2016年1月の日記&雑感


だらだら書いた日記です。
日記中のURLはメンテしないので,切れてる場合もあります。 あしからず。


1/31(休日)
昨日に引き続き,今日も特に出かけることなく終わった。

1/30(休日)
前日から今日は東京は雪かも,という話でしたが,結果的には 雨のまま。といっても私が住むあたりは元々雨の予報だったの ですが。でもそれくらいですから,朝は寒かったです。雨は大 体やんでましたが,ときどき降る。ということでジョギングは キャンセル。
子供たちが微熱があるので,病院に行ったら意外に空いていま した。子供たちが風邪気味で,そとも寒いので,一日家にいま した。久しぶりにギター弾いた。

1/29(大臣の責任なの?)
甘利大臣が辞任したとのこと。
辞任の原因になったお金とか口利きの件は,そもそも興味が無 かったのであまり追ってません。政策と関係ないところで野党とか マスコミが騒いでいるという感があったのですが,結果として 甘利大臣は大臣を辞任しました。
野党はこの後議員辞職をすべきだとか騒ぐ人もいるみたいです が,私はいっそのこと議員を辞めて大臣を辞めないというわけ にはいかないのだろうか?,と思いました。
まぁ基本的には半分冗談みたいなものなのですが。
大臣は議員じゃなくても出来ます。また今回のお金の件は,大 臣の業務上の問題ではなく,議員としての問題ですよね,しか もやったのは秘書で,甘利大臣は知らなかった…というオチ。 監督責任として止めるようですが,議員秘書が問題を起こしたなら議員と しての責任でしょう。役人が問題を起こしたなら大臣としての 責任でしょうけど。
更に与太話ですが,あまり大臣は今後TPPの調印とかをするは ずだったとのこと。TPP推進は損をする人,得をする人,それ ぞれいるので,正しいとか正しくないとか言いにくい政策です。 先の選挙の時TPPには消極的だと約束した議員は自民にもたく さんいるはずで,そういう人はTPPを推進したくないかもしれ ません。まぁ保障で乗り切るのかもしれませんが。
そういう意味では自民の内部にも甘利大臣の足を引っ張った人 がいるのかもしれません。あとアベノミクスによる経済成長も, これから結構大事な局面ではあり,困難も予想されてます。甘 利大臣が経済政策ではなく,議員としての金の問題で大臣を辞 任したとなると,経済政策がこけても甘利大臣は責められない わけで,むしろ大臣の責とは関係ないことで辞任に追いやった 方も,どうなのよ?という気もします。
逆に言うと,上手く逃げた…という結果になる可能性もありま す。
ということで,議員を辞めて大臣は続けりゃいいのに…と思う わけですが,甘利さん自身も議員は辞めたくないのだろうな… とか想像してみます。これで議員辞めても大臣続けたら,相当 な覚悟だ…と感心するんですが。

1/28(左利き)
とある学校の教室で学生に対していたのですが,クラスで1割 くらい左利きがいました。左手で字を書くということ。60人く らいで6名くらいだったと思います。
なんとなく多いような気がしたのですが,そんなものなんでしょ うか。
ちなみに私は左利きですが,字と箸は右で使うようにしつけら れたので,右で書きます。まぁ字は右手で書きやすいように出 来てると思うのだけど。最近は左利きの人を無理やり右に治し たりしないのでしょうか?

1/27(廃炉と廃棄物)
昨日のクローズアップ現代は原発の廃炉の問題だった。 恥ずかしい話だけど,現在日本にある原発のうち5基ほどの廃 炉が宣言されているらしい。もちろん福島以外。
個人的には原発は徐々に止めていくべきだと思っているので, 廃炉が進むのはよいことだと思う。しかし実際は廃炉はな かなかうまく行ってないらしい。理由は原発に使われている機 材や部品が高度の放射性廃棄物になっており,その始末先が決 められないからとのこと。
原発の燃料の廃棄物の行き先も決まってない状況だから,原発 の資材の始末場所がきまらないのも,さもありなんだと思う。 番組では,そもそもこういう廃棄物の始末先の責任が国と電力 会社のどちらかというのが曖昧だからと言っていたが,でもど ちらかと明確にしたら片付くのかしらね?と思う。
責任を明確に出来ないことや,廃棄物の処分方法が決まらない まま原発を作り続けていたことを批判するのは簡単だけど,そ れを続けていても,いっこうに原発が減るわけでもないわけで, どうしたものだろう…と思う。現実問題,海に流すわけにもい かないので,廃棄する原発の敷地に保管施設を作るか,それ以 外の,あまり人がすまないところに保管施設を作らざるを得な いのではないか?と思う。とはいえ日本の場合人があまり住ん でないところって,水源だったり森林地帯だったりするので, あまりそういうのに向かない,だから悩ましい。
実際のところ,解体した資材より,東北で除染された土壌や, 他の原発の燃料の方が量もはるかに多いわけで,原発の資材の 捨て場も決められない状況じゃ先が思いやられます。
ところで,もんじゅ,うまくいってないのはわかるけど,どこ までできていて,何が壁なんだろう?…。他の原発と違い,こ ちらは核廃棄物の処理の道を開く可能性があるのであれば,続 けたほうがいいような気がするのだけど,状況がわからないの でナントモいえない。

