だらだら書いた日記です。
日記中のURLはメンテしないので,切れてる場合もあります。
あしからず。
- 7/31(休日)
- 今日は嫁が朝から3時間ほど外出したので,朝から昼まで子供とお留守番。 送り出した後,30分ほど子供はわたしのひざの上で寝。起きたら10時過ぎて いたので,ご飯…ということで,30分くらい食べさせる。その後は, 水を飲ませたり,遊ばせたりしているうちに嫁が帰ってくる。
わたしはあまり子供と二人っきりでお留守番を長くしたことがないので ちょっと不安でしたが,ぐずることも無く,無事終了しました。
午後からは雨が降ったりしていたので,家でうだうだ。昨日無線LANの 機器を新たに入手したので,その設定などをしていたら,夕方に なったので,嫁と三人でお散歩して,あとは帰って夕食でした。
昼頃に大雨が降ったのだけど,すぐにやんだので,涼しいというより 蒸し暑い夕方でした。
- 7/30(戦略としてのイジメ)
- fujiponさんの「 世の中には、天性の「イジメ上手」がいる。」 という文は,要は集団において,自分への好感度を上げるために テクニックとしてイジメを行う人がいる…という話です。似たような話は 多分学校とかでもあって,誰かの好感度ではなく,クラス全体での 一体感や平穏を保つために,極一部の誰かをターゲットにするような話は 以前から聞いてました。なのでこの話は,特定の人物名はともかく, そういうことあるだろう…と思います。ちょっと思ったのが,じゃぁ実際に 技術としてイジメを行う人がいるとして,意識してやってるんだろうか? ということ。学校のクラスでも起きるようなことなので,もしかしたら 意識せずにやってる人も多いんじゃないか?…という気がします。ある意味 人間のコミュニケーションの本能的な部分にそういうものがあるのかも 知れません。戦争や海外侵略自体が国の求心力を高めていた時代も あるわけですから…。
さて,人間ってそういうものだろうな…と思う反面,こういう話を聞くと 暗澹たる気持ちになります。わたしは昔からいじめることもいじめられることも 苦手です。わたしは小学生の高学年から転校が多かったため,何年間も いじめられて抜け出せなかったことは無いのですが,転校先によっては クラスに居場所が見いだせないこともありました。そういう場合は いじめられていた…というより,直ぐに部活に逃げ出したり,他のクラスの 人と遊んだりしていた…という感じでした。逆にイジメていた記憶は ないのですが,クラスで誰かをいじめてるのをみて,仲間にならないように する程度で,見過ごしていた…というのはあるかも知れません。わたしの 子供の頃は目立つイジメはほとんど無かったのですが,小中学は義務教育で 生徒も様々ですから,みんなから馬鹿にされて小突かれている生徒は いたように思います。
- 暗澹たる気持ちになるのは,イジメというのは多分幾つになっても無く ならないものだろう…と思うことと,あとこれが集団をまとめるテクニックで あるとしたら,マネージメントとしてこういうことも利用すべきなんだろうか? …という考えが 頭によぎるからです。
わたしもそろそろ集団をまとめていかないといけないような職位になって きてます。わたしは昔から職場の人を遊びに誘ったり…というのをあまり やってきてません。誘われたら行きますが,自分から飲みに誘ったりレクに 誘ったりとかほとんどやったことありません。遊ぶとしても職場ではなく 会社の同期とかネットの知り合いとか学生時代の友人とか。仕事もチームで やるというより一人でやる仕事も多かったので,職場の師匠弟子関係も あまりありません。そういえば,以前会社の後輩に,「○○さんは一匹狼 ですね」と言われたことがあります。
最近知り合いにその人の職場の人間関係について 相談を受けたときに, 職場で人の輪に入っていけるとかいけないとか,誰々さんに好かれているとか 嫌われてるとか,そういう話を,憶測や思い込みでされても,わたしは テンで興味が湧かないというか,困る…。わたし自身が,職場で 孤立してようが,好かれていようがあまり気にならないのです。ただ仕事が 回らないと困る。わたしの(業務上の)話を聞いてくれないと困る …というのはあります。
こういう自分ですので,最初のようなテクニックを使ってまで自分への 求心力を高めよう…という発想に全くなりません。むしろそういうの嫌。 特定の人をいじめるのも嫌だけど,特定の人とベッタリになるのも, 結構面倒…だなぁ…と思っていたりします。仕事上部下をどなったり することも必要…というのはマネージメントとして聞きますが,考えると 結構やりたくなくて,まぁそういうことはなるべくしない方法で 行くんだろうな…と思います。
…もう少し自分が職場でどう振る舞ってるかを書こうかと思いましたが, 長くなるので今回はこれまで。また気が向いたら書くかも知れません。
- 7/29(刑の意味がわからないと死刑の是非もわからない)
- 昨日, 死刑反対論者の千葉法相が始めて死刑執行を決裁し, 実際の死刑に立ち会ったというニュースを聞きました。 わたしは死刑執行の決裁は大臣の業務だと思うので,執行すべきだと 思いますし,死刑反対なら,国会でそれを議論して刑法を変えればいいと 思うので,そういう意味では今回の執行は当然のことをしたのだとは 思います。ただ,いままで執行に立ち会った大臣はいないということからも, それなりに千葉法相には思うところがあったのかもしれませんが, よくわかりません。
死刑の是非については難しいのですが,現状日本には死刑の反対派は 国民の大半にはなってなかったと思います。議論して国会で決めれば いいとは思いますが,じゃぁ自分の意見は?というと,死刑の是非以前に 日本の刑法が刑に対してどういう意味を持たせているかが良くわからないので 判断が出来なくて困ってます。もしかしたら刑法のどこかにそういう ことは書かれてるのかもしれませんが,あまり刑の意味というのは 説明されて無いように思います。
刑の意味で考えら得るのは「罰」「犯罪抑止」「犯罪者隔離」「再発防止」 「被害者(の遺族)救済」「犯罪者更正」などでしょう。これのどれかによって 実際の刑が持つ意味と適切な量刑は変わるように思います。もちろん凶悪犯罪と 軽犯罪では違っていてもいいとは思います。もしかしたら軽犯罪は犯罪者の 更正や再発防止などの目的を持っているのかもしれません。 そうであれば,犯罪者を反省させたり,職業訓練などを受けて,社会復帰を させるのは正しいように思います。でも凶悪犯罪者の中には,とても 更正を望めないような人もいます。偶然弾氏が無期懲役囚の心情を書いた本を紹介してますが, 反省しない受刑者もそれなりにいるということです。
- 更正しない凶悪犯罪者に対しては,一市民としてのわたしの心情としては 社会から隔離して欲しいというのがあります。怖いからです。 死刑は犯罪者の隔離や再発防止という意味では,もっとも強力な手段ですが, 終身刑でも同じことは可能です。ただし終身刑の場合はその費用を 国民の税金で支払うことになります。それを国民が納得するか?と いうことでしょう。ただし実際は刑法は,どんなひどい犯罪でも 犯罪者にそれをしようという気持ちが無かったり,精神的に異常な状態で おきていれば罪に問われないこともあります。もちろん,そういう人は 病院なので隔離はされますが,期間的にも十分ではないというような話も 聞きます。ということは,犯罪者の隔離や再発防止という意味では, 刑法は考えられてないということなのでしょうか。
案外日本の刑法の考えは「罰」は「償い」として刑を考えているのかも しれません。罰も償いというのは漠然としていて,何を指してるのか 判らないのですが,その漠然とした感じで「罪を犯した人は, それなりの辛い思いをしなければならない」という意味になります。 ただし実際は最近刑務所で看守が暴行とかをすると問題になるように, 犯罪者に辛い思いをさせるのも減ってるように思います。そうなると ますます刑務所の意義というのが判らなくなります。
