2008年12月の日記&雑感


だらだら書いた日記です。
日記中のURLはメンテしないので,切れてる場合もあります。 あしからず。


12/31(行く年)
今日は福岡から熊本へ移動。実家で年末年始を迎えます。
今年の総括は別途書いたので,ここではご挨拶のみ。
そういうわけで,みなさま。良いお年を。

12/30(潜伏中)
今日は一日福岡に潜伏中。というかTVのニュースも観なかったし, 街にも出なかったので世の中がどうなってるかまったくわからない。

12/29(帰省途中)
今日は大阪から福岡へ。

12/28(マーケッティングはだますこと?)
マクドナルドのクォーターパウンダーでバイトが並んでいた という話。
最初,クォーターパウンダーの話をメディアで聞いたとき, 話題になってるんだ…全然自分には聞こえてこないけどなぁ,と いう感じだったのですが,結局見てのとおりやらせだった様子。 となると話題になっていたことも嘘なのか,無理やり話題に していたのか,という気もします。
マックのハンバーガー自体あまり興味がないので,まぁどうでも いいのですが,こういうのを「マーケッティング」と言い切って しまうのはいかがなものか?という気はします。なんかTVとかでも やらせやサクラは良くやられていることでは?といったひとがいると 聞いてますが,まぁそうかもしれないけど,それをマーケッティングって いっていいのかねぇ…という気はします。
というか,じゃぁ,やらせで並んでいる姿を「話題で並んでいる」と 報道していたメディアはマクドナルドとグルだったのか?,それとも だまされたのか?どっちなんだろう?ということが気になります。 グルだったとすれば,報道というのはマーケッティングのために 民衆をだますものということになり,結構根幹的なところで 問題になる気がします。後者だったら,マスコミはマックにだまされたと 表明すべきなのでは?。
この件に限らず,最近は広告手法として,話題になる前から話題に なっている…という風にいうのが結構多い気はします。ただ一応, 新聞とか雑誌にそういうのを載せる場合「これは広告です」という 風に断ってはいるし,TVCMの中で「話題沸騰中」というのは, さすがに信じることはないのだけど,…さすがにいい加減にしたら? という気はします。

12/27(不況なのか?不況のせいなのか?)
今日から帰省開始。 夕方の新幹線でとりあえず大阪まで行きました。
ふと思ったのですが,なんとなく人出が少ない。でも,新幹線の ホームの上は人がぶつかり合っている。普段新幹線を使わない人とかが 多いからか荷物が多いからか,人出のわりに歩きにくい。
大阪について,中心街はともかく嫁宅の最寄り駅で降りたら, 電飾できらきら。そういえば,東京も相変わらず電飾はすごい。 この辺を見てると不況なのですかね?とか思う。
ただし大阪駅の周辺で食事をしたのだけど,通常の週末より 人出が少ないように感じた。不況だからか,帰省だからかは よくわからない。

12/26(仕事納め)
今日は暦どおり仕事納めでした。といっても特に何かがあるわけでもなく, 机の掃除をやってる人もいましたが,わたしは特にせず。ちょっと やっておかないといけない仕事を片付けましたが,他の部署も人が 少ないのか,新たなオーダが流れくることもなかったので,あわてる こともありませんでした。
夜は会社の人と飲みましたが,職場とかではなく別件。そんな感じで 普通に終わり,来週は一週間出社はしませんが,その次は普通に 月曜から出社。ある意味,区切りがいい年末年始だなぁ。
今年の仕事のことを振り返ると…何やってたんだろう?。いろいろと 細かい仕事に追われ,あまりやりたかったことは出来なかった。 学会で発表か論文でも書こうかと少し思っていたけど,実験すら 出来てません。9月以降は幹部会議に出ることが多く資料作りに 追われていたのは良く覚えているのだけど,前半って何やって たんだっけ?(^^;)。
ちょっと今年の後半は仕事方面で壁みたいのを感じていていたりします。 ふとネットで「才能がない、ということに気がつくということ。 」と いう文章を見かけました。以前のわたしだったら,「わたしはほとんど 挫折感を感じたことはない」と書くところなんだけど,今の心境だと ちょっとうーんという感じか?。というかわたしの場合挫折とか 才能がないとか思う前に,「やり方を変えるべきか?」,「 目指すところを変えるべきか?」とか考えて変えるので,挫折は しないのだと思います。でも今はそういう意味では少し悩んでいる 時期のようです。
会社での自分の評価のされ方からして,どういうがんばり方を したらいいのか?。会社を辞めた後の事も視野を入れて考えないとなとは 思っていて,今の仕事と将来の仕事と両方で頑張ればいいのだけど, 体調的な面もあって,両方はつらいからどっちに重点を置くべきだろうか? とか少し考えたりもします。
リンク先の文章は周りの人を見て自分の才能の限界を感じているようですが, わたしはあまり身近な人と自分を同じものさしで比べることはせず, むしろ人がやってることとは違うところで自分が必要とされれば いいと思うので,そういう意味では誰かみたいになれないとは 考えません。でもだからこそ,今の職場で自分がどういうポジションで やっていけば,一番存在感が出せるのかな?ということはやっぱり 考えます。
まぁ仕事で欲が出てきてるって事だろうし,そういうことを考えること 自体,体のほうの不安というか悲観がかなりなくなってきたってことか,と 思うと,それはそれで喜ばしいことかもしれませんが,まぁ そんな感じの今年の仕事納めでした。

12/25(経営と消費)
忘年会続きでゆっくり書いていられないので,手短に。
とりえあず,来年度の予算案が出たということで,マスコミが 取り上げてます。それはいいんですが 時事通信が予算案を家計にたとえるとという記事を 書いていて思いっきり呆れました。ついでに,産経も予算を家計にたとえるとというのを 書いてますが,こういうのってどっちがオリジナルですか?。
国家予算というのは消費をするためのものではないでしょう。 それを消費が主となる家庭の予算にたとえること自体が何の意味が あるのかわかりません。国家が大きいから小さいものにたとえたいのなら, 少なくとも個人商店,つまり国家は経営みたいなものという意味で たとえるならまだわかります。
つまり給料と税収をたとえるのも良くわかりませんが,黙っていても 入ってくるとでもいいたいのか?。それはともかく一番変なのが歳出を 食費や雑費の様に完全に消費するものにたとえることです。国の 支出は単なる消費じゃないのではないですか?。設備投資とか そういうのが一番大きいのではないでしょうか?。まぁ人件費を 消費とたとえるのであればわからないでもありませんが。
設備投資は未来の利益を生むために使うお金です。使っても資産は 完全には消費されない…のだと思います,国家財産はよくわかりませんが, 企業はそうです。またお金を使えば,それがめぐりめぐって 税収に結びつく場合もあります。そういう意味では企業が自社の 製品を買うように…と社員にクーポン券を配るのに近いかもしれません。
まぁわたしも経営のことと国家運営のことがわからないので間違ってるかも しれませんが,少なくとも国家運営が会社経営より家庭の収入支出に 近いことはないでしょう。逆に会社の予算を家庭にたとえてみても 何の意味を持たないことは誰でもわかりそうなものです。
というわけで,挿絵まではさんで力を入れてますが,なんの 意味があるのかわからない記事だと思いました;-p。こういうのを マスコミが考える庶民感覚とでもいうのでしょうか?。

