だらだら書いた日記です。
日記中のURLはメンテしないので,切れてる場合もあります。
あしからず。
- 4/30(GW)
- 昨日からゴールデンウィーク。昨日はとりあえず移動日ってことで, 午後から飛行機に乗り九州へ。夜に嫁と息子に再会。
今日はなんか何もせずにグダグダしてました。が,子供相手に 体が休まったかはなぞです。
- 4/29(独裁者不在)
- ネットを見てると個人のページもマスコミのニュースも,相変わらず 東電たたきがすごいな…と感じてます。 東電の組合員の夏のボーナスが一か月分っていうのを たたいているのも見かけましたが,経営者側である,役員,更に管理職まで ならともかく組合員に業績ならともかく経営判断の誤りを被らせるのは そんなに簡単に組合も飲めないだろうに…と思います。もっともこれで 業績は悪化するでしょうから,おいおいボーナスも出なくなるという こともあるかも知れません。
そんな中に「政府や東京電力の対応はなぜ“不誠実”に見えるのか」と 言うのがあってこれも興味深かったのですが,私自身は東電が不誠実か どうかについては,あまり強い意見を持ってないので,不誠実に見えるんだ, っていうのが素直な感想です。
以前現在の状況を「人災」と呼ぶには抵抗がある…と書きましたが, 私は人災か天災かは,状況が落ち着いてから考えたいと思ってます。 少なくとも現場でがんばっている人たちの気持ちが折れるようなことは, あまりしたくないというのがまずあるからです。
とはいえ,東電の経営陣や政府の対応を見てると,ほめる所は無いなと いうのも思ってます。私が思うのは,それを不誠実とか悪いことやってるとか そういうのではなく,単にどっちも無能だなぁ…ということです。 あっ,無能だというのは,その人が無能…というよりは,今回の 自体が彼ら(政府や東電経営陣)との能力を超えてるっていう意味です。 だから,代わりに誰かいい人がいるのかどうかはわかりません。
かといって彼らに責任が無いかというと,そんなことはなく そもそも天災がおき事故が起きたら人間の手に余るようなものをこさえて しまったというのは,政府や東電に責任があるのでしょう。もっとも それを決めたのは,たぶんいま政府や東電にいる人たちじゃないのだと 思います。ですから組織としての責任はありますが,個人としての 責任があるかというと,どうなんでしょう。
大体東電の社長が,今回の事故の当初に入院した…っいうのを聞いたときに, あぁ,この人はこういう非常時には役に立たない人なんだろうなぁ…と 思いました。あと,まぁ菅さんもそんな感じです。 彼らはたぶん,自分の任期中に,たいした危機が訪れずに,平穏に 物事が過ぎていけば良かったのに,こういう事態が来てしまった。 大体競争もなく大規模な市場開拓もないインフラ事業である電力産業に, 非常時に強いような経営者がいるわけない。せいぜい内部の権力争いに 長けた人がいるだけでは?という気がします。この非常時に対応できる人を 事故前に退屈な会社の社長なんかにしておくわけが無いよな…と 思います。
地震の直後に津波による発電機の破壊とか,温度上昇とかいろいろ起きた時に 結局なにも判断できなかったのも,こういう競争の無い大きな組織は, 何かをやって失敗することのほうを怖れる人の方が出世するからで, そういう役員ばかりだったんじゃないかな?と想像したりします。 技術系が役員に少ないというのを問題視してる意見も読みましたが, そもそも「何かあったら自分が責任を」…と動ける人がいないんじゃないかな, と思いました。
- …とは言っても,じゃぁ今の状況を変えられるような,人がいるのか? 彼らが無能なだけで,そうじゃない人がいるのか?というと良くわかりません。 東電というか,そっちの業界は他の人の顔が見えないので,まるっきり 判りませんが,政府のほうは,情けないな…と思うのは,野党の中にも あまりそういう風な感じの人がいないからです。あっ与党で足引っ張って いる人はいるようですが:-p。
こういう国が行き詰まってあえいでいる時に「俺が何とかする」と 立ち上がってうまく行くと,革命が起きたり,独裁者が生まれる…って いうのが,外国では何度も起きてるような気がするんですが,つくづく 日本人っていうのは,そういうのが苦手な民族なんだよなぁ…って。 歴史上も革命で天下を取った人ってほとんどいないのでは?。 頼朝くらいかなぁ。
- 4/28(節電は儲けのため)
- 今日は暑かった。最高気温は25度くらいだったらしい。 今日は午後から用事があって都内に出たのだけど,バス, 電車,ともにクーラーが入ってないので,もっと暑かった。 窓は開いていたからまぁ何とかなったけど,これから夏になって もっとすごくなるんだろうなぁ…と思うとちょっとビビル。
というか,電車はともかく,なんでバスはエアコンを入れないのだろう?。 電気使用量とは関係ないだろうに。
いまいろんな店舗でエアコンを切ったり,電灯を切ったりしてる。 職場もエアコンを切っている。節電にすごく協力的だとは 思うけど,別に今って,電気の使用量がぎりぎりってわけじゃ 無いのにどうして節電してるんだろう…とか思ったりも:-p。 慣れるためですか?。
ちょっと皮肉めいて言うと,天道を消すのもエアコンを弱めるのも, 企業にとっては経費節電になる。それで顧客の苦情が出ないので あれば,それは企業にとっておいしいからそうしてるだけ…じゃないのか という気が時々する。
そんなことは無い?。儲けとか度外視で,節電に協力したいですか?。 でもマクドナルドは売り上げを犠牲にしての節電は したなくないらしい。まぁこれが本音なんだろうね…と 思った。
- 4/27(勝負の世界の経験)
- 昨日に引き続きmedtoolzさんの引用でなんかストーカみたいで 申し訳ないなぁと思いつつ(^^;)。
「負けるのは大事」。タイトル通りで,激しく同意です。 わたしももう大学くらいの頃から,これは意識してました。
というのもmedtoolzさんは学校で学ぶものと言い方をしてますが, わたしはちょっと違って,運動部をやってるやつは勝ち負けをつける経験を してるので信用できる,とか文化部とか帰宅部でそういう経験をして無い人は, 使いにくかったりする…とかそういう風な感じで思ってました。
…とはいってもわたしも中学高校大学と文化系の部活動ばかりで, 運動部をやったのは小学校の時野球を数年やったくらい。後は, 大学に入ってバイクとかでレースをするとこれまた勝ち負けの世界に なるので,まぁ一番多感な中学高校は勝負を避けていたのですが(^^;), 一応は勝ち負けの経験はしてます。
とはいえその時期に文化系(音楽・美術)をやって,勝ち負けとは別の 「個性」という物差しを手にいれたのも,自分的には凄い財産には なってます。そういう意味では勝負と個性と両方の物差しをもった方が いいんでしょう。
勝ち負けがつく世界で生きた経験がある人は,ここに書いてあるように, 負けを認めて,それで割りきる…という事が出来ます。そういう経験が 無い人は,いつまでも言い逃れをしたり,非を認めなかったり…で, まぁ実社会でそれをやられると結構面倒な人だなぁ…ということになります。 以前なにかのトークで少年将棋が小さい子供に「負けました」と 宣言させるのが凄いって言ってるのを聞いたのですが,そうだろうなぁ…と 思います。
