1.はじめに
最近「多重人格」というのがはやってるらしいが,いち定義がわ からない,調べてないので(笑)。でも印象とすると,豹変するよう な人を想像してしまう。さて私の中には複数の世界観を持った「人達」が住んでいる。お 互いを意識しているのかは,いまいち良くわからない。階層構造に なってるような気もするが,これもいまいち良くわからない。整理 して様かととも思ったが,ちょっとはっきりさせたくないという 「人」がいるので,今回は止めておく。で,別に人によって豹変す るという感じでもないので,「多重人格」というより「多元的人格」 かなぁ?と思ってみた。ちなみに英語のタイトルは適当です(笑)。
2.自分の中の人達
さて,今回はその「人達」の内容を明らかにしたいのではない。 「そんなものあまり整理しない方がいいのでは?」とかいう人がい るし(笑),今回はむしろ,なぜそういうことになってしまったか? つまりどうしてそんなにたくさんの人が住んでいるんか?というこ とを書こう。このことは,つまりはどうやってその「人達」とつき 合っているか?ということである。私をよく知ってる人にいわせると,私がいろいろ熱烈なことをいって る時でも頭の中では,(私自身が)冷やかにそれを見ている様な気が する,だそうだ。それは実は当たっている。が,その人は,だから私 がいう熱烈なことは信用ならないと思っているようだが,それは全 然違うのである。冷静に見ている「人」は熱く語る「人」の行動が 好きで,邪魔するつもりはないのである。
3.自分の改造
細かい経緯は忘れたが(笑),多分こういうことであろう。私は子 供の頃転校生で,体が弱かった。今考えると,親の愛情を受けて育っ たのであるが,当時は気が弱く,いろんな人に苛められたこともあっ た。成長して,いろいろ考えるようになってくると,段々自分の性 格がいやになった来たのである。一方知人や年上の人,漫画のキャ ラクターを見て「この人の性格がいい」と思ったりもしていた。そ うして,そういう風になろうと努力したのである。
ちなみに「こういう性格」を意識したので,(憶えている中で) もっとも古いのは,キャプテンハーロックがいった(笑)「後悔しな い男になれ」である(^^;)。そのころウジウジしていたから,そう なりたかったんでしょう。結果「後悔しないには今に対してベスト の選択をすればいい」ということに気づき,これは割と早い時期に 達成できた。さて性格とは変わるのであろうか?私の答えは可能である。 「こういう風に考える人になりたい」と思ったら,そう考えるので ある。一種の自己暗示かも知れない。ずっとやってると無意識にそ う考えるようになる。言動や行動も同様にできる。そうやってるう ちに,昔からそうやって生きてきたようになるのである。ものの考え方も同様である。自分の世界観,自分の宇宙観,幾つ か思いつく,本を読んで影響を受けたものもある。ある時「なんで も否定するより,ある種そのことを本気で信じることは,エネルギー になる」とか思っちゃったもんだから(笑),その考えた世界観を宗 教のように信じる自分も出てくる。
4.複数の人格の同時共存
さて,そうやっていろいろ人格をいじると古い人格はどうなるの であろう?無くなるのか?どうだろう?無くなった人格もいるが,そ うでないのもいるようである。最初性格とかをいじっている時は, 自分がいいなぁ,と思う人格を目指していたが,段々それも矛盾が 出てくる。「豪快」な人もいいと思うし「細やか」な人もいいと思っ たりすると,段々なかに両方が形成されていくのがわかる。世界観 を幾つか持ち,シニカルに考えたりする人格と,信心深い人格も形 成されていくのである。とはいえ,その「人格達」が喧嘩をするかというと,そうでない。 なぜかというと彼らはお互いのいいところを認めあってるからであ る。「冷静な人」は「熱い人」の行動言動が好きだし,「シニカル」 なひとは「信心深い人」が好きなのである。逆はどうであろうか? 良くわからないが,その冷静な人達の考え方でいろいろ助かってる のかも知れない。
5.階層構造は存在するか?
もしかしたら,「熱い人」からは「冷静な人」は見えないのかも 知れない。そもそももっとも下の層に,その人格をいじってる「人」 がいるのかも知れない。だとすると階層構造が存在することになる が,どうだろう。ちょっとその辺は明らかにしなくないようである。 感情がそういっている。6.全否定から全肯定へ
私は子供の頃は結構ネガティブな考え方があったようで,人の意 見等も最初は疑うような時期があった。ある時,それが嫌になり, 逆に否定する理由がないものは全部肯定することにした。「一旦受 け入れてから内容を吟味して,そこで駄目だったら否定すればいい じゃないか」という考え方である。これは現在もあまり変わってい ない。だから上記のように相反する性格を複数受け入れ,どちらが ベストと出ない現在複数の人格が同居しているのかも知れない。7.最後に
私の意見は多元的である。人にいろいろ考えるといわれるが,そ れはいろんな意見を全部取り入れようとして,考察しているからで ある。もちろん,ピンと来ずに早い時期に棄却したもの多い。そし て棄却理由がないものは,それなりにほっておいて,自分の中でこ そこそと成長をしているのである。であるから,ある事象に対して意見を求められた時,同時に全く 違う意見をいったりする。「こういう風に考えることもできるし, 逆にこういう風にも考えられる」とか。全部自分の中の人達が出し た意見である。私にとって非常に刺激的なのでしばらくはこれで楽 しもうと思っている。しかし彼女とかに「どれが本当のあなたなの?」 とか聞かれると一番困るだよなぁ(笑)。