2013年1月の日記&雑感


だらだら書いた日記です。
日記中のURLはメンテしないので,切れてる場合もあります。 あしからず。


1/31(自分には解決済の問題)
ネットで 森美術館での「会田誠展」抗議してる話を 読みました。件の絵は,個人的には嫌いですが,それを場所を 仕切って展示するのはセーフとわたしは考えます。森美術館の 趣味は疑いますが,公立の美術館じゃないし,展示の主旨はそ れぞれでしょう。
いろいろ書こうかと思いましたが,自分は芸術についてはもう 何十年も考えてきてそれなりに答えがでてるので,ネットで騒 がれている観点(賛成側反対側どっちにも)にはいくらでも突っ 込めるのですが,偉そうになるので止めておきます(^^;)。
別の話。
匿名日記で北海道に行きたいと行ったら,旦那に行けば? といわれた乳児の母が切れた叫びを読みました。まぁ子連 れの旅行が大変なのはわかるけど,わが家は結構行ってるよ なぁ。長男が1歳になる前から泊まりの旅行も行ったし,1歳半 の時に北海道も行った。工夫して旦那も協力すればなんとでも なる。
もっともこの日記は,旅行に行きたいということより,旦那が 育児の大変さを理解してない…ってことが発言の主旨だと思う ので,本当に旅行に行きたいかは謎:-p。
更に別の話。
同じく匿名の日記で女性研究者らしい人が 結婚・出産なんて無理…って書いてました。 大学出て,博士過程まで行って,なんとかどこかのアカデミッ クポストについて,その後,研究の業績あげてとかやってると 出産可能時期を過ぎる…と。
おっしゃってる人生設計は良く理解できるけど,この人…何し たいんだろう?,何したくて研究者やってるのだろう?…と思い ました。
多分これも本音は結婚とか出産をしたいというのではなく,し たくないのにしろといわれるに対する苦言なんでしょう:-p。
もう一つ思ったのが,研究者のくせに恐ろしく頭が固い…とい うか,一本の道しか考えられないのだなぁ…ってこと。そんな に典型的な人生しか考えられなくて,研究とか出来るんだろう か?:-p。
研究職をする…という目的としてはいろいろ考えられて,わた しの場合,一番やっていて楽しい仕事で飯を喰えれば一番幸せ… というのがもっとも最大の理由ですが,なので,他の仕事でも 実は可です。その他にも,世界一の結果を出して名をあげたい とか,技術で世の中の役に立ちたいとか,そういう正のインセ ンティブも考えれますが,元の日記はあまりそういうことが見 えてこない。むしろ結婚したくない,出産したくない…ので研 究者を選んでないか?…。研究以外出来そうもないから研究選 んでないか?…という気すらしてきます。
ちなみに研究をしたい…にしても,いろいろ道はあります。そ の中で結婚・出産・育児をしてもそれなりに業績を残せる道も 知ってるし,実際にそうしている女性も沢山知っていたりしま す。だから結婚・出産をまずしたい,その上で研究もしたい… というなら,道は探せばあるんだけどねぇ。狭いという意味で はどこでもそうだけど。
…。
上に書いた三つの件は,自分の中ではそれなりに回答がある話 だけど,世の中には悩んでいる(と思い込んでいる)人がいる なぁ…と。ネットは経験や年齢や立場が不問なので,自分には 古いネタが結構生々しく出てきます。…ってことは,結構自分 が大きな問題だ…と悩んでいることも,「そんな古いネタで」 と思われてることも多いんだろうなぁ…という気もします。そ れが社会の営み…。

1/30(おでかけ)
今日は平日だが,仕事を休み,家族で出かけた。 子供はたくさん遊びました。

1/29(教育とインセンティブ)
会社で管理職などやっていると,自分だけが手を動かして いたら仕事が進むって事はあり得なくて,誰かにいろいろお願 いをすることになります。それは部下だったり,他の担当だったり, 対外者だったりします。そういう中でおのずと,自分以外の 「人」をどうしたら動かせるか?…ということはかなり意識し ます。「組織」は契約や利害関係で動きますが,組織の中の 「人」を実際に動かすには,また違った次元のものが必要です。 そして実際は人が動かないと組織は動きません。
会社というのはヒエラルキーになってますから,権力者が存在 しますが,実際にその人が部下を動かす力は何か?…というと, 突き詰めると「人事権」と「予算」になります。あと「決裁力」 というものもありますが,これは部下がやりたいことを止める ことは出来ますが,直接やらせることにはなりません。
人事権は昇格だったり所属部署のコントロールです。昇格させ てやる気を出させたり,嫌な部署に異動させたり等,飴と鞭と 両方あります。予算というのは,人が何かをしようとしたら費 用が発生するので,それをコントロールするって事です。 国会の重要議案が予算審議であるって事からもわかるように, 予算というのは具体的に人を動かすには重要な手段になります。
予算と人事が人を動かすというと,身も蓋もないように思うか も知れません。実際会社のリーダは行動力やアイディアで人を 引っ張る…というっていう方がかっこいいです。ただアイディ アや行動力で人を魅了できるかは人次第,そういう人がリーダ になるかはわかりません。そういう人間的魅力だけで人を引っ 張れれば部下のモチベーションも高いし,費用もかからないか も知れませんが(笑),まぁそういう人材は常に不足してます;-p。
ここまでは以前も書いた話です。以下,今の社会問題。
例の高校の体罰問題で,体罰が良くないという大枠には賛成で きるもの,じゃぁ全ての教師が,どの様に生徒を指導するかと いう具体論がないと,学校が荒れるか体罰は結局無くならない… という風になるように感じてます。 発生練習さんが人に何かをやらせるという場面 を四つに整理してます。良くまとめてるなと思いますが, 人を動かすには「内発的動機」「正のインセンティブ」「負の インセンティブ」のいずれかが必要。そして内発的動機と正の インセンティブを十分に与えられないケースでは負のインセン ティブを使わざるを得なくなり,体罰より効率のいい負のイン センティブの方法がわからないと体罰に走ってしまう…という 話でした。
さて会社においては人事権や予算は正のインセンティブにも負 のインセンティブにもなります。またリーダの魅力…っていう のは正のインセンティブや内発的動機に繋がりやすいです。基 本的には人間は正のインセンティブや内発的動機に駆り立てら れているときは気分が良いですが,負のインセンティブに駆り 立てられるときは不快感を感じます。でも強制力は負の方が強 かったりします。ですからどうしてもやって欲しい場合に負の 強制力に頼らざるを得ない場合も結構あります。ただ負の強制 力は体罰であるかどうかに関わらず「パワハラ」に落ち込む場 合があります。学校では体罰が問題になりますが,会社になる と体罰はそもそもほとんど起きないので,精神攻撃になります。 そしてパワハラ訴訟になったり,一方で病気になったりします。
そう考えると,あまり体罰かどうか…というのは重要じゃない というか,体罰を禁止したら,今度はパワハラが問題になるの かしら?…。その場合世論はどっちに与するんだろうか?…とい う気がします。
上に書いた通り,本当は負のインセンティブに頼らず正のイン センティブを行使できる方が良いです。でも会社においても, 誰でも昇級させたりボーナスをあげるわけにも行きません。わ たしも若い人にやる気を出させようと言うなら,「原資」をよ こせと言ったことありますが,そんなに振れる袖もないのです。 お金は万人に魅力を感じさせますが,学生の場合お金では釣れ ないので,成績だったり,称賛だったり,内申書だったり…と そういうものになるのでしょうか?でも称賛も安売りしていた ら価値が下がります。
自分の考え方というかやり方としては,第一には自分自身の魅 力で人を引っ張ることを考えますが,そういうことって誰にで も可能だろうか?という気がします。自分でもうまく行く場合 と行かない場合があります。尊敬されるにはまずは好かれるこ とが重要ですが,好かれることと舐められることは紙一重です。 あとやる気が無い人は,そもそも人を尊敬しません。自分のや りたいことの先に誰かがいるときその人を尊敬するわけですか ら。
と,こんな感じ。具体策は自分の場合自分のケースでしか言え ないので,一般化できません。でも具体策がないと空論になる だろうな…と思いました。
ちなみに,どんなに学校を良くしても,社会にでたら社会は理 不尽です。じゃぁ日本を良くしても世界は理不尽なところが多 いです。理不尽さを子供の目の前から隠しちゃっていいんだろ うか?…という疑問もずっとあるのですが,これはまた別の話。

