だらだら書いた日記です。
日記中のURLはメンテしないので,切れてる場合もあります。
あしからず。
- 10/31(徒然)
- ネットで拾ったネタに反応
どうでもいい話ですが, ブリトーがメキシコ料理じゃないと知って びっくり。
思い出話を書くと,わたしが始めてブリトーを食べたのは1995年だっけ?, 初めて海外出張でLAに行ったときに,現地に住んでいる知人の知人 (日本人)に車でメキシコ料理(と言ってもファーストフード的な)レストランで です。とても美味しいと思い,日本でも食べたいと思いましたが,帰国後 探しても見当たりませんでした。そのうちセブンイレブンが出しましたが, わたしがLAで食べたのはむしろチョボ焼き…って言ってもわからないか…, チーズモック…でもわからないか(苦笑),二つおりのお好み焼きみたいな もので,ボリュームがかなりありました。去年LAに出張したのですが, そこでも小さなファーストフードみたいな料理屋で久しぶりのブリトーを 食べ,満喫していたのに,メキシコ料理じゃなくてアメリカの料理だと聞いて, へ?って感じ。まぁLAで食べたのである意味,それが本場だったのかも しれません(笑)。
次
匿名日記で専業主夫になりたい男性って本当にいるの? っていうのを読んで。
専業主夫ね?,うーん,まぁいいんじゃない?…と思いますが, 実際は難しいだろうなぁ。いや,自分はもしそういう状況 (自分が失業して,妻が高給取りになった場合とか)になったら出来るかも 知れないけど,問題は,専業主夫のイメージが社会に出来てない…って ことです。専業主夫のコミュニティとか近所になさそうですよね(苦笑)。 近所の人も「主夫」じゃなくて「ヒモ」って見ちゃうかも知れない。
きちんとした自己イメージを持てないと,人間はトチ狂った行動に 出がちです。ヒモって呼ばれないように,一発花火を…とか思って, 小遣い稼ぎをしようと博打に走ったり(いや,それがヒモだって), 奥さんに頭があがらないことを払拭しようと家庭内暴力に訴えたり…とか…。 世の中のヒモのみなさんが,主夫じゃなくてヒモになってしまうのは, やっぱり専業主夫のイメージを社会が作ってくれてないって事 なんだろうなぁ…と思います。
逆の言い方をすると,専業主婦の方も,社会が変なイメージを押し付けると, 暴走する可能性があるわけで,ちゃんと必要な役割だと社会的に 合意しつづけたほうがいいともいます。実際,わたしは家庭では片方が働いて, 片方が家庭をみるのは,少なくとも育児・教育においては効率的だと 思います。
次。
毎日新聞はTPP賛成か。火消し主体で,デメリットと いわれるものは,そんなにないよ…って話ばかり。メリットの説明は 少ないのだけど,要は日本も西欧列強の様に発展途上国に ごり押しでものを売るには,こういういう仕組みに入った方がいい…って 意味なんだろうか?…等と思った。一理あるけどね。
どっちにしても今TPPがメディアで話題なのも,なんの目くらまし? なんだろうとか思ったりもしてます。
- 10/30(TVをみていて良くわからない話)
- 18日に書いたあさイチの放射性物質の検査の番組, 怪しいところがあって再検査中とのこと。 少し安心していたので残念なところですが,再検査の結果を 待ちたいと思います。まぁでもこういう風に突込みが入ればちゃんと 対応するところがNHKのましなところで,小さいところだと ばっくれたりするしな,とは思います。まぁ放送業界でも 絶対修正しない…って言い張るところも多いですが;-p。
話は変わりますが,今世の中で話題のTPP。正直良くわかりません。 メリットデメリットがあると思うのですが,特に反対の人は 偉く自信を持って反対してるようです。その確信はどこから 来るんだろうか?と不思議に思います。
話題になる場合デメリットの話題が多いのですが,メリットの話, というよりも実際にメリットを受ける人の意見があまり出ないので 良くわからないというのがあります。これは今回の話に限らず, 例えば年金改革とかの話でも困る人の意見が前面に出てよくなる人の 意見が出ないので,どうも悪くなるほうばかり目立ちます。 まぁ良くなる人は自分が良くなるとは言いにくいものなのかも しれませんが。
TPPだって自分たちの生活が良くなる可能性もあるんですよね。 ただ個人的には輸入品とかが安くなってもあまりうれしくない。 輸入品が安くなると普通の製品も安くなるんでしょうが,いま, 物が高くて生活に困ってるわけでもないので,そこに魅力は 感じないというか。むしろちゃんと日本での雇用が改善するとか そういうメリットがあるのかの方が大事だと思うんですが, そういう説明も聞かず…というわけで賛成でも反対でもなく, うーむという感じです。
- 10/29(休日)
- 今日は土曜。天気が良かったので公園に子供を連れて行った。 なぜかコスプレして写真を撮ってる人たちがたくさんいた。 ハロウィンからみのイベントが市内で行われていたのも 関係あるんだろうけど,なんだったんだろう?。
- 10/28(膵内分泌腫瘍の記事)
- 先日書いたけど,今週のアエラを買った。普段買わない雑誌だけど 「ジョブス がんの真相」というタイトルに惹かれた。ジョブスの 業績とかじゃなくて,彼のかかった癌の話が少しは書いてあるのかな?と 思ったので。
彼がかかった癌は膵内分泌腫瘍で「いわゆるすい臓がん」とは 異なる。ネットでも報道でもすい臓がんとごっちゃに語ってるのを 良く見かけるが,結構違う…と思う。なにせ膵内分泌腫瘍は 膵臓にできるがんの5%程で,「稀ながん」なのでたぶん症例とか 経験談が少ないのだろう。だから何かを語ろうとするとすい臓がんの 話になってしまっているようだ。
わたしがかかったがんはまさに膵内分泌腫瘍なので,病気になって ずいぶん調べたが情報が少なくて困った。 国立ガン研による膵内分泌腫瘍の説明がおそらく 現在の日本の医学界の見解であり,他の医療機関の説明も 基本的にはこれに倣っている。それ以上の情報や経験談は ほとんどない。以前はこのがんにかかった方のブログがあったの だけど,お亡くなりになってしばらくしてページは消えてしまった。 とても情報量が多いページだったので非常に残念に思っている。
今回雑誌の取材であれば多少は専門家の意見が読めるかと 思って読んだ。
雑誌でもすい臓がんの話を書いていたりして,紛らわしいところが 多いけど,内分泌腫瘍の話を書いているところも多い。 内分泌腫瘍が膵臓にできたとみなしてよく,甲状腺にも同じような ものができるという見解は初耳でほーと思った。ただ,ハーバードの医者が 言っている90%が良性という記述はがん研の説明とは異なる。 がん研は半数以上が悪性と書いている。アエラよるとジョブスのは 「グルカゴノーマ」と予想しており,良性が多いインスリノーマではない。 ちなみにわたしのはたぶん無症候性腫瘍で悪性は50%の確率。 続けて同じくハーバードの医者の「死体解剖をした人の10%が この腫瘍をもっていながら死ぬまで症状がでなかった」というのは 妙な書き方だなぁ。死体解剖をした人という母集団が良くわからない。
あとその医者が診た100%の患者が10年以上生きているっていうのも まぁ10年生きればいいってものでもないっていうか。ジョブスも 診断から8年程度生きてるわけで,10年に近い。わたしが 読んでいたブログの人も10年近くは生きていたけど,でも それくらいだった。がんの治療成績で5年生存率というものさしが あるけど,そのせいか5年越えれば治療成功という意識でも あるんじゃないか?という気もしてしまう。
- ジョブスが手術から5年間無治療だったという話は本当なんだろうか?。 少なくとも5年に至る手前に既に痩せていて世の中を心配させた。 わたしはその時に再発したと思ったし抗がん剤治療を始めたのだろうと 思ったんだけど,違うんだろうか?。あと肝臓移植も肝臓に転移して いたとみなすのがリーズナブルだと思うのだけど,そういう 発表は結局されていない。まぁしなくてもいいと思うのだけど, ジョブスの病状は株価に影響を与えており個人的な問題ではないと 言われていたところをみると,少しひっかかるものがある。
肝臓移植を受けたという話を聞いたときに,さすがお金持ちの アメリカ人だなぁとわたしは思ったのだけど,移植は 免疫抑制剤を使うのでがんにはよくないという意見を読んで, なるほどと思った。そうだよね。わたしも手術のあと,免疫力が 下がるのをものすごく気にしていたもの。
