2012年7月の日記&雑感


だらだら書いた日記です。
日記中のURLはメンテしないので,切れてる場合もあります。 あしからず。


7/31(秩序のための重刑)
ちょっと驚いたニュース。以前からわたしが書いてることと 関連するので,言及すべきなんだろうなぁ。
発達障害の犯罪者を「社会秩序のために」と求刑以上の 懲役判決…と。つまり,障害があり再犯の恐れがあり,なおかつ家族が 引き取れないので,刑務所に長くいれておこう…という判決が出た…と。
ネットの反応では結構否定的です。量刑的に重い判決を「秩序のため」に 出しているのだから。でもこの判決,否定はしづらい気がします。 というか私は以前から,刑罰はなんのためにあるか?ということで, 「悪意を罰する」ことより「再犯防止」の方が重要じゃないか?という気が してるからです。ただ悪意がないとか,障害で判断能力が落ちている人を, 刑務所に長くいれておくのに抵抗があるのもわかります。
ただ実効上考えて,もし本当に再犯の恐れがあるのであれば,どうすれば いいんでしょう?…ということになります。家族に引き取れ…というのは, 今回の場合はともかく,実際は身寄りが無い場合もあります。保護観察で 十分監視できるとも思えません。じゃぁ,障碍者だから…ということで 病院にいれるか?…ということになりますが,病院にそこまで管理が可能か?, 可能だったとすれば,それはどういう病院か?…という気もします。 犯罪者をきちんと管理できる病院って,むしろ刑務所より厳しいところじゃ ないのか?…という気もします。というか,身寄りがない人とか保険も 払ってない人を病院にいれるのは誰が主体的に行うのでしょう?。 本人の意思じゃないという意味では,刑務所に近いような…。
刑が不当に重いとか,病院じゃ無理…って事になると,それ専用の施設とかが 必要になるのでしょうか?…。それって収容所ってやつ?…ってむしろ ぞっとするような気も…。
まぁ刑務所が適当かは良くわからないのですが,日本の刑務所は海外の 刑務所に比べて快適ではあるようです。もっとも障碍者を更正させるのに 向いているのかはわかりませんが。
結論は難しい…としか今は言えません。もちろんこの裁判は裁判員裁判で, 上告がされれば,高裁で別の判決が出るのかも知れません。また, 上記は一般論的に書きましたが,今回の犯罪者が本当に刑務所での更生が 難しいのか?も良く判りません。むしろ障碍者を特別の様に扱うことにも 私は抵抗があります。ただ一般論として再犯をどう防止するのか? いうのは,もう少し議論されても良いように思います。

7/30(写真とSNS)
ちょっと最近思うこと。
facebookで自分の友達の書き込みを見てると,大抵写真をアップして コメントしてるものが多い。もしくは何かのシェア。文字だけで 何かを書いている人もいることはいるんですが。
mixiも日記は大抵写真が載っています。mixiは最近つぶやきが 日記と区別がつきにくくなっていて,そっちにも写真が増えてます。
twitterはさすが二文字主体だけど,写真へのリンクを貼っているつぶやきも 多いように思います。
つまり,SNSの書き込みに写真は不可欠…ってこと。逆に写真を 貼れなかったら文字だけで書く人ってどれくらいいるんだろう?と。 昔から文章だけで日記を書く人はいたので,もちろんゼロではないでしょうが, 写真を貼ることが日記を書くことの敷居を下げてるような気がします。 twitterは140文字に制限することで,書き込みの敷居を下げましたが, 写真も敷居を下げてる気がします。
私はfacebookにあまり写真をアップしませんが,なんとなく そういう人少ないような気がして,もしかして浮いてる?…とか 思いました(苦笑)。
なにを書きたいかというと,写真というツールが,文字コミュニケーションを 活性化させたということで,まぁ目は口ほどにものを言う…って ことなんでしょうけど,他にもそういうの無いかな?ということ。 まぁ写真日記の前段に写メールがあったんですが。
例えば音声通信になにか一つメディアを足すことで,みんなが 音声通信(電話)をやり始めるとかそういうの無いかなぁとか ちょっと思ったのです。

7/29(暑い)
今日もいい天気。朝,ちょっと遅めに起きて朝食を食べた後, 暑くなる前に,と10時ちょっと前に息子と公園に出かける。 既に暑い。公園は行った時に2,3人子供がいたが,すぐにいなくなり, 我々だけになった。15分も遊ぶと,なんとなく息子も遊びに熱中している 感じでもなくなったので,三輪車でその辺を歩いて回った。
公園に子供がいなくなったのは,流石に暑さでたまらないのかな,と 思ったが,近くの小学校の校庭では,さっきの子とは違うだろうけど, 小学生と,大人が野球の練習をやっていた。こんな炎天下, 野球の練習とかやって大丈夫なのかな?と思ったけど,良く考えてみたら, 自分が小学生の時も,こんなだったよな。暑さがピークになる午後なら ともかくこの時間ならむしろ快適だったはず。まぁそういうわけで 多分大丈夫なんでしょう。でも,一緒にいる大人はすごいなと思ったけど, まぁ,大人も昔はこれくらいでもOKだった。
むしろ,この暑さで命の危険を感じるようになった自分の方が,なんか 退化してるような気もしてきた。とかいっても普段エアコンの効いたところに いるわけで,ここでいきなり根性出しても体を壊すだけというのは そうだろうけど。
子供を見てると,暑そうだけど,辛そうではない。水を与えると良く飲んで, 汗をだらだらかくので,それで大丈夫なのかもしれない。そういうものかな とは思うけど,照り返しで日焼けの方が心配だったので,結局10時半過ぎに 自宅に戻った。
ちなみに,昔は暑さでも大丈夫だったとか,夏の暑さがひどくなってると いうつもりはない。昔だって熱中症で死ぬ子供は沢山いた。昔は 日射病と言っていたけど。もう少し暑さに慣れたほうがいいのかな?。 気をつければ,もう少し大丈夫なのかも?。少し過度に暑さを恐れて 無いか?という気はした。というかまだ7月だし,ここで根を上げていたら, 8月を乗り切れないというか。

7/28(福岡へ)
今日から福岡へ。飛行機は子供連れや,子供だけ…っていうのが 多かった。
今日も暑かった。東京と福岡は似たような天気。
ところで,今年も熱中症の人は多いようですが,地球温暖化という キーワードが消えてしまったのは,どういうことでしょう?。

