だらだら書いた日記です。
日記中のURLはメンテしないので,切れてる場合もあります。
あしからず。
- 6/30(救済より責任を優先することには同 調できない)
- リンクはしませんが,ネットを観ていたらいくつか,原発 事故があった地域の近辺では小児性のガンが増えているとか, ガン保険のCMが減ったのは,日本でガン発症のリスクが高まっ たからだ…とか書いたり,つぶやいたりしてるページが目に付 きました。
それらのページには,「で,どうしたら?」がまったく書かれ ておらず,その点で私は腹立たしく思いました。どうもそうい う事を言う人は,福島の原発の事故の影響でガンになる人が増 えているということを言いたいらしく,だから,現政権,もし くは東京電力が悪いと言いたい様に読めます。(事故 を起こしたのは現政権の時ではないはずですが?…)。安倍政権が 原子力推進をしてるから,そういうターゲットになるんでしょ うか?。
原発事故の結果ガンが増えたかどうかは,科学的にはっきりと 証明するのは難しいでしょう。でもその可能性はあるかもしれ ません。可能性がある程度あるなら,保険会社がガン保険を積 極的に売らなくなるという行動はありえますが,それより日本 において,現状,ガン保険が儲かりにくくなっているという事 実もあるような気もします。
つまり,証明できないけど,そういうことがありえるよという のは,なにも目新しくありません。問題は,だとしたらどうす べきか?ということです。
一番にすべきは,本当にガンが増えてるなら,ガンにかかって いる人,ガンにかかる可能性が高い人を救う取り組みを行うこ とではないでしょうか?。ガンが増えるなら,真っ先にするべ きなのは,検査を増やすことです。ガンから助かるには早期発 見と早期治療が一番有効だからです。
なぜか原発事故とガンを結び付けたがる人には,そういう事を 述べません,それが不思議です。
ガンが本当に増えるかは,これから何十年もたたないとはっき りません。いま,誰が悪いとかそういうことを言っていても仕 方ないのです。今するべきは,検査の体制の充実化と,その検 査費用を誰が負担すべきか?ですが,とりあえずガン検診の頻 度を増やすことは国は既に進めている様にも見えます。
今ガンにかかった人,かかるリスクが高いとされる人を,どう 救うかを述べず,ただ政権や企業を責める人は,むしろ震災で 被災した人を自分の主張の道具に使っているだけに見えます。 目の前に病気になっている人がいるときに,誰のせい?とか言っ ている場合ではありません。
原発事故の健康への影響は,とても気になるところですが,そ ういうわけで,被災者救済より政権を責めることを優先する人 と,私は同調しづらいと思ってます。
- 6/29(休日)
- 明け方に雨が降っていたようだけど,明るくなって早々に 止み,昼前には日が照るようになった。ということで子供を連 れて公園に行った。最近週末,あまり公園などに連れて行けて なくて,昨日もほとんど一日家にいたので,ストレスがたまっ ていたはずで,喜んで外で遊んだ。
お昼時に帰宅。下の子供は疲れて寝たけど,上の子はずっと遊 んでいた。こっちは疲れた。
- 6/28(休日)
- 折角の土曜なのに雨。ただし降ったり止んだり霧雨だった り。であるけるけど,外で遊べるという感じではなかった。
ガスコンロを新調した。今のも使えていたのだけど,結構長く 使っていることもあったので。
今度のコンロは,タイマーとか,沸騰したら自動で弱火になる とか,結構便利。高機能なので慣れるのに時間がかかりそうだ けど。
- 6/27(ヤジとセクハラ)
- 都議会でのセクハラヤジの件,私はそのヤジの台詞のセク ハラぶりというか下品さとかそっちの方が気になりました。つ まり公衆の面前で人に言うような台詞じゃないよなって話。
紙屋研究所さんによると福岡の議会ではほとん どヤジは出ず都議会は多いと書かれていて,ここではヤジ を行うこと自体が問題しされている様です。でもfinalventさ んのTwitterでは議会でヤジはあってよくて,ヤジの内容を, それこそ公然で議論することで,何を言ってよく何が悪いかの 社会的合意を作るべきだ…という事を言ってたようです。つま り野次行為の是非は人によって意見が異なります。議会は国民 や市民の代表が出てきて議論するところだから,いろいろ言い 合うこと自体は活発にやるべきという意見なんでしょう。ちな みにヤジがだめというのであれば,よく国会の委員会で見かけ るような,採決を止めるために,議長に詰め寄ったり,立てこ もったりするのも,ダメなんじゃない?と思うのですが,線引 きはどこなんでしょう?。
まぁいろんな意見があるなと思ったわけですが,今回の都議会 の件はヤジであること自体より,発言内容のほうが,私は気に なりました。
大体いまどきの会社はセクハラとかを気にしていて,私もずい ぶん研修とか受けたので,どういう発言がNGかはすぐわかるわ けです。そういう意味で今回は,それい言っちゃダメでしょ う…っていう内容でした。
ただし,セクハラというのは非常に難しく,発言内容の是非と いうのは,場所と,関係性と複数の要素で決まります。同じ台 詞でも,誰がどこでどういう関係の人に対して言うかで変わり ます。個人的には私自身が40過ぎまで結婚しなかったことで, 職場とかでもいろいろいわれることがあり,男にいう場合もセ クハラだろとか思っていたので,私の場合は性的なことという より,むしろプライベートな内容をとやかく言われるのが好き ではありません。性的な状態はあまり好きではありませんが, 個人に関係ない場合で,なおかつ気が利いている場合は,まぁ いいかなと思いますが,それもTPOによります。
実は上にリンクした紙屋さんの調査は福岡の議会の話でしたが, ヤジはともかく,一般の場所においては,九州の方が,首都圏 よりはるかに猥談をする人が多いです。なおかつ,その場合女 性が猥談に混ざったりします。福岡はともかく熊本ではそうい う経験を何度もしたことがあります。九州の方が性的な冗談に は寛容な気がします。むしろそれを非難すると冗談がわからな いやつとむしろ言われるかもしれません。
というわけで,今回の都議会の件は,内容的にNGとは思いまし たが,一般論として議会のヤジの是非とか,セクハラ発言の是 非とかに広げると,いろいろと難しいものだなと思いました。
いずれにせよ,都議会のヤジの件に限らず,ずるすると事象に ついて一般論化して多く語ろうとすると,少し変な方向に行 く…っていうのは,そうみたいです。
- 6/26(批判されたくないなら批判しないの が手っ取り早い)
- ネットで見かけた文。とある大学で講師が言った言葉で, 時事で批判されてる人を便乗して「批判するのはおやめなさい」 という言葉。基本的に同感です。書かれてる中で「赤の他人を 公然と批判するのは実は難しい」「品位を失わずに批判するの はきわめて高度な技術と精神力が必要」というのはまったくそ の通りだと思います。
