2017年6月の日記&雑感


だらだら書いた日記です。
日記中のURLはメンテしないので,切れてる場合もあります。 あしからず。


6/30(議員報酬カットという考え方が政治 の質を低下させる)
都内を歩いていたら,都議会選の真っ只中なのか,政治のポス ターを幾つか見かけた。その中でどこかの政党のポスターなの か,「議員報酬をカットします」みたいなことを大きく書いた ポスターを見かけた。
正直議員報酬を減らすという政策(?)ってだれがおいしいの?, なにかいいことあるの?と思う。あまり同意できないが,もし 議員報酬が予算を圧迫してるというのであれば,議員が減らす ならわかるが,議員報酬を減らすというのはどういうことなん だろう?。 安い報酬で議員を働かせるといいことあるんだろうか?。
先日どこかの小さな自治体で,議員のなり手が無いので,住民 投票で自治体の決め事をするか?…という話題があった。そこ は議員報酬ははっきりとは覚えてないが数万か10数万くらいで, 無収入の人が常勤でやるには難しい(生活できない)くらいの額 だった様に思う。そうなると,議員をやれるのは引退して年金 で暮している人とか,家族でほかの人が収入がある人,もしく は商売人とかのように他の収入がある人になる。誰でも一般の 人が市民の代表として議員をやることが不可能となる。まぁ月 に数日集まって会議をやればいい位の議会ならいいが,もしそ うでないのであれば。
もちろん都議会の議員はもっとたっぷりと報酬をもらってるの だろう。でも報酬が安くなると十分な活動や生活ができなくな る。そうなると議員をやるのは働かなくても生活に不安が無い 人とか,もしくはよっぽど低収入で少しのお金でももらえれば いいという人になる。そういう考えの人が一般的な人なのか? もしくは十分に働けるのか?ということになる。または,議員 をやると美味しいことがある…という人もなりたがるかもしれ ないが,それもいいんだろうか?。
能力が高い人が,そのエネルギーを十分に発揮するには,それ だけ活動や生活が保障されるだけの報酬を与えないといけない と思う。議員報酬を下げることを大きな目標とするような考え は議員に十分な働きを期待してないということであり,だった らむしろ議員を減らすべきだろう。
最近,国会も含めて議員の質が下がってるようなきもする。優 秀な人材を集めるには,それなりの報酬を与えるか,もしくは 世間から尊敬される仕事とするしかない。しかし後者の方も最 近は十分にされてないように思う。議員に限らず,教師とか公 務員のような公益性が高い職業もそうだと思う。これらの職業 についている人の質が下がっているのは,そういう社会のあり ようの問題で,ある意味自業自得の状態なのではないだろうか。
このままでいいんだろうか?

6/29(コンテンツ制作業界)
ビッグサイトに用事で行ったのだけど,コンテンツ関係の展示 をやっていた。私の目的はそこではなかったのだけど,ちょっ と入れたのでのぞいてみると,コンテンツ関係の機材とかもあっ たけど,コンテンツ制作の人たちが多く出ていた。小さい制作 会社が机を一個置いているようなブースが何百もあって,中に は個人で出している人も多くいた(特にイラストレータとか)。
商談をするための展示会ではあったのだけど,ここに机を並べ ていて,新しい客とか来るのかしら?とちょっと思った。でも ここに出せるってことはそれなりにお金があるってことかもし れないと思ったり,うーんどっちなんだろう?と思った。
コンテンツ制作やWebデザインとかに就職する若者も時々聞く けど,これだけ小さい会社がたくさんあると求人もあるだろう けど,何年もやっていける会社なんだろうか?とかも思う。
でもこうやって一同に集まる場があるというの重要で,それで いて,そういうためにもやっぱりこういう会社は首都圏じゃな いとなかなかやっていけないのだろうなぁとちょっと思った。
と考えたが地方にもそれなりにコンテンツ制作の仕事が無いこ とはないのだろうけどなぁ。まぁ小さいだろうけど。

6/28(普通の労働者とはどういうのだろう?)
最近もやもや考えていることを書く。
その前に,幾つかリンクを。
「スマホ販売員が風俗で働かざるをえない事 情」。この方,月21万の手取りで足りなくて風俗をやって るらしい。
西原さんが「今って、頑張ったことに対する対 価があまりにも安いですよね。」て言ってる話
喰いっぱぐれのないし資格について
100年前の産業革命で肉体労働が機械に奪わ れたように、そろそろ頭脳労働が機械に奪われる日が来た。じゃ あ、その先は?」
ネットとかをみてると,今の若い人は,物欲は無い,派手に遊 びたがらないというけど,でも安定して楽してお金を稼ぎたい という欲求は強いようです。効率がよく喰いっぱぐれの無い仕 事をやりたいという意見を良く見かけます。まぁ昔からそうい う人いるんでしょうけど,ネットのせいでそういうのばかりが 見えるのが,ちょっと困りものですね。みんながそう思ってる ならそういうものだろうと同調する人も多いでしょうし。
昔は,効率よく稼ぎたいという人もいれば,明確に「やりたい 仕事」をもってる人もいたように思いますが,一時期の就職氷 河期で,仕事を選んでいられない,という学生の考え方が今で も引きずられているように思います。やりたいことがあっても, かなわないからせめて,効率よく稼げる仕事がいいと。
最近の学生は英語の勉強には熱心で,今の若い人は私とかより よっぽど英語をしゃべれる人も多いのですが,逆に英語をしゃ べれてもたいした稼ぎにならない時代にもうなってきてるよう です。努力に対する対価が安いといえばそうですが,投資対象 が間違ってる(というか時代の変化が早くてついていけない)の かもしれません。
なんとなく,今の若い人は物欲は無いから最低限安心して暮せ るだけのお金があればいいと思ってるのであれば,それはいく らなんだろうか?とか思うわけです。手取り21万あっても足り ないのであれば,いや,20代や30代前半で手取りそれくらいと いうのは,まぁ普通の路線でしょ。じゃぁやっぱり贅沢を望ん でいるの?と。
若い人が,贅沢を望んでないという口調でも実際はその思い描 く普通のレベルというのが,実は結構高いんじゃない?と思っ たりしてます。
一方で,大学出て,英語しゃべれても,就職が出来なくて,サー ビス業とかでバイトとかしてると本当に収入は少なくなります。 でも大学出て英語しゃべれる人…っていうのは,どういう人な んでしょうね…とかも思うわけです。
私が若いころは,一次産業二次産業三次産業ってあって,一次 産業は農家や漁師,工場とかで働いているサラリーマンが二次 産業,サービスや販売をしてるのが三次産業。それで一次産業 や二次産業は,もちろん経営をしてる人もいるけど,中には肉 体労働を提供する人たちもいたわけです。ある意味学力とか無 くても,体が丈夫で真面目に働けば良いという人たち。稼ぎは さまざまだったとは思いますが,まぁでも,特殊技能が不要で, 誰でも出来るような仕事であれば,あまり収入は高くなかった んではないでしょうか?。
最近は若い人のワーキングプアとか言いますが,大体三次産業 のサービス業の人の話をよく聞きます。でも私の若い頃の感覚 だと,労働者で貧困にあえいでいる人って,上に書いたような 肉体労働をやっている人たちってイメージが強かったのです。
でも肉体労働者は日本からはだいぶ見えにくくなりました。まぁ いなくは無いのだろうけど,一次産業や二次産業自体が縮小し ているというのもあるし,そういうところには外国人が入って きているというのもあるでしょう。あと機械化により人手がだ んだん不要になってきてる。
じゃぁそういう肉体労働者の貧困者が減ったら,貧困者じゃな い人たちばかりが残るのか?というと,たぶん違うんですよね。
今の若い人,特に大学を出たような人が,肉体労働者になりた いと思うかというと,あまりそういう人いないんじゃないか? とか思うし,就職口自体も減ってる。でも世の中にはやっぱり ある程度,優秀な人と優秀じゃない人がいて,それは大学に行 く人が増えても,その大学生の中にもいるわけです。で,そう いう人が二次産業じゃなくて,三次産業に行くのであれば,三 次産業にそういう貧困労働者がたくさん出てくるのは当然では ないのか?と思うわけです。
私は若い頃,山谷とか横浜の寿町というドヤ街に興味を持った ことがあるけど,昔だとああいうところにいた人たちが,いま だとサービス業をやる羽目になってないか?と。
最近仕事をやる上でコミュニケーション能力が問題になるけど, コミュニケーション能力が低くても肉体労働であれば問題なく 出来た。融通が利かなくても黙々と体を動かせば成果を出せた わけです。でもサービス業になるとそういうわけには行きませ ん。本来はそういう人たちの受け皿としてあった労働市場が, 失われているのかもしれません。
過激な言い方をすれば,昔だったら,日雇い労働者になってド ヤ街にいるような人が,今はサービス業とか,はたまたSEとか にならないといけないから,結局そういう仕事がブラックになっ ていくと。
上に最後にリンクした頭脳労働の話は面白いですよね。肉体労 働が機械に奪われて,人は三次産業で働かざるを得なくなって きているのであれば,今度はAIで頭脳労働も失われたら,人は どこで働くのでしょう。もちろん,どの産業でも優秀な人は, 経営者になったり,サービス企画をしたり,技術革新をしてそ れなりに裕福になるんでしょうが,人は,みんなそういう人ば かりではありません。
そういう意味では労働市場が多様な労働者を受け入れるだけの, 柔軟性をどんどん喪失している気がします。
私の,子供たちが働く頃はどうなってるんだろう?。柔軟で世 の中に適応してうまく生きていける人になっていればいいんで しょうが,愚直で真面目なだけの人にはどんどん厳しい時代に なってきている気がします。

