だらだら書いた日記です。
日記中のURLはメンテしないので,切れてる場合もあります。
あしからず。
- 2/28(社会に生きる事を後ろ向きに描かれても…)
- TVを観て思ったこと。
都会での(テンプレートな)成功が出来ず,大企業の正社員や, 起業家になれなかった人達に,田舎に行き(帰り),その社会に 根付いて生きていけば,収入が少なくても食べていけるし, 生きがいも結構あるもんだよ…,みたいな報道(?)を時々見かけます。 言われてみればNHKとか多いかな。…それは,正しいとは思います。 でもなんか文脈が,そうする人達に「君は負けたんだから」と 言ってる感じがして,引っ掛かります。もっと前向きに 「元々こっちの方が人間らしい生き方だ」とか 「将来性がある」とか言えないのでしょうか?。
それから,田舎のご老人の生活を補助して地元密着…とか言われても, なんだか,年寄りの生活を助けるために,そういう若者を 呼び寄せているだけじゃないのか?…とか,ヒネタ考えを もってしまいます。
最近うちの近所とかをみていても,それなりに都心に近い住宅地なのに, 介護とか老人向けの事業所が沢山あって,もう年寄りの マーケットしかないのか?…とか思ってしまいます。 これからはお年寄を大事なお客様…として頼るしか無いのでしょうか。
世代対立を煽りたい気持ちはないのだけど,今のお年寄は, 田舎を捨て,都会に出てきて,核家族を推進して来た世代なのに, その結果面倒をみてくれる家族がおらず…,今度は若い労働力を 安価に頼るのか?…というと,誰を中心に世の中は回っているん だろうか?…とか,結局あの世代がぶち壊した家族や 地域社会の建て直しに協力させられてるのか…とか思ってしまいます。 まぁ自分の親も,そんな年寄りだし,わたし自身は親の跡を継がずに, 好きな仕事についたわけだから,恩恵を被った世代にあたるのでしょうが。
いや,結論としては,多分あっていると思うのです。わたしは常日頃, 社会に根付いた地味な仕事こそ価値がある…と思ってるわけだし。 でも,なんか,「あんたらの都合がいいように使われてるだけ じゃのか?」とかいう考えが頭をよぎり,すっきりしないものを 感じました。そしてどこか暗いんですよね…。
- 2/27(非を認めよというのは,少し非に優しくなって欲しい)
- 岡崎の図書館のコンピュータが落ちたのがシステムに問題が あったのに,アクセスした人が犯罪者の様に扱われていた件。 コンピュータの設計に欠陥があったことは図書館はずいぶん前から認めて いたのですが,被害届をいまだに取り下げて無い件で,犯人扱い されていた人が怒っていて,ですが,最近 共同宣言を出し和解したということに なったそうです。ですが,和解したのに被害届は出したままって ことで,/.jpをはじめとしてネットでは 異論が湧き出ているようです。
被害届を取り下げない理由として今後職員が被害届を出すような 事案があった時に躊躇するから…とのこと,この理由に納得 いかない人が多い…ってことのようです。
確かに普通の感覚からするとなぜ被害届を取り消すと,今後 出すのに躊躇するのだろう?…ということになるのですが,わたしが 思ったのは,ってことは,こういう「取り消し」という行為をすると だした職員は何かのペナルティを被るんだろうか?…ということです。
「間違ったことをやった」こと自体が問題になるのか,それとも 届出を元に警察などが動いたので,そっちの組織にも何らかの 迷惑や借りが出来るんだろうか?っことです。
真実は良くわかりませんが,行政が「非を認めない」というのは よく見かけることです。基本的に「間違ったことはしない」という 前提で動いているようなところがあり,間違いを認めるのは,結構な 騒ぎになってからやるので,やっぱり誰かがペナルティ(懲戒とか)を 受けるのかもしれません。
変な感覚だと思いつつ,一方で間違いが起きたら,とことんつるし上げを 食らうのが行政だったりもします。あと,大企業とか,今だったら, 医者とか…。これらの人たちは間違いが起きたら間違いの深刻度に 関係なくとことん追求され,責任を問われる場合が多い様にも 思います。現実の世界ではケアレスミスは起きるものなのに, 起きると大変なことになります。
わたしは間違ったら間違ったで訂正すればいいとか,謝ればいいとか, そういう風に考えるタイプですが,そういう風に考えると,今の ミスに対する厳しい社会というのは,逆に謝りにくい状況を作ってる よな,という風に感じてます。
というわけで,今回取り下げると次回から職員が躊躇するのは おかしいという人は,きっと行政がミスを犯しても,間違ったら 訂正すれば良いよ…と言ってくださる人なんですよね?。 そういう人が増えれば世の中優しくなっていいと思うんですが, どうも世の中は逆に向かっているような気もします。
- 2/26(一点買いじゃない)
- 大学の先生が書いた「 「自主的である=わがままである」ということを 理解しよう」という文が気になりました。
以前から学生(大学も含む)が考える就職事情と企業が考える 就職事情に乖離があるなと感じてます。わたしは大企業にいるので, そこからの視点になりますが,買い手市場といわれてる割には, そんなにいのままに望む学生が採れている訳じゃない…という気がします。 優秀な人が少ないのでは?と考えることも出来ますが,そうじゃなくて, 学生が採用されようとやる行動が,どうも企業側から見ると ずれてるように見えたりします。
さて,今回の話は企業側が自主性がある学生欲しい…というのだけど, 大学の方から自主性がある人っていうのは,わがままってことだよ…と 反論してるってことです。
企業が「自主性がある人が欲しい」というのは,自主性を 一番大事な能力としてみてるわけじゃないと思うのです。多分,自主性の 他に,協調性やコミュニケーション能力なども必要だけど,それがあるのは 当然で,それにプラスして自主性が欲しいと思う,…かもしくは, 今の学生に協調性などは充分にあるけど,自主性が足りないから,自主性が 欲しいといっているだけ,だと思います。ですから,その他の能力を 犠牲にして自主性が欲しいわけじゃないでしょう。
ですが,自主性が欲しいというと,こういう風に自主性が一番大事な 能力だ…と学生や学校は思うわけです。こういう誤解をして,自主性だけを 身につけるような教育をしたり,またはそういうふりをして採用試験を 受けたり…とかやるから,どうも頓珍漢な印象を受けるんでは 無いでしょうか?。
余談ですが,毎年数人しか取らないような企業はそうじゃないと思いますが, 数十人もとる大企業は,ある程度人物像に幅を持たせて採用します。 同じ人間を数十人も採ってもしょうがないというのと,さらにそれが 失敗だったとき,採った全員が失敗だと大変だから。ポートフォーリオ的な 発想。そう考えても,どこかで誰かが言ったセリフを真に受けて, そこだけ目指してもしょうがないと思います。
最近の学生事情を見ていて思うのは,物事に答えがあると信じて, それを探しまくる…そして誤解する学生が多い様に思います。 そもそもそこが間違いなんですけどね。
- 2/25(今日は…)
- 春一番とか話も聞こえましたが,とにかく風が強かった。 お昼は結構暖かかった。夜は寒かった。
高校の知り合いとあって飲んできた。
午前様だった。酔った。
そんな感じだった。
- 2/24(マンガの将来)
- 漫画家の赤松氏がマンガのスキャン配信を嘆いている件。 赤松氏は以前も同じことをつぶやいていた気がします。
個人的には作家にお金が入ってこない状態は,作品の質の質の低下に 繋がると思うので,嘆かわしく思ってます。一方でだいぶ前から この状況は起きていますが,解決の方向に向かっている気がしません。 むしろ進んでます。嘆いているだけじゃダメなんじゃ…とも思います。
わたしは(紙の)本を読むのが好きなので,なるべく買います。 気に入った作品は既に雑誌連載で読んでいても単行本を買うこともあります。 わたしにとってはそれは投資だしお布施だったりしますが,こういう人が 沢山いるとは思いません。こういうことをやる少数の人間の投資だけで 業界が回ればいいですが,現在の規模を維持するのは無理でしょう。 紙の本が無くなるのは悲しいですが,誰でも簡単にスキャン出来る紙 …という媒体は本の購買をビジネスとする場合はそろそろ無理なのかも 知れないな…という気がしてます。