12/24(老人と食べるしかない…と思った)
レジデント初期研修用資料さんの「 老人を食べるしかない」というのを読みました。 いろいろ考えさせられるし,状況認識としは反論はありません。
わたしの個人的な考えだと,今ちまたにある,高齢者の医療,年金, 少子化,若者の格差問題,教育…とかの問題はすべて核家族化に 原因の一端があって,もし家庭の多くが三世代以上の大家族になれば, 幾分は解決する気もします。年寄りと若者の家計が一緒になれば, 年寄りが金を持っていて,若者が金に困るというのは行政ではなく, 家庭内の問題になります。親ではなく祖父祖母が子供の面倒を見れば, 共働きゆえの少子化は少し出口がありますし,あと自分の子供が 自分の面倒を見るということを考えると,教育の仕方も変わるでしょう。
ただそうなると大きな問題になるのは,地方と都会の格差に なるでしょう。わたしだって上記の様に考えつつも,親と一緒に 住んでいないのは,やっぱり地方にいっても仕事があるだろうか?という 不安があるからです。また親を都会に呼び寄せるにしても,都心の 住宅は高すぎて一緒に住むには難しい気もします。
一緒に住めないから,親に関しては年金や健康保険や …そして将来的には介護も含めて行政のお世話になるのでしょう。
東京に本社がある大企業は地方で収益を上げても,多くの税金は 東京や国に行くのでしょう。地方に工場を持つ企業も多く, 雇用は地方に提供してますが,会社の利益はやっぱり 国の税金になってるように思います(この辺の税制は詳しくないので 間違ってるかもしれません)。東京には多くの仕事があり,給料も いいですが,やってることは情報とお金と人を動かすことばかりで, 実際のものの生産はほとんどしてません。もちろん,情報と 人は価値を生み出しますから重要なのはわかりますが,最終的に 物が作られ消費されないとマクロに見た場合の利益は生まれないと 思います。
この構造のいびつさは,このまま続くのでしょうか?。よくわかりません。
もうひとつ。
上には三世代が一緒に住めばという話を書きましたが,そんなの 真っ平ごめんだと思う人が多いと思います。そもそも子供が 親元から離れたいと思うのは本能みたいなものでしょう。 親子の関係がこじれにこじれた人たちもいます。でもねぇ,やっぱり 血縁というのは,そんなことで切れるものじゃないと思うのです。 嫌なこともいい事もありますが。
いまの社会の問題を大家族にして解決しようと話はほとんど聞きません。 また実際に大家族を復活すると,いままで悪習だとして切り捨てて きたものが復活する恐れがあります。家柄の差別とか,家長制度とか。 まぁでも核家族が主流となった現状も問題を生み出しているわけですから, 双方のいいところを取り入れる上でも,もう一度そういう やり方も見直してみてはどうかな?と思ったりもします。

12/23(クリスマスは終了しました)
タイトルは冗談です。
とはいえ,今年はイブや当日に嫁とは別行動なので,クリスマス らしいイベントは先週末からの飛び石連休で全部やりました。 公園に散歩に行ったり,昼食にピザを食べたり,スタジオで 遊んだり,この間四国に行ったときに買ったうどんを食べたり, 夕食でコース料理を食べたり,今日は一般参賀に行って,お昼は 丸の内でちょっと高めのランチを食べました。ついでに年賀状も 出した。クリスマスとは関係ありませんが。
丸の内で食べたランチはひとり3000円以上する食べ放題でしたが, こういうところがやっていけるっていうのは,そんなに景気 悪くないんじゃないの?と思わないでもありませんが,そこまで 混んでなかったから,やっぱり景気悪いんですかね?。時間が戻るけど, 週末に食べた夕食のコースもそれなりのお値段でしたが,食前酒を 頼んだときに値段を聞かなかったのが,わたし的には冒険でした(笑)。
あっ,ケーキは土曜に買って昨日までに食べてしまってます。というわけで, やっぱりクリスマスは終わりということで♪。
…。
話を天気の話にすると,確か昨日は20度近くまで気温が上がったのに, 今日は10度にも満たなかったらしい。なんじゃこの天気?。これも温暖化?って 事ですか?。っていうのは冗談ですが,そういえばこの夏はちょっとでも 天気がおかしくなると,「温暖化の影響か?」とかいっていたのに, 最近は以前ほど言わなくなった気がします。何故だろう?飽きたのかしら? 飽きていいような問題でもないのですが…。
…。
TVはここしばらく景気の話ばかり。今日もトヨタとかキヤノンの 工場閉鎖の話がトップニュースでしたが,トヨタとキヤノンというと 経団連の前会長と現会長の会社だなぁと思うと,なにか象徴的な ニュースのようにも感じます。
わたしは民放をほとんど観ないのでTV全体の動向は良く知りませんが, とにかくここしばらくNHKをみてるとドキュメンタリーは景気,特に 派遣の話と,あとなぜか病気の話がやたら多いように思います。 医療崩壊の話が多いのは時事的な問題だからわかるのですが, 合わせて癌とか重病で亡くなる人の,発病してから死ぬまでを 扱った番組が目立つのは何故でしょう?。先日も癌にかかったNHKのディレクタが 病院で居合わせた患者を撮ったのをやってました。
癌とか,そういうこれからは誰でもかかるだろうという病気を扱うのは 大事なことかもしれませんが,個人的にはすでにもう痛いほど 知ってるので,新しい情報とか以外だったら,もういいよと いう気がしないでもありません。これはわたしの個人的な事情なので, 真に受けなくても結構ですが。

後半は日記というより最近TVをみていて思ったことですが, そんな次第です。

12/22(三ヶ月)
今日は トヨタが赤字へということがTVで話題でした。 今年の夏ぐらいにはえらく好調だったのに,たった三ヶ月くらいで, こうも変わるのかと少し驚きます。つまりまんまと風船の様に 膨らんでいたって事ですかね?。
TVは連日の様に不況の話。ずっと不況が続いているかのように錯覚しますが, リーマンBros.が破綻したのが確か9月の中ごろ,アメリカで金融への公的資金 投入が否決されて話題になったのが9月末。そういえば自分の日記でも 9月末に「危機の始まり?」とか書いてる くらいですから,まぁまだその頃は実感がなかったって事でしょう。
というわけで,製造業が下り坂になり,来年の採用を取り消したり, 派遣の人の首を切ったりしてるのもここ3ヶ月くらいの話なんですよね?。 このスピード感に戸惑います。三ヶ月の動向で,こんなに来年度の計画から なにから一気に変えるんですか。うーむ。ここで急に景気が上向いたら …ってそういうのはありえないと思ってるんでしょうが,そうしたら どうするのかな?。
一方で派遣切りで仕事を失ったという人も,ここ三ヶ月くらいで, 住むところがなくなって,路上生活者とかになってるんですか。 すごいスピードだなぁとか,三ヶ月食べるたくわえもなかったんだなぁとか, ちょっと思ったりしました。
さてそんな中ですが,TVとかの主要メディアは相変わらず政府いじめを やっていて,あまり真剣に困ってる感じがしません。一時期より 総理の揚げ足取りとかは減ってきましたが,政府が何かやろうとするたびに 文句を言って,結局今のままがいいって事なんですかね?。 野党はあいかわらず,自分達が与党になるためには,国がぐちゃぐちゃに なってもかまわないという考えなのか,与党と協力する気はない様です。
なんか全体的に妙なんですよね。実際不況は進んでいると思うけど, まずは気持ちが先行してる。あと過度にあおっているけど,真剣に 何か取り組もうという気持ち自体が政府にもマスコミにも国民にも 感じられない。妙なバランスの悪さを感じます。

