新しい音楽はどこで生まれるか?(かなり長いです)

はじめに

再び

再三書いている話題のような気もするんですが,また 書きます。一応「 最近いい音楽がないとお嘆きの人へ」とか「人が求める新しいものとは?」とか, 何回も書いているんですが,今回もそういう話です。

なんで何回も書くかというと何回も考えるからです(苦笑)。 ラジオを聴いたり,レイブに行ったり, 長年音楽ファンをやってる人と話したり, NPO活動とかエコ関係の人や,まぁ サブカルチャーぽいことやってる人の話を聞いたり, まぁ本やCDを買って読み聴きしたり,そして, 自分自身のいろんな体験から感覚の変化を感じたりして, つまりいろいろあるんですが,無関係のよう思われるかも知れませんが, 基本的にわたしは自分の感覚の観察をするのが趣味で(^^;), 特に音・音楽に対してそれを行うのが非常に好きなので, そういう上記の経験から,あたらし音楽がどこで生まれているのか?と いうことを考えてみたくなったのです。あぁー長い文章だ(^^;)。

というのも,ある程度長年音楽を聴いている人にいわせると「 最近音楽は進歩してない」ということなんですが,確かに 自分の感覚でもそれは分かります。ところが一方でレイブとかに 行くと「もしかしたら,ここから新しい音楽が生まれるのかも」とか 思うこともあるのです。そして他にも若い人とかが読む本とかを読んだり, 幾つかのイベントとかを経験すると,「どうも,自分が立ってる場所が 流行の中心からずれているだけなのでは?」という気がしてきました。 自分の好みとしては,若いころに聴いた好きな音楽に浸るというのも いいんですが(^^;),やっぱり新しいものが生まれるところをみたい, というのぞみがあったりもするのです。

その辺をいろいろ考えて,まぁ20世紀の終りも近づいたってことで, もう一度この話題を書こうと思います。最近うまくオチが出来ないんですが(笑), 今回は大丈夫かしら?(^^;)。

音楽は低迷しているのか?

巨匠が尊敬される現在

先日ビートルズのベストアルバムが出ました。その辺の動きなのか, ジョンレノンミュージアムが日本にできたりとかで,最近 良くビートルズが取り上げられます。まぁビートルズはいいとしても, 他にも,吉田拓郎とかがTVに出るようになったり,山下達朗や サザンオールスターズ等がヒットを飛ばしているようです。 もちろん若いミュージシャンも出てきてはいますが, 20年以上活動しているミュージシャンも大ヒットを飛ばしているという のが現状の様です。もちろんこういうことは昔からあってるんですが, どうも自分が子供の頃と違って感じるのは,こういう年輩の ミュージシャンも若い人に聴かれているということのように 思います。もちろんサザンや達朗は年輩の方が聴いていて,若い人 (例えばGLAYとか)は年輩の方は聴かないのかも知れませんが, やはり若い人が年輩の人と好みの差が無くなってるように, 一見感じます。

どういうことか?と考えるとわたしが10代の頃とかは,例えば 40代の人が聴いていた音楽の中に演歌というのが あったのですが,確かにわたしが子供の頃は演歌を子供もある程度は 聴いていましたが,やはり「古くさい音楽」という風に 評価して避けていたように思います。今の10代と自分が15年から20年 くらい年齢の差があるということを考えると,彼らにとってビートルズとか いうのはわたしにとってはフランクシナトラの様な 位置なのか?(^^;),サザンとかは,だれだろう?南春夫?(笑), もうちょっと新しいほうに振ると橋幸夫とかになったり しないのだろうか?,とか考えるわけで,そう考えると,彼らが 「ビートルズいいね」とか言ってる状況はイマイチ,ピンと来ないわけです。

しかし,実際にこれらの巨匠たちは,広い年代に支持されて いるように思います。ちょっと前に井上陽水がベスト版を出したときも 割とヒットすることが見込まれていて,ああいう巨匠が安定した ヒットを飛ばす時代なんだ…と思ったりもしました。

