人が求める新しいものとは?
先日とある集まりで,CDを持ち寄って聴くというのがあった。 そこで,特にフュージョンを中心に,聴いたのであるが, 半分洒落で,どうも最近多いらしいパットメセニー風の スムースジャズみたいのを数枚聴いた。まぁ,確かに どれも音の雰囲気はパットメセニーグループ風で, 更に柔らかく,聴きやすく仕上がっている。そこに集まって いた連中は,どちらかというと,当たらし物好きなので, こういうミュージシャンには基本的に批判的である。
フュージョンはもともとジャズやロックの周辺から 派生した音楽で,派生した当時は,出てくるミュージシャンが 次々に新しいスタイルを試していった。しかし「フュージョンは何故死んだか?」にも書いたが, フュージョン特有のスタイルが出来,それをその中心のように なってしまったためある意味発展がしにくくなった。 しかし,発展しているフュージョンを見聞きしてきたファンは, それではもの足りず,新しいスタイルを求めている。
フュージョンに限らず,ロックやジャズも発展してきた 歴史があり,それに魅力を感じる人達は…,いや音楽に限らない。 前衛絵画,前衛舞台,芸術…,いずれも前衛を求める 人にとっては,革新こそが芸術であり,魅力であると いえる。前衛ファンではなくても,流行音楽の世界でも, 人と全く同じものをつくっても無視される。人は 飽きやすいから。
では,なんでも新しければいいのか?,というとそうでもない。 全く新しいものは,わけがわからないものと して相手にされないのである。そういうものを聴かせると, 「あたらしいも何も,めちゃくちゃやってるだけじゃん」とか 言われたりするが,実はそうではない。…いやそういうのも あるけれど(^^;)。新しすぎて,秩序を見つけることが出来ない ものは,その中にある本当の意味をつかむことは出来ない。 焼酎が臭くて飲めない人は焼酎の種類の違いはわからないだろうし, 臭いチーズを食べれ無い人にも,そういうがわからないのと同じだ。
現に最初に出たころのフリージャズとかを聴くと,ずいぶん 普通に聞えるし,フラワームーブメントのころの過激なジャズも ある程度サンプリングしてまとめると,ずいぶん聴きやすくなる( これは反則だろうが^^;)。
そうおもうとリスナーはずいぶんわがままだ。同じものを だすと,くだらんというくせに,全く新しいものをだすと, でたらめというわけだ。同じものといっても,リスナーが わからないくらいの違いはあるのかも知れない。でたらめと いっても,リスナーがわからないくらいの秩序はあるの かもしれない。結局,従来の路線の上にちょっとだけ違うものが 求められているって事になる。まぁ,中には「おぉー, なんだかわからんけど,スゲー」とかいって何でも食い付く人もいる。 まぁ下手物食いと同じか…(笑)。
というわけで,良く音楽批評とかで「○○の延長上」とか「○○ の路線」とかいうのをネガティブにとる人がいるが,そんなことは 決してない。最初に出たメセニー風を例に挙げると,あれは, 既にフォーマットである。4ビートをジャズミュージシャンがやっても パーカーの真似とは言われない。メセニー風もそういう風になって しまっている。だから,いいか悪いかは,そのフォーマットの上で, いかにいい作品をつくるかなのである。ウェザーリポートとかの スタイルもそうである。スタイルの新規性だけが,良し悪しでは無い。 そのうえでどうそれを展開しているか?である。
「でも過去に新しいスタイルをつくってきた偉大な人もいるじゃない?」 という意見もあるだろう。でも,それは今だからそう思うのであって, 過去に新しいスタイルをつくってきた人も出たときは結構普通に 捕らえられていたのではないだろうか?。もしくは理解されなかったか?。 結構出た当時はピンと来ないものが歴史の重要な作品になってたり する。もしくはその時代その場にいたら,わりと当然に思える スタイルだったりするのではないか?。当時流行っていたりしたものの ミクチャーとういう感じで。
私が高校や中学くらいの時にヒットして,当時は「うわー売れ線」と 思ったものが,今の時代から見ると,結構名曲とかなってるのを みてて,そう思ったりもする。だからといって,(皆がわかる) 新しいものを産み出すのがたいしたこと無いと言ってるのではない。 すごい人達はたくさんいる。でもそういう人達は,皆一つのスタイルを つくったころには新しいスタイルをつくりはじめている。つまり 一つのスタイルをつくったことではなく,常に少しずつ前に 進んでいるのが偉大なのである。
今回の話は,異論も多いだろうなぁ…。ちょっと我ながら うまく伝えられなかった気がする。