「良い音」とは?

ミクシィにはいろんなコミュがあり,中にはオーディオマニアが 集っているコミュがあります。失礼な書き方をすると,そこで 語られているいい音への工夫…というのがおもしろい。

おもしろいけど,どうも自分はそういう工夫はしないかも…とか 思ってしまいます。まぁ昔からオーディオマニアにはすごい人達が いて,生半可には入り込めない世界だったのですが,ミクシィは 若い人が多いせいか従来のオーディオマニアとは違う, 若い今風のマニアがいてちょっとおもしろいのです。まぁ簡単に 書くとPCとか圧縮ファイルとかを使って音楽を聴く人達であり, その中で「いい音」を追求している人達がいるのです。 バッサリ切ってしまうと「いい音で音楽聴きたかったら,PCなんか 使わずに,ちゃんとしたオーディオでCDなりLPを聴けよ」と 言いたくなるのですが,向うもそれはわかってるみたいで, あえてPCで圧縮ファイルでいい音を聴くための工夫…を 追求している…みたいな感じでした。

実はこの気持ちもわからないでもなく,わたしもPCで 音楽を鳴らすときに,どういうサウンドデバイスを使うかとか, アンプやスピーカをそれなりに考えます。でもどこかで 「所詮圧縮だし…」って思っているのか,ある程度納得の ラインを越えると,もうどうでもいい…という感じもして, あまりストイックにつめようと思いません。

そんな,「いい音」に対してドライなわたしですが, 別にいい音に興味がないわけでもありません。ただ思うに, いい音というのは,当たり前なのですが万人に共通なわけ ではなく人によって違います。ただ,だからといって 個人毎に違うわけでも,なんというか趣味とか立場に よって違うという感じがするのです。すべてを挙げることは わたしには出来ないので,自分の属性みたいなものだけを とりあえず挙げてみます。おそらく音に関する自分の属性には 「音楽屋」,「オーディオマニア」そして 「音響学者」という三つがあると思っています。そして, ややこしいというか,ある意味音響界の悲劇でも あるのですが,この三つの立場(属性)の「いい音」というのは かなり異なるのだと思います。

具体的に書かないとわかりにくいので書きます。 まる最初に「音楽屋」の立場です。もっともわたしは プロの音楽屋ではないので,間違ったことも書くかも知れません。 音楽屋とここで書いたのは,音楽を作るプロセスに携わってる 人の事です。曲を書き,演奏し,SRで拡声し,録音し,加工し, 最終的にだれかに伝える,これらがプロセスです。ですから, 演奏家や作曲者だけが音楽屋ではなく,レコーディングエンジニア や,広げて考えると機材制作者も音楽屋です。 それぞれ考え方には幅があると思うし,エンジニアやむしろ 音響学者やオーディオマニアに近い…という考え方も 出来るかも知れませんが,それでもわたしは音楽屋として まとめた方がしっくり来るのではないか?…という気がします。 それはなにかというと,音楽屋にとって「いい音」とは 作品に込められた意図もしくは,意図をきちんと 表現できるものだと思うからです。

従って音楽屋(言い換えればコンテンツ屋)にとってのいい音は ノイズが少ないこととか定位が明確であるとか帯域が広いとか, そういう事では一意に決まりません。ノイズが多かったり帯域が 狭いことが狙い通りであればいい音であるし,モノラルで再生する ことを前提に作ってる音楽だってあり得ます。もちろんCDとかに 記録された音を忠実に再生する…という意味で,音楽屋と オーディオマニアが望むいい音が一致する場合もあるでしょう。 しかし,CDは製作に於て小さいスピーカでならす場合のバランスも 考慮されており,確かに高級オーディオで鳴せばそれなりに いい音かも知れませんが,それは例えば70点が90点になるような, 付加的な価値なのではないか?…という気がします。

次に「オーディオマニア」の立場を想像してみます。 想像としたのはわたし自身がそこまでオーディオマニアでは ないからです。しかしわたしも音楽や音に興味をもった 中学生のころは電気屋のオーディオコーナーで高級スピーカの 音を聞き入ったり,カタログを眺めてうっとりしていた…, そんな時代もありました(苦笑)。最初にオーディオマニアには すごい人達がいる…と書きましたが,自宅のオーディオに 何百万をかけ…というか自宅を改造までする人もいます。 ケーブル一本に数百万…という方もいれば,自作でスピーカや いろいろな工夫パーツを創る人もいます。

