だらだら書いた日記です。
日記中のURLはメンテしないので,切れてる場合もあります。
あしからず。
- 9/30(10代で読むべき本って何?)
- 10代で読んでおくべき本って いうのがネットに載っていて,その冊数も多くて驚きましたが, 挙がっている本が哲学の著名な本ばかりで,更に驚きました。 驚いていたらfinalventさんが20代だったら,何を勧めるかと 挙げていたのだけど,なんかその辺を読んでいて,「読むべき本」を 語るというのは結局自分が読んだ本とか経験を語ってることなのね, と思いました。
まぁ読んで無い本は勧めようが無いので,読んだ経験を語るのは 当たり前ですが,その本が人生の役に立ったというのは結局の ところ,その人の経験でしかない…ということです。
というわけで,自分の10代を語ろうとすると,わたしの場合, 多分ほとんど本を読んでませんので,勧めるべき本はありません。 わたしの場合20代の半ばまでは読んでいた本なんて,マンガと 大学で勉強に使っていた本くらいです。マンガも今みたいに単行本を 買って読んでいたのではなく,雑誌を読むくらい。雑誌といえば, 音楽雑誌とバイク雑誌は定期的に買ってました。20代後半になって いろいろ本を読むようになりましたが,そういえば古典らしい古典は 哲学にしても文学にしても読んでないに等しいです。
わたしの場合「若いときにもっと読んでおけばよかった」とは今も 思って無いので,読んでおくべきというのはありません。ただし, 読んでいれば,また違った人生だったと思うし,あと10代前半に, ちょっと無理して少年向け小説を読んだのが,国語の点数アップに 役に立ったので,少しは読んでおけ,というのはあります。
そういえば,10代までは本を読むのが苦手で,無理して読んでは 「まだ半分も読んでない」と嫌になってましたが,今だったら, つまらない本は読まなくていいとか飛ばし読みでもいいと思うのが, 若い頃はそういうことできないよなぁとも思います。
で,若い頃本を読まなかったから若い人に本を読まなくていいというか というと,でも何かは読んでいたほうがいいとは思います。わたしは 10代で本をあまり読んでないと書きましたが,更に幼少時は, 図鑑を暗記するくらい読んでいたし,百科事典も読みました。 10代の頃は,オーディオとか楽器のカタログとか副読本をすべて理解 するくらい読んでいたし,ラジコンや音楽の雑誌も隅々まで読んでいた。 そういう人だから理系の人にはなったのだろうけど,そういうのの 理解を深めるのに本は雑誌であっても重要だと思います。あと マンガでSFをよく読んでいたから,世界観とか哲学的な話も好きだし 宗教的な話も好きになりました。
つまり自分の経験的に言うと,「これを読んでおけ」というのは 無いけど,いろいろ吸収しろ…といいたいし,それは本ではなくて 大人の話でもいいんでしょうが,ある程度広く吸収したほうがいいと 思いますので書物であることはいいことでしょう。それから書物を 自主的に探していくという訓練も大事です。
ということで,本を薦めるというのは自分語りだよな…という お話でした。
- 9/29(風邪じゃない?)
- 急に寒くなりました。ちょっと体調の話を。
わたしは急激な温度変化に体がついていかず,大抵この時期は, 鼻水が止まらなくなったりします。風邪かというと,熱は無い, というかむしろ低い。35度くらいしかないことも多いです。つまり 体温が上がりきらず体調が悪いという感じです。
これって風邪じゃないのだろう,というか体温が上がらず鼻水がでるので あれば,それって少なくとも感染症じゃ無いでしょう。ただ, 鼻水やくしゃみを続けていると,抵抗力が下がるのか,そこから風邪を ひいた経験は小さい頃なんどもあります。幼少時,秋口はしょっちゅう 風邪を引いてました。
鼻水が出る理由はわかりませんが,こういうとき鼻はむずむずします。 鼻の血管が刺激されてるのか,それとも自律神経のせいかは 良くわかりません。
この症状を改善するのは,基本的には体を慣らすことですが,温度変化が 激しい時期にそれは無理なので,短期的には,お風呂に入って体を暖めるとか, 少しのぼせるくらいの厚着をするとか,そういうのが効果がある気がします。 多分運動して汗をかくのも効果がある気がしますが,最近運動を あまりしてないので,それは試してません。
というわけで,しばらくこういう体調が続くかもしれないなぁ。
- 9/28(天気)
- ちょっと今日から出ずっぱりで帰りも遅いので,日記はおろそかに なります。
で,今日昼前に出張に出たら,雷と豪雨で凄かった。それから, なんかロサンゼルスの気温が凄いことになってるらしい40度とか…。
- 9/27(少年誌と青年誌)
- 週末にマンガ「モテキ」の4.5巻を買って読みました。 4.5巻というのは4巻で終わったマンガの続巻というわけではなく, 外伝が半分と残り半分は作者インタビューで占められているからでしょう。 インタビューはほとんど他の雑誌などで行われた既出のものだったようですが, 一巻が出たころにやったインタビューにちょっと興味深い所があったので。
ちなみにご存じ無い方のために書くと,「モテキ」は少年マガジンで 「トッキュー」とかを描いていた漫画家久保ミツロウ女史が,青年誌である イブニングに描いたマンガで,青年誌らしく今時の若者の不器用な恋愛を 描いており,その「痛さ」から評判になり,いくつかの媒体に取りあげられ, TVドラマになった作品です。わたしは連載開始時から読んでましたが, おもしろかったです。
わたしはこの作品はドラマになるくらいですから十分に話題になり売れた…と 思っていたのですが,一巻のインタビューを読むと,マガジンの売れてる人達に 比べると全然少ない…みたいなことが書いてあったのです。もっともこの マンガ話題になったのは,この後だったような気がするので,今でも そうなのかはわかりません。連載後のインタビューでは モテキを最高傑作にしないようにと言ってるので,もしかしたら 最終的にはマガジン連載時よりも売れたのかも知れませんが,どうも この初期のインタビューを読むと,そんなに「数」は出てないように 読めました。
思ったのが,青年誌で売れても少年誌とは桁が違うのか,もしかしたら 青年誌でヒットしても,少年誌では普通の部数より少なかったりするのか? みたいなこと。勝手な思い込みですが。
あぁ,でもそうかもなぁ。日本のマンガやアニメは年齢層が広くて, どちらも子供向けじゃなくて,青年や大人向けの作品があって,マンガは 青年誌,アニメは深夜アニメとかでやってるけど,そこで大ヒットしても, マンガでいうと少年マガジンやジャンプやサンデー,アニメだと日曜の朝や 平日の夕方…とかの作品が作り出してる市場規模とは全然違うのだろうか? ということを思いました。大人向けの作品は作品の層を厚くするのに必要な ものだけど,経済効果は少なく,所詮マニア向けって事なんでしょうか…。
そういうのって,映画とか音楽とかでも確かにあるような気がしますが, なんとなくマンガに一般向けとマニア向け…というか,青年誌マンガが マニア向けという風にはあまり考えてませんでした。
もちろんここでいう一般向けと,マニア向けが野球でいう大リーグと日本の 野球みたいな明らかに「優れた人はあっちにいく」というものではなくて, それぞれの役割が違うってことなんだろうけど…。確かに長者番付に 載るようなマンガ家は少年誌に連載してる人ばかりということを思うと, 経済的な成功は少年誌の方だけになるのか…みたいなことを思いました。
