読書メモ(2012年7月〜12月)

最近読んだ本から…メモなどを。

書籍編

オタクの息子に悩んでます(岡田斗司夫著)(12/12/03)
岡田斗司夫氏の本はこれまでも「 ぼくたちの洗脳社会」とか, 「フロン」とか読んでいます。 その他,世の中的に話題になったダイエットの本とかも含め, 内容が全く異っていてジャンルがバラバラなのに,おもしろくて ヒットさせているってところが,執筆量も多いけど,相当に頭がいいと 感じてます。
最近もネットで彼が答えた悩み相談の回答に秀逸なものが多く気に なってました。そんな中,彼が答えた悩み相談の内容,そして, その回答に至るまでの手順について書かれた本が出たので, 楽しみに読んでみました。
岡田氏の回答は基本的論理的。悩みを丁寧に分析し,実行可能な 回答を示すことで,悩んで混乱してる相談者に働き掛けます。 その回答をわたしも読んでうまいな…と思ってましたし,自分が 悩みに対して回答を出すときも方向性は同じと思ってます。 ただそのレベルがかなり高度です。
自分と思考の方向が似てるな…とは思いましたが,その思考方法を ツール化しきちんと整理してるのは凄いと思いました。 中にはわたしも出来てるな,と思うものもありましたが,自分は 整理してないから,使えたり使えなかったりします。こういうのを 並べているところはさすがプロです。
わたし自身,悩まない性格で,それは自分への障害を分析し,出来ることと 出来なことを仕分けし,出来ないことはほっておく…って事が できているからです。ですから他の人にもそういう指導はできます。ただ, ずっと自分がそれで足りないな…と思っているいのは,論理的で実行可能な 回答を示すだけで,悩んでいる人を快方に向かわせることが できるんだろうか?…ということです。この本で言う「共感」が, 自分にはうまくできない…とか思います。
だからその手法を知りたいと思って読みました。さらにそれだけでも 足りないな…と思っていたのを岡田氏がやっぱり書いていて,それは 「愛」でした(^^;)。愛ってどうやって文章に込めるんだろう…と 思いましたが,少しわかった気がします。出来るかどうかはともかく。
質問を手で一度書き写すというのをやっているそうです。こうやって 質問者の温度を感じると。あと質問者に対して感情をきちんともつこと。 立場として書き手を好きになるということです。希に逆の感情を 敢えてぶつけることがあるようですが。そして,愛とは「根拠のない信頼」と 書いてました。そうかもしれません。
そういう風に読んでましたが,多くの質問と回答を読んでいて,あまりに ヒネリの効いた回答で,最初は岡田氏は新聞に載る以上,人生相談も エンターティメントでなければならないと考えているのか?と思ってました。 しかし読んでいくうちに,相談に答えるというのは, 相談者が思いつかなかった回答を与える必要があるということ。 想像通りの答えが返ってくるのであれば,単に話を聞いてあげた…と いうのに等しい。返す答えは必ずしも正解である必要はない。というか 正解はないのだけど,でも意外な答えが返ってくることで,相談者は いろいろ考えるます。視点を変える必要性に迫られます。それが答えを 導き出すキッカケになるのだと思いました。つまりやっぱり質問者を 変えるためにヒネリの効いた回答をするのでしょう。
凄いなぁ‥と思う回答の導き方でしたが,実は結構多くの人と ディスカッションをして回答を導いているというのを知り, すこしホッとした(苦笑)。

