読書メモ(2007年1月〜2月)

最近読んだ本から…メモなどを。

書籍編

ブッダ〜大人になる道(アルボムッレ・スマナサーラ)(07/2/17)
スリランカ仏教界の長老であり日本に住んでいる(?)著者が 日本の中学生高校生に講演したときの言葉を起こした本のようです。 どこかのWebで知りました。 ブッダの教えを語ってます。ちなみにスリランカは上座部仏教で, この本で語られてる内容もブッダ自身の言葉を教えようと してます。ちなみに日本に多く広まってる大乗仏教は ブッダの自身の言葉より後の人の教えの方がほとんどです。
仏教というのは日本では宗教のようですが,ちょっと宗教と 言うには変わっており,神様がいません。教えはあっても 絶対主はいないのです。というわけで,宗教と言うより 哲学的である…とわたしは昔から思っていて,結構中学から 大学ぐらいの間に,仏教の話とかブッダの話とか読んでいた 時期がありました。
今回の話もすでに知ってることを…と思っていたら 意外にそうでもなくてとても面白かったし,目から鱗も落ちました:-)。 わたしは仏教の中で語られる世界観や自己のことという形而上的な 話に興味を持っていたのですが,この本では善悪(といっても 行動規範って感じ)や心の在り方のような,生きていく上で 非常に有益な知恵みたいな話でした。そのなかですでに原始仏教に ある程度知識を持っていたわたしが認識を新たにしたのは, わたしは仏教を宗教と言うより哲学的と書きましたが, 著者は宗教とも哲学とも違い科学的だと書いてます。 その説明を聞くと確かにそうで,確かに仏教の教えの本質は 世界観とかよりももっと客観的なものなのかもしれません。
この本では「心とは何か?」というのに対してもきちんと 説明してます。西洋の自然科学が客観的故に, 物事の善悪と心の問題についてはなにも回答を出してないのに対し, 仏教は「客観的」なのに善悪や心(『自分』だと思ってるもの)に対して 明確な答えを出しているところ…は結構すごいです。 そしてその説明を聞くと,あまりにシンプルで結構「えぇー?」って 感じでもあるのですが,あぁ確かに言われてみればそうかも… って気もしてきます。
まぁ読んで納得するか,なんか煙に巻かれた気がするのかは 人それぞれかと思いますが,子供に「どうして○○をしたら いけないの?,△△しなくてはいけないの?」というのを 聞かれて答えられなくて困ってる人とか読んだら役にたつかも しれません:-)。楽しい本です。
ところで,わたしが子供の頃に読んだ本では仏教を科学と 並べる表現はあまり見なかったのですが,この本で並べているのは 哲学が廃れた…ってことなのかしら?…って気もしました。 …というか現代は信仰や哲学より科学が人の心とか生活規範を 縛っているというか…それでいて「なぜ人を殺してはいけないか?」 すら科学は説明してくれませんから,結構自然科学って単独で 信じるには欠陥だらけなんです。そういう意味じゃ仏教は 哲学としても科学としても機能するくらい,汎用性がある, やっぱり深い(「教え」というより)考え方なのだなぁ…と 思いました。

脳は空より広いか(ジェラルド・M・エーデルマン)(07/2/17)
人間の意識や自我などがどういう風に作られているか…, っていうのを生理学的に説明するのはとても難しく,いまだに 解明されてない…という方が正しいのですが,この本もそういう テーマの本です。人間にある感覚やある感情が浮かんだときに 反応する脳の場所がわかったからと言って,じゃぁその場所を 見てるのはだれか?…とか実は良くわからないことは多すぎます。 …というかたぶんそういう考え方をしていてはダメなんでしょう。
この本は神経ダーヴィニズムというものを提唱し,それを すっきり説明してます。………ですが,どうもわたしには 難しすぎてどうもすっきりわかりませんでした(^^;)…。いや というか,逆に当たり前のことを言っているようにも 読める…。実際コロンブスの卵に例えているように, 言われてみれば当たり前の話なんですが,逆に言うと, それで説明になってるのか?,とも思ってしまいました。
というわけで結構すごい本のような気もするのですが, どうもわたしには難しかったのかも知れません…。ただ あとでまたいつか読み返して,ポンと手を叩くような気がするので, 一応読んだことは記しておきます。興味がある方読んでみてください。
…もっと修行しないと…。

貝と羊の中国人(加藤徹著)(07/1/2)
とあるブログで取りあげられていて,読んでみたくなった本です。 「貝」と「羊」というのは古代の中国の国家である殷と周の文化を それぞれ表したものです。前者が農耕民的な気質,後者が遊牧民的な 気質を表してます。
著者は中国人の中に農耕民と遊牧民という異なる価値観が 複雑に混じり合い,時にその価値観を場面によって使い分ける…と 述べてます。…とはいっても二つを使い分ける…という意味ではなく, 中国の中にある幾つかの価値観の混ざりあいによるわかりにくさを, この言葉で表している…と言う意味です。
日本人からみた中国という国のわかりにくさ,ある意味の付き合いにくさを 複雑な文化的背景,歴史的背景,地理的背景,そして漢字や 言葉に含まれるもの…等から説明しています。しかしそれはあくまでも 整理して明らかにしようというものではなく,あくまでその わかりにくさを述べているのであり,ある意味,中国人の 一面をみて判断してもわからないので,それを受け入れながら お互いを認めあっていこう…と呼び掛けるものです。
いろいろと具体的な例を挙げて,中国の考え方の特徴を挙げていて おもしろかったです。 例えば日本語にあたる「泊まる」と「住む」と 言う言葉の違いが中国語にはないそうで,基本的に中国は流浪民としての たくましさがある…とか,過去の歴史からの人口の変異からした 文明感の説明や,士大夫という階級が長く中国を支配していて 階級による革命はほとんど起きていない…とか…。
中国は日本とは異なる文化や歴史を持っていて,そういうわかりにくさが あるものの,西洋等とは全く違った文化的な背景を持っていますし, それでいながら日本人と似た文字や文化があるゆえの誤解しやすさ があるように思います。また近代の歴史的な関係からのわだかまり からして,なかなか冷静に価値観を認め合うのが難しい関係でも あります。しかしそれは決して中国だけの複雑さではなく, 日本人の中にもある特殊性ゆえにわかりにくくなっているのだと, この本をみて思いました。ただやっぱりそれゆえに なかなか日中の間にある摩擦について,すぐに取り除くのは 難しいな…とも思う話でした。 非常にわかりやすくおもしろい本でした。


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