- 9/26(横浜西口東口)
- 先日の日記に書きましたが,この間の休みの日に横浜に行きました。 あぁ,そういえば…と思ったので,単なるメモとして。プライベートな 意味しかありません。
わたしは9年ほど前まで,9年ほど横浜に住んでました。根岸線沿線だった こともあり,週末に街に出かけるときは横浜の街中に出かけるのですが, 街として好きなのは主に関内。ただし横浜駅の近辺はお店が充実 してるので,やっぱりよく行きました。
横浜駅は東口と西口に駅を挟んではっきり分かれており,結構行き来が 大変なので,両方で遊ぶ…っていうのはあまりやりません。その辺は 新宿も一緒かもしれませんが,横浜は新宿に比べ繁華街の面積が 狭いと思います。
昔横浜駅に行くときは基本的に西口のみで,東口に行くことはめったに ありませんでした。というのは横浜に行くのは,ハンズやビブレ(HMVや ソフマップ)や楽器屋(ヤマハ,イシバシ)やマンガの森,ヨドバシカメラとか というパターンでこれらがすべて西口にあったからです。西口が 主になると,他にも高島屋やジョイナス,そして映画館にも よくいってました。
当時の感覚は東口というとそごうと地下街しかない(当時はスカイビルが まだ無かった)というイメージでした。ただ当時会社の家庭もちの 人とかに話を聞くと,東口にしか行かない…とのこと。理由を聞くと, 車でそごうの駐車場に入って,後はそごうとかで買い物をして買える というパターンだったらしいです。そんなものか…とは思いましたが。 ちなみにめったにいかないそごうでしたが,わたしは横浜のデパートでは そごうの包み紙が一番好き(今とは違うデザイン)で,お土産はそごうで 買ってました。
今回,電車ではありましたが,子供と嫁を連れて横浜に行き,東口で 主に時間を過ごしましたが,そうやって過ごすとやっぱり家族連れだと 東口の方が便利なんだなぁ…と思いました。
まぁ最近新宿とか吉祥寺に行っても百貨店で時間を過ごすことが多いのですが, 百貨店だと乳児用の施設が整っているのと,家族向けの服飾品が わりと揃っている。あとやっぱり女性向けの商品はわりと揃ってるって ことなのでしょう。しかもエレベータや通路とかが整備されていて, 家族連れには非常に過ごしやすく出来てるなとあらためて思いました。
マニア向けのレコード屋や本屋とかはデパートにはないのですが, そういうのは普通は小さい店舗だし,横浜の場合は西口に集まってます (ただし横浜のアニメイトは東口にあります)。実際はあちこち点在してるので, あまり子供をつれて回るには向いてない…ともいえます。 それに横浜の場合,西口は風俗店とかもありますし。
というわけで,なんか東口で満足して西口にまったくよらずに横浜で 遊んで帰った…っていう辺りに,自分の変化を感じたのでした。 まぁ伊勢佐木町は家族連れでも全然大丈夫だと思いますが。
余談ですが,横浜の東西通路の工事が完全に終わって,どこも工事して無い っていうのを上京以来初めて見た気がしました。20年ぐらい工事やって いたんじゃないか?。
- 9/25(今はどんな時代だったと将来言われるのだろう?)
- 尖閣諸島で逮捕された中国漁船の船長を沖縄の地検が釈放したという ニュースは,昨日「えぇー?」って想いでみて,やっぱり納得が いかないのだけど,じゃぁどうすればよかったのか?別にいい手立てが 思いつくわけでもありません。そもそも論を書くと,さっさと自民党時代と 同じ様に強制送還とかしておけば,「いつもどおり」ということで 済んだんだろうな,という意味で後の祭りってことでしょう。
いまだにくすぶっている民主党代表選のしこりですが,円高についても そうですが,現与党は日本の政治には興味が無くて,単に権力争いだけを やってるんだな…ってことがよくわかります。まぁ官僚は周りの人から すると,菅さんと小沢さんだと,まるでいうことが違いそうだから, 代表選が終わるまで,なにも判断できなかった…ということなのでしょうが, 国益のことを考えると,代表戦をもっと短い日程で行うとか,少なくとも 当時も菅さんが首相だったのだから,そのときの判断で動くべきだった のではないか?と思います。
もう絵に描いたような「時の政権は権力争いに明け暮れ,その間に 国は滅びました」という様な政権で泣けます。室町時代末期ですかね?, 今は。
中国や日本政府やアメリカの思惑の本当のところは分からないので, 実際にどういうことになっているのか?というのははっきりとはいえませんが, とりあえず日本人としては,中国の今回の動きや発言に納得がいっていると 言うわけにはいかないでしょう。だからと言って,強気に武力行使を すべきとも言いませんが。
アメリカのオバマ政権の支持率も低下してる,中国もいまいち よく分からない,あと全然関係ないけど,ヨーロッパもイスラム系移民に 対する風当たりを強くしている…とかどうも世界的にも不穏な雰囲気が 強まっている気がします。新しい政治を試すのもいいのですが, なにもこういう時代に素人政治をすることになった日本もなんという 曲がり角を曲がったのか…とか時々思ってます。
- 9/24(俺ルール)
- 天に唾を吐くような話だけど書きます。
世の中にはルールがあるのにいっこうに守られてないものが結構あるように 思います。ルールがあっても,まるで自分で「守らなくていい」と 判断して対応してるもの。おかしな話です。
一番そう思うのが,携帯電話と自転車のルールです。
携帯電話で全然守られてないと思うのは,一番は電車で「電源を切れ」と 言われているところでの電源のオフ。これについてはわたし自身も 偉そうなことを言えず,切り忘れたり,わざと切らなかったりすることが 多々あります。先日関西に行ったときに車両ごと携帯電話OFFというのが あって,乗った瞬間に,しまったなぁ…と思いました。
なんで守らないか?というと,一つは面倒というのでしょうけど,あと, なんでOFFにしなくてはいけないか…が,あまり実感がない。携帯電話が 世の中に出てきたころは,電磁波でペースメーカが誤動作する…と 言われてましたが,いまのペースメーカもそうなんでしょうか?。 ペースメーカの方が電磁波対策出来てるという話も聞かないでもありません。 仮にペースメーカに問題があるとしたら,人が周りにいないときならOKですか? ということになります。
いや,これって良くない考え方で,いいわけでしか無いというのはわかるの ですが…。
携帯電話についてはいろいろ過渡的な要素があり,将来的には,電車での 使用って大丈夫になるんじゃないか?と思ったりもしますが,一方で明らかに 危険なのが,車の運転,自転車の運転,また徒歩時の電話機の操作。これは 危ないし,やる人がどんどん増えている気がします。車はともかく自転車は 免許がないし,徒歩は罰則がありません。なかなか守らせるのが難しいと 思います。
自転車に話が移りましたが,自転車はルールを守って無い人がかなり 多いように思います。そもそも歩道を走るのに,歩行者がいてもちゃんと 止まれない…という人が多いです。以前も書きましたが,自転車って 一回はちゃんと訓練したらどうでしょうか?。