1/26(半年振り)
私は高校時代から仲が良い数人と,社会に出ていらい,もう10 年,いや15年以上か,MLで繋がってるんですが,ここ数ヶ月まっ たくMLにメイルが飛んでなかった。
歳のせいか?という気もするが,もともとMLにメイルをよくタ イプの人はFacebookに移っていて,連絡が来るときもメッセー ジで来たりする。そうなるとFBにいない人は,MLの方にもあま り書かなくなりなんとなく放置の状態だった。
ということで,久しぶりにMLにメイルをしたらそれなりに反応 があった。とはいえFBがインフラとして残るかなぁというと微 妙な気はしてる。

1/25(雪の九州)
一昨日福岡の雪のことを書きましたが,昨日と今朝は九州はと てもすごい雪だったとのこと。なんせ鹿児島も雪が積もったし, 奄美では100年以上ぶりに雪が観測されたとのこと。
ネットをみてると,雪化粧の櫻島とかの写真が挙がっており, なかなかレアだった。
話がそれるが,私は雪の中を車で走るのがとても苦手,という かまともにやったことない。若い頃は車を持っていたときに チェーンとかも載せていたけど,今は,雪が降ったら乗らない と決めてるので,チェーンすらもってないので急に雪に降られ たら,放置だな…と思ってる。

1/24(休日)
福岡帰りで疲れもあり,自宅でゆっくり。昼過ぎにちょっとだ け子供と凧揚げをした。
ところで去年もそうだったけど,あまりたこがうまく揚がらな い。最近のゲイラカイトはそんなものだろうか?。それとも私 があげようとする環境が,あまり良くないのだろうか?。海沿 いで確かに風が荒れてはいるんだけど。

1/23(雪と福岡)
ちょっと福岡に行ってました。福岡はずっと雨か曇りでしたが, 今日は雪も混ざって。飛行機が飛ぶかどうかわからなくなった ので,焦りましたが無事帰ってきました。

1/22(もつ鍋とラーメン)
学会関係の仕事で福岡へ,終わった後,母校の近くに行きもつ 鍋を食べました。福岡でみんなに知られている,というような 店ではありませんが,私はこの店のもつ鍋が一番好きです。まぁ 屋号は昔と変わってるのですが,味は一緒。店の雰囲気も,まぁ 一緒。
鍋は軽く終わらせて,ラーメンを食べようと。最初に行った店 は,なくなっていたので,もう一つ別の店に。こちらは私が在 学中に開店した店だから25年ちょっとか…。看板も変わってな く店の中も変わってなく,ラーメンもとても美味しかったです。
ただ鍋のあとのラーメンは食べるのがしんどかったです。

1/21(自分で身を守ること)
長野で15人が亡くなったバス事故,まだ事故の原因が明ら かになってませんが,亡くなった方の遺族(父親)のコメントをリンクします。
こういう場合,すばらしいとか,良く出来てるというのは言葉 として正しくないのでしょうが,まさにその通りだな,と思う ないようでした。全文紹介したNHKの意図も良くわかります。
数日前に,格安のバスツアーを利用したことを責めるネットの 書き込みを見たりしましたが,格安であることと安全であるこ とが天秤に乗ってはいけません。格安なのはあくまでもサービ スとかに出てくる話で交通機関は安全であることは,値段に関 わらず必須です。実際事故が起きれば,小さなバス会社は経営 が成り立たなくなるはずで,事故が起きてもいい,という形で 経営することは不可能なはずです。リンクのコメントにも安全 は「マスト」と書いてます。
とはいえ,現実に事故や危険なことが頻発するようになって来 ているのか,もしそうだとすれば,何かしらのシステム的な改 善を期待するのですが,そういうことをやっている間にもバス や交通機関を利用することは我々はあるわけです。犯人探しや, 事故を嘆くことよりも,真っ先にすべきは,自分や家族の日常 の安全をきちんと確認して日々を過ごすこと,ということをこ のコメントも言っており,まさにそうだと思いました。

1/20(舞台裏)
SMAPの生放送(会見)は,たまたまTVをつけていた時間だったの でチャネルを変えて見ました。まぁでもSMAPについては良かっ たとか悪かったとか特にいうつもりはありません。SMAPについ てこだわりがある人が語ればいいと思います。
それより,ちょっと気になったのが,事務所への謝罪,あぁそ れって舞台裏だよなぁ,…と思ったのです。私はなんとなくア イドルやスターの舞台裏を見たくないと思ってます。そういう 意味では今回のSMAPの騒ぎが事務所の内紛として語られている のには,興味ないというよりは,あまり聞きたくない話…とし て捕らえてます。
でも,最近,なんかアイドルについて,舞台裏の方があたかも 表の様に語られるようなことが増えているように思います。そ の典型がAKB。秋元さんというプロデューサが本来は裏方のは ずなのに,AKBの頂点に支配者として君臨しているように見え ます。
なんでこうなっちゃんだろう?…と思います。昔から芸能人と か芸人とかは,興行主というのがいたりタニマチみたいのがあっ たりと,舞台裏に多くの人たちいました。で,たぶん昔からそ こでのごたごたはあっていたと思います。でもそれが表にでて, システムの様に描かれることはあまり無かったのではないかと いう気がします。でも今はまるで逆です。
スターが生まれる裏の仕組みが語られることにより,スターは ただの素人になり,それにより等身大のスターという身近な存 在になってるのかもしれませんAKBなどはそういう感じもしま す。でもそれだけスターの神秘性が下がっているように思いま す。
最近の若いバンドたちも,非常に物語性が高いものが幾つかあ りますが,それも明らかにネタ的に描かれており,見ているほ うが,本当のことの様に感じなくなってきてます。
自分が歳を取ったせいかもしれませんが,現在のスターは,雲 の上の存在という感じがあまり感じられません。少し寂しいなぁ と思ってます。

