脳化の弊害,その1:誰かのせいにしないと納得できない社会

全然たいした話じゃないし,タイムリーな話じゃないのですが,ここらで一言…, いや二言か…書いておきたい事があります。書いておきたいのは 当たり前のことのようなのに,なぜかそれが当たり前じゃなくなってきてる 気がするから。なぜそういう風に考えてしまうのですか? …という気がするから。つまりちょっとした警鐘ですが, この警鐘が警鐘で済むのか,ますます進むのか,元に戻るのか…, 今後気になるところです。

もったいぶりましたが二ついいたいことがあって一つ目。

最近すべてのことに対し「何か(誰か)のせいにしないと気がすまない」と いう風潮が急激に強まってきてる気がします。特に誰かが不利益を被ったときに, その被った原因を誰かのせい…という風にしてしまい, わかりやすくいうと訴訟する…ということです。

それが異常に感じる一番の状況が医療訴訟です。病院に行って何かの医療行為を受け, その結果障害を持ったり死んだり…した場合,それを医者や医療機関のせいだとして 賠償を訴えるというもの。

これを正当な事だ…と思う人も多いのではないでしょうか?。でも以前 は医者に行って亡くなってたら,「手におえなかった」ということに なっていたのではないでしょうか?。それが今は医療事故だったり 医療ミスだったり,さらに医者がちゃんと対応しなかった …って事まで疑われ,下手をすると訴えられます。

もちろん患者の家族にとって患者は唯一の大切な存在であり,その病状が悪化したり 亡くなったりしたら納得できないのはわかります。ですが, 医者というのは一日に何十人もの患者を治療していており, 家族と同じように気をつけることは不可能です。また医者というのは そもそも正常じゃない人をみるわけですから,必ずしも病状が好転するわけではなく, その医者が施した治療以外の事もその病状悪化の多くの原因になってると思います。

こういう警鐘を出すのは,医者のなり手が減ってきてる…という事が一つですが, そもそも医者に限らず,警察にしても,教師にしても,リスクの大きい職業に 携わる人たちが,収入面の優遇も減り,なおかつそういう不具合の 原因とされてしまう傾向が強まっている事の異常を感じるからです。

そもそも以前は,自分や自分の家族に何か不具合があっても,それは運命だったり, 状況によるものであり,誰か一人にその不具合の原因を求めることはおかしな事 …という考えだった気がします。ところが今はたとえ事故で誰かが死んでも, それを気づかなかった教師やちゃんと捜査をしなかった警察が訴えられる …という様な風潮が強まってきてます。

これは単なる「訴訟社会」が強まった…という見方も出来ますが, それ以上に「世の中が(自分の)頭で理解できるように動いている」 と勘違いしている人が増えているという事ではないでしょうか?。 物事には因果関係があり,しかも論理的に説明できるように動いている …と思ってる人が増えている様に思います。もちろんこのことは必ずしも間違いとは いいにくいのですが,因果関係をもつすべての事象を人間が観察することは 現状不可能なのですから,それを解くことは出来ません。そしてもう一つ, その理解出来るはずという思い込みが進み,普通にしていれば自分に対して不具合は 発生しない…と思い込んでいるので,不具合が起きたときに何者かの悪意が 介入してきた…と思い込むことです。

なぜそういう風に現代日本人が考えるようになったかというと,一つは科学信仰が 進んだこと,そしてそれゆえに脳化が進んだということでしょう。 自分の理解できない因果が存在すること,そしてそれを昔は運命とか 神様の思し召し…だとかいう風に理解していたのを理解できなくなったことでしょう。

わたし自身はそれを弊害だと考えます。なぜなら自分に起きることは予測できない 不条理なものが多く,それを理解しないと受け入れられないという 精神状態は脆弱だと思うからです。現在,天災だけは人のせいにされず, 運命として受け入れてますが,そのうちそれも出来ない日本人が出てこないか 心配です。

今回は脳化による弊害としての「因果の誤解」について書きましたが, もう一つの弊害である「自我の膨張」については,また後日書きたいと思います。

つづく…。

もどる


'06 Jun. 21st


(C) 2006 TARO. All right reserved