だらだら書いた日記です。
日記中のURLはメンテしないので,切れてる場合もあります。
あしからず。
- 11/30(Web2.0端末とiPodの話)
- ITがらみでおもしろかった記事二つ。
michikaifuさんがWeb2.0がキャズムを超えるかもしれない, と書いてる件,興味深く読みました。なるほど,言われてみれば, これまでは通信とマスメディアは明確にわかれており,でも今はその中間層が 存在していると。そこはWeb2.0みたいな世界で,これが通信とメディアの溝を 越えるきっかけになるかも知れない…というのはそうかも知れません。
であれば思ったのは,この中間層専用の端末が必要なんじゃないか?と いうこと。両端の電話もTVも専用の端末があります。手紙・新聞は端末 じゃないけど,専用の媒体。これらが大衆に受け入れられているのは, 機能的な棲み分けがわかりやすいのもあるけど,端末がわかりやすいって いうのもあるのではないでしょうか?。「少数─少数」のサービスや一般の人に 受けいられるのは,わかりやすい端末が必要な気がするし,それは「何でも できる」PCではないと思います。それがスマートフォンとかタブレット端末 なのかも知れないけど,…どうですかね?。わたしには,まだわかりやすい 端末と呼べる状態になってるようには思いません。
…もう一つ。
- こっちは書評ですが,fujiponさんによる「グーグルで必要なことは、みんなソニーが 教えてくれた」について。書評だから本を読めよと言われそうですが, それは後日にして,とりあえずこの文で感じたこと。
わたしも音楽プレーヤはずっと興味を持って観てるので,その当時の日本の メーカの迷走な感じは,いろいろ感じてました。わたしはiPod以前に 関わっていたので,むしろiPodが出たときに,成功するとは思って ませんでした。ただ,やっぱり振り替ってみると,iPodが成功したのは, appleだったから…というのが大きく,日本のメーカがどう出ても,ああは ならなかっただろうな…という気がします。
実は別の記事を書こうと思っているのですが,iPodというのは最初の 機種から代替わりしていくなかで,徐々に仕様変更や機能追加をしてます。 それが綺麗に積み重なって今の形になってます。つまり一気に今の形が出来た わけでもない。少しずつTry & Errorしながら来た感じもします。 ただその残していった機能は,今の形に必要な機能ばかりだったりします。
それが見事だなぁと思うのですが,つまり進化のベクトルがぶれてない様に 見えるって事です。他社の人気製品を分析して勝てるものを出す …というのではなく,最初から目標があって地道に突き進んでいる …という気がします。
そういう意味では,ここで紹介されているグーグルの戦略もそうなんでしょう。 appleやグーグルが勝てるのは,アメリカの企業の性格でもあり,日本の 一メーカがそれをなすのは難しいな…とも思います。iPodが成功したのは, iPodが音楽プレーヤではなくiTunesを含めたインフラシステムの一部と したからでしょうが,それをソニーとはいえ,日本のメーカに構築できたか? というとやっぱり難しいとは思います。ソニーがiPodの弱点を挙げる 企画会議は虚しいですが,勝てない相手に一矢報いるためにあがいて いるようにも見えます。
まぁ,もっとも今後appleが今のまま勝ち続けるのかどうかはわかりません。 マイクロソフトだって,最近はめっきり話題に挙らなくなりましたし。 スマートフォンだって,いま竹の子のように出てきてます。ただappleが つくったiTunesというインフラは,他のスマートフォンに比べると強力な 骨格として,存在するだろうな…とは思います。スマートフォンとして 失敗しても,そっちはしばらくは一位の保てるのだろう…という気はします。
ただ最初の話に戻るとWeb2.0の端末としてiPhoneやiPadは適してるかも 知れないけど,iTunesはWeb2.0のサービスとはちょっと呼びづらい…。 その辺が,Web2.0の標準端末としてappleが支配力をもつのか?は 良くわかないなぁ…という印象だったりします。
- 11/29(すぐに答えが出ないこと)
- 「科学真理教――ホメオパシー問題で思ったこと」と いうのを読んで。要は科学だって普通の人は実証実験を出来るわけじゃないし, 論文を読もうにもどの論文がちゃんとした論文かわからないし, 科学的立場で知るのは一般人には無理。だから一般人にとっては科学なんて 権威のある人が信じている宗教みたいなもの,ってな感じのことを 言ってます。
基本的には,その考えには賛成です。ただちょっと読んでいて,あまりにも 消極的すぎないか?…という気がしました。自分が実証実験をするっていうのは さすがに,専門家の中でもみんながするのは無理ですが,文献を読むのも 無理みたいに書かれてしまうと,少しはTRYしてくださいよ…と言いたく なります。
時間がかかるから無理,と書いたり,論文誌の格がわからないから無理みたいな 感じですが,時間がかかるとダメなんでしょうか?。時間がかかるのを時間を かけて,ついでにいうとWebで検索するだけじゃなくて,本屋や図書館に 出かけたり,詳しい人に聞いたりして回るから,その人の知識に価値が つくんではないか?…と思います。あと論文誌の格は確かにわかりにくいけど, 専門家に聞いたり,引用関係とか調べていくうちにわかります。まぁこれは 大変ですけどね。
もちろん,全てのことにそんなに時間がかけられないから,専門家を 盲信する…っていうのもありでいいんですが,気になること,こだわることを, ある時期に一つとか二つとかもって,足を動かして調べることはとても 良いことだと思いますよ。
こういうのをみていて,最近誰かが,今の人はすぐに答えが見つからないと ダメ…って言っていたのを思い出しました。「ダメ」っていうのも,色々 あるんだろうけど,とにかくしつこく調べる…事をあまりしない。 無視したりとか,わからないと諦めたり…とかでしょうか?
ちょっと別のことですが,「がんの入門書ってあるのだろうか?」というのを 読んでいても,わからない…と書いているのですが,がんのように, 様々な種類があり,なおかつ状態によって治療法とかも様々な病気を, 一冊の本でわかろうというのにも無理があるんじゃないかな?という気が しました。
わたしの場合,自分ががんになってからがんの勉強を始めましたが, 多くの文献をあたってようやくイメージがつかめました。漠然としたまま 保持するのって辛いんですが,そういう状態を経ないと,腑に落ちない 物ってたくさんある気がします。今はWebでもWikipediaだけ調べて わかった気になったり,本も新書一冊で納得とかそういう人が多いのかも 知れませんが,とにかくすぐに答えを出したがる人が多いのは, そうかもしれません。でも答えを出さずに,紋々と疑問を忘れないまま もち続けること,それが重要です。
わからないまま考え続ける事自体が科学的…態度の一つだと言えない でしょうか?
- 11/28(夢を追うには生々しいことが必要)
- 匿名日記に 「アートで生きていくと決めた君のために。 」 という文があった。こう書くのもなんだけど,良い文だと 思う。
文はアートで食べていくには,「嫁」「大学院」「木っ端仕事」 「ともだち」「東京に住む」「バイト」「強い心」が 必要と書いている。文章は軽い文体で書かれているけど,書かれている 内容は多分あっていると思う。嫁とか友達とか書いているのも, 心の支えというよりは経済支援とか仕事を得るためとか,そういう 生々しい話。
要はアートで食べるというのは夢を追うとか,好きなことで食べると 言うことなんだけど,夢を追うには,かえってきれいごとではなくて, 生々しい計算が必要だということ。夢を追うんだから,他の部分は 妥協でもなんでもしろということでもある。
面白いなと思ったのは文は「アート」と書かれているけど,これ 研究とかで食べるとか言うのでもほとんど同じ。食べるために 仕事を選ぶじゃなくて,好きなことを仕事に選ぶ場合は,多かれ 少なかれこういう計算は必要なんだろうな…と思った。夢を追うには したたかさが必要なんだろう。
余談だけど,「吉祥寺」の名前が出てきて,笑った。吉祥寺って そういう街なんだ。
- 11/27(スマートフォンで家電はネットに繋がるか?)