1/19(終末期鎮静)
クローズアップ現代で終末期鎮静 というのをやってました。この言葉は初めて知りましたが, 癌の末期患者で,痛みに苦しむ患者に対し,鎮静剤を打つとい う治療のことです。鎮静剤を打つことで,寝てしまい,そのま まなくなるケースがほとんどとのことです。
鎮静剤を打つのは死ぬ前に1,2週間とせまった患者でモルヒネ なども効かなくなったケース,本人や家族が合意していること だそうです。鎮静剤を打つと患者は寝てしまいますが,その後, 水分や栄養補給をあまりしなくなることもあり,大体数日で亡 くなるそうです。
わたし的にはこのような治療は合理的だと思います。末期がん には相当苦しい痛みを感じるものがありますし,もう数日しか 生きられないとわかっている患者に,無理やり苦しみながら生 きろというのも変だと思います。
でも,番組では終末期鎮静をして家族を亡くした人が悔やんで いる様子も映してました。本人がしっかりと鎮静を求めたケー スでした。私はこの悔やんでいる人が悔やむのが良くわからず, あまり合意できませんでした。苦しくてもギリギリまで生きて 欲しい,というようなことをいってましたが,本人にとって辛 いだけです。家族は自分が終末期鎮静に合意したことに納得で きないという感じもしましたが,それは一種安楽死に加担した ような感覚で,納得できないのかもしれません。でも仕方ない のでは?と思います。
と,ここまでは終末期鎮静の何が問題なのだろう?と思ってた のですが,スタジオに来ていた医師はあまりこれに積極的な意 見ではありませんでした。問題は終末期鎮静が在宅の患者に多 くされているという実態,あと安楽死との違いが難しいとのこ とでした。後者は目的とすることが違うのだけど,結果的に安 楽死になってるのでは?ということでしたが,私は仕方ないの では?と思います。ただ前者については,確かに問題があるの かもしれません。スタジオの医師は細やかに患者に接したら終 末期鎮静は不要になったといってましたが,もしかしたら,鎮 静剤を使って眠らせなくても辛さを取り除くことが出来るとい う意味なのかもしれません。でも在宅で十分に他の手段が取れ ないので,そういう事になるのでしょうか?。
わたし自身は癌とかになり末期で苦しくなったら,モルヒネな どによる痛みを取り除く治療はやって欲しいと思ってます。で, それが効かなくなったら鎮静もやむなしと思うのですが,痛み を取り除く手段がそれだけではないのであれば,もしくはモル ヒネも効くように出来るのであれば,そっちの方がいいかなと 思います。
ただこの段階で延命しても,数日という気もするので,いずれ にせよ,仕方ないケースだよなとは思います。

1/18(雪)
私の住むところでは雪は降ってませんよ…ってことなんで すが,今朝は関東圏の結構広範囲で雪が降り大変だったようで す。とにかく職場の方も出社不可能だったり,午後からという 方がたくさんいました。
私はというと,朝から冷たい雨で心配だったのですが,どうや ら職場の周りも雪がないと聞き,車で出社しました。快適。
ただ風は強かったり,職場も寒かったです。

1/17(休日)
長男と映画に行きました。いわゆる子供向け映画ですが,6 歳になったばかりの息子にとってははじめての映画館での映画。 2時間弱,特に大騒ぎすることも無く,見れました。
その後,嫁と次男と合流し遅めの昼食。子供の買い物をした後, 一旦帰り,スーパー銭湯に行きました。
ということでタップリ遊んだ一日でした。

