2011年1月の日記&雑感


だらだら書いた日記です。
日記中のURLはメンテしないので,切れてる場合もあります。 あしからず。


1/31(体調不良)
風邪か食あたりかわかりませんが,ムカムカして寒気もするので, ちょっと日記は無理。今日は早めに休ませて頂きます。

1/30(面談で答えて欲しいこと)
わたしはいわゆるバブル時代に就職した人間ですが,今の若い人が 会社に入ってきて見ていて思うこと。
出来がいいとか悪いとかいう以前に,皆,口では良い子なのが 気になってます。ゆとり教育というよりここ5年くらいはずっと 感じてます。良い子なのも気になるし,「皆」というのは, バリエーションの幅が狭い,つまりみんな同じようなことをいうのも 気になってます。そして,会社に入ってやりたいことをあまり口に しないのが気になるのです。つまり「なんでもやります」みたいな 感じの人が多い様に思います。
わたしの職場は研究職だし,わたしは人事担当者じゃなくて現場の 人間なので,わたしの好みが一般の会社とも違うだろうし,うちの 会社でも,人事担当者がそうは思わないかもしれないので,あまり 真に受けてもらっても困るんですが,なにをやりたいか?問われて, すぐに答えられない人っていうのは,上司としては困ります。 でも一方で「これしかやりたくない」っていうのも困ります。
世の中の就職のノウハウとか,先輩からの情報でどういわれているかは よく知らないのですが,あんまり一般論的に業界の話とか,経営云々とかを 語られても,どうかなぁ…とも思います。まぁこれは職種によるか。
わたしの時は売り手市場だったからかもしれませんが,どこに配属されて どういうことをやりたいか?というのははっきりといいました。 その仕事以外になったらどうするか?というのも聞かれましたが, そこをなんて言ったかは,今と時代が違うのでおいておきますが, 多分今の時代でも,答えるとすれば,自分の希望は言いつつ,他の仕事も やってみたいとか,他の仕事に自分のこれまでのノウハウを活かしたいとか そういうことを言うのが模範解答じゃないのかな?と思います。 人事はその希望以外の仕事が例えばどういう仕事か?をいう場合も あると思うので,それに対して,自分がどういう強みを出せるか?を 説明できる…つまりそういう臨機応変さが必要でしょう。
会社が新入社員に求めている一番の能力は「コミュニケーション能力」 らしいです。これはその場で相手の意見を汲みつつ,自分の意見を しっかり主張したり,妥協点を探ったり…ということですから, つまりある意味,正解の答え方は無いことになります。
というわけで,面談決まった定型の答えは無い…ってことになります。 問題を与えられて答えをいうというよりは,その場で議論 して妥協点を探れるような感じだったら,かなり有能と思われ るのではないでしょうか。 実際の社会に出たら答えが無いことばかりなので,やはり そういう能力の有無は問われるだろうな…と思います。

1/29(休日)
前日高校の同級生と飲み,ギリギリ終バス(深夜バス)で帰ってきた のもあり,寝たのは午前様。で,今日は子供がお腹を壊したこともあり, 外出もせずに家にいたら気がついたら夜だった…っていうわけで, 何をしたのかも良く思い出せないのだけど…。

1/28(世代間対立)
日本の今の福祉政策が,年寄りに甘く,若者に厳しい…という論調が 徐々に強まってきてます。かってわたしは「世代間対立って意外に表層化してないのは不思議」 と日記に書いてますが,2009年時点ではむしろ後期高齢者医療制度は 年寄りの切り捨てだとか,紅葉マークは年寄り差別だ…とかどこかの 政党;-pが大騒ぎしてました。
昨日TVを見ていたら与謝野さんが出ていて,自分達の年代は逃げ切れるが, それでいいんだろうか?と思っていると言いました。たった二年で 急激に世の中の意見が変わったような気もして,少しわたしは戸惑いを 覚えます。
ネットは若い人が多いせいか,若い人が苦労して年寄りがいい生活を してる…という意見は結構前からありました。でもやっぱり最近 この手の意見が強まってきています。「あなたの老後の安心というのは、(中略)。もしかして 生まれていたかも知れない、あなたの孫を奪ってまで得るべきものなのか、 と。」と弾氏が書いてるのを読んで,ちょっとさすがに わたしは引いてしましました。
…というのは,もともとわたしも書いていたように,世代間の格差「感」 みたいのはあるよな…とは思っています。わたしは年寄りは年寄りらしく 暮せよ…と思っているので,お年寄を過度に保護したり,逆に若い人と 同じ権利を与えることには疑問を感じてます(これだけ書くと誤解を 受けそうですが,同じことをするのに余計にコストがかかるなら,とか いろいろ前提はあります)が,でも権利を奪うなら保護をしなければ いけないとも思ってます。
若い人の仕事がなく,それで子供が増えないのは事実でしょうが, それが全て高齢者のせいみたいに言われると,ちょっと引っ掛かります。 高齢者がいなくなると,若い人が豊かになるか?というとそれも疑問です。 子供がもてないのは経済的な理由もありますし,子をもつより 仕事を選ぶとか,育児で自由を奪われることに抵抗を感じるという 考え方をする人もいるからではないでしょうか?。
それから,一般論としてお年寄りというと,若者からするとどこかの 知らない人かもしれませんが,具体的に考えると自分の親だったりもします。 年寄が裕福なのは,親がいる若者にとって,扶養者が減ってるということも できます。また一方で,年寄りは未来の自分でもあります。年寄に きつくいうのは,それを将来自分が受け入れる自信があるのか?と いうことでもあります。お年寄に増税し,子供達に再配分するのは いい効果があるかもしれませんが,結局お年寄りの面倒をその家族に 押し付けるのであれば,子供手当ての様な策の無いばら撒きに なる気がします。
もちろん世代間の問題に向き合うことはいいのでしょうが,要は 問題を何か一つのことに起因すると断言することに危惧を感じると いうことです。

1/27(議論というのは論理的なようでいてバイアスが入っている場合が 多し,それは隠蔽される)
現実世界でも時々思うけど,ネット上でなにかを議論していたり, なにかを論理的に説明し,自分の主張を通そうとしてるのを見ていて, 良く思う事。それは,いろいろ理屈だって説明してるけど, 多分結論が先にあって,そこに導くために論理づけているだけだよな… ということです。
例えば良く思うのが学生の語る理屈。ちょっと前にTwitterで 高校生が学校の掃除をするのはおかしいとか,散々理屈を言っていた らしいです。あと学校で商売をしようとしたら先生に怒られたのも おかしいとか書いてるのを見たこともあります。
いずれも,あーだこーだおかしいと思う理由を説明してました。 特に掃除の件は,アメリカなどは学生に掃除をさせないらしいので, そういう例を挙げたりして,学生が掃除をすることがおかしい… という論理を展開してました。
まぁ,それはそれで一理あるよなぁとは思うのですが,そもそも思うのは, 「それってあなたが掃除をしたくないからそう主張してるんでしょ?」 ということです。おそらく本人は,その真の自分の望みを, 論理的に説明することで隠蔽し,本人すら忘れているじゃないか? という気がします。つまり本人は,自分は客観的に述べてる…と信じている… と。
実際の社会の議論も実は,理屈を述べてるけど,結論は主張者の感情的な 望みであることが多いです。いろいろケチをつけて止めさせようとする 理屈も,「単にイヤなんでしょ?」と突っ込みたくなることが多いです。 物事の説明なんてある仮定をつくりそれを証明する説明をするというのが 良くあるやり方ですから,全く逆の過程をたてても説明が出来ちゃうことが あったりするのです。実際ディベートの訓練では,論者の主張と関係ない 立場の意見を通すために,全く反対の立場で,お互いが議論するというのを やるようですが,論理で導かれる結論というのは,その程度のものな気が します。
学生が理屈で論破しようとするとき,その本音とそれを補強する様が 見えちゃったりして,なんか要はその人のわがままに見えちゃうことが あります。大人の社会でももちろんそういうこともあります。 ただ大人は敢えてやっているのが,学生とかだと本気でそう思ってるんじゃ ない?と言う感じの場合が多く,なんか痛く感じるんだろうな…という気が しました。
ネットだと相手を論破するときに,相手が本当に間違ってるとか自分の 主張が本当に正しい…といいたげな論理転換をする人が多いのですが, そんなに強くそんなこと言えるのかしら?と思います。それを芸風に してる人なら愛敬も感じるんですが。
そういえば,Twitterになって,炎上が減った…と言われてますが, 実際はどうなんでしょう?。