希望のしくみ (アルボムッレ・スマナサーラ,養老孟司著)(12/11/21)
共著というより二人の対談集です。
もともとスマナサーラさんの本を読んでみたくなって,本屋で 物色していたら,養老先生との対談集があったので買ってしまったと いう本です。スマナサーラさんは以前「 ブッダ〜大人になる道」という本を読んだだけですが,とても 面白く感銘を受けました。特に仏教が科学であるという立場で, 論理的に明快に仏教の教え,そしてそれが人の生き方にどう関わり 役に立つという感じで書かれており,理系の私でもすごく納得 しやすかったのです。養老先生は何冊も読んでいるので今更ですが, この二人がどういう話をするのかな?ということで軽く読みました。
実際対談集であることから,話としては軽くてとても読みやすかったです。 養老先生が上座仏教の教えを聞くという内容が多かった気がします。 日本の仏教は開祖信仰が強いところが本来の仏教からするとちょっと おかしいという話もありました。スマナサーラさんのいう仏教は 仏陀の教えそのもので,それも仏陀を信仰するのではなく,その 教えを学ぶという立場なので,開祖信仰はおかしな話になります。
さて,その教えですが,この本で多く語られているのは,無我・無常の 教えでしょう。人はだれでも常に変わっていくから,そもそも 「自己」とか「自分」というものは(確固としては)存在しないと いう考えです。しかし自分が存在する,もしくは自分は変わりたくないと 固執して,その結果苦しむ人が多い。というか苦しんで助けを 求めに瞑想に参加しに来るのに,変わることを拒む人が多いと スマナサーラさんは言ってます。
養老先生は元々唯脳論という唯識論に近い考えを持っているので, 非常に親和性が高く,二人で「そうだよねぇ〜」っていう感じの 話に終始してました。それにしても前書きで養老先生が 自分の考えが仏教に近いことに驚いた…って書いてましたが, 本当に今回驚いたの?と,この点はビックリ。わかっててやってるのか と思ってましたよ。
あと,本の中に二人が「やりたいことではなく,できることをやりなさい」 という事を書かれてます。これは同意。というか,私自身が ずっと仕事というか人生の選択の中で意識していることです。 まぁ私の場合は,やりたいこともやっていいと思ってて,出来ることと やるべきこととのバランスを意識することが重要と思ってるので, 完全に我欲をすてて出来ることをやっていくという風までは 解脱できてないって事なんでしょうけど;-)。
それにしても,スマナサーラさんは宗教家なんでしょうけど,だれでも 救おうとするのではなく,自分で救われる努力を使用としない人は 手助けしないという立場ぽくみえ,この辺が出家しないと救われない 上座仏教的なところなのかなぁとは思いました。
わたし的には特に新しい発見はなかったけど,楽しく読めました。 スマナサーラさんの著作はもっと読んでみたいと思います。

