コリャまた大変なテーマだ(笑)。というわけで, メモ程度であるが,クロックアップの 正体,その1とも関連して考えたので,軽く書いておく。
人の頭の中を覗くことは出来ないので,他人が 普段なにを考えているか?というのは,わからない。 従って,自分が特別なのか?,普通なのか?, というのもわからない。従ってこれから書くことは 想像である。
私は普段何か考えている事が多い。ここで考えると いうのは,問題(課題)があり,その回答を求めている, もしくは感想をまとめている様な状態だ。これが普通であり, 「あっ,あれは○○だ」,「へー,こうなんだ」, 「○○なのは何故だろう?」とかそんなのばっかりである。
でも人と話すと「そんなこと考えてるの?」「難しいこと 考えてるね」なんて言われることが多い(^^;)。はて?…。 ということは他の人はそうでないのか?とある日 思うようになったのである。そういえば良くTVで 「わかんなぁーい」と言ってる女性を良く見る。 人と話していても,「さー??」とか,単に「????」と 首を傾けられることもある。まぁ女性に限らない。 男性も同様の反応を見ることがある。
ということは,他の人は同じようなことを考えてないのか? それとも,そんなに頻繁にものを考えているのか? そういえば,以前「じゃぁ普段何を考えているの?」 と誰かに聞いたことがあるような気がするが, 明確な答えは得られなかった気がする。
とはいっても人が自分と違うかどうかは最初に書いた通り わからない。仕方ないので自分のことを書く。 最近私はボーッとする事を覚えてきてる。 以前は出来なかった(^^;)。常に考えていたのだ。 自分にとって考えるとはどういう事か?。逆に考えないと どうなるのだ?…と考えてみると(^^;),多分考えないと 私は脳が止まる様な気がするのだ。止まる とは意識がなくなる,もしくは時間が一瞬で過ぎる, そんな気がする。そう…,クロックが落ちるように…。 とはいえ私はほっといても何かを 考えるので,そうするの難しい…というか本当に寝る以外に 考えることを止める手段が思い浮かばない(^^;)。
私は物事の本質は変化にあると思っている。 刺激も刺激の変化がないと気づかないものだ。 だから脳の中の意識というものも,何かしらの 脳内の反応の変化によって生まれるものであろう。 私の場合それは考えることだ。おそらくそれ以外もあるのだろう。 単純に楽しいというのも変化だし,興奮や, 悲しみも変化だろう。おそらく考えて無い人も そういうものがたくさんあれば,意識が生じるのではないか?。 最近覚えたボーッとした感覚も,明確な論理的出力は ないが,それなりに脳内に変化があるように思う。
私の場合考えるということは意識を保つために 必要なのであり,既に役に立つとかいう目的は無くなっている。 考えることで自我を得ているのだ。 従って儒教やキリスト教のように知識を持つことが エライというのはどうでもいいし,既にそれは 違うと思っている。考える人は自我のために考えてる のだから,楽しいことで自我を保っている人と 同じである。
だから私の場合考えることは楽しみであり,大事な 自存である。そうすることにより意識があるのだ。 もし考えたりしなくても意識を保てる人がいたら 教えて欲しい,その辺の感覚を知りたいので…。
この辺も,もっと考えてみたい。