- medtoolzさんの電線に意識が宿るを読みました。要はスマートフォンが 便利だ。これからネットに繋がるものは増えていくのでは?みたいな 期待が書かれてます。
わたしは職業柄,そういうことは望ましい…と思うのですが,一方で そう簡単にはいかないだろうな…とも思います。もちろんmedtoolzさんも 昔提唱された情報家電が全然拡がらなかった…ってことは書かれてますが。
medtoolzさんの様に情報へのリテラシが高く,新しいものにどんどん トライして,おもしろがる方は,多分これからこういうものが拡がって どんどん便利になるんだろうな…と思うんでしょう。でも多分世の中の 幾らか…もしかしたら半分以上の人はそうじゃないかも知れません。
わたしの様に,家電をネットに繋いで欲しい…と思ってる方から見ると, どうしてネットに繋いでくれないのだろう…と思うことの方がしばしばです。 最近のTVはLANの口がついているし,wi-fiだって使えるのもあるんだけど, それでも繋いでいる人は少ない…と聞きます。他の家電もLANが繋がるのに 繋げないというものは結構あるみたいです。プリンタや複合機ですら つながない人もいます。
原因はいろいろあるんでしょう。セキュリティに不安を感じるという人も いるようです。新しい操作法にトライしたくない…という人も 結構多いんじゃないかな?…とも思います。今,使えているから, 別にいいという感じで…。 従来出来ていたことがネットに繋ぐと便利になる…というのは, 今不便と思ってなかったら,やらないことの方が多い,いや,新しいものが 好きな人は慣れるまで我慢して使うのでしょうが。あと,ユーザが 本当にやったらありがいたいことを今までのネット家電が実現できてない のかもしれません。ネット側にコンテンツが無い…ということも あるでしょう。
有線LANや無線LANと違って,スマートフォンというのは最初からネットに 繋がってるから,設定の不便さは少しは低いかもしれません。 アプリを自分でダウンロードできるので,ユーザの要望が反映された 新しいバージョンがどんどん出るかもしれないし,それにあわせて コンテンツも増えていくかもしれません。そういう意味では,ようやく これからネット家電が始まるのか?…と思う一方で,本当にそんなに バラ色なんだろうか?…ということも思います。実際どっちなんだろうなぁ。
- 11/26(攻撃をしても大丈夫…と思われた?)
- 少し物騒な話を書く。
韓国の北朝鮮との砲撃の話で,誰かがつぶやきで,韓国が攻撃されても 結局米軍は反撃や防衛をしてくれなかった。だから日本もアメリカが 守ってくれると思うのは間違いかも知れない…と書いていた。 なるほどなぁ…と思う。
戦争を望んでいるわけではないのだけど,ちょっと意外に思ったのは, わたしは北朝鮮がもし米軍基地とか,韓国とか,日本に攻撃をしてきて, 被害が出たら,すぐにそのいずれかの軍の飛行機がスクランブルで飛んで, 北朝鮮のその軍事施設を空爆して壊滅させちゃうんじゃないか?…と 思ってました。もちろん弾道弾のような内陸から撃ってきた場合の 基地攻撃は難しいだろうけど,今回は対岸なんだし,北朝鮮に 迎え撃つだけの十分な空軍がある…とも思わなかったりするんだけど, どうなんだろう?。
攻撃しない国の国土に勝手に入って攻撃するのは問題ありなんだけど 先制攻撃は向うだから,対岸から砲撃し返すだけじゃなくて,圧倒的な力の 差を見せ付けて,相手が二度と攻撃してくる気が無いようにするん じゃないか…と。
でも実際はそんなこと起きなかった。なぜだろう?。米軍は韓国から要請が ないと反撃しないのかもしれない。米軍の基地に撃ち込んできたら 反撃したのだろうけど,今回はそうじゃなかったし。韓国は大臣が更迭された けど,単純にその辺も含めて対応が悪かった…って事なんだろうか?。
再度書くけど,別にそれでドンパチが起きたらいいという事で 書いているわけではない。同じようなことが日本でも起きる可能性があるから, その時はどうするの?ってこと。日本の場合対岸じゃないから,弾道弾とかに なってしまうだろうから,弾道弾を飛ばしてきた軍事施設を潰す…のは 難しいかも知れないけど,でも,向うから撃ち込んできたときに, どうするの?逃げるとか撃ち落とすとか防衛するとか,そういうのは いいのだけど,相手が継続的に攻撃してこないように反撃は しないのだろうか?。それともそこも「外交努力」とやらをやるのかしら。
アメリカは自分の国土に攻撃を受けたら,軍事施設とか関係なく,相手の国が 壊滅するまで空爆します。アメリカの国土が攻撃されたのは真珠湾と, 貿易センタービルだけだから,その後どうなったのか…を見れば一目瞭然。 あれが世界のスタンダード…というつもりもないし,正直やりすぎ…だとは 思うが,撃たれてそのまま…っていうのは,防衛になってるんだろうか?… という気がする。
不謹慎な言い方をすると,あれだったら日本にアメリカの施設があった方が 安全…とか思ってしまう。向うの攻撃でアメリカ人が多数亡くなったら, 多分アメリカは本気でやり返すだろうから…。
- 11/25(憂国忌の今)
- 今日は憂国忌だったらしい。
憂国忌とは三島由紀夫の命日ですが,それを知ってる人って 今はとても稀では?と思っていたら,今日朝のニュースで三島の話を やっていた。よくよく考えると40年目の命日らしい。へー。
三島由紀夫が自決したころ,わたしは幼児ですからとてもしるわけもなく, さらにその10年以上後,学生の頃,ちょっと右翼カブレしていた頃に, なぜかちょっと話題にしていた。といっても彼の著書を読みあさるような こともなかったので,彼を語る資格はわたしにはない。
彼が亡くなった当時,どれだけ人気者だったのかはわからないけど, それから30年はほとんど取り上げられなかった。でも40年目のいま 取り上げられるのが,むしろ今の時代の写し絵のような気がするので, とりえあえず記録して書いておく。
三島氏は40年前に亡くなっておそらく何も変わってないのだけど,時代の方が, なぜか今彼を思い起こす。亡くなった人の人物像っていうのは, むしろ現在を写しているよな。さて,それは何を写しているのだろう… と思う。
- 11/24(原因が分かったから「良し」というわけでもない)
- 北朝鮮への対応のニュースとか…結構気になってるのだけど, 今日は忙しくてあまりニュースとか見れず。ちょっと気になったことが あるので一つだけ。
今回の北朝鮮の砲撃,北朝鮮国内の体制強化みたいのが原因という 解説がありました。で?…と。
最近の中国と日本のギクシャクも中国の体制の問題とか,ロシア大統領の 北方領土訪問もロシアの体制の問題とか,そんな話ばかりですが, それぞれの国の内政というか内部に原因があって,日本への強行態度に でてるとしても,だからそれがいい…という話ではないのではないか?。 日本に原因はない,日本に非が無い…と言いたいのかも知れないけど, それで日本が攻められていれば,日本にとっては問題なわけで, 原因が分かったから安心ってわけではないのではないか?という 気がする。
- 11/23(日本は?)
- 火曜日ですが休日。今日は部屋の模様替えなどをやってました。
15時過ぎか?TVをみたら急にテロップで北朝鮮が韓国に砲撃をして 韓国もやり返した…というニュース。驚いた。しばらくニュースが 入ってこなかったけど21時のニュースになってようやく時間を割いて 取りあげていた。韓国はやり返す気満々に見える。アメリカは 非難声明。中国は静観という状況。日本は情報収集中だそうだ,平和。
よりによって政権運用が不慣れな政権交代後(って言ってももう一年だけど)の 状態で近隣で緊張が高まったわけで,一層の不安が高まる。 よく考えたら,昔,今は無き日本社会党の人が総理大臣だった時も, 震災とテロと起きて,特に震災のときは初動が悪かったんだよなぁ。
一方アメリカの同時多発テロの時は日本は小泉さんで,あの時は 早期にアメリカ支持を表明したんだけど,普段は戦争嫌いの日本人が, あれは批判できなかった。こういう状況だとナショナリズムを 前面に押し出したほうが国民受けをするような気がする。 それを民主党がやったらビックリなんだけど,どうなるんだろう。
- 11/22(マスコミが騒げば選挙で負けるんだろうか?)