基本的に人を批判するのは下品な行為です。人を批判すること で自分が偉くなったような勘違いをする人が結構いるようです が,はたから見るとかなりみっともなく見えることが多いです。 私は「金持ち喧嘩せず」という言葉が結構好きなんですが,人 といざこざを起こすことを好むというのは,どこか余裕が無い 様に見えます。
というのが元の文に書かれてることと共感するところですが, もう一つ思うは,自分が長年社会で生きてきて思うのは,人を 批判しない人は敵を作りづらいということです。喧嘩しない人 は誰からも喧嘩を売られないってことです。
これはもしかしたら逆のことを思ってる人が多いんではないで しょうか?。よく言われるのは,批判される側に回らないよう に批判する方に回るってことです。いじめもいじめられたくな いからいじめるほうに加担するって話を聞きます。
もしかしたら子供の社会ではそうなのかもしれません。でも自 分の場合は,人と争わない方が,相手も突っかかってこないと いう印象を持ちます。相手が最初に喧嘩腰で来ても,こっちが ふんわりと返していたら,相手もそのうち戦意を失うような経 験を私は何度もしてます。ですから,不用意に人を批判しない ほうが,結果的には敵を作りません,というのが私の経験から の意見です。
それは人当たりよく生きろって事に近いのですが。もちろん中 にはそういう事をやっていると,そういうことにつけこまれた り,変な人にまとわりつかれたりするケースもあります。それ はそういうのを読んで,やんわりと避けて行くというのしかあ りません。そこで相手を批判していても,あまり事態は好転し ないように思います。
もちろんなかには,いろんな人に喧嘩を売って,自分をアピー ルする人もいます。炎上マーケッティングのようなもの。そう いうひとはそういう覚悟が出来ていれば良いでしょう。でも,, 単に敵を作りたくないというのであれば,だれかを批判するよ り,避けているか,むしろほめていたほうが良いような気がし ます。
- 6/25(ドックと保険)
- ネットで見た医療関係のネタ二つ。正確には二つとも医療じゃ なくて,その周辺,ですが。
人間ドックの正常値の範囲が広がるって話。 ネットを観てると,いろいろと政治的な話とか医療メーカや医 者の思惑とかを想像している方もいるようで,まぁそういう点 もあるのかもしれませんが,まぁあまり気にしてもしょうがな いなと思ってます。ちなみに医者も様々ですが,いろんな意見 を言う人がいます。
人間ドックというのは医療行為じゃありません。保険効きませ んから。検査というか,正常な人の中から病気の人を見つける ための一次審査みたいなものです。ドックで異常が見つかった ら,必ず病院で再検査や精密検査をしてからじゃないと治療が 始まりません。そういう意味では,ドックの検査基準が多少変 わっても,医療内容にはそんなに影響が出ないと思います。ドッ クで正常値の範囲でも,不安があれば病院にいけばいいのです から。
個人的には正常値は厳しくても良いような気もしますが,要は こちら側が賢く検査結果を読むことが重要だと思います。
次の話。
がん保険がなかなか払われないって話。
がん保険に入っていて,がんになったのに払ってもらえない事 例が書いてます。私はあっさりと払ってもらったほうなので, そんなに厳しいかな?という感覚です。
「上皮内新生物」では出ないという基準は微妙だなぁとは思い ますが,要は悪性が低いということでしょう。お金が出るのと, 悪性度が高いのとどっちが良いでしょうか?。私の場合も,ちょっ と微妙な病状だったせいか,保険金は出ましたが「出しますが, 危険な状態とは限らないので」と妙に保険会社の人が気を使っ ていたのが面白かったです。
あと二度目が出ないとか,加入後すぐでないとか当然ですし, 入院しないと出ないとかは,契約内容を良く確かめて加入し て,って感じです。
どうも保険会社がわるいというより,加入する人が不用意すぎ るのを人のせいにしてるように読めます。やっぱりこっちも, 消費者が賢くならないとという感じです。
もっともがん保険はおそらく加入して十数年病気にならなかっ たら,払い込んだお金の方が払い戻しより大きくなる気がしま す。そういう意味では貯金をした方がいいのかもしれません。 ただ若くて貯金が無い時代の不安がある場合は入ったほうがい いかなぁ,という感じです。私も入ってますし。
- 6/24(送別会)
- 職場で異動の発令(私のではなく)が今日あったので,今日 は送別会だった。明日も別の人ってことで,しばらく飲み会が 続く。
- 6/23(平和に必要なもの)
- 昨日のNHKスペシャルはワールドカップにあわせて,ボスニ ア内戦の話をやってました。最近いろんな国で内戦や地域紛争 とかクーデターとかよくおきているようにニュースで取り上げ られてます。だいぶ前から,ネット上で子供が戦乱に巻き込ま れていく様子をドラマの様に演出した動画とかが流れていて, 観ていてとてもつらくなります。リアルなニュースでも子供が 多く傷つき倒れている映像とかがあがっていて目を覆うばかり です。
そういう中,安倍総理が憲法解釈変更の検討をしてこともあり, 安倍さんが目指している物が日本の平和を乱すものだ…という とらえられ方をし,そしてその批判と,前記の紛争地域の悲惨 な状況と微妙にリンクさせられているような印象を受けること があります。つまり日本もこうなるぞ,なのか日本がそういう 紛争の加害者や当事者になるぞ…とう意味なのか?。
そういう可能性がまったく無いとは思いませんが,なんとなく 不思議に思うのは,戦争がなぜ起きるか?,戦争をなくすには どうしたらいいか?というもっともシンプルな疑問や考えがほ とんど見かけないことです。戦争は有史以来あるので,なくす ことは不可能ということなのでしょうか?。でもおきやすい状 況とかそういうのってないのですか?。 武力行使を行わないという姿勢が果たして日本を戦争に巻き込 ませない,有効な手段なんでしょうか?。私は良くわかりませ ん。
そういう日本の現状はおいておきます。私は政治学や社会学や 歴史学の専門家ではないので,間違ってるかもしれませんが, だいぶ前からおぼろげに思っているのは,戦争というのは結局 のところ「食べ物の奪い合い」ではないか?ということです。 言い換えると「飢え」が戦争を起こすということです。よく民 族間のいがみ合いだとか宗教の違いとかが,原因の様にいわれ ることがありますが,結局はこれは飢えた人たちが,グループ 分けされ,各グループが足りない食べ物を奪い合うからそうい う風に見えるのではないでしょうか?。
ちなみに「食べもの」とは書きましたが,その前の段階で仕事 が無かったり,お金が無かったり,そういう状態がやってきま す。やってきますが,結局のところ人は食べること,そして家 族を食べさせることに不安があったときに,奪おうとするので はないか?という気がします。
ですから,豊かな国で,食べ物が十分にあれば,他民族であろ うが宗教が違えば,共存している社会はたくさんあります。全 般的に戦争を起こしたり,内乱を起こす社会は貧しい国が多い, 少なくとも一方はそうではないか?ということです。
