2010年8月の日記&雑感


だらだら書いた日記です。
日記中のURLはメンテしないので,切れてる場合もあります。 あしからず。


8/31(コミュニケーション能力要求は本当に高いか?)
「コミュニケーションスキルを過剰に要求する 現代社会が、多くのひきこもりを生んでいる」とひろゆき氏が 言ったという話。
一見なるほど…とも思ったのですが,いやいや,要求って高まってるん だっけ?,高まってるかもしれないけど,別にほとんどの人は, その要求にこたえてないけどなんとかなってるのが現実じゃないの?, とかおもってしまいました。
わたしの印象だと,コミュニケーション能力が高い人って そんなにいないんじゃない?という感じです。わたしが思う「高い コミュニケーション能力」がもしかしたら,ここで言われてるものより 遥かに高いものって気もするけど。
実はちょっと前に自分の思うコミュニケーションの本質みたいな 事を日記に書こうかと思ってました。そこでは,ほとんどの人が コミュニケーションが取れてない,若い人も年配の人もほとんど 相手が何を言ってるのか理解せずに,まぁ何とかなってるけど, ちゃんと能力がつけば,その中でぬきんでることが出来るよとか 書こうかなとか,そんなこと考えてました。 もっとも今社会に出て行けない人たちが壁に感じてる能力は もっと低いのかもしれないけど。
多分要求されてるレベルは,良く知らない人と澱み無く会話ができるとか, ニコニコできるとか。あと上司とか先輩に食事とか飲み会とか遊びとかに 誘われたら,まぁある程度は従うとか(確かにさじ加減は難しいが)。 それくらいかなぁと。相手の言ってることを理解するとか,適切に返すとか, 不快にさせないとか,ライフハックでは要求してくるけど, 実際そんなこと出来てる人なんて稀だと思います。みんな勝手な思い込みで 動いてるなぁ…と良く思いますし,それでも出世してる人は多いです。
まぁ勝手な思い込みで動いて,ぶつかってトラぶることは多いけど, 成功してる人に共通して言えるのは,彼らはめげない。だからむしろ コミュニケーションスキルよりもタフさとか思い込みの強さの方が 世渡りには大事なんじゃないか?という気すらします。

8/30(ベビーカーの迷惑)
当事者なんで書きづらいが書きます。ベビーカーで電車、3割が「迷惑」という話について。
確かにベビーカーで電車に乗る人は増えてると思います。ホームで良く 見かけます。ただし大型化してるか?というと,ベビーカー自体は多分昔より 小さくなってると思います。ただ,電車に乗ってくるサイズは大きく なってるのかも知れません。
3割しか迷惑に思ってない…という風にも取れますし,実際にバスにしても 電車にしても,混んでなければ畳んで乗れ…とは言われません。バスは ベビーカーの固定場所まで指定されている位です。混んでいれば畳んで 乗るのは当然だと思いますが,問題は「混んでいる」というのがどこからか? というのが人によって違うだろうなぁということです。電車もガラガラで 入り口あたりにも人が誰もいなかったら,ベビーカーを邪魔と思う人は 少ないでしょうが,首都圏でそういう事は稀。一方ラッシュ時は誰がみても 混んでいて,ベビーカーを広げて乗るのが非常識なのはわたしもそう 思いますし,そもそも危ないのでやりません。
そういうわかりやすい状態じゃなくて,微妙なのが,人を押し退けは しないけど,どいてもらわないと乗れないとか,少しつめてもらえないと, ベビーカーに人が当るって程度。まぁでも電車に数人しか乗ってなくても, 入り口に人が立っていれば,どいてもらえないと,乗れないわけで, 乗り降り時に「すみません」と人を押し退けるのが,「混んでる」と 言われてしまうと,これも困ってしまいます。いや,人間が乗るときだって 人を押し退けないと入れないように入り口に立ってる人いるし。
…等といろいろ考えますが,多分どういう風に気を使っても,迷惑と思う人も いるし,逆に親の方も「ずうずうしく混んでても乗ってくる」人もいるで しょうな…ってことで,モラルに期待しても,トラブル自体は無くならないと 思います。電車に一ヶ所ある車いす用の場所にも結構人が立っていて, ベビーカーとかが近づけないケースもよくあるし,マナー違反の人を ネットで叩いても仕方ないと思います。
余談ですが,地方に行くと,自転車を畳まずに電車に載せるのを正式に 許容している路線もあったりして,こういうのは「常識」というのが無いもの だと思います。
じゃぁいっそのこと,ルールとして乗物に畳まないでベビーカーを乗り入れる ことを禁止…にするかというと,まぁ畳む事自体は不可能ではないけど, 世知辛いなぁ…とは思います。これ自体が少子化の問題に直結してるとは 思わないけど,やっぱり子供は社会の宝だとわたしは思うし,子供を連れた 親の大変さは,多分やったこと無い人の想像を越えてると思うし。 ベビーカーを載せるスペースがつくれるくらいの混み方なら,載せても いいんじゃないですかねぇ。
ヨーロッパにいくと,子連れには非常に優しい社会になっていて, 「これが普通なのか」とちょっと驚きます。西洋化がなんでもいいとは 思わないけど,少子化問題については西洋の方がずっと先輩なのだし, 見習うことも多いと思います。
まぁ最初に書いた通りわたしは当事者だから,自分に都合がいいように 書いてるだけだろう…と言われると否定はできません。自分の子供が大人に なっても,同じ意見を言い続けられるようにしたいとは思いますが。

8/29(行商)
数年前,荻窪に住んでいた時から,たまに自宅の近所を豆腐売りが 通るのを見かけてました。リアカーにクーラーボックスを載せ, 「ピーポー」という例の豆腐売りの笛を吹き歩いてます。 今は荻窪には住んでませんが,最近,今住んでいるところに近くでも 見かけたりすれ違ったりすることがあります。
見かけた場所が違うので同じ業者かどうかよくわかりません。 スタイルは一緒ですし,のぼりを揚げているのでちゃんとチェックすれば いいのですが,まだそこまで見てません。
豆腐売りっていいよねとか,買ってみたくはなるのですが,店頭販売じゃ なくて,知らないもの売りだと結構抵抗があります。ということは, その抵抗を無くせばもっと売れるよな…とも思いますので,抵抗に ついて少し書いてみます。
先日,廃品の無料回収のふりをしてお金を取っていたという悪徳な 業者が捕まりましたし,その前にさおだけ屋が押し売りをしていたと 言われるように,自宅の近所を回って商売をしている人っていうのは, まともな業者かどうか良くわからないという恐怖があります。特に 自宅に呼べば,こっちの住まいまでわかってしまうし,相手は店舗じゃ ないので,どこから売りに来てるか分かりません。
わたしは家の周りを回っているような人からいきなりモノを買ったことは ありませんが,こちらから電話をして家まで商品をもってきてくれるような 業者からは買います。要は連絡先がはっきりしてること,ってことに なります。
豆腐の行商も豆腐自体がその辺のスーパーで買うよりもうまいか安いか そういう商品力が必要とは思うけど,まずはその業者がどういう店かを 分かるようにすることが必要では無いでしょうか?。もちろんのぼりに 店名は書いているのかもしれませんが,その店がどこにあるのかとか そういうことまで知りたい。そういう意味では,なにか広告を打つとか, あらかじめ回るところにはビラなどを配っておくとか,どこか 信頼が置ける場所で最初は販売してみるとか,そういうことを やったほうがいいようにも思います。
と思ってネットで調べると最近野口商店という豆腐屋があるようで,もしかしたら わたしが見かけたのもこの店のスタッフなんでしょうか?。
であれば,デパートに商品をおろしてるくらいの店なので, ある程度信用は出来るのでしょうが,やっぱりその辺の アピールが行商をしてる人からは伝わってこないところが難点だなぁと 思いました。
ちなみに,昔豆腐屋が行商だったのは,昔は冷蔵庫が各家に無くて, 豆腐って保管が昔は効かなかったので,奴で食べようとすると,本当に かってすぐの豆腐じゃないとダメだったから…って聞いてます。 なので,その辺の状況も今は変わっており,豆腐をスーパーじゃなくて 買わせるには,それなりに商品力が必要だとも思いますけどね。

8/28(お迎え)
今日は嫁と息子が東京へ戻ってくるのでレンタカーを借りて羽田まで 迎えにいってきました。8月最後の土曜日だからか,道も駐車場も えらくこんでいた。