- 法務大臣が辞めたそうです。国会答弁を二つの言葉で乗りきれる… っていうのは洒落なのかも知れませんが,そもそも大臣指名をされたときに 「何でわたしが?」とか思ったと発言した記事もどこかで読んだので, なんかやる気なさそうな人だ…とは思ってました。
ネットを見てると,ほらみたことか…という人と,言葉狩りで退陣に 追い込むのは良くない…という発言。予算と辞任をバーターにかけるのも よくないという意見も見かけて,なるほどね…とは思いました。 わたしも言葉狩りは嫌いですが,「あれは冗談です」では済ませられない ものが今の内閣にはあるんでしょう。言葉狩りといえば「暴力装置」も なんか妙に盛り上がってましたが…。
いい加減,失言を取り上げて大臣を追い込むのは馬鹿馬鹿しいとわたしも 思います。でもなぜかいまだにやってるし,TVは失言をすると喜んで 盛り上がり,政治家はそれにおびえていると。馬鹿馬鹿しいという 意見があっても続くのは,世論がそれを望んでいるのか?マスコミが それを望んでいるのか?。
マスコミが騒いでいるだけで,世論はたいして問題にしてないよ…, というのであれば政治家はそれを無視すれば良いように思うのですが, 彼らの肌感覚で,マスコミに揚げ足取られると票が減るっていうのが あるんでしょうか?。でもマスコミの選挙予報って毎回外れますよね。 だったらあまり気にしなくてはいいんでは?。
失言があっても麻生さんとかは結構突っぱねていたし,小泉さんは失言よりも 行動で突っ込まれていても,開き直っていたし,それでも人気はあったし…, メディアがせめても大丈夫な人は大丈夫なんだから,やっぱり失言自体が 問題じゃなくて,失言を突っぱねられないって事が問題なんでしょうか?。
そんなことを思いました。
再度書くけど,マスコミが騒いでも票が入るんであれば,政治家的には 関係ないと思うんですけどねぇ。マスコミは自民をアレだけ揶揄して 政権交代を起こしたので,民主党政権自体を叩くことはしづらい分, どうも個人攻撃が盛んな気もします。どうなんでしょう?
- 11/21(自然科学と人文科学はOSとアプリ)
- 日曜日。十数年前MLが盛んだった頃良くやっていたMLのセッションで 知り合った人のライブに行った。今もよくライブをやっているようで, 感心するやらうらやましいやら。わたしも音楽は好きだけど, 人前で演奏する機会はめっきり減ったし,ふだんあまり楽器を触ってない。
思ったんだけど,社会人になって十年も二十年もアマチュアで 演奏活動を続けるのは,好きだけじゃなくて,そういう場に身をおけるか, つまり一緒に演奏が出来る人と密に関係を維持できるか?が大きいように 思う。それでもって歳を取って新たに作る関係より学生時代や20代とか 若いときに作った関係というのは,強い気がする。
わたしの場合,大学時代の趣味が音楽とバイクと両方だったので, 社会人になってからも30代半ばまで両方続けていた。でも今はそのときの 知り合いとはあまり逢う事は無い。まぁネットとかあるからいつでも 連絡は取れるのだけど。どちらかに絞っていたらもっと濃い関係が 出来たのだろうか?と思ったりもする。
…とここまでが日記。以下が本題。まぁそれも単なる思い付きだけど。
ライブの帰りに,本屋に寄って本を物色していた。自然科学の一般向けの ハードカバーのコーナーによってみると,今は自然科学も脳科学とか 遺伝子とか,工学系より生命科学みたいな話が盛ん。この辺の話は 実は結構好きである。自分の専門は音響工学だけど元々心理系から 入っているので,メタな話とか人間の話とかそういう話は好き。 好きでずっと続けていることは?と上に書いたような話で問われると 案外こういう分野の勉強かもしれない。所詮素人の勉強だけど。 自分の専門がそこの領域と接点をもてないだろうか?とはよく思う。
一方その横にあった哲学のコーナーとかを見ても,まぁ結構面白そうと 思う。自分は哲学とかほとんど勉強したとはいえないけど興味はあるし, 宗教とかも興味がある。基本的には「人」に興味があるってことに なるのだけど,哲学や宗教の様な人文系も脳科学や生命科学,実験心理学の 様な自然科学も好きなんだよなぁ…って感じ。
ふと,人を科学する…って上で,自然科学はハードウェアで, 人文はソフトウェアなんだろうか?と思ったのだけど,よく考えたら, 自然科学はOSで人文はその上に載ってるアプリなんじゃないか?という 気がした。昔のマイコンみたいにOSが綺麗に分かれない時代はハードと ソフトというたとえでよかったんだろうけど,今はその機械のベーシックな 振る舞いを決めるのはハードウェアだけじゃなくてOSの様な気がする。 その上に考え方や思想みたいに人によって違うものが載るという意味では アプリみたいなもの。でそのアプリもOSのシステムコールや制限で 関係はするから完全に独立ではない…。
等とどうでもいい様なことを考えていた。考えいて楽しくて,くだら 無いことを楽しめるってことは,あぁ好きなんだろうね,とは思った。 まぁ音楽聴いたり演奏しても全然生産的じゃなくても楽しいから, そっちも好きなんだろうけど。
- 11/20(休日)
- 午前中1時間だけ,息子とお留守番。夕方になる前に,公園に散歩してきて 帰ってきた。
そういえば,昨日の高校時代の友人と飲み会。いつも飲んで寝る奴が 寝ていて,人って案外,そういうのって変わらないのだな,と思った。
- 11/19(飲み代)
- 新宿で久しぶりに高校時代の友人と飲みました。久しぶりだけど, メイルで普段からやり取りはしてる相手なので,特に「ハレ」と いうわけでも無い。
二軒はしごしたのだけど,二軒目は呼び込みに誘われていったら, 一軒目と同じような志向の店でした。席に着くとおろしてない魚を もってきて,選んだら調理してくれ感じです。もちろん普通の 料理もあるんですが。というわけで,普通のチェーン店の 居酒屋よりは高めになると思うし,お酒も日本酒中心に飲みました。 で,いくらになったかというと二時間いた一軒目は7千円/人, 二軒目はつまみも少なめだったこともあり3千円/人。合計1万なんですが, よく考えると一晩で一万飲んだのってずいぶん久しぶりだなぁと。
たぶん,白木屋とかそういうところだと一軒目で行ってお酒のんでも 5千円とか行かないんではないか?下手をすれば3千円台だよなぁとか 思います。つまり,やっぱりデフレというか,飲み代って安く なってる気がするってことです。今は一晩で一万も飲むのは贅沢って 気がしてしまいます。
もっとも十数年間のわたしは毎晩飲み屋で晩御飯を食べていて, その頃は3千円台だったかなぁ(^^;)。まぁ一人のみだったので,そんなに お酒は飲まなかったけど。
- 11/18(伝統がつくられる時)
- finalventの日記での「サイレントテロ(笑)」は, finalventさんがTwitterでつぶやいたら,だれかが「サイレントテロ」って 言葉を使ったら?…って提案して,聞いたことない言葉だったので調べたら, 結局のところ,提案した人が考えた造語だったという話。はてなキーワードや Wikipediaにもしっかり登録されていて,「削除した方が良いと思う」と finalventさんは書いてます。
わたし的には,なんか愉快な話だなぁ…と思いました。概念とかに名前を つけるのって,マスメディアや業界人は良くやっています。定着したら おそらく言い出した人はニンマリしてるのではないでしょうか?。 それを一般の人がやってはいけない…という事は無いように思います。 今や一般のネットユーザがメディアの領域に踏み込んでいる…と いわれてますから,こういう「新語」をつくるのも一般の人がやっても いいでしょう。
そして,実際にどういう風に新しい言葉が定着するか?っていう意味では 興味があります。ただし誰かがある時期に作り出した言葉であれば, wikipediaにはその旨は書いた方が良いと思います。wikipediaに真実が 書かれているとは,わたしは思いませんが,世の中にはそう思って無い人が 結構いるようですから。
…とこういうのをけしかけて見るのは,わたし自身も自分の通った後に 伝統が出来一般化したという経験があって,それが結構愉快だったと 思っているからです。
高校の頃の部活で,わたしが自宅から持ってきて,着ていて卒業時に 置いていった服が,いつのまにか「代々伝わる服」として後輩に大事に されていた…のはちょっと気恥かしい想い出ですし,大学の時も自分の代で 始まった出し物が伝統のものになっていたり,あと,自分の一つ上の 先輩が始めた合コンが,自分の時には「伝統」になっていたり…とか(笑)。
よく「今,日本で伝統とされている習慣は,実は明治になって始められたものが 多い」とか言われますが,案外自分が思うよりも,物事はすぐに伝統化や 一般化されてしまうものなのかも知れません。もしくはそういう風に なることなくすぐに忘れられてしまう…。
これからごく一般の人が新しい概念を作り出して,どんどんと一般化して いくんだろうな…と思います。そういえば全然関係ないけど,昨日久々に 「π/」って言葉を思い出したところだった(笑)。
- 11/17(医薬品開発は公的事業に出来ないのだろうか?)
