だらだら書いた日記です。
日記中のURLはメンテしないので,切れてる場合もあります。
あしからず。
- 2/28(担当大臣は担当だけやっていれば良いわけでもない)
- 昨日の午後から腰がひりひりと痛くなって,昨日の夜がピーク。 今朝も痛くて起きるのに苦労したけど,午後くらいから 歩くのには支障なくなりました。疲れると露骨にこういうところに 出る気がします。
…。
ネタとしては笑えるのだけど,小渕大臣が「少子化は経済事情が関係していると認識した」 というニュースに皆さん「今頃わかったんか」と突っ込んでいました。
いままでどういうつもりで少子化対策を検討していたんかいな?と いう感じだけど,逆にこのセリフには「うちだけじゃ,なんともなりません」 と言ってる様にも読めます。
考えると,少子化対策に限らず,医療や高齢者政策,教育とか技術開発, 外交とかを考えても経済状態は影響します。経済状態だけじゃなくて, それぞれの項目も独立というわけじゃないでしょう。でも役所や 大臣は分かれているわけです。縦割りだからといって,自分の 領域を決めてその中だけでやっていたらいいというわけでもないでしょう。 実際に権限が無くても関係がある官庁には出向いて調整するのが 行政だろうし,最後の手段としては立法府で調整ってことに なるんでしょう。
逆に今ある政治の問題も景気がよくなればほとんど解決するって こともあるんじゃないかなぁと思うのですが,だからといって 金融経済系の大臣だけの責任ってわけでもないのでしょうね。 念のために書いておくと,少子化関しては景気がいいときも問題でした から,景気がよければ即解決というわけでもないです。
あと,担当大臣って実際どれくらいの権力があるんだろうと ふと思いました。
- 2/27(死の物語)
- 昨日のクローズアップ現代はおくりびとの アカデミー賞受賞を受けて,「死」の話でした。
映画の宣伝なのかな?と思ったら,まんま普段養老先生が書いている, 要は,現代社会で死が隠蔽されている事の弊害みたいな話でした。 というわけで,あぁ,そうだよね,っていう感じでみていたのですが, 個人的には全然新しい話ではないので,おくりびとや「悼む人」( この本は読んだことありません)のヒットで,今の社会の状況が 変わるものかなぁ…とは思いました。
とはいえ,今回の番組の中ではなくて,アカデミー賞で話題になった後に 映画館が満杯というニュースで,映画を見たお年寄りが, 「ああいう風に死ねたらいい」というのを聞いて,なんか今のお年寄りは まぁ一応戦中派とかで死に対してリアリティを持っている人が多いとは 思うけど,でももうちょっとするとそういう人がいなくなるから, 死に対して「物語」を持ってない人が増えるんだろうなと思いました。
死に対して物語を持ってないというのは,ある意味不安ではないのだろうか?。 そういう状態で安らかに死ねるのだろうか?と思います。最近の年金の話を 聞いてると,今の御年寄りはいくらお金を持っていても足りないようだけど, お金では安らかな死は買えないし,一人で生きていけるということは, 一人で死ななくてはいけないということになります。 むしろ死は家族の中に戻してあげた方が安らかに死ねるのではないか?。 一人で死ねば人間は終わりだけど,愛する人の中で死ねば人はその人の 中に生き続けられると思います。
まぁ,そんなことを思いました。少し死の物語がそれぞれの人の中に できたらいいんじゃないか?と思いますが,まぁどうですかね?。
- 2/26(出張)
- 今日は一日出張でしたので,とりあえずネタはなし。
というか,明日も出張,昨日も出張という感じの今週です。
- 2/25(優れた作品は普遍性と時代性が両立する)
- ふと思ったこと。
絵とか音楽とか小説とか…。これらは芸術でもあるんですが, 名作と呼ばれるものは当時多くの人に愛されたものである場合が 多い気がします(例外もあるけど)。多くの人に愛される作品と いうのはエンターティメント性が高いと思います。エンターティメント性が 高いものは「時代性」を多く含みます。でも,その作品が芸術となるには, 今の時代だけではなく10年後50年後100年後も人に愛される必要が あります。つまり「普遍性」が必要だと思います。
逆にエンターティメント性がまったくない芸術作品もあるのですが, そもそもそういう作品は作者が食べていけなくて作られなかったり, 誰も見向きもしないので,すぐに破棄されたりします。芸術性だけでは なかなか残る作品は生まれません。
つまり芸術作品として後世に残るには,芸術につながる普遍性と エンターテイメントにつながる時代性の両方を持っていることが 必要だと思います。
現在芸術と呼ばれる昔の音楽や絵画や,また文学や,そういうものも 当時は大衆を喜ばせる人気作品だったのだよなぁと時々思います。 今の人がそれらの作品を高尚なものと大事に評するのは悪くは ないけど,それだけの作品じゃなかったということだし,逆に 今のエンターテイメントから芸術が生まれる可能性もだいぶ ある気がします。
- 2/24(年金とインフレ)
- ちょっと仕事が建て込んでいて,今日は少し帰りが遅かった。 というわけで,ちょっとだけ書くと。
昨日年金の見通しが発表になっていた様子。 よくわからないが,運用利回りを4.1%というのが,なんか ありえない数字の様な気がした。NHKのニュースでも言っていたけど, 確か給料が年率2.5%上昇とか?。それってどれだけインフレなの? と思った。そりゃー,インフレになれば給料は上がるし, 年金支給額もあげられるだろうけど,物価も上がるから生活が 楽になるわけではない。でも,なんかインフレ前提の 福祉政策という既成事実を作って,日銀にでも圧力を かけるつもりなんだろうか?。
なんとなく,支給額でグダグダ言うならインフレにするぞという 圧力を感じた。ネタだけど。
まぁ実際年金って支給額云々ってよく報道で言ってるけど, 実際は支給額じゃなくて,その支給されたお金でどれだけの 生活ができるかだから,物価指数比で見ないといけないのではないの?と 言う気がする。実際今はデフレなんだから,年金支給額が 据え置きだったら,実際は増額と言うことになる。いや,据え置きじゃ ないけど…。