8/27(徒然に)
ちょっと徒然に…。
子宮頸がんのワクチンが急に話題になってるのは こういう助成が認められたから…ってことですかね?。がんと言っても いろいろあるのでなぜ今?…という気はする。まぁ予防して利く薬があるなら, するに越したことはないけど,子宮頸がんの患者数って他の癌に比べて どれくらいなんだろう?
…次。
gooの教えてウォッチャーをみていて機内マナーが悪い人が話題になってました。
こういうの,某小町でも,だれかが「こんなマナーが悪い人がいました。 この人悪いですよね。わたしは悪くないですよね」みたいな主旨の発言が 時々あります。思うんですが,そのマナーが正しいかどうかよりも, こういう他の人に共感を求める…という発言自体があんまり品がいいように わたしは感じません。自分がひどい目にあったうっぷん晴らしをとか, 自分の味方探しとか,慰めて欲しいとか,そんな感じが見え見えで。 それにこういう意見を書く人って,初っ端から相手を悪く書くよね。
わたしも悪いマナーにあうことありますが,「悲しくなった」とか「困った」 とか思うこともありますが,あんまり腹が立つことはない。それに 「困った人だ」とか「かわいそうな人だ」とか「こんな人もいるよね」とか 思うので別に誰かに共感して欲しいとは思わない。まぁ家族に愚痴るかも 知れないけど。
…次。
歯医者が大変という話。歯医者がばんばんつぶれてるのは, もう5年以上前から気づいてます。そういう意味じゃ今更…なんだけど。 経営が苦しくて少しでも多く稼ぎたいと思ってる医者にかかるのって怖いよね。 内科だったらもらった薬,飲まなかったらいいけど。歯医者って削ったら 戻らないし,途中で医者を変えるのもとても難しい。そういう意味で 結構慎重になってしまう。
…そんな感じで。

8/26(ネタなし)
ちょっと今日は外出が多くてネタなし。
ニュースはなんか民主党の党首選の話ばかりで驚いた。先日も 書いたけど凄い浮世離れ状況。こういうのを後世になると, 世間でみんなが苦しんでいるときに,為政者は権力争いの 明け暮れていた…という言うんだろうな…と思った。そういう意味じゃ, 歴史に残るくらい,ダメなら政権じゃね?という気はする。

8/25(信仰とか宗教とか科学とか)
PDFへの直接リンクですが,日本学術会議会長のホメオパシー対してのコメントが 発表されました。ネットやメディアでちょっと話題になっていて,例えば毎日ではこの様に報道されてます
ホメオパシーや擬似科学を批判しているネットユーザはこのコメントを 読んでホメオパシーが否定された…と喜んでいるようですが,わたしは あまりそういう風には読んでません。毎日の記事も重要な事が抜けています。 会長のコメントは「医療関係者がホメオパシーを用いること」 「科学として扱うこと」を危惧しており,最後の注釈で「個人で使うのは自由」 と書いてます。そういう意味ではちゃんとバランスを考えたコメントに なっていると思います。
さて,わたしは以前書きましたが,医療にズルはないということで, ホメオパシーを万能と医療ネグレクトを起こしてしまうことには反対です。 ただ一方で,個人がやって効くなら,気持ち良くなるなら,納得するなら やればいいと思ってます。プラシーボ効果だから意味がないと批判する人も いますが,プラシーボ効果でも,科学でも,神の力でも効けば意味はあるし, 気のせいでも心地好くなれば有用だというのが私の考えです。ただし 代替医療で高額のお金を要求するものは,あまり信用できない…というのも わたしの考えなので,その辺は冷静に考えるべきでしょう。
会長のコメントで有効な医療を受ける機会を逸する事が問題と述べている ように,医療の機会を逸しないなら,別にホメオパシーと医療と療法やれば いいんじゃないか?…という気もしてます。

以前から気になってることで,ネットでは擬似科学を強く批判する声が割と あるのですが,科学的に証明されてないから嘘だとか無意味だとか悪だ… みたいな事を,あたかも勝ち誇ったようにいう人が多い様に思います。 ではそういう人に問いたいのは,じゃぁ信じている科学は,それを証明した 論文や権威のある実験報告を,ちゃんと読んだことあるんでしょうか?, もしくは自分で実験したことがあるんでしょうか?。もしないのであれば, それは偉い人が言ったから,本に書いてあったから…と盲信してるだけで, それこと科学的態度というより信仰ではないか?という気がします。 宇宙がビックバンで始まったと信じている人は,それを観てきたり, 証明を読んだりしたのでしょうか?
科学者は擬似科学のような事が起きたときに,それが正しいかどうかを 意見レベルで問われたら,非常に慎重に答えます。それは正しいことが 証明出来ないと共に,全くの嘘だというのも証明が難しいからです。 もしかしたら現代の科学で説明できないことが潜んでるかも知れない…と 常に科学者は思いますし,そういうことを思っているから科学の研究が できるわけです。
もう一つ書くと,科学だから良くて非科学だから良くないというのもおかしな 態度です。科学者は多分科学が万能だとか殆んど思ってません。海外の 科学者の中には宗教を信じている人も結構います。自然科学の科学者は 真実を解き明かしたいと思ってますが,一方でものづくりをする人や 応用学者は,真実よりも有用であることを重視する人もいます。 わけがわからなくても効果があればそれは有用なのです。
わたしは科学にしても宗教にしても哲学にしても擬似科学にしても…, それが自分に役立つのであれば用いればいいと思ってます。ただ自分は 科学者でもあるので,自分がいまどの立場で物事を考えているかは 意識してます。そして怪しいものかどうかを見分けるのに使うのが一つは 上にあげたように「信じることに対して高額(布施や購入費)なお金を 要求するか」ということです。そしてもう一つが「排他的であるか?」と いうことです。
この考えは正しいので他のは嘘です,間違いです…という考えはわたしは 怪しいと思ってます。なぜなら,排他的に信じさせるのは強いミームの条件で, これを信じると冷静に物事を判断しにくくなるからです。
そういう意味で言えば,擬似科学はおかしいという科学信仰者にもわたしは 賛同できないし,逆にホメオパシーを施術してるから,医療を受けなくても いい…という人がいれば信用できません。科学も他のものも決して完成された ものではなく,未知への道はまだまだあると思っているからです。 道途中では,交わることがないので,体系的には併用できないかも しれませんが,それぞれを有用な風に利用すればいいのです。
こららの原則を常に見失わないこと,そして有用かどうかを常に見つめて 思考停止しないこと,これが保たれるだけでもずいぶん健全に利用できると 思うのです。

8/24(浮世離れ)
昨日と今日は人間ドックに行ってきました。来週も別件で検査を 受けるので,とりあえず胸部CTだけパス。それ以外はほぼ異常なし だったようで,良かったです。でも視力悪くなって無いか?。
話変わって…。
最近帰省していたのであまりニュースも追って無いのですが, どうも政治は民主党の党首選に絡んだニュースばかりやっている 気がします。一方で為替レートはものすごい円高になり,あわせて 日本の株価は急落してるんですが,首相は日銀総裁と15分間電話した という話題くらい。
奇妙に思うのは,経済対策をしない政権に対してたいした批判がない件。 完全に政治と経済…そして我々の生活が乖離してしまってる気がします。 政権に経済対策を期待しない…ってことなのかもしれないけど, じゃぁなんで政権交代したの?…という気がします。
政権交代が起きたときに「政権交代不況」になるだろうと予想した人が いましたが,なんとなくそんな感じになってきてる気がします。でも 批判も起きないし,実際政権は無策。この不吉なほどの浮世離れ感が, 日本が凄い方向に今向かってるのに,みんな眼を背けてる…という 感じがして不気味に思います。

