だらだら書いた日記です。
日記中のURLはメンテしないので,切れてる場合もあります。
あしからず。
- 12/31(大晦日)
- 今日で平成23年も終わり。例年通り妻と子供とわたしの実家に 帰省。
それでは,良いお年を。来年もよろしくお願いいたします。
- 12/30(科学やすべて役に立つべきか?)
- 原発事故の後のそれに対する言説の中で「科学が役に立っているか?」と問われるのを 聞くようになりました。それを聞いて 心穏やかにいれないのは,私自身が科学者の端くれと 自覚してるからでしょうか。「物理学者」とか「原子力科学者」と 括られたらまだ冷静でいられますが,「科学者」と言われると, 科学者全員が原発事故に対して責任を負わなければいけないのか?と 思ってしまいます。
原発事故に限らず「科学が役に立っているか?」という質問なのであれば 奇妙な気がします。現在の日本に科学が生み出した成果の 恩恵をまったく被っていない人っているんでしょうか?。 薬だって,病院の医療器具なんて科学の結果のものだし, 家電や住宅建材にも,さらには農作物を作るための技術の 中にも科学の成果は幾分かは入ってます。それを見ず, 科学を役立たずというのでしょうか。
というよりこれはむしろ科学に対して万能なものを期待して, 原発事故を何とかできなかったという失望感から,こういう 言説が出るのでしょうか?という気もします。もしくは原子力発電を 作ったのが科学だから,それに対する抗議なのでしょうか。
後者であればわかる気がしますが,前者であれば,過剰な期待をし, 失望し怒りを感じる…というのは,少しやりきれないものを 感じます。
科学は常に人の役に立たないといけないのでしょうか?。すべての職業が すべての人の役に立っているといえるのでしょうか?。仮に役に立つべきと 言うのは良いけど,限定的ではいけないのでしょうか?。むしろ すべての人の役に立ってるわけじゃない仕事なんて幾らでも 挙げられます。
一方で科学がすべての人に必要か?という議論もあるでしょう。 わたしは科学というのは「考え方」でもあると思うので,ある程度 ほとんどの人にあった方がいいと思います。科学的根拠をもとに 論理的に考えるぐらいは身につけるという意味でも。
もちろん科学は「役に立つ」と公言して沢山の予算を使っている という側面もあります。だから一部の科学の結果,不幸な事故が おきている現状が責められているのはあるでしょう。ただそれで 全科学が否定されるということも,これまた違うんではないか?と いう気もします。
いろいろ思うところがありますがうまくまとまりません。 ただ一方的に攻められると戸惑います,という感じです。
- 12/29(喉が痛いです)
- 年末進行で福岡に潜伏中。が,どうも風邪なのか喉が痛い。 熱は無い。今日は福岡在住の友人と飲みたかったので,朝からずっと 寝ていて無理やり体調を整えたのだけど,飲み会が終わって 帰って来たら,喉が枯れていた。しゃべったからっていうのも あるんだろうけど。
- 12/28(社会が変われば歩き方も変わる)
- わたしの今の自宅は港湾地帯で埋立地なせいか,車道も広いし, それに伴い歩道も広い。平気で幅が5mくらいありそうなところも ある。今朝自転車でその歩道を走っていて,向こうから人が歩いて 来たので,一瞬緊張が走った。
最近の自転車に歩道走らせるか否か?の話が盛り上がっている時に 思ったのだけど,歩道がどんなに広くても,またラインを引いて 歩行者と自転車を分けていても,自転車と歩行者が絡まないって ことはないんだろうなと思う。よく自転車を問題にするが歩行者だって ルールを守ってるわけでもない。というかたぶん歩行者はルールを 知らない人も多いと思う。なんせ免許要らないし。自転車もそうだけど。
あの時に思ったのは自転車や歩行者にルールを教えること,教習を させること,出来れば自転車は免許を…とか出来ないだろうか?という こと。
さて,今日アメリカで運転中の通話が全面禁止に?という 記事を読んでも,少し似たようなことを思った。この記事だと ヘッドセットをつけての通話も禁止になりそうという話。でも ヘッドセットをつけていても事故る人もいるけどだとすれば, 助手席の人としゃべっていて事故る人もいるよなぁと。
最近の自動車免許制度がどうなってるかわからないのですが, 携帯電話の扱いとか授業で習ったり試験で出たりするんだろうか?。 よくよく考えたらわたしが免許を取った時に比べその辺の 事情は大きく変わっている。運転中に出れないなら, 変わりにどうするかとか。
自転車の歩道走行もきちんとルールを理解して,あと 訓練すれば,歩行者とのトラブルも減るのではと 思うし,出来れば歩行者にもルールを教え簡単に実践練習を させたほうがいいのでは?と思う。ルールを作らないと方針が 決まらないというのはわかるけど,なぜ訓練をせずにいきなり 取り締まるのかな?という気はする。ルールや,どうすれば 安全かを知らないからトラブルになってるケースも多いかなと思う。
自動車と自転車と歩行者を比べるとやっぱり自動車が一番 ルールを守ってるのは,リスクが高いこともあるけど,免許制度なので きちんと実技試験までやってるからっていうのもあるでしょう。 歩行者に免許をというのは難しいとは思うのだけど,国民全員が 習得すべきものであれば,小学校とかで教えるべきもので,少なくとも それくらいはやってもいいんじゃないかなぁという気がします。
- 12/27(わかりやすい話は多分正確じゃない)
- ネットで話題になっていた NTTコミュニケーションズで出世する方法という文。 中の人だとの事ですが,本当なんだろうか?。本当だったら, こういうこと書いて何もいわれないのだろうか?。
社名が実名なので話題になってるのか,書いてることはそんなに 驚く内容でもなく,根回しが大事という話。まぁ件の会社の内情は 良く知らないのですが;-p,大企業ではありがちな話です(苦笑)。 わたしが知ってる大企業の人達も,心当たりがあるみたいな事を 書いてました。でもふと思ったのですが,実際に社会人で 似たような性質の組織にいる人達は「そうだよね」と思うのでしょうが, 外にいる学生とかがこれを真に受けると,それは 間違いなんじゃないか?という気がします。
というのは,確かに根回しとか人間関係が,要因になることはあるから, 「そうだよね」と思うのでしょうが,それだけじゃないからです。 でも外の学生とかは,この組織は根回しとか人の構成の把握を やると出世できるんだ…と思ってしまうかも知れません。 そういうタイトルだし。それは多分違います。
こういうのは他の仕事も一通り良くできて,それでも出世する人と しない人に差が出たら,そういう部分の違いでしょう,くらいの 意味しかないのではないでしょうか?。わたしの感覚だと, 出世する人はそれなりに仕事ができる人です。もっと書くと, 上の人間が細い指示をしなくても,結果をきちんと出してくる人間, こういう人間が出世します。望まれる結果は,立場や職位で変わるので, 若いときは出世していても,上になったらダメになる人もいますが。
指示をしなくても結果を出すのが好まれるのは当たり前の事のように 思いますが,もしかしたら部下を叱咤するのが好きとか自分で 全部案件を回すのが好きなトップがいる組織は,そういう人は 嫌われるかも知れません。まぁでもそういう組織というのは 小さい組織か,創業者とかが頑張ってる会社とかそういうのでしょう。
ちなみに会社の人間関係とかは,確かに会社によって違います。 合併をした会社とかは,どっちの出身か?とかが影響するとかいう話も あるので,独自のものがあり,それが外から来た人からは奇異に 見えるかも知れません。でも事前調整が重要というのは, 大きな組織ではある程度当たり前で,それが不要というのは, 平場で話しても結論が出るような小さい組織か,意志決定者が 明確であるような組織でしょう。大きな組織になれてる方からすると, 小さな組織ならともかく大きな組織でそれが出来るのは 凄いなぁとか思います。
