2019年11月の日記&雑感


だらだら書いた日記です。
日記中のURLはメンテしないので,切れてる場合もあります。 あしからず。


11/30(土曜日)
土曜日。アナ雪2を見たいと子供が言っていたので,行って きた。ネットでチケットを買ったことなかったが,今回は事 前にネットで購入。カード決済済み。普段映画館にいくとガ ラガラなことが多いので,事前予約とかの必然性を感じたこ となかったが,今回は売れてるようなので,混んでるかなと。
で,当日。いい席は取れていたが,入って上映時間近くになっ ても結構空いていたので,取る必要なかったか?と思ったが, 直前になってたくさんの人が入ってきて,結果的には結構埋 まったので,予約しておいたことは良かった。
ところで,会員になってるし決済もしてるけど,予約の変更 とかできないのね。うーん,あまり頻繁にされても困るって いうのもあるんだろうけど,できるようにならないだろうか。 あとクレジット決済しかできないのも気になった。これだっ たら混んでる映画以外は事前予約しないだろうなぁ。
映画はよくできていて,楽しんだ。子供たちも楽しんだと思 う。前作よりおそらくリソースを大幅に増強したんだろう。 クオリティがむちゃくちゃ上がっているし,ストーリもよく 練れていた。お金をかければ良い作品ができるとは限らない が,お金かけてよくできてる作品を見ると,正しいなぁと感 心する。まぁでもまだまだブームになってるという感じでは ないか?。
映画を見た後は買い物とか食事をしたりとか。結構モールに 長く滞在した。駐車場を清算するときに,モールで使ったお 金の合計額が出るのは良い仕掛けだけど,あぁ,こんなに使っ たんだとガックリする(w。その割にはタダにならなかったの はちょっと納得いかないのだけど。
その後年賀状を買ったり。ハガキも100枚単位で買うと結構 高いね。最近週末の出費がすごい。うーん。

11/29(高校)
昨日のNHKニュースだったか,定員割れをしている公立高校 が増えているという話をしていた。
少子化だからだろうか,と思ったのだけど,私立に生徒を奪 われているというような話だった。ということは私立は増え てるのだろうか?とも思ったが,そうかもしれないし,そう でもないのかもしれない。まぁ学校によるというか,私立も 学生が減ってるところも多いだろう,少子化だし。
原因として高校の無償化をあげていた。無償化になり,公立 から私立に流れたということらしい。ということは,今まで は授業料が安いから公立は人気があったということか,と思 うとちょっと公立高校も努力不足じゃないか?という気がし ないでもない。
ということで,長野あたりで,特色のあるコースを作って県 外からも学生を集めている公立高校を例としてあげていたが, 公立高校で県外からの生徒をあてにするのもちょっとどうな んだろう?という気もする。
公立高校がやっていけなくなり,無くなると,困ると憤慨し てる,親の談話を取り上げていたが,一高校潰れると高校が 無くなる,というような地域なんだろうか?。
んー,そうだろうなぁと思いつつ,なんともスッキリしない 視聴後感だった。
まず少子化だから,公立高校にしても私立高校にしても,定 員割れをするところは増え,減っていくんだろうな,という 気はする。もし公立高校が死亡者が減り,私立高校が増えて るのであれば,私立高校は何か生徒に魅力的に思えるような ことをしてるということなんだろう。無償化で同じ授業料に なったのかもしれないが,私立の方が安いわけではないだろ うから。
もちろん私立の方が中高一貫だったり,さらに大学の付属だっ たりするのだろうけど,全部の高校がそういうわけでもない し,大学の付属といっても魅了ある大学とは限らないし。
ちょっと気になってるのは,私が高校生だった40年くらい前 には,公立高校も私立高校も,男子校だったり女子校だった り,工業高校だったり商業高校だったり,そういう特色の多 い高校が結構あった。それが共学になったり,コースも増え たりして,普通の名前の高校に殆ど変わった。おそらくコー スとしては普通課以外のコースもあるのだろうけど,高校の 名前からはわからない。こうなってくると全部同じ高校に見 えて,あとは,単純に学力とか制服とか,そういう部分で生 徒は選ぶようになるのではないか?という気がした。つまり, そうなると,いろいろとスペックの悪い学校は人気がなくな るよねと。
さっきも書いた通り,学校にも色々あるとは思うが,私立の 場合は生徒が減ると死活問題なので,いろいろ努力や改革を してると思う。それに対して公立の高校ってどうなんだろう?と いう気はした。公立高校の場合,自治体の方に教員の人事権 や予算があるだろうから,学校の方に危機感があっても,動 きにくいだろうし,そういう感じになると,先生自体も他人 事になりかねない。これまでは単純に授業料が安いから,志 願者が多かったというだけであれば,まぁこういうことにな るんだろう,という気はした。もっとも,学校に改革せよと いうと,教員に無駄な稼働が増えるだけというケースもある ので,結局のところ,どうすればいいのかよくわらかない。 そういう意味で,どうもスッキリしないのであった。

11/28(趣味の場所)
夜自宅に帰り夕食を作って食べたあと,ぼーっとテレビをみ て,さて寝るかと思ってふと部屋にあるオーディオが目につ いた。4月に引っ越してきて,箱からは出していたけど,ま だ結線してなくて音は出ない。CDプレーヤがコンセントに入っ ていて赤いLEDがついていたのだけど,電源を入れてみた。 こういうモーターがある機器は長期間電源を入れないと,動 かなくなる可能性がある。一応立ち上がったが,アンプとか が電源に入ってないので,音が出るかは確認できなかった。
オーディオは独身時代組んで音を鳴らしていたが,結婚して 以来箱に入れたままで10年くらいまともに使ってない。普段 iPodで音楽を聴いているからというのもあるし,子供が小さ い頃はいじられて壊れると嫌だと思っていたから。引っ越し てから一人ぐらしをする家の方だったら,スペース的な余裕 もあるので組んでもいいかな,と思っていたのだけど,忙し さにかまけてやってなかった。
寝る時にふと,私はこの住まいにいついるんだろう?と考え たのだけど,夕方帰ってきて夕飯を作り寝て,朝起きて朝ご はんを食べて仕事に行く。まぁだいたい12時間くらいはい るのだけど,そのうち半分は寝てるし,半分の半分くらいは ご飯を作ったり食べたりしてる。まぁ残りの3,4時間はぼーっ とテレビを見てるくらいだから,その時間に好きなことをす ればいいのだけど,ちょっとぐったりもしてる。
半分家で半分は職場にいる。で,週末は家族にいる住まいに 帰ってるから,平日の住まいは一人で色々する時間があると いいながら,なんとなく落ち着いているという感じがない。 週末にいる家は,週末ゴロゴロ過ごしているが,あまり私の ものを置いておらず,なんとなく居間でTV見てるか,持ち帰っ た仕事の内職をしてるか。ここで趣味をしようにも,ものを 持ってきてない。まぁ子供と遊ぶことも多いので,そもそも 一人で何かをするという感じでもないのだけど。
まぁなにか不満があるわけでもないのだけど,余暇をうまく 使ってないなぁという気がした。時間があるようなのに趣味 をしてないというか。仕事をしていて充実してるというのも あるからだろうけど。
オーディオの話から始まったので,ついでに書くが,私が子 供の頃家にはあまり大したものではないがオーディオがあっ て,親がLPを持っていた。で,あまり大したものではないが, 歌謡全集みたいなものとか,クラシックのソノシートがあっ て,多分小学校の半ばあたりから,勝手に聴いていた。親の 本もあったけど,私は親の本は読んでなかった。代わりに姉 が漫画をたくさん買っていたので,こっそりと読んでは怒ら れていた。
とか考えると,子供がいる家の方にも,オーディオとか置い て,私のCDとかを置いておくと,子供が勝手に聴いたりして, それはそれで情操教育としていいんじゃないか?という気も する。いま,小さいCDラジカセしかないからなぁ。
まぁまだまだ音楽を聴くという習慣はなくアニメとかTVの主 題歌を見るくらいだろうけど。今の子供は,Youtubeとかに すぐ行くから,オーディオに興味を示したりもしないかも, とか思いつつ,ちゃんとしたセットがあると少しは興味を持 つだろうか?とか思ったりもする。
ということで,いるところが分散してると,なんとなくどこ に腰を据えてるのかわからないなぁという話。もっとも昨年 までの,家族と住んでいる家から仕事に通ってた時も,家で オーディオとかあまりちゃんと聴いてなかったよなぁとかと も思う。
11/27(やりがい)
経団連の春闘の指針で「やりがいを高め る」というのをあげてるらしい
やりがいのある仕事ができ,会社もそれを後押しするのは良 いとは思うけど,なんとなく私はこの「やりがい」というの に冷ややかな感覚を覚えてしまう。
まぁ会社が「やりがいなんか後回しだ」とか言い出すと困る ので,明に掲げるのは良いんだろう。でもやりがいを高めるっ て具体的に何をするんだ?とも思う。
私はやりがいのある仕事をやってきたと思ってるのだけど, それは自分の努力と気持ちの持ちようの問題が大きいので, 会社が何かをしてくれるものでもないと思う。邪魔はしない というのは重要だけど。でももちろんめげそうになる瞬間も たくさんあった。
好きなことを仕事にするのは誰にでもできることではないし, 与えられた仕事を面白く思うようにすることはある程度はで きるだろうけど,できない人もいるだろう。本人に裁量を持 たせると楽しくなったり気持ちの負担が減るけど,みんなを 自由にすれば仕事が回るわけでもない。
実は自分が以前部下とかにやる気を出させるのに一番いいだ ろうなぁ,と思っていたのは給料をあげることだ。でも実際 は会社の経営上の問題もあり,全ての社員の給料をあげるわ けにもいかない。全員をちょっとだけあげるか?,より成果 を上げた人に昇給を集中させるか,難しいのだけど,まぁ今 は成果主義が主流で集中させることが多い。そうなると,給 料が上がらない人も出てくるわけで,でも多分本人は本人な りに頑張ってるという感覚はあったりする。で,給料が上が らないのが続くと,逆にやる気が減ったりする。そういうと ころが難しい。もっと原資があって,そういう人にもそれな りにちょっとは手当を増やすとかできればいいのに,とかい つも思っていた。
会社に限らず,学術界とか色々,何か賞をあげるというのは ある。これは本人にやる気を出させる効果はあるが,一方で 給料を上げずに安上がりにやる気を出させる施策じゃないか と思うようなこともあった。まぁその賞が対外的に誇れるも のならいいんだけど。
ということで,経営側から,やりがいを高める施策とかいうと, そういう風に,金をかけずに済むようなことを考えるんじゃ ないかな?とか思ってしまう。いや,実際は給料をあげる方 がやりがいも高まると思うんですよねぇ。
さて,昨日,バスの運転手が足りないという話を書いたけど, 夕方バス停に行ったら,バスの運転手募集と書かれたポスター が貼ってあった。あぁ,やっぱり足りないんだと思ったけど, なんで運転手足りないんだろう?とも思った。大型の免許を 持っている人自体が減ってるっていうのもあるんだろうけど, 単純に給料が高くないのではないか?という気もする。以前 大阪のバスの運転手が高給取りだと問題になっていたが,今 は公営のバス会社も減り,賃金も減ってるんではないだろう か?。私が住んでいるところは地方ということで,最低賃金 も都心に比べると安いのだけど,そういうこともありバスの 運転手の賃金も安いのではないか?という気がした。運転手 が足りないなら高い給料を払えばいいんですよね。でも,そ れはしない。
やりがいの話も,以前と違って,安い賃金で成果を上げさせ ることよりは離職者対策のような面もあるのだと思うけど, それだったら,やっぱり給料を上げろよ,と思ってしまう。