7/27(都内)
今日は都内に出張。暑くて汗でどろどろになるだろうと思ったのだけど, 電車に乗ってる時間が多くて,案外ならなかった。でも疲れた。
出張は御茶ノ水だったので,出張の帰りに秋葉原まで歩いた。 ずいぶん久しぶりに行った気がするが,電気屋がずいぶん減って, コンテンツ系が増えてる気がする。まぁパーツ屋は相変わらず 多いのだけど。いろいろ回るのが面倒だったので,結局ヨドバシで 買い物。だったら秋葉原じゃなくてもいいじゃない…って思うんだけど, まぁ横浜で途中下車するのも面倒だったし。こうやって,秋葉の 電気屋も潰れていくのだろうか。

7/26(食の崩壊)
この間の 目がテンはとてもおもしろかった。テーマはイギリスの食文化について。 オリンピックにちなんでしばらくイギリスを取り上げるそうです。
イギリスの食事というと美味しくない…というのが有名ですが,実態と 理由について説明されてました。実態はやっぱり凄くて,家庭料理は出前や 買ってきたもので済ませるパターンが多いとか,パスタに瓶詰のソースを 絡めるだけとか,さらに子供にはゆでて味のついてないパスタを あげるとか…。日本だと中学生でももっとましなものを用意するよ…と。
外食でちゃんとしたイギリス料理(ローストビーフとか)を食べに行っても 味がついてないそうです。あと,例のフィッシュ&チップスとかを 現地の人が食べてるのをみると,お店で出されたものを味見もせずに ソースやビネガーをかけて食べるとのこと。
これは実はイギリス料理は個個人が味をつけて食べるという前提なので, 料理に味がついてない状態で出てくるそうです。だからそのまま食べると マズイのは当たり前。ソースは結構種類が多いそうです。
で,なんでそうなったか?…。産業革命の時に,多くの人が都市に集まり, 農村が崩壊してしまって,伝統のイギリス家庭料理が作れなくなり, 最終的にイギリス料理が失われてしまった。失われてしまったので, お店の方もどういう味をつけていいか基準がなくてお客が勝手に 味付けしてください…という風に薄味で出すそうです。日本人の感覚だと, それプロの料理か?…って気もしますが,外で買ってきて家で 食べてる料理もえらく粗末…もとい質素なものなので,それに比べれば いいのかも知れません。
それにしても考えさせられたのは,料理の伝統が失われるとこうなるんだ… ということ。まぁ日本だった伝統の料理とか,田舎料理が失われてる…って 言われますが,外国の料理が入ってきて,更にそれを日本風にアレンジして, 味自体は多様化してるっていうか,むしろそれにつられて家庭料理も 豪華になってる気がします。そういえば日本の主婦のみなさんは, 毎日料理を何にするか悩んでいらっしゃいますが,日本だって昔の貧しい 家庭では,毎日野菜の煮込みとか普通だったと思いますよ。そもそも 昔は旬のものしか食べられなかったわけだし。
イギリスの現状は,都市労働者が増えて,止む得ずそうなったのか, それともピューリタンですから,元々食事で贅沢をするという事に 価値をもたなかったからなのか良くわかりませんが,食べることを 軽視した結果がこうか…と,ちょっと考え込みました。
あと,味ってやっぱり基準がないとつけようがないのだな,と。イギリス人は 別に味覚が鈍感というのはなくて普通なんですが,基準がないってことで, 料理人が味を決められないっていうのは不思議な気がしました。
私は人が働くのは(家族も含めて)衣食住のためだと思ってるので, 食を犠牲にして労働するっていうのは,本末転倒だと思ってます。まぁ 日本も高給取りのサラリーマンがお昼も食べなかったり,立ち食いソバを 食べてたりするから,そういうのはあるんですけど,家庭料理が崩壊するほど 食を軽視するのだなぁ,と。

7/25(祝・甲子園出場)
出身校が甲子園に出場することが決まりました。18年ぶり。 確かに自分が就職して間もない頃,出場したのを応援しに行った 記憶があります。あれから18年か…ずいぶん経ったなぁ。
…とにかくやはりうれしいものです。facebookのおかげで, 今回の地元での予選の様子は細やかにお知らせされており, 今日も試合の経過を教えてくれたり,あとtwitterでも そういう話題が挙がっていたり。ネットですね。
私は実は高校の時は応援団でして,野球をはじめとして いくつかの運動部の試合の応援には行ってましたが,自分の時は 予選は何度も応援したものの,甲子園に行くことはかなわず。 それもあり18年前も行ったし,今回も休みが取れれば, 日帰りでもいいので行きたいな…と思っております。

7/24(ネットに書かなくなった)
旦那が子育てに協力せずTwitterやFacebookばかり やっていると不満を言ってる奥さん。まぁこの奥さんも ネットに書き込んでるんですが,まぁそれはいいとして。
私も子供が遊んでいる横でパソコン叩いていたりするので, あまりえらそうなことは言えないのだけど,これでも昔に 比べるとネットに書き込むことは減ったなぁという気もしてます。
私が社会人になった頃は,まだインターネットという言葉も無く ネットはネットニュースかメイルだけだったのでした。当然 携帯電話とかではネットは出来ず,自宅はモデム,会社は 有線のLANのみ。そういう中で,若い時は結構メイリングリストとか ニュースとかには投稿してました。一日に数十通書いたことも 多かったと思います。
よくよく考えればPDAも無線も無い時代ですから,一日中パソコンや ワークステーションに張り付いてキーボードを叩いていたわけです。 大丈夫か?俺?。そうこうするうちに携帯電話をモデム代わりに 使えるようになり,屋外でもネットが出来るようになりましたが, そこまでノートパソコンを持ち歩いていたかというとどうだったか?。
ある時期からPDA…というよりハンドヘルドかな そういうのを買い,PHSをつないで屋外でもメイルを読み書き出来るように なりました。わたし的には多分その頃がネットに書き込むピークで 週末外に遊びに行く時とかも持っていって書いてました。PDAで メイルを書いていたのは,ザウルス,ブラウザボード,シグマリオンと 乗り換えてきました。
ちなみにそのころはSNSなんてものは無くて,メイルを書くか, Web用に記事を書き溜めてました。というか,この辺の端末は 電話を常時接続するのではなく,従量制だったので,書き溜めた 文章をアップする時だけつなぐという形式でした。
その後になってmixiをはじめてmixiハイでやたら書いてましたが, シグマリオンは常時接続で書くのに向いてないので,あまり 屋外で書くことは減って行ったように思います。mixiは携帯で 書いたこともありましたが,そんなに長々と書けるわけでも ありませんでした。
そしてTwitterやFacebook。iPod touchとかでも良く見てますが, 書くのは稀です。というかPCも含めてTwitterは一日2ツィート程度, Facebookは数日に一回くらいか書きません。考えてみたら, ずいぶんネットに書かなくなったなぁとか思います。
これが歳のせいなのか,TwitterやFacebookの性質なのか, はたまたiPod touchとかのせいなのか?はよくわかりません,というか 多分全部あると思います。世の中の人はスマホのインタフェースで よく書くなぁとも思いますが,ネットに書きたいという 欲求の方が強いんですかね。
若い頃取り付かれていたようにネットに書いていたことがあるだけに その気持ちはわからないでもないのですが,むしろ何で以前ほど ネットに書かないのか?ということを疑問に思ったりします。 まぁこういう風に日記は相変わらず書いてるけど。家族がいるって いうのもあるのかなぁ。だったら最初のリンクに戻ると, 子供と奥さんがいるならもっとネット書く気減るんじゃない?とか 思ったりするのですが。…やっぱり別の原因なのかなぁ。