じゃぁどうなるんでしょう?。コンテンツの違法流出が業界に打撃を 与えそうになった先行者は音楽です。10年前にCDのリッピングが 誰でもできるようになって急激に拡がりました。CDの売上は低下を続けて, 業界は違法コピーに対して様々な異論を投げてきてますが,意外にも CDは売れてないが,著作権使用料自体は増えてるという話も聞きます。 音楽の場合はパフォーマンスでお金を取る事ができるので, CDは販促と割り切り,ライブ等でお金を取るということも考えられます。 著作権使用料が増えてるのは,おそらく携帯向の着歌とかiTunesとか そういうのが結構伸びてるからでしょうが,簡単にコピーできる媒体を捨てて, コピーコントロールされてる媒体に移行する…という事も考えられます。 考えてみたらコンテンツがレコードや本で売られているのは,それが 産まれた時,その媒体が,個人が所有できて,かつ,素人が複製できない 媒体だったからでしょう。
ただこれらの考え方がそのまま本に適用できるとは思いません。今電子書籍も 試みが始まってますが,本当に始まった…というレベルです。 音楽が10年経ったらこうなっていた…という感じですから, 本の方も10年とか経たないと分からないな…とは思います。 おそらくその間に作家の淘汰も起きるし,表現の変化も起るんでしょう。 音楽もミリオンセラーが無くなったり,ファンとのコミュニケーションを 強化したプロモーションが増えたりとか,今でもいろいろと試みが 行われてます。マンガも電子書籍じゃないと出来ない動画や音を 組込んだ表現とか,スキャンしたら意味をなさないような, ページを折り曲げて立体的に表現する(思いつきで書いてます)とか, いろいろ新しい表現が産まれて来るかも知れません。
日本の視覚コンテンツの根幹を支えているのは,巨大なマンガマーケットだと 私は思ってます。アニメだけじゃなくゆるキャラとかが流行るのも, 日本が幼少の頃から大人までマンガに触れているからでしょう。 これから産業構造が変わるかも知れませんが,いい方向に「も」 伸びることを望んでます。
- 2/23(男女…)
- ふと思ったんですが,会社組織は偉くなった人の方が,案外人の いうことを聞く。わがままな人の方が,出世しない気がする。 …と偉い人がたくさん頼まれごとをやっているのを観て思った。
話変わって,…。ちょっとしょうも無いネタ。
ネットに後輩に彼女を取ったといわれて焦ったが,実は 嘘だったという話を読みました。結局いい話で終わったのですが, ネットでは結構寝取られネタも観るので,途中まではどっちだろう?と 思っていた。…というか,若者の間では,こういう寝取られたみたいな 話は日常茶飯事なんでしょうか?。どうも自分の経験からは,あまり 縁が無いので。
実はむしろ驚いたのは,ここで出てきた後輩が「自分は文系だから 将来が不安。なので医学部の女子を,逆玉を狙って口説いている」と いった件。いまどきの文系の男はこういう考え方をするのか?と。 最初から紐狙いか?。いや冷静に考えれば,女性が将来楽に暮らそうと 医者の男子を旦那として狙って,口説くのはありだから,男女平等を 考えたら,ありなんだろうけど,個人的には男して許せん…と 思うのはわたしは男女差別論者なんでしょうか?。
でも,もし将来,自分の息子がこんなこと言ったら, マジで怒ると思う(-_-;)。これも古いとか,頭が固いとか 言われるのかしら。
- 2/22(観ろ,選べ,行動せよ)
- まだ人生が終わったわけじゃないのですが(^^;),自分は,まぁ そこそこ社会の中で成功したのかも知れない…と思います。 もちろん財をなしたとか,知られるようになったとか,そういうの じゃないのですが,生活に困らない程度の収入を安定して得られてるって 意味じゃそうなんでしょう。
そういう自分が「成功」するにはどうしたらいいんだろう?と考えます。 なぜ考えるかというと,子供がいるので,少し「人生に必要なこと」を 伝えたいからです。もちろん,親が子供に説教しても逆に反発するかも 知れないし,別に経済的な成功がだけが人生に一番重要なこととも 思わないのですが,自分の中でぶれない物差しがないと教育も できないので,たまにはこういうことを書くのもいいかな…と, いうことで,時々そういうことを書きましょうかね。
で,今回の話は,自分がなぜ成功できたのか?…と考えたら多分 「沢山観ること」「選択肢から選ぶこと」「選んだ行動を行った (し続けた)こと」かな…という気がしました。だから そういうことが出来るようになって欲しいということです。
個々について書くと,観ることは,情報を得ることですが, 人の話を聞くとか,そういうことも含みます。更に人付き合いとか そういうのも含みます。わたしは今でも好奇心が強くて,本業と 関係ないこととか,なんの役に立つか分からないことでも,知ることが 大好き。たぶん「わかる」事で快感が得られる質なんだと思います。 ですから,知ること自体はあまり苦労をしてません。知らない人に ものを聞きにいくとかいうのは多少の抵抗もありますが, 割と出来る方です。
「選ぶ」というのは,得た沢山の情報から,何かを選ぶこと, または沢山考えられる行動方針からなにかを決めること…と指します。 多分世の中には物事を知ることが大好きな人は沢山います。 マニアと呼ばれる人など,知識欲は豊富だし,それを披露するのも 好きです。でも社会で思うのは,沢山の情報をもっていても「選べ」 ない人は結構います。選ぶことはリスクを負いますが,選べない人は アウトプットを出せません。わたしの中では三つ挙げた中で一番重要なのは 「選ぶ(決めるを含む)」事だと思います。
最後は「行動する」つまり選んだことを実行にうつす。または,必要な 行動を「継続する」ということも含みます。実際の経験や継続して 身につけたもの…というのは,知識だけの人,選択だけの人…からすると, 簡単に真似できないものです。最初の二つは机上で全て出来ます。 ですが,行動することによって,それがその人だけのものになります。
- 今回「観る」「選ぶ」「行動する」というかなり一般化した言葉にしたのは, 実際はその詳細は,その人がやりたいことによって大きく変わるからです。 「観る」というのは「勉強をする」になる場合あるし「人に会う」の場合ある 「現地を回る」場合もあります。でも多分人と差をつけるには, なにかその目的について,人よりも多くのinputをもっている…って事が 大事な気がします。
「選ぶ」ももしかしたら「考えつく」とかそういうことも含むかも知れません。 わたしは実は研究職でありながら,あまり「考える」という事が良く 分かりません。行き詰まるととにかくinputを増やしていき,かってに 選択肢が出てくるのを待つタイプです。ですから,わたしにとっては発想と いうのは,自然にわいてきたものから,選択することになります。
行動するも,一つのことに取り組むというのもあるし,とにかく 作品をつくり続ける…というのもあるかも知れません。
ちなみにわたしはこの三つが必要と書きましたが,多分人によっては, どれかが欠ていても,他の部分が突出して成功する人もいると思います。 でもその場合は,多分他の人が,その人の欠けている部分を 補ってくれるとか,そういうものが必要な気がします。ですから, 例えば知識が足りない人とかは,決断はできないけど知識は豊富な人とか, そういう人と組む手はあります。実際そういう風にして経営者とかに なっている…という人も結構多いでしょう。ただそれはそういう幸せな 出会いが必要ということになります。 ですから,最低限の成功を保証するには,ある程度,この三つは 自分でやった方がいいように思います。
というわけで,今日の説教はこの三つ。あとこれとは別に コミュニケーションとかいろいろ必要なことはありますが,また別途。 今日はこの辺で。
- 2/21(革命って良いことなんだろうか?)