11/26(バス)
熊本市には中心にバスセンターがあり,それが交通の中心になって いる。以前は「交通センター」と呼ばれ地元の人にも愛され ていたのだけど,立て直しを行い,9月に「桜町ターミナル」 という名前で新装開店した。なぜ名前を変える?とかいう思 いはあるのだけど,新しく綺麗なショッピングモールもでき, 熊本の中心地に人が戻ってくるとしたら良いことだと思う。
ところで,バスセンターが新装開店ということで,そのこけ ら落としの14日は1日バスが無料ということをやっていた。 その日は私は熊本にいなかったので様子はわからなかったの だけど,ネットに記事が載っていた
読んでみると,バスの搭乗者はすごく増え,代わりに渋滞が 減っていたそうだ。また街中の商業施設も通常より賑わって いたそうである。それは良いことでは?と思うのだけど,そ の日だけだったから,バスを利用して街中に行ったのか,バ スがただならもっと街中に行くのかはよくわからない。まぁ でも,バスが毎日無料なら,もっと街中に行く人もバスを利 用する人も増えるような気はする。
私もいくつかは地方都市を見てきて,どこの都市もいわゆる 中心街が人が減り,郊外のショッピングモールに人が流れて いるという状況は共通している。ただ私の印象だと熊本はそ こまでひどくないかな?という気がする。確かに青年層や子 育て世代は,あまり中心街におらず,おそらく郊外のショッ ピングモールに流れているように思うが,車を運転しないよ うな高校生などは街中に行くし,あと年配の人も多い。中心 街はオフィース街と近いこともあって,仕事帰りの人や飲み に行く人などもそれなりに多い。
熊本の場合,中心街の近くに高校が密集してあるため,高校 生が学校の帰りなどに寄り易いのだと思う。あと,観光地が 熊本城で,これが中心街にくっついているため観光客が中心 街に集まりやすいというのはある。
郊外のショッピングモールは行けば家族づれで賑わっている ようだが,バスや電車で行くのに不便で,自家用車で行かざ るを得ない。休日に家族で行くか,近所の人が車で買い物に 行くということになるのではないか?という気がする。
そういう意味で今回のバスターミナルは映画館やコンサート ホール,ショッピングモールも入ってるので,若者なども遊 びやすくなってるのではないだろか?。
ちょっと話が逸れたが,バスをただにする効果でどれくらい 街中に人が戻ってくるのか,バスの利用者が増えるのかは大 変興味がある。熊本は私の過去の記憶からすると,やはり人 口に対して車が多いように思う。バスの本数も私が幼少の頃 に住んでいた頃より,減っており路線も減っている。明らか にバスを利用せず,自家用車で動いている人が多いというこ とだ。利用する人が減って,本数が減り,不便になり,さら に利用者が減るという悪循環が続いているように思う。
熊本の場合,ほとんどのバスがバスセンター発着で,放射状 に路線ができているため,街の中心にバスで行くのには便利 だが,郊外同士を移動するのはいちいち中心に行く必要があ り不便である。ショッピングモールは郊外にあるため,郊外 の住人が行くには,バスだと一度街中に出てまた郊外に行く という大変不便なことになるので,自家用車で移動すると いうのもわからないでもない。特にモール内に大きなスーパー ができ,分散してあった小さなスーパーは潰れて,日常の買 い物ですらモールに行く必要が出てる人も多い。
というわけで,個人的にはもっとバスの利用者が増え,バス の本数が増え便利になり,さらに自家用車が減り道が空くと 良いことづくめだ,と思うのだけど,どうなんだろう。まぁ 通常の週末に街中の駐車場が混んでるわけでもないので,多 分街中に行く人自体が少ないようにも思うのだけど。
あと,一つ問題なのはバスの本数が減ったのは,どうやら利 用者が減ったからではなく運転者が確保できないからという こともあるらしい。なので,無料になって利用者が増えても 本数を増やせない可能性もある。
記事にもあるが,バスに対しなんらかの補助を出し,無料, そうじゃなくても安く定額にできないだろうか?とは思う。 路面電車も定額になり乗る人は増えた。
武蔵野市のムーバスのようにコミュニティバスであれば,市 が補助を出してるようなケースはある。福岡の中心街の百円 区間は補助とかもらってるんだろうか?。
いずれにせよ,税金を公共交通機関にもっと出してもいいよ うに思った。

11/25(二酸化炭素とロック)
イギリスのバンド,コールドプレイが二酸化 炭素排出量を気にしてツアーを中止したというニュース。
なんともイギリスのバンドらしいなと思ったが,なんか不思 議な考えだなとも思った。
よく記事を読むとライブを今後やめるという話ではなく,カー ボンニュートラルなやり方を模索する,とのことで,形態を 変えてライブ活動を再開することはあり得るんだろう。
昨今,個人が音楽を楽しむ場合ネットの配信になりCDなどは 売れなくなっている。そうすると録音された音楽の販売で ミュージシャンが収入を得ることは難しいから,ライブで収 入を得る傾向があるのかと思っていた。そうなるとライブ活 動をしなくなるというのはミュージシャンが収入を得る手段 を奪われるということで死活問題だろう。そんな中ライブを 中止するとか,ミュージシャンの存在に関わる話だろう。
もっともライブで稼ぐという話になりライブ自体が大規模に なったり,ステージの照明やセットが大規模になり,演奏以 外のフタッフも増え,まぁその辺で二酸化炭素排出量が増え てるというのあるかもしれない。音楽を演奏するだけだった ら,アンプラグドで少人数の観客であれば,電気をほとんど 使わないことも可能なんだろうけど,コールドプレイという バンドを考えると,まぁエレクトリニクスを駆使するという イメージがあるから,アンプラグドで自分たちのスタイルを どれくらい出せる?っていう気がする。そしてこういうバン ドはステージの装飾も派手だろうなという気がする。
その辺を考え直すということだろうか。
ジャズやクラシックなら電気を使わずにライブ演奏をするこ とは可能だと思う。ギターはちょっと難しいのだけど。でも ロックやエレクトロニカはそれは難しいなぁと思う。音楽ス タイルの根元にも関わる話だろうから,アンプラグドで演奏 をすればいいというものでもないだろう。
音楽に限らずメディアアートでは電気を使った作品が多い。 二酸化炭素排出量といいだすと作品の存在自体が危ぶまれる 気がする。
でも表現は制約の中から生まれるところもあるので,アーティ スト自身が二酸化炭素排出量という制約を考えた時に,何が 生まれるのか?というのは興味を持って注目したいと思う。