1/28(アフリカがらみでいろんな繋がり)
ちょっと短めに。
アルジェリアの事件を契機に国防軍とかいう議 論がでているって話を聞いて驚きました。今回の件は海外 での邦人を救出するためって話になるので,国防軍というより も海外での軍事行動っていう話になります。明治以降に中国で 起きた事変とかの例を見るに,外国での邦人保護が名目となっ て,軍事介入…そして戦火拡大というケースが多いので,ここ は慎重に議論すべきです。今回の事件を考えても,いきなりそ こに飛ぶのは性急でしょう。
一方でアフリカや中東という危険なところで日本のプラント開 発が行われるのは,日本が海外に原油を頼っているから…って いうことになります。ですから,そんなところに日本人の民間 人を派遣すべきじゃない…という話になると,じゃぁ火力発電 は不要ですか?…という話になります。そう考えると結構難し い問題なんですよね。円安の件もありますが,原発再稼働をし ないことが,どういう事態を招くかは,良く考えてみる必要が あるでしょう。
fujiponさんの書評によるとアフリカでは 自国のサッカーではなく,ヨーロッパのサッカーに熱中してる とのこと。日本では野球もサッカーもファンはとりあえず国内 のチームを応援してそれから国別対抗戦に興じるというかんじ ですから,アフリカの事情は意外でした。
とはいえ,サッカーとか,あとオリンピックもそうですが,そ の辺の競技は基本的にヨーロッパが本拠地のものが多いです。 逆に言うと,ヨーロッパは自国のスポーツを海外に積極的に普 及させようとしてます。これはヨーロッパがスポーツにより世 界に覇権を広げようとしてる…ってことになります。この辺, 昔モータースポーツに関心があったときに考えましたが,一方 アメリカはモータースポーツ(インディとかスーパークロス)に しても,球技(野球やアメフト)にしてもあまり海外に広げる行 動はしてません。でも映画や音楽は盛んです。この辺,アメリ カとヨーロッパって住みわけをしてるのか興味あります。
話がそれましたが,いずれにせよ,ヨーロッパのサッカー政策 はある意味政治的側面もあるって事ではないでしょうか。
…というわけで,案外いろんなものは繋がっていたりするわけ です。あれはダメ,これはいいとか単独で言っていても実はう まく回らなかったりします。だから難しいです。

1/27(美術館でランチ)
今日は近所の美術館に家族で行って,美術館の周りを散策 して遊んだ後,美術館のレストランでランチをして帰ってきた。 天気がよく景色もきれい,食事もおいしくて結構贅沢な時間を 過ごした。
最近美術館に凝ったレストランを入れて,食事で人を引き寄せ るというのが流行っていると聞く。今日行ったところも,広尾 にあるレストランがプロデュースした料理を出す店が入ってお り,なかなか好評の様子。
地方の美術館だと企画展だけで客を呼ぶのは難しいだろうし, 折角景色がよく建物も特徴があるので,こういうやり方はあり だと思う。

1/26(meadowメモ)
今日は土曜日。午前中,子供と公園で遊び。午後は自宅で。 夕方,車検を出していた車を取りに行った。夜は,ちょっとワ インを飲みすぎた。
ネタがないので,ちょっとパソコンのセッティングのメモ。
Windows 7を入れたパソコンでmeadow3を使っている(emacsのバー ジョンは22.3.1)。最初最小のパッケージでやっていたが, フルパッケージをインストールしたらhtml-helper-modeがエラー を出すようになった。何が悪さをしてるのか良く分からないが, またパッケージを減らしたら正常にもどった。
meadowの上でmewを使っている。summeryモードでのk Iがエラー になるようなのでずっと悩んでいたのだけど,mewのバージョ ンを6.3から6.5に上げたらエラーが出なくなった。

1/25(健康法)
私を知る人にいわせると,私は実年齢よりずいぶん若く見える そうです。一応自分の主観でも,年齢より若く見えると思いま すが,主観なのでなんとも。あと自分の知り合いには,自分と 同じくらい,もしくは自分より年上で,自分と同じように見え る人は割りといます。
自分としては特にアイチエイジングとか何もやったことがなく, 普通に暮らしているつもりです。なので若く見える,もしくは 老けないためのコツなんか分からないし,ご存知のとおり,6 年前に大病をしてるわけで,決して健康に過ごしてきたわけで もありません。
とはいえ,現在健康とかのためにやってると思われることがい くつかあるので,書いてみます。もちろんそれが若さの秘訣と いうわけでもないので,アンチエイジングの効果はわかりませ ん。
(1)毎朝のラジオ(テレビ)体操。1年半ほど前からはじめました。 血糖値が高かったので。とはいえ効果的には主に柔軟だと思い ます。四十肩対策かな。以前四十肩ぽくなったことあるので。
(2)寝る前の柔軟。といってもうで回しと前屈程度。1分もしま せん。でも,やってから寝るとうまく体の力が抜ける気がし ます。
(3)ジョギング。週2回,15分程度。ジョギングは昔から時々やっ ていたのですが,ひざを痛めることが多く,あまり長続きしま せんでした。これも血糖値が高いといわれてはじめました。以 前は4キロくらい走ってましたが,今は2キロ程度。早朝に走っ てます。体力保持というより,軽く汗をかくというか,心拍数 を上げることで,毛細血管の血を入れ替える効果があるかなと 思ってます。実際心拍数が上がったあたりで,すごく気持ちよ くなります。ちなみに若い頃はジョギングじゃなくて水泳をやっ てることが多かったです。
(4)水分をとる。これは昔からですが,午前中,大量の水を飲 みます。以前は二日酔いだったからですが(苦笑),いまは酒を 飲まなくても飲みます。たぶん午前中に1リッターは飲んでま す。肌にしわが少ないのは,これのせいかもしれません。ただ し,外出前にすると,トイレが近くて大変。
(5)その他。睡眠はなるべく取るようにしてますが,あまり実 践できてません。お風呂で温まるようにしてますが,これも今 のところの風呂は追い炊きできないので,いまひとつです。寝 る前の柔軟もそうですが,昼間も気がついたら,肩から力を抜 くようにしてます。もともと肩こりがひどいので。
あと,実はこれが一番効いているかも知れませんが,ストレス を溜めないようにしてます。といっても具体的にと言われると 難しいのですが。表情を大きく動かすようにもしてます。特に 笑ったりニコニコする方向に。表情を和らげると,心も和らぎ ます。人生を楽しむようにしてますが,これが一番老けないこ とに効いている様な気がします。
ただし明らかに人生を楽しんでいる人にも老ける人いますので, まぁ誰にでも効くのかは分かりません。

