はじめに
「認識の回路」とタイトルを付けたが,ちょっと違うかも知れな い(^^;)。ことの起こりは,自動伴奏マシンに対する考えからであ る。人間の演奏に合わせて自動的に,演奏をしてくれるマシンを考え る時に当然人間はどうしているか?ということを考える。この様な 場合通常,人間をモデル化し,それと同じものを機械で作ろうとす るようである。
聞いた話
さて,だとすると人間がどうやって「人に合わせて演奏をするか?」 というのがわからなければいけない。私がある人から聞いた話だと, その人はではないか?といっていた。「入力」に認識が入るかどうかは疑わ しい,入力はむしろ「知覚」レベルであり,「認識」は解釈に入る んじゃないですかね?。まぁ細かい話なので,その辺はいいとしま すけど。
- 入力(聞く&認識)
- 解釈(感じる)
- 出力(演奏)
上記のモデルは図的に書くと
┌──┐ │入力│(知覚?) └──┘ ↓ ┌──┐ │解釈│(認識?) └──┘ ↓ ┌──┐ │出力│ └──┘というモデルではないか?知覚できたことを元に,それが何である かを認識し,解釈し,その結果から出力をする,というものである。
私が考えるところ
さて私は実はそうではないのでは?と思っている。どう違うかとい うと,「人間は入力がなくても出力するのでは?」ということを思っ てること。これは人間は常に何かを認識しようとしているというこ と。外部からの刺激(入力)は出力を正しくするために,むしろ「制 御」回路として入っているのでは?というものである。これを図的 に書くと┌──┐ │認識│ └──┘ ↓ ┌──┐ ◎←│知覚│(入力) ↓ └──┘ ┌──┐ │出力│ └──┘という感じである。「解釈」を「認識」に変えたが,実は解釈と 認識は別な気がする。ここで「解釈」を入れるのであれば,出力の 前(◎の後)であろうか?これは認識は常に起きている。ただし間違った(外部とは無関係な) 出力を出さないために知覚が抑制(つまりタガをかけている)のでは ないか?というモデルだ。
なぜそういう風に思うかというと,「幻覚」や「幻聴」や「夢」 があるからである。私は音響の仕事の関係で,ハウリングやノイズ をいつも注意深く聴いていたせいか,いつも「音がなってるような 気がする」のである。軽い幻聴である。「目をつぶると幻覚が見え るので,目を開ける」という話を聞いたことがあるが,まぁ,ちょっ とそういう経験もした。
そういう点から考えると,どうも人間は常に何かを認識したがっ てるような気がしてならないのである。
終りに
と,人間が認識する仕組みについて,結構昔から(数年前かな?)考 えてきたことを,最近の経験から,実感が湧いたので書き留めてお くことにする。でも実は前者のモデルも後者のモデルも実際に作っていくと同じ になる(少なくと外部からは)のかも知れない。前者だって,ノイズ 等が入力されて,幻覚を見るかもしれないし,後者だって,制御が 完璧なら,入力に応じた出力しかでないからである。敢えて分けて 考えてみたが,分けて考えること自体がもしかしたら無意味なのか も知れない。