だらだら書いた日記です。
日記中のURLはメンテしないので,切れてる場合もあります。
あしからず。
- 2/29(閏日の雪)
- 昨夜の天気予報で,今日は午前中雪…という話は聞いていたの だけど,横須賀だから多分大丈夫だろう…と朝起きて,ジョギングを しようと外に出たら雨。断念し,朝食後窓を見たら雪に 変わっていたので,車での通勤を止めて電車とバスで行ったら, バスが立ち往生するほどの状況だった。まぁ判断としては大当たり だったんだけど。
昨日の日記に昨年2月に雪が積った…と書いたのは偶然なので ちょっと不思議な気がした。もっとも自宅の周辺は積ってない ようだけど。
今日は,車を自動車屋に持っていくつもりだったので,本当は車で 出社して会社の帰りによるつもりだったのだけど,それは 無理なので,早く帰って,改めて預けに出かけた。夜は会社の 飲み会。2月も終了。というか今日は閏日。
- 2/28(セカイ出来てもうすぐ一年)
- 今日書くことにあまり意味はないのだけど,ふと思ったので。
3月11日が近づいて来てるということで,なんとなくいろんな ところで「ふりかえり」的な雰囲気が見えてきてる。TVはおそらく これから来月11日に向けて,いろいろと特番をやっていく だろうし,他も11日前後にイベント(?)を開催したり,まぁそんな 感じなんでしょう。そういえば福島原発の事故調査報告書とかも出てきて,何かしら の目処をつけたいという気分を感じる。一方で,余震は相変わらず 続いているし,がれきの撤去がいっこうに進まないといった ことや,補償や支援とかの問題など,まだまだ一向に震災は 継続している…という気もする。原発事故や放射能汚染の話は フェーズは変わっていってるものの,出口が見えてるわけでもない。
まぁそんな状況もあるけど,それより思うのは,「そういえば 3月11日以前ってどうだったっけ?」みたいなこと。ある意味, あの日から何もかもが変わったような気がする。外出時や買い物時に 放射能を気にしたり,電気のことを気にしたり。経済が どうなるかとか政治がどうしようもないっていうのは以前からだけど, 物差しがやっぱり電気行政と災害復興絡みになってきたり。 将来自分がどこに住むんだろうっていう話も,地震と原発事故と いうのは判断要素でもある。
一年前というと,息子が1歳になって間もなくて…,まだ武蔵野に 住んでいて,そういえば雪がつもったのって2月だったっけ?。 雪触るのも抵抗なかったよなぁ。その一年前の子供が産まれる前は 新型インフルエンザにビクビクしてたけど,この頃は, それもちょっと落ち着いていたような気がする。自分の体調的には 確か一月にぎっつり腰になったのが,二月に立ち仕事を やったので,長引いて…結局これって震災の時に更に痛めて, 5月か6月位までつづいたのだけど,まぁそれが気になっていた頃。 わたしの癌の方は5年目を半年後に控えていて,気になるような 気にならないような…,って感じだったかなぁ。
今の状況を考えると,当時心配事ってなんだったんだろう? という感じです。
あまり大きな出来事があると,それ以前と意識が断絶するというか, 一瞬にして価値観が変わって,あの頃は何を気にして いたのだろうか?…と思うようなことってあるように思う。3月11日の 地震はそれが社会全体で起きたので,それこそ日本人全部が そういう経験をしたんだろうな…という気がする。
個人レベルの話をすると,わたしは癌になった後,「癌になる前の 自分はなんだったんだろう?」と言うくらい自分の中身が 変わったという感覚を覚えたのだけど,多分3月の地震も,その後に 感じた大きな断絶なんだろうなぁ。
そういう意味で言うと,案外去年の3月11日以降を振り返るよりも 3月11日以前を思い出してみる方が,おもしろいのかも知れない。 おそらくいろんな人が,今の自分と違うことを考え, 意識していたんじゃないかな。まぁ原発のことなんてほとんど 誰も考えたこともなかったし,マグニチュード9の地震なんて 来るの?…って感じだったかなぁ。
もっとももっと何年も経つと,今度は昔のことを懐かしんだり するんでしょうけど…,ここしばらくは,多分一年分の記憶しか みんなの頭にはないんじゃないかな。
あっそういえば,なんで民主党が与党やってるんだっけ?(笑)。
- 2/27(大学生を経済的に支えるには?)
- 朝NHKのニュースを見ていたら 大学生への親の仕送りが30年ぶりに7万を切った というのをやってました。この仕送りに授業料と住居費が 含まれるかが良く分からないのですが,多分授業料は含まれず, 住居費は文脈上含まれるようにも読めますが…,混ざってるのかも 知れません。その辺は元の調査結果を見ないとなんとも言えないか。
子供を持つ親としては子供が大学に行き,自宅を離れたとして, それを支えることができるか?…というのはかなり関心のある事です。 高校まではおそらく自宅から通うことになるとして,大学の場合, 子供が行きたい大学,子供の成績,わたしの住んでいる場所, わたしのその時の経済状況…等,いろいろ不確定要素が多く, 現時点では判断ができません。蓄えがあれば大丈夫…と 言いたいところですが,学費はともかく,子供がどこに住むのか?… でかなりかかる費用が変わるので,全てにOK…という事は 多分難しいと思います。
ちなみに7万の仕送りというのは約25年程前,わたしがもらって いた仕送りがそんな感じでした。ただし授業料は親が別途払って いたし,当時は寮生活でしたが,確か寮費が親が払っていたのでは なかったかしら?ただ,寮費月に数千円というレベルで, 一年分まとめて払ったとかだったと思います。…それで生活できるかと いうと出来てました。バイトもしましたが,ほとんど 不定期のバイトで,月に1,2回程度徹夜のバイトをしたくらい。 それで1万程度もらえば,かなり裕福感がありました。
大学院にいくと,奨学金を月に7万くらいもらえたので,仕送りは 5万に減らしてもらいました。寮を出たので,家賃は自分で 払いましたが家賃は4万はしなかった…いや3万くらいだったかなぁ。 あと大学院の時は週一でバイトに行ってました。大学院で 奨学金をもらえたのは,その頃親が公務員を退職して収入が 減ったからで,学部時代は,確か無利子の奨学金はもらえなかったので, もらわなかったように思います。
そんな感じでしたが,お金に困って生活できないとか,バイトに 忙しく勉強に身が入らない…という事はありませんでした。 でもこれって,やっぱり大学が福岡…という事情が大きいん だろうなぁ…と思います。主に効くのは住宅事情。
- そういえば,大学の寮ってどこの大学でもあるんだっけ?って調べたら, 全国の学生寮一覧というのを見つけました。 うーん,と思ったのが,案外首都圏の大学は寮を持っておらず, 逆に地方だと国立はもちろん私立も持っていて,月1万以下で 済むということ。首都圏は下宿や学生会館というのもあるんだけど, 下宿はともかく学生会館は食事付きである以外は,民間の ワンルームアパートと比べてもそんなに安くないと感じました。 正直これだったら,もし東京以外に住んでいたら,子供を 東大にやるより(いける可能性も高くは無いでしょうけど(苦笑))は 例えば阪大や京大や九大にやった方が,親としては遥かに助かるって 事になります。
自分が大学に進学したときに,親の経済状態を考慮したか?… と言われると,実ははっきりと意識はしてませんでした。ただ 親からは寮にはいれと言われて別になにも思わず「分かりました」 って感じだったし,少しはそういうものと思っていたのかもしれませんが, 一応滑り止めで首都圏の私立も受けていて,そっちに通ったら どうするつもりだったんだろうなぁ…とかちょっと今となっては思います。
- さて,今日こういうネタを書いたのはNHKのニュースもあるけど,むしろ 日本の大学は学費も高いし奨学金もないと書かれた という記事を読んだから。ここで取り上げると,奨学金とか 学費自体よりも,寮があるか?…というような福利厚生の 面倒を誰が見るか?…の方が影響あるんじゃない?…という事に なってしまいます。つまり学費と奨学金だけでは,信学の困難さ…に ついて語れないと。確かに私立の年間100万以上する授業料を 考えると,ムチャクチャ大きいですが,国立の場合その 半分以下だから,親の負担はむしろ住居費の方になるとかそういうのも あるでしょう。奨学金については,育英会だけじゃなくて企業の 奨学生とかその辺の税制の話もあって,やっぱり簡単に各国を 比べるのは難しいかな…と思ってます。
自分の子供が大学に上がる頃は,どういう情勢になってるかなぁ。 自分の経験からすると,バイトをしないとやっていけない…と いう状況は良くないですが,ギリギリ切り詰めればOKなので あれば,学生の貧困と独り暮らしは,その後社会人になるときに, 経済観念をしっかりつけるという意味では,良い経験だと思うんですけどね。
…。
余談ですが,最後のリンク先に載っていた,各国の進学率で, 日本以外が女性の方が大学進学率が高いというのに驚きました。 外国の大学って…,日本の大学と位置づけが違うんだろうか?… と良く分からなくなりました。
- 2/26(休日,元町)
- 今日は曇り空だったが雨も止んだこともあり,元町に出かけた。 考えてみたら元町に行くのは数年ぶりな気がする。中華街はお茶の葉とか 買いに良く行くんだけど。寒いし天気もイマイチなので,空いているかな?と 思ったけど,ずいぶん人が多くてちょっと驚いた。たまたまバーゲンとかの 時期だったのか,それとも地下鉄が延びて人が増えてるのか?。 まぁ地下鉄が延びて初めて行ったわけでもない気がするが。
基本的に元町にあるのは,わりと割高なものが多い気がするのだけど, これだけ人が多いのは,やっぱり世の景気は良いんだろうか?…等と ちょっと思った。
- 2/25(休日,久里浜)
- 折角の土曜なのに雨。ジョギングも出来ないし,子供と遊びに出かける ことも出来ない。ということで,午後から雨が止んだので,曇り空 夕方近く無理やりドライブ。くりはま花の国に行ったら,近所の ウォーキングをしている人以外だれもいませんでした(苦笑)。 まぁチューリップは見れたので良しとします。
- 2/24(健常者はなんでも出来ないといけないの?)
