2009年1月の日記&雑感


だらだら書いた日記です。
日記中のURLはメンテしないので,切れてる場合もあります。 あしからず。


1/31(休日)
今日は土曜日でお休み。予定もないので,電車にも乗らず 近所をぶらついたのみ。とはいえ,冬になって寒くて,どうも 体の調子が上がらないし,今日は雨で昼間も結構寒かったので, お昼はカレーを食べに行き,本屋とスーパーを回り帰宅。 昼寝してから今度は夕方風呂屋に行って,サウナとか入ったりして, 途中夕食を食べて帰って来た。
本屋でバイク雑誌をちょっと眺めたけど,バイクという趣味は 本当に廃れてるなぁ。不思議。いや,車もずいぶんおとなしく なっている。こういうモータースポーツって世代が変わっても それなりに続く趣味だと思っていたので意外。ある意味通過儀礼的な ものと思ってた。
夕方の風呂では,久々にサウナに入ったなぁ。 体があったまると手足の先の痛みが綺麗になくなるのはすごいなぁとか そういうことは思った。あと自宅の近所の蕎麦屋にはじめて入った。 思ったより美味しかったので今度からたまに寄ろう。もろ動線上に あるんだけど,今まで入ったことなかった。

1/30(ビートと人間)
wiredの 「音楽」は人間独自の能力?という記事を 読んで,あぁ確かに歌は人間以外の動物も歌うけど,ビートを 刻むのは人間だけじゃないか?と思いました。 いや,確かに音楽のリズムに合わせて踊る鳥とか動物も いますが,あくまでも例外というか,普通に動物同士の コミュニケーションにリズムが使われていることはないのでは? という気がします。
だったらどうして人間にだけリズムを刻む能力があるんでしょう?。 リズムというと日本人はリズム音痴で,騎馬民族じゃないから?と 以前よく言われてました。その真偽はともかく,じゃぁ馬自体が リズムを刻まないのか?というと,どうでしょう。走る分には 刻んでいる様も見えますがだからといって刻んでなにかを 伝えることはやっぱりありません。
動物の中で人間だけが持っている能力というとしゃべることですが, 以前から良く聞くのは,人間は喉の能力が発達してしゃべれるように なったという話。でも,リズムを刻むのは喉にはあまり関係ないようにも 思います。 どうもよくわかりません。でもリズムでコミュニケーションする 能力が先にあって,そこから言葉を習得したのでしょうか。 とても興味深く思います。

1/29(マックの想い出)
最近マッキントッシュの昔話がネットで盛んだと思っていたら, よくよく考えるとマックの発売からちょうど25周年ということだそうです。 そういえば1984っていうCMがあったくらいですからね。
Wiredに過去最高のMacはSE/30という話が 書いてありましたが,まぁSE/30が名機なのには賛同しますが, 個人的にはplusです。理由は初めて触れたマックだからという どうでもいい理由ですが,でも初代マックと同じ外見という意味でも マックらしいマックだと思います。
plusが初めて触れたマックとしても,それはわたしが大学4年の時で, 当然当時は自分で買えるわけない。確か50万じゃ利かなかったと 思います,先輩が持ってるのを触らせてもらっただけです。 というかテトリスやってました(笑)。
Youtubeで25年前のジョブスによる発表の映像を 見つけました。ジョブス若い(笑)。それはいいとして, フロッピーで立ち上がってるところとかすごいです。これみて 今の若い人とか何がすごいかわからないかもしれませんが,84年というと, 日本はまだPC88とか…,PC98出てたかなぁ?。とにかく,パソコンの 画面フォントは一種類で大きさが変わらず行数も固定。 つまり絵なんっかでない。キャラクタだけなのでマウスもない。 音はビープ音しか出ない。そんな時代でした。そこに白黒とはいえ, プロポーショナルフォントをつみ,写真も表示できて,音楽も ならせ,マウスで操作するパソコンが出たのですから,衝撃的 でした。というか,それだけの機能をたぶん700kB(メガじゃないよ) 程度のフロッピーから立ち上げていたことは今でも驚きます。
9インチの画面に縦長の一体型というデザインは,今見ても おしゃれでかわいいと思うのですが,いまはこういうパソコン ないですよね。
まぁそんなplusでしたが,それからわたしは会社に入り, 最初にマックを所有したのは中古のIIciでしたから,10年近く あとだったように思います。ciも良かったですけどね。
ついでに書くと,そのあとPowerMac 8500を所有。今でも 持ってます。マックじゃないけど一時期NeXTstationも所有して いたわたしは,結構なジョブスファンだと思います。
…とか書いたけど,マック登場から25年というのをあらためて 意識して,25年という年月はものごとが大きく変わるには十分な 期間なんだなぁ,と改めて思いました。

1/28(ホンダとバイクと日本)
ホンダのS2000が生産終了というニュースを 読んで,へー,一回くらい乗ってみたかったなぁ…とか 思いました。
それはいいんですが,今日,ふと数年ぶりにホンダのページを観て, そこのバイクの全ラインナップを見て驚きました。 なにこの「生産終了」ばかりのラインナップ?。
バイクに乗らなくなって7,8年くらい経つんでしたっけ?。 最後に買って10年以上経ったと思いますが,その間,バイクメーカの ラインナップを全然チェックしてませんでした。街を走る バイクを見てると,スポーツバイクが減って,レトロなバイクとか スクータが増えているのはわかっていたし,バイク自体の 量が減ってるというのは感じてましたが,わたしの意識では 世界一のバイクメーカであるホンダのラインナップがここまで さびしいことになっているのに驚きました。生産終了もそうですが, それを入れてもわたしが10代とか20代のときと比べて,たぶん半分以下, いや四分の一くらいしかモデルの種類がないように思います。 しかも今日観たページの生産終了は,どうも今年度終了になる 様に思ったのですが,今年度さらにモデルの種類が 減ったということでしょうか?。
もしかしてホンダって今,危ないってことなの?と思ったのですが, どうでしょうか?。
世界のバイクの四大メーカというと,ホンダ,ヤマハ,スズキ, カワサキの日本の四メーカで,つまり日本が世界のバイクをリードして いたはずなのですが,もしかしたら他の国にその座を渡そうと してるのでしょうか?。
そんなことを思いました。いや,バイクファンの皆さんには もう当たり前のことなんでしょうけど…。アメリカやヨーロッパの バイクメーカが数種類しかバイクを作ってない…とかいうのと, 日本のメーカも同じになるのかしら?。ついでに書くと, 最新のバイクでも10年前の最新のバイクと,たいして進歩して ないようにも見えるんですよね。なんかいろいろとさびしいものを 感じました。やっぱり車とかバイクって,もうテクノロジーを 感じるものじゃないのかなぁ。とほほ。

1/27(給付金と寄付)
反対なのに受け取るという相変わらず妙な定額寄付金ですが, 一方で経済効果があるからさっさと給付しろという知識人も 結構います。で,今日みたのは「寄付にできないか?」という意見。タイトルは あれですが,中身は辞退するくらいなら寄付をするといえばよかったのに という話です。
で,この記事に対して賛同の意見が結構ネットでは見かけて, 日本には寄付の習慣がないという批判をされている 方とかいます。はい。わたしもそう思います。以前から何度か 書いてるんですけどね,例えば 日本では大企業でも 寄付を渋るとか。他にも何度か日記には書いてます。 寄付がもう少し社会的な責任になる国になっても良い様に以前から 思ってます。そして税控除とかとセットにしても良いんじゃないですかね?。
まぁ給付金をどう使うかは結局はどう使っても使えば,少しは 経済の役に立つだろうってことで,別に寄付しなくて自分で 使っても良いとは思います。以前はわたしは辞退するかな?とも 思ってましたが,まぁ今は寄付をするか…使うかかなぁ。 国内にお金を落とすような使い方が良いんでしょうねぇ。
…余談。
茨城の医師会有志が給付金をもらったら 民主に寄付をとか言ってるらしいんですが,これは どういう爆弾でしょう?。給付金に反対しておいて,給付金を 寄付してもらったら,なんかものすごい皮肉だと思うんですが。

