音楽の未来

だらだらと長いです(_o_)。

はじめに

最近音楽の著作権絡みの話が良くニュースになります。特に ネットで音楽をばらまいていた個人が訴えられたり,音質に 影響があるコピー制御技術をCDに導入するというような話を聞くと 気が滅入ります。音楽を楽しむ人の著作権の意識の低さにも 呆れますし,レコード会社(主に大手)のやり方にも納得いきません。 そうこうやっていても相変わらずレコードの売り上げは下がり, 従来の音楽ビジネスは傾いているように見えます。

わたしはこれらの事象をみるにつれ,つまるところ音楽ビジネスは 既に今までのやり方では成り立たないのだと思うわけです。 ではどういう道があるんでしょうか?。今回はそういうことを考える 材料をばらまいてみたいと思います(つまりたいした結論は もってません^^;)。

レコードビジネスの行き詰まり

ここ数年レコードの売り上げはずっと下降線をたどってます。 その原因は若者が携帯電話にお金を使っていること(わたしは 日本ではこれが一番大きいと思ってます),インディーズの台頭で 大手のプロモーションによる大量販売が意味をなさなくなったこと, TV以外というようにメディアが多様化したこと, ベスト盤を連発してネタギレになったこと, 新人や新ジャンルの発掘より,名曲や巨匠のアルバムで 安易に儲たこと, MD,PCにより容易にコピー出来るようになったこと, ……,などと多くの理由が複合的に重なりあっているように 思います。これ以外もあると思います。

ですが,ご存じ通り,大手レコード会社(協会)はあたかもユーザの 不正コピーが売り上げ減少の主要因として,不正ユーザの攻撃や コピー制御CDの導入をやっております。そしてその結果利益は 向上したのでしょうか?。はっきりしたことは調べないと わかりませんが,そんなに変わらない気がします。理由は上記に 書いたように,それが主要因じゃないからです。

もっとも,わたしは例えば20〜10年程前のレコード会社の状態が あまりに濡れ手に泡状態だっただけで,そもそもその繁栄が長く 続くのには無理があったように思います。つまりあの時点が ピークだったと…。というわけで,ここから過去から現在まで, 音楽が私たちの周りにどういう風に存在し,またどうビジネスと されていたかを,想像してみます。間違いかも知れませんが(^^;)…

音楽の成り立ち

音楽の始まりはわたしは踊りではないか?と 思います。ですから最初に出来た楽器は声(楽器じゃないですが)打楽器ではないかと…。歌の場合求愛行動だったのかも しれません。まぁそれはいいですが,音楽は当初は個人が歌うもの, もしくは集団のものであり,専業ミュージシャン等はなかったと思われますし, また聴くというより参加するものだったのではないでしょうか?。 しかし,時代と共に個人やグループで楽しむ音楽以外に専業ミュージシャンが 出てきます。

レコード以前

(西洋)音楽史をみていると,出てくる音楽家というのは,宗教家, 吟遊詩人や劇の伴奏の様な芸人,貴族や国(王)のお抱えの音楽家が ほとんどです。民衆向けに初めて演奏会を開いたのは ベートーベンという風に聞いてますが,基本的にそれまでの 音楽家は芸人を除くとパトロンからお金を貰っていたことになります。 この場合,どれだけ売れるかは関係ありません。パトロンが気に入るか だけが重要になるのです。

レコードが生まれる以前は音楽家の音楽は生演奏によってしか 聴くことは出来ませんでした。従っておそらく民衆には 非常に稀なものであったと思われます。プロの音楽を聴きながら食事をしたり 出来るのは貴族だけだったんでしょう。 しかし,一方で素人の音楽はたくさんあったと思われます。今でも 外国にいくと,居酒屋でみんなで歌っているような国があるようですが, そういう風に音楽をみんなで楽しむ…というようなものはあったと 思います。そしてその場合歌われる歌はみんなが知っている曲ということで, 伝統的な歌か,もしくはある人が作った曲にしても口伝で伝わったもので, 必ずしも作曲家自身の演奏をみんなが聴く機会があったとは思えません。 むしろ作曲者の曲を聴いた(もしくは譜面を買った)芸人が,各地に分散して そしてある地方に伝えたというような事がたくさんあったのではないでしょうか?。

