2010年1月の日記&雑感


だらだら書いた日記です。
日記中のURLはメンテしないので,切れてる場合もあります。 あしからず。


1/31(無縁社会)
NHKスペシャル 無縁社会をみました。
現在日本で身元不明の自殺者,または孤独死が増えている。また 障害未婚の人が増えており,歳を取るとやはり孤独死となっていくと いう話でした。
無縁社会という話はこの番組以外も9時とかのニュースでしばらく やっていた気がします。時々見てました。
よくわからないのは,このような話が,あたかも現在の日本での 問題の様にいわれますが,無縁仏というのは昔からあるし, それこそ長男以外は正式に結婚できないというような地方や時代も あったように聞きます。本当に今の日本の問題だったんでしょうか?。
もっとも,そう思う一方で,子供が成人すると都会に出て行って 年寄り夫婦が田舎に残されるという構図は現在の日本の問題かなとは 思ってます。今回の話とは若干違うんでしょうが。
ただ,子供が親と一緒に住まないのも,はたまた男女が結婚をせずに 一人で過ごすのも,都会化や近代化により利便性を求めた結果とも いえます。昔は結婚できないと暮らせないという状況だったのが, 一人でもそれなりに暮らせるように社会を作ってきました。年金だって 子供が親の面倒を金銭的にみなくていいように作られたとも いえるでしょう。
結婚というと,あう相手を見つけて幸せになるためにするという イメージだって現在の日本で作られたイメージですが,一人では 生きていけないから結婚するという社会だってかっての日本には あったのでは無いでしょうか?
そういう意味でいうと,無縁社会というのは一人でも生きていける 社会と表裏一体の様にも思います。助け合わなくてもやっていける 社会を作った結果助け合いにくくなった…と。
少し状況が変わってきてるなと思うのは現在婚活が盛んに 言われるようになってきてることです。婚活という運動が根付くのか その辺は良くわかりませんが,さらに親子の関係も何か新しい 動きがあればいいなとは思います。

1/30(ネット)
先週末は福岡だったので,今日は東京で片付けなど。掃除洗濯, 頂いたベビーカーを洗ったりそんなことをやった後,ちょっと 久しぶりに音楽ソフトなどをいじってみる。
夕方吉祥寺でSIDE STEPSというバンドのライブがあったので 行ったのですが,行く時間が遅くてもうほとんど終わりかけでした。 ので,ライブの感想は無し。すみません。
このバンド,かって音楽系のMLでメンバー(リーダー)との交流があって, その関係でライブにも10数年来の知り合いが結構来ていて,ライブの後, 久しぶりに交流を深めました。
昔は一日に数十通メイルがやり取りされるようなMLだったんですが, いまはつきに数通程度になってます。他の人はどうしてるのか?とか 聞くとTwitterとかやってる人とかmixiやってる人とかもいますが, イマイチそこで盛んに盛り上がっているという感じでも無いらしい。
なんか我々の世代が知らないところで盛り上がっているという感じでも無いね, とか,若い人が我々と違った使い方をしてるって感じでも無いねという ような話も。自分達と例えば20年上の世代ってディジタルデバイドが 凄かったけど,いまの20代と我々ってそんなに無いのでは?みたいな 話もした。まぁ単に我々に見えないだけなのかもしれないけど。

1/29(寄付マーケッティング)
昨日読んだレジデント初期研修用資料さんの「 弱い何かに財布を接続する」という文は, 自分のためにお金を使う人は減ってるけど,誰かのために お金を使うことはまだまだあるだろうって話でした。子供のために お金を使うとか,あと寄付とか。
そうだよなぁ,自分も寄付とかするし,これから子供ために 迷いなくお金を使うこともあるでしょう。
って思っていたら今朝のNHKのニュースで寄付ビジネスが伸びてるって 話をしてました。ものの価格に寄付を上乗せしてる製品とか,または 明に上乗せしてるんではないけど,ある製品を買うと自動的に その会社からの寄付が加算されるってな感じの製品とか。 とおもって検索したら寄付マーケッティングとかいうらしい。
まぁそういう製品が売れるのは感覚的には判ります。そういう製品も 例えば年賀はがきとかで昔からあったんですよね。ただ昔は, どこでもそうやるというのではなくて,郵便局とか一応信用されている ところがやっていた気がします。
こういう寄付の仕組みってちゃんと寄付してます…っていう証明が 検証できるのか?とかいうのもある様に思います。わたしは寄付を 集めることをビジネスにして,手数料をある程度取るようなことを やってもいいとは思うけど,ホワイトバンドのときの様に,寄付をする人の 意識と実際のお金の流れとかがあってなくてあとでもめるような話に なるとかいうのもありそうだなぁとは思いました。
いずれにせよ,わたしは,しない善よりする偽善という主義だし, こういうことをやってるとある程度甘い汁を吸う人が出てくるのも 含み損みたいなものだとは思ってますけどね。
ただ本当は寄付は寄付としてやったほうがいいようにも思います。 ものを買うのはものに対する敬意だと思うので,そのもの自体が いいものを買うべきで,寄付が乗ってるから,という観点で 選ぶのはどうかな?という気はしますよ。

1/28(iPad)
昨日アップルの話を書いたけど今日のネットは iPadの発表に合わせて話題が一杯だった。 なんかアップルの影響力って凄いなと思った。
iPadについては良くわからない。一つはカメラがついて無いのが残念。 わたしの家のMacBookはiTunesとSkypeの稼働率が高いので,カメラが ついてるとフォトフレーム的に置きっぱなしで使えていいなと 思った。まぁ世代が進むとつくかもしれない。
フォトフレームというより本命としては外出時にもって行くってこと なんでしょう。電子ブックはアメリカで凄くはやってるらしいけど, 日本ではまだ無理かな?と思うので,その辺の売れ方は違うのでは 無いかな。日本は西欧に比べて本が安いし種類も多いという話も聞くので 電子ブックという市場がどれくらいあるのか良くわからない。
iPadをコモディティとしてみた場合,年寄りに使いやすいというのを わたしは求めるけど,アップルのインタフェースは使いやすいと思いつつ, これがどうなのよ…という気もする。機能が多いのは誤操作が増えると いうことだろうし。マニア向けとしてみた場合にMacBookとiPod touchで 足りない機能がどれくらいあるか?が鍵かな。いまのところ紹介の 文ではわからない。
とちょっとネガティブに書いたけど期待してます。最初のiPodがでたとき わたしはだめでしょ?と思ったけど,結果的にそれは間違いだった。 今の状況は当時よりも何倍もアップルにとってはいい状態。 あと価格もお安い。この機種ぴったりの使い道のイメージがあれば ヒットするかもという状態かなと思った。個人的にはためしに欲しいとい 感じだけど。