1/26(ネットの話題は本当なのか煽りなのか?)
今日は朝から出張。出張先ではずっと人と話していて,夜帰ってきたので, ちょっと何も考えてなかった…みたいな感じ。
余談といえば余談ですが,最近うちの回りでFacebookが話題です。 Facebookの前はTwitterが話題,その前はmixiかセカンドライフか。 Myspaceはあまり話題になりませんでしたが。mixiはそれなりに 流行ったけど,セカンドライフは大ゴケしました。Twitterは ちゃんと流行ってるとは思います。
というわけで,こういうの話題になってるのか話題にしようとしてるのか, 瞬間的なものなのか残るものなのか…といまいちよくわからないのですよね。 というわけでまだFacebookは始めてません。悩むくらいなら さっさとやれって感じですが。

1/25(イレッサの件,一票格差)
全然関係ない話を二つ。
イレッサ訴訟 学会は和解反対して結果的に政府も 和解を止めたって話。
わたしは自分が癌をやった事からの意見としては,抗癌剤の害を普通の 治療薬や予防注射と同じように薬害として扱うには抵抗があります。 それは抗癌剤にはドラッグラグの問題があること。そして癌は治療を しなければ死ぬ病気であることが一番大きな理由です。そして抗癌剤治療は 基本的に延命治療であること。また癌細胞は体の一部だから,癌細胞を 正常な細胞を傷付けずに全滅させることは多分無理だろうと思う ことも,他の薬と違う点だと思います。
癌は治療をしないと死ぬけど,抗癌剤を使うと余命が延びる場合がある, それにかけて患者は治療をうけるわけです。抗癌剤で完治が期待できないの であれば,治療を受けても遅かれ早かれ死ぬわけです。それが治療を うけない場合よりも短くなるっていうのは,確かに悲劇ですが, 助かる人が亡くなるという他の薬害とは違います。
確かにイレッサは他の抗癌剤よりも事故率が高いというのを聞いたことがあり, そういう意味では問題があったのかも知れません。ただそれはその薬を 認可したことの問題よりも,患者や家族にリスクの説明をしたかという話に なり,国を訴えるという話になるのでしょうか?と思います。
それと以前から気になってるのは,メディアもそうですが,抗癌剤治療が, あたかも癌の完治が期待できるかのように取れるような紹介をしてる点です。 実際,無治療で治る人が稀にいるくらいですから,治療で完治する人も いるんだとは思います。また手術と併用しての抗癌剤は再発の防止に なります。でも多分,再発後に抗癌剤の治療をした人や,手術が出来ずに 抗癌剤の治療をした人の多くは完治はせず,延命としての治療では ないでしょうか?。もちろん数十年延命できる人もいますが。
どうも,報道やWebをみてると抗癌剤治療を受けても,結局はがんで亡くなると いうのをあまり明に書いてない気がします。それをあまり認識してなくて, 治療をうけた人もいるんじゃないか?と少し思いました。
余談ですが,一部の医者も含めての考え方で,癌が完治するという考え方も ある様に聞きますが,とりあえず,わたしは今はそう思ってません。 諸説あるので上記はわたしの意見に過ぎないことをお断りします。
もう一つ別の話。
一票の格差問題,なんかこのままだと違憲判決に 落ち着きそうな気がしてきました。結局憲法の問題なので, とやかく言ってもしょうがないのでしょう。人一人が同じだけの権利を 行使するとしたら,都会の方が議員が多くなるべきなんでしょうが, 個人的な勝手な意見としては,土地の広さに従って議員を出したら, 今の様になるんじゃないか?という気がします。都会に議員が集まれば 都会の論理で日本の土地計画が決められることも考えられるよなぁ, と思うと,ちょっと抵抗があったりするんですよね。今での原発とか 田舎につくってるし,基地問題や領土問題も都心にいるとなかなか シビアさが見えてこない。
とか考えると,衆議院と参議院で票の考え方が違っていてもいいように 思うんですが,まぁそうはいかないのでしょうね。

1/24(私的空間が続いているという勘違い)
一昨日の年齢の違う仲間の件を 書きながら,もう一つムラムラと思っていたこと書きます。
一昨日のは,若い人が年齢の違う人を拒絶してる話だったのですが, Twitterやネットの日記にこういうことを書いているってことは, 自分達と違う人間が見てるってことを想像してないのだろうか? と良く思います。特に同世代以外仲間じゃない…とネット上で宣言するって 事は,おそらく自分達の仲間の数倍の人口を敵に回してる…ってことで, それで叩かれるのは当たり前なのに,こういうことを平気で書いて しまう事の無邪気さというか無頓着さ…というか,それがなかなか 凄いな…って思います。
Twitterで有名人の噂を流した個人が突き止められた って件も同様です。今の若い人は2ch等の匿名掲示板とかに慣れているようで いて,実はその逆で無頓着になってしまっているんじゃないか? という気がします。公共の場で多くの人に顰蹙を買う言動をやって, 顰蹙を買っているのに気づかない…というのは,まさに「電車で化粧」と 同じ心理であり,ネットで引き起こしたことというよりは,今の社会が 引き起こした問題のような気がします。
一応断っておくと,今の世代特有というつもりは無く,昔から公共の場で 顰蹙を買う人達はいたと思うのですが,ネットにせよ,交通機関にせよ, 公共の場に生活空間が急激に入り込んでいるのが今の時代で,それに 適応し損ねる人が増えてるんだろうと思います。
パソコンや携帯だって直接メイルをするのでなければ,画面の向うに 何百万人の人がいることになります。知り合いや仲間内に当時にやり取りが 出来て便利だかと公開日記やTwitterに覆い隠さずに書いていたら, 多くの人がその人に悪意を向けるかも知れません。そういえば仲間内だけに 同報を行えるMLが最近あまり盛んでなくて,Webベースのコミュニケーション ばかりになったのも,少し関係があるかも知れません。
おそらく今の社会で拡がっているのは公の空間であり,私の空間では ないのではないでしょうか?。でも私の空間が拡がっていると 勘違いしている人が多いのじゃないかという気がします。

1/23(休日)
昨日は土曜で今日は日曜。
昨日は午後から出かけて,ヨドバシとか,本屋とか,デパートとか。 ヨドバシは空気清浄機を買おうかと観にいったのだけど,パナの欲しい モデルが来月入荷待ちってことでペンディング。シャープとパナとで 悩んだのだけど,主たる目的が花粉対策なので,シャープのでなくても いいんじゃない?って気がしてますがどうでしょうね?。
本屋はいいとして,デパートは九州物産展をやっていたから。 いつも行くのだけど,今回はお菓子を結構買って,ご飯系はあまり 買いませんでした。
今日はいつもの買出しが終わった後,ちょっと気になっていた神社へ いってみました。節分やるらしい。どうしようか思案中です。
あと思案中というと子供を載せる自転車をどうしようかということ。 うーん。