そうであれば,戦争で死ぬことが飢えで死ぬよりマシとは言い ませんが,ただ戦争だけを回避せよと言っていても,家族や子 供たちは飢えで死ぬわけです。これはとても悲惨です。たぶん 人は飢えに耐えられないのです。飢えるくらいなら人から奪っ たほうがましと思うから,盗みや窃盗や戦争が起きるわけです。
あってるのか間違ってるのかわかりませんが,私はなんとなく そう思ってます。だから,戦争や争いをなくすには,飢えをな くし,豊かになるのが一番だと思ってます。そしてその豊かさ は,貧しい人から奪う豊かさではなく,みんなが食べられる様 になることです。
でもどうすればそうなるのかはわかりません。ただし考えのベー スとしては,それを結構基準にしていているので,貧しくても 平和をという考えには素直に賛同できないわけです。
余談ですが,ちょっと前にも書きましたが,先進国の少子化と いうのは,食糧事情からすると,興味深い現象だと思ってます。 文明が発達して食糧事情が良くなると,必ずしも人口が増える わけでもないというのは,平和的に飢えを抑えることが出来る んではないか?という気もしてます。
- 6/22(毎日なのは)
- どなたかが,私がこういう文章を毎日書いている理由は?み たいなことを書かれていた気がするので,ちょっとだけ書いて みます。もっとも私はネット上にいくつか書いているところが あるので,このページの事かどうかはわかりません。 要は10数年,ほぼ毎日書いているのはなぜか?ということ。
なぜかというのを理由をさすのか?モチベーションをさすのか はよくわからないのですが,モチベーションはたぶん「毎日書 いているから」だと思います(笑)。このページは大体15年にな りますが,15年毎日書いてるから,今更やめるのがもったいな い…という事になります。頻度を減らすって手もありますが, 毎日から一日おき,二日おきとかすると,どこが最適かわかり ません。ずるする書かなくなりそうです。だから毎日書いてま す。私は決まった事を延々とするのはわりと得意で好きなよう です。
理由というか,むしろきっかけというか,そういうのは少し違 います。何のために日記をネットにアップし続けるのか?って ことですよね。人に見てもらうため,というより実は吐き出す ためなんじゃないですかね?。そもそも私は頭に浮かんだこと を,誰かに話さないと気持ち悪い…という性質のようです。浮 かんだ事をそのまま頭に置いていると,それが一杯になって, 他の事が考えられなくなる。そのまま忘れることもありますが, 結構気持ち悪い。で,とりあえず誰かに話せば落ち着くのです が,一人ぐらしが長かったので,ネットに書くようになったと いうわけです。Webに書く前は結構MLとかに書いてました。 解りやすく書くと「王様の耳はロバの耳」と言いたいのでしょ う。
書くと不思議と落ち着くんですよね。自分の中でそのネタが, 軽く収束します。とりあえず置いておいて次のことを考えるこ とが出来ます。
今は家族が一緒に住んでいるので,家族に吐き出してもいいん でしょうが,結構毒も吐くし,上記の通り10年以上続けてきて るので,このままでいいかな?と思ってます。家族にこのペー ジのことは隠してないし。
あと頭で考えてる理由はいくつかあって,一つは私自身が自分 の事をまるっきり信用してなくて,考えがコロコロ変わると思 うので,そのときの考えを残しておきたいということ。後で振 り返るため,とか思いますが滅多に古い日記は読みません(笑)。 ただ人間ってアイデンティティって記憶の連続にある様に思う んですよね。だから古い記憶を参照して置けるようにしておき たいというのはあります。これは酒によって記憶をなくす経験 が良くあったのと,更に昔,麻酔で落ちていく経験をしていて, なんとなく夜寝て,朝起きるのは,死と再生,もしくは再起動 してるような感覚があるからです。朝起きて,今日の自分は, 昨日の自分と同じなんだろうか?とかはよく思います。それを 確認するくらいの意味では軽く昨日の日記を読んだりはします。
まぁ将来息子とかが,親の日記を見て,何か感じるところがあっ たらいいなとかも,今は考えてます。
と理由はいろいろありますが,一番のモチベーションは書いて るからなので,ありっていに言うと「惰性」って事ですかね (笑)。
- 6/21(休日)
- 今日は朝から用事で出かけ,その後散髪をして帰ってきた。
昼ごろ京急が事故って止まっていたので,根岸線を使った。散 髪の後復旧していたけど,買い物をしたかったので戻って,買 い物をして帰った。
- 6/20(普通ですごい)
- 田中圭一の漫画コラムで手塚治虫の話があっ て,読んでいたら,娘さんが,手塚先生は家族サービスも良くやっ ていて良い親だった,という話をしてました。
漫画界の古い巨匠は割りとこういうタイプが多いようで,その 前の回のちばてつやもいいお父さんだったようだし,吉田竜夫 も子煩悩だったという話を聞きます。アニメ界でも宮崎駿はそ うだったみたいです。マンガやアニメが子供向けのコンテンツ だった時代からの人だからというのもあるのかもしれませんが, それにしても多作な人たちでしたから,子供が好きでもかまう 時間がよくあったなと思うし,いらいらすることとか無かった んだろうか…とかも思います。
でも本当の天才は,案外普段は普通に暮らしていたりするもの じゃないかな?という気もするのです。
よく,芸人は「飲む打つ買う」とかいう人もいます。小説家と かでも,家族をあえて大事にしないような人もいるようです。 こういう人たちは,こうやって追い込むことで,普通と違うこ とをすることで,自分を奮い立たせていたわけで,そういうこ とをしなくても創作の泉が沸いてくる人は,自然にやっても作 品をどんどん生み出せていたのかもしれません。
そう考えると,普通にいい人をやっていて,いい作品を作る人 こそが,真にカッコいいという風に思えます。私はずいぶん若 い頃にそういう風に考えるようになって,不良ぽいとか変人ぶ るのはのは,むしろ自分が努力家だといってるようなものだな と思うようになりました。まぁ,物を生み出す苦労が大変なの は想像がつきますが,受け取り手としては,普通ですごいのが 一番だなという気はしてます。
- 6/19(各自がゴミを拾うことと仕事)
- サッカーの日本対コートジボワール戦で,日本が負けた後 サポータが会場でごみ拾いをして帰った...という話が海外の ニュースで美談の様に語られてました。私も日本人らしいな...と は思いましたが,基本的にはいい話だ...と思ってます。
ところがネットで過激なことを言うので有名なメイロマさんが, ごみを拾うのは,現地の人の仕事を奪ってるこ とになると否定的なことを言いました。この文では,前半 に,ごみを拾うのはごみ拾いの仕事を奪うのでマナー違反であ るということが書いてあり,その後には,日本人は自分の職務 以外の仕事を日常的にこなすのでデスマーチが発生すると書い てます。
この二つ,著者は一つことの様に書かれてますが,私は違うこ とだと思います。で,一理あるとは思いますが,そうかな?と 思うこともあるので,ちょっと書きます。