8/23(親を保護する難しさ)
夏休みに帰省して親の顔を見て帰ってくるまで,意見を書くのは 止めておこうと思った不確認高齢者の件。帰ってきたので,少し 書きます。
人を犯罪者扱いするな…と言われそうですが,親が死んでいるのに 年金を受け取っていた…という子供らは詐欺だと思うし,死んでいないに しても,どこにいるかわからないという状態でやっぱり年金を受け取って いたという家族も,それに準じるとわたしは思ってます。
100歳以上で自治体が行方を確認できないという人が数十人いるのであれば, 65歳以上とか考えたらその数倍…いや,千人以上いるかもしれません。 本当にいないのに家族がやっぱり数年以上続けて年金を受け取っていたら, やっぱりおかしなことでしょう。
ただふと思ったのが,今回の確認できない高齢者の家族で年金とか 福祉サービスを受け取っていない人はいないんだろうか?ということ。 いたとした場合,その人は年金目当てじゃなくて,ただ失踪届けや 死亡届を出していないだけだとしたら,その責任は誰が負うんだろうか?と いうことです。
TVのインタビューに家族(子供)が親(高齢者)と仲たがいして,その結果 高齢者が家を出て行ってそのまま10数年…という話がありました。 親が行方不明になって捜索願も失踪届けも出さないのか?とか,とも 思いますが,一方でそういう人もいるだろうな…と思います。
親子でぶつかるというと,若い子供と中年壮年の親というイメージが まず先行しますが,こじれたら結構大変なのはむしろ高齢者の親と 中年壮年老年の子供の方だろうな…とも思います。というのは,こうなって くるとむしろ保護者の方が子供になるのですが,相手が親ということも あり親が子供のいうことを今更聞かない,人間関係というのは, そう簡単に切り替わるものではないのです。また伝統的なイメージでは 歳をとると無欲になり人が良くなるというものが強いですが,実際は 人間は歳をとるとあくが強くなる人も結構多い様に思います。いい人は いいんですが,若い時代に抑圧されていた,どこか悪いところが表層化 してくる。歳をとり社会的にリタイアすると出世や組織のために遠慮を する必要が無くなる場合もあるでしょうし,そうではなく,寿命が 近くなり精神的にも身体的にも,いろいろ我慢するのが嫌になると いうのもあるかもしれません。また,もしかしたら脳の機能的に そういう部分が低下するとかもあるかもしれません。老人じゃなくても 歳をとるとあくが強くなる人は中年くらいから結構強くなる気もします。
そういう社会性が低下し,それなのに保護をするのはかって自分が保護していた 子供という関係であれば,どうかするといい親子関係を築けず,子供から すると手を焼く人…になってしまっているかもしれません。
そういう中,仲たがいして親が子の元を去ってしまったら,「あぁ助かった」と 思う子供がいても不思議はありません。まぁまともな感覚なら,自分が 知らないところでよそ様に迷惑をかけてないか…とか,それで自分に とばっちりがこないかとか心配するのでしょうが,そういう最悪な事態から 目を背けて…という人もいるかもしれません。案外人は最悪な事態を 考えないようにして,「なんとなく世の中自分に都合がいいように 回っていたらいいな」と思っている人は多い様に思います。

わたしは高齢者に比較的きつい考え方をしますが,それはその分保護者たる 子供がある程度の責任を負うべきだと思っているからです。だからと言って 老人虐待がいいとは思ってなくて,年寄りは不自由があっても, きちんと最後まで面倒を見るべきだとも思います。そして出来れば, 高齢者自身もそれを自覚して欲しいと思います。
昔は極楽に行くために善行して欲しいとも言えたのかもしれませんが, 今は,なかなか子供から親にそういうことは言えません。ただ自分も 含めてそれは真実だとも思います。死後に行き続けるというのは, 遺族の記憶の中に…ってことなので,いい思い出を残せないということは 成仏できないということです。また子供の方も親を大事にして無いと, 自分が老人になった時に,自分も子供に同じように扱われてしまいます。
親の失踪から目を背けて捜索しなかった子供らは,自分が高齢者になった時に どうするんだろうな?とも思います。そういう人がいても不思議じゃないとは 思いますが,それがいいことだとは思いません。
今回も実家の親を観て,いろいろ大変だなぁとは思いましたが,これも 向かい合わないといけないことだとあらためて思いました。

8/22(猛暑の違い)
そろそろ夏休みネタを止めようかと思っていたけど,もう少し 日記的に書く。
昨日帰ってきたのだが,自宅に帰って,案外涼しい…と思った。 窓を開けて空気を入れ替えると30度程度の気温。お湯沸かしたりとか 人間が活動すると32度くらいまで上がるが…。というわけで, 昨夜は窓を開けて,扇風機を回して寝た。案外寝れた。
今朝も窓を開けて朝食,買い物から帰ってラーメンを作って…と やったけど気温は33度とかに上がるが,まぁ耐えられる。 そこから出かけて吉祥寺の商店街を歩くと,店のエアコンが漏れてるのか, 商店街も案外涼しい。といっても30度はあるんだけど。
で,夕方帰ってきたけど,昼間に布団を干して布団が暑くなっていたので ちょっとだけエアコンを入れて室温を29度台まで落として,また止めて 窓開けた。
言いたいのは,休み中,子供がいた関係でずっとエアコンの効いた部屋に いたし,実際外は暑く感じたので,涼しさに体が慣れてるかと思ったら, こちらでは,まぁエアコン無しで過ごせるかな…と思ったりして, やっぱり関東と九州は気温じゃなくて湿度が違うのかなと 思ったということ。それとも九州に行く前は実際に暑いと思っていたから, 一週間前より,若干暑さが和らいだか?という感じ。
おまけだけど。
帰省する前ベランダに出していた植物は枯れてなかった。もしかして 雨とか降ってた?。

8/21(一人で帰京)
今日は東京へ戻るということで,朝から熊本の実家を出て,昼前に 福岡の妻の実家へ。ちょっと休んで,今度は妻と子供を残しわたしだけ 東京へ戻ってきました。これでとりあえず,わたしの帰省は終わり。 しばらく一人暮らし。

8/20(子供時代の記憶を受け継ぐ)
わたしが小学校一年の夏から住んだ家は,父方の祖母の住む団地まで 歩いていける範囲だったので,夏休みから転校してきて,遊び相手の いないわたしは毎日の様にそこに遊びに行っていた気がします。 二年になりちょっと遠いところに引っ越しましたが,時々遊びに 行っていた気がします。中学時代県外に転校していたり,その後は 高校と…あまり遊びに行かなくなりましたが,年に数回は行っていました。
大学に行きあまり行かなくなった辺りで祖母が亡くなり,その後は 叔母が住んでいるのですが,確か遊びに行ったことは無いはず。 もちろん叔母は今でもわたしの実家には良く遊びに来てくれるのですが, こちらから叔母を訪ねるきっかけも無く今に至ってました。
今回の夏野帰省で,東京で知り合い,現在熊本で働いている関係で, 帰省するとあっていた友人が今住んでいるところが,この叔母の家の 近くだったことがわかり,今回その友人宅を訪れ,そのついでに 叔母の家に寄りました。
多分30年は行って無いと思うのですが,団地は当時のまま。ただ, 周りにあった田んぼはすっかりなくなったものの,団地前の川は 相変わらずあって魚が泳いでいたりして,懐かしい。というか団地の つくりがものすごく古い(三畳間とかあったりする)ままで,懐かしいなぁと いう感じでした。
叔母の家を出て友人宅に寄った後は,近所の湖の水源地で子どもと 水遊び。この湖も子供の頃はよく遊びに行っていた気がする。 淡水できれいでなおかつ川の様に流れてない安全なところというのは, そうそう無いので結構いい環境だと思う。久しぶりに来ていいところ だなぁと思った。
…という感じのノスタルジックな時間を過ごせた。わたしの子供が わたしの子供の頃の記憶を受け継いだ…というには,多分彼は 覚えてないと思うが。

8/19(親戚)
今日はわたしの親戚に息子の披露ということで,実家で食事会だった。 さすがに息子は人見知りと,あわただしさであたふた。ちょっと かわいそうだったかもしれない。これからこういうことはよく あるだろうけど。

8/18(夏)
昨夜から福岡で一泊し,今日は福岡でレンタカーを借りて熊本の実家へ向かう。 ずっといい天気だけど,午後から入道雲がどんどん増えてきて,夏らしい 空だなぁという感じ。途中高速で外気を測ったら45度くらいあったりして, 凄いなぁと思う。3時過ぎに熊本の実家に入って,いろいろしていたら 夕方雷雨。ゲリラ豪雨とも似てるけど,まぁ熊本では昔から夏というと, 昼間は晴れて夕方雨で,夜は涼しくなるパターンが多かったので,夏らしい 懐かしい天気だなぁと思った。雨は多分30分以上降って,結構しっかり 降ったと思うけど,エアコンを入れていたので,涼しくなったかは よく分からない。

8/17(大阪でお留守番)
嫁さんが,朝からちょっと用事で出かけるため,わたしと息子はお留守番。 といってもホテルは今日チェックアウトのため10時にホテルの部屋を出て, 後はショッピングモールの中をうろうろ。
お昼過ぎに嫁と合流し,後は伊丹に行き,そこから福岡へ。