- 「成績優秀なのに仕事ができない“大人の発達障害” に向く仕事、向かない仕事 」を読む。 ADHDやアスペルガー症候群の話で,成績が優秀なのに, 社会で人に絡んだような部分でうまく仕事ができないとかそういう話。
こういうのを読むと,あぁ自分もそういうのかも知れない…とか, あの人ってこういうのじゃないかなぁ…とか思ったりすることも ありますが,ふと,逆の意味で引っ掛かったりもします。
つまり,成績優秀なのに仕事ができないのは障碍だ…というの であれば,逆に,成績優秀で健常者はどんな仕事でもこなさないと いけないのか?…という事です。おそらくそういう前提が あるんでしょう。*学校の*成績優秀なら社会に出たら苦労せずに 成功するはずで,うまくいかないのは,障碍のせいだろう…と。
それもおかしい気がします。そもそも学校の成績でその人の能力が 全て測れているわけでもないし,成績に関わらず,なんでも 仕事ができるのが健常者と思われちゃうとそれもおかしい。 人には向き不向きがあり,難無くこなせることとこなせないことが あります。訓練で習得できることもあれば,出来ないことも あります。向く仕事向かない仕事なんて,健常者でも選ぶべき なんじゃないでしょうか?。
わたしは他人の気持ちが分からない人間で,もしかしたら「心の理論」 が無いのではないか?…と思ったことがあります。でも, 人の気持ちが分からないから,逆に人を怖いとは思いませんが, 人を共感で引っ張る…ということが多分出来ません。熱血漢で チームを引っ張っている人とかを見ると,スゲーなぁー…と 素直に思います。それを障碍か?…と言われると分かりませんが, そういう素養なんだと思います。
病気とか障碍と健常の線引きというのは時代によって変わります。 明らかな病気や障碍もありますが,良く分からないものも 沢山あるからです。普通「病気」というと治療法があるもの, 「障碍」というと治療法がないが,正常な生活に支障があるもの …という定義なのかな…と思ってます。治るものは治った状態が 正常ですから,「病気」というのはある種の異常であることは わかります。でも治らないし,元々そうであるものは障碍なのか 正常の範囲なのか?…というのは微妙です。
もちろん,明らかにこれは障碍だ…というものもあります。でも, 障碍かどうか分からないものも多いでしょう。苦手なものがある, どんなに訓練しても習得できないものがあっときに, それを「性質」と認識せずに障碍と認識しなければいけない… というのが良く分かりません。むしろ障碍にしないと理由になら ないのか?…という気がして,社会はそこまで「健常者」に 万能を求めるのだろうか?…むしろしんどい気分になります。
- 2/23(悲劇を美談にしてしまう弱さ)
- 光市母子殺害事件のご遺族の本村さんが再婚していることに ホッとすると同時に少し戸惑ったとfujiponさんが 書かれてました。私は,まったく戸惑わず,良かったねと 思ったので,そう反応したのですが,戸惑ったと書いたfujiponさんは バッシングを受けたようで,ちょっと気の毒に思ったので, 少し書きます。
私は本村さんが再婚してると知り,彼はこれで前に進み, 幸せになることが出来るんだ…とホッとしました。私自身も fujiponさん同様,本村さんは裁判が終わったらそのあと, 生きていけるんだろうか?と思ったこともあります。ですから なおさらホッとしました。
それ以外のことに思わなかったのですが,そうあえてブックマークに 書いたのは,それ以外のことを思わないのがいいと 思ったからです。ただ他の人が本村さんが幸せになることに戸惑うと 感じるのをおかしいか?というと,うーん,難しいなぁ, そう思う人もいるかな…とも思いました。正直 「そんなこと思うもんじゃない」と自分の子供には言うでしょうが, 人の考え方を強制的に押さえ込む権利はないし,なによりfujiponさん自身が 非常に,そういう戸惑いに引け目を感じること自体を主題にしてるので, それはそれでいいのかなとも思います。
私自身は,なんの曇りも無く本村さんの再出発を喜んだ…と書くと, むしろ「うそ臭い」「建前ばかり書くな」と思われるかと思いました。 ただ私の場合は,自分が癌になった時に,世の中で末期癌で 死ぬ人をドラマチックに描いたり,その家族が献身的にすごすのを 美談の様に描く様をみていて(そういうドラマとかかなり多いです), 「ふざけるな」「そんなの美談でもなんでもなく単なる悲劇だ」と 本気で思ったのです。それ以来,人の悲劇を美談にするというのに 強い反発を覚えてるので,ガン以外でも,そういう感情がわかないように してしまいました。しているとそのうち,自然にそう思うように なりました。
世の中を見ると末期癌の話とかもそうですが,悲劇を美談にする人が 多いんだと思ってます。それがいい事だと信じている人もいるでしょう。 だから美談が美談で無くなったことを戸惑う人がいてもおかしくないとは 思います。
そういう意味では,そういうことは思っても書かないものだよ…と 思うところもあるのですが,fujiponさんはその芸風というか, ブログで「人としての」弱さを自らさらけ出すのが魅力でもあるので, まぁらしいな…とも思ったのでした。
悪かったかなぁ。ごめんなさい。
- 2/22(TeXとWord)
- ネットで理系の卒研生のTeX(LaTeX)の使用について話題に なっていました。
先生が学生にLaTeXで書いて欲しいのにWordで書いて,大変な ことになっていると嘆いている図…みたいな感じです。 TeXを強制しなかったけど結局失敗だったかも という先生の意見がある一方で, TeXを使わなくなった理由というのも読んだ。 TeXを進めるのも,どうせ社会に出たらTeX使わないのだから Wordでいいじゃんというのも,主張点は分かるのですが, 必要なときに必要なものを使えば良いかな…というのが私の 意見です。
わたしの場合,どっちも使ったことありますがTeXは論文誌へ 投稿するフルペーパーとあと,学位論文を書くときに使いました。 あと国際会議でTeXを指定しているところはTeXで書きました。 一方最近国内の全国大会や研究会ではWordで書くことが もっぱらです。あっ,とある技術誌の原稿でWordでお願いされたので, それはWordで書いたか…。
仕事じゃTeXは使わない…というのは事実ですが,じゃぁWordを 使うかというとこれまた微妙で,実際仕事ではパワーポイントや エクセルの方が遥かに稼働率が高いです。文章メインのものは メイルで出すことが多いので,Wordはあまり使いません。 まぁこれは仕事によるでしょう。マニュアルとか長い文章を書く 人はWordを使うでしょうが,社内プレゼンとか定型の書類 をつくるのであれば,あまり使わないとか。
TeXがいいと思うのは,Styleファイルを指定したら,後は文章を ただ書くだけ…ということに集中できるということです。 TeXは自由が効かない分,もう文字を書くしかありません。 そしてそれでそれなりの体裁ができあがります。Wordも テンプレートをもらってそれに流し込むだけであれば,変わらないし, WYSIWYGの分TeXより確認しやすいのですが,ただ絵を貼る作業だけは 自分でやらなくてはいけなくて,それが思った通りに 行かなくて大変ということになります。もしWordが絵の配置を, 書く方がなにも苦労せずにやってくれるなら,まぁWordでも いいんじゃないですか?…という気もしますが,最近のWordは ともかく,わたしが使っている古いものはそこまで賢くないので, 結局どこかで体裁を整える作業が発生するという意味で,最終的には Wordの方が大変なのかな…。
まぁ雑誌の原稿は,結局のところ最後の校正は出版先がやるので, どっちでもいいと言えばいいのです。絵と文章を別に送っても いいくらい。自分で最終校正をやるようなものだと,要は テンプレートやStyleファイルがある方…って事になります。
卒論修論でWordが大変と言っても,多分,図と文章を異なる ページに配置すれば,そんなにトラぶりませんよね。
個人的には,最近の若い人はパワーポイントの使い方とか凄く 凝って綺麗なものをつくってくるんですが,でも中身があるかと いうと疑問で,体裁に凝るくらいならまず中身をきちんとして 欲しい…という気もしてます。そういう意味ではTeXにせよ Wordにせよ,見た目を綺麗にすることよりも,文章書きに集中 できるように工夫する事が重要じゃないでしょうか?。TeXでも Wordでも,そこを工夫して向いている方を使って欲しいんですけどね。
