神社から見えるもの
わたしが神社巡りが好きなのは,古代史好き,宗教好きと関連していて, 日本で神社や神道がどの様に成立し浸透していったかを知りたいというのが あります。ついては宗教を観察すると見えてくる「思考の癖」を知りたいのです。 日本の信仰は世界をみても有数の「多様性を容認する宗教」であり, この思想にはいろんなヒントがあると思うのでなおさらです。さて,そういうわけで今回は熊野をみて回ったんですが,いろいろ思ったことが あるので,旅行記のおまけとして書いておきます。
宗教装置としての古道
熊野詣りはお伊勢詣りと並んで,昔の人の「生きてるうちにやっておきたいこと」の 一つだったと聞きます。この手の話は四国のお遍路さんをはじめ 日本には幾つかあると聞きますが,例えばイスラム教でもメッカの巡礼等が そういうことであり,他にも成人時の通過儀礼として旅をする文化・信仰は 世界中にあります。伊勢神宮に行ったときに感じたのは伊勢神宮自身の神々しさもあったんですが, それに加え門前町の色町色の強さでした。男性的視点で申し訳ないのですが, お伊勢詣りには神社でのお祈り以外にも神様を拝んでいたわけです。 イヤらしい表現にちょっとなってしまいましたが,江戸時代とかはともかく 過去の日本においては(ある特定の)女性との交わりの中に神性を垣間見ていた こともあるようなので,そういう表現は必ずしも間違いでは無い気がします。 女性の楽しみとしての伊勢参りが何だったのかは良くわかりません。そもそも 近所の人ならともかくお伊勢詣りが出来るような層が当時どれくらいいて, 男女比がどれくらいかも良くわからないので…。
そればっかりではあんまりなので,もうちょっと書くと門前町で うまいものを食べるというのも楽しみであったと思います。
さて,そういう多少食欲肉欲寄りの伊勢に比べると熊野はもっと ストイックに感じました。そもそも古道を通って熊野に至る道が やたら険しいからです。今みたいに車で途中まで行って歩く…ではなく, 当時は高野山とか,大阪とかから歩いていたわけです。東海道みたいに 途中宿場街があったわけでもないでしょう。何日も野宿しながら山越えしての 旅は遭難者が何人出てもおかしくありません。
しかし本来「行」というのは体をある程度痛め付けることにより,神々と 交信するのでこの行で得られるものは結構あるのだと思います。 古道(当時は古道じゃないか)を抜けきって本宮や那智大社に出たときの 感動はおそらく凄かったのではないでしょうか?。
もちろん古道を輿で行った貴族等もいるんでしょうが,アレだけの 山道だとすると輿で移動するのもたぶん大変です。
レジャーとしての熊野詣り
さて,本宮と古道を歩いただけじゃ,修行装置としての古道と カタルシスのための本宮…って思っただけでしょうが,今回は 那智勝浦と那智大社まで回り,それ以上の意味を感じました。 だいたい新宮から本宮に向かう熊野川の風景もかなり神々しさを 感じたのですが,一方で勝浦の街にある,温泉,港町ゆえの海の幸の 充実ぶり…といういわゆるレジャー地としての出来の良さです。 勝浦の温泉がいつ発見されたのかはわかりませんが,勝浦から 那智大社にいく途中にも温泉はあり,参拝者が大社に行く途中,もしくは 帰りに寄ったことは想像できます。そして勝浦の街でうまい魚を 食べたことも。そして山の中の街にある本宮と違い,那智大社はまさに山の斜面に あり,急な坂を昇りきったところに斜面に張り付く形で存在してます (当時は寺と一体化していましたが)。斜面ですから,そこから眼下に 広がる風景は絶景ですし,様々な建物が山にはあり要塞の様で, 非常に異質な空間をつくってますから,そこにたどり着いた人は, 風景と建物と両方を楽しむことが出来るのです。そして近くには これまた神秘的な滝があり,どう考えてもここは非日常の空間だったと 考えられます。