1/27(強みを持つには時間と泥臭さが必要?)
Appleが過去最高益というニュース。会計の計算方法を 変えたとの事で,なにかそういう数字のマジックもあるんでしょうが, とにかくAppleの業績がいいのは間違いないでしょう。詳細を見て 無いのですが,iPhoneとかApple TVとかの業績がいいんでしょうか。 そういうのを聞くと,なんかアップルってもうパソコンのメーカじゃ 無いのかもしれないな…という気がしてきます。
もちろん最近はITメーカ,例えばマイクロソフトとかグーグルとか, そのどちらも携帯電話にアプローチをかけてます。でもなんか アップルはそれらのメーカとは違うように思います。もちろん マイクロソフトとグーグルがソフトメーカとして携帯電話を やっているのに対しアップルはむしろハードウェアが前面にあり ハードウェアの魅力を上げるためにすばらしいソフトウェア(GUI)が あるという感じです。
過去のアップルを知ってる身からすると,過去に何度もアップルというか ジョブスはハードを作ってることを批判されているんですが,それでも ジョブスはハードとしてコンピュータを作って来てます。現状を 見るとそれも重要な成功の要因だったのかもしれません。
話は変わって,この間の日曜日にNHKスペシャルでメイド・イン・ジャパンの命運というのを やってました。東芝が8画面の大型テレビを開発発表していたのと, ビクター・ケンウッドがラジオみたいのの新しい方式を発明して ライセンスで儲けようとしてるみたいなことをやってました。 8画面のテレビはテレビの画質とかの問題よりも複雑なソフトウェアを うまく開発してというような話で,ソフトウェア開発に日本の 技術力の力を入れるというような話でした。
わたしは双方のやり方を見ていて,うーん,大丈夫なんだろうか?と いう気がしてます。大型テレビのソフトは複雑ですが,結局ソフトです。 ライセンスの方も権利ビジネスかもしれませんが,結局アイディアの 勝負であり,ライセンスの様にやると結局他に特許を逃れた似たような アィディアをもっていかれたりしないだろうか?ということです。
本当に後から来てる国々にすぐに追いつかれないようなことをやってるの だろうか?というのが危惧です。その企業の強みとか真似できないことって いうのは,アイディアとかそういうのではなくて結構泥臭い部分だったり するように思うし,儲けが出るのに非常に時間がかかり,ベンチャーとか とても手を出せないところのようにも思います。
アップルがハードをやってるのも製品のトータルの魅力をコントロール したいということが主なのかもしれませんが,それも含め時間がかかる 試行錯誤で確立してきたもののようにも思います。もちろんアップルの ハードはハードといえど作ってるのは下請けです。でもやっぱり その辺のノウハウをしっかり持ってると思うんですよね。日本のメーカが 海外にいろいろと技術流出して追いつかれて…ってことで新しいことに 手を出すのも判るんですが,こういうときこそ時間のかかる泥臭いこと, またそういう昔からやってることをもう一度見直してみても いいんじゃないかな?という気はします。いや,とっくにやってて, とても難しいんだよってことのようにも思いますが。

1/26(男性の背の高さ)
TFMで18年前からやっているアバンティというラジオ番組が あるのですが,最近はあまりラジオを聴かなくなったということもあって, 聴いてません。で,podcastにセレクトされたバックナンバーがあるようで 定期的に聴いてます。
1月23日の回に学術的な見地からの男と女の相性の話があって 興味深かったです。どこまでが本能か,どこまでが文化かっていう話で, どうやら本能的な面でいうと,男性は女性の顔を見て判断するということ らしいです。そして女性は男性の背の高さを見て判断するらしいです。 痩せてるとか胸が大きいとかそういうのは,民族によって差があるので どうやら文化的なものらしいとの事。
もちろん大雑把に統計的に見ての話で例外があるのは当然のこと。
ちなみに顔がいいというのは,顔が整っているということらしいです。 左右対称とかそういうことらしいです。
女性が男性を背の高さで判断するから,顔は二の次になってしまう。 だから女性は進化論的には顔がいい女性が残るけど,男性は顔が いい男性が残るわけではないということらしいです。でもじゃぁ男は どんどん背が高くなるか?というとそうでもなくて,背が低い女性は 背がうんと高い男性を好むが,背が高い女性は,自分よりちょっとだけ 高い男性を好むとかいう話でした。まぁそれでも背が高いほうに引っ張られる とは思うけど。
podcastはそういう話だったのですが,わたしの個人的な印象では, 会社で出世する人は背が高い人が多いように思います。もっとも それは組織的な話というか大企業での印象で,個人事業主はそうでもないな という印象もあります。
男性の場合背が高いことで損をすることは少ないので,背が高いことで コンプレックスを感じることは無いでしょう。背が低い人は そうとはいえません。コンプレックスを感じてないということで, 自由に行動できるということで,組織の中では強いのかな?と いう気がしてます。逆に背が低くて成功した人は,ものすごく 行動力がある人が多い。背が低いので腰も低いとか,エネルギッシュで 独楽鼠の様に動くとかそういう人も見かけます。
とか思ったりしますが,なんかこうかくと差別的だなぁ…。 背の高さって努力でどうしようもないので,それで成功するしないとか あまり書かないほうがいいのか。
もちろん例外はあるのであまり真に受けていただくと困りますが, なんとなく思ったので書いてみました。

1/25(がんを抱えて生きること)
先日書いた「NHKスペシャル 働き盛りのがん」を見て思った事を 追記します。
強く生きている患者を多く取り上げたことがよかったと書いたのは, これまでがん患者を取り上げたTV番組は,ほとんどが末期がん患者を 取り上げており,がんと戦いながらも最後には亡くなっていくと いうものでした。早期発見を訴えるために内視鏡検査と手術で完治する という例も結構観たこともありますが,特に患者の生活にスポットを 当てたものは前者がほとんどです。
がんの宣告を受けて手術や化学療法を行い,そして長く生きている人を 詳しく取り上げたものはTVも少ないし,書物でも結構少ない様に思います。 がんを抱えながら生きてる人がどういう症状なのか,また生活や 仕事の面でどういう苦労をするのか?というのはほとんど紹介されないので, そういうことをイメージすることは当事者以外は難しいのでは ないでしょうか?。また末期がんで亡くなったケースを取り上げるので, がんにかかったらすぐ死ぬというイメージを強くするのでは ないでしょうか?。
先日の番組の良いと思ったのは,紹介された患者さんがみなまだ 生きている人であり,だからといって奇跡的に助かったというケースではない, 現在も治療中の方々の生の声だったからです。自分自身がその群に 入るからというのもあるのですけど,同じような状況の人は 結構いるのではないか?と思うのです。もちろん,それですべての患者の ケースを取り上げたとは言えません。番組の中でも言われましたが, がんの患者のケースは実に多彩で,二つや三つのケースを取り上げても まったく合わない方も多いと思います。だからこそ,誰もが簡単に完治か, もしくは絶望的なケースに分けられるわけではないというのは知っておく べきでしょう。
番組の中で患者の方が,がんは統計的に「何パーセントとかでは語れない, 0か100だ」とおっしゃってました。わたしもそう思います。 全体から見ると統計的に生存率とか出るのですが,結局は細かい状況は 患者により違いますし,当事者にとって 特に心情的には統計はあまり意味がないというのは以前書いた通り です。
あとやはり番組で取りあげられてて思ったのが,患者も生活しているわけで, 病気そのものより,病気により起る生活や立場の変化が大きな問題に なるということです。病気になってすぐは病気の事で頭が一杯ですが, 長く生きてると,生活の方が大変です。番組で「治療費を捻出するために 仕事をする必要がある」という事をおっしゃられた方がいましたが, その通りです。自分の誇りとか生きがい以前に,周りに迷惑をかけると 自己嫌悪を感じる場合でも(例え保険診療範囲でも)治療費を幾らかは 稼ぐ必要があります。がんにかかると生命保険に入れないので家を買って ローンを組むのにも苦労するという話も,生々しい問題だったりします。 わたしも発病前にローンを組んで家を買っていれば,死んだ場合でも 遺族に家を残せるにと本気で考えたことあります。その他にも配偶者との関係, 親との関係の話,もちろん職場でのこと,そういう生活の問題を 大きく変えてしまうのが,がんを抱えて生きるという事だと思います。
番組でメインに扱われた方は最初の手術後,五年生存率が20%と言われ, それについて他の方に相談をしたとき,その方が,「病気になって閑職に 退くので,あなたは満足ですか?」みたいな事を言われた事を言ってました。 その方は死ぬことを前提に考えなさいという風にも言っているようでしたが, 要はがんになってすぐに助かる,すぐに助からない,長く治療していく, そして亡くなる,結果的に長く生きる…いろんなケースがあり,それぞれに ついてちゃんと想定して考えておくべきだのでしょう。もちろん, 発病してすぐ,手術してすぐに答えがでるような話ではありません。 じっくり時間をかけ,周りとの関係も省みて,考え決意し,そして必要に 応じて考え直すことが必要でしょう。
その人は助からない前提で,でも仕事を頑張ることを決意したようにも 聞こえました。わたしは逆で助かったときに何も残らないと後悔するのでは ないか?とその時できる事を,仕事も生活も頑張ろうと思いました。 その辺の考え方は人それぞれでいいと思います。ただ考えるためには, 実際に病気を抱えて生活している人が,どういう事に悩み, どういう状況に陥るのかを知る必要があり,そういう意味で 良い番組だったのでは?と思いました。