1/16(恵を信じる若者たち)
NHKの朝の情報番組を見ていたら,18歳の選挙権の話をして ました。スタジオに18以下(16くらいの子もいました)を読んで, 人文系の識者としゃべってました。そこにいた若者たち の話を聞いていて,ちょっと驚いたので…。
NHKがどういう若者を集めてきたのかが良くわからなかったの ですが,そこにいる若者は,ほとんどが18になって選挙権が得 られたことについて戸惑っているような感じでした。選挙権が 得られて良かったとか,楽しみという人は一人もいませんでし た。誰に入れていいかわからないとか,いく必要あるんですか?み たいなことを言う人ばかりでした。
そういう人たちだからかもしれませんが,普通選挙制が日本で 昭和初期に確立したことを知らなかったり,被選挙権の年齢も 良くわかってない若者ばかりでした。いや,その辺,授業で習 うはずでしょ?。ゆとり世代だと違うの?…。
そもそも民主化とは選挙権を得るための戦いだったということ を理解してないわけです。
番組に出ていた識者たちが,基本的には若者に選挙に行くこと を促してました。若い人が選挙に行かないので,政治がどうし ても高齢者優遇になってしまう…という問題点を挙げてました。
でもこれらに対しての若者の意見が,「政治は高齢者優遇なの に,どうして若者が行かなければいけないのですか?」とか 「みんな関心ないし,行かなくてもいいんじゃない」みたいな ことを発言してました。なんか,頭がクラクラしたのですが, なぜ政治が高齢者優遇だと,若者が選挙に行かなくていいので は?という発想になるんだろう?…とまるで理解できません。い や,「行っても政治は変わらない」という失望論みたいな感じ じゃなかったのです。まるで,行かなくても誰かがうまくやっ てくれる…みたいな感じに取れたので,驚きました。
正直に言うと,そこにいた若者たちは,政治に失望してるとい うよりは,いま困ってないからいいじゃない,みたいな感じで した。周りが上手くやってくれてるみたいだし,みたいな…。
この発想は,自分は何もしなくても,暮らしていけるみたいな 感じに見えます。まぁ子供だから,所詮被扶養者だからなのか もしれませんが,まるで他人任せです。今の若者は,世の中に 失望してるというよりは,むしろ信じきっているように感じま した。それはそれで危なっかしい…と感じました。
政治にたいし,とりあえず不平を言うという態度もわたしはあ まり好きではありませんが,そこまで信じきるのも肌寒いもの を感じます。まぁ確かに大学とかで若い人と接していると,大 人が何とかしてくれるのは当然だ…という様な感じの子ってい るんですよね。そういう感じなのかもしれません。
それにしてもNHKがそういう人ばかりを選んできたと思いたい です。いくらなんでもそういう子供ばかりだと,ちょっと恐ろ しい。いや,そんなだから社会人になっても,仕事をすぐ辞め て親に食べさせてもらう…っていう人が出てきたりするんだろ うけど…。

1/15(芸)
子どもが芸大・美大に行きたいと言ったら止め てはいけない」という文を読みました。この文の冒頭にリ ンクされているのは,美大・芸大卒業生が本業として絵を描か なくなるって話で,それに対するアンチテーゼとして書かれて ます。
芸大を出た人が絵を描いて食べていくのが大変そうなのは容易 に想像できます。だから子供に芸大に行きたいと親が言われた ら戸惑うという気持ちも想像できます。
でも,私もリンクした文で書かれていることのほうに賛成かな と思いました。リンクの文には,子供の幸せは本人が決めるこ とという理想論を挙げてますが,それ以上に,東京芸大出身者 である書き手が,「何とかなる」と書いていること,そして有 名芸大以外には行かない方がいいという防衛線を引いているの で,であればまぁそうかな…と思いました。
まぁ私自身,芸大ではありませんが「芸」がつく大学に行きま した。浪人してまで入りました。そしてそこで身につけたもの で食べてます。もっとも「芸」で食べているわけではなく,研 究で食べてるわけですが。
私が母校に入ったのは,やっぱり音楽とか美術とかが好きだっ たからだと思います。でも,高校の時点で芸術家として食べて いくだけの素養がないと思った,というより自分が好きな音楽 とかは学校で学ぶものではないとも思ったというのもあります が,そういうこともあり,ずばり芸大は目指さず工学系で芸術 的な観点ももちえてる学問を学べるところに行きました。つい でに書くとそこは国立ですから,それなりに勉強も出来ないと 入れません。でも,自分のやりたい勉強を出来るということで, すごく一生懸命勉強して入ったわけです。
やはりやりたい事がしっかりあり,一生懸命それに向かうよう なことが出来るのであれば,いやいやながら勉強をするよりい いように思います。
リンクした文では最後に有名芸大に限ると書いてますが,実は こちらの方が大事だと思いました。ハードルを上げますが,や りたい事をやるために,頑張れる場合じゃないとダメだと言っ てるわけです。芸大は楽しいところなので,単に面白そうとい うだけで行きたいという子供もいるでしょう。でも,それだと 実際芸大にいって,更に卒業して困難にぶつかった時に乗り越 えられるかわかりません。好きなことを自分で見つけ,困難な 壁を越える苦労をし実際に乗りこることが出来たのであれば, その成功体験は絶対に役に立ちます。ですから,有名芸大を目 指すのであれば,芸大に行ってもいいし,それを達成できたら 絵で喰えなくても,他の壁も乗り越えられる様に思います。
それより,問題なのは,子供が具体的にやりたい事を見つけら れないことなんでしょうけどね。