まずサッカー場でごみ拾いをすることが,清掃員の仕事を奪う か?という話。これは日本人が一つの試合でやったくらいでは, そこまで行かないでしょう。清掃員は「今日は楽できた」と思 うだけではないでしょうか?。でもみんなが日本人の真似をし て掃除をはじめたら,清掃員は解雇されるかもしれません。今 回のワールドカップでそこまで行くとも思えないし,今後そう いう風潮になるかな?とも思います。だから大丈夫。
で,実際のところ,どうなんでしょうか?ワールドカップの会 場はいつも清掃が行き届いているのでしょうか?。発展途上国 の海水浴場とかを見ると,誰もごみを片付けなくて,ごみだら けの風景とか見ます。こういうところは,行った人が自分の出 したごみを片付けても,元々片付ける人がいないので,誰の仕 事を奪ったことにもならないような気がします。
あと,ゴミを捨てることで雇用を生み出している...という考 えは,その費用が,自分が受けてるサービスに上乗せされてい る...ということになります。それって良いのかな?という気も します。
なんとなく「清掃員の仕事を作るためにゴミを捨てるんだ」と いう主張には,自分がゴミを片付けるのが嫌という考えが透け て見えるのは気のせいでしょうか?。人の仕事を奪ってでも, やりたいことだったらやるんじゃないのかな?。嫌なことを人 に押し付ける理屈として使っているような気がします。自分が やりたいような仕事のうち簡単な仕事を貧困層の人に提供する ならわかるのですが。
...。
- もう一つ,日本人が職務以外の仕事をやらされる件。これは実 際あります。でもデスマーチが発生する理由とするのは飛躍し すぎだと思います。ただ,それをやるから本業がおろそかにな るとか言うのはそうでしょう。自分の職場でも,昔は別の人職 種の人やっていた仕事(特に事務仕事など)が専門職の人が自ら やるように...という風にだんだんなってます。これは事務職 の人を減らすというコストカットのためです。
自分としてはあまり好ましくは思ってないのですが,ただ,一 つこういうことは思ってます。
専門職は専門の仕事だけをやっていればいい...というのは一 つの考え方です。でも,これは,その仕事がその会社からなく なったら,解雇されるってことを示してます。会社の業務は常 に変化してます。専門職が必要な業務が常にあるとは限りませ ん。専門職は会社をどんどん移っていくというのが当たり前の 西洋なら会社の業務が変われば,転職をすればよいのです。で も日本は,大企業になればなるほど,気軽には転職しません。 入社した人は20年以上一つの会社で働く場合もあります。
となると,職種が変わった時に,他の仕事も出来るように,あ る程度仕事に幅を持たせてやっていたほうがつぶしが利くこと になります。あと,専門職として雇われてもうまく成果が出な い人もいます。特に研究開発とか。そういう人が,そっちの成 果が出ない場合に,他の業務で,同じ職場にい続けて他の人の 役に立つ...というケースもあるのではないでしょうか?。
私の良く知るところでは,出世するには,いろんな業務を経験 しなければいけません。専門の仕事ばかりをやっている人は, ある程度までしか出世しません。逆に専門の仕事をやる人も, 成果が出ないと,しばらくすると,専門の仕事ではなく共通の 仕事に移ったりします。そのどこに行くかの適正は,専門職時 代にやっていた,その業務以外の雑用から判断されたりします。
日本の職場が,担当の専門業務以外をさせるのは,結局のとこ ろ,長期雇用をするために,社内転職をするとか,他のスキル 習得をさせることとつながっていると思います。会社のシステ ムが違うだけだと思います。
そして臨時雇用はこのスキームの中には入ってません。日本は 雑用も含めて何でも出来る人の方が重用されるわけです。
ということで,習慣の違いで済ませてもいいのですが,どっち の習慣の方が良いか?というのは,考えてみても良いでしょう。
- 6/18(STAP細胞の件)
- 私は以前から小保方さんが不正をしたかどうかにはあまり興味 がなく,それよりもSTAP細胞があるかどうかに興味がありまし た。あった方が良いなと。で,どちらかというと小保方さんに ついては,騒がれすぎだと,同情的な感覚を持っていました (理由は後述)。
で,ここにきて共著者の先生が,自分では再現できなかった...と 発言したのを知り,暗澹たる気持ちになりました。共著者が再 現できないのであれば,STAP細胞は小保方さんが示した方法で は作れないのかもしれない...という感覚を今は持っておりま す。となるとSTAP細胞論文は間違いだった...ということにな るわけです。
さて,同情的であると書いた件。世間ではSTAP細胞論文は捏造 だ...とか言って責めているようですが,悪意があって嘘を書 いたのか,単純に間違ったのか...かはわかりません。たぶん 当事者じゃないとわからないし,小保方さんはまだ悪意を認め てません。ただいろんな状況から察するに,実験手法や論文の 書き方に不適切なものがあったという感じはしてます。それが, 小保方さんの研究者としての未熟さから出たものなのか,意図 的にごまかしたのかは良くわかりません。共著者も数名いて責 任を問われてますが,まぁ責任が問われるのは当然でしょうけ ど,共著者が実験や論文の内容の詳細まで把握してないのは, ないことではありません。だからそういうこともあるだろう な...と。
もし,この論文に書かれたことが,ミスや間違いにより書かれ たものであれば,それを責めるのはおかしいと思ってます。研 究にミスや間違いはつき物です。それでも発表をして,時間を かけて,他の研究者が実証していく...というのが通常の流れ です。発表した時点で完璧であることを求めるというのは,研 究に求める態度ではありません。これが小保方さんを責める気 にならない一つ目の理由。
もう一つ,仮に悪意を持って論文に嘘を書いたとした場合,ど うしてもわからないのが,こんな「ばれるような嘘」を書いた のだろう?ということです。しかもこの論文,報道発表したの ですよね。テーマ的にも世間から注目されるのは必至ですし, さらに自分で衆目にさらしたわけです。今回は論文の体裁とし ての不適切から問題に発展しましたが,そういうのがなくても, 注目が高い研究ですから,すぐに追試が行われて,「だれも作 れない」という結果が報告されるはずです。そしてその中に誤 魔化しがあれば,すぐにほころぶでしょう。
ここがわかりません。
この研究だれが論文として発表しようと強く推したのかわかり ませんが,「STAP細胞が出来る」と自信がないと出来ない行動 です。もしかして実験では一回しか成功してないのかもしれな い。実験の手順を十分に確認してなくてミスがあったかもしれ ない。でもできそうな気がするから,世間(他の研究者)に追試 してもらおう...とでも思わないと,なかなか発表できないと 思います。実際小保方さんはSTAP細胞があると強く信じてます よね。
出来る可能性があるから,とりあえず論文化してみた...とい うのもありえるのですが,だったら,報道発表とかしない方が 良かったのではないでしょうか?自らはしてないのかな?。マス コミが大騒ぎして記者会見したとかそういう経緯でしたっけ?