というわけで,国会で話し合えばいいとは書きましたが,前提の 思想が決まらないと刑の設計は出来ないし,そもそも最近の 裁判員制度も,裁判員はどういう観点で量刑を決めればいいかわからないのでは 無いでしょうか?判らないまま個人の感覚で決めるのが裁判員制度と いわれればそれまでですが…。
わたしは以前も書きましたが,死刑の是非には明確な意見はまだ持ちえて ません。賛成も反対も上に書いた疑問が解けて無いので判断がうまく できません。ただし冤罪があった場合に死刑は取り返しがつかないと思うので, 実際は慎重に判決を出すべき量刑の様に思います。そういえば, いまひとつ「疑わしきは罰せず」も実行されて無いような気もするのですが 気のせいでしょうか?。
わたしは国民に刑法の量刑の議論を起こさせるなら上に書いたような 話をまずしないといけないと思ってます。千葉法相は死刑について 思うところがあるんでしょうが,国民に何を訴えたいのか? 今のところその意図はわたしには見えません。
- 7/28(有名人のがん)
- 桑田佳祐が食道がん。不用意を承知で書くと, 「初期」「手術」という言葉から,取れる程度…なのかな…と思うと, (完治は)大丈夫じゃないか?と希望的観測をしています。一日も早い復活を おまちしてます。完治の可能性が高くても,とてもしんどい治療なのは, わたしも身を持って体験中なので,そんな気軽な話じゃないのですが…。
すこし自分の経験を…。
こういう芸能人のがんのニュース。もちろん自分が健康なときは, 大変だなぁ…とか,頑張って…,まぁある程度気軽に思ってはいたのですが, 自分ががんであることを知って,その時期に近くそういうニュースを聞くと, まるでもう一人の自分のように感じてしまいます。わたしの場合, 自分ががんであることを知った時期に,そういうニュースが流れたのは, 王監督と清志郎でした。なので,彼らの動向はずっと気になっていて, 王監督が再入院したとかそういう話を聞くと再発か?とか自分もそうか?とか 恐怖にふるえました。
清志郎は手術をしなかったのですが,手術をしないというニュースを 聞いたときにすぐに「あぁ助からないんだ」と思いました。そういう意味では 彼を励ますファンの声が物凄く悲しく感じられました。
あともう一人,スティーブジョブス。彼はわたしよりも一年以上前に 手術をしてますが,同じ膵臓の特殊ながんであることから,今でもずっと 気になってます。一時期激痩せした時は,もしかして再発したのか?とか, 自分も一年後に同じようになるんじゃないか?とおびえました。それから がんとは関係ないけど松井秀喜。骨折なんですが,同じような時期に, 最前線から離脱…という意味で,どこか自分を重ねていて,選手として 復帰したときに嬉しく思いました。
という風に,有名人の病気や怪我のニュースは,同じような境遇の人には, 自分を照してしまうような気がします。さすがに今回の桑田さんのニュースは 既にわたし自身は自分と同一視はしませんが,多分同じように思っている人は いるんだろうなぁと思います。つまり桑田さんが元気になることは,その人を 勇気づけることになる…ということです。
まぁ,そういう事は背負わずにゆっくりと静養をして欲しいとは思いますが, そういうこととも患者は思うということで…。
- 7/27(待ち時間)
- Twitterの話なので文章を特定するのが面倒なのですが,medtoolzさんのTwitterの待ち時間に関する話は 興味深かった。患者が怒って訴訟するのは,ほっておかれたという 感情が大きくて,もう少しTwitterの記事を追うとラーメン屋は行列だと進んでいるので怒らないけど, 席に座らせてほっておくと客は怒るとか,待たされてる方は待たせている方の状況がわからないから 取り残されるという話。
medtoolzさんは医者なので医療の例で考えるけど,接客業だと同じような話は たくさんあるし,接客じゃなくて,役所の窓口,もっと広げると, 電話を取り次ぐときとか,さらに人に「ここで待っててね」という場合でも, 常に待たされている人には「取り残された感情がある」と考えるといいのだと 思う。
わたしはコミュニケーションを考えるのが生業だから,「取り残されない システム」をうまく作れば,いろんなところで顧客満足度が上がるし, 医療でもわかるけど,訴訟とかそういうトラブルを未然に防ぐいいツールに なるんだと思う。
まぁ実際にどんな場合にも有効なツールをつくるのは難しいので, そんなに簡単に行かないとは思うし,現行のシステムでも電話の取り次ぎも トーキーを流したりして,それなりに待たせる方も気を使っているのが 実際です。待たせてる方の状況を見せればいいとして,真実を見せると かえって怒られる場合もあるので,ある程度演出が必要だろうとか 思ったりもするけど,まぁ「1時間後に連絡します」とあらかじめいって おけば,その間ナースセンターでだべっていても,まぁOKっていうのは そうかも知れないな…と思う。
つまり待つ方は,どれだけ待つかわからないということが「取り残される」と いう感覚でもあるんだろう。ラーメン屋の列も先が見えなかったら, 進んでいてもストレスがたまるだろうし…。トーキーで待たせる時も, 闇雲に待たせるのではなく,2分以上待たせたら,とりあえず,軽く返すとか, そういうのもいるんだろうなぁ…と思う。
そういえば,話が変わるけど,別のブログで合コンで知り合った女性のメイルに 4時間返事をしなかったら,相手の女性は「気がない」と判断するらしい…と いう話を読んだけど(笑),多分この辺の「待ち時間」の話も,関係あるのかも 知れない。相手に取り残された感情を持たせないように,返事の間隔も あるだろうし,空けるなら空けるで,どういう一言を残して空けるとか, そういうノウハウもありそう。実はわたしも仕事のメイルの返事を書くときは, その間隔は結構考えて返すようにしている。
考え出すといろいろおもしろい話かもしれない。
- 7/26(医療は人に都合良く病気を治すわけではない)
- 極東ブログのインフルエンザと結核の話を読んでいて, メインの話も興味深かったのですが,最後の結核が無くなったのが, 結局抗生物質の発見というよりは「栄養」が十分に取れるようになったから という話,そして実は結核は産業革命時に労働条件が悪くなって, 広まった…みたいな話を読んで,なるほどねぇ…と思いました。
栄養については昔から結核を「滋養」によって治すというような話を 聞いていたので,そうだろうな…とは思ってましたが,これを読むと, 結核の蔓延と撲滅は医療というよりは,生活や環境の方が本質ではないのか? という気がします。
現代は病気というと,病院に行き,医者の治療を受ける。医者は切った 貼ったの外科的治療か投薬による内科的治療で病気を治したり抑え込んだり しようとします。ですから,逆に患者は病気になったら病院にいって, 治療で治したり抑えたりしようとします。
…ですが,実はこれは本質ではないように,わたしも薄々思ってます。 病気になったら本来は安静にして,体が病気に立ち向かえる様にする。 病気をならない様にするには,原因になるものを排除し,また体を鍛えたり 十分に栄養を取ったりする…というのが本質ではないでしょうか?。 今は病院で病気は治せると思って,熱があるのに薬で熱を下げて働くとか, 働くならまだしも遊びにいくとか,そういう風に行動する人が案外 多いように思います。
しかし本来はそんなに都合良く体は病気に立ち向かってはくれません。 病気になれば,その時の生活が一転し,いろんな計画がおじゃんになる…って いうのは,ある意味当たり前のことなのです。
わたしは先日の日記で医療の治すことをあまりあてに してないと書きましたが,人間の体も,また医療もそんなに人の目論みに 都合良く動いてくれるとは思ってません。特に内科的治療は対処療法 だったりする場合も多い様に思います。対処療法というのは,症状を 和らげて結果的には体を治しているのは自分の免疫や治癒力…ということに なります。ですから,病気を治しているのは,薬ではなく体なのです。
医療の発達だけを追うと,近代医療がいろんな病気を駆逐してきたように 見えます。ですが,実際は医療だけで人間は病気を排除したわけではなく, 生活の改善にも大きく影響されてます。医療は体が病気と戦う事を助けてる だけだという考え方も出来ます。