という風に少しジョブスの治療の経過の発表は少なくとも日本の がん治療の流れからすると妙なところがあって,正しい情報なの だろうか?それとも治療方針が日米で違うのだろうか?と疑問は 残った。
…などと引っかかるところは多かったけど最初に書いた通り 内分泌腫瘍の情報が少ない現在,わたしにとっては非常に 興味深い記事だった。これからジョブスの病気が話題になることで, 内分泌腫瘍についての医師の意見が出てくると個人的には 助かる。
- 10/27(午後休暇)
- いろいろ事情があり今日は午後から休みを取り,子供と過ごしました。 休みなのに疲れたのかちょっとゆっくり日記書けなかった。
- 10/26(雑誌)
- 一昨日日経ビジネスを買って,今日はアエラを買った。 なんか大人(笑)。普段雑誌なんて漫画雑誌か音楽雑誌しか かわないので,サラリーマン向けの雑誌を続けて買ったのなんて いつ以来だろう?。
もっとも日経ビジネスは知り合いが載っていたから,アエラは ジョブスのガンの話が載っていたからで,ちょっと特別な話。 後者については,もうちょっと頭で整理してからまた書きます。
- 10/25(コンテンツの貴重度)
- 現在我が家には乳児が一名いて,CDとか本とかビデオとかを ぐちゃぐちゃにします。そういうのをみていて,まぁ物にはよりますが, まぁいいか…と思うものも結構あります。
CDはある程度傷がついても音楽はかかるので,見た目のひどさを 気にしなかったりケースがぼろぼろになるのを気にしなかったら, 一応価値は残ります。LPだったら傷をつけられるとかけられなく なる場合もあるから,ちょっとLPを出す気にはなりません。
という風にメディアの特性の問題だったり,あと子供がかわいいから ある程度我慢できるというのもあるんでしょうが,思い返すに 自分が10代とか二十歳そこらだったら,嫌だろうなぁと思います。 わたしは10代の頃とかLPはテープに録音し,テープばかり 聴いていたし,ジャケットに傷や指紋がつくのが嫌で,ラッピングとか してたりしてました。そういう自分を思い返すと,たとえ音楽が かかるCDでも傷だらけになったらがっかりするだろうなぁと思います。
でもCDにしても本にしても歳をとるとだんだん扱い自身はラフに なった気がします。経済的に豊かになって聴けなくなったら また買えばいいや…という考えが浮かぶのもあるんですが, 聴きつぶしたり読み潰してもいいかな…という風に考えるように なった気がします。そしてその読み潰す期間は自分の余生って 考えると,まぁある程度先が見える…から大事にしなくなったのか? という気がします。
そういえば10代の頃は,大事なLPをずっと聴きたいと思うと, この先何十年もっておくんだろうとか想像がつきません。でも 今は20年持ってるLPやCDが,どれくらい適当に扱ってもあと20年 聴けるかというのはある程度見えてくるわけです。たぶんこういう 感覚が物をラフに扱えるようになったって事なのかなぁと思います。
まぁ自分が今もっているものが,自分が生きてる間だけ持てばいいか? というと,CDとか楽器とかは子供が大きくなってまた使ってくれると うれしい…というのも多少はあるんですけどね。まぁそれはそれ。 道具は使い潰したほうが道具にとっての愛情である…って考えが わたしにはあるので,取っておきたいものもそれなりに使い込むだろうな と思います。
- 10/24(違う決断に敬意を示すのは当然)
- アンカテさんが「自分と違う決断をした人に敬意を 持てるようになれたらいい」と書いてます。例は原発事故の影響の地で 避難する人と残る人がいて,道は分かれるのだけど,再開するときに, 敬意をもてればいいとのことです。
人生を生きていればギリギリの選択なんて山のようにあって, 同じ環境に生きていても,考え方のちょっとした差や,親戚とかの 状況,いろんな要因で,合理的に考えても考えなくても選択が 変わってしまうことなんてざらです。だから人と自分が選択が違うのは よくあることで,そんなことにいちいち目くじらを立ていても しょうがないとわたしは思うのですが,一般的には違うのでしょうか?。 つまり敬意を持つのは当たり前でしょ?ってこと。
今回の原発の事故ではそういうことが多々おきてるのでしょうか?。 わたしは福島近辺には住んでおらず都内でしたが,近所の人でも 疎開した人,しない人様々でした。現状は皆元のところにそろってますが, 疎開を選択した人しなかった人で仲が悪くなったという話は幸運にも 聞いておりません。まぁ内心いろいろ思うところはある人もいるかも しれませんが。
とはいえ,わたしも3月当時は妻子を疎開させることちょっと堂々と 公言しづらかったのは事実です。放射線より買い物難の方がストレスに なるし…と言い訳を言ったりもしたように思います。それも一因ですが。
でもやっぱり違う選択をする相手に敬意をもてないというのは, 物事の最適解が必ず求まるとか,みんなが同じ行動をすべきだとか そういう考えが垣間見えて私自身は違和感を覚えます。昨日も 書きましたが,巨大地震の可能性もあったでしょうが,無い可能性も あったはずです。現在の放射線の影響も確率レベルでしか判断できません。 専門家が考えても最適解が出ない以上,実際の我々は個々が判断するの ですから人と違っていて当然です。
ギリギリの選択という件では昨日 ジョブスがガン発見から手術まで9ヶ月躊躇していたのを愚かという スレッドを見かけました。これも読んでいてひどい書き様だなぁと 思いました。わたしも,ガンがわかってから数日は迷いましたよ。 誤診である可能性も0でなければ,自然治癒する可能性も0ではない。 でもそれは非常に稀だと。切って間違いだったら,切られ損だと 思いました。でも切って後悔よりは切らずに後悔するほうを避けたので 実際は手術を受けたのですが。で,手術をしたらしたで,手術を 2ヶ月先にしたことを後悔したり,まぁ他にもいろいろ。
ギリギリの選択というのは何を選んでも後で少しは他の選択を していたら…と思うものです。自分の選択を最適だと断言することは なかなか難しいのです。だから自分と違う選択をする人がいても 当然で,それを批判するという感覚は良くわかりません。
もっとも自分がある選択をしたときに,身近な人が反対の選択を するとむちゃくちゃ心が乱されるのはわかります。同じ選択を してくれれば安心するしうれしい。でもだからいって,誰かが 選んだからという理由だけではギリギリの選択は選べないのだと 思います。違う選択をするのが当たり前だから,普段から敬意を 感じている人がそうしても敬意を保つのは当然…わたしはそう思います。
- 10/23(叩きたい人)
- 日本人…と言っても単に外国のことを知らないので,ほかの国でも ある事なのかもしれませんが,とにかく,日本人というのは, 誰かをたたき出したら際限なく叩くという集団なのだな,と 最近良く思います。頻繁にあるのが政治家に対してで,一旦たたき出すと, ちょっとした失言だったり…ならともかく食事をしたこととか, いい間違えたとか,読み間違いしたとか,そんなことまで叩かれます。 政治家以外でも,今ひそかに広がっている花王叩きとかも, 直接関係無い人も叩けるから叩いているんじゃないか?という 気すらします。
はたから見てると,そういう叩き方というのは,叩く理由があって 叩くのではなく,叩ける人が見つかったから叩いているとか いう風に見えます。良くいじめが問題になりますが,根本的には 同じものがあるんじゃないか?という気もします。叩いても叩き返さないし, 周辺も「止めろ」と非難を向けない…という相手が見つかると, どんどんエスカレートしていく様に見えます。
もちろんすべての人がそうだとは思いません。でもそういう集団による 特定の人に対する叩きがどうも日本では発生しやすいという風に 感じてます。
さてそういう風に思うと,今の世間による東電叩きも,そういう動機で 叩いている人が結構いるんじゃないか?という気がしてます。
もちろん,原発事故に対する東電の責任は重いと思いますし,わたしは 原発は長期的には無くしていくべきだと思ってます。また筋としては 本当は東電は潰すべきだろう…とも思ってます。でもだからと言って, 東電がやることがすべて悪いことだとは思いませんし,消費者である 我々が際限なく東電を叩いていいのか?というと少し疑問を感じます。
