいか,割りと渋滞していて心配したの だけど結果的には余裕でつきました。
飛行機はANAを使ったのだけど,本当に機内サービスがなくなっていて, 席にヘッドホンは置いてないし飲み物のサービスもない。たぶんヘッドホンも 水とかもキャビンアテンダントに言えば持ってくる…という形に 変わったんでしょうけど,ちょっとなぁと思いました。JALはまだ 出るんでしょうか?。出るなら差異になって良いと思うけど。
福岡ついて,嫁の実家までは地下鉄,そして歩きでした。雨が ひどくて,荷物が多くてかさをちゃんとさせなかったので, 濡れました。というか傘壊れた。
最近傘がよく壊れます。今回は折りたたみで,骨が折れた。前は 折り畳みじゃない傘で柄が木なんだけど,端っこが折れた。そっちは 接着剤でくっついたけど,今回のは直せないかなぁ。わたしは 安い傘を使い捨てにするんじゃなくて,良い傘を長く使う主義なんですが, 残念。まぁ今回のは3000円くらいの傘だから高級とはいえないかも しれなけど,その前のは2万くらいしたんだけどなぁ。

4/27(連ちゃん)
実は昨日と今日二日続けて飲み会でした。昨日はそうでもなかったのですが, 今日はビールだけの割りには酔って,帰って風呂も入らずに寝てしまった, ので日記のネタはありません。

4/26(虐待のニュース)
リンクするのもためらうほど二度と読みたくないような乳幼児虐待の ニュースが最近妙に多い気がします。
ニュースが多いのは,(1)事件自体が増えている,(2)いままで騒ぎに ならず,見過ごされていたのが,そうでなくなった,(3)今までも あっていたのだけど,メディアが取りあげるようになった,とか いくつか原因があるのでしょうが,わたしとしてはここに来て急に 増えたというよりは,2とか3の様に話題になることが増えたのではないか?と 思います,というか思いたい。
それでも,核家族は相変わらず多いし,なんとなく以前より若くて子供を 持つ人も増えていて,さらにそういう人ほど,十分に収入が得られなかったり してとか,そういう人が増えてるのか?とか思うことも。ニュースで 虐待をする親は歳が若くて無職だったり再婚だったりってパターンが 妙に目立つ気もします。もっともそういう方で大事にお子さんを育てて いる方も多い,というかほとんどだと思うし,逆に歳を取っても虐待を するケースだってあるかもしれません。
ニュースが統計的なものではなくここの事例ということは,逆に言うと, それだけしかおきてないと見ることもできます。ほとんどの親御さんは お子さんを大事に育てていると。それでもそう出来ない人がいるのも 事実でしょう。どんな社会でも,ダメな人っていうのはある程度は いるはずで,いることを前提に救済網を構築しないといけません。
実際わたしも子供を育てていて,子育ては大変だと思います。生活の すべてを子供中心にしないといけないし,体力的にも大変。面倒だったり 衛生的に大変なことも多いです。ただ自分でやってみて思うのは, それでも,子供と接しているのは楽しいしうれしい。子供が辛そうだと たまらなくて何かしてあげないと…と思う,そういう部分も感じ, だからやっていけます。こういう感情って本能的なもんなんだろうなと 思い,人間…いや動物って良くできてるなと思います。また, 子供をきちんと育てるとか,責任を持つとか頭で考えるのは本能だけでは 無く,後天的に社会に刷り込まれた部分もあるとは思います。
だただから,やっぱりこれもうまくそういう風に考えたり感じたり 出来ない人もある程度はいるのだろうなぁとも思います。特に 一人っ子だったり,親戚が近くに住んでいなかったりで,子供の時や 若いときに,赤ちゃんと接した経験が無い人は,子供に愛情を感じない というよりは,子供にどう接していいかわからないという 人もいるのかもしれません。実際に作ってみたら,思った以上に 大変で手に負えないという人もいるかもしれません。
子供は社会の宝という考え方もあります。実際いま少子化が問題に なっているのは社会の将来のためです。そう考えると子供の虐待の 問題は家庭の中の問題じゃないともいえます。とても悲しい 悲惨な虐待の様子を伝え,その親を責めるだけではなくて, もっと社会全体が何か改善の仕組みを作れないか?という気がします。
その世論つくりのために,現在これらのニュースを取りあげるので あればいいのですが,果たして。

4/25(Twitter)
今話題のTwitter,遅ればせながらわたしもようやくアカウント 作りました。完全に乗り遅れたので,もうこのまま通り過ぎるのを 待とうか,とかも思いましたが,まぁちょっと思うところあって。
そういえばわたしはblogもかなりやり始めるのが遅かったように思いますが, mixiはわりと早かった。ネットの新しいコミュニティには若い頃は すぐに飛びついていた気もしますが,30過ぎた辺りから,そうでも 無くなったかなぁ。2chとか書き込んだことも無いし。
というわけでTwitterのことは何も分からないのですが,今日, Twitterは良すぎるのかしら?という文章が 話題になっているのを見ました。要はTwitterがはまりやすくて危ない …ということを書いているようです。その結果,現実のコミュニティが 希薄になったり,物事を深く考える習慣が無くなったり,ということも 警告してます。
…これを読んで最初に思ったのは,そういう特性というかはまりやすさと その危険性は,たぶん,ネットニュースにもMLにも掲示板にもSNSにも あったんじゃないかな?ということです。やったことないけど,オンライン ゲームにもあったんじゃないですかね?。通常のゲームとか普通の メイルとかブログは良くわかりませんが,要は一対多,もしくは 個対多でコミュニケーションが出来るこの手のネットサービスには いずれも通常の生活に変化を及ぼすくらいの中毒性があったりします。 あったりするけど,経験的に言うと,自分の場合は永遠には続きません。 そういえばmixiも初めて1年か2年か忘れましたが,それくらいになって 急に「もういいや」と憑き物が落ちた…と感じたことあったのを 思い出します。それまでは足跡が気になったり,自分の日記への 書き込みにはすべて返事をしないといけないと思ったり,コミュの書き込みも マメに読んだりと。でも,ある日それはどうでも良くなりました。
もう10年以上前だけど,MLもかなり中毒的に書いてました。ただ MLやニュースはルール(空気)が結構厳しくて,脊髄反射的な 文章を書きにくかったので,はまっても,そんなにポンポン書けないような 感じはありました。
Twitterはまだ良くわかりませんが,他のサービスと違うはまりやすいところが あるとすれば,「なにをしてるか?」という書くテーマがサービス側から 与えられていて,しかも字数制限があるので,本当にそういうことしか 書きにくい。つまり凝った文章や,難しいメッセージを書きにくいので, 結果的に文章が初心者レベルに統一される。だから初心者でも気軽に 書き込みやすい…っていうのがあるなぁとは感じてます。逆にわたしは 自分が今なにしてるか?なんてネットに書きたくないと思っているので, 書くテーマが無い…とか思ってしまいますが。
さて,今話題のTwitterがいつまで流行るのか,定着するのかは よく分かりません。mixiも徐々に廃れてるという感じがしますが, まぁネットのサービスなんてそんなものです。そうしたら,また 新しいサービスが生まれるでしょう。
最後に,わたしがこれまで経験してきた,流行ったネットコミュニティの サービスにある重要な要素と感じていて,あまり言われないものが 一つだけあるので,それだけ指摘します。それは,「仕事(学校)の合間に 出来ること」じゃないか?という気がします。いや,それは本当は まずいでしょ?実際はみんなやってませんよね(^^;)。やってるとしても, 移動中とか,休み時間に携帯電話でとかですよね。
でも,当初のネットニュースやMLも,当時はインターネットの 業務利用が禁じられていた時代もあって,むしろ会社のネットを使っても 外部と学術目的なら情報交換がしやすかったように思います。 SNSだって職場のパソコンでやるのが禁じられているくらいだから, やろうとした人がそれなりにいたってことでしょう。Twitterだって どうも昼間に書いているサラリーマンとかいるんですよね?。
こういうサービスって仕事中の息抜きに使えるってことが 少なくとも日本の場合は普及に効いてくるような気がします。だから たぶん携帯で使えないと広がらない。まぁ携帯だと会社のパソコンの データ流出とか無いから,休み時間にやる分には問題ないのかも しれませんが…,つまりは,移動とかの手持ち無沙汰の時間, そして,ふっと気分転換したいときに,その「場」を与えられるか?が この手のサービスにはまらせるためには必要なんじゃないか?と 言う気がします。そういう意味では,Twitterの様に,深く考えなくても とりあえず書ける…様な仕掛けが優れていたって言うのはあるんだろうな, と思います。