こういう巨匠たちが広い層に支持されるという理由は, 考えるに,やはり一部で言われるように,音楽のスタイルが 進歩してないため,巨匠と若い音楽にあまり音楽的な差がないから かも知れません。ビートルズが受けて,シナトラが受けない理由は ビートルズの音楽の延長が今のロックであり,そこに大きな スタイル的なギャップがないからなのかもしれないし, 陽水,拓郎,サザン等も今のJ-Popとそんなにスタイル的な ギャップを感じなかったりします。

とはいっても,ではなぜプレスリーは受けないの?とか 考えたりもしますし,正直現在のJ-Popの中には演歌や 歌謡曲(イメージ的には西城英樹や沢田研二あたりの人)の テイストもわたしは強く感じるんですが,なぜかこの辺の人は あまりメディアに登場しません。この辺は,むしろメディアの 戦略なのかも知れません。やはりビートルズもサザンも レコード会社がかなり力を入れて露出しているから, 売れているって見方も出来るでしょう。

実のところをいうと,わたしは毎日ラジオを聴いてますが, 聴いていると,明らかにキャンペーンでかけている曲が 多いことに気づきます。つまりラジオでかかっているからって 本当に売れているのかは分からないわけです。

この辺の違和感がずっと気持ち悪くて,最近TVやラジオで かかっている以外に音楽ヒットしているシーンが どこかにあるのではないか?ということを考えたりも してるのです。

世紀末の功罪

もう一つ,メディアのことを書くと,今年は2000年。 20世紀最後の年。去年は1999年で,やはり終末というか 区切りという意識がとても強いです。いまでもTVやラジオを みると,「20世紀の○○」なんて番組が多くて, そこで古い曲とかがバンバンかかるわけです。

結構面白いと思うのは,ここでいう「20世紀」というのは 世紀といっても結局その人の記憶の中での昔なわけで, 想像もできない昔のことはなかなか取り上げられないのです。 20世紀というと100年あるので,本当は「20世紀の音楽は?」と 聴かれたら「オッペケペ」でもいいはずだし「浪花節」でも いいのかも知れません。「滝連太郎」でもいいのかも知れません。 洋楽でいうと「ルイ・アームストロング」とか「グレンミラー」とか 本来はその辺も視野にはいるべきなのですが,当然,TVや ラジオを見てる人にはピンと来ないので,あまり話題にとりあげ られないわけです。

余談ですが,いま,大学の恩師が20世紀の音ということでアンケートを とってるようですが,やっぱりここをみてもセイゼイ戦時中の 音があげられるくらいで,ほとんどは世紀末の音のようです。

話がそれましたが,結局世紀末を題材にした番組が多いため, どうしても昔の音楽が取り上げられ,しかも視聴者にピンときやすい 世代あたりの音楽が取り上げられたりしてるせいで,結局現役の 巨匠たちが再度活躍しているという現状があるような気がします。

さてこういう風に考えると10代20代30代と同じような 音楽を聴いてることになりますが,本当にそうなんでしょうか?。 TVやラジオ以外の場所で音楽が動いていたりしないのでしょうか?。 どういう場所があるのかをちょっと考えてみたいと思います。

新しいカルチャーはどこで生まれるのか?

マーケティングによるメジャーのプロモーション

「マルチメディア」とかいいますが,画像とかという 意味ではなく,情報媒体としてのメディアがすごく増えている 時代だともいえます。音楽に触れる場所も,TVやラジオやレコード(CD) 以外にたくさん増えてます。インターネットで自分の音楽を 流したり出来ますし,機器の発達により,自分でDJを担いで 野外で流したりもできます。そして同じ媒体と言っても たとえばCDも今まではコストの関係で大手のレコード会社しか 存在できなかったのが,数百枚単位で発売するようなインディーズ レーベルとか,ラジオでもミニFMとか,物凄く多彩になってると 言えるでしょう。