6/27(ドック)
昨日と今日で人間ドックでした。昨年のドックでは血糖値が高 いとかで,昨年の10月くらいから,体重や腹囲を落とす取り組 みをしていたせいか,体重は4キロ落ち,血糖値も正常に。そ のせいか今回はほとんど悪い点は指摘されませんでした。
でも体力測定はそれなりに落ちており,事前一ヶ月くらい筋力 トレーニングすればよかったとおもいました。

6/26(西原理恵子)
ク ロ現に西原理恵子が出てました。連載している毎日かあさ んが終了,そして卒母宣言の話でした。
連載の方,16年やっていたらしいです。下の子供が16歳になっ たからとのことなので,下のお子さんが生まれた時から連載で すか。実は西原理恵子は20年以上前から連載していたのを読ん でいたので,毎日かあさんが始まった時のことは覚えてるので すが,16年も連載をやっていたとは思ってませんでした。私も 歳をとるはずだ。今でこそ母親に勇気を与えたとか言われてま すが,当時の西原女史は非常にアナーキーな作品を描いていた ので,新聞で定期連載とか可能なのか?と思ったものです。実 際はそういう部分を残しつつ,子育てネタで人々の共感を得た のかもしれません。
それでも途中鴨志田氏のアル中の話とかも聞いていたので,な んとなく鴨志田氏が亡くなった後に連載を始めたのかと記憶が 変わってましたが,実際はそうじゃなかったんだなぁ。
16年の連載,継続は力というか量が質の変化をもたらすという 例だなぁ…とおもいました。この場合はどちらかというと,読 者側の質なのかもしれませんが。
卒母の方の話は,こう書くと新しいけど結局は子離れの話。と はいえ,現在は以前に比べ子供に絡みたがる親が増えてるとい う話。音楽の趣味とか親子で一緒だから喧嘩のネタになりにく いという話が出てましたが,逆かと思ってました。親子の仲が 良くなったので,子供が親の趣味を毛嫌いしなくなったという 風に…。
子離れを強制的に行うような状況が減ってきてる…とのこと。 確かにそうだなぁと。まぁでも,西原女史が子供たちに自立を 促し続けているというのは,見習わなければならないとおもい ました。稼ぎの件は見もふたも無いけど,重要なことでしょう。

6/25(休日)
昨日の天気の予想通り,朝から雨。朝一で,市長選に行き投票。 すぐに戻ってきて朝食。その後子供に勉強をさせたり,TVを一 緒にみたり。昼食後はプールに行った。なんかプールは混んで いたけど,プールのある施設が選挙の開票場だったようで,5 時前に終わってしまった。
来週は都議会の選挙でメディアは盛り上がってるようだけど, この辺の首長選挙だとぜんぜん取り上げないのね…。

6/24(休日)
明日から雨らしいので,午前中に子供と外で遊ぶ。帰ってきて 昼食を食べ,後は自宅でごろごろしていた。最近,休日昼食後 に眠くなることが多い。

6/23(設計と試行錯誤)
町を歩いていたら本田のCB400Fというバイクによくみたものを 見かけた。このバイク40年位前のバイクなので,本物なのかレ プリカなのかはわからない。
それは良いとして,私は若い頃バイクが好きだったので,特に 国産のバイクの変遷はある程度追いかけていた。この頃40年く らい前というのは,今でも名車といわれるCB400FやCB750,カ ワサキのZ2などが出たあたりだ。もちろん私がバイクに実際に 乗り始めたのは高校を出てからだから更に10年くらい後だけど, まぁウォッチングをしていると,とにかく当時は,毎年のよう にニューモデルが出て,そのたびに性能が向上していたように 思う。
今のバイクは,必ずしも速いバイクが売れてるわけではなく, スタイル重視なので,むしろ上記のように当時の有名なバイク の中古がいまだに乗られていたりするのだけど,性能的には後 から出たバイクの方がはるかに高性能で安全に速く走れるし運 転も楽になっている。
これらはバイクのモデルチェンジの度の性能向上があったのだ と思う。バイクの場合,エンジン自体の性能向上,フレーム構 造や形状による向上,サスペンション等のパーツによる向上な どさまざまである。しかし基本的にすべて,ハードウェアの作 り直しということになる。そういえば,昔カワサキのマッハと いう強力なエンジンを積んだバイクがあったのだけど,重心の バランスが悪く,事故が多かったと聞く。その後バイクのフレー ムやエンジンのマウントに仕方などでバイクは全体のバランス を変えて,より理想的なものに近づけていったのだけど,この 辺の設計は,すべて机上で行ったのか?,それとも実際にもの を作って試行錯誤したのか?,はたまたモデルを作ったのか?。
エンジンも各部品のサイズを変えたり,形状や材料変更による 軽量化とか,いろいろあるのだけど,これも机上計算で性能が 予想できるものなんだろうか?。試作品を作ったとしても,金 属を削り多くの部品を作るわけで,想像するに相当なコストが かかる。
研究を長年やっていると思うのは,研究というのは「失敗でき ること」ということ。出来るかどうかわからないことにお金を かけて,失敗し,また繰り返しが出来ることだと思う。だから 経費的には「損益」であり「設備投資」にはならない。研究が 出来る会社というのは,一円も利益を生み出さないことにお金 をかけることができる会社ということになる。
さて,そう考えると昔のバイク会社は,どれだけ失敗作を作っ ていたんだろうか?と思うわけである。今だったらCADとかでシ ミュレーションも出来るようになってるのかもしれない。あと 情報産業にいると思うのは情報産業のよいところは,ためにし やることに人件費以外のコストがあまりかからないってこと。 プログラムを走らせるだけだから。でもバイクとか物を作るん ですよね。コンピュータが普及する前,およそ30年以上前の論 文や開発の資料を見ると,結構数式で,計算をしてるのをみる。 当時は計算機で試しにデータ処理が出来ないから,とにかく数 式で完成品を予想していたということだろう。
最近は3Dプリンタが出来て,リアルに物を作ることのコストと 時間がだいぶ減った気がするが,エンジンを3Dプリンタで作る までにはまだ至っていない。
最近のバイクは実は以前ほど頻繁にも出るチェンジをしていな い。バイク自身の人気が低迷してるのと,ファンが高性能を求 めなくなってることもあり,エンジンは20年位前の設計のもの をいまだに使ってるモデルもある。研究が不要になったともい るけど,研究にコストをかけられなくなってないか?という気 もするし,その技術が失われていないか?という気もする。
情報処理の分野も理論を構築するよりも,とにかくいろいろ試 してみるみたいなことが多く行われているが,当時のバイクも とにかく試しに作っていたのであれば,すごいなぁとか思って しまった。まぁ理論計算も十分やっていたんだろうけど。