数日前にNHKでやった食事の放射線量の検査に対して,批判的な意見を ネットで見かけましたが,「安全だ」というと無検証で「やらせだ」とか 批判するのに,「危険だ」という報道には無検証で「ほら危険だ」と 同意する人たちが冷静に物事を考えているようにはわたしには思えません。
あと地震や津波が起きるという可能性やそういう説があったことを, 事後に取り上げて,予想できていたのにとかいうのも,フェアじゃなく M9の地震は来るという説もあれば,すぐには来ないという説もあった はずで,片方だけを取り上げて予想できていたというのは,あまり 科学的な態度とは思えません。 今でこそ災害に備えて設備投資を行えば,それを当然と多くの人が 思うでしょうが,ほんの一年前まで事業仕分けで200年に一度の水害に たいしてスーパー堤防を作ることを仕分けした…事に対して, 世間的にはほとんど異論がでないという空気だったのです。
- 「本当は東電はつぶすべき」と書いたのは,実際は難しいだろうなぁと わたしは思うからで,経済的な影響が大きく,回りまわって, 国や銀行が損失を負い,それは普通の預金者や納税者に回ってくる 可能性もあるでしょう。あと東電を潰してもたぶん役員は追放に なるでしょうが,電気事業は誰かが続けないといけないので, 見かけ上は看板を付け替えて,続くはずです。また潰れることで 保障を放棄することもありえます。人々はそんなのを 望んでいるんでしょうか?。発電送電を分離すべきという意見には 同意する部分もあるのですが,法的にそれを行うなら, たぶん東電以外の電力会社もそうする必要があり,それが適当なのか? という話になるでしょう。早急に電力改革を行っても,かえって電気代は 上がるかもしれません。いずれにせよ理想はこう…というのがあっても, 手続きや社会的合意を形成するにはかなり高い壁を乗り越える 必要があると思います。
それでも原発廃止に着実に向かうべきだという風に考えると,ただ 感情的に東電を叩いているような意見はむしろ問題をますます できもしないことにしてしまっているようにみえます。批判をするなら 「こうすべき」というべきで「何がけしからん」というだけの 話では一向に前に進みません。
いずれにせよ,現状の東電たたきには,論理的じゃなかったり, 話が前に進まなかったり,結果的に普通の人がとばっちりを 受けそうなことが結構混ざっている気がします。何とかしよう という風なことを感じず,ただ批判するために批判するという ような意見も良くみます。どうもこれは日本人の気質なのかなと 思ったりしますし,原発をどう止めていくかという議論に対しては あまりいい影響を及ぼすという気もしません。
- 10/22(休日)
- 昨夜は実は嫁の妹が遊びに来て我が家に泊まりましたが,わたしは 飲み会で酔っ払って居間で寝てしまいました。
で,朝起きて食事後嫁が妹さんを送って行ったので,わたしは 寝てる息子とお留守番。起きた息子は母親がいないと多少戸惑うが, だんだん慣れたので,ちょっと外にお散歩。今日は土砂降りが降っては 晴天になるという変な天気で,外に出た時は晴れてはいたのですが, 水溜りがあって,息子は水溜りに入って靴をぬらしてしまった(--;)。 というわけで,びしょびしょになりそうだったので,自宅に戻ったら 嫁が戻ってきたので,食事など。その後嫁はアイロンとかミシンとかつかって 危ないので,息子と外に遊びに出たら,息子は抱っこしてるうちに寝て しまった。
今日は外で息子と遊ぼうと思っていたのだけど,不完全燃焼。 でも,息子と二人でいる時間が長かったので,まぁ良しとしましょう。
- 10/21(半ドン)
- 今日は年に一度の半ドンの日だった。わたしの職場は週休二日なので, 通常は半ドンはないのだけど,年に一度今日だけそうなる。もっとも 裁量制で働いている社員は関係ないのだけど。
午前中だけ働いて帰ろうとしても,仕事を引きずってちょっと 遅れて結局2時くらい。銀行と郵便局に行きたかったので慌てて,なんとか 手続き終了。その後ちょっと家の用事を済ませ,夜は飲み会だった。
- 10/20(がんによる死はましか?)
- がんの話題が続きます。あまり明るい話題ではないので, 続けるべきか?という気はしますが,ジョブスの話題で,ちょっと いろいろ目について思うこともあるので。
昨日取り上げたジョブスの死因の話で膵臓がんが怖いという話に なっていることから,がんで死ぬことは不幸なことという前提だと わかります。また昨日ニュースで聞いたがんの半分は予防可能ということからも,がんに かかる人を減らしたいという前提だとわかります。おそらく多くの人が がんで死ぬのは怖いことだ…と思っているって事でしょう。 まぁ怖いですが(^^;)。
一方,わたしがガンにかかっていろいろネットで調べているときに, 読んだ意見で「がんで死ぬのは他の病気で死ぬより幸せである」というのが ありました。死ぬのを幸せと書くと反発を覚える人も多いので,ここでは 「まし」と置き換えましょう。そこで読んだ内容は,実は結構納得 できるものでした。ただ当時,わたしはがんで死ぬことにおびえてましたので, がんで死ぬのはマシだと書くと言霊になりそうだったので,頭には 置きつつ書くのは控えてました。というわけで,この時期に改めて 書きます。
病死と事故死,自殺等の死因を考えた場合,病死が一番マシなのは いうまでもないと思います。ちなみによく「老衰」が良いと言われますが, 最近は老衰も直接の原因を特定し,病死という分類に入るようです。それで, 病死の原因をみると現状はがん(悪性新生物)が 死因としてトップですが,それ以外だと,心疾患,脳血管疾患, そして肺炎が多い様です。ちなみに医療が発達する以前は,死因というと 肺炎か食あたりが多かったと聞きますが,昨今食あたりで死ぬ人は 少ないのでしょう。
で,例えば心疾患とか脳血管疾患とがんを比べた場合どうでしょう?。 イメージでは心疾患とか脳血管の疾患は持病として長く持つ人はいますが, 亡くなるときは一瞬の発作で亡くなる様な気がします。つまり死ぬ準備が 出来てないで亡くなるわけです。知らない間にとか,死と向き合わないで ちょっとだけ苦しんで死にたい方は,確かにこれは良い死に方かも 知れませんが,いろいろと身の回りの整理や残される人にいろいろ 伝えたいとか思っている人には,突然すぎる気がします。そういう意味では, 病状が悪化してからは数ヵ月で亡くなるがんというのは,もしかしたら 少しは準備が出来る…のかもしれません。もちろん末期ガンの痛みによる辛さが 知られてますが,がんの痛みは鎮痛剤である程度弱めることができます。 そして死因とはちょっと違う観点ですが,がんは亡くなる直前まである程度 意識がしっかりしてるということです。がんで体が麻痺したり痴呆に なったりすることは脳神経のがん以外では稀でしょう。それにがんは 進行を始めると止まりませんから,中途半端なところで止まったり, 長引いたりはしないのです。
つまりがんは寝たきりとか意識が怪しくなるのは本当に末期で, そうなったらアットいう間に亡くなってしまうわけで,世話をする周りの人に とっては,実は結構迷惑をかけない死に方だ…というのが,がんをましな 死に方…という意見の内容でした。
- …という意見は実はわたし自体は納得してます。がんで死ぬ事自体は そんなに不幸ではないのではないか?と思ってます。ただがんが不幸なのは, 若くしてなった場合の話です。がんは気をつけて生活していても, 発見が遅れれば手に負えない状況になってます。元気そうに見える人が アットいう間に亡くなります。これは不幸でしょう。でも十分に 歳を取ってからはむしろがんで亡くなるのはそんなに悪いことじゃ ないような気も,わたしはします。
となると死因としてがんが増えていますが,がんの若年化が進んでいるか? ということが気になります。上にリンクしたページをみると年齢調整を するとがんはむしろ減っているとのことで,つまり若い人のがんが 増えているわけではない…ということで,がんが増えてるのは 高齢者が増えているから…って話になります。
となると,大雑把にがんを防ぐ…っていうのは,意味があるのかな? …という気もしてます。高齢者になってがんでなくならなかったら, いったい次はなんの病気で亡くなるのでしょうか?それは苦しまずに 迷惑をかけられずに死ぬ病気でしょうか?