1/24(福岡へ)
昨日と今日,福岡に行ってました。昨日は空港について, すぐ子供と妻もところではなくて,わたしがずっと買っている コーヒー豆屋さんへ寄ってきました。この店はわたしが学生時代に 住んでいた寮の最寄り駅と同じ駅が最寄り駅(方向は逆なのでちょっと 遠い)なので,当然昔使っていた駅を使いました。懐かしい店が たくさんあるかな?と思っていたら,案外知らない店ばかりになってました (苦笑)。まぁわたしは寮の時代から結構自炊していたので, そこまで行きつけの店は無いのですが。
そういえばあの時代…朝ごはんはどうしていたんだろう?。思い出せない (^^;)。
それはいいとして,コーヒー屋の近くにあるアパートが火事になって燃えた 跡があったのですが,そこは同級生がかって住んでいたアパートだったので ちょっとびっくり。
コーヒー豆屋さんでしばらく話し込んだ後,福岡に中心地に戻り 昼食を食べるところを探してうろついていたら,いつも空港の近くに 通っていたてんぷら屋の支点があったので入ってみました。そこは 初めてでしたが,味は一緒で美味しかったです。
その後,嫁と子供のところへ。
二週間ぷりということで,少し成長を感じました:-)。実に久しぶりに 嫁さんと外出などしました。ほんの一時間くらいですが。
で,今日は昼過ぎまで一緒に過ごして,福岡空港へ。
以下空港とか飛行機に関しての思ったこと。
よく思うんですが,羽田と福岡を比べた場合,手荷物検査の流れが 福岡の方が遅いように感じます。それもあるけど,今日とかは 特に空いていたからかもしれませんが,検査場の検査機の前まで 見送りが着いて来たりして,まぁつまり,みなさん好き勝手に やってらっしゃる。機械の前まで来てやっと小物を取り出す人とかも いて,そういうのもあり流れが悪いんでしょう。慣れて無いといえば それまですが。
別の話ですが,JALの機内誌に西松前(?)社長の年頭の挨拶が載っていて, 泣けた。
それから,いつも思うのが,飛行機に乗っているときの機内アナウンス。 機内音楽とかを聞いていても聞こえるように,それに流すのは 良いのですが,どうして,あのアナウンスは音量調整が効かないのでしょう?。 音楽がうるさいから下げていても,アナウンスはでかいままなんですよね。 というわけで,昨日と今日は機内音楽は聴いてません。
そんなことを思いながら今回の福岡行きは終了しました。

1/23(NHKスペシャル 働き盛りのがん)
年末に放送されていたNHKスペシャル 働き盛りのがんを今更 ながらみました。見終わってみるといい番組でした。
NHKはそのちょっと前に立花隆が自身のガン経験と取材により 作った番組をやってましたが,そちらの方はわたしの経験からは 共感できない部分が数多くありました。今回も首をかしげる ような内容だったら…と思って,録画したものの観ませんでした。
内容は実際に五人のがん患者,しかし皆さんしっかりと生きている人たちが でていて,あと娘さんをガンで亡くした児玉清が出ていて,自分達の 経験と考えを語ってました。あとメインの方のガンの経験, ガンの手術を5,6回した人の経験をドラマ仕立てで再現してました。 再現ドラマがあるということで過度にドラマチックに作ってるのか?と 思っていたのですが,そこまで不自然な感じはせず,真摯に 作ってる感じもありました。
それでも最初のがん発見から手術を何度もするあたりまでは, わたし自身の経験から想像しても,その方の辛さに強く共感してしまい 見るのが辛くて仕方なかったのですが,それでもその後のトークで 他の患者の方々生の声,そして皆さんがいまもしっかりと生きている 姿を見せられ,感動は高まるものの,辛さは若干和らいだ 形で見れました。
見て思うこと,話を聞いて思うことはたくさんあるので,今, 書き出すのは難しいのでまた追々書くかもしれませんが, 一つだけ書くと,ガンというと悲劇的結末ばかり描くTV番組が 多い中,数多い苦労をしつつも長く強く生きておられる方に スポットを当てた番組を作ったことは良かったのでは?と 思います。

1/22(最近TVをあまり見ない)
今日はずっと仕事が立てこんでいて結構いろんなことをやって疲れた。 というわけで頭があまり回らないので日記はうまく書けない。 忙しい人は社会に無関心になるって事か。TVのニュースや解説番組が みれないって事もあるだろうけど。逆に暇だといろいろと 批評できるって事か?などと思ったりも。
脈絡なく書くと,今年の1月からのテレビのクールはあまりみたい TVがない。アニメもほとんど無い。ってことで朝から録画を観たり する必要も無いので,本当は家でゆっくりできるんだろうけど。 忙しくてそれを堪能する時間もなっかったりするけど,まぁ TVでいまみたい番組が多いと困るので,助かっているといえば 助かってるか。

1/21(ストレスの種類)
ストレスはがんを誘発するか?という文を見て ちょっと思ったこと。 「ストレス」って一くくりにするのをよくみますが, じっさいはいろいろあるのではないでしょうか?。よくストレスが病気を 引き起こすという実験で,動物に常に物理的な刺激を与え続けるとか, うるさくして眠れなくするとか休めなくするとか,いろいろと 辛い状況を与えて,そして病気にするとかいうのをみます。 それをもって「ストレスが病気の原因」っていうのは,まぁその刺激が 病気の原因というのは判るのですが,それ以外のストレスも同じように 病気の原因…といえるかどうか?よくわからないなぁってこと。
ストレスというと精神的ストレスというのもあるのですが,その ストレスが無いと人間が動かなかったり成長しなかったりというのも あり,じゃぁストレスはあったほうがいいの?無いほうがいいの?と いうのが紛らわしくなるわけです。プレッシャーという言葉も, 人にとっていいものをさす場合と悪いものをさす場合がありますが, 同じような話でしょう。
もちろんまったく同じものが悪く働いたり良く働く場合もあります。 ただそれ以前に本当はもっと綺麗に分類出来るようなストレスが あるんじゃないかな?という気もしてます。ストレスの分類を 整理するという研究実績とか無いのでしょうか?。
身体的な刺激のストレスの実験をもって,ストレスは病気になるとか いっていると,それを利用して,精神的なプレッシャーを与えると 同じように病気になる…みたいな解釈が出来上がってしまいます。 現在精神的ストレスで病気にかかる人は結構いるのですが,そのわりには 相変わらず,ストレスに関する分類や整理がイマイチされて無いか, されていても知られておらず,どうも雑な議論ばかりがされてるなぁと 思います。