12/21(タバコ)
タバコを吸うともてるという意見をネットで読んで, ちょっと呆れたというか,自分とは縁がない世界だなぁ…と 思った。少なくともわたしはタバコを吸う人がかっこいいと思うような 女性には興味がありません。
それはいいとして,タバコ税を増税するという議論がちょっと前に 続いていたけど見送られていたようで。タバコを吸わないわたしが こういうことを書くと単なる他人事だからそう思うんだろうと いわれるでしょうが,増税すればよかったのに…と思ってます。 タバコを吸う人の方が肺がんや動脈硬化になりやすいというデータがあると 思うけど,それは科学的根拠がないんでしょうか?。あると思ってるんですが, だとすれば,タバコの税金を医療や福祉に回すことは,そんなに 理論的に根拠がないとも思えません。タバコが好きな人には いじめに取られるかもしれませんが,それでタバコの本数が減れば, その人を救ったことになるかもしれません。
同じ理屈だと酒税も上げていいだろう?とか自動車税も上げていいだろうと いうかもしれませんが,まぁそうかもしれません。ただ自動車は 産業的に大きく役に立ってるので,事故の元ではあるけど, いじめ以外に困るケースがあるかなとは思います。
わたしはタバコを吸いませんが吸ったことがあるかというと, 若い頃に何回か吸いました。習慣化するまでは吸ってませんが, 習慣化しなかったのは,何度吸っても割に合わないとしか 思えなかったこと。確かに初めて吸うときは美味しいし,気分も 良くなりますが,翌日の気持ち悪さがひどいし,それが2,3日続きました。 また吸うと気持ち悪さは減りますが,気持ちいいほどじゃない。 つまり,いい気持ちになるのは最初の一回だけで,あとは禁断症状を 抑えるだけのために吸っているようにしか思えませんでした。
わたしは,以前気持ちよくなる食べ物とかに結構興味がありましたが, タバコが一番割に合わないと思ってます。お酒は確かに禁酒明けは ものすごく美味しいけど,続けて飲んでも,それなりです。あと 単に体質の問題かもしれませんが,わたしは二日酔いになりません。 でも,そうやって割に合うからと思って飲んでいたら,癌になった わけで,そういう意味じゃ,これも健康のことを考えたら,もっと 手に入れにくくなってもいいのかもしれません。
最近は癌で手術を受ける人が目に付くようになった気がします。 わたしの親戚にもここ2,3年たて続けに続いてます。幸運にも 最も怖い癌のひとつである肺がんである知り合いはあまりいませんが, TVにでる人も肺がんで亡くなる人が目立ちます。不思議なのは, なぜそういう人たちは,タバコを癌の原因と認める発言をあまり しないのでしょうか?。関係ないのでしょうか?。
癌はみんな自分はならないと思ってるのかもしれませんが,だんだん 身近な病気になってる気がします。自分が癌になるというのは, 健康なときは想像もできないのですが,なるときは容赦なくなります。 癌はどこになるかで症状もさまざまですし原因もさまざまです。 タバコが原因になる癌が肺がん以外にどれくらいあるのかはあまり 知りませんが,少なくともタバコで寿命が延びるというデータを わたしは観たことがありません。それは勘違いなんでしょうか?。
いずれにせよ,やめたほうがいいのでは?そのために増税は いいきっかけになったんではないか?と思ってます。

12/20(休日)
そういえば,今日は自宅の周りでの行動で,電車には乗らなかった。 いい天気だったので,朝起きて洗濯をした後,太田黒公園をうろつき, お昼は近所のピザ屋。その後買い物をし自宅に戻り,夕方は杉並公会堂の スタジオを借りて嫁さんと楽器演奏の練習。杉並公会堂のスタジオは 初めて使いましたが,なんといっても安いのが良いです。
そんな感じの一日でした。

12/19(手のひらを返す)
金融危機が始まって,3ヶ月くらいだっけ?。特に今月に入ってから, メディアの大騒ぎっぷりは,ちょっとすごい。相変わらず政局がらみの 話もあるのだけど,だいぶぶっ飛んだ気がするのは わたしだけでしょうか?。
後期高齢者の話とかほとんどでなくなったなぁ(笑)。 そういえば,以前埋蔵金(特別会計)を切り崩して,社会保障に 当てるとかそんな話が結構現実味を帯びてましたが,いまやそういうことは 忘れられつつあります。特別会計を切り崩して公共事業をやるとか ばら撒くとかそういう感じになってますが,やっぱり特別会計を 使わなくて良かったね:-p。あと国債を発行するとかも言ってますが, これもあまり反対する論調はありません。
日本の自動車産業の輸出が大打撃を食らって,関連企業が大きく 傾きつつある現状に輸出に頼りすぎだったとかいうことをTVで 言っていて,ちょっと「へー」と思いましたが,確か半年くらい前に 日本にはガラパゴスとか,パラダイス鎖国があって,海外に物を 売らずに満足してるのでけしからんみたいな話ってありませんでしたっけ? ああいうことを言っていた人たちはどこに行ったのでしょう?。もしくは 同じ人がそういうことを言ってるのでしょうか?。
状況が変わったというのでしょうが,言うことが大きく変わったなと 思ってます。
それから,今,派遣切りが問題になって行政が 何とかすべきみたいな論調ですが,公共工事を無駄金といって, おそらくそこで働いていた労働者の仕事を奪っていったことは問題じゃ なかったのに,なぜ今自動車産業では問題になるのかも,よくわかりません。 自動車産業が民間企業だから?。
状況が変わったから言うことが変わるのであれば,今言ってることも, 今後言うことも状況が変われば変わるので,あまり真に受けないほうが いいと言うことになります。
いいまでメディアで言ってきたことに対して誰も反省してないし, 責任も取らない,まるでなかったことの様になってるのですが, 良くそんなことで行政や政治家に責任を取らないと騒げるなと 思います。