4/24(休日)
今日は休日。天気は良かったけど,洗濯とか,帰省の準備とか, そういうので終わった一日でした。

4/23(音楽配信状況についての考察1)
わたしは自分の趣味として音楽を鑑賞するために大量のCDを買っています。 一方で趣味と職業の両方から音楽の流通形態には興味があり, ネットで音楽が買えるようになるか?それで音楽業界はどうかわるのか?… にも長年興味があります。10年程前の結論は,いろんな要素から音楽を ネットで買うのが主流になるにはまだまだ時間がかかる …ということでした。
わたし自身は,コンサバなところもあるので,今でも音楽をCDでしか 買いません。流行りの曲をあまり聴かないせいか,CDで音楽を買うことで 別に不便を感じていることはありませんでした。ところが最近に, もしかしたら今の若い人はネットで音楽を買うのが普通なのか?… という気がしてきて,ちょっと気になって調べてます。
iTunesも昔に比べれば最新の曲が並ぶようになってきています。着ウタとか 全くやらないので,どういう曲がどれくらいの値段と手間で買えるのか 良くわかってませんが,今はそっちの方が主流なんですか?。
ということで,少し様子を見ないとなぁ…と思いながら,今日ネットを 見ていたら「一体オンラインで何曲売れば、アーティストは生活して いくことができるのか?」という記事がありました。
で,これを良く読んで考察しようかと思っていて,良く読むと数字が あやしい…という気がしたので,とりあえず止めておきます(^^;)。
なので,今日の日記は没ネタとなってしまいました…ということですが, やっぱり気になります。
ちょっと書くと,Podcastで気になった曲があったので買おうとネットで 調べていたら,ダウンロード販売しかされてない…という曲(Jazz)があって, もうもしかして,CDを出さないアーティストって多いのか?…とか 思っている状態です。それはそれで凄いなぁ…と思ったりもしてるのですが。

4/22(飢饉はやってくるのだろうか?)
昨日はかなり暑かったのですが,今日はかなり寒かったです。 今年の春は寒暖の差が非常に激しいと感じてます。
こうなってくると地球温暖化とか,異常気象とか言われそうですが, そういう中で噴火したアイスランドの火山。とりあえずは飛行機が 飛ばないという状況が深刻に伝えられましたが,少しそれも 落ち着いてきたせいか,今度は気象への影響が懸念されている様です。
別に今の異常気象はこの火山の影響じゃなくて,影響がでるなら これから先の話なんでしょうが。今日WIREDで巨大噴火と生物の絶滅の話が語られているなぁ,と 思ったら極東ブログさんでは飢饉の話が出てました。
これが心配しすぎ…になるのか,それとも本当にそうなるのか? よくわからないので,現時点では記録がてらに書いておくことにしました。
ところで,昔は気候が少し変化するだけで,食料が取れなくなり, 多くの生物や人間が死んだみたいですが,いまだとどうなるんでしょう。 もちろん自然界の植物が育たなくて,それをたべていた動物が死んで …ということで人間が食べるものも無くなってっていうのも想像できますが, 一方で農業とかではそれこそビニールハウスなどを使ったりして 既に気候にあわない植物を作っていたりもします。それはコストが かかるにしても,気候が寒くなるとわかっていたら,寒さに強い 植物をもってくるとか,いろいろその辺の技術もあるでしょうし, 流通でどこかから食料をかってくるとかいうことも可能でしょうから, 気候変動がどれくらい深刻な食糧危機と人口減少につながるのか?。 というあたりがよくわからないなと思いました。
いずれにせよ本当に深刻な状況なのか,考えすぎなのか良くわからないので, しばらく静観…というところでしょうか。

4/21(サイエンスコミュニケート)
国から一千万の研究費をもらったら年に一度市民講座を しろって話。なんか動機が事業仕分け逃れみたいなのが,少し嫌なん ですが(苦笑),基本的には賛成です。ただ,大学を含めて研究機関って 地方としては固まってるところが多いので,講座の恩恵を受ける市民に 地域格差が産まれそうなのが,ちょっと気になります。
わたしが今は研究者でも,そのうち教育者になるという道も考えたことが あるので,学生や子供に研究や技術の話をすること自体は好きです。 自分がやっている研究自体を話すのか,それとも分野自体を横断的に 話すか…というのは,どっちの方が聞く方に伝わるかで選ぶべきで, やってる研究その物を話すわけでも無かろう…とは思います。 まぁでも楽しそうだなと。
もっとも今も企業とかで第一線を退いた研究者…に限りませんよね。 ジャーナリストとかも引退したら大学の先生とかになる人が多く, 大学ってある意味,第一線で活躍した人が,その知識を若者に伝える…と いう場,まぁ変な言い方をすると,リタイア後の人生の場だったりもします。 いや,もちろん第一線の研究をやってる大学の先生もたくさんいるんですが, そういう人が,市民講座を喜々としてやるかは,どうなんでしょうね…。 かったるいなぁとか思うかも知れません。
もっとも今はサイエンスコミュニケータという職業もあったりして, 若いうちから一般の人に技術を伝えるのに喜びを見いだす人も多いようです。
というわけで,研究費をもらったら市民講座をしろっていうのは, 既に一部でやってるようなことを強制にする…ってくらいで, まぁリーズナブルじゃないですかね。逆に言うと目玉改革でもないの ですが;-p…。