- 中東で今起きている騒ぎ,例えばエジプトで大統領が退陣したとか, そういうニュース,個人的に今立て込んでいる事もあり, あまりきちんと追ってません。ただアレを「革命」と 言っている人もいれば「クーデターでしょ?」とか言っている人もいますが, どっちなのか良くわかりません。一方でSNSやインターネットが 「革命を手助けした」という声も聞えます。
内容を知らないので是非を語ることはできないのですが,クーデターは ともかく「革命」という言葉を使っている人の多くには, それを「いいこと」の様に書いている人が多いように思います。
ふと思うのは,「革命って良いことなんだろうか?」ということです。 喜んでいる人の頭の中には,多分今まで続いた長期政権で, 権力者は腐敗しており,そして民衆は困窮している,だからその権力者を 倒すのは良いことだ,という図が有りそうです。そしてそれを ネットが助けたというと,ネットユーザはますます喜んでいる…様に 思います。
仮に革命としましょう。でも,革命が起きたからといって,その国の人の 生活が良くなるかわかりませんよね?,幸せになるか分かりませんよね?。 それで良いことと簡単に言えるんでしょうか?。特に権力者の交代ではなく, 単なる権力者を倒しただけであれば,これからその国の政治は 混乱することは必至であり,早期にまとまればまだしも長く乱れたら, かえって昔の方が良かった…って事にならないでしょうか?。
某極東の国も,長期政権が倒れて,その後の新政権が混乱していて, …良かったと思います?…:-p。
もう一つ,アジアとかアフリカとか,そういう国で内乱が起きると, 西洋の国の中には,収拾のために力を貸すべきだ…という意見が出ます。 もちろん,内政干渉だから静観すべきだ…という意見もでますが。 でも,既にこれまでの政権がどこかの大国の支援とか受けていたりすると, 元々影響力があるので,今更「知らない」とは言えないような状態なのかも 知れません。
でも,こちらでも良く思うんですが,もし日本の戦国時代に,100年も 戦乱が続いて日本の民衆は疲弊していたわけですが…,その時代に, じゃぁどこかの大国が積極的に収拾に関与していたら どうだったんでしょうね?。そうなると信長も,秀吉も,家康も いなかったかも知れないし,徳川幕府は成立しなかったかも 知れませんね…ってこと。
戦国時代はもしかしたら日本の民衆にとっては最悪の時代だったのかも 知れませんが,なぜか時代劇では人気がある時代だし,そこで 社会構造が変わったりいろいろあった気がします。あって良かった …というつもりもないけど,全否定するべき時代なのかな? …という気はします。
というわけで,外国の内乱に外国が積極的に関与するのは,わたしは 結構慎重です。人道支援…と言われると辛いんですが…。
- 2/20(慈善家が政治をするんだろうか?…)
- 今日は親子三人で,友人宅に訪問してました。楽しく過ごせました。
ところで。
田村耕太郎という人がワタミ前会長の都知事選出馬について 書いてました。わたしはワタミの人が知事にふさわしいかどうかは, まだわからないので判断できないのですが,この書かれてる内容には 正直首を傾げました。
経営者が政治をすべきだ…という意見は,同意できる部分もあるのですが, 「政治は究極の慈善事業である」ということを書いていることに 「?」と思います。つまり成功した経営者に成功したのだから, 慈善事業をやれといってるってことになります。経営者とは,そもそも 自分の損になることをやらない人じゃ無いのでしょうか?。
有能な人にただ働きをしろ…という感覚が良くわかりません。この方, 元議員ですから,自分も究極の慈善事業をしたのかもしれませんが, 他の人も同じように考えると思ってるんでしょうか?。世の中, そんな慈善な人ばかりで回ってるなら,まだ違う風景が見えるんじゃ? 無いですか?。そんなに世の中慈善家ばかりに見えますか?。
ワタミの人をいうつもりはありませんが,一般論で言うと, 成功した経営者だと,小さいお金に確かにセコセコしないかもしれません。 でも巧みに自分や,自分の会社,または自分の業界に利益を誘導すること だって可能なわけです。そもそも今までの業界で働いていれば,ものすごい 額のお金を儲けることが出来る人が,どういうメリットがあって 政治の世界に入るのか?というのを考えるのでしょうか?
いや,わたしは実は政治家が損得とは別に滅私として働くことも あり得るとは思います。でも本当に実績のある偉い人にそういう 仕事をしてもらおうとしたら,少なくともその利益を受ける国民は そういう人を尊敬とかすべきじゃないでしょうか?。それをやらずに ただ政治家は汚い…とか蔑んだりバカにしたりするから,結局, 政治家自身もだんだんわけのわからない人ばかりになってるように 思います。
有能な人に働かせようと思ったら,おそらく何かその人にメリットを 与えないといけません。政治家だから国民のために働くのが当然だ…と 思ってる国民だと,多分いい政治家は育たないと思います。
- 2/19(意味なんていらない)
- fujiponさんが「人生の意味は?」と問うているのを 読んで考えてしまいました。「意味」ってなんだろう?。意味は, じゃなくて「意味」の言葉の意味です。
生きている必要性とか,人生が大事とかそういう意味か?とも 思いましたが,どうもわたしは「意味」というと,書き言葉で 書けるような事の様に感じます。ですから,単純に「あなたが 生きていることは大事なことだ」というのは,意味とは違う 様に思います。
そういう風にふまえて書くと,わたしは「意味って必要?」と思います。 人が生きるのにその人固有の「意味」って必要なんでしょうか?。 わたしは必要ないと思うし,そういう「意味」が無いとその人の生に 価値が無いという考え方の方がおかしいと思います。人は 生きる意味がなくても,生きる価値はあるし,必要もある様に 思います。
いつからか人には,個々の価値が必要みたいなことがいわれるようになって, ナンバーワンとか,オンリーワンとかとにかく個人に意味を求めます。 でも人は多くの場合,誰でもいいけど,誰かがやらないといけないことを する必要があり,そういう風に生きている人も多いのです。それは 誰でもいい事なので,個々の価値はありません。でも,「人」全体と しては価値があることだと思うのです。
個々の価値はなくても,自分が生きる価値は日本では一億分の一くらいは あります。世界では70億分の一くらいはあるでしょう。 人ひとりひとりは誰でも良くても,人がまったくいなくなると, 人間は人間として存在できません。過疎になり困っている地域が ある様に,別に自分ではなくてもいいけど,人がいないと, 人は困るのです。
そういう意味では,みんなが生には意味があり,みんなの生が 必要でしょう。個々の生に意味が必要なんだろうか?,そういうのを みんなが求めるから無理があるんじゃないか?,そういう 思います。
- 2/18(疲れた)
- 今日は10年ぐらいぶりの知り合いに会社で会ったり,その後, 会社を休んで役所周りをやったり,また夕方会社に戻ったりで, いろいろ忙しかった。というか疲れた。ちょっと頭が回らない。
- 2/17(洋楽と日本人)
- 今回日本人がグラミーを取ったのは,日本のマーケット進出を 狙ってのことという記事を読んで,どうにも皮肉ぽい記事だなぁ…と 感じました。まぁグラミーを日本人が取ったのが単純に音楽の質だけの 問題ではない…っていうのは,当然思ってますが,改めて 書くようなことかね…という感じがします。