8/16(大阪でお出かけ)
今日は大阪で知り合いに会うため,昼食,その後のお茶と二軒はしご。 一応違う組と会い合計5名と会えました。なかなか充実した一日でした。
梅田の阪急が改装していて,ちょっと道の感じが変わっていたので, 戸惑いました。

8/15(夏休みの旅)
今日から夏休み,と書こうと思ったんですが,よく考えたら昨日も 土曜でお休みだし,遊びに行ってるので,旅行+帰省が今日から 始まります。
とりあえず,今日は大阪まで。今日は息子を連れて初めて電車で羽田まで。 以前はレンタカーで行ったので,それに比べると大変でしたが, お盆で電車も空いていて助かりました。でも空港は混んでました。
あまり大きなトラブルも無く,大阪の宿にとりあえずチェックインしました。

8/14(ICC)
今日は新宿初台のICCに家族三人でいった。トイストーリー展をやっていた から…というよりは,まぁそれも含めて久しぶりにいってみたかったと いうのもあった。お盆というのもあってか人もたいして多くなくて,常設展も 含めてみたら,結構楽しめた。
ICCに行ったのは結構久しぶり。あそこは時々コンセプトが変わったり してるんだけど,今の期間はキッズプログラムとかもやっていて, 子供向けの色が強くなっていた。仮設のオムツ替えのスペースも作ってあり 助かったし,トイストーリー展でほとんどサービスと思われるクイズの ご褒美で三人で記念撮影もしてもらえたし,こういう方向性自体は悪くないと 思う。
まぁでもうちの息子は,まだ内容は理解できて無いだろうなぁ(苦笑)。
ICC自体ふらりといって,常設展とか見て帰るのも悪くは無いけど, カフェが結構値段の割りに美味しい。初台はよく出張とかで行くので, 時間調整とかでカフェに入るのもいいかもしれない。

8/13(徒然)
長文だと今までと同じようなことしか書けそうもないので, 少しずつ短文で。
世の中はお盆で,都内は空いているらしい。会社も人が少ない。
今日は13日の金曜日で仏滅。…というのは宗教がごちゃごちゃの 日本人らしい気に仕方。
円高が凄くて,日本の株価も下がってるらしい。製造業は大変だろうなぁ。 いま,海外旅行するといいかも…と思うけど,ちょっと無理。
非実在高齢者が話題で結構失踪とか行方不明とか多いらしい。人間も 動物みたいに死期を察すると消える…という人もいるんだろうか。 行方不明も失踪も数年立てば死亡扱いに出来るし,したくないという 家族の気持ちもわからないでもないが,年金を受取るのは違うよね …とは思う。逆に相続とか面倒なのかな。
10数年前に竹下堅次朗という漫画家が描いていた「カケル」というマンガが あるんだけど,その中で夫を亡くして一人で赤ちゃんを育てている 10代の女の子が,育児疲れで子供を虐待してるもっと年上の女性に, 「子供に自由を奪われて辛くないか?」みたいに言われたのを,きっぱりと 「自分も親を食べて大きくなったので当然」と言いきるシーンがあるのだけど, あのシーは凄く好き。まぁファンタジーな部分もあるとは思うけど,自分が 親になって,ますますそう思う。子供は親を食べて育てば良い。
最近政治の話題をトンと聞かない。なんか党内とかの話題とか隣国に何か 言ったとかは聞くけど,国内の行政に関する話がまるでない。今の内閣は 政治やってるの?経済対策とか。完全に社会と政治が乖離した気がする。で, 国民も政治に無関心になった気がする。
昨日だっけ?NHKで戦争の話を若い人とやってる番組をやっていた。 若い芸人が「戦争なんて信じられない」とか言っていた。否定するのは 結構だけど,なんか思考停止してるな…と思った。他の番組で 「今の若い人は戦争の話を聞きたがらない」という話も聞いたのだけど, 戦争のことを深く考えずに「悪」とか「あり得ない」とか言ってると, 自分が知らない間に,戦争の方向に世の中を動かす…ということにも なりかねないと思う。例えば,実際に日本が経済破綻して,仕事もない 食べるのもない…,しかも日本に攻めて来ようとする外国があるという時に, 海外に何かを求めるとか…そういうことに賛成しない自信は あるんだろうか?
新型インフルエンザが終息したらしい。結構なことだけど,最終的に日本で どれくらい感染者がいて,どれくらい危なかった人がいたとか, その辺のデータを示してくれないと,今後の参考にならないのだけど, マスコミは無視かしら?。
…そんな感じのお盆前。わたしは明日から夏休み。

8/12(天気)
今年の夏は暑い上に台風も来ないので連日晴れて比較的乾燥してと 思っていたら,ようやく台風四号が本州に接近で,昨日は西日本, 今日は一応東京も雨が降った。まぁ実際は日本海を抜けたので,ほとんど 関東には影響無かったけど。この時期に台風が四号というのは遅いのでは? という気がする。
世の中的には今日から帰省ラッシュらしい。
今年の夏は暑いので,秋刀魚がとれなくなりそうとか,ビールが売れてるとか そういう話も聞く。
ビールだけかというとビールテイストのノンアルコール飲料が良く売れてる らしい。なんか高速道路でも売ってるそうで…。あまり売れるのでサントリーのは品切で販売中止らしい。 サントリーのページを見たら,ノンアルコールのビールテイスト飲料は ソフトドリンクじゃなくてビールの項目にあるんだけど,それって変 じゃないか?という気はする。
かく言うわたしはサントリーのはともかく,キリンのが出たときに買って みたけど,なんか独特の味がある炭酸飲料という印象。ビールとは違う。 アルコールがなくてカロリーが低い…という観点でいうと,炭酸水で いいじゃない…という結論に達して,結局買うのを止めた。 炭酸水は500ccを100円くらいで買えるので,そっちの方が安い。炭酸水だけで 味気ないなら,レモンとかビネガーを垂らすとかいろいろできるし。
炭酸水を飲むようになったのは,手術明けで酒が飲めなくなったときに, 夜飲む飲み物として,ノンアルコールでカフェインフリーで冷たい飲み物を 探して…という結果なんだけど,当時は,そういう飲み物がない…ので, きっと作ったら売れるよなぁ…と日記に書いた ような気がする。そういう意味じゃあたったよな…と思う。

8/11(勉強の好き嫌いは社会に役立つとかいう視点と関係な いような気もする)
内田先生が英語が役に立つと言われると英語嫌いが もっと増えるだろうと言ってる件。なんか目から鱗…というか おもしろいなと思いました。つまり,役に立つと学校が子供に教えると 子供がその勉強を嫌いになるよ…っていう指摘がです。
おもしろいなぁと思ったのですが,実はわたしの実感とは合いません。 わたしは英語がずいぶん苦手で,今でもあまり得意ではありませんが, 英語が役に立つと教えられた記憶はありません。
ということでわたしの昔話(笑)。
将来役に立つというと将来のイメージが幼少時にどうあるか?ってことですが, わたしの場合,小学校の高学年(6年とか)の時は天文学者になりたいと 思ってました。中学に入ってからはパイロットになりたいと思ってました。 良く考えると,これらは英語が必須な職業ですが,そんなこと当時考えたこと ありません。ついでに書くと中学までは英語はちゃんと点数とれてました。 好きだったか?と言われると多分違いますが。
高校に入って音楽に熱中するとパイロットは諦めました。で,何に なりたかった?というと,あまりはっきりとした記憶がないのですが, 受験の頃は楽器作りとかレコーディングエンジニアとかそんなことを やりたいと思っていたような気がします。まぁ英語はそこまで重要じゃ ないですよね。で,関係は無いと思いますが高校で英語が苦手になりました。
それから大学に入って,その後就職して,ずっと英語は苦手ですが, なぜか40を越えて,以前よりは英語が聞き取れるようになりました。
英語がなぜ苦手だったか?というと良くわかりません。わたは国語も 苦手だったので,そもそも語学の理解力が低いのだと思います。理科や 数学は得意で,地理や世界史は苦手だったので,暗記力が重要な科目は 苦手なのです。それは今でもそうで,記憶は機械に任せる様にしてます。
思うに英語って成果が見えるまでにとても時間がかかるので,自分は楽しく やれなかったんだろうな…と思います。中学までの英語は単語もだいたい おぼえられたので,テストの点数は取れてましたが,高校になると もうついていけませんでした。数学や理科も暗記が必要というかも 知れませんが。高校物理で暗記が必要な公式なんて多分100個ぐらいしか ありません。理解できていれば暗記は簡単です。それに100個おぼえてなくても 20個ぐらいおぼえていれば,テストの2,3問は回答できます。英語は, 単文ならともかく,長文の読解なんて,物凄く単語をおぼえて,文法を おぼえて,やっと2,3問の問いに答えられるだけです。文章に50単語ぐらい しか出てこなくても,多分200単語ぐらいのストックがないと, ダメでしょう。この辺が,暗記が苦手で気が短いわたしには向いてません でした。ちなみに国語も長文を読んで,2,3問しか答えられない…というのが, 嫌でした。
社会人になってだんだん英語が扱えるようになったのは,差し迫って…って いうのもあるのですが,実際に英会話に言ったり,海外旅行をしたり, という実践をやっているうちに,実はおぼえておけばいい単語はそんなに たくさん無い…と思うようになったからです。知識として,名詞と 動詞だけ拾えたら,そこそこの意味はわかる…というのもわかりました。 日本語に直さず,英語のまま雰囲気で意味を理解する…という事も 出来るようになると,ますます英語は使えるようになります。
そういう自分の経験を省みると,英語は社会に出て役に立つ…といわれたから 英語が嫌いになったわけでもないし,それで一生懸命やるわけでもない。 学習する喜びが学習時に得られないことが,勉強嫌いになる原因のような 気がします。テストの点数がとれなくても,勉強の見返りがすぐにあれば, それなりに楽しいんじゃないか?とも思いますが違うんでしょうか?。 そういえばわたしは高校の時から日本史が好きになりましたが, それは仏像とかが好きになったからです。
というわけで,私の経験からすると,英語を好きにしたかったら,英語を 習い初めて早々に役に立つ場を経験させること。もちろん中学生で 出世もないですから(笑),外国人とのコミュニケーションでもいいし, なにか重要な外国の文を読める様なるでもいいかも知れません。 外国の歌を理解するでもいいでしょう。あと,全てを理解できなくても 「×」をつけないこと。一つや二つ意味がわからない単語があるだけで 「×」がついてしまったら,勉強をやる気が湧きません。なんとなく 意味がわかればいいのです。日本語の会話だって,意味がわからなくても, それなりにコミュニケーションとれるでしょう。そういう意味では 勉強の採点は減点式じゃなくて加算式の方がいいんだろうな…と思います。
この事は,別に英語に限りません。数学や理科だって,工作だって,ちょっと 習えば何かを習得できた…という実感が勉強を好きにさせるのだと思います。