- タイトルの通り。以前から思ってることです。
ここしばらく医療費の高騰が良く話題になってます。特に抗がん剤などが かなり高価になっていて月に数十万とか平気でかかるものもあります。 保険診療であれば,高額医療費への補助があり数万のオーダを 自己負担が越えることはありませんが,その高額医療への補助制度 自体がもう持たないのではないか?みたいな話も聞きます。 さらに保険診療以外に手を出すと…まぁそれ自体は賛否両論ですが, ものすごい額がかかります。
医薬品が高いのは開発人件費がものすごくかかるからと聞きます。 出来るかできないかわからないばくちの様な開発ですから,うまく 出来れば,その間の開発費を製品に乗せなければいけません。 薬品の材料費は多分たいしたことないのだと思いますが,それでも 多くの人が長い間開発をしないと出来ないものには違いありません。 これは日本の医薬品だろうが海外の医薬品だろうが同じだと思いますが, 最近はどうも日本の医薬品メーカが大人しく海外から新薬が主に 輸入されているようにも思います。それがますます認可が遅れる 理由になってます。
で,思うのがタイトルのこと。医薬品の開発に多くの人件費が かかるのでメーカがとても出来ない。できても新薬は莫大な 価格に設定せざるを得ない…のであれば,その人件費自体を 国が出すことは出来ないだろうか?。国が委託費を出すとか,それどころか 公務員にしてしまうとか。それでもし新薬が作れれば,開発費を 回収する必要はなく,あとは製造費だけで出せないか?という 気もします。
もっとも医薬品は国内開発だけではなく,海外のもの…の場合も あるし,逆に日本が海外に輸出することもあるので,一概にそういう 風にするのにも問題がある…というのも分かります。開発者の インセンティブの問題もあるでしょう。
でも,命に関わるような薬品開発が民間の力だけでいいのか。 保険制度が崩壊する前に,日本の開発者がいなくなって海外に 頼り,価格の決定権も無くなって…っていう風になっていいんだろうか? とよく思います。まぁそんなに簡単な問題では無いのだろうけど。
- 11/16(3×5≠5×3)
- ネットで「3×5≠5×3」というのが話題になってました。 小学校2年の算数の問題で3×5=15とすべき回答を5×3=15と書いた生徒が ×をもらっていた…って話。
上記リンクはそれはおかしいという立場で書かれてますが,逆に「 なぜ3×5で正答で、5×3が誤答なのか」と 間違いとする立場で書かれた文もあります。
正直わたしは,間違いとするほうがおかしいと思います。もちろん このテストの観点が,どっちが単価でどっちが個数であるかがわかって 掛け算をやってるかである点は理解できます。でも個数を頭に書くべきか, 後ろに書くべきか,っていうのは重要な問題なのでしょうか。日本語だって 主語と述語の関係が逆転する倒置が表現がありますが,それは間違った 言葉ということになるのでしょうか?。もし生徒が掛け算が単価と個数を かけて合計を出すってことを理解してるかどうかを見たかったら,式の 各数字に「単位」を書かせれば良いと思います。
弾氏は教える側の都合に合わせる生徒は自分で考えなくなると 批判してますが,わたしもそう思います。それもありますが,わたしが この教え方に賛同しかねるのは主に二つの理由です。一つは上になぜ 誤答かと説明してますが,ずいぶん長ったらしく書いてます。それでいて 納得できるような出来ないような…という感じです。大人がこれだけ 丁寧に説明されても納得できないようなことを小学生教える意味は あるんでしょうか?。そしてもっと重要な点。いま3×5を5×3と書いて 間違いとされていても,そのうち掛け算は前後入れ替えても同じと いう風に習います。そしたら,今まで学習して身につけたことを 生徒は否定されるわけです。わたしはこっちの方が問題だと思います。 昨日まで「×」だとされていたことが今日から「○」になるわけです。 そしてその理由はおそらく簡単には説明できません。
こっちの方が問題ではありませんか?。子供は勉強に絶望するか 先生を信用しなくなるような気がします。
…と書きましたが,実はこの手の問題は親としては頭が痛いです。 算数の類は,大人になって便利なツールを覚えると楽に出来る計算を 子供の頃にやったらNGみたいな話は良く聞きます。親が教えたら, 子供は「×」をもらったってことが起きるわけです。このときに, 親としてどう子供に教えるべきか?。自分が教えたことが間違いだというのか, それとも先生の教え方がおかしいというのか。いくら 先生の教育方針に納得がいかなくても,それを子供に対して言うのは, 子供がいたずらに混乱するし,他の件でも先生の言うことを聞かなくなり, あまりいい結果にならないような気がします。先生と親が子供のいないところで 話をして意識あわせが出来ればいいのですが,先生としてはそんなこと やってる暇は無いでしょうし,親が納得できないこともあるわけです。
将来そういうときがやってくるだろうなぁ…と思いつつ,その時 どういう風に子供を導くか…かなり悩ましく思います。
- 11/15(正論の暴力)
- 紙屋研究所さんの「 「休日くらいはゆっくりさせろ」とぼやくパパへの 非難の件」は,子育て中の家庭で,元々「休日くらいはゆっくりさせろ」 とパパがいうことに対して,子育てをしてるママは大変で,仕事なんて それに比べて楽なんだから,そんな事言うなと書いていた別のブログが, ちょっと炎上気味な件について書かれてます。
ここでは子育てが大変か?という話が主旨じゃなくて,そういう正論を 逃げ道なく書いたので,独身者とかそういう人達が逆ギレしてるよ。 そういう言い方ってすべきなの?それとももっとやんわりと書いた方が いいの?みたいなことが主旨です。
これを読んでわたしは「正論っていうのは相手に逃げ道がないので, うまく使わないと,感情論でしかコミュニケーションがとれなくなって しまう」と以前から思ってることが頭に浮かびました。以前日記に 書いた気がしますが,良く正論を言って「ドヤ顔」をする人がいますが, それって結構危険です。正論を言われて「ごめんなさい」を素直に言える 人なんてむしろ稀です。言われた方が逃げ出すならまだいいんですが, 逆ギレされたり,根に持たれたりそういうことになりかねません。 そういえば今日は別のところで「 今時は謝れない人が増えてる」っていうのを読みましたが,いや, 日本人でも謝れない人っていうのは昔から多いと思います。
というわけで,トラブルぎらいのわたしは,正論を言わずに,うまく 相手を諭した方がいいよ…とは思うのですが,紙屋さんが最後に書いている様に 敢えて言って相手を逆撫でする方が,心に残るかも…っていうのは, うーん,一理あるような無いような…って感じです。
ところで以下余談ですが,子育て中の家庭で働いている父親が,休日 休みたい…っていう気持ちはわからないでもありません。仕事で疲れ 帰ったら家でも疲れて…っていうのは,まぁ心当たりあります。でも, 働いている父親は,それでも仕事中にフッと息を抜いたり,仕事帰りに ちょっと寄り道したりとか出来ないことはありません。それに比べると 乳児を見てる母親(まぁ逆もあるんでしょうけど)は,一日中子供を見て, 寝てるときも起こされて…なわけで,本当に逃げ道がないわけです。 そう思うとやっぱりそれって少し贅沢で,せめて子供を保育園に 預けたりとか,幼稚園にやって母親は家で家事のみをやってる時間が数時間は ある…という状態になって初めて「少し休ませてよ」と言えるのかなぁ…等と 思います。
