知覚・人間の仕組みのこれまでのまとめ,その1

はじめに

これまで私は,この知覚・人間の扉に幾つかの説を挙げてきている。 参考文献とかをちゃんと読んでないし,挙げてもいないので, 中には既に他の人が言ってることや,明らかに否定されている こともあるかもしれない。しかし,これらは現時点で私が, 「そうかも知れない」と思ってることであり,一つの可能性である。 もちろん,それだけが正しいと思ってるわけでもない。

これまで,幾つか新しい文章を書くときに,前の文章を リファレンスで挙げていたが,実際読んでみると,その古い 文章でも考えが整理されてなく,わかりにくい気がしてきた。 そこで,今回は,今まで私が挙げてきた,幾つかの考えを 簡単にまとめ説明しようと試みる。それぞれ項目事に書くことにする。

共感の幻想

「他人が感じ考えてることを,全く同じように自分が 感じることは不可能である」というごく当たり前のこと。 改めて書くまでもないが,かなりよく出てくる表現なので 改めて説明。人は自分が感じたことを,言葉や行動や その他の表現で他人に伝えるが,その部分(インタフェース)が あってるので,人と自分が同じと勘違いしているだけである。

共感の幻想(98/3/31〜5/6) で,ある程度詳しく書いてます。

認識の仕方

人工知能や,人間の知覚の研究をみていると,視覚や聴覚にしても ある入力(刺激)に対して,「感じる」という出力をする 「フィルタ」の様なものを前提にしている気がする。 私は,そもそも知覚は入力がなくても出力すると考える。 つまり「発信器」の様なものだ。入力(刺激)は, 出力が暴走しないようにする制御の様なもの。

この考えだと,目をつぶったり耳を塞いでも見えたり聴こえたりすることや, 幻覚なども説明できるし,夢も説明できる。 そして体の一部が損傷しなくなった人が,その部分を感じることも 説明できる。

認識の回路認識の回路(その2)にある程度 詳しく書いてます。

自我とは?

自我を,自分が自分として継続している一つの個体という 同一性と仮定すれば,それは,自分の過去の考えや, 経験の記録(ログ)を連続し一貫し参照していることと, ほとんど同義ではないか?,と考える。これを さらに進めると,時間(前後関係や変化)を感じる部分と 自我を感じる部分は大きく関係があるのでは?と考える。

時間が一次元としてしか感じられないことと,自己が 一つとして感じられることは大きく関係があるのではないか? という辺りから浮かんだ考え。

クロックアップの正体,その1意識とは,その1意識とは,その2ロボットに自我は持てるか? あたりで書いている。

リアリティ

リアリティとは,インタラクティブ性,つまり 自分から外部に働き掛けたとき,何かしらの変化が 自分に帰ってくることから得られるのではないか?という 考え。現実だから必ずしもリアリティがあるわけではない, という思いがあったりする。

いかにリアリティを感じるか? に書いている。

考える場所

脳に注目が集まってるせいか,脳がすべて感じたり, 考えてるという風に思われがちだが,それに対して, ちょっとしたアンチテーゼを提案してみたつもり。 脳の中でさえ場所により機能が異なり,そして脳と 延髄の境目も明確でない以上,末端の神経で物事を 考えている(というか考えに影響を与えている)と 考えるのはどうか?。

少なくとも「大脳がないから,物事を考えてない」というのは 極論な気がする。

考える場所(部位)で 詳しく書いている。

意思とは?

意思とは決断することであろうか?,であれば, 迷うということと表裏一体である。迷うというのは, 判断をする度に違う結果を出す可能性があるということだ。 そうであれば,同じ状況でも違う行動する虫でさえ, 意思があることになる。

これは初出かな?

まとめ

以上,現在わたしが考えている,人間のモデルの 手がかりになるものをちょっとまとめてみた。 本文の方がわかりにくい場合,読んでみるといいかも知れない。


00 May. 2nd


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