7/23(お値ごろ感)
全国11箇所で行われる政府のエネルギー政策の意見聴取会, その開催に関する委託の入札について,博報堂が7千万円くらいで 落札したとかいうのが,話題になってました。ちなみに電通は 一億二千万で入札。
ネットを見てると,電通がやる気がないという指摘があって, まぁ,でもそれはほっておくとして,博報堂の7千万が高いとか いう意見が結構ありました。自分のところだったら3千万でも 出来るとかいう人もいたように思いますけど,じゃぁやってみたら いいんじゃないかなぁ,と思います。。今回の公募はもう終わってますけど, 別のにでも。入札資格って何なんでしたっけ?。
わたしは公募の仕様もみてないので,7千万が高いか安いかというのは わかりませんが,そんなに丸儲けって程でもないのではないかな…と 予想します。いや実際はリスクを考えなかったら確かに7千万かからない 作業なのかもしれません。でもこれだけ注目度が高い会ですから, いい加減に最低限のことだけやっていればOKとはとても思えず, 何かあったときに,追加の作業を要求されたり,報告書も, 国民への納得感が得られなかったら作り直しをなんども要求されるかも しれません。そう考えると,7千万のうちのいくらかはリスクなんだろうな, という気がします。そういう見積もりをだしてはいないと思うけど。
わたしも仕事で多額の発注とかをすることもありますが,リスクが 高い内容の場合は,やっぱり信用があって単金が高いところを 選びたくなります。そういうところに発注すると,実際何度に一度かは 火を噴いた状態になるのを,きちんとまとめてくれる。そうじゃない ところだと,仕様書最低限のことだけやって,もう出来ないと 言ってくるとか,そういう話も,私以外の経験談として聞く事が あります。
こういうものの値段の値ごろ感って,実際にこの規模のことを, やったこと無い人には解りにくいと思います。こういうのの相場勘って 同じく位の規模の仕事とか,省庁相手とかやってないと,なかなか わからないのでは無いかな?,と思います。だから逆にもっと 安く出来るといってる人をみると,軽く見てるのかなぁと思います。

7/22(定住にこだわらない)
なんどか書いてますが,私は幼少の頃何度も引っ越しや転校を やって成長しています。それによる苦労や嫌なこともあったけど, 結果的にそれは自分を成長させてくれたと思ってます。今でも 仕事での転勤や引越しはさほど抵抗は無い…というか,少なくとも 行く前に嫌だと思うことはあまりありません。
まぁそれはそれでいいのですが,ふとこの自分の価値観は結構 最近いろんな考えに影響を与えてるのだけど,これって他の人には 通用しない価値観でもあるよなぁと思ったりしてます。
一番思ったのが,やっぱり先日見てきた津波の後,もしくは 震災や原発事故の土地のこと。わたしは現在の被災地の一部に対しては 以前の様な町をその場に再建するより,新たな場所に作ったほうが いいんじゃないか?と考えてしまいます。でも,多分被災者の中には 元の場所で元の様に暮らしたい…って思う人もいるんでしょうね。 そう思う人がいるのは理解は出来るんだけど…。
他にもいじめの件でも,どうしようもなくなったら,学校を 変わったほうがいいんじゃないか?と考えてしまいます。自分自身が 学校に居心地が悪かった学校から転校してそうじゃなくなった 経験もあるし。
あと最近思うのが,田舎の繁華街に出来てきてるシャッター商店街。 店を開けないような例え誰かの店であっても他のやる気のある人に 譲るとか,やってる店を寄せる…つまり再開発をやったほうが いいとか思う。昔店をやっていて,歳をとって閉めたけど,自分の 家だから住んでいて…っていう商ってむしろその商店街には悪影響じゃ 無いの?とか思ってしまいます。
でも,一方でどうして自分の家なのに引っ越さなくちゃいけないの?という 考えもあるんだろうなぁとか思います。
日本では国が住宅地として認めてるところであれば,誰でも土地を買って 家を建てて暮らせます。国や自治体がそれを強制的に召し上げるってことは よっぽどのことが無ければありません。いわゆる居住の自由が保障されて ます。しかし昔は支配者の都市計画のために,強制的に移住とか されされていたのですよね。まぁ日本でも地上げとか流行った時期も ありましたが。
自由に住めるのは基本的人権みたいなものですが,それが街の繁栄や 住宅空間の住みやすさためには必ずしも良い影響をあたえてる わけでもないよな…と最近よく思います。自分の故郷のほうの 田舎に行くと,いまだに畑や山を切り開いて新興住宅を作ったり してるのですが,人口が減ってる地方でどうしてそんなに新しい 住宅地を作る必要があるのでしょう?。街中には沢山の空き家が あるのだから,そこに若い人を住まわせればいいのに…と考えて しまいます。
そういう事を考えるのは,やっぱり自分が最初に書いた通り, 住むところに固執しない…っていうところから来てるんだろうなぁ。 で,これは育ちからそうなったわけだから,この価値観は万人には 説得できないんだろうなぁ…とか思います。