12/18(素人の牽引)
レジデント初期研修用資料さんの「専門家は結論を出せない」 というのを読んで,あぁそうだよなぁ,という気がしました。 確かに専門家が集まって,アーダコーダ言っていても結論がでないことは 多々あります。そしてそういう状況を打破するには確かに素人に 権限を持たせてつれてくればいい。そうすると何かが大きく変わります。
それについて 弾さんは,素人が専門家を引っ張ったほうがいい三つの 理由を挙げてます。専門家が素人のためにいるというのは, あまり同意しないのだけど,最後に専門家の力量を上げてきたのが 素人ということについては思い当たる節がたくさんあります。
というかわたし自身が経験上,素人であるえらい人に振り回されて, 良かったことが何度もあるからそうおもうのです。良かったといっても, 良い思いはせず,やってるときは結構最悪な感じなのですが,振り返ると いろいろと結果を残せたとかそういうことです。
わたしはとある技術の専門家ですが,同僚として同じ分野の専門家が たくさんいる組織にいます。そうすると,やっぱり視点が狭いというか, 一つのことの深いところばかり見てしまう。やる前に,結果を想像して, 可能性がひくことをやりたがらないとか,まぁいろいろあるのですが, そういうときに,その分野に対して素人である人がトップでやってきて, いろいろと要求条件を挙げてくる,われわれはそれを無下に出来ないから, いろいろ苦労しているうちに,自分達が思っていた以上のことが 出来てしまう,という経験を何度もしてます。
素人は無茶な要求をするのですが,本質的なことをストレートに 要求する場合が多いです。専門家の方が,些細なことにこだわったり, なんだかんだいって,自分が興味があることにもって行きたがったりします。 素人が掲げた方向性が結構無茶な場合でも,結局専門家がわきを固めるので, 意外になんとかなったりして,結果的に状況が好転することが多い。 本当に出来ないような要求を挙げてくる場合もありますが,その場合は 専門家も必死になって,それが無理なことを説明する。そうすると 本当は何が障壁になっているのか明らかになったりするとか,素人でも わかるように説明するとか,それはそれで意味があるわけです。
というわけで,素人が専門家を使うというのは,いいことが多いので, 実際いろんな組織でやられてるとは思います。まぁでも,素人に 使われている専門家は,まぁ大変でちっとも楽しくなかったり するのですよ(苦笑)。だからそれが嫌だったら,やっぱり 専門家の中で素人にわかるような結論をしっかり出すことなんでしょう。

12/17(ユニメディアズ)
東京で山手線とか中央線とかに乗ったことがある人はご存知でしょうが, いまこれらの電車には社内でTVが流れてます。もちろん地上波とか そういうTVではなく,その路線専用に作られたコンテンツで, たぶん路線で違います。中央線に乗ってると,例の夫婦マンガが いつも流れてますが,あれ山手線は流れてませんよね?。
それはいいとして,今日どこかのブログにこれらのコンテンツは 無声映画と同じなはずだけど,トーキーのセンスで作られたものが 結構多いと書いているのを読みました。なるほど,と思ったというか, たしかにこういう音声がない動画像でおもしろい作品を作ろうとしたら 普通の動画像とは違ったセンスというか演出技術があるんだろうなぁと 思いました。
無声映画がトーキーになったとき,よりリアルになったとたぶん 認識されたはずで,白黒からカラーになったときもそうでしょう。 これまでコンテンツはより現実に近くなる形で発展してきたし, それはより「マルチ」メディア化していく方向性だったでしょう。 音だってモノラルからステレオになったり,帯域が広くなったりと よりマルチ化し情報量が増えていきました。
でも,ここで無声映画の演出がまた望まれているとかいう話を 聞くと,そういう方向性が逆転することもあるのだなぁと思いました。
考えてみると,わたしは最近電車の中でiPodを聴いてますが, 音楽の場合は音楽を再生しながらiPodのゲームをやったり,マンガを読んだり することもあります。ゲームに音楽がついていると邪魔なので, あえて止めたりして,iPod内の自分の好きな音楽を聴きながらゲームを することもあります。ゲームを作った人からするとゲームにつけた 音楽や音の方がよりゲームをリアルにするものなんでしょうが, わたしは別の好きな音楽を聴きながらやったほうが楽しいのです。
まぁこういうこともあるなぁ,と。コンテンツをよりマルチメディア化 していくことは,技術屋の目標というか方向性としてあるように 思いますが,あえてメディアをマルチ化せず,バラバラのままにして 好きに組み合わせて使うほうが良いこともある。電車の中の 動画像だって,映像だけで音がないから邪魔にならないし,自分の 好きな音楽をヘッドホンで聴きながら映像を楽しむこともできる わけです。マルチじゃなくてユニメディアの組み合わせというか, そういうことかなぁと思いました。

12/16(ネット徒然)
今日も歯石を取りに歯医者に行った。結構痛いですね…。
なんとなく頭がさえないのでネット徒然 …
スタバがダメになった理由だそうで。 わたしは未だにスタバはよく使いますが,持ち帰りが多いです。 なんかスタバって,一時期席が空いてなくてもオーダを通すので 嫌だったのですが,最近少しましになって気がします。 ただ,昔一部の人が結構スタバを熱狂的に言っていて,そこまで ありがたがるか?と思ったことがあります。おらが町にスタバが 出来たと自慢している人もいたなぁ。なんかブームになると必ず 「廃れ」ます。だからダメになった理由は,ブーム的に扱われたから っていう気もします。
…。
ザウルスが生産終了していたとのこと。現役 バリバリで使ってるので,困るといえば困るんだけど…。まぁ ここ2,3年の動きを見てると,ついにきたかという気はする。
ところで電子辞書は売れてるようですが,電子辞書にザウルスの アドレス帳とスケジュール移せないかなぁ。ブラウザとかメイルとかは 別のマシンでやってるから,この二つだけできるだけでいいんだけど。

お風呂の塩素抜きにはビタミンCを入れれば いいって事ですかね?

12/15(必要だけど増えたらよくないもの)
夜帰ってきてNHKをみたら派遣社員の人たちが解雇されて大変, みたいな話をやってました。そういえば,派遣社員の問題は, 別に今の金融危機になる前からずっと言われているんだよなぁ…。
ところで,今日ネットで「 努力しない人を国家が救済すべき14の理由」と いう文章を見かけた。ひどい書き様だなぁと思う部分もありますが, そうだよな,と思うことも結構あります。
まず努力しないことが道徳的に悪ではないというのは,そう。というか, 努力しろ,しないと普通に暮らせない,というのはちょっときつすぎる 社会だと思います。もちろん努力しないと豊かになれないとか 贅沢になれないというのならわかりますが,質素に普通に暮らす分には そこまできつくしなくてもいい,というの社会を作ろうとしていたのでは ないでしょうか?。もちろん,努力というのも程度問題だし豊かさという のも程度問題だとは思います。
あとこういうことを書くと不快に思う人も多いかと思うのですが, 社会はたぶん,ある程度貧富の差が必要であり,つまり貧しい人が いないと回らない部分がある様に思います。
なんとなくこの文章と,NHKのをみていて思ったのは,貧しい人というのが 社会の構造上生まれてしまうとしても,現在の問題は,その人数が 多くなりすぎていることではないでしょうか?。本来はこんなにいたら まずい。もしくはメディアで目だってとても多くいるように見えるのが 問題な気がします。日本は民主主義だから,貧しい人が増えたら, 当然貧しい人のための政治になってしまい,企業の側にたった 政策が出来なくなります。そのためにも,貧しい人はある程度まで 減らすべきだし,残りの貧しい人も,不満が爆発しない様に すべきでしょう。
それからNHKの番組ではオランダの件が取り上げられてました。 オランダはワークシェアリングとかで一時期成功しましたが, でも現状はヨーロッパとアメリカと日本を比べると,金融危機的には 一番ましなのが日本なので,はたしてヨーロッパをまねるのが いいのか難しいんですよね。そしてみんな無視してますが,オランダは 患者が医者を勝手に変えることができません。経営者が雇用者を 簡単に首に出来ないのと同じように。そういう社会なんですよ。 そういうことを考えると現状,欧米に学ぶ部分があるのか, 少し疑問に感じていたりします。

