(バイクによる)身体の拡大の終焉

スポーツバイクの衰退

今朝見えるラジオを見ていると,「若者向けスポーツバイクは 生産中止へ排気ガス規制をきっかけに各社続々…」 という記事が出ていた。私も元々バイクには良く乗っていた(ちょっと いまは過去形^^;)ので,その動きは良くわかっている。 最終的なきっかけになったのは,今年から施行されるバイクの 排気ガス規制を2ストのエンジンがどうしてもクリアできないため, 2ストのバイクは新型に対し形式認可が下りなくなったというものだ。 もちろん旧式は存在しているので,モデルチェンジをしなければ, 販売は可能だ。

少し解説をすると2スト(2ストローク,2サイクルともいう)と いう方式のエンジンは4スト(4ストローク,4サイクルともいう)の エンジンに比べ,同じ排気量で,数割増しのパワーを出すことが 出来る。さらに構造が単純なため,同じ排気量でも,軽いエンジンを 作ることができる。一方で燃費が悪く,排気ガスも汚い。 しかしスポーツバイクとしては,燃費が悪かろうが,高出力, 軽量というのは武器であり,長くプロのレース用バイクも2スト, それに応じて市販のスポーツバイクも2ストが主流であった。

ガス規制がきっかけでではあるが,それだけが中止の理由では ないだろう。技術的問題があろうが,本当に売れているのなら, 何とかするのがメーカである。これはむしろ,スポーツバイク 自体の需要が近年落ち込んでいたことをしめす。

自分自身がスポーツバイクに10年以上乗り続けていると, 自分の周りからスポーツバイクユーザが減っていくこと, 新モデルも減っていることは,前々から気づいていた。

バイクの嗜好の変化

私が高校の頃というのは,まだバイクの技術自身が, 人間が扱える範囲を越えていなかった。 したがって,年々発表される新型バイクは常に 性能的(主にパワーと車体)に 進化しており,ユーザをわくわくさせた。ユーザは 新型を何とか手にいれ,それにより,今までより,速く, いけなかったところへ行けたものだ。しかしそのうちエンジンの 進化が止まった。最高出力は不要な領域まで行き, 事故が増えたせいもあり,エンジンは扱いやすさを 目指すようになった。エンジンを支える車体(フレーム, サスペンション)はさらにしばらく進化を続けたが, ある時点からほとんど変わらなくなった。つまり 人間にとって扱える範囲を越えたのだ

こうなってくるとユーザは新型に大した夢を 持つこともなくなり,むしろデザインを 気にするようになる。最近のバイクはずっと, クラシカルなデザインで性能はむしろ落としてある のが多い。ユーザはユーザは速く走ることに 興味を示さなくなったのである。…いや 実際にバイクの進化が止まったからユーザが 性能を求めなくなったのか,ユーザが求めなくなったから 進化が止まったのかはわからない。 需要さえあれば,それなりに進化するのかも知れない。

肉体の拡大の終焉?

「なぜ人は車やバイクに乗るか?」という 命題に対し「バイクや車により肉体が拡大するのが 快感だからだ」という意見がある。 実際に乗ってると実感する。バイクや車は運転者と 一体になり,その一体になることが快感なのである。 これは上達の快感でもあるのだが,同様に楽器(道具)を 我が身のように演奏(扱える)できるようになる快感にも 似ている。スポーツをやっていて,出来なかったことが 出来るようになるのにも似ている。

つまり肉体的に新たな可能性を得ること拡大であり,快感なのである。道具は 道具を使うことにより肉体と一体化し,それは 肉体の拡大を意味する。

だとすると,ユーザがバイクの進化を求めなくなったのは, 肉体の拡大を求めなくなったを示すといえる。 車もそうだ。F1は既に性能のアップより規制を厳しくし, だんだん性能を落としている。現在スポーツカーが ちょっとしたブームだが,一過性の様な気がする。

物理から情報へ

肉体の拡大を求めないというのは物理的な拡大を 求めないということである。それはそうかも知れない。 地球はもうどこへも行けないことはないくらい,手狭に なった。物理的な戦い(戦争)も自分の国土の拡大には 使えなくなった。

しかしでは本当に拡大は終わったのであろうか? いや,そんなことはない。技術革新が求められている 分野は相変わらず存在している。それは情報産業である。 コンピュータの発達は相変わらずすごい勢いだし, 通信機器の発達もすごい。ソフトウェアもどんどん 進んでいる。これは物理的ではなく情報的な拡大 が進んでいることを意味する。 若者はバイクを買うより,携帯電話やパソコンに投資する。 野球グローブやボールを買うよりコンピュータゲーム機を 買う。スポーツを習得するより,ゲームを上達することを 望む。

つまりこれは肉体的に拡大することより情報的に 拡大することを望んでいるのである。電話やコンピュータ ネットワークにアクセスすることは,情報的に拡大 しているのだ。肉体が遠くに行かなくても,自分の 脳には遠くの情報が入ってくる。つまり感覚器(目耳等)は 世界中に行くことが可能なのである。 ゲーム機の上達はゲーム機と脳が一体化することに 近い。やはり拡大しているのである。

だとすると,やはり情報機器を使う理由は快感なのだろう。 それに情報の世界には物理的サイズが無いため,拡大は 無限のように思える。経済戦争も貨幣という情報を 使っているのである。たしかにこっちの方が可能性が ありそうだ。

こういうのを養老先生的に言うと典型的な「脳化」 というらしい。大脳化ともいえる。別の言い方を するとミームが増殖している状態とも言える。どうやら ミームの拡大は肉体的拡大より人間にとって気持いい らしい(って,わたしも同感なんだが^^;)。そのうち 入れ物がなくなって情報だけしか存在しない世の中が 来なければ良いが…


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99 Sep. 2nd


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