わたしは,まぁ80まで生きられたらがんで死んでもいいかな…と思ってます。 40でがんになったときは60まで生きられたら幸せ…と思いましたが, すみません,いまは少し欲がでました。息子が成人して子供ができて, ちょっと孫と遊べるくらいまでは生きたいかなぁ。孫に自分の死ぬところを 見せられるとしたら幸せだと思ってます。息子に未成年で結婚しろ …というのも,自分を省みるとちょっとムチャぶりなので,余裕を 見ると80くらいかなぁとか(笑)。
- 10/19(病気になって思ったこと)
- 自分が癌になっていろいろ追い詰められて考えて思い至ったことは 幾つもあるんですが,今のネットの話題で,それはわたしは身につまされて 思ったことだよ…ってことがあったので。
一つはすい臓がんが怖いという話。ジョブスがすい臓がんで亡くなったので すい臓がんの怖さが話題になってました。すい臓がんが怖いという 話は,これまで有名人がそれで亡くなるたびに話題になります。 ガンの王様と呼ばれるくらい怖い病気であることをこういう病気が 話題になってはじめて知る人が多いようです。というか,わたしも 自分が癌になってはじめて知りました(苦笑)。とはいえ,わたしの すい臓がんはいわゆるすい臓がんとは違う内分泌腫瘍で,すい臓がんの 中では進行が遅くて長生き可能と言われてます。なので,有名人が すい臓がんで亡くなった話を聞いても,どこか「自分とは違うケースだな」と いう想いがあったのですが,今回のジョブスの病気はわたしと同じ 病気なのでそういう意味では,身につまされるし,一方で,わたしの 様に助かってる人もいるよ…という気分でもあります。
ガンは亡くなった人の方が話題になるので,生き延びてる人もいるって いうのはがん患者になって知ると結構勇気を持つのですが…。 まぁいま手を挙げるのもちょっとなぁ,とか思いながら読みました。 ガンって日本人の病死の原因のトップだけど,やっぱりあまり 知られて無いよなぁ…と自分の経験も振り返り改めて思いました。
…別の話題。
- ひろゆきがどこかで発言した「福島の放射線の強い地域に残ってる人は、 覚悟を決めてるのか、楽観的なのか、何も考えてないのか 3つのうちのどれかだと思うのですが、「仕事がある」とか言ってる人って、 目の前の日銭と自分や家族の人生を天秤にかけて、 日銭を取ってるってことですよね。不思議。」…って発言。
わたしは放射線が強いところにいる子供を抱えた人は,子供と 母親だけでも疎開すべきだと考えているので,それを煽るための 発言であれば,まぁ言ってることも理解できますが,でもやっぱり ちょっと言い方としては違うかな…と。前後の流れもあるんでしょうが。
日銭のために人生をかけるというと,基本的には人間はそういうものだよな, と思います。皮肉を言うと,年金とか国債だって,今の日銭のために 将来に借金を積み上げてるわけです。今,食べるために将来のことに 目をつむると言うのは結構普通に行われていることじゃないでしょうか。
そういう大きい話じゃなくて,自分の経験でも,開腹手術をして一月も 経たないうちに,わたしは職場復帰したのですが,その時は いすに2時間座るのも不安な状態で,体中にストレスがかかりまくっていて, このストレスで再発したらどうしようとか,良く思ってました。 言葉通り,命を削って仕事をしてるという感覚がその時はあって, でも「命を懸けるほどの仕事ですか?」とか結構自問自答してました。
これも日銭のために寿命を削っていたのかもしれません。好きか好きじゃないか とかそういう話でもないな,働くってそういうことだよな…と思うように なりました。弁当翁が「日銭を稼いで人生になる」と書いてますが, まぁそういうこと。
でも一方で,自分の寿命を縮めても子供のリスクを下げるのも 親の生き方(手法は時代に依って変わりますが)だと思うので, 放射線の強いところに家族共々住む事を仕方ない…とは言いたくないと いう心情はあります。
...
とまぁ,病気になって個々の命のはかなさみたいのをひしひしと 感じたのですが,それだけに命を後の世代につなぐ事の大事さも 痛感したのでした。
- 10/18(あさイチの放射線検査の結果)
- 昨日 NHKのあさイチでご家庭の食事を一週間分まるごと 放射線検査をするというのをやってました。嫁が録画して くれたのでわたしも興味深く見ました。
検査したのは全国7箇所。福島,東京,北海道,大阪,広島から 選ばれていて,こだわらずに買っている人,西のものしか 買わないようにしてる人等混ぜてました。
検査結果はどの場所でも一週間の内一日だけ極微量の放射性セシウムが 検出された家庭が5家庭,検出できなかったのが2家庭でした。 その2家庭の内一つは福島の家庭でした。
結論をまとめると今回の結果から地域差があるとは言えない。 どの場所も放射性物質は極微量でることがあるということ。 つまり結果を観れば特にどこかの食料が特に危険とは言えないし, たまに放射性物質が混ざることがあるが微量であるとなります。 食料を買うときに産地を気にするのはあまり意味があることとは 言えないとなります。
番組中では,サンプル数が少ないことは自覚しており,調査期間で もっと大量のサンプルで検査をするべき,また今後も継続的に 行うべきと言っており,これで安心と結論づけているわけでは ありません。
この結果を思うのは一つはいま行われている食料の出荷前の検査が, きちんと機能してるのだな…ということ。良く肉や野菜で放射性物質が 検出されたとニュースになってますが,そこでそれなりに せき止められているだろう…ということでしょう。
福島で全くでない家庭があったのはちょっと意外でしたが,実験内容自体は おそらく信頼がおけるものでしょう。やっぱりもっと大量の規模で 調査をやって欲しいというのはありますが,まぁ我々が現在 行っている農作物の検査結果の詳細をフォローしてるわけではないのと 同じで,「異常無し」の結果というのは,目につきにくいものなのかも しれません。
とはいえ,ネットをみてると,これは「ヤラセではないの」とかいう人も いて,ちょっと呆れました。そういうことをいう人は,たくさん 検出されたという結果が出てもそういうのでしょうか?。自分の信じる 結果と違うと「ヤラセ」と即発言するのに,信じる結果に近いと 「やっぱり」とこれまたなんの疑いもなく思うのであれば, そもそも自分の信じる結果以外認めないということになり, こういう人に,科学的検証結果を示すこと事自体意味をなしません。 そういう人は検証を望んでいるわけじゃなくて,自分の主張が受け入れ られることを求めているだけのように見えます。
あとこういう時期にこれだけ関心が高い実験をNHKがやるのにヤラセを するわけがないとわたしは思います。それに結論自体が,サンプル数が 少ないと断っており,NHK自体が安全性を結論づけていないことから, やはり慎重なんだと思います。良く思いますが大企業や公的機関と, 新興企業の一番の違いはリスクに対する考え方です。ばれるような 嘘はつかないという意味では,大きな企業の方が信頼が置けると いうのはあります。
- そういうわけで,野菜を産地で選んでいてもあまり意味がないのかも しれません。全国それぞれまぁ市場に出てるものは,それなりに 安全と言えるのかも知れません。それでも作物検査がサンプルですから, 漏れることもあるでしょう。ただ放射性物質は病原菌と違い, 一口口にいれたから病気になるものでもありません。継続的に 食べ続けて蓄積されることが危険なので,ウィルスとかに比べれば, 完全にシャットアウトするというのとは視点が違うのかもしれません。
まぁ,どっちにしても大人が食べる分には問題はないのでしょうが, 子供向けの基準が適当なのか?という問題と,今後何年も経つうちに, どのように変化していくか等,注目していかなければいけないとは 思います。
- 10/17(出張)
- 今日は朝から出張し夜帰宅した。良く考えてみたら横須賀に引っ越して 都心方面へ朝から出張し夜帰ってくるのは初めて。普通に都心へ 通勤するとはこういう感じだよな…とちょっと思いながら電車に乗った。 これまで武蔵野や荻窪に住んでいるときは,都心へは近かったし, 武蔵野から横須賀へかよっっていたときも,時間は長かったけど, 半分くらいは下り方向なので,大半を座っていた。
今日は朝は蒲田辺りまでずっと立っていた。帰りは湘南ラインを使って 横浜乗換えをしたけど,湘南ラインと京急と3分の1くらい座れた。 まぁたまにならいいけど,やっぱり横須賀から登り方向へ通勤するのは 大変だなぁ…と感じた。
- 10/16(休日)
- 今日は横須賀の中心部でみこしが更新する祭りだった。 その一環でベースが一部解放されたので行ってみた。 祭りのおまけか?と思っていたら,そっちの方がはるかに面積的には 広かった。