7/21(東北から帰宅)
今日は9時過ぎまでホテルにいて,それから出かけ仙台市内 散策。市内を走る観光バスに乗り市内一周。あまり時間が無いので 降りてゆっくり回ることは出来ず,正宗公の墓だけ降りて観にいきました。
お昼は牛タンを食べて,あとは新幹線で帰ってきました。
食事といえば,昨夜はすし屋。仙台はすし屋と牛タン屋が やたら多い印象。牛タンはまぁ有名ですが,すし屋も多いのね。
駅前にタワーとHMVがあって,あとジュンク堂とかもあって, こういうのは東京より地方の方が元気なんだろうか?…と 不思議な気もしました。
新幹線はE5。行きがけに乗ったMAXに比べるとスピードも速いし, 内装も良くて満足。
東京からは在来線。東北新幹線と東海道新幹線が乗り入れを していれば新横浜まで行くんだろうに…なんか変だなぁと ちょっと思った。

7/20(東北出張)
続き。出張先は松島でした。松島は2回目ですかね。二日間仕事に缶詰でした ので,あまり外のことはわからなかったのですが,今日は明るいうちに 仕事も終わり,その辺を散策。いわゆる観光の名所あたりは瑞厳寺だけ 修復工事中でしたが,他は地震の影響はあまり感じず。
もう少し見てみたいと仙石線でくだろうと思ったのですが,仙石線は 復旧しておらず,途中を代替バスが運行。ということで,松島海岸から 代替バスにのり矢本まで,そこから石巻へ再び電車で,ってコースを 選びました。
バスは道路ですから,必ずしも鉄道沿いに走るわけでもないのですが, 基本的には海に近いところを走ります。途中は田んぼや畑が多く, 緑が多いのですが,途中から草が一面に生えたはらっぱ。よく見ると ここってもともと家があったところなんだよなぁ…と気付きました。 つまり津波で流された町は,ほとんどが巨大なさら地になっていて, 草が生えて原っぱ状態。家は残ってるのか再建したのかはわかりませんが, いくつかは建ってます。明らかに地震以来放置の家の中が丸出しの 建物もありました。あと曲がったガードレールや電柱とか。
それまで田園風景が続いていたので,住宅跡のはらっぱも,不思議に 違和感が無かったのですが,これだけ何もない土地が放置されてるって いうのもおかしな感じでした。
とはいえ,このさら地,再び家を建てて人が戻ってきていい場所なのか 良く判らないなぁと思いました。これは外に住んでいる,私たちが とやかく言う話でもないんだろうとも思います。
がれきがいっぱいなのか?と思っていたのでが,少なくとも今回 回った範囲では,あまりそういうのは見かけず,どこかに寄せてるか 片付けてしまってるのかもしれません。あと津波の場所に限らず, いろんなところで,建っている家を見ると妙に綺麗で,地震後に 修復したのか建て直したのか?そんな感じはしました。
まぁ復旧はそれなりに進んでいるのかもしれません。ただ 津波でさら地になったところは,まだまだ復旧という感じじゃないな, とは思いました。

7/19(東北出張)
今日から宮城へ出張。久しぶりに東北新幹線に乗ったのですが, 解りにくい。電車の名前と止まる駅の対応が全然わからない。 秋田とか上越とかいろいろあるからだろうけど。東海道山陽ばかり 乗ってるせいか,車両も新幹線ぽく感じないのは気のせいでしょうか?。
…というわけで何とか仙台まで乗って,出張先へ向かいました。 涼しいです。続く。

7/18(熊本の大雨)
九州の大雨について。そろそろ雨は弱まってきたでしょうか?。 関東は梅雨明けしましたが。雨が降ってる最中に書きにくかったので, ちょっと遅れましたが。
私は子供の頃の多くを熊本で過ごしました。熊本市は昔から 雨につかりやすく,私が子供の頃にも道路が川の様になったりとか, 白川や坪井川が決壊して,床下浸水とかしたりとかいうのは, 数年に一度あってました。熊本は昭和28年に大水害があり数百名の人が亡くなってます。 熊本で小学校に通っている人なら,毎年慰霊祭があるので,このことは 誰でも知っています。
そのときの大水害では多くの橋が流れましたが,その後土手の作り直しや 橋の作り直しで徐々に水害は減りましたが,30年くらい前の 記憶だと,オゼキ橋ってところが土手の管理省庁が境目で, それより上流だと土手の工事が遅れていたため,その辺がしょっちゅう 浸かっていたようです。その後あまり聞かなくなったので土手の 工事は進んだのでしょうか。
そういういう熊本ですが,今回経験したことのない大雨といわれた くらいですから,昭和28年の雨よりすごかったのか…と思いました。 実際そうだったのかもしれません。ただそれだけの大雨ですが, 28年の頃に比べるとずっと被害は少なくて,河川の整備は役に たってるのだなぁと思いました。それでも亡くなった方や浸水した家は 出てるのですが。
熊本ではかっては,水が浸かりやすいので住宅に供さない土地が 何箇所かありましたが,今はそこも開発されているようです。 確かに土手の工事等は進んでいるんでしょうが,そうやって 昔はすまなかったところに,家を作るのって必要なんだろうか? とちょっと思いました。