日本中から「一度は行きたいところ」といわれ,そこにはみたこともない 建造物や風景があり,食べ物も美味しく温泉もあるとなると,これは 修行というよりはレジャーです。もちろん命をかけていくのですから, そんなに軽いものではないでしょうが,わたしは日本中の人が 行きたがるところ…というのを考えると真っ先に東京ディズニーランドが 思い浮かびましたよ:-)。当時の日本の様子を考えてみてください。 都や江戸は結構な街だったかも知れませんが,それでもちょっと郊外に出ると 原生林か田んぼ,街も綺麗とかいっても京都の寺とかを除くとそんなに 大きな建物もない…。そういう中に育った人が朱色や金で装飾した寺や神社を みたときに感じる感動は,現代人が感じるものとは明らかに違うと思います。
神社はなんの装置か
以下は,熊野とはあまり関係無い神社と鳥居に関する考察です。神社は日本の至るところにあります。元々は朝廷が領土を拡大するときに 使った宿営地であったり政治を行った場所だったのでしょう。皇族が いるところを現在でも「宮」と言うことからも伺えますし,実際に 地方の神社の起源をみると朝廷軍が討伐隊等を送ったときに 出来た場所が多いです。 昔は政教分離されてませんでしたから,神官が土地を納めていた 時代もあったのでしょう。
そういう性格もありますが,神社はムラの人達が集まって祭をする 公民館的な要素もあったと思います。また酒が振る舞われる場所で あったこともあるでしょう。近代ならともかく古代や中世くらいまでの 農村は茅葺きとか竪穴式住居に住んでいたという話もあり, その中で白木作りの神社があれば,どれだけ村民に神的なイメージを 与えていたかと想像できます。
とここまではムラのハレの場所としての神社でしたが,熊野とかは 神社と寺が合体しており,むしろ密教的な修行の場としての性格も 強かったように思います。
いずれにせよ,神社には信仰の場というより,過去の行政,軍事基地,公民館,祭, ハレ,とかのイメージがあったんですが,今回の那智大社では 遊園地というイメージが更に増えました:-)。
鳥居はなんの装置か
さてもう一つ書きたかったこと,前のページにある那智の滝の 前にある鳥居をみたときに「鳥居とは額である」という直感を 得たことです。鳥居は日本独特のものですが,起源については諸説があり,アジアから 来たという人もいます。いずれにせよ神社と同様,日本人の 起源に関係する重要な要素でしょう。
これまで鳥居は「門」として解釈されています。しかしわたしは 今回,額つまり入れ物と思いました。例えば滝の前に鳥居をおけば 滝が信仰の対象になる…という感じでです。これはしめ縄もそうであり, 石に縄をまくだけで信仰の対象…というかお祈りの目標になります。
もちろん鳥居を門としてとらえることも出来ますが,その場合でも 鳥居の前に立つと,この先にお祈りの対象がある…という風に とらえることができますので,たとえ鳥居の先に対象が見えなくても 入れ物として感じることは出きるような気がします。
この事が表すのは日本人が多神教の信仰をもっており,道脇の 石ころさえ信仰の対象にするに辺り,また自然のものをお祈りの 対象にするテクニックとして鳥居,またはしめ縄を発明したのではないか?と いうことです。 神社に行くと,大抵は拝殿がありその奥に本殿があります。本殿には ご神体として鏡などがあることもありますが,拝殿からは 見えないことがほとんどで,参拝者は本殿や拝殿という入れ物に対し 祈っていることになります。入れ物を祈ることができるというのは 本尊がなくても祈れるということです。実際神がおりてくる場としての 空っぽの本殿もあったはずです。
わたしはなんでも祈りの対象にする日本人の信仰って結構好きなんですが, それのための装置として鳥居が発明されたのであれば, 結構おもしろいよなぁーと思ったのです。