グラミー以前にラリー・カールトンが松本氏と組んだのとか, スタンリー・クラークが上原ひとみを起用したのは,日本がアメリカの ジャズマーケットとしてとても重要だからで,そんなことは一年中 日本にジャズミュージシャンが来日し,夏フェスなどには大挙して 来ることを考えれば当たり前の話です。アメリカのミュージシャンは 日本が好きですが,それは日本人が海外のミュージシャンを 大事にすることと,音楽自体を鑑賞するからというのもあります。
ですから,別に日本のマーケットを当てにしてるのは,今年に限った話では ないのではないでしょうか。わたしはむしろそれよりも音楽に限らず 日本の食事やマンガ・アニメやファッション等が西洋で地位を上げていき, これまで経済面でしか注目されてなかった日本が文化的な面でも 評価されるようになってきてるんではないか?…と今回のグラミーでは 思いました。
少し昔話になりますが,かって日本で貸しレコード屋が大流行したとき, 著作権料をどうとるか?というのが問題になり,日本のレコードは 貸し出し一回毎にお金を取るようになりました。ですが,洋楽は それも認めず,結局ある時期から洋楽の新譜は貸しレコード屋から 無くなりました。わたしの記憶では,その後から日本の方も洋楽を 積極的にプロモーションしなくなり,日本の音楽マーケットは 邦楽一色になりました。時期的にいうと,80年代は日本でも盛んに 洋楽がTVで流れたりして売れてましたが,90年代になり無くなったと いうことです。
わたしはこの時に日本の音楽マーケットはアメリカから 見捨てられたのだな…と思いました。結構ガッカリしたものです。 ですから,今回のグラミーが日本マーケット目当てだといわれても, 簡単には信じがたいな…と思ったりしてますが,どうなんでしょうね?。
- 2/16(「笑う」の意味を考えない方がよい)
- ネットで「(w には嘲笑が入っているので嫌い」という言葉を 読みました。これと似た様な経験があるのでちょっと思うところを。
「(w」というのは2ch等で使われる「笑ってる」というサインです。 雑誌とかのインタビューとかを読んでいるとよく「(笑)」という表現が ありますが,これと似たようなもの…といえばそうかもしれません。
わたしがネットを始めたのは20年ほど前でインターネットのメイルとか ニュースでしたが,当時わたしは,冗談を書いたり,相手の発言に 面白かったよという時に「(笑)」というのを良く書いてました。
そのうち,数年たった後「(笑)」ではなく「(爆)」という表現を見るように なりました。最初わたしは意味がわからなくて「自爆」,つまり 自嘲の意味かと思っていたのですが,どうやら「爆笑」の意味で使っている 人もいるように感じました。「(笑)」だと爆笑以外に,「ニヤリ」みたいな ニュアンスもあるので「(爆)」と「(笑)」は意味が違うんだろうと 思ったのですが,たいして面白くなくても「(爆)」と書くので, もしかしたら同じニュアンスで使っている人もいたのかもしれません。 というのは「(爆)」を使う人は「(笑)」をほとんど使わないからです。
さて「(w」ですが,これは「(warai)」が途中で切れたものだと 思います。2chではローマ字入力で途中で途切れたままで書くことが 多いので,こういう表現になるのでしょう。そういう意味でいうと 「(笑)」と「(w」は途中で切れた…という以外は同じ意味になります。 ただし,途中で切れてるのでいい加減に書いていると取る事も 出来るかもしれませんが,そう思う人がいるかわかりません。また 2chとかでよく見かける表現ですが,もともと2ch自体がふざけて書く 内容も多いので,2chの文法で書かれている「(w」は「(笑)」より ふざけて感じる人も多いかもしれません。
ただ,今の若い人は,多分おちゃらけていることがカッコイイと 思っていること,2chでインターネットに入った人は,それが汎用性のある 文法だと思ってるかもしれない…ってことを考えると,必ずしも そこにふざけた態度があるかどうかは分かりません。
一方で古いネットユーザは,文字数を短いほうが美徳という価値観もあって 「(笑)」と4バイト使うよりは「(w」の方が効率的だと思ったりも します(笑)。
というわけで,わたしは今は「(笑)」も「(爆)」も「(w」も, それを使う人の属性の違いは感じるものの,表現しようとするものは, 多分差は無い…と思うようにしてます。
もっとも,人が真剣に書いている時に「笑って」反応すべきではない?と いわれてしまうと,一理ある場合も有りますが,その場合どの表現も 失礼…ということになります。
インターネットは顔が見えないコミュニケーションです。その場合, 相手が悪意を持っているか,好意をもっているか,ふざけているか, 真剣か…というのは,なかなかわかりません。わたしは基本的には, すべて相手は好意的に書いている…と思うようにしてます。そっちの方が 精神衛生上良いので。やり取りの中で悪意を持っていると確信した場合は そういう対応をしますが,最初はどんなにけんか腰でも,そういう 表現をする人だ…という風に考えます。
ちなみに実際に人に会う場合も同じように考えるようにします。 ギクシャクしてる人でも,たんに緊張してるだけとか,そんな感じで。 基本的に,そう思っていたほうが得の様に思います。相手が警戒してる時に, 警戒やけんか腰で返すと,結構こじれますが,好意的に返すと, 相手がけっこう肩透かし…になる場合が多いような気がします。 まぁへらへらしていて怒られた経験もあるんですが,そういうことも あると踏まえた上で,でもそうしたほうが得が多いと思ってます。
…わたしのネットコミュニケーションや実際の人付き合いでの, ノウハウ…みたいな話でした。
- 2/15(少し上昇?)
- 昨夜振り出した雪はボタボタと結構な勢いで,朝起きたら 一面真っ白になっていた。自宅の周りは10cm位の積雪でしょうか。 先週末も雪だったけど,ちょっとそれよりは量は多かった。 もっとも,昼から天気になり,結構溶けたけど。
…ところで。
昨日日本のGDPが3位に転落というニュースを観たので, さぞかし失望感がニュースに溢れるか?と思って,蓋を開けたら,久しぶりに景気上昇というニュースの方が支配的でした。 まぁ景気がいいに越したことはないのですが,ちょっと肩透かしでした。
昨夜のニュースでもやってましたが,新型のスマートフォンが売れてるとか, 新興国に売れているとか。一年くらい前に,日本の携帯はカラパゴスで 日本の携帯メーカはダメだ…みたいなニュースを散々見た気がするのは 気のせいでしょうか?。確かに出遅れたのは事実でしょうが,去年の くれ辺りから出始めた国産のスマートフォンはどれも好評の様です。
日本の企業は優秀だから,何を作ればいいかがわかれば,いいものを 作りますよね(笑)。そういう意味じゃトップに立たない方が, 強いのかも知れません。
…というのは冗談ですが,昨日はもう一つB’z松本氏がグラミーを取ったってニュースに驚きました。 枝野官房長官が「日本の一つの大きな柱が、 芸術、文化の面にもあるのではないか」とか今更, 寝惚けた事言ってますが,もう日本はそっちの方面を強化しないと, 埋没するんだから,国は戦略をもって文化の海外進出を考えるべき でしょうに。マンガの殿堂を潰したから,なかなか認められないのかも 知れません。
余談ですが…,そういえばラリー・カールトンって一般の人はあまり 知らないでしょうけど,この辺の紹介ってこれからTVであるのでしょうか?。 興味あります。
話を戻して,なんとなく昨日から今日にかけて,経済面とかで明るい ニュースが多かった気がします。経済って波があるものでしょうけど, 明るいニュースが出たり暗いニュースが出たりで,今は明るい波だなぁ…,と。 で,その波でもうけてる人いるよなぁ…とかちょっと思いました。
- 2/14(商店に必要な売上は昔より高くなってませんか?)