4/20(世界一でも応援してもらえない)
昨日最後のちょっと書いたバイクが売れなくなっているという話。折角ですので, 少し書きます。
わたしは高校時代から30過ぎるまでバイクに乗っていて,レースとかに 出てたくらいの人間ですから,それなりにバイクについては思い入れは あります。バイクが売れなくなったとかは,これまでも何回も書いてます。 10年以上前からそんなことは気づいてますので,世界の不景気は あまり関係ありません。
とはいえ,日本で売れないのは事実で,海外ではどうかはわかりません。 中国で日本のバイクブランドを真似たスクータが売れているという話は, 2,3年前は盛んに聞きましたし,その前は東南アジアでカブが売れていると いう話も聞きましたが,現状はどうなってるんでしょう?。
日本にはバイクメーカが4社ありますが,世界四大メーカと言われた程, 日本のバイク技術は世界トップでした。ヨーロッパやアメリカの バイクレースで日本の四大メーカは常に上位で,他のバイクは出場すら しない状態でした(とはいえ,ヨーロッパのメーカの中には強烈に あこがれるメーカが数社あったりもします)。なので,日本のバイクの 産業の衰退はバイク全体が衰退したのか,それとも他の国にトップを 取って代わられたか,とても気になります。

日本でバイクが売れなくなったのは,考えてみてば当然と思えるフシが多く, わたしが高校の頃バイクはみんなの憧れでしたが,学校からは目の敵にされ, 「三無い運動(取らせない,買わせない,乗らせない)」というのが あったほどです。高校で乗れないなら卒業してからとなりそうですが, 18才になると車に乗れるので,バブルでお金持ちになった学生はバイクに 乗らず車に乗り出した…というのはあったように思います。その後,バイクに 乗る学生が減ったので,三無い運動は無くなったと聞きますが, バイクに乗る学生はあまり増えなかったようです。
考えてみたら,わたしもバイクに乗ってはいましたが,生活の足としての バイクはかなり不便さを強いられました。街中や駅などにバイクで行っても, 置くところがないのです。車や自転車は駐車場や駐輪場があり,お金を 払えば止められるのですが,バイクはお金を払って求めるところがありません。 また賃貸に住むとわかりますが,バイク置き場が無いアパートがほとんどです。 これではバイクに乗りたくても乗れない…という状況が進むのは当然です。
そうやって考えると,自転車や自動車はいかに行政に保護されているかが 良くわかります。自転車は駅前に駐輪場があります。自動車は駐車場だけでは なく高速道路やその他インフラを含めて自動車のために社会はかなりの 投資をしてることがわかります。
その他,バイクの場合2ストロークエンジンがガス規制で禁止されたりで 高価格化が進んだというのもありますが,一人で乗る乗物としては, 車に比べれば燃費が良く地球に優しいとも言えます。でも,社会はバイクを サポートしてくれませんでした。先日スイスに行ったときに,街中の歩道に, バイクを止めるスペースがかなりつくられており,別にバイクのための 社会インフラが無いのは,世界中のやり方ではないのが良くわかります。
バイクは日本が世界のトップを走り続けた産業なのに,日本の社会はそれを 維持するためのサポートをしてくれなかった…,むしろ邪魔をした…, そういうことなのだな…と思いました。バイク以外にも日本が世界の トップをさりげなく走っている産業はたくさんあるのだと思いますが…, そういうのもどうなるのかな?と思います。

4/19(業界が育ったからと言って両端の人たちが豊かになるわけでも無い)
なんとなくちょっと前から思ってること…。
今,マンガというのはとても大きな市場を持っています。出版社は マンガ本や雑誌で多くの収益を上げてますし,実際出版数もかなり多いです。 マンガを原作としたドラマや,メディアミックスによるアニメや映画化も 多いです。また海外でも日本のマンガは評判が高く,海外でも多くの手段で 日本のマンガが読まれていたりします。
従って,マンガという作品に関わる人は,漫画家かと読者,そして昔から 編集者のみならず,出版業界,放送業界,海外流通,その他多くの業界 …など膨大な人数がいるでしょう。多くの人間がその作品が挙げる利益で 収入を得て生活をしているように思います。
ですが,ふと考えると,マンガというのは,その作品を作り出すマンガ家と マンガを買って読むという読者が,そのマーケットでの最低単位…というか スタートだったと思います。昔は出版でもマンガは軽く見られており, たいした収益を上げていなかったと聞きます。それでもいろんな名作が 産まれてました。
こういう風に昔は一部の人達がこじんまりと市場をつくっていたのが, いつのまにか消費者が増えて,それに対応して生産者が増え,そしてその間に 立つ多くの流通業者が増え,さらにタイアップなどの周辺業者が増えて 市場が拡大するというケースは結構あります。そしてその市場が どんどん右肩上がりで上がっていると,経済的に注目され多くの 投資がされます。いろんな業態…というか金儲けの仕組みが考えられて, 関わる人がどんどん増えていきます。
ところがある時点で,その成長に陰りが見えると,その市場は行き詰まった …とか,はじけた…とか急に言われる様になります。儲けを見込んで 参入した業者が倒産したり,業者の数自体が減ったりもします。
こういう変化を端からみてると…というかマンガの例でみてたのでマンガで みると,そういう変化は,じゃぁマンガ家自身と読者という 最小単位に対してどれだけの恩恵を与えたのだろうか?…ということです。 確かに一つのマンガが流通の発展や広告のタイアップにより多くの 利益を産み出せば,マンガ家は多くの利益を得て,良い作品をつくった 見返りを得るでしょう。読者も多くの作品に触れる機会や,関連した商品を 得ることが出来るでしょう。
しかし,市場が大きくなるということは,そのマンガ業界に入るマンガ家の 数も増え,利益を得るマンガ家が増えると共に,食えないマンガ家も増えます。 読者も多くの作品に触れることができますが,粗悪な作品にお金を払う機会も 増えるでしょう。新しいファン達と考えが合わず,がっかりとすることも 増えるかも知れません。そして市場が傾いたと大騒ぎした結果, その騒ぎに巻き込まれるマンガ家とファンもたくさんいるんじゃない でしょうか?。
マンガに限りませんが,良く言われるのは,こういう市場の拡大によって, その業界で多くの富を得る人が増える一方で,肝心の最初のクリエータ達が たいした報酬を得てない…とかいうことはよくあることです。そもそも, こういうクリエィテブな業種が良い作品を作り出せるのは,作家が お金よりも本人の楽しみや自己表現のために,採算度外視で作品を つくるからであり,そこに経済的な戦略が入ると,おかしくなるような事も あるように思います。作家達が,劣悪な条件で大量の良質の作品を作り出して いることが自体が,その業界を支えているって事もよくあります。そこに 更なるムチャな成長戦略などを投入されても,良い効果が産まれるの だろうか?…等と思います。
こういうことはマンガに限った話じゃなくて,例えば初期のコンピュータの フリーウェア等の業種もそういう部分があったように思います。ただ, わたしは趣味の業界が膨れ上がることに否定的なわけでもありません。 売れることによりいろんな事が可能になり新しい表現が産まれることも よくあるからです。ただ市場規模や収支などの数字だけをみて, こういう趣味の業界をドライブする…というのにちょっと疑問を 感じたりします。
以下,ちょっと今日読んだ記事で…,集英社がマンガのスキャンを差し控えて欲しいと訴えるのを, 海外の人が,スキャンするから我々が読んであげるんだみたいなことを 言われると,そこまでして海外の人に読まれたいかね?…とも思います。 またちょっと違いますが,バイクの販売台数が減ったというのも,ずっと前から 言われていて今更感がありますが,それでも,そういう市場とかに メーカが翻弄されて,メーカ自体がつぶれたら,昔からのファンは悲しい …というか,もっとこじんまりとでもやって欲しいのになぁ…等と 思ったりもしました。
これらの記事だけで上記の事を思ったわけでもありませんが…。

