2013年11月の日記&雑感


だらだら書いた日記です。
日記中のURLはメンテしないので,切れてる場合もあります。 あしからず。


11/30(判断しないというスタンス)
アマゾンで本を売っている人が,不当なレビュー を書かれたので削除を依頼したらアマゾンに断られたとい う話。
全体的に「自分は正しい,アマゾンはおかしい」というのを疑 いなく書いているようなので,突っ込んでみます。
アマゾンの言い分。「当サイトではすべてのレビューは事 実に基づいて投稿いただいているものと信頼し、審査をさせて いただいており」とのこと。この文の意味を理解できてないよ うですが,これってつまりはアマゾンは真偽を判断しないとい うことです。もっと言い換えると,一書籍の真偽審査なんてやっ てる暇無い…って事でしょう。そりゃそうです。アマゾンには 山のように本があり,中には不当なレビューが山のようにある でしょう。でクレームはあがってきてるんでしょうが,中には 嘘のクレームをあげる人もたくさんいるはずです。ということ はクレームに答えることは,真偽判断をアマゾンでする必要あ ることになり,もし間違った判断をすると今度はアマゾンの責 任になるわけで,そんな手間かけられないって事でしょう。
この文を書いた人は,「無実は証明できた」と書いてますが, 文章読まされて証明できたといわれても,どこが?…とし言い ようがありません。少なくとも文中に引用されているのがアマ ゾンへのメイルの全文だとしたら,これを読んで,本当のこと か嘘かを判断することは不可能だと思います。
これね。例えば自分の掲示板があっとして,そこに不当な書き 込みがあったから消して欲しい…といわれるほうの立場を想像 すると,アマゾンの立場もわかるわけです。
よく,役所だったり企業だったり,そういうところに個別の依 頼をして断られるのに悪態をつく人がいますが,イレギュラー なことへの対応は,大きな組織ほど慎重になるものです。少し でも例外を作るとキリがなくなるわけですから。なんとなくそ ういうことを想像できない人が多いなぁ,と時々思います。

11/29(出張)
昨日と今日仙台に行ってました。出張。実は先月も日帰り で仙台に行ったのですが,別の用事。その前は一年前か。最近 意外に仙台によく行く気がします。そもそも30過ぎるまで行っ たことなかったのに。たぶん5回目くらいかと。 といってもいろいろと立て込んでいて,全然観光をする暇無し。 昨夜の飲み会と今日買ったお土産くらいしか,地域貢献できて ない。
最近地方出張が多くて,初めて行くところもあるせいか,後で あれはどこだったっけ?と混同することがたまにあります。頭 に浮かぶ風景がどこかがわからないと。わかってもなぜそこに 行ったのか?が覚えてなかったりします。まぁ仕事の合間に食 事をして,ちょっとぶらついたくらいだったりするので,しっ かりと刷り込まれないのでしょうけど。

11/28(認知症)
先日NHKスペシャルで "認知症800万人"時代というのを観まし た。認知症とされながら一人で暮らしているお年寄りの話でした。 番組では介護の人が施設に入れようと苦心してるのを流してい ました。
観ていて思ったのは,施設に入れないとダメなんだろうか?… ということ。確かに部屋は恐ろしく散らかっているし,食事も うまく取れてなかったりしてました。でも,ちゃんと服を着て トイレにも行けてるんじゃないか?一応暮らせてるんじゃない か?という気がしました。まぁ部屋を貸している方はたまらな い…というのはあるのかもしれませんが。
あった事とかいろいろと覚えられないようで確かに認知症の症 状はあるんでしょうが,そのことと施設に入れなくてはいけな いということが私にはうまくつながりませんでした。
人に会うのをおびえて自宅にこもってしまうのは,物忘れが激 しいという自分の症状を自覚してるゆえの自信の無さからでは ないか?という気がします。確かに一人で暮らしているとあぶ なかっしくて,介護士とか保護する人に定期的には見てもらっ たほうがいいとは思うのですが,そういうのではダメなんだろ うか?と。
歳をとって物忘れがひどくなり,食事もうまく取れなくなった りするのは,老化ではないのかなぁ?。それで亡くなったらそ れが老衰ではないのか?という気がしてます。
自分が歳をとったときにどうなるかなぁ…認知症になっても一 人で暮らしていてはダメなのかなぁ…と思いました。

11/27(私事)
ちょっと家のほうで立て込んでいるので,今日は日記お休み。

11/26(ウェアラブル)
クロ現でウェアラブルコンピュータを扱っ ていました。
急速に発展してるみたいなことを言ってましたが,私は「いつか 見た風景」という感想でした。 10年から15年位前,腕時計型PHSやHMDみたいのが盛んに研究開 発されました。ですから,今いかに,新しいウェアラブルデバ イスが開発されても,前回何がだめで普及しなかったのかを, 分析しないとダメなんじゃない?という気もします。
そういう視点がまるで番組ではなかったけど。
私が当時と違うのは,まずスマホが存在すること。そして画像 認識処理等がかなり発達したこと。ビックデータといわれる様 なセンサの情報を大量に処理する技術があること,…あたりか なぁ。
案外ウェアラブルデバイス自体よりもそれ以外の物の方が代わっ て来てる気がします。それでもなにかまだブレイクするための ものが足りないような気もするのですが…。