1/14(替え玉)
昼ごろ東京駅を利用したので昼食を食べるところ探し,博多ラー メンと書かれた店で食べました。「博多ラーメンって何?」と 思ったのですが,九州風のとんこつスープに細めの麺のラーメ ンでした。ただ麺は,少し平たくて,六本木のはずれにあった 赤ノレンに似てるな…と思いました。あの店,まだあるんでしょ うか?。
ちなみに福岡でよく食べられているラーメンは博多ラーメンで はなく長浜ラーメンなのですが,最近は福岡も新しいラーメン 屋が増えていて,長浜風のでないラーメン屋も多いので,まぁ いいか…と思いました。九州風のスープと書いたのは,長浜系 としてはちょっと濃くて,久留米とか熊本に近くないか?と思っ た次第です。
で,それはいいとして,替え玉がありました。替え玉は長浜屋 ではじまったシステムなので,長浜ラーメンや博多ラーメンと 称しているラーメン屋には大抵あります。でも,長浜屋がなん で替え玉をはじめたかというと,長浜屋には大盛がないからで す。もっと重要なのは,長浜屋には「ラーメン」以外のラーメ ンがありません。つまりチャーシュー麺とかないわけ。ですか ら,お店に入った人は必ずラーメンを食べます。つまり長浜屋 は注文をしなくても店に入ったら,ラーメンを作り始めるので す。麺の茹で加減をカスタム化したい人は,入店と同時にいわ ないと間に合いません。麺が細いのもゆがくのを早くするため ですから,長浜ラーメンは店に入って座って,セルフでテーブ ルのやかんからお茶を注いだら,それくらいのタイミングでラー メンが出てきます(かた麺の場合)。
話が長くなりましたが,このスピード感を維持するためには, メニューを増やして注文をとる形式には出来ません。ですから 大盛が無く,たくさん食べたい人は替え玉を頼めという風になっ たのだと思います。ちなみにチャーシュー麺的なものを食べた かったら替え肉を追加注文すればいいです。
というわけで,ラーメンの種類がたくさんある店で替え玉があ るのは邪道じゃないか?…,注文とるなら大盛をメニューに加 えることもできるわけで…。
とか思いながらラーメン食べました。替え玉もしました。
まぁ実際のところ,替え玉は,大盛に比べ麺がのび難く,かた 麺が好きな私としてはいいシステムなんですけどね。スピード アップ以外にもメリットがあるので,そういうラーメン屋にも 広がったのでしょう。ただ,ラーメン屋にとっては大盛に比べ スープが温存できるしどんぶりも用意しなくてもいいっていう, 経営的な観点からのメリットもあるんですよね。まぁいいけど。

1/13(★)
つい先日(10日)デヴィッド・ボウイが癌で亡くなりました。
言い訳がましいですが…,私は人の死を安易に話の種にするの は嫌いなので,よっぽど思い入れがない人以外の死については Webでは話題にしないと決めてます。ボウイは私の知人にはファ ンが多いらしく,件のニュースが流れて以来多く話題が飛び交っ てます。確かに彼らに比べれば,私が語ることは安易だなと, 静かに一人御悔やみを感じてます。
ですが,出てくる話題を読んでいて,感じ入ることも多かった ので,ちょっとだけ書かせていただきます。というのは,ボウ イはこの死に対して十分に準備していたのだな…ということで す。私自身も癌を経験し死を身近に感じたので,その部分です ばらしい行動だったと強く感動しました。
ボウイがどういう癌で,どういう治療をしたのかは私は知りま せん。なので,経過も想像できないのですが,18ヶ月の闘病と いうのはニュースで読みました。癌がどこにでき,手術をした のか?,抗がん剤は使ったのか?,等で闘病時のQLは大きく変わ ります。ずっと苦しむ方もいれば,苦しみは末期の数ヶ月だけ という方もいらっしゃいます。でも18ヶ月と書かれているから には,たぶん本人も癌の告知を受けてから3年は過ごしたので しょう。
おそらく大きな失望もあったかと思います。でもどこかで死ぬ ことを受け入れ,十分に準備をしてきたのだなぁというのがよ くわかります。死の数日前にアルバムを発表し,タイトルも 「★」。PVなども十分につくり,みんなに届けてくれました。 そして,多くの関係者の発言から,知り合いにもそれなりに最 後の言葉を伝えていたように思います。
見事にボウイは我々に魂を残してくれました。70歳を前にして, また,これだけのことが出来る状態で旅立つことは不幸ではあ るのですが,でも,一方で理想の最後の様にも思います。
私も含めがんサバイバーの中には,癌にかかったことはしんど いと思いつつも,歳を取って亡くなるならガンがいいと思って いる人も結構います。再度書きますが,年齢的にはもう少し先 であって欲しかったとは思いますが,でも不謹慎ながら羨まし く感じました。それくらいすばらしい,立派な旅立ちに思えた ということです。

1/12(恥)
自分の子供を見ていて,恥ずかしいという感情はどのようにつ くのだろうか?という気がした。
6歳になった長男はだいぶ前,4歳か5歳くらいから恥ずかしい という感情が身についたみたい。知らない人に話しかけたりと かがあまり出来なくなっている。でも3歳の次男はあまりそう いうところはない。長男も小さいころはそうだった気がする。
うちではあまり子供に恥ずかしいということを教えてない気が するし,「人前でみっともない」みたいなことはいわない。い や,騒いでいるというけど,親がいうだけ。親の前ではあまり 恥ずかしいという感情は見せないが他人の前ではする。
一種の人見知りみたいなものなんだろうけど,じゃぁ人見知り とはどのように身につくのか?。他人と親しい人の区別がつくっ てことなんだろうけど…。
日本人は「恥」の文化というけど,あまり恥を教えているつも りはない。でもしっかり身についているっていうのは,どうし てなんだろう?と思った。