- 2/21(最高裁の役目)
- 光市母子殺害事件の判決が死刑で確定しました。わたしも子供と 妻を持つ身として,被害者の夫が被告に最高刑を望み,行動し, そうなった…という行動には共感できるものがあります。 しかし「皆,敗者」という夫の言葉にも重く,やるせないものを 感じます。
被害者がそれを望む気持ちは良く分かりますが,死刑が妥当だったのか どうか?はわたしには良く分かりません。死刑が必要かどうか? …という議論も以前からあちこちでありますが,良く分かりません。 これは刑罰とはなんのためにあるのか?…という思想とも多分 関係があって,それ自体が社会的合意を得られてないと思うからです。
わたし自身は,刑罰は犯罪抑止のためにあって欲しいと思ってます。 つまり犯罪者を懲らしめるための罰とか,被害者を納得させる ためのものでは無いと思ってます。犯罪抑止ですから, 再犯のある人は社会に出さないで欲しいし,重たい刑をつくることで, 犯罪を起こさない人がいるのであれば意味があります。 この考え方は,良く裁判で問題になる「悪意」の有無を重く見ないし, 被害者の納得感も問題にしないので,おそらく世の中の刑罰は そういう位置づけではないのだろうな…と思ってます。
この視点で考えると死刑の是非は死刑を怖がり犯罪が減れば意味が ありますが,死にたくて犯罪をする人にはむしろ悪影響です。 ただ死刑になれば再犯はあり得ません。あと冤罪がある以上, 簡単に判断できない問題でもあります。終身刑も再犯を抑えることが 出来ますが,犯罪者を刑務所で養うコストを,国民が 負うべきか?…という問題もあります。ということで,死刑が いいのかどうかを冷静に考えると,答えはなかなか出ません。
とはいえ,いつもこういう裁判の報道を観ていて疑問におもうは, こういう社会的な議論を受けて,判決が変わっていくことです。 被害者の納得感や,犯罪者への罰で量刑を望むような声があるように 思います。しかし私は,三権分立の原則だと司法はあくまでも 法に照らし合わせて,事件を裁くものじゃないか?という気がします。 良く行政に「市民感覚」という人もいますが,それもやっぱり おかしくて,司法も行政も立法がつくった法律に基づいて動いていて, 法律は選挙で選ばれた議員がつくるのですから,市民感覚や世間の 空気はそこで織り込むべきじゃないでしょうか。
市民感覚や世論が反映されると喜ぶ人もいますが,誰の声か分からず, どれだけの人が思ってるか分からないけど,報道が騒いで増殖して いくような世論にいちいち行政や司法が振り回されていたら, 大変…と思うのはわたしだけでしょうか。
- 2/20(徒然)
- ネットみて思ったこと徒然。
橋下さんが予算で子育て支援を鮮明にと。 まぁ,関西って妊婦検診の助成は,これまでがひどかったので, とりあえず普通にするだけでも違うんだろうけど。というか, この手のどこが良い悪いってあまり知られてないのが不思議。
次。
ホンダが低燃費のバイクをと。 微妙です。700ccのバイクということは,それなりのバイクなんだろうけど, そもそもこの辺のクラスのバイクに乗る人が何を求めているか?, 当然調べたんですよね?。個人的には馬力は十分に欲しい。同じ 走行性能なら燃費が良いに越したこと無いけど。そもそもバイクとか 用事というより遊びで乗る乗り物だと思うけど。
次。
段氏が仕事を好きじゃないといけないか?と 書いていた。わたしはずっと疑問なんだけど,労働者が仕事が好きだと うれしいのは労働者以外に雇用主がそうだと思う。だから それって本当に(労働者に)いい事なんだろうか?という 気がしないでもない。確かにWin-Winならいいんだけど, 労働時間も仕事をしてくれる社員がいたら,そりゃ雇用主は うれしいわけで…。
次。
リンクは無いけど…。株価が人知れず上がってる気がします。 もう9000円台越えた。なんか株価とかって,下がる時は騒ぐけど 上がる時はあまりニュースにならないなぁ。さっきのも そうだけど,騒ぐこと自体,何かのおもわけなのか?とか思います。
…。と今日はそんな感じで。
- 2/19(週末)
- 昨日は息子と近所の公園でちょっと遊び。昼食後カレーを作って, 夜は古い知り合いとの飲み会に出かけて,久しぶりに焼酎を飲む。
今日は午前中自宅周辺の掃除,防災訓練。午後から妻の両親が やってきて息子と遊ぶ,そんな感じの週末だった。
いろいろ盛りだくさんだった。
- 2/18(死は取り返しがつかないもの)
- ちょっと我慢できないので書きます。
「安楽死法 ‐ 死を選ぶ権利」というのを読みました。 真っ先に思ったのは自殺を不治の病の安楽死と同列に語るのは, ちょっと違うということです。
確かにもう安楽死を…という病人は生きるのが辛いのかもしれませんが, 死を望んでいるわけでも無いでしょうし,そこにいたるまでは 死にたくない…と思っている人がほとんどだと思います。末期がんに なった人だって苦痛で辛くなるまでは死にたくないはずです。 もちろん自殺をする人だって,本当は死にたくないのかもしれません。 でもやっぱりどこか違う気がします。まぁ人が死ぬということは, 人の数だけちがうということなのかもしれませんが。
それから思うこと。死というのは取り返しがつかないこと, というのはのはたぶん間違いありません。死んだ人間は生き返りません。 死後の世界があるかどうかはわかりませんが,生き返らないのは 事実です。ですから,死を選んだらやり直しが利かないのです。 だから人は死ぬことが大変なこととなっているのだと思います。 自分で死ぬにしても殺すにしても安楽死させるにしても,大変です。
あと,不治の病気で末期の場合,そもそも治療放棄をすれば病人は 死にます。それ以上のものが必要なんだろうかと思います。 安楽死ボタンなんて不要じゃないですか?。
それからもうひとつ。社会が死を簡単なものと捉えることに 抵抗があります。死自体が軽くなり,簡単に死の選択を迫られる 様になるかもしれません。人が簡単に安楽死を選べるというのは, 合法的に殺す手段を得るということにもなりえます。 だれかそれで得する人がいるんじゃない?という気がします。
- 2/17(とても楽しいという危険さ)
- 旧職場の同僚と吉祥寺で飲む。とても楽しかったので,普段自分は 何をしてるんだろう…とか考えてしまう。うーむ。
- 2/16(負けることで優位に立つ)
- 詳しくかけないので思わせぶりに書きます。
私がやるのが嫌いなものの一つに「負けるとわかっている戦い」に出るって いうことがあります。戦いと言っても喧嘩とかするわけじゃないので, 要は交渉ごととか議論とかそういうの。絶対こっちの要求やお願いが 通らないとわかってる場合,また単純に怒られに行くというのも これに当たるかもしれません。要はこっちがどういういいわけをしても, 無駄だとわかってる場合。そもそも自分だけの問題なら,そういう 状態で戦いを挑むことは稀なんですが,仕事とか人との関わりの なかでやっていると,あえてそうしなければいけない場合が多々あります。 もしくは自分ひとりが勝てないとわかっていても,周りがそう思って なくて「やるだけやろう」とかいう時も,結局その人たちに 解らせる為に,負けに行く…という場合もあります。
負け試合が嫌いなのは,別に勝ち負けに拘るから…じゃなくて, わたしはそもそも言い訳をするのが嫌いなので,何を言っても好転しないと 判ってるのに,いつまでもだらだらと言うのができないのです。 でも,負け試合の中には,こちらが言い訳をすることを求める ものもあるのですが,もうそういうのは面倒でひたすら「ごめんなさい」と しか言いたくない…という感じになります。まぁ負ける原因を 説明しろというのであればまだいいのですが。通用しない言い訳を いつまでもするのが嫌だというか。
そういう時はただうたれるままにうたれて,疲れたなぁ…と終わるのが わたし的には一番です。あっもちろん譲れない一線がある時は 必死に守りますけど。
で,負け試合,終わると割りとすっきりします。それどころか 負けたほうがなんとなく気分的に優位な気分になることも 多いです。もちろん相手や状況によるのですが。
相手がいい人だと,こっちがコテンパンにやられると,そのあとに 助け舟を出してくれることがあります。あとこっちが下手な言い訳を せずに綺麗に負けると,駄目出しをしたのは向こう側という風に 綺麗に見えます。つまり結果を勝った方の責任に出来る。 もしくは怒ってるのはあっちだ…といえる。 下手に負けないようにしようとすると,かえって立場が不明瞭に なって,尾を引くことが多いように思います。