横須賀には延べ何年も住んでいるが,ベースに入ったのは初めて。 外から垣間見えたベースは緑が多くて広かったが,実際に中に入っても やっぱりそうで,広々と庭がある建物がぽつんぽつんとあった。 祭りにあわせてハンバーガーなどの露店販売,バンド演奏なども やってくれていて,思った以上の力の入れよう。食べ物もあちら 独自のものが結構あって面白かった。
というわけでなかなか普段見られないものをみれていい経験だった。
- 10/15(模造品を見るということ)
- fujiponさんがレプリカの展示が本物を 越えられないと書いてる件。わたしもそう思います。
とはいえ,先日伊豆のとある美術館で本物をたくさん見て偉く感動した 自分を省みて思ったのは,多くの場合本物かどうかは知識によって 知らされる…ってこと。それは自分の審美眼が未熟だからですが, 本物といわれて「これ本物なんだ」と感動する始末でした。 まぁわたしも物によっては本物と偽者の区別がつくものもあるかも しれませんが,美術品の中には専門家でも本物か偽者か議論に なってるものも結構あったりします。
更に思うのは本物(という前提で)をみて感動するのも,これまでの 経験でその美術品の写真なりなにかを見たりしてるからです。 実際美術に詳しくない一緒に知り合いは,本物を見ても あまり感動してませんでした。経験でみてるので「本で見たとおりだ」とか いう感動の仕方をするわけです。
美術品を写真で見てあらかじめ価値の刷り込みをすることがありなら 模造品で価値の刷り込みをすることもありでしょう。実際 模造品を見たことがある作品の本物を見て感動した経験もあった ような気がします。 ただ美術品の写真を本で見るのは,大きさもわからないし, 明らかに本物とは違うわけで,それで刷り込まれるのと,素人がみても 本物と区別がつかないほどそっくりなものをみるのは何か違うとは 思います。
今美術品とか博物館に置くようなものをできるだけ高画質でアーカイブ化 するという試みを良く聞きます。以前はそんなことをなぜ するんだろうと思ってましたが,やっぱり事前に刷り込ませて 本物を見るときに喰い付を良くするためなんでしょうか?。
ただ偽者は偽者。そこにそれほどの値段をつけるようなものかな?と 気はします。
- 10/14(普段からそこにある危険)
- 世田谷で放射線の強い場所が見つかり,結局原発事故とは無関係で 以前からそこに放射性物質が放置されていた…という事件?,いろいろと 興味深いことだなぁと思いました。
まず,世田谷で放射線が強い場所が見つかったのは,市民グループが カウンタを持ってあちこち測っていたからでしょう。この人たちは, 最初放射線が強い場所が見つかったときどう思ったのでしょう?。 あちこち測ってるっていうのは,きっと都内にも放射線が強い場所が あると思ってるからでしょうから,「やっぱりあった」と思ったのかな?と 想像してしまいます。それを達成感でとらえたのか,あって欲しくない 事が見つかったと悲観的にとらえたのか?…はあまり突っ込まないで おきましょう。ちなみにいうまでも無くそういう場所があると 思っていたのは原発事故の絡みですよね。
で,昨日の朝はこの報道でTVは一杯でした。東京のとある場所の ニュースですが,おそらく全国ニュースとして大騒ぎでしたのでしょう。 飯舘村との比較を報道してましたから,報道も原発由来と思って 報道していたのでしょう。
ネットでも原発の放射性物質が東京まで来ていたみたいな話を 書いている人が多かったです。
さて,こういうニュースとともに,除染をしても放射線が下がらないとか 地上より高いところの方が強い…ということも報道されていて, 奇妙な感じは最初からしてました。後出しじゃんけんみたいで 恐縮ですが,わたしの自宅でも「誰か他の人がやったのでは?」 みたいな話をしてましたが,ちょっと不謹慎かな?と思い,ネットには 書いてませんでした。その後夕方になりTwitterとかで「ラジウムらしい」と いう話が出て,ちょっとして報道発表で,ラジウムなので 原発とは無関係,その後,民家の床下から,それらしきものが 見つかった…というのが今回の顛末です。
さて,今回のことで明らかになったのは,原発事故とは無関係に そこには放射性物質があり,ある程度の放射線を通学路に ばら撒いていたってこと。その上には何年も人が住んでいたこと。 これを世の中には怖いことがたくさんあるんだ…ということもできるし, まぁそんなものということもできます。
ラジウムの上に住んでいた人の健康状態がどうだったかはよく知りませんが, まぁお年寄りなら影響ない程度だったのかもしれません。はたまた 運が良かったのかもしれません。放射線の影響は所詮確率ですから, それに接していて健康を害するかどうかも確率的なものです。 影響がある無いというのも確率的にしかいえません。子供の方が 影響が大きいのは事実でしょうが。
今回のラジウム,最初に市民団体が見つけたというのは興味深くて, 今後こういう風なケースって結構出てくるのかな?と思います。 もちろん原発由来で放射性物質がたまっているところが見つかるって いうのもあるでしょうが,実は以前からずっとそこにあった放射性物質が 出てくるケースも結構あるような気がします。だから放射性物質が 怖くないというつもりは全然ないのですが,世界はそんなに潔癖な ものでもないということで,もう少し冷静にこういう事件をとらえ られればいいのにと思います。
- 10/13(ニュースの読み方)
- 厚生年金の支給を68才に引上げるという議論が 話題になっている。65才支給も始まってないのになぜいま?… と思ったんですが,この騒ぎ様はもしかして別のネタから目を そらすためでしょうか?;-p。それともまた首相下ろしをするネタを 探してるのかな?。
このニュースを知った自営業をやってる知り合いは,もう年金は 止めて税金でまかなって,全員に同じ額を支給すれば?…と言ってました。 ですが,それは国民年金をベーシックインカムにするかという話で, 給料に応じて収める額が変わる厚生年金の話とは違うよな…と思います。 国民年金と厚生年金を一緒にすべきか?…という議論はあっても 良いかと思いますが,現段階で厚生年金を国民年金のようにするのは 判断が早々だと思います。
ちなみに厚生年金を無くして国民年金にまとめのは,企業側に利する 気がするのですが,それを国民の声みたいにとっていいんでしょうか?…。
さてわたしはこのニュース68才まで年金がもらえない…というニュースと いうよりは,68才まで年金がもらえないから,68才まで働かせろ…と 年輩の人が訴えるネタとして報じされているんでは?とちょっと考えました。 案の定NHKは,現状でも65まで働ける企業が少ないと悪い事のように報じてますが, 65才まで希望すれば働けるというのは,つまりは若い人の雇用が 産まれない…って事になります。お年寄の年金が遅れるのは若い人には デメリットがない…ってわけでも無いように思います。
わたしは,ニュースでなにかが大騒ぎになるとき,まず「なぜこのニュースが 今,こんなに大きく取り上げられるんだろう?」というのを考えるのですが, あまりそういうことをいう人はいなくて,大抵は,「だから○○が悪い」 みたいな反応をする人が多いようです。どうもその反応自体が誰かの 所望の反応のような気がするのは考え過ぎでしょうか?。ちなみに文句を 言う反応が多く,こうすればいい…という人が非常に少ないのも, まぁお約束です;-p。
- 10/12(モノの魅力)
- 今日は出張していて,日記をちゃんと書く時間が無いので 手短に。
RX-8が生産終了というニュースを昨日読みました。
私はRX-7のオーナーだったけど,8はいまひとつ食指が動きませんでした。 ロータリー云々よりデザインとかそっちが中途半端に感じてました。 ニュースではロータリーの話を書いてるけど,RX-7の魅力はロータリー だったのかなぁ,と改めて思いました。
一方,本田の常務が高回転高出力バイクじゃないと言ってる 記事を今日読みました。
なんとなくこうやって尖がったマシンが無くなっていって,マニアの 人に食指が動く物がなくなるのでは?という気がしました。もちろん そういう尖がったマシンのマーケットが少ないのはわかるのですが, 盆栽のようなマシンをどうして日本のメーカが作れないのかしら?と いう気がします。
最近読んでいたアップルの製品へのこだわりみたいなのが頭にあるせいか, そうかのかなぁ,とか思ったりしてますが,今日は整理する時間が無いので, この辺で。
- 10/11(通信販売)
- もう数年アマゾンを使ってなかったのだけど,今月立て続けに 二つアマゾンでものを買った。
私は元々あまり通信販売が好きでなく通信販売でものを買うのは 大体,通信販売でしか買えない場合のみです。また通信販売の中では アマゾンよりも他のサービスを使うことが多いです。例外的に通信販売で 日常的に買ってるものはコーヒーでこれは特定のお店でしかも九州だから。 もちろんその店に直接メイルして買ってるので,他のサービスは 使ってません。あと電車や飛行機のチケットはネット決済をしてますが, まぁこれは特殊なので。あとチケットもネットで予約するか。 本やCDはできるだけ店舗で買いますが,取り寄せが必要なものは 仕方なくネットで買います。ただアマゾンは使ってませんでした。