4/18(気になること)
昨日買ったTVとレコーダとラック…が今日納入&設置されました。 今までのTVの約三倍の大きさです。圧倒される…というよりもなんか 一瞬で慣れて,その後に以前のテレビを見ると「小さっ」と思ったのが 逆に新鮮でした。
…という話は置いておいて。
ちょっと日記にすぐに書けそうなネタでは無いのですが,電波の割り当ての見直しの先行きが気になります。 これって,決まり方次第では大きく何かが変わるだろうなぁと。 ただわたしはガラパゴス批判にはむしろ否定的なので,そういう方向で 反応してるということよりも,放送電波の行方の方が気になります。
興味深いのですが,ちょっといろいろと動向と世界状況をもう少し 調べないとなんともいえないので,またもう少し勉強したら書きます。
…,話は変わってちょっと驚いた話。
今日TVで報道系の番組を観ていたら,最近地震が多い…という話から, 「太陽黒点が影響している」みたいなことを言っている コメンテータがいました。
えっ?…って耳を疑ったんですが,太陽黒点と地震って 関係があるっていう,そういう学術的な定説になってるんですか?。 てっきりまだオカルトのレベルかと思っていたのに…。TVで喋っていたのは, 一応専門外とはいえ,有名大学の教授だったし…。
というわけで,脈絡なく,気になったことを書いてみました。
あぁ,買ったTVの耐震処理しなきゃ,電波使うし…っていう意味では, まったく無関係でもない話題でした;-p。

4/17(雪)
昨日は寒かった…と書きましたが,朝起きたら雪が積もってました。 屋根の上とかじゃなくて,しっかり地面が真っ白。もっとも雪は既に 雨に変わっていて,それも朝すぐに止んだし。その後晴れたので, 雪は昼ごろには消えていました。
とはいえ4月の17日に東京で雪が積もるのは40数年ぶりとかでTVとかでも ニュースになってました。地面に雪が積もっていたと書きましたが, 地面は当然青々とした春の草々だし,木々ももう桜が散って新緑。
植物は冬を越すために土にもぐったりつぼみだったりするのが, 開いてから雪を被る…っていうのは結構植物にはダメージなんだろうなぁ, とか思います。TVでも野菜が寒さでダメージを受けているとか いってましたが,そうだろうなぁとか思いました。
光景的には花に雪というのは珍しくて面白いんですけどねぇ。
今日はプラズマテレビとブルーレイレコーダを買いに行きました。 久しぶりに大きな買い物…。

4/16(飲み会)
とりあえず今日も飲み会。しかも今日は銀座でした。 余談ですが,今日はとても寒かったです。なんか来月からクールビズとか いう話も聞くんですが,なんのこっちゃ,という感じです。

4/15(ネットでCDが買いにくい理由)
ちょっと思ったこと。 わたしはCDも本もネットよりはお店で買うほうが好きなんです。 ただ本は以前は平積みの本とかをパラパラとめくって,目次や 前書きを見て買っていたのが,どうも最近は平積みにあんまり いい本が見つからず,一方でネットで評判になっていた本を 買うことが増えてるので,結果的にネットで買う本が増えてます。
もっともここしばらくは育児で本を読める時間が無いので,本自体を ほとんど買ってませんが。
ですが,CDに関してはいまだにネットではほとんど買ってません。 一つはネットで欲しいCDの情報があがってくることが皆無。お店で ジャケットを見たり,試聴機で聴いて買うことが多いので,欲しいのを 見つけたお店ですぐに買います。あらかじめどこかで新譜情報とかから 欲しいCDの情報を得ている場合も,実物を確認したいので, やっぱりネットよりお店で買います。
この行動の違いはなんだろう?と思ったのですが,やっぱりどこで 欲しいものを見つけるか?によるのが大きいんだろうなぁ…と思います。 ネットで買うものはネットで選んだものが多い…ということです。 ですから,最近Podcastとかで知ったミュージシャンのアルバムは, ジャンルが不明だったりインディーズだったりもして,どうも店舗でCDを 探すのが面倒だなぁ,とか思ってます。
ところでAmazonのCDを売ってるページを観て思ったのですが,どうも AmazonのCDコーナー,特にジャズを扱ってるコーナーは,CDを 選ぶときにわたしが参考にしてる情報が揃ってません。…というのは 参加ミュージシャンが書かれてないということです。わたしはジャズを 聴きますが,ジャズは誰のアルバムか?というだけではなく,誰が参加してるか? が選択する大きな要素です。実際に店舗で買うときも,ジャケットの 裏とかの参加ミュージシャンを必ず見ます。ところがネットでは その辺の情報がほとんど出てません。なので,ネットでは買うべき アルバムかどうかが判断できないということになります。
これってわざとなんですかね?。参加ミュージシャンが気になるのは ジャズファンのみで,他のジャンルの場合,そういう情報に 意味が無いのだとは思いますが,でも例えばAmazonのスタッフに そういう情報が意味がある…って知ってる人がいない…とは 思えないのですが…。なぜか,ちょっと気になります。