そういう意味で言うとラジオやレコードが出来る以前の音楽というのは, オリジナルの演奏というのはあり得なかったことになります(それゆえに クラシックというのは未だに再現を主流に置かれてます)。一番重要なのは 生演奏こそが音楽に触れる唯一の機会だったということでしょう。

レコード時代の音楽

そういう中でラジオの到来,そしてレコードの普及により 音楽への触れ方が大きく変わります。ラジオは一人の演奏を多くの人に 同時に聴かせることが出来ます。さらにレコードはその時間以外も その演奏を再現し聴かせることができます。 ここで重要なのはこれによりオリジナルな演奏というものが 存在することになったことです。

だれもがオリジナルな演奏を聴くことが出来るようになることで, プロの音楽家と素人の演奏がますます明確に分離されていきます。 そしてその事は演奏することと聴くことを更に明確に 分けることにつながります。つまりレコードの発明(普及)により 一般の人にとって通常の音楽の楽しみかたは聴くことに なったと言えます。そしてオリジナルの明確かにより,演奏再現家の 需要は減り,オリジナルな演奏家が録音したものを複製して売ることが 音楽ビジネスの主体となっていったわけです。

このビジネスで一番効率よく儲るには,少ない音源をたくさん複製して 大量に売る事です。つまり一枚のレコードをたくさんの人が買えば 買うほど儲かります。しかし一旦買ったレコードは聴く人は何回も 聴けますから,次々に新しい新曲を出す必要があります。既に 売ったレコードを廃らせ新曲を流行らせるというのも儲るために 大事なことです。

これらを実現するためにレコード会社は流行やヒットをコントロールするために あらゆる手段を考え続け,そして成功してきました。 少なくとも20世紀のほとんどの時代は,音楽のスタイルが目ざましく変化 しました。科学技術の発達,多民族の交流,社会運動, それらが全て音楽スタイルの変化に直結していたのです。 それゆえ若者は常に新しい音楽へ目が向いていました。

陰り:名作と新作の需要

しかしいつからでしょう,次から次へ新しい音楽が生まれ,それが 大量に売れていくという形に陰りが出てきました。私自身は再三 新しい音楽が生まれていない わけではないと言ってますが,それでも新しいスタイルの生まれかたは 変わってきました。少なくとも大きくみるとロック,日本の中で小さくみても ニューミュージックの誕生までは,新しいスタイルは古いスタイルの アンチテーゼとして生まれて来ました。実際はロックはジャズからR&Bを 経て生まれていますし,演歌フォークニューミュージックの流れは, 日本語を洋楽のスタイルに取り込む過程で生まれた正当な進化ですが, 当時の人たちからすると,ロック好きからみると「ジャズは古くさい」, ニューミュージック好きからみると演歌は「年寄りが聴く音楽」と いう風に思われていました。それゆえにそこにはあたかも大きな スタイルの変転があったように思われていたのでした。

ところがロック以降,日本ではニューミュージック以降,スタイルは 連続性をもって変化していきます。もしくはフュージョンの様に ジャズに吸収されることにより境界を 埋められてしまった例もあります。

これによりどういうことが起きるか?。若い人も古い音楽(名曲)を 聴くことになるのです。これは一見,最初に挙げた儲かる手法,つまり 一つの音源が何度も売れる…ということで,レコード会社には美味しい 事のように思われます。それゆえに20世紀後半,レコード会社は キャリアが長いミュージシャンのベスト盤を多発し,それゆえの ミリオンセラーを何枚も作り出しました。しかしそれは結果的に 音楽購買需要の減退をもたらします。なぜならある名曲が ずっと長く流行するのであれば,新しいレコードを買う必要がないからです。 流行に世代の断絶がないのであれば,子供は親がもっている レコードを聴けばいいことになり,購買する必要はありません。 「レコード(記録)」というものの裏目が出ることになるのです。

また,新たに生まれたサンプリングという手法は,新曲で あっても古い音源を含有しており,ある意味(ビジネス的に 良くも悪くも)古い音楽を再発見させるという効果もたらしてます。 古い音楽で十分ということになれば,人は一生聴くだけのレコードを 揃えれば新しいレコードを買う必要はなくなるわけです:-p。 もちろんこれは極論であり,どんなに名曲の音源を手にいれても, 時代性により新しいヒットは生まれると思います。ただ,今までのように 古い曲を否定して,新しい曲がヒットするのでないのであれば, 市場の幾らかは古い作品ということになるでしょう。