- 金曜日にクローズアップ現代で「ガソリンスタンドが消える」 っていうのをやってました。要はガソリンスタンドが どんどんつぶれていき,過疎地などではガソリンを買うために 数10キロいかないといけなくなっている状況…という話でした。 ガソリンスタンドがつぶれる理由は,ガソリン自体の需要の低迷と, あと建設ラッシュの時に作ったスタンドの耐用年数が切れたのが, 設備更改出来ずに廃業していくということでした。
こういうのをみていて良く思うのは,単価を高くして維持する ことは出来ないのだろうか?ということです。もちろん そんなに単純な問題じゃなくて,みんなが自分の住んでいるところで ガソリンを入れるわけじゃないので,高くすると別の ところにいれにいくっていうのもあるんでしょうが。
ただガソリンスタンドに限らず,今って,昔に比べると, 店を維持するのに必要な売上が凄く高くなってないのだろうか?…と 良く思います。逆に昔だとそんなに客がいない個人商店が結構あって, 一日何人の客をさばいているかわからないけど, それなりにやっていました。今でも,たばこ屋とか町の 電気屋とかそういうのにはそういうのがあって,実は別の仕事で しっかり儲てる…っていうのも聞くんですが,そういう 別の仕事がなくても,駄菓子屋とか食堂とか…, やっていっていた…というのは間違いでしょうか?。
例えばコンビニとかはフランチャイズ制で,本部に利益を 吸い上げられるから,物凄くたくさんの販売をしなくてはいけないし, 価格設定も決まってるから利益率を上げることができないのは わかります。スタンドも系列だから,その様なことがあるのかも 知れません。でも,フランチャイズの店がやっていけない様な ところだったら,上納金は無いし,店が持ち家だったら家賃もないから, あとは適切に仕入れを出来ていれば,自分の生活費だけの利益が 出ればいい,みたいなのは出来ないのかなぁ…とか, そんなことを思います。
いや,多分出来ないのでしょうね。流通も昔と変わってるから, そういう個人商店がうまく仕入れられるようなルートは あまり無いのかも知れません。若い人はネットで何でも買うから, 宅配便だけがあれば,ものを買うのに困らず,困るのはお年寄だけ …って事なのかもしれないけど。
話を戻しますが,ガソリンは取扱うのに資格とかいろいろあるから, 共同購入とか,宅配とか,そういうの出来ないのだろうけど, なにか,その辺,過疎地に関しては緩和出来ないのだろうか?…とは 思います。火事になっても周りに家も無いところだったら, まとめ買いしたものを貯めておくタンクとか置いておいたら ダメなんですかねぇ。
- 2/13(mixiとfacebookとtwitter)
- 今日は小金井公園で梅見をした。小金井公園に行くのは実は初めて。 妻と息子の三人で行った。大道芸とかちょっとしたイベントもあって, 楽しかった。
…
先週くらいにFacebookにアカウントを作ったのだけど,何も起きず, ほっておいた。この週末経歴を入れてみたら,何人か知り合いが 見つかったので,「友達」になった。Facebookについてはその程度の理解。 その程度の理解なんだけど,最近のメディアでのFacebook騒ぎは理解できず, 単に誰かが金儲けをしたいので煽ってるだけじゃない?…という気も してます。Facebookは実名登録が必須(ってことになっている)から 日本では流行らないとか,またはmixiやtwitterと機能が被るので 流行らないとかいう人も結構います。
ちょっと使って思ったのは確かにmixiとかなり機能は被ります。 TwitterのTweetに当たるものがありますが,mixiにもあります。 e-mailアドレスをやり取りしなくてもWebや携帯でメッセージが飛ばせる というのも便利だとは思いますが,それはわたしがmixiで便利だと 思っていた機能です。
一方Twitterですが,こちらは有名人の声が聞けるというSNSというよりは マスメディア的な部分が強まっている気がします。それはそれで ポジションがあるでしょう。
Facebookは実名に結構こだわっていて,実名じゃないとばれた人が アカウントを停止されたという騒ぎがあるようですが,確かにFacebookは 実名であるゆえに,連絡が途絶えた古い知り合いを見つけることが出来ると いう機能においてのみmixiとは異なります。ですから,Facebookが 実名にこだわるのは,それがその生命線だからだと思います。
でも多分実名主義である限り始めない人っているでしょうね。あと 実名主義だから繋がるのは,リアルに親しい人のみとなります。 リアルに親しいならメイルや電話でもいいんだけどなぁ…とも 思うんですが,まぁFacebookの方が便利なこともあるんでしょう。
FacebookとTwitterを連動させている人も結構いるようです。mixiと これらを連動するというのあるみたいです。とはいえ,その実名性や フィルタリングの性質からいうとFacebook > mixi > twitterと いう風に,書ける内容は変わってきます。Facebookはリアルな知り合いしか みないので,結構内密な事がかけますが,その内容がTwitterに 流れたら大変なことになります。mixiはちょうど中間。ですから, これらは仮に全部使うとしたら使い分けが必要で,すべてを連動させる わけにはいか無いのだろうなと思います。こういうサービスを いくつも使うのはちょっと面倒といえば面倒なんですが,使い方が 違うので,全部を連動させるわけにもいかない所が, 悩ましいです。
あと,mixiがいずれガラパゴスの様にまた言われるのかなぁと,ふと 思ったりもしてますが,どうなることやら。
- 2/12(救って欲しい人と救わなくていいんだろうか?という人)
- NHKで「無縁社会」というテーマでいくつか番組をやっているようです。 今日もTV討論をやっていたようですが,わたしは観てません。昨日とか その前とかにちらちらとやってるのを少しだけ観ました。
無縁社会で救いを求める人の声をたくさん紹介していたようです。 その人たちの境遇にはいろいろと本人ではどうしようもない不幸な ものがたくさんある人も多いのかもしれません。ただ,少し気になったのが, TVで取りあげていた多くの声が,皆救いを求めている声だった…と いうことです。
一人暮らしで知り合いが少なかったり,派遣社員で将来に不安が あったりとか,そういう人達が目立ちました。更に前に,派遣社員とかが 経済格差で苦労している…みたいな話もやっていたので,なんとなく そういう流れなのかなという気もしました。
なぜ皆自分を不幸だと自覚し,助けてくれ…と救いを求めるのだろう? というのがわたしが不思議に思うことです。人と関わりたかったら, 自分から関わるべきじゃないか?と思います。自分を救って欲しかったら 人を救うのが一番の近道な気が,わたしはします。でも,TVで 救いを求めている人は,ただ救って欲しいと言っているようでした。
30年くらい前でしょうか?わたしが思春期の頃,田舎暮らしの若者が 都会に出て行くというドラマが良くあり,その時に彼らが言っていたのは, 田舎は人付き合いが鬱陶しい…みたいな話です。そうやって都会に出て 来た人達が結果的に一人で寂しいというのは,どういうことなんでしょう。 ネットで人と付き合うのが楽しい…という人も出てきて思いましたが, なんとなく「自分に都合がいい付き合いをしたい」という人なのかな?と 思いました。