12/14(ネットワークディスク)
ネットワークハードディスクであるLS-H1.0TGLを昨日買いました。PCに連動させて 電源をON/OFFさせようと,スイッチを切り替えても,いまいち反応 しない気がしたので,気を取り直して,一度電源を落としたら, 落ちない。ソフトスイッチなので,シャットダウンしてるのか?と 思ってみていたのだけど,数時間たっても結局落ちず,ずっと 電源のランプ(緑)が点滅してました。ネットワークからもアクセス 出来ず。5,6時間たっても変わらないので, 結局電源を抜き,再度さして電源ON。起動後設定画面をユーティリティ ソフトやWebで開くと出来たので,ディスクチェックをかけて 異常無しで使ってます。
うーむ,ネットワークディスクっていまいち信用できないのか?。
ちなみにマックの方は,いろいろあって,もう少しするとたぶん 落ち着くので,そしたら書きます。
今日は午前中は雨で,午後からやんだけどすごく寒くなりました。

12/13(マインドコントロールと疑似科学)
昨日最後に書いた話の続き。
今年すごく売れた本として血液型占い(診断?)の本があるらしいです。 …って話を会社で誰かが話していて,「研究者が占い信じるのか?」 みたいな話がちょっと出ました。
血液型による性格診断は一時期はあたかも科学的なことのように とらえている人もいたようですが,最近はマスコミも微妙に科学的 根拠はない…という感じのことを匂わせているように思います。まぁ 嘘を言って訴えられるのを避けてるのかもしれません。
しばらくネットでは,疑似科学の話題がずっと続いていて,基本的には 疑似科学を悪いことの様にいいます。疑似科学が非科学的なことであり, それを科学の様に言うのは確かに嘘なんですが,じゃぁなぜ悪いかが, ちょっと不明瞭の様にわたしは思います。嘘だから良くないというの でしょうけど…。
わたしは一応研究者だし,工学者という方が正しいのでしょうけど, 自然科学の上に工学は成り立っていると思ってます。ですから, ある意味唯物論だし,世界は自然科学の法則で成り立っているとは 思ってます。でもだからこそ自分が見たり感じたり考えている「意識」の 正体がなにか?というのはずっとよくわからず悩んでます。自分の 周りに科学的法則で成り立つ世界があるのは確かでしょう。でも われわれの体はそれに直接組み込まれていても,われわれの意識は そこには直接は組み込まれてません。われわれはわれわれの体の 感覚を通して世界にアクセスしているし,意識は脳や神経や体の いろんなものつながり,ものごとを捕らえているのでしょう。
それで,どう考えても人間の感覚は物理現象や化学現象を客観的に 捕らえられてません。錯覚があることからも明らかです。それは 科学的にわかってます。あとプラシーボ効果がある様に,感覚じゃなく 知識や思い込みで体調が変わることもあります。これもこのこと自体は 科学的にわかってることでしょう。
つまり自分の意識が科学的じゃない以上,そしてその非科学的な 意識で体調までが変わる以上,科学的な視点だけで世界を捉えていても, たぶんうまく行かないだろう,というのがわたしの考え方です。 言い換えれば,自分のココロは非科学的なのだから,それをコントロール するために非科学的なものを利用するのは別に非科学的ではないと 思ってます。
というわけで,占いとかを引き合いに出すと,占いで自分のココロが コントロールできるのであれば使うのも有効だと思います。疑似科学だって そう。ただし,疑似科学を嘘と思ってる人には効かないので, 誰に有効かそうでないかというのは,一概に言えません。有効な 疑似科学を擬似と暴くことは,有効な手段をひとつ失うことになるので, まぁデメリットもあるわけです。
宗教とか呪いとか,そういうのもそういう側面もあるでしょう。 薬物とかにたよって気分を返るよりよっぽどリスクが少ないと思うし, ライフハックとか自己啓発より簡単な場合もあります。
じゃぁわたしが疑似科学賛同派かというと,まぁそうでもなくて, ココロのコントロールはあくまでも個人の中の話なので,あまり組織だって 強制的に人に信じ込ませたり,世間に広げるのはどうかとも思います。 わたしは自分に有効なおまじないは利用してますが,誰かにだまされて, 財産を取られるのも嫌です。その辺の判断だ出来ないと,まぁ 痛い目にあうかなとは思います。
危ない擬似科学かどうかというのを,冷静に判断できるものさしが 必要だとは思っています。

12/12(ネット徒然)
ネット見て徒然…。
匿名日記に載っていた医者が書いた風邪の対処法。参考になるので紹介。 おおむね同意。まぁ基本的に風邪は人間自体の回復力で治すべきで, つまりは薬を飲んで働くようなことはせず,とりあえず安静にすれば そのうち治るよと。
次。
海外の掲示板に 日本人が禁忌としていることが議論されていたらしい。
理由には誤解があるけど,項目自体はまぁあっているなぁ。それにしても 食べ物を大事するのが「食糧不足だったから」と書かれていた ことに驚いた。食べ物を大事にするのは特殊なことなのか。 いや,なんというか,「もったいない」に当たる言葉が ないわけだよ。
次。
科学を規範とすることと信仰することは 区別できないという話。かな。まぁわたしもそう思う。というか 実際科学を信仰しているというか,科学で言われていることを 自分で確かめずに,無条件に信じている人は多いですよね。 科学と宗教の線引きって難しいと思うけど,誰でも追試可能ってことは 重要な自然科学の条件だと思います。でも,普通は偉い人が いったから,というだけで信じているでしょう。つまり 科学を規範にしていても,それを用いる態度自体が宗教みたいな 態度になってるわけ。それに宗教だって「論理的」であることは 結構担保されているので,そういう部分では区別できない。 自然科学と哲学と宗教はすべて論理的な構造,というか論理的である という人間の思考構造が生み出した産物だと思う。
話が変わるけど,科学者でも宗教を信じていたり,まじないを 信じる人は結構いるし,それが変なことだとはわたしは思わない。 その辺の話を書き出すと長くなるので,また別途。