1/24(「体罰」?)
昨日に引き続き桜宮高校の件。昨日は手続き論と在校生ケ アの話だったのだけど,別の話。
一連の報道や,そこから始まったいろんな人の発言を見聞きし てますが,どうも今一つすっきりしません。関心がないのか?… と言われると,まぁ自分も子供がいるので,そういう訳でもあ りません。ただ大阪の事情や桜宮高校の事情はわからないの で,…なんとも…という思いはあります。わたしから見えて, 極端に見える意見でも当事者を知っている人からすると,すん なり入っていく話なのかもしれません。
まぁそういう意味では,このケースに限った話ならいいのです が,気になるのは一般論として語られること。
今回の話がでたときすぐに「体罰の是非」が話題になりました。 で,概ね有識者は「体罰は何がなんでもダメ」っていう意見で した。一般の意見では「体罰が必要な場合も…」みたいな話も あったのですが,どうも桜宮高校で実際に起きていたことが明 らかになるにつれ,その意見も減っていった気がします。
…そう,わたしがずっと引っ掛かるのは,そもそも桜宮高校で 起きた事って「体罰」なの?…ってことです。体罰というとわ たしは,生徒(や子供)が悪いことをしたときに,罰として手を あげる事だと思ってました。運動部でしごくために殴ることを 体罰というとは知りませんでした。もちろんこの場合,部員が 先生との約束を破ったのかもしれませんが,生徒の非は見えて きません。今回生徒の父親が顧問を暴行で告訴したらしい ですが,こっちの方がしっくり来ます。 従って今回の事例で「体罰」の是非を問われても今一つピンと 来ないのです。
では是非を議論されている体罰とは何なのでしょう?。今回の 事例は外したとしても,生徒に非があった場合,罰として手を 上げることはすべて体罰…ということなんでしょうか?。親が 子供のお尻を叩くのは体罰でしょうか?。そうだとしたらそれ ら全ては否定されるのでしょうか?。
一方で,じゃぁ手をあげなかったらOKなんでしょうか?。会社 では精神的に部下を追い詰めることもパワハラ…と言うそうで すが,じゃぁそういうのも体罰なのでしょうか?。でもパワハ ラと指導の境目も非常に難しいものです。
さてそういう体罰の定義の話は一旦おいておいて,もう一つ引っ 掛かったのが,スポーツの世界で優秀なチームでは体罰(?)は 行われていないという話とか…。そりゃそうだろう…と思いま したが,件の高校は優秀なチームでもなければ,顧問は一流の 指導者でも無かったということでしょう。一流な指導者は体罰 をしない…と言われても,名医だったら助かったのに…と普通 の医者を訴えるようなものです。一流の指導者は有限です。一 流の指導者を集められない学校は運動部をやってはいけないと いうことですか?。
これ,実は普通の体罰もそうです。夜回り先生が一度しか体罰 をしたことないと発言をしていたそうですが,確かに優秀な教 師は体罰を使わないのかも知れません(それでも一度使ったよ うですが)。でも優秀な人なら体罰をしない…と言っているだ けでは,体罰はなくならないか,先生がいなくなるだけです。
体罰は指導に不要だという話であれば,その指導法が全ての指 導者に共有されるべきでしょう。
ついでに,わたしも知りたいです。わたしも親として子供と接 していますから。わたしは子供であれ,部下であれ,叱るため にはまずは信頼されないと効果がないと思っているので,まず それを構築するのに注力しますが,でも誰にでも強い信頼を得 ることが可能かというと…,それはそれで難しいんじゃないか なぁ…と思ってます。
全ての指導者,そして全ての親ができる,体罰のない世界…が 来ると良いとは思いますが,じゃぁどうすればいいか?…,そ れを有識者の方は語っていただければと思います。

1/23(全体責任と教育)
大阪の桜宮高校の件。
体育科の受験中止ということで落ち着きそうです。受験中止と いう処分の是非については,今一つ私は良くわかりません。た だ手続き論として気になるので。
気になるのは在校生の気持ちのことです。受験なので受験生の 事を問題にする話が多いですが,受験なんて落ちる可能性もあ るので,入学が決まってないのであれば,別の高校を受けると いう事もあるでしょう。
ただ,在校生については,なにか一方的に自分達が責任を取ら された…という感覚があるんではないでしょうか?。
もちろん,校風が問題視されているという点から,全体責任を 取ることになった…という解釈もできます。でも,外部から全 体責任をとれといわれて,納得するケースってあまり無いよう に思います。自分達に非がない(と自覚してる)のに,罰を与え るというのであれば,それこそ元の件と類似性もあります。
外部から全体責任と言われるのは,例えば「日本人だから」と 言われてるのと,同じだと思います。本当にそうだとしても困 惑するケースが多いです。
全体責任は本人が納得して受け入れないと意味がありません。 でも,全体責任と問う人はそこに入ってないからいう場合が多 くないでしょうか?。
あと罰をリーダの思いつきで与えるっていうのは,教育として どうなんですかね?。罰は本来ルールと原則に基づいて行うべ きで,そうでないなら,教師が密室で罰を与えていることと変 わりない気もする。
学校を変えたいなら,世間を納得させるのではなく,生徒や父 母や教師を納得させないと意味がありません。今回の処分は在 校生がもっとも納得できない形になっている気がします。それ で学校を変えることが出来るのでしょうか?。
一方で,受験中止といっても,普通科で体育のカリキュラムを 増やすとか「大人な」解決策も語られているそうです。でも, 先生や父母はともかく,それ教育上はよろしくないと思います。 「形だけ辻褄を合わせればOK」と言ってるようなものです。

1/22(死に方を選んでください)
麻生さんが自分がチューブをつけて延命治療をうけるような状 態になったらさっさと死にたいと表明してる…と言った件。 マスコミが例によって,一般論としていったかの様な報道をし, 麻生さんが個人的見解と訂正するという話になってます。 相変わらず麻生さん,マスコミに嫌われてます。
とわいえ,この訂正された発言を聞いても不快感を感じている 人は少なからずいるようです。一方で延命処置をうけるくらい なら,無理に行わずに速やかに死にたいという考え方に賛同し ている人も多くいます。
いろいろ読んで思ったこと。一つはこういう突っ込みをしてる 人のどれくらいが,真剣に考えたことがあるんだろうか?とい うこと。自分のこと,自分の家族のこととしてちゃんと想定し ているんだろうか?と。
以前,歳を取るくらいなら死にたいと餓死を望んだ人の手記の 書評を読みましたが,その人は挫折したらしく,人間死ぬとい うのことは覚悟してるようで,覚悟できてなかったりします。 わたしは癌になってみて,いろいろと想定が覆りました。死に たいとか死にたくないとかいう単純な話ではなくて,急に問わ れたら簡単に結論がでないのです。
ですから,実際に死目にあったり,家族をなくした体験をして ないと,揺るぎない意見は自分でもわからないのではないでしょ うか?
kunitakaさんが御両親の死の体験を書かれた ものを読むと,母親の死の際に延命を長くやったことを悔 やむ一方で,法律がそれを許さなかった事に救いを感じてると のことでした。人は「お母さんの死の時期をあなたが決めてく ださい」と言われても困るものだと思います。だから出来なかっ たら続けた…というのが言い訳として救いになってるとのこと でした。
家族もそうだし,自分の死についても「さぁ決めてください」 と言われて,簡単に決められるものでしょうか?。元気なとき に,自分の終末について意見を書くことが今はできますが,実 際になったら考え方が変わらないとも限りません。わたし自身 も,ケースバイケースだとしか言いようがありません。
わたしの父親は80代も後半に入りましたが,接しているとおそ らく自分が死ぬことについてどう考えているかわかりません。 もしかしたら自分が死ぬことを考えてない,考えないようにし てるような気がします。でも,その事を親にはとても言えませ ん。「もう何年も生きられないから,どうするかあらかじめ教 えてね」とか人に聞けるようなものではないでしょう。
そういう意味では,死の在り方は実はちゃんとした議論は出来 ないものなんだろうな…と思います。多様性を認めれば認める ほど,実は辛い選択を迫るということになります。

1/21(本能)
ちょっと前に思っていたことだけど…。
乳児を見ていると,不満があると,泣くか暴れることしか出来 ない。周りが状況を改善していても,それがわからず暴れ続け る。それが改善の邪魔をしていていも。 そんなことが良くあります。おむつ代えるときとか。
まぁ子供はそれが普通だと思うのだけど,大人を見ていても, 不満があるとわめくか暴れるかしかしない人いるよなぁ…とか, それって結局人間の本能なのか?…とか思うことあります。こ れも周りが物事を改善しようと頑張っていても,ひたすら邪魔 になるような行動しかしないとか。
具体的にどういう事例…ってわけじゃないのだけど,あなたの ために頑張ってる人に文句を言う人…っていうか,そういう事 例って結構あるような気がする。ひどい話だなぁと思うけど, 子供を見ていて,人間(生き物?)の本質なのかもと思った。
ところで,最近,うちの3歳児を見ると,やりたいことを訴え てきたり,叱ったら悔しそうな顔をするようになってきた。 まぁ,まだ相手の事情まではくめないけど,ダメだと理由は聞 いてくる(大抵納得しないけど)。理性か知性が乗ってきたとい う感じ。泣くか暴れるかしかしないというのは,それ以下…っ て事の様です:-p。