人間の体はそんなに都合良くは行きません。体の方に自分の計画をあわせて 生きる方が正解な気がしてます。
- 7/25(政治と個人の生活)
- ネタにマジレスになるのですが, Chikirinさんが各時代の不幸自慢を書いていて, 今の時代が悪いというが昔はもっと…ということで縄文人の勝ちと 書いてます。もちろん冗談だし,ここに書かれている各時代の事情も 嘘だったりホントだったり,まぁそんな感じなのですが…。
そんなことを思いつつも,わたしが思うは,床屋政談や年寄の思い出話という 意味では,実際にされていることはあるのかもしれないと思うけど, でも,日本人の庶民は「誰が国を治めようが たいして変わり無い」と思ってるんじゃないか?ということ。言い換えれば, お上が誰だろうがお侍が天下を取ろうが,維新だとか議員だとかが, いろいろ都合のいい事を言ってくるけど,結局年貢をもっていくだけだ。 わしらはそんなことより目の前の畑を耕さないとオマンマが喰えねぇ…, とかそんな感じ。
日本人は政治に関心が低いとかちょっと前から言われてましたが, それは決して自民党の長期政権が続いたからというよりは,もともと そうなんじゃないか?という気もします。それは上に書いたように, 朝廷だろうが幕府だろうが新政府だろうが,いろいろ治世のシステムは 変わったのかもしれないけど,多分農民や町民レベルではたいして 変わってない。もちろん国のせいで命を落としたり食うや食わずの 生活をしたりとかあったんでしょうが,そもそも誰が政治をやっても いい目を観てるのは権力争いをしてる貴族とか侍とかなので, 農民や町民はいい目を観ない。いい目を観ることが無ければ,不幸の 程度が若干変わるだけ…って思われてしまうので,誰にも期待しなくなり, そして無関心になる。それは一方で不幸といっても,単一民族(と 言われてる)国家で,政権交代が民族の入れ替えを伴わないから, 国から自分達が追われる心配も無いから,というのはあるのかもしれません。 もちろん国の多くが焼け野原になった太平洋戦争は,国の行いが他人事じゃ ないという状況を引き起こしたのだけど,戦国時代とかは全国が戦乱と 言っていても,平和なときも山賊とかにおびえていた人からすると, たいして変わらなかったのかもしれません。
…と書いたのも冗談でもあるんですが,ちょっとそんなことを思うことも あります。だからメディアは政権交代で大きく騒いだこの一年だったけど, 多分庶民の生活の根本は,そんなに変わらないんだろうな…とわたしも 冷ややかに思っていたりします。
- 7/24(休日)
- 大学の友人で整体をやってる人がいるんだけど,わたしの腰が しばらくずっと調子が悪かったので数年ぶりに彼の店に行った。 嫁をもらって紹介したことが無かったので,子供もつれて三人で 行った。暑かったので,子供が心配だったけど,なんとか大丈夫 だった。彼の店は繁盛してるのか,あまり時間が取れなかったのだけど, 軽く施術してもらった。
帰りちょっと買い物をして帰ろうと近くのスーパーに行こうとしたら, あかちゃんほんぽがあったので,子供の服を買った。夏休みの前に 買わなきゃ,と思っていたので助かった。
そんな休日。
- 7/23(猛暑)
- この間の休日に梅雨が明けて晴れてると書きましたが,今週はずっと 天気が良く猛暑。岐阜では39度とか気温が上がってるらしい。凄い。 東京も36度とかなってますから,多分道路の上とかは40度とかありそう です。しかもほとんど雨が降りません。なんか明け方地面が濡れていたり したので,パラりと降ったりとかしてるのかもしれませんが, 少なくともわたしの住んでいるあたりでゲリラ豪雨とかにもならないので, 結果的に夜も暑い状態です。
例年だと梅雨が明けると台風がすぐ来るのですが,今年は台風も まだ三号で,中国大陸の方に上陸してる様子。まだまだ日本に来る 台風は来てません。
というわけで,なんか異常に暑いです。会社は電気の使用量が高いって 警告を出しまくってました。わたしの方はこうも暑いと家のエアコンを つけないといけないし,子供も熱中症にならないか心配ってことで, もう少し暑さが和らがないかな…っていうか,まだ8月になって無いの だけど…と思います。
- 7/22(心変わりの足跡)
- fujiponさんが「永遠の0」という本の書評で, 戦時中の日本の大衆の身勝手さと現代の大衆の身勝手さを比べて 語っているのを読んで思ったこと。
fujiponさんはワールドカップの前後で自らが岡田監督の評を変えたことを 自覚していて,そこに自らの勝手さを恥じていらっしゃるようです。 fujiponさんは良心的だから,こういうことを自覚して表明してますが, こういう風に,最初自らが言っていたことが,状況が変わって 180度意見を変えるか,もしくは過去に自分がそういっていたことを 表明できなくなるとか,そういうこと最近多いんでは無いでしょうか。
例えば1年前に政権交代が起きましたが,あの時に民主党とか鳩山代表を 応援した人たち…,みなさん今でも同じ意見なんでしょうか?。 その前の小泉さんや郵政民営化に対して意見は当時と今と変わって 無いのでしょうか?。他にも芸能人が不祥事を起こすと,ものすごい バッシングをするのに,5年もするとその人の作品を再び楽しんでいたり することもあります。タミフルだってあれだけ危険な薬扱いをしていたのに, 去年のインフルエンザが流行りだした際には,あっさりなし崩し的に 使い出したし,更にそのインフルエンザも今はたいして怖くないと 思われているようだし。
もちろん状況が変わっても自分の意見を変えない人も多いでしょうし, 逆に最初からどれに対しても「どうでもいい」と思っていた人も 多いでしょう。でもはたから見てると,ある時にはある意見が大勢を 占めていて,他の時期には前の意見を否定するような意見が大勢を占めて いるように見えます。単にそれぞれ違う人が声を大にしてるだけなら わかりますが,同じ人がその時の大勢をみて,意見を変えている 可能性もあります。
もちろんこういうことは昔から良くあったことでしょう。別に日本に 限らず,どこかの政治家に扇動されて,他の国を攻撃することを 熱狂的に支持するどこかの国民とかを見てると,世界中というか人間の 性分の様にも思います。そういう意味では反省は出来ても,なかなか こういうことは無くならない様にも思います。
ただ思うのは,以前はそのときの個人の意見が形跡として残らなかった。 誰かに話しても狭い範囲のことだし,声で伝えても,相手もはっきり 覚えていなかったりします。でも今の様にブログでもメイルでも, 文章として意見を表明すると,後から意見を変えてもしっかり過去の 考え方は残ります。また文章にするということは,頭で漠然と 思っていたことも強い表現になるし,はたまたネットで自分の意見を もっともらしくいうために,周りを見てなんとなく思うことを, あたかも自分がそう思ったんだ…強く書いてしまうことも多いです。 だから,書くほうもそう書いたことをはっきり覚えているし,後で 状況が変わって,以前の意見をいい続けることに支障がある状況に なると,やばいなぁ…とより強く思うんでは無いでしょうか?。
わたしはこういう状況が続き,それに合わせて人間が進化したら, もしかしたら,だんだんニヒルというか物事にみんなが一歩引いた 意見の書き方をする様になるかもしれないなと思います。断言しなくなり, 他人事の様に書いたり…。学者が物事を断言しないといいますが, 彼らも自分達の見解が絶対で無いことを意識してるから,そういう 言い方をするのです。それが「知的」といえばそうなのかもしれませんが。 一方で,断言しない意見は一般に受けが悪いです。
- というわけで,発散したのでまとめると,意見がコロコロ変わるのは, 人間の性かなぁ,それを避けて思慮深くなると,物事を断言できなくなる, でも受けるために断言する人もいるので,結局どういう風になって 行くのかはよくわからない…という話でした。人は賢くなれるんで しょうか?