11/24(コンピュータを教える)
昨日の続きみたいな話。
たまたまネットで見たのだけど, 小学校で英語やプログラムを教えるよう になったけど,先生に余裕がないというのを読みま した。
あぁ来年からなのか,と思ったのだけど,そうか小学校だと 各担任が授業をするんだよね,と思い,それはちょっと無理 がないか,とか思ってます。英語やプログラムの授業を何年 生から始めるのか?よく知らないし,もしかしたら来年度は 来年度入学の子供からなのかもしれないけど,仮に全部の学 年で授業を始めるのであれば,全部の先生がこの新しいカリ キュラムを教える必要があります。こういうのなにか研修と かやるのかわかりませんが,少なくともこれまで教えてなかっ たし,今の先生が教職課程をやってる時にもなかった話でしょ う。確かに改めて教えるのは難しいように思います。
小学校の先生の中には,普段からパソコンとか使い慣れてる 人も多いでしょうし,英語なども小学校のレベルだったらわ かるという人も多いでしょう。でも,そうじゃない人も一定 数いると思います。申し訳ないけどパソコンとかはセンスが ない大人っていうのはいるのです。そういう人が,大人になっ てから,小学生向けであったとしても,教えるのは大丈夫か? という気がします。
そういう意味では,プログラムも英語も担任が教えるのでは なく専門の教員が教えた方がいいと思います。ということは, 学校で新たな人員を増やす必要があるということになります が,現状学校教員の稼働は多いわけですから人員を増やすべ きでしょう。ちょっと気になるのは,もし1学年くらいしか 教えないのであれば,小さい学校とかで専門の教員を雇うと 余ってしまうってことですが,その辺はどうなんでしょう。 最近都市部でも,1学年1クラスとか2クラスの学校も多い し。まぁでも副担任とかを置く学校もあるんだけど。
あまり少ないと先生も複数の学校を受け持つ非常勤みたいに なって,ちょっと待遇面で問題はあるかなとも思います。
でも,英語はやっぱりネィティブに教えて欲しいと思います。 日本人の英語は,特に大人の場合,日本語訛りの人が多いの で,耳が出来上がる前の子供になるべく本当の発音を聞いて 欲しい。
で,ここまで書いて昨日の続きとして書きたかった話なんで すが,プログラムって何を教えるんだろう?って話。以前TV でコンピュータを使うって教えるとは限らない,という話も 聞いたのだけど,コンピュータプログラムをするのではなく, アルゴリズムの話を紙とかでやるんでしょうか?,だったら, 設備も少なくて済むし,先生も算数の延長として教えられる かもしれないけど。それってプログラムの授業なのかな?と も思います。普通に算数のカリキュラム変更でよくないです か?。
プログラムといってもいきなりコードを書くのではなく, グラフィックのプログラミングもあるからそういうのかもし れないけど,何れにせよ,自分が書いたものが動いているこ とを経験するのがいいんじゃないか?と思うので,コンピュー タ使って何かを書く(描く)っていうのはやった方がいいんじゃ ないかなぁと思うわけです。もう今時の子供はゲームでもプ ログラムぽいものもやってるだろうし。
あと,もう一つ,プログラムはいいとしてパソコンの授業は やらないのだろうか?,それもやった方がいいんじゃない か?と。昨日書いた通り,自分は自然に身についたので,パ ソコンの使い方って何が正解かよくわからないのだけど,そ ういえば,20年以上前はMS-DOSの使い方みたいな本もあった なぁと思います。
特定のOSとかの使い方を授業で教えるのってどうよ,という 気もするのだけど,ファイルやフォルダ(ディレクトリ)の概 念をちゃんと理解して使わないと,プログラムやアプリを使っ ていても,いろいろ問題があるように思います。
情報リテラシーとかいろいろいうけど,それも含めて,ちゃ んとパソコン自体を正しく使えるようにして欲しい。これに 関しては大人でもちゃんと使えてない人いるし,いろんな自 己流があるので,何が正解かを決めるのが難しいとは思うの だけど。

11/23(コンピュータを教える)
小学校でもプログラムを教えるとかそういう話になってきて るけど,中学にしても高校にしても大学にしてもコンピュー タを授業で教えている様子。どこからが義務でどこからが選 択でやってるのかは今ひとつ分からないが,現在でも大学に 入るまでコンピュータを触ったことがないという学生がいる ことから,まだ必須科目としては教えてないのだろう。
そういう学生にプログラムとかを教えていると,プログラム 以前にパソコンの使い方をわかってない学生がいる。ファイ ルの扱いとかフォルダの扱いとか,そういう基本的なところ を理解してない。
さて,自分はどうだったんだろう?と思い返すと,よく考え たらわたしも大学に入るまでコンピュータなど触ったことな かった。というかわたしの高校の頃にPC8801とか出たので, パソコンを見ることは稀だった。MZ80を電気屋で見たことは あったけど。
パソコンに触りだしたのは大学4年になり卒研を始めてから だったかもしれない。3年くらいの時にプログラムの授業が あったが,当時はメインフレームで,FORTRANの授業だった。 でも,あの後に思ったのだけど,プログラムの文法より,エ ディタの使い方とか,実行のさせ方とかの方で苦労をして, 全体としてはちんぷんかんぷんだった。今でもプログラムの 授業をやる時は,環境をどうするかが結構重要だと思ってい る。
DOSやUNIXはファイル名を打つと実行するが,BASICなどは RUNコマンドを使ったりする。結構実行のさせ方はOS依存だっ たりする。
で,肝心のファイル操作とかの話,つまりOSに関する話は, 授業では習わず,自分で勉強したり,先輩から聞いたりして いた。「OSってなんですか?」と当時聞いたりした記憶があ るが,MS-DOSとUNIXの時代だった。
あとはずっと自己流。卒研はヒューレットパッカードの BASICを使ったが,コンピュータについているテキストを見 ながらやった。大学院の時マイクロソフトのCのコンパイラ を買って,それに関する本を買って自分でやったりしていた。 よくよく考えたら,人から授業のような形態でコンピュータ について習ったことなどほとんどないのだ。社会人になって からも,一度だけNeXTのプログラムセミナに2日間くらい通っ て,あれはずいぶんためになったが,それ以外はCにしても MATLABにしても,UNIXとかその他のことも,全部自分で勉強 した。昔はネットに情報とかまとまってなかったので,結構 本を買ったりもした。
というわけで,どうも我々の世代はコンピュータの扱いなど, 触っていたら自然に身につくのだろうという感覚が強い。で もよく考えたらそういうセンスを持ってる人が,コンピュー タ技術者になったりしてるわけで,世の中にはセンスがない 人もたくさんいるってことなんだろうなぁと思う。
大学の情報学部に入学してくる学生はプログラムを書けるよ うになることを目指すのだろうけど,その時点でそういうセ ンスがあるかは分からないってことなんだろう。だから,情 報学部の大学で3年以上パソコンに触っているのに,ファイ ル操作のこととか,プログラムとかわかってない学生がいた りする。
これ,小学校や中学校でパソコンを必須化したら,もう少し 小さい時に才能の有無がわかるようになるんだろうか?。
中学や高校でパソコンを教えてる先生の中には,教える必要 が出てからパソコンを勉強した人もいるかと思うけど,わた しの世代だと大学や企業でパソコン駆使して仕事をしてる人 は,おそらく自分で勉強をしたり好きで触っていたらいつの まにかできるようになった世代ではないだろうか?。だから, 学校で教える時に,どう教えるか,ちょっとピンとこないの ではないかな?という気がした。
まぁ以前から教えてる人には今更の話だろうけど。

11/22(がん)
またクローズアップ現代の話だけど,昨夜 はがんの話をやっていた。
ガン告知を受けた人が精神的なショックを受けて落ち込む, その後の過ごし方次第で,通常状態に戻る場合と,そのまま うつ病や適応障害になるみたいな話だった。
自分はガン告知を受けたことがあるので,この辺の話は経験 済みで,はいはいそうですよ,という感じなのだけど,まぁ 体験がない人にはなかなかわからない話でもあろうという気 がする。なんとなくTVでは新しい話の様に言っていたが,こ の手の話だと,E.キューブラー.ロスという人が病気で死の 宣告を受けた人の心の動きを調査して発表してるので,そこ まで新しい話でもない。まぁでもキューブラーの話はガンと いうよりは「死」だよな,とも思う。まぁ実際は末期ガンの 人の話だろうし。
今回の話は,末期ガンではなく,助かる人のケースだった気 がする。わたしも治療を受けて通常にもどっている。ただ, ガンの場合,末期だろうが初期だろうが,宣告を受けた人は, 死亡宣告を受けた様に感じる,ということが本質の様な気が する。TVではガンの治療法は日々変化してると言っていたが, 要は,ガンは一人一人ケースが異なっていて,ステージや状 態だけで,明確に助かるか助からないかがわかりにくい。まぁ 全くの初期の場合は大丈夫なんだけど,ある程度進んだ場合 でも,手術で完治するケース,抗がん剤で安定状態を保てる 人,放射線治療などで改善の見込みがある人などいろいろあ るのだけど,いずれもやってみないとわからない。そもそも 抗がん剤など,どの薬が効くかは個人差がとても大きいし, 副作用も人によって違う。
そういうこともあるので,医者はガン患者に助かると断言し ない。なので見込みある場合でも患者は強く不安に思う。
TVでも,どういう状態だと助かりますみたいな話は一切なし。 でもガン患者はそれを一番知りたくて不安に思っていたりす る。この辺がガンという病気の難しいところだと思う。まぁ 大抵の死に至る病気も,余命って当たらなかったりするんだ けど。
ということで,わたし自身にはそんなに新しい話でもなかっ たのだけど,知らない人も多いだろうから,こういう番組を 時々やるのはいいんだろう。
まぁわたしは先日の不安の話でも書いたけど,不安が強い時 は,自分はそういう性格だからしょうがない,と逆に割り切 るところもあるんですよね。このWebにも当時の心境を時々 書いていたけど,不安なのはしょうがないし,時間をかけて 落ち着くしかないとか思うことで,なんとか落ち着くところ に持っていく様にしている。こういうのはこういうので難し いのかもしれないけど。