まぁそれより休日は子供を預かって少しでも母親を子育てから開放して あげられるようにするのがいいんじゃないですか。だったらその分こっちも 休む時間をもらってもいいというか。
- 11/14(組織の情報を公開するということ)
- 尖閣ビデオが公開された騒ぎの件で公開した人が罪か罪じゃないか?って 話。よく分からないというか納得できないところがあるので, 簡単に。
話題になっているのはその人が罰を受けるかどうか?の話で, 刑事罰の話の話であれば,刑法上どういう罪にあたるのか?って ことで,罪にならないこともあるのだろうけど,公務員…というか 組織に属する人の行動として,組織から何らかの罰を受けるのであれば, それは当然の様に思います。
罪にあたらないという論調の根拠はニュースとか見てると二つあって, 「ビデオは機密事項ではなかった」という根拠と「公開することが 国にとって益であった」という根拠。前者の機密事項ではなかったと いうのは,ビデオは職員であれば誰でも見れる状態だったからって 話ですが,職員の誰もが見れても組織外から見れないのであれば, 公知の情報ではなく,それを個人の判断によって勝手に公開するのは ダメでしょう。ただ組織によると思いますが,情報漏えいに 関する会社とかの決まりでは大抵,機密事項は明に機密事項と 記す必要があるというのもあります。しかしそれは機密事項と 書かれてない業務上知りえた知識は公開しても良いという 話ではないと思います。
そういう意味でいうと,刑法上の罪は問えなくても組織から 何らかの罰があるべきではないのか?という気はします。ただし, 機密指定されてもいなければ個人情報でもない情報を組織外に 公開した罪について現時点で内規があるのか?というと確かに 疑問ですが。
それから二つ目の公開することが国にとって益であったか?という点。 これは現時点では分かりません。戦時中の負け戦を国が隠していたことを 例に挙げて,正しい情報を公開することが必要といってるのも 読みましたが,それも今回の件が国が明に嘘をついていたわけでも 無いし,今回の公開が元に緊張が高まったら,それこそどっちが 益があったといえるかどうか。
もっとも本当に今回の情報公開に益があったら,仮に彼が公務員を 懲戒になっても,他の誰かが拾うんではないか?という気はします。 それならそれでいいんじゃないか?という気もします。実際 田母神氏などは国の公式発言と違うこといい,幕僚長を辞めましたが, 今でも充分に仕事があるようですし。現政権で首になっても, 次の政権が重用するということもいいかもしれません。
というわけで,わたしは以前も書いたとおり,組織の内部の情報を 一個人の判断で公開する場合は,その組織においてそれなりの 罰を背負うのが普通である,そうしないと組織は回らない…と 思うということ。ただし組織で罰せられるということと, 刑事罰は別だし,その人が本当にそれで不利益を負うかどうかは, すぐには決まらないのでは?ということです。
- 11/13(外交)
- APECのところで行われた首脳会談のニュースを見ていて, なんか土下座外交だなぁ…と思ったのはわたしだけだろうか?。 日露,日中,日米の会談の様子をみたけど,どれも菅さんは へらへらとした顔をしていて,相手の方は,無表情だったり, きりっとしていたりするのをみると,どうも日本の方が相手に へこへこしているように見える。あと,会談の場で,菅さんは 原稿を見ているのだけど,相手は見ていない。通訳がいる 会談で,下を見て喋る必要があるんだろうか?。
もっとも,この事態になったのは,そもそもは鳩山さんが 何も考えずに沖縄問題でアメリカを振り回したからで, そのつけを払っているといえば,そうなのかもしれないけど。
自民党がアメリカのご機嫌とりで,政権交代したときに,それから 脱却できると喜んだ支持者は,結果的にこうなってしまったのを, どう思うんだろうね…と思った。
- 11/12(徒然)
- これといって書きたいことも無いので,ネットみて適当に。
「電話をかける前にメールで確認」 女性の間ではもはや常識的マナーっていうのをみて,はははと 枯れた笑いが。
これってプレゼンス管理じゃんと思う一方で,電話ってかかってきたら 必ずでなくてはいけないわけではないし,留守番電話とかだってある。 電話に出たくないときは,出なきゃいい…と思ったりもします。つまり 電話をかけてよいか?とメイルで聞くのは,電話に必ず出ろよっていう ことでもあるんだろうなぁ。
確かに電話が携帯になって,留守だから出れないというのはなくなったの だろうけど。ちなみに,メイルももらったらすぐに返さなければいけないと プレッシャーに感じる人もいるようだけど,じゃぁメイル出していい?って いうのはどうやって聞くんだろう?;-p。
次。
海外の人が西武のメイド列車を見ての反応。 確かにわたしも,ちょっとくだらないなぁと思ったけど,海外の ネガティブな反応の中に,いかがわしいと思ってる人とか, 女性蔑視だとかいう人がいて,そっちの方が興味深かったです。 これをいかがわしいと思う人は,メイド喫茶とかをどういうところだと 思ってるんでしょうか?。
西洋の方が女性の地位が高いとかいうけど,日本の芸者を風俗と 勘違いしたりするのも西洋人だし,スレの中にあるけど,ビキニや レオタードとかの格好をしたウェイトレスがいるのもアメリカだったり して,むしろ女性が客商売をすると性的なものだという発想があるのは あっちじゃないか?とか思ったりもする。まぁ日本にいかがわしい店が あるのも事実だけど。
次。
床屋での会話が苦手というfujiponさんの弁。 よく分かる,と思いました。わたしも床屋とかタクシーとかで 話すのはあまり好きではありません。大体床屋で喋話しかけられると, わたしの反応が悪いので,だんだん喋らなくなります(^^;)。
あと,わたしは飲み屋で一人で飲んでいるときに話しかけられるのも 得意じゃありません。
でもわたしは一方で,店員とよく喋る店もあったりして,そういう ところに行くのも楽しい。要は店員との相性か?とかも思ったりするし, 目的がはっきりした店で,会話がそれに限定されていたりするとか そういうのもあるかもしれない。
というか,今挙げた,床屋,タクシー,飲み屋…ってなんかあっちが 手を動かしていて忙しくて,一方でこっちはボーっとしてる状態。 向こうはこっちが暇そうだからいつでも話しかけられるけど,こっちは 向こうが急がしそうで話しかけづらい…という非対称性とかが 落ち着いて話せない感じ…っていうのをかもし出してないかな?と いう気がする。あんまりややこしい話しづらいし,前置きが長くなりそうな 話もしづらいし,そういうのが原因って事ありませんかね?。
…などとか思いました。
- 11/11(憂国)
- 尖閣ビデオの流出の件。実はあまり関心がない。特にビデオの内容には 興味がなく,殆んど見てない。海上保安庁の職員が犯人だと名乗り出たらしい。 犯人を応援する声もあるらしいが,公務員がルール違反をすることが 好ましいとはわたしは思わない。結果的に国のためになることであろうが, それを一個人が判断することには賛同できない。
少し皮肉をいうと,「よく公開した」という人はビデオを観れたことに 満足してそういってるんじゃないか?という気もする。
ただし,一方で今の政権。仙石長官が,役人の責任者には責任を取らせ, 政治家の大臣は辞めない…と言ったとか。これはもっとひどい話だと思う。 トップが責任を取ることを明に放棄した組織で,下のものが頑張れるわけが ない。所轄大臣が辞めないなら総理大臣が辞めるべき。
某所で民主政権の省庁の中では役人が大臣に従わないというクーデターが 起きているところがあったらしいが…,まぁこれだとどっちも どっちだよな…と思った。
