認識の回路をはじめとして,知覚・人間の仕組みの扉にある文章で 何度か書いてあるように,私は「人間は自動的に認識している。 しかし現実と掛け離れた認識結果を出さないために,知覚からの 刺激を使用している」という風に考えている。だから知覚からの 入力が弱い場合でもそれなりの認識を示す。それが夢だったり 白日夢などの幻覚だったりする。感覚遮断を行うと幻覚を みるというのもそれで説明できる。
これは自分が白日夢を見たりする場合などから感じることである。 ではあるが,やはり現実のものに対応した認識結果と, 白日夢とはリアリティ(現実感)という意味ではレベルが 違う。目をつぶって何かをみることがあるが,やはり 目で目の前のものを見るのに比べると,断然リアリティがないのである。 まぁ当たり前である。何故であろうか?。
もちろん,我々は生まれてから現実の環境において 認識系を学習・形成してきているので,その形成された 結果と白日夢はかなりの違いがあるという事であろう。だから 幾つもその原因(というか現実との違い)は考えられる。
余談だが。現実をみれば必ず現実感を得られるか? というとそうでもない。人間はあまり経験のない状態だと現実でも 感覚は狂う。無響室では距離感が狂う。単波長光(トンネルとか)で みる映像も何かしら非現実な気がする。この件は,またいずれ 書かせてもらう。というわけで,「これだ!」とは言わないが,一つ要因を 挙げてみる。それはインタラクティブ性である。
私は以前数年,「ヘッドホン音像定位技術」の研究をやっていた。 ヘッドホンで音を聴いた場合に,あたかも目の前から音が 聞えてくるような音を一生懸命つくっていたのである。現状を 書くと,ヘッドホンで音を聴いた場合に,鼓膜の1cm程前に 現実に目の前の生音を聴いた場合と周波数特性200Hzくらいから15kHz くらいにおいて,ほとんど同じパワースペクトル(振幅周波数特性) をつくることは可能であった。周波数に制限があるのは, 測定系と再生系(ヘッドホン)の特性の限界である。パワースペクトルに 制限しているのは,位相スペクトルに関しては方式的に無理があるから である。ちなみにパワーと位相が合えば,全く同じ信号が生成 されていると言える。
さて,ここまで出来ても実は現実の音とは異るのである。 目の前に聞えないのである。ヘッドホン特有の頭の中でなる事は 減るが頭の上でなったりする。これは上記の限界か?,というと 実はそうではないと考える。私は一時周波数の問題か?とも 思ったが,多少はその原因があるが,それだけではないと現在は 考えている。
では,なぜ現実感がないのか?,ヘッドホンで音を 聴いていると頭の動きに応じて音が変化しないからである。 つまり人間は音を耳を受け入れるだけではなく,音を聴きながら 首などを動かしながら変化を確かめることによって,現実感を 得ているということである。実際にジャイロがついていて, 首の変化に対応しているヘッドホンがあるが,これはたいして 音の特性を再現をしていないのにもかかわらず,目の前に音が なってる感じがする。
これはヘッドホンの定位の話だけではない様な気がする。ものを みるとき目は細かく動いていて,動きが止まると良く見えない, という話を聴いたことがある。人間は耳が動かないので,音の 変化は首を動かすのみのようだが,もしかしたら感度を絶えず 変化させているのかも知れない。ここで重要なのは能動的に 変化させ,それにたいする刺激の変化を知覚しているのでは ないか?,ということである。私が,知覚するのは能動的だ というのはそういうことである。
少し違うかも知れないが,双眼鏡でものをみると,遠近感は わかるが,映像が平面的,つまりパネルが立体的に並んでいるように 私には見える。これももしかしたら,ヘッドホンの話と近いものが あるのかも知れない。
こういう風に考えると,人工現実感の制度を上げるには刺激を 正確にすることより,それを感じている人の変化を検出して それに対する刺激の変化を対応づけることが重要な気がする。 人間は常に外界に対し,何かをうったえかけ,その答えを感じている, つまり常に対話していると言えるのであろう。