研究者の態度としては,これだけ注目が集まるとわかっていた 研究ですから,自分でも追試を何度もして,確実に出来るとい うことを確認して投稿するべきだったんではないかな?という 気がしてます。ですから共著者が出来ない...といっちゃうの は,かなりイタイ話です。
嘘があったとしたら,明らかにばれる嘘ですから,やっぱり意 図的に嘘をついたとも考えにくいです。不確かな状態で投稿し て,後は世間が評価を決める...という通常の研究の評価の流 れを関係者はイメージしていたのかもしれないなぁ...という 気がします。
- 6/17(学会)
- 私は研究者なので,学会と関わりがあったりします。学会 といっても,おそらく分野でいろいろ違いはあると思うのです が,私が関係するような分野では,学会の会員は大学関係者か 企業研究者です。会員は年会費を払っていて,ほとんどはその 会費で学会を運用していると思います。会費以外には出版,大 会などの参加費収入,セミナーとかの実施費用あたりが収入で しょうか。で,学会の運営は専任の職員が何人かいて,それ以 外は会員の一部が各種役員や委員として運営に参加してます。
私自身も委員みたいのをやっていたりしますが,なんかすごい なぁと思うのは,こういう役はすべてボランティアでやってい るということ。あと委員以外…いや,学会会員でなくても学会 の方から,査読とかを依頼される研究者とかもいるんですけど, こういう学会の業務も通常はボランティアで行います。
で,こういう学会の業務を行う人は,それなりの経験がある研 究者ですから,それなりの稼動単価が高いはずの人です。それ を無償で学会は使うわけです。それが常識です。少なくとも私 がいる業界では。なかなかすごいな…と思うわけです。なぜ皆 さん無償で働くんでしょう。お互い様…ではあるのですが。そ ういう場があること,そういう業務があることが,必要って認 識してるんでしょうね。会費を払い,なおかつ無償で働いてい るわけですから。
少し話がそれますが,さいきんデザイナーとかに無償や低額 で業務を依頼するのが問題みたいに言われる事が時々話題になっ てますが,価値が高い業務を無償で行うケースは別にデザイン とか以外でもあったりします。「お互い様」と本人が思えるか どうか?がポイントなんですかね?
- 6/16(教育ネタ)
- ネットで見つけた教育ネタに反応。
子供に勉強してほしいなら、まず自分がやれば いいって話。
その通り。でも,書いた人の経験談は出来すぎで,本当かしら?と いう気はした。あと自分の場合,勉強するって何なんだろう なぁ...自宅でパソコンいじって物書きしたりしていても勉強 してるって子供は思ってくれるかしら?遊んでいるとか思わな いかなぁ...。本読んだり,鉛筆で書いたりとかするって言う のが子供に見せるのには良いんだろうけど。
次。
大阪の高校生:ムシ触れない6割。虫に触っ たことない子供とかいいますが,ダンゴムシとかゴキブリとか ハエとか,蚊とかはあるんじゃないか?。とか書いて,都会化 が進むと,そういう虫ばかりになるんだなぁとか思いました (苦笑)。
自分は子供の頃,昆虫大好きだったので,子供にもある程度興 味を持って欲しいのだけど,緑が少ないところにすんでいるの で,バッタとかもあまり見ないんだよなぁ。
次。
反転授業の話。ネットで予習をさせて,授 業で演習とか課題とかそういうやつです。良いとは思いますが, 教材がそろうまでが一苦労だなぁ。あと授業で90分喋る内容は ビデオでは60分いかだと思うんだけど,その辺は考慮されてい るんだろうか?。
そんな感じで。
- 6/15(ウナギ)
- 先週,ニホンウナギが絶滅危惧種に指定されたというニュー スを聞きました。代替で輸入されている品種も指定されたよう で,日本のウナギが無くなるとか,うなぎ専門店が打撃を受け るとか,そんな憶測が飛んでいました。
それもそうかな?と思いつつも,そもそも自分が幼少の頃 ウナギって食べてたっけ?などと思いました。
私は別に日常的にウナギを食べる人でもないので,こういう事 を書くのは良くないのかの知れませんが,ウナギを取るのが制 限を受けても,あまり自分には関係ない…と思ってます。とは いえ,実はずいぶん前から,土用丑の日にウナギを食べる習慣 も無ければ,その日にウナギを食べに行く…という習慣も無い ので,結構この件については無関心です。
とはいえ,ふと思うのは,昔,私が子供頃,うなぎというのは, 高級な料理で普段食べ得るものではない,という認識だった気 がします。ウナギの蒲焼とか滅多に食べたことありませんでし た。それがそのうちにスーパーのパックで売っているようになっ たます。
ちょっと気になったのでウナギの蒲焼とか,昔は幾らだったん だろう?と 調べてみました。これを信用するとして, 2000年以前はうなぎの蒲焼はずっと値下がりしていたのだ なぁ…と。確かに自分の記憶を追うと,子供の頃ウナギとか外 食で食べるものでした。それがいつの間にか, スーパーにウナギの蒲焼がおかれる様になった気がします。確か に高いことは高いですが,土用の丑の日にスーパーにヤマの様 につまれているので,多くの人がそこで買って食べてるのでしょ う。
最初書いた様に自分は当事者は無いので,無責任なこと書き ますが,だったらウナギ専門店でしか食べられないようなものに 戻るっていう意味で,元に戻るって話ではないのでしょうか?