人と付き合うといろいろ面倒なこともあります。あまり得意じゃない人とも 付き合わないとその場に入れないこともあります。頼みを断れなかったり することもあります。でも,人と付き合うというのはそういうことです。 自分が人と付き合いたい時にだけ付き合うとか,助けてほしい時だけ 助けてもらうというのであれば,それは孤立するでしょう。
それからちょっと思ったのが,確かに派遣社員とか将来が不安とか いうのはそうなんでしょうが,わたしは格差とかいうと 真っ先に思うのは,山谷とかあいりん地区とかにいる日雇い労働者や 飯場にいるような人たちです。 以前それについてレポートした本を紹介しました。その時も 書きましたが,わたしはある時期そういう世界に興味を持って ちょっとだけ見たりしていました。ああいう人たち,あと ホームレスの人たち…そういう人たちが,まず働けるような場を 作るのが先じゃないか?という気もしてます。
別にもっと生活が苦しい人達がいるから,我慢しろといっている わけではありません。ただ一時期批判されていた公共工事とか, そういうのが肉体労働者の仕事を奪ったりとか結構あったんじゃないかな?と いう気がします。国が無駄遣いしていると批判していた人たちは, もしかしたら経済的に困窮している人たちの仕事を奪っていたのかも しれません。
最近,いろんな部分で批判口調が世の中に多い気がします。しかし 誰かを批判するという行動をみんながやれば多分自分達にも厳しい 世の中になります。救って欲しいと思うのであれば,救いあう 世の中にならないと難しいんじゃ無いかな?と思います。
- 2/11(雪)
- 今日は休日。 朝起きたら既に雪が降り始めていて,昼過ぎには地面が白くなり 始めた。ということで今日は一日自宅にいました。もっと 積もるかどうかは明日の朝次第かな。
- 2/10(子供の頃…)
- 徒然に思い出話。
うちの近所の公園がちょっと前から工事をしてます。かなり 広い公園ですが,半分以上立ち入り禁止にされていて,少しつまらないです。 芝生の敷地を掘り返してなにをやってるのだろう?と思うと,どうやら パイプを埋めているようです。なんで埋める必要があるんだろう?とも 思うのですが,もしかしたら夏のゲリラ豪雨の時に水がたまったり するので,排水をするようにしようとしてるんでしょうか?。土や 芝生ですから,ちょっとぐらいの雨でたまることはなくて,よっぽどの 大雨の時だけだから,いいんじゃない?と思うし,本来土にしみこむ 雨水を下水に流すと地下水は減るし,下水は溢れるしってなるんですけどね。
ふと思い出したのですが,わたしが小学校に入るころ,その頃 わたしは大分市に住んでいたのですが,家の近所に,いつも 水がたまっている水溜りがありました。川とかじゃなくて, 多分独立した水溜りだったのですが,めったに干上がることがなく, いつもたまってました。子供が入ってもももくらいの深さだったし, 大きさも直径が10mもなかったんでは無いでしょうか?。住宅地の ちょっとした空き地にありました。
よく考えたら,いまどきそんないつも水がたまってる水溜りが 住宅地にあるなんて無いのですが,あれはなんだったんだろう?。 干上がらないのは,どこかから水が流れ込んでたのだろうか?と よくわかりません。とにかく,その水溜りはいつも濁っていて あまり綺麗ではなかったと思いますが,タイコウチやゲンゴロウが いつもいて,子供の遊び場としては面白かったのでよく行ってました。 その近くには製材所があって,そこにもカブトムシの幼虫がいたので よく取りに行ってました。今は多分,そこは街の中心地だと思うのですが, 昭和40年代の日本はそんなものでした。
思い出話ついで。宮崎監督が「火をおこしたりナイフを使ったりすることを 学校に入る前に国が教えるべき」と言っているようですが, そんなものは国じゃなくて親が教えるべきとわたしは思います。 自分の場合はマッチを使うのは学校に上がる前にやっていたけど, 木をこすったりして火を起こしたり,レンズで起こすのは学校に 上がってからだった気がします。カッターナイフはちょうど小学校の 頃に普及してきて,それ以前は剃刀か肥後守だったけど,肥後守は 学校で禁止されていたような記憶があります。まぁ刃物は男の子だったら 中学生くらいから憧れて持つようになると思いますけどね。
この手のことは言われなくてもそのうち自分の子供には教えます。 ただわたしは,そんなに特別なことじゃないとも思ってますが。
- 2/9(謝りすぎのマズイ世界)
- medtoolsさんがグルーポンとニコ動の謝罪について 感心していました。この方はお医者さんなので,医療事故とかの 時とかの謝り方とかかなり気にされている方でもあります。 グルーポンとニコ動がどう良かったかは,書いておられるのを 読めばよいかと思いますが,この二つの例は基本的には顧客がいて, 顧客が迷惑を被り騒いだ例です。
一方で最近良く思うのは,明確な被害者が騒ぐ前にマスコミが大騒ぎして, 迷惑かけた方も,対応を誤り窮地に堕ちるケースが結構あるな…って事です。 今ふと思ったのが,大相撲。八百長問題から春場所が中止になり, 再開の目処も立ちません。公益法人じゃなくなり…どうしたものか… という話があちこちで出てます。
最近の大相撲はその前に弟子への虐待騒ぎとか,賭事とか,もう次々と 不祥事が出てきて,そのたびにマスコミが大騒ぎして,協会も 理事が変わったり,なにか行動をしないと…とあたふたしているような 気がします。
もしかしたら大相撲は謝りすぎたのではないか?…と思ったりもします。 もちろん暴力騒ぎや賭博は法律に反することです。でもこれも関係者を 破門にして終り…という手もあったかも知れません。八百長も ガッカリした人は多いかも知れませんが法律には触れません。 「これは神事だから,打ち合わせもありえる」という言い方も出来たかも 知れません。まぁいいわけとしてはダメですが。
大相撲がダメかダメじゃないかは,本場所を開催して,実際に見に来て もらうお客さんに問うのが本来あるべきだったんではないでしょうか?。 もし贔屓が今の状況に我慢がならないのであれば,単に客の入りが悪くなり, 協会はそれでやっていけなくなるだけです。それも込みで相撲を楽しめるなら 客は離れません。それで良かったのかもしれません。
大相撲をみていて思うのはは,どうも出口が見えないことです。 マスコミは次々とあたふたする協会を面白おかしく伝えるだけです。 同情論も出てきません。マスコミの無責任な終りのない非難にまともに 対応しようとして,それでドロヌマに入ってしまったんではないか?…と 思いました。もしこのままいつまでも本場所が開催されず,大相撲が なくなってしまったら…,それって大相撲ファンが望んでいること なんでしょうか?。
あとついでに謝りすぎて失敗してるなぁ…と思うのがNHK。不祥事は 多いですが,なんかやっぱり民放が大騒ぎしたり,当のNHKが大騒ぎしたり…。 これは顧客である視聴者が受信料を払わない…という状態になってるので, まぁ確かに顧客が怒ってるっていうのもあるんでしょうが…。 お金を払いたくなくて騒いでいる人もいるでしょうし, 一視聴者のわたしは,あんまり大騒ぎをするよりいい番組を作って 欲しいだけ…と思います。
いま,日本は企業・団体がなにかをすると,かなりマスコミが大騒ぎして, その対応に失敗して,ドロヌマに落ち込む状況が結構多いです。 こんな世の中でいいんでしょうか?。足の引っ張りあいをしてるだけのように 見えるときもあります。
- 2/8(命より治療費?)