1/26(ガンと免疫と…)
報道ステーションでホメオパシーがガン末期患者に有効と取れるような 紹介をしていたということがネットで話題になってました。 件の番組は観てませんが,わたしは自分のガンにホメオパシーを 使おうとは思いません。何かの気休めになるかもしれないとは 思っても,気休めでやっていることはヤマの様にあるし,ちょっと これはわたしの中では有効性に納得がいかないのでパスです。
まぁその話は置いておいて。
ガンというのはメカニズムが未だによくわかってなくて,だから, こういう治療法を医者自身が行っているということもあるのでしょう。 この週末にTVを観ていたら,ガンについてバラエティで解説していて, こちらは,まぁそれなりに納得いくものではあったのですが, いずれにせよ最近ガンに対するメディアの扱いは大きくなっている 気はします。決定的な治療法が見つからないのに,死亡率が 上がっている病気なので,当然なのでしょうが,TVでは,日本人が ガンで死ぬ確率が高くなってるのは長生きになっているからと 言っていて,これはわたしが以前から思っている通りでした。 問題なのは若年化が進んでいるか?ですが,これについては言及は ありませんでした。それが知りたいのに。
ちょっと疑問に思ったのは,TVでは一日5000個くらい(桁を 間違っているかも)ガン細胞は生まれていて,通常は普通すべて 免疫系でつぶされて,それでガンにならないという解説。この話は よく聞くので説としてはそんなに変なものではないのでしょうが, 先日わたしが読んだ本にはそんなことは書いてなかったなぁ。あと 5000個生まれて100%免疫でつぶされるのであれば,ガン細胞が 生まれること自体は怖いことではない。では,よく発ガン性物質と 怖れられているのは,何を怖れられているんだろう?,ガン細胞が 発ガン物質で発生することではなくて,ガンを免疫がつぶせなくなる 物質ということなのか?…などと疑問を持ちました。
免疫力というと,アレルギーや花粉症も免疫異常で起こるわけで, 子供はアレルギーが多いけど,ガンは少ないということで, 免疫力の低下がガンを引き起こすという気はして,一方で クリーンな環境で育つと免疫の機能はおかしくなるので, 実は異物であるものを取るホメオパシーは,そういう意味で 何か意味があるのか?とふと思うこともあります。
まぁ異物を入れるのであれば,そんなもの取らなくてもいいし, 薄めれば薄めるほどいいというのは,そういう意味でも変なので やっぱり納得いかないのですが。
…。
えっと,まぁいろいろとわからないのですが,とりあえずわたしの場合 すでにガン細胞は発生してるので(もうすべて死んでいる可能性も ありますが)ガン細胞が生まれないようにすることよりも,とにかく 免疫力を高めることを意識しています。毒物は食べないけど,雑穀も 含め色んなものを少しずつ食べるようにしてるのはそのた めだし (胃腸が良く動いた方が免疫が高まるという話を聞いたことがある), 人間疲れると免疫力が下がるので,疲れないようにする,ストレスを ためないようにするというのもそういうこと。睡眠不足とか 疲労で免疫力が下がるのは,吹き出物とか感染症とかで 露骨に感じるので,そうなんでしょう。楽しいことをすると いうのも効果があるように思います。
ガン細胞の発生が日常であれば,免疫力こそが重要なのか?それとも また別の話なのか。その辺の情報が知りたかったのですが,TVでは よくわかりませんでした。というか良くわかってないのだろうなぁ。

1/25(性差?)
昨日と今日は大阪に行っていて,疲れてるので,簡単に。
普段聴いているpodcastでおもしろい話があったので,嫁さんに 聴かせよと,嫁さん宅でオーディオにつなげて再生。嫁さんは 台所で洗い物をしながら,時々しゃべる…。聴いてないのか?と 思ったら,しっかり聴いていて驚きました。
わたしはあの状態じゃとてもオーディオからでている話を 大雑把に把握することも出来ないのですが,嫁さんは少なくとも 要点は押さえていたようです。
よく,女性は複数の話を同時に聴けるといいますが,あまり 普段の生活で実感したことはなかったので,あぁ,こういうことか と思いました。これはとても真似できないなぁ…。わたしが 他の話を聴いているときは,別の話はまったく頭に入ってきません。 片方を流し聞きでも出来るとそりゃー便利かもしれないけど, とても無理です。まぁ嫁さんが特別に持ってる能力かもしれませんが。

1/24(過去の恐慌から学べることは?)
現在金融危機といわれているが,政局をみていると,政治は 金融危機をどうにかするかより,政権をとろうという野党と 議席を減らしたくない与党の争いになっていて,金融危機を まじめにどうこうしようと言う人はほとんどいない気がする。 かろうじて麻生総理だけがそういっているようにも見える。
世の中が大変なことになっているという割には,悠長な話だな, 世の中が大変なことになったら,敵も味方も一時休戦で協力 するものじゃないのか?と思っていたら,どうもそうでもないみたい。 世の中が危機のときは,むしろますます混乱するように人々は 動くものなのかもしれない。
もちろん,失業者問題とか,高齢者の生活の不安とかは金融危機に 関係した問題だとは思うけど,それはあくまで金融危機が起きたから 深刻になる問題であり,そこをどうしても金融危機がなおらなければ, いずれひどくなる。つまり症状を緩和しても根治しないということだと 思うのに,むしろ金融危機を脱するのにどうしたらいいか?という 議論はまったくでない。ここもかろうじて麻生総理が行った給付金 ぐらいじゃないか?野党は「環境」「安全」に投資 とか言ってるらしいが,そうやって関連企業にばら撒いた金が, 安い労働力の外国に流れたりはしないのだろうか?という気もするが, その辺はどういう策を練っているのだろう?。
まぁそれはいいとして,要は今の金融危機の実態がいまいち よくわからないし,効果的な対処方法も良くわからないwikipediaを みたらすでに もう載っていてちょっと驚いたけど,2007年からと なっていて,さらに驚いた。おとどしの時点で,こういうことを 想像していた人はいたっけ?…というと実はちょっとだけネットでは 北京のオリンピック後に恐慌が来るだろうという予想は言われていた。 そういう意味じゃ意外にあっていたのかもしれない。
ちなみに1980年代の日本のバブル崩壊は,戦後から続いていた, 日本の成長がぽっきり折れた時だったという印象が,今となっては あるのだけど,今回の恐慌で中国がぽっきり折れたりするんだろうか? それとも中東なんだろうか?。そういう意味では 1929年の世界恐慌ってなんだったんだろう?と wikipediaを読んだらやっぱりよくわからなかった。意外に不況って 原因がわからないが,まぁその前に好景気があって,崩壊するところは 一緒だなぁ。そして,恐慌になったら各国はいろいろ対処はするが, どれもいまいち的外れで長引き,結局軍需みたいな大掛かりな 緊急事態で脱しているというパターンであれば,今回もそうなのだろうか? だったら,それはそれで非常に不吉な話だし,今度はどこが戦地に なるのだろうか?もし今回の危機を戦争をどこにも起こさずに脱する ことが出来たら,それはそれですごいことなのかもしれないと思う。