8/10(男の価値とそれを上げる方法)
男と年寄りに厳しいことを書いてみます。一応本当に思ってることなん ですが…。
わたしは人間も大きくは生物の範疇だと思ってます。そして進化論を 信じてます。ですから,人間=生物の価値というのは,ある側面でいうと 遺伝子を残すこと…だと思ってます。
言い換えると人間の主たる目的は子供を残すことです。子供を残し, その子供が更に子供を残すことです。その物差しで考えると,一番偉いのは 多分母親です。もちろん母親だけでは子供は産まれませんので父親にも 価値がありますが,父親は受精したらその後は不要です(苦笑)。まぁ あちこちに種を巻く男もいますが,いつかはその価値は無くなります。
もちろん母親だって産んで,授乳して,それが終われば,男とあまり 変わりません。ただし,人間の子供は乳離れしても一人では生きて いけないので,大人が面倒を見る必要があります。ここで父親が子育てに 積極的に関われば,母親と同じ価値を持ちます。
ですが,人間社会は乳児の時に子育てが母親が得意だからかも知れませんが, 大抵の社会で子育ては女性が重点的に行い,男性はそれを経済的に支えると いう役割を演じてきてます。経済的というのは,農業や狩猟も含みます。 安定して衣食住を供給できる様にすることにより,自分の子供を無事育てると いう役割になります。
ということはいうまでもなく,これらをやらない父親は生物として価値が 無い…ということになります;-p。
人間が生きてる社会は十分に食糧が得られる南の島とかは,そういう理由で 男性の地位が低いのですが,自然が厳しい北の方にいくほど男性の地位が 高くなります。というか,威張ってます。というのは,自然が厳しいので 人間がある程度団結して,開拓をしたり,戦争をして他の領土を取ったり してないと,十分に子供をまかなえるだけの衣食住が手に入らず, 子育てをせず,体格もある男性が,それらを行う様になりました。そして その団結の中で,男性の地位が向上するわけです。女性や子供からすると, 男性社会が無いと暮していけない状態になってるわけですし,その社会の 中で地位が高い男の方が,安定して衣食住が得られるので,もてる わけです。
団結する…というのは社会システムをつくるということです。システムが だんだん複雑になり,衣食住という本来の目的が見えにくくなり,徐々に システムの中で地位を得る自体が,偉いということになってしまいました。 それが現代社会です。でも,根本に戻ってみると,男性社会がなぜあって, そこで偉い人がなぜ偉いかというと,自分の子供を優位な環境で育てられる から…ではないでしょうか?。また多くの子供を育てる経済力があるから ではないでしょうか。もし社会で偉い人が,自分の家庭を省みなかったり, 子供を大事に育ててなかったりしたら,それは手段が目的になっているって ことで,単に偉いと勘違いしているだけでしょう。
さて,こう考えると,男性の価値は子供が巣立って行けば無くなります。 孫の面倒を見たり,子供へ経済的な支援が出来れば,それでも価値はあるかも 知れません。経済支援も出来なくなれば,過去にどういう業績があろうが, そんなの人間としての価値には意味がない…とわたしは思います。
さて,ちょっと話を変えて,コンビニの客として態度が悪いのは金持ってそうなオッサンと ジイさんらしいです。リンクした文以外にも,ジイさんがとある業種の人を 見下したとか,そんな話は良く聞きます。
でも,わたしはこういう話を聞くと,怒りよりも,そのおじさんや おじいさん達は,多分自分達の価値が低いことを感じていて,それを 払拭するために,誰かを卑下しないとやってられないのだろうな…とも 思います。本当に自信があるのであれば,人には優しくなるはずです。
上の論理によると子育てが終わったおじさんには価値がありません。金を 持っていて,子供達にあげていれば価値はありますが,まぁ今時,金をあげて 子供に尊敬されるっていう親や爺さんがどれくらいいるのでしょうか?。 会社を辞めたら,もう部下も慕ってはくれません。社会のシステムなんて 子育てに比べたら一手段にしか過ぎないからです。これで年金とか医療費とかで 若者へ負担をかけていたら,ますます尊敬されるはずがありません。
自分に自信が無い人は,人を貶めようとします。だから,店員や他の業種に 悪態をつく人は非常にわかりやすい。
もし,子供も巣立って,仕事も辞めて年金生活になって,それでも人に 尊敬されたい,価値を認めて欲しい…と思うのであればどうすればいいので しょう。それは,若い人や子供達に慕われて,尊敬されるような生き方を 手本として見せることです。歳をとったら自分の遺伝子はこれ以上 増やせませんが,次の世代に記憶を残すことは出来ます。手本を示して, それが伝われば自分の記憶が後世に伝わっていくということになります。
どういう生き方かはたくさんあるでしょう。わたしが時々「品」と書いてるのを 生きざまで見せるという手もあります。知識を伝えるという手もあります。 人の暖かみを教えるということもあります。楽しい遊びを教えて子供の世界を 広げてあげてもいいでしょう。考えてみてください。幾らでもあります。
他人を見下し威張ることは,自分がいやなやつだったという記憶が世界に 残るだけです。そんなことでいいんでしょうか?。