6/22(ライブハウス)
ライブハウスでライブを見た。見た音楽の感想は別途書くとし て,ずいぶん久しぶりにライブハウスでライブを見た気がする。 ライブ自体も久しぶりだけど,最近見たのはコンサートホール やイベントだった。調べると三年ぶりくらいになる。イベント のコンサートで考えても二年ぶりだけど。
よくよく考えるとこんなに気軽にプロの演奏を聴けるのは首都 圏の特権なので,やっぱり今のうちに行っておいたほうがいい んじゃないか?と良く思うのだけど,なかなか最近は行けてな かった。
本当は子供にも上質のプロの演奏を間近で見せたいのだけど, まだ無理かなぁ。夜遅いし。

6/21(ランドセル)
「これで通学してるのか!小中学生のカバンが 重すぎる」という文がきっかけになって,ランドセル批判 のツィートを幾つか読んでしまった。この記事自体は,ランド セル自体の重さというより,中身も入った重さであり,ランド セル批判ではなく,もって歩く教材に対する批判のようにも読 める(いまひとつ主旨がわからない)。しかし,ツィートで読ん だ批判はランドセル自体への批判であり,小学生にランドセル を持たせることに対する批判が多かったように思う。
主張点は幾つかあるのだけど,「ランドセルが高価」,「重た い」,「自由でよいのでは」という点が主要点だったと思う。
私はランドセルでいいんじゃないか?と思うので,少し反論を みてみようと思う。
高価という点では,貧富の差をあらわにしているとか,祖父母 が孫に高価なものを買い与える場になっているというものもあっ た。私も息子もブランドのわりと高いランドセルを持っている が,調べてみると,確かに高いが,世の中には安いランドセル もある。まぁリュックサックよりは高いとは思うけど,頑丈さ とか大きさとかを考えると,そんなに高いとは思わない。
高いランドセルと安いランドセルは耐久性とか使いやすさとか いろんな面で違いはあるのかもしれないが,ぱっと見た目はあ まり変わらない。見る人がみたら判るのかもい知れないが,子 供同士で,だれだれは安いランドセルを持っているとすぐにわ かって指摘されるようにはなってない…という意味ではいいの ではないだろうか?。案外普通のリュックの方が,値段の差が デザインの差になってるとも思う。矛盾するようだが,おそら く高いランドセルはそれなりのよさがあるのだと思う。それは 子供に投資をしたい大人の自己満足なのだろうけど,そういう 受け皿があってもいいんではないだろうか。
あと,服装にも共通するのだけど,子供に高くていいものを買っ てあげるべきか,安いもので済ませるかは難しい。高いものは 結局長持ちするので,価格ほどは経済性に差が無かったり,手 間がかからないことも多い。子供にものを見る目をつけさせた いというのもある。一方で高価なものを身につけることで,他 の人から奇異に見られたり,考えすぎだろうが,誘拐のリスク もあがるかもしれない。安いランドセルを買って,数年で壊れ たら早々にリュックに変えるという手もあるけど,まぁどうな んでしょう。
重たいについては,まぁリュックよりは重たいけど,リュック はやわらかいし,子供が投げたりすると,中に入っている筆箱 とか壊れるかもしれないし,ビジネスバックでもクッションが 入っているものはそれなりの重さなので,ランドセルは若干重 たいとは思うけど,ランドセル自体の重さの問題でもないよう な気もする。ちなみに最近のランドセルは昔に比べずいぶん軽 くなったなぁと思っている。
もとの記事にもあったけど,カバンが重たいというのであれば, おそらくランドセルの重さよりも中身の重さの問題だろう。だ とすると教科書はノートや教材を毎日持っていくことの是非に なる。ただ以前も書いたけど,自宅での学習を考えると,学校 に教材を揃えて宿題だけもって帰るよりは,自宅においておい て授業に必要なものを学校にもって行くほうがいいようにも思 う。辞書とか重たいものは学校と自宅の両方にあることが前提。
子供にリュックサックを背負わせることのリス クの記事を読んだけど,そうだとしても片方の肩にかける かばんや手提げかばんで通学するほうが体が曲がると思う。私 はずっと左肩にかばんをかけていたせいか,右肩にかばんをか けられなくなっている。おそらく左右の筋肉とかが非対称だと 思う。ただ記事だと体重の10〜20%くらいが限界,となると小 学校低学年は20キロくらいだから2〜4キロくらいか。ランドセ ルは1キロくらいだから中身は1〜3キロか。たしかに今のかば んはもう少し重たい気がする。
とはいえ,私たちもそういう重たいランドセルで育ったけど, どこか体を壊してるってわけでもない。こういうの警鐘を鳴ら す人いるけど,これまで数十年続いていることだったりするん ですけどね。
最後に強制されるべきではないという意見。これはそうしたい 人にはそうだろうけど,どうでも良いと思っている人に,いち いち自分で考えなさいというのは,結構面倒なので,本当にそ の人の好みの問題だと思う。まぁ小学校にランドセル以外で来 てはいけないという決まりはあまり無いのでは?。私立で制服 があるところは決まってるかもしれないけど。
ちなみに私は小学校の5年くらいでランドセルが壊れて,後は リュックだったと思うが,確かにそれくらいの歳になるとラン ドセルに飽きていて,少しうれしかった気がする。中学のかば んについては,またいろいろ事情があるのだけど,それについ ては機会があったらまた。