商店街はなぜ滅びるのか 〜社会・政治・経済史から探る再生の道(新雅史著)(12/9/6)
商店街について書かれた本。
商店街は古いものではなく近代になって出来たものだった…,というのを つかみとして書いてますが,ここでいう「商店街」は地元にある零細事業種が 集まっている商店街で,繁華街にある商店街ではありません。そう いわれると,そういう商店街は新しいのかも。さて,いま そういう住居から歩いていけるところにある商店街がどんどん 廃れて大変なことになっている…という意識はわたしには強くあります。 自分の実家がそうだから。ではそういう商店街が昔から無かったものだと したらどういう風に成立して発展したのか?という疑問がわきます。 その辺の流れをこの本は詳しく書いており,元々は商店街を形成する 零細事業主は,近代化によって農村から都会に出てきた労働力のうち, 企業就職(主に生産業)できなくあぶれた人の受け皿として多く発生し, いろいろなことがあってああいう風になったと。従って,零細事業主が 廃れることとあぶれた雇用の吸収というのもすこし関係があるように 書いてます。
興味深かったのがそういう商店街が出来る前,一般の家庭ではどうやって ものを買っていたのか?。もちろん繁華街にいけば呉服屋(後の百貨店)などは ありますが,日常のもの,昔は訪問販売や御用聞きが多くいたとのこと。 そういえば,そうかもしれません。わたしが子供の頃,もう訪問販売で 日常品を買うとか経験はありませんでしたが,漫才とかでは「押し売り」が ネタになっていて,そういう押し売りがマッチとかそういうものを 売りつけてました。
そこから商店街になっていく流れは結構複雑なので書きませんが,ポイントは 結構商店が結束して政府や行政に働きかけていろいろやってきて ああいう形になったと書かれてます。従ってこの本には百貨店や ダイエーなどのスーパー,ショッピングモール,コンビニとかいろいろな 業種が発生した経緯が書かれてますが,様々な法律や規制と大きく 関連付けて書かれてます。商売なんてものは市場原理,需要と供給, 生活様式などの様な社会要因で決まるものかと思っていたのですが, そうではなく,国の政策で変わるものだ…という印象を強く受けました。 もちろん,国の政策は,業界団体,世論,外圧などで変わるので, それを反映はしてるのですが。
つまり政策で変わるということは,今後も政策次第で,町の商店の あり方は変わるんだろうと思いました。ただ,それは予想して,制御できる というよりは,ある政策の影響で,ある業種が大きく打撃を受ける様な ところもあるので,制御可能なのかどうかは難しいとは思いましたが。
ただ,商店街が廃れたのは根本的に零細商店が家族経営であり,店の 存続より,家族や個人の事情を優先したから…という感じを受けました。 実際そうだろなとは思いますが,住宅地の商店街はいい場所でも, 個人所有の土地ということで,老人がただ場所を占有してるっていう 例が今はたくさんありますから。
すこし話が変わりますが,この本の著者は社会学者ですが,実家は 元々商店街を成すような個人経営の酒屋で,そのうちコンビニに なったそうです。著者は子供の頃,家が酒屋であることがいやで, 家を継がずに上京したそうです。ですから,商店街に対する見方に, 多少,子供が親の仕事を継ぎたがらないというその心情が影響してるの かな?という気がしました。著者は子供の頃サラリーマンになりたかった とのことです。でも役人の子供として育った私は,子供の頃, サラリーマンはなりたくない仕事だったのです。私が会社に 入って,同じように実家が個人商店の人が,サラリーマンになりたかったと いうのを観て驚きましたが,まぁ実際,子供というのは,親とは 違った仕事につきたがる時期があるんではないでしょうか?。
社会学者をやってるような人でも,そういうところに見方が影響される ってことがあるのではないかな?という気がしました。なかなか 客観的に物事を見ることは難しい…と感じます。
話が戻りますが商店街。私の実家のことや,自分が歳をとった頃の 事を考えると,徒歩圏内に店がなくなるというのは不安ですが, 実際そういう問題がいわれている昨今のことを考えると,また いろいろ変わっていくのだろうという気もしてます。そう思うと 単なる零細商店のあり方よりも,田畑や山を崩して新興住宅地を郊外に 広げていくというやり方自体が問題だった気もしていて, そのことについて書かれてないのは,物足りないかな?とちょっと 思いましたが,全般的に勉強になったと思いました。

浄土真宗はなぜ日本でいちばん多いのか(島田 裕巳著)(12/7/29)
ネットでいくつかの書評を読み買ってみた。そもそも,私は宗教に 関して関心が高く,時々解説本を読んでいる。この本はタイトルにも 興味を持ったが書評を読むと,内容はそのタイトルのことについて 書かれたものというより,日本の宗派について解説をしていると 書いていた。実際著者による出版のいきさつを読んでも,まぁ この辺は新書特有のタイトルによる釣りなんだろうな,という気は していた。
内容は,古くからある日本の宗派,南都六宗から 始まって,真言宗,天台宗,浄土宗,浄土真宗,曹洞宗,日蓮宗,その他に ついてその特徴や宗祖や歴史について書かれている。コンパクトに 日本の各宗派について知るにはもってこいという印象。著者自身が どこかの宗派に属してその立場で書いているわけでもないってことも 良いバランスだと思う。
言われてみて気付いたが,日本では近世以降ほとんど新宗派が誕生してない らしい。そういえばそうか。でも新興宗教は山の様に生まれているし, 新興宗教の中には仏教を元としたものも多い。それが宗派じゃなくて 新宗教といわれる辺り,江戸幕府により仏教が社会システムに取り入れ られそれ以前の宗派とそれ以降で扱いが変わったということ なんだろうけど。
葬式を挙げたり戒名を与えるのは曹洞宗がはじめたもので,それ以前は 実はやってなかったという話や,これら多くの宗祖がほとんど 比叡山に登っており,延暦寺は仏教の総合大学だったという話は 興味深かった。仏教や宗派のあり方は,時代とともにすさまじく 変化しており,おそらく今後も変わっていくのだろうなと思った。
今,葬式代が良く問題となっているけど,葬式代の価格破壊が 起きた時,また仏教と一般日本人の関わり方は変わっていくように 思う。歴史を学ぶことは,今の形がずっと続いていたことではないことを 知ること。この後仏教は我々とどう関わっていくのだろうなぁと思った。


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