1/23(日々の生活)
ネットからねたを拾ってばかりだとバーチャルな話ばかりになりそう なので,現実な話を。
今日は雨,昨日も雨だったのですが,霧雨。昨日は寒かったのですが, 今日は夕方は暖かかった。会社にはソメイヨシノの木がたくさんあって, この時期葉っぱは当然ないのですが,今日観たらなんとなく木全体が 赤みがかかっていた,近くで見るとつぼみがついていた。 まだまだ寒いのだけど,つぼみが出るっていうのは,やっぱり気温より 日照時間の関係なんだろうか?。そういえば,温暖化で寒くならないと サクラが咲かないとかいう話も,最近聞いた気がするけど。
夕方会社を出ると玄関のところに狸が歩いていて驚いた。自分から 5mくらいのところをかけていったのだけど,暗かったのと遠めには 猫くらいの大きさだからか,近くにいたほかの人たちは,だれも 狸と気づかなかったみたい。狸はもうちょっと郊外にいかないと いないかな?と思っていたので,驚いた。
実はここ半年ばかり,某大学で授業を持っていた。単発の講義じゃなくて, 半期とかまとめて一こま持ったのは初めてだったので,いい経験でした。 とりあえず今期は終了。またすると思うけど。 授業内容とか感想は,プライベートというか,外に書く話じゃ ないと思うのでパスします。
その他,あまり普段の生活に変化無し。ふと最近自宅の近所の コンビニにあまり立ち寄らなくなったなぁ,と思う。雑誌をKIOSKで 買うことが増えたからだろうか?KIOSKで買うのは,ポイントがたまる からだけど。あとちょっと体重が増えてきたので,間食はすこしだけ 減らしている。もともと取らない人だったので,単に食べる習慣が ついているだけなんだよなぁ。習慣がなくなれば食べなくなると 思うが。
今日は会社で軽く運動をした。最近はあまりやってなかった。 なかなか時間が取れない。この間TVかなにかで運動は午前中に やったほうがいいとかいっていたけど,朝は仕事にしても遊びにして, 一番ゆっくりできる時間なので,運動してるのはちょっともったいないなぁ という気がする。ただ夕方は,人に捕まったりして,つい時間が 取られがちだったりするんだよなぁ。
そんな感じの今日この頃です。

1/22(成功に必要なことのイメージがなければ教育は出来ない)
内田樹先生が 学生が勉強しないのは,相手に勝つために 全体のレベルを下げようとしているからというのを書いて, 本当なのか?すごいなぁ。なんかピンとこないけど,現実に大学の 先生が言ってるからそうなんだろうか?と思っていたら,山口先生は そうじゃなくて勉強(競争)に 勝ったときの報酬が目減りして,一方で 負けても罰が減ってるからではとおっしゃってます。 正解は今のわたしにはわからないのですが,山口先生の方が わたしにはピンと来ます。
もっとも今のご時勢は,正社員・派遣格差がひどい,みたいな 感じで,決して社会で成功しようがしまいが同じように生きていける 時代じゃなくなっている様な風潮ですが,ちょっと前までは, あまりこういうのは表層化してませんでした。不況はあったんですけど, 個人レベルの格差として見えなかったというか。
これから変わっていくかもしれませんが,今までは,勉強しまいが しようがどこでも良ければ大学までいけて,まぁそのあとはなんとか なるでしょ?。フリーターとかやっていってもいいし,みたいな 感じだったのかもしれません。フリーターが20代は良くても,30代, 40代とかなると結構大変とか言い出したのは,ここ10年くらい。 そろそろ社会に出ようと思っていた学生がそんなことに気づいても, もう間に合いません。
そういう罰の方は,もしかしたらそろそろはっきりしてきてるのかも しれませんが,一方で報酬の方は今でもよく見えないように思います。 いい大学に出たら大企業や官僚になれるのかもしれませんが, 官僚なんてまるで悪人の様にTVでは言われてます。企業は個人が 見えません。個人で成功が見えるのは一流のスポーツ選手や 芸能人とかでしょうが,これは勉強でなれるものではありません。 ベンチャーとかで成功して金持ちになった人も少数ながらいますが, 結構これらの人々は,「学校の勉強なんて役に立たない」とか 言うものだから,ますます勉強をしなくてもいいのかな?とか思って しまいそうです。実はそういう人たちは学校ははみ出ていても, 勉強は出来ていたりしてるんですけどね。
成功しないと大変なことになるといわれても,どうやったら 成功するのかがイメージできなければ,努力のしようがないなとも 思います。
ついでに書くと,今の親は子供に何をさせないといけないと 思ってるんですかね?。今の社会は犯罪が怖いとか,学校での いじめが怖いとか,そういうのを声を大にしているのは聞こえますが, 子供の将来に対して,どういう風に子供を育てるべきとか?, あまり聞こえません。のびのびと自由に育ってほしいというのは あるのかもしれませんが,それも大事ですが,それだけで子供が 大人になって大丈夫なんだろうか?とか。
結局大人の中にも,どういう大人になれば良いかがイメージできて なければ,子供がわかるわけもないよなと思います。わたしが 子供の頃は,そこまできつくは言われませんでしたが,やっぱり 勉強をしていい大学に出ないと楽できないとか好きなこと出来ないと 親に言われてました。そこで親が勧める仕事には嫌悪感を持っていたけど, 勉強が出来るにこしたことはないちょっと思っていたように思います。 勉強熱心なのは良くない,みたいな事を言われて久しい気がしますが, 実はあれはいい教育だったのかもなともおもいます。

1/21(時事ネタ,主に労働関係)
ちょっと時事ねたを徒然に…
昨夜から今朝にかけてオバマ大統領関連のTVばかり。どうして そこまで日本で大きく扱うのかが不思議。しかもどこも好意的。 いやいろんな意味で日本に影響があるのはわかるのですが,日本に とっていい大統領かどうかは,これからわかることかと思います。

一方日本では派遣切りが相変わらず問題。「派遣切り」といえば 単に契約延長をしなかった場合も派遣切りと呼んで報道してるようで, 「派遣切り」という言葉はおかしいと指摘。ごもっとも。 派遣社員が多いことは問題だとしても派遣社員を派遣期間終了後に 再契約しないこと自体は,別に不法なことじゃないと思うのだけど。
で, みのもんた氏は派遣切りにあった人に 厳しい口調らしいが,どうもみの氏はお年寄りとか主婦の みかたで,若者には厳しいのではないかな?という気もします。
まぁそれはいいとして,派遣社員が増えていることに対して,「正社員が保護されすぎ」という意見もちらほら 見えてきてます。ワークシェアリングという話も出てきて, 正社員とかいう話になると当然当事者になってくるので自分達にも 大きな影響が出るかも…。正直この辺の望ましい形は簡単には わかりません。今以外の制度を持ってきて,いいところだけを挙げても, それで起こる他の不都合が読みきれてない気もするので,どういう ことが起きうるか不安に思います。
正社員と派遣社員で同一労働同一賃金というのは当然の様の思うけど, 正社員と派遣社員はキャリアの考え方が違うので,扱いを 一緒にするのは難しいかな?と思うし,ホワイトカラーとか マネージメントになると同一労働ということ自体が定義できなくなるし。
どうも今の状況は,現状自体がちゃんと把握されてない気がして, よくわかりません。おそらく失業者とか生活保護者とか もっと困っている人の方が多いだろうに,メディアは派遣村や ネットカフェ難民とかの方ばかり取り上げるので混乱する ばかりです。全貌が見えないうちに,ああしたらいい,こうしたらいいと 言い出す人が出てきて,だから大丈夫かな?という感じだったりします。 ずっとこういう状態で行くのでしょうか?。そういう意味では不安です。