そんなことを考えたけど,…。以前も書いたように思うけど, 物価が大きく動いたり,レートが変わったり,産業構造が 変わる時って,漫然と生きてる人は結構損をして,その裏で しっかり稼いでいる人がいるような気もする。別に人がずるく 儲けてるからこっちが損をしてるっていいたいわけじゃないけど, つまり世の中が変わると良くなることばかりじゃないよって 事を思うので,インフレにしてもデフレにしても,切り替わって しばらくはあんまり普通の人にはお得じゃないのかもなぁ…と, そんな気がします。素人考えだけど。
- 2/23(学校で習うことは役に立たないに対する違和感)
- 時々聞くに,「学校で習うことは社会に出ても役に立たない」 という人がいますが,わたしには違和感があります。 わたしの実感とは合いません。
学校で習ったことが役に立たないという人は,何が言いたいの でしょうか?。
「学校では勉強ができないと評価されたけど,自分は社会では困っ てないよ」と言いたいのか?。「自分が今役に立てている能力は 全部独学で身につけた」と言いたいのか?。それとも逆に, 「学校では成績優秀だと言われたけど,今の自分は社会では 役立たずだ」という意味でしょうか?。
わたしの実感では,漢字の読み書きだって,九九だって,面積の求め方だって, 移動の所要時間や速度の求め方だって,温度とかの意味やカロリーとか だって結構普通の生活で役に立ってます。県や国の名前も知らないと 苦労すると思うし,学校で習ったことで知らないと苦労する事って 多いと思うけどけどなぁ。 中学や高校の勉強だってだって,まぁ理系は自分が技術系の研究やっ てるから役に立ってるのは当然として,文系の授業だって, 歴史知ってると大河ドラマみても楽しいし,海外にいって観光地を みても楽しい。憲法とか全然知らないと国会の話とかを聞いても もっとチンプンカンプンだろうなぁ。
もちろん中高以降の勉強については知らなくても生きていけるし, 生きている人はいるのかも知れないけど,読み書き算数が 役に立って無い人ってどれくらいいるんだろう?。また 学校にいかなくて,独学や塾で身につけた人っていうのも いるんだろうけど,そっちの方が世の中多いんですか?。 もちろんそうだとしても学校で身につけられるんだったら, そっちの方が効率良くないか?どうせ小中は義務教育なんだし と思います。
いやそうじゃなくて読み書き以外にたくさん習ったけど 使ってないことあるでしょ?といわれるかもしれませんが, 別に学校に限らず,普通は自分が人生のうちに覚えたことって 直接使うのは数割じゃないかしら?。でもそういう直接使わない部分が 「引き出し」とか「糊代」になるんだと思います。
- ちょっと話が変わりますが,パソコンとかを使いこなす能力というのが, 今の学校(の授業)であまり評価されない,という話を読んだのですが, 確かにパソコンは,今は学校でも教えるんでしょうけど, わたしはこれは「技術」だと思うし一般性がそんなに高くないので, 読み書きに比べると,重要度が低いかもしれません。 基礎学力というより,ツールですよね。ソロバンとか物差しの類い でしょう。
ソロバンや物差しは数学や物理を勉強する上では必要(有用)ですが, 数学や物理そのものではありません。10年20年たっても必要な知識かというと 疑問だということです。わたしの20年前はコンピュータを使うというと BASICやUNIXでしたし,LaTeXの時代もありました。emacs lispとかも。
これらを身につける過程でコンピュータを使いこなす思考法を 身につけることは重要ですが,BASICの知識自体は今は殆んど役に立ちません。 今のパソコンを使いこなす能力だってこうなる可能性があります。 ワープロやスプレッドシートを使いこなすとかWebで検索する能力とか, もしかしたら10年後には全く違った概念でコンピュータを使う必要が 出てくる可能性だってあるでしょう。ですから,評価するとしたら ツールを使えることよりも,コンピュータのより一般的なところを 理解できているか?というところではないでしょうか?。
- 余談ですが,絵を描いたりするのは,確かに技術ですが,絵を描く ことによって身につく美的センスはいろんなことに応用が 効くと思うので,やっぱり教育にはふさわしいと思います。音楽も。
まとめると,わたしは学校の勉強はそれなりに役に立つから, まぁまじめにやっておいたほうがいいよ,と。もちろん それに落ちこぼれたからっていってリカバーができない わけではないので,落ち込む必要はないですけど,役に立たないと 言い切るのはどうかな?と思います。
- 2/22(これからは美容家電のターン)
- 嫁がとある美容家電を買いました。だいぶ前から買おうという 話になっていて,それで家電量販店のそれ系のコーナには何回か 行きましたが,どこもそれなりに盛況だし,価格帯も結構良い値段。 …といってもパソコンほど高いものではないけど。ちょっと 驚いたのが新宿のサクラヤとか駅前の売れ筋が入ってる店舗に しっかり美容系のフロアがあって,他は携帯とかマルチメディアなので ちょっと異彩をはなっているって事。それだけ利益率がいいって ことでしょう。
このての製品は,何が適正価格なのか良くわかりませんが, 第一に効果が実感できることが重要で,嫁が買った製品も実際に ちょっと使ってみただけで効果が実感できたようです。 あと製品の説明書を読むとそれなりに 理屈が書かれてますが,論文とかの引用がされているわけではないので, お話としてへーぇーって感じ。自分は研究者なので,もうすこし ちゃんとした説明がほしいとか思ったりしますが,まぁ世間の人は そうは思わないのでしょう。
そういう個々の製品の話はいいとして,なんとなく,今はこういう 分野が元気なのだなぁと思いました。普通の白物家電はあまり 儲からないといわれて久しいですが,健康や美容,あと高付加価値の 白物もそれなりに元気。一方これまで高付加価値だと思われていた パソコンはいまや価格と性能だけで比較されますので,付加価値の つけようがありません。そういう意味じゃこれからはこういう 製品の方が利益率がいいのかなぁと思いました。まぁパソコンより 体の健康のほうにお金をかけるほうがある意味健全という気がしないでも ないので,それもいいかと。
ただ,こういうのは詐欺まがいの製品も作れますので,特保じゃないけど, なにか基準みたいのがいらないのかしら?とか思ったりもします。
ふと思ったのだけど,こういう家電て海外の家電メーカって作って ないのかしら?
