境界のありか,その2

一人言のページに境界のありかを 書いたが,これは最初唯X論とか 多元人格あたりの続編として 書くつもりだった。とはいってもなんか二週間ぐらいネタを寝かしていたら, なよなよになってしまい(笑),なんかなにを言いたかったのか? わからなくなってるのでこっちでフォローしておく(^^;)。

この文章で本当に書きたかったのは,私は

等などといった項目についてである。とくに神秘主義と 科学主義については,今まで書いてきているように, とことん人間を物質として考え,感情さえ化学反応の 一つという風に考える自分と,そもそのこの世の中にあるものは, すべて自分の心の中に存在する夢みたいなものだ,と 考える自分が同居している。相反する事かもしれないが, どちらも完全否定でき証明はない。どちらもありえるから どちらもありだな…と思っている。

そういうことを考えていくと,神秘主義と科学主義の 境がどこにあるのか?,がわからなくなった。自然科学は 再現実験出来ることを科学と呼ぶが,哲学や考古学などは 理屈が通っていればいい,再現実験など出来ないからだ。 だとすると,「神様が決めてやっている」というのも スジは通るのである。どこに境界があるのだろうか?

人間の体内で起きていることは化学反応と言うこともできる。 もちろん本当の化学反応の定義をしらないので,実際はちがう かも知れないが,脳神経の中で科学物質が変化しているのも, 食べたものが消化されるのも,体から水分等がにじみ出てくるのも, 極端な話,空気が水にとけるのと,電池の中でイオンが 物質にくっつことと,暖かい空気と冷たい空気が混ざって風が発生するのと, 太陽の中で水素が核融合を起こしているのと,一緒かも知れない。 というかその境界は人間が勝手に作ったものである。

人間のからだの境界も不明瞭である。皮膚から外が境界と いうかも知れないが,では口を開けた場合,どこからが体内なのか? 肌には無数の穴が開いているが,どこから体内なのか?。 原子レベルで考えれば,さらにすきまだらけだ。そういう意味では, 私の体と外界は繋がっているといえ,そうであれば他人とも繋がってる とも言える。だとすると肉体を越え何かを伝える(電波)だって 可能かも知れない。

結局言葉にする以上,境界が見えかくれしてしまう。しかし 境界を決めず,その境界のあいだをプカプカ漂うのが結構 楽しい。時には言葉を振り回し,時には自分が言った言葉さえ 否定する。それくらいが丁度いいように思う。


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99 Oct. 21st


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