1/20(飲みに行く)
久しぶりに会社の同期と少人数で飲みに行った。 いろいろお年頃でした(謎)。おじさんになる年頃だよなぁと 思う。

1/19(案外律儀な国民)
昨日載っていた 鳩山内閣の支持率のデータを見ると かなり下がって,支持率と不支持率が拮抗していました。
わたしは現政権は最初から支持して無いし,政権をとった後に やってることを見てると,ひどいというか…ギャグみたいな部分と 実は恐ろしい部分と両方垣間見えるな…と思っているのですが, それでも鳩山内閣の支持率とか民主党の支持率が案外落ちないことに 意外さを感じてました。
現政権に対してはわたしはマイノリティな意見を持ってるということ になるので,今支持している人たちがどういう心情で支持してるのかは 判りません。でも想像すると,「やっぱり鳩山政権に期待している」 「とにかく自民党が嫌いなので…」「なんだかんだいっても選んだんだし」 とかそういう心情なのでしょうか?。そんなに期待できるかな?。なにか 新政権になっていい事ありました?。それともそんなに旧政権嫌い なんですか?。などと思う中,案外みんな自分達が選んだんだし, 今更ノーとはいえないかなぁ…みたいに思ってる人もいるんじゃない?と いう気もしてます。どうでしょう?。
世論や一般の人って移り気か?…と思いきや,案外そうでも無いのかな。 選んだ以上責任を感じてるのかなぁ…と。小泉さんのときも, 結局ずっと支持してたし,そういうものなのかなぁと思いました。
そして,今回ぐっと下がったのは,もともと小沢さんは選挙前に 党首やってたときも叩いていたから叩きやすいとか,そういうこと なのか?。それとも不支持に転向する理由として良いとおもったとか, そういうことなのかなぁなどと思ってます。
いや,一方で全然違うような気もするんですが。

1/18(高校に行けば幸せになれるんだろうか?)
紙屋研究所さんの「 高校生に全面敗北・完全屈服した橋下知事」と いう文を読みました。橋下大阪知事と高校生が対談し議論したもので, 報道では高校生が論破されたような印象だったのが議事録を読むと逆と いう印象らしい。そしてその後知事は高校生の要望を一部受け入れようと しているという話のようです。
確かに議事録を読むと知事の方が話をそらしている様に取れます。 まぁどっちもどっちという部分もありますが,知事の方が行政のトップ なんだから,きちんと納得できる説明を出来て無いという点で やっぱりだめかな?という気はします。で,知事が高校生の要望を 取り入れてるというのは美談の様にも思いますが,知事の政治的な 判断があったのかもしれません。
とはいえ,やっぱりこの手の話は難しいな…とも思います。確かに 貧しくて生活に困窮していてなおかつ勉強をする気がある子供が 普通の人並みの教育を受けられるようにするというのは必要なことの 様に思います。ただ,知事もいう様にどうして公立だとだめなんでしょう? というのはあります。公立がだめだから私立に行きたいという理屈と 公立に通らないから私立に行きたいだとだいぶ事情が違います。地方に よって公立と私立のレベルのバランスは違うので,なんともいえません。
公立に受かる学力が無いということで私立に行きたいけどお金が無いと いう人は,学校に行きたい気持ちはあっても,果たしてそういう 高校に行って,なにか将来役に立つ事が身につくんだろうか?,高校に 行けさえすれば,なにかが好転すると思ってるんだろうか?と 少し思いました。
最後の教育を受ける権利の話をしてるのですが,教育は義務でもあって 義務は中学まで,権利がいつまでかは規定されて無いと思います。 学力も経済力も関係なくすべての人が高校に行けるようになったら, 世の中からは中卒というのはなくなるのでしょうか?それとも本人が 希望したときのみ中卒というのはありえるのだろうか?とか 少し思いました。
ちょっと前に大学院で博士課程にいった人すべてが企業にとって 欲しい人材じゃないという話を書きましたが,すべての人が学校教育を 受けるのであれば,それだけ多様な人を学校から排出する必要が あるでしょう。すべての人が高校にいって同じような価値基準で順番を つけられたら,それこそその人に合った道というのが閉ざされるような 気もします。
難しい問題ですが,大学や高校の全入が必ずしも社会や本人に幸せを 増やしている気もしないので,安易に全入ばかりを追うのはどうかなぁと 思ったりもしてます。高校に行かなくても他の選択が十分にあり, そして高等教育を受けた人並みやそれ以上の収入を得られる道って いうのは無いのかなぁ…などと思います。

1/17(行き当たりばったりと皮算用)
何をするにもぎりぎりまで決めない行き当たりばったりか?,それとも ずいぶん前から「きっとこうなるだろう」と読んで手配する皮算用か?。 …,わたしはいまはどちらかというと行き当たりばったり…で物事を 進めることが多いように思います。
よく計画的に…ということはいわれますが,どうも経験上,事前に 計画を立てて…というか立てるのはいいとして,それを見込んで いろいろ事前に行動するとだめになって痛い目にあうという事が ある様に思います。一番最近覚えているのはおとどし両親と旅行に 行こうと飛行機で一ヶ月前の割引券を手配したら,親が病気になり キャンセルして50%しか返って来なかったことがありました。
あと,痛い目…ではないのですが,自分が病気をして半年毎の検査を やってるときは,その検査の結果次第で大きく自分の行動に制限が かかるので,その先のことを決めたり約束するのがとても嫌だった というのもあります。
そもそも会社にいると周りの都合でスケジュールが変更になるのは しょっちゅうであり,事前にスケジュールを立てても重要な相手が 一言言うと再調整なんてざらだし,それが出来ないといけないことが 多い。事前まで決めないでおいて,でも決めるときは一瞬で決める…と いうのが,仕事上は望ましいスタイル様に感じてます。
あとこれは個人的な信仰みたいなものですが,どうも自分の都合のいい 未来を予想して,それを周りに言っていたりすると,どうもその通りに ならない…というような気がしていて,そういうことは決まるまでは 周りに黙っていることが多いというか。
そういうわけで,わたしはすっかり行き当たりばったりのスタイルに なっているんですよね…と書こうと思ったんですが,良く考えると 皮算用をしてうまくいったケースもそれなりにあるんですよね。 特に引越しに関しては,移動を予想して引っ越して,その通りに なったこともあります。あぁでも一ヶ月早く借りて家賃を余計に 払ったとかいうのはありますけど。
結局のところ,わたしの場合は,皮算用がうまくいったときより, 行かなかったことの方が印象が強く残ってるって事と,行き当たりばったりで, あまり痛い目にあって無いので,そういう風に思うんだろうなぁと いう気がします。ですから別に皮算用が悪いとはいえないのでしょうけど。 ただ,やっぱり飛行機のチケットに関しては,なんだかんだで 寸前にとることが多くなったなぁと思っております。