1/11(休日)
午前中,長男と家の周りで縄跳び,ボール遊び,自転車の りをする。あと自転車の掃除。ボール遊びはサッカーボールと 野球のボールの両方を持っていったが,野球は2,3回投げたの み。サッカーのけりあいはしばらくやった。
まぁ考えみたら自分も野球の壁投げとか始めたのは小学校の2, 3年くらいからか。考えてみたら幼稚園生でボールを手で取る のは難しいのかもしれない。自分も幼稚園の時はサッカーボー ルをけるくらいだったなぁ。
昼食を食べた後,公園に自転車で行く。今度は下の子供を私の 自転車に乗せ,長男は自転車を運転していく。そこではアスレ チックをやった後,またサッカーボールをける。兄弟だったの で結構頑張って蹴り合っていたが,日が落ちたので途中で止め て帰る。
考えてみたら今日は午前午後と子供と外で遊んだ。

1/10(休日)
近所の公園で消防出初式をやっていたので子供と見に行く。 見て帰ってきたらもう午後お昼を食べてすこしゴロゴロして, 嫁が買い物に行く間長男とお留守番をしたら一日終わってしまっ た。

1/9(準備)
昼前,だいぶ前に注文していた学習机が届き,組み立てて もらう。
その後,子を連れて近所の小学校まで行ってみる。4月から入 学する予定なので,通学路の確認など。
ということで,子供の通学の準備など。
関係ないが,朝は郵便局へいってエアメイルを出した。思った より安くてちょっと驚いた。

1/8(草刈正雄)
NHKのあさいちに草刈正雄が出ていた。新しい大河ドラマ真 田丸で真田昌幸をやるからの様。
草刈正雄を私は結構子供の頃から好きです。っていうのはたぶ ん最初に「いい男(ハンサム)」と認識したから(苦笑)。どうい う言い方だったか忘れたのですが,子供,おそらく小学生の低 学年くらいの時に親か姉に「草刈正雄みたいのがハンサム」み たいに言われ,こういうのがいい男なのか…,と刷り込まれた から。
私の実家は,母親が資生堂の化粧品を使っていたからか,毎年 資生堂の卓上カレンダーをもらっていて,若い頃から草刈正雄 は毎年必ずモデルとして載ってました。カレンダーは私が気に 入っており,高校になるくらいまですっと私が机において使っ てました。いつくらいまで草刈正雄が載っていたかは忘れまし たが,わりと長く載っていた気がします。
草刈正雄はハーフというのもあり端正な顔をしてますが,言葉 は小倉弁が抜けず,愛嬌を感じます。ドラマとかの演技もコミ カルな役をやることも多く,それも面白く子供の頃から好きで した。
小さいころの記憶なのであやふやですが,美形だけどコミカル というキャラは今でこそ当たり前ですが,草刈正雄あたりが草 分けだったと思います。二枚目半という言葉が当時言われてい て,その代表の様な感じでした。それまではいい男(二枚目)は 常にかっこよく毅然としているのが当たり前,コミカルな演技 は三枚目がやるものと決まってました。そこを見た目がハンサ ムなのに面白いということが新鮮でした。まぁそういうキャラ がそれ以前にまったくいなかったわけでもないでしょうが。
一時期あまりTVで見かけなかった草刈正雄ですが,よい感じに 歳を取っているようでした。また少し露出が増えるとよいなと 思います。

1/7(水爆)
昨日北朝鮮が水爆の実験に成功したという報道をしたらし い。正直,なぜ水爆?…と思った。
確かに過去にアメリカやソ連は水爆の実験を行ったけど,現在 あまり水爆について語られることはない。というかアメリカも ソ連も,またその他の核保有国も核爆弾を持っているという表 現はするけど,水爆を持ってると明に言う国は少ない。ちょっ と調べてみると水爆の開発に成功したのは常任理事国の五カ国 のみらしい。
正直,原爆すらもてあましてるのに,水爆とかもっていて意味 があるんだろうか?…と思っていた。原爆も破壊力を増すより, ミサイルに乗るように小型化するほうが重要なのではないか? という気がしている。水爆は原爆より協力というが,街を消し てしまうような爆弾を持っていても何の役にもたたないと思う のだけど…。
というわけで,自分は軍事には詳しくないのだけど,どういう 意味があって水爆の実験をしたのかな?…とは思った。むしろ 水爆の実験を喜んでいる北朝鮮の姿をTVで見て,なんか「続・ 猿の惑星」を思い出した。この作品では文明を失った人類が, 巨大爆弾を信仰の対象として拝んでいて,最後に起動させて地 球を爆発させるというオチである。…というか子供の頃に見た ので詳細は覚えてないのだけど,兵器をありがたがるのがエス カレートして,自らの大地を壊してしまうというオチに,恐ろ しいものだと思ったのだけ覚えている。
この作品は地球を何回破壊するだけの核弾頭が地球にあるとい う状況を批判していたのだと思うけど,そういう意味で,水爆 を崇めるという北朝鮮の感覚に,ひどく時代錯誤の様なものを 感じた。