12/11(マック壊れた。不景気)
昨夜自宅でiTunesに使っているマックがいきなり固まり,以降 立ち上がらなくなりました。ディスクも見えない状態ということで, 大変あせっているのですが,今日はなんとか立ち上がったので, 外部ディスクに音楽ファイルをバックアップ中。それが済んだら, ディスクチェックをかけたりとかするつもりですが,まぁ 内蔵ディスク交換でしょうね。調べたらパーツだけだと1万くらい。 交換も頼むとさらに一万くらいか。どうしようかなぁ…。
このままマックを使うのをやめるって手もあるのですが,そうなると iTunesマシンをWindowsにするってことで,iTunesって マック版とWindows版で,使い勝手が違うんですよねぇ。。 まぁこれを気にコンテンツはネットワークディスクとかに移すかなぁ。
というわけで,ちょっと昨夜からばたばたしております(苦笑)。
…。
ニュースで世間は結構騒がしいとは思いますが,自分の身近なことで ばたばたしてるので,あまり感想は浮かばず。ただサブプライム金融危機が 起きたのって確か9月くらいだったと思うのだけど,三ヶ月くらいで 大規模な人員削減をするっていうのは,驚いたというか,そういう 物なのか?。すこし世の中のスピードについていけず驚いてますが。 もっともリストラが盛んなのは海外のほう,日本も海外事業所とか 日本にいる外資系の方が盛んだと思うのですが,ニュースが 日本のことの様に報道するので,まるでそれが当たり前になると いやだなぁと,少し思ってます。

12/10(歯医者)
先週書きましたが,虫歯というか,歯がポロリとなったので, 昨日から歯医者に行ってます。とりあえずポロリと行ったところは 詰め物をして,他の歯石などを取ってるところ。しばらく行くことに なりそう。 ちゃんと歯医者で治療をするのは,8年ぶりくらいか。

12/9(死にいく事,残される事)
朝日新聞に 末期がんの妻を死なせた男性の話が載ってました。
最初朝日新聞はこういう男性に手紙を出すのか…とか思いましたが, 実際男性も電話で語ったということは,男性のほうも何か世間に 語りたいことがあったのでしょう。まぁその心情もわからないでも ありません。
というわけで,記事を読んだのですが,かなり重いなと思います。 なんかすごく悲惨なことの様にかかれてますが,わたしには全然 特別なことに思いません。つまり悲惨なこと…と他人事の様に 見えるのではなく,自分の未来のようにも見えます。
夫婦で暮らしてどちらかががんになり苦しんで,残ったほうが 観てられない…なんていうのは,普通にありそうです。というか 人間は必ず死ぬのですから。また子供達と別居していて,介護して もらえないという話もありそうです。
というか,この二点だけ見たらうちの親とかすぐにでもそうなりそうです。 そういう意味で全然他人事ではありません。
この事件を起こした夫婦がなぜそうなったのか,わかりそうで わからなそうで…という気はします。自己破産に追い込まれて 家も失ったことが,彼らを追い詰めたのか?。なぜそうなったのか, いろいろ考えてもいいのですが,まぁこの辺は実際のことなので, 第三者があまり想像しても仕方ないのかもしれません。
とにかく,この方たちが大変だったのはわかります。残された ご主人は今後少しでも心安らかに過ごせたら良いと願います。
…。
一般論にしてしまいますが,自分のことを考えても,自分がまた 病気になって治療にいろいろとお金がかかる場合に,いくらまで 使うべきかというのは,わたしも非常に悩ましく思ってます。 保険の範囲で行えばもちろん上限はありますが,差額ベッドや 通院とか,保険以外にかかる費用もあります。わたしの親も 田舎で病院にいくのにタクシーを使ったりもしてますが,お金は 足りているのだろうか?,とか心配になります。また保険範囲で 手に負えなくなったときに,保険外の治療に手を出すべきかどうかも 非常に悩ましいです。この問題は混合医療が話題になったときも 悩みました。
個人的には身近な問題ですが,まだ答えは出ません。自分の親のことを 考えても自分のことを想像しても,死にいく人のためにどうお金を 使うのか,残された人のためにどれだけの財産を残すのか, きっとそのときに走りながら考えるのでしょうけど…。
あとがんの治療の話で言うと,緩和治療とか死にいく人の苦しみの 話もあるのですが,…,その話は今回はおいておくことはします。 重要な話というか,そういうのもあるので,そのときにならないと わからない話でもあります。

12/8(感覚系)
感覚系の記事紹介を三つほど。
スウェーデンでカメラとHMDで人体入れ替わり実験を 行ったというニュース, Wiredでも話題になってましたが,これ 八谷氏が視聴覚交換マシンとして15年ほど前に 発表している内容とほぼ一緒です。この装置,八谷氏が大学生の頃 学祭に「実験テレビ」というイベントでプロトタイプをやってます。 20年位前かな。と同窓生のわたしは思うのでした:-p。まぁ面白い 感覚だとは思いますが,このニュースに関しては,日本ですでにやられて いることが知られてないのね,というのが一番の感想。
次。
音の錯覚の話。こちらはわたしは専門なので。 でも最初のデモは始めて聴きました。ちょっと「へぇ」という 感じ。時間的に離れた刺激がグルーピングされてしまうことは あるのだけど,意外に思ったのは,空間の処理は,音程とかの 処理よりも早く行われていると思っていたのだけど,この結果からだと, そうともいえないわけか,と。音程的な距離で空間が狂ってるので, 統合されて狂ったか,音程の距離の方が先にされちゃったのか?。
中島先生のデモは音自体は初めて聴きましたが,人間は刺激を 微分とか積分とかして聞いている部分が結構あるので,これ自体は, 結構納得のいくものです。
次。
次は研究の話じゃないけど,触覚の錯覚を楽しむおもちゃらしい。触覚だけだと 目新しくもないけど,視覚が効いてるのであれば,ちょっと どういうものか触ってみたいです。視覚の精度はどれくらいが いいとか,いろいろノウハウはあるのだろうか?。4000円ですか。 うーむ,気が向いたら買うかも。
というわけで,人間の感覚はおもしろいと話でした。

12/7(Wii Fit)
Wii Fitを買いました。というかWii自体も持ってないので 一緒に買いました。あわせて3万2千円くらい。なんかすごいなと 思いました。ゲームもすごいけど,それ以前に値段設定がすごい。 良くこの値段で出せるなぁ。パソコンとかの相場感からすると 考えられない。
ゲームのほうはちょっとやっただけなので,なんともいえないけど, やってみた感じだといい感じです。DSを買ったときも思いましたが, ニンテンドーは新しいインタフェースを取り入れて,新しいゲーム感を 作り出すのがすごいなぁ。DSにしてもFitにしても,これまでゲームを やらなかった人にも売れているということですが,他のゲームとかが ハードパワーを上げて,値段も上げて…というのは,明らかにいまの ユーザに更なる高性能を…という狙いなのに対し,ニンテンドーは 新しいインタフェースと,新しいゲームジャンルを低額でだして くるわけですから,ゲームをやってこなかった人にも非常に 参入障壁が低いわけで,その辺の戦略がすごいなと思いました。
まぁゲーム機に関心がある人には,いまさらな話題でしょうが, 実感したということで。