8/9(憎むこと憎まぬこと)
昨日の原爆記念日の話と関連するのだけど…。
先週金曜日に放送された「NHKスペシャル:封印された原爆報告書」は, 原爆の被害を日本のもと軍医(研究者)達が独自に調べて,そのデータを アメリカに流していたという内容だった。番組の作りは,日本の医者が アメリカと交渉するためにそのデータを使ったとか,アメリカはそのデータを 原爆戦略に使ったとか,医者が患者の治療よりもデータ集めに一生懸命だった… という点から,ひどく非人道的なことが行われた…という風な扱いだったけど, 本当にそうだったんだろうか?と少し思った。
確かにそういう目的が主だったろうけど,メンバーの中には患者を治療した人も いたんじゃないだろうか?。あとそのデータはアメリカが内密に独占した そうだが,今は公開されていて,むしろそのデータが原爆の怖さを世界に 知らしめるために役に立てられないのだろうか?。もしそのデータを元に, 原爆被害の怖さを世界が認識してくれたら,それはそれでその行動は 役に立つ部分もあったんではないか?…という気もする。
いや,むしろそういう風に使って欲しいとも思う。
疫病の流行とかそういうときも,患者の治療よりデータ集めを優先すると 多分その人は批判されるんだろうけど,そのデータは後世役に立ったりする。 戦前の研究倫理が低い時代に集められた,様々な人体実験のデータも, 結果として医学の発展や治療の役に立っていたりする。だからといって その行動が100%肯定されるわけでも無いのだけど,物事にはいろんな 側面がある,と思う。
あと番組では原爆症の認定の問題が取り上げられていたけど,40歳そこそこで がんになった自分からすると,仮に被爆していても50年以上なにも症状が 出なくて,60歳や80歳とかになってがんになった人がいたとしたら, その原因を原爆に特定するのは,適当なんだろうか?という気はする。 もちろん,それまでに出血とか脱毛とか,血液の異常とか,ずっと原爆症の 症状で苦しんでいたのであれば,それは原爆症なんだろうけど。
自分もがんになったから,がんになった原因がわかるとか,治療に対して 経済的な支援を受けれると助かるとか,そういう気持ちは良くわかるけど, 普通に生きていてがんになった人も同じなわけで…,線引きは難しいんでは ないか?という気がする。
人間は長生きしていれば,いつかはがんになる。若年でのがんは悲劇だと 思うけど,老人のがんに対しては,わたしは素直にはそうは思わない。 むしろ60,70までがんにならなかったら,ホッとする…ということは 無いのだろうか?。少なくとも今のわたしの心境は,自分が後20年 生きられたら,感謝すると思う。

8/8(伝えたいこと)
先週は広島の原爆記念日の式典に国連の事務総長とか,アメリカの 駐日大使が出席した…ということで,少しいつもとは違った話題に なっていた気がします。そしてその大使の出席をエノラ・ゲイの機長の息子が批難したという ニュースは,まぁその人の立場ではそうなんだろうな…というポジション トーク的な印象も持ったのですが,ふと,そもそも日本がなぜ原爆記念日を やっているかを,多くのアメリカ人は理解して無いんじゃないか?と 言う気がしたので,少し書いてみます。まぁわたしの思い過ごしかも しれませんが。
一番思ったのは,もしかたらアメリカ人は原爆記念日を,アメリカが 原爆を落としたのを批難する日と思ってないか?ということです。 そうであれば,大使や事務総長が出席する事にいろいろ声が挙がるのも わかります。ただ,確かに原爆落としたアメリカを批判したい人は それなりにいるのかもしれませんが,多くの日本人の感覚は, 原爆の悲惨さを戦後の日本に,そして世界に訴えて,核兵器を世界から なくしたい…というのが,原爆記念日の主旨だと思います。そこを 理解されてるのでしょうか。
日本は戦争に負けて,その後ずっと親米を貫いていることから,戦争中の 日本人への悲劇は,アメリカに対してよりも,戦時中の日本への批判や 反省という形で伝えられてることが多いです。もちろんそれはそれで 少しおかしな話かもしれないし,実際ケバラとかは原爆記念館を見て なぜ日本はアメリカに怒らないのか?といったそうですが,まぁ日本は そういう国なのです。
ですから,おそらくほとんどの日本人は原爆を使っていけない兵器だと 思ってますが,エノラ・ゲイの機長に批判の矛先を向けている人は いないんじゃないか?という気がしてます。ただ,アメリカでは エノラ・ゲイの機長は英雄扱いになってるのかもしれません。だから その子供が英雄扱いがなくなるのを認められないのかもしれないなと 思いました。
もう一つ思ったのは,やっぱりアメリカ人は原爆をただの強力 爆弾と思ってるんだろうな…ということ。その後遺症や無差別殺人性を 理解してる人は少ないし,実際報道されて無いんだろうなということです。 だから,日本人が原爆の今後の使用をやめてほしいという気持ちが 判らないのでしょう。わたしは原爆が日本に落とされたから批判してるのでは なくて,原爆が使うべき兵器じゃないと思うから,それを世界に 訴えるべきだと思ってます。たぶん原爆の恐ろしさが理解されて無い。 原爆が怖いのはその後遺症が数十年も人を苦しめるからです。 わたしは9.11テロの現場をグランド・ゼロ(爆心地)と呼ぶことに 凄く抵抗があるのですが,それは,怒られることを覚悟して書けば, 9.11は原爆に比べれは悲惨さはかなり低いと思うのです。9.11テロの 現場をグランド・ゼロと呼ぶのを聞くたびに,原爆の悲惨さは 9.11と同じくらいと思ってるんだろうな…と感じて凄くいやな気持ちに なります。
わたしは,日本の都市に落ちた二発の原爆が,どういう被害をもたらしたか, それがいつまで続いた(続いているか)を,核兵器を持っている国の人たち すべてに知ってほしいと思います。別に過去に落としたことの是非を 問おうと思っているわけではありません。知っていて,それでも, 核兵器を落としたのが正解だったのかとか,今後も必要だとかいうので あれば,それはその人の考えです。未来については,別の場で議論すれば よいと思います。ただ多分ほとんどの外国の人は自分達の持っている武器が 何をもたらしてるかを知らないんだろうな…と今回の原爆式典に関わる 意見を読んでいても思いました。

8/7(休日)
今日は息子にHibワクチンをうたせるために病院へ。その後, 病院の近くのヨーカドーでちょっと買い物。子供服を買ったのだけど, もうちょっと違うのは無いかな?と電車で移動し,某所東急百貨店へ。 デパートのものは良いけど高い。子供服って大人服より値段の幅が 広いな…と思う。
あとちょっと自分の買い物をして帰った。
余談だけど携帯用Wi-Fiルータで,公衆無線LANをつかめることを確認。 これで,iPod touchが外でもネットを使える。最近,あんまり外出 しないのだけど…。
そんな感じで週末を過ごした。

8/6(実は失敗だったこと?)
タブーかも知れないなぁ,と思いつつ書いてみる。
社会が近代化,現代化して良かれと思って進んだ・進んでいる事で, 実は弊害が多くて,間違いだったではないか?と思うことが結構ある気が します。工業化とかは,とっくに負の側面をみんなが認識してるけど, 家族の在り方とか社会福祉の在り方…も実はそういうことあるんじゃないか? という気がします。
一つは以前も書いたけど,核家族化。子供は親の面倒を見なくて良いし, 住むところも自由になって,就職して上京とかしやすくなった…という メリットを今の人は享受してると思うけど,一方で,家族のつながりの希薄化, 子供の面倒を親だけで見なくてはいけなくなる,老人の独り暮らし, 孤独死…とかいうのは,核家族がこんなに進まなかったら,もっと 少なかったんだろうな…と思う。
核家族と合わせてだけど年金制度。これも子供が親の面倒を見なくて いいかわりに,お金を納めて,あとでもらう…というものとも言える。 いや多分,みんな納めた金をもらうと思ってるけど,実質は国の年寄りへの 仕送をやってるようなものだと思う。長生きすれば払った額以上にもらえる。 年金制度の問題は財政的な面で語られるけど,それ以前に家族の在り方の 方に悪い影響も与えてる気がする。
年金制度と核家族は多分同じ思想で,子供にとっては親からの自由, 老人側はリタイヤしても生きていける,という国民側のメリットと, 一方で労働力を自由に確保しやすいという国や企業の利害が一致した結果だと 思う。ただ,核家族は一人働き,もう一人は専業主婦でも十分に経済的に やっていけるという前提の場合はともかく,女性が更に妻や母(のみ)で あることから開放されたいとか,その結果女性の社会進出が進み,実際は 育児方面に支障がでて,結果少子化に繋がっている。
少子化になると今度は年金を支える若い労働力が不足して,今度は老齢者の 年金や医療が問題になる…という悪循環に入ってる気がします。
わたしは幼児虐待,老人の孤独死,行方不明,高齢者医療問題…というのは 結局は根は同じところにある気がしていて,核家族化し世帯の移動が 激しくなり,それにより地域社会のつながりが希薄なって,若い育児世帯は 助けを請う人もいなくて…というのが根本のような気がしてます。そして 核家族を制度として支えてるのは年金制度や高齢者福祉なのだと思います。
先日も書いたけど,少子化だとか,子育てが大変だとか,子供を産んでも 得なことがない…とかいう人がいるけど,年金もなくて高齢者の福祉も 充実してなかったら,自分で貯金をひたすらするか,子供を育てて面倒を 見てもらうしかありません。貯金というけど,お金の価値が不安定とか, 貯蓄保証が無い時代に,老後の資金を自分のお金で保証するなんていうのは, 無理…という気もします。そうなると子供に面倒を見てもらうのが一番。 子供の面倒を見たり,教育が大変とか言うけど,子供が親を見捨てなかったり, それなりに稼ぐようになるには,それなりに子供を大事にしっかりと 育てないといけないし,また一人だと不安だから数人産んで育てて…と いうことになる。日本近郊の某途上国とか,子供の教育に熱心な国が多いけど, 多分国の社会保障があてにならない場合はそうならざるを得ないのだと 思うし,結果的にそこで優秀な子供が育つ。
そういう,子供に親(親戚)の過剰な期待を背負わせる…ってやり方は古くさく, 子供の自由を迫害するし,…ってことで,先進国では無くなって,変わりに 社会保障を脹らませてる…って事なんだろうけど,先進国でやってるからと いって,正しいやり方なのかはわからない。
もう一つ,最近思ったのが,個人情報保護というのももしかしたら間違い なのかも知れないな…といういこと。もちろん,概念自体を間違っているとは 言わないけど,多分運用面で悪い点がでてきていることも事実。地域社会の つながりの希薄さが,個人情報の保護を必要とし,さらにその保護が希薄さに 拍車をかけていて,なんか悪循環になっている気はする。
まとめるとつまりは,近代化現代化…というのは,社会(国)に対し直接個人が さらされる事であり,前時代にあった家族や地域社会が無くなっていく事 …っていうのは良く言われるけど,まさにその通りになっている。親の 替わりに社会(国),子供の替わりに社会(国)って事なんだろうけど, 子供が次々に産まれてこないと,成り立たない社会でもある。突き進めると 多分,子供は産まれたときから国が全て面倒を見る,育児教育さえも …って事になるのだけど,それって,とても恐ろしい社会じゃないのか? …という気がする。
行き着くところが恐ろしい社会なら,そっちに向かっている今の方向も 正しいのか?,そこまで行かなくて中庸だったらいいのか?,でも中庸だから うまく行ってないのではないか?という気もして,実は最初から間違いだった …とかいうこと無い?とか,ふと思う。