1/16(中古)
嫁と住まいが二戸一したということで,家財道具が大量にあまっているので, 去年からずっと物を捨てたり,人にあげたり,リサイクルショップに 売ったりしてます。大阪の嫁の住まいは歩いてすぐのところにリサイクル ショップがあったので,嫁のものを引越しの際まとめてもって行ったのですが, わたしの方は,人に譲ったりはしましたが,リサイクルショップには まだ何も持っていっていませんでした。
で,今日二年前に買った加湿器を売ろうと,5キロくらい離れたところにある ハードオフへ行ってきました。加湿器は二年しか経ってないこともあり, まぁまぁこんなものかな…という値段で引き取ってもらいました。
ついでに店の中を見ると,服とか食器とかがあるのは予想してましたが, 意外に楽器というかエレキギターがたくさんあり,しかもフェンダーとか ギブソンの中古が10万以下でごろごろあったのに,えっ?という感じ。 神田の楽器屋だともう少し高い気がするんだけど。もしかしてお得?。
それ以外にもオーディオとかカメラとかも結構あって,意外にこういうのを ここで買うのもいいかも…と思いました。あとベビー用品でチャイルド シートとかも安かったなぁ。
…。
わたしはいまはほとんど中古でものを買うことはなくて,例えば ブックオフとかは本を売ることは良くしますが,買うことはありません。 中古では買いたく無い…っていうものも結構あるんですが,よくよく考えると, ギターの様に抵抗が無いものも結構あります。若い頃はお金がなかったことも あって,中古で結構買ったものもあるんですよね。挙げると,ギター, ステレオ(オーディオ),レコードは結構買ってます。車も中古というか 新車買ったことありません。あとテレビと洗濯機は人からもらったこと あります。バイクも知り合いから買ったこともあります。
でも,一方で中古じゃかわないものもあります。一番思うのが本ですが, 今日ハードオフで見た中でいうと,服とかかばんとか食器とかも買わないなぁ。 時計とかカメラはそれ自体買わないから良くわかりません。
中古で買ってもいいかなと思うものは,高価なものや使ってても たいして痛まないものというのもありますが,むしろ昔のものの方が 良い物だった…というものもあります。楽器とかは特に使い込んでいるもの の方が良いものがあったりします。CDもそのタイトルが入手できなければ 中古を買います。まぁこの辺は肌につけるものじゃないし,洗ったり 磨いたりできるものだからというのもあるでしょうね。
一方服とか食器は,新品で買ってもそんなに高くないし,かばんとかは, 自分自身が壊れるまで使うタイプなので,あんまり中古で買おうと 思わない。それから本は,まぁ人の臭いが移るからというのも ありますが,わたし自身が本を買うのは作者に対して,投資したいからと いうのもあり,中古は買いたく無いのです。じゃぁ中古で売るなよという 気もしますが,どっちにしてもいまって本をごみに出すと誰かが持っていって, 売ってるんですよね。それでばかばかしくなり,自分で持っていくように なりました。
歳をとって収入も増えたというのもあり,あんまり中古でものを 買わなくなった気はします。もったいないの精神で中古を買うというのは いい事なのでしょうが,一方で残したい産業や職人のために新品を 買うというのも大事な消費行動の様な気もします。どっちにしても 長く使えるようないいものであれば,新品で買った後に大事に使えば その後誰かが中古で買えるような状態であるわけですから,中古市場が あるということはいいものを大事に使うという消費サイクルになるの かなとは思います。
中古で買う側からいつのまにか中古に売る側になったのかもなぁとは 思いましたが,まだ中古でも買いたいというものもあったのだなぁと 思いました。

1/15(眠い)
今週はなぜか夜凄く眠たくて夜頭が回りません。朝も目覚めが悪いのですが, それはたぶん気温が低いから明け方に体の体温が上がりきらないからかな?と おもうのですが,夜眠たいのは何故なんだろう?。単純に睡眠不足って いうのもあることはあるんだろうけど,ただそんなに夜更かしした 感覚も無いというか…たしかに早く寝てはいないのだけど。 あとは先週九州に行っていた疲れが十分に取れてないってこと なのかしら?。それくらいであれば,明日明後日ゆっくり昼寝でも したら治るかな?。

1/14(コンテンツの中の東京)
ちょっと前に始まったアニメを見ていたら現代の池袋が舞台でした。 なんか池袋が偉くエキセントリックな場所として描かれてました。 わたしは池袋はそんなに行かないのですが,店と人が多い普通の場所だよな, というのがわたしの認識。数年前に下北沢を舞台にしたアニメや マンガもあったし,渋谷とかいうとそれこそもっとあるのですが, 渋谷はともかく下北もえらく面白そうな町として描かれていたなぁ…。
こういうのは実際に住んだりしてると,確かにそういう面もあるけど, そんな事ばかりがある街じゃないけどなぁ。普通の街だよ…という 風に思います。でもたぶん地方に住んでいる人は,こういうドラマや アニメやマンガを観て,東京の特定の場所に憧れを持つのでしょうか?。 わたし自身,20年くらい前に上京したとき中央線に住みたくて, そして実際荻窪に住みました。実際住んで,好きな街でしたが, 別にそれで自分の人生が変わることは無いよなぁ,とは思います。
以前から書いてますが,こういう架空の話ではなく,TVでのバラエティでも 東京の特定の場所を紹介する番組が結構多くて,こういうのを 地方の人に見せてどうするんだろう?と思うことは多いです。 特に食を紹介する番組とかだとなおさら,実際は地方の方が美味しいものが 多いのにとか思ったりも。
…。
話は変わりますが, 甲斐よしひろ氏のインタビューが載っていたので 読みました。甲斐さんはわたしは30年以上前からのファンだし,著作とかも 読んでるので,ここに書いていることはほとんど知ってます。でも 「ガラスの動物園」というアルバムが地方に残してきた彼女と別れるときに 作ったアルバムというのは実は初めて知りました。
このアルバム,地方から東京に出てきた若者が,東京の人ごみと, そしてシビアとめまぐるしさと冷たさ?を感じている心情を多く 詠ってます。甲斐さんの歌詞はハードボイルドドラマのシーンの様な 感じのもが多いので,なおさらそういう孤独感とかがリアルに描かれて います。
このアルバムを九州で中学生の頃に聴いたわたしは,東京っていうのは こういう街なんだってなんとなく思ったように思い,その価値観は 結構引きずっていた様に思います。
わたしはもう東京(関東)に住んで20年近く経つので,今更「東京に出たら…」 とか特に感じないのですが,今の地方在住の若者は「東京に出たら」と 思うのでしょうか。でも少なくとも,TV等のメディアはそういう幻想を 持つような作品を今も作ってるよなぁとは思います。

1/13(相変わらず経済のことが良くわからない)
JALの株の暴落振りが凄い。上場廃止になる方向だから, まぁ当然といえば当然なんだけど,朝日の「 株主責任も厳しく求めざるを得ない」という文に, 株主責任って何?って思ったわたしはやっぱり株なんて手を出すべきじゃ 無いんだろうなぁと思いました。確かに株主には株主総会の 投票権があるんだけど,責任ってそういう意味ですか?。それとも 株を買うこと自体が責任を追うって事ですかね?。
そもそも株を買う人は責任を負うために株を買ってるんでしょうか?。 経営に参加したいとか,会社を応援したいとかそういうことですかね?。 そうであれば,まぁ責任なのかなぁ。持ってるお金を増やしたい という理由で株を買ってる人も多いのかと思ってます。そういう 人の場合は責任というよりは,儲ける替わりにリスクを負ったって 事の様な気もします。投資家の中にはファンドとかに委託してる人も 多いかと思いますが,そういうのも株主責任なんですかね?。
もっともこういう風に思ったのも単に言葉のあやで, 実際は会社の負債というのは誰かが負わないとしょうがないと思います。 そして資本主義では投資した人が投資の範囲で負うのが全うなので, まぁある意味全うなんですよね。 もっとも航空会社の様な国が規制で縛ってる業界の場合,投資家に すべての責任を負わせることは無理があると思いますが…。
実はわたしもこれまで何度か株に手を出そうか?思ったことがあって, 結局やって無いのですが,やっぱりわたしの様に株主責任の意味が 分からない素人は出さない方がいいんだろうなとあらためて思ったのでした。