- 2/21(これからは日本のターン)
- ネットで「1ドル70円台の日本経済」というフィクションを 読む。おもしろかった。
メタでいうと,一次ソースを観ずに,マスコミの論調を信じて, 景気が良い悪いというのは愚かしいという話。ミクロにみると, 円高である日本は実は先行き明るいという話になるのだけど, まぁそれぞれ一理あり,そうだと思う。
もっとも円高で日本は明るいというのは,そうかもしれないけど, でもこれまで円安で儲けていた会社には辛いので,損をする人と 得をする人が変わるというのが実情でしょう。つまり産業構造が 変わるわけで,そういう時はものすごく儲かる人と,ものすごく あおりを食う人が出てくるわけです。特にこれまで儲かっていて, 大量の雇用を創出していた業界は,見てのとおり雇用を維持できず, 失業者を産むわけです。新しい産業構造が定着したら,そちらにも 多くの雇用が発生するので,その臭いをかぎつけて転職する人は吉。 そうできずに今までのところにしがみついている人は凶ということ なのかもしれません。
まぁ実際はわたしは円高が生み出す産業構造がどうなっていくのかは, 今のところあまり良くわかりません。内需を高めればよいとは 言いますが,やっぱり外貨を稼ぐ必要があるわけで,価格競争とは 違うもので外貨を稼ぐ必要があるんでしょうね。文の中にあった, 国債を誰が買ってるかというのは重要なことですが,国が紙幣を 発行したらインフレが発生するので,それがいいことなのか 悪いことなのか?。よくわからないというのは数日前も書いてます。
で,メタな方のマスコミに踊らされるおろかさは,その通りなんだけど, ただし株価とかは,その風説に踊らされて動くので,無視できないというか バカにならない。決して空論というわけでもないわけです。
まぁ,とはいえ,ここ数日のアメリカやロシアの日本へのアプローチを みてると,やはり日本は外国から見たらかなりリッチに見えるんだろうなぁと 思います。うぬぼれてそういう国にお金を出さないように, 貧乏だと思い込むのはいいのかもしれませんが:-p,まぁあまり 悲観的になるのもどうかと思います。
- 2/20(歳を取るほどキャラが立つ)
- 最近良く思うのは,人は歳を取るほど個性が出る,言い換えると 変な人になるなぁ…とかそういうことです。
会社とかで久しぶりに同期にあうとなんか変な人になっていたり, 会社を辞めたご老人と話すとこれまた変な人になっていたり。
歳をとると分別が出るとか,そういうのは結構嘘で,人は歳をとれば 取るほど個性的になるって気もします。よくみると子供っぽくなってる ような気もして,つまりは元々はこういう気質だったのかな?とか 思ったりもします。
昔は若い人,特に高校生とか大学生とかの方が,遠慮がなかったり 妙にハイだったりとかで個性的,社会に出たらそれが丸く収まってって 感じがしていたのですが,丸く収まるというより,若い社会人とかの 方が自ら方に入ってある意味,社会にうまく適合していこうと 努力してるのかな?とかいう気がします。ですから,歳を取って ある程度地位ができてきて遠慮が無くなると,本来の個性が出てくる。 年寄りの方が分別があるというのは,そんなことはないなぁとか 思ったりもします。
それはそれで悪いことではない,人は生きていくと自然に人生経験から キャラが立ってくるということなのでしょうし生き様がでるって ことなんでしょうけど,まぁでもそんな感じですから,若い人が わがままでってわけでもない…ということです。
なお,わたしが若い人に感じることは,単に年寄りの無理解な だけな気がするので,説得力がないと思いますが,時々,妙に 無警戒な人がいて,まぁ空気が読めないって今風だとそういうんでしょうが, そういう人は歳を取って,さらに個性が出るとどうなるんだろう?とか 思ったりもします。
- 2/19(お仕事)
- 今日は会社で一日立ち仕事,夜は元上司とのみに行く,というわけで, ちょっと立て込んでました。世の中の動向はちょっとわからず。 宿題がたまったので,今日の日記はこれまで。
- 2/18(大国の間で…)
- 今日は仕事が忙しくて頭がカスカスになってるので,あまり いろいろ考えてないので,ちょっと気になることだけ。
クリントン長官が日本に来て,さらに総理をアメリカに呼ぶとか, サハリンに総理が行ってロシアの大統領と会談するとか,小泉氏が モスクワに行ったとか,何気に外交が盛んになってる気がするのだけど。 逆に北京五輪までは大騒ぎしていた中国政府の話題をあまり聞かなく なっている。と,ちょっと日本の国際社会でのポジションがよく 解らないという印象。G7も本当はいろいろ話し合ったはずなのに, 中川さんの酩酊騒ぎしかマスコミは取り上げない。
もう少しまじめに俯瞰的に報道してくれないかしら。たぶん 記者もわからないから,ゴシップネタばかり取り上げてるんだろうけど, それ,報道機関としての職務怠慢ですから。
大国が日本にアプローチしてるのは,例によって金を出してほしいと いう話なのか,それともどこかのパワーゲームに巻き込まれようと してるのか,環境技術目当てなのか,よくわからないけど,なんでも こういうのは裏があると思うんだけどねぇ。
- 2/17(病人に酒を飲んだろう?という国民性)
- G7後の記者会見で朦朧としたことをみっともないと 報じられた中川大臣。結果的に即日辞任となりました。わたしは どこまでが大臣として許されることなのかはよくわかりませんので, 辞めるべきだったかどうかは判断できません。でもそれよりも今回の 騒動でマスコミや野党の人たちがまるで酔っ払っていたのだろう?と いう口調だったのには,「人として」どうかと思いました。
実際リンクした先にも書いてましたが,大臣が朦朧としていたのは, 風邪と時差ぼけと薬のせいのようです。
たとえ話として書くと,同じ職場のある人が,出張先の仕事で, 体調を崩して失敗して帰ってきたときに,「酒飲んでたんじゃないか?」とか いいますかね?。実際体調壊していてそれをいうのは人道的にどうかと 思うのですが。もちろん,体調管理が悪くて仕事を失敗したので,それは 責められるべきです。休むべきだった。代役を立てるべきだった。 それができないなら,仕事を変われ,というのはありです。ですから, 辞任を要求するのは,まぁありでしょう。でも,病気だと言っている人に, 酔っ払っていただろう?というのは,どうかと思いました。
安倍総理が退陣するときも思いましたが,病院に鞭をうつような論調が どうして許されるのだろうか?と思います。
