読書メモ(2006年1月〜2月)

最近読んだ本から…メモなどを。

書籍編

超バカの壁(養老孟司著)(06/02/05)
バカの壁」, 「死の壁」に続く 新潮新書出版された口述筆記形式の養老先生の新刊。 わたしは養老先生のファンで先生の本はたくさん読んでるので ついでに買って読む。まぁだいたい想像通りのことが 書かれていたので,本当はそこまで読む必要があったのか 疑問ですがそれでも買って読みました(^^;)…。おもしろいし。
ところでいつまで残ってるかわかりませんが毎日新聞の06年1月31日づけで養老先生について コラムが書かれていました。要は現在のご意見番…,というか 年長者のご意見番とのことです。 ちょっとふーん…と思いました。まぁわたしは好きだから いいけど,ちょっと難しくないですか?…。
今回の本は前二作が売れたせいでいろんな社会問題について 質問が来るようになったので,それに答えるという形で 書かれてます。個々の質問じゃなくてテーマごとですが。 挙げてる問題は「若者」「自分」「テロ」「男女」「子供」 「戦争責任」「靖国」「金」「心」「人間関係」「システム」 「本気」について。なるほど毎日新聞が言うように世間の問題に 対するご意見番ですね。コラムはこれを読んで書いたのか?…。
実は養老先生が言ってることはシンプルです。養老先生は本によって 微妙に力点が違いますが,だいたいにおいて言われてるのは「 都市というのは脳化された世界である」「しかし人間は『自然』で ある」ということです。更にいうと「一神教や一元論は脳化であり, それゆえに日本のおける西洋(近代)化とは更なる脳化である」と。
シンプルですがシンプルゆえに普通の人にはうまく理解出来ないのです。 この本でも書かれてますが,個々の問題を潰しても根本の問題は つながっていて,そこを変えないとまた別の問題が発生すると。 そして養老先生の挙げる根本問題は脳化(都市化)により問題が 発生してると。しかし一般の人は今の社会に発生している 問題がどうして脳化が引き起こしているのかが良くわからない。 それゆえにこの本では個々の問題をその理屈と絡めて説明している のです。
「都市」の反対は「自然」です。そして人間は自然です。 自然は人間の理屈を越えてます。だからわかろうとしても 限界がある。そのわからないことを受け入れないといけない…と いうことです。
まぁそんな感じで語られてます。正直年寄りの苦言…という 風に取れることもあるのですが,基本的に養老先生の理屈は 好きなのでそれはそれでいいかと思ってます。もちろん言ってることが すべて正しくすべてにあてはまるとは思ってませんけど,それこそ 自然なわけだし。
まぁそれでも人間はある時期は自然にあがなって生きていく方が いい時期があるので,すべての人がこういう考え方を主流に していていいのだろうか?…という気はしないでもありませんし, そういう意味では年寄りの論理という気はしますが, ある年齢からこういう物事の考え方をできると,結構楽に なると思います。

スポーツ倫理学講義(川谷茂樹著)(06/02/04)
実はこの本も紙屋研究所さんの批評で知った本です。
そこにも書かれてますが,哲学者である川谷氏が哲学的 手法を用いてスポーツのエトス(本質)とは何かについて 書いた本です。講義形式で書かれてますので,口語調です。 扱ってる問題は例えば怪我をしている相手の傷を攻撃することは いいことか?,ドーピングの問題は?,ボクシングは?,等という 良くスポーツで問題になるようなことがらを取り上げてます。
結論をいうと川谷氏はスポーツのエトスは「勝つこと」だと いってます。それから「ルールを守ること」はスポーツを スポーツ足らしめるために必要だ…ともいってます。つまり ルール内であれば相手を痛め付けたり(一般的に)卑怯と いわれることをやるのは当然のことだと言ってます。そして スポーツのエトスが勝つことであることを証明するために いろんな角度からそして他の対論について考察してます。
非常に納得性が高い内容でした。おもしろかったのは, スポーツが語られる時,実はスポーツの中(スポーツの エトスにしたがった)の考え方とスポーツの外の考え方が 混在して語られることが多い,故に上記に挙げたような 混乱が起きる…と述べていることです。つまり相手の弱点を つくというのはスポーツのエトスには反してないが, スポーツの外の,つまり一般の社会では良くなこととされているので, その常識を持ち込んでいて話がややこしくなっているとの ことです。なるほど…と思いました。
まぁそういう内容も然る事ながら,スポーツの本質という ひとつの問題に対して一冊の本を使って考察するという 手法の方もおもしろかったです。哲学ではそうなのでしょうが, 数値データが存在する自然科学ではひとつの問題をこれだけ いろんな側面から考察することはあまりないので,新鮮でした。 というかデータを使わず論旨だけで証明するには(といっても 数学的には証明されてませんけど)これだけを要するのだなぁと 思いました。
あとあとがきに書いてましたが,著者は小学生の時に 一緒に野球をやっていた友人に「何がなんでも勝つ」という タイプの人がいたということ。わたしも大学の時に高校野球を やっていた友人がいて,彼からはいろんなことを学びました。 趣味でしかスポーツやってない人と違って,本気でスポーツを やってる人間と話すというのは実はいろんな発見があると わたしは思ってます。著者も小学生の時の原体験が,「勝つこと」が スポーツのエトスであるという実感をもたせるのでしょう。
おもしろかったです。

グロテスクな教養(高田理恵著)(06/01/07)
教養,もしくは教養論等について書かれた本。主に明治以降の 話を取り上げているが,それについていろいろな考え方が 時代によりあったというのをいろんな書物から読み解いている。 本の冒頭に書かれているように,そこからなにか大きな結論を 導こうとしてるわけではなく,タダ羅列している。敢えて言うと 教養に対する考え方というのはどの時代も一筋縄ではいかない 屈折したものだった…ということを読んでいて感じることが できるが,それが著者の意図なのかはわからない。ただ教養というのは その時代の教養のアンチテーゼの中に次の世代の教養が あったりして,非常にわかりにくい。ある時代は学問が教養で あっても別の時代には芸術への理解が教養であったりと…そういう 感じで…。
というわけで,読んでいて良くわからない本でありました。 良くわからないのに書評など書くべきではないかと思ったのですが, 読んでいて思ったのは,現在の教養は「解く」ことであり, 「メタ」なんだろうな…と思ったので,それだけを書きたいと 思ったので書いた。たぶん時代によっては「反」や「脱」が 教養だった時代もあったはず。前時代の風習や考え方,文化の否定, 離脱が教養だったのがわりと長く続いていたのではないだろか?。 しかし今はこの本に限らず,マンガやアニメを観ても感じるが 今ある考え方自体を解体して相対化するのが物凄く流行っている 気がする。しかし解体はするがそこからどこかへ向かおうという 力は感じない。だからどこまでも解体し,そしてそれ自身を 笑い物にしてしまう。そういう時代な気がする。
この本も教養自体を解体していくが,そこからどこに向かうかは わからない。著者は教養主義者だとあとがきで述べているが, 既存の教養は解体されているし,次世代の教養が示されている ものでもない。まぁここでいう教養はわたしがいう「物語り」に 近いものがあるな…と少し感じた。だから本の本質を読めずに 申し訳ないが,この本の存在は他の文(日記や一人言)で取り上げるかも, ということで,感想を書かせて頂いた。
誉めてるかけなしているか良くわからなくて申し訳ないです。


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