1/20(休日)
先週遠くに行ったりで疲れたので,今日は割りと自宅で じっと過ごす時間が長かった。

1/19(新幹線という値上げ)
今回九州に行くにあたり,JRのダイヤとか料金とかを 調べて思ったことを。まぁメモがわりというか。
ずいぶん以前の日記には書いているような気がしますが,私は ずっと九州新幹線に対しては反対してました。理由は新幹線が 通ると在来線が不便になり,結果的に新幹線に乗らざるを得な いので値上げになるから…です。それは東海道とか山陽線に乗っ たときに普通列車しか走ってなく,100キロ程度の移動が結構 面倒に思った経験から来てます。
私の実家は熊本でよく使うのは博多・熊本間だからというのも あるのですが,これまでのJRの在来線特急であれば,正規料金 は3500円強。ただし,九州には2枚切符というのがあり,2枚で 買うと4500円程度で買えました。つまり1枚2000円強。
これは熊本・福岡間は西鉄という私鉄,高速バスと選択肢が多 いため,競争が激しいので,JRも値下げをしているのです。高 速バスは確か片道2200円くらいでした。
で,在来特急だと時間は一時間半程度,高速バスは混雑により ますが2時間程度です。これが普通列車になると3時間じゃつき ません。かなり遠いです。まぁ学生時代は結構普通列車と西鉄 という組み合わせを使ってましたが。これだと1500円くらいだっ たかなぁ。
ちょっと整理すると在来特急は実質2000円強で1時間半で熊本 から博多にいけるわけです。
さて新幹線。熊本博多間は正規料金は5000円弱。2枚切符だと 7000円なので3500円になりました。1500円の値上げになります。 ただしなんと40分をきります。ハエー。でもこれまで1時間半 で2000円ちょっとだった自分としては,そこまで早く行かなく てもなぁと思うわけです。
実は九州新幹線が開通してしばらくは,熊本から博多までの在 来特急は残っていたように記憶してます。でも案の定なくなり ました。正確には一日1本くらいまだ走っているようですが。
というわけで,やっぱり新幹線開通は値上げだった…というの が私の感想です。まぁ鹿児島の人とかはもともとが結構時間が かかっていたので,やっぱり嬉しいんでしょうけどね。
そういうわけで,実は高速バスを利用する人が増えてるんじゃ ないか?という気もしてます。在来特急と高速バスだと料金と 時間が似てるので,競合してる印象がありましたが,新幹線で すみわけがしっかりついたんではないか?と。
実際九州新幹線に乗って,わりとすいてるよな…という印象で す。考えてみたら,新幹線って一両あたりの乗客数も多いし, 熊本博多間の移動人数がさほど増えないのであれば,そんなに いっぱいにならないでしょうね。ちょっと大丈夫かなぁ,と思 いました。

1/18(九州新幹線)
九州新幹線に初めて乗りました。

1/17(駄菓子的食べ物)
九州育ちの私は就職し上京した後,ふと,もんじゃ焼きを 食べたいと思ったことがあります。でも東京育ちの知り合いに, もんじゃはうまいか?という話題を振ったときに,もんじゃは うまいとかまずいとかいう食べ物ではない,といわれました。 彼が言うところでは,もんじゃはそもそも子供が100円玉を握 り締めて食べに行く食べ物ということ。駄菓子屋にある昆布や 雨やイカと同じように安いお金でだらだら食べるものだ…とい う話でした。
ですが,実際は現在もんじゃは月島とかに行くと平気で1000円 くらいする食べ物になっており,まぁ結局私もそういうものを 食べました。
こういう駄菓子的な食べ物というのは地域性が高いのだろうなぁ と思うのと,どこでもあるんだろうか?と思いました。そうい えば先日静岡に行って静岡おでんを食べましたが,これは駄菓 子屋にあって子供も学校の帰りとかに食べていたそうです。私 は飲み屋で食べましたが。
私が子供の頃を思い返すと,そういうイメージに一番近かった のはたこ焼きでしょうか?。昭和50年ごろ熊本に私はいました が,当時そこではたこ焼きを三つずつ串に刺して売っている店 が結構ありました。で一本単位で買いますが,相場的には30円 程度。チロルチョコが現在の3倍の大きさで10円だったころで すから,現在だと100円くらいの価値かもしれませんが,まぁ 何とか買えました。中には20円で売っている店がある…と聞い て自転車で30分以上遠出したこともあったような気がします。
あと,高校に入った頃は学校の前に200円で食べられるラーメ ン屋があったり300円くらいのお好み焼き屋もありました。あ くまでも駄菓子屋的というのは,大人は行かないような小汚な い掘っ立て小屋でやっていたからです。
他の地方がどうなのかは分かりません。そういえば福岡には20 年位前には一杯100円のラーメン屋があってやっぱり中高生相 手にやっていると聞きました。
そもそも現在は駄菓子屋自体がほとんどありません。おそらく 子供たちは学校の帰りによるとしたらコンビニでしょう。そこ にはメーカが作ったチョコや飴などが,あとコンビニブランド のフライや肉まんなどがあります。それらは昔の駄菓子屋的料 理に比べれば衛生的でしょうが,なんとなく決まりきった味の ような気がします。そういう味が思い出の味になるのでしょう か?。なるのかな,関東の人は結構「うまい棒」とか熱く語る ようだし。

1/16(生徒による教師の査定)
昨日クローズアップ現代で 「生徒がつける“先生の通信簿”」という のをやっていました。生徒が先生を評価するというもので,大 阪の高校の事例だったと思います。
見ていて幾つか違和感がありました。
まず生徒が先生の授業について評価を行うことは反対ではあり ません。大学でも生徒が先生を授業する試みが始まってます。 また会社においても部下が上司を評価し,結果をフィードバッ クするということをやっているところがあります。高校でも生 徒が先生の授業に対しどういう感想をもっているかを,無記名 で報告するのは得るものはあるでしょう。
違和感は,その生徒の評価が先生の賞与の査定となるという点 です。あたかも評価が直接の査定となると取れる放送でした。 しかし無記名で,なおかつ生徒が評価したものが,そのまま教 師の人事的な評価となるのはどうでしょうか?。授業の良し悪 しは生徒の主観で決まるものなのでしょうか?。しかも無記名 という責任があやふやのまま行われた評価です。
生徒の評価を参考に学校の上司や教育委員会等が判断するので あればわかりますが,そうでない場合,教師が単に生徒の人気 取りに奔走する様になりかねません。
あと,一応評価は生徒の理解度や興味をもてたか?…を評価す ることになってますが,本来はその内容は試験でわかるはずで す。そういう意味では先生の評価はクラスの成績でわかるはず ですが,更に詳細や問題点を明らかにするために,評価をする… という位置づけでよいのではないか?…と思います。
無記名で評価して人気取りに奔走…というと今の日本の政治み たいですね:-p。議員の質が向上したでしょうか?。
もう一つ,逆の方向から…。放送で先生が生徒に評価されるこ とに緊張したり戸惑ったりしていたのを見ました。これもちょっ となぁ…と思ったのは,教師は普段生徒を評価してわけで,こ れが逆の立場になって戸惑うっていうのは,普段どれだけ軽い 気持ちで評価してるんですか?…っていう感想をもちました。 そして生徒に評価されたぐらいで,ぶれるなよ…と。
ちなみに生徒の方も戸惑ってましたが,これは仕方ありません。 そもそも評価というのは,それなりに訓練をしないと出来ない ものですよ。評価には責任が伴うものです。それを教えないか ら,日本の政治は…以下略。
さてわたしの場合,授業に対する無記名の評価はまだ聞いてま せんが,記名有りの感想は,良く作文してもらってます。まぁ いろいろと参考になります。教壇の上から教えてるだけでは, なかなかわかりませんから。そういう意味では生徒の声を試験 回答以外から聞くっていうのは良い試みだとは思いますが,そ こが査定に結び付くから,おかしな話になるんだよなぁ…と思 いました。