話がそれましたが,要はこういう話は中から見たら正しくても 外から見た人が真に受けると多分嘘になる,そういうことって 結構あるだろうな,と思いました。
- 12/26(見送り)
- 嫁と息子が一足先に帰省。わたしは昼前に羽田まで送りに行く。 余裕を持って出たはずだけど,手荷物の受付が結構並んでいたので, 申し訳ないが,二人を残して,羽田を去って会社に行った。
会社は昼過ぎから打ち合わせとかデモとかあって,夜はちょっと した飲み会で,でも,その飲み会の後にまた仕事をしてしまった。
なんか家族がいないと仕事してしまうなぁ…いいんだか悪いんだか, 体調イマイチなのに…。って感じだった。
- 12/25(年末)
- 年末最後の日曜ってことで,年賀状の仕上げとか。嫁は掃除とか, 帰省準備とか,そんな感じでした。
- 12/24(休日)
- 今日は朝から歯医者に行き,息子に予防接種を打たせたあと 自宅へ戻る。夕方再び出かけケーキを買ってかえってきた。 そんな休日。
- 12/23(趣味と自尊心と順位)
- ふと思ったことと,昔のちょっとした回想を。
物事を好きになり打ち込む…というのはその能力を伸ばすために とても大事なことだと思うのですが,好きになり打ち込むためには, その「物事」が他の人より良くできる…という事は大事 なんだろうか?…という事を思いました。
正直良くわかりません。実際,勉強ができる人は原因か結果か 勉強が好きになる場合が多いし,スポーツや芸術関係の趣味も そうでしょう。逆に小学校とか中学校とかでずっと人より「物事」 が良くできて,かつ,それが大好きだった子が,進学し, 自分よりうまい人を見ちゃったら急にやる気がなくなってしまう …ということも良くある事のように思います。
自分の場合は何が好きだったんだろうというと,まぁ勉強も, 音楽も,それなりに好きでやっていた気がします。絵は小学校の 時は下手だと思っていて嫌いでしたが,中学の途中から油絵を 覚えて好きになりました。まぁ絵や音楽は順位がつけにくいから, 他の人よりうまかったのか良くわかりませんが,音楽というか ギターに関しては高校の時はそこそこ他の人よりうまかった気がします。
でも一方でバイクは乗り始めた頃は,バイク屋に入り浸り,年上の 人達と一緒にツーリングに行ってましたが,周りはみんな 自分より速くて,いつもおいてきぼりでした。でも周りが歳上 だったせいもあり,結構可愛がってくれたので,その人達の後を 追い掛けるのはとても心地良かった気がします。楽器もそういえば, 結構歳上の人とやっていたこともありました。
そう考えると,別に自分が人より秀でていなくても,その物事に 打ち込めるんだろうか?という気もします。ただバイクは, 上京後同世代の人と走ると自分は早い方で,自尊心が刺激されて いた気もします。まぁでも自分がトップであろうが,自分が 末端であって,でも上の人に可愛がってもらおうが要は自分の 承認欲求を満たされればいいのかも…という気もします。
ただ上の人に可愛がられるというのは若いときの特権で,歳を とるとなかなか難しいだろうけど…とかそんなことも思います。
うちの子供は,歳上の子の後を走り回ったり,一人の時は黙々と なにかを並べる作業をしたりとか,楽しいことが一杯だけど, 今後成長してなにかに打ち込むときには,好きだったことが, 他の人より出来ない…と思ったときに続けるのかなぁ… 等とふと思いました。
会社とかでいろんな人を見ていて,彼らのやる気はどこから出てくるのか…, やる気が無い人はなぜ無くなったのか,自分は何をモチベーションに やってるのか?…とかいうことも考えます。いろんなケースがあるとは 思いますが,整理するのは難しいなぁと思いました。
- 12/22(過渡期のお約束)
- ネットをみてると一昨日 作家らが自炊代行業者を提訴した件が話題に なってました。自炊とは本をばらしてスキャンしてデータ化する 行為ですが,代行とは客が自分で持ち込んでやってもらう業種の ことです。
ネットを観て回ったところ,わたしが観るところは,全般的に作家の 気持ちはわからないでもないが,見当違いではないか?ということ。 本を裁断して自炊するのは個人複製の範囲だし,それで本が 売れなくなるというのもおかしい。よっぽど古書店に売る方が 本は売れなくなるはず。自炊がイヤなら電子書籍を出すべきとか, そういう意見が多いようです。読者をドロボウ扱いするのに 反感を覚える人もいました。
わたしは以前はマンガや本をそれなりに買ってましたが,今はあまり 本を読まなくなったので,ちょっと意見をする資格は無いのかも 知れません。ただなんとなく10数年前にあった音楽CDのリッピングや 音楽配信,ファイル交換の時のドタバタの再燃みたいに見えて, ちょっと興味深く思いました。
あの時はCDのリッピングの業者は出てきませんでしたが,ファイル交換の 仕組みが出来て問題になりました。ユーザによるCDのリッピングも レコード会社は目の敵にしてCCCDとか出来ました。レコード会社は これらがCD売上の減少の元凶のようにキャンペーンを繰り返しました。 ユーザ間によるファイル交換は違法として殆んどなくなりましたが, コピーを防止するはずのCCCDもいつのまにかなくなりました。
それでCDの売上は復活したか?というと,多分しておらず, そうじゃなくてiTuneの隆盛によりCD販売より音楽配信へ 主要マーケットが移りました。考えようによっては,ファイル交換や ユーザによるリッピングは音楽配信により無力化されたとも言えます。
ですが,個人的にはわたしはいまだに音楽はCDで買ってます。 通信販売が隆盛なこともあり,町のCD屋はもう虫の息状態です。 消費者がCDじゃなくて音楽配信で音楽を買うのは,音楽配信の方が 携帯プレーヤへの転送が楽だから,曲単価が安いから,曲の検索・ 購入が楽だからとかが理由ですかね。購入後場所を取らないとか 管理がしやすいというのもあるでしょう,わたしはネットでは 買わない人なので見当違いかも知れませんが。CDによる 音楽販売がいつまで続くのかどれくらい続くのかはわかりません。しかし 流れとしては音楽配信なんだろうなと思います。
- で,本。自炊はCDのリッピングより遥かに手間です。手間なので 業者がいなくなれば,あまり行われないかも知れません。でも, 一方で電子書籍で出る本もあり,電子書籍の売上はどんどん 伸びていくかも知れません。いまの電子リーダが本より使いやすいとも 思わないので,すぐに変わるかどうかはわかりませんけど。
本が無くなったり,本屋が無くなるのは寂しいのだけど,流れと してはいつかは…だろうな,とは思います。多分いま自炊に 反対してる作家も,本よりも電子書籍の市場が大きくなったら, 手の平を返したように移るだろうな…という気がします。何年か 経ったら,自炊反対って意味無かったね…って言われるんだろうなぁ, とか思いました。
- 12/21(子守旅行)
- 昨日の続き。今朝もお留守番。
今日は朝食後嫁を送り出し,旅館でお留守番。午後から大阪空港に 移りそこで遊んでいました。
うちの息子は飛行機が大好きなので,ずっと飛行機を見て指差して ました。後ほど嫁と合流し羽田へ。そして自宅へ戻りました。
- 12/20(子守旅行)
- 今日は子守のため大阪に…じゃなくて,家族で大阪に行ったのですが, 嫁は所用があったので,わたしが息子と二人で旅館でお留守番を していた…ということです。
- 12/19(締め切り感)
- なんとなく人と仕事をしていて,自分は締め切り感が早い, つまりある仕事の目標に対して,各作業の締め切りの設定を かなり前倒しで立てるのではないか?という気がしてきた。 だから逆に言うと人が立てた締め切りを見て,そんなにギリギリに 設定したら出来ない…と思ってしまう。