1/6(批判することで悪くなる)
ネットの反応で知ったのですが, 伊勢志摩サミットのロゴについて,NGを出して いるデザイナーがいました。これを取り上げた人は,プロ の音楽家がのど自慢にケチをつけるようなもので奇妙,と言っ ており,私もなるほどそうだな…と思いました。
あまり背景はわかってないのですが,ざっと見たところ,伊勢 志摩サミットのロゴは小中高らを対象にした一般公募で決めら れたとのこと。で,選ばれたロゴに対し,このページを書いた 人はデザインが悪いとけちをつけている。ただデザインをした 高校生ではなく選んだ人を批難しているようです。
それだけの予備知識で書いちゃうと,公募で集まったロゴにど ういうものがあったのかはわかりませんが,他にあまりいい物 がなくこれが選ばれたのであれば仕方ないのかもしれません。 明らかに他にいい物があったのなら選ぶ人がプロの場合批難さ れるべきかもしれませんが,一般公募であることから,このレ ベルの物が一番よかったのかも。
選んだ人を批難してますが,学生への公募にした時点で,そう いうものしか集まらないのは予測できるので,批難するなら選 んだ人じゃなくて,企画をした人でしょう。ただ私は学生への 一般公募にすること自体に問題があるとは思ってません。この 辺は,サミットのこれまでの背景を見ないとなんとも言えませ んが。
ロゴということで東京オリンピックのロゴ問題を想像しました が,あちらはプロのデザイナがコンペをし,選ばれて,問題に なりました。また最近コンペでデザインを集める時に公募側が, ただでデザイナにデザインを出させることについて批難をする 人もいるようです。もしかしたら学生への公募という企画にし たのは,この辺の批難を避けるためかもしれない,と勘ぐって しまいました。
ついでに書くと,今回選んだ人が批難されてますが,選ぶとこ ろも一般投票にしたら,選定者への批難も避けることが出来ます。
でも,そうやって一般公募にし,選定も投票にしたら,もう責 任者とかはいません。でもデザインの質も担保できませんよね。
(これは私の勝手な思い込みですが)もし,公募によってロゴを 決めるのを批難を避けるためだから…という面が合ったとした ら,批難することでだんだん質が悪くなるっていう自体に陥っ てないか?…という気がします。
オリンピックのロゴの件も,スタジアムの件も,プロよりも世 論の方が盛んに批難してました。これで主催側が萎縮してしまっ たら,かえって状況が悪くなることも多いんじゃないかなぁ… と思います。
私は,代案のない批難は,状況をかえって悪くする場合がある… と思っていて,だからあまり批難はしたくないと思ってます。 そして現状世の中でよく見る批難は,世の中を暮らしにくく, かつ質の悪いものにしてないか?という気がしてます。ロゴの 件は小さなことですが,そう思ったので取り上げてみました。

1/5(仕事始め)
今年初出社。会社的には昨日からはじまっていたが,昨日 は休んでいる人も多かったみたい。今日は大体出てきていたが, 本格的に回ってるという感じでもなく,おかげで学会の仕事と かに時間を使えた。

1/4(帰京)
九州での正月休みも終了。関東へ移動した。
飛行機がなかなか取れず夕方の飛行機。機内で夕食をとり,羽 田から電車で帰宅したら結構遅い時間だった。子供が疲れてい て,なかなか大変だった。

1/3(福岡城)
福岡城を見に行こうという話になり,出かけた。が,実は福岡 に長年住んでいたが,福岡城の跡というのは認識しておらず, 平和台の北側の堀のところにやぐらがあるくらいだと認識して いた。行ってみて,大濠公園で遊んでいると,福岡城の地図を 見つけたので行ったら,天主台などがしっかり残っていること に気づいた。
というわけで,初めて行ってみた。立派な石垣が残っていたけ ど,中は梅ノ木とか桜の木が植わっているくらいで,特に施設 もなければ,人も少なかった。でもちゃんとした城跡だなと思っ た。

1/2(初詣)
昨日は熊本への往復で結局時間がなかったため,初詣にはいけ なかった。なので今日午前中に近所に行って来ました。
あと午後からはデパートで買い物。戻ってきて,パーティとい うわけで二日目も慌しく終わりました。

1/1(元旦)
あけましておめでとうございます。今年もよろしくお願い いたします。
今年の元旦は帰省先で初日の出を見に近所の山に登り。その後 は熊本に行き熊本城にも登り帰って来ました。


'15年12月に書いた日記, '15年11月に書いた日記, '15年10月に書いた日記, '15年9月に書いた日記, '15年8月に書いた日記, '15年7月に書いた日記, '15年6月に書いた日記, '15年5月に書いた日記, '15年4月に書いた日記, '15年3月に書いた日記, '15年2月に書いた日記, '15年1月に書いた日記

'14年12月に書いた日記, '14年11月に書いた日記, '14年10月に書いた日記, '14年9月に書いた日記, '14年8月に書いた日記, '14年7月に書いた日記, '14年6月に書いた日記, '14年5月に書いた日記, '14年4月に書いた日記, '14年3月に書いた日記, '14年2月に書いた日記, '14年1月に書いた日記

'13年12月に書いた日記, '13年11月に書いた日記, '13年10月に書いた日記, '13年9月に書いた日記, '13年8月に書いた日記, '13年7月に書いた日記, '13年6月に書いた日記, '13年5月に書いた日記, '13年4月に書いた日記, '13年3月に書いた日記, '13年2月に書いた日記, '13年1月に書いた日記

'12年12月に書いた日記, '12年11月に書いた日記, '12年10月に書いた日記, '12年9月に書いた日記, '12年8月に書いた日記, '12年7月に書いた日記, '12年6月に書いた日記, '12年5月に書いた日記, '12年4月に書いた日記, '12年3月に書いた日記, '12年2月に書いた日記, '12年1月に書いた日記