1/15(残雪,言葉)
連休明けだったり,ちょっと会社の事務処理の都合あった り,出張があったり,雪が残っていたり,で,今日は結構ばた ばたしていた。天気は良かったけど,雪が残っているせいか, 空気自体がまるで冷蔵庫のようにひんやりしている。これはこ れで新鮮だけど,寒い。
まぁこの調子だと2,3日中には路肩の雪もなくなりそう。
今朝,息子(3歳児)と自宅の壁に貼った写真とかについて話し た。「(息子)どうするの?」「(私)今貼ってるのを整理して, 貼りなおしたいのだよ」と話して,「整理する」とか言う言葉 の意味分かるんだろうか?と思ったけど,案の定分かってない。 でもいろいろ言い換えていたら,なんとなく納得していた。
難しい言葉でも,案外こうやって覚えてそのうち自分で使い出 すのかもしれない。子供は案外難しい言葉をポロっとしゃべっ たりする。まぁそれでいいのかも。

1/14(雪の休日)
体罰を肯定するつもりは微塵もありませんが,「体罰をするの は能力がない」とか「体罰を行わずに指導は可能」という話を 聞くと,具体的な方法を教えて欲しいのだけど…と子供を持つ 親としては思います。子供に一切手を上げずに,子供をちゃん とした子に育てるのってどういう風にしたらできるんですか? と思うこともあるので。まぁうちの子も口で怒るだけで泣いた りしますが,それはそれで精神的には責めてるんだよなぁ。
「○○」は悪いっていうだけじゃ,物事は改善しないと思いま す。
…まぁその話はこれくらいにして。
今日は成人式だったらしいですが,昨夜から雨。そして朝から 雪に変わりました。雪はひどくなり,横須賀の海沿いという普 段めったに雪が降らないところでも積雪。夕方には止みました が,風が今度はすごくて…。
都内はもっと雪がひどく,公共交通機関も影響を受けたようで すが,さて,明日ちゃんと会社にいけるんだろうか?。

1/13(強者の理論)
内田先生が就活をやめろっていっているっ て話は,ちょっと前に聞いた気がしますが,ご本人の弁をやっ と読みました。
大学の先生からすると今の学生が就活にかける時間が過剰で大 学の授業や研究に支障が出る…って気持ちは良く分かります。 3年生とか授業ぜんぜん出ない人いるようですから。
でもねぇ。それを大学生自体の行動に訴えるのはちょっと無理 じゃないかなぁ…って気もします。周りの人がみんな就活をやっ てるときに,草の根的にそういうのを自粛するって言うのは難 しい。むしろ業界の合意とか行政の規制とかそういうのに期待 をしないと難しいでしょう。
内田先生は就活をしなくて,今の大学の勉強をしっかりすれば, 何とかなるとか,人と同じような行動をしても価値が上がらな いとかおっしゃいますが,それって強者の理論じゃないですか ね?。内田先生の経験がそうであっても,みんな…というか, ほとんどの人は,自分で道を切り開くのは難しいのですよ。私 だって就職に苦労はあまりしてないし,その後の社会人人生も それなりにうまく行ってるんでしょうけど,その経験を持って, 一般の学生に「なんとなる」って言うのは,いや無理でしょ? と思います。うぬぼれてると思われるかもしれませんが,私だっ て会社では割と出世してるほうだし,内田先生だって数いる大 学の先生の中でもかなり有名な人に入りますよ。特殊な成功者 の経験で語っても説得力が返ってないわけです;-p。
ところで,大学卒業してすぐに就職しなくても何とかなる…っ ていう物言いは,私が社会人になった頃に言われていたフリー ターを勧める言動とそっくりです。そのときだってフリーター をやって夢をつかんだ人もいたでしょうが,多くの人はワーキ ングプアになったんじゃありませんでしたっけ?。成功する人 のパターンだけ紹介して,リスクの高い生き方を勧めるのはど うかな?って気がします。
まぁ実際のところ,私も会社員をやっていると,会社員になっ てうだつの上がらない人も山ほど見てます。世の中にはうまく 行かない人とか,がんばれない人のほうが遥かに多いのです。 そして会社の経営者はそういう人を多く抱え,そしてどう やって会社を運用していくかを考えないといけません。だから 会社で管理職以上をやっている人は,こういうことが身にしみ てます。
自分は何とかなる…と思うのは重要なことですが,教育者が 強者だけの理屈で人を導くのはどうなんでしょう?という気が します。

1/12(批評しないと誉められない)
死ぬまでに身につけたい技術:他のものを貶め ないで褒める」という文を読んだ。
そんなに難しいか?…と思った。つまり何かを誉めるときに何 かを引き合いに出さないようにしたいってことのようだけど, いや,誉めるときに「すばらしい」でいいじゃないか…と私は 思うのだけど。
ちょうど先日「男は批評せずにいられない」っていう話を聞い たのだけど,批評しないと語った気にならないってことなんだ と思う。でもそれって男性的っていうのであれば,女性は別に 批評せずに語れるってことで,批評せずに誉められるっていう のは,そんなに特殊な能力ではないって事です。
批評しないと誉められないっていうのは,誉めてるようで,結 局は「自分は良く知ってる」と自己表現になってる気がします。 それってちょっと不純。
ちなみに誉めるとかじゃないですが,私は音楽を批評するとき, できるだけ「●●と似てる」ということを使わないようにして ます。音楽のスタイルとかは語りますが,それを他の音楽との 比較の形でするのは,何か失礼な気がするからです。ただ批評 を比較なしでするのは,結構技術がいりますが,これもそうい う風に自分に課してやっていくと,まぁ何とかなるようになり ます。

1/11(年賀状チキンゲームの法則)
今日は,鏡開きですが正月も大体終わり,年賀状のやり取 りも収束したような感じがします。今年は70枚程度の年賀状を 送りました。出してない人から来たのは一枚。出したのに来て ないのは10枚くらいかなぁ。一枚だれから来たのか分からない (差出人がかかれてない)のがありましたが。
大体最近はこんな感じです。新しく出したのは職場関係で5枚 くらいか。実は出さなくなった人…というのはあまりないので, ここ数年出す枚数は増えてますが,3年くらい来てない人は, もう出さなくても良いかも。
最近は年賀状よりもfacebookとかで新年の挨拶をするケースも あるので,やり取りが普段あっても年賀状をやり取りしない人 もいます。そもそも住所を知らない人も結構います。
でも私は基本的には年賀状は出すようにしてます。理由は簡単 で,出さなくてもらったらなんとなく気が引ける,出して返っ てこなかったら気にしなくて良い,出して返ってきたらうれし い,から。これって普段の挨拶と一緒です。挨拶して,相手か ら返ってこなかったら気にしなくていいけど,挨拶されて返事 をし損ねると,どこか引っかかってしまいます。つまり挨拶を したほうが精神的に優位なのです。
まぁ「俺に年賀状なんか出しやがって迷惑だ」とか思う人がい るかも知れませんが,そんなことを気にしていては切りがあり ません(笑)。
ただ今年はなんとなく年賀状が1日以降に多く届きました。私 が出したから返した人もいるんでしょうけど,2日とか3日の様 に,単純に遅れて出した人も多かったみたい。私自身,出した のはクリスマスより後でしたから,元旦についたのか不明です。 なんとなく年賀状っていうもの社会的地位が落ちてきたかなぁ と実感しましたが,まぁこれは先に辞めたほうが引け目を感じ るので,まだまだチキンゲームは続くでしょう(笑)。