11/25(話を聞かないことを気づくのは難しい)
表題のようなことをよく思います。
自分の長男を見てると,声をかけても気づかないことがあり, 話を聞かないなぁと思うのですが,気づかないことを気づかせ るのは難しいです。そもそも気づいてないから。
これがわざと聞かない振りをしてるなら指摘したり怒ったり諭 したりするんですが,たぶん今のところ気づいてないようです。 そのうち,話を聞いてないことで不利益をこうむることがあれ ばもしかしたら「自分は話を聞けてないのか?」と気づくかも 知れませんが,そういうことはあるんでしょうか?。
そもそもわたし自身,人の声がけに全部気づいているのかわか りません。私の場合,声は聞こえていても,話の内容を聞いて ない,聞こうとしてないこともあるので,聞いてない自覚はあ るのですが,気づいてないこともあるのかもしれません。
世の中には何かに気づかない人っていうのはそれなりにいるの ですが,気づかないことは自覚できないので,難しいなと思い ます。
ちなみに自分の長男を観ていて思うのは,この子はものすごく 良くしゃべるので,言語能力は高いのだろうけど,あまり人の 話を聞きません。というか喋るのに一生懸命で,話を聞くとい うところにまだ至ってないようです。聞かれたことを私は答え ますが,何度でも同じ事を聞いてきます,というか答えたこと を理解してません。まぁ3歳児だからまだこれからでしょうが。
でもなんとなくこのまま行くのではないか?という気もしてま す。人の話は聞かないけど,自己主張ははっきりするし,集中 力もあるので,うまく行けば何かに秀でる気もするのですが, はてさて。
この辺の素養…次男は違う様に感じてますが,こっちはまだ言 葉も喋らないので,まだまだわかりません。

11/24(音楽の革命者を評価するのは難しい)
ネットで 歴代の人気ベース・スタイルの数々をまとめたメドレーを 観ました。いろんな有名プレーヤのコピーを聴けて結構面白なぁ と思ったのですが,奏法を著しく進歩させたエポックメイキン グなプレーヤがわかりにくいなぁという印象を受けました。エ レキベースでいうとジャコがそうだと思うのですが。
さて最近ジミヘンのライブ映像を見ていて,あらためて今のロッ クは基本的にはジミヘンから変わってないというか,それくら いロックの本質をジミヘンがもっていたというのがわかります。
私は ハードロックのギタースタイルはジミヘンが大 きく進歩させた と思ってますが,こういうことを後世検証 するのは結構難しい様に思います。同時期に巷に流れていた音 楽のすべてを知ることが出来ないので,本当にその人が新しい スタイルを作ったのか,巷で流行っていたスタイルを紹介した だけか…がわからないからです。ジャズでいうとマイルスがジャ ズを電化しそこからフュージョンが産まれたと言われてますが, マイルスは単に当時は流行っていたロックやファンクをジャズ のミュージシャンが演奏するということをやっただけかもしれ ません。…とかくとマイルスの業績を否定してるように思われ るので,そうじゃないとは書いておきますが。初期のマイルス のエレクトリックジャズは実験的な要素が多く,単なる引用だ けじゃなくてそこから新しいものを十分に示したと思います。
で,ハードロックの場合,ジミヘンの同時期にクリームやジェ フベックやレッドツェッペリンなどが有名ですが,彼らとの違 い,また当時のその他の流行っていたスタイルを考慮しないと 本当の革新性は判断しにくいようにも思います。
今回当時のビデオをあらためて見比べてみると,ジミヘンは弾 いているフレーズのみならず,サウンドメイキング,そしてパ フォーマンスのスタイルで,他の当時のバンドと一線を画して るのはわかるのですが,演奏してる曲自体は重複があるので, 普通に同じようなスタイルの人がジミヘンをコピーしてもクリー ムをコピーしても同じようになってしまうのではないか?とい う気もします。
そもそも古い革新者を今聴くと,普通に聞こえてしまうのはよ くあるので,やっぱり音楽とか芸術の革新性って,時代背景を かなり理解しないと難しいなぁとあらためて思いました。他人 にミュージシャンとかのすごさを伝えるときに結構難しいなと 思います。

11/23(勤労感謝の日)
予防接種でもしようかと思ったら病院休みだった。
よくよく考えてみると,いつの間にか勤労感謝の日で感謝され る方になってることに気づく。というか,子供がそういうのを わかるようになったのは今年初めてだから,初めてか。
何とかの日とか何かを敬う日というと,昔は子供の日位しかな かったけど,今は父の日と勤労感謝の日なのかと思うと感慨深 い。そのうち敬老の人かも対象になるんだろうけど。
ちなみに勤労感謝の日がハッピーマンデーの対象外なのは新嘗 祭が起源だかららしいが,新嘗祭が23日なのはあまり意味がな いらしい。なんか土曜の休日って盲点だよなぁ…と思った。

11/22(仕事の後飲みに行く)
あらかじめ決めていたわけじゃなくて,その場の雰囲気で 飲みに行こうということになったのはずいぶん久しぶり。

11/21(ルールとして子供を大事にする)
子育ての寛容さを人の心持ちに求めても解決し ないという文章。元の引用は,例の電車でのベビーカー問 題で,日本人が子育てに厳しいという意見。それに対して,日 本は満員電車だからという環境の違いを指摘してます。
個人的には,日本で起きてる対人の不具合を人口密度の高さに 起因するという意見は好きで同意するのですが,今回のケース は若干それだけでもないな,という気はしてます。
というのは,交通ルールとかで横断歩道で歩行者が待っている と,車が止まらないというケースは日本では良く見かけますが, ヨーロッパとかに行くと珍しいです。日本でもとまってくれた と思ってみると外国人だったりします。
これを他人に対して思いやりが足りないと片付けることも出来 ますが,むしろ西洋人と日本人はルールに対しての考え方が違 うのかな?という気もしてます。西洋人,というよりヨーロッ パ人ですが,彼らは結構ルールをきっちり作ることにこだわり ます。技術の分野でも標準化をやるのが大好きです。そしてか なりの手間をかけてルールを決めると,というか決めるからで しょうけど,ルールはしっかり守ります。
そこに乗っからないのがアメリカで,彼らはデファクトが大好 きです。日本人は一応ルール作りにも入りますが,あまり積極 的ではないし,決まっても「ルールはルール」として結構守ら なかったりするように思います。というか,独自拡張とかすぐ する。
ヨーロッパ人はルールをしっかり守る代わりに,ルールを決め るときは自分の主張をかなりします。でも自分の主張が通らな くても決まったら守るように思います。
で,子育てというか公共交通機関で子連れを大事にするとか交 通ルールとかは彼らにとってはルールなのではないでしょうか。 みんなで決めたことだからしっかりやる。ヨーロッパでは女性 の政治家が多いのも●●%以上にしようと決めたらしっかりそ の通りにやるからです。
日本人はルールで決めても,ばれなきゃ良いとか言ってあまり 積極的に守らない気がします。まぁ日本人だけにしておくとルー ル作りをそもそもしません。
周囲の目を気にするといいますが,それゆえにルールよりもそ の場その場の周囲の雰囲気に合わせるように生きているので, ルールが不要なのではないでしょうか?。海外では相手の気持 ちを読んで…ということ放棄してると思われるようなこともあ るような気がします。それゆえに言葉に出したりルールを決め ることを重要視してるんではないでしょうか?。
まぁ実際のところ西洋人の人に聞いた話でもないのでわからな いのですけどね。