6/20(徒然)
 ネットをみて幾つか。
誰かが自分の生きる意味が無いと嘆いている文 章。誰でも考えるようなことだけど,自分は考えたことあっ たっけ?と思うと,最近は無いなぁと思った。思うに,この人 は楽しく生きてないのだなぁと。楽しく生きていれば,意味と か必要とか思わないのではないのではないか?。自分は楽しく とか幸せにいききたいとは思うが,自分の生きる意味はあまり 問わない。今はそう思っている。
次。
妻子ある人がワンルームアパート借りたと かいう話。ふーん,と思ったが自分は研究をやってるので,実 験室に一人でこもったり,席もパーテーションの中にいるので, ある意味,自分ひとりになることは出来る。そういうのがぜん ぜんないと,こう思うのかもしれないなぁ。自宅に個室がある といいんでしょうけどね。
次。
大学での初心者に対するプログラミング講義で はC言語を使うべきでない」という文章。専門家が逆の突っ 込みをしてたけど。うーん,どうなんだろう。実は自分は高級 言語の方が,何やってるかわからずによく混乱する。自分の頭 が低級に出来てるなぁと思う。まぁ低級言語の方が,意味がわ からないお約束が多いのは確かなんだけど。
次。
カードを騙し取る詐欺が出てきてるらしい。 最初クレジットカードかと思ったらキャッシュカードだった。 さすがにキャッシュカードは相手に渡すこと無いなぁ。クレジッ トカードは月の上限があるので,ある意味そこで歯止めはある けど,キャッシュカードは一日の上限はあるけど,スキミング に気づかなかったら翌日も下ろせるので,怖いことは怖い。

6/19(睡眠とガン)
NHKスペシャルで睡眠負債というのをやっていた。日常的に寝 不足の人が多く,その寝不足が貯蓄されていき病気になるとい う話だった。
睡眠負債が貯まるとガンや認知賞のリスクが高まるという話を やっていた。そういうことがわかってきたと言っていたけど, わたしは自分がガンになったときから,睡眠がガンの再発の予 防になると理解していた。はっきりどこかで読んだわけではな く,いろんなことから類推するとそうなったのだけど,別に今 回新たにわかってきた話でもない気がした。
がん細胞は日常的に発生しているが癌にならないのは自己免疫 系が,そのがん細胞を除去してくれているから。免疫系は寝て る時に活発になるし,寝不足やストレスで抑制されるから,寝 ることやストレスを貯めないことががん細胞の増殖を抑えると いうのは普通に類推できる。
むしろ寝不足の人はそういうリスクを考えてないの?と思った。 自分は割りと日常的に,寝不足がたたると,そういう不安がつ のってくる。
実際手術をして一年くらいは一日9時間くらい寝ていたと思う。 ガンのリスク以外にも,体の痛みとかがかなりはっきり変わる。 体の炎症自体もおさえられる気がしている。 今は5時間も寝てない日が多いが,7時間以上寝ると体調がいい という意識もある。
ちなみに,動物はなぜ寝るのか?というのは,いまだに明らか になってないはずだけど,なぜ免疫系は寝ないと活発にならな いのだろう?という気はする。記憶の整理も睡眠が関係するが, 寝ないと出来ないことがたくさんあるのは,寝てる時間があっ たのでそういう風になったのか?それともそもそも寝てないと それらは出来なくて,進化上必要だから寝る動物が進化したの か?

6/18(自己啓発)
休日ですが今日は学会のシンポジウムに行ってきました。といっ ても業務上行ったというよりは,個人的な興味,どのような研 究の流行があるかを知りたかったので行ったのと,あと恩師が 招待講演をやっていたので,会ってきました。恩師の講演は予 想の範囲でしたが,他の講演は勉強にもなってよかったです。
まぁこれも自己啓発だよなぁ,自己啓発って言葉あまり好きじゃ ないのですが…。おかげで,今日は子供とあまり遊べなかった し。

6/17(ズーラシア)
土曜日。動物園に行きたいという話がちょっと前に家庭であり, 遠くのサファリということも考えたのだけど,横浜のズーラシ アに行ったことがなかったので行ってみた。横浜金沢動物園や 野毛山には行ったことがある。ズーラシアは1999年にオープン して,その時私は横浜に住んでいたので,CMとかが流れていた のは覚えている。
お弁当もってお昼くらいにつくように家族で行った。結論から 言うと,思った以上に広大で半分しか見れなかった(^^;)。金 沢動物園と同じくらいかと思っていたら,ぜんぜん広かった。 トラとか象とかライオンとかメジャーどころの動物もみたが, アジアやアマゾンの動物ゾーンをみてアフリカを見てないので, キリンとかカバとかサイとかはみてない。いるんだろうか?。
というわけで,また改めていくかな,とは思う。
敷地も広大だけど,動物がいる環境も広い。檻とかコンクリー トじゃなく土の上で木々にまみれる形で展示されてるのが多い。 これだと動物を虐待してる感じがあまりしない。ただこれに見 慣れると,他の動物園の展示が,ちょっと動物に気の毒という 感じに思えてくるかもしれないなぁ。 新しい動物園だけど,良く横浜という大都会にこれだけの規模 のものを用意したなと感心した。
お客さんは多く,にぎわっている気はしたが,やっぱり子供連 れが多いのと,意外に外国人が多かった。旅行者というよりは, 首都圏に住んでいる人なのかもしれないが。

6/16(これからの音楽)
若い人と話していると音楽との接し方が自分と違うなとい うのは良く思う。自分は若い頃から楽器を弾いたりレコードを 買って聴いたり,ラジオを録音したりとかしてた。若い人はと にかくCDを買う人が少ない。配信で聴いているようだけど,集 めてるのかストリームで聴いているのか。アマゾンやアップル のストリームで聴いている人も多いみたい。まぁこれはラジオ みたいなものだといえばそうなんだけど…。
さて,これからの10代は音楽を聴かない。音楽と遊ぶ のだ。という記事を読んだ。これは既存の音楽と自分の映 像をあわせて作品にしているようなものの様。音楽を聴くので もなければ,演奏するわけでもない。自己表現のツールとして 使ってるけど,特別なスキルが必要でもない簡単なものとして 使っている。
でもこれをみて新しいとは特に思わない。エアギターやジャミ ネータのビデオ版のようなもののようにも思える。
もう一つ別の記事,音楽ストリーミングがもたらした、全米ヒット 曲の「7つの変化」を読んだ。イントロがなくなったとか, 曲名が短くなったとか楽器のソロがなくなったとか書いている が,ネットが普及する前から,そういう風な音楽が流行る傾向 はあったと思う。日本では80年代とかサビから始まる曲が多く なったし,テンポも時代とともに速くなってる。圧縮するから プアな音になってるというのは,ネットの影響かもしれないけ ど。
話を戻すけど音楽は配信で聴くものと思ってしまうと,CDを買 うという発想にならないんだろうなぁ。配信は録音ということ は出来ない。ネットに繋いでいればいつでも聴けるから,自分 で持つという発想にならないのかもしれない。これは音楽に限 らず書籍やビデオもそうなってきてる気はする。でもネットが 切れたり配信業者がいなくなったらとたんに聴けなくなる。私 とかは長年世の中を見てるので,そういうのを恐れるが,音楽 を聴き始めて10年にも満たない若い者は,そういうサービスは 「あるもの」として捕らえているんだろうなぁ。
なんとなく,若い人が「ものをもたない」というのはものがい つでもあると思ってるからだろうな,とか思ってしまった。
CD,本当になくなるのかなぁ…。