ただ負けるのが重要と言っても,負けてばかりで自信を無くすのも問題で, そういえばわたしが小学校で野球をやっていたときは,自分よりうまい人が 多くて,だんだんつまらなくなったけど,バイクに載ってるときは, 自分より速い人に負けても悔しくなくてむしろ尊敬をしたりとか, そういう感じだったから,やっぱり,その負けても相手を憎まないとか, 自分を卑下しないとか,そういうことまで学べてのものなんだろうな …とは思います。逆に体育会系で強ければなんでもあり…という様な 考え方だけに染まるのもちょっと問題を感じるのですが。
…とかいろいろ書いたのは,自分の子供の教育とかを考えてのことで, 小さい自分に負ける経験をやっぱりさせておいたほうがいいんだろう…と 思うからです。大人に負けても意味がないから,やっぱり同学年に負けて, でもそれから成長して…とかいうとやっぱりスポーツなのかなぁ…, …でも,そこでコンプレックス感じるとわたしと同じように芸術に 走ったりして(^^;)…。
- 4/26(経験)
- medtoolzさんの「 悪い奴らは来なかった」いろんな示唆があって 面白いのですが,その中に,処方がイマイチと思っていた上司(先輩)の 立場に自分がなったときに,決断が出来ずに四苦八苦したという話が 書いてます。
世の中には実際にやった経験がないのに聞いたり読んだりした知識だけで, 実際にやってる人を批判するという人が結構多いです。おそらく そういう人達が,実際にする立場になったら,何もできないか大きな 失敗をするというのはやっぱり多いのだろうな…と思います。 机上で検討した案なんていうのは,いろんなところが単純化されていて, それでうまく行くと思うと,それこそ想定外だらけの状況に なってしまうように思います。
原発の事故で,東電の幹部が現場を知らない人ばっかりだった…という話を 聞きましたが,もしそういう会社で,なおかつ政策を決めるお役所も そういう人ばかりだったりして,こういう自体が起きたのかも知れません。 まぁ大きい会社で出世をする人は書類書きがうまかったり説明が うまかったりする人で,コミュニケーション能力は高いのでしょうが, そういう人こそ,現実を無視して相手が喜ぶようなつじつまの あった計画をつくってしまう…って事は,どうもありそうな気がします。
そんでもって,今はそういう人達を避難しているネットやジャーナリストも, まぁだいたい同じようなもんで,「こうすればいい」とか前向きな案を 出す人もいますが,多分それは穴だらけで,やったら大変なことに なるんだろうなぁ…と思います。やらないよりマシならやらないと しょうがないのですが。
ところで,わたしは同じような技術分野にもう20年以上いるのですが, そうやってやってくると,雑務で仕事が忙しいのですが,その反面凄く 短い時間で研究とかをやれるようになっている気がします。 実際に手を動かして,設計したりつくったり,実験してる時間が短いという 意味です。過去の自分と比較してもそう思うし,若い研究者と比べても そう思います。
というか,いうか若い研究者と議論をしていて,もちろん新しい技術で なかなか理解出来ない場合もあるのですが,それをやると出来そう 出来ない…の判断が割と早くできる。若い人がいろいろと迷ってるのを, 最適な方法でやる道筋というのが,こっちは割と短時間に判断できる。 もちろん失敗した場合の対策とかも。
結局はそういうのっていうのは経験であって,歳をとると頭の回転や 記憶力は下がってくるけど,その少ないリソースで仕事を回す…って 事自体は出きるようになるなぁ…という印象です。まぁ経験にないことは できない…という意味では,若い人以下なんでしょうけど。
- 4/25(今語る防災)
- 昨夜わたしが投票した人は当選したみたい。ってことは,こちらにも ある程度責任が発生するわけですね。まぁしばし見守るってことで。
ところで,今回の選挙,あと先日の知事選とかの選挙公報やTVの 政権演説とか聞いてると,候補が挙げてる公約の中に, 「防災」という話が結構目立ちました。実はわたしはあの時 語られていた「防災」と公約はなんとなく胡散臭い…と思って, 候補を選ぶポイントにはしてませんでした。
ひとつは地震直後に防災と訴えるのはある意味当たり前すぎて, 争点にならない,そんなことに公報のページを割くのは,他に 政策が無いんじゃないか?とか思ったりもしたからです。 それもあるし,今もそうですが,地震の被害…という点で言うと, まだ総括されてません。つまり防災都市を作るとしても, どういう都市を作るか?という各論を語る時ではありません。 そういう意味でも,あまりにも情報が無い主張だと思いました。
今の時点で言うと,東京より大変なのは岩手や宮城や福島などで,関東でも 茨城とか千葉は大変だと思いますが,東京は 怪我をしたりなくなった方もいますが,それに比べるとまだ 被害が少なかったと思います。それよりも地震後の物資不足のように 都民のパニックによる混乱の方が大変なところもあったんでは 無いでしょうか。
そういう意味では,今,都民の不安をあおって,騒ぐようなことを いうのもちょっとなと思ったのでした。まぁかといって, 地震のことを少し意識しなくなった頃に,そういうことを言うと もっと他の大事なことがある…とか言われちゃうんでしょうか?。 でもそういうときに取り上げるのが政策という気もするのですが。
もうひとつ,大きな地震や台風などの自然災害で被害が出る時って, たいてい想定外のことが起きるだよなぁ,などと思うと,防災を 訴えて防災都市を作るのはかなり難しいんじゃないか?と いう気もします。
- 4/24(地方選挙)
- 統一地方選第二段である今日,わたしが住む武蔵野市は市議会の 選挙でした。なんか市議会とか区議会の投票って,ずいぶん久しぶりに やった気がするのだけど,なぜだろう?。行ってなかったのかな?。 それとも2年に一度とかのペースで引っ越していたからだろうか?。
小選挙区である衆議院や議席が一個の首長選挙とちがって,市議会だと 26の議席に36人が立候補して選ぶので,なんか勝手が違います。 ひとつの会派が複数の候補を出してくるので公約もかぶっているし。 ちなみに今回は候補者の演説はまったく聞かず,選挙公報だけで 判断をしました。
かぶってるというと違う会派でも文字面だけは似たようなことを みんな行ってます。例えば子育て支援とか,老人に住みやすいとか そういうことは全員書いているように見えました。よく見ると 内容が微妙に違いますが,皆が言ってるなら,誰に入れても実現 するんじゃないの?とか思ったりもするので,なぜ争点なのか 疑問です。
冗談はそれくらいにして,思ったのが,やっぱり身近な話のはずなのに 議員の顔が見えないなぁということ。わたしの場合職場も住まいも ここだからどっぷり影響あるはずなんですが,議員の政策が どういう影響があるかが良く見えません。家とかに入ってる ビラを見ればいいんでしょうが。まぁ住み始めて2年だからって 言うのもあるでしょうし,今後子育てとかすると地元とか行政に 対する要求は具体性を持つでしょうから,いろいろ思うところも 出てくるかもしれません。