以前の仕事は割りと少人数でやっていて,自分でほとんど 締め切りの設定が出来たから,あまり違和感が無かったのだけど, 今の仕事は大人数でやっていて,他の人がスケジュール管理を やっているので,どうも調子が狂う。わたしから見ると, 無理な設定をするように見えるし,ぎりぎりになっても 新たな作業をオーダーしてきたりする。こっちがもうやる時間が 無いから無理,と思っていても向こうはまだ時間があるだろ?と 押し込んでくる。
部下にそういう人間がいる場合はこっちが早々に締め切りを 設定すればいいが,上司にいる場合は結構しんどい。もっとも 下にいる場合も,ギリギリまで作業結果を持ってこなかったり して,困ったりもするんだけど。
まぁ自分のこの締め切り感が正しいとも思わないし,人それぞれだと 思うんだけど,わたしはばたばた仕事をするのは嫌いで, 出来るだけゆったりしたい(仕事以外の行動もそう。あまり 計画を詰め込むのも好きではない)というのは変なのだろうか。
ただ,わたしが見る限り,わたしはそれで仕事を失敗したことは 少ないし,ギリギリでやってる人の方が,確かに仕事をがんばってる 様には見えるけど,結果的に遅れたりしてるように見えるんだけど…。
等と思った。これ今の職場の問題じゃなくて,たぶん自分の 感覚の問題だろうな…というのは最近思うようになった。つまり 職場を変わろうが日々の生活だろうが,これからもそういうことは 起きると。
- 12/18(因果関係が証明できないということは 目に見えて増えるわけでもない…ってことだけど,それでも それが原因だ…という人はいるだろうなぁ…と思った)
- この週末の サイエンスZeroは「内部被ばくの実態を探る」という タイトルで福島原発の事故による内部被曝調査の話だった。 チェルノブイリでの調査も引用していた。内部被曝と健康被害の 関係はまだまだ未知の部分が多いとの話で,なかなかもやもやした 内容ではあった。
現在内部被曝と病気との因果関係がはっきりとわかっているのは 甲状腺がんだけで,白血病や膀胱がんについては,データが少ない …とのことだった。福島で放射線量が高い割りに避難地域としての 指定がされなかった飯舘で行われた子供の甲状腺への被曝調査の結果を やっていたけど,チェルノブイリの子供に比べれば低い結果だった とのこと。
ふと思ったのが,因果関係がはっきりしないというのは,たぶん これから何十年か経って仮に今回の原発事故の影響でガンになった人が いたとしても,たぶんその因果関係は証明できないのだろうなと いうこと。それはなぜかというと,ガンは原発事故が無くても 起きるからで,因果関係がわかるのは事故後明らかに増加している ということにならないと…とことなんでしょう。
でもたぶん,今後何十年か経ってガンになった人の中には, 原発事故の影響だ…と思う人はいるだろうなぁと思います。 世の中には様々なガンがありますが,その原因を特定できるものは ほとんどありません。喫煙者が肺がんになってもタバコが原因かどうか (たぶん)証明できません。ガンの原因はそれくらい特定しにくい もののようです。
そうであると内部被曝でガンになる…とおびえることにどれくらいの 意味があるんだろうか?…という気もしてきます。もちろん内部被曝で ガンになる可能性はあるのだから,ガンの一因を取り除くという 意味はあります。でもたぶん内部被曝が無くてもガンになる人は 全国民の三割程度です。
自分がガンになった時,原因を特定したいと思いました。それは 原因を特定できれば,それをやめることで再びガンにならないかも しれないとも思ったからです。でも結局は良くわかりません。 お酒が原因かもと思ったので,お酒の量は病気前に比べ,はるかに 減らしましたが,それでもわからないなぁと思ってます。 ただ自分の場合,今再びガンにならないためには,それよりも 体に疲れをためないとかストレスをためないことの方が利く気がして, そっちのほうを気をつけてます。これは原因をさけるというより 体の抵抗力を上げるという事を意識してるということです。
…まぁとはいっても私自身も被爆を避けたくて食べ物を選んだりは してます。避けても避けなくてもガンになる時にはなるのかも 知れないと思いますが,でも無造作に取っていたら馬鹿にならない 量になる可能性もありますから。ただ放射能を完全に避けるために 神経質になるのも,ストレスばかりためて,抵抗力を下げるのも 本末転倒な気もしてきました。
わたしは大切なことは原発とガンの関係を明らかにすることでは なくて,なるべく(若いうちに)ガンにならないこと,(若いうちに) ガンで死なないことだと思ってます。どうもそう思ってない人が 結構いるような気がするのは気のせいでしょうか。 まぁ,いろいろ気をつけて生きるほうが元気が出る人もいるので, そういう人はいいのでしょうけど。
- 12/17(休日)
- 横浜に息子と外出。嫁と合流し買い物。クリスマス前だけあって 人出は多かった。なんか家族で近所以外に出かけるのは久しぶり な気がした。
- 12/16(先進国の人手の価値)
- 昨日かな, タイの水害で工場が動かないので日本に ラインを作ったけど,タイの工員が日本の派遣の人を指導していた けど,ちょっとショックという記事を読みました。実は この話題になっている日本の工場はわたしの自宅のすぐ近くの 話だったのでこういう事実は知っていたので,それは特に 驚きませんでした。本筋は日本人がタイの人に技術指導を されているって絵なんでしょうが,これも理屈からすると,まぁ そうだろうなという気がします。
これまで日本はアジアの国に工場を作り,日本人が技術指導に 行っていたのに,いつの間にか逆になっているわけです。 そういう意味では,確かに象徴的な絵ですが,まぁ日本が 海外に工場を作った時点で,こうなることは当たり前で, 技術の空洞化というのはこういうことだよ…とわかっていたこと, とわたしは思いました。
と思っていたら,その後この記事を書いた人は わかっていたけど目で見るとショックと 書かれていて,まぁ確かに象徴的かなと。
ちょっと思ったのは,日本という「国」は,特に発展途上国と呼ばれる国と 比べると豊かなのは事実だけど,少なくと今の時点では, 「個人」が,途上国に比べて何か優れたものを持ってるわけでは 無いんだよなということ。というかそれは当たり前なんだけど, なんとなく多くの日本人は日本は豊かなんだから,そういう途上国の 人たちよりも優れていると思っていたりしない?…とか。だから 途上国の人に技術指導を受けるとそれが結構,うーん,と考えて しまう絵に見えるのではないか?とか,そんなことを思います。
今の日本が豊かなのは過去の遺産なのか,それとも単に為替レートなのか, それとも本当に技術的に優れたところがあるのか…良くわかりませんが, いずれにせよ,すべての人が優れているわけでもありません。 これはたぶん欧米はもっと以前にそういう事態になっていて, そういえば日本人に指導を受けるとか屈辱…って思った人たちが いたんじゃないかな?と思います。
ずっと昔…というか10年位前かな?思っていたのですが,昔の SF漫画とか例えば手塚治虫のとか見てると,未来というのは, ロボットが働いていると。そうして人間は豊かに暮らしていると いう絵がかかれるのですが,本当にロボットが働けば人間は 豊かに暮らせるのだろうか?とずっと思ってました。そもそも ロボットが働けば人間は不要になるんじゃないか?,ロボットの 所有者が豊かになるかもしれないけど,ロボットを持ってない 人間はますます価値がなくなるんじゃないか?とかそう思いました。
ある意味「人手がかかる」というのは人の価値を求めることに なるのだけど,人手が不要になった時にそこに人の価値は必要なのか?と。 人手としての日本人が求められなくなった時に,経営側以外の 日本人は…というか日本の雇用はどうすればいいんでしょうか?