- 7/21(代替医療への冷めた想い)
- 最近 極東ブログさんがなぜか代替医療(?)の創始者(?)の 伝記みたいを書いてます。なぜだろう?とも思いますが,今行われている 代替医療がどういう経緯で起ったか?ってことを記しておこうと 思ってるのかも知れません。
先日も書きましたが,わたし自身は医療は日本の厚生省が認可してる 医療をまずは第一に受けるべき…と思ってます。それでもダメな場合とか それとあわせて,違う医療行為を受けるか?というと,実はいろいろ 複雑な気持ちがあり,簡単には説明できないのですが,完全に 否定してるわけでもありません。
先日手かざしで亡くなった子供の話を書きましたが,手かざしとか ホメオパシーをやっていて,普通の医者に子供を通わずにいる親というのは 少なからずいるようで,そういうのを医療ネグレクトと呼ぶそうです。しりませんでした。
少し話を変えます。わたしはいちおう自然科学を修めた人間ですが, 宗教の話が好きで,一時期は結構いろんな宗教の事を表面的ではありますが 調べてました。あわせて少数民族の信仰や習慣も調べたりして, その中には信仰の行為と医療等の行為が混然となってるものもありました。 信仰にも言葉だけではなく,薬草とか瞑想とかを用いるものもあり, 興味を持って瞑想など試したこともあります。 そういうこともあり,手かざしやホメオパシー的なものはあまり 勉強してませんが,頭ごなしに否定してはいません。
そもそも若い頃から,科学も宗教の一種であるとか,宗教と呼ばれるものも かっては科学だった…という風に考えてます。また人間は精神状態が 身体へ与える影響が物凄く大きいので,精神をコントロールするために まじないを用いることは,必ずしも効用がない…とも思ってません。 わたしは体系的な理論の美しさよりも,実際に役に立つなら科学者でも 宗教を信じてもいいし,また科学は完成されたものではないので, 発展の可能性として神秘的なものからは目をそむけない…と思ってます。
ですから,ずっと健康に歳をとっていれば,そのうちわたしも代替医療とか 試していたかも知れません。
ただこういう考え方は,結構自分の命が保証されているというのんきな 状態では楽しく語ることができるのですが,4年前に自分がガンにかかったと わかったときは,わたしは逆にこういう医療について, ほとんど魅力を感じなくなりました。
理由を一言でいうと,いちおう科学を勉強し,擬似科学も楽しんでいた 自分の知識を総動員して考えて,一番命が助かる事と気分が平穏になること …とした結果,それらの代替医療はわたしにとって優先順位が低くなって しまったのです。細い理由は書きませんが,確率的に考えて標準医療の 方が助かる確率が高いし,費用負担的な面でも有利だと考えたということです。 もちろん現代の医療も完全ではないし,日本の医療行政にもシステム的にも 思想的にも賛同できない部分がある…というのもわかりました。エビデンスに 基づく医療が今は良いとされますが,難病と呼ばれる病気には, 確率的にはレアであるケースになってしまう事もそれなりにあります。 また長期的な医療の効果は,現在の医療の認可システムでは, 測りえない…とも思いました。ですから,代替医療や民間療法の中にも 効果が全くない…とも言えないものも多分あるでしょう。
- また,わたしは現在の医療というのは実は「治す」という点ではまだまだ ダメですが,「調べる」と点ではかなり優れていると思ってます。 ですからわたしが病院にいくのは検査をするためと言っても大げさでは ありません。医療行為でガンを治すというと「切り取る」 「(放射線で)焼く」とか「(体に害がある)薬で抑える」というかなり 乱暴なものしかありません。しかも薬での完治は非常に稀です。自分が 患者となって考えると治療という意味では結構お粗末で,癌治療に がっかりするのもわかります。ただガンの状態がどういう状態か… というのはCTやMRI等でミリ単位でわかります。治療が信用できなくても, 調べるためだけにも病院には行くべきだと思います。
もっともわたしの場合は腫瘍をゴッソリ切り取ってしまい,抗癌剤も使わず, 再発するかどうかというのに賭ける状態ですから,後は状態監視しか ないのです。抗癌剤をうって副作用で苦しむ方は違った考えになるかも しれません。わたしの場合は再発の確率をどう低くするかとか, 再発におびえる精神にどうやすらぎをもたらすか?という意味では エビデンスの無いことでも幾つか試したことはあります。 ただこれらも基本的には自分の財布を圧迫しない程度…という風に 決めています。というのも,もし再発などして,抗癌剤治療になったり, 更に承認抗癌剤が効かなくなり,海外で効果があるとされている薬とかを 使い出すと,湯水のようにお金が必要になるため,気のせい…である 代替医療に高額なお金を投じるのは良くないと考えたからです。わたしは 基本的には気分転換の代替医療は良くても,経済を圧迫するものは ダメだという基準にしてます。
…というわけで,わたしの場合,自分の命に関わる病気にかかったため, むしろ代替医療とかに興味消え去ったという感じです。それでも,宗教は 好きだし,自然(食)や低農薬崇拝みたいのはまだ残ってます。ただ, まぁなんとなくそういうのは,お楽しみみたいになってきたなぁ…と 感じております。宗教も死んでからの話だから,まぁ死んでから考えれば イイやというか(笑)。
もちろん信じている人を茶化してるつもりもないのですが,冷静に 真剣に考えたら,わたしの場合はそうなる…ということです。ですから, 最初に話に戻ると,楽しみとして代替医療をやっている人は否定しませんが, 子供に対して医療をネグレクトしてる親にはもっと冷静に子供が助かる 方法を考えてあげて欲しいと思います。前も書きましたが,医療には ずるをして得なことやライフハックみたいな話は無いと思います。広い 情報をどう得るかだけで,一つのうまそうな話を盲信することでは 無いでしょう。
- 7/20(お墓は情報の象徴)
- WIREDの お墓の情報化の話を読んで思ったこと。
お墓参りって何のためにするのか?ということを考えると,多少 宗教により違いはあるんだと思いますが,先祖(故人)を敬うこと, 自分の帰属(例えば家)を明確にすること,そして故人への想いを 共有することとかじゃないかと思います。故人を敬うというのは, 故人を思い出すことが多分本質で,その思い出しているという 頭の中身を外から見えるようにする好意として墓参りがあるのだと 思います。つまり墓参りというのは基本的には心の問題とその 心を形式という形で表層化するわけですから,情報そのものが本質 じゃないか?という気がします。
そうであれば,実は情報化ともっとも相性がいいように思うんですが いかがでしょう。もっともその「形式」というものが他の人と 共有されていないといけない,また「故人」自体が古い人なので, その人たちに合わせるとどうしても伝統的な形式に添った形に なる…というのが墓参りが情報化(IT化)されない所以でしょう。
実際わたしも業者が用意したWebで墓参りをするなんていうのは まっぴらごめんです。でも一方で,故人が書いたWebページを本人が なくなった後に読んで,いろいろとリアルに本人を思い出すことも あります。そういえば,以前これから本人が亡くなった後に 放置されるWebとかが増えるだろうから,まるで墓標のようだと 書いていたのを思い出します。
というわけで,時間はかかるけど,案外墓参りは情報化されるかも 知れないな…という気がします。それにお釈迦様がそうだけど, お墓なんて世界中にいくつ作ってもいいのだから,ネット上に お墓があっても,実際の墓地にあったらいけないというわけでも ないからネットのお墓が墓地を駆逐するってこともない様に 思います。
- 7/19(休日)
- 今日まで三連休でした。先週梅雨が明けた様で,この三日間は ずっと天気。夕立も降らなかったけど,空気が乾燥してるのか, 夜とかは案外気温が下がっている気がします。
一昨日は家族三人で錦糸町に出かけ,ベビザラスと赤ちゃん本舗へ。 結局ベビーカーを新調。ところで錦糸町ってどうして,ベビザラスと 本舗と両方あるんでしょう?。そのせいか,子供連れが多いような。
連休初日に遠くまで行ったので,昨日と今日は,ほとんど自宅で ごろごろしてました。
- 7/18(医療でズルをすれば得なことは無いと思う)
- 子供に手かざしをし続けたが亡くなってしまったと いう話を読んで。
悲劇だと思うけど,こういう話って昔からあって,親の信仰の問題で 輸血が出来なくて子供が亡くなったり,病気になった子供の狐や 狸払いをするとかで子供を叩いたとか…そんな話昔から聞きます。 だから今特に多いのか?といわれると判らないのですが,最近目に付くのは こういう手かざしにしても,先日書いた予防注射をやらない親とかとか, あと自然治癒力とかそんな少し疑似科学的な感じで 世間一般の標準的な医療を子供に受けさせない大人がいるということ。
現世で不幸な目にあっても,その後幸せになるために,そういう行為が 必要と信じるのであれば,そういうのもありかもしれません(もっとも, 信じるのは大人ですので,大人だけで勝手にやってほしいと思いますが)。 でも,どうも最近の事例を見てると信仰の問題として医療行為を 逸脱するのではなく,それが科学的に正しいと信じておかしなことを やって人が結構多いんではない?とかいう気がします。少なくとも, 来世での幸せのために現世で苦行をやってるわけではなく,現世での 利益のためにやってるように見える例が多い気がします。
そうであれば,最初の手かざしの件も,予防接種をしないとか, 自然治癒力を高めるとか,そういうのも,いくら熱心にそれをやっても, 子供自体が亡くなってしまったら元もこもありません。つまり 信仰よりも,間違った知識,間違った思い込みがこういう事件を 起こしているわけです。