それから国政と違い市政のような生活密着の話になると,やっぱり 支持するものが変わるなぁと思います。特に武蔵野市は財政的に 余裕があるはずなので,経済振興よりも市民サービスの充実の方が ありがたくなるので,リベラルの方が意見として納得しやすく 感じました。わたしは議員数とか役人の数とかを争点とするのは 変だと思ってるので,そっち系の人はまったく眼中にありませんでしたが。
というわけで,誰に入れたかは書きませんが,そろそろ開票なので, わたしが入れた人は通っているかは,これから結果を見ないと わかりません。今日中に結果が出るのかしら?。
- 4/23(結果として正解)
- 郵便や宅急便の受け取り,アパートの点検とか言われていたのを 全部午前中にしていたので,午前中はそんな感じ。洗濯も やったけど,今日は一日雨だった。明日の方が天気はいいのでしょうが, お風呂の残り湯を使いたかったので。あと掃除とアイロンがけ。
午後…というか夕方から用事があり出かけた。
結構酔っ払って帰ってきたら,そのまま風呂に入らず寝てしまった。 というわけで,明日は風呂の残り湯が出ないので,やっぱり 今朝洗濯をして正解だった。
- 4/22(時間軸が重要)
- 最近なにかから放射能が検出されると「検出された」と大騒ぎをする記事や 文やブログが名に入り鬱陶しい。…という気分を昨日書いたのですが, 騒ぐ割りに肝心なことが書かれてなくて,判断できない…というのが 更に鬱陶しく感じます。
素朴な疑問ですが,水にせよ野菜にせよ放射能(放射性物質が正しいけど)が 検出されるのは,検出された事自体よりも,「強さ」と「期間」が問題では 無いのでしょうか?微量でしたら通常時でもある場合もあるわけだし, ある程度強くても一日だけなのか,何日間も出続ける(摂取され続ける) かが問題なのだと思います。体内(母乳)から出たとなると確かに ショッキングですが,飲む方からすると,微量でかつ数日で出なくなれば, 他のリスクに埋もれる程度になるように思います。もちろん出たときから 気をつけろ…というのは分かりますが,出なくなった…ってところまで フォローしてくれなかった困ります。
そういう意味で言うと,今回福島の原発の立ち入り禁止区域の指定も, ずっと出続けたからなったのかも知れません。まぁでも,多分放出量自体は, 先月の方が遥かにピークで,危険度はゆっくりではあるけど,減っては いるんだろうなぁ…とは思います。この辺複雑で,やっぱり一般的には 理解しがたいんだろうなぁ。長期的に退避をさせるのであれば,仮設住宅 とか用意しないとダメのような気がするけど…。
もう一つ。被曝するとガンになる…と大騒ぎするのも,やっぱりピンと 来ないのが,いつなるか?…って話。5年後になるのか20年後になるのか 40年後になるのか…。あと幼児がなるのと壮年や老人がなるのはやっぱり 重みが違う。壮年や老人なんって20年後とかいうと何もしなくてもガンにな るか別の病気で死ぬリスクの方が高くなる場合も多いんじゃないか?…とか 思います。5年後になる…とか言われると深刻だけど。
ガンは怖い病気だとは思うけど,日本人の3人に1人がガンになるのだから, ガンになりたくないとかガンが怖いとか,騒いでいてもしょうがないのだと 思います。幾つの時になるのか?どういうガンになるのかが重要だと, ガンになったわたしは思いますよ。
上に書いたその二つをはっきり言わずにただ怖いと騒ぐのは,ただ不安を ばらまいているようにしか,わたしには見えません。というか, 不安をばら撒いて,どうしたらいいか?を語らないのはひどいんじゃないか?と いう気もします。怖がらせておいて,後は自分で考えてね…じゃぁ…。
ちなみに今は原発に反対しても,放射能の流出が止まるわけじゃ ありません:-p。
- 4/21(不安な人と楽観な人)
- 不安な人は自分の不安が周囲に共有されないと,凄く不満。だから 不安じゃ無い人を不安にする言動をする。一方,楽観的で不安に思いたく 無い人は,不安に思いたくないので,危ない事象に目をつぶる。 または楽天的に考えたり,都合のいい安全宣言に飛び付く。 そしてそういう人は不安をばらまく人に近づきたがらない。
この二人は物凄く相性が悪い。どっちもお互いを見ていらつく。
事象が深刻なのか楽観なのか,正解が見えない場合,実はどっちが 正解だったかというのは分からない。楽観的に考えてたら船が沈んで 気が付く場合もあるし,悲観的になって逃げ出したら,そこで怪我を する場合もある。
不安な人と楽観な人は,多分これまでの人生でもずっとそんな感じで やってきて,不安に思っていたら何も起きなかったり,楽観的に考えて いたら痛い目にあったりしたかも知れないけど,それで考え方を変える …っていうのは,案外少ないように思う。不安な人は,あたらなくても ずっと「今度こそ」と不安に思うだろうし,楽観的な人は致命的な痛手を くらったら,そもそもそこで退場してるかも知れない。
わたしは多分性根は不安に思うタイプだけど,それに振り回されるのが 物凄く嫌いだから,理性で楽観的になろうとするタイプ。ガンになったときも, 半年後には死んでるかも…とか,免疫力が堕ちて感染症にかかるかもって 異常に潔癖性になったりしたけど,頭では「今が異常で,そのうち落ち着く だろうから,それを待つ」とずっと思ってた。まぁ2,3年くらいして 落ち着いた。
わたしの様に性根が不安なのを理性で楽観的になってるタイプは特に 不安をまく人が嫌いで,頑張って不安を払拭してるのに,不安にするなよ …と思う。楽観的なタイプにもそういう人は多いかも知れない。
実際は状況が深刻かどうかは簡単には分からないから,データは欲しい。 データを見て自分で総合的に判断したい。それでダメだと思えば行動を するだけ。判断を曇らせるような煽り文句は御免だ…とは思うけど, 別にデータを無視してるわけでもない。ただ不安が優勢になれば行動を するだけ…だと思う。行動しないのに不安だけを増幅するっていうのは, わたし的には,ちょっと迷惑だな…とは思う。
素直な感想。
- 4/20(寄付)
- ちょっと寄付について思うことを手短に。
今の時期ですから寄付というと義援金とか被災地への寄付とかいう 話になります。わたしも職場で集めていた寄付にいくらか納めたり, あと,あるサービスでたまっていたポイントを義援金として送れるのに 申し込んだりして,ちょっとは寄付をしてます。
ちょこちょことこうやって集めている寄付金に入れていくと,たぶん 合計的にはいくらかになるんでしょうが,集めるほうは無記名にちかい 形で集めるので,結果として自分が支出した形跡は残りません。 一方個人名で日赤に寄付したり,各自治体に寄付したものは,領収書を 取っておけば来年控除の対象になります。あと自治体に寄付した場合は ふるさと納税として扱われるはずです。
去年わたしは九州のほうにふるさと納税をやってみましたが,今年は 東北のほうにしてみようと思ってます。まだやってませんがそろそろ。 ふるさと納税は去年始めてやって,今年初めて確定申告したので, どういう形で返ってくるのか,いまいちよく把握してないのですが。 ふるさと納税は市町村税を任意の自治体に納めたことになるはず。 まぁわたしが住んでいる自治体は余裕があるようなので,多少は他に まわしても良いんじゃない?とか勝手に思っております。