というわけで,携帯で自転車って取り締まるべきでは?と思うわけですが, やってる人達は違反してる意識があるのか?というのが気になります。しかも 自転車の腕前がいい人がやるならともかく,みんながやるからか, 下手な人もやってます。事故が増えてると思うのですが,警察は携帯電話で 起きた自転車事故ととか数を公表してはいかがでしょうか?。自転車も携帯も, 最近ユーザが増えたものなので,この状態で安定する感じがせず,ますます 危険度が増すのではないか?と,危惧します。
こういう守れない法律って,なんとかならないのか?と思います。みなさん, 守らなくていいと本気で思ってるんでしょうか?。その根拠はなんなんで しょうか?。少なくとも法律違反をしていて,事故を起こしたら過失は自分に 100%来てしまいます。
- 9/23(休日)
- 今日は横浜そごうに ゴーゴーミッフィー展を観にいった。
いや,散髪に行ったついでに寄ったというか。
あと,急に寒くなった。
- 9/22(なりたい仕事になる方法)
- あまり絵がうまく無いけど漫画家になりたいと言い出した高校生に どうあきらめさせるか?みたいな話がネットで話題になってました。
意見として多かったのが天才は諦めないので,「やめろ」と 言えばいいみたいな話。あとmichikaifuさんは 凡人でも仕事にする方法はあるみたいな事を 書いてます。michikaifuさんの意見は,まぁ間違いでは無いのですが, ちょっとわたしが感じている問題とは違っています。
わたしがまず思ったのは,いろんなケースがあるとは思うけど, 絵が下手な高校生が突然漫画家になりたいと言い出したとき,それって 単なる思い付きで言ってるんではないか?ということ。だから, 凡人でも仕事にするということまでして,仕事にする方法を教授しなくても いいんじゃない?みたいな感じです。
元の話とは違う人ですが高校のとき突然漫画家を目指し始めたと いう人の話が載っていて,これもずっと漫画家になりたくてやってきた 人ではなく17歳のときに友人がミュージシャンになると言い出したのを みて,漫画家になると言い出した人みたいなものを元の人でも感じて しまいました。
この話についてはTwitterで本当の漫画家がいろいろ「こうしたら?」と書いていて, まぁみんな優しいというか,もしかしたらこういう風にプロになった人も 結構いるのか…とも思ったりしたのですが,やっぱりもしわたしが こういう高校生の親だったり教師だったり先輩だったりしたら, もっとその人の本気度と,戦略と,地力を確認するだろうなぁと 思います。
多分真っ先にするのが,本当にプロにすぐなれそうな人とか,実際の プロに会わせようとするでしょう。そこで才能の違いや,現実の大変さを みると,思いつきで言い出した人なら萎えちゃうはずです。現実を 見せずに言葉だけで諦めさせるのは,少し難しいかもしれません。 見せるだけでダメなら一年くらい弟子入りさせるとか,それがダメなら 実際に作品を描くノルマを決めて,もっと凄いペースで応募させるとか やらせるだろうなぁ…と思います。懸賞に応募するなら本当は学生を やりながらでも出来るはずだから本当はそちらを勧めます。
例えば三ヶ月…いや,毎月一本は短編を描いてどこかに持ち込めとか 言うんでしょうねぇ。それが無理…というなら多分それはプロになるのも無理。 本当にプロになれるくらいの人なら,売り込みの戦略とかが稚拙でも, 好きなことをすること自体は苦にならないはず。やらずに夢ばかり 語るのは本当の天才にはなれません。
そんなことを感じました。
- 実はわたしは高校時代にミュージシャンになりたいとちょっとだけ 思ったことがありますが,すぐに本気度は下がりました。でも音に関する 仕事をしたいとは,そのときから思って,大学もそれ関係の学部に行きました。 大学に入るまでなりたいと思っていた職業と,学部の卒業間際になりたいと 思った仕事と,大学院を卒業し就職した先は実は全部違うのですが, でも一貫して音に関係する仕事です。就職してからも異動とかが何度も ありましたが,大きくくくるとやってることは変わって無いでしょう。 わたしは自分が天才だとはあまり思ってませんが,確かにあらためて 思い返すと,諦めたことはありませんでした。そしていつも,どうしたら この仕事に就けるか,この仕事を続けていけるか?と今でも考え,そして いろいろ手を尽くしてます。でも,実はそれが努力してるという 感覚でもありません。好きな仕事に就き続けるというのは大変なことだと 思いますが,一方でそれが当然のことの様に思えて続けられる。 現実のその場所にいてもそう思う…というのは必要なことだろうなぁ と思います。
- 9/21(片想い)
- 以前何度か日記で取り上げたことがありますが「粘る稀なガン患者」というブログがあります。 このページは膵内分泌細胞ガンにかかっているブログ主さんが書かれていた ブログです。膵内分泌細胞ガンというのは,わたしが四年前に手術した 腫瘍と同じ病気です。ブログ主さんは発見時に既に転移があったため, 手術不可能で,抗癌剤治療をやられてきました。最初は承認薬で治療を してましたが,承認薬が効かなくなると未承認薬を使って更に命を 延ばしてました。海外の医療文献等も読まれ,医者とも活発に議論をし, 実に積極的に治療を行っており,膵内分泌細胞ガンという情報の 少ないガンにとっては,非常に有効なデータとなるブログだったと思います。 またガンに絡んで時事のことを語ることも多く,多く共感を受ける内容が ありました。
膵内分泌細胞ガンは進行が遅いガンだと言われますが,転移がある状態から 8年以上治療を続けておられる姿は,わたしのガンが再発しても8年は 生きれる可能性があるわけだ…と思え,非常に勇気づけられたものです。
正確にはこのページを知ったのは,はっきりとはおぼえてませんが,わたしの 手術前か直後で,ブログ主さんは当時はまだ治療を初めて4年程度, そのあとの投薬の変化も非常に興味深く読んでいたものです。
そのブログ主さんが今年度に入り,仕事をお辞めになり,その後しばらくして どうも体調が良くなさそう…という感じになり,気になってましたが, 二週に一度更新されていたブログが今週は更新されないので,気になって いろいろ調べたら,どうやら13日に亡くなられていたようで…。 その事を知りショックを受けております。
この方はブログでは素姓を一切明しておられませんでしたが,昨年奥様が 小腸がんで亡くなり,絵描きであった奥様の追悼展があったため, その個展を観に行きました。会場はお客さんが多かったため,ブログ主さんを 遠目で観ましたが,声をかけることもなく記帳だけして帰りました。 今年も追悼展が再度行われるということになり,記帳したからでしょう, 案内が自宅へ郵送されてきており,今年も行こうと思っていたところでした。
- 今回の追悼展は他にも作品を出す方がおられたので,その方のページから ブログ主さんの死と,追悼展が行われることを知ったのですが,その開催を 前に亡くなったということで,なにか頂いた案内が結果的に亡くなった 方からの手紙…ということになってしまいました。