7/17(脱原発論者の危うさ)
おかしなニュースを見ました。 エネルギー政策の意見聴取会に東北電力社員が出席したとか中部電力社員が出席したとか。何が問題なんでしょうか?。 なんかTVでも取り上げてましたけど,参加者のコメントで「電力会社の人に 語って欲しくない」とか言ってたかな。恐ろしいなぁ,意見言わせないのか…。 偏ったメンバーで偏った意見ばかり集めても,世論の反映にもならないし。 電力会社の社員は,確固たる意見をもって参加したらしいので, はっきりした意見を聞いて,自分の反原発の意思が揺らぐのが 嫌なんだろうか?。
別の話…。
昨日代々木でデモがあったらしいです。大規模だったからなのか, 別の理由か,今回はNHKでも取り上げられてました。デモを主催してる 人のページをみて,微妙に引っ掛かったのは,デモに参加してるスタッフが, 私が10年くらい前にやっぱり代々木でデモとかに出たときのメンバーと ダブってること。あれはなんだったっけ?地球温暖化?…。なんとなく 主旨の問題じゃなくて,デモをすることが目的となってる人がいるんじゃ ないかな?…と少し思いました。
まぁ,主旨に賛同できれば,つまらない突っ込みをする必要も 無いのだけど…。
別の話。
NHKスペシャル,激論!ニッポンのエネルギーを見ました。 なんだ,大飯原発再稼働云々よりこういう議論をすべきなんですよ。 なんで今までやらなかったの?。とはいえ,ちょっと突っ込みどころが 幾つかあった。
今回の三つの選択肢は政府が示したものだけど,2030年というのがちょっと 近すぎて0パーセントは無理でしょ?…とは思いました。あと三つの選択肢は 真ん中に落としたい…という意図がなんとなく見えかくれしました。 ただ今回の議論では,0パーセントが一番多かったかな?…。でも15パーセント, 25パーセントの両方を足すと50パーセント超えて,「半分は原発容認」と いう結論も出せちゃうというなんか危うさ…。
今回は素人じゃなくて知識人を呼んでいたので,それなりに議論が進んだとは 思ったけど,反原発論者がいずれも素人でガッカリ。特に香山リカさんは 痛すぎた。こういう人を呼ぶと,脱原発論者は,感情論だけで主張してるって 逆に思われちゃうよなぁ…。あと金子先生も原発無くてもうまく行く…と 素人的に言われても,「今のシステムを変えてうまく行く…説」には 我々痛い目にあってるでしょ?;-p…。基本的には原発を進めても,止めても 世の中良くならないと私は思います。リスクをどこにもっていくかってだけ。 そういう意味では年金に似ていると思ってます。いい方法を探すというより, 覚悟してください…なんだと思います。
っていう感じで,少し議論がまともになってきているようで,一方で, 脱原発無理…っていう工作じゃないか?…とか思ったりして…。もっと 論客いるだろうに。
余談だけど,出演していた古川大臣には好印象をもった。質問には的確に 答えていた。頭いいな…と思った。ただ,人によっては好き嫌いが あるだろうなぁ。御輿には乗りにくいタイプ…って調べたら官僚出身か… なるほど…。
そういえば,日本には御輿に乗るような政治家がいなくなったなぁ…。

7/16(一泊帰省)
昨日の日記に思わせぶりなことを書きましたが,昨日から今日まで 福岡にいってました。妻と息子を連れて。
今回初めて車で羽田まで行って,駐車場においてから行くつもりでしたが, 羽田に行ったら駐車場はいっぱい。2,3時間でははけそうも無いってことで あわてて蒲田方面に車を走らせ,やっとこさあいてるコインパーキングを 見つけて止めて行きました。ここまで混んでる経験無かったので, ビックリ。駐車場からタクシーに乗ったので,ちょっと高くつきました。
福岡について実家へ。そして一泊して,今朝東京へ戻ってきました。 昨夜深夜に結構雷を伴う大雨が降りましたが,朝は降っておらず, わたし自体は雨にあわず。しかしその後,また庭が水溜りになるような 激しい雨が降ったそうです。
本当は,先週からの九州の大雨について,書こうと思っていたのですが, まだ雨は現在進行中とのことで,ちょっと書きづらいので,また今度。 幸いにも私の実家と妻の実家は水はけがいいところなので,浸水することは ないので,外出などしてなければ,まぁ心配は無いかな。
これからしばらく,ちょくちょく福岡に行きます。

7/15(中日)
三連休の中日。今日は飛行機に乗ってお出かけってことで ばたばたしております。詳しくは明日。

7/14(休日)
今日から三連休。ゆっくり出来るかと思いきや,イベントが盛りだくさん。
朝起きたら雨が降っていて,大変か?と思ったら,6時くらいに晴れ間が出て, そのあと暑くなった。その中,午前中は子供と妻と出かけて, お昼ぐらいに帰宅。ずっと歩きだったので暑い。お昼を食べたあと ぐったりして寝ようかと思ったら,子供は元気で寝かしてくれない。 むりやりちょっと横になっていたけど。
夜,電車で四駅いったところで花火大会をやっていたで,行きたかったけど, 渋滞とではまると嫌だなぁと思ったのでひよったら,家のベランダから ちょっとだけ見えてラッキーだった。更に別の花火も見えて, なおラッキーだった。
いろいろ片づけをして終了。明日は更に遠くに出かけます。

7/13(徒然)
九州の大雨・水害が気になるけど,まだ現在進行形なので, 書くのは控えます。
関東は,さほど雨は降らないけど,曇り空が多く,あと湿気がすごい。 気温は微妙に高いけど,温度だけなら我慢できる,ただ湿気が。

ネットで拾ったネタをいくつか。全部ネタ気味に。
雇用流動化へ「40歳定年を」 政府が長期ビジョン」って 話。原本を読んでないのでなんとも。いいこと書いてあると書いてる 人もいるけど。企業によっては40歳定年もって感じだったと 思うけど,会社によって定年が早いというのであれば,そういう 会社は今でもあるのでは?。無いんだっけ?。ちなみに年金の支払いを 後ろにずらすといってるのだから,高齢者の雇用需要を増やさないと, このこの政策は矛盾ということになります。
つぎ…
朝日新聞大阪支局が橋下さんの報道の扱いに困惑してる 様子が書かれていて面白かった。面白かったけど,頭悪いなぁと 思った。大体投書や電話に振り回されて記事を書いていて,新聞として どうよ…とも思う。一方で,既得権益と戦う橋下さんを最初は 応援していたが,徐々に君が代とか言い出して困惑とか…。
朝日新聞は戦後の民主主義を批判してきたわけだから,戦後民主主義を 否定したら,戦前に戻るのは当たり前ですよ。そんなことも判らないのか?と 思いました。この辺,今の政権交代にも思うんですが,今って, 戦前の戦争に突入した日本に納得できるくらい,おかしな時代に なって来てます。で,それって結果的にマスコミが引っ張ったような ものなんですよね。戦前を否定してはいいけど,そのあとに前後を 否定すればもどるわけ。否定を続ければ,もっと良くなるなんて あるわけない。それも判らないのかと思いました。
つぎ…
「高学歴・高収入の独女」の後悔と不安な日々」っていうのを 読んで,「人生って何だろうね」と思いました。…とか考えてるのかな? この人,もしくはこういう記事を読む人って,そういうこと 考えないのかな?。考えないのかもしれませんね,ほとんどの人は。
まぁ余計なお世話ですが…。

引用できるいい記事が無かったので。facebook,いまだによく話題に なりますが,最近よく思うのは,社会で地位があったりする いい大人が,結構マナーとかリテラシ低いんだな…ってこと。 まぁネットを使ってなかったいいおじ様たちが,急に使い出した からかもしれませんが,大丈夫ですかねぇ。