あと,最近よく聞く何かを買うと,そのうちの何パーセントかを 寄付にまわします…ってやつ。まぁ寄付が増えるのはいいんだけど, さり気に,これって売り上げ増を狙ってるな…と感じてます。 いや,もともと定期的に買ってるものの売り上げから寄付されるなら いいけど,寄付をすることによって,ライバルの売り上げを, こっちに持ってこれるなら,そういうことになるよな…と。 その業界が全部そういうのをやればいいんだけど…とか思いますが, そうもいかないのかなぁ。
ちょっとそういうことを思いました。阪神大震災のときはボランティアが 日本に根付いた…といわれましたが,今回は寄付がある程度根付くと 良いな…とかちょっと思ってます。
- 4/19(表現者の覚悟)
- メディアアーティストの八谷和彦氏は,最近は原発の事故の様子を 子供が理解しやすいように,「お腹を壊して下痢をした」という様に 例えて説明するとうのをTwitterに書き,一躍有名になっております。 私は八谷氏を無名の頃から知っているので,応援する気持ちが強いからかも 知れませんが,Twitterに見られる現在の八谷氏の言葉を 読んでいて,表現者というのはかくも強いものなのか…と関心を しております。
うんちの例はTwitterに書いた後,かなり反響があり,ネット上でアニメに する人などが出てきて,更に海外まで広がって行きました。そうなると 当然突っ込みも入るわけです。元々子供が分かりやすいようにと 例えていたのに,その意図を知らずに「不正確」だという人がいたり 「うんちに例えるのが不謹慎」という人がいたり,絵を描いたのは 彼じゃないのに,ふざけてるという人がいたり。他にも (八谷氏は原発縮小派なのに)事故を矮小化していて,これは プロパガンダに違いないとか,お金をもらって書いたのでは?と いう人までいました。
Twitterに書かれた瞬間を見ていた,わたしからすると,どれも的外れな 意見で,経緯とか意図とかを確かめずに中傷する人がいかに多いか…と 思ったものです。
こういう意見は八谷氏に直接届くように言われるものも相当多いようです。 Twitterでのやり取りは我々にも見えますが,他の手段でも辛辣な 言葉をもらってるのかも知れません。
でも少なくともTwitterでの八谷氏の受け答えを見てると,そういう不確かで 無礼なコメントに揺らぐことなく,元々の自分の立場を何度も説明したり, 前向きな意見を導くような問題提示や引用を行ったりしてるように 見えます。私はその彼のブレなさに凄いな…と関心をしました。
アーティストのような自分名義で作品を世に出す人は,元々その作品が 評価にさらされる事になります。それに耐えないと,継続的に作品を 出していくことはできないでしょう。ネットでの意見は現実世界より きつい言葉になる場合が多いようですが,そういう中でぶれない 八谷氏に表現をするとはそういうことなのか…と思いました。 そう思うと,ネットの有名人でも,ちょっとやそっと批判されたくらいじゃ ブレ無い人の方が,結果的に多くの注目を浴び,支持者も多いように 思います。
もちろんアーティストの中にはもっと繊細な人もいて,中傷に翻弄されて 傷付く人もいます。それがいけないわけでもないし,そういうのを 見ないように逃げ回ってもいいし,それでも良い作品を出せれば 表現者としてはありなんでしょうけど,なんとなく表現するために 必要な覚悟…八谷氏に見た気がします。そういう意味じゃ, 自分もネットに文を書いているけど,ブレまくってるし,まぁ素人は それでいいんでしょうけど,玉石混合のネットでプロを見たなぁ…と いう気分です。
- 4/18(連絡)
- 微妙に込み入ってるので,。
今日は私的な理由であちこちに連絡を取ることが多い一日だった。
- 4/17(正義に死す)
- わたしの両親はいわゆる昭和一桁でしかも前半だったので終戦や 戦後まもなくが,思春期から青年期だったということになります。 そんな両親ですが,あまりわたしに戦時中や戦後の生々しい話は しませんでした。まぁそれでも母親はTVとかで戦後の頃を描いたドラマとか やってると,たまに自分の経験をさらりと話したりもしてました。
わたしはたぶん小学生の低学年あたりの頃でしたが,戦後の混乱で 闇市が立っていた頃の話として,あの頃は,食べ物は配給されていて 闇市は違法だったのだけど,配給だけだと満足に食べられないので, 闇市があった。でもその中に闇市を一切利用せずに餓死した判事とか いた…という話を聞かされました。
つまり違法行為を裁判官として出来ず,その結果餓死したという 話です。
この話,真偽は確かめてませんので,作り話かもしれないし, 当時の噂話である可能性もありますが,当時のわたしは,そんな こともあるんだ…と思って聞いてました。うちの親は,この判事を 「おろか」いうことも「えらい」ということも無かったように思いますが, わたしとしては,どこかえらいと受け取ったので,馬鹿にしたような 言い方でなかったのは確かです。
この話はつまり,正しい(この場合ルールを守るですが)ことを貫くと 生きていけない場合がある…という意味になるのですが,それを おろかとせずに美談にしてしまうと,命よりも正義の方が大切と いう話になります。でもこれを話したわたしの母親はたぶん闇市を 利用していたわけですから,違法行為を全否定したわけでもない のだと思います。
この話,もう少し大人になって理詰めで考えると,結構難しい話です。 でもわたしは子供の頃から,こういう話を聞いていたので, なんとなく人というのはそういうものだ…と思っているのかも しれません。
世の中の決まりとか,理想とかがあって,みながそれを守って生きて いける場合はいいのですが,そうじゃない場合に何が正解か?というと たぶん正解はありません。ルールを守って生命を危険にさらす人もいれば, ルール無視してとにかく生き残る人もいるのが世の中だと思います。 ルールの守り具合もルール内であればある程度他の人に顰蹙を買うくらい までなら…という場合もあるし,とにかくいろいろなんだろうと 思います。わたしはむしろどれかに正解を決めないような社会の方が 全うなような気がしてます。
ただ今回の震災で日本は被災地ですらスーパーに人が並ぶとか そういうのが海外で驚かれましたが,一方で火事場泥棒の様なことも 起きてます。逆にわたしの知り合いは見ず知らずの人に食べ物を 分けてもらったりもしました。やはりいろんな人がいるのが世の中ですが, どういう人が多いのか?というのは,社会によって違うんだろうな,と 思います。
fujiponさんの原発離婚!という文を読んだ時に,九州で ペットボトルの買占めをやってしまった奥さんにみっともないと 言ってしまったfujiponさんですが,みっともないと思うfujiponさんにも, もし何かあったらという奥さんにもわたしは共感を覚えました。 私自身どっちの立場をとるだろうか?という葛藤があります。
ただひとつだけ書くと,夫婦の場合この議論は,どっちが正論か?と 言う前に,まずどうしたらお互いの不安を解消できるのか?を お互いが理解すべきなのだと思います。パニックになる人は, 不安を解消するために,行動をしてるだけの場合も多いですから。
- 4/16(休日)
- しばらく田舎に滞在している妻と息子に会いに来ています。 この週末はそれだけで終わります。