- 記事「がんの心配、「死」よりも「治療費」」によると, ネット上のアンケート調査結果,ガンは,死ぬことよりも 経済的負担の方が心配する人が多いという結果になったそうです。 わたしはタイトルを見たとき,「死ぬのにお金の心配をするのか?」と 思ったんですが,詳細をみると少し違ったようです。
このアンケートをみると,まずガンが治ると思ってる人が4割以上います。 そして治療費が心配…ということですから,つまりお金をかければ 治るが,そのお金をかけられるかが心配…っていう意味なんでしょう。 がんにかかったときの対応も,医師が進める医療の他に自分が よいと思う治療,費用がかかっても先端医療…という人もいるので, つまりは保険適用外の高額な治療に期待している…ということも 言えるかも知れません。
わたしは,ガンが治るか治らないかは一概に言えないと思っていて, 例えば早期ガンは手術すれば治るので,むしろたいして治療費が かかりません。長期に費用がかかるのは抗癌剤や先端医療や あやしい療法で,これを長期に続けるガンというのは,むしろ 完治が難しいものではないでしょうか?。ただ抗癌剤で数年生きるケースも 結構あるし,その中には未承認の抗癌剤である場合もあるので, 確かに大量のお金をかけたらその分長生きできた…というケースは あると思います。
ただわたしは,そのケースよりも,高額な医療を受けても, 延命の期間は程ほど…というケースをまず想像してしまいます。 ですから,治療費の心配というのは,延命の対費用効果…, つまり死とのバランスで考えます。死より治療費という表現は ちょっと違うんですよね。極論をいうと自分が生きていて仕事を 続けて稼ぎ出すお金から治療にかけられるお金がプラスか マイナスかで治療を受けるべきかを考えてしまいます。 もちろん蓄えを切り崩せば何年か治療を続けられるかも知れませんが, 家族に幾らか残したいとか考えたりで,その辺のバランスを考えます。
ちなみにわたしの場合は,高額医療費の自己負担分…つまり年間 100万くらいは,高いとは思うけど払えるかな…とは思うので, わたしのいう経済的に負担となる治療費は,もっと高い額を 想定しています。この辺は個人の経済事情で違うとは思いますが。
まぁ大雑把にいうとわたしも死は心配してもどうしょうもない…とも 思うので死よりも治療費が重要な問題…というのは,聞かれたら そう答えるかも知れません。でも, 先日も書きましたが,どうもガンはお金さえかければ治る …という認識が増えてるような 気がして,それってあってるの?…とこういう記事を読むと思います。
- 2/7(愛知での実験)
- 愛知の選挙について。
地方の選挙というのは,地方の人が選ぶのだから,部外者からは わかりにくいし,あまり意見を言うべき事ではないのかもしれません。 今の名古屋の市長が名古屋で何をやっていて,それが市民生活に どう影響を与えているかを,東京在住のわたしが知ることは難しいし, 実際知りません。
ただ個人的な好みでいうと,誰かを悪者にして,自分の人気を上げるのは, 前向きじゃないので,好きではありません。あと議会や役人の給料を 減らして,どれだけ財源が捻出できるんだろうとか?という疑問もあります。 それから議会と首長を同時に選挙して自分の味方で固めるのは, 権力を集中させる事になり,もし市長が本当に市民のためになる 政治をすれば,スピードは速いですが,逆の場合のリスクもかなり 大きくなります。
ですので,今回の愛知の選挙結果は,「大丈夫だろうか?」というのが 一番の感想です。でもやっぱりわたしは部外者なので,愛知の人達の 選択が,今後どういう形で現れてくるのかを,外からみるしかないの だろう…と思います。
本当に減税なんか出来るんでしょうか?。それで市民生活はどう 変わるのでしょうか?。もしうまく行けば,その手法は他の行政区の 参考になるかも知れません。いい方に行くような気があまり しないのですが,わたしの予想が外れても,いい方向に行くことの方が 良いので,生活が良くなるように期待しております。
もう一つ追記すると,地方の議会(議員)というのは,大きく変わらないと いけない時期に来てるのかも知れません。市民の代表ということを, 市民に実感させないと,ますますこういうことは増えるんでしょうね。 今はネットもあるので,細やかに意見を聞いて回ることや, 想いを伝えることは出来るんでしょうが…,わたしが住むところでも 市長言葉は聞えても,議員の言葉はなかなか聞えないのが大丈夫かな? …という気はします。
- 2/6(春場所中止は相撲は八百長が無いという宣言)
- 大相撲が八百長疑惑で春場所を中止するというニュース。 その前に中止検討の話が出てる時,そういう雰囲気は感じましたが, いざ中止になると,ちょっとは驚いています。
八百長疑惑については,そのソースの出所が気に入らない…と いうのはありますが,八百長自体については,なんともいえません。 相撲がスポーツなのか,エンターティメントなのか,格闘技なのか, はたまたちまたで言うように神事なのか,では神事とはどうあるべき なのか?というのはよくわかりません。
ただ思ったのが今回八百長疑惑で中止をするってことは,協会として 八百長があることを,あってはならないことと公に宣言したって ことでは無いでしょうか?。今後再開する時は,大相撲では八百長は やってない…という立場だってことでしょう。
例えばプロレスで八百長が一切行われていないと確信している人は 多分少ないでしょう。最近ある総合格闘技って言うんですか?K-1とか その他…そういうのはどうなんでしょうね?。一方でボクシングや サッカー,プロ野球などは,プロスポーツではありますが, おそらく八百長は無い…という立場でやってるように思います。 オリンピックなどがあるアマチュア競技はおそらく八百長は無いでしょう。
プロスポーツは見せてお金をもらう仕事ですから,プロレスの様に 台本があるというのも本来はありなのかもしれません。でも,わたしは 小学生の頃,プロレスを真剣勝負だと思っていました。K-1は わからないと書きましたが,台本があるのか無いのかあいまいのまま 続けるというのもあったのかもしれないなぁ…とは思います。
これまでも台本や打ち合わせは無いにしても,手心という意味で, 真剣勝負を避けてるような取り組みはたまに大相撲でも感じることは ありました。また関取は最強の格闘家だ…と以前聞いていたのに, 曙が他の競技でボロボロなのを見ると,そうじゃなかったなぁとか いうのも感じていて,多少大相撲のメッキははがれかけていたようにも 思います。
今回思ったのは,八百長が発覚しましたが,個人単位でやっていて, おそらくやっていたのは一部の力士ですから,逆にほとんどの力士は 真剣勝負をやっていたのだなぁ…と逆に少し感心しました。あと, 今回の中止は,相撲から本当に八百長を無くす覚悟をしたってことですから, 今後相撲は八百長がなくなるのかもしれませんし,手心もなくなるのかも しれません。それはそれで相撲の格が一つ上がる…と思います。でも, もしかしたら角番でいつまでも頑張る大関…とかはいなくなるかも 知れないなぁ…とはちょっと思いました。
- 2/5(SNSと携帯電話)
- 今日Podcastを聴いていたら,Facebookが広がったのは, 携帯で使えるから…という話をしていました。例のエジプトの 騒乱もFacebookが使われてるらしいけど,その文脈だとエジプトでも 携帯でFacebookを使ってるってことでしょか?。
日本で携帯…というとi-modeをはじめとしてブラウザで大抵の Webを見れますが,海外だと単なる文字メイルくらいしか送れない 携帯も多く,そういう携帯でもFacebookって使えるの?…っていうのが よくわかりません。スマートフォンだと当然でしょうけど。
わたしはWebとかメイルとかをこれまで使ってきて,それに加えて 一時期mixiを使っていたのは実はmixiは携帯から結構使いやすい からでした。まぁ今は結構パケ代がかかる(広告がなくなると 減るはずだけど)ので,携帯ではあまり使わなくなりましたが。 もちろんWebも携帯から見えるのですが,mixiは携帯のときは PCの時とデザインが変わって見やすいように思います。ちなみに Twitterもそうだし,今のSNSは大抵そうなのかもしれませんが, そうだとすればSNSは携帯で使われることにより広がってるのかも しれません。iPodでもmixiやTwitterはPCや携帯とは違った 画面デザインになり,案外みやすいです。
自分はインターネットは主にPCでやるので,もしかしたら よく見えてないだけで,今のSNSは携帯機器で評価しないと, 良さがわからないのかもしれません。ネットのコミュニケーションの 良さは,時を選ばずに出来ることだと思います。メイルは 時を選ばずにコミュニケーションを出来るようにしましたが, PCだと場所には限界があるのが,携帯で場所の制限も除くことが できました。また会社や学校のネットだとアクセス制限が ある場合がありますが,自分の携帯だとそれもありません。
みんなはっきりとはいいませんが,こういうサービスに必須なのは 案外,仕事中や授業中でも使えることなのかもしれません。 ほら,議会でも携帯使っている人もいるし(笑)。
- 2/4(ラジオは復活してるの?)