欧米は何十年も先にそれを経験してるけど,いまだに失業率が 高かったり移民問題があったりとかいうのを見ると,決して 正解があるわけでもない気がします。まぁでも,ヒントはあるんですよね。
長くなったので,今日はこの辺までにしておきますが。
- 12/15(黒船だと許される)
- 「Google+は非公開設定でも直リンで誰でも写真が 見れる上に、削除してもすぐに写真は消えないようです。」という文。 facebookやGoogle+では,友だちだけに写真を公開していても 写真のURLを直接叩けば誰でも読めるみたいです。 で,この文は,それがばれたらばらしたのは友人だから問題ないと, 冗談めかして書いてます。
その中にかかれてますが,以前mixiも同じ問題が指摘され, mixiは修正をしているそうです。でもfacebookやGoogle+だと しょうがない…なぁと思いつつ使ってしまう辺りに,なにか 日本人の特質を感じます。この他にもガラケーだと許されない 品質基準をスマホだと許してしまうのと似てるというか。 スマホのバッテリーの時間も衝撃に対する耐久性も,ガラケーの はるかに下なのに,でもそれでクレームが燃え上がることは ないというか。
日本の消費者は日本の企業に対しては,どんどん要求が エスカレートしていく気がします。でも海外が「こんなものよ」と やっちゃうとまぁしょうがないか…と。高すぎる品質基準を 変えるには海外のもの(外圧)を使えばいいってことですかね。
そんな話ならまだいいんですが,社会保障とか安全とかにも 日本の国内だけだと要求が無限のように高まってきてますが, 海外は実はもっとひどい…というと納得するとかそういうことですかね。 でもTPPに反対してるっていうのは,そういうのは良くないって 人も多いって事ですか。
自分達では決められないけど,他(外)の人が決めたらそれ に素直に従う…というのが日本人なのかねとか思った。
- 12/14(薄めて広げるのか,集めて濃くするのか)
- 杉並の小学校のシートから強い放射線が出たので 燃やすことにしたというニュース。ぱっと聞いて, 「えぇー?」って思いました。他の廃棄物と混ぜたら希釈されるから 燃やせるという理屈。総量は変わらないのですが…。
とはいえ,どちらがいいのか?というのは難しい問題です。 今問題となってる放射性のセシウムは半減期が数十年なので 多分100年オーダで考えないと減りません。通常の汚染物質はちょっと の間置いておけば分解して他のものに変わったりしますが, 放射性物質は総量は減らない…という意味で,多分これまで出た 汚染物質とは根本的に扱いが異るはずです。汚染物質の処理の 仕方としては薄めて害を無くす…という方法と,集めてどこかに 隔離する…という方法があると思いますが,この場合どちらが いいのでしょう?。
個人的には集めてどこかに隔離するしかないのではないか?… という気がしますが,どうも世の中的に広げて薄める方向に行って いるような気がします。いま,除染が問題となってますが, 土を入れ替えるのはともかく,水で流す…というのは,その場からは なくなりますが,流れたものはどこにいくのでしょう?。 先日クロ現で,池に集まっている…と問題になってました。
集めて隔離できないのは,おそらく隔離する場所が確保できないからです。 東北の学校のグランドから除去された土の行き場がない… という話がありましたし,がれきなどのゴミを受け入れれるのを 住民が拒否するというのもありました。日本は使われてない 土地が殆んどないので,ゴミの廃棄場の近くにも人がいたり, 山の中だと地下水とかに染みるんじゃないか?とかいう危惧もあって, なかなか捨てる(保管)場所が見つからないんでしょう。
とはいえ,このままほっておくわけいきません。雨が降れば移動したり しますし,除染も本格的に始まりそうです。下水に流れたら 海に出ていきますし,それも問題ですが,それどころか住宅地の どこかの水溜まりに濃縮される可能性もあります。先日, 福島原発の汚染水を海に流しましたが,これもちょっと…と思いました。
福島の人にはとても悪いのですが,結局のところ福島原発の近くや 敷地内に集めて保管するとかしかないんじゃないか?…,という 気がします。焼却で濃縮されるという話も聞きましたが,逆に言うと, それで放射性物質集めることもできるわけです。そのまま埋めると 雨に流れたりするから,コンクリートなどで固めて, 水が入ってこないような施設を作り,そこに数百年のオーダーで 保管するんでしょうか。原発の近辺は今後かなりの時間人が 住めないのではないでしょうか?。であれば,そこに集める しかないんじゃないかなぁ。各都道府県に貯蔵庫を作るという 考え方もあるかとは思いますが,状況からすると,原発の周辺が 一番いいように思います。その場合は,その土地を国や東電が 買い上げて…とかになるのかな。今はまだ安定してないから, そういう施設を作ったりは出来ないでしょうし,どこに作るかは, いろんな意見があるとは思いますが。
…等と思いますが,広げて薄めればいい…というのが良いというのなら, どういう理屈でそうなるのか?…誰か教えて欲しいと思います。
- 12/13(審美眼は表現力の本質だと思う)
- fujiponさんがジョブスの伝記の感想を書いていました。 彼の人となりはまぁどうでもいいとして,興味深かったのは, なぜジョブスが「クリエイターたちの神様」になったか?という話。 それに対し,ジョブスは誰も持っていなかった「審美眼」を 持っていたと書かれてます。