1/20(ネタなし)
なんか今日はネタがない。TVはオバマさんの就任式で 盛り上がってますが,今夜なのでネタにならないし, 日本の国会もいまいちいまさら。なんとなく今日は頭が疲れて, 回らないので,まぁたまにはこういう日もあるってことで。

1/19(命の値段,お金の値段)
粘る稀なガン患者さんが「 余命の値段」という文章を書かれてました。 日経新聞が調査した「余命を一年延ばすのにいくら払いますか?」と いうアンケートの結果を取り上げてます。アンケートによると, 100万以下で過半数を超えるということを,安く見積もっているなぁと 思われているようです。
はてなのブックマークやトラックバックを見るとガン患者と 意見が異なる人が多い(目立つ)ようですが,でも,彼らの中に ガン患者さんほど真剣にこの問題を考えた人も少ないのでは?という 気もします。ガン患者さんは実際に保険範囲外で,しっかり 効果がでているがん治療を続けていらっしゃるわけで, この問題についてはまさに自分に今起きてることとして 考えていらっしゃるでしょう。
わたしはガンを全摘してるので,現在はほとんど治療を続けていませんが, もし再発すれば,同じようなことを真剣に考えなくてはいけません。 これまでも何度もシミュレーションとしては考えてますが,なかなか はっきりとはいえません。ただわたしも100万は安いと思います。
もっとも一年に200万以上かかるのは,保険外診療ってことですよね。 保険内だと自己負担がそれを超えるのは,病院を複数行く場合とか オプションがつく場合。保険外でお金をかけるには,その 有効性の判断が自己責任になるので,判断が難しい様にも思います。
病気に対していくらかけられるかは,年収分位かけるという考え方も できますが,実際はそれに生活費がかかるので,やっぱり可処分 所得がいくらまで見込めるか?。病気になれば無駄遣いを 抑えることは出来るでしょうが,やっぱりそもそも2,300万くらい しか年収がない人が,200万の治療はかけられないでしょう。
というわけで,いろいろと数字だけ見ても複雑です。それに おそらく死ぬかもしれない病気になってない人は実感しにくいかと 思いますが,実際に死ぬかもしれない病気になると,考え方は 結構変わります。健康なときは1年寿命が延びるためにそんなに お金をかけたくないと思っていても,実際はそう腹をくくるのに 1年じゃ足りないと思う場合もあるでしょう。わたしはたぶん そう思いそうです。
一年寿命を延ばすのにいくら使えるか?というのはその人の命の値段と いうことも出来ます。わたしも八年位前に お金は人の命も数値化できると書いたことがありますが, 今読むと結構若いです。というか,実際はお金で命を測るというより, お金の価値も変動するかな,とも今は思います。また命もお金も 測りにのせないで見積もるのと,測りにのせて見積もるのでは 結構違うかなと思います。

1/18(またいうことを変えたマスコミ)
昨日から大阪に行っていて,今日戻ってきました。なんか 移動ばかりしていた週末。なので一言だけ。
給付金という政策はともかく埋蔵金に手をつけることが禁じ手だとか,埋蔵金が尽きるとかそんな話が出てきていて 驚いた。なんか今まで埋蔵金があること自体を責めていた 気がするのに,ここにきて埋蔵金を使うことを批判してきたのか?。 なんかものすごい路線変更ぶりに驚いたよ。今までいっていたのは, なんだったのか?。いや,違う人が言っていたということなのかも しれないけど。そんなにいうことがころころ変わっていたら,世論を 聞いて政治なんかできるわけないよ,と思う。

1/17(ショッカーの戦闘員だって生きている)
匿名日記に「100億年すれば、宇宙は消滅する。 だから、生きていることに意味はない。 」というのが載って, 結構ブックマークされている様です。昔から思春期に考えそうな ネタですが,いまのわたしの心境から すると,「人間(生物)は意味がなくても生きていける,意味なんか 求めなくてもいいんだよ」ってところかな。
一方,弾氏が「遺族にとっての意味」と書いているのは, ミームとかもそうだし,そういえば,2年ほど前にわたしも 「死ぬというのは一部の自分は いなくなるけど,全部の自分がいなくなるわけでもない」と 書いたのを思い出ししたしそういう面もあると思います。
と,書いたけど,やっぱり上に書いたとおり,仮に遺族とかが 存在しなくてもやっぱり生きていていいというか,生きていく べきだと思います。「個」を見ると確かに他人と関係性をもてなかったり したら遺伝子もミームも残らないし,いてもいなくても関係ない 存在かもしれません。でもそういう個体も含めて,何十億という 個が集まって人類を形成してるわけです。まぁ人間は生態系的に 必要な種なのか疑問ですが(^^;),でも地球上に存在している 今の種であることには違いありません。
つまり個人の存在に意味がなくても全体が存在することには意味が あるので,構成員は必要なのです。ショッカーの戦闘員みたいな ものです(笑)。
話がそれますが,ミクロの問題はマクロの問題に直結しないような気がします。 個人の存在を統計的に語ることに対する違和感…がわたしの中にあって, それで思うのですが,それについて書くと,今日は 話がややこしくなるので,またいずれ。

1/16(子供に見せる豊かさ)
琥珀色の戯言さんのブログにある「 この世でいちばん大事な「カネ」の話 」の書評を読んで そうだねぇ,という感想。
わたしもお金にがめついのが苦手なんですが,お金にがめつく ならないためにはお金がある程度ないとダメってことは良くわかっていて, だから,お金が要らないとはとてもいえません。清貧という言葉が ありますが,実際は人間はお金がないと,なかなか清くなるのは 難しくて,むしろお金の心配がない人の方が,心の中はともかく 外から見たらやさしかったりします。金持ち喧嘩せずという 言葉もあるなぁ。
わたしの親を金持ちを思ったことはありませんが,お金に困ってる 姿を子供に見せたこともありません。というか,今でもそうかも 知れない。地方に住んでいる国家公務員だったから,きちんと やりくりをすればお金には困らないのかもしれないけど, 世の中にはやりくりをうまく出来ない人もいるので。
親のすごさがわかるのは自分が大人になったからでしょうけど, 仮に自分に子供が出来たとして,お金に困った顔せずに育て られるか?。子供が進学を考えるときに,学費の心配をさせずに 済むか?,そういうことを考えると,なかなか自信がないな,という 感じです。
リンク先は貧乏という負のスパイラルから抜け出るのにお金が 手っ取り早いということが書かれていますが,裕福から貧乏に 落ちる事だってあるわけです。それがそう落ちないためには, やっぱり親の教育とか生き様なんだろうなぁというのは,「私ががんばったんじゃない,親がよかっただけだ」 を読んでさらに思いました。難しい。