仙石長官が大臣は責任を取らないと宣言した国家運営,今後うまくいくとは とても思えないのだけど,この国はどうなるのだろう…。
- 11/10(がんで医者にかかるということ)
- ネットで4年前に乳がんの疑いをもち,乳がんの治療で有名 (著書など ある人)な先生に診てもらっていて,4年間良性だから安心といわれて いたのが,実は乳がんだったと分かった…,既にがんは大きくなっていて, 乳房の失うことになった…という話を読みました。
とても残念なことで,乳房を失うことは辛いだろうと思いますが, まずは手術が無事終わり,がんの再発が起きない様な状態になることを 望みます。あと,多分抗がん剤の治療もするのでしょうが,副作用など 辛いことが少ないと良いなと思います。
その上で,このブログを読んで思ったことを…。
ブログ主は患者の姉妹ということで,医者に対してきつい 言い方になってるのかもしれないし,第三者としてはいたずらに 医者の言い分を知らずに批判をするのはうかつなということもあり得るとは 思いますが,ただ,4年間がんの疑いで通院していて,誤診をしてるのは, その事実だけで批判されるべきことだと思います。
一方で,患者の方が他の医療機関で検査をしていれば…とも思います。 患者の過失というつもりはありませんが,セカンドオピニオンを医者に 失礼と思って躊躇するのは,本来はおかしいことです。ただ, がんの疑いがある場合,検査というのは心理的に負担があって,結果が 分かるまで気が気ではないのです。がんの不安があるときに「良性です」と 一人でも医者に言ってもらえることは,ものすごい安堵であり, その言葉にすがりたくなります。その言葉を捨ててまで他の検査を受けて, 不安を再び産み出したくない…という気持ちは分かります。 わたしも嘘でもいいから「がんではありません」といって欲しいと 思った事が何度あるか…。ただそれは地獄へ続く嘘なのですが。
わたしの場合は,むしろ誰も良性とは言ってくれず,結局膵臓を 半分以上摘出しました(膵臓は切って検査しないと確定しません)。 また,大病院の先生はとても忙しくゆっくりと話をしてもらうのは 結構難しいとも思いました(それでも信頼はしてますが)。説明の機会は 何度か作ってもらいましたが,患者というのは次々と悩みが発生するし, でも怖いことを聞きたくないという躊躇もあったりするのです。 わたしが行っていた病院は検査結果を紙でくれましたので,その数値とか, 所見をみて,あとはネットで同じような経験をしてる人の手記, がんセンターなど医療機関の資料を読み,くわえて書店で医者向けの ガイドラインや医学書などを買って読み,担当の医者がいうことが, あながちずれているわけではない…ということは確認してました。
基本的には,医者の誤診から身を守るには,とにかく広く情報を得ること, あと複数の医療機関に(どういう手を使っても)みてもらうことが重要だと 思います。セカンドオピニオンが失礼と思うのであれば,別の健康診断に かかるという手もあります。わたしも主治医による経過観察中でも, 人間ドックは毎年行ってました。お腹が痛いといって,内科の医者にいった ついでに触診や血液検査をしてもらったこともあります。
- もう一つ,著書とかをたくさん出しているお医者さんというのは, やっぱり申し訳ないけど,おかしな医者も多い様に思います。いや, 著書を出していようが無かろうが,いい医者も悪い医者もいるという ことかもしれません。とにかく本を出していて,有名だからといって, 医者としていい医者かどうかは分からないのだな…という気はします。
ブックマークとか見てると,医者の品質を示すものが必要とかいう人も いるようです。実際に病院の検索をすると,ものすごく多くの病院を 紹介したサイトがありますが,どれも評価については会員制にするか, 載ってないか…ってことであまり役に立ちません。実名で評価をするのは 難しいのかもしれないなと思うし,統一的な基準で順番をつけたら, それこそいい医者はいつも混んでいるということになるようにも 思います。
医者の良し悪しの判断というのは 本当に難しいと思います。腕前ではなくて,単に相性で良い悪いと 判断されることもあるでしょう。悪い医者にあたってひどい目にあっても, 医者と無縁に暮らすことは難しいです。医者でひどい目にあっても 医者全体を憎んでもしょうがない。良い医者を変な追い詰めるのも, 結局は自分達の不幸につながります。
どういう風に医者と付き合うか?…悩ましいことです。
- 11/9(カッコイイ男)
- 昨日の続きになるのですが「カッコイイ男像」について。
わたしは割と小さい頃から,カッコイイ男というのは, 「無口」,「言い訳しない,弱音をはかない」,「にやにやしない」, 「強い」,「人を助ける」,「群れない」,「クール」,「信念がある」とか そういうものだと思ってます。
これは昨日書いたように松本零士とかのヒーロー像とかとも一致していて, ハーロックとか,まさにそんな感じです。あともっと古い例で言うと, 木枯し紋次郎とか,三船敏郎とか,チャールズブロンソン(笑)…。
こういうヒーロー像って昔のTVでは物凄くたくさんいて特に時代劇等では ほとんどがそういうキャラだったのではないでしょうか?。 昔は主人公というと,こういう「孤独でクール」系なのと,後は「熱血」, 「明るい」みたいのぐらいで,今だと三枚目色の強い主人公が多いですが, わたしの子供の頃は,三枚目はサブキャラでしかありませんでした。 だいたい人気歌手とかをみても,昔はカッコイイかニヒルか…みたいな人が 多くて,アイドルがギャグを言って自分を笑い物にするなんてありません でした。
今考えると,「無口」なのも単にシャイなだけだし,「群れない」のも 人付き合いが下手…なだけかも知れないのだけど(笑),子供の頃はそれが カッコイイのだと思ってました。
ちょっと余談ですが,子供向けアニメでは無口なキャラが主人公を取るのは, 多分わかりにくさから,少し珍しく,ハーロックはそういう意味では 画期的だったのかも知れません。普通はコンドルのジョーみたいに ナンバー2とかそういう感じになります。
カッコイイ男像は多分時代と共に変わってきてるんでしょう。わたしは今でも 上記の男達がカッコイイと思ってますが,今の若者がお笑いに憧れたり, TV出てるスター達も自分達を笑い物にするギャグをかます…等をみてると, 多分彼らにとってはそれが十分魅力的…なのだと思います。
実は幼少の頃わたしは良く喋る時期があったようですが,親に「男は ベラベラ喋るものじゃない」と言われて,気をつけた時期がありました。 そういう時期と上記TVのヒーロー像が結び付いて,男は無口がカッコイイ…と 思うようになったのかも知れません。
子供の頃に構築されたこういう美意識が人によって違う…ということに 気づいたのは,もっと後で,自分がカッコイイと思ってることが通用しないと 感じたときは結構ショックでした(苦笑)。特に「男が無口だと女性に嫌われる」 とか「女性を楽しませるのが良い」とか知ったときは「出来ない…」とか 思ったりもしました(笑)。
っていうか,まぁその後いろいろ考えて,人を楽しませることも重要だと 思うようになってますが,どこか本当にカッコイイ男は無口で飾らずとも 存在感がある人が本当にかっこよくて,そこまでなれないから,人と コミュニケーションを取って自分の価値をあげてるんだ…みたいな 卑下みたいのもあったりします。
今の若い人や…というか自分の息子とか,こういう価値観ってわかって もらえるのだろうか…,というか,そういう価値観で生きていく事って 今の時代幸せになれるんだろうか?とか,そんなことを最近は思います。