6/15(テロ等準備罪)
共謀罪じゃなくてテロ等準備罪だっけ?どっちにしても正式名 称じゃないだろうけど,今朝国会で成立した。昨夜から徹夜で 国会をやっていたようで,久しぶりに大きくもめた国会だった 様子。
大騒ぎをして時間もかけた割には,議論が深まった感じがしな かった。与党は法案を通そうとする,野党は危険だとして廃案 にしようとするが,具体的にどういう記述がまずいとかそうい う話がないので,良くわからなかった。そもそも野党は廃案を 訴えていたが,本当にまずいところがあるなら,修正や付帯事 項をつけるべきではないのか?という気がする。そういう具体 性がないということは,単なるパフォーマンスのようにも思え る。
このページには大昔書いているけど,私は昔法律の成立に二回 ほど反対活動をしたことがある。レコード輸入権の法律とPSE の法律。ページでリンクを貼ったりデモに参加したりした。法 律の主旨に反対というより,やはり条文の解釈によっては,意 図と違った運用をされて,その結果自分たちの生活に影響があ るということだった。
結局法律は成立したが,それから10年たって思ったのは,法律 がおかしな運用をされてることはなかったということ。あと付 帯事項がついたり,それなりに騒がれたから,行政の方からい ろいろコメントが出たりして,おかしな運用がされないための 予防線ははれたということだったと思う。
その時から思うは,結局は法律の成立を阻止するよりも,おか しな運用をされないための予防線を張ることの方が大事じゃな いかということ。今回の法律も社会的な関心は高かったと思う が,結局のところどういう運用をされるかの方が重要だと思う。 メディアや野党は法律が成立すると急激に関心を失うのではな いか?と思うが,むしろ本当に危険な法律だと思うのであれば, これからの方が大事なんではないか?と思う。

6/14(言語と環境)
最近プログラム言語であるPythonを勉強している。いま工学系 の学生などは普通に使っている言語なので,いまさら勉強とか 言うと恥ずかしいところはあるが,勉強しないと身につかない ので仕方ない。
現在私は普段Windowsを入れたノートパソコンをもちあるいて いるので,Windows環境にPythonをインストールするのがいい のかもしれないが,今回はLinux(Ubuntu)に入れた。というか WindowsにVMを入れてその上にUbuntuを入れた。Utuntuには最 初からPythonは入っているが,入ってないモジュールがあるの でそういうのを入れたりした。
とりあえずエディタはemacsを使い,shell上でPythonのスクリ プトを走らせてみた。とspyderという統合環境があることをし り入れてみた。オーディオ入力から音を取り込んだり再生した りするプログラムを書いてみた。デバイスを切り替えるとうま く行ったり行かなかったりでちょっと苦労している。
等とやっていて,これは言語を勉強してるんだろうか?それと も開発環境の勉強をしてるんだろうか,それともOSの勉強をし てるんだろうか?,それともライブラリの勉強をしてるんだろ うか?,などと思った。この手の疑問は幾つかの言語を勉強し ていていつも思う。私は昔Cの勉強を始めたときはUNIXでemacs を使ってCCやGCCでコンパイルしたりしていたが,その後に VisualCを勉強して使うようになった。あっその前にNeXTSTEP もやった。統合環境になって便利になったことは感じたけど, そこで習得してるのはCという言語ではなく,開発環境の使い 方のように思う。
ちなみにこの数年良く使っている言語はMATLAB,スクリプト言 語で機能がそろっているし,配列をそのまま式にかけるので, トリッキーな記述はせずに素直に書けばわりと目的は達する。 pythonもそういう感じで,結局プログラム的なテクニックは特 に覚えるほどでもなく,むしろデバッグはどうやるの?ヘルプ はどうやったら見れるの?,ライブラリ(モジュール)はどうい う機能を持ってるの?とかそういう開発環境や周辺の方を知ら ないと使いにくいということになる。
これってプログラムの勉強なんだろうか?といつも思う。実際 開発環境は数種類あり,どれを使うかは人それぞれだろうし。

6/13(徒然)
ネットで読んだことから幾つか。
「算数嫌いの子」は親が原因だった よかれと 思ってやっていた「間違った教え方」」。小さい頃はテクニ カルなことより計算力をつけさせろとか,筆算より暗算,丁寧 さは求めないとか,そんな感じ。ちょうど今計算力をつけさせ ないと,と思っていたところ。なるほどと思った。
次。
「娘がアメリカの幼稚園と日本語 学校とで描いてくる似顔絵の画風が変わる」という話。幼 稚園でも,周りに合わせるというか受ける画風を掻き分けるの か,面白いなぁと思った。
次。
茂木健一郎氏の新卒一括採用批判に対する反論 。そういえば,私が就職したころもまだ景気がよくて,大 量に採用された時代だけど,その後の絞った頃に比べて,社員 の多様性は広かった気がする。学校もいろんなところの人が入っ ていたし。絞り込んで個々に採用すると,人事採用担当があま り冒険をしなくなるのかしれない。
次。
築50年の家(約10坪)をフルリフォームしたら 幾らかかるか」。1000万くらいかけてるけど,10坪でこれ だと,もっと広い家だと結構な額になるなぁ。1000万かけたら, 家賃10万で貸しても,10年くらい元取るのにかかるのか。うー む。
統合失調症の人の話。わかりやすくて参考になった。大変 だと思うが,こういう漫画をかけるくらいではあるのだなとは 思った。

6/12(トップの意思)
もともとくだらない話だと思っていて,早く沈静化すれば良い と思っていたのだけど,いつまでも終わらないばかりか話が大 きくなってるようなので,一言。
加計学園の獣医学部(?)の件。文科省に官邸の意向と書かれた 文書があるかどうかがいつまでも問題とされてます。で,思う のが,官邸っていうのが仮に首相の意向だとして,意向に従う のが何が問題なのか?,良くわかりませんってことです。
総理大臣は行政のトップなので,行政の判断で首相の意向が最 終判断になるのは当然のことのように思うのだけど,なにが問 題なんだろう?。
もちろん,首相の判断に合理性が求められるというのがあるし, 首相が私服を肥やしたり収賄をしていたら問題なのだけど,そ ういう話は今のところは聞かない。
むしろ各省庁が首相や大臣の意向を気にせず勝手に判断してい たら,そちらの方が官僚の暴走ということにならないだろうか?。
以下私の想像で確証はないのですが…。今回騒動は,私には官 邸と文科省の勢力争いのように見えます。これまで文科省がやっ ていたことに官邸が口を出していて確執が起きてると。ここで いう官邸は首相ではなく,下にいる官僚のこと。つまり官僚同 士の争い。それで官邸側が首相とかの意向だと圧力をかけたこ とに文科省が反抗をしてるってことかな?と想像しました。ご たごたの責任を行政のトップである首相にあるというのならわ からないでもないですが,そういう話は出てないし,そこまで の話でもないように思います。
日本の行政は官僚が動かしていると良く言われていて,トップ にいる大臣や政務官は政治家(議員)である場合が多いのですが, 行政に関しては素人なので,官僚がうまくまわしていると。あ る意味好き勝手やってるところもあるかと思うのですが,それ では政治の意向が反映しないので,大臣や首相が方向性を示す というのは正常なことでしょう。それで安倍首相になって各省 庁に対する官邸の締め付けが強くなったので,官僚同士ででご たごたが起きて,今回の騒ぎになったのを,なんか野党が乗せ られてるだけか?と。
ということで,官僚の方がはいろいろ大変かと思うのですが, トップが替われば,やり方が変わるのは組織としては正しいと 思うので,何が問題なのか,まるでわからないのでした。