1/15(車を売れないが不況のせいに出来る時代到来?,でも実は魅力もなくなっていたりして)
日経ビジネスオンラインの「 若者のクルマ離れ、その本質は「購買力」の欠 如」というのを読んで二つほど思ったことを。と はいっても このページ,登録制なので一頁目しか読んでません(^^;)。結論が 全然違うことを書いていたらすみません。
一つは,ものが売れない理由を不況のせいにできる時代が来たな, ということ。もう一つは,弾氏も書いているように,車自体が欲しいもの じゃなくなったという話。
前者については不況というか派遣きりの問題まで絡めてますが,要は 製品とか売り方の問題じゃないよと言いたげです。ちょっと前まで CDが若者に売れない理由とかをレコード会社が一生懸命犯人探ししてましたが, これからはCDが売れないのも不況のせいといえるのかな?…みたいな。
景気いいのに業績が下がれば,経営者の責任が強く問われますが, 景気全体が悪ければ,少し言い訳しやすい。まぁでも景気が悪いなら 悪いなりの戦略を考えるのが経営じゃないか?という気もしますが, とりあえず世間とか政治のせいに出来るから,経営者責任に眼が行きにくく なるか?とか。そんなことを思いました。こっちとしてはなんでも 政治のせいにするなよ,と思うところもあるんですが。
とはいえ,実は車自体が若者に魅力がなくなってるという話もあって, それが二点目になるのですが,もしそうなら景気が好転してもやっぱり 車は売れないわけです。弾氏が書いているような車の魅力がなくなった話は, わたしが 99年にバイクに魅力がなくなったと書いた事を思い出すというか, 同じようなことだろうとおもうのですが, 車もそういう時代になったねぇ…と。99年はネットとか情報とかが これからの若者の投資の場になるみたいなことを書きましたが,ただ 今となってはネットのほうも少し頭打ちしてるような気もします。 そうでもないのかな?。
いずれにせよバイクとか車の様な乗り物は,交通事情とか性能とかを 考えると,すでに差別化要因を作り出せなくなってる気もします。 これからどこに行くんでしょうね?。メイドロボとか?(笑)。
おまけですが,実は99年にああいうことを書いてますが,あの頃から つい最近まで車は大型化傾向が強かった気がします。オデッセイとか ステップワゴンとか…。あれってどういう現象だったんでしょうね?と 今でもよくわかりません。

1/14(突っ込まれ)
昨日の性差の話は,人に突っ込まれて,いろいろと反論というか 言い訳というか,補足というか,考えていたら,自分でも混乱してきたので, ちょっと…取り下げじゃないけど,まぁ不適切な文だったということで。 男女の…というよりは,先天的に決まっている能力をポジティブに取るか? ネガティブに取るか?,どっちもありえるのだけど,どうなんだっけ? みたいな事を考えたかったのですが,自分でも混乱してきました。
…というわけで,話を変えると,実はさらに別の話で突っ込みを 受けたことがあるので,そっちもいいわけをします。
先日の毎日の社説に自動車の死亡事故が減っているという 話が載っていたので,車の死亡事故が減ること自体はいいことなのでは?と 思ったのと,自転車の事故に防止に対して何か取り組むべきではと, 某所に書いたら,自動車こそが危ないのに自転車に何をしろと?と みたいな突っ込みを受けました。
別に自動車が危なくないというつもりもないし,自動車の事故防止は もう十分というつもりもないのですが,自転車だって結構,死亡事故は 少ないけど,事故起こすよねぇ…と思ってるので,そう書いただけです。
最近歩道や歩行者天国を歩いていると,よく自転車と接触します。 危ないと思うんですけどねぇ。自動車と歩行者が接触すると事故扱い でしょうけど,自転車の場合,そのまま去っていく場合が多いです。 歩行者が転ぶ場合もあるし自転車が転ぶ場合もありますが,あまり 事故扱いになりません。まぁ人間同士がぶつかった場合も怪我を しなかったら事故扱いしないのでそれと同じといえばそうなんですが, 大きな怪我をする場合もあるので,。
というか,最近思うのは歩道を走る自転車ですごく下手な人が多い。 まずちゃんと止まれない。前方を人が歩いていて,通りに抜けられない 場合に止まれなかったり,止まろうとしてかなり不安定になる。 歩行者の同じところを走るのだったら歩行者と同じ速度で走れる技術が ないと危ないよなぁと思うのだけど。
自転車は今のところ免許とかがありません。だから誰でも運転できて しまいます。中には交通ルールを知らない人もいるんじゃないでしょうか?。 技術もうまいまでとは行かなくても,前方に障害物があったら止まるとか, 止まる場合もしっかりブレーキをかけて止まってから足をつくくらいの 事を習慣つけるくらいはしてほしいです(ブレーキが効く前に 足を出す人が多いです)。整備不良とか言い出すといくらでもあるんですが, 知識と技術となんとかならないかなぁと思います。まぁいま免許制に するのは無理だとは思うんだけど…。
わたしの田舎では今40歳以下の人は小学校とかで,講習を 受けたような気がするんですが,全国的なものじゃなかったのかなぁ。

1/13(「才能」と「いいわけ」)
日曜と月曜の夜に NHKスペシャルで「女と男」というのをやってます。 というか,あと一回あります。二回続けて見ました。
このての話題は好きなので,これまでもいくつか本で読んだり してますから,そんなに驚くような内容はありませんでした。
第一回は男女のコミュニケーションの話がメイン。第二回は男女の 能力差とか病気になりやすさの差とかそういう話でした。
ちょっとおもしろかったのは男女の空間把握能力が違うという話で 地図を読む能力の話を比較。男性は地図を見て空間的に 行く場所を把握するのに対し,女性は目印とかいく手順を理解して 行くのが得意という話。その結果をうけて,「女性は地図を読めない わけじゃなくて,地図がそういう風に描かれているから 読めない」みたいなことを行ってました。いや,それが地図が読めない って事でしょ?って思わず突っ込みたくなりました:-p。別に 地図読めなくても,行き先手順書とかコマ図は女性の方が得意で いいじゃないの?。地図が読めないのを地図が悪いというのは, なんか屁理屈だなぁ…と。
個人的な興味は性差と個人差のどっちが大きいのだろう?ということです。 明らかに平均に差があっても分散がどれくらいあるかが重要です。 性差で能力の差が…とかいうと,「でも女性でも例外があるし」 みたいな話になりますし,生まれついての能力と生まれてから取得した 能力ととかもあります。
二回の番組を見ていて,「女性がこれまで不得意といわれていたものが, 実はそうでなかった」みたいな研究をしてるのは女性研究者が 二人くらい出てましたが,そういう場合が多いのかしら?でも, その人らは「女性はダメじゃないんです」って感じだったので,そういう モチベーションで研究してるのだろうか?と少し思いました。
(男or女)の方が○○が(苦手or得意)とかいうと,そのネガティブな 判断をされたほうが「そんなことない」というような主張が 今回は多いわけですが,一方で,「自分が○○を出来ないのは(男or女) だからだ」といわれたほうがうれしい人(ケース)もいるんじゃないかな?と 思ったります。努力して出来ない場合を「努力が足りない」と いわれるより「性差だから」とか「遺伝だから」といわれたほうが, 自分が責められた気がしないというか。あまりそういうのいう人を 聞かないのですが,どうなんでしょう?。
性差の研究はかっては女性が男性社会では不利益な面が多く, それゆえ女性が男性よりある一部の能力が劣っているというのは タブーぽいところがなかったんでしょうか?ついでに書くと,人種とか 出身地とか,そういうのも能力面で語ると,非常にデリケートな 話になるような気もします。でも,逆に個人の責任じゃなくて, そういうものだと思える意味で,そういう生まれたときに決まるものが あったほうが安心っていう人もいるんじゃないかなぁ…などと 思うこともあります。
まぁそうはいっても,そういうのは統計量なので,結局は個人差かが 結構あるんでしょうけどねぇ:-p。