11/20(人生の重要なことは一瞬で決まる)
社会人になる頃から,何度も経験してることではあります が,人生の選択はある日突然やって来て,その場での回答を求 められたりします。考える時間が与えられたとしても,一日程 度。
ですので,いつでも判断して答えられるようにしてないといけ ません。今日もそういうことを思いました。

11/19(大企業)
ちきりんが 大企業のほうが成長できるとか完全にウソ というのを書いていました。要は大企業より小さい会社のほう が,新人でもいきなり現場に投入されたり責任のある仕事をす るので成長は早いよ…ってことです。
これ,読んだ時に当たり前じゃないか,そもそも大企業のほう が成長が早いとか言った人いるの?とか思いました。もっとも 最終的な成長がどっちがあるかはわかりません。というかそれ ぞれじゃない?という気がします。
で,それは良いとしてそれを読んだ学生が, 僕は大学を卒業したらまずは、大企業に入りた いと思っていると書いていて,そっちのほうが面白かった です。
つまりちきりんが書いている小さい会社のメリットよりも,大 企業のデメリットとして書かれているほうのことに魅力(自分 にあってる)を感じたってことのようです。
「そもそもみんな成長したいのか?」「成長しなきゃダメなの か?」という疑問を書かれているように,成長しなければいけ ないという発想自体が実は限られた人向きの考え方でしょう。 おそらく多くの人は,楽で,安定していて,十分に食べていけ る仕事のほうがいいのです。それが退屈ならば,余った時間を 趣味とかに費やせばいいわけですから。
世の中にはいろんな人がいて,上昇志向の高い人から,安定を 望む人,自分が何を望んでいるかわからない人とか様々です。 ですから常に上昇して成功するのを善とする人生を語っても, 多くの人に響くとはかぎりません。なんとなくちきりんってバ ブル時代の成功者体験のイメージでしか語れないのかな?とか 思いました。
まぁ実際のところ,そうではなく上昇志向があっても大企業に もメリットはあります。大企業はとにかく時間がかかりますが, その分,じっくりと物事を進めたり勉強する余裕があります。 歳を取ってからのキャリアパスも安定的なものが多かったりも します。
なので,大企業にいたほうが安心して自分を磨くことが出来る… 人もいるよ…と私は言っておきます;-)。

11/18(芸術家)
芸術家は露出狂という文を読みました。要 は,芸術に関する批評家というのは芸術家になりたいと思って いたのにあきらめた人が多い。その人と芸術家を分け隔てるも のは,露出狂かどうか?だという話です。
芸術家が自己表現になるものなら何でも露出することをいとわ ない…というのは同意なんですが,批評家ってそうじゃないの?… と思ったのですが,読んだほかの人の意見を読むと,批評家は 自分のことは語らず,人のことばかりを評価する…っていうの を読んで,なるほどそういうものか…とも思いました。
というのは,私自身が批評家の心情を理解してませんでした。 批評家も「批評」という自分の作品を発信してるのかな?と思っ ていたのですが,そうじゃないのかな?。そうなのかもしれま せん。よくわかりませんが。
さて,私自身は芸術家志向が強いという自覚はありますが,実 際は芸術家になってません。でも,研究者になって学会発表し たり,学生の前で話したりするのは大好きです。会社の人には 言ってませんが,仕事を選ぶときに「自分の名前が出るもの」 というモノサシを実は結構使ってました;-)。私は芸術とは作 家性であり,自己表現だと思っているので,そういう意味では 仕事を作品としてやってるといえます。なので,芸術家ではあ りませんが,芸術家のほうの気持ちのほうが良くわかるのだろ うか?…と思いました。
まぁリンク先は露出狂として極端な芸術家が出てきますが,実 際はそういう素養はあるものの,そこまでしなくても,表現が 出来れば,踏みとどまっている人は本当の芸術家にもたくさん いるでしょう。まぁ研究者も名声を得るためにマッドな方向に 走ることはありえるので,やっぱり芸術と研究はそんなに差が 無いのかもしれません。
ついでに批評について,というか,自分も絵や音楽の批評をし ますが,「自分がどう感じたか」を強調する書き方をします。 そういう意味で,自分を隠して評論をしてるつもりもありませ ん。その辺が,いわゆる評論家ではないのかな?とは思いまし た。
と,今日はこんなところで。