こういうのを一般に疑似科学といいますが,疑似科学の多くは通例と なっている科学的見解を否定します。医療も国が定める標準治療を 否定したりします。でも根本的に,国が定める治療が確率的には 一番患者を助ける可能性が高いのは明らかです。どうしてそれを 否定するんでしょう。こういうのを信じる人は,あたかも国の医療が 嘘を言っているとか,自分達だけが知っている真実がある…とでも 思っているんでしょうか。
もちろん医療行為が個人に効くレベルまで落とすと標準に当てはまらない ケースはたくさんあります。医者によっては誤診をすることもあるでしょう。 でも,わたしが思うのは,だからといって秘密の方法はありません。 医療にズルをすれば得をするということは無いと思います。 医者の言うことが信用できなければ,他の医者の意見を聞くか,自分で 医療論文などを読んで,勉強するしかありません。自分の健康のために, 子供のために人とは違った努力をしたいのであれば,怪しい意見に 耳をかすのではなく,現代の医療を深く調べる方向で努力を すべきでしょう。
もちろん,現代の医療が100%正しいとは限りません。20年経てば 誤ったといわれる治療を今やってるかもしれません。でも, だからと言って正しい方法が,その辺に落ちているわけでもないのです。
- 7/17(政治家の知事,官僚の大臣)
- 宮崎の口蹄疫の件は以前も書いたけど,ずっと追っていて,最近は 東国原知事のTwitterとかを読んでいたりします。
なので今回の種牛処分で国ともめた件については,ちょっと 前から知事の意見も読んでました。で,今回もこのリンクした社説に たいして知事本人が意見を書いています。メディアの 記事に関して本人が意見を書いたのをネットで見れるというのは, 非常に「今」的で凄いなぁと思いました。
さて,この一連の騒ぎ,わたしは口蹄疫の発生のときからずっと 知事を応援していたので,知事よりの意見になってしまいますが, それでも少し今回の種牛を残すという嘆願の戦略は少し弱いな…と 思ってました。行政が例外を認められない…というのも行政の性質上は その通りで,行政に例外を認めさせるには,例外ではないという様な 何らかの理論武装が必要で,その部分が東知事の戦略としては弱いなと 思っていたのです。ですが,今回の知事のブログを読むと,県が引き取ると いうことで,先に処分を逃れた種牛と同じ扱いにするという理論立てだった ことがわかります。なるほどとは思いましたが,やはりまずは種牛を残したい という気持ちが強くて,理論立てが荒くなって無いだろうか?とも 思いました。
ただし行政としてはそうであっても,政治の世界では特例はいくらでも あり得ます。また政治の都合で,うまく(?)理屈にならない理屈を 立てることも可能です。そうやってBSE発生国の牛だって20ヶ月以下で あれば輸入できるのです;-p。
今回の口蹄疫で東知事は非常に根気強く,いろんな農家の人に会って 話を聞いているように感じてます。ですから,生の当事者の声を聞いて, 行政的な決まりよりも現実の世界や現場の気持ちを優先してるように 感じました。これは政治家としては正しい姿です。知事は行政長ですが, 選挙で選ばれるので政治家でもあります。選挙で知事を選ぶということは, 杓子定規な決まりに基づいて県政をするのではなく,有権者の声を 聞けということでしょう。そういう意味でいうと,知事の今回のブログは その県民の想いを受けているという意味で,非常に政治家としての 力を感じました。
一方で山田農水大臣の方。この人も確か国会議員だと思うんですが, この行政的な杓子定規の対応,しかも非常に権力をかざしている態度は 一体何なんだろうな…と思いました。次官がこういう態度をするなら 判るんですが。
官僚批判,政治主導を訴えて政権をとった民主党だと思うんですが, 当事者の声をまったく聞かない非常に官僚的な大臣を輩出してる様に 思います。
- 7/16(徒然)
- ネタが無いので徒然に
自然栽培の林檎の話。普通の栽培法から 農薬とか肥料をやめると,葉っぱが落ちて秋に花が咲いたりするんだ。 凄いなぁ。土質とかそういうのもあるんだろうけど,普通の林檎が そういうのも含めてチューニングされてるんだなぁと思う。
こういうのを見ると自然栽培も趣味の領域に近い。
次。
中学生が相手を蔑む言葉で病名を使ったという話。 いけないことだけど,子供はこういうことをいう。そもそも 水俣病という言い方を考えたのは誰なんだろう?と思った。あんまり 地域名を病名に使うのは良くないよなぁと。
次。
バナナの皮で滑るという話。「ねーよ」と今はいうけど,そうか 本当にバナナで滑ったこと無い人って多いんだ…とちょっと驚いた。 わたしこけそうになったことはあるなぁ。というか,かっては ゴミをポンポン道に捨ててたってことの方が,あぁ,そういう時代ねと 思う。
次。
米パン作れる食パン器。某所で米のパンがうまいという 話を聞いていたので興味持った。というか農水省がコメント寄せるんだ…。 へー。
- 7/15(予防注射)
- ちょっとネットで話題になっていたのですが,予防注射を受けなくてはいけない理由を理解できない 親がいるらしい。どうも最近現代医療をあえて無視して, 民間療法とか,自然に任せる人がいるようですが,自然に任せていたら, 昔の様に死ぬ人増えますから…。
そういう妙な信仰もあるんですが,どうも最近薬害とかが話題になりがちで, 集団接種で感染したとか,タミフルで死んだとか,レアな情報が あたかもよく起きることの様に伝えられるので,予防接種に 過度に不安を持つ人もいるんでしょう。まぁインフルエンザワクチンも ギランバレー症候群とか副作用がまったく無いわけじゃないのでしょうけど, そういえば,去年の新型インフルエンザで,タミフルの警戒なんて あっさり吹っ飛びましたね。
わたしの考えを書くと,予防接種をうつにしてもうたないにしても, どちらにもリスクはあります。どっちのリスクが高いかだけ。 予防注射が危険と思う人は,稀に起きた副作用や事故を見て,注射が 危険だと思うんでしょうが,予防接種を受けないことでさらされている 危険がまったく目に入ってないわけです。わたしは日本の厚生省が 奨めている予防接種や,自治体が子供への接種を奨めている予防接種は 基本的はうつことのリスクよりうつメリットの方が多いのだと信じてます。 奨めてなくて,自己解決をするような予防注射も,ある程度海外での 接種状況や,日本での評判とか医者の意見とかそういうのを調べて, 海外…とくに西洋で標準的にうたれているものであれば,まぁうったほうが いいのかな…と思ったりもしてます。もっとも感染症は地域性があるので, あまり意味が無いものもあるのかもしれません。
どんどん注射を打てばいいとも思ってなくて,副作用のリスクもあるから 線引きは難しいなとは思っております。
もっとも今書いたのは自分の子供に対してで,自分の体に関していうと, インフルエンザのワクチンなんて今年はじめに多分20年位ぶりにうったくらい だし,風邪を引いてもあまり薬も飲まないし,わたし自身は,わりと 自然治癒をなるべく優先させるというスタイルです。ただ,これは 自分の体の状態を常にわかっていて,いざとなったら,病院に駆け込むとか, 簡単な熱さましだけはすぐに飲めるようにしておくとか,そういう 心の準備をしてるから…っていうのもあるし,まぁある種の無茶振りでも あるので,あくまでも自分の話。そんな冒険みたいのを, いくら自分の子供にでもさせられないと思います。
というわけで,特に子供に関しては標準的な医療行為をうけさせるのが いいんじゃないですかね。そのためには何が標準かをよく知っておく 必要があります。
- 7/14(一票の格差を計算する単位は何?)
- 日曜の選挙の結果を受けて都市部と地方の一票の格差について 語っている人が,ちょっと今目立ちます。おそらく今回の選挙, 全国区の比例代表での得票は民主党の方が多いのに,地方の方で 民主が票を落として大敗に結びついたということで,そういうことを 書いているのでしょう。
でも,実際は地方区と全国区で両方とも同じ政党に入れたかどうかは よくわかりません。それと前回の衆院選では民主党はむしろ地方で 伸びて政権をとったわけで,比例区で一位だった民主が負けたからって その選挙が変…と言い出すのもちょっとな…とは思います。
少しへんな言い方をすると,選挙のルールは最初から決まってる わけで,負けたからルールを変えるのは変ということです。
まぁそれはそれとして選挙の結果に関係なく,一票の重さが違うと 言う話はあります。以前違憲判断が最高裁からでたのって,是正 されたんでしたっけ?。そのときの判決をわたしは読んで無いのですが, 違憲であるというのは憲法のどこに触れたんでしょう?。
ちょっと思ったのが一票の重さというのが,成人の一人という 単位ですべて平等…と考えると確かに都心の一票は地方の一票より 不当に軽い…ということになります。でももし,一票の重さが, その人が住んでいる家や,もしくは生活圏の広さという土地の広さで 測られるとしたら,東京の面積は地方の面積より遥かに狭いので, 票が軽いのは当然だ…ということになります。
もちろんこの考えが変なのはわかります。財産で選挙権が得られた 明治の頃とかは「普通選挙」といわれていなかったように,土地の 所有によって参政権が変わっていたら,それは今風の民主主義では ないといわれるでしょう。でも一方で,日本の様に極端に 首都圏に人口が集まっている場合,もし本当に人一人単位で政治力が 決まっていたら,日本中の広大な土地の利用法は都市部に住んでいる 人たちの都合で決まってしまう…ということになってしまうように 思え,それもいいんだろうか?…という気もします。