今度こそ会場で一言ご挨拶が出来るだろうか?…等と考えたりもしてました。 わたしの方は先日の検査で手術後四年が経過し,再発の怖れかなり減ったと 医者には言われています。一方8年間治療を続け生きながらえたブログ主さんの 容態が悪くなりつつも,しっかりとしたブログを作り続けているのを読むのは, 凄く不思議な感覚でした。少しずつ違う方向に進んでいるのだろう…とは 思いますが,それでもブログ主さんは,わたしにとってはすばらしい指針で あったと思います。でもわたしも手術直後は,自分自身がブログ主さんと 同じ方向に歩むことになるのが怖くて,ブログにコメントを書けませんでした。 今年の5月に初めて「以前から読んでます」と書けたところでした。おそらく ブログ主さんはわたしのことは認識されておらず,わたしが一方的に尊敬の 想いを募らせていただけでしょうが,コメントを書けたこと,そして追悼展の 案内をもらったことは,少しだけ「やっと少し距離が近づけた」という様な 感覚を持ちました。
もっともっと長く生きて,普通の人の寿命ぐらい生きていらっしゃったら 良かったのに,そして一度しっかりとお礼を言いたいな…と思ってました。 とても残念ですが,安らかにお休みになることを祈っております。
- 9/20(プラシーボとお布施)
- 作家の 松浦晋也氏がホメオパシーはプラシーボ効果を高めるように 発展してきたのではないかと書いてるのを読んで,あぁ,そうだろうな, と思いました。その通りだと思います。リンクのページはもう 会員登録しないと読めない様になってますが,そういうことが書いて あったように記憶してます。この方はこれを少し否定気味に 書かれているのかもしれませんが,私はむしろプラシーボ効果を 高める研究があってはいけないのだろうか?とも思います。
実はずいぶん前,わたしが宗教的なことに興味を持っていたときに, 無害な宗教は作れないだろうか?と考えたことがあって,その時に 困ったのがお布施のこと。信者に大金を出させる宗教は怪しい…とは 思うのですが,大金を払わせることによって,信者の俗への執着を 捨てさせることが出来ることも出来るわけです。現代人はなんだかんだで お金を信仰の様に信じており,それゆえに,お金という物差しを 持ち込むと精神的に揺さぶることが出来るわけです。
宗教が本当に神秘的な力を持っていれば,お布施なんて不要だろうと 思うのですが,お金が不要であっても,お金を信者に払わせることは, それなりの効果があるんだろうなと思ってました。
ですから,同じようにプラシーボ効果を高めるための手段として 高額なお金を払わせるというのは有効なんだろうな思います。 プラシーボ効果も「(不確実ですが)効果」はあるのですから, まったくの無意味ではありません。自己暗示みたいなものです。
さて,一方で最近医療費の高額化が話題です。保険診療は患者の負担額に 上限がありますが,それゆえに国の財政を圧迫したりしてます。 癌とか有効とされる新薬が一月に数十万円とかするとか聞くと, それって本当にそんなにするんですか?とも思います。薬の値段は 材料費や製造費ではなく,開発費が乗っかってきてるので, 実際の根付けは多分ビジネス的な観点で決まっていると思います。 日本の認可の条件に価格が含まれているのか分かりませんが, 認可が取れれば患者の自己負担を超えた額は保険組合が払うわけで, 使う医者や患者は躊躇しないでしょうから,薬メーカとしては 高くつけておいたほうが美味しいのかも知れません。
薬だってもしかしたら高いほうが効くと患者に思わせているかも 知れません。ジェネリックがある薬でさえ,そうじゃないほうが 効く…という話を聞くので,薬は高いほうが効くという信仰は あるんだと思います。さらに日本で治療が出来ない病気を海外に行って 数千万円使って治す…という話もたまに聞きます。
もし薬は高いほうが効く,とかお金を大量に使えば,普通は助からない 病気が助かる…という考えがまったくなくなり,値段と治療の 有効性は無関係である…というのが常識になったら,もしかしたら, プラシーボ効果のためや,信仰の有効性として大量のお金を使うという 考えも無くなるかもしれません。そうなればいいのにな,というか 医療費安くならないかな…とふと思いました。
プラシーボ効果ってもっと科学的に研究されてもいいと,私は思います。
- 9/19(あの人が出来てるから何とかなると思う生き方)
- だいぶ前からちょくちょく思うこと。
わたしは自分があることを出来るかできないか?というのを考えるとき, 自分以外でも出来てる人は結構いるから大丈夫だろう…という考え方を わりと良くします。いいのか悪いのか良くわかりませんが,それで あまり大きな痛い目にあったことがありません。全然無いわけじゃ ありませんが。
でも世の中には多分逆の「人は出来ても自分は出来ない」という考え方を するか,もしくはそういう風に考えずにただ出来ないと思う人が 多い様に思います。まぁ単に言い訳としてそう考えているだけかも しれませんが。
誰にでも訪れそうな例で挙げれば,例えば,就職で出来るできないという 話,あと結婚できる出来ない,特に結婚して家族を食べさせることが出来るか? とかいう話,そして子供を作って育てられるか?とかいう話。この手の話で 出来そう無いとやる前にいう人が結構見かけます。でも私は,自分以外の 多くの人が,結婚して家族を食べさせたり,たくさんの子供を育てたりして まぁ何とかなってる。すこしうぬぼれた言い方をすると,そういう人には, 自分より稼ぎが少なかったり,能力的にも人それぞれだったりします。 だから,自分も多分何とかなるでしょう…と思って,結婚したり 子供を作ったりしました。就職は自分ははるか昔だし状況も今とは違うけど, やっぱりいろいろ自分で条件をつけなければ,働いて食べていってる人がいる と思えば,やっぱり自分が今そういう状況でも,まぁなんとかなるんじゃ無いか という気がします。
仕事の方でも,もちろん自分より優秀な諸先輩は山の様にいるけど,そうでない 人もそれなりにいて,その人たちも何とか役割をこなしていった…という 事を考えると,多分何とかなるだろう…ということを常に思ってます。 失敗しないと考えてるわけでも無いけど,失敗しても,いろんなことで, まぁ何とかなるだろうと。
こういうことを考えてると「甘い」といわれるかも知れませんが, でもやる前に障壁を作ってやら無いよりはやった方がいいかと思うことも 多いし,でも何でも無鉄砲にやるのではなくて,自分以外にちゃんとやってる 人のお手本が見えていれば,いざというとき,その人たちがどうやってるかを 見習えばいいというのもあります。
もちろん何かをやるときはあきらめなくてはいけないことも多いです。 子供を持てば独身時代の様な生活はできません。でも多分それも含めて 何とかなるんでしょう,独身時代の様に生活せずに子持ちとして生活をすれば 多くの人がそれに我慢できてるように我慢できるだろうと始めたら, それはそれなりに楽しかったりもします。
ちょっと汚い言い方ですし,自分より劣ってる人を見るというのは, 更に汚いことの様にも思いますが,ただ理想ばかりみてデッドロックに なるよりは,そこまで行っても何とかなるんだよな…と気楽に 人並みに生きればいいように思います。
- 9/18(寄付を集めるための物語)
- WIREDにあった 寄付は統計的な数字より,特定の人の 事情を説明したほうが集まるという話。当たり前じゃん,というのが 感想。
内容はある災害で人が何人死んだとか,被害総額がどれくらいだとか そういう数字を並べるよりも,だれか特定の被害者でもいいので 取りあげて,その人の家族の話とか,生活っぷりとかをドラマ仕立てで 報道したほうが寄付があつまる…というようなことらしい。