1/22(歳の違う仲間は悪くないと思う)
匿名日記の 「Twitterを辞めた。」というのがちょっと 話題になっていました。最初斜め読みしたときは,まぁ別に やめる人はやめればいいと思うし,mixiのときも「mixiをやめた」 みたいな文章を読んだなぁ…とか思ってました。ですが更に 話題に合ったこの日記へのフォローを見てちょっと思うところが あったので。
元の日記は多分若い女性がTwitterをやっていたのだけど,多分 中年か年輩の男の人に,自分のツィートにいちいち反応されるのが なんか嫌になったか,気味悪くなったとかそういうことのようです。 掲示板やmixiとかブログでも日記とかにいちいち反応されるのが うっとうしくなってっていうことはあるようです。特にこの日記の フォローを見てると,若い人のコミュニケーションに年寄が 混ざるなんて無理みたいな書いていいるのが興味深くて「 育った時代を共有していることでの仲間意識を 軽視していない?」って書いている人がいます。
思ったのが,そうだろうか?ってこと。わたしは高校,大学と大人の 遊びのグループに混ぜてもらって遊んでいたので,年齢が違う人と 遊ぶことの心地よさを実感してます。むしろ学校のクラスとかの方が 閉塞感無いですか?とすら思ったりします。私は高校はクラスよりも 部活の方が居心地良かったし,部活より更に学外の方が良かったです。 高校のときは楽器屋に入り浸り,店長や他のお客さんと良く喋ってました。 大学のときはバイク屋に入り浸り,ツーリングに連れて行ってもらったり, ご飯を食べにいったりキャンプしたり,かなり面倒を見てもらいました。 大学の同級生とかにも学校に来なくなりバイト先ばっかり行ってる人とか いたけど,そういう人も同じ歳の友達より,社会人とかの方が肌に 合ったんでは無いでしょうか?。
思うのが,上にリンクしたように同世代の仲間が強いつながりを持つ みたいに考える人が,社会に出て会社に入ってうまく行くんだろうか?と いうことです。社会に出れば,同年代の付き合いより,年齢が違う 付き合いの方が増えます。新社会人の中には,会社での付き合いより 学生時代の友人との付き合いを大事にする人は確かにいるんだけど, そういうのって徐々に薄れていくようにも思います。
あと,例えば20歳にとっての5歳ってものすごく大きな違いだけど, 50歳にとっての5歳ってたいした差じゃないのです。特に未成年は 同じように学校に行くけど,社会人はいろんな人生を歩むから, 同じ歳でも経験はまったく違うし。だから年寄りは年齢の仲間意識は あまりありません。
それから,まぁそうは書いたけど,わたしの場合も大人の集団に 子供のわたしが混ぜてもらったわけで,子供の集団に大人が一人混ざるのは, 確かに子供の方に抵抗があるのは,わからないでもありません。
等と思いますが,ちょっと発散したのでまとめると,わたしは 青春期の若者が年輩の人と遊ぶことは結構得るものは多いと思うよってこと。 最初のTwitterの様にあまりしつこく絡まれるのは確かに面倒だ…とは 思いますけどね。

1/21(同窓会のはしご)
同窓会というのは不正確ですが,今日は会社で同期入社が集められて。 で,その後一部と飲みに行ってという風になったのですが,元々 偶然にも高校の同級生が上京していて飲む約束をしていたので, 会社の同期との飲み会は途中で抜けて…っていうわけで,全然違う 同窓とれんちゃんで飲むというレアな機会でした。

1/20(徒然)
ネタがないので,ネットで見かけた文章に反応。
CDが売れない、でも音楽産業は「活況」」という話。 CDが売れてないのは有名だけど,どうやら音楽家への著作権収入は 減ってないとのこと。つまり別の媒体等で仕事はちゃんと回ってる…って 事らしいです。具体的な数字が挙ってるのは記事として良いです。
ちょっと違う話ですが, ポップスグループが食えなくなって音楽教室等で 働いているという文章は,ちょっとネットでは突っ込まれてましたが, でもミュージシャンが音楽教師やったりっていうのはジャズミュージシャン じゃ結構ある話です。ジャズの場合はそれに加えて,作曲やアレンジの 仕事してる人とか,バックバンドとかそういうのもあって,まぁ 人気商売としてじゃなくても音楽で食べてる人は多い。音楽も商売のやり方は 色々あるよね…と思いました。
次。
仕事から離れた方が創造的な仕事はできる」という話。 検証方法が正しいか,ちょっと疑問だけど,結論はそうでしょ?って気は します。ところで,こういう知的労働じゃなくて,肉体的経験を書くと, 昔バイクに乗っていたときに,乗り方の悪い癖がついていて, 直せなくて困っているときに,しばらくバイクを離れて,再度始めたら 直ったことがありました。ギターの癖もそういうのありました。 結構肉体系でも,練習から離れるというのは有効なときがあるように 思います。
次。
親権より児童養護施設長の判断優先」というニュース。 そうでしょうね,と思いましたが,施設長ってどういう人がなるんだろう?, 民間の場合もあるよね?…と少し懸念があったりもします。もっとも このニュース,ラジオで聴いたのだと,子供が病気になって手術の 必要があるときに,親と連絡が取れなくて手術できないケースとか あるので…って話だったので,それは当然でしょう…とは思いました。 どちらかに権利が片寄るのではなく,もっといろんな人が観て 関われるようになるのが良いように思います。
次。
大学が教員や学生にgmailとか使わせてる件。 自分達の将来の仕事がなくなるぞ…っていうのもあるけど,今の若い人って, 自分のメイルやファイルを第三者の手の平に載せてて気にならないの だろうか?というのが気になる。クラウドとかもうわたしはそれが気になって, わたしは無理…とか思うんだけど。
今の若い人って,そういうの気にしないのかね?。観られてOKて事なのかしら?

1/19(ネットサービスは阻害要因を取り除いても 売れるとは限らない)
日本でFacebookの普及を妨げているのは…」と いうのを読んで思ったこと。
Facebookは使ったことがないのですが,ユーザインタフェースを問題に してるようです。根本的に疑問に思ったのは,普及しないネットサービスに 普及を阻害する要因って必ずあるとは限らないのでは?ということです。 もちろん阻害要因が邪魔をして普及しないサービスもあるでしょうが, わたしがmixiやTwitterを始めて続けているのは,そこに読みたい コンテンツがあるからです。書くのは確かに書きたくなる仕組みというのは WebやメイルやブログやSNSでいろいろ違うとは感じてますが, 書きたいからネットサービスを始めるとは限りません。
Twitterに関しては再三書いてますが,日本は有名人が多く書いてるので, 今やマスメディアの様にわたしは見てます。有名人が書きやすくする 仕掛け…みたいのはあるのかも知れませんが,アメブロの様に有名人を 集めるという手もあるでしょう。
使いやすさ…っていうのはたしかにあるんですが,ネットでサービスを 使う場合全ての機能を使うわけではないし,自分が使う機能は習慣的に 無意識に使えることに支障がなければ,そんなに問題じゃない。いや, ダメなシステムっていうのはあるんでしょうが。
言いたいことは,多分阻害要因があったとしても阻害要因を取り除いても サービスは売れるとは限らないってこと。売れない理由がわかっても, 売れる方法はわからないって事。長年ネットサービスを見たり, 売り込んだりしてきてそう思います。