一方で国連を見ると国連の投票権は常任理事国を除けば,ほかは 国単位になります。国の人口も面積も関係なく,どんなに小国でも 一票になります。これもちょっとどういう理屈?という気もしますが, 国という単位で,それぞれ事情が違うのだから,同じ一票を持つべきだと いう理屈なのかもしれません。日本の都道府県や自治体の区切りも, まぁ民族とか土地柄の単位とも思えないのですが,でもそれぐらいが 一つの事情…であれば,やっぱり最低そこには一つの政治力が 必要になるようにも思います。
今,地方は生活圏の崩壊みたいな問題を抱えていたり,自治体の 経済的破綻も起きてます。こういう時期に,地方の事情を省みない 国政が行われていいんだろうか?と思ったりもします。
まぁぶっちゃけ,もし今の人口格差で各都道府県に最低一つの 議員を割り振りつつ,国民一人が持つ票の重さを等しくしようとしたら, 多分国会議員をもっと増やさないといけないのじゃないですかね?。 でもみんな議員を減らしたほうがいいっていうんですよね。 なんとも矛盾してるようにも思うんですが:-p。
- 7/13(技術者として必要なことは全てラジコンで学んだ)
- タイトルは嘘です(笑)。昨日の日記の続きです。
当時わたしは小学校から中学に上がるくらいで,電動ラジコンは 創成期でした。昨日も書きましたが,最初に出たラジコンはジュラルミンの 一枚板のフレームに,タイヤの軸とモータと乾電池がついただけという代物。 デフギアは最初からついていましたが,変速機能もなくオンオフのみ, ベアリングもついてませんでした。
でも実態としてこれでラジコンブームが起き,巨大なマーケットが 出来たので,様々なメーカが参入して,性能を競いました。立ち上がりの 分野なので,その技術も目に見えて理解しやすく子供でも納得性が 高いものでした。
例えば先のベアリングもそうですし,スピードが多段変速になり無限変速に 変わりました。これはスイッチから可変抵抗に変わったからでニクロム線の 上を電極が動くのを見て,こうやって抵抗が変わるのかを理解しました。 シャーシもジュラルミンからFRPやグラファイトに変わり,軽いだけではなく, 強度も強く,金属より樹脂の方が強いというのも子供心に不思議に思った 気がします。ネジも空気抵抗を減らすために丸山のネジから,皿ネジに 変わたっとか,バッテリも乾電池からニッカド電池に変わり,mAhという単位を おぼえたりしました。サスペンションがつき始めると,そのダンパーの構造を 理解して,サスは跳ねない方が良く,そのためにオイルとかの流体で 抵抗をつけるといいというのもおぼえました。
一方わたしは飛行機も持っていたし,そっちはエンジンだったので,そちらの 方も雑誌とかで読んでいて,2サイクルと4サイクルの原理を理解したり, ちょうどラジコンでチャンバーのマフラーが出た時期だったので,音が 小さくなりパワーも出るということが可能であることを知ったりとか,新しい 構造の紹介で,原理を知り,技術のおもしろさを知ったのでした。
実はその後高校にはいるとバイクの方をいじったので,更にバイクの方で 技術的なことを習得していったのですが,ラジコンで学んだことは 非常に多かった気がします。
一方でいまラジコンとかも電気式で飛行機やヘリもあり車もあります。 構造がかなり複雑です。またロボットもあり,プログラムを自分で いじったりも出来るようです。高度になった反面,子供に構造を 理解できるのだろうか?と不安になります。子供は仕組みを理解するより, 魔法の箱と呪文の様におぼえるのではないか?…等とも思います。
もっとも子供は柔軟ですから,これはこれで技術的なポイントを しっかり押えたりするのかも知れません。まぁ昔は構造がわかりやすい…と 言っても,だからといってわたしが電球や金属素材その物をつくっていた わけでもありません。タイヤのゴム(スポンジですが)や電池だって 出来合いのものを選択して使ってました。わたしにとって金属やゴムという 原料だったものが,今の子供にはチップ…であり,それをどう組み合わせるか, そういうものにはどういう性質的制約があるのかはきちんと理解するのかも 知れない…とは思います。
まぁ出来れば,チップを模したものを自分でつくれるくらい…の理解があれば, どんなところに行ってもやっていけるかも知れませんが,最先端技術で おぼえることが多い現在,そういうところは難しいんだろなぁとも思います。
- 7/12(ラジコンカーの思い出)
- この間のタモリ倶楽部を見たら電動ラジコンカーの話をやってました。 それだけだとなんとも思わないのですが,出てきたゲストが1976年発売の タミヤのポルシェ934ターボのラジコンをオークションで落としたとの ことで,タミヤに行ってラジコンカーの薀蓄話という話,このポルシェは わたしも当時憧れてよく覚えているので,思わず見入ってしまいました。
話がそれますが,オークションで落とした人はプロレスラーで,組み立て前 キットというと,今はかなりレアですから,当時は確か1万程度でしたが, いまだと数十万するだろうなぁと思ったら,落としてあっさりと組み立てた そうです。あぁ,金持ちって凄いな…(苦笑)。
戻って自分の思い出を。上記モデル76年発売ですから,わたしはまだ 小学生の5年くらいだったと思います。何かの雑誌の裏表紙に田宮の広告が 出ていましたが,多分「小学五年生」とかその手の雑誌だったと思います。 当時わたしはプラモデル好きでしたが,プラモデルとかせいぜい千円とか 二千円とかいう世界に,いきなり1万円とかいう値段で出てきたので びっくりした覚えがあります。しかも「プロポ(ラジコンのコントローラ)」は 別売りですとか書いていて,これいくらするんだろう?と。あとで 判りましたが当時のプロポは4,5万とか平気でしました。
ラジコンって何?っていう感じでしたが,一生懸命広告を読んで だんだん理解していきました。当時はWebとかなかったので, カタログとかで理解することが多かったように思います。
ちなみにWikiにも書いてるように,このモデルはタミヤの 最初の電動ラジコンで,レース用の電動ラジコンなどほとんど ありませんでした。
その後,ラジコンはブームとなり,ラジコンに憧れたわたしは, 小学六年のとき,父親の協力もあり,まずエンジンのラジコン飛行機を 買って作り,そのすぐ後に電動ラジコンを買いました。
中学校1年2年くらいの間にすごくはまって,ラジコン自動車は シャーシや,モーターなどいろいろ改造していました。 ABSやポリカーボネイト,FRPやカーボングラファイトという材質とか エポキシとかの接着剤,モータとかギアとか,ニッカド電池とか そういうのを理解したのもラジコンをやっていたからで,当時の子供の趣味は ものづくりの知識を得るのに非常に役に立ったなぁと思います。
当時は,何故か将来はラジコン飛行機のレースやヘリをやろうとか マイルストーン的に考えていたりしたのを覚えてます。遊びについてですが, 人生設計をしっかり考えたのもこの頃が最初だったんじゃないかなぁ。
ついでに書くと,中学2年の夏に引越し,引越し先はわりと街中で, ラジコンを遊ぶ場所がなかったり,一緒に遊ぶ友達がいなかったりで, 徐々にラジコンもやらなくなりました。好きな趣味に打ち込むのも 一緒に遊ぶ相手がいてこそなんだなぁ…っていう人間の社会性を学んだのも この趣味を通じて…っていうのも思い出すと面白いです。
よくよく考えるとラジコンって物すごくはまった記憶があるんですが 小学校六年から2年の途中のほぼ2年余りだったと思うと,子供の時間感覚って ものすごく時間を長く感じるなぁ…と今思い出しても別の部分で興味深く 思いました。
- まぁ,そんなかんじで,先日のバイクの思い出とともに,このラジコンも また時間に余裕が出来たらやってみたいし,子供にもやらせてみたいと 思いますが, 今のラジコンってとても複雑で完成されていて あまり機械の勉強にならないじゃないかなぁ,わたしがやっていた頃って サスペンションもなくて,シャーシもジュラルミン一枚という スゲーシンプルだったんですよねぇ。あれだから構造を理解しやすかった っていうのもあるんで,今のをやって子供が機械の勉強になるか?ちょっと 悩ましいです。
- 7/11(休日)
- 朝起きて8時前に投票にいく。暑くなる前にってことで。 後は昼食前に買出しに出た以外は自宅にいた。久々に料理作った。 夕方再び出ようと思っていたけど,雨が降り出したので止めた。
夜は選挙速報をTVでやってるのを見た
- 7/10(街頭演説)
- 今日は土曜日。買い物というだけではなく,ちょっと用事があったので, 妻と子供三人で吉祥寺に出かけた。用事を済ませた後,買い物をしてると, 15時から谷垣自民党総裁が演説をするというビラを配っていたので, もらって,折角なので見た。見終わって帰っていると,今度は菅民主党代表が 演説をしていた。
吉祥寺というか武蔵野は菅代表の地元ではあるのだけど,今回 自民党と民主党の両方の党首が投票前日に演説に来るっていうのは, ここは何かしら象徴的な場所ってことでしょうか。
さて明日は投票日。実は誰に投票するかは,まだ少し迷っている。 そもそも二大政党である民主党と自民党が何をしようとしてるかが, イマイチ判りにくいんですよね。他の小政党の方がまだはっきりしてると いうか。さてどうなることやら。
- 7/9(バイクに見る日本の戦略の辛さ)
- 昔はホームページにもバイクの記事を書いたりしてましたが,わたしは 昔バイクに乗ってました。最後のバイクを手放した(というか盗まれた)のは, 8年ぐらい前です。その後,あまりバイクの世界についてはウォッチ してませんでした。歳をとって,もしバイクを置けるようなところに 住めたらバイクにまた乗りたいなぁとか思ったりすることもあり, 最近Webでメーカのページを眺めてたりすると驚きました。 日本で一番のバイクメーカというと本田ですが,本田のバイクの型が 物凄く減っているということ,他のメーカも減ってるということ。 で,わたしが欲しいタイプのバイクが無くなっていたりします。
そうこうしてると最近本田がバイク値下げするというニュースをみて, 喜ぶというよりも,あぁ売れてないのね…という感想を持ちました。