- 11/8(ヤマトから連想して…)
- わたしは訃報にはよっぽどのことがないとコメントしない様にしてるのですが, ちょっと連想したことがあるので…。まぁなにで連想したかは, これを書いた時期に読んだ方はお分かりと思いますが,宇宙戦艦ヤマトに ついです。
ヤマトはもちろん日本の最初のアニメブームのきっかけとなった 作品で本放送はあまり人気が出なかったものの,その後大ヒットし, 映画もたくさん作られました。小学生から中学にかけてそれを体験した わたしもヤマトは当時好きな作品でした。ただヤマトをきっかけとして 始まった松本零士ブームの方にわたしは乗って,銀河鉄道999,キャプテン ハーロックとかの方を追いかけていきました。
アニメブームはその後しばらくして落ち着き,その後ガンダムで再び 爆発しますが,実は年表を整理してみると,ヤマトの映画と ガンダムは時期が被っていて,ヤマトブームの最中にガンダムやイデオンは 産まれたことになります。ガンダムがその後も多くのファンを産み続け 大人になってもファンを続けている人がいたり,新作も作られる中, ヤマトはなんとなく過去の名作みたいになってるのは何故だろう…とまでは いきませんが,ちょっと考えてしまうなぁとか思うことも。
で,前述の通り個人的にはヤマトへの思い入れよりも松本作品, 特にアニメの後はマンガに行き,エメラルダス,男おいどん, ガンフロンティア,戦場マンガシリーズ,ミライザーバン,大純情くん 辺りは好んで読みました。特にミライザーバンはものすごく好きな 作品だし,ハーロックやその他のヒーロー像もわたしのかっこいい男像に 大きく影響を与えたという意味で,わたしの人格形成に大きく 影響を与えたマンガ家とはいえます。ただこちらもなぜか途中から あまり作品を観なくなったなぁ,と。
松本零士は今でも好きなマンガ家ですが,最近の著作権がらみの ゴタゴタもあって,そういうことで話題になって欲しくなかったとか 思ったりもしました。ちょっと寂しいなぁと思いつつ…。
- 11/7(芸術家)
- 昨日くらいだっけ?,岡本太郎の話をBSでやっていたので観ました。
わたしは個人的な理由で岡本太郎は小学生の頃から意識していて, 結構ずっと好きです。というか,更にその前大阪万博の太陽の塔を 彼が作ったという話は聞いてました。既にそのときにもう,有名な 芸術家だったというわけです。
わたしはピカソも好きで,こちらは中学くらいから好きだったと 思いますが,二人とも前衛的で,同じような芸術運動の中から 生まれた作風ですから,共通点も多い様に思います。作品自体とは 違う部分で言うと,二人とも生きているときから一流の芸術家として 高く評価されてました。だからだと思いますが,絵画以外にも 彫刻や陶器とかいろんな作品を残してますし,そもそも生き方自体や メディアの露出自体が芸術だった様にも思います。
先日ミッフィーをデザインしたブルーナさんが語っているビデオを観ました。 彼が自分の美術館を作ってもらった時,これまで過去の芸術家は 死んでから美術館とかを作ってもらっていたのに,自分は生きているうちに 作ってもらえて幸せだ…というようなことも言ってました。
考えてみたら,昔の偉大な芸術家には,死んでから評価された人が たくさんいます。生きてるときは貧乏で食べるのに精一杯だっという 人が多かったように思います。でも最近,あまりそういうのは聞かないと いうか,メディアに芸術家が露出していて,その人は今も生きてるうちから 評価されているように思います。単にTV受けがいいだけという人も いますが。逆に例えば50年位前に死んで,いま急に評価され始めた人って いうのもあまり聞きません。つまり今は芸術家が生きているうちから 評価される時代…の様に思います。
これはメディアの発達により,自分の行動を作品とすることが可能になった。 それゆえに成功した芸術家の中には作品だけではなくメディアでの栄えも 評価の対象となるってことなのでしょう。一方では芸術家を食べさせる パトロンみたいな人は減ってるでしょうから,まぁ一つの時代への 適合…なんかもしれません。そういうことをふと思いました。
- 11/6(休日)
- 今日は秋空というか雲ひとつ無い晴天で心地よかった。朝からフトンを 干して,洗濯をして,部屋の掃除をしたあと,昼食は以前から行ってみたかった 蕎麦屋に行き食べた蕎麦は結構美味しくて満足。その後,電車に乗り 武蔵小金井のあかちゃんほんぽで買い物,その後吉祥寺に行き買い物を して帰ってきました。吉祥寺の物産店には味千はあったけど桂花はなかった (苦笑)。うーむ。
- 11/5(始まり)
- 朝起きたらネットで 尖閣諸島での中国船の行動のビデオがアップされていると 騒ぎになってました。しばらくしてTVでも話題になり,そして今日は, その騒ぎで大騒ぎです。
議員でも一部しか見られないような,超機密の映像がネットに流れた わけですから,国として大丈夫か?という気がします。検察か海上保安庁, あとは与党ぐらいしかもって無い映像だとすれば,内部の役人から漏れたと 考えるのが普通でしょう。それが意図的な漏洩なのか,セキュリティに 問題があり盗まれたのか,はたまたファイル交換とかでポカしたのかは わかりませんが,意図的な漏洩であれば,ちょっと薄ら寒いものが あります。
もし意図的であれば内部の人間が国際的な状況を混乱させようとやった とか,現政権に不満を持ってるとか,あたかも二二六や五一五の様な, 軍部の暴走…を少し連想させます。
そもそも尖閣の事件の犯人を釈放したのも,現政権は現場の判断と, 責任を押し付けたわけですから,現場としては国の指示に従ったのに, 自分達の責任されて…と不満があったりするのかもしれません。
というわけで,なんかすごいことになってるなぁ,という感触。 どうなるのだろう。ってことで,とりあえず記録。
- 11/4(キャラ)
- ちょっと特に書きたい話題が無いので,軽く
ミッフィーに似てるとされていたサンリオのキャラが 使用停止とのこと。わたしはうさこちゃん(ミッフィー)のファンなので この場合,うさこちゃんの方を支持します。が,先日買ったブルーナ氏の 本をまだ読んで無いので,薀蓄を語るほどのネタはありません。
今回のサンリオのキャラはマイナーなんだけど,多分変な前例を作りたく なくて,ひかずに戦ってるんでは?って気はする。ただ最近ヨーロッパとかに 行くとサンリオの出店は凄くて,他のキャラビジネスの人たちは脅威に 思ってるかもしれないなぁ,という気はします。
わたしは芸術で一番大事なものは作家性だと思ってるので,作者が (表現したいものが)見えるうさこちゃんと,みえないサンリオのキャラだと どうしてもうさこちゃんの方は芸術,サンリオはキャラクター製品の様に 感じてしまうのですが,まぁこの辺は個人の好みの話。うさこちゃんで 表現されているものというのについては,本を読んであらためて書きます。
キャラといえば最近のゆるキャラブームは凄いというかひどいというか, 自治体とかがすぐに作ってしまう。もう日本中どこに行ってもキャラばっかり。 外国人がみたらどう思うやら(笑)。
ただ,これも実は悪いこととは思ってなくて,日本のこういうセンスが 大衆の中に地盤としてあるのはいいことだと思ってます。あんまり作者の 顔が見えないのが残念といえば残念。まぁ日本はこういうのを芸術として 育てるというよりは,大衆に愛される身近なものとして扱いたいって ことなのかもしれません。それはいいんだけど,一方で日本ってすぐに 消費する悪い癖もあるので,これらのキャラを長く育ててあげますように と思います。
- 11/3(お金と命)