なんとなく不思議なことの様に読めましたが,わたし自身は, それこそが大事なこと…と思ってます。まぁ成功した人を後付けで 理由づけるのは,無理があるのですが,でもわたし自身, 表現をすることで一番大事なのは作品を評価する力だと思ってます。
技術者にせよ,芸術家にせよ,クリエータは普通,なにかを作り 上げるや「技」を持ってます。でもその技をどういう風に使って 作品として完成させるかは,その作品を観る力だと思います。 どんな作品でも作れるような卓越した技術を持つ人が,必ずしも 成功するとは限らないのは,その作品が人々に伝わるように, 技術を制御することがうまくいかないからだと思います。また 技術的には稚拙でも受け入れられるのは,その自分限られた技術を うまくつかって人々に受けいられる形として仕上げることが 出来るからだと思います。
優れた表現者は自分のスタイルを持ってますが,それはそれしか 出来ない…というわけではなく,自分の技を作品に結び付ける 取捨選択ができ,そして完成を見極めるには審美眼が必要なのだと 思います。
そういう意味で言うと,いろんなクリエータを集めてきて,映画とか 音楽とか…いろいろと作品を仕上げるプロデューサも自分自身は 技を持ってなくても審美眼だけは持っていることになります。
- ここで誤解をして欲しくないのは,ここでいう審美眼は評論家や 消費者の持つ「目」ではないということです。作品作りにおいて, 作る側と受取る側の目は決定的に違うと思います。成功する プロデューサは消費者だけの目だけだけではダメで,作る側の 目を持っていないとダメでしょう。ユーザは自分が真に望むものを わかっていない…というのはジョブスの言葉だったかも知れませんが, そういうことだと思います。
そういう意味で言うとジョブスが卓越した審美眼を持っていたと いうのは,確かに成功した理由かもしれません。ただ彼の凄いのは, マックにせよ,iPodにせよ,ほとんど彼の審美眼のみで デザインが選択されているような感じがするところです。絵や 音楽のように少ない人数で作る作品であれば,一人の審美眼で 方向性と仕上がりが決めれるかもしれませんが,工業作品は普通は, 一人の美的感覚だけでは作れないものです。それを彼はずっと やってきたように思います。
デザインは世の中の需要を汲み取って作る様なところがありますが, 下手にいろんな人の意見を採り入れると,純度が下がるというか, 機能優先になったり,特徴のないものになったりするように 思います。ですから出来るだけ少ない人の意見のみで作った方が, 多分デザイン的にはわかりやすいものが出来るのですが, ただそれが世の中の需要に合わなく失敗する可能性もあるわけです。
ですから普通は複数の人の意見を採り入れて,中庸なものを作ります。 結果イマイチになることも多いのです。
晩年のジョブスは多くの成功をおさめていたので,彼の審美眼に 従わない人はアップルにはいなかったのかも知れませんが, 若い頃の彼の取捨選択を良く周りが納得したな…と思います。 その時彼が観ていたコンピュータ像は時代のずっと先を行っていて, 他の人がピンと来るものではなかったはずだし,実際は 失敗も多いのに,良く融資先が付いてきたな…と思います。
結局のところ,それをずっと貫き通せたのは,彼のキャラクターの方の 問題だったのかも知れません。まぁでも彼のように強引で, 周りに理解されない人って多分沢山いて,その中に審美眼も 持ってる人はいるんでしょうが…,そういう意味は結局のところ ジョブスがなぜ成功したかはそれだけでは語れない気もします。
- 12/12(お悔やみ)
- 今日は会社の人のお葬式がありました。50歳そこそこで若い人だったので, 結構辛い葬式でした。その人は同じ会社の人で面識はあるのですが, 一緒に仕事をしたことはなく,会社の会議とかであって話をするくらい。 あと,だいぶ前にわたしが総務系っぽい仕事をしてるときに何度か 話したくらいか。
ただ,病気になってるらしいというのはだいぶ前から知っていて, 気にはなってました。
先週末に訃報を聞いて驚きました。通夜とお葬式とどっちに行こうか? 考えて,お葬式に行くことにし,今日の朝からでした。 わたしより年上の人のせいか,はたまたしばらく病気で現場を 離れていたせいか,出席者はわたしより上の人がほとんどで 同じくらいの人とか年下の人はあまり見かけませんでした。 そういうものなのかとちょっと思いました。平日なので通夜に 行った人も多かったのかも知れませんが。
お葬式から会社に戻ってくると,今度は元の職場の上司の お母さんの訃報。そちらも通夜かお葬式に行くべきか?悩みましたが, そちらは近親者のみで…と告知されていることもあり,ご遠慮させて いただきました。
- 12/11(二日酔い的な…)
- 昨日は高校の同期との忘年会。久しぶりに焼酎を飲んだ。普段 会社とかの飲み会だとビールくらいしか飲まなくて,飲んだとしても 日本酒をいっぱい程度。だからあまり酩酊するという感覚は久しく 味わってなかったのだけど,流石に昨日は焼酎を飲んだので, 酔って帰りの電車の中で寝て(乗り過ごして)しまった。
今日はお酒が残ってる感覚。昼過ぎくらいまでそんな感じだった。 この気分は久しぶりというか5年ぶりくらいじゃ ないかと思った。まぁこういう飲み方は,もう年内はないと思うけど。
- 12/10(夫婦の愛情)
- ちょっと下世話な話題のような気もしないでもないけど, 「出産後冷める愛 夫しだいで保つ」というニュースを 読む。しかしこれNHKなんだけど,何が言いたいんですかね?。とくに この見出し。旦那がんばれ!ってこと?