海外はわかりませんが,日本でバイクが売れなくなったのは,若い人の間で バイクに乗る趣味が廃れてしまったというのもあるし,バイクに乗るための 環境が物凄く悪化し続けているというのもあるでしょう。そして 価格についても,他のものが何でも安くなっているこのご時世に, バイクは安くなってませんし,ものによっては高くなってるものもあります。 そりゃー売れないよなぁ…と思います。
- わたしが昔のっていたのはオフロードバイクで,スポーツバイクの一種ですが, 日本の四大メーカは世界の四大メーカと言われていて,ヨーロッパの選手権でも アメリカのレースでも日本のメーカが首位を独占してました。いま 日本のバイクが売れなくなってるのは,性能が海外に追い越されたのだろうか? というとどうなんでしょうか?。あまりそういう話も聴かないので, やっぱりバイク全体が売れてないのでしょう。
そういう世界一のバイク技術を持っている日本ですが,実はわたしが 乗っていた当時,もしお金が余るほどあったら,欲しいオフロードバイクは 何か?というと日本のバイクではありませんでした。例えばオーストリアの KTM, スウェーデンのハスクバーナ等のヨーロッパのバイクが 我々の憧れだったのです。それは単に珍しいとかヨーロッパ製だからとか, デザインがいいからというわけではなく(デザインは良かったけど), 実際パワーやサスペンション等の性能がそっちの方が良かったからです。
なぜレースで一位を独占する日本のメーカよりそうでないヨーロッパの メーカの方が性能がいいのでしょうか?。それは日本のメーカのバイクは レース用と公道用が明確にわかれていて,例えば公道用のバイクは 一人乗りのバイクはほとんど皆無でした。他にも足つきを良くしたり, 初心者でも扱いやすく,いろんな用途に使えるようにつくられてました。 一方ヨーロッパのバイクは,一人でしか乗れなかったり,初心者だとエンジンを かけるのも大変なバイクが公道用として売っていたりします。でもこういう バイクは性能が良く,腕に自身があるライダーだと物凄く速く快適に 走れたのです。
つまりヨーロッパのバイクはマニア向けに満足するようにつくられており, 日本のバイクは広いユーザに向けてつくられていたということです。 これは多分車でもそういう傾向があると思います。
で,そういう指向の違いがバイクという趣味が廃れて,よりマニアしか 触れないものになったらどうなるか?…というと自明だと思います。
- いま,いろいろ調べていてオフロードバイクにマニアックに乗っている人…と いうのを調べるとKTMやハスクバーナに乗ってる人が多く,日本のバイクに 全然乗らなくなってる様に感じます。調べると10年以上前はKTMのバイクとか 100万以上して,とても若い人には手が出なかったのが最近だと 80万程度で買えたりします。一方で日本の同じクラスのバイクが当時は 50万円位だったのが,今は70万くらいするのもあります。…となると どっちを買うかはもう明白だと思います。
まぁ実際は日本のバイクは壊れにくいし,部品も手に入りやすいとか, 値段や性能以外のメリットもあるんですが…,マニアだったらヨーロッパ製を 買うよなぁ…と。
こういうことって別にバイクに限った話ではないと思います。日本は バイクでも車でも,家電でも西洋に追い付き追い越し,世界トップシェアを 取っているものがたくさんあります。でもヨーロッパのメーカはトップを 取られても,マニアやファンに訴える製品をつくり続けて,長く 続いているものがたくさんあります。一方で日本はトップシェアを 他のメーカや新興国に奪われると,あっさり撤退したりします。
これは多分ビジネスに対する考え方が違うのだと思います。ただ,トップを 取れないとやっていけないビジネスというのは,今後の日本を考えたら どうなのかな?…という気はします。
- 7/8(ちょっとバタバタ)
- なんとなく今日は仕事でバタバタしていた。しかもなぜか夜 眠たくてすぐ落ちた。
- 7/7(マイノリティ迫害)
- 昨日 クロ現でコーヴの話をやってました。
自称ドキュメンタリー映画コーヴについては,まぁちょっとした 騒ぎになっていた気がするので,知ってる人も多いでしょう。 上映に反対する人の気持ちもわかるし,上映を押さえつけることが 意見の弾圧だという理屈も判りはするんですが,でも反対してるのって 公権力や,業界団体じゃなく,普通の人たちであり, それも意見の表明じゃないの?と思ったり,結局上映されたんでしょ? とかも思います。
コーヴの上映に対しての騒ぎの話とかを聞きながら, 個人的には面倒だなぁ…と実は思ってました。 自分はイルカどころか鯨も食べないし,鯨漁がなくなっても何も困らない。 なのにまるで日本人が責められているように鯨漁が責められるというのは, なんとなく納得がいきません。たしか日本で消費される鯨肉は日本人 一人当たり年,数十グラム(50もいかない)だったように思います。 食べる人が習慣的に食べているとしたら,年間数キロは食べるでしょうから, そうすると多分食べる人はかなり少ないと思います。数万人もいるんで しょうか。
…と書いていて,あぁ,これは責めてる人は日本人を責めてるつもり かも知れないけど,実際はとある地域の一民族の風習を責めてるって ことなんだなと。例えばエスキモーやアフリカの狩猟民族が,自分の 生活地域の動物を採って食べてるのを責めてると一緒なんだ…と思うと, やっぱり希少文化を軽く観て文化の絶滅を起こそうとしてるんだなと 思いました。現に日本人も漁を辞めてほしいと思う人が結構いるようですが, これも自分達とは違うマイノリティの習慣で自分達が責められるのは かなわない…と思うからでしょう。
そう思うと,TVでは映画で取り上げられた人たちも出てきて,反論すれば いいとか言ってましたが,責められるほうから見ると,その反論するための コストは誰が面倒を見てくれるんですか?という気がします。自分達が 普通に旧来の暮らしをしてるときに,見知らぬ人がやってきて,急に 大声で変な噂を吹聴し始める,もし自分がそういうことをされても, その噂を流す人を「意見を言うのは自由だ」といえるんですかね?と 思いました。正直,災難だなぁと思うんじゃないですか?。他人事の様な 書き様になりますが,気の毒に思います。
それと,これもTVで言ってましたが,映画には捏造映像や間違った 内容があるようです。それでTVのコメンテータは,もしかしたら かの国では,自分達が信じる真実(本当の真実かどうかは謎)を 伝えるためだったら,嘘を言っても構わない…ということなのかも しれないと言ってました。
さすが,大量破壊兵器があると証拠が無いのに主張して,たくさんの 人を殺し国を滅ぼしても,それが正しかった…と言い切る国の人たちだなぁ と思いました。
- 7/6(デジタル教科書,誰得?)
- デジタル教科書導入の議論をちょっと読んでいて, 思うところを書きます。
現在のデジタル教科書の検討内容がどういうものかは知りませんが, 今iPadで電子書籍が話題だから,どうもそういう勢いで話が進んで しまうような気もしてます。わたしは以前書いたように思いますが, 電子書籍に対してはまだまだ懐疑的です。現状の形で出版の流通として メインになるのかも疑問ですし,過去の文献が本当に電子化されるのか?, されない場合されなかった書籍はどうなるのか?…という点でも疑問です。
教科書を単なる読む本として考えた場合でも,疑問なのですが,それ以上に 教科書の場合は読むだけじゃなくて,様々な使い方をします。 重要なところに線を引いたり,メモを書いたりするかも知れません。 はたまた余白にラクガキをしたり,ページを折ったりするかも知れません。 それらが良い事か悪いことかという意見もあるでしょうし,必要な そういう機能は付加される…ということもあるかも知れませんが, 教科書を読む以外の使い方をするというのは,それこそ子供の自由な 発想として行われることが重要だとわたしは考えます。それを出来合いの ツールで線が引けるようになってもあまり意味がありません。
そもそもなんで紙だといけないのでしょうか?。電子教科書にすると 音が出たりとか動画が動いたりとか出来るという意見もあるのでしょうが, そうなるとそういう良質なコンテンツが提供できるか?という問題もあるし, そもそも,教育で音や動画が必要なのってホンの一部でしょ? それなら別に先生が,プロジェクタや電子黒板にでも出せばいいと思います。 ネットに繋いで検索できるとかいうのかも知れませんが,なんでも安易に ネットに繋いで検索するというのは,わたしは教育上好ましくないと 思ってます。そんなの教えなくても勝手にやり始めますよ。
わたしは子供に教育をするのであれば,紙に描いたり,本を読んだり, 図書館で調べたり…とかそういうのをきちんとさせたいと思います。 紙というのは絵や文字を書いたり見たりするだけではありません。 折ったり破ったり,くしゃくしゃにしたり,質感を感じたり, 濡らしてみたり,いろんなことに使えます。そういうことが表現を 作り出したり,感じたりする感性を磨くのだと思います。また, 検索を使わず,図書館で調べるのは,膨大な情報を自分で構造化するという 訓練にもなりますし,ふと新しい本にであったりもします。
教育は型にはめることと,型をはみ出せる余地を持たせることが重要です。 また教えるのは情報ではなく体験だと思います。わたしはこれからどんどん 電子的に情報がやり取りされるようになってくると,ますます紙に 絵を描けたり,本から所望の情報を見つけられるという能力こそが, 重要になると思ってます。機械が無いと出来ない能力は,多分誰でも できることになってしまうと思いますから。
もっとも補助的なツールとしてパソコンや情報端末を使うことはいいとは 思います。でもデジタル教科書というからには,そういう補助教材じゃ ないですよね。
- 7/5(実験とは仮説を検証するものではないのか?)