1/12(オーディオのIT化の形)
CESの話題でオーディオ関連のを見ていて, 結構盛んだなぁと思いました。ここ数年オーディオが元気だなぁと 感じていて,それは主にiPodのおかげだよなぁとは思ってます。
最初はiPod用のスピーカとかヘッドホンがたくさん発売されました。 わたしは最初は元々圧縮オーディオであるiPodにそんなに高級な スピーカをつけても…と思っていた(というか今でも思ってる)ん ですが,このブームは結局のところiPodだけではなく,オーディオ 自体の関心を高めたのか,普通のオーディオも様々なスピーカが 出てきた気がします。
あとその純粋オーディオとは別の方向で,やっぱりiPodを基点として, PCとの連携や,外部センサ,そしてbluetooth等の製品の充実が 現在起きてます。これは直接オーディオの品質というよりは, 別の機能。また利便性を上げるものだったりします。ただ, よくよく考えるとオーディオのIT化というのは,本来こういう ものかもしれません。技術の高度化が音質に出るという時代は やっぱりオーディオは終わっていて,でも一方でオーディオ業界は 音質追求以外に何をやっていいかわからなくて,SACDとか出したり しましたが,ユーザの起爆剤になるのは音質ではなくIT化による 多様性や利便性の向上だったのでしょう。
そしてその利便性向上が,単にそれで終わるかというと,結果的に オーディオマーケットの充実から高音質オーディオにも注目が 集まったということの様に思います。まぁ実態として昔のオーディオより 音が良くなってるわけでも無いんですけどね。
実はわたし10年ほど前に「 オーディオは果たして復活するのか?」という文を書いてます。 そして,ずっと状況を見ていましたが,まだオーディオの 復活は完全には始まってないと思ってました。でも,ふと今回, これが今のオーディオ復活なんだろうなと思いました。昔の オーディオブームとは明らかに違うんですが,家電売り場に大量の ヘッドホンがならぶ今はやっぱりブームなんでしょう。
なんかそう思うと,感慨深いものを感じます。

1/11(一往復半)
この三連休は,もちろん妻と子供に会いに行ったのだけど, もう一つの目的があって,それはわたしの両親を孫に会わせる事。 わたしの両親は熊本に住んでいて,福岡と熊本は電車でも 3時間くらいあればいけるのですが,高齢ということもあり, 今回はわたしが車で熊本から福岡まで連れて行くということに しました。車はレンタカーを借りていきました。9日の夜に 福岡から熊本に移動,10日は朝からレンタカーを借り,実家に戻り 両親を連れ高速道路で福岡まで。福岡で孫と対面後, 車で熊本まで,わたしは両親を実家に下ろし,そのままレンタカーを 返した後に電車で福岡に来ました。つまり10日は熊本福岡間を 一往復半したことになります。
で,今日は嫁と子供と別れて東京まで戻ってきました。さすがに 疲れたなぁ。
熊本と福岡は電車に乗ってる時間は2時間程度。まぁ今住んでいる三鷹から 横須賀に行く程度なんだなぁとは思いましたが,実際距離は 結構ながいので,特急列車で…って感じ。座れたのですが, やっぱり疲れました。

1/10(三連休)
この三連休はちょっと遠出をしてます。何をしたかは,明日 まとめて書くので,今日はこれだけ。

1/9(東京ご当地)
昨夜録画したアニメを観ていたら,池袋を舞台とした作品で, 田舎(といってもたぶん東武東上線)から出てきた少年が 池袋で異世界的体験をするという話だった。 どこだよその池袋って,って思うくらい,なんか池袋が特別 怪しくて面白い町みたいだった。
今日観た作品での池袋はそうだったけど,そういえばちょっと前に 下北沢が舞台のアニメとかドラマとかあって,そこはライブハウスとか 路上ライブが盛んな若者の下町だった。 まぁ,そういう部分はあってるのだろうけど,そこだけがそんなに 魅力的手特別な町なんだっけ?。
わたしは関東に出てきてもうすぐ20年弱。東京都民にはそのうち7年 程度だけど,実際に住んでみてるせいか,そこまで特別な町かね?と いう気はしてる。でもたぶん九州にいるようなわたしの親戚,特に 大学生や高校生くらいだと,そういう作品を観てると,東京に 出ると特別な人生が開ける…と思うのかもしれないなと思った。
そういう部分はあるようにも思うし,無いようにも思う。確かに 田舎とは違うのだろうけど,でも漠然とすんでもたぶんチャンスは 転がってない。怪しさとかラッシュとかが都会らしさの様に描かれるが, 実際済むと物騒だったり苦痛だったりするだけだったりする。
というわけで,なんとなくそういう東京の特定のスポット,「東京」とか じゃなくて「池袋」とか「渋谷」とか「下北沢」とかに日を当て 特別なことの様に描く番組には滑稽なものを感じる。もっとも 全国区の放送で田舎の特定の地域といってもその場合大抵観光地だろう けど,それを取りあげることもあるので,まぁ似たり寄ったりかも しれないけど。
とか書いておきながらわたしも上京するときは中央線沿いに住んで みたかった。だから実際に住んでみた。中央線は今は大流行だけど, わたしがここにあこがれたのは,ジャズのライブハウスが多かったから。 まぁ実際多いので,この程度の憧れは誤解…とまではいかないけど, 田舎ものには,それくらいの思い込みの効果はあるようです。

1/8(いろんな人)
昨日大学で多彩な人材を育成し欲しいと書きました。そうかいたのは 派遣村で就活費をタバコや酒に使っていたという ニュースを見たからというのもあります。
この話,使った人をけしからんという意見が多いとは思いますが, わたしもけしからんとは思いますが,実際にこういう人はいるよね, とも思います。容認するわけでも無いけど,こういう人をなくすことは 無理でしょう。いろんな人が集まれば一定の割合でこういう人は います。逆にいうとみんながこういう人ではありません。こういう人を 容認するかなくすかは意見はあると思いますが,無くそうと思ったら 良心に訴えるのではなくシステム的に出来なくするしか無いでしょう。 現金を渡さないとか。
以前わたしが書いた書評の「だから山谷はやめられねえ」が結構検索経由で読まれてる 様ですが,この本にも稼いだお金をギャンブルや酒に費やす人が 出てきます。働いたお金でもそういう風に使う人はいます。ですから わたしは,こういう人にはお金を渡すんではなくむしろ仕事を与えて 稼いだ金でお酒やギャンブルをしてもらうしか無いでしょう。
わたしが昨日大学で…と書いたのは別に大学を出てこういう人に なってほしいという意味ではありません。でもたぶん,社会の構成 メンバーからこういう人を省くことは出来なくて無利に省くと 何かがおかしくなる気がします。いろんな人がいて,ですから, その人たちを一様に救うことも出来ないし,救おうとすることが いい事なのかも良くわからないと思いました。もっと極端な ことを書くと,たぶんみんなが一様に幸せな社会ということ自体が 出来ない誰かの理想でしか無いような気がします。