しかし一般の多くの人がやはり情報を得るのはTVや雑誌だったりし, 音楽を聴くのもTV,ラジオやCDだったりします。CDを例に上げると メジャーなCDレーベルから出るCDには100万枚単位で売れるものもあります。 レコード協会に加入してるレーベルを「メジャー」と仮定すると, 日本では22社,この22社で年間1万数千タイトルのCDを出し,数億枚, 金額だと,数百兆円(詳しい数字は間違ってるかも知れないので, 後日調べますけど)の売り上げを上げてます。 従ってそこまでマニアックではない一般の人が感じる現在の音楽と いうのはここから出てくる音楽だと思います。アイドルだったり, ロックグループだったり,そして往年の巨匠だったりします。

しかし,いくつか注意しなければいけないことがある思います。 一つは「マスメディアが流す情報は,かなり操作されている」という点, そして,もう一つ「メジャーの中から次世代の音楽が生まれるわけではない」と いうことです。つまり,メジャーの動きだけを見ていても,新しい音楽の 生まれるところを見ることはとても稀なのだと思います。 特に最近は音楽市場が巨大になったため,レコード会社もマーケティングや 広告の手法を多く取り入れて,ますます複雑になってます。 多くの人がかかわり合ってCDを出していきますから,やはりある程度 売れることが必要で,どんなCDでも無理やり売ろうとします。 以前映画のCMでよく一般の人らしき人が「良かった」とか語るのが よくありましたが,なぜかそういう映画でも始まってしまうと,全然 話題にあがらなかったりします:-p。音楽も雑誌のレビューやFMで 取り上げられているから,本当に売れているのか良くわからないのです。

しかし,音楽に限りませんが芸術の類いは昔から,受け入れられることが 創作のエネルギーになるというのも事実です。昔はパトロンが芸術家を 支えていました。しかし今はある意味マーケットがそうであるため, やはりマーケットを意識して音楽をつくっていくことは大事なことです。 実際売れた大物アーティストは売れ続けるために,新しい音楽的要素を 考えようとしますし,そういう要望に答えて,あまり日の当たる場所に なかった音楽が大きく取り上げられたりして行くことも,大事なことです。

つまりメジャーが最先端の音楽ではないにしても,メジャーがある意味 先端の音楽を支えている,つまりメジャー音楽自体が先端音楽の パトロンになっていると言えるかも知れません。従って, 私はメジャーの音楽自体を否定しないし,そしてその裏にたくさん潜んで いる次世代の音楽を見ていくことが,新しい音楽に触れるという意味で 大切なのだと思います。

インディーズ

メディアの形態が増えているということでメジャー以外の 音楽の出版方式が増えています。インディーズというと 10年以上前だと,ミュージシャンや一部のレコードショップが レコードを作る自主制作というイメージで,実に一部の 人に向けているもので,枚数も少なかったと思います。 しかしここ数年の様子を見ると,インディーズといっても けっして自主制作というわけではなく,メジャーではない( レコード協会に入っていない)というだけで,何タイトルも 出している中堅のレコードレーベルだったり,もしくは自主制作盤を たくさん集めて販売してる販売会社だったりするようになった気がします。

また本もそうなんですが,CD自体を制作するコストが技術の 進歩でかなり下がっていることにより,ある程度のクオリティで 良ければ,CDを個人でも出せるようになりました。 そういうわけで,メジャーのように数十万枚,いや数万枚売れるあてがなくても CDを出せるようになり,実際出すようになってきてます。

話がそれますが,本も最近そうなのか,やたら出版数が増えてますし, メジャーのCDでも旧版と称して,とっくに廃盤になってるものが 出ています。一方放送局や音楽販売形態の多様化(音楽配信とか)の 関係でコンテンツ不足が叫ばれていますが,どうも 本やインディーズなどのことを見てると,違和感を感じます。 本当にコンテンツ不足なんでしょうか?。大量に売れるコンテンツが 不足しているだけの様な気もします。でも多様化っていうのは, 少数派のためのコンテンツを提供できるって言う利点を 私は買ってるんですけど…。

で,もどりますが(^^;),こういう出版側が多くのタイトルを 出せる体制になってる一方,こういうのを受け入れるリスナーも インディーズに注目している様です。もちろん,これは卵と鶏の 関係で,どっちが先とも言えないのですが。