今ってウナギにしても,他の料理にしても,昔は贅沢な食べ物 といわれていたものが,大衆料理として安く食べられるように なってる物が結構多い気がします。そういうことが実現してる のは技術の進歩とか,経済的発展とかもあるんでしょうけど, すこし無理をしてるものもあるんじゃないか?という気が,ウ ナギの乱獲とかを見てると思います。
- 6/14(東京タワー)
- 昨日は妻が都心で午後から夜遅くまで用事あったということで, 家族で都心にホテルを取って泊まりました。
今日は朝から東京タワーに登ってから帰ってきました。東京タ ワーは10年ぶりくらいでしょうか。妻は初めて登ったそうです。 朝からいったので,割と空いてました。10年は夕方に行ったの で,改装後の新しい音の演出とかあったのですが,今回は朝だ からか,ちょっとそういうのなし。止めちゃったのか,時間帯 の問題なのか。
でも新しいロボットが置いてあって,それが目立っていたりし て,改装時のトータルな演出感は減ってるようなきがして,そ ういうのをずっと維持するのって難しいんだなぁとか思いまし た。
- 6/13(外泊)
- 今日は家族で外泊しました。
- 6/12(歳をとってまとめてやってくる)
- 私は結婚が遅かったので20代と30代は一人で過ごしました。そ の昔は大学に入ったときから実家を出て,卒業後はそのまま単 身で上京しました。大きな会社の会社員になって,安定した生 活をしてました。
40代になって結婚して子供もできて,会社でもそれなりに責任 がある立場になって…とかそういう状況になって思うのは,な んか一度に来たなぁ…というか,20代30代の時は,自由に出来 る時間がたくさん合ったし,深刻な状況も少なかったよなぁ, とか思います。
よくよく考えてみると,普通の人たちは20代30代で子育てをし て,早い人たちは40代後半とかすると,子育てはひと段落した りします。そしてそのあとに今度は自分の親とかの健康不安が 出てきたりする…ということが多いのではないでしょうか?。
仕事も立場が上になると自分の仕事を自分だけでやるというよ り,周りの人と一緒にするというか,部下や周りなどと議論を して進めるというような仕事が増えます。
といことで,なんか今頃まとめて来てるなぁ…とか思ったりし てます。
ところで,著名人とかが案外歳をとって結婚したり子供を作っ たりするのも,成功して安定したから歳をとって家庭を持った のか,それとも若い頃独り身だったから,無理が利いて成功し たのか…どちらなんだろう…とか思ったりします。
- 6/11(集団的自衛権の話)
- 安倍政権が集団的自衛権のために憲法解釈を変えようとしてる 件。結構重要な話のような気がするのですが,いまひとつ状況 がつかめません。与党内の協議をやっていて,自民党と公明党 の間で話し合ってるのはわかるのですが,どういう話をしてる のか?。グレーゾーンを挙げてとかいうのまでは聞こえてくる けど,じゃぁその例って具体的にどういう事例?。
与党内調整が終わったら国会に出てくるんでしょうが,今は与 党が圧倒的に強いので,あっさり通るような気もしてます。まぁ それでも普通は時間をかけなかったら国会軽視…とかいわれる から,それなりに時間はかけるかもしれませんが,国会の議論 って本質的じゃないところに行くことも多いので,まぁなんと も。なんか野党って要は「顔立てろ」と言ってるだけだったり するんですよね。
というのもあるし,各与党の幹部の話とかでニュースとかで流 れてくるのを観ていると,案外集団的自衛権の行使については 容認というか積極的な野党も多く,はぁ,今の政治家ってそう いう人が多いんだなぁ…という感じ。なんか偏っちゃったなぁ… と。
で,私の意見?。上に書いた様に,詳細がわからないので,な んともとしか。確かに海外にいる自衛官が同盟国の軍隊に守ら れているのに,逆が出来ないというのが問題なのは理解できま す。それとそもそもアメリカとの同盟関係上,あと隣国にある 軍事的不安の事を考えると,致し方ない部分もあるような気も してます。でも安倍総理の説明は断片的にしか聞いてないけど, あんまり私には響かないんですよね。一度ちゃんと聞いてみな いといけないんだろうなぁ…とか思ってますが。
- 6/10(サビとコピー)
- 歌の中にはサビの部分でキャッチーな言葉を繰り返すとい う形式の物が結構あるのですが,これって昔からあるものなの か,いつからか始まったものなのか?が最近気になってます。
古いヒット曲とかを思い起こすと,そういうタイプの曲って少 なくて,さびの部分も普通に文章がつづられている形式が多い のですが,70年代か80年代かはっきりしないのですが,ある時 期からさびにある言葉を何度も繰り返すような物が増えてます。
ただある時期に発明された,というわけではなくて,昔からそ ういう曲は少しはあったような気がするのですが,どこらへん が起源か?というのが解るのか?でちょっと気になってます。
と,今日はここまで,もう少し調べてからまた考えてみます。
- 6/9(戦争の理由)
- 三日前に「少子化って良くできてる」って書きました。
ずいぶん昔,子供の頃,「殺しあうのは人間だけ」って話を聞 いたことがあります。人間同士で殺しあうのは人間だけ,他の 動物は同じ種で殺しあわないよ…って話で,戦争をするのは人 間だけとか,まぁ反戦的なメッセージとして,こういうことは 今でもよく言われるように思います。
そうだよなぁ,と思いますが,実際他の動物が殺しあわないの かどうかは知りません。縄張りやメスを巡っての喧嘩はやる動 物もいるし,それで怪我をして片方が死んでしまうようなこと もあるような気がするので,厳密な意味での同種殺しをまった くしないわけでもない気がします。でも2001年宇宙の旅では, サルが同じ猿を殺したことを知性を得た象徴として描かれてま した。いずれにせよ,これだけ大規模に同種殺しをするのは人 間だけというのは間違いないでしょう。
最近,古い時代を扱ったマンガとか,文明に関する学術書とか を読んでいる関係もあるのですが,そういう血なまぐさい話を たて続けに読んでます。ある文明とか,ある部族が,他のとこ ろを攻めて行って殺して奪うというものです。残酷だとか思い ますが,どうもその頃の時代は,それが普通だったし営みの様 にやっていたような節もあります。
人も動物ですが,動物は普通,生きて,子孫を残します。一組 の夫婦は二人以上の子供を作ることが普通で,通常は増えます。 しかし病気や怪我で子供が育たなかったり,食料が十分に得ら れずに,やっぱり弱い子供や年寄りが死んで…ということもあ ります。動物が増えるという性質を持っている以上,そして食 料は有限である以上,かならず限界が来るわけです。
動物だって,食べ物がなくなったら,縄張り争いをしたりする ことはあります。その争いで直接相手を殺すことはしなくても, 追い出された方は,食べ物を得ることが出来ず餓死します。そ ういう意味では同種殺しをしないわけでもありません。
私が観たマンガでは,家畜を育てるための牧草が足りなくなっ たから,他の部族の土地を奪う,というシーンがありました。 それはイコール他の部族を襲って殺すということになります。 そうなると一種の戦争です。でも食べるために殺すという意味 であり,ある意味プリミティブな同種殺しであり,動物の縄張 り争いと似たようなものといえばそうだな…という気がしまし た。
