ハイパーソニックはあるのか?
前回は締めもなく,いきなり文章を終えてしまった(^^;)。 前回は問題の背景と,実際の録音現場で20kHz以上の 帯域の音が望まれる理由を書いた。簡単に書くと, 必要かどうかわからないなら,録音しておこうと いうものだ。一方で20kHz以上の音は聞こえているという主張も ある。いや正確にいうと人間に影響を与えていると いうものだ。たとえばこんな主張がある。
コンクリートに囲まれた都会の空間では20kHz以上の 音はほとんど存在しない。それに比べて森林では 多く存在する。それいゆえ都会では人間はストレスを 感じる嘘か本当かはわからない。またバリ島で有名なガムランという 金属を使った打楽器がある。これを現地で聴くのと, 録音して聴くのでは全然違う,それはガムランが 100kHz近くまで音の成分を持っており,それを 録音できないからだ,というのは大橋力先生という 人の主張である。先日学会で大橋力先生の発表を聴いてきた。 彼らのチームは20kHz以上の音をハイパーソニックサウンドと 呼んでいる。彼らの主張はこうだ。 20kHz以上を含むガムランの音とそうでない音について
- 一対比較法等で主観的に聞き分けることはできない
- しかし長時間聴いてるときの感じが明らかに異なる
- 脳波を調べると1分以上聴いたとき,二つの間に 脳波レベルの差が出る
- 脳血流を調べると,20kHz以上の音を聴いたときに 活発になる場所は従来音を聴いている場所とは 異なる
- 20kHz以上を含む音を1分以上聴く場合,主観的最適 聴取レベル(聴いて丁度いいという音量)が 上昇する
- 20kHz以上を含む音を1分以上聴く場合,その音に付いて 柔らかい等との印象を受ける傾向がある
彼らは特殊な装置を用いて,ガムランの音を録音し, 脳波計や脳血流を測定し,今回の発表となった。 実は彼らは10年以上から,この主張をしている。 しかし,実験条件の未整備や追試の困難性から, 学会では主に異端扱いされてきている。そのため 今回の発表では,如何にデータが信用できるか?, という点を強調して行われていた。
なぜハイパーソニックの研究は難しいか?
なぜ10年以上も解決しないのか?。それは,決定的な 肯定理由も否定理由がなかったからである。 多くの音響学者は当初否定したがっていた様である。 そうでないにしても,かなり半信半疑であった。 しかし,それを検証しようとした場合,実験機材が無い という問題に打ち当たる。そして聴いても主観的に わからないのであるから,聴いて判断することは かなり難しい。先に書いたように,CDが発売されてから,20kHz以上は 扱わないということになった。したがって世にある 音響機材はほとんどが20kHz以下しかサポートしてないのだ。 たとえスピーカが対応していても,マイクが対応していない, アンプが対応していない。当然録音機材もない。 コンピュータで音が手軽で扱えるという風になっても, ほとんどのAD/DAは20kHz以上を扱えない。
そして,たとえAD/DAがあっても,実験に使える品質か?, ということがわからないのだ。それは,20kHz以上の 音を校正する機械が存在しないからだ。 実際に世の中にある20kHz以上の音を録音したDVD等には, 20kHz以上に歪みなどがあり,それに気づかずに 発売してしまったものなどがある。 聴いて確かめられず機材も無いということは,自分が 録音したものを全く信じられなくなるということである。 そこがこの研究の難しいところである。
しかし,ハイパーソニックがあるという人は, 明らかにその存在を感じるというのである。しかし それは大橋先生の結果からわかるように,従来我々が 聴いているということとは少し違うようである。 したがってそのはなしを聴いても,実感できない人は どういうことか想像できないのである。人間は想像できないものは 存在しないと思ってしまう傾向が極めて強い。 そういうこともこの研究の難しいところである。
聞くということ
さて大橋先生の発表を注意深く読むと,ある考えが 浮かぶ。それはそれって音を聴いているとはいえないのではないか? ということである。ハイパーソニックサウンドを 聴くことにより変化が現れる場所は本来音を聴くする場合に 活発になる部分とは異なり,情感等を司る場所と近いらしい (うろ覚え,要確認^^;)。つまり,20kHz以下の音を聴いている場所とは異なる 場所が反応しているのだ。であれば,それは聴くと いうこととしてはどう考えても異なる感じ方を 我々に起こさせるはずである。 さらに耳で聴いているかすら良くわからないのである。
わたしは上記の実験結果の主観評価の部分(聴取レベルの変化 および音色評価)を読んで,むしろ人間自体が変化しているのでは?, と感じてしまった。ハイパーソニックを聴くことにより, 受容する人間自身の尺度自体が変わってしまったら, 当然結果は変わってくる。脳波の変化はそれを 表しているようにも思える。
大橋先生はそういうことを言いたかったのであろうか?。 それははっきりは言わなかったが,どうも話の進める方向から そう感じざるを得ない気がした。
現象を認めた先は
さて,今一つ信用されていなかったハイパーソニックであるが, 録音機材とうがオーバー20kHzに対応してきた以上, それがどういう影響を人間に与えるかを調べないわけには いかない。たとえ検証が難しくても,何かしらのデータは 必要なわけだ。 そういうわけで,今回の学会では頭ごなしに大橋先生の結果を 否定するというよりは,実験環境を聴き出し,なんとか追試したい という意図が感じられた。ただやはり多少は半信半疑の様だ。時代の流れを感じたのであるが(^^;),私自身は,頭ごなしに 否定するより,一旦存在すると認めた上で,自分ならどう 検証するか?を考えたほうが前向きな気がする。 もし存在するならハイパーソニックの研究には 大きな可能性があるかもしれないからだ。そういう意味では, 大橋先生のここ10年の信用を上げるために 費やした時間は多少もったいなかった気もしないでもない。 もちろん,研究の上では重要なプロセスではあるが。
見失いつつある技術の方向
ずっと昔,音という分野は可能性を感じさせた。 ラジオを自分でつくったりする少年や,オーディオを 自分でカスタマイズする人など多くいた。 そして研究分野も次々と不可能なことを可能にしたり, 音の品質を向上していった。しかし,ここ数年音響の研究分野は,目を見張るような 発達をしていない気もする。一つは品質が十分になり これ以上の向上が必要なくなったからだ。またコンピュータの 導入で可能になったことは,大方検討が終り,残っているのは 実現が極めて難しい問題ばかりになってしまった。 そして,CDの出現によりアマチュア研究家が減り, それにより,新しい研究者が育ちにくくなったということ, そしてそういうアマチュア研究家は現在は音響より 映像(CG)等に興味を持っているということもあるだろう。
しかし音響で研究を行っていきたい人達は, 新しいテーマを見つけたいのである。それゆえ 20kHzの広帯域音に可能性を見いだしたいというのもある。 果たして音響の研究テーマは出尽くしたのか?, それはわからない。しかし想像できないがゆえに 見落としているテーマもたくさん存在するような 気がしないでもない。
まとめ
20kHz以上の帯域を含む音について考察してきた。 私自身は,可能性を感じたいと思っている。しかし 機材の入手が困難といったような問題も多くあり, 現在研究職を離れているわたしには簡単には実験できない。 もっとも試してみたいアイディアはいくつかあるのだが。 今回は学会で,その関係の発表をみて感じたことを 書いてみたので,自分のアイディア等は書いていない。 またなにかわかれば,書くこともあるとおもう。 なにかわかると期待して今回は筆を置く。P.S.
24bit等の高解像度音,また,1bitAD/DAに関する 話などは今回は割愛しました。