4/14(飲み会)
今日は会社の新入社員歓迎会でした。

4/13(葬儀代)
日本の葬儀代が高いとかいう話を読みました。 西洋に比べて一桁以上高いみたいな感じで,まぁ批判的というか…。
こういうのが話題になるのかどうかはわかりませんが,話題になったら 価格競争とか,安い葬儀屋とか…そういうのが出てきて相場が崩れたり するんだろうか?…とか思いました。
記事では葬儀屋の仕入れコストに対する売値の設定が,かなり高い…と 批判的とも受取れるように読めます。確かにこういう内容を見ると, 葬儀屋は努力をすればコストを下げられるし,もしかしたら今は オイシイ商売をしてるのかもしれません。
とはいえ,オイシイ商売をしてるとしたら,多分競合他社が乱立するはずで, 少ない受注でたくさんの利益を上げる必要があるのかも知れません。 その業界がそれで回ってるって事は,一人のお客さんからすると, 他の業種より高いとしても,その中では必要なコストと利益の バランスがとれているように思います。葬儀代が高いのはおそらく 結婚などと違って,事前検討をする期間が殆んどないので, 客の方からしたら,業者を選んでいる暇がない,他の人と相談する暇がない… ということでしょうし,葬儀屋からすると,いつ受注がとれるか わからない,発注から無理な工期でやらなければいけない…ということ でしょう。これがもし,葬式の一ヶ月前から日程を決めて,見積りを取って, 内容を検討して…業者を選んで…とかが出来れば,おそらく発注側も 受注側もコストを下げられます。ですが,葬式の性格上それは できないでしょう。
まぁ業者からすると企業をもっと大規模にして,営業地域を 広く取るとこの辺のリスクは薄まるのかもしれません。 もしかしたらこの辺は今後変わっていくかもしれませんね。
…とか考えて実は,今は死体を腐らずに安置する技術なんて幾らでもあるから, 仏様が亡くなって一月ぐらい冷暗安置…することは可能なんでしょうけどね…。 そうなったらこの辺のコストは大きく変わるだろうなぁと思います。
で,安くなることに対してわたしが賛成なのか?と言われると実は 結構悩ましくて,葬儀屋に関して言えば,上のようにスケジュールが十分に とれればコストを下げられるでしょうけど,お寺の,戒名が高価…とか いう件に関しては,まずお寺が檀家も少なくて,こういう機会じゃないと 十分な収入が得られないところが多いだろうな…って事と, 高価な戒名をつけるのは親族の想いでもある…って事を考えると, まぁ高いのも一つの考え方…という風にも思います。もっともこの戒名に 関しては,もしかしたら無くなる人が生前にもらっておけば いいんじゃないか?って気がしないでもないのですが…,やっぱりそうすると お寺が傾くかなぁ…。それはそれで危険な気もするんですが。

4/12(日米間系)
新政権のへんてこな政治プリは相変わらずで,あまりの酷さにネタとしか ならない状態になってるように思いますが,現実問題それで被害を 被っている方も多いと思います。
特に国内の話の方がここに挙げていけばいろいろ思うところあるんですが, そうこう言っている間に,もしかしたら対外状況が大変な方向に 向かっているんじゃないか?…という危惧をちょっと感じたので, 現状の記録がてら。
もちろんネタは普天間基地問題で,いまだに誰かに詰め寄られるとその場でデマカセを言っている様に見えるのですが, そういうことをやってる間に北マリアナに社民党の人が言って議長が基地誘致を目指すと 言ったとかいう話を読み…背筋が冷たくなるものを感じました。
これって,北マリアナ諸島がアメリカの自治区で,アメリカ的には 自分の達の領土…という認識であれば,アメリカをすっ飛ばして, 交渉しているわけで,内政干渉というか「人の土地で何やってるんだ?」 という感じでは無いですか?。これで議長が日本からの融資とか 期待していたら,立派な傀儡国家建設だったりして,某北部中国で 旧日本が犯した過ちを,再度やろうとしてるんですかね?社民党は…と 真っ先に思いました。
その他にも基地問題に関してはアメリカからは相当顰蹙を買っていると 聞きますし,そういう中で首相は「米の言いなりにならない」と発言したり小沢さんはアメリカに会うのを拒否られていたりって ことをみると,物凄い勢いで今日米間系は険悪になっているんじゃ無いか? という気がします。
アメリカと険悪になった日本はどこに向かうの…という気がしないでも ありません。大丈夫でしょうか?

4/11(桜散る)
いや,比喩じゃなくて本当に…。
今日は天気が悪くなるかと思いきや晴れて,気温もかなり暑くなりました。 で夕方結構風が強く,外に出てみると,道路が真っ白になって,風の渦が 見えるくらいの一面花びらでした。パラパラと静かに散る桜もいいもの ですが,これだけ激しく散る花びらもなかなか見ものでした。
これでほぼ桜は終了かなぁ。
今日は息子の生後100日が近いので,フライングで尾頭付きの鯛と その他料理を嫁が作ってくれたので美味しく頂きました。

4/10(休日)
今日は吉祥寺に一人で買い物に行った。買い物もしたけど,メインは 買い物の下見。とりあえずめどはついたかな。来週あたり大物の買い物を する予定。
吉祥寺は元ロンロンだったところがアトレで再開店だけど,まだ全フロア 開いて無いし,人も多くて大変。他にもいろいろと店が動いたので, この一月でずいぶん変わったという印象でした。

4/9(人員不足と診療報酬)
医療関係で気になってること。
医者不足が叫ばれて久しいと思いますが,今日観た記事で, 「なぜ日本は深刻な“医師不足”なのか」という記事では,日本の 対人口の医者の数は最低レベルだということが書かれていて,ちょっと 驚きました。書かれている方が医科大の学長なので,なかで述べらている 医者不足の問題は主に勤務医,特に大学の勤務医のことを想定されている 様です。医者不足だから医大の定員を増やしたら,教員医が現場から 教育の場に連れて行かれたので,ますます医者不足になったという指摘は なるほどと思いました。
ただやっぱりここでいわれている医者不足というのは勤務医のこと じゃないのか?という気がします。開業医って足りないのでしょうか?。
気になったのは,そもそも最初になんで医者を国は減らしたんでしょう? 同じ医者じゃありませんが,わたしには現在歯医者があまっていて, どんどんつぶれているように見えます。もしかしたら同じように開業医が 患者が少なくて喰えないとかいう話が出てませんか?。今はかかりつけ医と いうのが盛んに奨められているし,大病院にいきなりはいけない(高い) 制度になってますが,このことも開業医に手厚い,つまりそうしないと 開業医はつぶれるというような意見があったんじゃないか?という気もします。 そういう中で,医者の数をあまり増やさないように…というような 意見もどこかにあったとかいう話はありませんか?。
しかし実際は開業医よりも勤務医の不足の方が深刻で報酬よりもとにかく 休めないことが問題になってるように見えます。実際わたしも大病院に 通ってますが,お医者さんはかなり忙しそうに見えます。
行政は医者の数をコントロールしようとしてるようですが,開業医と 勤務医の比率は制御できるような制度になっているのでしょうか?。
そういう風に見ていて,さらに気になった記事。わたしの興味から ガン関係ですが, 放射線医者の地位向上をという話と, ガン対策提案を厚労相へ提出という話です。 わたしも画像診断は今のがん治療のキモであると思います。また ガンの対策にも力を入れて欲しいと思います。でもその対策が 「診療報酬」と書いていると,ちょっと首を捻りました。
特に前者の記事には,診療報酬が上がると正確な治療に結びつき, 医療費削減につなげるという論法は,「そうなの?」という気もします。 むしろわたしは最初にリンクにある様に報酬だけではなく「自由な時間を もてる科を選びたがる」という傾向からしても,報酬ではなく, 人員を増やすこと,また正確な治療のためにもお金よりも時間のゆとりや 勉強をする時間や制度の整備の方が効果があるんじゃないか?と いう気もしました。もちろん診療報酬を増やすとたくさん医者があつまるので 結果的に人員が増える…というのも判るのですが。
というわけで,現場を知らない一個人の意見なのでいい加減なのですが, どうも「これなら問題が近いうちに解決するだろう」という風には 感じてません。開業医と勤務医が立場も意見も状況も一枚板なのかな?と いうのが一番気なってるんですが,この辺誰かうまく説明してくれないかな? と思います。