1/12(下手に政策をすると損をする人と得をする人が出る)
定額給付金が迷走しているって議論がだいぶ よく聞かれる様になりました。国会では与党の定額給付金に対し, 定額給付金自体を止めろと野党が言っています。一方で世論の中でも 「くれるのならほしいよ」みたいな意見もちらほら聞かれますが, いかんせんネットにしてもマスコミにしても,偏った意見ぽさを 感じるのでなんともいえません。
まぁそれはいいとして経済対策が必要といわれているこの中, 定額給付金をやらないとしたら何をするのでしょう?。他に必要な 使い方があると野党はいっているようです。野党の案をよく吟味しないで こう書くのは無責任だとは思いますが,なんとなく印象として, 誰もが納得するような対策ってないんじゃないか?という気がします。 というかあったら麻生さんは「それいただき」って言いそうな 気がするし。
それと今は派遣切りとか高齢者問題とかがあって,そっちの話と すこしごっちゃになってないか?という気がしますが,景気刺激と 弱者救済は違う…のじゃないですかね?。
みんなが納得するとかみんなに平等な方法なんていうのはないでしょ? と思うと,結局政治というか政策というのは,どこかに力を入れるって いうことになるのではないか?と思います。もともと政治にしても, 会社の投資とかにしても,均等に分配するのではなく,メリハリを つけるとか,集めたお金をどこかに傾斜配分するというのがマネージメントじゃ ないんでしょうか?。であれば,今回の「もっと他に使うべきところが あるだろう?」というのもどこかにお金を集める,言い換えれば, 得をする人(こういう言い方がまずいなら助かる人)と,得を しない人が発生する気がします。そうすると,それって支援団体?とか 利権?とか,まぁそういう斜めな発想が浮かんじゃうのですが…。
で,一方定額給付が経済効果があるのかどうかは専門じゃないから わかりませんが,仮にあるとしたら,これこそどこの支援団体とか 利権にも関係ない実に機械的な配分の様な気がするんですけどね。 それゆえに「無策」といわれるのでしょうけど(苦笑)。
というわけで,定額給付金の是非はともかく,他に使うべきだという 議論は,まぁやり始めたら,もっと渾沌とするし納得できない結果に なるんじゃないかな?という気はします。せっかく埋蔵金をばら撒くの だから,無策に機械的にばら撒くっていうのも手だよねぇ…とは 思う,というか国会定額給付の議論に時間かけすぎ…と思う 今日この頃かな…って感じ。

1/11(和服で外出)
今日は川崎大師に護摩を受け(動詞あってるんだっけ?)に行ってきました。 二年前にかった和服を着ていきました。この和服買って一度も外では 着てなかったので,初めて,というか和服を着て外出するのは 大人になってからは結婚式以外初めてなので,ちょっと緊張?。 途中で帯が解けたら戻せるかしら?。トイレ,特に大きいほうだったら, ちゃんといけるか?とか。
まぁ実際は大きいトイレには行きませんでしたが(笑),着物が 着崩れることなく無事返ってきました。
まぁそれだけでしたが,着物はこれからも機会がなくても休みの 日とか着たいなと思います。
ところで護摩の方は,去年でようやく厄が抜けたので,お礼参りを かねて少々お礼をお納めにという感じ。今回の厄は癌になったからなぁ, まぁ大変でしたが,命が残ってよかったですよ。

1/10(肯定しても自分を見失わないようになりたい)
実際にリンクされたのはこっちですが,有名なブロガーの弾氏に「違うよ。全然違うよ。」と書かれてしまったので, 昨日は枯れ木も山の賑わいでした。普段こちらからリンクさせて いただいていることが多いので,少しだけコメントがてらに書いてみます。
といっても,わたしの文章は全然違うといわれてしまいましたが, わたしは別に弾氏の文章を否定するつもりもなく,はぁなるほど…という 感じです(^^;)。
まぁでも,「肯定するというのは、楽過ぎてつまらない」といわれて しまうと,弾氏みたいにエネルギッシュな人はそうなんでしょうね, と思います。わたしは最後に書いてますが,本当に大事なことに エネルギーを注ぎたいので,わたしみたいにエネルギーが足りない人は, 色んな権威に反発していると本当のところに注ぐエネルギーが足りなく なってしまうのです(苦笑)。だからどうでもいいことは,権威や 周囲が示していることに従っていてもいいかな,と思ってます。 もちろんそうやってすべてにしたがっているうちに,本当の部分に 注ぐエネルギーもそがれてしまう場合もあるので,それはそれで注意は 必要。
あと「権威の否定というのは、自らが権威となることで完成する」というのは ちょっとわたしはピンと来ないのですが,「権威というのはまさに挑戦され、 否定され続けるために存在するのである」というのはわからないでも ありません。もっとも権威を追い求める人がみんなそう思ってるとも 思えないのですが。というか子供が自己を確立するために,乗り越える 壁として権威が必要だというのは同意します。子供は「嫌だ嫌だ」と 否定して自我を作っていきますから。
もっともそれも小さいときはいいのですが,いくつになっても それでいいんだろうか?という気がします。権威やものごとを否定しないと 自我を確認できなかったり,楽しく生きられないというのは, 壁がないと,立てない様にもみえます。だから壁が(権威が)なくなったときに どうしていいかわからず,右往左往していきづらい人がでてくるのでは ないのか?という気がします。 そういう人には否定すべき権威が 見つからないから生きづらいという意味では, まったくその通りかもしれませんね。そういうときにでも無理やり 敵を作り出し,戦う人もいますが。
小さいうちはいいのですが,ある程度自我が出来てきたら,逆に権威や 周囲を肯定しながらも自分というものをしっかり持てる様にしたほうが いいんじゃないか?と今の自分は思ってます。周りを負かして自分の 勝利を確信するのではなく,周りがいなくても自分の勝利を確信できるように, もしくは周りを称えたほうが,さらに自分の勝利が光るというか。
それから余談ですが,わたしは人と話すとき,人を批判するより, 人をほめるほうが,自分が有利な立場にいるように感じます。 戦う気満々の相手のやる気をそいで,自分の好きなほうに話を もっていける…まぁこういう議論の仕方を小さい子供がやったら いやらしいと思いますが:-p。
そういうわけで,エネルギッシュで権威に立ち向かうのが楽しい人は, 戦えばいいとは思いますし,人の自立の過程で立ち向かうべき権威は 必要で,それを被ろうとする弾氏は偉いと思いますが,壁を壊して いったら壁がなくなって立てなくなっちゃう人やガス欠を起こす人も いるんじゃないかな?ってことで。
それから,余談に追記ですが,弾氏は人を誉めるのがすばらしくうまいと 思うので,楽過ぎてつまらないとは思ってないじゃないかな?とは 思うこともあります。

1/9(目が疲れてます)
幻覚が見えるので(笑)目医者に行って検査をしたら,結局異常無しだった。 だけど,瞳孔を開かせる目薬をしたので,目が良く見えないし, 疲れたので,今日はこれだけにて失礼します。