ついでに書くと,重要な仕事をする人は体調をしっかり管理してほしいし, もしものときの体制も作るべきだと思います。 できない人は重要な仕事はやるべきではないと思いますが,そういう 意味では,現在の野党の党首は大丈夫なんですかね?。もし与党になったら やっぱり総理をやるんですかね?。
もうひとつ別の話。
小渕さんが妊娠されたという件。人として すばらしいことだし,立派なことだし,元気なお子さんを無事に 産んでいただきたいと思います。ただ「少子化担当としてすばらしい」と いう発言はどうですかね?。これってありな発言ですか?。わたしは 引っかかるのですが。
というわけで,ちょっと人としてどうよ?という発言が,政治の 周辺で聞かれて気になったので書いてみました。
- 2/16(発言力を得ること,正しく使うこと)
- 村上春樹氏がエルサレム賞受賞式でガザ攻撃を 批判したというニュース。
村上氏がエルサレム賞を受賞したというニュースは先月から 聞いていて,Webとかでも賛否両論というか,受賞受けることとか 受賞式に行くことに対して否定的な意見,それに対する反論を いくつか読んでました。数日前にTVでもどこかの団体が反対していた というニュースが流れていて,話が大きくなってるなぁという印象 でした。
結果的に村上氏は受賞は受けたけど,しっかりエルサレムへ行って ガザ攻撃を批判するというかなり勇気がある行動をしたと思います。
…と書くのは簡単ですが,わたし自身は村上氏の作品をまったく読んだことが ない人なので,まぁこれ以上どうこういう事は出来ません。ただ 村上氏のファンは結構多いし,今回のファンの議論とかを読んでいても, たぶんしっかりとした考えに基づく行動であったのでしょう,と 思います。
で,どうしてこの話題を取り上げたか?というと,わたしは 今回の話を聞いて村上氏が持っている発言力の強さを感じたからです。 その発言力はおそらく村上氏の作り出した作品の成功によるもの, また作品の内容によるもの,そして彼の普段の言動とかにも よるものかもしれません。わたしは彼のこれらのものを知りませんので, 想像で書いてますが,周りの反応を見ていると,発言力があることだけは よくわかります。
世界の情勢,社会についていろいろ語る人というのは,今のブログ主体の 世の中では山の様にいます。気軽に物事を語る人もいれば,しっかり いろいろ調べて意見を持って文章を書いている人もいます。でも, どんなにその文章の質が高くても,その発言が世の中に影響力を持つには, それ以外に,その人自身がもつ影響力が必要で,それを持つためには, 長い時間をかけて,その人が何かの仕事で成功しなければいけないと いうことなのだ,と思いました。
人が何のために成功を望むかというと,お金のためだったり,名声だったり, 異性に持てるためだったり,作品を後世に残すためだったり…いろいろ 人それぞれだとは思いますが,わたしは自分の発言の影響力を高めるため…と いうのが実は結構,そういう成功欲の根本にある気もします。発言力だけ あれば,お金やモテがなくても意外に人は満足を得られるかもしれない…, などと思うこともあります。
なんとなく普段からそういうことを思っていたので,今回村上氏が まさに経済とか政治とかとは別のところで大きな発言力を手にしていて, それを非常に正しい使い方をするために,エルサレムまで行ったのだなと 感じました。
- 2/15(TDL)
- 今日は嫁とディズニーランドに行きました。もう,10年,いや, 15年は行ってないのでずいぶん久しぶり。こんなだったかな? と思うところはたくさんあったけど,楽しみました。明るいうちに 帰ったので,今週の準備もそれなりにできて,まぁ良かったです。
そういえば,お昼にディズニーランドの中のレストランで食べたのですが, ハンバーグとか,チキンがメインのランチを食べたのですが, 食べた瞬間,なんか給食みたい…と思って笑いました。まずいというよりも, なにか懐かしいような,それでいて妙に単純な味。これって わざと子供向けにそういう味になってるんだろうか?とかそういう 風に感じました。大人がうまいと思うものを子供に出したら, やっぱり美味しくないのかもしれませんね。
- 2/14(休日)
- 昨日は春一番だったらしいけど,夜は雨。今朝は道路とか濡れてたけど, 天気は良かった。気温は18度くらいまで上がったはずで,一日 とても暖かくて,マフラーとか不要。コートを着ると暑い位だった。
水曜に引き続きジョギングをした。筋肉痛が残ってるんだけど, どうかな?。
夜は近所にある鮨屋に嫁と寿司を食べに行った。一品ずつ仕事がしてある いわゆる江戸前寿司で,一人一万くらい食べた(笑)。まぁでも 贅沢な味だったので,いつも食べるわけにはいかないけど,値段的に 損をしたという感じでもないので,またいずれ行きたい。
ちょっとだけ時事ネタ。
一昨日,政府がお金を発行してインフレにしたらどうなんだろう?と 書いたけど,やっぱり そういう意見はあるんだなと思った。実際の ところどうなんだろう?。
- 2/13(他人の不幸が自分の幸福というわけでもない)
- 他人をねたむ脳の話が新聞で取り上げられて いました。なぜかいくつかの新聞で取り上げられてるようですが, 何故?。記事で締めになっている「ねたむ」と「他人の不幸を喜ぶ」と いうのが近いという話は,なんか感覚的には似たような感情というのは まったく違和感がないのだけど,MRIで解ったというトピックはいいとして, 締めに使うほどの内容なんでしょうか?。むしろ「ねたみ」と「他人の 不幸を喜ぶ」という感情が他の人は別の感情と思っていたのだろうか?と 思ってしまいました。
なんとなく大学生を被験者にしたのがミソかな?と思うのですが, 自分の場合は歳を取ったせいか,あまり他人をねたむ気持ちは 自覚できません。正直他人はどうでもいい。他人の不幸が自分に 利益をもたらすのであれば,うれしいこともあるのかも知れないけど, 大体において,無関係と自分は考えます。他人の不幸が自分の 幸福になるのはその人と競争をしている状態で,そういうのは 確かに学生だと多いでしょうけど,社会にでると明確なライバルは あまり目の前にはいません。下手をすると相手の不幸が自分の 不幸につながることの方が多いようにも思います。
学生が競争状態にあること,あと子供が自分の幸福の話と 他人の不幸の話をうまく独立に扱えないから,こういう結果が でるのかな?とか思います。もっともじゃぁ年寄りはそういう 感情がないか?というと,意外にお年寄りの方が妬みが強い人も いるので,一概には言えません。ただ,お年寄りはねたみがつよい 人と,そういうのはもうどうでも良くなった人と,別れるのじゃ ないかな?と少し思いました。