- 病み上がりなせいか,まだ頭の切れが悪いので簡単な話を。
一時期存亡が危惧されていたラジオですが,どうも最近話題が増えてる 気がするのは,もしかしてラジオ盛り上がってます?。リスナー増えてる?
サイマル放送のradikoが 始まったときに,ネットでこれが話題になったのは,当然だと思うのですが,radikoが全国へ広がりVIERAでも受信可能とかいう話を 読むとradikoリスナーが確実に増えてるんだろうか?という気がします。 これと関係あるのかわかりませんが,先日昔でいうラジカセにあたる, ラジオを(メモリーカードに)録音できるレコーダがソニーや,ビクターから出たり,安価な携帯プレーヤにもラジオがついたりとか, どうもラジオ搭載機器が増えてる気がします。
radikoでラジオリスナーが増えて,それを録音して聞きたいとか, インターネットが繋がらないところでも聞きたいとか,そういう需要が 増えてるのでしょうか?。
一方今年に入りNHKがpodcastで日本語のラジオニュースを流すようになって (以前から外国語はあった)これが凄く便利に思ってます。朝出社しながら ラジオでニュースを聞くと新聞とかTVみなくても,重要なニュースだけは チェックできます。
わたし自身は,学生時代からずっとラジオを聴いていて,特に大学時代から 毎朝FMを聴いて起きるという生活でした。iPodを買って,あと引っ越してから ほとんどラジオを聴かなくなったのですが,ラジオが供給するコンテンツ 自体は優良だとおもうので,ネットとの親和性が上がることにより, リスナーが増えて,また制作が続くことを期待します。
- 2/3(徒然)
- ネット見ていて思ったこと,いくつか。…。
警察が捜査上知り得た,容疑とは無関係で違法性がないことを, ペラペラと公表していいものだろうか…と 相撲の八百長のニュースを聞いて思いました。 八百長は誉められないけど。
…。
別の話。
Facebookが実名主義だとかいうけど,偽名がたくさんいるよ っていうのを読んで笑った。まぁ正直Facebookを使う気に 全然ならなくて困ってます。なのにメディアではえらくFacebookを担いでいて, 今日もPodcastでこれからはFacebookみたいな事を言ってました.
正直どこで盛り上がってるかわからないのに,メディアがあおるのは そこに何か金儲けの種でもあるんですかね?という感覚です。 …
次。
邦人保護に自衛隊を海外に出すか?という話。 多分西洋のスダンダードは自国民の保護のために軍隊を出すんだろうけど, かってそれを理由に植民地侵略をやってきたのを思い出すと, そんなにうかつに出来るものでも無いかな?という気はする。 ただ,同盟国とか,相手の国の近くまで許可が得られれば, 助けに来て欲しい…とは思うけど。
- 2/2(地方再生)
- 紙屋さんが地方経済の再生について考察しているのを 読みました。氏は福岡在住の様にわたしは読んでますが,九州は わたしの田舎でもあるし,将来すみたい場所でもあるので, いろいろと考えてしまいます。
紙屋氏は地方経済を支えるものとして,富を生み出すもの, 富を都会からもってくるもの,富を中で循環させるものという 大きく三つの役割ついて論じているのですが,いずれにせよ明確な 答えは(多分誰も)もってないと思います。
富の循環も重要だと思いますが,おそらくいまや地方でも日本でも 普通にコンビニやネットでものを買うわけで,そのたびに首都圏や海外に 富が流出してることを,結果的に自分達の仕事を減らしていることに ほとんどの人が気づいてません。だから結局は難しく,わたし自身は, 外から富を持ってこないといけないと思ってます。都会から富を持って くるのは,公共事業や地方交付税などの政治史システムに頼るところが 多いともいますが,何故かこの辺が,ネガティブに報道されるので, 大手を振ってやれないところも結構苦しいと思います。
わたしは経済というのは交換だと思ってるので,富を生み出すには 結局外部にものを売らないとダメだと思ってます。そうなると地方は 都会や海外に富を流出させてるので,その分以上の富を外から持ってくる だけの何かを生み出さないといけないのでしょう。以前は 安い土地価格と人件費で,安い生産物だったのでしょうが,それが もうだめだというとなんなんでしょう。紙屋氏が最後に(イ)〜(ホ)で あげている,イロハあたりがそうなんでしょうか。それも一理ありますが, 一つ書くと,高付加価値製品は安価な大量生産があって可能, つまり層の厚さが重要だと思うので,この二つは相反するものじゃなくて, 両方やっていくべきだと思います。そのためには,アジアの安いところと 戦えるくらいの安い生産物で出した赤字を賄えるくらい,高価な 同じようなものを出していく必要があるでしょう。そうなると, いろんなものを賄うことは無理で,もう少し生産物を絞る必要が あるかもしれません。いや逆に生産物は絞らずに,組織を大きくして 吸収する必要があるのかもしれません。
あと高付加価値を持たせるということは,文化を発信するということと セットだと思います。そうしないとすぐに真似されてしまいます。 ただ日本全体の文化は海外では見直されてますが,その中に地方の 由来を売りにしたものがほとんど無いのが残念です。B級グルメや ゆるキャラがそうなのかもしれませんが,方法論じたいが全国共通なのが, かなり残念な感じがします。他の方法は無いのでしょうか。
答えは無いのですが,なんとか地方がもっと将来性を感じるところに なって欲しいと思ってます。
- 2/1(お休み)
- 昨夜発熱。今日は微熱。会社を休みました。病院にいったのですが, インフルエンザでは無いらしい。
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