11/17(「東京」出身)
昔,大学生か,社会人になって間もないころかなぁ,「東 大に行くには,東京出身の人が有利なんだろうか?」とか思っ たことがあります。まぁ東大に限らないのですが,早稲田とか 慶応とか,その手の大学,そして,そこからいわゆる一流企業っ てやつ。
実際私がいる会社はいわゆる大企業ですし,東大やその辺の大 学出身の人が結構います。そして結構東京出身の人が多いんで すよね。ちなみに「東京出身」書きましたが,周辺都道府県 (神奈川とか千葉とか埼玉とか)の人も結構多いです。
私は地方の公立高校出身で,でもその高校は一応県下では2位 くらいの進学率を誇る高校だったのですが,でも東大に行くの は学年では2,3人くらいという印象でした。1位の高校はもっ と行っているようでしたが,それでも県下で東大に行くのは年 間何人なんだろう?という感じです。でも「東京」出身で東大 に入る人は,もっと桁違いに多いですよね。
とか考えると,東京の高校生の方が優秀なのか?とか,思った りしました。東大に限らず,他の一流校に行くとして。
結論から言うと良くわかりません。というのは,まず首都圏と 地方だと人口が全然違います。だから人口比率で言った場合に, 本当に東大の進学率が高いのか良くわかりません。
あともっと重要なのが,進学率が高かろうが,進学数が多かろ うが,結局はいい大学にいくかいかないか?というのは個人の 問題です。くじ引きで行くわけではないので,結局本人が試験 に受かるかどうか?ということです。人口が多いということは 優秀な人も多いでしょうけど,そうでない人も多いので,一人 の人を追ったときにどっちに入るかわかりません。
まぁ首都圏はお金に余裕がある親は子供私立学校に小さいとき から入れて,中高一貫校とかそういうのに入れますし,その時 に入試があるので,ある程度優秀な子供だけを集めて受験勉強 が出来てるかもしれません。地方の場合は一番出来る高校は大 抵公立ですから,一環校ではないし,金持ちの子供だけが集まっ てるわけでもないでしょう。
そういう違いがあるとは思いますが,それが一学生にあってる かどうかはたぶん人事に違っていて,優秀な人の中では萎縮し てしまう学生もいるのだと思います。
結局のところは,一個人を観て,その人の学力が伸びるか?は 東京と地方でどっちがあってるかはわかりません。ただ一つだ けいえるのは,東京でいい高校に子供をやろうと思うと,結構 金がかかるんだろうなぁということです。地方の場合はうまく 行けば公立の学校だけで県内上位を走ることが可能なわけです。
まぁどっちがいいのかなぁ…とよく考えますが,よくわかりま せん。

11/16(休日)
朝からとてもいい天気。お昼前後久しぶりに公園で子供と 遊んだ。
ところで夕食後,9時前くらいに地震があった。千葉が震源で, 我が家でも震度3か4くらいあったらしくしっかり揺れた。この 夜は,寝る頃(12時くらいにも体感する地震があった)。
数日前にも茨城での地震があったけど,最近どうも東北ではな くて,茨城とか千葉で盛んに地震が起きているように思う。
何かの余震ではないか?と思うと,ちょっと気持ち悪い。

11/15(点をつける)
昨日の続き。勉強させるって話。
そういえばと思ったのが,私は授業でいろんな音を聞かせて, 「●●と聞こえた人,××と聞こえた人」と手を上げさせるこ とがあるんですが,たまに正解があるものをやると,学生はす ごく燃えるようです。大体は正解が無い,人によって感じ方が 違うものを聞かせるので,「いろんな感じ方がある」が正解な のですが,中には「どこまで違いがわかるか?」みたいのがあっ て,そういうの一応正解があるわけです。全員がわかることが 前提じゃないので,わからないのでかまわないのですが,「外 れた悔しい」とか学生は感想を述べます。点数つけるわけじゃ ないのに。
思うのは,よく順位付けが良くないとか言いますが,子供自体 は順位付けって好きなんですよ。結果に良し悪しがついてこな いタスクより,つくタスクの方が好き。その結果が成績に結び つくかどうかは別の話なんだと思います。これは勉強社会でつ いた習慣かもしれないし,もしかしたら本能的にそういうもの なのかもしれません。どっちでも良いけど,やる気を出させる ためにはある程度点数付けはあってもいいように思います。
話がそれますが,私は自分が教えてることは専門分野なので, みんなに役に立つかどうかはわからないとは思ってますが,一 つだけ全員に理解して欲しいメッセージは,「人はそれぞれ感じ 方が違う」ということです。これはきちんと理解できたら,絶 対に社会では役に立ちます。そして自分が人と違うことをちゃ んと理解できるということは,大人になることの要素の一つだ と思ってます。
自分が人と違うということがわかっても,じゃぁ具体的に自分 は人と比べてどうなんだ?ってことがわからないと,不安があ るものです。そういう意味では点数をつけられて,比較をされ るというのは,劣等感も感じることがあるとは思いますが,安 心できる部分もあるのではないでしょうか?。多様性が叫ばれ る社会で,人と違うことが強調されると,かえって,自分が何 者か?がわかりにくくなります。ある意味多様性が求められる 時代だからこそ,点数付けというのは意味があるように思いま す。要は,尺度がたくさんあればいいのですから。

11/14(勉強させること)
仕事で大阪に日帰りで行きました。グランフロントに寄る 用事があったので初めて行ったのですが,グランフロント(北 側)側のJR出口が立派でちょっとびっくりしました。奇しくも なんでJRの駅は片側しか栄えない所が多いの かというネタを今朝読んだのですが,大阪は北口の方がで かくなってしまったなぁ。
別の話。
講義がネット配信されても、たぶんそんなに教 育のあり方は変わらないという文を読みました。
一言で言うと,学校で授業を受けることの要は,モチベーショ ンを高めること(その時間勉強にだけ向かい合わせること)なの で,自分でやろうと思わないとやらないネット配信は対面授業 に取って代わるわけではない,って話です。
これはきわめて同意です。わたしもだいぶ前から,学校に行っ て授業を受けるもっとも重要な点は,その時間勉強だけをやら せることだと思ってます。だからどんなに教材が優れていよう が,自宅で勉強をやれ,というと勉強をやると強い意志を持っ てない人は勉強できません。もっとも,リンク先で言及されて いるように,勉強する気が高いときは,その時間に合わせて集 中できるネット講義の方が良い場合もあります。
よく学校での勉強より,社会人になって学ぶ方が勉強の意義が わかって有意義だという話も聞きますし,それは同意するとこ ろもあるんですが,それでも,自分の経験からしても,学生を あの膨大な時間教室に押し込めて,勉強以外のことのやりにく くするというのは,かなり重要なことなんじゃないか?という 気がします。勉強の意義を納得させると,そりゃ,本人のやる 気は向上しますが,そんなことを待っていたらいつになるか? というか,勉強する必要性を感じて勉強を始めても遅いって言 う部分もあるんとおもうんですよね。
勉強を教える(教師),勉強をやらせる(親)立場からいうと,学 生が勉強がやる気が無いのは当然で,要はどういう風にそれに 向かい合わせるか?って話で,とりあえず決まった時間に教室 に押し込むというのがベーシックなところで,後は,興味を持 たせるとか,やる気が無くても身につくようなドリルをやらせ るとか,いろいろ手段はあるのですが,その辺は結局は教師の 能力というか裁量になります。先生の質も様々なので,難しい ですよね。
最近,授業をやっていて,面白いといってくれる学生もたくさ んいますが,逆になんか学生に媚びてないか?自分,と思うよ うなこともよくあります。まぁでも,毎週決まった時間拘束す るのを何週間もやるんですから,少しでも記憶に残るようなこ とをして,将来「あぁこれはアレのことか」と思って欲しいと は思ってるんですよね。