話が変わりますが,先週目が点で「苦い」味を子供は嫌う,動物も 嫌う,人間の大人だけが好むという話をやっていて,大人が 苦い味を美味しいと思うのは,「苦いけど毒がない」ということを 経験で知っているからという話でした。人生経験で味覚が 変わるのか?という気がしないでもありませんが,世の中が 単純でないことを大人の方が感覚的に知っているのであれば, 他人の不幸が自分の幸福に単純につながるわけでもないと 大人の方が解ったりしてないかな?と思いました。
- 2/12(徒然)
- 昨日手術以来始めてジョギングしたら,結構足が筋肉中。 エアバイク漕いでいるのだけど,全然違う筋肉を使うんですね。
特にネタがないので,ちょこちょこと。
…
ずっと気になっているのですが,今の不景気。政府がお金を 大量に印刷して,インフレを起こしたらどうなるのでしょう?。 お金の価値が下がるので,預金が危険で,みんなあわてて物を, 特に資産価値があるもの(土地とか)を買う気がするのですが…。 あと円安になるだろうし,国の借金も実質減るだろうし。 給料は実質減るんですよね(苦笑)。ただインフレってこういう 場合何がいけないのか?よくわからない。いえ,単なる疑問だけど。
…。
麻生さんの郵政民営化見直し発言を,小泉さんが強烈に批判していた。 小泉さんを動かしたのは,結構地雷だったのかも。うーむ。
…。
漢字検定の協会が利益を出していたという件。すでに汚職になって しまってるので,ちゃんと調べて不正をやっていた人はつかまれば いいとおもうのだけど,もともと問題になっていた「利益を出しすぎている」と いうのは,まぁ,わかるけど,だったら公益法人が赤字を出すことには ちゃんと公益を出しているのであれば, もう少し甘くしてあげても良いんじゃないか?という気がする。 儲けすぎても損しても批判されるというのは,結構辛い気がする。
…。
昨日,マクドで昼食を食べました。普段は食べないのだけど, ちょっとチケットがあったので。店内で食べてると,隣で若い人が 何も買わずにはいってきて,かばんを置いて寝ました。ふーん,と 思ってみていたけど,かばんを持っていったらこの人は気づいたのかしら?。 なんという無防備というか。ネットカフェとかで寝ている若者が多いとか いう話も聞きますが,気の毒というより,無防備という風に 取ってしまう。帰れないというよりも,単にどこででも寝てるだけじゃ ないか?という気がした。自宅じゃないと落ち着いて眠れないので あれば,自宅に帰るんじゃないかなぁ。
日本て平和。
では,そんなところで。
- 2/11(ネットで書く文章力)
- fujiponさんのところに 「ブログに移行すると『文章の質が落ちる』理由」という 話が書いてあって,興味もって読みました。
リンク先に「ネットで書いてるとなんで文章力落ちるんやろ」って いうのもあります。
fujiponさんはブログに移行したことによる文章の変化について 書かれてます。この方むかしからWeb上のいろんな媒体で書かれている 様ですが,ブログで書くときに何か感じるものはあったのでしょう。
ネットで書くことで文章力が落ちるのかはわたしは解りません。 わたしはネットで文章を書き出すまでろくに文章を書いてませんでしたから, ネットで文章を書くことによって文章力はついた気がします。もっとも わたしがネットを始めた頃というのは,ネットニュースとメイリングリストの 活発だった頃でWebなんてまだありませんでした。文章を書くのは パソコンか,ワークステーションの上のエディタの上ということなります。 誰かの文章を引用して自分の文章を挟むというのが主流なのもニュースや メイルの特徴です。そうなると結構引用する人の文体の影響を受けます。 自分よりうまい人の文体を読んで,影響を受けたなぁという 思い出があります。
あと,環境ですがワークステーションと書きましたが,わたしは自分の Webを作ってから一貫してemacs上で文章を書いてます。これはこだわりと いうより,やっぱりemacs,じゃなくてもエディタ上で文章を書いた方が, 文章を書くことに集中できる気がするからです。以前は仕事で論文を 書いたりするときもemacsで書いて,TeXにしたり,ワードに流し込んだり してましたが,最近はいきなりワードで書くこともあります。まぁでも やっぱりemacsの方が楽なので,今でも日記はemacs上で書いて,htmlの タグを打ち込んだり,あとブログにコピペしたりしてます。
なので,わたしはブログ用に文章書いてないのでブログの方が文章力が 落ちるかはよくわかりません。でも環境って文章の書きやすさに明らかに 影響するし,それによって文章自体が変わるのは当然あるので, 文章力が落ちてると実感するのは,文章が書きにくい環境にいるって ことじゃないのかな?とちょっと思ったりもします。
わたしは紙の上に直接原稿を書くとかいうのは,ほとんどやってません。 もちろん高校まではやっていたけど大学の卒論はもうワープロでした。 だから昔の人が紙とペンで多くの作品を書いていたというのはすごいなぁと 思いますが,それに慣れている人が他のものに変わればそれなりに 何か変わるでしょうねぇ。
まぁWebになってろくに校正せずというか,わたしの場合読み返すこともなく 文章をアップしたりしますから,上達することもないよなぁ。メイルの 頃の方が,まだ相手を怒らせないようにとか読み返して出したり してたよなぁ,とかいうわけで,文章力は落ちてるかもしれませんね。 最近は論文も書いてないし。
- 2/10(組織長のできること)
- 読売新聞によると 「民主に賛成の官僚以外クビ」と鳩山氏が言ったらしい。 ガクガクブルブル。
政治家なんて一人一人が選挙で選ばれる人たちだからある意味一匹狼 なんですかね?。大きな組織とか運営したことないのでしょうか?。 特に野党は。言うことを聞かなかったらくびにする,なんて いうのは,会社とかのマネージメントでは最低やり方で, そんなことでまともな組織はできるはずはありません。ビジネス書に そういうこと書いている本なんてないでしょう。
そもそもそういうやり方でしか自分の部下を管理できないというのを 示しているようで,組織運営能力のなさをひけらかしているだけです。