というわけで,負け試合に行くのは嫌いですが,終わってしまえば 結構楽。私の場合は負けたほうは尾を引きません。勝った方に 勝った責任をむしろ押し付けられるというか。まぁそういうことも 多々あるなぁとか思います。
もちろん,相手を見て負けないと,本当に尻の毛までむしられるから, 誰にでも負けていいってわけじゃないですけどね。やっぱり 負けたらそこまで行きそうな相手とは,そもそも戦うべきじゃない ってことでしょうか。
- 2/15(見栄と生存宣言)
- 昨日はバレンタインでしたが,facebookを観ると,チョコもらった…という 様な書き込みが山の様にありました。チョコをもらってない人が これを観たら悲観して死にそうです;-p。
というのは冗談ですが,facebookは実名だから,見栄というか, 悪いことは書きづらい,結果的にみんな「出来る人」ばかりになる と誰かが言っていたのを思い出しました。
匿名だと,もっと自虐的なこととか,悪いことした自慢みたいのが 多くて,例えばmixiとかtwitterで,よく,悪いこと(例えば カンニング)をやったと自慢げに書いたら,名前を曝露されてと いうのをみますが,facebookは実名だから,そもそもそういう事を かきません。
でもだからと言って,そのチョコをもらって…みたいないい事 ばかり書くことが,その人をあらわしているかというと,これまた 違うわけで。まぁネットで人が透けて見えることなんてないというか, そこには演出された人がいるってことなんでしょうが,面白いなと 思います。
実名で実際に面識がある人がつながるfacebookですから,見栄っぽい ことばかり書くと,それはそれでやりすぎと思われることも あるんでしょうが…
といわけで,結局facobookってなんとなく日記としては使いづらい。 知り合いと直接メッセージとかをするには便利ですけど。まぁ 日記をどういう意味で書くかにもよるのかもしれません。話題提供と いう意味で書いている人もいるだろうし,単なる生存表明で ある場合もあるだろうし。というか私は後者だけでいいので, その場合「いいね」じゃないけど,ワンクリックで「生きてます」って いう表明とか出来ませんかね?(笑)。
- 2/14(起業経験のすすめ?)
- 昨日なぜか Chikirinが7年も前に書いた就職問題のブログが 再掲されてました。なんで今?…。
内容的には中高年の失業問題ばかり問題視するが,若者の失業問題の方が, 社会的には問題化するよ…って話。7年前って若者の失業問題って, あまり騒がれてませんでしたかね?…。今ほどじゃ無かったかなぁ。 小泉さんの晩期で,安倍さんの前だから,再チャレンジ…とか 言い出す前ですよね。フリーターが自由な生き方じゃなくて, 貧困になる…ってパラダイムシフトが起きたときかも知れません。 とはいえ,このブログ,たしか読んだ記憶があります。 書かれてることは,まぁそうかな…と思います。
若い人は,就労経験が無かったり,いろんなスキルを身につける機会を 奪われて,若いときならいざ知らず,その人が歳をとってからも まともな職業につけない…という話です。この辺の話,現在も あまり変わってません。むしろ年金の支給を遅らせることと バーターで,高齢者の再雇用とかするとかいう話になると, ますますそうなるんじゃないでしょうか。
いろいろと将来暗いなぁ…と思いつつ,自分の子供が社会に出るころって どうなってるんだろう?…と思うと不安なところもあります。 団塊の世代はとっくに退場してるでしょうが,若い人の正規雇用が 増えてるのかどうか分かりません。派遣雇用は法規によって 変わるでしょうけど,増えてるのか減ってるのか…。海外への 雇用移転や,海外からの労働力流入とかそういうのも 進むでしょうし,あぁTPPか…。
自分は大企業に正社員として入ったから,こういうことを気楽に 言う資格は無いのですが,新卒のための正規雇用の枠が少ないので あれば,若い人は一旦起業する…っていうのはどうでしょうか?。 いや,ITバブルの時もそういう話はあったんでしょうし, 成功する可能性なんてムチャクチャ低いでしょう。でも, 仕事がなくてフリーターをやっていても,確かに正社員に 採用される可能性はあまり上がらないかも知れません。でも 起業して,失敗した…という経験は,案外会社にとっては, そういう経験がある人が欲しい…という気もするし,成功してれば, そのまま事業を続ければいい。起業と言っても一人でやるんで なければ,経営,営業,技術…とか役割がしっかりつくし, 少人数であれば,大企業だと十年以上働いて管理職にでも ならないと,身につかない能力とかも早期で身につくでしょう。
となると,問題は失敗に対するリスク分散というか…。若いときに 軽い気持ちで起業するのはいいとして,そこで大きな負債を背負って しまうと,その後大変…かもしれません。まぁ実際株式会社だと 有限責任だから,そうでもないのでしょうが…,まぁ実際は リスクはあるでしょう。
その辺のリスクを緩和して,学生や若い人があまり大きな負債を 背負わないで起業できるような仕組みを作っておけば,なんとか ならないかなぁ。
まぁ,わたしが学生の頃とかも,東京の大学生は学生時代に起業してる らしい…という噂は聞いていて,実際にそういう学生もいたよう ですけどね…。いまも目立たないけどいるんでしょうけど…。
ちょっと発想がアメリカチックかなぁ…。でも例えば今の学生は 英語の習得に熱心だとか,海外留学をしたがるとかいう話を聞くと, 我々の頃とやっぱり必須と思う事って違ってきていて,更に先に なると,起業が必須…という風になるのもあるかもなぁと思いました。
今日のはかなり自信のない思いつきです。
- 2/13(質問)
- 「「質問されるのは自分に非があるから」という認識 」というのを読みました。大変おもしろいです。質問すると 相手がいやがるだろう…という思いやりは,まぁ分からないでも ないですが,質問される意味を「相手が横暴」か「自分に非がある」 から…と取るんだ…というのが,へーという感じでした。
質問されるのがイヤかどうか?…は様々で,確かに学生が先生から 質問されるのはイヤかもしれません。学会で質問されるのも, 若い頃はイヤでしたが,今はたいしてイヤではありません。 若い頃イヤだったのは,答えられない質問をされると恥をかく… と思ってたからでしょう。あと,他の場面でもごまかしがあった 場合(これは非があるに当たる)ばれるとイヤだな…というのも あります。あぁ答えられないのを「非がある」と取るのか…。 まぁ想定外の質問に答えられないのは当たり前…って思っちゃう 辺りが,もう,自分は違うところにいるんだな…とも思います。
もっともほとんどの場合,質問のやり取りが楽しい場合は,質問 ウェルカム,嫌な場合は面倒くせーなので,後者の場合は, 相手が横暴…に当たるのかも知れません。面倒なのにいつまでも 質問するじゃない…的な…,あぁ横暴なわたし(^^;)。
質問に答えられないことを恥に感じる…場合,質問されるのが イヤなんでしょうが,この歳になると知らないことは知らない… と言いきれることが多いので,あまり恥と思わない。でも学生とかは 自分が知らないことが,もしかしたら自分だけ?…とかいう 不安さがあるんでしょうね。同じ業界に長くいると,分からないのは 自分だけじゃないとか思えるけど,新人はそう思えないし。 もっとも歳をとると,その辺も肝が据わってきて「わたしは 門外漢なので」とか平気で言えるようになります。この辺が 言えるかどうかが鍵だと思います。恥をかきたくないとか, スマートに進めたいと思ってると,結局思い切りが悪くなるというか。
若い人に言えるのは,スマートに進めたいと思ってる人が 多いのかな?…ってことですが,良く考えたら,自分が若いときも そうだった気がします。
余談ですが,若いときに学会で,他の人が知ってるかどうか分からない ことを説明するときに「釈迦に説法ですが」という言い方が 出来ると知ったときは,目から鱗でした。自分の周囲に対する 知識レベルが分からないときに,やんわりと避ける文言って あるんですよね。その辺のテクニックがつくと,質問をするのも 避けるのも,まぁそんなに大変じゃなくなるのですが…。
- 2/12(所有権)