7/12(言わせる…)
実際の事例の内容にとやかくいうつもりじゃないのですが…。
今問題になっているイジメの件で…。 「「自殺の要因の一つにいじめ」教育長認める」って いうニュースを読んで。
これって,言わせたんですよね,結局…って思いました。こういうの あるなぁ。今回の件に限らず何かの責任を問うとき。東電の事故の時も あったかも知れないし,JR西の事故の時もあったかも知れません。 問題が起きると責任者に認めさせる。いや,結果として認めさせるのは いいんですが,あたかも事前にわかっていた…みたいに言わせる。
なんとなく気持ち悪いのは,本人がそう思ってるわけじゃないというか, そういうの関係なく,とにかく「そう言え」と言ってるように見えること。 いや,実際はそうなのかも知れないのですが,「わからない」って 答えもあると思うんです。それが無責任とかいって責を問うのは いいと思いますが,認めようが認めまいが責は問うわけでしょ?。 思ってもいないことを言わせるっていうのも,どうも気持ち 悪い気がします。
原発事故の件も,あたかも関係者は事前に危険性を認知していた…と 言わせるようにしてます。意図的にやった場合と,無作為にやった場合で 責の重さが違うからかも知れないけど,責を重くするために, 思ってもいないことを言わせるのは,一種の拷問みたいなもんだよなぁ…と 思いました。ちょっと世間の空気が気持ち悪いです。

7/11(冷静に…大飯で良かったのか?)
大飯原発の再稼働に一喜一憂するのはアホらしい…って話は何度も 書いてますが,ネットでそういう意見が増えない…と思っていたら, ようやくモーリー・ロバートソンという人がそういう話を してました。基本的には異論がないので,特に補足はしません。 それなりに反響があってるようなので,これで少しは,こういう意見が 表に出るといいな…と。
ところで,実は一つだけ気になっていた事として,なぜ大飯原発が 再稼働されたのか?ということ。関西の電力需要不足が深刻だからとか, ストレステストをパスしたから…っていう話は聞いてましたが, 一方で活断層の上にあるとか,震災以降補強工事をしていない… という意見も聞きます。他の原発でも良かったんではないか? …という気が若干していて,ネットを調べたら,「なぜ大飯なのか」という文章を見つけ,読んで, まぁ納得。一応,新しい原発で安全性が高いものを選んだとのこと。 あと太平洋側は避けたと。ベストは四国の伊方では?という事も 書かれてますが。
まぁこの方,元記者のようで,これだけ読んで判断するのも軽率ですが, ネットで調べると,再稼働は「利権」とか「政府の目論み」とか そういう理由しか語られてなくて,日本中の原発の安全性評価とかを 冷静に語る人少ないんですもの,しょうがないです;-p。 まぁこういう部分でも再稼働反対派に冷静に議論を出来る人が 殆んどいない…って感じはします。
もうちょっと,調べてみたいとは思いますが,とりあえず今日は そんなところで。

7/10(いじめの話)
いじめ,自殺のニュースが流れて以来,いじめに関する話題が ネットで多く語られてます。ちなみに定期的に問題になってるのに, 何一つ社会が変ってない気がするのは気のせいでしょうか?。
いろんな人がいろんなことを語ってますが,結構自分の経験を 話している人が多いように思います。経験…というより思い出か…。 自分もいじめられていた…って話。まぁいじめにあったこと 無いっていう人も何らか語ってるケースもあるようですが…。 逆に「自分はいじめていた」と書いてる人を見たことありません。 「いじめはいけない」といってる人を指して「俺はあいつに いじめられていた」と書いている人もいるようで,つまりはいじめている方は, 自分がいじめをやっている意識は無いようです。まぁそんなものだよね。
でも,そう考えると,例え自分は過去にいじめられていても,だからと いって自分がいじめをしてないとはいえないのかも知れません。 そう考えると,いじめはいけないというのはともかく, いじめてる人を責める資格はみんなにあるんだろうか?…と。
実際,学生時代の同級生に,今更ながら同窓会であったりすると, 意外なことをいわれることもあります。「君は目立っていたね」みたいなこと。 そうだっけ?…とは思いますが,そうだったのかも知れません。
自分の経験として,ある学校では,自分に絡んでくるやつがいて, クラスにいずらかった…とか先生に不条理に怒られた…とかいう想い出は ありますが,自分が誰かをいじめていたかどうかって良くわかりません。
ちなみにいじめられた時にどうするか?というのを語ってる人も多いけど, いろんなケースを知るのは良いことでしょう。でも,どれが正解とか 無いですよね。状況はそれぞれだし。大人がいろいろいうのはいいけど, 本人がそれに気づいて活路を見い出してくれればよいかと思います。
と本人の努力に頼るのではなく,上に書いた相互認識のずれを見てると, なんかセクハラとかパワハラみたいな話で,じゃぁセクハラとか パワハラは社会問題になって,いろいろ企業でも対策を強要されてるのに, 学校はなんでしないのかね?とかいう気はします。いや,先生に いろいろ義務を科す…というより,セクハラみたいに訴える方が 物凄い力をもつって事も可能な気がするんですけどね。まぁでも そうなると冤罪も出てくるのかなぁ…とか少し思いました。
というわけで,今回は自分の経験談とか特に無し。

7/9(権力)
先週ですが クローズアップ現代でTEDの紹介をしていたのを 見ました。あまり詳しくないのですが,TEDはプレゼンイベントで, 多くの著名人がプレゼンを行っていることから,ここでプレゼン 出来ることを目指す人が結構いるようです。
ケチをつけるつもりもないのですが思ったこと…。
ネットとかで誰でも発信する手段をもった…とかいうけど,結局, 発信の場にも「格」があり,その頂点を多くの人が目指すって事は, この「場」をもつって事は凄い権力なんだろうな…って事。
メディアが権力だといいますが,それはこれまでは放送や出版が多くの人に 情報を伝える手段を独占しており,その情報の取捨選択や加工で, 人々をコントロールできたから(していたとは言いません)です。 インターネットになって誰もが直接情報発信できるようになったから, メディアの権力は徐々に弱まってきてる…と言えるのですが, でも個々の人が発する情報は,結局殆んどの人が観ない。話題になって 盛り上がったり炎上したりリツィートされたりすることもありますが, 発信する方からは確実にそれはコントロールできません。それ故に多くの 関心を集めるサイト(やブロガー)は過激な事を書いたりして, 結構無理やり的にその「力」を得ようとします。
TEDがそういう権力を目指したのかはわかりませんが,結果的に そうなってます。きっとこういう事をしたかった人は沢山いるんだろうし, 今でもそういう模索はあるんだろうなぁ。そして,それがどこかに 集められるという動きがある限り,情報発信力は平等ではない。
ネットってみんなが平等なのどかな世界ではなく,力を目指したり, 牛耳られてたりする世界だなぁ…と思います。現実と一緒。