「慈善行為というものが、つまるところは人間の同情心に根ざしたものであり、 論理的かつ実利的な計算に基づくものではないから」と書いてあるが, その通り。実際は困った人を助けるという風潮が形成されれば, 自分が困ったときも助けてもらえる可能性が上がるという論理的な 思考から慈善行動をすることは可能だし,そういうこともあるのだけど, そうじゃなくて単純にその人の「状況」に同情して寄付をすることの方が 多いんだと思います。
記事は論理的な人の方はその人の状況を知っても寄付額が上がらないと 書いてるけど,論理的な人ってどうやったらわかるんだろうという 気はする。それよりその人の状況を知ると寄付額が上がるというのは, 要は,人は他人よりも知り合いの方が,家族の方が,より同情と助け船は 大きくなるということだと思う。これは人を助けるときに優先順位を つけることであり,それは身近な人,つまり遺伝子の近いの方を助けるという 進化論には合理的な行動だと思うけど。
さて,それはそれでいいとして,ちょっと悩ましいのが,こういう人間の 性質からいうと,時々見かける「ある困っている人」について,TVとかの メディアで人となりから取りあげて,お涙を頂戴するというのは, 個人的にはあまり好きじゃないのだけど,困ってる人からすると,戦略的に 有効である場合が多いということになる。だからメディアが視聴率を 稼ぐために煽るのと困った人というのは利害が一致してる。かつ, メディアを観て寄付をする人も,それですっきりするのだから,みんなが 利害が一致していて,いい事尽くめじゃないか,という気も一見する。
でも,なんかこういうのって割り切れないんですよね。何故割り切れないかと いうと,多分上にある論理的な思考で考えると,本当に困っている人は 他にいるんじゃないか?というのが頭に過ぎってしまうからかな。 それとも論理的な思考自体を止められていることに,なにかしら 不安感を得るから?だろうか。
まぁよく分からないけど,そもそも人はほとんどが「物語」を元に行動してる もんだと思う。だから別にもとの気の内容には,そんなに驚くべきことは ないと思いました。
- 9/17(出社)
- 三日ぶりに会社にいったら,仕事が偉くたまっていて, あっという間に一日終わった。
- 9/16(大阪)
- 実はここ三日ほど,学会があって大阪に行っていた。連日人と 飲んだりして遅かったり,学会中はネットにほとんどつなげなくて, すこし世の中の様子が分かってない。
大阪は夕立が降ったり晴れ間が出たりという天気だったけど, 東京は今日は大雨だったと聞いている。湿気が多いのか歩くと 汗を結構かくが,じっとしてると結構涼しい。全国的にそうなのか 大阪がそうだったのかはよく分からない。
今回は阪急沿線で学会があった。前から思うけど阪急の小豆色の 車両っていつもピカピカなんだけど,磨いているのだろうか?。 普通列車から特急まで全部箱型で小豆色なのに,特急車両は 何気に新型というのがかっこいいと思う。女性専用車両が 終日だったにちょっと驚いた。あとJRもそうだけど,わりと 真ん中の車両を女性専用車両にしていた。それから阪急は 一両だけ携帯の電源を切るように書いてる車両があるのに ちょっと驚いた。でもやっぱり守って無い人が多い。
とりあえず,無事出張は終了ってことで。
- 9/15(新首相は菅さん)
- 菅さんが民主党代表になった。 実は小沢さんが勝つと思っていたので驚いた。
菅さんが勝った理由分析はいろいろあると思うが,マスコミが代表選直前に 世論調査批判をしたり,マスコミ扇動を批判したり,妙に香ばしかった。 あれは菅さんが勝たないようにしていたのか,それとも小沢さんが 勝たないようにしていたのか?。
わたしは民主党支持者じゃない。菅さんも小沢さんも好きではないが, 消去法的には菅さんがなってよかったと思う。ただし小沢さんも 一度は首相やら無いと辞めないのだろうなぁと思うので2年後に やったらどうでしょう?と思う。
小沢さんが嫌だなぁと思ったのは,政策というより,次の衆院選まで 三年あるので,その間に,自分の地位を確固たるものにするために, 何かするんではないか?と思ったから。実際小沢さんは先の衆院での大勝後, 民主の議員立法を禁じたりとか,国会システムをいじることに熱心な気がする。 政権交代が必要と言っていた民主党が二度と政権交代が起きないような システムを作らないという保証は無い。余談だけど,わたしは 政治家が賄賂とかを受け取るのについては,結構甘いので世間が言うような 政治資金の件で小沢さんを批判するつもりは無い。
政策はもう民主党は何をするか判らない。言うことがコロコロ変わる。 そして結構無茶をやる。そんな政党支持できるわけ無いじゃないですか, という感じ。政策が読めないという意味では小沢さんも菅さんも同じ。 ただし菅さんは実態は官僚に丸投げになるんじゃないかなと思う。
今日の為替介入は誰の支持だったんだろう?。閣僚がのびのびやってる ような気もする;-p。
とりあえず現状そんな感じ。期待して無いのであまり深いことは 考えない。この間に日本はますますまずくなるかもなぁとは思う。 三年後を待たずに何かが起きるかは分からない。なるかもしれないし, ならないかもしれない。
- 9/14(エクスキューズと批判)
- 「学校の教育が不十分」と題された記事を ネットでをみました。 またモンペか?と思ってよく読むと,親に対して学校の教育が充分か?と 聞いているのと,親として充分か?というのを聞いて,大半が充分ではない と答えたという記事の様です。
「(学校・親として)の教育が充分か?」と問われれば,親は,大半は 不十分だと答えるのではないか?
これは別に学校に不満を感じるというわけではなく,親としてまだ 子供にしてあげられる事,してあげるべき事があるんではないか?と 思えばこういう回答になります。つまり親として自信が無いことに 対してこういう回答が出るわけです。 親として自信が無い親が学校に対しては充分だと思うかというと, やっぱり「これでいいのかな?」という意味で不十分とこたえる気が します。
もちろん親はもっと自分に自信を持ってもいい,今の親としての 教育で充分だと思えばいいという考えかも出来ますが,自信が無い 親の気持ちも分かります。
で,あれば,この記事のタイトルは少し不適切な気がします。 こういうタイトルはあたかも教育行政への批判の様に受け取れ ますが,実際は親が「もっと自分も学校も子供に何かやるべきことが ないか?」と思ってる状態ですから。
さてそうは書きましたが,実際は自虐的な態度だけじゃなくて, 学校を批判する親も多いかもしれません。それは親としては何か してあげたいという思い,もしくは何もしなかったとあとで後悔したく ないという思いからやってるのかもしれません。文句をいっておけば 言い訳になるし,もっと良くなるだろうという思いでしょう。
でも実際は親がそれぞれバラバラに学校に文句をいうと,現場は 混乱するし,親が学校に文句をいうと,子供は学校を信頼しなく なるし,ということで悪いことも多い気がします。なにか してあげたいと思うのは気持ちは分かりますが,文句をいうと 良くなることばかりではない…,ということも知っておくべきでは ないでしょうか。
- 9/13(パケ死は社会問題にならないのだろうか?)