で,今回。CDや本ではなくとある製品をアマゾンで買いました。 もっともこれも一つは家電で,ヨドバシに行ったら生産終了と 言われたので,あわててアマゾンで調べ在庫があるところで買いました。 まぁ秋葉原とかに行ったら店舗で在庫があったかもしれませんが, 秋葉原に行く手間を惜しんでこうなりました。もう一つは育児関係。 これも今もってる製品のパーツで,ベビー用品の店舗で探す手も 考えられましたが,近所の店には無かったので,他の大きな店まで 行く手間を惜しんでこうなりました。
たまたま買ったものがどこの店舗にも普段はあまり置いてないという 性質だったというのはありますが,なんか都心から周辺に引っ越して すぐだったので,都心以外に住むということは,こういうことなのか…という 気が若干してます。まぁCDとかも横浜とかにでないと,店舗で 買うってやりにくいんだよなぁ。
これで田舎に引っ越したりすると,ますます通販に重点が置かれるのかなぁ。 既存の店舗が無くなっていくのがさびしいので,できるだけ店舗で 買うことにしてるんだけど,なんとなく,こうありたい…という 生活をする難しさを感じました。
- 10/10(逸話)
- ジョブスが亡くなってからネットでは彼に対しての想いとか, 彼に関する逸話がかなり多く紹介されてます。彼が成功した理由の様な 持ち上げ方をされているようなものもあるんですが,どうかな?というか, やっぱりそういうのは後付けであって,他の人が同じことをやっても うまく行かないだろうし,彼がどこか違ったタイミングとか文脈で そういう行動をしてもうまく行かないだろうな…というのを, むしろ彼の事だから良く思います。というのは彼自身は,スタイルを ずっと貫いていて,その中で何度も成功と失敗をしてるので, そのスタイル自体よりも,周りの微妙な状況の方が大きかったんでは ないか?…と。
そういうわけで,経営的には参考にならないジョブスの成功の逸話ですが, それでも幾つか興味深いものがあったので,今日はそれを取り上げてみます。
一つ目はジョブスがアップルに復帰したときに,アップルにいた人の話。 ジョブスが独裁をやってアップルを変えていった事が 書かれてます。ジョブスが独裁だった事自体は驚かないのですが, やっぱり1年位で会社を変えてしまったというスピード感は凄いなと いまでも思います。これを読んで「へー」と思ったのは,彼に派遣されてきた マネージャーがやっぱり独裁だったということです。
わたしの知るところだと,普通独裁的な経営者は,文鎮のような組織, つまりトップが一人で後はフラット…みたいな組織を作るような気が してました。つまり階層構造にせず,全てをトップが直接みるということに なります。でもこの逸話を読むと,ジョブスは最終決裁はしていたので しょうけど,普段は間にいたマネージャが強権をもって下をみていたように 読めます。普通は間が力を持つと,えてしてトップと違った方向に 走りがちなんですが,そうじゃなかったということなんでしょうね。 中間のマネージャがしっかり,トップの意志を理解して同じ方向で 独裁してたという風に読めるんですが,そんなこと可能なんだ…と 思いました。ジョブスがその中間管理職をしっかりとコントロールしていた …ってことなんでしょうけど。
ちなみにジョブスが来る前のアップルの状況が,いろいろ心当たりが ある状況で,ちょっと苦笑しました。
次…。
- ジョブスがコンピュータに個性を求められる時代が来ると言っていた話。 これは聞いたことある…というか,確かわたしも10年か20年前に そういうことを言っていた覚えがあり,ある程度の人が同じことを 思っていたと思います。それでもうまく行かなかったんですよね。 エンスーという言葉が表わすように,マニア向の オーディオやPCという考えはずっとあったのです。いまのアップルが凄いのは, 人と差をつけるための機器がアレだけの数売れてしまうことです。 iPhoneやiPod,あれだけ売れて,持ってる人に個性があるというのか? …ということ。まぁ最近は「ユーザエクスペリエンス」という言葉が はやってますが。
次…。
「 ジョブズとぼくらは勝ったのか?」という文には,マックファンの 長年の心情が語られていて,最後に「アップルの戦いとはなんだったのだろう。 アップル信者は本当に勝ったのだろうか」と書かれてます。ジョブスは アップルでもアップル信者でもないんですがね;-p。
ジャズの巨人にマイルスディビスがいます。様々なスタイルを作り出し, ジャズをずっと牽引していましたが,良くファンの間で語らえるものとして, 「マイルスは革新的なスタイルをつくりたかったわけでも,芸術性を 追求したわけでもなく,単に『カッコ良くありたかった』だけじゃないか?」 という意見があります。ジャズをやってること,音楽をやってる事すら, その目的の手段であると。
わたしもジョブスはカッコイイマシンをつくって,そしてそれがみんなに 認められたかっただけじゃないかな?という気がします。
わたしはそう思うとしっくり来ます。そして手段を目的にしないというか, 目的はできるだけシンプルでしかも心の中の深いところのものにして, そのためには手段は選ばないってことは結構重要だと思います。結構 手段を目的と勘違いしてる人って多いような気がします。
- 10/9(休日)
- 土日。昨日書いた通り昨日から熱海へ旅行。ちなみに昨日は 昼過ぎについてから海釣り3時間ほどしたあと,旅館へ移動。あとは 旅館で飲んだりとかそんな感じでした。海釣りはさおから全部 貸してくれるやつでしたが,案外釣れたので,楽しめました。
今日は午前中美術館に。茶器の展示をやっていました。今,へうげものの アニメのせいでこういう世界が流行ったりしてるんでしょうか。 でもマジで有名な茶器が展示されていてビックリでしたよ。
昼前に先に失礼して横浜へ。嫁と子供と合流。少しジャズプロムナードを 観て帰りました。といいたいところですが,子連れだったので, ホールやクラブには入らず街頭演奏を聴いたのみ。まぁ それでもジャズプロの雰囲気は味わえたのでよしする。来年は ちゃんと行きたいです。
で,そんな感じで帰ってきました。横須賀に住んで家族で 横浜まで遊びに行って帰って来たのは初めてでした。
- 10/8(熱海)
- 今日と明日,旧職場の旅行で熱海へ行きます。
熱海は毎年人間ドックに行く途中,新幹線の乗換えでホームには 降りてるし,昔はバイクでよく伊豆に行っていたので,良く知ってる ところではあるのですが,在来線で行ったのはずいぶん久しぶりでした。 大船で乗り換えて在来線へ。約一時間,思ったより近いなと 思いました。週末だからでしょうが,結構駅前に人が多くて, 以前は熱海というと寂れた印象でしたが,少しは元気になってきてるのかな と思いました。
というわけで旅行してます。
- 10/7(道具に求めるもの)
- dankogaiさんがスマホとパソコンの違いを,前者が ユーザの意図を汲んで勝手に動いてくれる点を挙げてます。 それを読んで,あぁ,なんで私がスマホをあまり欲しいと思わないのか 良くわかりました(笑)。
道具が意図を汲んで勝手に動くのっていいことなんでしょうか?。 もちろんそれをすることで,できないことができるようになれば, いい事なのかもしれません。道具というと私に身近なのは 楽器とか車(バイク)とかになりますが,確かに車とかもオートマとか パワステはある意味ユーザの意図を汲んで動いてくれます。それにより 運転がつまらなくなるという意見もありますが,レーサーがそうで あるように,運転者が運転本来に集中できるように不要な操作から 解放するという効果もあります。楽器もチューニングや音色が安定する 仕掛けが入ってるものもありますが,それもチューニングや音色調整が 演奏の集中を妨げるから…といえます。
でも一方で,意図を汲んで動く道具というのは意図を外れたことをすることが とても面倒です。またユーザの意図と動作が必ずしも一致しない場合, かえって面倒ということもあります。それもあるし,そもそも パソコンやスマホでユーザの意図を組み込んで動くのは,そもそも 道具としてのパソコンやスマホが,筆記道具とか辞書として 使いにくい部分があるからではないか?という気もして,そうだと それは欠陥を補ってるだけじゃないか?という気もします。
…などと屁理屈をかきましたけど,私自身が道具が勝手に動くのを 嫌うんですよね。裏で何をしてるかわからないものは怖くて,その機能を 使いたくないとか。まぁでも車のエンジンが中でどういうタイミングで 発火してるかしらなくても使えるし,地球がどういう法則で動いているか しらなくても,まぁ生きていけてる。単にコンサバなことを 言ってるんだろうなぁ思ってます。