11/21(電話)
昨日の クローズアップ現代で電話の話をやっ ていた。
一つは「電話応対コンテスト」の話。AIで簡単な電話応対は 機械ができる様になったので,人間の電話応対はより高度な ものが求められるという話だった。
もう一つは,逆で電話ができない人が増えてるとか,また職 場から電話を排除してるところがあるとかそんな話だった。
どちらもちょっと首をかしげる様な内容に感じた。前者は, おそらくコールセンターみたいな一般の人が企業にかける様 なケースだろうけど,そんなに過度に高度である必要がある んだろうか?というもの。AIに取って代わられるというが, まだまだAIで対応できない様なことは多い。というか,定型 の受付ならAIで可能だが,問い合わせなどや相談などはAIに 変わる様なことはないのでは?という気がする。もっともこ れについては,今後はSNSになるというのもあるのだろうけ ど。
応対コンテストをやるというのは,逆に普通の人の電話会話 能力が落ちているからでは?という気もする。それは後半の 電話が苦手という人の話にもつながる。
後半の人は通常の仕事はできるのだけど電話応対ができずに 仕事が回らず転職した人の話だった。夫婦でも電話をする際 は事前にSNSで確認を取るという話だった。予約もせずにい きなり電話をするのは暴力的だみたいな論調だった。
この論調は最近ネットでもよく見る。特に若い人に多い。昔 は電話をする前にメイルやメッセージをするとか不可能だっ たから,電話をするというのは,相手の時間に割り込むこと というのは当然だった。だから,居留守を使うケースもあっ たし,受付が一旦受けてあとでかけ直すというのも普通だっ た。まぁ要は電話に出れない場合があってもしょうがないと いう暗黙の了解もあった。
電話が暴力的というのは否定しない。でも暴力的だから仕事 として必要なのかもしれないと思っている。メイルだったら 送っても相手がいつ読むかわからない。読んでも無視して, あとで「読んでませんでした」と言われる可能性も多い。メッ セージだったら既読はわかるのかもしれないが,いつ返事が もらえるかわからない。電話だと少なくとその場で,相手が メッセージを受け取ったかを確認できるし,なんならいつま でに回答をもらえるか?まで約束してもらうこともできる。 暴力的だといえば暴力的だけど,仕事とは,相手に割り込ん で,自分の仕事を優先してもらう,というところも交渉力な のではないだろうか?。全ての人に必要とは言わないが,給 料をもらうからには必要な能力の一つの様にも思う。
番組で,電話よりメイル等の文章の方が履歴が残るからいい という話もある。これもそうなんだけど,でもキチンと誰が 読んでも誤解されない様なメイルをかけるならいいのだけど, 全ての人がそうでもない。何度読んでも意味が取れないメイ ルを書く人もいて,なんども確認をしていると,一つの情報 伝達ですら1日がかかりになることもある。なので私などは 電話で約束をしたあと,メイルで合意事項を送ったりする。
面倒だとか,嫌なことだから,とかいうが,お金をもらって 働いている以上,そういう部分はあるのではないかと思う。
最後に,職場である時間帯を社内電話禁止にした会社があり 効率があってるらしい。ちょっと面白かった。外部からの電 話は管理職が対応するらしい。
確かに無駄な電話も多い。私は電話は必要だし,電話のする 能力は強みになると思っているが,電話をしてるだけで仕事 をしている気になってる人もいる。まぁそういう意味で,無 駄な電話をなくすと効率が上がるというのは,面白いと思っ た。でもSNSとかで仕事のやり取りをするとかなると,SNSと かでも無駄話が増えるんじゃないかな。履歴が残るからそう でもない,という話もあるかもしれないが。

11/20(不安)
私は神経症というか不安障害みたいなところがある。何かが 気になりだすと不安でしょうがないという感じ。一番良くあ り具体的なのは外出時に家を戸締りしたか,火の元を閉じた かなどが気になりなんども確認する。この辺は家族もわかっ てるのだろうけど,特に何も言わず暖かく見守ってくれてい る。
他にも仕事とかやるべきこととか気になり出したら止まらな い。夜中に起きて急に仕事をすることがたまにあるが,だい たい何かに追われる様にやっている。
体調が悪くなり,不安に苛まれることもある。なので私は医 者に行ったり,健康診断を受けると結構安心する。
こういう性質はひどくなるとパニックとかノイローゼになる んじゃないか?という気がしないでもないが,今の所,そう いう風にならずには済んでいる。外出ができないということ はなく,家を出るときは気になってたまらないが,一旦家か ら離れると忘れる。また家に近くなると気になりだす。世の 中考えだすと不安なことはたくさんあるが,確認のしようが ないことはしようがないと割り切ることはできてる様子。
こういうのどこからが病気か?というと線引きが難しく,お そらく社会で生きていくのが困難になったら病気で,うまく やっていけてるのであれば性質で片付くのだろう。
厄介な性質と思う反面,こういう追い込まれる性質が,仕事 を人より早く片付けさせてきたということもあるんじゃない か?と思うと,このおかげでまぁそれなりに成功してるんじゃ ないかとも思う。実際人の仕事ぶりを見ていて,「そんな中 途半端な状態でほったらかしておいて不安じゃないのか?」と かよく思うし。
私が仕事でうまくやってこれたのは,あまり仕事をためない, というところも一因だと思っていて,それは上記の様な性質 だからだろう。あまりにも仕事を早く返すので,もっと周り と調整しろと言われたこともあり,それ以来は,状況によっ ては,進めないで留めておくこともできる様になったが,基 本的には,外に出さなくても早めに終わらせておくことはよ くある。
不安でうまく生きていけないかというと,やりようがないこ とは忘れることができたりもしていて,まぁ結局のところ神 経症的な性質はあるのだけど,理性でうまくコントロールで きてる,という気もする。
この話,以前も日記に書いてるとはおもうのだけど,またな んで改めて書いてるかというと,まぁ最近一人で戸締りとか をすることが多くなったので,朝とか結構時間がかかって, あぁ,とか思っているからだ。以前より強くなったのか,単 に自分で戸締りをするからか,その辺はよくわからない。
うまくコントロールできてるので問題ないといえば問題ない。 ちょっと不安なのは歳をとると,理性でコントロールできて る部分がだんだんできなくなってきて,本来の性質が面に出 てくるんじゃないか?ということ。だとすると,この性質が 強くなって,不安を抑えれれない様な老後になると,ちょっ と辛いなぁとか思っていたりする。どうなんだろう。

11/19(安部政権)
安部政権が明治以来の歴代の総理で最長になったらしい。1 次も合わせてですが。
うひゃーという感じである。いや,安部政権悪くはないと思 うんだけど,それほどか?,とは思ってしまう。歴代最長っ てことは,いずれ教科書に載るんじゃない?。日本の近代史 は歴史でページが数が少ないけど,その中で習う数名の総理 大臣の一人になるかもしれない。そういう意味でうひゃーで ある。
TVのニュースで安部政権がうまく行った理由見たいのを考察 していたけど,まぁ確かに安部首相はうまくやってるとは思 うけど,やっぱり「他にいい人がいない」が一番だよなぁと 思う。他の政権が,というのならわかるんだけど,自民党に もあまりいそうもないというのは,ちょっと大丈夫か?とい う気がする。
民主党政権の失敗を受けて2次安部内閣が立ち上がって以来 だから,まぁいいタイミングだったといえばそうなんだけど, まぁそれだけでもないでしょう。むしろ,あの時の時流とい うか,空気を読み違えず,支持されやすい政策を前面に出し たという意味では大したもので,他の人が旧来の自民党政治 みたいをやったら長くは続かなかったかもしれません。
振り返ってみると,第二次安部政権になり,株価は回復し, 求人状況もよくなったと思うので,それなりに成果はあると 思いますが,なにか大きなことをやったかというとよくわか りません。改憲をやりたい様ですが,やっぱりそこまでには なかなかたどり着いてません。でも景気は大事だと思うので, そういう意味では良いのでしょう。
「他にいい人がいない」というのは結局のところ政権が変わ ると景気が悪くなることを恐れいてるのかもしれません。政 権交代を望む人は,そこをよくおさえておいた方がいいと思 います。
まぁでもこれだけ長く続くと,後継者がいなくなるのではな いか?というのが心配です。野党にはあまり期待できません が,現状自民党の中にもあまりこれという人がいません。お かげで自民の中にも安部おろしみたいなのが出てこなかった のでしょうが,ポスト安部がいないのも問題です。
最近の自民党の中の派閥とか力関係とかよくわからないので すが,どうするんでしょうね。そういう意味でも,そろそろ 次の人が台頭してこないと困るわけで,長期政権も喜んでい られないなぁと思うわけです。

11/18(続報)
先日話題にした児童手当の使い道の話 の続き。あのページを書いた方が,根拠となる資料を見つけ, それに間違いを発見したた め厚労省に電話したら修正されたっ て話。もう少し詳しく書くと,児童手当が大人の小遣いに使 われていると日経が報道した記事の根拠となった調査結果を 調べていたら,結果が入れ替わっていたとのこと。実際は児 童手当を大人の小遣いに使ってると答えた年収1000万以上の 人は0.9%,子供のために貯蓄してると答えた人は32%で, この二つが入れ替わっていたとのこと。
で,厚生省に直接電話したら,割とすぐに修正されたとのこ とだった。
人的ミスは誰にでもあり得るので,こういう風に問い合わせ があった時に迅速に修正されるのであれば,良いと思います。 これはこれで市民の監視が行き届いている政府という感じで 良いことだなぁと思った。
今回はこの間違った資料が国会とかに上がって行く前に修正 されて良かったと思うけど,よく考えたらこれを取り上げた 日経は修正してないというか,資料が修正されたという記事 も挙がってない。資料を間違えたのは厚労省かもしれないが, 一般人が裏を取ったら間違いに気づいたわけで,まぁ新聞社 の方もずさんだよなぁとは思った。実際のところ新聞社もそ こまで一つ一つの記事に時間をかけていられないのだろうけ ど。