- 最近スマートフォンとかiPadが話題です。それと関係あるかは 良くわかりませんが,「パケ死」という言葉を良く見かける様に なりました。
例えば 光ポータブルでパケ死した例,あとWiredの記事で電脳生活を書いてる方がパケ死したという記事。 どちらも数日で数十万のパケット代が課金されてしまったという話です。
確かに海外でパケット代を確認するのは難しいと思いますが,国内だったら, まず数日,少しだけ試して課金のペースを確認するとかした方がいいんでは ないでしょうか?,この手のサービス。わたしはパケット定額はやって ませんが,自分の使う通信がどれくらい課金されるかは,数日間, 毎日試したことがあります。
それにしてもこれって結構問題だよなぁ…と思います。電話の設定が複雑で, 間違えると数十万の課金が発生するというのは,このままではまずいん じゃないの?という気もします。多分電話会社も,こういうのって困っていて, だから実際にクレームを入れると一回限り免除したりとかしてるんでしょうが, その手間を考えると,コスト的に割が合わないだろう…とも思います。
それにしてもちょっと怖いな…と思ったのが,こうやってパケ死を 経験してる方が,ショックを受けながらもiPad便利だと何度も書いている 事です。いや実際便利なんでしょうけど,それって数十万のコストが乗っての 便利さで,そんなにお金をかければ,現地でガイド雇えますよ…とは 思わないんでしょうか?。
もちろんこの方は,こういうネットツールが好きだしみんなに便利さを 伝導したいって事なんでしょうけど,ちょっとネットの便利さに冷静さを 失っているようにも読めます。わたしはむしろ「怖くて使えない」 という方が正常な判断の様にも思えます。
ダイヤルQが以前社会問題になったように,パケ死もその内問題になるん じゃないかと思うと,ちょっと気が重いです。わたしは立場上, こういう便利なツールの使用は推奨したいのですが,どうも性急に拡がって, サービスの方の安全策も,ユーザの方のリテラシも追い付いてない気もします。 全ての人に健全に通信を使って欲しい…と思うがゆえに,あまりプラスの 側面だけを強調してないで欲しいというのと,きちんとシステムが追い付けば 良いな…と思ってます。
- 9/12(モノセックスから中性へ)
- 今年になって,ちょっと知り合いの関係で宝塚の舞台を観る機会が ありました。まぁそれなりに楽しんだのですが,やっぱり男性役を やっている女優?さんが凄いなぁ…などと思いました。
宝塚に詳しくないので想像ですが,宝塚がご存知の通り女性だけが 舞台に上がる演劇とショーです。想像するにその発想は歌舞伎の 性別を逆にすることにあったんではないか?という気がするのですが どうでしょう。歌舞伎は元々女性が始めたものですが,江戸時代に 風紀が乱れて(たぶんストリップぽくなっていたのでしょう),女性が 舞台に上がることをお上が禁じたので,男性だけが舞台に上がるように なったと聞いてます。その結果女形という男性で女性の役をする人が 出てきました。明治になり女性も舞台に上がれるようになりましたが, 歌舞伎はそれ以降も男だけで舞台をやるという形態を続けてます。
宝塚が女性だけで劇をやるオリジナルかどうかはわかりませんが,宝塚が 出来た大正時代,wikipediaを観ると少女歌劇団は娯楽としては,メジャーで あちこちにあったようですので,当時からそれは普通,もしくは,やっぱり 男女共に舞台に上がることに,なにか社会的な抵抗があったのかも しれません。
歌舞伎が海外の人から男性だけで行われる奇妙な演劇といわれるのを 読んだ事があるので,おそらく宝塚もおかしな演劇と思われてるかも しれません。しかも宝塚は舞台俳優の年齢もかなり限定されてます。
さて,そういう風に歌舞伎と宝塚は性別が男女表裏になってますが, どちらも主なファンは女性なんですよね。これが興味深い。特に 女形と宝塚の男役は女性が主なファンでしょう。もちろん歌舞伎の 男役,宝塚の娘役も女性ファンはついていると思いますが。
これらのことを見て思ったのは,そもそも舞台俳優に熱狂するのが 女性の方なのか?ということ。これについては良くわかりません。 そして女形も宝塚の男役も,逆の性を演じてるというより,双方の 性から中性的なものになっており,そのことが女性ファンをとりこに してるのかな?ということです。考えてみたら男性は女性はより女性的, 男性はよりマッチョ,または渋いな人が好きな気がします。男性は 性がはっきりした人が好き…ってことなんでしょうか。
歌舞伎も宝塚も海外から観たら奇妙な芸能の様ですが,最近海外で 人気があるビジュアルバンドは,男性が華奢なことが向こうの女性に受けてる らしいので,案外こういう感じ方は海外に輸出できるのかもしれません。 また,最近は男装をする女子だけではなく,女装する男子も 日本では増えている様です。いずれも中性的なものの表現をシステムに よって作り出してるようにも思えます。
なかなか面白いなぁ…と思います。
- 9/11(休日)
- 今日は親子三人で大丸に買い物に行った。東京駅の。空いていた。 というか,東京駅のデパートってどういう人が利用するんだろうと ちょっと思った。平日は丸の内とかで働いている人がくるんだろうけど。 休日に買い物するとしたら日本橋とか銀座に行くよなぁ。
空いている高級店は好きなので,結構気分良かったのだけど,経営的に 大丈夫なんだろうか?。特に大丸の場合全国的にも店の数は 少ないんだけど。
- 9/10(四年)
- 先週,手術を受けて四年目の検査を受けて,今日,結果を聞きに行った。 結果は異常なしで,次回は一年後になった。これまで半年毎の検査だったが, 次は一年後。多分次回の検査で異常無しであれば,定期検査は終わり, 寛解ということになるのではないかと思う。
この一年は子供が出来て大変だったこともあり,あまり病気のことは 考えなかった。ここまでくると再発の確率は低いので,これから ますます考えないと思う。良かったなと思う。
- 9/9(スキャンダルと政治)
- 正論というのは,論理的には正しいことを指すのでしょうが,それをいつ 言い出すか?というのは,決してフェアではなく,言い出し手の立場や 感情とかに影響されてるんじゃないの?という気がします。
というわけで,日本の政治がスキャンダルに弱くて,それでダメに なっているという話。最近急に少々のスキャンダルで優秀な政治家を 退陣させるのは良くないのでは?。日本人は清廉潔白すぎる…みたいな話を 良く聞きます。
それはそうだよな,とはずっと前から思ってます。でもなぜ1年前には それを言わず,今言い出すのかね?とも思います。
正論を急にかざし出すというと,急に国会で議論をすべき,審議拒否は すべきじゃない…とか言い出す人もいますが,それもなんで今言うかね?… とも思います。
それをこのタイミングで言うと,まずは現政権を守りたいという立場があって, その為に正論を吐いているだけ…という風に見えます。それは正しい意見で あっても,フェアじゃありません。
とはいえ,再度書くとスキャンダルに敏感すぎるのはちょっと良くないです。 というか,今のスキャンダルに比べれば,麻生さんが漢字読めないとか, どこがスキャンダルなんでしょう。振り替ると,麻生さんはスキャンダル らしいスキャンダルすらなくて,ただ意味なく批判されていたようにも 思います。どこがスキャンダルだったか。
一方で首相の寿命が短いといいますが,その中で長かった小泉さん。 小泉さんにスキャンダルがなかったかというと,まぁ年金の話とか (瑣末だけど),最初の田中真紀子がらみとか,なかったわけでもありません。 だけど,小泉さんはそれをスキャンダルに発展させなかった。だとすれば, 必ずしも世論やメディアだけの問題じゃないのかも知れません。政治家も うまくやれば,スキャンダルに影響されない政治が出来るのかも知れません。 そういう意味ではなぜ小泉さんは潰されなかったかを,良く再検討してみても 良いでしょう。
ちょっと思うのは,鳩山さんも菅さんと違い小沢さんは案外スキャンダルに 強いかも知れないな…と思います。ただ,わたしは小沢さんの言ってることは 理解できない,賛同できないので,支持はしてません。
話を戻すと,そういうわけで,今更スキャンダルに弱いのが問題とか 言うなよ…という話,でもそれでもスキャンダルに強い政治家も, 今後出てくるんだろうな…ということ。ただし今の政治家の中に, その片鱗を感じさせる人は,あまりいません。
- 9/8(台風)
- 今日は朝から台風が近づいていたのですが,夜は横浜まで飲み会というか, お世話になった人の送別会でした。
行きがけは結構あちこちで電車が止まっていて,帰りも遅いので 帰りが大変かな?と思っていたのだけど,いつの間にか熱帯低気圧に 変わり,帰る頃は静かになっていて,ちょっと肩透かしだった。 それでも帰りはいつもよりは遅かったけけど。
今年台風が直撃というのは初めてか,と思ったけど結果的に 東京には直撃とはならなかったってことかな?。
- 9/7(Twitter)
- ちょっとTwitterについて,幾つか思うところを簡単にメモ。 つぶやき風に短文で書く:-)。
わたしは有名人とか企業の担当者が結構書いていて,その声が 読めるから読んでいる。
そういう意味ではコミュニケーションツールというよりメディア。
有名人や企業が書くのは,つぶやき(140字)という書きやすさと, フォロアーという読んでいる人の数がわかりやすいというシステムから, ブログやホームページに比べ,書く意欲が湧きやすいからか?