- 4/15(ジプシーなわたし)
- 前から何度か書いてますが,わたしは子供の頃からとても引越しが多く, 大学に入るまででも8回か9回くらい引っ越してます。転校でいうと たぶん幼稚園で一回,小学校で3回,中学で2回やってます。高校と 大学は流石に転校しませんでしたが。
そういう子供だったので,実は引っ越すことにあまり抵抗が無いし, 土地に対する縛りの感覚もあまりありません。もっとも引越しはコストが ものすごいので,気軽に引っ越すわけではなく,大学の間は大学院に 進学したときに寮を出なければいけなかったので一度引越し, 就職してからは一昨年の子供が出来た関連以外は一応会社事情に よる引越しを4回くらいやってます。まぁ子供の頃に比べれば 引越しの周期はだいぶ長くなったように思ってます。
こういう自分やわたしの親なので就職の時に親元を離れて九州から 上京するのには何の抵抗も無かったし,親も特に異論を唱えませんでした。 わたしは今でも借家住まいですから,今の土地が自分の終焉の地になると いう感覚がなく,また動くだろうなぁ…と思ってます。それ自身も あまり抵抗がありません。
思ったのが今回の地震や原発による被害,わたしだったら仕事が許せば たぶん簡単に引っ越すでしょう。今,避難所にいる人の中に,戻りたいと いう人と,避難所のある自治体に住まいを構えたいという人といるようですが, わたしだったらたぶん後者です。
もちろん土地に絡んだ仕事をしている人は,簡単に引っ越せません。 その際たるものが農家でしょうし,漁業もそうでしょう。自営業や 会社経営も土地を変えてすんなり経営がたちいくとは限りません。 また自分の土地や家を持っている人も,その土地の状態がひどくても 財産ですから,離れられないと思うでしょう。
ただそれ以外に借家住まいであっても,住み慣れた土地だから動きたくないと いう人も結構いるのではないでしょうか。お年寄りが見知らぬ土地で 新しい人間関係や生活習慣を構築するのが大変というのもわかります。 でもやっぱり自分だったら,新しい住まいをもし国や電力会社が 補償してくれるなら移り住むだろうなぁ…とか思いました。
なんでこんなことを書いたかというと,今津波を被災した場所を もう住居として使わず,高台に移すとかそういう話が出てます。 もともと過疎だから,どこかにコンパクトに住まいを作ったほうがいいとか いう意見も聞きました。個人的にはもし自分がそうなったら,とても 作業的には面倒ですが,たぶんあっさり新しい町に移るでしょう。 でも,たぶん移りたくない人もいるんでしょうね。
自分の知り合いにも引越しをとても億劫がったり,会社の異動も すごく嫌がる人が結構います。わたしは抵抗があまり無いのですが, 上記のとおり,それはわたしの育ち方の影響で,普通はそうじゃ 無いのかなぁ…と思ったのでした。
- 4/14(まだ総括できる状態じゃない)
- 匿名日記で 原発の近くに子供の頃すんでいた人の文を読んで かなりいたたまれない気持ちになりました。「こういう話は他にも…」と 一般化することを書こうと思いましたが,地震も原発もまだまだ 現在進行形で,被災された人のつらさは今も増えているところですから, まだそういう風に語るのは早いのだろうな…と思います。
今回の地震に関しては,そういう意味では自分に限らず多くの人が 物事の考え方を大きく変えるようなことになってるだろうし,これからも そういうことになるだろうと思います。ただ,やっぱりまだ終わってないので 総括をするのには,まだまだ時間がかかるのだと思います。
ネットを見ると反原発の話とか,政権批判とか,そういうのも多いのですが, わたしの気分としては,まだそういうことを語る気分にはなりません。 むしろそういうことを語る人に,何を人事のように…と思うことも あります。たぶん実際に被災してるかたがたは,もちろん怒りも 感じていると思いますが,まずは,現状を何とかして欲しいと いうことじゃないでしょうか?。日本の電気政策や,政権なんて, その先になってようやく考えられるものです。
わたしは被災してませんが,やっぱり子供がいる身としては,今の 原発の状態がもっと落ち着いて,先行きが見えるようになるのが とにかく待ち遠しいです。とにかくまずそこから。
だから最初の日記を読んでいろいろ思うところがあっても,まだ 冷静に考察する気にはなりません。ただ,ちょっと将来考えなおしたいと 思うかもしれないので,とりあえずリンクだけしておきました。
- 4/13(ブルドーザーとトラック)
- ふと思ったこと。
わたしが子供の頃,ミニカー等で人気のあった乗り物は ブルドーザーとダンプカーでした。
ダンプは荷台が傾き土砂をこぼすことが出来ます。ブルドーザーは 前のショベルが動く(パワーショベルではありません)。 稼動部が多いからか,それとも形がかっこいいからか, 人気があったように思います。
今となって思うのは,今でもこれらの乗り物は人気があるんだろうか? ということです。というか今の子供はダンプやブルドーザーを 見たことあるんでしょうか?。山などの近くはともかく,市街地に 住んでいるわたしは,これらをも10年くらいみてない気がします。 ちなみになぜかパワーショベルは今でも見ます。ビルの解 体とこかですが。パワーショベルのミニカーも好きです。
今,街中で道路工事をしていても,大型のダンプやブルドーザーを 見ることはほとんどありません。これらは何も無いようなところを 整地して道路を作るのに作られる車両なんだなぁとつくづく思います。 いまどき街中でブルドーザーで整地するようなところや,大量の 土砂を積むダンプとか使わないのでしょう。
とはいえ,今被災した地では,こういう車両が活躍してるんだろうなぁ。
- 4/12(統治されたい?)
- 産経新聞の「 原発処理、もう米国に頼みたい」という文を読んで 驚きました。
わたしはこの秦さんという人がどういう人で普段どういう主張を されているかたか知らないので,どういう文脈で言っているかは 今一つ理解できないのですが。
日本の現場の人は優秀だけどトップがダメだ。だったらアメリカに 原発の処理は頼んだらどうだろう…とのことです。その理由の一つに GHQが日本の官僚を使いこなしたから…というのがあります。
もちろん日本の運営の全てをアメリカに任せるのではなくて,菅政権は 災害復興に専念,原発処理をアメリカにとは書いてます。でもどうも これは日本の政治家はダメだから日本をアメリカに任せましょう… という流れですよね。これはもう日本を再統治してください…と 言ってるようにわたしには見えます。今の日本はアメリカの敵対国 じゃなくて友好国だから,アメリカはある程度尊重して日本を 扱ってくれるかも知れませんが,そんなに外国に統治されることが いいんでしょうか。それはもう日本が独立国としての体を なしてない…と言ってるように見えます。
良く植民地でも全ての人が,統治されることに反対じゃなくて統治 されたいという人がいるようですが,こういう考えなんでしょうか。
自民党政権がダメだと思ったから,民主党にした,それでもダメだったから 今度はアメリカ…ということなんでしょうか。どれだけ人任せ なんだろう…と思います。アメリカが常に優しいとは限りません。 アメリカの国民がすべからく幸せに暮してると言えますか?。