現在,人間の世界,特に国家間で起きる戦争は,戦争の目的が わかりにくくなってます。食べ物が足りないから戦争をする… という直接的なものはほとんど見えません。独立戦争だったり, クーデターだったり,政治思想的なものだったり…。だからそ の戦争がどういう意味で切羽詰ったものなのかが良くわかりま せん。そもそも現代社会において,ある国が飢えていたら,戦 争の前に国際支援が入ります。食糧難を理由には戦争は起きな いようになってます。
でも食糧難が無くなっても,経済格差や,失業者とかによって 「喰えない」人たちはたくさん出てきてます。そういう不具合 はむしろ国際化によってより進むため,結果的に国家間の争い になりやすい(大国が標的になる)様にも思います。
いろいろ書いてきましたが,結局のところ,人は食べるめに戦 争をしてるのではないか?という気がします。でも現在は食べ られなくなる前に,食べられなくなることを怯えて,戦争を起 こす。権力とか思想とかでわかりにくくなってますが,根本は そこではないかと。
動物でも食べ物を奪い合って争います。そういう意味では,人 間の同種殺しも同じ本能に寄ってるように思います。縄張り争 いの戦いに負けて餓死することよりも,相手を殺すことを選ん でいる様に思います。
そうなってくると,世界から戦争をなくすのはとても難しいわ けです。食べ物が無限にあるわけではないし,座して餓死する のを待つわけには行かないわけですから。
- とか考えてると,実は最初に書いた,少子化,つまり文明が進 んで,人が餓死や病死をする確率が下がると,人は子供をたく さん産まなくなるっていうのは,実に良く出来てるなぁと思う のでした。少子化がいいと言ってるわけでもないのですが…。
- 6/8(休日)
- 雨はほとんど降らないのだけど,時々霧雨みたいのが降っ たりな感じ。夕方に近くなり晴れ間が出てきた。
雨上がりなので子供を公園に連れて行くという感じでもなく, 家の中にずっといる。
そろそろ夏の帰省のことで準備をする時期になっていて, 計画を考えたり,飛行機のチケットを手配したり。
夕方になって家の前で軽く子供を遊ばせる。
- 6/7(雨とお留守番)
- 土曜日。ところで昨夜日が変わる頃(12時頃),住居の外で大きな警 戒放送が流れました。大雨による土砂崩れへの警戒を呼びかけ るものでした。深夜に結構大きな音出すなぁ…と思ったのです が,今朝,市内で午前1時過ぎにがけ崩れがあったとのニュー スを見て,しゃれないならないというか,あの放送は必要な放 送だったんだなぁ…と思いました。
ちなみに今日もほぼ一日雨。夜になってやんだようですが,風 は強いです。電車の時間も乱れているようでした。
今日は子供とお留守番だったのですが,外に出るのも躊躇する ような雨だったので,結局自宅で過ごしました。
- 6/6(終わる世界とは何か?)
- 今日は土砂降りでした。梅雨らしい梅雨。
さて,ネットを観ていたらとある知り合いが「もうすぐ世界は 終わる」みたいな事を,書いてました。まぁその人はそういう 妄想というか,ものの言い方をする人なんだけど,終わるって なんだろうなぁ…と思いました。地球が無くなるって事かなぁ, でも地球がそんなにすぐに(物理的に)無くなるっていうのは考 えにくいなぁ。人類が滅ぶって言いたいのかなぁ,それくらい の妄想はもっていそうだよなぁ。それとも日本が滅ぶって事な のかなぁ…などと。
日本が滅ぶ論は良く聞きます。世界情勢の問題でそういうにな る可能性もゼロではありません。今の政権がやってる政策によ り滅ぶとかいいたい人もいるようですが,今の政権がやってる ことは,世界情勢で滅ぶことに対する防衛かも知れず,まぁどっ ちが正解かはわかりません。
経済状態や少子高齢化で滅ぶって可能性もあるし,環境汚染と かで…とかいうのもありえます。
未来を悲観すればキリは無いわけですよ。
さて話は変わりますが,私は筒井康隆の「幻想の未来」とかアー サー・C・クラークの「幼年期の終わり」みたいな世界観って ショッキングだけど,好きというか,真実だなぁと思うような ところがあります。つまり,世界は進化して,そこには人間も 生物も存在しないような世界になる…という世界観。つまり世 界の営みにとって別に人間も生物も必須ではないわけです。そ ういう世界に少しずつ進んで行きます。
そう考えると,別に国が滅ぼうが人間が滅ぼうが生物が滅ぼう が,世界が終わったことにはなりません。進化したということ かもしれません。ただただ世界は変化する…つまり無常,とい うだけです。
急激な変化起きたら大変ですが,徐々におきるなら,それはそ ういうものかもしれません。
以下,脈絡無く,昔から感じていること。
私が子供の頃日本や世界の人口はどんどん増えていて,将来は 困る,と言われていたのに,あるときから少子化になり人口減 少になった。世の中うまく出来てるなぁ…と思った。様々な病 気が駆逐されて克服されたが,最後にガンが残った。核家族化 が進み,教育や子育てがアウトソーシングされていった,結果 年寄りは家庭で不要になった。労働の自動化が進むと,残った 仕事は能力が高くないと出来ない仕事か,機械ではペイしない くらい雑多で儲けが少ない仕事だけになった。
世界は変化してるなぁと思うわけです。少子高齢化が問題なの か?少子高齢化に対応できない社会や政策が問題なのか。そし てそれを不幸と嘆くのは,狭い視点からでしかありえません。
となると,その不幸を社会のせいにしたり,社会や行政になん とかしてもらう前に,まずは自分で自分たちの身を守る事を考 えた方が良い様に思います。まぁ嘆くのは自由ですけどね。
- 6/5(入梅)
- ちなみに関東は入梅したらしい。関西方面に出張。先に入 梅してるので雨がすごいかと思ったら,途中の新幹線では雨が ひどいところもあったもののついたら降っておらず,結局雨に は降られなかった。夜帰ってきたら,少しぱらついていたけど, ぬれるというほどでもなかった。
天気予報的にはこれからしばらく毎日傘マークが並んでます。
- 6/4(理由なんか要らない)
- ネットで,「子供にどうして勉強をする必要があるの?と聞 かれたら?」という話が盛り上がっていた(一部で)。発端のを 読むと,いろいろ考え「 「努力する力」「あきらめない心」を身につけ るために勉強してるの」というところに落ち着いてます。
でもこれを読んで思ったのは,これを書いている方もなぜ勉強 をする必要があるか...ってことがわかってないんだなぁ...っ てこと;-p。
一方これを読まれて反応した方で, 「可能性を狭めないため」と書かれてます。 これは共感します。この中にも書かれている「やりたいことが ないから(一流大学へ)進学する」というのは,私も学生時代に 考えました。もし明確な目的があって,どうやったらそういう 風になれて,なおかつ失敗した時のリスクとかもきちんと計算 しているのであれば,それのための努力をすればよくて,勉強 が必要ないのであれば,しなくてもいい...とわたしも思いま す。自分の子供に対しても,子供がそこまできちんと考えてい たら,反対はしません。ただし,今の世の中,やりたい事を成 功させるためにすべてをなげうつのは,失敗した時のリスクが 大きいので,その保険がないとやっぱりOKは出せないかなぁ...と は思います。