一般に組織長が持っている権限というのは,人事権と予算決定権です。 だから国会でも予算審議にものすごい時間をかけますし,次官とかを 決定することは重要なことでしょう。まぁでもクビにするとか 予算決定をむやみに長引かせるのはやぱり権力の使い方を間違って いるでしょう。ちなみに人事と予算は大雑把に言うと「リソース」で あり,つまり組織長はリソースを制御することしかできません。 そのほかにある権限というと,対外的な事項,つまり外部提携とか, 文書を発するとか,そういう場合になります。それはいいとして 組織長が組織を運営するということは,は決して怖がらせて自分の言うことを 聞かせることではなく,組織のメンバーが一人一人ができるだけ本人の 能力を発揮するとか,自主的に動いて,なおかつ組織全体が利益を 生み出す様にするということでしょう。トップ一人の言うことなんて たかが知れてます。一人一人がトップの言うことを伺わなくても, 全体の利にかなった行動をするようにするのをリソースの制御で 行うのが優れた組織長だということです。
しかしやってみるとこれがなかなか難しいです。ですからビジネスでは, 部下のやる気を出させるためにどうするか?ということがいつも 大きな問題となるわけです。予算や人事で組織のメンバーの動きを 止めるのは簡単です。でもやる気を起こさせるのはとても難しい。 優秀な人材を無理やり集めても,本人達が本気でやる気にならないと パフォーマンスはかなり落ちます。部下の勝手な行動は止めることが できても,やらないことを止めることは不可能です。
ということで,いうことを聞かないとクビにするなんて力で 管理された組織がまともに動くわけがありません。そういうことを いうのはマネージメント能力がないとひけらかしているのと 同じだと思うんですけどねぇ。
- 2/9(コピーの時代)
- ちょっとネタっぽい話題。
ネットでこういうのを見かけました。 「○○○が日本を滅ぼす」を検索した結果と, 「若者の○○離れ」を検索した結果。
見てのとおり,山の様にひっかかります(笑)。いろんなものが 拠ってかかって日本を滅ぼしているようです。日本は何度滅んだのでしょうか? 何度滅んでも復活しているってことでしょうか?。無敵だな(笑)。 あと,若者は色んなものから離れているようで。若者はなんに 寄っていってるんでしょう。
つまり,これらの言葉はあまり意味なく使っているということで, これで言われている内容はあてにならないということでしょう。
ちょっと違うけど,ついでに書くと 「百年に一度の不況」もうさんくさいというのも,まぁ言葉的には 胡散臭いです。というか,わたしの仕事的には去年の初めは 電話網の改革が「百年に一度」というキャッチフレーズだったんですが, まねたんですかね?:-p。
エキセントリックなコピーで売り上げを上げ,中を見たら時々がっかり, というとどうも最近の本のタイトルとか,特に新書とか,そういうの 多い気がします。そういう時代なんですかね?。まぁなんというか, あんまり真に受けないほうがいいのを表しているなと。そして, こういうネットの検索の使い方は結構いいなぁと思いました。
- 2/8(ブランド)
- デパートでブランド物とかを見ていると,「この製品は○○の 技術○○を受けて○○で作っています」みたいなことを 書いてあったりします。最初の「○○」はブランド名で,次が ライセンスだったり提携だったり指導だったり,最後は日本だったり 他の国だったり…。
こういうのはヨーロッパのものが多いように思いますが,要は ヨーロッパのブランド物でも,実際は日本で作っていたりしますよとか そんな感じです。そういえば,戦闘機のF15はアメリカの飛行機メーカの ライセンスを受けて日本のメーカが作ってなかったかな?,そんな 感じでしょうか?。
ちょっと良くわからないのが,現地生産とこういうライセンス生産の違い。 日本のメーカも人件費が安い国に工場を作ってそこで自社ブランド 製品を作っていたりしますが,これとライセンス生産って どう違うんですかね?。日本の外国生産の場合はそこに日本人がいって 工場の運営や技術指導をしてると思うし,直営じゃなくて現地の 会社と合弁でやってる場合もあるし。
西洋のライセンス製品というと,そういえばエレキギターもフェンダー ジャパンとかあるけど,あれは日本の既存のメーカが作っていたように 思います。
なぜそんなことを書いているかというと,ウエッジウッドとかレノックスとかが 破綻したときにこういうのを書くのもどうかと思いますが,最近 日本の文化が西洋で認められてきていて,一方で世界の工場は 中国に取られてしまったし,それでいて円高になって輸出も辛くなって 来ていたりして,ものを作って売るのが辛くなってきたら,やっぱり ヨーロッパみたいに世界に通用するブランドを作ったり,文化を 輸出するような方向に行くべきなんだろうか?と考えていたからです。 とはいえ,海外にブランドを自体を輸出して,品質が下がったりして, そしてブランドが失墜したりとかするのかな?とか。いや, わたしはウェッジウッドとかの破綻って別にブランドの品質が 下がったことが支配的な原因とは思ってないのですが,ブランドを 売って商売するってことを今の日本はどれくらいやってるのだろうな? と。どんな会社がやってるんですかね?。
最近海外から驚かれる日本の文化みたいな話は,それなりに聞くのですが, 弁当の凝り具合も西洋から見たら日本はすごいらしいです。 まぁこの辺も含めて,日本の料理とかは海外では結構認められている 様ですが,こういうのをうまい商売にするのが,どうも日本人は 下手ですね。いや,わたし自身もこういうのでどうやって儲けるのか, あまり想像できないのですが(^^;)。
- 2/7(電子マネーは通貨発行か?)
- 円天という電子マネーを作っていたL&Gとかいう会社の 代表が詐欺の疑いで捕まりました。たしかこの円天というのは 数年前にも一度話題になっていて,そのときも詐欺か?みたいな 話がちょっとあったように思います。わたしもいつか破綻するような ビジネスモデルだなぁ,と思ったように覚えてますが,実際に 営業してる企業を名指しで詐欺と指摘するわけにもいかないかなぁと 思って日記に書かなかったように思います。たぶんマスコミも, 怪しそうに取り上げていたけど,やっぱりそういう風な 感じだったのかもしれません。
こういうのは破綻するということが,あらかじめ証明されてないもの なんでしょうか?証明されていれば,無限連鎖法とかでも引っかかる ような気がしますが,詐欺罪でつかまるってことはこういう ビジネス自体は悪いことなのかいいことなのかわからないって ことでしょうか?