そこまでは書いてませんが,国民が優秀なのに政治家がダメだという考えも 無責任だと思います。政治家がダメならそれは国民のせいであり, それを変えていかないのではないでしょうか。むしろ政権批判や 揚げ足取りでは政治が良くならない…ということを我々は 理解すべきじゃないか?とわたしは思います。まだ努力することは あると思います。
- 4/11(Twetterだけが世界では無い)
- 昨日の都知事選。わたしは石原さんには入れなかったものの, 石原さんが当選することには驚かなかった。まぁ当選するかな…とは 思っていたし,彼のこれまでの業績もそれなりに評価してるけど, でも,このご時勢はいいとして,結果的に4年もやるのはどうだろう?と 思っていたので,他の人に入れた。都内の今の震災の影響が 少し追いついたら,任期途中でもいいので引退してくれないかしら?:-p。
という冗談はさておき,Twitter界隈では,石原さんの当選に落胆する声が多かった そうで。わたしもTwitterを見てたけど,石原さんの人気はそこでは 低かったように思います。それは今回の年齢別のの得票数で 20代と30代は東国原さんが1位だったこともあり,石原さんが 通ったのは,年寄りが多く選挙に行くから…みたいな 意見も見ます。
でもTwitterって自分で選んだ人をフォローするわけで,自分と 意見の異なる人をわざわざフォローしないだろうから,大体自分と 考え方が合う人の意見ばかり見るようになるんですよね。だから お年寄りの投票のみならず,石原さんを支持してる若い人も それなりにいたっていうのに気づきにくく「ネットでは反石原が 多いのでなぜ?」と感じたのでしょう。
なにか,若い人はネットをやってますが,人付き合いが広がっていると 言うよりは,逆に読みたい意見ばかり読んで,更に視野が狭くなってる ことも結構あるんじゃないか?という気がします。それでいて, 自分は情報をたくさん得てるから,世界が見えてると思い込んでいる ような場合とか。自分の周囲の論理が世界の論理でだとか思ったる ような。もっともネットをやらない人もその辺は同様でしょうが。
- 4/10(休日)
- 先週末は桜がまだ,と思っていたら今日はもうだいぶ散った。 昨日と一昨日は東京はすごく風が強く,まだ満開じゃないと 思っていたけど,暖かかったからか一気に咲いて散り始めたようです。 でも昨日は午前中少しだけ雨が降って,放射線があがるといやだなぁ と思ったので,花見どころじゃなかったのですが,結局放射線も あがらず。もうだいぶ空を俟っている塵に放射性物質はまざって 無くなったのかしら?。
今日は選挙。結果的に慎太郎氏が再選しましたが,わたしは彼には 入れませんでした。残念というよりは,まぁ仕方ないかなという 心境ではあります。
投票は今朝いったのですが,出口調査やってました。出口調査を やってるのを見たのは初めてじゃないかな?。こういう風にやってるんだとは 思いましたが,投票した人全員やってるわけじゃなくて,それで よくサンプルとして成り立つな…とは思います。
選挙の後スーパーに買出し。商品は大体戻ってきてます。午前中だった からかもしれないけど,納豆も数量制限をしつつも売ってました。 戻ってきてるけど,ちょっと少ないな…という気はする。なんとなく 野菜の品揃えとか悪くなってる気もするし。
あとは自宅でごろごろしていた。ちょっと気分的にはぱっとしない 休日だった。
- 4/9(原発が危険と知らなかったわけでもない)
- 最初に断っておくと,私は原発推進派でも現状維持派でもなく, 緩いですが縮小派です。ですが,最近の反原発および東電批判の 論調の中には,少し首をかしげるものが結構あります。 特に引っかかるのが「原発が安全だと自分たちはだまされていた」と いう風な論調です。自分たちは被害者で東電とか政府は悪者だ…と 主張してる様に見えます。そういう人たちは本当に原発は安全で危険だと 思ったことは一度も無いのでしょうか?。
以前自分が思ったことを思い出すために昔の日記を読み返すと 2007年の柏崎原発の 事故のときに世論が原発に肯定的になっている事の違和感を 書いてます。私が若い頃は反原発のデモとか結構ありました。 ですが,なんとなくそういう運動は下火になっていった気がします。 今反原発で大きく盛り上がってる人の中には,たぶん当時,そういう 活動をしていて,理論武装をしっかりやってる人もいるようですが, そういう人たちはここ数年あまり声高に主張してなかったように 思います。
もちろん本人たちはそういう活動は続けていて,メディア等が そういうのを取り上げなくなっただけ…という気もします。ただ 世の中の雰囲気が地球温暖化対策になって,二酸化炭素を大量に だす燃焼系の発電にしがみつきにくくなっているので,事故時の 被害は大きいが,事故さえ起きなければクリーンである原発を 消極的にでも認めていたのかもしれません。
私が当時の日記で書いたのは,今回のような天災を原因とした 事故というよりは,どんなに優れた人が設計しても,現場の運用が 正しく出来るわけがないので,そのうちおかしなことが起きるんじゃないか? ということです。今回はその優れた設計(天災対応マニュアル)すら なかったということでしたので,私が意外にちゃんとしてるのかも?と いうのは間違いだったのですが,それでもやっぱり自分が 無邪気に「安全とだまされていた」とは私には思えません。
今でも反原発を訴える人は再生可能エネルギーをつかうとか 地熱風力太陽光を使えば良いとか言いますが,今の段階で その発電で火力や原子力ほどの電気を同価格で安全に安定して供給できるの でしょうか?。今がだめだから別のに乗り換えればいい…という 選択がろくな結果にならないという経験を日本人は最近もやってます:-p。
わたしは現状では原発を反対するなら電気の使い勝手がわるくなるだろう …という議論とあわせて考えるべきだと思ってます。ですから,それを 言わない議論は眉唾と思います。原子力が自動車ほど人を殺さないから 安全…というのと同様の「都合のいいことだけを主張する」感性だと 思います。
少し話がそれましたが,原発が安全だと我々はだまされていた のでしょうか?原発が危険と思うと,今の便利な生活を見直さなくては いけなくなるので,安全と信じていたかったのでは無いでしょうか? そして安全じゃないとなった今,我々は原発を安全にして使い続けるか, 電気の使い方を変え,別の道を探すか…を議論せざるを得なく,それに 社会的な合意が出来るんだろうか?…と思うとやっぱり気が重たくなります。
- 4/8(僕らが電気をもっと使いたいといわなかったら)
- 僕らが電気をもっと使いたいといわなかったら,
どこかで温泉が枯れることは無かったのかもしれない。
僕らが電気をもっと使いたいといわなかったら,
どこかの村がダムに沈むことは無かったのかもしれない。
僕らが電気をもっと使いたいといわなかったら,
低周波を出す巨大な風の塔が建つことはなかったのかもしれない。
僕らが電気をもっと使いたいといわなかったら,
どこかの島が水位上昇で沈むことは無かったのかもしれない。
僕らが電気をもっと使いたいといわなかったら,
今,空や海に放射能が流れ出してはいなかったかもしれない。
僕らは本当にだまされたのだろうか?