11/13(ガム)
くだらないネタですが,珍しく怒ってみる。
職場のトイレに行ったら,小用のところに,ガムのカスが捨て てあった。たぶん誰かが吐き出したのだろう。
なんかすごく腹立たしく思った。このガムを捨てた人は,この ガムをどうしてくれ…と思ったんだろう?。小用の便器は塊を 決して流さない。大きいところなら,流せば流れていくが,水 に溶けないガムのカスは,誰かが拾わないと永遠にここに残る。 つまりこれを誰かに拾ってくれ…と思ってることになるのだろ うか?。それとも永遠にここにあってくれ,と思ってるんだろ うか?。
案の定,今日もそのガムは昨日と同じようにあった。うちの職 場は,2,3日に一度は掃除してるようだから,明日はなくなる かもしれないが,昨日から今日までこのガムのカスは何人の人 の衆目を浴びたのだろう?。歯形がしっかり残っていた,もし かしたら歯形を合わせたら誰のかがわかるかもしれないくらい。 他人の体の型を取った様なモノを見るのは,あまり気持ちのい いものではないが,そういうのを見せたい人なんだろうか?。
小用の便器にごみを捨てるのは結局掃除の人が拾わないと,そ のごみは回収されない。拾うということは,多くの人の小便が 付いたものを掃除の人が触るということ。そういうことを強要 しているということになるのだが,ごみを捨てる人はわからな いんだろうか?。
いろいろ考えたが,どう考えても,小便器にごみを捨てる人の 心情が理解できない。しかも歯型の付いたガム。
ちなみに道端にタバコの吸殻を捨てる人もあまり理解できない。 先週の日曜にごみ拾いをしたけど結構あった。こちらは紙だし, 外だから,捨ててもどこかに飛んでいくとか,雨で溶けちゃう とか勘違いしてるのかもしれないけど,結構残ります。まぁ道 端にごみを捨てる人はいずれにせよ理解できないところもある んだけど,やっぱりトイレの小便器にごみを捨てる行為が一番 理解できません。

11/12(生活様式輸出)
昨日の クローズアップ現代は「“日本式”生活習慣を 輸出せよ」という話でした。
車や家電という様なモノ,アニメのようなコンテンツだけじゃ なくて,これからは生活習慣を輸出しようという動きがあるそ うです。例として,スーパー銭湯とか,医療検診とか,学校給 食とか。高品質やサービスにうるさい日本だからということの ようです。
微妙に違いますが,私が以前,日本の「 文化を輸出するような方向に行くべき」と 書いたものに通じます。私が書いたのは,生活様式というより は,ブランドや日本の料理とかそういうものですが,要は日本 独自のもので,日本人が普段使っているものということです。
オリジナルなものが日本にあるものであれば,海外が真似をし ようと,日本のものが「ホンモノ」として求められるからです。 日本にどれだけ多くのテーラーがあろうが,イギリスやイタリ アのスーツをありがたがって着る日本人がいるのと同じことで す。
そういう意味でいうと,生活様式というのは,確かに日本独自 のものではありますが,あまり日本のブランド的なものではな くので,そのうち完全に海外の人が真似をしてしまうと,日本 の中に価値が残るのだろうか?という気はします。
ただこれまで,日本人は西洋で考案されたものを,安く,高品 質に作って輸出することで利益を得たのですが,それが通じな くなって,日本独自のものを売ろうとする姿勢になっているこ とは良いことだと思います。アニメはだいぶ前から,そういう 雰囲気になって来ましたが,まだまだ日本には売れる,という より世界に広めることが出来るものがたくさんあるんじゃない か?という気がします。

11/11(日記)
日記らしく今日のこと。
今日は朝からずっと一時間ずつ打ち合わせみたいな感じで,ば たばたしていた。メイルを書く必要があったのだけど,結局打 ち合わせが終わった夜になってしまった。
帰りに外に出たらえらく寒くなっていた。いよいよ冬だなぁ, という感じ。ドアの眼張りをしないと。
自宅に帰ったらTVにつなげてるWi-Fiの子機WLAE-AG300Nが死ん でいた。電源ボタンを何度押しても,立ち上がらない。ボタン を押したときのみランプが点滅する。コンセントを抜き差しし ても変わらないので,手の打ち様がない。ここしばらく,スリー プモードに入らなくなっていて,結構熱を持っていたので,そ れが兆候だったのかも。