7/8(休日)
朝から子供とスーパーに買い物。帰りに公園に寄ったら噴水が出ていたので, 子供は大喜びで水遊び。遊び足りない子供を連れてかえり,わたしは一人 都内に出かけ,旧職場の人と演奏遊び,そして二次会。先輩の行く先の 話が出て,ちょっとビックリ。行ってよかった。

7/7(休日)
扇風機を買いにヨドバシカメラにいった。売り場は結構混雑していた。 大手メーカの製品があまり無くて,ちょっと残念な感じだった。

7/6(気持ちと実利)
国会の事故調が福島第一原発事故を人災と結論 という話。TVやネットを観てると「当然だろう」という様な空気と, 国会が「当時の」政府と東電の責を明確にしたことを評価する様な 意見も多少聞きました。
わたし個人的には,まぁ落としどころとして仕方ないのだろうなぁ …とは思いつつ,一方で100%人災と言えるのだろうか?…という疑問も あります。まぁわたしのその疑問はいいとして,実利として考えると, 原発事故を人災とすることは得なことなのか損なことなのか? …という視点があまり論じられてません。
一番の危惧は,人災としてしまうと実は「本来,人の力で事故は防げるの だから,原発はちゃんとした電力会社とちゃんとした政府の元で運用すれば 安全である」という結論が導かれます。これ…個人的には嫌な議論の流れです。 原発事故は天災…だった…としてしまった方が,同じことが起きたら 誰にも防げない…,だから原発は止めましょう…と言えるんですよ。 人災ということで,且つ,今は無き(失礼)菅内閣と東電じゃなければ OKっていうことで,原発管理の新会社を…ってなりかねない。
いや,実際,昨日も書いたけど,脱原発の機運がなんか冷めてきて, そこに,今回の事故の責任者に退場願う…とかいうと,「じゃぁまた 原発増やしてもいいかな」ってなったりしないか心配です。
とはいえ,一方で人災にしておかないと,東電や政府の責…まぁ責は いいとして具体的な保証を請求しにくい…っていうのはあるのかも 知れません。実際,東電は天災にして,保証の責任を逃れようとしてるような 感じでした。実際国が助けるのから…,まぁどっちにしても東電だけじゃ 責任追えないし,菅さんはお遍路するくらいしか責任の取り方を 知らないでしょうし。
とはいえ,人災だろうが天災だろうが,東電はともかく国は保証するよねぇ… とは思います。
東電という会社がまだ存在している以上,そこに何らかの責任を負わせる という意味で,「人災」という結論が必要だったんだろうか?…という気も します。いや,そんなこと考えてないでしょ?…。単にみんなが 納得しないから人災にしたんじゃないの?…っていう気もするのですが。
実際多くの人が苦しい想いをされていて,心も折れそうでしょうから, 実利だけじゃなくて,感情面でも納得できないとダメだ…っていうのも わかるから,今回の結論を否定はしませんが,これを元に原発は安全に 出来る…っていう話に進まないように,くれぐれも気をつけて下さいな …って思います。

7/5(デモが脱原発を殺す)
大飯原発の再稼働に反対する大規模なデモが東京と大飯で 起き,そして原発が稼働して…という流れの中で,反原発・脱原発の 機運が急激に冷めていくような感じを感じて,危機感を感じるのは わたしだけでしょうか?
そもそも,わたし自身は,以前から書いているように,脱原発という 目標に対し大飯原発の稼働はあまり重要な出来事ではない…と感じてます。 脱原発は日本の長期的なエネルギー転換として行わないといけないので, 今年の夏の大飯原発の稼働は,今年の夏に停電を起こすかどうか? …という事でしかありません。
もちろん,今,大飯が再稼働して,事故を起こして,放射性物質を 撒く可能性はゼロではありませんが,それってどれくらいの可能性 なんでしょうか?。確かに今の日本では地震が増えてますが,それでも 東日本震災クラスの地震が今年来るとはちょっと考えにくいです。 というか地震来るなら,海辺に住んでいる人やがけ崩れがおきそうな ところに住んでいる人は逃げるべきでしょう;-p。
もちろん今年の夏に原発が動くというのは,結局は原発の必要性を 一般の人に知らしめるという感じはします。でもだからこそ, ただ原発を止めるのじゃなくて,エネルギー転換を進めていかないと いけないのではないでしょうか?。
大飯原発が動くとなし崩し的に他の原発が動くという人もいますが, 一つの原発が動くと,もう止められない…と思うくらい,その人の 脱原発の意思は弱いんですか?…。ちょっと呆れます。
脱原発の機運が冷めるのは,もう一つ,デモの騒ぎがちょっとひどくて, 良識ある人が,ついていけなくなってるから…というのもあるようです。 これもわたしも感じててました。そもそも大飯原発の稼働で 大騒ぎする時点で,あまり考えた行動のように思えません。 地元の人に迷惑をかけたり,目に余る行動をして,結構眉を しかめてる人が多いようです。
「脱原発」政策推進の邪魔になるのは、おそらくは、 「脱原発」運動である。「地道な議論」は一定の寄与は為し得ても、 「運動」は役に立つどころか害を為すことがある。」という文章を 読みました。なるほど,こういう運動が結局は邪魔になるという考えは 以前からあるんですね。
ただ,わたしがこういうデモ運動を単純に批判できないのは,政治家に 票の数を意識させる事ができる…って事です。地道な議論がないと 進みませんが,政治家は世間の空気を読むので,意思決定をするときに, 多くの人が反対してるという「数」は重要な気がします。だから, わたしもデモ行動には眉を潜めつつも,多くの人が集まる事自体は, 効能もあるんじゃないか?…という気もするのです。
ただ,やっぱり今回の騒ぎは,騒ぐところが違います。ですから, ここを山場と思わないで,ここで機運が萎えるのは,何かもったいないなぁ …と思います。