1/7(研究の大学から教育の大学へ再び…)
昨日研究現場として大学とか企業とかの話を少し書いたのですが, その後にネットでの巡回先を回っていると,山口先生が「大学の歴史」について書かれていたり, 雑種路線でいこうさんの「成熟経済を蝕む仮定法の亡霊」というのを書かれて いたりするのを読みました。後者はちゃんと理解できないにしても, 思ったのは,昨日わたしは企業の話も書いたのですが,このところの こういう話は大学の問題を皆さんは論じているのだな…ということです。 えっ,当たり前だろう?って(^^;)。まぁそうかもしれませんが,昨日は 研究分野とか日本全体の研究の話かと思ったので。世間一般には 研究は大学でのみ行われていると思ってる人もいるんでしょうね。
わたしの感覚でいうと企業における研究は,バブルの崩壊の 後に急激に規模が縮小したように思います。それまで大企業はどこでも 基礎研究をやっていたのが,辞めて製品開発に重点を置くようになりました。 これは分野によるとは思いますが,学会の発表も企業の発表は減り 現在に至っているという気がします。ですが,10年位前に,大学では 大きな変化があった様に思います。わたしは外から観ていたので, 間違った認識をしてるかもしれませんが,博士課程が増え, 同時期に国は科学研究に力を入れると言って,大学に多くのお金を公募と いう形で流した気がします。大学はその公募のお金を獲得する計画を出し, 得たお金で,博士課程を卒業した学生を助手や研究員として 2年程度の契約で雇いました。
しかし,博士課程卒業生は毎年排出されますし,契約は二年で更新のため, 競争は激しく,博士課程を卒業しても仕事がなかったり,助手を していても更新が出来ず,次の研究機関にもいけないとか そういう人がどんどん出始め,高学歴ワーキングプアという言葉も 生まれました。それでも何とか回っていたところを(?),新政権になり, 国からの研究予算の先行きに暗雲が立ち込め,そして,その なんとか回っていた研究者の雇用不安が渦巻いているのが現状じゃ 無いのでしょうか?。
その前から,高学歴ワーキングプアは問題になっていましたが,これは, 一つは企業が欲しがる人材と,大学が博士課程やその後の研究員として 育成した人材像がずれていたことにも起因します。
子供の数が減る一方で大学の数は増え,国立大学は独立法人化され, さらに博士課程を増やす。学部生は全入時代で大量に増えますが, さらに以前にくらべて研究者としてスキルに問題があるような修士や博士も 大量に増えた気がします。レベルの高い大学も国の助成金により研究員を 増やしますが,助成金によるポストなので短期契約になります。 大学の生き残りと基礎研究を強化してノーベル賞をとりたい国の思惑から 起きた大学のあり方であり,社会に出て企業人や職業人として役に立つ 人材を輩出するあり方になっていたのだろうか?と思います。
もちろん研究により身につけたスキルはいろんなことで役に立つかも 知れません。でも企業にはいろんな人材が必要で,しかもその比率というのが あります。研究者肌の人間は意外に少なくていいものだったりもします。 いくら優秀な人材を育成しようとしても,それが一様な人材であれば 社会であぶれるのは当然のことでは無いでしょうか?。
とはいえ,わたしは大学にも人材教育という意味で期待はしてます。 全入時代であれば以前は企業のOJTや,丁稚奉公で覚えていたことも,大学で 習得させる必要があるでしょう。修士や博士はそこまで入らないにしても, 学士教育を変えて,社会に多彩な人材を輩出していくように変えていかなくては いけないのではないでしょうか。
そういう意味では,大学の先生も今まで以上に多彩な人を使い,さらに企業と 連携した形での教育をする必要があるのだと思います。

1/6(大学の研究,企業の研究)
ネットで「 音声認識研究の閉塞感は他人事ではない」という 文をから「「何かが欠けている音声認識研究」についての話」 というのを知りました。わたしは音響研究者で音声認識研究者では ありませんが,一応音声認識の研究をやってる知人もたくさんいるので, なんとなく思うことを。
古井先生の講演の話を読んで,へぇーそういうお話をされたんだ…と 思うと共に,まぁそうですね,とも思います。音声認識もあまり進んでない というのと共に,音響の研究もさほど進んでいる感じがしないのは, 多くの研究者が思うことだし,でも何か未発見のものがあってそれが 見つかるとまた火がつくだろうなという様な感覚はあります。個人的な 経験では20年以上にやりつくされたものを,今の機材と精度でもう一度 やってみると,見えてないものが見えたりすることがあって,結構有用な 場合もあるんですけどね。行き詰まったら原点に戻ることは重要かなと。 それについては,案外基本的な技術が継承されてなかったりするという 問題意識もあります。
で,リンクしたtiharaさんは古井先生のおっしゃったことに引っかかりを 感じているようですが,たぶん「成果」とか「積み重ね」というものが 指すもののイメージが少しずれてるのかな?と思います。そう思えばこの方が おっしゃってることもさほど違和感はありません。
思ったのはtiharaさんもmamorukさんもおっしゃってることには同意するけど, 視点が若い研究者というか,大学の研究者だよなぁということです。 研究の場というと大学とか公的な研究機関で,しかも2年とか3年契約で 研究をする若い研究者を想像してるんだろうなという気がしました。 そういう人は,これから20年30年とやっていく職業としての研究分野, そして仕事のあり方としての問題意識でしょう。
わたしは企業で研究をしてるから,少しイメージが違います。成果というと 論文を書くことだけじゃないし,むしろサービスや製品を可視化すること ですから,学術的には進んでなくても,アプリケーションで成果は出せるし 組み合わせることも出来ます。あと企業にもよると思いますが,企業での 研究者は成果が出ないと研究者としての職場は追われますが,会社をクビに なることは少ないので,まぁそういう意味ではダメもとでやってみることも 出来ます。上司が有能なら,そこで何らかの成果を出させることも あるでしょう。
ただし,大学でしか出来ない研究というのも山の様にあって,そういうものに 企業が期待している部分がたくさんあるので,大学での研究のあり方が 問題といえば問題だと思います。
わたしが今,思うは,バブル崩壊以降企業での基礎研究が非常に希薄になって 既に20年。日本の企業研究者が非常に少ないこと,そしてその一方で大学で 大量の博士が排出され,就職が出来ず短期契約研究者としていること。 契約が厳しいので競争原理が働いて優秀な学生が増えてること自体は いいのかもしれませんが,ご指摘の通り,息の長い研究が出来なくなってると 思います。
そういう意味で,危機感は分野に限らず,日本の研究のあり方としてあります。 もちろん企業も大学もどんどん成果をだして盛んな分野もあるんでしょうけど, そういう中にも,本当に基礎的な成果が出ているところもあれば, どことはいいませんが,流行みたいな感じでリソースが集まってるところも ありますから。
そういえば10年位前かしら?,日本政府が基礎研究に力を入れると研究費を 増やしましたが,たぶん,そのお金は企業研究所ではなく,大学に 投入されました。それは間違っているとは思いませんが,非常に不安定な 職業研究者を大学に増やしてしまったなぁとも思います。
まぁ諸刃の剣ってことなんでしょうけど。