6/11(乗り物フェスタ,書店)
日曜日。昨日行き損ねた乗り物フェスタに行った。といっても, 乗り物に乗るよりスタンプラリーをして終わった。乗り物に乗 るのは並んでいたので,ドクターイエローの小型列車に乗った くらい。
長男が小さい頃は結構いろんな乗り物の運転席に乗せるために 並んだものだけど,なんどかやったせいか少し飽きてるのだろ う。最も下の子は上の子ほどやってないので,ちょっと可哀想 な気もする。
ところで,話が変わるけど,横須賀には平坂書房というローカ ルな書店があって,それが市内で一番いい場所に広い店舗を展 開していたのだけど,軒並みその店が閉店,もしくは他の店に なっていた。まだ完全になくなったわけではないが,もしかし て廃業するのだろうか?とちょっと心配である。
最近書店の経営が厳しいという話は良く聞くので,そういうこ とだろうか?とは思う。それでも横須賀で一番良い場所を確保 している平坂書房がその店舗を手放すのは,負債でもあったん だろうか?。今のところその店舗は他の書店になっていて,そ のまま店舗を引き継いでいるので,困らないのだけど,そのう ち品揃えとか変わるとしたら,少し残念。今の店舗は,なぜか 音響の専門書が結構あって気に入っているから。
書店の経営が厳しい理由は,通販に市場を取られているからだ けど,その前から週刊誌とかをコンビニに取られていて,ここ 10年くらいリアル店舗は苦戦を強いられていると思う。もっと もその前は町の書店が大型書店に苦境を強いられていたりして, 何かと変化の激しい業界だなとは思う。
で,今後どうなるのか良くわからないのだけど,やはりリアル 店舗がなくなるのは,困るところはある。雑誌が電子版に変わ り,通常の書籍が電子版か通販になるとしても,どうしても手 にとって中身を見てから書いたいのは,教材の類。参考書とか 技術書。技術書は人の勧めで買うこともあるのだけど,やはり 高いものなので,中身を確認したいというのはある。それより 子供が買うドリルや問題集や参考書の類は,大人より金銭的に 厳しいし,本人のスキルに合わせて買うべきなので,中身を確 認せずに,誰かの進めだけで買うのは少し辛いのでは?とは思 う。でもそういう方向に行くのだろうか?。
あと,良く言われるのが絵本。いずれも子供向けの本ばかりに なる。この辺が,書店の衰退でどうなっていくかは気になる。 まぁ数十万の人口の都市だと,まったく書店がないという状態 にはならないとは思うけど…。

6/10(休日)
近所の公園で乗り物フェスタをやってると思って子供といった ら,別の公園でやっており,なにもやってなかった。以前はこ の公園でもやっていたのに。でも子供は遊具で遊んで満足。そ の後昼食を外で食べ買い物。一旦帰り,子供にサッカーボール を買ってあげて,そのままボールけりをしにいった。
子供のいうままに買ったが,フットサルのボールだった。他の にしようとしたのだけど,それがいいと何度も言うので。知ら なかったがフットサルのボールとサッカーのボールは違うらし く,そのせいで,あまり蹴っても飛ばないボールだったが,まぁ いいか。本格的にサッカーをやりたいとか言い出したら,また 考えよう。

6/9(人工知能は芸術を産み出せるか?)
私は音に関する研究を何十年もやっているけど,この分野にはっ た当初から工学としての音楽の研究はしないと決めている。もっ とも音楽周辺のことはするかもしれない。ただ自動作曲みたい なことはやりたくないとおもっている。
これは,単なる私の趣味と思想の問題で,自動作曲の研究をし てる研究者を批判するつもりはない。
私が音楽の研究をしないのは,音楽が私にとっては芸術である から。それで芸術は天からの授かりものだからとおもってるか ら。だから同じように芸術としての絵とか造形とかも,研究の 対象とは思ってない。余談だけど芸術学としての研究は興味が ある。
最近AIという話題が豊富で,最近作曲をAIにやらせるという研 究の話をニュースで聞いたりした。そういえば絵画もコンピュー タに描かせるというものも聞いたことがある。なんかそういう の聞いて,コンピュータが作った作品は芸術作品なんだろうか?… と思って良くわからなくなった。私にとって芸術とはその作者 の作家性が見えるものだけど,コンピュータが作った作品に宿 る作家性というのは何なんだろう?。音楽や絵画では誰々風の 作品が作れるとかいうのがあるようだけど,それは模倣ではな いのか?と思う。人間の場合,誰かが模倣しても,作者の個性 が入り込むことがあって,そういう場合は芸術になる場合があ るが,コンピュータの場合,それは単なるバグではないのか?。
それに,音楽や絵画の場合,技術的によいものが受け取り手の 心に響くわけではない。またこれまでになかった新しいものと いうものも産まれる。コンピュータでも稚拙なものやめちゃく ちゃなものは作れるが,それは新しいものとして,鑑賞者に響 くのだろうか?。
もっともこういう研究の有用性があることはわかる。作曲家や 画家に頼まなくても,何かに使う作品を得ることは出来る。著 作権の問題もない。そういう意味ではコンピュータ作る作品は 工芸品ではないか?という気がした。工芸品でも我々は気持ち よく接することが出来るし楽しむことも出来る。ただ私はそれ は芸術なんだろうか?…と悩んでしまう…というだけだ。
チューリングテストに通るようなAIが音楽や絵画を生成したら, 我々はそれを人が作ったものだと思って,芸術と感じるのだろ うか?,とふと思った。でもそれが出来るなら,宗教だって作 れそうな気がする。
まぁ芸術作品をプログラムで作るっていうのが楽しそう,って いうのはとても共感するんだけどね。だけど,音楽の愛好家と しては,どこか引っかかるのです。

6/8(梅雨)
昨日だっけか?,入梅したらしい。といっても雨が降り出した のは昨日の朝,今朝はとりあえず止んでいたけど,会社に行く 頃また降りだした。でも夜は止んでいて満月?が澄んだ空気で 良く見えた。
という言うわけで,梅雨といってもスロースタートな感じ。今 年は入梅自体も少し遅めらしい。そういえばもう6月上旬も終 わりだしねぇ。

