クロックアップの正体,その1 と意識とは?,その1 を書いた後,電車で帰ってる途中急にピンと来た。 そう,それこそお告げを受けたように:-)。
やはり,時間を感じるというか勘定する(スケジューリングする) 部分と自我というか意識の存在を感じる部分は同じに違いない。 とうことは,「時間を感じること」=「意識を感じること」 ということである。
ピンと来たので,どうしてそうかを,うまく説明するのは 難しいが,幾つか例を挙げておこう。
意識がなくなる状態とは?,寝てる状態や気を失っている 状態が代表的だ。気を失ってる時の時間はどう感じているか? たぶん感じてないはずだ。一瞬で過ぎるということだ。 夢については,ちょっとややこしいので,別途 のべるかも知れない。ぼーっとしていて時間が過ぎた 場合も意識が弱い時だ。
逆に頭が物凄く回転しているとき,時間が経たない時もある。 では,物事に熱中して,時間があっという間に過ぎる というのは意識が弱いということか?。これは説明が 難しいが,物事熱中しているというのは,熱中している対象に 意識が集中しているので,自我自体はあまり意識してないのではないか?。 そう考えると意識と自我の関係も,もうちょっと整理 する必要があるか?…。
さて,私は前回考えることで 意識を保っていると書いたが,よくよく考えてみると それ以外もあった。意識を保ってるというのは, 時間が存在するということ,頭があまり回転してなくても, 時間がある状態というのは,体を動かしている時や, ひたすら作業をしている時とかそうだ。 なんか楽しいことをして笑っているときもそうか?。 そういうときに自分の存在を感じる。
逆にこの辺の(体を動かしてるとき,楽しいとき)の時間の 感じ方を思い出してみると,やはり自分の存在と 時間とが同じところで感じている,もしくは物凄く 深くつながっているという結論に至ったのである。