4/8(道具と思考)
しつこくも昨日の話の続きになるのですが,わたしは実感として 道具が思考に影響を与えるというと思ってます。昨日書いた例を あげると慣れたパソコンのキーボードで文章を打つときと, 慣れないキーボードに慣れないIMEで打つとき,文章が浮かぶ速度が 違います。従って紙に鉛筆で書くときも更に違いますし, 指を怪我していて書くのが大変なときも違います。
もちろんこれは入力(出力?)装置によって思考のスピードが変わっていると いう風にも捕えられますが,単に何かストレスが乗っかってきてるので, それに邪魔されて文章を考える速度が変わっているとも考えられます。
では,何も道具を使わずに頭の中だけで空想的に文章を考えたら 一番ストレスがかからない…はずですが,実際は頭の中で文章を 考えても同じように取り出すことはできないし,そもそも頭の中で 考えるときに常に文章で考えているとは限りません。
思考の道具として紙やパソコンを使うと発想が変わるというのは, 絵やキーワードを書き出して,並び替えたり繋げたりしていくうちに 整理されたり,新しい発想が浮かんだりすることもあることからも 確かのように思います。
わたしはパソコンを使いだす前には長い文章を書くのが苦手で 殆んど書いてなかったし,絵は描いていたけど,プレゼン資料みたいのは 描いたこと無かったので,いまそういうことができるように なったのがパソコンのせいなのか,たまたまそういう年頃だったのかは わらかないのですが,関係があるように思います。
ちなみに楽器に関してはもっとそう思ってます。楽器を弾けるように なったから,浮かぶようになったメロディとか音とかあるように思います。
そう考えるとじゃぁiPodやiPadやITの道具に出現によって,思考や創作は 変わるのでしょうか?。わたしは変わると思います。ただわたし自身は これらの道具が新しい表現をもたらすとは思いますが,これらの道具でしか 表現でき無い人が,いま原始的な道具を使っている人達と 比べて優れているか?は良くわかりません。というのは今のところ, これらの道具の入力方法が非常に制限的な気がするからです。 携帯で打てる文章は長文は向きませんし,漢字変換も半自動で選んでいく 形態です。これで複雑な構造を持った表現ができるのでしょうか?。 音楽もDJツールで誰でも簡単に曲らしきものが創れるように なってきてますが,これもパターンを選んでいく形のものが多く, 素材自体はあらかじめ用意されたものです。
なんとなく全体的に思うのは,ITがもたらしている表現というのは 「短い」ことと「選ぶ」ということにつきるんじゃないか?選ぶことを 創ることと勘違いしてる人が多いんじゃないか?ということです。
ですから,わたしがこれらの新しい道具が人間の新しい思考の幅や 深さを進化させるとしたら,そうじゃなくて,本当に素材を作るのに 便利な道具か,より多くのものを広げて関係性をつかめるという様な 道具が産まれてきたら…という風に考えてます。とりあえずそういうものが 出てくることを期待しております。
あと…ふと思ったんですが,電子ブックを読む人が増えたら,「検索」が ないと本を読め無い人が出てきたりしないか?とかちょっと思ってます。 危惧ですかね?

4/7(iPadへの期待)
アンカテさんがiPadに期待しているのを読んで, 凄い期待してるんだなぁ…,等と素で思ったりしてます。 他にもネットではiPadの発売で何か大きな概念が変わるみたいな 感じの記事も見かけます。
わたしとしてはとりあえず様子見です。…って話はたしかiPhoneが 出たときも書いた気がしますが(^^;),その後iPhoneはどうでしょうか? 確かにユーザは増えているようですが,携帯電話を大きく変えるほどの 存在になってますか?。まだこれから?。
以前も書いた気がしますが,わたしが冷ややかかというと,私自身が 今まもザウルスを使っていたりシグマリオンやブラウザボードを使っていた PDAとかガジェットのヘビーユーザだからです。Palmやニュートンは 使ってませんが,もちろん当時は注目してました。それらの栄枯盛衰を 見てるので,どうしても冷ややかになってしまうのです。
そういえば最近(本物の)ノートがブームという話も聞きますが, システム手帳はどうなったのでしょう?
話を戻して…。もちろんわたしは個人的にはもう新型が出ないザウルスを 早く他のマシンに乗り換えたいと思ってますが,今,所有している iPod touchも含めて上に書いた機種のうちどれもまだザウルスを 手放すだけの代替品には足りません。何が足りないかは書き始めると 長くなるので今回は割愛します。
とはいえ,アップルは出た当時微妙…と私が思ったiPodを結果的に 成功させたので,iPadも成功するかもしれません。…って話もiPhoneの時に 書いたような…,はいはい,まだ判断は早計ですね(^^;)。
実はわたしはiPadで期待されている機能が,今までのPDAとかで無かったって 気がしてなくて,そういう意味ではiPadが何かを変えるようには 思ってません。ただiPodがそうであったように機能的には従来のものと 同じでも,圧倒的な使いやすさ…そして後で出てきたネット販売とかとの 連携により,iPadがこれまでのPDAとは違った成功を 修めるかもとは思います。
とはいえ,実はわたしもiPadが欲しいのですが,欲しい理由は単純に ガジェットとして欲しい…という感じです。iPod touchも音楽プレーヤ としても重宝してますが,実は天気予報を見たり写真を見たりするのにも 凄く重宝してるので,これを大きな画面でやりたいとか,あと これだったら歳をとった親でも使えないか?とか思ったりもしてるのです。 まぁでもそれだけのものとして使うには高いし,天気予報や フォトフレームという意味では,今その機能を持ったゲーム機や パソコンは山の様にあります。
山の様にあるんだけど定番が無いから拡がらないのも事実で,その定番に すんなり収まるかも知れないという意味でもiPadは期待できるかも しれないんですけどね。
ただしわたしはアンカテさんが期待するような入力デバイスとしての iPadの可能性は良くわかりません。入力デバイスは思考の在り方を変えます。 ですがiPod touchもザウルスもキーボードや鉛筆より明らかに思考に ストレスを与えます。わたしが以前使っていたシグマリオンは, まだ長文を書こうと思えば書けてました。文を書くだけが 思考ではないのですが,iPadのタッチパネルであればそれなりの 新しい思考の加速感を感じさせる入力方法,それが実現できるのでしょうか? それが出来なければ,これらのデバイスは単なる情報を選るためのものであり, 何かを作り出す道具としてはまだまだかな?ということになります。