12/6(ずいぶん前に決まったのに…)
夜,NHKで裁判員制度の話をやってました。一般視聴者をスタジオに 呼んでのディスカッション。この手の形式をNHKはよくやりますが, 大体話が発散します。まぁそれはそれで中立なのかもしれませんが, 観てるほうはちょっと疲れます。
実際に模擬裁判をやって,みんなで見ていくみたいなこともやってました。 終盤をざっと見ると裁判員制度に反対している人の方が雄弁という 印象がありましたが,その理由が「死刑とかそういう判決をださなくては いけなくて重い」というのが一番強かった気がします。言い換えれば, 「やりたくないから制度が良くない」という意見の様に取れました。 「裁判官はプロだけど自分達は素人なのに」みたいな感じでもありました。
言っている事は心情的にはわかりますが,それ以前に,なんで今頃 そんなことをいっているのか?というのがわたしの一番の感想です。 裁判員制度が国会で決まったのは1年前だっけ?2年前だっけ?,ずいぶん 前の話です。こういうことになるのはもうずっと前からわかってきました。 それを今になって,やりたくないから制度が良くないっていうのは, どういうちゃぶ台返しだ?と思います。結局,みんな自分には無縁だと 思っていたのか,実際にそのときがくるまで少しもどうなるか 考えてこなかったのか?という気がします。反対するのであれば, 法案が出来た時点で反対運動をするなり,議員に陳情するなりすべき だったのでは?。
それから,そもそも裁判員制度が始まった経緯を皆さん真剣に考えてない 様に思います。裁判所ででた裁判の結果に(マスコミが)おかしいといい, 裁判官が一般市民と感覚が違うとか批判していたのと,裁判自体の 期間が長いことが問題となったので,この制度は始まったはずです。 つまりこれまで裁判に対し,散々文句を言ってきたので,じゃぁ 皆さんでやりましょうという結果になってるだけで,今になって, 自分はやりたくないので,裁判官でやってくださいというのはおかしく ないでしょうか?。 だったら最初から結果に文句を言うべきではありません。
こういう話はたくさんあって,医者に対して文句を言ってるのも 結果的に一般の患者にとばっちりが来ます。今政治に対してやたら 文句を言ってますが,それだっていずれ市民にとばっちりが来ますよ。 文句を言っても自分達には影響がないと思ってるのかもしれませんが, くると思います。
もっとも文句を言っていたのはTVにでていた人たちやマスコミであり, NHKにでていた一般の人はそもそも文句を言ってなかったのかもしれません。 だとすれば,われわれ市民はマスコミの騒ぎのとばっちりをうけている だけで文句を言うのは裁判の結果を取り上げて騒ぐマスコミに対して なのかもしれません:-p。
話がそれますが,死刑や無期懲役をだすような重大事件だからやりたくない という意見もありましたが,じゃぁ軽犯罪だと軽く判決を出せるのか?と いう意味で,それもずいぶん無責任な発言だなぁとも思いました。

12/5(虫歯)
今日昼食後,楊枝で歯の掃除をしていたら,ポロ…と歯が欠けた(^^;)。 というのは,わたしは元々親知らずの一本が虫に食われて,へこんでいる 状態になって,そこに引っ掛かりがありました。それがボロッと 折れたのでかけたのです。
でもこの歯,この食われていた状態が,もう15年以上か?続いていて, すっかり自分の中で虫歯は進まなくなっているものだと思ってました。 ちなみに虫食いだけかと思っていたら,鏡で観たら,この部分にも 詰め物をしたような感じもあり,つめものごと取れたのかもしれません。 よくわかりません。黒いので詰め物じゃなくて虫歯かもしれませんが。
さて,15年以上進んでいなかった虫歯が進んだ理由を考察。
一番考えられるのは,わたしが病気で手術をしなくなっていらい, お酒をほとんど飲まなくなったことが,虫歯が進んだ原因じゃないか?と いうこと。ただし酒を飲まなくなったので,変わった習慣がいくつか あるので,酒自体じゃなくて,そっちが原因かも。
ひとつは以前に比べて甘いものを食べるようになったこと。酒飲みの頃は 甘いものはすごく苦手で,ほとんど食べませんでした。今は毎日お菓子を 食べます。夕食後は避けてますが,それでも果物も食べるし, それ自体が原因かも。次に,甘いものは食べませんが,風呂上りに 炭酸水を飲みます。レモン汁を入れたりお酢を入れたりすることもあります。 歯に酸性のものは良くないという話を聞いたことがあります。 甘いものよりもこちらの方が問題である可能性もあります。
もちろんお酒…とくに以前は蒸留酒を飲んでいたので,虫歯菌が 殺菌されていたのかもしれませんが,その辺は良くわかりません。 歯は寝る前にちゃんと磨いているし,リステリンとかもたまにするので, 酒ほどじゃないけど,殺菌するならそっちでされている可能性もあります。
というわけで,要は甘いものを食べるな,寝る前に炭酸飲むなって ことなのかしら?。甘いものはこれから徐々に減らしていくかな?と 思ったりもしてますが,炭酸水というか風呂上りに飲むものは 少しは爽快感があるものを飲みたいのだけど…。
まぁそんなことより,来週歯医者に行ってくるとします。

12/4(物欲の終焉)
森先生の「 ものを欲しがらない若者」という文章を読んで なるほどと思う。今の年寄りはものがない時代に育ったから, ものを買うことにカタルシスやステータスを感じるけど,今の若者は, ものがあるのが当たり前なので,ものを買っても餓えは乾かないと 言うことらしい。
自分の父親を見てると,昭和一桁だけど,もうつまらないものばかり買う。 そして物を捨てない。ふとお店で見かけたり勧められたりすると, すぐかって,それを家族に与えようとする。こちらが要らないというと すごくがっかりする。だって必要がないもの買ってくるのだもの。 ものを買うことにも喜びを感じるけど,それを家族に分け与えることにも, なにかステータスを感じている様子。
まぁ物を捨てないのは,ものがない時代に育ったからだとは思ってたけど, わたしはむしろ家の空間の方が物よりも高価だと思ってるので, 場所をとるものは捨てたいと思うのだけど,捨てるとひどく怒る。
わたしの場合は確かにものを買うこと自体に快感を覚えなくなったのは, もしかしたら大人になってからかもしれない。若い頃はほしいものが それなりにあったけど,ほしい物を一通り買って,あとほしくて買って ないものは,家ぐらいなので,ちょっとすぐには無理だよなという 感じ。
実は10年位前に,「 身体の拡大の終焉」という文章を書いた。これは,バイクが モデルチェンジをするたびにスペックが上がっていた時代が 終わったので,新型を買うことに成長を感じなくなったという話。 バイクや車はそれに乗ることで自分自身の拡大を感じるのだけど, バイクは買い換えても更なる成長はなくなったし,車もやがてそうなる だろうと。実際今の車はそうなってると思います。そして, これからは物理的な拡大ではなく情報の拡大が人自身の拡大と なるだろう…と書いてます。
森先生が書いてる話とわたしが書いてる話は少し違うのだけど, 今の若い人がものを買ってそれにカタルシスを感じることがなくなっている という意味では似てます。わたしは理系だし技術屋だし,バイク屋 楽器やメカが好きなので,新しい方式の機械を手に入れるということに かってはカタルシスを感じていたので,森先生が言う若者とは すこし層が違うのかもしれません。歳も20歳くらい違うし。
まぁ,でも今の年寄りが未だに物欲があり,お金があるのに金がないとか 言ってるのに対し,どうも若者はそうではない様だというのは よくわかりました。そして若い人の枯渇はいったいどうすれば 解消されるのか?,難しいなと思います。