1/10(信仰と正義)
体罰のニュースが話題になっているけど,「体罰は是か非 か」と問いかけが単純かする方にエスカレートしてる気がして, そっちに危惧する。個人的な記憶ではわたしが中学生だった頃… というと昭和50年代前半か?…あたりで体罰が結構問題として 週刊誌に取り上げられた。その2,3年後辺りには校内暴力が問 題になってきた。そしてだいぶ前から現在に至るまで,今の学 校で大きな問題は「イジメ」になっている。これらって同時に 起きるというより,どれかを抑えるとどれかが顕在化する様な 気がしてる。そういう意味で言うと,どれがダメ…というので はなくて,その根本的な問題って何?…っていうのをもう少し 考えてみたらいかがでしょう?…。わたしはその根本的な問題 は学校だけでは解決できないと思う。
…って話を書きたかったのではなくて,別の話。
「幸福な王子」という童話?の話をちょっとネットで見かけた。 子供に語ると,大抵子供は悲しむのだけど…って。
確かにこの話って救いがない。いや,最後に神様に祝福されるっ て事なんだろうけど,でもそれって日本人的には有り難みがわ からないよなぁ。 せめて街の人達が,後になって感謝したりとかすればまだ名誉 の復権とかになるんだろうけど。
似たような話はフランダースの犬とかもそうなのかも知れない。 神への信仰を元に苦労を受け入れるという意味ではヨブ記とか もそうかもしれないけど,ヨブ記はちょっと聖書を信仰し無い 人には受け入れにくい話ではないかなぁ。
ちょっと話がそれました。幸福な王子の行動が正しいか?とい うとわたしは正しいというか,まぁ美しい話だとは思うけど, それを美徳して子供にどう教えるかは難しいな…と思いました。 これを「美しい」と思うのであれば,わたしの感覚ではこれは 「義」とか「正義」の感覚に近いです。つまり自分の信じる正 義のために,わたしはこの行動を行う…ってこと。じゃぁ自分 の信じる正義がどこからきたか?…というと難しいんですよね。 多分童話とかアニメとかマンガとか,そういうのから正義感と か美徳を学んだんだと思います。
以前書いたけど,わたしはキャプテンハーロックとか松本キャ ラが好きで,彼らの「男」というのに美徳の物差しがあったり しますが,もしかしたらその後にはまった北斗の拳とかでも, そういう美徳を学んだかもしれません。
いずれにせよ,これらって宗教とは関係ない。宗教がなくても 美徳とか道徳とか正義は生まれるって事です。まぁもうちょっ と深く考えるとこれって武士道から来てますよね…とも思う。
さて,最近の子供に人気があるマンガにこれらの価値観が描か れているのか良くわかりません。ワンピースとかどうなんでしょ うね?。

1/9(コミュニケーション能力)
そもそもコミュニケーション能力ってなによ 」って文を読みました。読んでいてハッとしましたが, 「コミュニケーション能力」って言葉の意味って共有されてな いのか…。
昨今,就職の条件というか必須能力として「コミュニケーショ ン能力」というのがあったりするようで,じゃぁ,エセ教育者 である私(学生と接する機会はあるけど,そう言う相談受けた ことない^^;…。)としては,やっぱりきちんと答えられないと いけないでしょう。ついでに書くと,わたしは「コミュニケー ション」研究の専門家ですし(笑)(…ちなみにここのコミュニ ケーションは「通信」の事です)。
リンク先には,大雑把に「人とうまくやってく能力」だろう… と書かれてます。しかしこれでは正確に定義できないから, 「あいさつ」とか「人と話すのが苦にならない」とか「愛敬が ある」とか細くわけてとらえていて,で,その中で必要なもの は,学校と会社とか…という社会毎に異るのでは?…との結論 でした。
うーん,わたしは自分はコミュニケーション能力はあると思っ てますが,そういう風に考えたことはありません。私の定義で はコミュニケーション能力というのは「相手の言ってること (伝えたいこと)がわかること,自分の言いたいこと(伝えたい こと)を相手にわからせること」,これだけです。つまり「意思 の相互伝達」能力ってこと。相手とうまくやっていくとか,愛 敬がいいとかいうのは,あまり関係ありません。相手が何をし て欲しいかがわかって,それに対して何かを返してあげれば結 果としてうまく行く場合が多いし,わかっても何もやってあげ る気が無かったらうまく行きません。コミュニケーション能力 があってもうまく行くかは,自分の気分とか能力とか力量によ ります。
私は自分の定義はそんなに異常とは思ってませんが,ただ,上 に書いた通り,わたしが「通信」屋であること,また音響の心 理屋でもあり,人が音響情報をどう理解してるか?を学術的に 考える立場にあるために,ある人の情報や感情を相手にどう伝 えるか?…と言うことをコミュニケーションととるのでしょう。 そもそも「通信」は「コミュニケーション」の訳語ですし,意 味的にも大きな祖語は無いように思います。
で,相手の言ってることがわかるか?,相手に言いたいことを 伝えられるか?…っていうのは実は簡単ではありません。人は 思ってることを正確に表現できません。また自分の欲求を自覚 でき無い人も多くいます。女性が男性に「あなたは仕事が大事 なの?」とヒステリーを起こしたときに「御免ね,寂しかった んだね」と答えろという話があるように(笑),人はやって欲し いことを素直に言葉にしないものです:-)。
ちなみに自分で相手に何かを言いたいときも,実は自分でやっ て欲しいことをわかってなかったりする場合も多いです。
というわけで,意志伝達という意味でのコミュニケーションも そんなに簡単ではありません。わたしはその能力があると書き ましたが,そもそもわたしは人の話を聞くときに,何を言って るかというより「この人は何を伝えたいのだろう?」というこ とばかり気にして聞きます。だから話の細い事は聞いてないこ とが多い(苦笑)。でも結局こういうことを伝えたいのだな…っ て事がわかれば,何かしらの対処ができ,まぁうまくやれば相 手とうまくやっていけるし,うまくやりたく無い人とは,それ なりにスルーしたりします。
まぁ相手の気持ちがわかった上で答えるところまでをコミュニ ケーション能力という気持ちもわかりますが,相手の気持ちに 答えるには,それこそ千差万別の対処法が必要で,それも含め て必須能力とするのは無理があるでしょう。最初のリンクにあっ たように社会人と学生では違う…というのはその部分です。
…というわけで,学生の諸君に話す機会があれば,コミュニケー ション能力といわれて,人とうまくやっていく事とかを考える 前に,まず相手の言うことをちゃんと理解するとか,相手にき ちんと伝えられるとか,そこをまじめに訓練した方がいいよ… と答えたいです。若者相手に質問とか投げても誰も答えないも のね。何考えてるかわからないですよ:-p。
おまけ:一応何も答えない若者を見て「答えなくてもやり過ご せるからいいよね。周りも反応しないし…」とか「何か答えた方 がいいなぁ。でも他の人も手をあげないし…」とか「何の話?」 とか,まぁそういう感じかなぁとは,わたしのコミュニケーショ ン能力的には考えてます。で,わたしがそういう若者を見て, 何を考えているかは,秘密です:-p。