11/17(日曜日)
日曜日。最近週末の朝は子供と公園で遊ぶ様にしてるのだけ ど,以前アスレチックとかをやろうというのを思い出して, 油山に行ってみた。
油山は福岡の市内にある小高い山で,近いのだけど,昔福岡 に住んでいた時も行ったことがなかった。今回は子供二人を 連れて車で出かけた。
ちょうど紅葉の時期で,普段がどうなのかは知らないのだけ ど,結構人が多かった。登山道の一部がアスレチックを併設 していて,子供たちはそちらから登り私は登山道を登ったの だけど登山道も結構急で運動になった。しばらくあちこち回っ てまた下山した。頂上まで行こうと思ったら結構時間がかか りそうだったし,今回は装備も何もしていなかったので,散 策という程度。
お昼くらいには車に戻り帰ったが,駐車場は待ちが出ていて, 早くきたのは正解だてたなと思った。そのあとは自宅でゆっ たりした。
下の子供は普段運動不足で,今回も辛そうだったけど,兄の ペースについて行こうとしてるので,案外体力はあるのだろ うか?とかどうなんだろう?と思った。

11/16(土曜日)
土曜日なんだけど仕事があって職場へ。
用事が済んだ後,電車で移動し,別の飲み会に参加。
飲み会は母校の近くで,知り合いも参加していて,加えて新 しい知り合いも増えて有意義でした。
ところで,今日は山手線が工事で,運休だったらしいが,よ くやるなぁと思ったとともに,あっよく考えたら今日土曜日 か,と仕事に行きながら思った。なんか他のイベントのどん なものより,珍しいイベントだったんじゃないか?とかも思っ たけど,関東に行ってもわざわざ見にはいかないかとも思っ た。

11/15(児童手当)
児童手当を大人のお小遣いに充てている 人はそんなに多いのか?」という文。とても良い考察だ と思うので,私の感覚と照らし合わせてみる。
この記事は「児童手当を「大人の小遣いに充てる」「使わず に残っている」人は年収600万~1000万円未満で39%、1000万 円以上では49%。」という記事を日経が書いていたことに違 和感を感じて調べたものの様だ。書かれてることに単純に同 意することになるが,私もそれは違和感があり,もしこの順 で書かれると,39%の半分以上が大人の小遣いに使ってるこ とになるが,書いている人の調査だと,2%以下ではないか? とのことで,これを上記の様に書くのはおかしいと思う。
ところで,児童手当を使わずに残っているというのはいけな いことだろうか?。収入が多い人は,児童手当がない状態で も子育てのお金が間に合ってるので,手当はそのままのこっ ているというのは確かにあると思う。しかしそれを子供のた めの貯蓄に回してるのであれば,子供のために使っていると 言えるないだろうか。だいたい子育てにかかる費用は年齢で 異なる。小中学校は公立だと授業料はかからないが,高校大 学と進むとかかる様になる。いや,実際は公立といえど,教 材費とかかかるのだけど。受験のための塾とかに通う年齢に なるとまたかかったりする。ある時期には足りていても,別 の年には足りなくなる可能性があり,そのためにためている 親もいるだろう。というか,大学に通えば,年間100万以上 の費用がかかる場合も多い。また年齢が高い親は,収入はそ の時期は多いが,子供が大学に行く頃には,退職をして収入 が激変してる可能性もある。そのために子供が小さい時にも らった児童手当を貯金してる親もいると思う。
児童手当は子供の養育のためであり,教育費ではないという 話なのかもしれないが,子供の教育は子供の将来を大きく作 用するのであり,食べる次に大事なことである。児童手当を 教育に使うべきではないというのであれば,教育機関の無償 化の範囲をもっと広げるべきであろう。
もっとも,世の中には子供のために貯蓄をすることもできな い親もいて,そちらの保護を厚くすべきだという意見もわか らないでもない。でも上に書いた通り,収入はあくまでも年 単位で,10数年かかる子育ての間ずっと安定して高収入と は限らない。また私は昔は子供がいなかったので把握してな かったが,児童手当が扶養控除廃止の代替えであるのであれ ば,やはり安易に縮小するのは実質の増税だろう。
それにしても,収入に余裕がある人が,児童手当を大人の小 遣いに使う必要があるだろうか?,お金に色は付いてないの だから,そもそもそういう親は別のお金を子供に使っていて, たまたま児童手当を養育費で足りなくなった部分にあてただ けとかの様な気がする。
いずれにせよ,この記事が言っている様に,こういう恣意的 な記事で,児童手当をなくす様に世論誘導するのは許せない。
そもそも消費税増税にはあれだけ大騒ぎするのに,こういう 諸手当の変額や,年金や介護保険などの変額には,あまりマ スコミは反応しない。社会保険費負担を考えると,消費税な んかよりよっぽど負担が増えてる気がするのだけど。

11/14(徒然)
安部首相の桜を見る会の件 は,あぁこれはNGぽいなぁ,とい う気がした。ただ首相として当然の部分と,選挙の票取りに 利用してしまった部分と,ごっちゃになって批判されてる気 がする。そこ線引きした方がいい様に思うのだけど。野党の 皆さんも政権を取ったらこういうことしたいでしょ?,あん まりガチガチにしたり,なんでもやめろみたいにしない方が いいと思うのだけど。
まぁ議員としては支援者の思いを汲み取るというのは当然の ことだろうけど,行政の長となった時に,それをどこまでや るかは難しいよなぁとは思う。
いずれにせよ,単なる安部首相へのあら探ししか,野党は盛 り上がらないのは,もう野党は政権のチェックしかやらないっ てことなんだろうか?という気はしてる。
別の話。
軽減税率「中小企業の7割が見直し求め る」経営者調査」とのこと。店側の税率計算で死ぬ からってことらしい。
まぁこれは実際の作業を想像するに当然だろうなとは思う。 ある意味最初からわかっていたこと。
会計計算のコストが相当上がるわけで,その負担は誰が負う んだろう?という気はする。もっとも,今の所増税以来,スー パーで食料品の買い物くらいしか,普段はしないので,あま り増税した感じがしなくて,助かってるのだけど,あれが 10%になるのもなぁ,と思う。いっそのことまた8%に戻し てくれませんかね;-p。

11/13(水曜日)
水曜日は毎週朝から3時くらいまで,定例の用事があって結 構バタバタとしている。今日もそんな感じだった。
で,夜はお誘いを受けており飲みにいった。ついでに夕方の 移動時雨が降って,バスもだいぶ遅れた。
そんな感じで1日拘束されたなぁという感じ。ちょっと小一 時間だけ,やりたい作業をやったというか。

11/12(徒然)
どうでもいい様なネタをいくつか。
円谷が1993年に作った特撮 で電光超人グリッドマンというの があって,今BS11で再放送やってます。ちょっと前にアニメ でのリメイクあり,それでこの作品自体を知ったのですが, せっかくなので特撮の方も見てるわけ。
で,先日見たのが第 32回の「人間掃除機の襲撃!」という話。自動掃除機が襲っ てくるというネタで,その怪獣の名前が「吸引怪獣ギュルンバ」。 えっ?って耳を疑いましたよ。最初「ルンバ」と聞こえたし。 ちなみに掃除機のルンバの発売は2002年。どう考えても グリッドマンが古い。ルンバという言葉に,掃除機に関連す る意味があるのかと思ったら,どうもルンバの命名も音楽の ルンバからきてるみたい。ギュルンバは掃除機の音からきて るんだろうという考察がネットにはあった。
でも,なんかルンバを作った人はグリッドマン知っていたん じゃない?とか思ってしまった。いや,どうなんだろう?。
他のネタ。
スマートスピーカーが日本で普及しない理由 とはという記事。読んでもよくわからない。というか 私自身欲しいと思わないので,なぜ海外でそこまで普及して るかがわからない。日本は書く文化,海外は話す文化とか言 われても,本当か?としか思わない。
これそもそもアメリカとかはアマゾンのユーザがもともと多 くて,そしてアマゾンがばらまいたんじゃない?とかいう気 すらしてくる。まぁアマゾンが多いのは店舗事情みたいのも あるだろう。まだまだ日本は通販より店舗でものを買う人が 多いというのがあるのかもしれない。もしくは通販をする人 も画面で確認しないと,不安ということで音声だけで注文は 嫌なのかも。
音楽を聴くためにスマートスピーカ買おうとは思わないなぁ。 まぁ音楽に関しては,私は特殊なユーザなので,なんとも。 天気予報もTVのデータ放送見れば自宅ではいつでも確認でき るしなぁと思ってしまった。なんで海外じゃ売れてるの?。
さらに別の話。
地方都市の商店街がシャッター街だった から、その都市が衰退している、とは言い切れない」っ て話。地元の店はショッピングモールに出店とかしてるよ,っ てことらしい。
まぁそうかなぁ。ショッピングモールといっても地方によっ て様々でしょうけど,熊本とかは街中にも店はあるし,モー ルは郊外の交通的に不便なところにあるので,私はあまり使 わない。電車にしてもバスにしても,そこを中心に交通網が 整理されているわけでないので,バスで行くにしてもちょっ と不便。大阪の大日くらい駅に近いとまぁいいんでしょうけ ど。
本当はモールに人が集まるのであれば,モールの周囲が再開 発されて街になればいいと思うんですが,多分モールの戦略 としてはそれも望んでないんでしょうね。あくまでも郊外で 車で行くという様な戦略というか。
余談ですが,熊本は私が住んでいた30年前と今を比べると, 中心地の人口は減ってる気がするんだけど,車は増えてる様 に思います。そしてその代わり,バスの本数がとことん減っ てる。車運転する人はいいけど,しない人は不便だなぁ。学 生は自転車で動くんだろうけど。で,モールは自転車で動く には遠いので,案外街中は学生はうろうろしてる様だけど, 若い家族連れとかは街中にいない。
昔シムシティをやった時に,道路は減らして鉄道網を張った 方が正解,というのがあったのだけど,今の地方都市は逆だ よなぁ…。
そんなこと感じました。