イカ天(なつかしい)から始まったバンドブームは,それまで音楽事務所に 所属しきちんと音楽の勉強して来てからデビューするという これまでの形態から,ライブハウス路上演奏である程度の 人気を得てからCDを自主制作で出し,だんだん有名になるという 音楽家としての成功の道を徐々に広げていった気がします。 そしてこのバンドブームは一時期下火になりましたが,ビジュアル系の バンドの成功や和製ヒップホップバンドの成功で,再びバンドに 注目が向き,話に聴くところによると,最近の若い人は(苦笑), ライブハウス等にロックバンドの演奏を聴きに行くというというのが, マニア的な聴き方であり,インディーズのCDも一タイトル辺りの 枚数は少なくても,多くのタイトルが出版され,ある程度のマーケットを 形成しているようです。

草の根

メジャーとインディーズと挙げて見ましたが,今の時代は, インディーズの数が増えてメジャーとは違った領域で音楽等の カルチャーが生まれている状況な気がします。元々マニアや,ごく狭い 層のカルチャーであったサブカルチャー関連の本等が,本屋で かなりの書棚を占めるようになったりしています。またインターネットの 発達で個々人が情報を発信できたりしていくうち,非常に狭い範囲での 文化圏が出来て,その中でまた独自のものが生まれてきてるように 思います。レイブ等は,ヒッピーのカルチャー(原始共産主義というか)と, テクノミュージックと,エコロジーや平和運動,さらに東洋哲学等が, なぜか混然一体となって形成されているカルチャーですが,…, いや混然一体と感じること自体が,既に感覚についていけてない ということなんでしょうけど(苦笑),彼らもインターネット等を使い, 独自に文化圏を形成しています。

こういう活動は,たぶん物凄くたくさんあって,足を突っ込めば かなりディープでいろんなことをやっているのでしょうけど, 気にとめなければ,存在する関知出来ないようなものなのかも知れません。 これらの動きを全部把握するのは不可能ですが,自分が見えている ムーブメントだけが存在するムーブメントではないと思っておいた方が, 新しいものを発見しやすいように思います。

最先端の音楽は?

メディアによる情報鎖国日本

というわけで,じゃぁ音楽はちゃんと進化してるとしたら,どこに 行けばそれに触れられるのでしょう?。 それを簡単に答えることはむずかしいです。でも至るところにある とも言えますし,海の向うにあるのかも知れません。 なぜなら意外に人は自分の近くのことを知らなかったりするからです。 たとえば,朝電車で一緒になる高校生たちが一体どういう音楽を 聴いているのか,良くわかりません。休日に公園に行くと, 音楽を聴いている人や,演奏をしている人が結構いますが, どういう音楽をやっているかとかあまり気にもとめません。 我々はいつのまにか,電車で横に座ってる人よりも,メディアから 情報を得るようになっています。

またレイブの話になりますが,こういう話があります。 レイブムーブメントと言うかテクノから, その形態の一つとしてドラムンベースというのが 数年前生まれました。これは単に数あるテクノの音楽形態の 一つなんですが,それを日本のメジャーレーベルは新しい 音楽として売り出そうとしたのです。 丁度そのころは,日本の音楽界はT-Komuro等のプロデューサブームが ピークを越え,新しい音楽的目玉を探していたようです。 面白かったのはそのころ音楽好きのスノッブぽい人と話すと, 「これからはドラムベースだよな」とか言ってた人が 結構いたのです。実は私もその時期にこの単語を知ったのですが, 結局今となっては,「ドラムンベース」は他のテクノの形態である, 「アンビエント」「ゴア」「ユーロ」「トランス」等とわりと並ぶ 用語として使われているようです。イギリスでの使われ方は良く知りませんが(^^;)。

他にもアメリカのオルタナ系のロックを売り出そうして, その細分化され過ぎたジャンル名をきちんと説明できる人がおらず うまく行かなかった気がします。

何が言いたいかというと,どうも海の向うでは新しい音楽が 生まれいているようだが,どうもそれをメディアはすぐに売れるキーワード として持ち込もうとして,意味を歪曲し結果として失敗している 様な気がするのです。そういう意味では音楽に関しては情報鎖国に なってるのではないでしょうか?。そのいい例として,先日ラジオで 「アメリカを代表するミュージシャン」を街頭インタビューで 聴いてましたが,「マイケルジャクソン」「マドンナ」「ビリージョエル」 など10年以上前からいる人ばかりが挙っていて,現在活躍している(まさか いないなんて言わないですよね?^^:)人を誰も挙げられませんでした。