調査結果で興味深いのは子供が2歳になるころに妻で夫に対して愛情を 感じているのは三分の一だということ。えっと,うちの子ももうすぐ 2歳なんですが,我が家は三分の一に入ってると思っていいですよね?。 そう思ってるのわたしだけ?(^^;)。ちなみに夫が妻に愛情を感じているのは 半数。微妙だけど,自分が珍しい方に入ってるかどうか良くわかりません。 えぇ,わたしは愛情を感じてますよ;-)。
2歳というとこれから二人目を作る夫婦も多いだろうけど,愛情は そんなものなんだろうか…とふと思った。でも良く考えてみたら, 別に夫に愛情を感じて無くても,子供が欲しいから子供を作るって いうのはあるよなぁ。それをいうと,最初から子供が欲しいから結婚して 子供を作るっていうのもあるか。
まぁお互いの愛が結婚のモチベーションになるは現代社会の話であって, 昔は年頃になったら結婚するものだ…と,周りに紹介されて結婚していたり してたわけだから,ある意味それはそれで自然なことなのかもしれません。 そういえば先日16〜19歳男の約1/3がセックスに「関心がない」 「嫌悪感がある」…日本の若者にセックスレスの風潮という 話題を読んだ時にふと思ったんだけど,良く考えれば,昔の様に 貧しい時代は,全員が結婚して子供を育てられたわけじゃないのだから, 案外一生結婚しない…というかセックスもしない人って結構いたんじゃ 無いか?という気がしました。家柄によっては長男しか結婚できなかったり… っていうのは普通内縁の相手がいたり…とかいう話も聞きますが, そうじゃない人も多かったんじゃないかと。
話がそれましたが,結局年頃の男女が恋愛して結婚して子供を産むと いうのは全員がほっといてもするほど自然な本能なのかしら?という 疑問です。逆に結婚制度とかいうのは,むしろそうしないと 多くの人がそうしないからあるとか…。
- ちなみに子供がいて,でも夫婦間に愛情が無くても,子供に対しての 愛情があれば,夫婦関係は続くだろうけど,それって子供が巣立って 行ってからが危機だよなぁ。だから熟年離婚が多いんでしょうが。
まとめると最初のニュースは今の時代の問題の様に書いてるけど, 確かに今の時代特有ではあるとは思うけど,夫婦間の愛情が…って 話自体は別に今の時代の問題でもないと思う,まぁ夫婦のあり方の問題は たぶんいつの時代でも問題なんだろうな,とかそんなことを思いましたよ。
最後に再度書くと,自分の場合は,愛情を感じているんだけど,それは 結局そんなに自然なことじゃない…というか,結構愛情を子供が2歳に なっても感じているっていうのは,実は結構稀な幸せを享受してるって ことなのねと思っております。
- 12/9(ガンがらみな話で徒然)
- ネタがないので,ネットで拾ったネタに反応。
福島原発の吉田所長のご病気は食道がんだったらしい。 なかなか公表しなかったので,ガンじゃないかな?とは思ってました。 因果関係は証明できないと思います。でも放射線はともかく, ストレスからガンが進行することもあるので,この状況が 悪影響を及ぼした可能性はありますね。それと,気になるのが, この状況に所長が健康診断を受けてるとも思えないので,自覚症状が あったってことか…。手術などで治る状況ならよいのですが…。
次。
ジョブスの死について書かれた, 「繰り返される不幸」という文を読みました。 巧妙に断言してませんが,まるでマクロビ(代替療法の一つ)を やっていたから,ジョブスは手術を受けなかった…という風に 読めます。
そういう主張であれば,思い込みによる決め付け…だなぁというのが わたしの意見。ジョブスの真意はわかりませんが,ジョブスは 手術を受けたくなかった(体を切りたくなかった)とは言ってますが, 代替療法をやってるから,手術をやる必要が無いと言ったかどうか 聞いたことありません。わたしも同じ病気でしたが,わたしは 手術は受けました。ですが,手術後に青汁飲んだりはしてましたよ。 今でもヤクルトを飲んでます。手術を受けることと代替をやることは 相反することではありません。私の場合はエビデンスが無くても, そんなに高価じゃなくて健康にも悪くないことは試していいのでは?と 今でも思ってます。
ただジョブスが手術を受けなかったことは,やっぱり判断ミスだった とは思います。本人もそう思ってたようですが。私の膵内分泌腫瘍の 場合,切ってみるまで悪性かどうかわからない…といわれました。 切って良性だったら切られぞんだよなぁ…とは頭によぎりましたが, どっちが後悔するか考えて切りました。あと手術をしても助からない 場合だってあるわけです。
まぁガンになったら思うかもしれないけど,実際はいろいろ迷うと 思いますよ。迷ってるのに時間はせかされる。そういう中で, ジョブスみたいな判断になってしまうこともあるかもしれません。 代替批判は結構ですが,ジョブスの死をそういうことに利用するのは どうだろうと思います。
- 12/8(残業)
- ちょっと今週は仕事が立て込んでます。いや,今月は大変かも。
…というわけで,久しぶりに結構遅くまで仕事をし,10時過ぎに夕食。 疲れた。
- 12/7(粉ミルクの件)
- 明治の粉ミルクから放射性セシウムが出たという件。明治が早々に回収・交換を発表したという のは適切な対応だと思うけど,ちょっと気になることを幾つか。
一つ目は粉ミルクに放射性セシウムが含まれていたというのを 指摘したのが,外部の団体ということ。メーカ自身が検査して わかっていたけど基準値以下なのでそのままだしちゃったのか, 検査漏れなのかが気になります。二つ目が明治の発表に基準値以下 だから健康に影響がないと書いてること。これは国の見解だから, その通りに書かざるを得なかったのだろうとは思うけど,現在学校給食で低い基準を参考にしようという指針が 議論されていたりする状況を考えると,そこまで自信たっぷりに 安全宣言するべきだったんだろうか?…という気がします。 少なくとも震災前の基準からは越えてるわけで…,国が 安全と言っていても,「過去の基準値と照らし合わせて回収する 必要を感じた」と書いた方が良かったんではないか?という気がします。 そっちの方が,「独自に厳しい安全基準を持ってる」と いう印象を与えられたんじゃないかなぁ。もっとも漏れてるから ダメなんだけど:-p。
一方,今回はミルクの乾燥過程で空気中の放射性物質が混入したの だろうという見解でした。場所は埼玉。埼玉の現状がそうか? と一瞬思いましたが,どうやらベント時の空気のようで, 現状とは全く異るので,本当にその時期のものだけが危険。 あとミルクの乾燥は大量の空気を使うので,通常の食品は同じように 空気の放射性物質が濃縮されてることはない…という事は 説明しても良かったのではないかなぁ。
それにしても,国や専門家は,こういう放射線が検出された… というニュースに対して,いちいち安全宣言をしなくてはいけないの でしょうか?。安全宣言するから,「その基準値自体が…」と いう突っ込みを受けるのであって,単に検出値だけを発表すれば いいようにも思います。実際基準値をちょっとでも越えると 危険で,ちょっとでも下なら安全…ということはないわけで, 食べる頻度とか,年齢とか健康状態とか,いろんな事を考えて, 食べるか食べないか…の判断になるように思います。まぁ乳児に 対しては,通常(以前)の食物レベル…の放射量くらいじゃないと, イヤっていう感情はありますが…,ヒステリックにビクビクするよりは 可能であれば避けて通る…という感じかなぁ。
それから最初に書いたけど,検査については,まだ時間がかかるの でしょうが,全ての人が自分が口にはいるものを手軽に測れるような 環境が整備されるのを期待します。販売店にあってもいいし, 各自宅にあってもいいのですが,サンプリング調査に 漏れがある以上,誰でも気になったらチェックできる…という 体制を整えて欲しい。
昨日書いたとおり,怒ってはいないのだけど…,改善して欲しいことは あるので,わたしの場合はこういう書き方になります;-p。 国や企業に期待できない部分は,結局は自分で何とかするしか ないのですけどね…。線量計買おうかなぁ…。
- 12/6(怒りは必要な力か?)