「『社会保険庁』と円天の『L&G』はどこが違うのですか? 」と質問があったのですが,別に社会保険庁はまだ 破綻してないので,社会保険庁のことを詐欺みたいに書くには 誹謗中傷にあたると思いますけど,いいんでしょうか?。
ところで円天の「減らないお金」というのを聞いたときに, これは何なのかなぁ?と思ったのですが,使ったけどまた金額が 増えているというのは,結局はその円天自体がお金を発行していると いうことなのか?と思いました。そういえば,お金を発行するというのは 国の重要な業務ですが,国以外がお金を発行して良いのか?というと どうなんでしょう?。
最近いろんなお店にあるポイント制や,あと一時期話題になった 地域通貨とかみたいのも一種のお金ですが,これは特に違法とは されていないようです。ですが,ある店のポイントとかは実際に 発行されたポイントの1割くらいしか,お金を準備していないとか いう話も聞いた事もあり,これも一斉の取り付けが起きたら破綻する 架空のお金という面もあります。
お金を発行するのは国(行政)の独占的な権利ではないのでしょうか? だれでもお金を発行していいのでしょうか?破綻しなければ犯罪じゃ ないのでしょうか?。国だって発行したお金の価値は保証されて ません。昔は金を準備されてましたが,今は国の信用で価値を保ってます。 電子マネーも通貨も信用で成り立ってますが,その信用を負っている ものの規模の違いなのかもしれません。
- 2/6(「普通」が作る世界)
- 昨日ちょっと風邪…峠を越えたかな?と思ったけど,今日は ちょっと無理をしたかな?と少しイマイチ。とはいえ,結局熱は 出なかったなぁ。熱が出たほうが,いろいろと良かったのでは?とか 思ったりも。いや癌細胞って高温に弱いから,発熱で一緒に死んで くれないかな?とか,思ったりしたんだけど。いや,癌細胞いるとは 限らないのだけど…。
…。
ちょっとデリケートな話なんでリンクはしませんが,ネットで障害がある人を 普通高校に入れてほしい,テストの点数が合格点じゃなくても入れてほしいと 願う人が文章を書いていて…,ちょっといろいろと思いました。
こういう問題は当事者じゃないので,よくわかりません。家族が 障害を持った子供を普通の人と一緒の環境で育てたいという 気持ちはわからないでもないけど,子供本人にとってそれは 幸せなことなのか?。また一緒になったクラスメイトにはどうなのか? 迷惑なのか?それともそういうのはいい経験になるのか,いろいろ 考えられて,どれももっともだと思います。だから,特定の ケースにはどうこう言えても制度としてこうあるべきというのは 決めにくい。ただし制度がないと,一人でその制度に外れたことをするのは 難しいとも思います。
その件について,何か答えを出そうとは思わないけど,一方で 「普通高校」という言葉が気になりました。普通高校と言うから 普通の高校に子供を通わせたいと思うのかしら?。世の中に普通高校なんて なくて,さまざまな色んな高校があって呼び名もさまざまだったら, 普通高校に行かせたいと思うのだろうか?と。いや,障害者と健常者を 分けていれば,どういう名前だろうが,健常者が行くところが, 障害者のとっては「普通」学校だと言うことなんだろうけど。
こういうことを思ったのは,「普通高校」はあっても「普通大学」は ありません。まぁ大学全入時代が来てるし,専門大学も合併して 総合大学が増えてるから,もしかしたらそういう大学が「普通大学」に なるのかもしれないけど,じゃぁ普通会社,普通職場っていうのが あるかというとやっぱりない。社会に出たら,もちろん障害者と いうことでの苦労は多いとは思うけど,健常者もいろんな意味で 人と差別や区別をされて生きていく必要があります。もうそこには 「普通」というものはなくて,それでもあるという幻想がなんとなく あって,そんなものの様な気もします。
- わたしはだいぶ前に,世界は一様に均等であるよりも,できるだけ 細かく分かれていて,それぞれの中で異なる価値観で運用されれば良い, そして人々は自分の好きな価値観の世界に所属し,そのメンバーとして 貢献すればいい,と考えていたことがあります。実現は難しいと 思いますが,今でもその考えはあまり変わってません。 人は一人では生きられなくて,どこかのメンバーや権威に寄り添うことで 楽になると思うのだけど,その価値観についていけない人が必ずいるわけで, そういう人は無理してそこに所属するのはしんどいだろうと?,そんな 風に考えたりしてます。
わたしは人ががんばるには,競争や評価はあってもいいとおもいますが, そこで劣等感を感じる人も,別の尺度や価値観でなにか満足を 得られれば良いと思います。
多様な価値観があったほうがいいと思ってるので,「普通」という 概念自体に抵抗を覚えるのです。。
元々この文章を書いたきっかけが障害者がらみの文だったので, 多様な価値観ということがその人たちに生きる場を与えることに なるのかどうかは良くわかりません,というか逆に一部の人を 別の世界に押し込むことになるのではないか?という危険性も あって,だから,デリケートな問題だとは思うのですが,やっぱり 「普通高校」とかいうから,まるでそこに「普通」というものがあって, そこにいけないのは「普通じゃないみたい」に思うのかな?と 思ったりしました。
あっ,そうそう。自動車の免許って「普通免許」って言うんですよね。 変ですよね。「普通」って言葉,結構行政用語でよく使われますが, なんか変な響きを持ってるよなぁと思います。あんまり使わないほうが 良いんじゃないかなぁ?
- 2/5(VIPはいつもVIP?)
- ちょっと冗談ぐらいの話ですが。
漫画とかアニメとかみてると日本でも上流階級の人達が主役の作品とか あって,結構おもしろかったりします。そういうのは,いわゆるお嬢様や お坊っちゃまが浮世離れした行動をするとかそういうのがお話になります。
ではそういう人達が現実にいるのか?と言われるとどうなのかな?とか 思いますが,多分いるところにはいるのでしょう。あまり縁がありませんが, たまに育ちがいいのか,浮世離れしたような人と知り合ったりしたりして 話をすることもあります。大抵そういうのは,親というか家が旧家だったり, 資産家だったりそういう感じでしょうか。
一方で会社で仕事をしていると,VIPという人達がやってきて対応を迫られる ことがあります。会社も一族経営とかだと資産家だったりするのでしょうが, 雇われ経営者ばかりの会社だと,最終的にえらくてお金持ちになっても, 新入社員時は平社員で,そして出世した人達で,あまり家柄と偉さは 関係ありません。社外の方々もOBとか有識者とかも別に家柄で 偉くなったわけじゃない人が結構多い気がします。
で,そういう方々をVIPとして,お迎えの車を用意したり,鞄持ちをしたり…, まぁいろいろと丁重に扱いますが,実際そういう方々は普段の生活でも, そういう生活をしているかというと,どうなんでしょうね?とちょっと 思ったりもします。
いや,実際に元々家が資産家で家柄が良く育った人でも,社会に出て会社で 働いていると,いろんなどろどろした部分や現場のいろんな人と 交わったりするから,いつも丁寧に扱われるわけでもないだろうな…とか。
来訪してVIP扱いして御車で送迎した方でも,翌日は普通に自分で鞄を持って 満員電車で仕事に行ってるかも知れないよなぁ,とか, そうだとするとVIPとして来訪しているときは,その方にとっても結構な ハレの時じゃないか?などと失礼なことを考えたりもします(^^;)。
まぁそうじゃない本当の資産家もいるんでしょうけどね。 わたしの住んでいるところとか,毎朝お付きの運転手がいる車で 出かけているお屋敷とかあって,そういう方は,毎日送迎付きなのが当たり前 なんでしょうけど。そういう方って,実は仕事上はあまりお付き合いが ない様な…。
こういうことを思ったのは,わたしは別に資産家でも家柄がいいわけでも ないのだけど,将来何かの拍子にVIP扱いされることもあるかもね,と 淡い希望を持ったり…とかそんな下世話なお話でした(^^;)。
- 2/4(ネットブックはニッチ?)