1/18(母親の食へのこだわり)
ネットで「物語を守るという生き方」という文を読みました。 書いた人の母親が添加物を嫌っていた話が書いてました。 それで自分のことを思い出したので書きます。
わたしの母親も,添加物にはうるさい親でした。というか,転勤が 多い家でしたが,あるところでは生協だったり,いろいろで最終的には 農家と契約して無農薬の野菜を提供してもらう組合みたいのに入り, 農家の手伝いに行ったり,理事みたいなことをやっていたように思います。 食べる方も塩分が多いものを嫌ったり,自宅では化学調味料は殆んど 使わない。洗剤も合成洗剤じゃなくて石鹸で使ったりとかそういうもの でした。
理由はあまりはっきりいわれた感じもしませんが,わたしなりに理解は してました。わたし自身が幼少の頃,体が弱く,一時期は急性腎臓炎で 入院していたりしていたこと。あと父親が高血圧でずっと薬を 飲んでいるような人なので,コレステロールとかを気にしていたこと。 つまり家族の健康を気づかってそういう風になったのだろうと思ってます。 一方でハウスものじゃない露地物の野菜を「これが本当の味」とか 言ってわたしに食べさせていたので,そういうものの方が美味しい…と いう考えもあったのかも知れません。
こういう母親でしたが,更に記憶を遡ると,わたしがまだ小学校に 上がる前は,自宅に味の素もあったし,赤いソーセージとかも食べて いたので,徐々にそうなったのかも知れません。当時,日本では サイドマイドや水俣病など公害病が大きく話題になっていて, 急激に工業製品としての食糧の安全性が問題になっていた時期でした (今の中国みたい)。
それでも,わたしも子供ですから,ジャンクフードみたいなものは 食べたいと思うこともあって,インスタントラーメンも食べてました。 この辺はうちの母親がうまかったのか,体に悪いといいながらたまに だったら食べさせてくれ,そのせいか,わたしはこういう添加物嫌いや 自然食志向はあまり反感もなく,受け入れ,今や自分自身がその 性質を引き継いでます。一方わたしの父親は逆で,体に悪いもの, 味が濃いものや脂っこいものが好きで,もしかしたら好きなんじゃなくて 反発で食べてるだけじゃないか?…と思うことすらあります。
ただ一つだけ難点をいうと,自分の味の基準が,体に良いか悪いか?, 自然食か?…が最初に来て,舌の嗜好で判断してる自信がないことです。 スペックがわかればそういうスペックがまず頭に来てしまうし, 無い場合でも,自然食に近いものがうまいと感じてしまいます。正直, 舌だけでうまいマズイを断言して,食べる食べない…と言える人を 羨ましいと思うこともあります。まぁ人間は生きるために食べると いうことを考えると,体への良し悪しを嗜好とすることは必ずしも 間違いじゃ無いのでしょうけど。
そういうわたしの親ですが,もう80も越えて,今更健康もないよね…と 言いつつ有機野菜を取るのも辞めているようです。父親も高血圧の薬を 数十年飲みつつ,結局生きてます。肥満だった体もすっかり痩せてます。 わたしも小学校の高学年辺りから体が丈夫になりました。これが 母親のおかげなのか,実は気にするまでのことじゃなかったのかは わかりません。ただ,過度な添加物嫌いや自然食の盲信は無いにしても わたし自身も,食べ物のスペックは気になるし,子供に与えるときに, 安全性を気にしてしまう…ということから,考え方自体は母親の影響を うけているように思います。

1/17(NHKスペシャル「日本人はなぜ戦争へと向かったのか」を観て)
NHKスペシャルで「日本人はなぜ戦争へと向かったのか」 というのをやっていて,先週今週と二回ありました。後二回 あるようですが,間一ヶ月くらい空くようなので,ここでとりあえずの 感想を。
テーマはタイトル通り。戦争とは太平洋戦争のことです。松平さんが 語り部として出ていて,昔やっていた「その時歴史が動いた」テイストな 作りになってます。そういえば今やってるヒストリアって歴女狙いなのか, 切口が全然違う。次回は「〜キケンな貴公子、藤原頼長〜」 だそうで(笑)。
そのとき歴史が…は,過去の日本のある状態が,今の日本の情勢を 連想させる…様な作りを良くやっていて,今回も第一回の方は そういう作りでした。第一回は日本が国連を脱退した話で, なぜそういう状況に陥ったのか?という話。元々日本は国連を 脱退するつもりがあったわけではなく,これくらい大丈夫だろうと 強攻路線を言ったら,突っぱねられて,引くに引けなくなって 辞めてしまった…ということのようです。
で,なぜそうなったというと,その当時日本は,内政がガタガタに なっていて,首相は6年で7人変わる状態で,国内の不平を海外に 転嫁して紛らわそうとしたとか,それなのに,国際情勢が既に 植民地主義から転換してることに気づかず,他もやってるから 大丈夫だろうと思っていたことがダメだったとか,そういう話。 つまり内政グダグダ,外交センスがない内閣,更に内閣がバラバラで 二重三重外交をやってる状態…ということでした。なるほどこういう 状態だと戦争に向かうのか…ということで,今の日本は大丈夫ですかね? …と思わせる作りは意図的でしょう。
ちなみに昨日のは,陸軍がなぜ戦争を起こすに至ったか…みたいな話で, こちらは行政の権力争いみたいな感じはしましたが,これはさすがに 今の日本を連想するような話は無し。対立派閥を牽制するために 政敵を殺すようなセンスはさすがに現代人にはないでしょう。 あるのかな?。
当時の暴走を陸軍だけのせいにするのは正解なんだろうか?とは良く 思いますが,いずれにせよ,個人や組織の成果のために,兵隊や 他国の人を殺しても致し方ない…という感覚はわたしは受け入れがたい ものがあるので,自分には出来ないセカイだな…とは思います。自分も 会社組織で,誰かの幸せを奪っている可能性はありますが,そういうのが 見えるとかなり無理…という感じです。
まぁ当時の日本は幕末からまだ半世紀ちょっと。当時の人達もまだ 現役でいたりして,切ったハッタで物事を進めていく感覚がリアル だったんだろうなぁ…とは思います。
といわけで,おもしろかったです。次回は戦争に向かっていく中で マスコミが担った役割みたいな話らしいです。楽しみです。

1/16(質を高めるには量が必要?)
昨年まで日本の企業とかビジネスとかもうだめだ…みたいな感じの TVが多かったのが年明け早々にTVを見ていたら,日本の品質が 日本を救うみたいな話がちらほら出てました。正月だから,希望を 持ちたいのか?とも思いましたが,わたし自身,日本の品質が世界での ポジションをしっかり確保して,これからの日本を支えて欲しいと 思ってます。ただし気になる事があるので。
というのは,今日本には品質を支える職人がいる…ただし高齢者…, みたいな話を良く聞くのですが,一つはその後進が育っているか? ということ。そしてもう一つ,その職人が育ったのは,結局 高度経済成長時に大量生産をしていた時代があったから,では 無いか?という気がします。
これから品質を維持するために職人を育てようとすると,今の職人が している仕事を教えるのではなく,本当はその職人の若い頃の様に, 質よりも量の仕事をある程度こなさないといけないのでは?ということ。 ですから,品質勝負だけの仕事だけをやっていても,品質を 維持する職人を育てることは出来るんだろうか?質の仕事も量の仕事も 両方やら無いといけないのでは?と危惧します。
ちょっと話がそれますが,日本のアニメが海外の実写映画の原作になるという ニュースを知り,このアニメは昔からある一般向けのアニメというより, 深夜にやってるマニア向けのアニメですが,こういうアニメも実写化 されるようになってきたんだと思いました。案外いま,日本で大量生産され 将来の蓄積になっていくのは,工業製品というよりこういう分野の方なのかも 知れないなぁとか思いました。今のアニメとかマンガは作品数が多く, 玉石混合だと思いますが,質の高いものを作るにはこういう状態が 必要で,だからこそ質の高いものが産まれる…というか,そんなことを 思います。

1/15(休日)
今日は15日で昔だったら成人の日だけど,月曜が成人の日だったので 今日は土曜だけど,そうでは無い。とはいっても,わたしも 特に出かけることも無く近所をうろついたくらい。