11/10(水)
自宅の水道料金をチェックしていて,どうも最近水道代が 高いことに気がつきました。調べてみると一年ほど前から現在 の使用量になってます。それ以前は結構月によって水道の使用 量に変動があったのですが,その後はコンスタントに水道を使っ ていて,大体一年前は今の半分から三分の一程度でした。
もしかして漏水してるのか?と想い,メーターを調べると漏水 していない様子。結局のところ一年ほど前から水道の使用量が 増えてるしか言えない様でした。
一年前というと下の子供が増えて,家族が増えたことで,洗濯 の量が増えたであろう事,あと上の子がオムツが取れて,トイ レで用を足すことになったからではないか?という気がしまし た。お風呂も少しは増えているでしょうが,独身の頃から,わ りとお湯を張って入っているので。
私は家庭で使う水はお風呂が一番大きいのか,と思っていて, 洗濯も最初の水は風呂の残り湯を使っていたのですが,よくよ く考えると,最初の洗いより,すすぎの方が遥かに水を使うの で,選択の回数や量が増えれば,水道の使用量も上がるんだろ うなぁという気がします。あと紙おむつだと,水道をほとんど 使いませんが,トイレですると小用でも水を流すので,結構積 もり積もるモンなんだなあ,とあらためて思いました。食器の 洗う水の量も増えたでしょうし。
もちろん電気やガスも使用量は増えてるのですが,こちらは季 節変動の方がやっぱり大きく,人数が増えたことでコンスタン トにあがったという印象印象はありませんでした。
ところで,水の単位である,立法メートルですが,最近どこか のブログで「デシリットル(dL)」って社会に出て全然使わないねと いうのを読んで,そういえばそうだよなぁと思いました。確か に学校でdLを習いましたが,通常液体の量は,mlか,cc,そ の上はL(リットル)を使いdLは使いません。そういう意味では 無駄な単位を教えてるなぁと思うのですが,「デシ」が10分の1の意味であることを学 ぶのには役になってるので,そういう意味で教えてるんだろう か?という気もします。デシというとdBがありますが,これは 理系の高校かあとは大学にあがるくらいでようやくきちんと習 うので。
余談ですが,「リットル」をwikipediaで調べていたら,クロード・リットルという人の話 が書いてあって面白かったです。この人が「リットル」という 呼び名の由来かと思いきや,実はエイプリルフールのネタとし て広がったもので,実際はリットルはラテン語由来ですが,直 接はフランスのリトロンという単位が元となってるとの事。人 名由来のうそが出たのは,通常は人名由来の単位だけが大文字 を許されてるのが,リットルの「L」は,小文字だと「一」と 紛らわしいので,大文字で書くことも許されてる事からだとか。 人名由来以外は小文字で書かれてるというのも知らなかったの で,ちょっと興味深かったです。
ということで,水道からいろんな事が今日はわかりました。

11/9(休日)
今日は雨は降らなかったけど,曇っていてだいぶ寒かった。 ほとんど家を出ず,夕方に買い物に行った位だった。

11/8(頭で食べると食材偽装は困る)
高級料亭やレストランで材料の偽装が多く発覚して話題に なってます。この話,聞いたとき,ふーん,というくらいしか 思いませんでした。まぁあんまり関係ないような高級店なので, 縁が無い,というのもあるんですが。
で,ひどい先入観で申し訳ないのですが,今回阪急阪神ホテル とから発覚したという件もあり,「また関西か」と思いました。 いや,船場吉兆の件とかあったじゃないですか。だからなおさ ら。
なんかもしかしたら,関西では材料の表示とか洒落なのかな? とか,「うまけりゃいい」とか,そういうノリでもあるのかな?と か少し思ったりしますが,こういう先入観を与えるあたりは, 今回問題を起こしたところの罪なのかしら。
もっとも大阪は食都だし,京都はそれこそ貴族の料理があった ところで,料理の技巧には伝統があるわけだから,材料なんて 腕前でなんとでもなる,というある意味自負があったりするん じゃないかな?とか思ったりもします。材料の産地とかで勝負 するっていうのは,腕前に自信が無い証拠じゃないの?とか, そういう考え方も,どこかで聞いたことがあるような(関西の 話ではないけど)。
まぁ今回のニュースを聞いたとき思ったのは,「材料の産地表 示とかしなけりゃいいのに」というものです。だって,食材の 産地を決めちゃったら,仕入れが大変じゃないですか。同じ材 料が同じ場所で一年中安定して取れたりとか難しいですよ。す ぐに破綻するのは目に見えてます。季節で変えるんでしょうけ ど,でも昨日と今日とで同じものが手に入るとは限りません。 そんな無茶止めれば良いのにと思うわけです。
まぁ個人的には,今のご時勢,小さい子供とかがいると,家庭 で使う食材の産地はちょっとは気にしますが,外食はまぁいい んじゃない。そもそも,産地が決まれば食材の味が決まるとい う考えも変です。どこどこ産の魚だとどうとか肉だとどうとか。 産地より状態の方が重要な場合もあるだろうし,魚だと遠洋も のだと産地とか意味あるの?って感じ出し。
というわけで,レストランでの産地表示は変だと思ってはいま したが,一方の材料自体を変えちゃうというの。これも,物に よっては,そこまで細かく正確にしなくてもと思うことはあり ますが,一方で,本物の味を知りたいという動機で,高級レス トランに行くこともあるので,嘘書かれると,嘘覚えちゃって 恥ずかしいなぁというのはあります。イセエビって美味しいと か思ったらロブスターだったりとかだと,味を覚えたこっちが 恥ずかしいというか。
というわけで,その辺はしっかりしてくださいな,とか思いま す。
まぁでも産地とか材料をメニューで見て選ぶもの,味よりも頭 で味わってるなぁという気もするのです。そういう意味じゃ, そういう細かい食材表現をするメニューが増えていること自体 が,日本人の舌がいい加減になってるか,料理の売りがそれし かない…という証拠なのかな…とか,思います。