さてもう一人は勉強の意義じゃなくて, 勉強をするのが好きな人を挙げてます。
さて,自分のことを考えてみて,そういえば自分はどう思った んだっけ?と考えていたら,あまり「どうして勉強をする必要 があるか?」と疑問を持ったことが無い様な気がしてきました。 記憶に無い。でも,そういう質問はしたことがあるような気が します。
ってことは,子供は「勉強がなぜ必要か?」を疑問に思って, そういう質問をしてくるのではなく,単に勉強をやりたくない から,そういう質問をしてくる,そういうケースも多いんでは ないでしょうか?。つまり最初に,「なぜそういう質問をする か?」を親は考えるべきでしょう。やりたくない,なんでもい いから言い訳を見つけて,遊びに行きたい...と思ってるのを, 理屈で勉強は役に立つ...と説得しても,あまりストンと落ち ないように思います。
- もどりますが,自分の場合,勉強をしていた理由は勉強を しろといわれたのもありますが,そうじゃなくてやっぱり勉強 をしてテストでいい点数を取れたり,褒められたりするのがう れしかったからじゃないか?という気がしてます。そして勉強 をせずに,学校の勉強がわからない時に,悔しいと思ったりあ せったりした記憶は残ってます。だから勉強をしてました。
勉強が出来るようになるために勉強をするというのは手段が目 的になってますが,勉強が楽しいので勉強をするというのもや はり手段が目的になってます。うまく廻っているうちはそれで も良いんじゃないか?という気がします。自分の場合,中学の2 年くらいまでは,勉強していい点数が取れるのが楽しくて廻っ ていたのですが,その後に転校により成績が下がって,挫折を 感じました。勉強しても成績が上がらないという実感があった のですが,とりあえずは勉強をしていた気がします。その後再 度転校して,また成績が少しずつ上がって...っていううちに 高校に入りました。この頃になると何でも勉強が楽しい...と は思っておらず,得意な科目は楽しくて,苦手な科目は楽しく なくて...となって非常にムラができました。でも,得意な科 目は,一番を取ろうと思って勉強してた様に思います。
fujiponさんのところにも書いてましたが,サッカーで一流選 手になった人に子供の頃にサッカーを練習すると一流選手にな れるからやっていたか?とやっぱりそうじゃなくて,サッカー を好きで幾ら練習しても苦痛じゃなかった人が一流になってい るように思います。もちろん,「プロになりたい」という夢は 持っていたのでしょうけど。私は子供の頃からの勉強が現在役 に立ったか?と問われると,今は,役に立ってると自信を持っ て答えられますが,上記の通り,役に立つだろうから勉強して いたわけではありません。
別に勉強で成功しろ...というつもりもありませんが,そうい う意味で,子供に勉強をしてほしい時に,「勉強が役に立つか ら」という観点で説得するのは,なんとなく筋違いなような気 がします。子供が勉強が楽しいと思うような工夫を親としては すべきなんじゃないかな?と思います。
- 6/3(描くという性)
- 昨日のクローズアップ現代では福島を描いた漫 画の話をやってました。
最近の美味しんぼの問題がきっかけでしたが,それについては 軽く紹介しただけで,是非については特に述べず。多くは他の 漫画を紹介してました。福島について描いたマンガが実はたく さんある…って紹介してましたが,出来るだけ客観的に描こう として苦労してる漫画家などを紹介してました。
紹介していた漫画家の何人かが言っていた,描かずにいられな いという言葉が正直でよいな…と思いました。
漫画家は表現者だから,何か想いが生じたら作品として出した いと思うのが性だと思います。それを自覚してきちんとそうい えるのは良心的です。逆にそういう想いを隠し,あたかも自分 は社会のために描いている…という風にいわれると,本当にそ うなのか?。では,そう思っていても,それが正しい行動か?と いうのは自分の想いであり,間違いである可能性もある…と思 うのです。ですから,自分は自分の描きたいという思いで描い ているという自覚は重要だと思います。
もっとも番組の中でそういう風に言った方々は,描きたいとい う思いで描きながらも,何が正しいかわからない中で,判断が 出来ないまま,出来るだけ「そのまま」描こうと苦悩してるよ うでした。その苦労があるから自分が描こうとして描いているっ て事に自覚的なのかもしれません。
私がマンガだったり,原発の問題に限らず「自分は社会のため にやっている」と強くいう人をあまり信用しません。「自分がそ う言いたいから言っている」と言う人の方をよく思います。
- 6/2(徒然)
- 特にねたもないので,ネットの記事に手短に突っ込んでみ ます。
/.jpのねたですが, アマゾンが物流センターでロボットを使う計画 とのこと。先日アマゾンの物流センターはブラックな職場 だという話を聞きましたが,だからでしょうか?。こうやって 仕事がなくなるのか?という気もしましたが,実は自動化って 案外非人間的な部分が,最後はできなくて,やっぱり辛い仕事 は人間が...っていう結末な気がします。
仕事を選ぶより,労働条件の改善を目指すほうが良いんじゃな いかな...と最近は思ったりしてます。
次。
若者の居酒屋離れ...って話。ワタミが赤 字になったからってことで。物が売れなくなったらすぐに若者 の●●離れといいますが,そういう言い訳って後ろ向きだなぁ と思います。
ところで読んで興味深かったのは,今の若者は「とりあえずビー ル」というと怒るって話。なるほど。泥酔を避けるっていう話は, まぁそうかなとは思った。
次。
就職試験上位は女子学生ばかり 男子に下駄履 かせ内定与える。試験をやったら女性の方がいい点数を取っ てしまう...って話ですが,優秀なら女性を取れば良いじゃな いですか...と思います。で,実際女性ばかりだと仕事が回ら ないのであれば,それを評価すべき試験を作るべきなのでは?。 欲しい人材を取れない試験自体が間違ってる気がするのですが。
次。
偶数と偶数の和は偶数であることの説明を 中二に教える時に苦労してる...って話ですが,どうやら,中 二位だと代数がまだ理解できないってことらしい。でも絵を描 いても説明できる気がするけどなぁ。「偶数は半分に分けること が出来る」ってことを文字で説明するか,図で説明するか...っ て話の気もするけど...。うちの四歳児に説明できるかしら?。 まだ数字の概念が出来上がってないから無理か(苦笑)。
物の数を数えるくらいはできるようになってるんですけどね。
- 6/1(休日)
- 今日は午前中に子供を二人連れて丘の上の公園へ。1時間ほ ど遊んで帰ってきた。気温が高くて,熱中症にならないかちょっ と心配だったけど,午後も子供たちは元気だった。こっちは坂 登りで疲れました。
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