6/7(体育の授業)
スポーツ庁が体育嫌いの中学生を半分に減らす ということを目標にしてるというニュースを読みました。
このニュースを読んだ私の周辺の人たちは,体育の授業が嫌い だったみたいなことを,恨み節のようにいっている人が散見さ れました。とおもっていたら,体育教師が嫌いだったとか,授業のやり方がイ ヤだったみたいな意見もネットで見られて,同じような意 見が結構あるなと。まぁ私の周りは,スポーツマンというより, 勉強家みたいな人が多いので,体育が苦手だったという人が多 いのかもしれません。
でも,私自身は,体育が嫌いで何でいけないの?とおもったり してます。私自身も,小学校から高校まで体育が得意とおもっ たことは一度もありません。なんとなくやりたくないなぁとお もったことも多かったのではないでしょうか?。
知り合いの頭がいい人が体育の授業で劣等感を感じたのでイヤ だった,そういうのがなかったら体を動かすことが好きになっ たかもしれない,と言ってましたが,確かにその人は大人になっ た現在は結構定期的に運動をしてます。
でも,体育で劣等感を感じるのであれば,他の算数とか国語だっ てそうですよね。成績をつけること,出来ることを褒めること 自体がダメってことでしょうか?(ダメっていう人もいるみたい ですが,わたしはあまりそうおもってません)。逆に学校での 体育が嫌いでも,大人になったらしっかり運動が続けられるの であれば,別に学校の体育は嫌いでもいいじゃないか…とかお もいました(苦笑)。むしろ学校時代の算数嫌いの方が,社会に 出て苦労しますよ。体育が苦手で算数が得意な人がいるのであ れば,算数が苦手だけど,体育は優越感が得られるという生徒 がいてもいいようにも思います。
まぁ楽しく授業を受けて,運動能力が上がることが理想なのは そうです。でも,運動の場合他の人との差は目に見えてわかり やすいですし,好きな種目を選ばせてくれればよかったという 意見もありましたが,スポーツは他の人とやることが多いので, ある程度みんなと同じ種目を習得することには意味があります。
それに体育の授業が強制的なのがイヤという話もありますが, 体育の授業ってドリルの一種なんで,そういう面があるの は宿命です。江戸時代の日本人は整列が出来なかったという話 があって,それが出来るようになったのは学校で整列を習った からだという話を聞いたことがありますが,人は実は訓練をし ないと,じっと立ってることも出来ないようです(実際出来な い人いるみたいですし)。そういう意味で,身体を自分のおも いとおりにするにはある程度強制的に訓練をする必要があり, それが初等教育における体育なのでしょう。
それよりも面白いなぁとおもったのは,体育の授業が嫌いだっ たのに,大人になっても運動をしてる人が結構多いことです。 私自身も体育の授業はあまり得意ではありませんでした。人よ り良く出来る種目はなかったし,ボール感が悪くて球技も得意 ではありません。でも,今でもジョギングを定期的にやってま す。水泳も大学に入る前くらいからたまにですが,自主的に行っ てました。体育の授業が嫌いでも体を動かすのが好きな人は結 構いるんだな,とむしろ驚きます。
そういうのをみてると,体育の授業が嫌いなことが何か致命的 なものになるのかな?とむしろ良くわからなくなります。

6/6(痴漢と冤罪)
昨日か一昨日だったか夜のNHKのニュースで,最近痴漢を疑わ れた人が線路に入るという事件が多発してるという話をやって いた。男性の視点でいうと痴漢の冤罪を受けるという事例を聞 いているので,それを恐れて逃げる人もいるのだと想像する。
ニュースでは痴漢を亡くすことが第一という風に締めらていた けど,微妙に納得いかなかった。まぁそういう風にいうしか言 いようがないのかもしれないけど,なぜ男性が冤罪を恐れて, 線路に下りるようなことになっているかの説明がなかったのが 少し不満におもった。
一応,弁護士の人が出てきて,痴漢と間違われた場合は,弁護 士を呼べというのと,目撃者を探すことを勧めていたが,それ が一般の人にどれだけハードルが高いことか…。痴漢について は,現状被害者のみの証言で成立してしまうという話とか無罪との証言者がいてもダメなケースがある みたいなはなしがネットではずっと言われている。こうい う情報がどこまで本当かはわからないけど,一般的に男性は痴 漢といわれて,駅員に引き渡されると,疑いを晴らすことは出 来ないといわれていて,そうおもっている人が多い。だから駅 員に引き渡される前に逃げようとおもって線路に逃げる人が出 てきてる。
だからといって,痴漢撲滅の取り組みを止めろというつもりは ない。痴漢を受けることも,痴漢の冤罪を課せられる人もどち らも無実の被害者である。どちらを優先するためにどちらかを 仕方ないという訳にはいかない。正直どうして良くわからない のだけど,なにか他手段を加えて,問題を減らすことは出来な いだろうか?とおもった。あと痴漢の取締りを強化してること の効果が上がってるのかは少し気になった。

6/5(子供の貧困)
昨夜のNHKスペシャルは 子どもたちの未来という内容でした。日本 でこどもの貧困が深刻化してるということで,事例や,経験者 を紹介するというものだった。スタジオには一般の人やタレン トを呼んで生中継で議論させてました。
深刻な内容かと思いきや,コメンテータが比較的ポップな芸人 が多く,かなり軽い感じでした。とはいえ私はそもそもこの手 の視聴者をスタジオに呼んで生で意見を言わせる番組はあまり 好きではありません。結局大きい声が目立つばかりで,本当の 世の中のことはわからないし,かといってその場で何か意見が まとまることもない。なんかガス抜きをしてるようにしか見え ないからです。
ガス抜きならガス抜きで軽い感じなのはよかったのかもしれま せんが,一般視聴者だからか,空気を読まずに発言をする人が いるのは,面白いところかもしれません。少しかいつまで,心 に引っかかったことを書く。
今回問題とされたのは「相対的貧困」。絶対的ではありません。 周りが出来てること(進学とか部活とか)が貧困のせいで出来な いことが問題らしい。井筒監督は昔はもっと貧しかったと言っ たら,昔はみんな貧しくて,それでも希望があったからと反論 されていました。井筒監督はそれ以来発言してません。でもわ たしも「相対的なんだよね」とは思いました。どうも「普通は これぐらい出来ないと」というのがあると思い込んでいるよう だけど,それすら誰が作ったイメージなんだろうか?と思うこと は良くあります。貧困者がほかの人と同じような学生時代を過 ごせることより,努力したら将来しっかりその貧困から脱せら れることの方が大事なんではないのでしょうか?。
高齢者への支援を減らして,若い人に割り当てるべきか?という 話になった時に,年配の人が2,3人,年金じゃ暮していけない んだとか,厚生年金納めても月7万しかもらえないんだと言って いたのがちょっと驚いたというか苦笑しました。この方々は, 歳をとったら年金だけで暮していけると思っていたのだろうか?。 年金がいくらもらえるかとか,あらかじめ想定して,それで人 生設計を立てるべきじゃないの?。
まぁなんか政治家が年金で暮していけると誤解を受けるような ことを,繰り返したツケがきてるんだろうけどね。年金で暮し ていけないなら,生活保護を受ければ年金よりはるかにもらえ ます。でも資産があるうちはもらえません,ということで,年 金で暮せないというご老人は資産はあるってことですよね。 (老後,年金で暮していけると国が言っていたと認識してる人 がネットを見ると結構いるのだけど,私は一度もそうおもった ことがない。この認識のずれはどこから来てるんだろう?)
もっとも,高齢者の困惑もわからないでもありません。高齢者 が若い人と一番違うのは,もう頑張っても収入が増えることは ほとんどないということ。収入と支出がマイナスなら,死ぬま でに資産が減っていくしかないってことで,これ以上支給を減 らされたくないって気持ちはわからないでもありません。でも, 結局若い人が増えて,若い人がたくさん稼いでくれないと,社 会保障が回らないのですよ。
私は以前も書いたけど,子供保険とかつくるくらいなら,その 前に高齢者保障をもっと薄くしろという意見です。最終的には それで足りないということになるかもしれませんが。高齢者は たしかにもう頑張れないので社会保障に守って欲しいというの があるんでしょうが,その現状を維持するために,若い人への 負担が増えているのであれば,それはおかしいし,将来性を考 えれば,若い人が頑張れるような社会にすべきでしょう。
…あと,取り上げた貧困者の事例だと,片親の家族が多かった ようにおもいました。両親の離婚で貧困になる子供たちという のは,かわいそうにおもいます。貧困が増えてるとしたら離婚 率が上がってることもあるのではないでしょうか?。もっとも, じゃぁ家庭に問題があっても我慢しろというのも,無理がある わけで。昔は子供のために離婚を踏みとどまる親とかもいたの だろうけど,そういう場合,大体どちらかが我慢してるわけ で…。これはどうしたらいいかわからないのだけど,親の離婚 が子供の精神はともかく経済への悪影響がもっと少なくなるよ うにできないものか…とはおもいました。それに,片親になる のは,離婚ばかりではなく死別もあります。