11/11(芸術と知識)
ツィッターでみたツィートで,「絵は知識と教養がないと楽 しではいけないのか?」ということに対して,ある美術研究 家が「当たり前だ」と書いていた。その人が言うには,「す べての表象には記号体系や様式があって読解力を持つには学 習が必要」と言うことらしい。
パッと読んで,あとで書いてる理由は,まぁそうだとは思う が,それで楽しんではいけないと言う話にはならないだろう, と思った。
私は美術家でもないし,音楽家とかでもない。プロの芸術家 ではない,でも,音楽も美術もそれなりに長年鑑賞してるの でそれなりの知識はある。なので,表層に読解する何かがあ るのはわかる。でも以前も書いたけど,説明を読まないとわ からない様な作品や,過度に政治性や社会性を持った作品も あまり好きではない。もう少し,人の情動に直接訴える様な, 無意識的に入り込んでくる様な作品が好きだ。
私は下手に知識があるゆえに,作品に触れる時に,そのコン テクストに意識行ってしまい,言葉にならない感動を味わう ことを邪魔されている様な感覚があり,むしろ,そういう知 識が楽しむことを邪魔してないか?と思うことがよくある。 こう言うことを考えずに素直に受け取ったらどう思うんだろ う。知識がない人はどう言う風に感じるんだろうとかよく思 う。
美術館に行くと,絵を見ずに絵の横に貼ってある説明を読ん で,わかってる気になってる人はいないだろうか。音楽をか けてもライナーやパンルフレットを読んで良いて,音楽を聴 いてないことはないだろうか?。そういうことを懸念してし まう。
だから,むしり知識がないのに作品を楽しんでいる人を羨ま しく思うこともある。小さい子供が音楽を聴いて楽しんだり, 絵を見てすごいと言ったりするのはすごく尊いことだと思う。
ということで,私は楽しんで良いと思うし,知識がない人に も訴えくる作品を良い作品だと思う。
まぁもっとも美術研究家とかは,作品に含まれている体系や 様式を読み解いて書くのが仕事なので,そう言うのを知らな いと商売にならない。人に何かを伝える時には,そう言うも のを知っていた方が,意見をすり合わせられるし,作品を評 価する為にもあった方が良い。だから,必要というのはわか らないでもないけど,楽しむのは自由だと思う。そしてじゃぁ そういう知識がない人が作品を見て作品について語るのは, まぁいいんじゃないか。専門家が見たら浅い見解になるのは 仕方ないと思う。
ということで,基本的には,意見が合わないなと思った。自 分は優れた芸術作品は,知識がない人にも訴えてくるけど, ある人にも深い洞察を与えるという両面を持ったもの,であっ た方がいいと思ってる。
もう一つ,学習というが,芸術に含まれる記号体系や様式は 芸術自体を学ばなくても,普通に生活をしていくと身につい ていくものもある。だから日本人に訴える作品とか,文化の コンテクストに縛られたものもある。そういう意味では普通 に生きてれば,理解できるものというのもあるのではないだ ろうか。

11/10(学祭)
日曜日。おやすみなのだけど,大学で学園祭をやっている様 なので,行ってみた。初めてだし。
ということで,朝ごはんを食べたら電車で移動し,昼過ぎに ついた。
とりあえず,感想は無し(笑)。
最近の学祭ってこんな感じなのかな?とは思ったけど,よく 考えたら母校の学祭とかも行ってないので,大学の違いなの か時代の違いなのかよくわからない。ここで意見をいっても 建設的ではないので,やめておく。いうなら学生に言わない とね。
まぁやってる人たちは一生懸命に楽しんでいる様で,良いの ではないでしょうか。
暗くなって片付けをやり始めた頃に帰って,スーパーなどで 買い物をした。自宅で夕食を食べていたら,外で破裂音がし ていた。そういえば花火をあげると書いてあったけど,これ か,と思ったが,もうご飯中だったので,みにいくのも無理っ てことで。結構長い時間やっていた様に思うので,それはす ごいなぁと感心した。近所の人とか見に来ていたんだろうか?

11/9(土曜日)
土曜だけど,子供の授業参観があり朝から小学校に行った。 そのあとちょっと買い物。いろいろとで3回くらい買い物に 出かけた。
夜TVをつけたらNHKで天皇陛下のお祝いのコンサートみたい のをやっていた。皇居の前でやってる様だった。あまりみな かったが最後に「天皇陛下万歳」という掛け声で終わった。
私自身は天皇には敬意を感じているが,多くの人が声を合わ せて,天皇陛下万歳と合唱するのは,ちょっと「うわぁ」っ て感じてしまう。昭和の記憶があると,そういう感覚がある とは思うのだけど…。でも平成だけの記憶だとそういうのな いのかなぁ…。
いいことなのか悪いことか,よくわからないが,まぁそうい うことを感じた。

11/8(アニメと虐待)
私はアニメを観る趣味があるのだけど,主に観るのは深夜に 放送をしてるアニメ。これらは小・中学生向けではなく大人 向けの作品になる。とはいっても,夜の実写ドラマの様なも のではなく,SFやロボットものやファンタジーとかもあり, まぁ高校生くらいから若者が楽しむことが主だとは思う。と はいえ,やっぱり大人向けなのでストーリはしっかり作って るものが多い。
だいたい1クール,つまり3ヶ月13話程度を括りとして番組 は作られているので,どんどんと新しい作品が作られている のだけど,ちょっと最近の作品を見ていて気づいたこと,と いうか気になること。
ひどい親が出てくる作品が多いのである。ぐうたらとか頼り にならない親というのならまだいいのである。でも最近は親 が子供を殺すというのがいくつかある。あと虐待をする親と いうのも見かける。複数の親が共謀して自分たちの子供を秘 密裏に殺そうとするSFもあった。
リアリティがないわけではない。昨今TVのニュースを見ると 頻繁に親による子供虐待,挙げ句の果ての虐待死の話を聞く。 そういう社会情勢を見て,そういう話をアニメに入れ込んで いる様にも思う。それはあたかも,世の中にはそういう親が いるんだということを描いてるのかもしれない。
それはそれでリアリティがあるのかもしれないが,一方で, そういうのが当たり前だ,という様なメッセージになってな いか気になる。親が子供を虐待したり殺したりすることは当 たり前ではない。当たり前ではないからニュースになってい る。アニメのストーリもどこにでもある話だと話にならない から,当たり前じゃないことを話にしてるのだろう。でも, 少しこういうストーリが増えてくると,なんか「よくあるこ と」の様な錯覚を受ける。
昔のTVアニメは子供向けであったこともあるだろうが,理想 の親を描くことが多かった。親は子供にだいたい愛情を注ぐ。 中には頼りにならない親がいたり,仕事にばかり熱中し家庭 を顧みない親,また子供を特訓する様な親もいた。ただ親が 子供を殺す様な作品はあまり見なかった気がする。逆に捨て 子みたいのは多かったのだけど。
TVが理想の親を描くことで,息苦しく感じていた大人もいた かもしれない。でも一方で,それが正しい親の形だというメッ セージを示すという役割もあったかもしれないと思う。
もちろん,理想通りに生きられない大人に,そういう人たち もいるんだと示すことも必要かもしれない。でもそれは,他 の人がサポートできる体制があってのことの様にも思う。
TVアニメの場合,大抵親が子供を虐待し続けると,その親は ひどい目にあう様に思う。そういう意味では正しいメッセー ジではあるとは思う。ただ,あまりにも頻繁にそういうこと ばかりが起きてるという感覚が,アニメに限らず現実のニュー スからも聞こえてきて,かなりしんどい。壊れた家庭ばかり を描くのではなく,理想の親子像もいろいろあるのだかあら, そういうのをもっと描いてくれてもいいのにとも思う。

11/7(ファシア)
いつもの水曜日にガッテンを見ようとしたら,なんか別 の番組をやっていて,「 ファシアで解決!美スタイルへの特急 券」というとかいう話だった。特別番組ぽくなかった が,どうやらBSでやっている番組の様子だった。
それはいいとして,ファシアというあまり聞きなれない物の 話だった。何かと言うと身体中にある筋肉とかを包んでいる 膜のことらしい。それをほぐすと猫背とか下っ腹が出るのが 治るという話をやっていた。番組中に5分ほどマッサージす るだけで,出演者の姿勢が大きく変わり,結果的にスタイル がよく見えるというものだった。
なかなか劇的にやっていたが,よく考えると心当たりがある。 番組でやっていたのは,首から胸,背中の上半分あたりをほ ぐしていたが,この辺は私も普段から意識してほぐしている ところである。毎日腕を回したり首を動かしたりするが,そ れをしないと調子が悪い。また胸を意識的に前に張り出し, 首がまっすぐになる様にするとかいうのもやっているのだけ ど,今回のTVでのマッサージも,上半身をほぐすと背中が伸 び首が上に立つので,結果的に下っ腹もへっこむというもの だった。
私の意識的にはこの辺がこるというのは,どうも何か癒着し てるという様な感覚で,ほぐすと肩が軽くなるというものあ るが,耳とかに血がいくという感じもある。耳鳴りがすると きに首をほぐすと治ったりするのだけど,難聴になりたくな いので,なったらすぐにする様にしている。自分は30代位の 時に四十肩みたいになったので,一度直した時以来,意識的 に肩の周りをほぐす様にしてるのだけど,これって新しいこ となのだろうか?と思った。
どうやら,この辺の話を筋肉とか保険とかじゃなくて「膜」 ということで考えているのが新しいらしい。まぁ膜だろうが 何だろうが一種の癒着みたいのだろう。癒着というと私はお 腹を切ったので癒着があるが,これも全身のバランスに影響 してる様な気がする。そういえば,昔マラソン選手が,足と かにテープを貼っていたが,体の一部が引っ張られると,ど うも調子が変わるのは経験的にある。そういう意味では体の 中の膜が引っ張っていると何か調子が悪いというのはよくわ かる。
というわけで面白く見たのだけど,やっていたのは肩の周り だけ。これは私もすでにやっている。多分身体中に膜はある はずだから他のところもほぐした方がいいんじゃないかとい う気がするが,それのやり方は話がなかった。自分の場合両 足のももとかスネとかも手術以来,どうも引っ張った感じが する。この辺とかどうなんだろう?とか思っている。