- 高速道路の無料化という社会実験の経過が 報道されてるようです。 そういえば突っ込んでなかったのですが,ふと思ったのは, これって何を検証するために「実験」してるんでしたっけ?。
自然科学では実験というと普通「仮説」を立てて仮説が正しいかを 検証するために行うものです。社会実験がそうだかどうかは知りませんが, 普通実験って,何かを証明したいとか,どういう結果が出たらどうするとか そういうのを決めてからするんじゃ無いですか?。
高速道路無料化の場合,実験的に行えば,もちろんただから使うという 人はいるでしょう。一方で渋滞も起こるでしょう。騒音や排ガスが増えると いう人もいるでしょう。一般道が車が減るとかそういうのもあるかも しれません。つまりいいことも悪いこともあると思いますが,それが 起きたらどうするんでしょう。もしかしてそんなことを考えずに やってますか?。
後期高齢化医療の件や,自動車の高齢者マークとかみたいに,一旦決めたら 文句が出るけど,戻したらまた文句が出るケースなんてヤマの様に あります。何も決めずに試しにやってみて,文句が出たら止めても, 止めたらまた文句が出るでしょう。やってみて影響を見るとか 漠然とやっても,何も決められません。あらかじめどれくらいの 異論が出たら,どういう風にするとか,そういうの決めないですることを 「実験」というんでしょうかね?。そう思いました。
- 7/4(休日:エアコン)
- 昨夜この夏の休みの帰省予定などを決めたので,今日は 実家に電話したりした。これで大体確定かな。
今日はとても暑く,昼前に子供と買い物に出たら, 最後は子供が泣き出してしまったけど,暑かったから だろうか。さすがに帰宅してからはエアコンを入れた。
ところでわたしはクーラーに慣れるのはあまり体に良く, ないと思っていたのだけど, 扇風機やクーラーがよく無いというのは アジアの都市伝説という話を聞いて,本当か?という気がしてます。 もっとも,これはクーラーをつけて寝たらすぐに病気になるか?という 話であり。わたしが懸念してる暑さに弱い体質になる…というのは 関係無いのですけどね。ただ実際はわたしは扇風機に当たりながら 寝ると肩とかものすごく痛くなりますけどねぇ。
- 7/3(休日:マクラーレンを良く見る)
- 土曜日。親子三人で吉祥寺へ出かけました。子供が出来て初めて 親子三人で外食しました。
ところで,いまベビーカーを買おうかと悩んでいるので,他の人のを よく見てるのですが,最近マクラーレンの ベビーカーを良く見ます。というかマクラーレンばかり見ます。 8割くらいマクラーレンじゃないか?。これって流行なんですかね?。 いろいろ評判も調べてるんですが,雑誌とか機能比較よりも見た目とか ファッション性を語っていて良くわかりません。いや,お母さんには それが重要なんでしょうけど。
あんまり急に流行したものって,数年経ったら,時代遅れと 言われがちなので,すこし迷うんですが,まぁ数年後には別に使わないので いいといえばいいんですが。
ちなみにマクラーレンというとF1を思い出しますが,F1のマクラーレンとは 違うらしいです。
- 7/2(子育てに悩む親を責める年長者のひどさ)
- 今日ネットを見ていたら, 「母親による乳児の虐待はゲームの影響」という無責任で ひどい言動を読みました。あまりにひどいので,いや,そうじゃなくて, 周りでサポートするシステムも作らず,金だけばら撒けば,子供を 作るだろう…とどっかの政権がやってるからでは?…と書いてみる;p。
…というのは半分皮肉なんですが,リンク先の言動はゲーム云々という ことよりも,育児に追い詰められてノイローゼになる母親に, その人たちが悪い…と言いたげで,挙句の果てに「自分の息子の 嫁になってほしくない」とか書いていることに怒りを感じます。
これはあまりに悩んでいる人を突き放している書き様ではありませんか。 こういう人は,若い人が支える年金を支払う必要ないですよ。
若い母親が子育てで悩むのは,確かに子供が思った通りにならなくて 苦労するという面もあると思います。しかしそれはゲームとかいう 以前に,今の社会が核家族化してしまい,また兄弟も少なく,幼少から大人に なるまでに,兄弟や親戚の赤ちゃんの面倒をほとんど見たことがなく, いきなり親になってしまう人が増えてるからだと思います。そして 親と同居して無いから,子育てをサポートする人もいない。
わたしの世代は晩婚化が進んでいたので,ある程度,精神的に落ち着いて から結婚するとか,知り合いや親戚の赤ちゃんに触れる機会とかも 若干あったかもしれません。でも,今は20代前半で結婚して子供を 産む人も増えてきてるので,そうなるとつい最近まで学生だったりするし, 学生というのは歳が離れた知り合いも作りにくいので,親戚以外に なかなか赤ちゃんを見ることが少ないと思います。いくら子供が好きだと 思っていても,実際の赤ちゃんに触れて,しばらく面倒を見たりしないと, 実際の子育ての大変さ…というのは想像しにくい部分もあると思います。
わたしは10数年前に甥や姪の赤ん坊時代を知っているし,自分自身も 歳をとってある程度落ち着いたせいか,子育てがいかに計画どうりに いかないし,自分の生活が犠牲になることは知っていたので,そこまで 追い詰められることは(たぶん)ありません(ただ,だからと言って 晩婚がいいかというとやっぱりそうではなく,歳をとって体力的には辛いものも あります。もう少し若い頃に子供を作っていたほうが良かったよなぁとも 思います^^;)。でもまったく子供に触れたこと無い人が,経験者の サポート無しに,子育てをしようとすると大変だろうな…と 思います。
社会の核家族化が進み,親戚がバラバラに住むようになったのは, 今の若い人の責任ではありません。そして子育てを支援するシステムも 整備せずに,子供を産ませようとお金をばら撒いていたりする 人たちもいます。少子化で年金制度が崩壊とか言いながら, 医療費はしっかり使い,若い人の雇用を奪ったりしている年長者が, 若い親が子育てに悩んだら,あたかもその若い親自身自体が 悪く,そんな人とは係わり合いになりたくない…という論調は, 一体どういうことだろう…と思ってしまいます。
- 7/1(徒然)
- 今日から2010年も後半。最近出張とか飲み会とか夜更かしとか続いて, あたまが回らないので日記のネタが無い。徒然に。
数日前に一億円以上の報酬をもらっている役員は100人程度と書いちゃい ましたが,実際は280人くらいだそうです。ところで,ここで 朝日がやっている一億のみを抽出して平均を求めて,全体の 平均と比較するのって,統計的にどういう意味があるんだろう?。 偏差値70以上の人を集めて平均偏差値が75ですって言ってるような もんですよ。意味がわからない。
次。
田原総一郎氏が政権交代は民主に現実感を学ばせるために 意味があったみたいなことを書いている件。勉強代かよ, しかも生徒逃げてるし,と思った。
ちなみに消費税議論,ぶれすぎていて,なんか菅さんの発言を検証する気に すらなりません。
つぎ。
アメリカの海底油田の様子。こんなにあるのか…という ことと,こんなに深いところに作ってるのか,という点で驚きます。 事故が起きたら手につけられないほどの規模の被害という点では, まるで原発みたいだなぁと思いました。わたしはどんなに技術が進んでも 事故確率を0%にするのは無理じゃない?という気がするので,事故が 起きたときにちゃんと後始末をつけられる範囲のことしかやらないほうが いいんじゃないか?という気はしてる。
次。
キングジムの卓上メモちょっと気になる(笑)。
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