6/4(休日)
昨日とほぼ同じ状態。上の子を連れてジョギングしたりボール 蹴りしたり,勉強みたり。近所でカレーフェアがあったので見 に行った。二日間結構運動して疲れた。歳だなぁ。

6/3(休日とヤゴ)
土曜日。下の子が熱を出しているので,上の子の勉強を見たり, 公演に連れて行って,運動をしたりした。金曜日に上の子がヤ ゴを取ってきたので,えさを探したりしたが,生きてる赤虫は 見つけることが出来ず,冷凍のものをとりあえず買ってみた。 目の前で動かして食べさせるらしいが,手間だなぁ。

6/2(AIはベンチャーの夢なのか?)
昨日に引き続きAIの話をもう少し。
AIが現在産業界から注目を浴びているという話は昨日も書いた。 実際企業の研究者というよりも,むしろ経営者の方がこの技術 に飛びついているように思う。やはりのキーワードということ もあるだろう。先進の技術,不可能なことを可能にする魔法の 技術,これを使えば,新しいビジネスが花開くような雰囲気で メディアが扱うから無理もない。出資者にも説明しやすい「新 しい取り組み」ともいえるので,経営者が注目するわけであ る;-p。
まぁ皮肉めいて書いたけど,実際のところ,何に使うかはとも かくAIというかビッグデータと深層学習(DNN)は経営者にとっ て扱いやすい技術である。最先端の癖に,専門家ではなく,経 営者が扱いやすいというのは,結構珍しいのではないか。とい うのは,この技術,対費用効果が非情に計算しやすい,言い換 えればお金をかければかけるほど効果が上がるともいえる。わ かりやすく言うと,AIの技術の性能は,集めたデータの量にほ とんど依存する。データを集めれば集めるほど,性能は良くな る。データを集めるのはとにかく人手と時間がかかる。つまり 投資額が利いてくる。
もちろん集めたデータをどういう風に扱うか,用いるニューラ ルネットの構造はどうするべきかとか,技術者じゃないとわか らないことはたくさんある。でもこの辺,実は技術者も良くわ かってないケースが多い。技術者自身がやってみないとわから ないと思っている。深層学習の厄介なところはそれを使ってい る研究者が,そのDNNのなかで何が起きてるかをわかってない ことである。なので,技術者に求められるのは新しい方式の発 明ではなく,いろいろ試すことである。そこも稼動としては計 算しやすい。
というわけで,この手の研究は投資を十分にできる大企業が断 然有利である。実際googleとかマイクロソフトとか,海外の大 企業が,この世界の成功者である。
先日,「AIによってベンチャーとかにチャンス」がとかいう文 言を聞いたが,私は,むしろ,AIでベンチャーが大きく台頭す ることは難しいと思っている。大手がやってない領域を見つけ て,さらに特殊な手法やコネがないと集まらないようなデータ を手にするとかないと難しい。むしろ大企業が見向かないよう なニッチな市場にAIを持ち込むとかはあるので,そういう成功 はあるだろう。
ということで,現状AIで夢を見てるのは大企業の経営者である。 研究も盛んであるが,なんかすごい発見をしたとか,すごい原 理をつくったとかいう研究はあまり聞かない。出来ないことが 出来ることになったという話はたくさん聞くのだけど。
もっとも出来ないことが出来るようになることは研究では大事 なことではあるので,やっぱりAIは無視できない。なぜうまく 行くかわからないものを研究といっていいのか…研究者として は悩む;-p。

6/1(AI)
現状情報処理業界ではAIが話題である。技術的興味もひいてる ようだけど,ビジネスになるとのことで,メディア的にも,経 済的にも食いつきが良い。
そんな一端に自分もいるんだろうか?と思うのだけど,話題と して大きく取り上げる反面AIの定義はいつまでも明確に言及さ れない気がする。まぁ技術分野だからといえばそうなんだけど, 昨今騒がれている技術についてくらいは明確にしておいていい んじゃない?。
今ブームのAIはキーとなる技術はDeep Neural Net(DNN)(とい われる深層学習全般)とBig Dataでしょう。他にもIoTとかあり ますが,IoTはデバイスとか周辺の話であり,AIと組み合わせ る要素の一つのように思います。もちろん前記の二つをとりあ げてAIというのはかなり狭い意味のAIであり,AIを広く捕らえ ると,もっと大きくいろんな技術をAIと呼ぶことは出来ます。
それでもってDNNとBig Dataは独立ではなく,Big Dataを有効 に活用するアルゴリズムとしてDNNがあるわけです。そういえ ば,思い起こすと,DNNより先にBig Dataの方が一般メディア では話題になっていて,DNNはその後に話題になった気がしま す。
そういう意味では今のAIブームを牽引するこの技術ですが,ど ちらも概念的にはそんなに新しいものではありません。ただし いまの時代になって実現できるようになったというものです。 もっともDNNの前進のNeural NetからDNNに進化するに当たり, 学習アルゴリズムの進化はあったので,あたりしい技術である ことは確かです。
そういう意味では,いろいろ新しいものとしてもてはやされて いる技術ですが,概念自体は古いので,そんなに魔法のような 技術ではありません。Big Dataはとにかくたくさんのデータを スマホやネットワークの発達で扱えるようになったということ ですし,DNNは乱暴に言うと,超高度なクラスタリング技術で す。実際のデータを大量に使って学習することが出来る,統計 分類器で,超多次元のクラスターを作ることが出来るので,入 力されたデータをあたかも人間の判断の様に,答えを出力でき るわけです。
とはいえ,大量のデータを扱うために自動的にひたすら学習し 出来上がる分類器ですから,プログラムを走らせた技術者すら, どういう風に中身がなってるのかとてもわかりにくいとなって ます。この辺が,結構研究者を悩ませており,DNNを使って, 人間のような判別が出来るようになったものの,DNNは入力の 何をもって判断してるのか良くわからない。とにかくどうやっ たらうまく行くかはわかってるけど,何をしてるのかわからな いという状況になってます。
もっとも,私は案外DNN(AI)がやってることは,人間がやって ることに近い,もしくは人間がやってることの一部に等しいの では?と感じてます。人間も結局,生まれたからこれまでの経 験でみたり聞いたり体験したものを大量に情報として利用し, そして判断に使っているだけじゃないかということです。
これは,良く言う「愚者は経験に学び,賢者は歴史に学ぶ」と いうのの愚者の行いそのものです。まぁこのことわざはどちら も学習データなのですが,結局人間は学習データを基に判断し てるAIのようなものではないか?という気もします。人間は論 理的な思考をして,未来を予測したり,思想をもち判断をして いると考えがちですが,いやそうじゃなくて結局経験をもとに 学習された,判別器で答えを出してるわけでは?。AIだって人 間と同じようなことが出来るわけだし,というところがAIの技 術から見えて,私にはそこが面白いです。
もっとも,それに対する反論も私は持ってるのですが,長くな るので,今日はこの辺で。ところで今日,DNNの中身が少し見 える事例を見て,ちょっと感動しました。案外ブラックボック スでなくなる日も来るのかも。

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