- 先日,出来ないことを要求するのはいいのかなぁ… と書きましたが,要は自分の性には合わないってことです。 もう一つ人がやってるので自分は性に合わないなぁと思うことで, でも必要なことなんだろうか?…ということに「怒り」があります。
物事を要求するとき,もしくは訴えるときに怒りを表明することです。 そもそも革命とか怒りだらけのように思います。怒った民衆によって 世の中は変わる…ということなんでしょうか。
でもわたしはあまり性に合わないのです。不満があるときに相手に 何かを要求することはありますが,基本的には理屈で要求するし, 行動も淡々とやります。もちろんボイコットしたりデモったり 署名したりもしますが,カーっとなるのはなにか合わない…。
でも,そういう怒りの力がないと,人や世の中は動かないもの なんでしょうか?。
今の日本だと原発の問題,特に東電や国の対応に怒りを表わす人が 多いのだけど,なんとなく言ってることはともかく,同じように 怒りを表わす気にはなりません。こうして欲しいとか,こうして くれないなら,自分はこうするしかない…というのはあるんですが。
なんとなく,怒っていると,怒ってしまうことで終わるような気がして, なんとなく本質からずれちゃうような気がしちゃうというのもあります。 世の中を良くしたいというのが目的なのに,いつのまにか 相手を追い詰めてやり込めることが目的になってないか? とかそういうことを思うわけです。原発の問題もわたし自身は, まずは原発が安全に停止し,世の中の放射能汚染が除去されて, 今まで被害を被った人が,きちんと元に戻れて,あと未来もそういう 事故が起きないような事が出来れば…本当はOK。別に東電とか 国のことはどうでもいい。でもわたしが挙げてることは多分不可能なことが 多いので,それをどうするか?…ってことなんだと思います。 だから怒る人も多いんでしょうけど,怒ったら何か良くなるのかしら?…。
そもそもネガティブな感情は自分の免疫力を損ないそうだから, あまり持ちたくないというのもあるんですが;-<。
この話は以前も書いた気がしますが,また思ったので書いてみました。
- 12/5(国が幸福を決めることの恐ろしさ)
- 国が国民の幸福度を規定するらしい。 ぞっとする。
ブータンのマネなんだろう。でも貧しい国が貧しい中で 幸福を噛み締めるのと,豊かな国が幸福であることを求める のは意味が違う。特に今豊かだが,この先(本当かどうか ともかく)お先真っ暗…という風潮が蔓延している日本で, 国が幸福を規定するのは,「貧しくなったが幸せだから いいでしょ?…」といういいわけに使われる公算が大きい。 幸せというのは,案外不自由な中で感じることも多く, 自由であればあるほど幸せが見えにくくなるから,幸せを 感じさせるのは不自由にすればいい…なんてなりかねない。 本家のブータンでさえ,情報が自由化されていく現代で 国民総幸福で政治をするの難しくなってきてる…って話じゃ なかったっけ?。
個人的には幸せを国が規定するなんて真っ平という想いがある。 もちろん経済的な豊かさと幸せはイコールじゃないと思うし, 経済的豊かさばかりを追い続けて不幸せになると いう現実はあるので,幸せに目を向けるのはいいと思う。 豊かさよりも幸福を重要視するのはいいことなのかも知れない。 でも幸せを数値化するのはおかしい。全体で幸せを規定するのも おかしい。
幸せは最終的には個人の問題とは思うが,個人の問題とした結果, 見えない人には見えなくなる。だから個人の外から幸せを 規定する…というのは,あることはあるのだけど, これは一種の宗教感みたいなものなんだと思う。
それでも経済成長時みたいに,国民の大半が同じ未来を イメージしてるときは,そのイメージ(この場合は経済的豊かさだった) を幸せに結び付ける事は良い意味があったのかも知れないが, 右肩下がりになってる時代に幸せを規定するというのは どういうことなんだろうと思う。まさか「困ってる人を 助けるのが人の幸せ」とか言って(その事自体は間違いではないが), 社会福祉向け増税をするってことはないですよね;-p。
いずれにせよ,国(役所)が,こういう事を数値化するのは ろくなことがない。行政というのは,一般的に数値目標を 決めて政策を行い,無理やり結果を合わせようとするものだから。 豊かになった上での結果として幸福を測るのなら良いのだけど, 逆になりそうな気がする。
- 12/4(休日)
- 昨日書いた通り昨日の夕方から暖かくなり,今日は昼間結構 暖かかった。天気が良く,日が入る時間帯は窓を開けておいて ちょうどいいくらいだった。午前中買い物。午後は昼食後しばらくして また子供をつれて公園へ。2時間弱程度して帰ったが,日が短いので 5時には暗くなる。夕方は流石に寒くなる辺りは,やっぱり冬だなぁと いう感じ。
そういえば以前は土日の午前中は報道系の番組を見ていたが, 最近はとんと見なくなってしまった。今週末は普通のTVニュースも みておらず,世の情勢はネットで少しつまむ程度。それでも不都合はない というか,ネットでニュースをみると,そんなに動きも無いようだし。
12月にはいったということで,もう年末だなぁ,でも年末の飛行機を 押さえた位で,何も準備できていないという状況。
昨日,少しこのページのトップをいじった。考えてみたら, こういう風にホームページをもっている知り合いってほとんど いなくなったなぁ。もっていても更新はしていない。世の中のページは 素人はブログ。そうじゃないデザインされたページを持ってるのは プロ…という風になってしまっていることに気がついた。そういう風に 二分されているけど,実際に更新が盛んなのはSNS(Twitter,Facebook等)。
ってことは,普通の人は,ページの中で新しい記事ほど上に来ると いうのにすごく慣れてるってことで,更新頻度が低い記事は, ページの下に来るようにしたほうがいいんだろう…と思った。 なんかこういう風になってしまったんだなぁ,とふと思った。
- 12/3(休日)
- 2,3日前から急に冷え込み室内でも玄関の近くとかに行くと13度とかいう 気温。流石にエアコンをつけていた。天気は昨日から雨で,今日の 昼くらいに止んだが,そうしたら暖かくなった。典型的な 前線通過という感じだろうか。
息子は今週半ばからセキが出ていて,元気ではあるのだけど, 外出を控えていた。今日も天気が悪かったので,自宅待機。ストレスは 溜まってる…という感じではないけど。
というわけでわたしも今日はほとんど自宅。いつも土曜日は朝にジョギングを するけど,結局夕方雨が止んでから走った。
- 12/2(教育と言われても,他の生き方を知らないから, 仕方がない)
- ネットでいつも見るところを回っていたら,教育に関する話が 目につきました。一つは学歴や資格取得にこだわる人を苦手というブログ。 その下に学力向上についても書かれてます。品川いいなぁ。 その文章に対するfujiponさんのコメント。全然別の話で,作家の岩崎夏海さんの教育論。 橋下市長の件も関係あるのか…と少し思いました。
自分も乳児の親ですから,子供教育については,これからどんどん 身近な問題になるんだよなぁ…と今から悩みます。いろんな人の いろんな意見を読みますが,一つ思うのは,正解は無いし, 正解は無い方がいいんでは?ということ。もちろん親の中で ブレがあるのは,子供にとっては迷いになるので,あまり良くないと 思います。ただ社会全体が同じような教育方針に固まって しまうことの方が,リスクが大きい気がします。学校の中である程度 固まっていても,学校が変われば変わるとか,学校と親とで 方針が違うとか,そういうのがあった方が,自分の子供が, どこかでその方針に合わなくても,別の場所で合う場所が探せるし, また社会としてもどのやり方が正解か…というのは多分永遠に 答えが出ないだろうとおもうから,そう思います。 …それでも自治体は方針を決めるんでしょうが。