- 休日なので二歳の子供と公園に遊びに行きました。砂場で遊んでましたが, 他の子供も遊び始め,うちの子供は自分の道具ではなく,他の子が遊んで いる道具に興味を持ちジッと観てました。
ここで自分の道具を守ろうとする子供と,気にしない子供と,貸してくれる 子供がいたりします。うちの子はまだ小さいからかあまり自分のものという 概念が無く,自分のものを人に貸したりとかしませんが,人がもっている ものを無理やり取ったりとかもしません。でも,そうじゃない子供いて, 大体年齢的なものの様な気がしますが,若干,兄弟がいる子とかの 方が,道具の所有の概念がしっかりしてる気がします。まぁそれは 兄弟でものを奪い合ってるから当たり前といえば当たり前です。
あと,思い込みかもしれませんが,なんとなく外国の人の子供の 方が,やっぱり所有の概念が小さい子でもついている気がします。
自分の子供を見てると,自宅で遊ぶ分には,自分のおもちゃは, 大人が買ってあげたものですが,たぶん本人には,「そこにある」もので まだ欲しがって買ってもらったものじゃないので,所有の概念が 育たないのも当然かな?という気がしました。幾つになったら 所有の概念がつくのかしら?。一人っ子の子供だと,案外つきにくいのかも 知れないね…という気がしました。
- 2/11(休日)
- 昨夜ひさしぶりにライブに行って,遅く寝たこともあり,結構 ゆっくり寝てて,あとは自宅でごろごろしていた。
- 2/10(お金とコミュ力)
- fujiponさんが「「必要なときに、必要な人と 助け合う」ことが難しいからこそ、人はお金をつくったし、そ れが便利なものとして使い続けられているのだと思うので す。」と書いてるのを読んで,はっとした…というか,そ うだなぁ…と思いました。
わたしは以前「お金は価値観を相対化し交換可能とした」と書きました。 それは,人の命や美的感覚までも数値化するというお金の特性… というか現代社会での用いられ方から,わたし自身が「お金を 好きじゃない」という気持ちが含まれてました。
でも今回fujiponさんの文を読んで,価値観の擦り合わせが苦 手な人に取ってはお金があって値段が決まっていた方が,楽だ し便利なんだな…と思いました。まぁ確かに,物事を交換する… という事が発生する時点で,価値観が数値化されてなかったら, その都度擦り合わせを行わなくてはいけなくて,大変なわけで す。物々交換だったり,恩義の貸し借りだったり,そういうの をその都度交渉するのは確かにわたしも面倒です。そういう意 味ではお金は,どこかで値決めをしなければいけませんが,決 めちゃえば,ある程度交渉が不要(値切り交渉とかありますが) という意味で楽だよな…という気がします。というか値段がつ いてるという時点で,お金を出せば手に入る事自体は約束され ているわけですから。
さて,なんでもお金で測る現代社会が嫌い…とわたしは言いま したが,でも,最近コミュニケーション能力が大事と良く聞き ます。これはどういう事なんでしょう?。お金を持っていれば コミュ力が不要なんじゃない?,コミュ力つけましょう…とい うよりは,お金を手にいれればいいじゃない…という気もしま す。…というかそういう人もいましたよね。金持ちになれば異 性の気持ちも買える…と思った人とか…。
コミュ力が叫ばれるのは,お金の価値がどんどん下がっている からか,もしくは一般の人がお金を得ることが不可能という意 識になり,お金以外の手段を身につけよう…となっているか…, どっちかでしょうか?…。
どうも後者のような気がしてます。今は格差社会とか就職氷河 期とか言われていて…,社会に出る前の学生とか,将来お金を 得て自由にいろいろ手にいれる…という自信がなかなか持てな いという事なのじゃないでしょうか?。そういえばバブル全盛 の頃「三高」というのが女性が男性に求める条件…で,「高学 歴」「高収入」「高身長」というものでした。この中には「人 当たり」とか「優しさ」とかそういうコミュ力にあたるものは 入ってません。身長はともかく,高学歴も高収入に相関があり, つまりお金が人間の魅力になっていたって事でしょう。
多分今はそういうことをメインには求められないように思いま す。まぁ低収入で困る…という感覚はあるのかもしれませんが, もう少しコミュ力に関係あるものの方が重要視されてるのでは ないでしょうか?。
- …なんとも結論はないのですが,今はお金よりも人間の魅力自 体の方が重要視される…って意味では,わたしが望んでいたよ うな世の中なのかも知れません。でもそうなのかな?。本当に そう?…とかいう気持ちも若干残ってます。「コミュ力」「コ ミュ力」っていうのも何か決まった価値観で人を数値化してる ようなものと雰囲気が似てるんですよね。いい人の価値観を一 つの物差しで決めてしまうような気持ち悪さというか…。
とかそういうことを思いました。特に結論はないのですが,実 はコミュニケーション能力があればお金は不要(またはその逆)… という風には あまり考えてなかったので,なるほどなぁ…と 思いました。
- 2/9(家電ハブとしてのTV)
- 昨日の続き。 家電のハブのインフラとしての家庭用TVですが,そうなると なにが必要なんだろうと考えます。
一番に思うのはTV単なるディスプレイで,実際のそういう機械は セットトップボックス(STB)とかでもいいじゃない…という考え。 実際最近のビデオとかケーブルテレビとか,ゲーム機とか 全部ネットに繋がっていて,HDMIでTVに出力できる。 これらの映像系の機器以外もiPadやiPodもHDMIが出せたり, そうなると多分Wi-Fiルータとかでもそういうのありそう。 そうなるともうTVは思いっ切り安価でメーカなんて関係ない… という話になります。
多分こういう考え方は今多くの人が考えていて,TVに繋がる ネットワーク機器ということで,家庭内の情報ハブを握りたいと。
まぁそれも一つの解だと思いますが,わたし自身はイマイチ…と いう気がしてます。ネットワークTVって昔からあって, 今一つ普及しないのだけど,それはコンテンツがないから…とか いう気もしますが,もう一つ,操作系が今一つなんじゃないですかね。
STBをTVに繋げてTVの画面を観ながら,家電を統制する…というのは, おそらく操作系はリモコンということになります。リモコンは 今のビデオのリモコンの様なイメージで,数字キーと矢印キーと OKボタン,あとファンクションみたいな操作系が主流でしょう。 でもこれって使いにくいと思います。次に考えられるのは, Bluetoothとかを使ってマウスとかキーボードをつなげられる様に して,って感じ。これはパソコンと変わりません。 いい様な気がしますが,じゃぁパソコンでいいでしょ?…という 気もします。最近の流行りで言うとスマホやタブレット端末で 操作するってこと。ここまでくるとむしろTVは不要で, タブレットで完結すればいい…って気がします。まぁそういオチも ありなんですが,TVの画面を観ながら手元のタブレットをいじるのは, リモコンの操作と変わらず,やっぱり使いにくいでしょう。
となると何が一番いいかというと,TV自体をタブレットにする ことでしょうね。画面を見て直接触る。ルックアンドフィール的に 一番扱いやすいと思います。
TVの様な大画面を全部タッチパネルにするのは結構コストが かかるんだと思いますが,大きな壁紙とかカレンダーとか, そういうそのもの自体になるという感じは,情報端末の使いやすさを 大きく変えると思います。そもそもタッチパネルって昔からありますが, 昔のはスタイラスしか使えなかったり,えらく小さい画面で, とても使いにくかったです。個人的にはiPod touchが親指の面で 操作できるようにしたというのは,とても大きな革新で,その前にDSが スタイラスで書くときに音を出したというのも書きやすさに 革命をもたらしたと思います。iPodやiPadのタッチパネルの操作性を 40インチとか60インチとかの画面で実現できたら,かなりいろんなことが 使いやすく実現できるし,そうなるとSTB+TVという組合わせじゃなくて TV自体を高機能にする必要があるから,TV自体の付加価値も上がると 思うんですけどね。
まぁでも40インチとかを全部タッチパネルにして,使いやすい制御とかに するのは,物凄くコストがかかるのかなぁ…とか想像もします。 実際今も大画面のタッチパネルって業務用とかにありますが, かなり高額ですし。あれって大量生産したら安くとかならないのでしょうか?