1/5(献血)
ネットで 若者の献血離れという話が載ってました。
それを取りあげている2chの意見がひどいと思ったので,少し 献血について思うことを書きます。ひどいと思ったは,献血を しない理由を考えて正当化するために,まるで社会とか輸血を 受ける人の方が悪いかのように書くこと。自分がしたくないと はっきり書くほうがまだいいと思います。もちろん献血はすべての 人がするべきとは思わないし強要するものでも無いとは思いますが, するのも自分の意思,しないのも自分の意思でしょう。
さて,わたしは小学校の低学年のとき病気で手術をし,その時に 出血が多かったので輸血を受けたそうです。そういう気持ちが 頭にあったので,16歳で献血が出来るようになってからは, よく献血に行っていて,30回か40回の表彰も受けたことがあります。 ですが,それくらいやったあたりで,献血の基準が厳しくなり, 輸血経験者は献血が出来なくなりました。PL法の施行で業者の責任が 重くなったこと,あと肝炎が話題になっていたこともあるでしょう。 ちなみにわたしは輸血は受けたことがありますが,その後の検査で肝炎は BもCもウィルスは持ってないことが分かってます。ちなみに現行の献血が出来る人はリンクの通りです。
最初のスレッドのコメントを見てると自分がいつか輸血を受けるかも しれないという意識は無いのかなぁと思います。ただ, わたしが3年前に受けた癌の手術のときは,開腹して,内臓を 取り出したにもかかわらず輸血はなかったそうです。今は自分の 出した血を回収して体に戻すとかいうのもできるらしいので,病気での 手術では以前ほど輸血は要らなくなってるのかもしれません。ただ 怪我とかで出血したら回収できないことも多いので,やっぱり 輸血は必要だと思います。事故で怪我をするなんていうのは, だれでもありえる話ですから,やっぱり誰かが献血をしないと いけないのです。
ただし,ちょっとひっかることも多いです。例えば今は医療の現場で 患者の血を他の患者や医療従事者がとにかく触れないようにしてます。 そういうのを観てると他人の血はかなり危ないものというイメージがあり, わたしも手術時に輸血を受ける可能性があると聞いたときはかなり, 怖く思いました。献血の基準が厳しくなってるということも,結局 血をあげることはいい事なのだろうか?という妙な引っ掛かりが あります。
あと,もう一つ引っかかるのが献血が400ml献血や成分献血を かなり強く要望しており,それがかえって献血の壁を高くしてるのでは?と いうことです。確かに取る方からしたら200mlとるより400ml取る方が 効率がいいです。しょっちゅう献血をしてる人からしても,一度で 取った方が針を刺す回数が少なくて済みます。でもめったにやら無い人や 何かのついでに外出先でする気になった人に軽い気持ちで献血を してもらうことも大事なような気もします。
質のいい血液を少ない回数で集めようとしてることが,結果的に 献血の量を減らしてるって事は無いでしょうか?。
医療は医療従事者だけの努力ではうまく行きません。いつ自分が 輸血を必要とするか分かりません。今は輸血経験者が献血をできないの ですから,受益者はそのお返しができないわけで,その恩恵を被ってない 人が,人のためになると思うかいつか自分が受けるかもしれないと 思ってするしかありません。ちなみにわたしは売血には反対です。 難しいとは思いますが,やっぱり情けは人のためならず,いつかの 自分のためだと思うのです。ですから,献血をしておいたほうがいいと いう風潮は是非作って欲しいし,そのためにも,まるで 輸血をしないのは社会や仕組みが悪いという様な意見は どうかな?と思います。

1/4(帰京)
今日福岡から東京へ戻ってきました。
先週の月曜の夕方に東京から福岡に行ったので,丸々一週間いたことに なります。それでいて,全部の日産院に行きました。というか, 嫁もその間ずっと入院していたわけで,まぁお互い大変だったよなと 思いました。
嫁さんの実家に泊まって,朝ごはん食べて,病院に出かけて, 夕方帰って実家で夕飯を食べるという規則正しさに,なんか仕事みたいだなと ちょっと思いました(苦笑)。
予定では,福岡に行く前に既に産まれているはずだったので正月は わたしの方の実家にも行くつもりだったのですが,それはちょっと無理で, まぁまたの機会に。いろいろと予定通りに行かないものだなと 思った反面,休みの予定は特に変更せずにすんだのは,なんか きっちり帳尻を合わせてくるなぁと,わが息子に感心したのでした;-)。

1/3(宗教に自覚的な日本人)
数日前にアメリカの掲示板でなぜ日本人は無神論なのに 犯罪が少ないか?話題にというねたを読みました。
この手の話題…,それこそ開国の頃から言われていたはずなので あまり驚きません。
西洋はキリスト教と道徳が密接に結びついていいます。あと 異教徒や無神論,特に冷戦時代は共産主義者を悪いものとして, 戦争や侵略の正当化の理論として使っていました。ですから,非キリスト教徒で ある日本人が,案外礼儀正しかったり犯罪が少ないことがその 理屈とあわずにうまく理解できないのでしょう。
日本人から観ると,教会に言われないと正しいことと悪いことの 判断もつかないのか?とか,異教徒を侵略して殺した理屈が 正しいわけ無いだろとかも思うのですが,そういうことをまだ 自覚はして無いようです。とはいえ,日本人は無神論じゃなくて 神道と仏教が社会に根付いているとか,宗教ではなく社会規範に縛られている という指摘はあってるので,まぁその辺はちゃんと理解されてるなとは 思います。
もっとも日本人からすると社会というものをすっ飛ばして,個人と 神が契約している西洋の思想もちゃんと理解できてるか怪しいので, 同じように日本人は西洋の道徳規範はたぶん理解できて無いのでしょう。
それより興味深かったのは,このスレを観ている日本人の反応です。 多くの日本人は日本人が多神教であったり,空気教であることを 理解しているようです。これもたぶん30年以上前の日本人,つまり 学生運動が盛んな頃だったら若い人は自分達は無宗教だといっていたん だろうなと思います。おそらく今でもあなたは神道ですか?仏教ですか?と 面と向かって聞くとどっちも否定する日本人は多いでしょう。
ただ以前だったら神社に行くのを嫌がったり,天皇陛下の事に 否定的だったりするのが若者だった気がしますが,今はむしろ,そういう 事について肯定的な人が増えている気もします。あと占いとかのオカルトも 好きな人多いし。
そういう意味では,ある時期にあった日本人の宗教アレルギーは 流行というか,一時的なものだったのかな?という気がします。個人的は それでいいと思うんですけど,なんとなく時代が変わったなぁという 事を実感しております。

1/2(祝出産)
ここ数日,なんとなく落ち着きの無い日記で,申し訳ありませんでした。 というのは,本日,わたしの妻が男子を出産いたしました。 そういうわけで,わたしも一児の父親。母子ともども元気で, 喜ばしい限りです。
元々出産予定日が先月の20日(大阪の産院の手違いで実は22日なんですが)で, クリスマス前に出産,正月休みは子供を囲んで…というつもりが, いつになっても産まれず,やきもきしてました。妻は実家のある福岡に 帰っていて,わたしも正月休みと共にそこに行ってましたが, 福岡についた日に,妻は入院,でも産気づかず,結局年をまたぎ, 今日となりました。わたしは明後日には東京に戻るので,大丈夫なんだろうか? という思いもあったり,さすがに予定日より2週間遅れると,いろいろ 問題もあるだろうっということで,どうしたものか?と思ってましたが, 終わってみたら,息子は重さも2800弱で,普通の大きさ,あまり 陣痛も朝から始まって夕方前には産まれたので,まぁたぶん安産な 方なんでしょう。
願掛けもあって出産の話は日記には書いてなかったのですが,これで 一安心これからは子供の話も書くでしょう。
三年ちょっと前に癌になって,手術して,結婚して,そして今日子供が 産まれて,ようやく激動の期間がひと段落ついた気がします(仕事の 方もちょっとあわただしかったとかいろいろあって)。もちろんこれから 子供を育てるという大変なこともあるのですが,これからは長丁場, じっくりと腰をすえて行きたいと思います。
2010年01月02日という日付も左右対称で,ちょっと美しいな…と思ってます。 それでは。

1/1(謹賀新年)
新年あけましておめでとうございます。今年もよろしくお願いいたします。
2010年に入り,このWebも12年目に入ったということです。これからも 続けて行きたいと思います。
今年の正月は,ちょっといろいろあって嫁さんの実家で迎えました。 もちろん初めて。まぁ実家に帰らない正月もだいぶ前はあったのですが, ここしばらくはわたしの実家に帰っていたので,実家の方が私抜きというのも ちょっと久しぶりじゃないですかね。
ところ変わると正月の風習も違うので,いろいろ新鮮です。わたしの 実家は元旦は神社巡りですが,こちらはわりとゆったりかな。 夕食も実家はお節の残りですが,こちらは鰤のお刺身でした。
正月くらいは世俗を忘れて…ってことで,特にニュースも観ず, その手の話題も今日はお休みです。


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