さて最初のリンクで学歴とかの話が出てました。自分の子供に 高学歴を望むか?というと難しいです。自分語りをすると, わたしの場合,親は公務員,親戚も会社員が多く,自分は国立の 大学院まで行き,いわゆる大企業に就職し,そのまま現在にいたります。 親戚に農家とかいないし,自営の人はちょっとはいるけど, 詳しい状況はわからない。高校,大学の友だちも比較的勉強が できる人達で会社もそういう人が集まるところに世間 一般的にはなるのだと思います。ですから,いい学校に行って, 大きな会社に入って…というのがいいか?…と言われると,実は それ以外の事が良くわからない…というのがあります。良くわからない 一方で学歴と大きな会社が,まぁどんなものか…というのも 良く知ってるので,それが薔薇色じゃないってことも良く わかってます。
良くわからない道というのを自分の子供に勧めたり期待して いいんだろうか?…と今は思うわけで,将来子供が学校でうまく 行かなくてリタイアしたり,もしくは望んで進学せず何かを やりたいと言ったときに,その後の子供にどういう人生が訪れるか? がイメージできないので,悩むだろうなぁ…という気がします。 自分と違う道でなにか成功するとしたら,それは嬉しいことでは あるのですが…。
- まぁそれでも,自分の子供には,世間の荒波にもまれても,楽しく 幸せに生きれる人になって欲しいし,多くの人にも好かれる人に なって欲しい。わたしの場合はそれを,社会的立場による 生活の安定や,対人能力等である程度は手にいれてるから, 安易にはそういう能力があった方がいいのでしょうが,幸せや人に 好かれる方法(能力)は幾らでもあるので,それならそれで いいんだろうな…とは思います。自分の方法論だと,どうしても ある程度,頭の思考能力というか,柔軟性が必要なので,勉強が できる…というより,思考能力を鍛える運動としての勉強は 有用だと思ってしまったり,また同じような人と人間関係を つくることで安定等を得てるから,やっぱり良い学校に行って, いい友だちを持てれば安心…という風に思ってしまいます
でも,もっとストレートに人に好かれる人もいるし,対人能力なんて 身につけなくても持って生まれたキャラクターで,世間を 渡っていける…もしくは誰かに守ってもらえる人もいるわけです。 わたしがそういう人がどういう風に育ってきたのかを知らないので, 自分の子供がそういうタイプだとしたら戸惑うだろうな…と いうことです。
結局とりあえずは,自分の信じる進め方をし,でも子供がそれに 合わない場合は,それに合う道を一緒に模索し,そして認めて あげるしか出来ないんだろうなと思います。
…というわけで,答えはありません。教育は一人一人が悩まなくては いけないことです。答えは求めるのはいいけど,答えを 与えられるのを期待するのは違うじゃないかな?という気がします。 まぁわたしは,今の時代は大変だ…と言われますが,多分 どの時代も大変だったので,それなりに子供は育つんだろうな…と 思います。でも,悩むでしょうね。それが人生。そして幸あれ。
- 12/1(反体制と結び付いた意見は 世代間に渡り継承されにくい気がする)
- 森達也さんの「ごめんなさい。原子力安全神話は僕たちが 形成した」という文は,さすが作家というか良くできていて, 読んでいて引き込まれました。最初の仕掛けが最後にきちんと 聞いてきて,うまいなぁという演出的な妙もあるし,あと内容も。 本題である原子力安全神話もそうですが,今の若い人の態度… というのも,あぁこういう感じだよな…とか思って,こういう 若者にどういう風に教育していけばいいんだろう…とか思いました。
さてこの中で若者が投げ掛けている,「どうして今の大人達は原発を 安全と信じたのか?」という疑問は,少し難しい問題です。 以前も書きましたがわたしは,数年前に, 当時原発に否定的な意見が消えてしまったことに戸惑ってます。 わたしの記憶では,わたしが学生だった頃,20年から30年前には まだ原発に反対をしている人は沢山いました。特に学生運動や, 反体制(当時的には左派でしょうか?)の人達が原発に反対して, 建設中のどこか(北海道だったかなぁ?)の原発でデモをやったとか, そういう話を良く聞いてました。
ですから,原発が安全というのは世の中にすんなり受け入れられた わけでもないのです。ただ,当時の雰囲気をみていた少年だった わたしの視点では,その辺の運動は既に自分より上の年代の 人達がやっていて,わたしたちの年代は,そこに入っていく… という感じではなかったように思います。この辺の感覚は, 世代間断絶というか,例えば親がいいというものを子供はいいと 思えない,親が悪いというものを子供は素直に受取れない… みたいなものがあり,事実(原発は危険)がどうであれ,むしろ 上の世代とは反対に意見は流れてしまうのかも知れません。我々の 10年くらい上の世代までは,まだ学生運動の余韻が残ってましたが, その反動なんでしょう,我々の世代はノンポリと言われました。
そういう我々がそういう反原発運動をどうみたかというと,やっぱり 少し白けていたように思います。なぜなら,彼らの主張は,原発も 原爆も原子力空母も原子力潜水艦も反対で,内容を見て反対してると いうよりは,原子力と見たら何でも反対…という風に見えて しまったからです。またそういう事に反対する人達は君が代斉唱や 国旗掲揚にも反対しており,つまり,原発が危険だから反対と いうよりは,体制に反対してるだけじゃないのか?…という風にも 見えたのです。
- 今になって考えると,原発の反対運動が,そういう人達の間でしか 広がらなかった…という事がむしろ原発容認の空気をつくって しまったのかも知れません。例えば福島瑞穂さんが原発に反対していたとか思っちゃうと, 単なる綺麗事の様に見えてしまうというか…。あぁ, なんか失礼ですね。すみません。
つまりそういう反体制運動の流れの中で取り上げられたから,反原発運動は 世代間を跨ぐことができなかった…とも言えるし,そもそも そこでしか広がらなかった事自体が,反原発思想自体が実は あるようで無かった…ということなのかも知れません。
ただそうやって上の世代の反体制派が原発に反対し,我々の世代が, それを知りつつ,無関心になっていった結果,いつのまにか, 我々の後の世代は原発が危険だという発想自体を持てなくなって いたのは事実のようです。いや,原発なんて存在すら知らなかったのかも 知れません。
…結論はないのですが,長期的な議論というのは難しいのかなぁと 思いました。特に現状社会に利を産み出しているものを疑うと いうのは,よほど感情的な部分を除き訴えないと,次の世代には 感情的に嫌われるのではないでしょうか。まぁ原発の事故の 記録はこれから数十年伝えられるでしょうから,反原発派というのは, 今後は息が長いと思いますが。でも一方で,津波への警戒は, いずれ忘れられるかも知れません。日本ではここ数十年の間に 何度も地震で人が亡くなってますが,でも地盤が弱いところとか 海沿いに人は戻ってきてますから。
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