1/14(低空飛行のイメージ)
社会からの離脱は本当に“家の恥”なのか」を読んで 思ったこと。
戦後の経済成長からバブル崩壊まで「モーレツ」とか「24時間働けますか?」 とか,寝る間も惜しんでハイテンションで働くことが美学…と言われた時代が ありました。それがバブルで崩壊した後,その時若かった人達の間に, もうそういう生き方を辞めてユルイ生き方に憧れる…という時代が あった気がします。わたし自身もかって,そういう生き方に興味をもって 見てました。「エコ」とか「ロハス」とか「地球に優しい」という言葉は 環境に対する言葉のようですが,それを好んで使う人には,自分達の生き方を ユルクしたいという想いがあったと思います。バブル崩壊後に生き方として 注目された「フリーター」もそういう想いから試行されたものだったので しょうが,10年以上経ちわかったのは,フリーターな生き方は,貧困になる 可能性の方が高い…ということでした。
その時から思うのは結局のところ日本ではユルクいきる生き方のモデルが 存在しないということです。ユルクというのは,程ほどに働き,程ほどに休み, 質素だけど,とりあえず食べられて,多くを望まなければ,幸せに暮せる …様な…,そういう生き方。いわば低空飛行な生き方です。いつのまにか, 「人並み」に結婚して子供を育てようとすると,一流企業に入らないと無理 …と思う学生がそれなりにいるようです。その「人並み」には外では 携帯電話でパケットをバンバンとばし,カフェでお茶をし,一食1000円の 昼食(ラーメン)を食べ,家ではゲーム機や大型TVをもっている…って事が 必要なのかも知れません。あと海外旅行とか?…。
日本はかって一億総中流と言われましたが,それはみんなが中流だったと いうよりも,モデルを一つしかもたなかったと言うことかも知れません。 かってはお父さんが働き,お母さんが専業主婦をし,子供は小学校,中学校, 高校と行き,高校から上は働いたり,大学進学したり,大学を出たら企業で 働き,結婚し,男は働き,女性は家庭に入り,子供は二人程度…というモデル。 昔は親が離婚していたり,中学出で働く子供とか,また母親が子供を預けて 働くのを,とやかく言う人がいたのは,つまりそれは「普通」から少し外れて いると見なしていたからでしょう。
色々時代が変わり,こういうモデルから当てはまらない人が増えてきました。 女性が出産しても働くなんていうのは,もう普通です。離婚もそんなに珍しい ことじゃありません。大学を出ても企業に就職できるとは限らない状況です。 ですが,やっぱりまだイメージされる「普通」のバリエーションが 狭い気がします。全日で働いていないと,パートやアルバイト…という風に, 言われる…し会社もそういう風に扱います。海外では季節労働者や, 一日数時間働くだけという社会もあるのに,日本でそういう働き方を長期で やってもなかなか食べていけません。
最初のリンクで社会から離脱してしまう人は,つまりは一日10時間以上 働いたり,通勤ラッシュにもまれたり,上司やお客様に気を使ったり, そういうことをしないと生きていけない社会に適応できなかったからで, もしかしたら,一日4時間くらい作業して,誰とも話さずに終り, 後は帰って寝るだけ…という社会なら適応できるのかも知れません。 でも日本にはそういう社会は引き籠もり路上生活者以外に,どういう仕事に つけばそうできるのかイメージしにくい様に思います。
日本は昔から「普通」から外れた人に冷たくて,程ほどに生きていくことが 難しい様に思います。でも人間というのはいろんな人がいて,モーレツに 働ける人,そこで活き活きする人もいれば,そうじゃ無い人もたくさんいます。 なぜそうじゃない人の普通の場が無いのだろう…,もしそういう人達も 幾分生産的な場があれば,むしろ生活保護者の増大なども防げるのでは?と 思うのに…等と思います。
そういえばネットで,『「ものが安くなる」ことと、 「安いものしか選べなくなる」こととは、厳密に区別しないと怖い。』と いうのを見かけましたけど,少しこれも通じるものがあるな…と思いました。

1/13(批判する人にはベストが見えてるんだろうか?)
タイガーマスクこと伊達直人が全国を回って寄付をしている件は, マスコミも楽しそうに報道してますが,わたし自身,寄付をすることは いいことと思ってるので,一過性な話かもしれませんが,いいとは思います。 これでなにか日本的な寄付の文化が根付くといいのですが。
世間を騒がせているだけあって,ネットをみていてもいろいろ論調があり, わたしも冗談で,タイガーマスクのアニメかを目論むため,とか書いたり, パチンコメーカの陰謀…とか聞いたりとか,ありますが, まぁ冗談の範囲です。
あと,なぜ「匿名なの?」という疑問を書く人もいますが,これだけ いろんな人が伊達直人を名乗っていれば,様々でしょう。美学な人もいれば, はずかしいとか,ヤバイ金とか,ノリとか…。
それくらいならいいのですが,結構批判してる人もいて,へー,という 感じです。ただ批判する人は,いろいろ理由をつけてますが,多分批判する 気持ちが先にあって,それを正当化するために理論展開してる人が 多くないですか?…という気はします。なぜ先に批判する気持ちがわくのかを 自己分析すると面白いんじゃないかな?…と思います。周りが誉めるから, 天の邪鬼的におもしろくないという人もいれば,寄付を悪ふざけでやるのが 気に入らないという人もいれば,自分が出来ないからおもしろくない…とか, 人に哀れみをかけるかけられるというのがイヤという人もいるかも 知れません。
で,こういうネットでの論調をみていて思ったのが,答えを求めようと するけど,どうして答えがあると思うんだろう?…ということ。寄付に ついて文句をいう人は,誰にも文句をいわれずに誰かを助ける自信がある…と 自分は思ってるのでしょうか?。誰もが賛同する様なやり方があると いうのでしょうか?。またこれだけいろんな人が寄付をすれば 理由は様々なのに,一つの理由で説明できると思ってるのでしょうか? ということです。
物事には誰もが賛同する答えがある…ということの方がわたしは不自然に 思います。これは今回の話に限らず,社会福祉とか行政とかもそうで, なにか問題が発生すると批判する人がいて,それをメディアや野党が 取り上げますが,でも,それを止めると今度は別の人が文句をいうので あたふたする…っていうのを旧野党の人達がやっていたりします:-p。
話がそれましたが,そもそも批判というのは,あまり真に受けるのではなく, むしろ効果の方が本当にあるのか?…の方を考察・議論べきなのでは ないでしょうか?。寄付に関しては,困っている人が助かりありがたく 思うかどうか,それが第一。伊達直人の行動に寄付先の人は 感謝の弁を挙げているようですから,まぁ良かったのでは?…と思います。

1/12(マスメディアは速度より質重視に変わるべき)
TVでニュースを観てると「○○が問題です」「××が問題です」「事件です」 「大変な時代です」と毎日言っています。世の中問題だらけです。 大変な世の中です。一方他の人のことはわかりませんが,わたしはなんとか 普通に生きてます。将来の不安という不確かなものがないとは言いませんが, 今この瞬間だけを見れば,お腹も減ってないし,命の危険も無いし, そこそこ楽しい生活です。
きっとTVの中のセカイと,わたしが今ここにいるセカイは違うセカイ なんでしょう。ってことはTVのセカイは自分とはあまり関係ない話 なんでしょうね。もしくは,TVで「問題だ」と言ってることは実は 問題じゃない…つまりTVは狼少年みたいなものなんでしょうか。 そうだとすると,そのうち本当の狼がやってくるのかも知れませんが, TVからのお知らせではわからないということになります;-p。
というわけで,TVのいう「問題」になんとなく疲れてきた今日この頃, 一方ネットでは良くマスメディア批判を見かけます。まぁ自分のページも そうか…。
ラジオの今後の在り方とか新聞の在り方とか,ちょっと連日出ていたので, 思ったこと。個人的にはラジオは好きだし,新聞も多分必要だと思います。 TVもそうです。というかラジオもTVも全く無くなると寂しいです。 ただどちらも今ほどチャネル数が必要なのかな?…という気はしてます。 TVもラジオもNHK以外は広告収入で運用されてるんでしょうけど, 広告メディアがネットとか多様化している以上,今のTVやラジオの規模が 維持できないのは当たり前だし,それに視聴者も減ってるんだから, 普通に考えれば統廃合されるものじゃないか?…という気がします。 ですが,TVは特にどんどんチャネルが増えたのはどうしてなんでしょう?…と いう気がします。
ラジオもTVも新聞も載ってるのはプロが作ったコンテンツですから, 品質が高いものが多いのは認めます。そのまま綴じたら本になったり ビデオになるものも結構あるでしょう。でも一方で,速報性とか,衝撃度とか, 盛り上がりとか,そういうのは,もうネットにはかなわないじゃ ないでしょうか?。当事者が直接配信したり,目撃者が直接ネットに アップする時代ですから,速報性をマスメディアが独占するのは無理です。 もちろんお金を使って特ダネを買うことはできるでしょうが,ネットに コンテンツをアップする人は今のところお金より注目の方が欲しいのだろう… という気がしてます。
でもある事象に対して,有識者を集めて,きちんとした解説を付けたり, 是非を議論させたり,そういうことは,マスメディアの方がうまい気がします。 もちろんネットにも有識者の議論等は多く載ってますが,何せネットは 玉石混合です。信憑性やSN比は今一つです。また娯楽コンテンツもネットの ものは品質が低いと思います。
というわけで,わたしはマスメディアはこれからは,品質勝負をすべきじゃ ないか?という気がしてます。逆に速効性や,最初にあるような不用意に 不安を扇るような扇動的な記事は止めた方がいいんじゃないか?…と 思ってます。まぁそれにしても今のチャネル数がもつのか?という気は しますが。
例えば民放は広告収入無いと経営できませんが,深夜アニメのように, 最初からパッケージ販売を目的としたコンテンツをつくり,その広告として 放送をし,出来が良ければDVDが売れる…みたいにすれば (まぁこれもそんなにうまくは言ってるともいえないのでしょうけど), 放送コンテンツは全て長期の視聴に耐える,新聞だって連載記事を本に するつもりでつくれば,それも読み返すに耐える…コンテンツではないと いけないということになります。今ブログで毎日書いている文やマンガを まとめて本にする人が多いですが,新聞やTVだともっと品質が高いものを 作れるでしょう。
わたしはそういう意味で,マスメディアの役割をそろそろ変えて行った方が いいのでは?と思ってます。そういう意味では期待してるんですけどね。