11/7(ストラディバリウス)
NHKスペシャルでストラディバリウスの話をやってました。 ストラディバリウスというと,バイオリンの名器。価値も突出 していて,十数億のオークション価格がついたりします。楽器 の世界ではとても有名なので,私自身もいろんなことを聞いて います。なので,今回の話は私的にはあまり初めて聞いたよう な話は無くて,どちらかというと初心者向けの内容ですが,そ れでも映像もたくさん出てきたので面白かったです。マルチマ イクでの指向性の測定とか,CTを使った断面の測定は,新しい 研究かな。
ストラディバリウスの結構面白いな…というところは,音のこ とよりも,一人の職人が作ったにしては結構数が多いというこ とです。600本以上確認されているそうで。これが例えば10本 しかない…とかだとすると,現役の 演奏家が愛器として使うとか結構不可能になるんではないでしょ うか?。そうなると,ただの骨董品になってしまいます。結構 数が残っているから,一流の演奏家が弾いて,またその演奏家 から伝説を聞けるわけです。また価値が数十億というすごい価 格ですから,多くの研究者が研究テーマに出来る。これが例え ば数千万の価値だったら,そんなに多くの人が何十年も研究す ることも無いだろうなとか思います。
とか音とは関係ないところで反応してしまいましたが,楽器が 社会全体で名器と認めるには,音とは違う部分でも条件がある のではないか?と思いました。
さて,ストラディバリウスがどうしていい音がするのかはいま だにはっきりしてません。ついでに書くと,本当に他の楽器に 比べ突出していい音がするのかも良くわかってません。ブライ ンドテストではリスナーは聴きわけがつかなかったという実験 結果もあります。でも演奏家がわかるのであれば,それはそれ で意味があります。演奏家のインスピレーションに影響します から。
多くの職人がストラディバリウスの音を目指しながら,だれも 到達できないのか?というのは,よくわかりません。ストラディ バリウスが数百もあるのであれば,その中にもばらつきがある だろうに,そのばらつきの範囲に入るバイオリンを作ることも 出来ないのでしょうか?。一本一本そのままというのは難しい にしても。
いろいろと不思議な気もしますが,逆にこういうことは,あま りクリアにならなくてもいいのかな?という気もしてます。先 に書いた様に演奏家にインスピレーションを与えることが重要 だと思うので。

11/6(外の顔)
今日は長男の幼稚園に参観に行きました。長男が幼稚園に 上がってはじめての参観でした。これまで入園式とか,運動会 とかで幼稚園を観に行った事はありますが,普段の幼稚園での 様子を見るというのは初めてです。といっても息子もこちらが 来てるのはわかってるので,本当にいつもの幼稚園の様子とい うわけでもないんでしょうが。
それでも,やっぱりどこか,普段の家にいるときの様子や,運 動会とかを観にいった時の様子とは違っていて,これが彼の外 の顔なんだろうな,とちょっと思いました。これまでは,一緒 にいる時か,もしくは妻が一緒にいるときの様子を聞いてとい う感じだったので,幼稚園の先生や他の園児にまぎれて,そこ でどうしてるのか?というのを観たのは新鮮でした。
まぁ今のところ,驚くほどのギャップは無かったけど,こうい うのだんだんギャップは大きくなるのかもなぁ,と思いました。

11/5(田舎とイオン)
イオンで一日過ごす「イオニスト」」とい う記事と,その辺に関係して, 「イオンモールは文化の破壊か?向上か?」 という話。
イオンなどのショッピングモールにより地元の商店街が駆逐さ れるとか,店舗文化が画一化されるとかいう話はかなり前から 聞いてました。でも,最初のほうのリンクを見ると,千葉とか 埼玉の話なんですよね。田舎といってもそんなものかよ…とか 思ってしまいます(笑)。
よく観るのですが,首都圏で田舎…とか語られているのが,千 葉だったり埼玉だったり栃木だったり群馬だったりすると,そ れって,九州人の感覚ですると,十分都会ですよ…,都会の田 舎の感覚で田舎を語るな…というか真の田舎は,モールなんて 立たないよ…かもしれません(苦笑)。
…とか言いながら,私も上京して20年経つので,現状の九州の 片田舎の感覚は良くわからないのですけどね。でもイオンじゃ なくてゆめタウンじゃないかな?とか思ったりして;-p。
実は私もイオンのようなショッピングモールは,砂漠にアメリ カを作る…アメリカ的…というかその土地の状況を省みず画一 化…するという感覚は持ってました。イオンじゃないけど,私 の実家の近くも小さいスーパーがつぶれて,歩いていける範囲 だと,生鮮食品を買いづらい状態になってます。もっともこれ はイオンに限りません。スーパーの集約はいろんなレベルで起 きてます。
一方でショッピングモール型の大型店舗というと私の経験だと, 中学くらいの時に,初めてダイエーに行った時かなぁという気 がします。30年以上前。今のモールより少し小規模だったと思 いますが,スーパーと衣料品以外に確かに本屋とレコード屋が あったりしました。Twitterのほうのまとめ記事にもあったけ ど,田舎によっては,モールが出来る前にはそもそもまともな レコード屋や本屋がなかった地域もあって,そういうところで は,むしろ,新しい文化がきた…という感覚もあったんですよ ね。
…とか考えると,問題はショッピングモールが地域のショッピ ング文化をつぶしたかどうかは一概には言えないな,と思いま す。ただむしろ危惧するのは,モールが出来る前にたいした商 業地域じゃなかったなら,立ったモールさえ,維持できなくな る可能性もあるんじゃないか?ということです。実際,閑古鳥 が鳴いて,テナントが撤退しているモールもあるわけだし。
小さな店舗がつぶれた後に,モール,というかスーパーが撤退 したらかなり悲惨です。車で何十分もかけて買い物に行く必要 があります,っていうか今でもそういう田舎はたくさんあるか。 困るのは車を運転できない高齢者なんですよねぇ…。
文化面よりもっと切実なものがあります。
文化面で言うと,イオンモールとかが画一的だとすれば,それ はそれで残念ですが,実際はどうでしょうか?テナントが入っ てるって事は,地域性もあると思うんですけどね。
まぁ路地に入ったら見知らぬ店がある,という味わいはないの でしょうが。
あとは,幾つか危惧する件はありますが,そもそも自分の生活 圏にイオンモールはないので,それについては,もしそういう ところに住むことがあれば,考えてみたいと思います。