4/6(幸せへの新しいプラス)
谷山浩子さんがブログで便利になり不幸になる みたいな事を書いている件。話題になってるかな。
わたしは幸せを感じるには「プラスの変化」が必要だと思っているので, 現状が満たされていたら,幸せを感じるのは難しいな…と思ってます。 だからといって「無理やり」不幸や不便な状態を作り出して, そこに小さな幸せを感じさせるというやり方は,全体主義とか カルトとかがそういう手法を使ったりしますが,反対です。 これに対する明確な答えはわたしは持ってません。
というわけで,谷山浩子さんが「一つの」音楽や本の価値が下がりつつも, その便利さから逃れることができないというのを嘆いている気持ちは 良くわかります。この文章は概ね共感します。
ですが,最後の「アナログ盤がCDになった時に、もうそれは始まっていた 気がする」っていうのは違うと思うんですよ。それをいうなら, 音楽がラジオで放送されたりレコードで売り出された時点でそれは 既に始まってます。
想像するに,昔は音楽なんて生演奏しか聴けなかった。だからレコードに なったときに,それまでは一回しか聴けないと集中して聴いていたのが, 何回も聴けるし…と音楽を聴く有り難みが下がったかも知れません。 ラジオも無い頃はプロの演奏なんて旅芸人とかぐらいしかいなくて, 町や村に歌がうまい人が何人かいて,それを聴いたり,みんなで 歌ったりするのが音楽との接し方だったのかも知れません。 音楽というのは聴くものではなく,参加するものだったのかもしれません。 そういえば,昭和のはじめには飲み屋街には流しがいたものです。
それがラジオやレコードという放送やパッケージの発生で一人のプロの 音楽家が大量のリスナーを独占することになってしまった…のは 100年くらい前ですかね。今みたいに一人のリスナーが大量に音楽を 入手できるのが前時代からして異常なら,一人のミュージシャンが 多くの聴衆を独占したのも異常な状況だったのかも知れません。
という事を想像しました。わたしはおそらくそれぞれの時代に幸せは あるんだと思います。ただその時代の幸せを享受した人が次の時代を 同じ手段で楽しむことはできない…というだけじゃないですかね。
それから,音楽を大量に入手できるのは,確かに単価は安くなったかも 知れませんが,おそらくそれよりも歳をとって自由に使えるお金が 増えたことの方が多いんじゃないかな?と思います。今も子供は時間は たくさんあるけどお金はあんまり無い,だから一つの遊びを何度もやる, またはお金がかからない遊びをする…というのは変わらないと思います。
音楽が知り合い同士で歌い合うものだったから,プロの演奏をラジオや レコードで聴くようになったとき,前の世代の人は音楽が自分達の手を 離れて遠くに行ったように感じたかも知れません。でも,一流の演奏に 接する体験を新たにしたのでしょう。それは違う体験で,この違う体験を 得る事自体が「プラスの変化」の様にも思います。
そうであれば,CDや本が売れなくなり,電子媒体になっていくと,それは 何か違う接し方があるんじゃないでしょうか?。個人的には一つの曲が 何百枚も売れなくなる,っていうのは,逆にもしかしたら曲や ミュージシャンとリスナーの距離が近くなる事なのかもしれない…とも 思ってます。音楽出版の力を借りなくても音楽をリスナーに 届けることができるようになってきたし,著作権的には まだ整理されてないけど,人の音楽を引用して改変して音楽楽しむことも 技術的には可能になってきてます。
多分わたしたちより若い人達は,わたしたちとは違う幸せを感じて いるんじゃないかな?…と思います。
一つだけ書くと,そういう中では音楽という趣味が相対的に減っていくのも 新しい幸せかも知れないけど,わたしは音楽が好きなので,それだけは 避けたいというか,音楽できちんと食べていける人がちゃんと ある程度の人数維持できて欲しいな…とは思います。

4/5(理不尽を理解して利用したほうがいいと思う)
ネットで見かけた文章, ある企業のおじさんが学生に怒鳴ったという話。 学生が「やりたいことことがある」と言ったのかな?それを怒ったんですが, 実はおじさん的には「見込みがある」と思ったとのこと。
最初これを読んでわたしは「ツンデレかよ,わかりにくいな」と 思ったんですが,はてなブックマークを見ると 結構このおじさんが批判されている様なので, 少し思うところを。
まぁ会社においてどういう人材が望ましいかは会社によるし,教育方針も 会社によるので,わたしはこのおじさんの様にはやら無いけど, こういう教育が望ましい職種もあるんでしょう。批判が多い文ですが, わりと共感できる部分もわたしは多いです。
一つは学生が1年程度で考えたことは,実際に社会にでたらあっという間に 壁にぶつかって頓挫することが多いということ。社会経験が少ない人は うまくいくケースをイメージできていても,そこにある障壁は案外 イメージできてません。ですから一つ大きな壁にぶつかっただけで, そこから先に進めなくなったりします。それが出来るようにあらかじめ いろんな異常系の想定が出来る様になるために社会経験が必要だったり, 人とのつながりが重要だったりするのです。
というわけで,タイトルで上司と飲みにいったほうがいいというのも, 情報を得たり,協力を得る体制を作るために重要で,決して年寄りの 機嫌を取るためではないのです。まぁすべての飲み会がそうだとは 言いませんが。
ブックマークを読んで思ったのは,ブックマークでこのおじさんとか 文を書いた人を批判している人は,いったいどういう論拠で批判してるん だろうな?ということ。確かにこのおじさんの態度は理不尽だと思うけど, その理不尽さをこの文はさらしてるので,ある意味ネタバレという 意味では親切でもあるんだけど。で,ネットで理不尽だといって批判していても 社会にでたらその理不尽さを避けられないケースが多いんじゃないですかね。 だとすれば,それとどう付き合っていくか?ということを考えたほうが 良いように思うけど。
ちょっと話が発散して今いましたが,一番思ったのは,この文に対する 文句を読んでると,やりたいことを批判される事とか, やりたくないことをやれといわれることとか,そういうことに対して 単に理屈をつけて反発してる様に見えるなぁということです。実際の 世の中はやりたいことをやってやりたくないことをやらないだけでは, 逆にやりたいことが出来なかったりするんですけどね。
ちなみにわたしがこのおじさんのいた場所にいたら,話をニコニコと聞いて 「ふーん,頑張ってね」と無責任にいうか,もしくはもっと論理的に, 論破することをするような気がします。わたしは自分の方が 意地悪だなぁと思うんですけどね。