レコードビジネスの崩壊

と,ここまでの流れを書いて来ると,今まで(20世紀)のレコードビジネスは あの規模では成立しません。時代性をもった新しい新譜のマーケットは 残りますが,それも需要の多様化により,一枚のCDを数百万枚も複製して 儲かるようなケースは稀になるでしょう(っていうかなってますが)。

ここまでレコードビジネス形態の変遷を書いてきました。もちろん レコードビジネスの崩壊は名曲だけの理由ではなく,最初に挙げた 多くの理由が複合的に合わさって現状の状態なのだと思います。 CDを個人が複製してネットでばらまくことも原因としてゼロだとは いいません。ただそれ以外にもたくさんあるということが重要なのです。

ライブ

さて,それでは今後どうなっていくのでしょうか?。 上記はレコードビジネスの話ですが,一つ大事な観点が抜けてます。 音楽家の音楽の楽しみ方として,レコードを聴く以外にライブを観に行く, というのがあることです。上に一生分のレコードを買ったらあとは不要と 書きましたが,ライブを観に行く,またはレコードで気に入った曲を ライブで観るというのであれば事情は異ります。 なぜなら,名曲になってレコードしか残ってない人のライブは観ることが 出来ないからです。

最近クィーンがヒットしていると日記に 書きましたが,クィーンのライブは既にビデオでしか観ることが出来ません。 ビートルズの曲は広い世代に好まれていますが,彼らのライブを 体験することは不可能です。でもビートルズやプレスリーとかは なぜかそっくりさんの演奏があったりもします:-)。

わたしは生演奏を聴きに行くのが好きですが,音楽をあまり聴かない( でもCDはもっている)友人に「ライブを見に行くお金を払えば CDが買え何度も聴けるのになんで行くの?」と聴かれ,かなり驚いた 事があります。ライブを体験したことない人にはピンと来ないのかも知れませんが, ライブで音楽を聴くことは自宅でオーディオから音楽を聴くこととは まるっきり別の行為です。それゆえにきちんとライブ体験の良さを 伝えていけばライブが不要になることは絶対にありません。 また,わたしは数回しか行ったことありませんが,ディスコやレイブで 踊るのもレコード単に聴くこととも異ります。ディスコはレコードを かけるだけではなく,DJにより会場の状態に合わせて,インタラクティブに 音を出していく場でもあります。

未来

この様に考えると音楽の楽しみ方としてのライブを広げることが, 新しい音楽の需要を高めることになる気がします。ライブ(イベント)の広がり, それがこれからの音楽ビジネスにとって大きな鍵となるように思います。

そして,それとは別に古い名曲を再現するように演奏する人たちというのが また現れる気がします。レコードが普及する以前の,同じ曲を違った人たちが 演奏して,それを聴衆は楽しむというスタイルの復活になるでしょう。

それでも音楽は必要

今まで書いてきた事をまとめると20世紀末のレコードビジネスは これから大きく変化していくことになると思います。単一曲の 大量複製にレコード出版の力を注いでいけば,おそらくうまく行かないでしょう。 しかし,音楽がこの世からなくなることはありません。音楽は人間が 発生したときから既にあり,人間に必要なものだと思うからです。 時には求愛のために必要だったり, 時には宗教のために必要だったり,時にはコミュニケーションのために 必要だったり…,時には芸の演出のために必要だったりいろんな必要が ありましたが,基本的に気持ち良くなるために非常に効果があるものです。 レコードが発達したことにより,「音楽は聴くもの」…という思い込みが 強くなりました。しかし音楽は聴くにしても演奏するにしても,踊るにしても 体験するものであり触れるものです。

そうであれば,わたしは問題ないと思ってます。音楽を利用して 儲ていた人たちは,これから困るのかも知れませんが,最終的に 音楽を作れる人,音楽を演奏する人が,不要とされる時代は 絶対に来ないのだとおもいますから。

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04 Feb. 10th

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