- NATROMさんが 「将来は、「お金の切れ目が命の切れ目」が普通になる時代が 来る」と書いているのをみて,過去にそれは普通であり, それはいけないことなのだろうか?という風に思いました。
以前わたしは 命の値段について書きました。命がどんなに尊かろうと,病気になり, 治療費が出せなかったら,それが一種の命の値段ということになると いえると思います。お金が無い人が医者に行く金が無くて,命を縮めてしまう というのは,昔からずっとあった話です。日本ではそれが国民皆保険制度 になり,建前上お金があろうが無かろうが同じ治療を受けられるように なりました。建前上というのは,実際は保険適用外の治療があったり, 海外に治療に行く…ということで命を永らえてる人がいるので,治療機会は やはりお金に影響されているといえるということです。
さてNATROMさんが危惧してるのは,この保険制度の中の治療法も,そのうち 保険制度が崩壊して,財力で受けられる治療に差が出るということ, そしてその保険制度が崩壊するのは,抗がん剤などの薬品がこれからますます 高額になっていくだろうということです。
このこともわたしは既に意識していたので,特に驚きはしませんでした。 だからといって肯定的にとらえてるわけでもありません。ただ,高額な治療と いうのは新しい治療法であり,これまで助かっていた人がお金がないので 助からなくなる…という意味ではないので,すこしタイトルは誤読され やすいように思いました。新しい薬の金額が極めて高いのは,薬の開発費が 高いからでしょう。材料費の影響で高いとは思いません。そして薬が 高くできるから開発費を投入してるともいえます。開発した薬を高く売ることが 出来なければ,薬品メーカは開発を止めて新薬を作らなくなるかもしれません。 国が薬品の開発を補助しようにも実際は海外のメーカの薬が多いので, それも難しいのではないでしょうか?。
それらの状況を考えると,効果的な新薬はこれからも出てくるでしょうが, 値段はますます高くなるでしょう。新薬の承認も高価や安全性より価格の 方が問題にされるようになるかもしれません。
で,それが悪いことか?といわれるとわたしはよく分からないのです。 もし医療がどんどん高度に発達していき,お金さえかかければ,どんな 状態になっても生きられるのであれば,むしろお金を理由に死ぬっていうのも あるのではないか?という気もします。わたしの本音としては働き盛りで 家族を養わなければいけない年頃の人と,平均年齢以上生きていて, リタイヤもして生産的な活動を行っていない人に,同じだけの医療補助を かける意味があるのだろうか?とか思うこともありますが,多分今の日本は 年齢で医療に線を引くのはタブーなんでしょうね。今の与党が野党時代に 散々批判してましたから;-p。どんなに周りが注意しても健康に悪い事 (例えば喫煙)を続けていた人にも同じだけの補助をする必要があるとか いわれても,少し疑問を感じます。
いや,実際に線を引くとしたら,とても難しいのは事実です。わたしは 公的な医療保険制度を保持することは重要だと思ってます。でもだからと言って 命を助けるためだったら,誰にでもどれだけでも高額な薬品を使うべきと いうのは,正しいのかはよく分かりません。もっとも医者がそれを判断 すべきことなのかも分からないので,医者はあまねく患者を全力で助ける べきだというのはいい事なのかもしれませんが。
- 11/2(桂花)
- 朝Webでニュースをチェックしていたら熊本の桂花ラーメンが民事再生法申請をしたというのをみて 驚きました。
ラーメンに詳しい人なら説明するまでもありませんが,桂花ラーメンは 熊本ラーメンとしてはもっとも知名度が高いラーメン屋です。東京へは 1968年に進出し,東京でも熊本ラーメンのイメージといえば桂花です。 実際に熊本においても,桂花は有名です。
報道を見ると一時より売り上げは下がっている…と書いてますが, 桂花自身は設備投資に失敗したと書いてます。わたしは今でも 桂花ラーメンはたまに食べますが,東京のお店で思うのは,店舗数自体は 増えていますが,そのせいなのか,それとも人気が減ったのかは 分かりませんが,以前より空いているようには見えました。
たまに熊本に帰って街に行った時に思ったのは,店舗自体の数が減っている ということです。ただし熊本は今は街中よりも郊外のモールの方が 人が集まり,そういうところに出店してるのであれば,街中の店舗を 減らすのは変なことではないとは思ってました。
確かに東京のラーメン店は入れ替わりが激しくて,そこで40年以上 変わらぬ味で人気を保つのは難しいのかもしれません。でも見捨てられるような 味ではないし,やっぱり設備投資の問題だったのかな?と思います。
今後桂花は同じく熊本のチェーン店味千に支援を頼むとの事。味千というのは 熊本ではもっとも店舗数が多いラーメン屋ですが,それゆえにどこにでも ある町のラーメン屋のイメージが強かったのですが,いつの間にか 中国でもっとも店舗数が多く,あと確か日本でも一番店舗数が 多いラーメンじゃなかったかな?と思います。数年前に食べたときは 味もずいぶん高級志向に振っていた気もします。東京でのブランド力は 桂花の方があるので,うまく行けばいい支援になるかもしれません。
変わらぬ味と新しい味,東京で変わらぬ味が求められているラーメンは 一部で,それ以外はほとんどがものめずらしさが売りになってる気がします。 ものめずらしいラーメンは飽きられたら終わりです。桂花は熊本の 人間には変わらぬ味ですが,東京では異端ゆえにものめずらしい味だった のかもしれません。料理店を長く営むのは難しいなぁと改めて 思いました。
- 11/1(人生は楽しいの意)
- 某SNSで「0歳の子供がニコニコと楽しそうなのを見てると, 人は誰かに教えられるわけではなく,本能として人生を楽しめるのだな…と 思った。」と日記に書きました
シンプルに書きたかったので,これ以上書いて無いのですが,言いたかったのは (とか書くと無粋ですが),子供って楽しいこと(何が楽しいか?)を 教えられるわけではないのに楽しそうだ,っていうのを感じて,あぁ 意味無く楽しいのが本来の人間なんだ…っていうことです。ですから, 生きてること自体を楽しめないのは,ある意味本能がどこか狂ってるの だろうな,ということ。それは別に本人のせいではないと思いますけど。
もちろん,子供は泣いたり怒ったりもします。それは不快を避けたり 表明して親になんとかしてもらったりするためで,不快感に対し 感情を持つことは生きるためには重要なことでしょう。でも楽しいという こと,それを表情で表明するということはどういう意味があるのでしょう。
大人に喜んでいることを訴えて,それをもっとやってもらうという目的が あるかもしれません。でも大人が子供が喜ぶことをやってくれるとは 限りません。いや,実際は子供が喜ぶと大人も喜ぶという本能もあると 思うんですが。また無意味なことを楽しくて繰り返すことで子供は能力を 身につけるという面もある様に思います。
ただやっぱりそういう面も含めて子供が楽しむのには理由が無いように 思います。子供はただ何かをするのが楽しい。物事を知ると楽しいし, 体を動かすと楽しい。それは不快を避けるために学習し動くのではなく, 楽しいから学習し動くのだということです。
そう考えると本来は人間はやるべきことのすべてを楽しんでやるのが 本能ではないか?役に立つかたたないか?すら関係なく楽しめるのが 人間ではないか?。だから我々もなんだって楽しむことが出来る。 子供を観てそう思ったというのが,冒頭の意です。
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