- 10/6(スティーブジョブス)
- わたしは自分にとって特別な人じゃないと,その人の訃報には 反応しないことにしてます。ですからジョブスというのはわたしに とってはとても大きな存在です。
今朝彼の訃報が報じられました。56歳。ショックですが,CEOの引退の時から 彼の病状が非常に良くない…という感じはしていたので,当然の 流れだったのかも知れません。でも引退から一月ちょっとであり早いな …という感はします。まぁガンというのは,そういうスピード感なのでは ありますが…。
彼の偉業などをわたしが書いてもしょうがないので,わたしにとっての ジョブスがどう特別だったかという話を書きます。
…。
わたしがMacにはじめて触れたのは大学生の時,研究室の先輩がMac Plusを 持っていたからです。わたしはAppleIIとかの世代ではありませんが, AppleII自体は会社に入って先輩から一度見せてもらったことあります。 Plusはとても良くできたコンピュータで当時PC98が主流だった時代, かなり先進的でした。まぁ当時はわたしはゲームをしていただけですが。
社会人になりMacでドキュメントをつくるようになり,MacIIciを会社で 使うようになりました。その後PowerMacとか何機種か乗り換えていくことに なります。自宅にもMacIIciを中古で入手したり,その後PowerMac8100を 入手したりしました。ちなみに8100はまだ持ってますが,先月の引っ越しで 電源が入らなくなってしまったのは,今回の訃報と偶然なんだろうか… という気がしてます。もっとも8100は彼が手がけたマシンでは ありませんが。
で,この頃にMacを使っていてMacはとても好きなマシンでしたが, ジョブスの事はまだ意識してません。意識したのはこれと平行して会社で NeXTをプラットフォームとした開発をはじめたからです。NeXTは非常に優れた コンピュータでわたしはここで多くのプログラミングをしました。 でもNeXT自体は結構マイナーな存在だったので,逆にユーザは情報を 得るためにいろいろ調べ,その頃からジョブスのこともわたしは 意識するようになりました。NeXTは会社で何台も購入したし,自分でも もってました。最後のバージョンのOSまで所有していていました。 この頃からわたしはジョブスに非常に愛着を感じはじめました。
その後彼はAppleに復帰。NeXTが無くなったのは残念でしたが,そのOSの 基本構成がMacOSに引き継がれたのはとても嬉しかったです。 その後のアップルの快進撃はみなさんのご存じの通り。とても良い製品を 出し続けていたと思います。
- そして,もう一つ,わたしにとって彼が特別な存在だったのは, 彼がなった膵臓のガン。病名がきちんと報じられてませんが, おそらく内分泌腫瘍で,わたしがなった癌と同じです。部位は微妙に 違うのかも知れませんが…。わたしがなったのは2006年。 ジョブスが手術したのは2004年。彼は2005年に自分が膵臓のガンで 手術したことを語ってます。内分泌腫瘍と伺える内容でしたから, わたしにとって,彼は自分の先行事例だったのです。
私自身が手術の後,どれくらい生きられるんだろうか?とずっと 悩んでいるときに,彼が元気にしていることはとても勇気づけられました。 一方で手術から数年後から彼の体重が減ったり,休んだりしたニュースや 映像は,自分にすぐに起きるような事のように思えて,恐ろしく 思えたものです。私にとってはまさに他人事ではありませんでした。 そして肝臓移植を受けたというニュースを聞いたとき,あぁ, 肝臓転移したのだな…とすぐにわかりましたが,自分が転移しても 多分移植を受けることは出来ないので,それは複雑な心境でした。
そしてわたしは先月,手術か5年が過ぎ転移が起きてません。一山 乗り越えた心境です。ジョブスは癌の手術をして7年くらい生きたことに なりますが,おそらく転移がわかったのはずっと早いはずです。 多分体重が減ってるときに抗癌剤をはじめたのではないか?と 思ってましたから,3,4年目には転移がわかっていたのでしょう。 そういう意味では5年目に転移がないわたしは,彼よりもずっと病状が 良いのだとおもいます。うまく行けばわたしはこのまま逃げきれるかも 知れません。
ある意味,わたしは彼を自分の病気の先輩としてみてきました。 彼の病状が悪化した事自体は,単純に好きな人が病気になった以上に, 身近な問題のようにずっと思ってました。ですから,彼の今回の死も わたしにとっては特別なことです。でも,たぶんどこかで道が わかれてしまのかなとも思います。わたしがあちらに行かなかった事自体は, 私には幸せなことですが,彼にはずっとわたしの先行事例を続けて 欲しかった。膵臓内分泌腫瘍になって手術をして,仕事に復帰し, そして元気に人生を全うする…というのをこれからも見せて もらいたかったです。そういう意味で,大きな目印をわたしは 失った気がします。残念ですが,わたしが一番辛かったときに, 彼が元気であったことにわたしは元気付けられました。ありがとうございます。
- 10/5(統廃合)
- 今朝ビジネスジャンプを買ったら,どうやら今号で 終了らしい。それだけではなくスーパージャンプと統合するらしいのでスーパージャンプも 終了とのことでしょう。この二号どちらも買っていたので結構ビックリ。 どちらも隔週で,統合される雑誌は隔週なので厚さが倍になって なければ,連載が減ることになる。というか別に月刊誌が出来て, そっちに連載がうつったりWebに移るものもあるらしい。 でも全部連載が続くのかと思いきや,これで連載終了のものもあった。
ヤングサンデーが終了した時も,結構どたばたした感じだったけど, 雑誌の終了って,どうしてこういきなりなんだろう。連載も 明らかに無理やりめどをつけさせられるというものが多く, 終了に向かって盛り上げて…というのはとても少ない。まぁでも 今回は,連載が終わったものは,なんとなくけりをつけてた かなぁ…。
こういう統合とかの場合でも,あまりポジティブな感じがしないのは なぜだろう。まぁ買う雑誌が減るのは,懐具合的にはいいんですけどね。 というか,こういうのをきっかけに雑誌離れや漫画離れが進むんじゃ ないか?という気もする。ちなみにビジネスジャンプとスーパージャンプは 結構色合いが違っていて,個人的には後者の方が好きだったので, 新雑誌がどういう色になるかはちょっと気になる。
- 10/4(なにものにもなれない)
- ここ数日ネットで「なにものにもなれなかった者」という話が 流行ってました。例えばfujiponさんのところとか 何者にもなれなかった15のタイプとか。
まぁ良く考えれば「青い鳥」の話も自分探しとかいうのもこういう話であり, それゆえにみなさん考えた経験があるから盛り上がるんでしょう。
何者かになろうというのは一種の向上心だし,それでいてみんなが *多くの人に*認められる特別な存在になれるわけでもないので, 何者にもなれないという挫折は多くの人が味わうことになるのかも 知れません。でも自分を特別に思いたいというのは,自我の形成において, 子供が親から自分を分化するときに持つ本能みたいなものですから, 必要なものだし,それが上を向くと向上心に繋がるので,決して悪いことでは ないと思います。そして人生においてどこかでその向上心に息切れする… という,現実での壁とのぶつかり合いでもがくみたいのも,良くあることです。 諦めるにしても納得するにしても,うまくどこかに着地できる人もいるわけで, まぁ最後までいかないにしても,一種の通過儀礼みたいなものだよな…と 思います。
ですから,当然若い人が考えるこの問題と,中年である自分が考えるこの問題, そして更に歳をとって考えるのは当然違うものでしょう。
私の経験を書くと,日記や一人言に書いているように,私は今は自分の 周辺の人とのかかわり合いの中に身をおきたいと考えるので,ある意味 自分が社会の歯車であってもよいと思ってます。「誰にもできないこと」 じゃなくて「誰にでも出来るけど誰かがやらなくてはいけないこと」を やることにも大きな意味があると思っているというのもそういうことです。 そしてそのかかわり合いの中で*多くの人*ではなくても,*一部の大切な人*に とって特別な存在になれば,ある意味満足…だと思ってます。家族ができれば 家族にとっては少なくても自分は特別な存在であるので,そういう意味で, もがかずに済む…という気がしてます。
…とか思ってはいるんですが,実際に自分の今の行動を観ると,結構 いい歳してるのに,いまだに新しい仕事をはじめるための準備をしたりとか やってるのを観ると,多分はたから観たら全然「何者にもなれなかったこと」 を認めてないように見えるんだろうなぁ…とか思いました(苦笑)。 まぁ実際はそういう努力をいい歳してやっていけば,実際にまだ何者にも なってなくても,それなりに楽しいというのはあるのでしょう。