11/6(失言はナイスプレー?)
来年度から実施しようとしていた大学入試の英語の試験を民 間で行うという話,延期になったらしい。
以下,一素人としての意見を書く。
大学入試に民間の試験を活用するということ自体については 私は是非の意見を持たない。寡聞にもことの経緯を知らない ので,迂闊なことを言うつもりもない。
とはいえ,数ヶ月前にいまだに方針が固まってないという話 を聞いた時に,もう来年度は無理なんじゃないか,とは思っ ていた。少なくとも受験生自体は入試の一年近く前に,どう いう風に試験が行われるかよくわからないというのは困惑だ ろう。高校に入った時点から入試対策をしている人も多いだ ろうし,想定問題や試験のスタイルがはっきりしないのは困 ると思う。
私は民間の英語の試験をあまり受けたことがない。会社で TOEIC(今回の対象ではなかった様に思うけど)を受けたくら いで,あれも何の準備もせずに受けていたが,対策をすれば 点数は伸びるという話も聞いていた。入試となると,対策を するのは当然だろう。
ということで,このまま強引に進めるのはまずいのではない か?という気がしていたところで大臣の失言である。
正直,失言自体はどうでもいいと私は思っていたのだけど, これをきっかけに制度が固まってないとか,問題点を多く含 んでいるということが明らかになってきた。ということで延 期である。
なんか,制度を延期するために失言したのではないか?と思 うと,なんかむしろ失言はナイスプレーだったのでは?とい う気がしてきた。ああいう失言をして世間の関心を集めない と,むしろ官僚を止めることができない,ということでわざ とやったんでは?とかすら思ったりもする。
いずれにせよ,方針を固めないまま,やることだけを決めて, このまま来年度に入ってしまったら,受験生には地獄である。 延期なので止めるわけではないと思うが,いろいろと問題点 を解決し,受験生がじっくりと勉強できる様にしてほしいと 思う。

11/5(CO2)
アメリカがパリ協定から脱退すると正式に通知したことが ニュースになっていた。
そのニュースを見て,あぁやっぱり環境問題は難しいなぁと 思った。言い方を変えると,環境問題でみんながいい方向に 行くのは無理なんだろうなぁ,という絶望感みたいのを感じ た。
環境問題は原因と影響の因果関係が明確でなく,例えば, CO2が増えるとどういう風になるか?というのも,あくまでも 予想であって,不確かな部分もある。でもそれ以前に仮に明 確であっても,原因を作る地域と,影響を受ける地域が一致 してないということ,また多くの場合,それは区域や国境を 超えているというところが難しいのだと思う。
例えば今CO2の排出量が多いと言われているアメリカや中国 がCO2を排出したとして影響を受けるのが,以前だと太平洋 とかの海洋国家とかになっていた。まぁ今はもっと影響が広 がっていて,もしかしたら日本の最近の異常気象とかもそう かもしれないが。アメリカや中国も影響を受けてるのだろう けど,国家が広い分,この中でも影響を感じている地域と, そうでない地域があるだろう。
地球のため人類のためというと綺麗な言い方だが,実際は他 国が困っているのを助けるということになる。結局のところ 人類のために自国の不利益になることをやるのか?というこ となんだろう。人類を救うために,自国の国民で失業や破産 する人が増えるのをどう思うか,ということなんだろう。
この問題は別にCO2だけの問題でもない。日本の中でもゴミ 問題とか,自然破壊につながる開発,はたまた原発の話など, 受益者と影響を受ける人の地域がずれていることはよくあっ て,結局,それが国内でも問題になっている。こういう地域 を超えた受益と被害の利害はどうすればいいのだろうか。
現在世界は西洋が作ったルールで回っている。それが容認さ れているのは,もちろん産業革命以降に西洋が世界中を植民 地支配した名残でもあるのだけど,一方で,西洋は自分たち のルールが「正しい」ということを周りに承認させることに より,その体制を維持してる。だから西洋は何かにつけて自 分たちの価値観を押し付けてくる。話がそれるが,喫煙のルー ルや性的差別の問題も,言ってることは正しいことは正しい のだけど,対処の順番など,別に西洋が一番進んでいるわけ でもないのだけど,自分たちのルールでやるのが正しいかの 様に言ってくる。これは結局彼らは自分たちが「正義」であ ることを担保し続ける必要があり,そうでなく他の文化圏の 価値観も正しいことを容認すると,自分たちの支配の理屈が 立たなくなることを恐れてるのかもしれない。
話を戻すと,CO2問題は西洋のルールでも排出を抑制すべき ということになっている。それが正義なんだろう。でもアメ リカが自国の利益を優先して離脱するという。アメリカはこ れまで「世界の警察」と自称することで,いろんな国に武力 介入をしてきている。これもアメリカは世界のために貢献を してるという彼らの理屈なんだろう。「世界の警察」はそろ そろ止めたそうだが,いずれにせよトランプ大統領になって, 彼は自国優先主義になっている。世界のために骨を折ること はしない,と言いたげである。
結局のところ西洋は自分たちの正義を貫くことが,自分たち の利益になるからやっている様なところがあると思うのだけ ど,環境問題ではそれがうまく回らない。そこがこの問題の 難しいところ何だと思う。
ところでグレタさんが話題になっているのも,実際のところ ヨーロッパとアメリカの利害関係に関する政治的なことなの かもしれない。少しやり方が扇動的な気がするが,CO2の排 出量は減らしたほうがいいという点では同じ認識なので,そ の方向でもう少し各国が動いてくれればいいと思うが,アメ リカが世界の正義よりも自国の利益を優先するということを 表明した様な今回の動きは,結局そういうことなのか,とい う感じがした。

11/4(習い事とかクラブ活動とか)
息子の学校の横を通ると,運動場で野球をやってることども たちをよく見かける。あれはクラブ活動だろうか。授業のク ラブじゃなくて,放課後にやるクラブ。学校でない他のグラ ンドでも少年野球を見かける。
こういうクラブ活動的なものと,いわゆる習い事というのは, 子供から見たら同じ様に見えるのだろうなぁ,とか思った。 ついでに書くと塾も子供から見たら同じ様に感じているかも しれない。多分親の方はそれぞれモチベーションが違うんだ ろうけど。
うちの息子,特に長男は幼稚園の時は運動教室みたいのをやっ ていた。まぁ幼稚園の放課後に行うものなので,幼稚園活動 の延長みたいなものだけど,小学校に上がってもやっていた。 これは,まぁ子供が運動不足になりがちなのと,でんぐり返 りや跳び箱みたいに学校でやる運動が不得意だと,いろいろ 苦手意識をもつだろうから,少し底上げをしておきたいと思っ たもの。ずっとやっていたけど,効果があったのかはよくわ からない。今年転校するタイミングでヤメてしまった。こち らは次男もやっていた。長男はもう一つピアノを習っていた。 これも幼稚園の場所を借りていたのだけど,これも転校を期 にやめて,現在は習ってない。
転校してからは長男は剣道を始めた。次男は何もやってない。
自分の子供時代を思い返すと,小学校の1年生の時は硬筆の 習字を習ったはずだけど,ほとんど覚えてない。1年の2学 期から転校して毛筆の習字を習った。2年に上がる時に転校 したのだけど,転校先でも別のところに習った。いつまでやっ たのか覚えてないが,3年以上はやっていた様に思う。でも あまり字は上手くなってない。何も考えずにやっていて,い ろいろコツみたいのを見出す前にやめたんだと思う。
はっきりと覚えてないが,小学校の3年か4年くらいから軟式 野球を始めた。これは小学校のグランドで放課後にやるとい うものだったのだけど,なぜやり始めたのか覚えがない。親 が勧めたのか,自分でやりたいと言ったのか。そのクラブに 入る前から私は団地の壁にボールを毎日投げに行ったりして いたので,野球が好きだったんだろう。もしくは当時は男の 子は野球をするものだった。ほとんど毎日やっていたのでは ないだろうか?。クラブ以外でも自宅で素振りとかもやって いた。今考えるとずいぶん熱心にやっていた思うが,私自身 は得意意識はなかった。自分より上手い子が何人もいて,妙 な劣等感があったのを覚えている。なぜあんなにやったのに 上手くなってないのか?とも思うが,まぁ他の子もよくやっ ていた。
私は小さい頃から左右の視力に差があり,球技には苦手意識 あった。野球はやっていたので,まぁまぁだったが,サッカー やドッチボールとかも苦手意識があった。結局のところ6年 の時に転校したきっかけで,野球はやめてしまった。小学校 の時にクラブ活動をみっちりやった反動か,中学では部活を やらなかった。いや,正確には転校を二回したりとして,2 年の時にブラバンを立ち上げるとかもやったけどそれも一年 キリだった。
高校に上がると,中学の授業のクラブで油絵をやった経験か ら,美術部に入った。あとで応援団にも入った。まぁ本当の ことをいうと美術部に入るつもりはなかったのだけど私が行っ た高校はなにか部活に入ることを強要される(雰囲気なんだ けど)ので,中学でもやっていた油絵をやるため美術部に入っ た。
高校に入ってからバンドを始めてギターを始めた。そこで, 子供の頃にピアノをやっていた知り合いとかが楽譜に強いの をみて,羨ましく思った。親にピアノを習わせて欲しかった と言ったら,幼稚園の頃の私自身が嫌がったということだっ た。ちなみに姉は,一時期習っていた。
その頃になると,継続の力を実感する様になった。自分はギ ターを中学3年くらいから始めたが,小学校からやってる人 とが上手いと羨ましかった。下手でも続けていれば何かしら になる,と考える様になった。それ以降,ギターはずっと弾 いている。絵は滅多に描かないが,たまに描く。
最近子供と野球とかをやっていると,普通にできる。サッカー とかも昔流行ったことなかったけど,子供とやる分にはでき る。野球が普通にできるのは子供の頃にやったので,ある程 度基本が身についているのだろうと思う。そういう意味では やってよかったと今更ながら思う。
大学時代から一時期オフロードバイクに乗っていた。これも 大学の頃はバイク屋とツーリングに行っていたので,周りは 上手い人ばかりだっただけど,会社に入って,会社の人とツー リングに行くと自分は上手い方になった。意外な感じだった が,バイク屋に本格的に鍛えられていたのだろう。あと,他 の人よりも体力があるのも有利に働いた。体が大きいことも あるけど,野球とかをやっていたので,基礎体力があるのか もしれない。高校の頃は運動部ではなかったが,適当にジョ ギングとかやっていたし,浪人時代はずいぶん水泳をやった。
話を戻して,息子を見てると,ピアノにしても,剣道にして も続けて欲しいなぁと思う。まぁでも子供時代の自分を見て ると,なにかのきっかけでやめちゃうというのもよくわかる。 軽い気持ちでやり始めるけど,子供は関心が移りがちなので, もっと別のことをしたいとか思ったりもするだろう。
まぁでも自分のケースを思い出すと,そういうことでも子供 時代にちょっとでもみっちりやったことは,あとで何かしら 役に立ってる様に思う。やってる時には他の人より上手くな れずに楽しいと思うことが少なくても,実はしっかり身につ いていたりする。歳をとって継続の力を感じる様になって, 大人になって始めたことは続けてはいるのだけど,まぁ小学 生の息子にそういう風に考えさせるのはまだ難しいだろうなぁ とも思う。人よりできて優越感を感じないと,ノリノリでや るという感じにはならないかもしれない。
まぁでも今やってる剣道はある程度は続けて欲しい。ピアノ ももう少し大きくなってバンドでもやろうという頃になった ら,役に立つのではないだろうか。
それよりも何もやってない次男の方がちょっと問題。まぁ彼 は勉強はやってる様だけど。