1/11(ジャパン・シンドローム)
NHKのニュース9が昨日から「ジャパン・シンドローム」という特集を やっているみたいです。今の日本の状況である,デフレ,少子化,高齢者増大, 雇用状況の悪化,人口減少,みたいなのが負のスパイラルになっている。 この様な状態はこれまでどの国も経験してない未知の領域で, 海外からも日本がどこへ向かうのか注目されている…って事のようです。
なんか新しい造語を作ったようですが,これが流行るのか,生暖かく 見守りたいと思います:-p。
ちょっと思ったことを。多分日本に限らずどの国でも問題を抱えてない国は ないと思いますが,わたしが子供の頃はインフレとか公害でした。 インフレは終わったけど,公害はともかく,環境破壊は現在進行中。 人口増加が昔は問題だったけど,今は少子化。人口減ったら嬉しいのかと 思っていたら,いつのまにか逆になっていたし,インフレが済んだら 嬉しいのかと思ったら,これも逆になってデフレが問題となっていました。 あまり今言われてる良し悪しは当てにならんなぁというのが わたしの印象です。なぜならメディアは今起きている問題が終わった後の 検証を何一つやらないからです。
昨日のTVでは,地方都市の中心地に近いところにも空家が増えてるみたいな 事を言ってましたが,じゃぁ,その空家を若い人が買える位の値段に なってるのでしょうか?。わたしの印象だと,地方としでも中心地に 近いところに,若い人がポンと家を買えるほどの値段にはまだ地価は 落ちてないのではないでしょうか?。このバランスはなんとか ならないのでしょうか?。とりあえず,自分に関係ありそうなことを 書いておきます(笑)。地方の郊外は多分二束三文で買えるんでしょうが, それって結局住むところが広範囲に分散してしまい,ますます 効率が悪い地方集落が出来るだけのの様な気がします。
あとおまけですが, 少子化も晩婚も神の見えざる手じゃないか? と昔書いたのを思い出しました。現状の方向でうまく安定した社会を 作れれば,興味深いけど,まぁそれが人によって住みやすい社会かどうかは… また別の話かなとも思います。。

1/10(成人式の日,大人になった)
今日は成人式らしいのですが,ちまたの成人式には特に興味がないので 自分の成人の日の思い出話を。
わたしは成人の日成人式に出ませんでした。この年わたしは大学生になり 実家を出て,隣の県の大学の寮にいましたが,実は住民票は移してません でした。従って成人式に出るためには,実家に帰って,出る必要がありました。 もっとも住民票を移しても,大学に入って一年目の冬だし,そこに 誰か知り合いがいるという感じでもなかったように思います。
わたしが成人した頃は,まだ昨今の様に成人式が荒れる…というような 話は無く,当事者達にとっても成人式というのは,市が主催する 地味な会…という印象でした。そういうのあるのでしょうが,なにか わざわざ実家に帰ってまで出るのも面倒という思いもあったように 思います。ですが,わたしが成人式に出なかった一番の理由は,おそらく, そういう通過儀礼的なことをするとか,普通はするようなことをするとか, そういうことに対して,何かかっこ悪い…というような,天邪鬼の様な 感情だったような気がします。この頃の私は多分反抗期のほぼ終了期に 近い頃で,まだこういう意味の無い反発心が残ってました。
反発心というと,高校の頃はまだ大人や親がやれということに対して 無意味にやらないという行動を良くとってました。成人式以外にも 確か受験生のとき,わざわざ親が受験の祈願に神社に連れて行ったときに, 「神頼みとか,おかしい」とか屁理屈をつけて,車から降りなかった ことも覚えてますが,とにかく,この時期はこういう感じでした。
成人式は親に勧められたのか,周りに進められたのか覚えてませんが, 結果的に何か意地になって出ませんでした。よく覚えてますが,当日は 休日ですから,大学の寮に一人残っていました。住民票を移している 同級生は近所の成人式に出かけてたり,実家に帰って出ていたりした 人もいたようです。後で聞いたら,実家の方の成人式もちょっとした 同窓会みたいな感じで楽しかった…とかいうような話も聞きました。
というわけで,わたしの成人の日は一人大学の寮で,ぶらぶらして 終わりました。それで気にしないのなら別にいいのですが,なんとなく わたしはその時,寂しい気分になったのです。そして寂しい気分である 自分を見て,成人式に出ないというのは,本心というよりはつまらない 意地や見栄で,そんなことで誰も感心しないのに,自分だけが損をしたという むしろそっちの情け無い気分が沸いてきました。
わたしはその時以来,意地で自分の本心と違うことをすることは, 何の得にもならない…と悟りました。こういう儀式的なものもそうですが, 行為をもっている人に辛く当たるツンデレもそうです(笑)。天邪鬼は ろくなことが無い…とそのときから思って,そういうことはしないように 生きるようにしました。あとついでに,伝統がある通過儀礼は, それなりに意味があるし,やって楽しい場合がある,人と一緒のことを するのは,別にみっともないことではない…と思うようになりました。
そして今に至ってます。そういう意味でわたしにとって二十歳の成人の日は, 天邪鬼をやめたという意味で大人になった日でした。

1/9(就職氷河期で減る仕事感の多様性)
匿名日記の「 就活に失敗して思うこと」を読んで思ったこと。 もうずいぶん長い間就職氷河期といわれていていますが, ここ数年のこういう就職に対する姿勢やはたまたこの日記でも リンクされてる,ノウハウみたいな話がやたらネットで見かけます。
そういうのを見ていてずっと何か違和感を感じていました。一つ一つの ノウハウや心構えに対する突っ込みみたいのも感じるんですが, そもそもそういうネットで共有される情報を妄信すること自体の 違和感みたいのもありました。でも,今日思ったのは,もう少し 根本的な話で,こういう一般論的にノウハウが語られるのは, やっぱり就職の価値観に多様性が無くなっているって事なんだなぁと いうこと。
先日NHKで就活だか就職氷河期だか…そんな話の討論会をやってましたが, そこに出ていた学生もほとんどが大企業に就職したい…という感じでした。 一部上場みたいな企業に就職するのが一番みたいな考え方が,今の 学生にはあって,そういう一次元な軸で就職先を評価するから,結局, 就職のノウハウも一般化されてしまう。みんなが同じ軸で競えば, そりゃ大学受験じゃないけど,有能な順に希望がかなうってことに なってしまいます。
でも仕事が自分にとって良いか…っていうのはみんなに共通の軸で 評価できるはずが無いですよね。最初にリンクした日記も結局一流企業に 入ったけど失敗で,そこからしばらく苦労した,みたいな展開でした。
わたしはわたし自身が,大企業で働いていて,多分上記の価値観を持つ 学生からみれば,それこそ勝ち組なんでしょうが,自分自身はそういう 理由で就職先を選んだわけではありません。まぁ今みたいに会社が どんどんつぶれる時代は,つぶれそうも無い企業が人気で,そこに いるから,そういう心配をする人の気持ちは分からない…といわれれば 反論は出来ないのですが,自分は自分のやりたい仕事をやれる会社に 入ったら,そこが大企業だったというだけです。
わたしはバブル時代に就職しましたが,当時の同級生はみんな会社の 安定性や大きさで会社は選んでませんでした。結果的に苦労した人 しなかった人いろいろいますが,別に大きい会社に入った人が苦労した とは限りません。大きい会社に入ってもうだつが上がらない人もいれば, 小さい会社に入って会社はつぶれて転々としていても,何とか食べられたり, いい経験をしてステップアップしてる人もいます。
一つだけいえるのは,我々が仕事をするのは例えば30年くらいですが, その間に情勢が変わらないことなどあり得ないということです。どんなに 安定してる会社に入っても30年なにも変わらないって事はあり得ません。 だから今のみんなが信じている一つの物差しに乗っかって,わざわざきつい 競争をするよりも,自分にあった仕事を見つけるための物差しをしっかり 作ってそれで考えたほうがいいんじゃないかなぁと思います。
一つ余談。
先日の高校の同窓会で何人か大きい企業でそれなりに成功してる人が いたのですが,それが別にいわゆるいい大学に行ったわけでも無い人で, なんかバブルの時代って,大量採用があった代わりに,そこでダメに なった人もいたけど,大学がたいしたことも無い割りに成功した人も多い。 で,そういう人は,それこそ東大とかじゃない分,結構個性的な人と なっていい感じなんだよなぁ…ってこと。
就職の物差しが一次元となってると,大企業側も,有名大学の学生が 大量に集まるから,そういうところからとる傾向が高まるんだけど, それはそれで面白みの無い新人が増えてる気がします。なにか今の 就職氷河期って,買い手市場というけど,あまり買い手側にも幸福な 状態になって無いような機がします。