- 2/8(テレビは家電の中心)
- 家電メーカのTVの事業でソニーが8年間赤字だとか,パナソニックも 大きな赤字だとか急にニュースで騒ぎだして,どうしたんだろう?… とかいう気分になりました。そんなびっくりですか?…。 8年赤字なら今更驚かないし,そもそも地デジ移行とエコポイントで 売れてた部分が,無くなるなんていうのは,普通に考えたら 分かるわけで,今騒いでいるマスコミは,何も考えてませんでした, …と言ってるような気がします;-p。
アメリカとかで日本製より韓国製が売れてるって話も良く聞いていて, それは車もそうなんだけど,まぁ目新しい話ではありません。 先月書いたようにTVが儲からないなら日本のメーカはTVから 撤退する日も来るかも…と思ったりもします。
良く考えたらソニーとかテレビメーカというイメージもわたしは 持ってなくて,昔はウォークマン等のラジカセメーカ, その後はPSとかVAIOとか…という印象の方が強いです。あと AIBOとか(笑)。まぁゲーム機事業も儲かってないんだろうなぁ …という印象もありますが,TVのアッセンブルが簡単で安価に なるのであれば,もっと高付加価値の製品をメインにやればいい。 パナソニックだってカメラやノートパソコンは結構売れてるし, 有利な値段設定でやってる気がします。パナソニックは他にも 健康関連とか電池とか,稼げる分野は結構あるでしょう。 TVで赤字を出したから,まるで会社が危ないという様な 大騒ぎなものでしょうかね?…。
等と考えながら,とはいえTVから撤退しない理由もあるのかな…と いう気もします。自宅のTVは2年前に新調しましたが,最近のTVは TVを見るだけじゃなくて,通信機能とかを持っていてYoutubeとか 他の機能とかも持ってます。全部パソコンで出来るっこと…と いう気もしますが,世の中のみんながパソコンを持ってるわけ じゃないし,パソコンはパソコンで結構使いにくい部分もあります。 これからホームICTとか言って家電とかを全部ネットワークで制御しようと したら,端末として一番設定しやすいのはTVじゃないかな…と思います。
そう思うと,TVを握っておきたい…という気持ちも良く分かります。 家電の連携とか,実際はメーカが異なればうまく行きません。 規格化とかはまだまだ時間がかかりそうだし,規格に乗っ取ったものは たいした機能がない…って事になるでしょう。そうなると家電のメーカは 全部どこかにまとめて,それをどれかの端末で全部コントロールする …ってなると,タブレットでもいいんだけど,TVでもいいでしょう。 つまりTVは家電のハブ…と思うと,TVをまだまだ出していく 意味はあります。
ただ,そうなると,TVで採算を取る必要があるのかな?…という気が します。また現在のようなものじゃなくて,TVはTVを観る以外の 家電連携の機能が必要だし,そうなると,ソフトウェアのバージョンアップ とかを頻繁にしたりとか,そういうことも必要になるでしょう。
まだまだそういう風にTVはなってなくて,また,そうなりそうという 方向性もイマイチ見えてなくて,ちょっとな…,という感じです。今日スマートビエラの記事を見ましたが,ビデオや スマートフォンとかの連携より,家電との連携をもっと考えた方が いいんじゃないでしょうか。
- …で,となると,やっぱり大事なのは拡張性。様々な家電を サポートするためにはアプリのインストールとかバージョンアップが 必要で,ハードウェアの仕様をギリギリでつくる日本の ハードメーカの考え方は,今一つ向きません。というか, そもそも日本の家電メーカはハードウェアの商品サイクルが 早すぎて,すぐに古いモデルが,新しい機能に対応できなくなって, ファームアップも止ってしまうので,なんか購買意欲が 萎えるんですよね。もっとTVをインフラ的に考えて,長く使えるような ものを作り,その周辺に色々足していくいく形で儲けるような 考え方になりませんかね?…という気がしました。あと,ハブだから 採算度外視で安く売るっていう手はあると思います。
- 2/7(部活と授業)
- クローズアップ現代で中学での柔道(武道)必須化の話をやっ てました。内容的には,まぁ予想通り。わたしの考え的には以前書いたのと特に変わらなかった。 ただ興味深かったのは,柔道連盟の役員の人が, 割と慎重な言い方をしていたって事。柔道連盟の人は イケイケなのかと思ってたので,ちょっとびっくり。まぁこの人, 肩書きみると医者みたいなので,そういう立場もあるんでしょうけど。
柔道とは関係なく,あぁそうだな…と思ったのは授業でやるのは 年間十数時間で,部活でいうと一週間程度の量だ…という話でした。 柔道部で最初の一週間とかいうと,本当に柔軟体操と受身くらいで 終わっちゃうんじゃないか?…という気もしました。
授業と部活で思うのは,例えばわたしは高校は美術部で, 美術は授業もあるんですが,そうか,授業で美術やるけど, 美術部の人は,一週間くらいで,授業一年分位の量…をもう やっちゃうんだなぁ…ってこと。美術に限らず音楽でも 科学とかそういう文化系でも,あとスポーツでもそうでしょうが, 部活の専門性というのは,授業では全然かなわないんだなぁ… ということです。まぁ高校の部活の密度…っていうのは, 社会人になって働きながら仕事とは関係ない趣味…で,それだけの ものをするのも不可能なくらい,結構特殊な時期なのかもしれません。 高校で始めた部活で,大学も続けて,それでプロになるようなものも ありますから,まぁ当然なんでしょうけど。
そう考えると,やっぱり中学とか高校の時期に部活をやる事って いうのは,貴重な体験なんだなぁ…と思います。わたしの場合は 中学は転校が多かったのですが,課外部活をやったのは, その中で半年だけだったかなぁ。小学校の時に軟式野球をやって, その反動もあってか,中学は当初部活に入らなかったのだけど, 転校先で,ブラバン部を立ち上げる事になって,つくったらすぐに 転校…,その後は受験でもうやらなかった…って感じか。高校はとても 部活が盛んな学校で,部活に入らない…っていうのは実質不可能に 近かったので,美術部に入ったのですが,それは今考えるといいこと だったんでしょう。もっとも美術部だったけど,結局はギターの方が 趣味としては身についたのですが…。
と柔道のネタとは全然違うことを思いました。逆に授業って 改めて考えると広く浅くで,広く浅くやるって難しいよなぁ…と 思いました。部活の指導の感覚で授業をやると,やっぱり ダメなんだよなぁ…みたいなことを漠然と思います。
- 2/6(許容量の感覚)
- mixiをみていたら 横須賀の給食から放射性セシウムが出たと騒いでいる人が いました。ちなみにリンクした先は,騒いでいる人では ありません。数値をみると2.47Bq/kg…という数値。どこかで 基準値(=500)を越えた食品が…というニュースを観てる 身としては,なんとも微妙というか…。リンク先を良く見ると, 群馬のほうれん草の検知限とか1.8と1.5とかで,足すと (足していいんだっけ?,でも2.47って合計値ですよね?)3.3です。 逆に言うと,検知されなかった…と喜んでいても 3Bqくらい入ってる可能性はあるわけで,なんとも,この辺の数値で 一喜一憂してるのは,妙なんじゃない?…という気がしました。
ついでに書くと,mixiの方は,この給食を破棄しない市に 抗議しましょうとか言ってましたが,数値をちゃんと測定して 公表してるって事は,各家庭で判断してください…と 言ってるわけで,判断まで市に押し付けるような行動は, かえって,数値の公表を躊躇させる可能性があるので, あまり良くないと思います。
とはいえ,わたし自身も500Bq/kgという国の基準が,どれくらいの 意味をもつのか良く分からず,自分としての安全基準をどうしようか? 悩ましいです。うちには乳児がいるので,漠然と基準値を示されるより, その意味するところを知って,そこからどれくらい安全幅をとるか… という事を考えたいと思ってました。
というわけで,ちょっと調べると,それなりに大学関係の 研究者が計算したものがあるようです。