不都合な真実じゃなく,都合のいい誰かの夢に自分から飛びついたのかも しれない。
- 4/7(助けたい理由)
- 昨日,支援のやる気を訴える人に水をかけるような毒を吐いて, まずかったかなぁ…と思っていたら,今日, がんばれといわれるとつらいという文を読みました。
これは被災者の言葉なので,当然だろうとは思います。本当に しんどい時にがんばれなんて言われたらかえってつらいと思います。 ただ無視されてもつらいのだと思います。本当はこういうときにどういう 声をかけたらいいのかよくわかりません。
私が昨日書いたのは,なんとなく「自分に出来ること」とか「がんばろう」とか 言ってる中に妙な無邪気さを感じる場合があってひかっかったからです。 かといってああいうのを自粛するのも違うんですよね。人に声を かけるのは難しいな…と改めて思いました。
さて,ひとつだけ書いておきたいのは,実際に災害にあってない人が あってる人に何かしら支援をするというのは自己表現だったり, 哀れみだったりするわけではないと思います。もちろんそういう 気持ちの人もいるとは思いますが,わたし自身は相互扶助だと 思います。つまり自分もいつ災害にあって投げ出されるかわからない, そういうときに,社会全体がそういう人を助けるような社会にしておきたいと いう想いからです。これは子供とか障碍者とか老人とかを支援するのも 同じことです。自分や家族がそういうのと無縁とは限らないからです。 自分が怖いから今困っている人に何かをするんだと思います。
被災した人は自分だったかもしれない…という思いは少なからずあります。 だから,どうしたらいいんだろう。どう声をかけたらいいんだろう…というのを 自分がそうなったら…とは考えますが,なかなか難しいことだとは 思います。
- 4/6(自分に出来ること)
- いいことをしようとしてる人に水をさしてはいけないと思うのだけど, 気になって仕方ないので,ちょっとだけ毒を吐きます。
最近「自分に出来ることは何かを考えた」というよく聞きます。 なんとなく…自分に何が出来るじゃなくて,「相手が何をして欲しいか」を 考えるんじゃないか?…と思っちゃだめですか。
どうも「自分に出来ること」ってことには「自分の能力」じゃなくて, 「やりたいこと」「価値を高めること」というニュアンスを感じる 人もいるんですが。いやそうじゃない場合もあるし,こういうことを 書いちゃだめですよね。
でも一方で「やらない善よりやる偽善」という言葉とかは,結構 好きなんですけどね。杉様が「偽善で売名ですよ」と自分で言ったという 話とかは,結構いい話だと思いました。
まぁ,ちょっと毒なんで,あまり真に受けていただかないほういいかも。 まずは,何が求められてるんだろう?。もっとそれを考えたいと思います。
- 4/5(科学的思考が難しい人に納得させるには)
- 原発事故で放出された放射線が土や水や魚から検出されたという ニュースが報道されてます。数値が出ては基準値以下だとか 暫定基準値以下だとか,基準値を超えたけど直ちに影響が無いとか いろんな言い方がされてます。安全の線が出る数値にあわせて 変化してる感じがします。ネットをみるとデマに翻弄されるなとか, 科学的な思考をしろみたいな意見も聞きますが,上記の政府や学者の 発表は,嘘じゃないけど判断基準自体を揺らしてるので,科学的な 思考をしていても判断がしにくい様に思います。
自然科学に片足を突っ込んでいる私もそうですから,そういうものに 縁が無い人にとってはもっとそうでしょう。ふと読んだ「 科学では駄目な人たち。」という文では, どう政府や学者の見解を説明しても,ただ危険におびえパニックになる 主婦たちの話が書かれてます。極端だな…と思いつつ,納得できない 気持ちはわかるような気もします。
こういう人を納得させるにはどういう説明が良いんだろうとか,考えてる うちに,逆にこういう人(というか普段の自分も含めて)は何を持って 「安全」を信じてるんだろう…と思いました。原発や放射能に限らず, 世の中には自動車,病気,食べ物,泥棒,火事,そして天災など多くの 命に影響がありえる危険はあります。しかしこれらの恐怖に対して 普通はそれなりの折り合いをつけて暮らしてます。
科学的な説明というのはおそらく大きく二つあって,ひとつが 「理論」もうひとつが「統計」だと思います。理論というのは原理的に ありえない…ということです。たとえば,普通の地面から刀が生えてくる 危険性等はたぶん理論的にありえない…といえます。水が燃えることとか そういうもある条件以外ではありません。こういうのを理論といいます。 昔は科学というのは理論でした。統計は数学では比較的新しい考え方で 昔はとにかく方程式を解析的にといて説明するというのが科学でした。
ところが理論で説明できないというか式で解けない事象が出てくると, 統計を用いれば「ある程度の確かさ」で物事を説明できる…という理屈が できました。統計というのは統計と書くと難しそうですが,要は「経験」の ことです。そしておそらく普通の人の多くは経験から物事を判断 してるのだと思います。自動車事故に遭わない,火事にならないなどというのは 論理的には説明しづらいけど,「めったに遭わないだろう」という統計的な 理屈で多くの人は,まぁ安心だろうと判断します。
ところが私は先日,人は統計で考えることは難しい…と書きました。 ここでいう「経験」と「統計」は実は物事(事象)をミクロ的にとらえてるか マクロ的に捕らえてるかという意味で違うのかな?と思います。統計は 物事を一つ一つ見るのではなく鳥瞰的にみます。一方普通の人の経験は 全体の人数ではなく知っている人が経験したことや,自分の目の前で おきたことというカウントになります。
つまり一般の人が理解をするには,理論で説明しても無理だし, 統計で説明しても無理,ですが,自分の知っている人の経験談や 自分が実際に経験する…ということの方で納得をしてしまうということ では無いでしょうか?。それはとても科学的な思考ではないのでしょうが, 科学を裏づけとして説明しても個々の事例が具体的に説明されないと ぴんとこないということだと思います。
統計を個々の事例に落とし込んで説明するのは,統計の元の意味からは はずれ,いわゆる非科学的な思考に陥るのですが,ただ説明において それを使うのは必要なのかもしれない…と思いました。
- とか書いておいて,放射能においては,ほとんどの人が実際に経験を したことが無いので実際は誰かの経験談として話すのはとても 困難なんでしょう。実際にTVとかに出てる有識者も経験談として 話せる人は少ないように思います。まぁ難しいですね。それだけに 顔が見える人が話すほうが良いんだろうなぁ…とは思います。
- 4/4(原発の将来)
- 読売新聞の世論調査をみて,へぇーと思ったので。
政権の話はどうでも良くて,原発の是非について。
調査の結果は,増やすべき10%,現状維持46%,減らすべき29%, すべてなくすべき12%でした。私はこの結果を見たとき,現状維持が 半分で大体そういう意見なのか?と思っていました。がネットをみたら, 「増加反対が8割以上とか」とか書いていて,ちょっと笑いました。 同じ結果でもどうとるかは人それぞれということか。まぁ確かに 増加の反対は多いけど,46%は減らすのにも賛成してないのだけど。 世論調査を根拠とするのも,あまり客観的なもんでもないのだなと 思いました。
今ネットを見てると反原発派が声を高くしてるので,わたしはむしろ 原発をなくすべきという人がもっと多いのかと思いました。 私はどちらかというと時間をかけて「減らすべき」で,ここでいうと 29%に入ります。私よりも原発に反発を覚えてない人のほうが多いのか, と思っていたので,むしろ今の人は多くは減らす必要がないと考えてる のでしょうか?