1/8(正月終了)
今日は妻と息子が戻ってきた。というか正月休みをわたしだけ一足 早く帰ってきていたのが,今日で終わり。というわけで羽田まで迎えに 行った。今回は三日早く帰ってきてただけで,実質年明け一人で過ごしたのは 二日だったのだけど,息子がわたしの顔を忘れてないか心配だった(苦笑)。
泣かれはしなかったけど,疲れてるのか,わりと無表情。うーむ。 まぁそういうことで,わたしにとっての正月はどうやらこれで終わりと いう感じ。七草粥は食べてはいませんが。

1/7(Twitterはメディアの味方か敵か)
いきなり関係ない話です。わが家には昨年の春くらいからプラズマTVが あるのですが,ハイビジョン放送を大画面で観ると,確かにこれまで14型の アナログをみていたのとは違う「映画を観てる」感があるなぁとか 思いました。あまりTVで映画をみて感想を書くことはなかったのだけど, これはこれで書くかも。
というわけで,メディアが変われば,生活も変わるなぁ…と。
さて,小田嶋隆氏が,なぜマスコミ大桃美代子に怒ったのか?を 書いていて,ちょっと面白かった。当事者がTwitterで暴露するのは, 芸能レポータの仕事が完全に不要になってしまうとか,ネタを選択する特権を 奪われるとか,そういう事でした。確かに死活問題といえば死活問題ですね。 関係ないけど,最後のモテる男は叩かれない…も笑ったけど, それは本当かなぁ…という印象;-p。
で,実はわたしはこの記事を読む直前に日経トレンディのpodcastで 公式Twitterの話で盛り上がってるのを聴いていました。それを聴いて いるときは,これまでインターネットやブログは,こういうメディアからは 敵視されていたけど,日経トレンディという一応雑誌媒体が,Twitterを 堂々とやってるわけだから,Twitterはメディアにツールとして使われる様に なったという意味では,ネット文化のちょっとした転換点だよな…と 思っていました。なので,ちょっと上の小田嶋氏の文を読んだときとは 全く逆の印象をもったのでした。
Twitterについてちょっと前にわたしが書いたのは,140文字という 制限は文がうまい人と下手な人に,あまり書く文の差を感じさせず, それゆえに,文章力に自信が無い人でも気軽に書けるという利点がある…と いうことです。ただ一方でTwitterが今急激に一般化してるのは,誰でも 書けるということより,有名人が書いていたり,企業が公式な場として 利用することにより,そこに有効な情報が集まってきてる…ってこと, そしてうまく行けばその有名人と繋がりがもてる…って事が大きな 一因だと思います。
ブログや掲示板と違いTwitterが企業や有名人が使うようになったのは, 文字制限というよりは,基本的に「自分のところ」にしか書けないので, 炎上する事が起きにくい,それでいて,コメントの相互のつながりは ある程度みんなに見える…ということなのでしょう。Twitterのつながりは ブログでいうトラックバックに近いのでしょうけど,実際にブログの トラックバックはあまり機能してなくほとんどはコメントで コミュニケーションを行うため,オーナーのブログが炎上するという リスクが高いと思います。
炎上の恐れがなく,自由に意見を発信でき,それでいて,自分に対する コメントも拾うことができる…というメディアがTwitterであり,それ故か, 今多くの企業が公式Twitterを設ける方向に行ってます。公式Twitterは 企業の広報等が運用することも多いようですが,これまで社内決裁をとり 公式文章しか発出してなかった,企業の広報も,これから在り方が変わり, 必要な人材も変わっていくのだろうな…と思います。
わたしはTwitterは個人のコミュニケーションツールというよりは, こういう準片方向メディアとして拡がっていくんじゃないかな?という気が します。ただ,現状は公式Twitterが企業や有名人にとって話題づくりとして 役に立ってますが,物珍しさがなくなったときにどうなるか?,さらに 違ったものが始まったときにどうなるかはわかりません。しばらくは こういう方向なのでしょうね。そうなったときに,やっぱりマスメディアは どうなるのかな?という気はします。

1/6(若い世代にお金を移す方法)
というわけで昨日の続き。年金とか世代の わたしの考え方。多分賛成する人は少ないというか,わたしもこれで いいかは良くわからないけど,極論の一つ…ってことで。
本論の前に,年金と医療の話を簡単に書くと,年金受給額が多いとか 言いますが,年寄りは再チャレンジが殆んど出来ないので, 物価にあわせて下げるのはいいけど,慎重にせざるを得ないとは思います。 一方で,年寄りの医療を若者以上に厚くする必要もないと思ってます。 額の点ではなく,どこまで助けるか?という意味で。特に平均寿命とか 85とか以上だと,いつ死んでもだれも(医者も家族も)悪くないと思います。
弱い年寄りを守るのも当たり前ならば,歳をとって死ぬのも当たり前だと わたしは思ってます。
で,本論。年金とか貯蓄で,若い人より年寄りがお金をもってるのは おかしいという人がいますが,確かにそういう部分はありますが,一方で そのおかげで年寄りの親をもつ若い人は親に仕送をしたり,呼び寄せて 面倒を観ずに済んでいる人は多いのでは?と思いますが,その事については ほとんど語られません。例えば親を扶養家族にした子供には老人用の 扶養手当を支給し,その老人の年金支給を止めるという手もあるでしょう。 年金支給は扶養者がいない老人に限るとかいう手もあります。 扶養者になりたがらないのを防ぐため,その場合の支給額は扶養の場合より 減らすことになるんでしょうか。
子供が親の面倒をみるという風にすると,子育てが自分の老後に繋がるから 教育を頑張るし,働く子供を支援することで,自分自身も再チャレンジ 出来るといえば出来ます。
親が子供に面倒をかけたくないとか,子供から金をもらいたくないという人も いるでしょうが,昔はみんなそうでした。昔は国が年金なんて面倒を 見なかったので,子が親の面倒を見たり,未成年の面倒を見るのは 当たり前です。ダメなら一家総出で働いていました。自営の人は今でも そういう人もいるでしょう。年金を子供に渡して,子供が面倒を見て くれなかったら,それは自分でそういう子供を育てた責任となります。
ただし,家族だけが面倒を見るとなると,子供が出来ない人とかは 老後のたれ死ぬしかなくなります。そういう部分を保証する社会保障は 必要でしょう。
大体こんな感じです。多分これは近代以前の家族モデルに戻りかねないので, 賛成しない人が多いでしょうし,実際ヨーロッパとかの福祉国家への流れには 反するのだと思います。詳しくはわかりませんが。
今,年寄が年金もらいすぎとかいいますが,それをうのみにして, その資産を放出させると,下手をすると,若い人の収入が増えないまま, 年寄りの資産も減るっていう事を,今の政府はやりかねないので, そうじゃなくて,若い人に親の面倒を観させる代わりに若い人の収入を 増やすという形で,年寄から若い人に資産移動をもっと したほうがいい様に思います。