- クローズアップ現代でネットブックパソコンの話をやってました。 台湾のメーカであるASUSを取り上げて,機能を絞った安価な小型パソコンが 日本ですごく売れていて,日本のPCメーカが危機感を持っていると。 日本のメーカは富士通が挙げられてましたが,NHKのわりには ずいぶん具体的だなぁ。
ASUSのパソコンが量販店で3万円弱で売られていて,さすがにこの値段だと, ためしに買える値段ではあるなぁとも思うのですが,わたしは 今のところ食指は動きません。わたしに限った理由かもしれませんが, わたしには非常に中途半端な製品に見えるからです。一番 思うのがサイズが中途半端。メイルとWebに機能を縛っていると 言ってますが,メイルとWebだけで良いなら,もっと小さくても いいと思います。そうしたら持ち運び用のパソコンとして使います。 自宅で使うなら,もっと画面が大きいほうがいい。
以前から何度も書いていますが,わたしは現在もザウルスユーザで, 過去にはザウルスに加えてシグマリオンとかも使ってました。 今はiPod touchを使っていて,まぁ結構ヘビーなPDAユーザです。 シグマリオンは当時非常に気に入っていて,今でもシグマリオン サイズのパソコンで安かったらほしいとは思いますが,だったら ネットブックはちょっと大きいです。
ただし,3万円のパソコンというのは魅力的ですね。わたしは 単機能の道具というのは好きなので,何でもできる高価なものより 機能が少ない安価なものはそれなりに価値を認めます。だから もっと小さい製品が出たら考えるかなぁ。でもWebとメイルができて 持ち運べるくらい小さいというとザウルスがそうだし,iPodも 外付けキーボードとかが出てくれれば,それで十分ともいえます。
日本の大手メーカは単機能の製品は苦手で,それゆえに新しい市場を 作るのは苦手,こういう製品はベンチャー的な会社から出てくるものの 様な気がします。あと大手メーカは自社のほかの製品が売れなくなるような 製品は出しにくいというのもあるんでしょう。TVでは,富士通が この分野に参入するか迷ってましたが,上に書いたとおり,わたし 自身はこの分野は確実に需要はあるものの,所詮ニッチであり, 主流になりえるとはあまり思ってないので,参入するとしても そんなに力を入れるところかなぁ…という気はします。まぁ 背広の内ポケットに入るくらいのパソコンだったら,ちょっと ほしいと思いますけどね。
っていうかPDAの市場ってどうして,定着しないのだろう。
- 2/3(風邪?)
- 昨日に引き続き。というか会社にいったら,喉が痛くて 頭が痛くなって来たので,夕方明るいうちに帰った。 熱は,まぁ6度5分超え位だったけど,それでも普段からすると 1度以上高いので,なんかだるい。で,夜は布団を早めに敷いて 横になっている。というわけで,今日はこれまで。
- 2/2(風邪気味?)
- ちょっと体がだるかったり,喉が痛かったりと,風邪かも しれないので,日記は簡単に。サウナでうつったのだろうか?。 ただし熱はない。最近体温はずっと低めではあるけど。
- 2/1(「超人」としての親)
- 今朝,TVの「目が点」で節分の話をやっていて,小さい子供が いる家では,父親が鬼を追い払うと,尊敬されるという話を やってました。鬼を追い払ったら「強い人」として父親を挙げていたけど, その前はTVのヒーローを挙げていたのが,ちょっとほほえましいというか, 逆に豆まきしなかったら,子供は父親を強いと思ってないのか?(^^;), とか少し思ったりも。
昨日ネットの匿名日記の中に, 父親が子供に対して威厳を失う行動というのが書かれていたのを 読みました。まぁそうだろうなという内容でしたが,子供の前でこういう 行動をするのか,と思ったりもしたのですが,子供というのは,親を よく観ていて,大人だったら見逃すような,親の行動の一貫性のなさに 気づいたりするものです。わたしも子供の頃に,親の言うことが言うたびに 少しずつ変わっていたりすると結構反発を覚えました。大人だったら たぶん気づかないような些細なことだったかもしれません。
まぁそういう意味では親というのは子供に対して反面教師に なりやすいものかもしれません。子供に厳しく言うのは,子供に ちゃんとした大人になってほしいからですが,その内容と,自分の 行動が違っていれば大抵子供は気がつきます。「大人だからいい」と 言っても簡単には納得しませんし,他人を批判していて,自分が ちゃんとできてないとやっぱりそれは矛盾だったりします。
とはいえ,大人からすると,大人といっても人間,そんなにしっかり した人ばかりではありません。結婚するまでいい加減だった人が, 子供ができたら急に考え方が変わって立派になろうとするのは ものすごく良く見る光景ですが,そんな付け焼きがほころびないわけもなく (苦笑)。
そう考えると,大人だって一人の人間,そんな立派に生きられるものでも ないでしょう。そう思うと,自分の親に対してたいして腹は立たないの ですが,そう思えないのは逆に親離れできてない証拠の様な気もします。
わたしの場合,父親に対しては,尊敬というより反面教師的 (わたしが親から一番受けた反面教師的教訓は,「ごめん」と「ありがとう」 いえない大人にはならないということかもしれません) になった面とか,自分も似てるなぁと思ってしまう面があったり, そんな感じです。高校を出るとすぐに別居したので, それ以降ほとんどぶつかる事はなくなりました。最近は 歳を取ってわがままになったり,情けなくなったり,言動に一貫性が なくなったり,そういう面が強く出るような気がしてますが, それはむしろ元々がそういう人間であり,わたしの父親として行動して いた頃が,がんばっていたのかもしれないと思うと,少し微笑ましくも 思えたりします。
人間はそんなに立派な生き物じゃないと思うけど,子供の前では 立派であろうとするし,子供にとって親は絶対的なものだから, 親には立派な「超人」であってほしいのでしょう。だからそうじゃないと, 子供は親に失望しまします。
というわけで,世の中に文句ばかり言う大人というのも,子供から 観ると相当失望すると思うんですけどねぇ:-p。
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