1/8(株価の話題がニュースから消えてる気がする)
日経平均株価がここしばらくずっと値上がりしてるなぁと思っていたら今日は八日ぶりに下落したそうで。ちなみに 外国為替も年末から円安方向に動いているようで,もしかしたら, 海外に遊びに行くチャンスを逃したか?とか思ったりも:-p。
それは冗談として株価の方は底値を打ったということなのか?。 そんなことのないのかまだわからないのでしょうけど, 何がいいたいかというと今の不景気がいつまで続くのか, いまいち読めないなと。ガソリンか価格が高騰したときの様に その時の短期的な値動きに翻弄されていてアーダコーダ騒いでいると なんかバカみたいな話じゃないのか?とかそんな気もします。 世の中不景気だ不景気だと大騒ぎしてるのだけど,長期的に みるとどうなるのやら。
マスコミは1,2ヶ月すると何もなかったかのように手のひらを返すので 担がれている人たちははしごをはずされないようにしておいたほうが いいでしょうなぁとか,ちょっと思ってます。
余談ですが,わたしの会社の株価は製造業とかとは逆の動きをするようで, のかな?とちょっと思いました。

1/7(君に、胸キュン。)
どうも正月から目がちらちらするのは,病院にいったほうが いいんでしょうか?。
話が変わって…
最近始まった深夜アニメを物色していたら,エンディングで 「君に、胸キュン。」のカバーを歌ってました。へー 懐かしい曲というか,すごく変わった選曲だなぁと思っていたら, ネットでも結構盛り上がっている 様で,昔のYMOのビデオとか見て,あぁこんなだったよと そんなこと感じました。
リンクしたブログにも結構同意という感じですが,わたしの当時の 心境を書くと,わたしはYMOがソリッドステットサバイバーとかを 出したときが確か中三くらいで,楽器をすでに始めていて, ニューミュージックとかを聴いていて,この胸キュンとかを YMOをヒットさせたときはどっぷりロック,しかもインストに はまっていた頃じゃないですかね。ですから,初期のYMOの インストとかはかっこいいと思っていたわたしも胸キュンとかを 聴いたときは,なんと堕落したことよと思ったような気がします。 まぁそのときはすでにYMOファンじゃなかったので,そんなに ショックは受けませんでしたが。
でも今こういうのを聴いて,当時の音楽シーンを考えると, こういうYMOのアプローチもしゃれだったり皮肉だったり, はたまた新たな挑戦だったのかもなぁとか思ったりもします。 今のわたしは表現を多くの人に伝えることにエネルギーを注ぐのは 媚でも妥協でもなくて,表現の重要な中核のひとつだと思うので, 本当にYMOが売れる詩を書いてと依頼したのであっても,それは 戦略としてありだなとか思います。それに今この曲を聴くと それなりに斬新さとポップさがちゃんと共存してるんですよね。 すごいなぁとか思います。
なんとなく最近こういうことを感じることは多く,わたしは 80年代はインストに傾倒していてヒットしていた曲は聴いていたのに, 結構軽く観ていたのですが,いま聴くと結構新しいし様式美や 芸術性が高いと感じてしまいます。ですので,最近その頃の曲を 聴きなおしてみたいなぁということを時々考えます。歳を取ると コンテンツがかなり無限にあるのだなぁとか感じるこの頃です。
ところで,正月に高橋幸宏さんがビールか何かのCMにでてるのを観て いたので,今回の胸キュンはちょっとタイムリーでした。 幸宏さんってYMOの中でもちょっとおもしろいポジションだよなぁ, 今の位置づけとか見るとなおさら…とか思います。

1/6(年寄りとアル中)
高齢者にアル中が広がっているって話を聞 いて,別に変な話じゃないなと思いました。どうすりゃいい?って いうか,どうにもならないし,どうにかする必要があるんだろ うか?とも少し思いました。
とか書くとひどい人と思われるかもしれませんが,高齢の父親が, 内臓悪くしたり,体の制御が悪いのに,お酒を 飲んでいたり,わたし自身が20年間酒を浴びるように飲んで, そして病気になったりとか,まぁそういうのを経験してるので, 他人事というよりも,自戒と言うか,人間てそういう面もあるよなと 思って書いてます。もちろん違う人もいるから,一概には そういえないのでしょうが。
なんとなく最近の自分の父親を見てると,息子である自分や, 妻であるわたしの母親より,早く死にたがっているのではないか?とか 漠然と思ったりします。わたしと母がたて続けに重い病気になったから, まぁ精神的に消耗したとは思うけど,自分だけ長生きしようとか 思わないのは,そんなに不自然なことじゃないように思います。 そうじゃないとしても日に日に老化で体の自由が利かなくなっているのを 感じているのであれば,そこにどういう希望というか,「生きていりゃ いいことあるよ」とか言えるのか?とかむしろ思います。 そしてそれに向かい合いたくなくてますます酒を飲むという 心境は,元アル中だった自分からすると一応わかるんですよね。 一人で飲むお酒は,楽しいというよりは,何かと向かい合うのを 避けるような行為の様な気がします。
そりゃ,酒を飲んで気持ちよくなるのはいいけど,体を悪くするような 飲み方はやめてほしいし,やめてしまえばそれなりに頭がすっきり しないのかな?とか思ったりもするんだけど,それも若い人間の 感覚かもしれません。
リンクした文章はうちの父親より10歳以上若い人だし,もっと 健康で長生きしたほうがいいようには思うけど,長生きを勧めるには, 健康とかアル中じゃないとかいうことより生き甲斐が必要だと 思うし,でも高齢者がいくつになっても「長生きしたい,死にたくない」と あがいて生きるのが幸せなことなのか?と少し思ったりもします。
正直よくわからないのだけど,一般にイメージされる「幸せな老後」という中に 「死」はどのようにイメージされているんだろう?と時々思います。

1/5(中東報道にマスコミの死を再び思う)
昨日から今朝にかけてイスラエルのニュースが急に増えたので, 年末年始に報道してなかったのは興味がなかったからじゃなくて, 単にマスコミが冬休みだったからだなと…とがっかり。
そういえば, 2004年末にスマトラで地震があったときも, 日本人の被害者がいるのにNHK以外はほとんど報道せず,年末年始の ために制作していた特番ばかり流していました。あれをみて日本の 民放は報道機関ではなく,単なるエンターティメントなんだと 絶望したのを思い出しました。
今回のイスラエルのニュースが日本でほとんど扱われてなかったのを, イギリスから日本に帰国していた人が「日本人は関心がない」と 言っていたのに,「いや,イギリスとは歴史的経緯が全然違うし, イギリスだって極東の事情にはあまり興味ないでしょ?」と 書こうかとおもったのですが,そうじゃなくて,本当にマスコミが サボっていただけだったようです。
そりゃーマスコミだってサラリーマンだろうし,正月くらい 休んで帰省したいという気持ちもわかるよ。あらかじめ高い金かけて 制作した番組を流したいというのもわかるよ。でも,国際的に 重要なニュースくらい流そうよと思うよ。普段行政とか政治とかに 文句を言って,災害時にイベントにでていた総理大臣を批判するなら, 自分達も災害や紛争時には休みを返上しても少しは取材に行けよ,と 思います。
去年の最後の方は裁判員制度に文句を言うのにも,以前のマスコミの 言動を思い出すと無責任すぎるのに腹が立ったし,政治家が候補者のときは 持ち上げて,権力者になると足を引っ張るのも腹が立つけど, 実際に人が死んでいる時に,バラエティを流すしか能がないのは, どうかと思います。
そんながっかりな正月報道でした。