4/4(サイマルラジオ)
今日の午前中,ためしに自宅で radikoを聴いてみた。TFMが参加してる サイマルラジオです。わたしは元々TFMを聴く習慣があったのですが, iPodを使い出して外ではラジオをあまり聴かなくなったし,今の自宅では, ラジオが今に無いのでほとんど聴いてません。ですが,やっぱり ラジオって選局してしまえば何時間でも流しっぱなしに出来るし, TVと違って,何かほかの事をしながらでも聴けて,いいなとは 思います。
先日ネットで,今の若い人がラジオの聴き方を知らないということが 書かれてたのですが,本当でしょうか?。でも確かにラジオを持ってない家庭は もしかしたら増えてるかもしれないので,聴いたこと無いという 人はいるかも知れません。サイマルラジオでまたラジオが盛んに なればいいなとは思います。
とはいいつつ,ラジオ局からすると,通常の電波ラジオのほかに ネット配信する設備が必要なわけで,いろいろと効率が悪い。 というか音楽だって今はCDを売る以外に着歌があったり,iTunesが あったり,たくさんのメディアの種類があるってことは, 多く売れるというより,インフラ整備費用が以前よりもかかるって 事だよなぁと思います。映像コンテンツだって映画館以外に, DVDがあったりTV放映があったり,TV放映以外にCSやケーブル, ネット配信とかもあったり…。これって売るほうからすると対投資効果が 下がってるってことですよね…とか思います。
…,午後は近所に桜を見に行きました。一番見ごろの時期で, とても綺麗でした。

4/3(休日)
子供と嫁と三人でバスに乗り隣駅のヨーカドーヘ行った。
レンタカーを使わず三人で街に出たのは初めてかな。一応 大丈夫みたいだった。

4/2(アメリカの皆保険)
アメリカで健康保険制度改革をオバマ大統領が進めている話。 アメリカの健康保険制度が皆保険でなくて,病院にかかれない貧困層が たくさんいるというのは以前から言われていて,それに対し今回の 法律がどう変わったか?はわたしはよく知らないので,なんとも いえないのですが,オバマ大統領が困難なことをやろうとしてることは よく理解できます。皆保険の困難さの一番は何よりも国の予算の 問題だと思います。現在既に出来上がっている民間の保険業界への 影響とかもあるでしょうし,日本の制度を考えると,保健医療の線引きとか 点数のつけ方とかそういう難しさがあることもわかります。
ただわたしは日本の健康保険制度の恩恵を受けた経験があることからも 皆保険制度には賛成だし,日本ではこの制度を是非維持して欲しいと 思ってます。
そういうこともあり,アメリカで今回の 医療制度改革に反対している人たちの言い分というのが いまひとつ理解できなかったりします。お金持ちが貧困層の医療費を 肩代わりすることに反対というのも,相互扶助というのはそういうものだし, なによりいつ自分が貧困層になるか判らないということは皆考えないので しょうか?。皆保険をもって「共産主義」という人が多いあたりアメリカの 教育の歴史的なものを感じます。国が国民の最低限の生活を保障するが 共産主義というのであれば,いったい国は何のために存在するのか? 海外と戦争をするためだけにあるんでしょうか?。国とかグループというのは 自分達を助け合いにより守るためにある様に思うのですが…。
アメリカは民間の保険制度がある…という見方もあるのですが,病気に かかった人が入れないというのとか入っていても使うと掛け金が増えると いうのを聞くと,その制度は人間の最低限の生活を既に保証して無い 様に思います。
日本の医療制度が危ないといわれて久しいですが,アメリカの制度を見ると 日本の健康保険制度は問題がありつつも基本的には今後も堅持していく べきだと思います。

4/1(怖れるから不親切になる)
突っ込みを怖れるあまり不親切になる…,ということをふと思いました。 いや,なんとなくそういうことよくあるなと。
ちょっと生活の中で,外部の人からお願いが書かれた文書をもらったのですが, それが最低限の要件しか書いてなくて,お願いをするのであれば, もう少し背景とか狙いとか書いてくれれば意図がわかるのに…と軽く憤慨。 …が良く考えたらわたしも仕事の上でそういうお願いの文書や メイルを書いてしまうことはよくあります。
そういう場合って,仮に凄く相手に申し訳ないとか思っていて,詳しく 説明しようと思っていても,背景とか狙いとか外部状況とか いろいろ文書に書いて整理していくうちに,だんだん文書自体が わかりにくくなったり,誤解を産みそうな記述が入ってきたりして, 伝えるのが難しい…とか思っていて,最後はしょうがないので 最低限の要件だけ残して消してしまう…っていうことになることが 多い気がします。実際に部下とかの文書を推敲するときも, 部下が詳しく書こうとするほど,だいたいわかりにくくなり, 「要件だけシンプルに書いた方がいい」と指導してしまう気がします。
まぁ会社とかで実際にあって説明する場合は,そういう細い話は 付録とか参考情報としてつける場合もありますが,メイルなどで 送る場合はそういう部分は省いたりもします。
というわけで,無味乾燥な依頼を受取ったときは,案外裏にそういう 葛藤があったのかも知れないな…という気もします。
よくよく想像すると,良く医者を訴える患者…というのも「説明不足」に 怒って訴えるケースが多い気がしますが,それも医者からすると, 本当は詳しく説明しようと思ったんだけど,専門的だし,ややこしいし, それにいろいろ書くと,まぁそこにいろんな落ち度が見える場合もあるし, 落ち度がなくても,妥協点や,状況が許さなかったこととか そういう部分がいろいろカイマ見えて突っ込まれると,辛いなとか そんなことを思ったり,結局わかりにくいからシンプルに要件だけ 書いたというという様なことが起きていたのかも知れません。
詳しく丁寧に書けば,相手がその気持ちを受取って友好的に対応してくれる …ならいいんですが,逆に揚げ足を取られる場合もある…というか 普通はそういうのを想像するのでしょう。
そういうことあるよな…ということで,無味乾燥な文書の裏に潜む その意図を想像するのでした。


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