11/4(休日)
今日ちょっとした記念日だったので,横浜に出かけて梅の 花で食事をした。梅の花いつも混んでいる。儲かってるのだろ うなぁ,と思った。

11/3(休日)
観音崎で観音崎フェスタというのをやっていたので行って きました。ブラブラして灯台に登って帰ってきました。

11/2(授業)
講師をしている大学で今日は土曜日だったけど補講をやり ました。今は週一で授業をしてますが,仕事(主に学会)の関係 で,どうしても各期一回程度の補講をする羽目になります。そ の場合,土曜日にいつもやります。常勤の先生だと,授業の空 き具合とか把握しやすいのでしょうが,非常勤だと,履修して る学生の空いている時間を把握するのは面倒で,だいたい土曜 日にやっちゃうわけです。
今回はかなり以前から周知してましたが,今までに無く悪い出 席率でした。もっとも土曜に補講をするのは私の都合なので, 事前に行っておけば,考慮すると言っていて,まぁほとんどの 人が事前に出れませんと言ってました。なので,なんか授業や る前から少ないだろうなぁ,と思っていたらやっぱり少なかっ た。
事前に言えば考慮すると言っていても,土曜に出てきてくれる 生徒ですから,折角なので楽しい授業にしようと,少し授業の 範囲を広げて,デモをたくさんお見せするという形式でやりま した。おかげさまで好評でした。
私の授業は毎回最低一つはデモを入れていて,そのせいか,比 較的好評な意見も多く見られるのですが,今日みたいなのを観 ると,無理をしてでも授業に出たいと思う学生は少ないのかなぁ とか思ったりもします。まぁ必須の授業でもないし,授業でやっ てることを専門にする学生は少ないでしょうから,全員がマス ターする必要も無いとは思ってますが。
学生の授業態度を見てるとまだ学部2年生だからというのもあ るかもしれませんが,受身だなぁと思うことが多いです。私は 大学の授業というのは,必ずマスターしなければいけない授業 というのは,そんなに無いと思っていて,大学ではいろんな授 業をやって,その中に学生は自分の興味のあるもの,習得する 必要があるものを見出してくれればいいと思ってます。そして いざ習得する必要があるとなると,それは授業だけでマスター するのではなく,それはあくまできっかけで,実際は自分で調 べてマスターすべきだと思ってます。
ですから,例えば私が聴覚の授業をやっていて,でもすべての 学生が聴覚をマスターする必要は無いわけです。でも何人かの 学生が聴覚のことを知りたいと思えば,そこから自分で調べて 言って欲しいと。ですから,よく授業で,覚える必要があるか?と か,正解とかを問われるのですが,それは人によって違うとし か言いようがありません。必要だと思ったら,自分で本を買っ て覚えなさいということです。この辺を聞くあたりが受身だと 感じるし,要はテストで点数を取りたいだけなのか?と思って, ちょっとがっかりするところだったりします。
じゃぁ一部の人だけ興味をもって,他の人には役に立たない授 業をやるか?というとそれもつまらないので,一般的な知識と して展開できるようなメッセージも込めるし,豆知識として役 に立つようなこともたくさん織り交ぜることにしてます。まぁ 何より,自分が教えてる分野のことに興味を持ってほしい,と いうのが願いだったりするわけです。
というわけで,事前に申請すれば欠席を許すみたいなことを言 うとちゃっかり休んじゃう人は,まぁ授業内容より,単に単位 が欲しいからでてるのかなぁとかそういう部分が垣間見えて, 萎えるなぁという感じ。まぁ大学2年あたりだと,そういうの あまり考えてないだろうなという気もしてますが。「就職の役 たつのか?」とか最初の方で聞いてきた人もいたのですが,そ ういうのも含めて自分で決めていくのが大学の勉強だったりす ると思うんですけどね。で,授業を切り捨てていくというのは, それだけ自分の可能性を切り捨てていっている,ということだ と思うのです。

11/1(典型な思想が無い時代)
山本太郎氏が天皇陛下に手紙を渡した件。山本氏に何か深 い思慮があってのことなのか,ノリ一発でやったのか良くわか らないし,なんとなく後者のような気もするのっで,この件に ついては,あまり語らないことにします。
一点だけ,不敬ながらちょっと面白いなと思ったのは,以前は 原発反対とか叫ぶ人って,左派だったり,リベラルだったり, 反戦だったり,反国家主義だったり,そういう人が多かったの で,そういう人が天皇陛下に直訴するってこと自体ありえない… という雰囲気だったので,今回の事件は意外性がありました。
でも最近思うのは,こういうステレオタイプな左派・右派とい うのは,もう崩れてきてるんだろうなぁ…ということです。私 自身が,象徴としての皇室を敬う気持ちや,日本には必要だと 思う気持ちが強いのですが,一方で,原発は緩やかになくなる べきだと思ったりしてるし,国の権力強化や全体主義的なもの は嫌い,後,エコ志向がそれなりにあります。ですが,例えば エコ思考が強い集会とかに行くと,そういう人は,天皇制を批 判したり,どうかすると政府は常に悪みたいに言う人が多かっ たりします。で,現実的ではないなぁとうんざすると。
昔は世の中の意見を右と左に大きく分けて,誰かがそれぞれの 意見の典型をすべての項目について作っていた,だから,どっ ちかによると,すべてについて,その典型に従うような感じに なってしまっていたような気がします。でも最近ネットとかで 多くの若者が,政治的な信条を語るようになってくると,いろ んな意見の組み合わせが出てくる…そんな気がします。
個人的にはそういう傾向はよいと思ってます。それぞれが自由 に信条を持てるわけだし,利害や意見が一致するところで協力 をすればいいと思うから。まぁでも実際はそうなってくると, お題に応じて,仲間が変わるから,大きな勢力になりづらい。 だから,政治力が無くなったりするって事なんだろうな,とい う気はします。世の中が不安定になり何も決まらない…って事 になっていったりするんでしょうが。


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