それから,現在の自分は既に自分が大きな成功をなすというよりは,むしろ 自分の経験や知識をどう次の世代に伝えるか?みたいなところを 目指してるのかも知れなくて,そういう意味では,新しいことを やろうとしてるけど,それはやっぱり何者かになろうとしてるわけでも ないのだと思います。
実際はそんなに苦労しなくても,普通の生活でも多分,それなりの人に 人は伝えられるのだと思います。結局青い鳥の結論と一緒で,何者かに なるより,今の自分の周りの方が大切なものかもしれません。
最後に私がいつも思ってる事を書くと「やりたい事と,やれる事と, やるべき事は多くの人にとって違うものです。それをどういうバランスで やるか…は結構重要なことだとおもいます」…ということで。
- 10/3(権力)
- 最近学会からいろいろ頼まれて,いろいろと仕事をするの ですが,その中にはなにかの選考する人みたいのもあったりします。 で,ふと思ったこと。
頼むほうからすると,誰かにやってもらわないといけないし, やるほうも,面倒な作業だなぁ,と思う部分もあるのだけど, 選ばれる方からすると,それはえらい権限を持っている人って ことになってしまうのだろうなぁ。なんとなく権力というのは こういうものなのかという気がした。
こっちは,権力を手にしたというより,面倒だなぁ,断れないし なぁと思ってることが,世の中には権力に見えると…。
権力を手にしたいと積極的に行動して手に入れる人もいるだろうけど, おそらく,なんとなく自分の仕事をやり続けていたら, そうなったという人も多いのだろうなぁ。わたしも,これまで 学会にたくさん自ら投稿して…ということよりも,いろんなかかわり合い, 頼まれごとをあまり断らなくてってやっていたらこうなったのであって, 学術的に優れた功績があるわけでもない。というかたぶん, きちんと仕事をでいる人と思われてるだけだろう。 ある意味事務処理能力とか対人能力をみられてるだけというか。
少し話が変わるけど,会社も長くいてある程度,えらくなってくると, 自分で手を動かすというよりは,人と話をしてつないでいることが 仕事になることが多い。なにかやらなくてはいけないことが起きた時に, 自分でやるのではなく,誰かに頼む。だれがやってるという知識というより, それすらなくても相手にお願いをするだけという仕事。
これも実際に下で手を動かしている人から見たら,ただ話をして, 場合によっては飲みにいってるだけの仕事に観えるだろうなぁ とも思う。会社でいう偉い人の仕事…というのはこういう ことだったりする。
まぁでもそれって,今時分が置かれている立場に付いている力であり 本人自体の力でもない。対人能力とか交渉力は本人の力だろうけど。 誰でも出来るわけでもないというのも多少はある。
だからあまりこの立場に過信せず,自分の知識や技術もしっかりと 身につけておきたいのだけど,なかなか時間がなかったりするよなぁ。
今,世の中では学者が持ってる権力みたいのがちょっと意識し 始められてる気もするんだけど,当の人達は権力を振り回したくて そうなったというより,誰かに「答えを出して」と頼まれて しょうがなく発言したのが,大きな方針になったりとか,まぁ そういう部分もあるよな…とか想像してしまう。
- 10/2(日曜日は休み)
- 今日は日曜日でお休み。日曜がお休みなのは当たり前のようですが, 実は3ヶ月ぶり。私の職場は7月から9月まで節電のために休日シフトを していて,昨日がその最終日でした。ですので,この週末は一日だけ お休みとなりました。あっ,ちなみに明日は休日ではありません。とほほ。
とはいえ7〜9月の間,土日に休んだこともあります。その場合はもちろん 有給休暇を取ってということになります。職場を見回すと,案外そういう 人は多く,なぜかというと子供の学校のイベントとかその他,社外の 集まりなどが土日にあったりとかそういうので,土日にイベントが 入ることがあるからです。案外そういうの多いんだなぁと思いました。
うちの職場は,例年有給の消化率が低くて問題になりますが,今回のように 休日シフトがあると,案外消化率は良かったのではないでしょうか?。 わたしも久しぶりに有給を綺麗に使いました。
土日が出勤で,水木が休みでしたが,平日が休みなのは,いい部分と 悪い部分があるなぁという感じはしました。いいのは,買い物に行って 空いているとか,役所とかに行きやすいとか,今回は引越しもしたので, こういう手続きをしやすかったのは良かったです。一方で,どうしても 水木に仕事が入り,休日出勤をやったこともあり,そういう部分は, やはりちょっと面倒です。それから月火金の平日,土曜日,日曜日と 電車やバスのダイヤが変わるのが,慣れるかと思ったら,三ヶ月くらいじゃ 全然慣れなくて結構面倒でしたが,例えば散髪屋みたいに休日がずれている 人たちは普通にこういう生活をしてるんだよなぁと思うとちょっと 興味深かったです。
結論として節電の休日シフトが良かったかというと,難しくて,いい事と 悪いことと両方あったのですが,まぁこういうのあってもいいかもねと 少し思いました。夏休みも長かったので,そういう意味では例年より しっかり休んだ夏だったなぁ。
- 10/1(宿舎)
- 朝霞の公務員宿舎建設の件。以前も書いた と思いますが,首相が出てきてどうのこうのするような問題か? と思います。そもそもこの宿舎が必要な理由が説明されているはずですが, 報道が全く語らないのはどういうことなんでしょう?。 都心の宿舎を売却するとかいう話もあったので,もしかしたら 宿舎自体が足りないんじゃない?とか思ったりもしてます。 まぁ民間の住宅が余ってるので,その辺の業界の圧力とかもあるのかしら? とか別のことも思ったりもしてます。
と思っていたら,最初のリンクに「公務員に宿舎を提供しなければ ならない合理性はない」とかいう発言があったので,「へー」とおもい, ちょっと話を身の上話にして,職場が社員用の住宅を持つべきか という話を。
実はこの件,ちょっとまえからずっと考えていて答えが出てません。 というのは,わたしが働いている会社も社宅を持ってますが, 年齢制限があり,いつまでも入っては入れません。一方住宅補助も 年齢制限があり,ある歳からでなくなります。
まぁ,いい歳になったら,自分で家を買いなさい…って話なのか, 給料が十分あるから自分で賃貸を借りなさい…って事なのかもしれませんが, 一方で,会社命令での転勤というのもあり,どうかすると転勤の 10日くらい前に突然異動を告げられたりします。
普通の賃貸を職場異動の引き継ぎとかで忙しいときにたった10日で 手続きをするのはかなり困難です。また転勤先が例えばおなじ関東圏とかで あればいいのですが,遠くだったら,契約に行くことも困難です。 そうなると新しい職場での住まいを会社が面倒をみる必要が出てきて, そうなると社宅か,借り上げか,はたまた,会社が借りるところを 探して住宅補助か…とか,さらに間に合わない場合はホテルなどの 仮住まいを用意する…って事になります。
いずれも一時的ですが,かなりのコストがかかります。社員のほうから お金がないので異動できません…といわれないためには,会社がそこの 面倒をみる必要があり,かっては,社員にそういわせない(異動を 拒否させない)ために社宅があったのだと思います。社宅だと本当に 異動の前日とかに割り振られることもありますから。
ただ,会社としてはそれでも不動産を持ちたくないのか,最近は社宅を 処分し,借り上げなどを借りるケースもあるようです。異動から数年 たったら社宅を追い出すか家賃を高くするというケースもあるようですが, 異動が多かったら,数年で追い出されて買うわけにもいかないのですから, 働く方からすると多少理不尽さを感じます。
異動があまり無い職場なら,社員に住宅購入を進める(自己解決を求める) のもわかりますが,数年毎に異動する職種の場合,社宅を用意すること, 借り上げを会社が借りること,または住宅補助を出すことと, どっちが会社にとって得なんでしょう。
とか書くと,住宅補助なんて出ねぇ─よという方もいるんだろうな…とも 思いますが,そういう人って異動の時どうなるんでしょうね?。敷金礼金が 払えないので引っ越せませんとかいうと解雇になるんでしょうか?。
- さて,公務員に話を戻すと,公務員も結構転勤が多い人がいると思います。 特にキャリア。異動の時に手当を支給し民間から借りなさいというのと, 宿舎を用意するのと,借り上げを借りるのと…,どれが税金の無駄遣いに ならないか?…ちゃんと算出してくれないと,是非は言えないのでは? という気がします。
ちなみに都心に宿舎が多いのは残業時にタクシー代が安く上がるように だよね?…とか言ってみる;-p。
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