わたしは基本的にはリードオンリーのつもりだが,なにもないと 失礼かな?と思い,簡単に機械的なつぶやきをしている。
タイムラインが物凄い勢いで流れるので,付きっきりになれる人と, なれない人で,多分格差が産まれてる。文章力とかネタの豊富さより そっちの方が大きい気がする。
有名人のつぶやきに対して意見が直接言える,というのが一般ユーザには 魅力なのかも知れない。2chにはなかった仕掛けだし,ブログも有名人は コメントを塞ぐ人が多かったので,これもTwitterの仕掛けといえる。
端からみてると,無視スリャいいのに…というコメントに,反応してる人が 結構多い。
ブログはコメント開けておいて,無視すると炎上するけど,twitterは どうかね?。
みんなが自分のところに書くというスタイルなので,他の人のところを 炎上させるのは出来ないと思うんだけど。
きちんと反応する人の方が第三者からみても好感度が高いのはブログとかも 同じだけど。
メイルと違い特定の相手を狙ってメッセージを投げにくいし,読んだか どうかもわかりにくい。詳しく突っ込んだ議論がしにくいという意味では, 深いコミュニケーションがとりにくいシステムだけど,根付くのかな。
文章が短いのは読みやすいという利点はある。コピーみたいなもの。 書く方も書きやすい。ただし正確にはなってないよなとも思う。
- 9/6(瞬間最大風速と積分値)
- 天気予報では相変わらず最高気温35度とかそんなことを言ってるのだけど, なんとなく昨日辺りから,あぁ気温が下がってきた…と感じている。 今日も一日出張だったのだけど,なんとなく以前より暑さを我慢 しやすくなった。もしかしたら気温というより湿度が下がってるのかも しれないが。
話変わって…
私は外出時によくiPodを聴いてるのだけど,自分が持ってるCDから 自動的に選び出して聴いている。最近はJaco Pastoriusのアルバムを 聴いていた。ジャコは世界最高と言われた絶頂期から一気に没落して 死んだので,絶頂のプレイを収めた彼名義のアルバムはかなり少ない。 その少ないことが寂しさを感じさせる。
kaienさんが「作家の評価は最高傑作で決めるべき?」と書いてるのを 読んで,わたしは小説やマンガというより音楽のことをすぐに 連想してしまう。駄作や失敗作の有無で評価するというのはもってのほか だと思う。でも最高傑作一本で評価するのか?というと少し違和感がある。 いや,気持ちは分かるんだけど…。
コンスタントに数十年傑作を産み出してきた人と,一本傑作を作り, すぐいなくなった人を,両方とも一本の作品で評価して比べるのは, どうも違うんじゃないか?ということ。逆に何本も傑作を産み出して いる人は,最高傑作を選べなかったり印象が少しだけ薄かったり するんじゃないか?ということです。音楽でいうとマイルスやメセニーや キースジャレットの最高傑作はどれですか?というと選びにくい。それを ジャコやジミヘンとかの作品と比べるといってもなぁ,ということ。
音楽だとなんなので,マンガにたとえを変えると,手塚治虫や 石ノ森章太郎,萩尾望都の作品を一本だけ選ぶのはやっぱり無理だし, 逆に私はこれらの人たちは,これだけたくさんの傑作を生み出したことも 評価したいと思う。
というのと,今の漫画家は一作のヒット作品を長期連載する傾向が 強く,あまり私は好きではない。新しい作品世界を模索して,駄作も 傑作もたくさん作った人こそ天才では無いか?という気すらする。
作家の評価の仕方はいろいろあるとは思い,これが唯一の方法だという のは無いとは思うんだけど。
- 9/5(量刑)
- 早稲田の生徒が東浩紀のテストをカンニングしたと ツィートしたという話が,ちょっと今ネットで話題です。
当初この話を読んだとき,あぁ早稲田もバカな生徒がいるなぁとか, 以前mixiやブログで自らの犯罪行為を書いてしまって,通報されたり 捕まった奴がいたよなぁ…とかそんなことを思いました。
今,書いた本人がどう思っているか?はこのツィートからは良くわからないの ですが,書いたときは軽い気持ちで書いたんだろうな…と思います。 軽い気持ちというのは,カンニングをしたこと自体の罪を軽く思ってるって いうのと,そういうことをTwitterに書いてしまうことを軽く思ってるのと 多分両方でしょう。ネットに書いたらばれると思ってなくて…という 「軽さ」はmixiやブログに犯罪行為を書いてしまう軽さと同じような ものでしょう。これはネットリテラシィが低いというか,ネットに 書くということが,社会に大きく公言してしまうということが分かってない, ネットで内緒話をすることは可能だけど,それはいろいろと気をつけないと 難しい…ということが分かってないことだと思います。
一方でその罪自体を軽く見積もってる,ばれてこんなに大騒ぎになると 思ってなかった,もしくはばれること自体を考えてその行為を行ってなかった ということもある様に思います。この出来事の前に,万引きで捕まった中学生が親が弁償すれば済むと 思っていたというニュースを読みました。これも愚かな中学生で 一度しっかり怒られるべき…と思いますが,これらの罪の重さを見誤っている 子供ら…みると,人というのはそもそも量刑など分からないものなのだなと 思います。
- 思い出してみたら,自分も子供の頃に思っていた行為に対する罪の重さって 今と全然ってました。わたしの場合,どちらかというと,罪を重く 見積もっていた,大人になったらたいしたことじゃなかったって ことの方が多かったような気がします。そもそも「人を何故殺したら いけないのか?」という質問が子供から定番の様に出てくるのに表されて いるように,大人だったら誰でも分かるような罪でも教えられなければ 分からないものなのでしょう。というか,大人でも合意が取れてない 量刑なんて当たり前の様にあって,だから裁判が行われるわけです。
なので若者が悪いことと分からずに罪を犯すことなんて多分昔から 良くあって,でもそれが今の時代増えているのであれば,それは そういう事を教える機会が減ってるからでは?という気がします。
グダグダ書いたけど,書きたかったのは,普通の大人から見たら, 誰でも分かる違法行為だけど,そんなことも教えないと分からないと いうこと。もしわからない人が増えてるなら,教える機会が減ってるん だろうなということです。
- 9/4(休日)
- 今日は家族で買い物に出るはずだったのだけど,子供が熱を出したので, 止めて一日家で過ごしたが,ちょっと欲しいものがあったので吉祥寺に 少しだけ行った。以上。
- 9/3(学閥)
- 弾さんが学校に誰でも入れるようにすると誰が困るか? というのを書いてるのを読んで。
弾さんは「学校にブランドを期待する人々」と書いてますが,わたしは 違う意見です。弾さんはあまり実感がないかもしれませんが, 学校というのはブランドではなくて,社交界だと思うんですよ。 少なくとも東京の五本の指に入るような有名大学とか,あと地方とかでも 伝統のある名門大学,または地方によっては高校(のOB会)ですら社交界で あるところがあります。
この社交界の事を一般には学閥と言います。ブランドと違うのは,ブランドは 外から見たもの,学閥は中から見たものということです。