それと同じように,最近サブカルチャーやインディーズ等の音楽を 扱ってるミニコミ誌に出ているミュージシャンと,TVやラジオに 出てくるミュージシャンもどうもギャップがあるように思います。

聴かない音楽

ここで少し話がそれますが,今まで一応前提として音楽というのを 漠然とですが鑑賞音楽という風に実は私は捕らえてました。 しかし上に出てきているレイブにおけるテクノ等は,とても 鑑賞音楽と呼べる様な接し方を,その会場で聴いてる人はしていません。 いや,彼らは聴いていません。というより,踊っている, もしくは感じているという感じです。

踊る音楽というと,昔のディスコみたいに,リズムに合わせて 体を動かすのですが,感じるというのはどういうものかというと, 音楽が流れている会場で座ってボーッとしているのです。聴いているようですが, どうも浸ってるって感じの方が適当な気がします。 実は私はこの光景を見たときに結構ショックを受けました。なぜなら 私自身が音楽を聴くときに頭を使い過ぎてるっていう気がしていて, なんか理屈抜きで音楽を聴けないか?と思っていたからです。 もっと肌感覚で音楽を聴きたいと思っていたところに, まさにそういう感じで実行している集団がいたので,ある意味すごく プリミティブに音楽を聴いてるように思いました。

踊る音楽というと,確かに鑑賞には耐えないという場合が 多く実際,テクノの多くはそういう感じなのだと思うのですが, しかし省みれば,クラシックもオペラかダンスミュージック,ジャズも ダンスミュージック,ロックンロールも全部ダンスミュージックから 始まったのです。クラシックが鑑賞音楽になったのはベートーベン の頃でしょうか?。ジャズを鑑賞音楽にしたのはデューク・エリントンと 言われてますし,ロックに知性を与えたのはボブ・ディランと言う人も います。つまり音楽が大衆化して次の大きな鑑賞音楽の群になるには, ダンスミュージックか,何かのBGMの様な過程を歴るものだ私は 思ってます。

確かに今は向かい合って聴くにはイマイチ退屈なテクノですが, そのうち誰かが鑑賞音楽に発展させるでしょうし,どうも私の感覚では 最近,テクノのビートをうまくジャズやフュージョンに取り入れて 昇華しているミュージシャンが出てきてるように感じますし, テクノ自身もクオリティが挙っているように思います。

新しい音楽に出会うには

自らを省みる

さてここまで,現在の私たちを取り巻く音楽シーンを観察し 当たらし音楽に出会うにはどうしたらいいかを考えてみました。 しかじ実は新しい音楽に出会うのに一番大事なのは,自分にそういう 準備が出来ていることではないかと,私は思います。この文章の 冒頭に挙げた「 最近いい音楽がないとお嘆きの人へ」もそういう文章を書いたものです。

良く思い出してみましょう。今音楽を聴くのが趣味の人たちは, ほとんど中学とか高校とか大学時代に,音楽を聞き始め,今も その時代に聴いた音楽は,心に残っているのではないでしょうか?。 中には「あの頃はあの程度の音楽に感動していたのか」とか あまり当時の音楽を高く評価してない方もいるかも知れませんが, 大丈夫。ある年齢を過ぎると実は身にしみていて,実はそういう 音楽が好きなのに気づきます(笑)。いや言い過ぎですけど(^^:)。

いろんな世代がいるのに,ほとんどが学生時代に音楽にのめるというのは, その当時が音楽的いい時代だったというよりも,その年代が 音楽に鋭敏な感覚を持っている,もしくはその年代が体験する 心の状態が,そのときに聴いた音楽に強い印象を残させる,と 考えた方が,自然だと私は思います。つまり,「自我が目覚めていく」, 「目まぐるしく自分の立場が変化する」,「心身の成長で 世界が拡張する」,「いろいろなすてきな体験をする」等と 言った状態が,その時の感性を鋭敏なものにしているのかも 知れません。