1/8(スマホとクリエイティビティ)
昨日の日記とか,3日前のとかもそうなんですが,子供にス マホやタブレット等の最新IT機器を与えるべきか?という話に ついて,ずっと引っ掛かっているので。
ネットを使っている大人はIT機器に親しんでいる事もあってか, ネットでは子供にIT機器を与えることには肯定的な意見が多い 気がします。更に今の子供普通に使っているとか,子供のうち からIT機器に親しんでいた方が良い…という意見も聞きます。 これらの意見には一理ある…と思いつつ,やっぱり引っ掛かる 点が多いです。
「子供」が何歳か?という問題もありますが,とりあえずおい ておいて…。まぁ自分で買えない歳のことを指しており,自分 で買える歳になったら,もう親が制限はしにくいかなぁ。ただ ネットも含めて自分で払えるのは,バイトでもやってないと難 しいとは思うけど。
結論めいた事を書くと,ある程度親が監視することを前提とし て,わたしはPCだったらある歳になったら買ってあげても良い かな…と思ってます。もしくは親が使っているものを使わせる。 ゲーム機はあまり買い与えたくないです。特にDSとかのように 外で使えるもの。自宅で使うものは,まぁ使わせるかも知れな いけど。そしてスマホとかタブレット,これもあまり使わせる メリットを感じません。
IT機器に慣れ親しんでおくべき?という意見に関しては,ゲー ム機とスマホに関しては実はあまり納得してません。PCについ ては,そうかもなぁ…とは思ってます。理由は一言で言うと, スマホやゲーム機は「消費者」として機器に接することが圧倒 的に多いからです。PCの場合は消費者だけではなく,制作者と して関わることもけっこうできます。違った言い方をするとPC は「道具」として機能しますが,スマホやゲーム機はあまりそ ういう使い方がしにくい様に思います。
自分がiPodとかを使っていて思うのは,とにかくアプリの言う ままに操作してるだけ…ってことです。そこで自分が何かを産 み出しているという感覚が殆んどありません。もちろん,メイ ルを書いたり,写真を撮ったりも出来るんですが,メイルは書 くのはPCの方ができるし,外で書くときはガラケーで書いてい ます。写真はディジカメで取った方が,速いし綺麗です。 ゲーム機はあまり使わないので良くわかりませんが,基本的に はアプリでゲームをするものでしょう。
一方PCだと仕事で使ってることもありますが,ドキュメントを 書いたり,プログラムを書いたり,音楽を作ったり,いろいろ 出来ますし,実際いくつかしてます。Webの閲覧もしますが, それ以外の使い方も結構してます。
子供に小さいときから慣れ親しませるとしたら,こういう道具 として使い創造性を鍛えるには重要かと思いますが,出来合い のソフトの言うままに操作していく…って事が本当に必要なん だろうか?…という気がします。
もちろんスマホでも創造性をもった使い方もできます。うちの 3歳児はiPadでお絵書きをしたり,ピアノを弾いたりします。 でもYoutube見てる時間の方が長いです(苦笑)。絵を描いたり するんであれば,PCとかの方が自由度は高いはずです。そもそ もスマホは持ち歩けるコンピュータであり,スマホ出来ること はPCでも出来るわけで,スマホである必要はありません。 スマホ出来てPCでやりにくいことというと,外に持ち歩きどこ でも操作できる…ことですが,それが子供に必要なのか?…と 思います。同じ理由で携帯ゲーム機器にも抵抗があります。
もちろん将来ゲームソフトとかITサービスを開発する仕事につ くとしたら,消費行動を知っている必要がありますが,それっ て子供の頃に身につける能力なんだろうか?…という気がしま す。むしろどっぷりはまるとそういう事って冷静にみれなくな るようにも思います。
最近PCからスマホとIT機器のトレンドが移ってきて,技術に詳 しくないユーザにも急激に拡がってます。そして子供にも扱い やすくなりました。でも,わたしがそれを使っていていつも思 うのは,消費者として機器に接しているという自分です。正直 開発メーカに飼い慣らされているような感覚があります。
本当に最新のIT機器に慣れ親しむことが創造性を鍛えることに なるんでしょうか?。わたしはIT機器の発展は(ユーザを広げる ためではありますが),ユーザの創造の機会を奪っているよう な気もします。そういうわけで,道具としての可能性が少ない スマホやゲーム機を子供に与え,子供の時間を奪うには抵抗が あります。

1/7(親との約束)
昨日ネットでアメリカの母親が 13歳の息子にiPhone買ってあげたときに,子供 に約束させたことが書いていて読んだのだけど,その時は, ふーんくらいの感想。まぁ自分にもこういうときが来るので考 えないといけないけど,10年後とかはIT機器は全然状況変わっ てるだろうなぁ…とか思ったくらいかな…。
で,今日になったらこの文が大きく話題になってました。「 この文を読んで感動する人は親になる資格無い 」と言ってる人までいて,「え?」って思いましたが,まぁ 意見はそれぞれ。 問題ないと言ってる意見も多いです。
わたしが改めて読んで思ったこと。
反発してる人は子供プライバシーを尊重してないとか,親がこ ういう言動をひけらかしていることが気持ち悪いとか,そうい う点らしいですが,13歳というのは結構微妙な年齢です。子供 が問題を起こした場合,もっとも大きい責任を負うのは親です から,親が子供の行動の制限をしたり,また親の考え方を押し 付けるのは,わたしはありだと考えます。一方で,子供もその 親の押し付けに素直に従うかどうかはわからないし,親もそう いう事を想定すべきでしょう…と考えます。
13歳という年齢は微妙で,わたし的には,反抗期に入ったくら いです。ですから,親が自分に対していろんな制約を要求した ときに,素直に従うか,反発するか,従ったふりをしてコッソ リ破るか…は良くわかりません。もう少し上の年齢だったら, ここに書かれている約束だったら従ったふりをしてコッソリ破 るかなぁ。もしくはパスワードを知られているような端末は受 取りを拒否するかも知れません:-p。でも子供にとってiPhone を買ってくれるというのは物凄い魅力で,やっぱり逆らえない か…。
親の資格がない…とかいう人は,そもそもiPhoneを子供に買っ てあげてはいけないのです。子供の自由を尊重するなら,自分 で社会にでてお金を稼いでiPhone買え…というべき。iPhoneを 買ってあげる事自体が,子供を自分の子供と思ってることだし, 多分iPhoneを買い与えることで,この親は子供に何かを教育し ようとしてるんでしょう。教科書を買ってあげて,勉強しろ… と言ってるようなものかもしれません。で,勉強するかどうか は子供次第ですよ。
わたしが思うのは,こういう口約束をしたとして,実効として, 親はどこまで子供を監視できるのか?,またどこまでするのか?っ てことです。成人サイト関連のアクセス制御はある程度は可能 なのかも知れませんが,友人同士との関係や時間の有効利用… 等に関して,単に約束を交しただけで望むような使い方をして くれるとは思えません。なんでもオープンにして普段から相談 を受ける…って手もありますが,それでもコッソリやることは 多いだろうなぁ。
そもそも親といい関係を築いてオープンにやると言っても,わ たし自身が反抗期以降は自分の(父)親とはあまり腹を割って話 すこともなくて,むしろ勝手にやっていたので,親と仲がいい 子供(特に男)が本当にいいものなのか?…良くわからないので す。むしろ反発させて,しっかりさせる方が大事なのかな?と か思うこともあります。
…というわけで,話題になっていたのは親の是非の話だったよ うですが,親の出来が良いことが子供の教育上よいとも限らな いし,社会にでる前に理不尽なことを学って事も大事な気もす るわけで…,そういうのも含めて,その時々かんがえてやって いくしかないかなぁと思いました。
それにしてもIT機器を子供に与えることの是非は難しいです。

1/6(休日)
今日で春休みは終了。今日は近所で消防署の 出初式があったので見てきました。

1/5(最先端と教育)
WIREDにシンガポールのICTを使った教育の話 が載ってました。あまりちゃんと読んでないのですが,ス マートフォンとかタブレットを使った初等教育の試みの様です。
私はこういう新しいデバイスを使った授業についての是非は良 く分かりません。というか良く迷います。黒板やホワイトボー ドに書く代わりにスライドを見せる程度であれば,そこまでは 迷いません。でもノートの変わりにタブレットを用いるとか, 授業の中でネットにアクセスして検索を行うとかなると,その 授業には弊害はないのだろうか?とかよく思います。
もちろんメリットもあるでしょう。またこれからは幼少の頃か らITデバイスに馴染み使いこなすことが必要というのもわから ないでもありません。でもどうなんですかねぇ。
ひとつだけいえるのは,これまで初等から高校まで,また大学 も10代や20代の若い人を教える場合,多くの場合教員は自分の 経験を省みながら教えることができたと思います。まぁ初等教 育は記憶というよりは方法論があるのでしょうが,それでも自 分の子供の頃の記憶を頼れば多少は教える内容の是非も判断で きます。高校や大学にいたっては,そこで教育に携わる教師は, 勉強ができた人ですから,教える内容の是非は自分の経験を基 にすることもできます。
実際私は大学である科目を教えてますが,自分のこれまでの大 学で勉強をしたことの経験を元に教えてます。もちろん,それ だけで教えられるとも思ってませんが,やはり自分が知識をつ けて行った過程を振り返ることは自分が教えることの自信の元 になるわけです。
さて,ICTを使った新しい教育というと,おそらくそれを教え る教員は自分の経験と照らし合わせることができません。そう いう道具を使い,ノートや筆記道具,また本の辞書などをあま り使わずに勉強することで本当に知識や知恵がつくのか?,分 かるんでしょうか?。おそらく誰もわかりません。そして生徒 が何かつまづいた時に,教師は自分の経験は使えません。新し い教育のカリキュラムは専門家が作るのでしょうけど,その考 え方が現場の教師に正しく伝わるのか?…かなり難しいのでは ないか?と思います。
そういう意味では,懐疑的とはいいませんが,すこし不安です。
ちなみに上に私は黒板に書く代わりにスライドを見せる程度… と書いてますが,実際パワーポイントのスライドを使って授業 をすることでも,生徒のノートの取り方や進めるスピードが, 本当に学習の障害になってないのか?よく不安に思います。自 分は先生が板書してるのをノートに写して勉強をしたからです。
そういう意味で,さらに新しい道具を使うのって大丈夫なのか な?という気がします。10年後くらいに結果は出るのかもしれ ませんが,10年後にはさらにITの道具の状況は変わっているで しょう。そういう普遍性のないものを初等教育に使うのって… どうなんでしょうね?。