8/5(音楽への触れ方と時代の変化)
「CD」が残っても「音楽配信」が普及しなくても、 レコード産業が持つかどうかはわからない』というのを読んだ。 CDから音楽配信になろうがなりまいが,全体の売り上げは下がっていると の事。わたしの経験からは,まぁそうでしょう。そもそもレコード会社は 売り上げが上がると思って音楽配信を始めたのではなく,仕方なく 始めたのですから。シングルの売り上げが上がってるというのは, 興味深かったけど,まぁ一曲単位で買ったほうが安いからって ことでしょう。あとYoutubeね。Youtubeは著作権料を払ってはいると 思うんですが,その契約のあり方は,今後も変わらないのでしょうか。
ちょっと整理しようと思ったのは,わたしが子供の頃,例えば30年前は 音楽の聴くというと,(1)レコード(EP,LP,カセット)を買うこと, (2)コンサートに行くこと,そして(3)ラジオを聴くことでした。周辺として, レンタルLPを借りる,ラジオを録音する,カラオケ(を聴く,歌う)と いうのがありました。大体これくらいでしょうか。今に比べれば 種類が少なくて判りやすいです。最初にあげた三分類は(1) パーソナル・オンデマンド(選んで聴く),(2)生演奏, (3)ブロードキャスト・自動的に選んでくれると割りと綺麗に分かれてました。 周辺としてあげたレンタルは(1)の付随,エアチェックは(3)を(1)に 返還するということです。
…で音楽配信。これは基本的には(1)です。音楽ビジネスが傾いていると 言っても傾いているのは(1)の部分では無いでしょうか?。もちろん ここが一番売り上げ規模が大きいんでしょうけど。(2)の生演奏が, ITの発達で増えたとか減ったとか言う話はあまり聴きません。(3)の ラジオはリスナーが減ってるというような噂も聴こえてましたが,最近は ネットラジオとうまく融合できてるという話も聴こえてきます。
現在の状況を書くと上の番号と同じ分類では(1)CD,音楽配信,ファイル共有, Youtube,ゲームソフト(2)コンサート・ライブ,(3)ラジオ,ネットラジオ, ストリーム,となるのでしょうか。あとストリームはタイムシフトの機能も あって,これは以前は無かった音楽の聴き方になります。
こうやって書いても,売り上げが下がっているのも多様化して, 販売効率が下がってるのも(1)の部分であり,他の方が悪くなってるのかは, 今のところ良くわかりません。
というわけで,以前から気になってる,CDが売れないから音楽という 文化の危機…という言い方は,(1)が滅びるだけじゃないか?という 気もしてます。もちろん(1)の市場が音楽表現というのを支えていたという ことは否定できませんが,(2)や(3)が主体になっても,リスナーは 音楽に触れることは出来るでしょう。食べられる音楽家の数は変わるかも 知れませんし,音楽に触れる機会も減るのかもしれませんが,…というか 本当に機会も減るのかな?,減ってるのかな?という気はします。
書いていて思ったのは(1)〜(3)以外の形態があまり出てきてない,技術が 発達しても音楽への触れ方が変わってなければ,そりゃー市場も縮小するよね という気もします。というわけでちょっとタイムシフトの機能が, 新しい音楽の触れ方を変えないか?という気はしてます。それ以外にも 新しい音楽への触れ方が現れるといいな…と思うのですが。

8/4(子供を持つ…ということについて思うこと色々)
大阪で起きた育児放棄,死体遺棄の件。いろいろネットでもメディアでも 騒がれていて,情報はいろいろ聞えて来ます。でも,それについて何か 整理された意見を書くのは難しいです。ですから少し断片的に頭に 浮かんだことを,まとまり無く書いてみます。
自分は一児の乳児の父親だけど…,だから,こういう事件の情景が 報道される度にとても辛い。目も耳も塞ぎたくなります。冷静に考えられない。 それもありこういう事件に整理された意見を持つのがとても難しいです。
だから今回の親のことも,冷静に意見は言えません。
ただ,個々の事件を見て社会を語るのは,今回の場合は違うんではないか? という気はしました。
親が経済的に困窮していたので,こうなったとか,生活保護を受けていれば… という意見をネットで見ましたが,それは違うんではないか?という気は します。
経済的に余裕があっても子育ては大変なもの。自分は喜びを感じるから 続けられるけど,そうで無い人がいてもおかしくないとは思います。
自分の場合,子供がなくと辛い,子供が笑うと嬉しい…というのは 本能レベルで刷り込まれているな…とは思いました。
人間は人間社会の中で最後に残った「自然」とは養老先生の言葉ですが, 子供はその「自然」としては最たるもの。そこがおもしろいところでも あるのだけど,つまり自然とは「思い通りにならない」もの。今の社会の ように何でも思い通りになる…というのに慣れてると,ギャップは 凄いんだろうなと。
わたしはそのギャップが楽しいと思えます。思えない人もいるでしょう。
少子化・核家族が進んだ現代,子育てのイメージを持てずに親になる人は 多いだろうな…とは思います。
育児放棄が昔はなかったかというとそんなことはありません。昔だって 子育てをしない親はいただろうし,子供を捨てるというのもそれなりに あったろうし,多分その結果,子供が死ぬこともよくありました。 口減らし…などをやってた時代もあります。
今の社会でちょっと問題かな?…と思うのは,普通に子供を育てている人 以外が見えにくい。もちろん,躾がうまく行ってない人や,子供を里子に 出している…とかいう人もいるだろうけど,やっぱり見えにくい。 外国だといるような子供の浮浪者など皆無。子供にドロボウをさせている 親とかも見えません。
うちの実家の近くにはいわゆる親がいない子供を育てている施設があったけど, やはり普通は見かけません。
問題とおもう理由は,理想的な育児しか見えてないと,それにはまれ無い人が, いきなり極端なところにはみ出してしまう可能性が高いと思うからです。 また問題がある家庭が外部から隠蔽されてしまうだろうと思うから。
社会がやるとしたら,子育てできない親を経済的に支援するよりも, そういう親から子供を引き離しても十分に育てられるようなシステムを つくる方だと思います。少子化が問題なのであれば,少なくとも社会が 子供を育てるという意識が必要。問題がある親から子供を引き離す権限も もっと強くても良いと思います。
ネットを見ていたら,「親にならない権利」という言葉があって,なるほど… と思いました。でも事前に親にならない権利は,たしかにあるけど,現状, 子供を一旦持ったら,途中で「やっぱりその権利を行使します」…とは 言えません。だから育てられ無い人が…追い詰められる。
今の社会子供を持つメリットがない…と言う人も多いけど,わたしはそうは 思いません。そういう人は,日本の社会保障を信じてるんだねぇ…と 羨ましくなります。お金持ちなのかも知れないけど,金があれば死ぬまで 安心…と思うんでしょうか。
わたしは子供を持つのが楽しそうと子供を持つ前に思ったけど,それ以外に, 老後に対する不安もありました。自分が死んだ後に,自分をおぼえている人が 誰もいない…というのも嫌だと思いました。
自分の子供がきちんと育つかどうかわからないし,将来,わたしとぶつかって, 面倒を見てくれないかも知れないけど,でもそれは自分の責任であり, 頑張れば返ってくる分,社会よりもよっぽど信用できる。…とわたしは 思っています。
そういう意味では,多分他人の子供でも,社会がきちんと面倒を見れば, 社会に還元されると思うんですけどね。少なくとも親にお金を渡して 「かってに育ててね」じゃないと思います。
この様な悲劇に合う子供が一人でも減って欲しいと思います。だからこそ, あまり極端な例に囚われずに,不幸な子供を減らすための意識作りやシステム つくり,そして協力が必要なんだと思います。