原発に対してヒステリックな声が大きい一方で,実際に停電のある 生活をしている首都圏の人間は,意外に原発の恐怖よりも電気が無い 不便さのほうを避けたいとおもってるのかもしれなせん。もしくは 原発はこれ以上ひどくならない,これくらいなら首都圏は影響を 大して受けないと思ってるのかもしれません。
計画停電に文句を言う意見も良く見ていて,そういう人を見て 私は停電が無い社会というのは,現状原発に頼ってる社会だよと 矛盾してないか?と思ってたのですが,案外停電に不平をいう人と 原発を排除しようとする人は違うのかもしれません。そういう意味で言うと 今の福島の事故を「人災」という人たちも,人災だから人が 防げるはず…だから原発は*ちゃんとやれば*安全という意見なのかも 知れません。
これは案外このまま収まれば現状維持に収まりそうだなぁ。でも たぶん福島で本当に被害にあった方は,違う意見だと思います。
- 4/3(桜)
- 本来ならば今日は武蔵野の桜祭りが予定されてました。ですが, 震災のことを考えて中止というのは,震災が起きて割りとすぐに 決まりました。実際に今日になると,まだ桜は5割も咲いてないので, 今日やったらちょっと早かったなぁという感じです。
花見というと石原知事が花見自粛を呼びかけたというのが話題になって ますが,マスコミの飛ばしで,実際は夜間のライトアップと トイレの用意をしないよ…ということらしいです。前者は停電に考慮し, 後者は仮設トイレを被災地に送るからということなので,非常に 全うな話のようにも思います。
もっとも武蔵野の桜祭りは夜じゃなくて昼間だし,イベントの 中には電気を使わないようなものもあったはずだし,大人向けというより, 子供向けだったりするし,あとこういうイベントで食べている人も いるので,やらないとかえって経済が冷え込むんじゃない?という 意味では,自粛するデメリットもあったんじゃないか?という 気がします。
まぁ自分でふらりと花を見るのは自由なので,そういうのは やりたいと思いますが。それにしても今年は春が遅い。
- 4/2(飲み会2件)
- 土曜日。
昔よく一緒に花見をしていた知り合いから,近所で花見をするので, こないか?と言われたので言ってきた。なぜここで?と思ったら, 近所に引っ越してきていた,ということで,驚いた。
ちなみにそこの桜は川津桜で,既に葉桜だった。ソメイヨシノはまだ ほとんど咲いてないので,ちょっと間が悪かったかな?。
その後,新宿にのみにいった。会社の若い人が新入社員を歓迎するので こないか?と誘われたので。自分以外は自分より10歳以上若い人たちで, 居場所が無いのでは無いか?と思ったけど,うまくもり立ててくれたというか, 自分は経験が長い分の話をいろいろして,それを興味深く聞いて くれた様子。
というわけで,一日飲み会な休日だった。
- 4/1(嘘という平和の象徴)
- 4月1日といえばエイプリルフール。わたしはいいねたが無いのもあり, 毎年嘘は書かないのですが,今年は結構「今年はやめます」という のがネットでは多く見かけました。そういえばgoogleもそうだった みたいです。
自粛なのか?という気がしないでもないですが,それ以前に, そういう気分でもないということの様に思います。現実が嘘か まことかわからないような情報ばかり入ってくるので,そこに 嘘を混ぜると混乱するということなのかもしれませんし,単純に 気力の問題かもしれません。
ということで,思ったのは嘘をつくのも平穏が必要なのだなということ。 めまぐるしい世界には嘘は冗談にならないということでしょう。
…というのと,最近Twitterとかで普段からジョークいってる人が 多いので,いまさら…という感じだったのかもしれないと思ったりも。
'11年03月に書いた日記, '11年02月に書いた日記, '11年01月に書いた日記
'10年12月に書いた日記, '10年11月に書いた日記, '10年10月に書いた日記, '10年09月に書いた日記, '10年08月に書いた日記, '10年07月に書いた日記, '10年06月に書いた日記, '10年05月に書いた日記, '10年04月に書いた日記, '10年03月に書いた日記, '10年02月に書いた日記, '10年01月に書いた日記
'09年12月に書いた日記, '09年11月に書いた日記, '09年10月に書いた日記, '09年09月に書いた日記, '09年08月に書いた日記, '09年07月に書いた日記, '09年06月に書いた日記, '09年05月に書いた日記, '09年04月に書いた日記, '09年03月に書いた日記, '09年02月に書いた日記, '09年01月に書いた日記
'08年12月に書いた日記, '08年11月に書いた日記, '08年10月に書いた日記, '08年09月に書いた日記, '08年08月に書いた日記, '08年07月に書いた日記, '08年06月に書いた日記, '08年05月に書いた日記, '08年04月に書いた日記, '08年03月に書いた日記, '08年02月に書いた日記, '08年01月に書いた日記
'07年12月に書いた日記, '07年11月に書いた日記, '07年10月に書いた日記, '07年09月に書いた日記, '07年08月に書いた日記, '07年07月に書いた日記, '07年06月に書いた日記, '07年05月に書いた日記, '07年04月に書いた日記, '07年03月に書いた日記, '07年02月に書いた日記, '07年01月に書いた日記
'06年12月に書いた日記, '06年11月に書いた日記, '06年10月に書いた日記, '06年09月に書いた日記, '06年08月に書いた日記, '06年07月に書いた日記, '06年06月に書いた日記, '06年05月に書いた日記, '06年04月に書いた日記, '06年03月に書いた日記, '06年02月に書いた日記, '06年01月に書いた日記
'05年12月に書いた日記, '05年11月に書いた日記, '05年10月に書いた日記, '05年09月に書いた日記, '05年08月に書いた日記, '05年07月に書いた日記, '05年06月に書いた日記, '05年05月に書いた日記, '05年04月に書いた日記, '05年03月に書いた日記, '05年02月に書いた日記, '05年01月に書いた日記
'04年12月に書いた日記, '04年11月に書いた日記, '04年10月に書いた日記, '04年09月に書いた日記, '04年08月に書いた日記, '04年07月に書いた日記, '04年06月に書いた日記, '04年05月に書いた日記, '04年04月に書いた日記, '04年03月に書いた日記, '04年02月に書いた日記, '04年01月に書いた日記
'03年12月に書いた日記, '03年11月に書いた日記, '03年10月に書いた日記, '03年09月に書いた日記, '03年08月に書いた日記, '03年07月に書いた日記, '03年06月に書いた日記, '03年05月に書いた日記, '03年04月に書いた日記, '03年03月に書いた日記, '03年02月に書いた日記, '03年01月に書いた日記
'02年12月に書いた日記, '02年11月に書いた日記, '02年10月に書いた日記, '02年09月に書いた日記, '02年08月に書いた日記, '02年07月に書いた日記, '02年06月に書いた日記, '02年05月に書いた日記, '02年04月に書いた日記, '02年03月に書いた日記, '02年02月に書いた日記, '02年01月に書いた日記
'01年12月に書いた日記, '01年11月に書いた日記, '01年10月に書いた日記, '01年09月に書いた日記, '01年08月に書いた日記, '01年07月に書いた日記, '01年06月に書いた日記, '01年05月に書いた日記, '01年04月に書いた日記, '01年03月に書いた日記, '01年02月に書いた日記, '01年01月に書いた日記
'00年12月に書いた日記, '00年11月に書いた日記, '00年10月に書いた日記, '00年09月に書いた日記, '00年08月に書いた日記, '00年07月に書いた日記, '00年06月に書いた日記, '00年05月に書いた日記, '00年04月に書いた日記, '00年03月に書いた日記, '00年02月に書いた日記, '00年01月に書いた日記
'99年12月に書いた日記, '99年11月に書いた日記, '99年10月に書いた日記, '99年09月に書いた日記, '99年08月に書いた日記, '99年07月に書いた日記, '99年06月に書いた日記, '99年05月に書いた日記, '99年04月に書いた日記, '99年03月に書いた日記, '99年02月に書いた日記, '99年01月に書いた日記
'98年12月に書いた日記, '98年11月に書いた日記, '98年10月に書いた日記, '98年09月に書いた日記, '98年08月に書いた日記, '98年07月に書いた日記, '98年06月に書いた日記, '98年05月に書いた日記, '98年04月に書いた日記, '98年03月に書いた日記, '98年02月に書いた日記, '98年01月に書いた日記
(C) 2011 TARO. All right reserved