1/5(年金の問題はマクロに観ないとなんともいえない)
年金受給が物価変動とかの関係で受給者には増税の影響が無かった とかとか話題になってました。なんか今更感がわたし的にはあります。 よく年金が損とかいいますが,わたしは以前から現行制度の年金なら 払っておいた方がよいと言ってるのは,まさに年金は物価変動で支給率が 変わるから,インフレに強いよと言うことです。金融資産は インフレになればどんどん値下がりしますが,年金は*多分*国が 調整してくれます。もちろん金融資産も利子とかで調整がされる はずですが,保険として,年金をもっておくのは悪くないと 思います。
もちろん,それは現行の年金制度が維持できればという話で, このままでは維持できなくなるよ,とも一方で言われていて,そうなると 確かに今のお年寄りは良くて,払っている我々はどうなるか わかりません。維持するために消費税増税と言っていますが,それも 議論としては進んでません。それから全般的に日本の社会保障と 経済が年寄に得で,若い人に厳しいとか,まぁそういう空気がある わけです。
いろいろ言われてますが,その時に語られる根拠が,貯蓄だったり, 年金だったり,医療保険だったり,個々の数字ばかりですが,こういうの って全体のお金の流れを全部書いてみないとなんともいえないのでは?と 思います。実際年金はわたしの親には得なんでしょうが,おかげで わたしは親に仕送りをせずに済んでいたり,一緒に住む必要が 無かったりもするわけです。
もちろん親がいない人は仕送りも面倒を観る必要もないでしょうが, どういう層を主たるそうとして設計し,それ以外をどう個別の 保証でみるか?ってことでは無いでしょうか?。
年金制度は親子の経済依存を切る代わりに,それぞれが自由に住むところを 選択できるようにし,労働力の流動性を上げるための国の政策だったと 思いますが,それで自由を得たと思ってる人もたくさんいるでしょう。
年金制度は日本旧来の親子のあり方を変えてしまったわけですから, 今後制度を変革するとしたら,再び親子や家庭のあり方が変わるのだと 思います。どういう形がいいのでしょう?。この話,後日続きを書きます。

1/4(同窓会)
確か5,6年ほど前だったと思うのですが,高校の(学年)同窓会が 再度盛り上がり,年に一度くらい集まって飲み会をやってます。それ以前は, 卒業後の4,5年後と更にその後の4,5年後にやりという感じでした。 5,6年前から毎年するようになったのは,学校全体の同窓会の幹事を この年齢のときにするという恒例になっていて,そのために,スタッフと して集められてからですが,それからなんだかんだ盛り上がって, 結構続いてます。まぁその前は毎年じゃない分,出席者も多かったのが, 毎年になると少なめになってます。まぁそれはそれで良いかと。
わたしは去年は子供が産まれた日と重なったため出席せず,その前は 病気明けでだったこともあり,毎年出るという感じでもなく,今年は 出れそうだったので出ました。同窓会に出てくるような人だからと いうのもあるのでしょうが,皆40以上になり,結構大人の付き合いが 出来るようになってます。でも会社の飲み会や,大学の同窓会とは やっぱり違っていて面白いなぁと思うことも多いです。
会社は同じ職種だし,大学も専門性が高いところだったので,皆 似たような人生を歩んでいるのですが,高校だと企業で働いている人も いれば,役人,自営業,そして政治家やマスコミ関係者までいたりして 様々です。しかも年齢的に結構責任がある立場になってる人もいます。
あと,出てくるような女性は結構活発。よく喋るし,本当に楽しんでいる。 会社で若い女性が飲み会に出てくると,断れなくて出てくる様な感じが 多いけど,この年齢になるとむしろ女性の方が積極的で,飲み会の幹事も そういえば女性でした。あと,バツイチが結構多かったり,で,同窓会で 再婚していたりして,ちょっと凄いなぁ…と感じたりもします。わたしは どちらかとすると初婚の新婚ですが,まぁ世間的にはもう二巡目なんだ よなぁ…とか(苦笑)。歳を取って同窓生って言うのは火がつきやすいで しょうか。
わたしは東京暮らしだし,田舎は九州…ってこともあるのか,なにか 飲み会の流儀も違うなぁと。今回は二次会はカラオケボックスでしたが, ちょっと前はスナックとかに連れて行かれたりして,東京でスナックとか 15年くらい前に行ったきりだよ…とか思ったり。
まぁそんなこんなでいろいろ勉強になる同窓会です。地方に住むと, こうなるのかなぁと思ったり。

1/3(モータリゼーション)
一昨日のネタですが,再度詳しく。
わたしと嫁の実家は県でいうと隣同士なこともあり,盆や正月に 帰省すると両方よります。特にわたしの実家は,郊外で,車が 無いと,若干不便ということもあり,帰省をするとレンタカーを 借りるパターンを最近はやっております。
今回の帰省は31日にレンタカーを借り,嫁の実家から息子と嫁と 三人で高速を使って帰り,正月はその車を使って初詣を市内数箇所 周り,そして二日に再び嫁の実家に帰る予定でした。ですが, 31日の天候が怪しいということで,31日の朝レンタカー屋に電話し キャンセル,JRの切符を買い,わたしの実家の方では,駅からも タクシー,元旦の初詣もタクシー,嫁さんとわたしが再び 帰るときも駅までタクシーでした。
結論としては結構良かったです。レンタカーは当日の朝キャンセルしたので, キャンセル料を取られても仕方ない…と思っていたのですが,結局不要。 まぁ最近のレンタカーは当日とかでも借りれるので,キャンセルしても 何とかなるのだろうけど,ただ今回は天候不順だから,余った車を 有効利用できたんだろうか?と思うとレンタカーも結構大変な仕事だなぁ と思いました。で,レンタカーは3日分だと2万以上する予定でしたが, JRの二人分往復とタクシー計7回乗りましたが,すべての料金を足しても 2万以下,レンタカーでも高速代やガソリン代を足すと2万以上かかるので, 結果的に安く上がりました。
加えてタクシーだと駐車場待ちとか無いので移動も早く,初詣は効率よく 終わりました。ただタクシーがわたしの田舎だと5キロとか乗っても, 2000円いか無いので,多分東京だと,こうは行かないとは思います。
余談ですが,わたしの実家は結構市の中心部から外れているんですが, 中心部までタクシーだと多分6,7キロくらいかなぁ。そう思うと, 市自体が東京なんかより狭いってことなんでしょうか。
わたしは東京の住まいでは車を持っておらず,たまにレンタカーを借ります。 タクシーは,たまに使いますが,あまり使いません。駐車場を借りて 車を買って,車検とか保険とかを考えると,レンタカーやタクシーに, 月3万以上かけても安いと思ってましたが,タクシーだけで充分お得 だなぁ,とおもいました。もっとも実際に田舎に住めば,車は 維持費も安いし,ちょっと買い物するにも必須とはなるでしょうが。

1/2(同窓会)
妻に気を使っていただき,高校の同窓会に行っていいことになったので, 行ってきました。
そんなに大人数集まったわけでは無いのですが,会いたい人に 会えたりして,それなりに有意義な一次会でした。政治家とか いたりして,なんか自分達もそういう歳なんだなぁ。
二次会はカラオケに行ったのですが,ちょっとしんどくなり, 途中で帰り,その後は,ちょっと知り合いが働いている 店に一時間ほど寄って帰ってきました。久しぶりにだいぶ飲みました。

1/1(元旦)
新年おめでとうございます。今年もよろしくお願いいたします。
今日は神社を三箇所ばかり回ってきました。移動は全部タクシー。 贅沢といえば贅沢なんですが,元々はレンタカーを借りようと 思っていたのを,昨日の雪の天気予報を観て,辞めて,実家への 移動は電車とタクシー。今日もタクシーでした。明日も多分 タクシーを使いますが,多分レンタカー代を越えないのではないか?と いう気がしてます。これはこれで賢いお金の使い方なんだろうなぁ。


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