7/4(夏)
なんとなく梅雨も終りに近づいたかなぁ…。夏かなぁという気がしてきた。

7/3(答えがない事)
東大には行った学生すら,先生は必ず答えを知っているはずだ… と思ってる件について。
まぁ東大ですら…じゃなくて東大だからこそかもしれません。 テストでいい点をとるように勉強をしてきたわけで…。
自分の場合東大なんて通る頭じゃなかったので,ここまで最適化 されてなかったのか,あまり大学で考え方の転換を迫られた記憶は ありません。ただいつだったか…クラスメイトに「大学で「教育」を 受けるなんていう考えは愚か。」と言っていたのを聞いて「なるほど」 …と思った記憶があります。大学は教えてもらいに来るところじゃなくて, 自ら学ぶというか…研究をするところだと。
そういうこともあって研究室にはいるころには,自分は誰も知らないことを 調べてるんだ…という意識はありました。それ以前に,学生同士の 討論とかそういうのでいい感じに学んでいたのかも知れません…。
ちょっと思ったのがわたし自身が高校の時から美術と音楽をやっていて, その指向が強かったので,決まった答えがない事をやるって事に 馴れていた…ってこはあるかも知れません。それで今でもそうですが, わたしは研究は芸術表現に通じるものがある…と思ってるので, やっぱり研究も答えがないものを作って(みつけて)いく事だと 思ってるんでしょう。
一方で高校とか大学に入った頃,芸術家になるための答えはあるのか? ということも悩んだ記憶があります。例えば医者になるには医大に行って 医師免許をとればいい。先生も教育学部に行き,教員免許をとればいい (今は就職難ですが)。芸術家も芸大に行けばなれるのか?…ってことです。 いろいろ考えて,まぁ,なれない。世の音楽専門学校も資格とか技術とか というより,むしろ人脈を広げるためにいく様なところが強いと思ってます。 つまり芸術家は学校に行ったら確実になれるようなものじゃないって 事です。
ちなみに今はどんな職業だってそうで,学校出たらなれるもんでもありません。 でもそう思ってる人はまだまだ多そう。どうかすると芸術家ですら, 学校をでればなれると思っている人いませんかね?。

7/2(小沢さんと民主党と政権交代の予言)
小沢さんが民主党を離党したらしい。 …というわけでわたしの昔の日記を引用。

2001年6月,当時は小泉政権,立ち上がったばかり。その時に 思ったことは,「昔一度だけ, 細川首相になったときに,自民党以外の手で変革をするチャンスは あったのに,あの時は, 自民党の足の引っ張りや,連立内での 足の引っ張りあいで 崩壊したわけです。(略)省みらないと, 仮に民主党が連立政権をとっても同じことになってしまうの でしょう。」…と。
2006年5月,小泉さんが総理を辞める数ヵ月前。「民主党になって本当に一から 絵を描けるのか?…というと…。やっぱり 細川内閣の時の烏合の衆は 何もできなかった…という 経験があって…。
2008年3月,福田さんが支持率が下がっていた頃かな。「年金の財源を 税金に持ってくるのは…,なんか消費税の増税を納得させるのに 利用される気がする…という危機感をちょっと感じてます。 大丈夫ですかね?。そこまでして 税金にしたいですか? >民主党さん」。って 危惧したとおりに。そういう意味じゃマニフェスト通りか?(苦笑)
2008年12月,麻生さんが総理になって3ヶ月位だけど,彼は最初から 叩かれたからなぁ。「小沢さんはやっぱり腹の中が見えないのと,たぶん 民主が与党になると, 内閣とかの運用自体が滞る気がするので, わたし自身は政権交代には 否定的です。
2009年3月,まだ麻生さんだけどこの半年後に政権交代。(政権)交代が起きたらきっと いいことがあるに違いない,と思ってる人がいるのかもしれないけど,(略) わたしは平成の連立政権で懲りました。あの時も騒ぎの渦中にいたのは, 小沢さんだよね。まぁあの時は,政権交代があったおかげで 日本社会党が無くなった。今度政権交代が起きたら民主党が なくなるのかな?と思ったりはしています。30%くらい冗談ですが。 」…とか書いたけど,冗談で無くなりそう。

というわけで,概ね危惧が当たっていて嬉しいような,悲しいような…。 悪いことは言い当てるので,なるべく書かないようにしていて…, それでもちょっとだけ…って,日頃思ってる事を書いたんだけどなぁ。
もっとも,今の自民党は,当時の自民党はかなり違うので,じゃぁ 再び政権交代してどうなる?…っていう気もします。というか, 今回の離党で小沢さんは,また怨念を抱えて政治生命を伸ばすんだろうなぁ…。 民主党と心中してくれた方が良かったんだけど。細川政権の亡霊が 全て引退して,ようやく日本の夜明けな様な気がするので;-p。

7/1(80年代)
最近BSで80年代の洋楽をやっていたので見ていたのですが,そういえば, 80年代の洋楽を取り上げるというのはここ数年時々見る企画です。
80年代を懐かしむ世代…つまり自分もそうなんですが,その辺が いいオヤジになって制作側になったから…っていうのもいえますが, その他に80年代はバブルだった,80年代以降日本の洋楽指向は 急速に衰えたっていうのもあるでしょう。80年代以降洋楽が 日本で流行らなくなったのは,91年に貸しレコード屋で 洋楽の新譜が扱えなくなったことが大きなきっかけと言われてます。
でも今回改めて聴いて思ったのは,80年代の洋楽とそれ以降は 音楽の質も大きく変わっており,90年代の洋楽は日本に馴染みにくかった のではないか?という気がしました。つまり90年代の洋楽は ラップが台頭したため,歌詞をしゃべるという音楽が,外国圏では 馴染みにくかったんじゃないか?という気がしました。
それにしても,昨今の著作権がらみを見てると,当時音楽の 入門として手軽に聞く手段であった貸しレコードから洋楽がなくなったことが, 日本における洋楽の衰退だったことをから何も学んでないのだなぁと 思う。まぁ他にも音楽の流通が変化するきっかけっていろいろ あったのだけど,つまり変化に逆らってあまりいい結果には なってないような気がする。
ちなみに80年代の洋楽,当時はちゃらちゃらした音楽と思っていたものまで, 今となっては芸術性が高いように感じるのは,なんか人の思い出って 面白いな…と思った(笑)。まぁその後の音楽の流れから,過去の音楽の 位置づけが変わったりするっていうのもあるんですけど。


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