'11年12月に書いた日記, '11年11月に書いた日記, '11年10月に書いた日記, '11年09月に書いた日記, '11年08月に書いた日記, '11年07月に書いた日記, '11年06月に書いた日記, '11年05月に書いた日記, '11年04月に書いた日記, '11年03月に書いた日記, '11年02月に書いた日記, '11年01月に書いた日記

'10年12月に書いた日記, '10年11月に書いた日記, '10年10月に書いた日記, '10年09月に書いた日記, '10年08月に書いた日記, '10年07月に書いた日記, '10年06月に書いた日記, '10年05月に書いた日記, '10年04月に書いた日記, '10年03月に書いた日記, '10年02月に書いた日記, '10年01月に書いた日記

'09年12月に書いた日記, '09年11月に書いた日記, '09年10月に書いた日記, '09年09月に書いた日記, '09年08月に書いた日記, '09年07月に書いた日記, '09年06月に書いた日記, '09年05月に書いた日記, '09年04月に書いた日記, '09年03月に書いた日記, '09年02月に書いた日記, '09年01月に書いた日記

'08年12月に書いた日記, '08年11月に書いた日記, '08年10月に書いた日記, '08年09月に書いた日記, '08年08月に書いた日記, '08年07月に書いた日記, '08年06月に書いた日記, '08年05月に書いた日記, '08年04月に書いた日記, '08年03月に書いた日記, '08年02月に書いた日記, '08年01月に書いた日記

'07年12月に書いた日記, '07年11月に書いた日記, '07年10月に書いた日記, '07年09月に書いた日記, '07年08月に書いた日記, '07年07月に書いた日記, '07年06月に書いた日記, '07年05月に書いた日記, '07年04月に書いた日記, '07年03月に書いた日記, '07年02月に書いた日記, '07年01月に書いた日記

'06年12月に書いた日記, '06年11月に書いた日記, '06年10月に書いた日記, '06年09月に書いた日記, '06年08月に書いた日記, '06年07月に書いた日記, '06年06月に書いた日記, '06年05月に書いた日記, '06年04月に書いた日記, '06年03月に書いた日記, '06年02月に書いた日記, '06年01月に書いた日記

'05年12月に書いた日記, '05年11月に書いた日記, '05年10月に書いた日記, '05年09月に書いた日記, '05年08月に書いた日記, '05年07月に書いた日記, '05年06月に書いた日記, '05年05月に書いた日記, '05年04月に書いた日記, '05年03月に書いた日記, '05年02月に書いた日記, '05年01月に書いた日記

'04年12月に書いた日記, '04年11月に書いた日記, '04年10月に書いた日記, '04年09月に書いた日記, '04年08月に書いた日記, '04年07月に書いた日記, '04年06月に書いた日記, '04年05月に書いた日記, '04年04月に書いた日記, '04年03月に書いた日記, '04年02月に書いた日記, '04年01月に書いた日記

'03年12月に書いた日記, '03年11月に書いた日記, '03年10月に書いた日記, '03年09月に書いた日記, '03年08月に書いた日記, '03年07月に書いた日記, '03年06月に書いた日記, '03年05月に書いた日記, '03年04月に書いた日記, '03年03月に書いた日記, '03年02月に書いた日記, '03年01月に書いた日記

'02年12月に書いた日記, '02年11月に書いた日記, '02年10月に書いた日記, '02年09月に書いた日記, '02年08月に書いた日記, '02年07月に書いた日記, '02年06月に書いた日記, '02年05月に書いた日記, '02年04月に書いた日記, '02年03月に書いた日記, '02年02月に書いた日記, '02年01月に書いた日記

'01年12月に書いた日記, '01年11月に書いた日記, '01年10月に書いた日記, '01年09月に書いた日記, '01年08月に書いた日記, '01年07月に書いた日記, '01年06月に書いた日記, '01年05月に書いた日記, '01年04月に書いた日記, '01年03月に書いた日記, '01年02月に書いた日記, '01年01月に書いた日記

'00年12月に書いた日記, '00年11月に書いた日記, '00年10月に書いた日記, '00年09月に書いた日記, '00年08月に書いた日記, '00年07月に書いた日記, '00年06月に書いた日記, '00年05月に書いた日記, '00年04月に書いた日記, '00年03月に書いた日記, '00年02月に書いた日記, '00年01月に書いた日記

'99年12月に書いた日記, '99年11月に書いた日記, '99年10月に書いた日記, '99年09月に書いた日記, '99年08月に書いた日記, '99年07月に書いた日記, '99年06月に書いた日記, '99年05月に書いた日記, '99年04月に書いた日記, '99年03月に書いた日記, '99年02月に書いた日記, '99年01月に書いた日記

'98年12月に書いた日記, '98年11月に書いた日記, '98年10月に書いた日記, '98年09月に書いた日記, '98年08月に書いた日記, '98年07月に書いた日記, '98年06月に書いた日記, '98年05月に書いた日記, '98年04月に書いた日記, '98年03月に書いた日記, '98年02月に書いた日記, '98年01月に書いた日記

たろのページへ戻る

(C) 2016 TARO. All right reserved