8/3(消費者の品)
ネットで話題になっていたネット販売の値段を元に量販店を値切って断れた話を 読んで,ちょっと嫌な気持ちになったので,その事を書きます。
リンクは読んでの通り,大型TVを買うために量販店に言って,店員から いろいろアドバイスをもらって,その後に値段交渉をして,ずいぶん譲与を 引き出し,最後に価格comの最安値を見せ,それより安くしろと言ったが 断られたので,通販で買いました…という話。読んで思ったのは,この人, 「品」がないなということです。もちろんこの人がやったことは, 商契約上何の問題もありません。社会的にも問題はありません。 でも金持ちがやるような事ではないように思います。
書いた人がどういう人かは知らないので,金持ちじゃないのかも 知れませんが,タワーマンションに住んで大理石式のエントランスのあると わざわざ書いているので,金持ちか,金持ちであることを訴えたい人 なのでは?と類推します。まぁ本当の金持ちはわざわざ「大理石」… とか書かないとも思いますが…,金持ち気取るなら,もう少し金持ち らしい振る舞いをしたら?…と思いました。余談ですが,この方, エントランスに置かれた大型TV…どうやって部屋に運んだんでしょう?…。
…戻りますが,品がないな…と思ったのは,この人は実際に量販店で 店員から製品のアドバイスを受けたり,多分実物を触ったりして,お店の サービスを受けている点です。受けておきながら,最後に,そういう サービスがない通販と同じ価格を要求し,ダメだったら,そのサービスへの 感謝を踏み倒している点。これだとまるで百貨店の地下でただの試食を 食べ歩いて,商品を買わないのと同じです。そしてそれだけ店員の 時間を拘束し,3万円をケチる点です。経済について語る人なら,店員の 稼働にコストがかかっていることはわかるでしょう。値引き交渉をするなら, 最初から価格comの最安値を見せて,目標価格を示していたら,おそらく 店員も時間をかけて相手をしなかったでしょう。散々付き合わせた挙げ句に, 断ってます。文章を見るとまるでゲームを楽しんでいるようにも見えます。
一番気に入らないのが,こういうことをやっておいて,自分は悪びれたり, 明確な自慢をするのではなく,なぜか自分も被害者のように書いているところ。 なんじゃそりゃ?
わたしは金持ちは社会に対して,貢献をすべきだと思ってます。自分が 金銭的にはある程度は損をしようが,安い店よりも,あって欲しい店から ものを買うべきではないでしょうか?。確かにそれは量販店じゃなくて, 本当は町の電気屋さんの様な気がしますが,通販じゃないでしょう。 でもこの人は最後に「僕たちの生活は毎年少しずつ便利になっている」って 書いてるので,通販だけの社会が便利な社会と思ってるんでしょうか。
わたしはそうは思いません。結果的に通販しかない社会は,現品に触ることが できない,店員の顔が見えない等,そんなにいい社会じゃないと思います。 今はいいかも知れませんが,歳をとってから通販でものなんか買っていたら, いい詐欺のえじきになるような気がするけど,自分は絶対にそうならないと いう自信があるんでしょうか?あと,気づいてるのかわかりませんが, TVは自分で粗大ゴミに出すことも出来ません。うりっぱなしの通販で 買って処分するときのコストは計算に入れているんでしょうか?
わたしは本当は量販店よりも町の電気屋もそうですし,それ以外の商店も 自分が住んでいるところの近くで,お店の人の顔が見える…,そういう 店舗が残るべきだと思ってます。そのために多少の価格が高いのは仕方ないと 思います。だからわたしは,自分があって欲しい…と思う店舗にお金を 払います。もちろん経済的にいつもそういうことが可能なわけでは ありません。10円でも安い店で買うこともあります。ただ,安いだけで 毎回異なるお店で買っていたら,お店もお金でしかサービスしてくれなく なります。お店を育て企業を育てることも消費者の責任であり,それに 大きく貢献できることが経済的に余裕がある人の務めだと思います。

8/2(経験が産む天の声)
最近ネット見て思ったことばかり書いていて,どうも足が地についていない 気がするのだけど,今日もネット見て思ったこと(^^;)。
名城大の飯島先生の言葉で勘とは経験の蓄積であるというもの。不勉強なので 飯島先生のことはあまり存じ上げてないのですが,このお言葉には強い共感を おぼえます。
わたしも同じようなことを感じてます。勘とかアイディアとか天の言葉:-) とかは,基本的には過去の経験というか本人もおぼえてない記憶に, なんらかのキッカケでアクセスして生まれるものがほとんどでしょう…と。
人間が生まれてこれまでに経験したこと,見たこと,聞いたこと,触ったこと, 感じたこと,思ったこと…等は案外どこかに記憶されているものです。 数十年前の記憶や,物心がついてない頃の記憶ですら,ふとしたことで アクセスすることがあります。でも本人がおぼえていなければ, それは勘だったり天恵の様に感じるでしょう。わたしは中学の時に, 2歳まで住んでいた家と同じ団地に再び引っ越したときに,体が間取りを おぼえていて驚いたものです。
一方,人はあるものを見たり考えたりしていて,論理的にある発想や結論が 導かれるように思ってるでしょう。ロジカルシンキングとか,発想法とかが ノウハウやライフハックのように提唱されるのも,システマチックに考えれば, 有効な発想がえられるというような考えがあるようです。でも実際に人に 差をつけるような発想力というのは,そういうシステマチックな部分とは 別の部分から脈絡なく得られた発想だったりします。
そういう発想が得られるのは,とにかく自分の頭なり体なりどこかに膨大な 経験の記憶があるということで,いろいろ悩んだり考えたりするときに, ふと確率的に,その記憶にアクセスし出てくる発想だったり,また記憶から 感じる違和感などの感覚なのでしょう。
若い人が発想が柔軟…だと一般的に言われますが,研究畑にいると 明らかにある種の年寄りの方が発想の幅があり,また奔放です。もちろん新しい 情報を得る努力を怠っている年寄りは,古い片寄った発想をしますが, 新しいことも勉強したり経験している年寄りは,若い人よりムチャな 発想しつつも,どこか現実的な部分も持ち合わせています。そして 自分を持っている年寄りは奔放であっても, 足が地についた発想もできます。
そういう意味では歳をとる事自体は,発想にはハンデではありません。 ただし,そのためにより歳と共に多くの経験をし続けることです。 ですから若い人もこれから多くのことをいかに経験するか。 それが将来の天恵に繋がるのだと思います。

8/1(8月)
8月になった。なんとなく今年は「えっ?もう?」という感じ。 ちょっと仕事の方が,今年度の進捗が悪いせいもあるのかなぁ, それとも子供が出来て毎日があっという間に過ぎているからなんだろうか?。 確かに十分に暑くて夏という感じはするんだけど,今年はまだ一度も 台風が来てないというのもあって,世の中がすっかり夏休みに 入ってるという感じもしないだよなぁ。
近所の路上野菜売りが閉店していた。この店は7月一杯だったのか。 去年は確か台風が直撃したタイミングで,路上販売が終わった気が するんだけど,あれは何日だったんだろう?。去年の日記を観ると 8月の10日あたりに台風が来てるけど,そのタイミングだったんだろうか?。
…などとあまり脈絡無く考えた。


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