1/4(借金?)
自宅に帰宅。明日から仕事なので冬休みは今日で終了。
この年末年始は移動が多くほとんどTVニュースをみなかったし, ネットも普段見ているところは更新が少なかった様に思います。TVでは なんか今の世情の話をうだうだ話すような企画があってた様な気がしますが, 泊まっていたところの家が,そういうのをみませんでした。まぁ災害とか 中東の話は年末年始に動きがあったようですが,日本国内は,そんなに 変わらないかな…。
日本の国内の話はとにもかくにも金融危機の話ばかり。それ以外の 政策の話とかはぶっ飛んでますなぁ。高齢者とか少子化とか…, いいんかいな?。
で,いきなりですが,ふと, 8月に富を生み出す三つの方法という のを書いたのを思い出しました。
わたしは何度も書いてますが,物じゃなくてお金に限っていうと, 富というのはどこかにある物を集めてきたもの,つまり誰かが富を得ると 誰かの富がなくなるものではないか?という気がしています。みんなが 金銭的に豊かになるということが本当に可能なのか疑問です。 で,リンク先もそういうことを書いていて,つまり富を得るには, 現在の誰かのお金を持ってくるか,未来か過去のお金を持ってくるしか ない。よくよく考えると,リンクの日記を書いた当時は,まだ 金融危機は気配はあったものの,まだ始まっておらず,日本は輸出で 儲けていたので,てっきり世界のどこかの人の富を集めているという 気がしていたのですが,いまの現状を見ると,今は誰も儲けてないって いうことは,つまりそれは今じゃなくて未来のお金を集めていたって 事だった気がします。
つまり借金です。サブプライム自体が借金ですから,未来のお金だったんだなぁ という感じです。そしてその借金に対して,アメリカ以外の国も 投資していたわけですから,日本が現在の海外から稼いでいるという お金もめぐりめぐって未来のお金だったわけです。あぁそうだったのか という感じです。そういえばサブプライムも6月くらいにはじけるかも, みたいな話をNHKでやってた気がしますが,結局実際にそれが問題に なったのは9月くらいですから,その間に何か対策のしようは なかったのか?というと,やっぱりなかったのでしょう。みんなが 借金で富を得ている間に,「それは借金だからやばい」というと それ自体が危機を呼ぶ可能性もあるからなんでしょうか?。
ところで今が借金で破産した状態とすると,借金をチャラにできるの でしょうか?というかチャラにしてるのは誰なんでしょうか?。 チャラにしたということは,そのあとはリセットした状態に なるのでしょうか?。チャラにした分はだれがどういう風に かぶるのでしょうか?。
借金をチャラにした場合もやっぱり得をする人と,損をする人が いるような気がするのですが,だとするとこの事態を乗り越えると, 結果的に得をした,というひともいるような気がしてなりません。

1/3(移動日)
朝の10時に実家を出て夜の10時に嫁宅着…といっても12時間移動していた わけでないのですが…。まぁそんな感じで,今日は日記のネタもないかな。 読書をしていたりするのですが,本の感想はまた別途。

1/2(未来と過去)
今日は一日実家にいて,一歩も敷地内からでなかった。昼間は駅伝を TVで観て,夕方からは親戚が一同(?)に集まり夕食という感じ。
年寄り(主に自分の親)から中高生(姪や甥)を観ていて,いろいろ 思うところはあるが,具体的過ぎるので,詳しくは今日は書かない。 自分が子供の頃はこうだったのだろうか?とか自分の未来はこうなのだろうか? とか思う部分もあるけど,それより,この人たち,どうしたものかな?とか 思うほうが強いか…。
まぁ今後の言動にいろいろ影響はでるかも(^^;)。

1/1(紅白)
新年あけましておめでとうございます。今年もよろしくお願いいたします。 というわけで,新年なのに去年暮れの話で申し訳ありませんが, 昨夜の紅白の話。
…。
ここ数年の紅白を観ていて,日本の民衆の中の歌謡というか ポップスというか,まぁ流行歌というのはこういうものなのだろうと よく思う。そういう意味では紅白という歌番組はよくできてると, 楽しむよりも感心する。紅白を「定番だからつまらない」「NHKだから 嫌い」「古臭い曲が多いから嫌い」「自分の好きな人がでない」とか 批判するのは簡単だけど,もし自分が「子供から老人まで,普段TVを 観ていて特に音楽ファンでもない人が全員楽しめる歌番組を作れ」と 言われたら,たぶん途方にくれるだろうし,最近の紅白の ラインナップだったら,「まぁこんなものかな」と思ってしまうだろう。 たぶん10代,いや今年はポニョもあったから 10歳以下も対象だったかな?,それから老人までそれなりに楽しめるように 作る歌番組というのはそうそうない,いや作るほうは大変だろうなと 思う。 そういう意味でわたしは紅白って結構すごい番組だと思うんですよ。 あまり音楽的な啓蒙を促すようなところはないのだけど,音楽番組が すべからくそういうものである必要もないと思うし。
今回の面子は, 最近デビューしたての若手もでるが,半分以上,三分の二くらいは 昔ヒット曲を出した往年のベテラン。で歌うのは最新の歌ではなく, かってのヒット曲ばかりだった。いくら名が売れた歌手であっても, 最新の曲よりもやっぱり昔大ヒットした曲の方が,視聴者には なじみなわけで,そうなるのだろう。最新の曲のプロモーションには ならないわけで,出演者はどういう心境なのだろうか?とも思うけど, まぁコンサートに行っても往年のヒット曲の方が客が喜ぶというのも よく聞く話だから,それはそれでいいのか。エンヤが企画物として出ていて, オリノコフロウを歌わされていた。確かにエンヤを代表する曲だけど, 本人的にはどうだったのだろう?…と思ったらもう一曲知らない曲を 歌っていたのだけど,本人の出演条件だったのだろうか?。
今年面子はなぜか演歌歌手が多かった。若い人も御大もそれなりに いたのだけど,プログラム的にも前半からバンバン入ってきて, いつもだとJ-Popは前座で進むと演歌になるという進行とは 異なっていたのだけど…以前クローズアップ現代で言っていたような, 演歌が色んな層に流行っているということの反映だろうか?。
なんだか,ニューミュージックとかそのあとの80年代とか90年代とか むしろその時代のヒット曲や面子がごっそり抜け落ちてる気がする。 水谷豊や布施明が歌った曲はザ・ベストテンでも一位になった曲だけど, ユーミンや達郎,陽水とかその辺ごっそり抜け落ちてるなぁ。まぁ 出演拒否したのかもしれない。あと小室ファミリー系とかが抜けてるのも, まぁそういうものか。
つまりちょっと30代後半から40代前半くらいの世代にとっては, 結構つまらない紅白になっているような気もする。働き盛りな年代だから, TVなんて興味ないよという年頃なのかな?。子育てが大変で昔の ヒットソングとか興味ないよという年頃なのか?。
まぁそんな感じのことを観ていて思った。
まぁいずれにせよ,紅白というのは,今の音楽マーケットを表す ものではなく,今の民衆の心の中にある音楽をごっそりとまとめている という意味で,なかなか見ものであると,思う。歌番組としては ものすごくへんてこなプログラムだと思うんだけどね。まぁ NHKすごいよということで。


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