1/4(ひとつの会社でスキルアップするとい う流行)
“スキルアップ幻想”の終焉」という記事 を読みました。10数年前に転職を通じてスキルアップする事で 勝ち組に…という事を訴えてきたジャーナリストが,「そうは言っ たけど,現状を見るとどうやらそうでもなくて,転職を続けた 人よりひとつの会社に長くいたほうが結果的に元気なんだよね, とか言ってる文章です。
ひどい話です。思い込みのデマを撒き散らして,今度はそれが 間違っているって書いて金儲けをしようとしてる。
同じような話として,私はバブルの頃にフリーターがもてはやされた 事を思い出します。あの頃は,フリーターこそ自由な生き方の 様にいう人たちがいましたが,その後フリーターになった人た ちがどうなったかは書くまでもありません。
さて転職の件でいうと,私が就職した20年前にも既に,転職し てスキルアップみたいな話は若干出てきてました。私は「転職 するなら35歳まで」みたいなことを信じていて,その年代まで に転職するに足りるスキル(専門性)が自分につくか?って事を 考えていた気がします。そして35の時に,ちょっと無理みたい… と思ったので,むしろ今の会社でスキルとか立場を向上させる ことのほうに注力するようにしました。結果として,私の場合 はここで言う「ずっと同じ会社にいて元気がある人」にあたる と思ってます。
もうひとつ少し文脈は違うのですが,あるIT企業の経営者が「僕が学生ベンチャーを応援しない理由」と いう文を書いてるの読みました。この中にも転職を相談された 場合,職種を変えるのであれば,すぐに(ただし30超えるとも う遅いくらい),職種が同じであれば,最初の会社でスキルアッ プをしないと価値がなくて,それには最低10年はかかる,とい う様なことを書いてます。
この文は他にも興味深いことがいろいろかかれてましたが,転 職に関して言うと,やっぱりひとつの会社に長くしてスキルアッ プをする事のメリットを書いてます。
なんとなくここに来て「転職ってあまりいいことないよ」とい う風潮が出てきてるような気がします。ちょっと風潮が変わっ たな…って感じでしょうか。
個人的な経験からいうと,私はひとつの会社に長くいて,スキ ルアップしてるので,ひとつの会社でスキルアップすることの メリットを知ってます。でもひとつの会社にずっといて腐って いってる人もたくさん見てます。一方で転職を繰り返してもそ れなりの仕事をしている知り合いもいます。結論から言うと, どっちも成功する人とそうでない人がいるってだけです。成功 する人にどういう共通点があるかはよく分かりません。ないか もよくわかりません。だからどっちがお勧めって事はないのだ と思います。
まぁ転職してうまくいってる人は,転職に抵抗がないのがすご いなぁと関心してしまいますが。
ところで,そうはいっても昨今の就職事情,どこでもいいから 就職して…っていう考えが学生に強いので,転職っていうのを 考えるんでしょうね。私の時代はバブルで売り手市場だったの で,本当に行きたい会社しか受けませんでした。だからすぐに 転職って事は考えなかったのだけど,まぁこういう就職の仕方 を今の学生に求めるのも難しいのでしょう。ただ,やっぱり就 職する前に,自分がその会社に勤める意味みたいのは自分なり に整理しておいたほうがいいんじゃないかなぁと思います。

1/3(清盛)
正月三日目。まだTVは特番ばかり。天気は昨日ほどじゃな いけど,まだ風が強く,凧上げようとしたら壊れました。まぁ 105円の凧だから…っていうのもありますが。
さて,去年の大河ドラマ平清盛。次のは始まる前に簡単に感想 などを。
というのもどうもこの番組最低視聴率を更新したそうで,すこ ぶるマスコミとかの扱いは悪いのですが,個人的には楽しめて 全話見ました。面白い面白くないは好みなので,面白くないと いう人を批判はしませんが,面白くないなら見なくていいだけ なのに,面白くないと批判する人はいったい何なんでしょう?。
とはいえ視聴率が低かったのは事実なので,多くの人にあまり 響かなかったというのはあるのかもしれません。
私が面白いと思ったのは,これまであまり見たことがない時代 劇だったからというのが一番でしょう。見たこと無いというと 下手に今風に作っているのもありますが,むしろ逆で,時代考 証を一歩進めたような感覚がありました。
難解という批判があったようですが,確かに平安末期があまり ドラマ化されてないというのはありますが,戦国幕末とそこだ け見せられるのもどうかと思います。私はもっと古い日本の時 代劇を見たいと思っているくらいなので,とても興味深く見れ ましたよ。
確かに平安時代の権力構造は複雑で,でもそれゆえにTVで見れ て少し感覚的につかめました。武力を持たない貴族が何ゆえに 国を支配できていたのか?というのはずっと疑問でもあるので すが,それの答えは少しは描かれていたように思います。
まぁでも私もちょっとひっかかるところはあったんですよね。 難しいとかというより,特に前半が愛憎劇としての性格が強く て,えらく生々しかったこと。姦通や同姓愛を結構露骨に描い てましたから。しかもそれが朝廷からみですから,そういう意 味で抵抗があったというのであれば,分からないでもありませ ん。ちょっと小さい子供と一緒に歴史の勉強としてみるには抵 抗がある部分もありました(笑)。
もっともそれゆえにスタッフの新しいことをやろうという意気 込みは感じられたのですが。
怨霊とかの表現もオカルトチックではありましたが,事実はと もあれ,当時の人の認識としてはあれが現実だったりしたとい うのも一理あります。
そんな感じで,とがっていた清盛でしたが,一般受けはしなかっ たということでちょっと残念。でもこういうドラマを大河ドラ マとしてやってくれるからNHKって受信料を払う価値があると 思うんですけどね;-p。
今年の大河ドラマは一転して華やかな感じなので,また違った 感じかな?とは思ってますが,綾瀬はるかは割と好きなので, こちらも期待しております。

1/2(正月&…)
今日はいい天気だったけど,すごい風。洗濯物が飛びそう になったり,ベランダの鉢が転がったりという感じ。だからと いうわけでもないけど,自宅からはポストを見に行っただけで, ぜんぜん出なかった。
今日は自宅で,息子と遊んで過ごした。息子主役。
…。
ちょっと昨日より体調悪し。風邪がぶり返したか?。

1/1(元旦)
あけましておめでとうございます。今年もよろしくお願い いたします。昨日書いたとおり,自宅で過ごす元旦。
夜明け前に起きて初日の出を見ようと思ったら,雲が出ていて, かなり上がってからの詣でになってしまった。 お雑煮をいただいたり,近所に初詣に出かけたり,そんな元旦。 案外のんびりしてないような…。性分か?。
どうでもいい話だけど,朝のテレビ体操が正月バージョンで可 笑しかった。今日だけらしい。


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