ただ一方で,CDの縁をペンで縫ったりCDを冷蔵庫で冷やしたり…と いう事を真顔でやってしまうのもオーディオマニアです。 最近ガラスのCDというものが発売されたようですが,ああいうのを 買うのもオーディオマニアでしょう。ふとそういう試みを観てると, こういう人達は一体何を再生しようとしてるのだろう?…と思って しまいます。もちろん記録された音を忠実に再生しようと している…というのがオーディオマニアの主張でしょう。 しかしCDはディジタルゆえに比較的簡単に記録された音を 取り出せます。少なくともCDの規格を作った技術者はそう思ってます。 LPの様に実際に記録されている音を再現性を持って取り出せない場合は わかります。というかそれゆえにLPの時代はレコードプレーヤに 重りを乗せたり,様々なことをして工夫をしてました。しかし 再現性がないので,どこまでやっても忠実に音を取り出せてるかどうか 検証ができませんでした。しかしCDになってしかもディジタルデータを 純粋に取り出せるようになった場合…CDに対するいろいろな工夫は 本当に音に効いているのだろうか?…と思ったりします。もちろん ジッタの問題とか電源の問題とかマニアの方はいろいろおっしゃいますし, それに対して証拠をもって反論するデータも持ってないし,そもそも そこまで否定するつもりもありません。ただそういうマニアの方の 姿勢は記録されている音楽自体にはたいして興味がないのではないか? とも思いますし,また自然科学の研究者的な視点でもありません。

さて,そういう中で冒頭に述べたようにPCで音楽を再生して, その中でいい音が聴けるように工夫する人達が今はいるようです。 こういう方達は従来の数百万のお金をかけているマニアとは求めている 音質のレベルは違うように思います。でもある意味CDの様に,工夫をしても ほとんど思い込みくらいにしか音が変わらないものより,数万のボードを 買ったり,圧縮ソフトを変えてみたり,そういう工夫ではっきりと 音が変わるというという試行錯誤を楽しんでいる意味では,数十年前の 自作スピーカや真空管アンプやラジオを作っているマニアと心情は 似てるのではないでしょうか?。そういえば,わたしが7年前に書いた文章の 中に以下のような記述がありました。「 これら(シリコンオーディオ)は決して,高品質オーディオではない。 むしろ品質的には CDやLPからですら後退している。<中略> 実はこういうのは,かえってユーザの遊び心を刺激するのである。 どういう方式を選ぶか?,どういうシステムを組むか?,使い方は?, 良くわからないだけに,そこには工夫の余地を感じるのである。」 …まさにいまそういうオーディオマニア層ができあがっているのだな…と 思います。

さて最後にあげる「音響学者」。これはわたしの立場でもあるのですが, この人達がいういい音…というのがうまく説明できません(^^;)…。 一言でいうと「客観的特性重視」なのですが,一般に 問題にされるのは「帯域」だったり「歪み率」だったりという オーディオマニアとからするとかなり荒っぽいものです。また 波形レベルでの評価もありますが,これは一致不一致というレベルであり, 「特性」と呼べるようなものではありません。また一方で「 主観評価的手法」で聴いて判断する…というのもありますが, 音響技術者の場合,マニアではなく一般の人に訴求する 必要があるため,誰にでもわかる違いを求めます。あっ, 上に「荒っぽい」と書きましたが,逆に人間がわからないような 小さな数値の差を問題にする場合もあります。ただその場合はマニアにも わからないような違いです。

さてこういう状況ですから音響学者とオーディオマニアは話が 合いません(苦笑)。オーディオマニアが主張する「いい音への 工夫」は音響学者には聴いてもわからないしデータとしても差がない …ものであることも多々あります。しかし逆に音響学者がいう いい音はもっとひどい音をマシにする工夫だったりするのです。

というわけで,わたしはオーディオマニアのいい音への追求と 音響学者の追求が全然別の方向を向いていてお互いに協力し合えない この状況は…どこか不幸な気が…ずっとしてます。自分の中に 両方の素養があるだけに,残念に思います。ついでになりますが, 音楽屋については,オーディオや音響機器は道具なので, 道具の改善がないと表現が滞る…って事はあまりありません。 ただ新しい道具の発明が,新しい表現をつくる場合もあるので, 決して無関係ではないのですが…。これも6年ほど前に書いた文章ですが 日本の音響機器技術者は 海外の技術者に比べクリエータ的な観点が弱いのではないか?という 気がして,そこにもちょっとした不幸があるような気はしてます。 まぁただ現状は音響学者や技術者が不用意に音楽屋に近づこうとして 失敗(というか勘違い)している例も多いので,この辺の 擦り合わせをどうすれば,前向きにいいことができるのか?…は 今のところ自分には良くわかりません。

…とここまで,「音楽屋」「オーディオマニア」「音響学者」と いう三つの音にこだわりのある人を例に挙げて,それぞれの いい音の違いを述べてきました。これら三者以外にも音への こだわりがある人達はいて,またそこでは求めるものが違うのかも しれません。

というわけで,いい音…と単純化したタイトルで文章を書きましたが, 要はこれだけの断絶があるという事です。ただ個人的には,この断絶を なんとか埋めて,そこで何か新しいことができないか?…という気が 最近強くしてます。わたしは上に挙げた三つの要素を持っているわけで, 一つの立場から他の立場を観る人とは違う考え方や動きができるはずです。 そこで何ができるか?…考え,行動していければ,それが自分の価値に なるのではないか?…とそうありたいと思います。

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'06 Oct. 24th


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