一つは茨城大学の先生作った資料。一定の放射線量の 食糧を毎日とり続けたらどこで体内の放射線量がどれくらいで 定常状態になるか?…という話。もちろん年齢で異なります。 例えば10Bq/kgのセシウム137を毎日取ると,1歳の子は50日で19Bq/kgになる, 大人はもう少し時間がかかり,最終的に33Bq/kgになるとか, そういう計算です。念のために書くと全部の食糧が,それくらいの 放射線を持つって意味でしょう。
安全の基準が難しいのですが,従来人は放射性カリウムを60Bq/kgくらい 体内に持っているので,それくらい…とすると,…で計算してるようです。 結論からすると10から20Bq/kg以下だと毎日取っていても, それを越えないかな?…という感じみたいです。
もう一つ。学習院大の先生がつくったページ。途中の 計算が詳しいですが,結論的にはだいたい同じです。まぁ元の データが同じなんでしょうけど。
- この辺の数値を信じるとして,じゃぁどれくらい許容するかは, 人それぞれでしょう。良く報道で放射性セシウムを含んだ食糧が 出た…と報道しますが,出たら話題になるので,少なくとも基準値を 越えた食糧を定常的に採るって事は無いでしょう。また一つの 材料がその値でも,料理をすれば,他の食材や水とかで薄まりますから, 全体の放射線量はもっとさがります。なんらかの手違いで 食べていても,後は検出限以下の食糧を食べていれば,そんなに あがるものでもないでしょう。基準値越えの食糧がたまに出ることに あまり過敏になる必要もないのですが,日常的に出回るとマズイので, それなりに騒ぐことには意味がある…って感じでしょうか。
ただし,国の基準の500Bq/kgは高いかなぁ…という印象をもちました。 日常的に取るにはムチャな高さだと思うし,瞬間的に食べるにも ちょっと高いかな?。これが100くらいなら,瞬間的に食べても, 量も少なければ,とも思うけど…。まぁこの辺の感覚は わたしの感覚で,人によっては,これくらいでも我慢できない… という気持ちには同感ではありますが。
まぁあんまり食べ物にピリピリするとしんどい…というのはあります。 わたしは癌の手術をした後,お酒も牛肉も怖くて食べれなくて 口にいれたら吐き出すなり,そうじゃなかったら数日おびえたり してましたが,そういうのってかえって病気になるようにも思います。 念のために書くと,これは原発事故とは関係ない5年前の話です。 肉とかお酒ががんに悪い影響を与えると思っていたから。
その時散々考えて思ったのが,がんの原因って良く分からないのですが, だからこそいろんな食べ物をまんべんなく食べるのが一番いいと いうこと。今回の話も,いろんな地方の食べ物を広く食べていれば, 結果的に放射線量は,単品の放射線量より下がるわけで, そういう風にやっていくのがいいんではないか?と思います。
- 2/5(ライブに行く人が減ってる?)
- ネットでたまたま見つけたJazzサックスの人のブログで最近ライブに来る生徒が 減ってるって話。 念のため書きますが,わたしはこの方については寡聞にも存知あげて ませんでした。
で,感想は,そうか最近ライブに来る生徒が減ってるんだ…ってこと。 私は一時期頻繁にジャズのライブに行ってましたが,別に音楽を どなたかに習っていたというのはありません。単にジャズのライブが 好きで観にいってました。ですが,ライブに行くと確かに出演する ミュージシャンの生徒さんが結構来ていた様にも思います。
実は生徒を持っているミュージシャンが生徒に自分のライブに来るように, と思っているのは,ちょっと意外というか,そういう風には考えて ませんでした。特にライブを沢山するミュージシャンであれば, 生徒が全部のライブを観にいくのは大変だろう…という気も してました。ただ,まぁ生徒がたまには先生のライブを観にいくのも まぁ当然なのかな?という気がしないでもありません。
自分の場合は,病気をしたり結婚したり子供ができたりとで,以前の様には ライブに行く頻度は減ってます。また時期が来ればいけるかな?とは 思ってますが,しばらくそういう状態だろう…という感じです。 ライブにいけなくなる理由は人それぞれだと思います。楽器を 習うくらいの人なら,ライブに行くべし…というのは判らないでも ありますが,ライブにいけないくらいの人でも楽器を習っても いいんじゃないか?とも思います。
…と人それぞれと思う一方,以前だと行くでしょ?っていうくらいの 人が行かなくなっているという事実はあるのかもしれません。 理由はいろいろあるかとは思いますが,今回は書きません。 それより,ちょっと驚いたのが,このブログのコメント欄の中に CDで良いやと思う…みたいな意見があったこと。私はライブより CDが良かった…と思うライブには出会ったことがありません。 違うよさとかいうならわかりますが,どんなライブでもライブにしか 無いよさがあると思うけど。もっともCDも1,2回聴いておしまいと いうのもありますから,ライブももう良いやというのはあります。
個人的には一人のミュージシャンとかどこか特定のライブハウスという 観点だとともかく,世の中自体には,小さなライブハウスは 増えてるように思うので,音楽を好きな人はそういういろんな ライブに行ってるのかもなぁとは思います。
- 2/4(休日)
- 土曜日。午前中息子とお留守番。2,3日前に公園につれって行った時 寒そうで辛そうだったので,今日は自宅でTV等観て,お昼前に 一緒にお出かけ。嫁と合流。ご飯を食べて帰ってきた。夕方, 近所のオートバックスに行った。最近のオートバックスはスマートフォンとか 携帯と関連したものとか,くるまの中で家電を使うためのものとか, なにか車が自室…ぽくなってるなぁと言うものが多かった。昔だったら もう少し,光物とか装飾物とかそういうのが多かった気がするけど, だいぶ様相が変わったなぁ…と思った。
- 2/3(アバンギャルドからスタンダードになる年頃)
- キースジャレットが83年に出した(録音した?)アルバムに 「Standards Vol.1」というのがあります。これはキースが ピアノトリオでスタンダードを演奏するというものですが, 非常に高い評価を受け(実際すばらしい作品です),この後 キースは現在までこのメンバーでスタンダードを演奏し 作品をつくり続けてます。
最近のキースの活動しか知らない人は,このスタンダーズトリオと ソロピアノの演奏が彼の活動と思っているかも知れません。 83年というとキースは30代も終り…で,そこから20… いやもう30年近いわけですから,かれの音楽生活の半分が この活動になるわけです。ところが,スタンダーズを 出す前のキースは実に多彩な作品を残してます。そもそも 彼を有名にしたのがチャールズロイドのグループで, フラワームーブメントの色合いを強くもつ今のバンドは 楽器こそ全部アクゥースティックですが,ロックのビートや メロディの要素を多く持ってます。その後電化したてのマイルスの バンドでフリーっぽい演奏をし,その後は自身のバンド。 自分のバンドはほとんどアクゥースティックですが, やっぱりロックやゴスペル,そして民族音楽の影響を強く うけたようなサウンドにフリーな構成を合わせた,彼独自の 音楽…という色合いが強く,この当時のキースは,演奏能力の バツグンの高さを持ちながらも,旧来のジャズファンには 異端扱いをされていた…という風に聞いてます。その分 若いジャズファンにはファンが多かったんでしょうけど。
そういうキースがもっとも油が乗り切った40前後にスタンダードを 演奏し,その内容もフリーとかじゃなくて,極めてメロディを 丁寧に演奏するというシンプルなスタイルったわけですから, 旧来のジャズファンもキースのファンもびっくりした…事だろう…と 想像できます。で,双方に嫌われるかというと,多分双方に 絶賛だったわけです。
この辺の話,わたしは当事者じゃないので,幾分想像が入ってます。
さて,パットメセニーですが80/81というアルバムがあります。 タイトル通り80年頃の作品です。このアルバムは,アクゥースティック ギターを弾くフォーク調の曲もありますが,サックスを入れた クァルテットで,若干フリー色はあるものの,いわゆるジャズを 演奏してます。
で,この作品を出す以前のメセニーも,自己のグループで, シンセを使ったり,ポップなビートとかを取り入れたサウンドで いわゆるフュージョンミュージシャンと思われていたようです (インタビューで読んだことあります)。ところが80/81でジャズを 演奏したところ,やっぱりこれまでまるで関心を示さなかった 旧来のジャズファンが絶賛したわけです。