11/3(休日)
日曜日。お昼ご飯を食べた後,子供二人を連れて福岡市科学 館へ遊びに行く。プラネタリウムを見ようかと思ったら,長 男がいい,というのでヤメて常設展示に入った。よく考えて みたら,以前来た時はプラネタリウムだけでみて,常設展示 を見てなかったので,私は初めて見た。息子は学校の遠足で 来たらしい。
いろんな科学展示が広いホールにおいてあり楽しく遊べた。 展示も割とオシャレにおいてあった。余談だけど,よこはま のはまぎん宇宙科学館は建物が狭く,フロア数が多いせいか, 各展示は細かく分かれて普通においてある。福岡の方が証明 を暗めのしてしゃれた展示ではあるが,科学展示なので,かっ こよさよりもわかりやすさの方が大事なのでは?という気も した。まぁ良いんだけど。
二時間くらい遊んで帰った。夜は子供を早めに寝かせて,久 しぶりに嫁と飲みに出かけた。

11/2(できてる人の自慢話?)
「満員電車は仕方ない」と受け容れる人の 異常さ」 という記事を読んだ。受け入れる人が異常で,なんとかしな ければいけないとか書いてるんだけど,じゃぁどうするか? というと定時勤務をやめるとか,この書いた人はフリーラン スになったとか書いている。
定時勤務をやめるとかフリーランスになるとか誰でもやれば できることなんだろうか?。やろうと思えばできることなら ともかく,できないことをやらないことを「異常」というの はあんまりなんじゃないか?という気がした。
かくいう私は首都圏に25年以上住んで,会社員として働いて いたが,満員電車に揉まれて通勤したことは2、3年くらいし かない。その2,3年の通勤も工程の半分くらいは座れる様な 経路で行っていた。それ以外は,基本的には職場より,都心 側に住んでいて,いわゆるラッシュとは逆方向に通勤してい たので,座れないとしても人に揉まれる様な電車ではなかっ た。いや,自動車通勤や徒歩通勤もあったし,だいたいにお いては通勤時間は一時間以内であった。
そういうことが可能だったのは,ほとんどの職場が都心では なく,都心より若干外れたところにあったこと。また異動が 多かったが,独身で異動の度に引っ越せた事による。
ラッシュが嫌なら職場の近くに住めばいいじゃないか,とか 思ったりもしたことがあるが,実際のところ結婚して子供が できると,異動に合わせて自由に引っ越したりするのが難し とか,ある程度の広さが必要なので,都心に住むのも難しく なるなぁとか思う様になった。私の場合幸運にも子供が大き くなり引っ越せなくなる前に,田舎に転職して,また満員電 車とは無縁な生活を続けられているけど,こういうことを誰 でもできるとは思えない。
実のところ,自分は定型時間の勤務をほとんどしたことがな く,裁量性かフレックスで働いていたが,そんな職場ばかり ではないだろうし,客商売の様なものは,やはり決まった時 間までに職場に集まらないといけないだろう。標準出勤時間 より一時間早く出勤するとかもよくやっていたが,夜遅くま で拘束される職場の人は難しいだろうと思う。
じゃぁどうするかというと,この文を書いた人の様に,そう いう仕事を辞めましょう,となるとどうなんだろう?。都心 に買い物に出て,お店がいつ開いているかわからない様になっ て,不便になったとか思わないのだろうか?。もしラッシュ が緩和されて,電車が空く様になったら本数が減るかもしれ ない。田舎に住んでいると,首都圏の利便性は,あの極度に 高い人口ゆえに実現できている様なところもあり,混雑の緩 和が,色んな業種の収益性を下げ,サービスを低下させる可 能性もある様に思う。まぁ逆もあるだろうけど。
ということで,なんとなくこの筆者が書いてることは,無理 を言ってる様に思った。自分ができたからと言って他の人, というか社会全体がそうできるんだろうか?とかちゃんと考 えたのだろうか?。そしてみんなができなことをさして,そ れに甘んじてる人を「異常」とかいうのは,単に自分ができ たことを自慢してる様にも見える。
実際のところ,私がラッシュ通勤をほとんどしませんでした と言っても「自慢してるんですか」とか言われそうな気がす る。書いたけど。
もっともラッシュをいいとも思ってない。社会に緩和を訴え ると同時に自分で防衛策を寝るべきと思うが,まぁそれは個 人ができる範囲で,ということしかないのではないか?とも 思う。

11/1(SNSとチキンレース)
冬の富士山に登りライブ配信をしていた 人が滑落して死んだらしい。滑落する様子はネット で配信されていたらしい。
なんと言っていいかよくわからない。愚かというべきか,か わいそうというべきか,ただ,あぁ…,と思った。
先日水害で水に浸かっている状況で動画撮影してる人を如何 かと思うと書いたが,まぁその人は生きていた様だし,苦言 を呈するくらいはいいとは思うが死んでしまったらしゃれに ならないし,今更言っても後の祭りである。でも危険な状況 を自ら作り出し,結果,配信中に死んでしまうというのは実 に今風だと思う。
もっとも,若い人が自ら危険な状況に身を置き,それを他の 人に誇示するのはSNSとは関係なく昔からあることだと思う。 かくいう私も若い頃は落ちたら死ぬ様な高いところに登っ たり,まぁ他にもちょっとかけない様なことを色々していた。 今考えると一つ間違えば死んでたよなぁ,ぞっとするが, 当時はあまり深刻に考えてなかった。
ちなみにバイクやアウトドアもやっていたので,雪山に登っ たり川をバイクでとかいうもやっていたし,知り合いの中に は結構厳しい状況でやっていたのも知ってるが,少なくとも 私が知る限り,そういうのは単独ではやってなかったので, そういう意味でも今回の富士山で死んだ人は,ちょっと無茶 すぎるだろうとは思う。
まぁでも危険なことをやって,自己アピールするというのは スポーツにもそういう部分があって,プロスポーツの中には 素人がやったら死ぬかもしれない,というものもある。私は モータースポーツをよくTVで見てるがプロのモータースポー ツは別に死にそうな状況を見世物にしてるわけではないが, 素人がやると多分死ぬ様な状況でやっている。
そういう意味では,人が危険な状況に身を置き,それを周り に誇示するのは本能的なものではないだろうか?という気が する。
しかし,昔は誇示する手段が,あまりなく,大衆の目の前で やると,まぁそれは大衆が身を置ける状況だから,一人人知 れず死んでいく様なことはあまりなかった。単独で登山とか, 極地探検をする様な人もいたけど。でもSNSになると,中継 さえすれば,周りに助ける人がいない様な状況でできてしま う。そういう意味では,安易にそういうことをする人が増え てるな,という気がする。
見る人が見たら,それ死ぬよ,と思う様なことなんだけど, わからないのだろうなぁ。私も若い頃やったことは,今考え ると怖いことだもんなぁ。
ということで,こういうことは今後も多分起きる。あぁぁ, という感じである。


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