確かに出身校によって就職が有利とかあれば,それはブランドです。ですが, 実際はそういうことよりも同じ大学出身者同士が,業界が違っていたり会社が 違っていたりしても,妙な同族意識があって,お互いが助け合ったり することが結構あります。以前は学閥というと省庁内とか企業内という印象が 強かったんですが,実際には社外とかでもあるように思います。 実際政界とかでもありますよね。某大学出身者が妙にウマがあってるとか。
こういうのは露骨な贔屓というものから,単に出身校を言って,相手と 一緒だと,初対面でも話が弾むというキッカケに過ぎないものまであります。 でも,そういうキッカケすらつかめない人からすると,そういうのって凄い アドバンテージなんだと思います。
ただこういう社交界的な機能を果たす学校というのは,一部の学校なのだけかも 知れません。だからこそそれは社交界であり,結構な機能を 持ってるんじゃないか?という気はします。
- 9/2(芸術について)
- ちょっと芸術について書こうと思います。
何度かそれっぽいことを日記で書いてますが,わたしは芸術で一番大事なものは 「作家性」だと思ってます。ここでいう「作家性」とは,簡単にいうと その人の作品だと作品からわかることです。作品からその人とわかるには 「独自性」「一貫性」が必要であり,独自性を出すには「新規性」と 「技術(真似しにくさ)」が必要になります。一貫性ということは, 誰も観た(聴いた)ことが無いものをつくっても,作った人自身が二度と 同じようなものを作れないのであればダメということになります。ですから, 奇をてらっているだけでも,作家性は上がりません。一言で言うと独自の スタイルを構築する…ということになります。
さて,こういう観点でわたしは芸術作品を評価しますが,それとは少し違った 軸で,芸術作品について,「予備知識がなくても理解できるか?」というのと 「一目で感動するか?」というのがあります。現在芸術には説明文がないと 価値がわかりにくい,つまりつかみどころがない作品が多いのですが, 個人的な好みでいうと,あまり好きではありません。ただ説明を一度聞けば, その後はその人の作品を説明無しで感じ取れるのであれば,まぁありかな… とは思います。
あと一目(聴)で感動するか?というのは,確かに一目で感動する作品は 優れてますが,芸術性とは若干違っているのではないか?と思います。 それはポップさキャッチーさであり,つまり作品のエンターティメント性 じゃないか?ということです。ただしエンターティメント性と芸術性は 相反しません。むしろわたしの好みでは両方を備えた作品が良い作品だと 思います。ただ一目で感動するというのは,独自性が全くなかったり一貫性が なくても,技術力が高いだけでも感動するものもあります。
さて,わたしの芸術に関する考えはだいたい上に書いたことで 言い表せるんですが,はてなの質問にピカソとか 現代美術のどこがすばらしいのか?という質問があり興味深くやり取りを 読みました。
実は最初ピカソが「でたらめ」と書いていたので,ピカソがでたらめに 見えるんだ…と思って驚いたのですが,回答の中で結構でたらめと 思ってるとか,他の人がいいと言うからいいと思ってるという人が多くて, ちょっとガッカリ…。みなさん,あんまり芸術として観てないんだなぁと。
というわけで,わたしも実はこの質問にコメントしてるのですが,質問者は 上に書いたエンターティメント性とか予備知識の辺りに結構 引っ掛かってるようでした。説明とか周りの人が評価するから…というのは, もう言語野で芸術を鑑賞してるような感じです。もう少し漠然としたものから, 作家性を自分の頭の中に構築することをやっていけば,結構な前衛芸術も, 非常に一貫性のあるものが多いということに気づくと思うのですが…。
…
ちなみに余談ですが,最近話題になってるポップカルチャーの村上氏, オタクカルチャーを引用して海外で評価されてるので,オタクの方からは 結構きつい評価をもらっているようです。で,わたしはそういうことよりも, 彼の作品は作家性に乏しいと思っているので,そういう点で評価してません。 彼の作品の中で,変なクマみたいなキャラクターを使っているのがいて, アレぐらいですかね,彼の作家性を感じるのは。あとは本当にフィギュア作家が つくった工芸品と区別つかないものが多いし,わたしは工芸品がそれだけで 芸術になり得る…ともちょっと思ってないのです。
- 9/1(コミュニケーションとタフネス)
- 昨日の続き。
会社で出世してる人はコミュニケーション能力が高いというより, タフな人が多い…と書きました。でも良く考えたら,確かに コミュニケーション能力が低いのに,タフで出世してる人はいるけど, コミュニケーション能力が低くて,なおかつナイーブな人もいるわけで, そういう人が引き籠もりになるのかな?とも思いました。能力が低いことを 悩んでしまうわけで,まぁ当たり前と言えば当たり前か。
で,じゃぁナイーブな性格を治せばいいとしても性格を治すのは大変だから, 能力の方をあげなきゃ…と思うんでしょうね。確かに普通は性格よりも 能力を意地る方が簡単そうです。
でも,わたしはそうでもないと思っていて,能力を身につけるにはたくさんの やることがあって結構道が長い,性格は難しいけど,うまくコツをつかめば 道自体は短いんじゃないか?という気もします。自分自身が,結構幼少時に, 考え方を変えようとして変えて,結果的に「外から見える」性格は変わった ように思うので。
性格を変えるというのは根本的には難しいけど,経験や観たり聞いたりした事に 対して,その時に感じるままに感じるのではなく,知識として「こういう風に 捕えればいいんだ」とか思うようにしていると,案外変わってくるものです。 つまり「こういうのはよくあることだから怖くないんだよな」とか思ってると 怖くない。怖がりな性格を治すことは難しいけど,怖いものを減らすことは 出来て,それが積み重なっていくと,案外怖いものは世の中にないな…とか 思えるようになってきたりします。
そういう意味ではコミュニケーションスキルを身につけるというより, そんなものがなくても,案外なんとかなるとか,最低限これくらいでければ 良いとか,あと結構この人何も考えて無いんでは?とか,そういう知識と 考えで,タフになるんじゃないか?という気もします。
ちょっと話がそれるけど,今日も タダノリ社員 問題の記事とか読んだのですが,わたしはコレ読んで,経営者は 大変だなぁとは思ったけど,同時に,こういう風に働いている人も 結構多いよねぇ…とも思いますし,こういう人がある程度いても会社が 回るようにするのが経営者やマネージャだろうに…とも思うわけです。
まぁ実際にタダノリの人が本当に増えてるのであれば,社会全体としては 問題なんだけど,ってことはやっぱり別に世の中の殆んどの人は スキルが高いわけじゃないよな…と思うわけで。
結局,能力をあげるよりもタフさを鍛えるような訓練をした方が いいんだろうなぁ…とも思いました。「能力よりもずぶとく生きて成功する」 って誰かそのうち本を出すんでは?とか思ったりもします。
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