そうであれば,歳をとるに従い,音楽がつまらないものに感じるのであれば, それは,そういう状態に自分の心がなってないからだと言えるのでは ないでしょうか?。良く歳をとると,「最近の音楽は代わり映えしない, 似たようなものばっかりだし,昔のパクリが多い」とか言う人がいますが, 良く思い出すと,我々は子供の頃「大人はアイドルの顔の見分けがつかない, 流行りの歌の歌詞を聞き取れない」とか馬鹿にしていたものです(^^;)。 つまり今の若い人から見ると,「わからないから同じに聴こえるんだ」と 思われてるのではないでしょうか?。どうやら人はいいと思うものほど, 細かい違いがわかる様な気がします。最初に出会ったときに, 全部一緒に聴こえる音楽やアイドルでも(笑),ずっと見聞きしていると, だんだん細かい違いがわかってきますし,不思議なことに,違いが わかると楽しくて,好きになるという経験を私は何度かしています。

このように,いい音楽がないと思うのが外的というより,自分自身の 内的要因だとわかれば,実は自分をかえるだけで,すばらしい音楽に 出会う可能性は,無限に広がるのです。すばらしいと思いませんか?。 思わない人も多いかも知れませんが(^^;), 私は楽しい方が好きなので,こういう可能性はすばらしいと思います。

肌感覚をすなおに信じる

さてここまで書けば,後は自分で今まで自分が触れなかった 場所へ,心を開いて入っていけば,自ずと新しい音楽に 触れることが出来るように思います。私はこの文の例で レイブを挙げてましたが,別にレイブである必要はありません。 ヒッポホップでもいいし,スムースジャズでもいいし,アシッドでも, オルタナロックでも,また様々なワールドミュージックでも, 一旦廃れたように見えるジャンルでも,意外に根強いファンが しっかりコミュニティをつくって楽しんでいる様な気がします。 あっ,フュージョンもそうか…(^^;)。

私がレイブを挙げたのは,たまたまレイブが私の肌にあったからです。 ですから,他の方は他の音楽の方が肌に合うかも知れません。 これは何とも言えないのですが,肌に合う合わないというのは, やっぱり多少ある気がして,私も理屈ではなく,細胞が反応する 様な経験を音楽からすることがあり,そういう自分の感覚に すなおになった方が,むしろ音楽のジャンルや世代の壁を乗り越えられるような 気がしてます。この細胞の反応は,今までの経験に依存する場合も あるでしょうし,まだ他のこともあるかもしれません。 これは良くわかりませんが,そういうことはあるようです。

本当に合う音楽にあったときは,やはり言葉にする必要がない位, 気持良くなります。そういう出会いは,まだまだきっとすると 思います。そうなればいいですね。そうなれば,また新しい世紀も 楽しいものになると思います。

最後に

さて,長々と書いてきました。ちょっと20世紀最後ということで, 気合いが入りすぎて,読みづらい文章になったかも知れません。

結局言いたいことを簡単に箇条書きすると,

という感じでしょうか。ここだけ読めば良かったって?(笑)。

まぁそんなに音楽に対して…いや,他の芸術に対しても 古いものも新しいものも含めて,悲観的になる必要はないな, と最近強く思います。自分の視点をちょっと変えるだけで, 今まで気づかなかった,すばらしいものが,意外に近くにある。 そういう気がします。そして次々に新しいすばらしい音楽は 生まれ育っているように思います。

私は音楽に対しては一ファンというかリスナで,別に 音楽家でもなければ業界の人でもありません。こういう自分が 音楽に対しての文章をこんなに長々と偉そうに書くのは,どうかとも 思ったのですが,私自身がここ2,3年でかなりすてきな音楽を はじめとして,いろんな体験があり,自分自身が音楽に対しての 見え方も大きく変わったため,ここにこういう風に書きました。 最後まで読んでくださった方,ありがとうございます(_o_)。


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