12/3(麻生さんより小沢さんが高いのが腑に落ちない)
そういえば,昨日だっけ?麻生総理の支持率が下がったとか言う 調査を報道していました。 香織タンのブログに支持率調査の結果が載ってましたので, リンクしてみました。TVやラジオの取り上げより詳細なので 参考になります。
まぁ,景気自体は後退してる感が強まってきてるのだろうし, それでいて二次補正予算が出てこなかったり,給付金でくだらない 悶着が起きていて進まないので,支持率が下がったのかなぁと いう気はします。でも悶着して進まないのは,マスコミと 野党のせいじゃないか?という気がするのですが,どうなんですかね?。 とりあえず,やらせてみればいいのに。その辺も含めて指導力とか 言うんでしょうけど,自分で足引っ張っておいて指導力がないとか いうんだから,都合のいい話です。
そういうわけで,麻生総理が支持率が下がってるのはわからないでも ないのですが,小沢さんが意外に総理にふさわしいという答えている人が 多いので驚きます。説得力があるらしい,本当か?。
わたしはとりあえずやらせてみたらいいのに。そうしたら本当に 指導力があるかないかわかるのに,と思うのにマスコミや野党は そう思わないようです。まぁ元々総選挙が近いだろうってことで, 総理になった人なので,叩かれるのは仕方ないのですが,マスコミ いじめが好きな人だから,マスコミ受けがわるくて,だから叩くんだろうなと 思ったりもしてます。
ただ,先代とその前の首相を観てると,今の総理に必要な能力は, 政策能力とかよりもうたれ強さの様な気もするので,そういう 意味では,麻生総理はあってるんですよね。あっ,小沢さんも相当 うたれづよいので,そういう意味ではあってるのか。まぁでも 小沢さんはやっぱり腹の中が見えないのと,たぶん民主が与党になると, 内閣とかの運用自体が滞る気がするので,わたし自身は政権交代には 否定的です。何度も書いてるけど。

12/2(好きなものをさらすこと)
kaienさんが「胸をはって好きといえるものがありますか?」 と書いてました。わたしは,「あります」といえます, 別に胸張らなくてもいいけど。 まぁマンガが例だったのでマンガでもいいのですが,音楽でも 芸術でもいろいろ。ドラマとかはマジで観ないので,いえないのですが。
ここで書かれているように,何でも好きといわない人はいて, 口を開くとケチばかりつけます。以前音楽系のMLにいたり, 音楽批評系のネットニュースとか,そういうのも盛んに観てましたが, 感想とか批評というと悪い点をあげるだけの人が結構いました。 まぁ自分で感想を書いたりしてると,なるほど,ほめるって言うのは 結構難しくて,八割がいいと思っても残りの二割のけちを書くほうが 書きやすいのです。だからわたしはほめる批評の方が高度だと 思っていて,それもあり自分はなるべく物事のいいところを取り上げる ようにしてます。
kaienさんがほめるのはリスキーだと書いてますが,これは気持ちは わかりますが,一方で物事をポジティブに言う人の方が成功してるって 気もします。ライフハックとかでも, ほめましょうとか挨拶しましょうとかいうのを よく観るので,実際は誉めたほうがいいことが多いようにも思います。
でもたぶん,物事をほめたり,好きだということは勇気がいるんだと 思います。リスキーというのは印象だけで,実際はそうじゃないのに, そう思ってしまうのだと思います。
少し違うことを書きますが,子供は自我を確立するときに物事に 対し否定的になります。「いやいや」といい始めることから始まり, 思春期には親や,社会を否定します。これは乳児が周囲と自分を区別 出来ないのが,成長するにつれて,自分という形を切り出していく, そうしてようやく自分という個が出来上がります。
つまり自分を周囲から切り出すために,一旦周囲をどんどん否定して 行く必要があるのです。「周りと自分は違うんだ。あいつと自分は 違うんだ」といわゆる中二病です(笑)。
さて戻ると,「他」に対して肯定的であるというのは,リスキーと 言うよりは中二病が続いているようにわたしには見えます。趣味とかで 好きであることを堂々というのも,もしかしたら他の人と同じものを 好きといってしまうかもしれません。そういう意味ではリスキーなんですが, 周りに嘲笑されるリスクというよりは,自分の個が揺らぐという 意味でのリスクなのかもしれません。
まぁわたしは歳をとったのでいつまでも中二病をやっているよりは, 周りとあわせて,物事をポジティブに捉え,自分の好きなものも どんどんと主張し,相手の好きなものも尊重するほうが,物事は うまく行くと思います。難しいんだろうなとは思いますが。

12/1(NHKスペシャル がんの話を観て)
NHKスペシャル「さまよえる がん患者」をみました。 実はこの番組の番宣を観たとき,とても怖い内容でみたらおびえて しまうのではないか?と少し不安だったのですが,実際見たら そうでもありませんでした。
番組の内容は,要は末期がん患者ががん拠点病院から追い出されて 他の病院にいかざるを得ない状態になっているという話でした。
確かに怖い話ではあるけど,完治が見込めなく,さらに抗がん剤も 効かなくなった患者というのは後は緩和処置になるので,がんを 治療するための病院にいても仕方ない,というのは,少なくともわたしは 以前からわかっていたことで,特には驚きません。怖いのは再発すること, 抗がん剤が効かなくなることであり,病院の体制や処置というのは, あまりがんの悲惨さの本質ではないとわたしは考えます。
それに,国ががん対策基本法で拠点病院を作ったから,がん難民が増えてると いうのは,つまりがんの治療強化の病院を作ったから,そこに入れない人が いるという,なんか言葉遊びの様にも思えます。強化をすれば,当然 病院に差が生まれるのは当然で,その結果,治療の優先度が高い人が, そこを使い,治療方法が無くなった人がそこを去るのは,なんか 当然の様にわたしには感じました。
むしろがんの怖い面を直視せず,国とか組織とか病院のせいにして ごまかそうという感じがしてそちらの方が少し不快でした。確かに 抗がん剤も効かなく末期になった患者からすると,がん拠点病院を 追い出されるのは,ものすごくいやでしょう。病人は些細なことで 悩みます。そして家族も悩みます。でも,それは制度がどうであれ, 完全には解消されない悩みです。常にそのとき最高の治療を受けたいと いうのが心情でしょうが,その治療がない場合の絶望だったり, 最高をみんなが受けられない場合の絶望だったりするのですから。
がんの再発の怖さというのは,意外に…というかわたしもかっては あまり考えたことがありませんでした。そういう怖さを伝えるという 意味では,今回の番組は意味があったのかもしれませんが,国の制度だけを 責める様になっていたつくりにはあまり賛同は感じませんでした。 むしろその怖さの中で,家族などの周りがどう支えていくか?,そして 自分がそうなったときのことを少しは考える,そういうことの方が 大事なことの様にわたしには思えます。


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