この二つの話。時期が近いので,そういう時期だったという気も するのですが,いずれもジャズファンがジャズじゃない…と 嫌っていた音楽をやっていた,その分野での人気ものが, ジャズをやったら,ジャズファンが驚いて絶賛した…という 構図になってます。なぜ絶賛したか…というと,普通に ジャズしてたから…じゃなくて,やっぱりジャズでありながら, どこか新しい,つまりジャズに新しい空気をもたせそれを 旧ジャズファンに分からせることができたからでしょう。
- こういうことって良くあるように思います。若いときに自分の 独自の表現を探して,作曲,アレンジ,編成,音色,節回し …などいろんな事で,人がやってないことを試していく。 だけど,そういうのを一通りやった後に,普通に伝統的な スタイルで作品をつくると,非常に幅広い人に受け入れられる…と。 そこまで探求していた独自の表現は,一部には好評でも 多くの人には理解されにくい,そこで入れ物を旧来のものに 変えると,旧来の人にも分かりやすくなるわけです。もちろん, それをするには,それまでに自分の独自のスタイルを 確立している…ということが重要なポイントとなります。
実際オリジナリティを確立した人は,普通に普通の事をやっても 独自になるわけで,敢えて独自な表現をする必要がありません。 しかし,それは産まれながらに持っているものとは限らず, 若い時点では,それを探求する模索も必要になるわけでしょう。 それをやったからこその,オリジナリティになります。
キースとメセニー話を書きましたが,同様の試みは結構良く見ます。 様々なミュージシャンが,ある程度のキャリアを積んだ後に, 古い曲のカバーを歌ったり,ジャズとかに手を出したりします。 それは良い作品の場合もあるし,実際聞きやすいのでヒットする 場合が多いです。まぁキースとかが突出してるのは,その後, 彼は30年近くそれを続けていても,尽きないほどの, オリジナリティを持っていることでしょうけど。メセニーも, 今でも時々アクゥースティックジャズのアルバムを良くだしますし。
音楽以外でも,このやり方というのは,参考になると思ってます。 本当にオリジナリティがある人は,普通の事をやったときにこそ, 多くの人に伝わる自己表現になる。普通のことをしていても カッコイイ…,そういうのに憧れます(^^;)。
若いときにはいろんなことを模索して,枠から外れ,もがくように, 自己を拡張していく。若いときにに型にはまろう…と思うのは, 自分の可能性を閉ざしてしまいます。しかしどこからかは逆に 普通にやることが重要です。いい歳をしていつまでも人と 違うことばかりを強調しているというのみっともないし, 人に伝わりません。
わたしはそう思うし,そういう風に目指して欲しいと若い人には思います。
- 2/2(公務員だって人間です)
- なんか連日ニュースを騒がせている,沖縄の防衛局長の件。 わが家でも話していたけど,なにが悪いのか全く分かりません。
選挙に行こう…と声をかけるののどこが悪いのでしょうか?。 もしかして公務員は選挙に行ったらいけないのですか?。
聞くところによると,特定の候補への投票を依頼したとか 無かったそうです。多分そうだとわたしも思います。特定の 候補の依頼をしたのであれば,公務員は政治的に中立で あるべし…なので,問題でしょう。投票先の誘導がなくて 単に選挙に行け…というのが問題であれば公務員が投票するのが ケシカラン…ということなのでしょうか?。そりゃおかしいよね。 法律で権利として与えられているわけだから。
…というか,そもそも特定の候補へ投票を促しても,投票と いうのは無記名だから,チェックのしようがありません。 システム的に投票先の強制はできないのです。ですから, そんなこと意味がありません。
あと,誤解されやすい行動だから…という話もどこかで 聞きましたが,誤解されるような行動をすると処分される 社会っていい社会ですか?。誤解するのは他人です。しかも 誤解ですから事実ではありません。事実でも何でもないことで, 誰かを罰することが出来る…とかなったら大変なことに なると思うんですが。まぁセクハラもそうみたいですから, そういう社会なんですかね(苦笑)。
さて,ちょっと胡散臭いと思うのは,批判してるのは某政党とか 某国会議員だということ。議員さんは選挙によって 直接影響受ける利害関係者です。利害関係者が異を唱える というのは,公益の問題ではなく,彼らに利するかどうか… の方の意味が大きいんじゃないでしょうか?。要は公務員が 投票にいくと,自分達の得票が減る可能性がある人達が, これを批判していると。
であれば,この局長を批判することこそ,特定の候補者への 得票の誘導であり,政治的に片寄ったことです。まぁ新聞は 思想をもつので,それもありですが,そんなのを,あたかも 一般的なことのように報道するなよ…と思います。
…さて最後に,防衛局長が投票を促すという行動に,だれか 特定の候補への得票の増加を期待したか?…というと,それは あったかもね…と思います。でも実際は,職員にしても その家族にしても,だれに投票するかは,分からないのです。 白票だって出せます。だから実際は局長の思惑と違う人に 投票するかのせいだってあるわけです。公務員だって 国民ですし,投票権があります。自分達の利益を期待して, 投票をすることに問題がある…とか言われたら,それこそ 日本には普通選挙制はないのですか?…という気がします。
というか,自分達が票を欲しかったら,有権者に訴えるのが, 政治家の役目でしょうに。
- 2/1(徒然)
- ネットで拾ったネタをちょっとずつ.
「議論の前提をつくったからこそ橋下市長は 議論に強い」を読みました。
最近橋下知事のメディアでの議論の強さが評判のようです. あんまりその手のテレビをみないので,どういう風に 強いのかはわたしは知りません.今回は朝ナマの出演が話題 だったようです。
個人的には橋下さんは大阪の首長なので,大阪の人が まず判断すべき.有識者はそれなりに論じるのは意味は あるんでしょうが,一市民としては,大阪以外の人は, あまり意味がありません.例えばわたしは慎太郎都知事は東京 都知事としては頼もしかったけど,他県にいる今の立場から見 ると,東京さえ良ければ良いという彼の態度はこまりものだと 思ってます。
橋下さん好きな人は,自分の住んでるところにもとか, もしくは国政にもとか期待してる人もいるようですが, 地方自治体の首長として優れている人と,国政で優れている人は 違う...とわたしは思ってるので,その時はその時でわたしは 考えたいと思ってます.まぁその頃には橋下さんの 大阪での実績がある程度観えるだろうか,少しは判断 しやすくなるんではないですかね?.もっともその時,目に見 える実績がなくて,それでまた,「やろうと思ったけど, 国が障害になってるので,国政に出馬しなおす」とか 言っていたら,ちょっと考えますけどね;-p.
つぎ.
「年収1000万円の奴の生活水準って具体的に 言ってどれくらいなの」という2chのまとめが 面白かった.大して変わらないというオチなんですが,多分 ずっと所得が低い人はそういう風に思ってるのか…と。
実際派手に生活をしようと思ったら,その数倍程度の 収入がないとつらいんじゃないですかね?.
ただ,一千万とか数百万代後半くらいだと,いざという時に あまりお金に困らない(ある程度たくわえを作れる)とか, 何気に食べてるものの質にこだわれるとか,そういう差に なるんではないかと思います。まぁ首都圏の場合,住宅支出が 馬鹿にならないので,どこに住んでるかで,事情は かわるんですが…。
つぎ.
「 Amazonで身に覚えのないクレジットカードのトラブルに 巻き込まれる」っていうのを読んで,アマゾンでは 絶対にカードを使わない,わたしは勝ち組...と思いました:-p. もっともこの事例だと,他の人が自分のカードの番号を 打ち込んでも落とされるってことなんだろうけど。 アマゾン,そういうトラベル多いですか,そうですか…。
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